2024年
9月
12日
木
他者の欠点を嗤うな 好天を歓べ 存在有難さに気づく
世間様、暑い暑いと相変わらず騒ぎ立てている今日この頃。
青空を見渡すと浮かんでいる雲は秋の雲は追いやられ「まだまだ夏」を主張するかの如く入道雲がぽっかりと浮いている時間が。
有難いと思わなくてはね。特に東海から関東に住まう者は。
蝉の鳴き声は微かにツクツクの声が聞こえる程度とは変化していますがあたかも7月頃?を思わせるこの天候は何より太平洋高気圧が元気だということに他なりません。
その元気の様は私たちに恩恵をもたらします。
昇格したての台風13号の進路予想図を見ていただければ一目瞭然、高気圧のへりを通らざるを得ない13号は東シナ海から東に進路を変えられず今回も大陸を目指している様。
10号によって意外な遠隔地での面倒いろいろはありましたがスーパー台風の11号は中国やベトナムの被害が甚大で目も当てられないくらいの状況でした。
それら台風の迷走に我ら東海地区への直撃が免れたのはすべてその強い高気圧のおかげです。
よってその恵みである高気圧のもたらす暑い空気に文句など言えるワケもなく・・・罰が当たります。
スーパー台風の直撃を受ければ、今の安泰など儚きことになるかもしれず。太平洋高気圧、しばらく居座って・・・。温暖化にはそれなりのメリットも見出さなくては。
扨、アメリカ大統領候補のテレビ討論会が終わりました。
ハリスの笑顔に生き生きとした言葉は印象的。
一方トランプは相変わらずの渋ちんな表情と相手を捻り潰さんばかりの口調。
「犬を喰った 猫を喰った」の荒唐無稽な発言も意味不明でした。選ぶのはアメリカ国民ですが次期大統領はハリスというのが私の感覚。ハリスの笑顔がイイですね。温和が一番ですよ。
ハリス登場前にバイデンのことを「老いぼれ」呼ばわりし、あの銃撃事件以来一瞬優位に立ったかと思われたトランプでしたが、今どう見てもその彼のバイデンバッシングの言葉がそのまま彼に跳ね返ってきた感があります。
以前にも記しましたが「ハリスではトランプに勝てない」など
の弁を吐き、トランプ詣でに勤しむ姿を見せつけていた日本のおエライさん・・・。
みなさん方が信奉する78歳、かなりヤバいのでは・・・
無党派層・若年層に絶大な人気のあるテイラー・スウィフトもハリス支持を表明していましたね。それってかなりハリス優位に動くのでは・・・
まぁ齢がどうのと年齢について他者を貶め、罵倒すれば結局は自身に跳ねかえってくるのです。
「若さ」といった視点からもどう見てもハリスですからね。
老いぼれとなったのはトランプ自身。
いずれにしろ、何事もお調子にのって他者を罵倒すれば結局まわりまわって自身の足元を掬われることコレ必定。
⑥昨日は新しいバッテリーが届きましたので早速装着してエンジンを始動。バッチリでした。
やはり今回の取り寄せた物は韓国製で1万円と少々の品。
大きさの割に格安でした。同じ容量のそれを近くの量販店で購入すれば殆ど倍近い価格になりますからね。
ディーラー純正品でしたら4~5万。
身分相応の品ということで。
装着時にバッテリーのトレーに以前のバッテリーの液漏れを確認。
液漏れの存在は取り外したバッテリーを置いた玄関に染みができていたことから気付いていましたが、トレーのその量は「少ない」とはいえないくらい。
まぁその液体は希硫酸でしょうから慎重に外して、水洗い。
何故にしてそれが洩れるのか、意味不明に陥りますがそれはもはや無視。
好天のおかげで何から何まで仕事が捗りました。
当分車は動かしませんので端子を外して終了。
冬場の車両不稼働時に備えて今ある古いものから少々大き目のバッテリーチャージャーを所望したいところです。
3~4日をおいてチャージしていれば劣化の進行を抑えられると踏んでいます。
ケアしていないでの放置があとあとのリスクに繋がるということを今回大いに学びましたので。
それにしてもこうして日々過ごすことができること、何より有り難いことです。ボヤキながらも。
①~⑤は昨日の工事現場。
東側隣地境界の壁を工作中。①②は隣地側から。
浄化槽も入りましたが、大き目の物を設置しなければならないようで。
2024年
9月
11日
水
談山神社 元はといえば多武峯(とうのみね)「妙楽寺」
先日のニュース報道で以下のような話題が盛り上がりましたが興味深く心に留められた方もいらしたことと思います。
その件、元京都国立博物館の狩野派研究者たちが調査にあたったと言います。
それが青森県中泊町の旧家「宮越家」所蔵のふすま絵がロンドンの大英博物館が所蔵するふすま絵と対の作品である可能性が高いというものでした。
大英博物館には狩野派の絵師が描いた「秋冬花鳥図」が所蔵されているとのことで、その「宮越家」の9代目当主が1920年に建てた離れの「詩夢庵」に春夏を表している花鳥図(桜やキジの親子の絵柄)があり、大英博物館の秋冬花鳥図との対だとの判定。
イギリスと青森の旧家にそれがどういう経緯で流れたのか。
また宮越家には安土桃山から江戸時代初期に描かれた18面のふすま絵があり、そのうちの4面がそれだとのこと。
そしてシアトル美術館には秋冬花鳥図の裏面に描かれていたと伝わる絵が所蔵されているとのこと。
私はその対となる狩野派の屏風(ふすま)の一方がイギリスやアメリカに分散しその片われが青森に、という離れ離れの不思議にはピンとくるものがあります。
それが明治初年の廃仏毀釈のドサクサです。
仏教とその遺物宝物の存在と維持の労に対してまさに闇の時代です。
大英博物館もそうですがボストン美術館など日本の文化財の宝庫となっているのもそれですね。
管理者が寺→神社へと変わる中、一時的に正当な責任者というものの不在があって出鱈目なほどに海外や国内に散逸していったのでした。
まぁ買い手があり尚海外から来た知者、国内地方の富裕層たちに小遣い銭を散らつかされて誰かがこっそりと持ち出させたというところでしょう。
しかし逆にそれであったからこそ戦火による焼失を免れたという指摘もありますから何が良くて何が悪いのか・・・果たして。
私がその神仏分離、廃仏毀釈を連想するに奈良という地が特に思い浮かぶわけですが、そちらの各大寺社の中でも談山神社は筆頭でしょう。
何しろ名称が「寺が神社」と激変しているからですね。
談山神社の名称は明治二年からですがそれまでの名称は多武峯(とうのみね)「妙楽寺」でした。
スゴイのは坊さんはクビか神職に衣替え。
本堂講堂等お寺に関わる建造物は神殿に変わり釈迦の仏舎利塔である十三重塔など「神廟」なる名称に変わりました。
それでもそういう場合、十三重塔は破却されてしまうというのも当時の流行りごと、こちらの場合はたまたま助かったのでしょうね。
一貫性の無い思い付きで物事が動いたのが明治時代の政治。
まぁ最近でもそんな政治がまかり通っていましたが。
呆れるのは本尊の阿弥陀三尊が安倍文殊院に払い下げられたのかそちらでも釈迦三尊として名称が変わっていること。
その一連、無茶苦茶のイメージしかありません。
毎度の事ですが明治維新のそれ・・・まさに記しているだけでバカバカしくなりますね。仏の名称まで変更するなどアホらしさの極みです。
昨日記した林道経由今井谷に下りるコースのスタートは談山神社からでした。
勿論早朝から入門できるはずは有りませんからその前を通るだけ。目的は別途ありましたからね。
その門には看板が掲げられていました。
台風10号のために閉鎖していたのですね。
最後の画像は昨日の拙寺の工事現場。
土砂の搬入は一昨日の土壌改良(砕石パイル)に続いての嵩上げ工事のため。排水を考慮して少々高めにし勾配をつける作戦。
2024年
9月
10日
火
今井谷の北山川の辻堂橋へ下る 地盤改良は砕石工法
先日の法要でマスクを装着し、声のトーンにいつもと違った弱さを感じたご夫婦が。
コロナに罹ってともに39度の高熱+肺炎による療養となった件、「まいった」の風で話されていました。
子は婚姻、別居し奥さんと奥さんのお母さんの3人住まいですが孫を預かって症状が出たとのこと。
どうやら孫の居る施設から孫が持ち帰ったものをそれぞれ体内に分散して増殖していったのでしょうね。
50代夫婦は39度+肺炎という「強烈」ながら義母さんは大した症状にならなかったようです。その件は良かったことですが町のお医者さんからは、「この肺炎はご自宅で」ということで入院には至らなかったとのこと。
やはりマスクは不可欠とは思うものの「トロイの木馬」の如く子や孫の体内に潜むそれにはどうにも対抗できませんね。
若い体で増殖、パワーアップしたそれをまともに受け入れればまずそれから逃げられるワケはありません。子供・・・怖い・・・
扨、先日の今回の多難の始まり(奈良天理のドタバタ)の前日は遠足前日の子供の如く、殆ど寝付けずに夜中の12時過ぎに出立。
目的地付近(桜井市になります)で夜明けまで過ごそうとの魂胆でした。
その地はやはり以前奥方と訪れていますが、ロクに歩きまわることができなかったために今回は単独で再訪しました。
その方がまったくもって気がラクです。
もっともその行き当たりばったりのテラ・ハカ・シロをうろうろと歩き回ることに付き合うのは「たまったもんじゃない」。
その寺社の裏山にハカがあることを地元の掲示板で知り急きょそちらに赴くことにしたのでした。
結構に深い山の中腹。
そこに車を停めて目的を達したあと、来た道を戻ることをヤメてそのままその先の道を進むことにしました。
「ショートカットができる」との思いの判断、いつもの楽観です。道はそれほど酷すぎず、いわゆる林道でしたがやはり途中不安はよぎり内心「来るんじゃなかった」の気持ちも沸きましたが森の中の下り道を過ぎて明るくなった場所の地名を見ると「今井谷」と。
無事に平地に下りて来られたことの嬉しさがありましたが、より親しみを感じました(このあたり)。
こんな山の途中でもし、その翌朝の如くのトラブルが発生したら・・・と思うと・・・今一度その装備を点検する必要があるかと。
画像④~は昨日の拙寺工事現場の様子。
地盤改良、砕石工法~エコジオ工法~。
これで地盤改良機等の機材を搬入④。
それは液状化と耐震に効果があるようです。勿論安価な工法。
尚、従来のコンクリートパイル打ち込みの場合、建物撤去時に相当な経費が嵩むとのこと。
2024年
9月
09日
月
一難去ってまた 多難 3日で4回目 共時性ならぬ同時性
昨日の午前の法事が済んで浜松へ。
本日も続けてバカ話を。
息子が冷蔵庫を新調したとのことでその古い冷蔵庫とネコ用ゲージを回収に奥方を助手席に乗せて軽トラで出動です。
この軽トラはあまり稼働が無く、使用は花ガラ等の搬出程度。
御門徒さんの手配で以前の軽トラからこちらに変更していましたので浜松となると初めての遠乗りになります。
途中掛川横須賀辺りのスタンドで給油に立ち寄りましたが、何故かまたこの軽トラまでもバッテリーあがり。
私のエクストレール、息子のチェイサー、そしてこの軽トラですから何かがオカシイ。
これだけつづくのはやはり「レアケース」とは思いますが、長雨と酷暑が原因なのかたまたま私に関わる車が立て続けにバッテリーが死んだのか・・・クラクションまで鳴らないくらい。
今回はスタンドのお兄ちゃんが二人押しかけを手伝ってくれたため簡単に再起動しました。よって余裕の躰で途中浜松市内のDIY店でバッテリーを購入(4980+消費税)して載せ替え、息子の家まで。
明るいうちに冷蔵庫を降ろすべくさっさと帰路につきました。
途中大東のスーパーで飲料水を購入に立ち寄り出発時にエンジンをかけると力の弱いセルモーターの音。
「なんじゃこりゃー」と愕然となるも一応エンジンが始動したため浜岡・相良方面へ向かいましたが走り出して間もなく、エンジンそのものが回転しなくなり、ストップしていまいました。
最初はハザードランプも点いていましたが、再びクラクションもならないほどにバッテリーも死んでいました。
日もどっぷり暮れて、「さぁどうする」になりましたが、ロードサービスのレッカー手配は荷台に冷蔵庫が載っているため却下されること間違いなしと踏みました。
よってタクシーを呼んで一旦自宅まで帰り、奥方の軽自家用車でロープにて牽引するという荒業を提案。
その提案の通り、タクシー会社の電話をすると20時すぎになっていたため1社目と2社目は「今日はおしまいです」と断られてしまいました。さすが田舎の日曜日と感心しながら次の3社目に掛けると場所の説明に多少時間がかかりましたが「15分で行きます」の了解を得ました。
タクシー料金は6000円弱でしたが、車内の涼しいこと、まさに救われた気分でした。
奥方は「これからが更に嫌な感じがする」と不安を吐露していましたが、奥方の軽にロープを数本積み込んで再び現場へ向かいました。
途中、軽トラのランプはまったく点かないというヤバイ状況、都合3回ロープが切れるなどしましたが11時に到着。
軽トラは外の駐車場に放置です。無事に帰ってこられただけまぁいいか・・・
ユングの心理学で共時性「シンクロニシティ」なる言葉がありました。「鷲が舞い降りた」でドイツ軍大佐がその語を使って作戦進行の決断の後押し、示唆的なエピソードを重ねていましたが私は今回の連続した事案はその共時性ならぬ「同時性」・・・と自虐的なほくそ笑みを浮かべていました。
まぁそれは殆ど偶然、こじつけあるいはオカルトといってもいいとは思いますが・・・
ちょっとカンベンしてもらいたい・・・
バッテリー、機械等が消耗して機能を果たさなくなることは経年の必然。自然ということで。
自然でしたら如来にまかせるべきもの。
軽トラを引っ張った軽自動車の負担は想像できますので当家に唯一残ったその車が動かなくなればそれこそピンチ。
尚、軽自動車後部に牽引用フックなどありませんので車体の後部車輪のシャフトに繋いで走らせました。また軽トラは間違いなくオシャカです。
奥方が引っ張る方、私が引っ張られる方、いつもと同じ。
後ろの方が相当怖いですよ。
一言で車の維持費は嵩むもの・・・自身納得させる必要がありました。
①②③までは災難続きながら調子が良かったのですが・・・
④は軽を放置してのタクシー待ち。大東の千浜の野。
4回続けてバッテリーが死んで最後はエンジンが死ぬ。私や奥方が死ななくて良かった。今回も助かりました・・・
2024年
9月
08日
日
消火栓とホース格納庫と放水銃 室生寺と長谷寺
朝の外気は一時のあの「亜熱帯感」は収まりつつあるものの
本堂内陣での読経タイムの過酷は台風10号通過以前とさほど変わりがありません。
外陣の参拝参列の皆さんもラクではないでしょうね。
まぁボヤいてばかりではキリがない。
あの台風11号は案の定中国大陸に上陸して暴れまくっているよう。他人ごとではありませんよ。たまたまこちらに来なかっただけ。くわばら~。
こうやって数日の自宅安泰を過ごしていると奈良ドハマリ趣向の私は、「そろそろまた奈良に」などど口にして「ふざけるな!!」と罵られているわけですが、奥方は奈良がお好きではない様子。案外と坊守は坊主より忙しいですからね。
つまるところどうのこうのあっても奈良、私にはハッピーな場所なのです。
まぁその機縁いつまで続くかはわかりませんが。
以前奥方と大和郡山城に行った際、「もう一歩も動かない」と言い放ち一人車の助手席で2時間近く過ごしていたことがありました。
その前に朝からいろいろ寺社(室生寺・長谷寺等)のアップダウンを付き合ってもらっていたため致し方なしとは思いますがテラならばまだしもシロに関しては特に拒絶される傾向がありますね。
「ここで待ってる・・・」。
男だの女だのその性別に関して何か指摘すると怒られる世ですが「面倒くささ」を感じるのはそんな時。
まぁジンクスとして私が出かけると複雑なテーマの一報があるという主張です。それもこじつけ。
「バッテリーが付いていない車で行ってこい・・・」の嫌味を受けたため早速ネットでそれを注文したところ。
しかしこのバッテリーというもの、なかなかピンキリで程度の格差あって粗悪品も出回っているよう。
昨日記したが如くディーラーという選択肢の件があったこと記しましたが、純製品を所望すればあの手の車の場合4~5万円の出費を覚悟しなくてはならないよう。
まぁあの時はそれをも覚悟をしていたわけでしたが、こうやって喉元過ぎたあたりで冷静に思うことは輸入品の安価のもので十分・・・という余裕が出てくるワケで。
ベトナム人を名のる中古バッテリー(7~8千円)業者に騙されたこともありますが(振込後連絡途絶)前回は韓国製の品(1.2万程度)を取り寄せて使用していました。
結果今回の顛末となったわけですが、バッテリーは如何にも車には肝心なものながら、しかしどうしてもバッテリーあがりはつきものなのです。
高価な純正品を装着したとしても、ちょっとしたうっかりミス(放電)でのパーもありますし長期にわたって車を動かさないでいればどんどん劣化します。
「人間と同じである」とも昨日記しましたが、消耗も突然死も普通にあるわけで・・・
よって長寿命を売り物にしている品などナンセンス。
その手の高価なものよりも短命だとしてもその覚悟いろいろが使用者にあればそれでヨシ。
よって、私は再び安価な品(1.2万円)で手を打ったのでした。
今回は冬前でバッテリーあがりが十分に想定しうる時期を迎えますので「また替えれば・・・」。
日頃できるだけ車を乗り回していればその心配はなくなるのですが。すべて運次第、タイミング次第、おまかせ。
尚、車を所有していない「奥の墓道」氏は車のリスク全般そしてバッテリーの不具合頻度の高さについて理解が浅いようで。
彼は今回のことを「レアケースだろ」と言っていましたので、「滅多に貴殿と車でふらつくことはないがこれまで都合3回、バッテリー関係で右往左往したこと助手席で見ていただろ・・・」と。振り返ってみるとスゴイ頻度。
扨、私の願いは境内、あるいはその近くに消火栓、ホース格納庫、放水銃の設置。
住宅街にあって「火」、そればっかりは一番おそろしいことですからね。
何故か相良の街区にはその設置が少ない。不思議。
よって大火事が相良に多いのでは・・・
拙寺とは雲泥の差、文化財豊富の大寺院ですが室生寺①と長谷寺②~④のその設備を。
水道管の大口径管を引っ張ってこなくてはならないのでしょうね。
2024年
9月
07日
土
天理の仏か 好印象降臨の白装束 ロードサービス
奈良天理市のホテルで受けた訃報の件、どちらにしろその翌日には帰路に就く予定でしたが、折角の奈良ですのでフルに時間をとれればと行き先を2、3検討していました。
そのあとのこと、のらりくらりと書き記させていただきましょう。
6時30からの朝食を済ませ、身支度を整えて7時過ぎにチェックアウト。
目的地選定のため、ナビをチェックすべくエンジンキーを回すとセルモーターはビクとも動きませんでした。
心当たりとしては前日、エンジンが始動しにくかったことがありましたが、そのあとあれだけ(400キロ近く)走っておきながらイキナリバッテリーがあがる・・・そんなことあるものか・・・の呆然自失。前日の「山の中」よりはいいや・・・の安堵も交錯。
ジャンプコードは常時搭載していますのでホテルからチェックアウトしてくる客を捉まえて電気を分けてもらおうと待ち構えました。
ボンネットをオープンして、「あの車の隣に・・・」と丁重にお願いするわけですが、その日は朝から色々と勉強させていただきました。
意外な事でしたが7件チャレンジ中、けんもほろろタイプの方が4件あったこと。
「3分ほど時間をいただければ・・・」と殆ど懇願の躰であったにもかかわらず、理由は「急いでいる」「忙しい」ということで拒絶。
これまで私は何度かそういたシチュエーションに出くわしていますが、目いっぱい出来る限りヘルプに応じた記憶があります。「まぁ世の中とはそんなもんだろう」と思いつつ「私の場合はたとえ通夜葬儀の時間が迫っていようがその3分は絶対に付き合おう」と心に決めたのでした。
そしてあと2件は「バッテリーの場所がわからない」「助手席の下だろうが開けられない」でした。まぁ態のいいお断りだったのでしょう。
私がその助手席の部分を手を突っ込んでまさぐるわけにもいかず諦めましたが自身の所有する自家用車であってもバッテリーの在処がわからないというのもスゴイことでした。
そして最後の1件。普通自家用車の方でしたが、気軽にOKをいただいて難なくコードを装着しましたが私の車はジーゼルエンジンでそのバッテリー容量はかなり大きい(「110」)ことからその自家用車のパワーでは復活に至りませんでした。
ダメだったにしろ拒絶率高い、厳しいお達し続きの中、気軽に私の願いに応じてくれたことを感謝しました。
そしてその方も恐縮して「頑張ってください」と。辛い心境ながら一気に心が晴れました。
すべて拒絶されるとは限らない。気持ちのいい人も現れる、捨てたもんじゃあない・・・です。
私は車を動かすためにここで待っていても仕方ないだろうと8時前から天理の町を歩き出しました。
歩を進めつつ思いつくカー用品大手の名を検索しても天理にはナシ。
ガソリンスタンドにカーディーラーうまくいけば中古のバッテリー屋にぶつかるかもとの楽観です。車検屋さんも多く点在しているようでした。
たまげたのは天理の街区ときたら天理教関係の大きな建物か居並び研修道場の如く宿泊詰所ばかりだったこと。
ガソリンスタンドもカーディーラーも私の目に留まることはありませんでした。あとは病院に警察署・・・
だいたいの街の雰囲気はわかりましたがそればかりは無駄な歩きでしたね。
歩きながら検索ヒットしたバッテリー取り扱いがありそうな店に電話を掛けまくりましたが何せ時間が早すぎてどちらも開店前の音声テープばかりだったこと。
近くの車検工場の開店を待って飛び込むとメカの方が一応在庫を調べてくれて「同等バッテリーの在庫は無い。車がここにあればチャージ等の対応はできる」とのことでした。
そもそもそれは無理なこと、腹の中「車が動けばここには来ないぜ」と心に思いつつ「すぐそこのホテルで3分もかからない場所です」と短時間でちゃっと終わる旨、強調すれば「上司に聞いてくる」とその場を離れてしばらく「お昼まで待って」との回答をいただきました。
彼らはそれぞれの決まったシフトで動いているワケでバッテリーの新品の販売に繋がるわけでもない一見さんのバッテリーチャージなら「お前のお昼休みにでもやってやれ~」と上役(女性でした)に突っ込まれたのでしょうね。
メカの方は通りを渡った私に向かって申し訳なさそうに頭を下げていました。
「いいんですよ~」と手を振りながらまたも嬉しくなっている私がありました。
私としても3時間はさすがに待てませんのでタクシーを拾って隣の大和郡山にあるカーショップに買い出しに行こうと覚悟を決め再び街区を歩き始めました。
すると携帯電話カバーの中に「そういえば・・・」とハッとさせられる紙片が目に入りました。どうして気が付かなかったのだろう・・・
それは20年ほど前に入ったクレジットカードの付帯サービスで「ロードサービス」が受けられるというもの。
カードの維持費は無料ですがオプションのロードサービスの年会費は750円程度だったかと。
それについて奥方からは「無意味につき さっさとヤメろ」と毎度罵しられていたものでした。
まぁ任意保険のサービスもあるにはありましたからね。
「ここにかけろ」と言わんばかりに電話番号がモロに目にはいってきましたのでダメ元でかけてみました。
すると10回ほど「しばらくお待ちください」のアナウンスを聞かされたあと、おそらく東京でしょう集約センターの担当者が出ました。
私の本人確認が済んで車の現状を話すと「30分以内に手配します」とこれまでとは信じられないような展開が。
10分程度待つと近くのレッカー屋さんから直電があって今から出るので「10分ほどお待ちください」となりました。
信じられない思いで待っていると白いツナギを来た好青年がニッコリ笑顔で現れて、コレなら楽勝とばかりにあっという間にエンジン始動。
自力には限界があることをここで再認識。
「おかげさま」を思いました。
御礼のことばを述べると「そんなに喜んでくれるとは嬉しいです・・・これに懲りずにまた天理に遊びに来てください」と。私の腹の中をすべて承知しているが如く。
9時50分にすべて解決。
10時までが正式なチェックアウト時間。それから新たに駐車場料金が発生しますからね。
ホテルフロント担当のご配慮でレッカー屋さんの入場料金をサービスしていただきました。
10時に出立し午後1時30分には相良着。
エンスト即地獄が想定できましたのでMT車でクセになっていた2速発進を封印、清々しい思いでエンジンノンストップ走行で逃げるように自宅へ。
ちなみに車庫に入ってエンジンを止め、再びセルを回してみると・・・思った通り微動だにせず。よってその場でバッテリーを降ろした次第。
もしどこかでエンストしていたら?
過ぎた事のタラレバを考えてもね。
そういえば「どこかでバッテリーを交換してからお帰りを・・・」とは彼が注進していました。
しかしニヤニヤしながらそれを聞き流して突っ走った私です。
昨日息子がやってきて(島田で通夜とのこと)隣の車庫の彼のチェイサーを始動するも何故か同様、バッテリーあがり。
彼のバッテリーは比較的新しく軽自動車からの接続で復活しましたが・・・。
長雨とそれぞれ1カ月以上も走らせていなかったことがイケなかったのでしょうか。寒冷へのダメージのイメージがあるそれですが猛暑も苦手なのでしょうかね。
バッテリーの生き死にもそれぞれあります。走ってもチャージしてもダメなものはダメ・・・。人間と同じか・・・
画像は失礼とは思いつつも彼の勇士をアップ。
あの時の私にとって降臨した仏のような方といっても過言無し。
将に天理の仏です。天理は「神」のイメージでしたが・・・
お仕事とはいえ、すこぶる好印象、気持ちのイイ来迎でした。
色々ありましたがこれですべてヨシの奈良に。
①はその前日の駐車場。
2024年
9月
06日
金
「なな」は怪訝な顔で送る 深夜に奈良に向かう
台風10号の残存低圧帯に吹き込む暖かい空気の影響でしばらくの間、不安定な天気が続きました。
台風が過ぎたあとは「荒天一転好天」となるというのが私の常識でしたが今回はその予想も裏切りました。
その次に発生した台風11号は沖縄の鼻先を通過して大陸へ向かっています。
そうは簡単に言ってもその11号・・・信じられないくらい、呆れるほどに勢力が増大しているようです。
905hpなどの予想も出ているくらいですから。
香港辺りへ上陸することは間違いないのでしょうが、被害は半端ナイのでは・・・と予想するところ。
そして、こっちでなくて良かった・・・といつもの単純で勝手な思いもありました。
扨、拙寺檀家さんが神妙な顔で「実は・・・」と縁者の「その時」についての寺への承諾というか段取り、筋道について確認を来られること多々あります。
私としては一瞬の衝撃を受けますがその心の中は「いつものことである」「しょうがない」・・・といっても過言ではありません。
「そろそろ危ない」「危篤」と言った言葉が混じりますが、私はただ淡々とお聞きし、できることと推奨する動きについて思うことをお話しするだけです。
「危篤」という言葉は良く耳にする語ですが、仏教的に言えば
基本「危ないのは私である」を本とします。
私の承ったその「そろそろ」の件、最長で1年以上命が繋がったこともあるくらいで、要は「わからない」ことです。
その一つの生命の終焉―寿命―は縁者といえどもどうにもならないそして必然のことですから。
とは言っても、その切実は事務的(寺務的)な対応ながら親身な姿勢であることは欠かせません。
そしてまた「そろそろ」と伝えられて1年以上存命した方の件、縁者に向かってこちらから「如何・・・」の如く問い合わせができる筈もなく。
ただそれには一切触れずに過ごすだけですね。
ということで「危篤」情報は承るものの私の生活スタンスはいつもと一緒。何も変わることはありません。
言い換えれば「その時」は誰もが迎える人生のイベントでありそれは皆同じことです。
扨、台風シーズンに入って、このタイミングしかないだろうと私は数日前の深夜に奈良へ向かいました。
機(まず天気予報)を見て感じて瞬時に決めるというのがいつものこと。
一方、私が遠方に向かうとどなたかの訃報が入るというのがジンクスになっていますが、その件頭にはありましたが、それに拘れば何も動くことはできません。すべての今ある命が「危篤」なのですから。
最近では私のやるべきことに「息子がいるさ」というお気楽気分も発生していますが、その奈良を歩きまくった夜、宿泊先の部屋で訃報が入りました。
その際に息子の方も法務がたまたま入っていたようですが帰宅しての流れを計算して「どうにかなる」と踏んでいました。
昨日のブログは奈良で記しましたが今は自坊にて。
今回の奈良は一日だけの限定となりましたが通夜・葬儀の件、おかげさまでうまいこと段取りが付きました。
その一日でも色々な事、いろいろな出逢いがありましたからヨシとしましょう。
画像は最近の奈良での定宿となった、建てられて新しい天理の東横イン。まさに天理駅の真ん前になります。
天理は意外に奈良のベース基地としてもってこいの地。
天理自体にはこれといった私の趣向に合う場所はありませんがそれほど混みあわないところがイイ。
禁煙ルーム(低層階)シングル一泊朝食付き、駐車料金あわせて7000円。
①はカメラ片手に深夜の出立前の「なな」の怪訝な睨み顔。
「行くな!!」と言っているように感じましたが・・・
④帰宅すると工事が本格的に始まっていました。
いよいよです。
また「いよいよ」と言えば、報道で「来年の大河ドラマに登場
田沼意次の名前付けた地酒を寺に献上」そして「藤井七冠人気 1日で満席 牧之原トークショー」の相良ネタが踊っていました。
2024年
9月
05日
木
水も大切、菌にも感謝 「菌塚」 七賢
先日発生した宮崎県沖の地震の際、専門家より「南海トラフ」の大地震を示唆されて一部それに関わる地区に住まわれる人々の生活、そして企業活動に制約のストレスがかかったのでしたが、その際、真っ当な人たちが考えたことはといえば「水の確保」だったとのこと。皆さんそれを求めて走っていましたね。
それはこれまでの震災体験で「一番困ったこと」が水といいますのでその確保の件、正解なのでしょうが、それでも動くのが遅すぎはしないかい?といった意見がありました。
もし地震が実際に発生すればまず、その水は各お店の棚から完全に姿を消すそうです。よってその真っ当な動きとは現実の問題への対処にはなっていず、つまるところ日頃の準備ができていないということの証左であるわけで。
まぁ、蛇口を開けば無尽蔵に水が溢れてくる時は気が付かないのでしょうが、それをひねっても一滴さえ出て来ないことを想像すればいいだけ。
いずれ来るであろう給水車にヘルプをタノムという策もありますが、まぁ何時になるかなどわかったものではありません。
水の確保とはそのヘルプが来る前、行列を作って並ぶ前に思量すべきことというのが、一般的に言う事前調達です。
家族の多い家庭は大変でしょうが、その発生の時に何とか食い繋いでいくには「水こそ」が一番なのでした。
夏の暑い盛りに植木鉢の植物に1日でも水やりを怠れば枯れてしまいます。人間も彼らと同じ生き物なのですからね。
ただし、その水必需の件、基本的に「私こそ生き残る」の意であり裏を返せば「私は死なない」の傲慢発想だといいます。
となると・・・水は必要ではあるが、本当に大切なことは地震の際の「私の生き残るための試行」なのでした。
どう動くか、動かないか・・・たとえば「火を消す」ことは肝心ですがデータによるといつもは2階家の2階に寝起きしているところ地震発生に驚き、慌てて階下に降りてきて1階が崩壊し2階部分の建屋によって圧死するパターンが意外に多いとのこと。
火の心配、津波の心配がない場合は2階が比較的安全。
扨、水と言えば昨日の白州、商品名で言えば南アルプスの天然水など思い浮かびます。
昨日の画像の「七賢」酒造は一部工場店舗部分を見学することができます。
こういった地域は水は美味しいし、それが喪失することなど考えられないでしょうね。そもそも地震などからは縁遠い場所ではないでしょうか。
まぁ何事も「100%ナイ」とは言い切れませんが。
こちらではそのご商売に一番必要なもの・・・水を祀りそして「菌」たちへの報謝を忘れまいということでしょう「菌塚」が建っていました。
ショップにはたくさんのお酒が並んでいましたが・・・いつもの如く私は手出し無用。
2024年
9月
04日
水
旧甲州街道 白州町は北杜市
晴れのち曇りそして土砂降りタイムありの一日。
先日来の豪雨、雷雨で避難先を求めたか最近来ている野良ネコが障子を破って本堂を出入りいる図を目撃。
そのネコはこれまでその手の悪さをしたことがありませんでしたが、さすがにあの雷と豪雨は床下に隠れている気分になれなかったのでしょうね。
しかしいくら何でも本堂はダメ。
ということで破られた箇所の修繕をしました。
先日来貼替えの障子ではなかったことは救いですが、障子紙ではあの爪で破られてしまいますので木の板を障子の升目に差し込む作戦を。
どちらにしろその箇所は障子の開け閉めの際、隙間が殆どなくなっているため障子紙が擦れて劣化が激しい箇所です。
よって昨日は数枚の板を切り貼りしました。
奥方は「全部ヤレ」と。上部はさすがにヤラれることはないでしょうが、まぁ様子を見ながら。
扨、甲州信玄堤(またはこちら)がある釜無川沿いに北上すれば白州の蒸留所や「目には青葉」の道の駅はくしゅうに至るわけですが、釜無川に尾白川が合流するあたり、旧甲州街道に分岐する道に入りました。
東海道に準ずる古来からの大動脈、甲州街道―学生時代の新宿周辺をうろちょろした人間にとって大いに聞き覚えのある道ですが―今はその古き時代の遺物を探すこと難儀します。
こちら白州町(北杜市)にはその古の面影を所々に見ることができます(こちら)。
2024年
9月
03日
火
大井夫人墓域 天文二十一壬子年五月七日 長禅寺
平田寺で行われるはずだった例の将棋の対局が消滅したのでしたが、昨年同様藤井さんは相良に来訪、代替の「トークショー」が開催されるとのこと。
史跡研究会の小澤氏が企画している大吟醸「田沼意次」のお披露目はそのお流れとなった対局の観戦会場に行われる予定でしたがそれはトークショーの日にちに変更することになります。それも予定でした。
今回の物品販売について頭が痛いのが酒というところです。
一般人には販売できない代物ですね。
詳細不勉強でよく知りませんが、酒屋さんの販売であっても認可されている店舗ではない出張店舗の場合は事前に税務署へ申請しなくてはならないというお約束があるとのことでした。
ところがそのイベントを当初担っていただく酒屋さんが申請した指定の日が将棋の対局日のみだったとのこと。
今回決まった9月9日はその期日に入っていずスライド申請する必要があるワケですね。
しかしその税務署のお約束は「10日前までに申請」という添付条項があり、「9日です」と言われても、すでに遅し。
これでお披露目販売の機会もおじゃんになったとのことでした。
酒という特殊な品物のため1クッション入れなければお話が進んでいかないということ、如何にもまどろっこしい。
企画を進めている小澤氏としても税務署とのその辺りの関りについての知識はありませんし、その申請不可によってイキナリ販促の出鼻を挫かれてしまったこと、気の毒なことです。
私は「お役人の旧態依然のお役所仕事だから・・・」と苦笑するだけでしたが。
言い出せばキリがありませんがその10日シバリの意味って何?。
面倒くさいことばかりで・・・
私にはその件、関りがなくて良かった。
扨、三重塔と五重塔、京都や奈良にでもワープしたような佇まいを表する長禅寺。
こちらの墓域は人の気配は皆無、草木生い茂る様でしたが、奥の上段は信玄の母、大井の方の墓域となっています。
歴代の僧たちの卵塔に囲まれるようにその石塔は建ちますがその側面に記された年月日、天文二十一(1552)年五月七日をつい検索する私がありました。
③はそちらウイキペディアでお目にかかった画像。
2024年
9月
02日
月
甲府城天守台からも 長禅寺五重塔の威容
ようやく迷走の台風10号は熱帯低気圧に衰え日本海に抜けようとしています。
久々清々しい晴れというものを享受したいところですが、まだ少々の怪しさが漂っていますね。
先日のお寺の寄合の休憩時間に、外の土砂降りの様に私が「雨漏りが心配」と親しくしていただいているお寺の住職が本堂背後の山が心配だと仰っていました。以前三河の等順寺(またはこちら こちら)にお邪魔した際にお聞きしましたがかつて裏山が崩れて本堂ほか被害があったと。
私は以前から山の中のお寺の静寂と自然の環境に「良きもの」といった認識がありましたが、その自然が牙を剥いてくることもありその立地の有難さというもの「今生かされている私の一所懸命」を思ったわけで。
昨日の静岡の台風被災のニュースの件。
台風の進路について特に西側を進む時など「南東斜面に気を付けろ」ということをよく聞きます。
反時計回りの低圧空気の渦の強いヤツが台風ですが、雨を降らす原資というものは南から供給される湿った空気。それらが供給し続けられて山系に当てってドカ雨を降らすというのがそれです。
そのニュースで久能山の南側と東側での斜面崩落があったと伝えていました。
山頂にはあの久能山城(東照宮)があってその南側斜面の字名が「根古屋」です。
今はイチゴ農家が点在しますが、その畑とハウスが斜面崩壊によって流されていました。
そして久能の東側の斜面も崩落してあの鉄舟寺の墓域が崩れている様も視聴。
台風(空気のいたずら)とはいえやはり不条理を思いますね。
その鬱憤を晴らせることはなかなかできないでしょう。
不条理と言えばまた昨日、横浜駅前のビルから飛び降りた高校生が下を歩く通行人に衝突してお二方とも亡くなっていました。
下を歩いていた方はその唐突に訪れた自らの死というものを一体どうやって認識するのでしょう。
時々起こるその巻き添え「殺人」―飛び降りた人にはその意志というものは無いのでしょうが刑法的には「未必の故意」というものがありますし。
精神状態として特に不安定、正気ではなかったからという弁護も成り立つものでしょうが(責任能力の有無)何れにせよ甚だしい不条理というものを感じました。
確率のことをここに記すのは、おかしな話ですが、私どもも横浜駅前のあの辺りは「人生でこれまで5回ほど」通ったことがある・・・という会話をしていました。
横浜の「奥の墓道」氏の場合などそれどころの回数ではないくらい頻繁に通行する場所ですからね。
「どうするんだよ~」と。
飛び降りて自死するに値する絶望への対応がその十数年の経験から培われたとすればやはりその学校・友人そして親が大いに反省する他はありませんね。
民事の損害賠償の件、当然に伴ってくるでしょうがそれはまず
未成年者の加害は「親」が弁済するということになります。
二重の不条理を親に提示するなんて・・・逃げられるものなら逃げたくなります。
このご時節、親というものは子に「死に方」まで日頃教えておかなくてはならなくなったというのでしょうか。
何という末世。
それを続けさせてはいイケない。
文科省も何とかせい。
扨、画像は昨日の三重塔に続いて同じ長禅寺の敷地にある五重塔。甲府城の天守台からも見られるアレです。
甲府府中の広大な敷地の古刹、三重塔と五重塔の二つの塔が建つお寺があるなんて・・・唖然です。
圧倒させられて言葉はなし。
夜9時からはNHK「MEGAQUAKE」を視聴。やはり言葉も無し。軟弱地盤の脅威。ビル、杭基礎の崩壊・・・強烈に恐ろしい。
同じ軟弱地盤のトーキョーにはニョキニョキと高層ビルが建ちまくっていますが・・・トーキョー関東は「揺れやすさマップ」の色が赤色だらけ。首都直下地震が来たらどうなるのだろう・・・
スケールが大きすぎて全ての「備え」というものが水泡に・・・
私など自分の事で精一杯ですが。
目の当たりにする現実、不条理というものは耐えがたい。
2024年
9月
01日
日
甲府長禅寺の三重塔 五重塔もあるけど
ひきつづき面倒くさい天気が続きます。
朝は晴れていてイキナリ土砂降り。
やんだかな?と思えばまた土砂降りのローテーションの終日。
そしてその締めが夕刻の雷付きで「まさか落ちやしないだろうな~」の不安もありました。
私もこの9月入りにはもうちっとばかり「何とかならないのかよ~」のもやもやな気持ちでいましたのできっと世の子供たちは折角の夏休み後半が水の泡にもなって、これから新学期の学校に対してストレスが溜まるのみではないかと心配。
大丈夫ですよ、行きたくなければ行かなきゃいいのだから。
どうにかなります。
正気を保つことができなくなって爆発しそうになったら良きオトナに相談しましょう。
話を聞いてくれる人は幾らでもいますから。
午前の法要開始時間は晴れ、法要の途中からしばらくの時間が豪雨となりやむなく墓参は中止にし、代わりに再度本堂で焼香をいただいたほどの激変ぶり。
皆さんは傘の持参などありませんでした。よって私が自家用車で駐車場まで各ドライバーを運びそれぞれの車を境内に入れて対応していました。
一昨日は焼津で50台の水没車両があったといいますが、全国だとどれくらいの車が傷んだことでしょう。神奈川西部も酷かった。
何故か羨ましくなるような凛々しき車ばかりで・・・水没とは気の毒なことです。
エンジンさえかけなければ一応は何とかなりそうですが。
これから秋口にかけてそれらが中古車市場に出てくることでしょうから購入には各吟味検討が必要でしょうね。
この台風10号、それに関わる色々が従来の台風とはまったく性格を異にしていて滅法驚かされました。
まぁ「何から何まで」といった感じで予想が付きにくいところが・・・私の如く常時楽観的に生きている人間にとっては「学び」ばかりでした。まさに常識というものが覆されましたね。
ただ私の住まう海岸近くの地に水に関する被害はありませんでしたが。
洪水に低地の家屋浸水、道路の冠水被害というものは概して同じ地域で発生します。
ということは毎度同じ場所、同じ地域内での被災があるわけで
これはどう考えても行政がそのことを学んでいないということでしょう。学ばないというか承知ていてトボけているのかも。
低地でしたら嵩上げや排水の配慮、毎度氾濫する河川ならば定期的な浚渫に防水堤の完備に排水への配慮、急傾斜地擁壁の造作などは不可欠です。
地域ポランティアの皆さんに避難施設管理の責任を投げるかの如く毎度毎度「避難所へ逃げて~」「高い場所に上がって~」のメッセージ発信の「やった感」。
これから毎年の悶絶台風対策としてこれでいいの?といった単純なギモンが浮かびます。
こちらのお寺は甲府五山のうち最も広大なスケールを誇るというお寺です。
よそ者の私としては入口に迷い迷って背後の強烈な細道に入り込み右往左往の難儀をしましたが(場所はこちら)・・・。
何故にしてそんなことになってしまったのか・・・
甲府中心部、甲府城からも近し。
甲府城天守台から東を見た画像からも見えました(そちらに写っているのは五重塔ですが)。
2024年
8月
31日
土
勝他・利養・名聞 3つのもとどり 帰敬式おかみそり
雨続きでくさくさ、割り切りが必要とは思っていました。
しかし何故か午前中は太陽が顔を出してくれて、避難していた植木鉢数鉢を日の下に移動するなど。
予想通り夕刻には再び土砂降り。
まったく面倒くさい天気が続きます。
お盆明けに時間が出来たら自然の中に独りいてのんびり思索を・・・などと期待を膨らませていましたが、すべてオジャン。
まさかこれほど悪天候が続くとは思いもしませんでしたね。
まぁ別段の被害がないということが有難いことですが。
昨晩の予報では、関東南にさらなる熱帯低気圧が発生していましたから今後関東地方は油断がおけない時間が続くかも。
しかし他人事ではありません。
静岡市内の河川増水による被害状況がテレビから流れていました。長靴を履いて水が溢れた道路を歩く下向姿?の小学生にインタビューするシーンが流れていましたが、学校はこの日を休みにしていなかったということか・・・
あいも変わらず臨機応変というものがないようです。
「洪水で溢れた道を学童に歩かせるな」。
扨、以前「法名をもらう」の本山ポスターの件を記しましたが、2025年より本山には「帰敬式相談窓口」が開設されます。
どちらの大谷派のお寺でもその受式は可能ですが、受式場所を本山に指定することもできますので、参拝や観光の流れの中でそれを受けることができます。良き思い出とすることができるというワケです。
以前はお寺の遠足といえば、大谷祖廟の納骨と本山での帰敬式がセットだったこともあって案外と(生前)法名を頂いている方がいらしたものですが、今は私の誤った?方向性からか少なくなっています。
なかなか元に戻そうとしてもうまく行きませんね。まぁゼロからその告知をしていかなくてはなりません。
因みに得度式と帰敬式とは似て非なるものですから一言。
夏休みに必ずと言って報道される本山東本願寺で催される得度式。
帰敬式同様、仏弟子の名のりをする式ではありますが得度式はまずは坊さんの予備軍。寺族子弟ということになりますね。
息子も小学校5年で上山しました。
また東本願寺の得度式は表に出てくることが多いのですがお西の方はさにあらず。それは両派の考え方の違い。
大谷派(東本願寺)は親鸞さんの得度の時にこだわって「9歳になったら」というルールがあるからです。私がそれを受けたのは大学卒業時、あまりにもタイミングが悪すぎました。
まぁ親の感覚の違いで私はその時期になったのでしたが相当なるわだかまりがありました。
それでいてお西の場合の基準は「成人」(確か18歳?)となっていますので夏休みの黒衣の子供のいがぐり頭の情景は東本願寺でのみ見られるということで。
親鸞と阿弥陀の教えは同じ、似ているようでまた違いもちょくちょく見られる東西の本願寺。それはそれでOKOK。
2025年からの東本願寺の帰敬式の変更点として「法名の取り扱いが変わる」との告知がありました。
1.男性には「釋〇〇」、女性には「釋尼〇〇」の法名授与を基本
としつつ受式者の願い出に応じて「釋〇〇」もしくは、「釋尼
〇〇」を選択いただけます。
なお、選択事由の説明は必要としません。
2.帰敬式受式後において「釋〇〇」もしくは「釋尼〇〇」の名告
りの変更に伴い、「変更後の法名紙の交付」を希望する場合は
所定の届出書の提出をもって新たに法名紙を授与いたしま
す。
上記は今の社会の情勢、感覚を鑑み変更されたもの。
要は「どちらでもイイ」「男子も女子も区別はナイ」ということですね。
しかしながら得度式で男子はいがぐり坊主、女子はカタチだけ・・・というのはオカシイ・・・といった意見もアリ。
女子に剃髪を強要するのも何ですから、それなら男子もヤメちまおうという意か。
また先日の会合で得度式で男子が「釋尼〇〇」を選択した場合、「剃髪しなくていいの?」といった質問がありましたが・・・
何分、難しい世の中になりました。
表記の「勝他・利養・名聞」のはからいに生きている私というものの象徴を「髻」(もとどり)として形容したものです。
それらをここで剃り落とすことによって仏門に入る宣誓とその自覚を持つ機縁にしようというもの。
2024年
8月
30日
金
強雨の中掛川圓満寺にて 堂内空調の心地よさよ
雨時々土砂降り。
午前は本堂で大吟醸「田沼意次」の販売について地区の酒屋さん3社を集めての説明会。
といっても拙寺はその会場(本堂)を提供しただけで私の参加はありません。主導は史跡調査会会長の小澤氏です。
それによると販売価格は720ml箱入りで3300円に統一するとのことでした。
牧之原市からもその品に力を入れるとのお墨付きを頂いているそうで小澤氏もこれで一安心、スタートが切れると。
残念なのは私にはその味がわからないということ。
平田寺の「田沼意次」奉納式にはそれ一本で行くとのことでした。
午後は掛川の圓満寺にて定例の会合。
テーマが多様にあって18時前までかかりました。
帰宅時は水たまりにハンドルを取られて恐怖を感じつつ。
内心この会合は順延願いたいところでしたが、致し方なし。
うるさ型の坊さん、沈思する坊さん、おバカな坊さん(私です!!)
それぞれあってうまいこと収まりませんね。
まぁ人それぞれあっていいのですが・・・
途中外は無茶苦茶な降りがあって(東海道新幹線全線不通)、私は庫裏や本堂に雨漏りがありはしないか「それどころではない」といった感じでそわそわ。
後に大事ないことがわかりましたが・・・。
こちらのお寺の本堂に入るのは初めて。以前は庫裏での会合でした。
すると靴入れが無いので「靴はどちらで脱げば・・・」と伺えば「そのままお入りください」でした。
ズカズカと他のお寺の本堂に入ること、躊躇のない私ですが、靴を脱がずに入ることは慣れていませんので相当どぎまぎとさせられました。
ガッチリとサッシドア、密閉度高い本堂でエアコンの効きがすこぶる良きこと・・・
「コレだな」と入口近くにツインで聳える見た事も無い空調機を確認しました。外側には本堂裏側の室外機に延びるパイプが少々見えるだけ。
快適な空間の提供に「これいくら?」と聞いてしまうのが私の失礼。
2台で200万円弱とのことでしたが、羨ましいということはさておいて、拙寺木造+畳の本堂では効率が悪すぎて無理でしょうね。
その快適を諦めること、さして時間はかかりませんでした。
尚、帰宅後、メールにて9月1日の法要中止順延の連絡がありました。当日は静岡市内のご自宅法要と近くの墓園参りの予定でしたが、私としては9月1日なら「何とかなるだろう」と高をくくっていました。
何故ならば台風10号は一昨日の935hpから985hpに急速に勢力を落していることそして「陸の上」の進行ということですね。
陸上では彼のスタミナの供給源は喪失し浪費するのみ。
要はその頃は熱帯低気圧→前線を伴った低気圧程度に・・・というところですがこれまで降りまくった雨量もあって地盤軟弱地の土砂崩れの発生も考えられるわけで。東名高速等幹線道がストップすることも。
中止していただいたことによって余計な心配は不要になりました。まぁ、ボヤキはありますがすべておまかせしています。
2024年
8月
29日
木
トカ子・竹ノ谷・不相・蒲方・片原 浅野文庫古城図三川
「おめでとう」だけど「ざんねん」。
今節の王位戦第五戦で藤井王位が勝利してタイトル防衛が決まりました。
これで相良での対戦は昨年に続いてお流れ、お祭り気分の盛り上がりはナシとなりました。準備のために動いた方たちからすれば一気に力が抜けたことでしょう。
まぁ、タイトル戦は「4勝」で決まるところ相良は「六戦目」の会場とあって内心今年も難しいとは思っていましたがね。
勝負のこと、こればっかしはどうにも仕方がないことですがその順番がいつも同じというのは不公平。ガチャにすればいいのに・・・
そんなノー天気な話題はともかくとして、あの台風10号のノロノロ進行と変進、そして発達の具合は一言でスゴイ。
台風発生時には990hpだったものが昨晩の鹿児島南西海上沖にあって935hpですからね。日々ますますのパワーアップの様を見せつけらました。
台風のコースもそれも大概のお決まりがあってまずは沖縄近海を通過しますし勢力のupはその沖縄辺りでピークアウトするものですからね。
それもこれも海水温がやたらと高いことからとの説明がされていますが、要は温暖化現象。
どちらかの島国からは海水面の上昇からの危機を訴える声が出ていますが、私はこの相良に夏を過ごして、あらためて「本州の亜熱帯化」を感じていました。
以前も記したことがありますが、私が沖縄で体験したそのスケールの台風といえば、まさに死というものを感じさせるものでした。
台風が過ぎたあと、鉄筋入りの電柱がポキポキと倒れ、国道に漁船がうちあげられている図は異様な光景でした。
あと「指飛んだ」のニュースは必ずありました(強風で閉まるドアのために)ね。車のドア開け閉めも特に注意。
まぁあの勢力で本州に向かう台風などこれまでそうは無かったですからね。たかが空気の流れではあるもののそいつは無慈悲かつ圧倒的な力で物を破壊し生命を奪います。
人の都合などお構いなし、すべての計画を練り直していただきたい。
昨晩は蒲郡の竹ノ谷で土砂崩れの報がありました。
ノロノロで降雨の時間帯が多く、背後に山を抱えた家や低地の河川近くに住まわれる方々、御油断召されるな。
当地は風よりも雨のリスクが大。昨晩から勝間田で避難指示が発せられていました。
扨、以前「浅野文庫蔵諸国古城之図」について記していましたがそのあと室城のところでそこから転記した通り何とか入手することができていました。
その書籍には非カラーではないページが多いながら三河の城の数は他を圧倒して掲載があります。
アレのページを捲って「何それ・・・」という城の名称に目が留まりますがそれがその「トカ子」です。「トカ子城」でもなくただの「トカ子」。
その城は拙ブログにて既に記していますがそれが登屋ヶ根城(またはこちら こちら)。
その城の呼び名として推測すれば漢字はあて字というのが通例ですのでその「トカ子(ネ)」が正解とすればどちらかの段階で
「トカネ」が「トヤガネ」と変化したのではないかと。
「此城昔ヨリ有之ト云トカ子ノ城関口ノ城トモ云 粕屋善兵衛 小原藤市城ヲ守由」と。
この城に関してはカラーというのもいい。
2024年
8月
28日
水
甲府駅前北口1-4 武田通り 突当りが躑躅ケ崎
例の将棋の王位戦第五戦が始まりました(27日28日)。
藤井王位の3勝1敗で今節が始まったわけですが今回藤井さんが勝てば決着・・・これまで!。
対する渡辺九段が勝って六戦目に持ち込むことができればその会場が当地相良の平田寺ということになりますから、関係者御一同のやきもきが手に取るようにわかります。
公募で昼食やおやつを提供すべく奮闘考案した皆さんは勿論、それぞれの各準備に奔走した御担当の労が水泡に帰する・・・などといったら少々大袈裟か。
まぁ藤井さんが勝ち、王位戦終了となったとしても実は彼を招いてのトークショーが相良で行われることにはなってはいますが・・・。
外部からその対戦を観戦するお客さんを招いての2日間のみっちり・・・からすれば時間限定、地元主体のトークショーのみというのでは雲泥の差でしょうがね。
先日は日本酒の新ブランド「田沼意次」について記しました。正式販売は来年の大河ドラマにあわせてではありますが、そのプレ販売というかデビューの計画がその第六戦の観戦会場(い~ら)の予定にありました。
その件について別途平田寺にてそのお酒の奉納の式典を行いたいといった提案が出てきたそう。
また大きくお披露目するためにそちらにはメディア(新聞社)を招くとも聞きました。
その際、その大吟醸「田沼意次」とは別に以前当地のイベントで販売した(別の醸造所)「相良城」なるお酒を一緒に平田寺の式典に並べるかも・・・という提案もあったといいます。
私はその「相良城」なる名称について以前拙寺の緑茶「無量寿」の商標を取る際に多くの名をピックアップして吟味したことがありましたがその際一応その名も見回したことがありました。
商標権については「類似」か「非類似」かの争点をよく言われますがその判断の一つとして「購入者が品物の出所について混同を招く可能性」があると「類似」の判断がされるウェイトが高くなるといいます。
緑茶についての判断はやってみなくてはわからない・・・といったものですが(勿論その名称は検討しませんでした)その「相良城」のカテゴリーはお酒になりますね。
見回してみると「相良〇×」なる酒造会社があってその「相良~」を記した(焼酎)名称は既に登録済みでした。
また、この「相良城」なる名称を特許庁のリストで調べてみると登録はありませんでした。
ということでその地元のイベント何やらでそれを販売したことは・・・非継続のゲリラ的販売、ヒットエンドランの如くのもの(売り逃げ)かと感じました。
ところがその酒を今一度世間に出して(メディアの取材対象にするなど)大きく公表した場合、全国に大バレとなって先取権利者の「対抗」(差し止め・損害賠償)というものが思い浮かぶわけで。
そのための権利保護と他者の排除を目的とするものですから。
まさかそのような無知(知らなかった~)はないかと思いますし私の杞憂であればそれでいいのですが(商標権利者の了解済等)、最悪、大河ドラマにも牧之原市にも平田寺にも泥を被らせることになるやもしれず。
私の経験浅薄では結論が出ませんが、それは「類似」であると思いますがね。
尚、私はその件一切関与していませんし、余計な事を指摘してケチを付けていると思われるのも嫌ですので静観を決め込むばかり。
またまさかそれを判っていて陳列販売などするワケはないでしょう。出したとしたら何らかの手はずを整えているということでしょうね。
奉納式に出られる小澤さんには一応「ヤバいかも・・・」とは告げていますが。
大吟醸「田沼意次」のみに関わっていればOK!!と。
「相良城」を販売するかしないかは自由ですからね。
ただその後の事は関知せず。
扨、甲府について何回か記してきましたが(一昨日)、甲府駅北口の交差点「北口1-4」を(場所はこちら)。信号待ちの図。
前方が東。少々行って右(南)に折れれば甲府城、県庁方向になりますが、この北口から北に上がる道が今の「信玄通り」。
突き当たったところに躑躅ケ崎屋形跡-武田神社が。
将に「君子南面」のカタチになります。
その道すがら円光院に向かう道を折れればまた色々名所がありました。
以前は柳沢吉保の龍崋山永慶寺跡を記しましたがその近くに庚申塚が。どちらにもある大して珍しいものではありませんが・・・
2024年
8月
27日
火
九州真宗の源流-福岡 親鸞と東北の念仏-仙台
当地は安定した好天、青空が広がっていました。
折角ですから軽トラの荷台の植木鉢を太陽光が目いっぱい浴びられる位置に移しかつ数鉢を下しました。
海からは波濤の様を耳のみで感じる程度で風すらありませんでした。22時前には降雨がありましたが・・・。
尚、限りなく西に進路を変える台風予10号の件、昨日私は950hpで「死人が出る」と記しましたが2019年の千葉のゴルフ練習場の鉄柱が付近の住宅を壊したあの台風の勢力は965hpでした。
その程度までの発達は十分にありそうですから・・・ご配慮を。
昨日は「火山防災の日」とのことでした。その研究としては地震の研究から比べて「30年遅れ」ているとのこと。
予算は1/4で学者は6割と。案外火山リスクについての認知度が低いことがわかりました。
私どもとしては富士山という火山が目の前にありますが、日頃「その時」についての住民への自治体からの働きかけはあまりないような。
まぁ目の前とはいうものの溶岩流も火砕流も噴石もまず届かない距離ですしそもそもその火山からは西に住まうということが
ちょっとした対火山へのお気楽観に繋がっているのですが・・・
火山に近い場所にある自治体はその手の危機感をお持ちなのでしょうかね。特に富士山は「そろそろ来る・・・」と言われていますので。
大概のところは地震とセットとも、やはりそういった生き地獄の様は見たくありませんね。
この期に及んでさらなる絶望を味合うのはゴメンですよ。
しかしもし先日の地震情報の発令の如く事前に富士山噴火情報などが出たとしたら・・・首都圏を巻き込んで相当なパニックになるでしょう。
その麓には東海道の大動脈が走っていますからね。
最近のプチ米騒動、店頭から米が姿を消してしまった件もそうですが、メディアの報道の仕方というものも罪が深い。
どちらもそれをこぞって報道したことによって集団心理に拍車がかかり阿呆の如く米を買いだめしたのでした。
人々は踊り踊らされるもの。フェイクとは言いませんが、報道は一方向に偏った行動規範のベースとなるということも認識していただきたいですね。
買いだめに走ることは「阿呆です!!」とくらい言い放ちその無意味に警鐘を鳴らすなどした方がイイのかも・・・大衆というものは愚かで一方的に動くものですから。時に無慈悲にも陥ります。
一番に気を付けなくてはならないのは「お前だ!!」と奥方・・・。はい私です。
22時からはNHK 「日米プロパガンダ戦」を視聴。
何かを「利用」してのニセ「報道」・・・世論操作。扇動なんてお手のものでしょう。不都合真実の削除もね。
「東京ローズ」の1人、アイバ氏の件(アメリカで有罪判決 投獄)、そして米政府の『「Kill the Jap」こそ「正義」・「今日は何人日本人を殺した?」』の語は特に印象的でした。
画像は福岡市博物館の「九州真宗の源流親鸞」と仙台市博物館の「東北の念仏」 特別展の御案内。
①如来さんの像もいいですが③光明本尊のカタチは初めて見る構図。アニメチックにも思えますし阿弥陀仏2トップの図?
両特別展とも近場でないのが残念。
2024年
8月
26日
月
手の凝った石垣の整然 大小矢穴 甲府城
警戒の声をあげ続けたせいなのか(そんなワケはない・・・) 、台風10号のコースは当初の最悪想定東海地方よりもさらにさらに西寄りになっていました。私としてはニンマリで、早々に対策を「解除」など思い浮かんだところですが・・・
まぁミッドウェー海戦の件(情報錯綜に振り回されて後手を踏む愚)も思い描くところですのでしばらく静観します。
10号は950hpくらいの発達も言われていますが、それであると死者が出ても不思議がナイくらい。
各対策を立ててうまいことやり過ごしていただくほかは有りません。まぁ外を出歩かないことが真っ当な策なのですがね。
予報を注視して当該地域の学校も会社も「その日は休日にします」といった判断ができるか否か、その組織というものの良し悪しが分かるところ。
管理者次第で他者の生き死が左右されるかも・・・といったシチュエーション。さぁ、どうする。
というワケで当地は朝から良好な天気。
私はここ数日奥方に梅の干し担当の指名を受けていましたので、雨に降られることだけは避けたいところでした。
その網籠を外に出した際など雲の動きについて敏感になり午前の法要前には取り込んむなどして対応していましたが午後に入ってもずっと晴れていました。
そして軽トラの荷台の鉢植えたちに水やりをと境内に車を移そうかどうか考えている間にザ~っと降りがありました。
私の思うが如く事が進んで結果OKOKの仕合わせといった一日でした。
扨、甲府城またの名を舞鶴城。
粋な名前ですが、その石垣についてはその数寄者(石垣好き)にとっては捨てておけない遺構といいます。
その「粋」とは戦国期末期の城とはいうものの当地の盟主だった「武田家」とは一切関係なし。
そもそも近隣の「躑躅ケ崎」の館の土塁と堀で囲ったそれとはまったく違った雰囲気となります。
あの余計な棒っキレの無粋もありますが私はやはり土塁の方が好みですし、崩れかけた野面積みの方が趣を感じます。
各時代支配者を経て今の石垣の成立となっています。
「山梨県の歴史」より
徳川家康(城代 平岩親吉) 天正十~十八
羽柴秀勝 天正十八~十九
加藤光奏 天正十九~文禄二
浅野長政・幸長 文禄二~慶長五
徳川家康(城代 平岩親吉) 慶長五~八
徳川義直(城代 平岩親吉) 慶長八~十二
幕府直轄 甲府城番 慶長十二~元和ニ
徳川忠長 元和ニ~寛永九
幕府直轄 甲府城番 寛永九~寛文元
徳川綱重・綱豊 寛文元~宝永元
柳沢吉保・吉里 宝永元~享保九
幕府直轄 甲府勤番支配 享保九~慶應二
幕府直轄 甲府城代 慶應二~明治元
「矢穴」とは石材加工のため、特に割り出しのために打つノミやクサビの痕跡のことですがこちらには大小のそれが見受けられます。
城を巡っていれば江戸期の城郭としての「当たり前」に出会うこととなりますが当時の施工石積石垣にはつきものでした。
2024年
8月
25日
日
裏千家の先生が製作依頼した七曜紋黒茶碗 台風対策
昨日あたりの台風10号の予想上陸地点よりもかなり西寄りになった感。
8月24日夜の予報では上陸地点が大阪あたりになっていました。
どちらにしろまだまだ分かりませんが当地にとっては有難いことです。ツイている!!
私の方は奥方の手を借りて朝から汗だく。
その対策のために少々時間を割いていました。たまたまこの土曜日は法事ナシでタイミングもヨシ。
空振りは全然OK、こればっかりは開き直らなくてはイケませんからね。最悪を考えれば・・・
毎度この台風対策と言えば本堂南側の雨戸の補強と駐車場物置のシャッター前土嚢置き、そして植木鉢の避難です。
シャッターは風の力でまくりあがってこれまで大層な出費となる例を見てきています。
シャッターは一見頑丈に見えますが風には滅法弱いですからね。
そして植木鉢を載せた軽トラと自家用車をこのシャッター前に並べます。
あとは直前に本堂正面と北側の雨戸をガッチリ固めるだけ。
奥方は脇腹の筋肉を捻ったようで「負傷者リスト入り」なる語を発して悶絶していました。「お前のせいだ」と再び罵っていました。齢のくせに・・・。
午後からはオオタニサンの40-40を見てから史料館の会合へ。
例の「今年はありそう」の件が「やはりなさそう」になったこと。
平田寺にて開催予定の王位戦六戦のことですね。
「負けて欲しい」というのも妙なことですし勝負の事と台風の上陸地など事前にわからない。
最後の画像2つが史料館で裏千家のお茶の先生が陶芸家に依頼して作った「七曜紋黒茶碗」。
「5万円」とその制作費を聞いて驚きました。「3000円なら買うのに~」と言うと「この世界で5万円なんて・・・」と一笑されてしまいました。
私のお頭はお安く出来ているのですね。尚、桐の箱が5000円と。
考えてみれば仏具や坊さんの衣・袈裟などの価格はもっともっと「浮世離れ」(「奥の墓道」氏)しているといいますからね。
お借りして展示してもいいのですが、責任というものが発生しますのでお気軽というわけにはいきません。
東急ハンズの「手づくり教室」にいた頃には陶芸の先生と昵懇にしていて気安く「あれ作って、これ作って」というのが常でしたし。勿論タダでした。それって今流行りのクズですね。
2024年
8月
24日
土
「お元気ですか?」のメッセージLINE 甲府城天守台
台風10号の進路は本土にかかる直前に偏西風によって北東に変える予報。その上陸地点が紀伊半島の潮岬付近。
その通りであったとしたら静岡県内、当地の最悪(浜名湖付近への北上)の件は捨てきれません(←相良最悪コース)。
あとしばらく様子を見て、コースがこのままでしたらできる事は少ないですが、いつも通りの対策をしていくつもりです。
気持ちとしては偏西風ナシ・・・でお願いしたいところですが。
しかしヤツは来る、きっと来る・・・
先日の新聞紙上で知りました。
老若男女その連絡の手筋の一つとして頭角を現して来たLINEを使ったサービスの件です。
「安否確認サービス」 (NPO法人「エンリッチ」)というものです。
奥方は毎朝、神奈川県在住の母親にその安否確認のメールをLINEで送ってその返信を受けていますが、それのこと。
但しそれは遠方であったとしても親しき縁者の存在があるということですが。
ということでそのサービスとは縁者がいない方が自身安否を第三者に確認してもらうというものになります。
要は孤独へのちょっとした捌け口でもあり同居するペットのためもあって「私の孤独安否」につき早いうちに対応してもらいたいという意思です。
登録者が設定した時間に「お元気ですか?」のメッセージが届いき「OK」の返信をするという単純なもの。
そして無反応の場合は直接電話をし、それでも不通ならば事前登録しておいた近親者等の連絡先に伝えるとのこと。
私がその件でもっと驚かされたことはこの6年で15歳~105歳まで延べ約14000人が登録したとのことですがそのうち20%が10~30代だとのこと。
病んでいるトーキョーのその10~30代の自殺者(2020年23区)数は272人。
若い人たちが絶望する社会とは・・・それだけ孤独を味あわせる社会だということか。
扨、甲府城の続き(昨日)。
天守台からの景色(画像は東から南にかけて)は抜群です。
最後の画像が富士山も見えるよ~の図。
2024年
8月
23日
金
甲府城別名舞鶴城 鉄(くろがね)門再
雨の時間はごく僅かでしたが殆ど一日中、天からはゴロゴロの声。夕刻過ぎは東の空でゴロゴロに加えてピカピカも 。
やはり熱帯の渦は台風10号の名のりをあげましね。
海水温が高くまた現状、彼の者は停滞しつつのんびり、うすノロの躰。
ということはますます「現在勢力増勢中」の感じがします。
最接近の予報は27日火曜日の午後とのことですが、勢力は975hp。
許容範囲ですがそれ以上のupはカンベン願いたい。
いつも「まかせる」と言う私の勝手な事ですが、進路はもうちっとばかり西に向かってもらいたいというのが本音です。
それはそれでそちらの皆さんも困るでしょうが。
台風籤、どう出るか・・・
「そうはお前の都合通りに行かないぞ!!」の如く、お盆の煩忙が終わって、のんびり、ぼんやりの感盛りあがるこの時節、これからはずっと雨マークが並んでいます。
毎度のこととはいいながら意気消沈、何しろ昨日も記しましたよう、今回のコースは「私」を狙っているようにも・・・あの予想コースはいかにも分が悪いですからね。
本格的な雨が降り出す前に植木鉢の避難に取り掛かろうか・・・あとは籠城のみ。
扨、昨日記した甲府城。
その別名は「舞鶴城」とあって当家のクロネコの名と一緒です。そちらは親近感が増します。
あのキレイな「鉄(くろがね)門」は復旧遺構。
明治初年の短慮によって破却されていたところを何とか復旧を成すことができたと。
こちらの門は山梨県としてかなり力が入っているでしょうね。そちらのHPに解説があります。
最後の画像は火葬場の収骨室のドア。
担当の方に聞けばマムシは毎年出るが今節、メインスペースに入り込んでとぐろを巻いていたと。
また待合建屋のトイレ前にも出没したといいますが、いずれも時間前の事で早々に箒で追い立てて排除したとのこと。
蛇に蹴躓くほどそそっかしくはありませんが、もしやのこともありますので「私も気を付けよぉ・・・」と。
2024年
8月
22日
木
部外放言失礼 オベリスク 甲府城の違和感
台風9号がどうなったかなど(温帯低気圧となって大陸へ)知りませんが、昨日はヤバそうな位置に台風が発生するとの報(10号)。
北上の予想進路が紀伊半島から静岡あたりになっていましたが、どうやら①上陸の可能性が大で②それも当地より西になること(位置関係として台風通過が「西」がリスクあり)。
これからどう勢力upし、どう進むのかわかりませんが、面倒なことにならなければいい・・・不安がよぎります。
最悪のこと・・・930HPくらいに強烈に発達したそれが当地より西に上陸した場合・・・
当地ばかり「安定」のいい思いをし続けることはできないでしょうから。
今までが良すぎました。
昨日は朝から殆ど外。午前中は火葬場に。
「今のところ何もありません・・・」。
先般火葬場職員の待遇改善~「職員用の冷蔵庫くらいあってもイイのでは・・・」の件~人を介してしかるべき部署に連絡していただいていました。
しかしなが現状何かのアクションは無かったよう。
彼らもこれより榛原側の原に新設される後継施設の業務から離れる可能性(不採用)もあるといい、半ばあきらめ気味の感。
奥方に中古の冷蔵庫でも持って行こうか・・・と提案しましたが、今後何かの検討があるやも知れず「余計なお世話」とのこと。
まぁ夏は着実に去っていきますが。
故人は95歳。
奇特であると感じたのは曾孫の男子たちが棺を担いでいたところ。滅多にない「仕合わせ」を拝見させていただきました。
扨、「陳腐で意味不明の構造物」のご紹介。
そういった表現を部外の者がすることは甚だ失礼なことかも知れませんが、それは私のただの勝手な印象ということを付け加えておきます。
地域の特殊性というか、特に近代歴史の流れがそうさせたのでしょうね。これの追加によって城そのものの価値を下げたよう。
私は時として城郭散策の楽しみを実践していますが、以前からその城へ向かうに「ちょっとやめておこう」という気持ちが交錯する城がありました。
「以前から~」というのはその近隣の遺構を歩いているからです。そもそもその城郭は県庁所在地にあってそれもその県庁の目と鼻の先。
駅近官庁繁華街で尚また車両駐車の検討もあります。
やはりあの時は駐車場探しで余計な周回を余儀なくされました。
その城が甲府城にあるその意味不明の主張・・・オベリスク(方尖柱- ほうせんちゅう-)です。
古代では日時計の針としての使用もあったようですが大抵のそれはモニュメント。
ヒトというものはおカネに余裕ができると高くて無意味な物を作りたがるのでしょうね。
こちらのそれには「謝恩碑」なる名称がありました。
水害克服の記念碑といいますが、何もこちらに「オッ立てなくても・・・」と思うのは私だけ?
先般甲府から来られた御門徒様にその件伺ったところ「同意」とのことでしたが。
画像①甲府城の南側からの図。鉄門(くろがねもん)とオベリスク。左側が県庁になります(場所はこちら)。
⑤⑥⑦は天守台から西を。
⑧は北側から。石垣と白壁は見事ですが信号機の柱とあの存在は無粋。
まぁ甲府盆地に大正期のそれが建ち続けているということは大きな地震が無かったということでしょう。
2024年
8月
21日
水
案外効果あり トイレ窓の遮光 太田コレクション
昨日の朝はこの数週間聞こえなかった雨音から。
大した降りでもなくあまり長い時間のそれではありませんでしたが、気温はそれにより2~3℃低かった感じ。
それでもその後しばらくしていつもの晴れ間が広まったわけで境内に時々現れる墓参の方からはいつもの「暑い」の詞が。
天気というものはたまたまの空気の流れによって決まるものですからそれに文句を言うことはできませんし、それが荒天・好天どっちに転ぶかなどわかりません。
私にとってこの猛暑に関しては苦になっていませんが~勿論部屋の中はエアコンかけまくり環境~その太平洋高気圧に覆われた晴れ間続きに思うこと。
みなさん「暑い」とは文句タラタラの如く言い放ちますが、ちょいと高気圧の位置が変わって低圧部ができてそこを台風でも通過したらの荒天のことは頭の中から離れてしまうのか・・・とも思います。
丁度広島の土砂災害から10年、各法要が催されたことが報じられていました。
荒天と好天どちらがいいか(おかしな比較ですが・・・)など考えれば好天がイイに決まっていますね。
洪水や土砂災害を考えると良きお天気ほど無難なことはありません。戦時中の「天気の良き日に爆弾が落ちてくる」ということは今となってはまずありませんからね。
よって「暑い」=「天気に恵まれている」事であり「災いから遠ざけられている」証なのですから。
暑ければそれに対応していけばいいのですが、土砂崩れや水難で自分や家族の生命財産を失いもはや対応などは不可能に陥ることがあることを忘れてはイケませんね。
「暑い」だ寒いなどと言っていられるだけ仕合わせだということを。
現状台風の動きに違和感を持たれる方がいらっしゃると思いますが今、南シナ海を北上中の台風9号の針路は朝鮮半島の根元付近の様。
7月末の台風3号の針路も沖縄をかすめてイキナリ中国大陸直行でした。
通常今の時期ならば本州、特に東海地区を狙ってきても不思議はないのですが、なぜか大陸へ。
これから多くの熱帯低気圧たちが発生し来訪することになるのか見ものですが本州直撃が見られないのはやはり高気圧が元気に本州上に張り出してくれているおかげでしょうね。
あの時中国大陸に上陸した台風3号が温帯低気圧化しての大雨となったか北朝鮮はかなりの水害となったというニュースがありました。
さぞかしロシアにミサイルやら爆弾を支援してウクライナ攻勢に一役買っているお国ですし、大陸間弾道弾に最新兵器の開発に暇がないお国がら、自国内治水やら都市計画は万全の事でしょう。よって今度の台風9号の直撃があったとしても平チャラ余裕の躰でしょうね。
天候の事はどうにもならずおまかせするばかりですが、私の気持ちとしては当地ばかりは晴れを希望。
晴れ渡る空に水害に土砂崩壊はありませんので。
境内土手が崩れ、木々の倒木も本堂や庫裏の心配もいらない。
扨、昨日は夕刻より法要がありましたので、殆どの時間は自宅の居間にて過ごしました。
午前中はその前日に買い求めていた素材を加工してのDIY。
奥方よリクエストされていたトイレの窓の遮光です。
そちらには午後になると強烈な日光が注ぎ日没に至るまでそれが続きます。
よってトイレの中は夕刻過ぎまで灼熱状態になります。
今更ながら、とは思いましたがその注文があってすぐに工事を着手した次第。
どんな素材を使って遮光するかは何でもOKですが、私は店で目についたコルクボードの床プレートを使用しました。
効果は抜群、コレならば冬場の寒気も抑えられそう。
②は菅山の太田ギャラリー。展示品入れ替えのポスター。
御門徒様の知り合いということで「よろしく~」と。
これまで3回ほどそちらに立ち寄りましたがいつも休館日。
よってまだ一度も顔を出していません。
③④は先日貼った本堂内陣北側の障子。
水で剥がし塗装してから障子貼り。本堂正面のそれとは違って板の部分が多くて重い・・・。
2024年
8月
20日
火
我は森の散策が楽しき 富士御殿場蒸留所
昨日は久々朝から曇天。
殆ど青空は見えませんでした。蝉たちの声も全盛期から比べて1/3以下、特に静寂の時間が多くなった・・・ということは、夏のおしまい。
午前は御前崎の遠州灘を前にする介護施設へ。
ご門徒さんが入所していますが、その息子さんから「しっかりと住職の事を覚えているので行ってみて~」のことでした。
ずっとその機会を伺っていたわけですが丁度時間が空いたためそちらへ。
「コンビニのプリンでOK」とのことでしたが、とりあえず今回は手ぶらでアポなし訪問。
すると「親戚縁者以外面会謝絶」。依然「コロナ警戒下」にあるとのことでした。
想定外の処断を受け、もぞもぞしていると職員が「一応聞いてきますね~」と責任者の元へ確認に行ってくれました。
すると「やっぱダメ」ということに。
突然「邪魔するよ~」とドアを開けた怪しげな私を招き入れ 施設内感染でも起こしたとなれば地団太モノですからね。
まぁ「邪魔するなら帰って~」というところ。
ご時節がら仕方ないことでしょう・・・
「プリンを買わなくてよかった」と次の境内雑務用の材料を購入してから帰宅しました。
扨、私どものドハマリ趣味として20数年前に富士樹海散策というものがありました。
家族で幾度もあの辺りに通っていましたが、ある夏のお盆休みの朝、「女子大生失踪事件」として前日より報道されていたその女の子と遭遇し、その対応をさせていただいたのでした。奥方が隣で「よしな(関わるな)」と忠告していましたが。
やはりその後の事情聴取やら報道対応でお休みが休みでなくなってしまったことは言うまでもないこと。
河口湖の宿泊先の民宿まで報道陣が押し掛けてくるなど翌日の各新聞紙上とその日のニュース番組は「全局制覇」 (「奥の墓道」氏)とのことでした。
「横浜市の会社員~」と私の名前が踊っていましたがリポーターたちの襲来は当初の救急や警察の段階で私が告げた携帯番号がリークしていたということですね。
要は一番疑わしい第一発見者の私を洗わすための手段。
それが分かっていても休みが台無しになったことは腹立たしいことでした。
しかしその終息は案外と早かったわけで、それはその失踪事件などというセンセーショナルな事件ではなかったことが判明したからです。
休み明けに会社に出社すると「人命救助」として表彰を・・・と打診されましたが、それは固辞しました。
その私の富士樹海放浪はあの有名なミズナラの大木に会いに行くというのが第一義でした。
そして森の神秘に触れることと俗世間から逃れて少しでも正気を保ちそれを維持すること。
例によっての無茶、冬の樹海で車がスタックし、そちらへの訪問は自重するように、夏が過ぎ去るが如く熱は冷めて今があります。そして残った趣向が大木好き。
その名残が境内テラス前のミズナラと本堂北側のブナですが、どちらもこのような低地の暖地を好む木ではありません。
ミズナラはあの樹海から「種」(人はそれをドングリと呼びます)を持ち帰ったものですが3mほど成長したあと突然立ち枯れしてしまいました。
今あるミズナラはその木の子供で樹海のそれの孫ということになります。
ブナも樹海産ですがそれぞれ耐暖性が付いてきたかとは思います。しかしさすがにこの猛暑はキツかったでしょうね。
ミズナラは今のところ確りとまだ緑色の子たちを枝先に付けています。
ブナの方は本堂の影にありますので順調に大きくなっていますが、屋根に枝葉が触れるようになりましたのでそろそろ剪定が必要になりました。
扨、昨日は白州の蒸留所へ奥方の「現在のハマリ」に付き合ったことを記しましたが6月の終わりには富士御殿場蒸留所行きの運転手をしました。
突然それを告げられたわけですが、事前に予約を入れていたようです。
そちらではウイスキーから天然水の工場の説明を若いお嬢さんの案内に付いて(20人程度のグループ)廻りましたが何せチンプンカンプン、その内容は今、記憶からはサッパリ消え失せていました。
思いだすことは唯一つ最後にそのお嬢さんに、声のトーンとトークがよどみなく聞きやすかったので最後の「何か質問がございますか」の時間で醸造所とはまったく関係のない質問をしたこと。
「プロのトークは天晴れ 何時からこのお仕事を」と問いました。ウィスキーよりそっちかよ~と周囲から見られたとは思いますが「こちとら、そんなものはハナから興味がないわいなぁ」ですからね。
すると「4月に入社したばかり・・・」というので仰天させられました。
衆人コントロールとトークの達者は人によって得手不得手があることは分かりますが、それには驚かされましたね。
たった2カ月半ですよ。
蒸溜所の顔でもあるわけで、この会社も彼女の「人」というものを相当吟味したであろうこと推測したのでした。
一流は一流を持ってくる・・・当然か。
いつまでたってもすべてが三流の私の収穫物は二個。
建屋の裏の森の散策で見つけた広葉樹の種-最後の画像-がその一つ。
二つとも発芽していましたので自宅に持ち帰ってポットに植えましたが先端が腐食していたようで両方枯れてしまいました。
しかしこれ以上の大木系は境内に植える場所がない。
試飲コーナーの私の飲み物は「午後の紅茶」。
ウィスキーっぽい色で、缶が見えないように撮影してもらって各送信しましたがいずれもモロバレでした。
ブルーのリボンは事前に申告する運転手の証です。
そのブルーが酒を口にし、運転を確認した場合「通報することになります」とそのお嬢さんから厳しい忠告がありました。
よってほとんどの来訪者は駅から会社手配のマイクロバスでしょうか。
2024年
8月
19日
月
かつての酔狂 冬の白州ウィスキー工場へ
昨日は主に東京からの参拝の方々、午後2時からの法要でした。
読経終了後に「劣悪な環境にようこそ」とあたかもひと風呂浴びてきた~の躰でお内陣から外陣に出てのご挨拶。
「思ったほどの暑さではない」とはフォローしてくださいましたが、今時公共の施設っぽい場所でエアコンの無い空間というものは、そうはありませんからね。
その私の言葉には「申し訳ない」気持ちと自虐の意が込められていたのでした。
開式当初に例のイソヒヨドリの美声が私の読経と共演してくれたためその件気づかれたかどうか伺ったところ「アレは読経の際の効果音では・・・? 」と。
そのあといつもの1本足のヤマバトが餌を啄んでいましたので彼も皆さんに紹介。
人間に対する環境は劣悪(扇風機の本堂)ながら、鳥たちにとってはまずまずの居心地を提供しているところを私は声にはしないものの主張させていただきました。
イソヒヨドリも本堂の軒下に止まってその姿をしっかりと皆さんに披露してくれました。ヒヨドリだったらそうは行きません。
それにしてもその美声が読経との人為的ハーモニー効果を思わせるとは奇特な自然現象です。
彼らの存在とその気まぐれはこれからますますの楽しみとなります。果たしてずっとこちらに滞留してくれるものか・・・
昨日のブログで特攻隊の不条理を記しましたがその隊員選抜にあたり「アンケート」調査というものがあったこと、印象的でしたのであらためて記させていただきます。
そのアンケートとは爆弾を抱えた特攻機に搭乗し敵の艦船に自爆してくれるかを主に学徒・予科練として入った若者たちにその可否を問うたものです。
氏名の頭に空欄があって「望」と「大いに望」の二種が記されていました。殆どは「望」で「否」は有りませんでしたが、あの状況下で「否」と記せない雰囲気が漂っていたことは違いないところ。
要は「他者」「上官」 (社会)の目に流されてしまう集団心理が働いたのでしょう。
実際に基地に配属されて「さあ、そろそろ」という頃合いに半狂乱に近くに動揺して周囲に当たり散らしていた者がいたとのこと。
「父母は私を死なすために、大学に入れたのではない・・・」と。
それでもその方は出陣の時、軍歌を歌いながら勇壮に飛行機に搭乗していったとのこと。
きっと私も「奥の墓道」氏もそのアンケートには「望」と記すということで合点。
彼もそう言っていました。我らは流されっぱなしですから。
もっとも成績の方は低レベル、下の下ですから「お前はいらない」となるでしょうが。
しかしそれで命が繋がれば御の字です。
当時の特攻機への搭乗員の指名選択について学徒と予科練クラスの20代前後の若者が多く選択されたその原理はその年齢以上の経験者は持ち駒として維持したかったとの思惑があったよう。
そしてその成績上位者は不選抜、保留していたと。
「大いに望」を記していても成績が上位ということで選ばれなかった人がいたといいます。
特攻機に搭乗することになる者は「中の上」クラスというわけで、ああ、ここにも道具理論が・・・と思った次第。
私も上等な道工具は使い惜しみし、使い捨てかつ自分の勝手都合での価値というものを重んじます。
人を道具として扱う事。
自分以外の他(人)に対して見る目、それこそが劣悪なのです。
人間本来の持つ慈悲心の喪失した状況について「戦争だから仕方がない」と冷静を構えること、それは如何にも最悪の自身の落ち着かせ方ですね。
相手もその感情というものを度外視した無慈悲の大鉈(道具)を振るうことになります。その語彙こそが戦争を肯定する言葉でした。
人の命を道具としてのみに思わず、死したとて「お国の為」という賛辞を送って終結。
そして上級レベルの者は命を惜しんで生き続ける・・・そういう社会にしていいのでしょうかね。
扨、本日も昨日に続いて寒い季節の画像を。
先般は山崎蒸溜所の件、記していましたが実はそのメーカーの人気ブランド白州の工場にも訪問していました。
これは奥方がその山崎工場もそうですが、ウィスキー工場見学にハマり「近場には白州がある」とその見学の予約を入れたのでした。
山梨ならば夏に行かないと美味しい果物にはありつけない・・・とは思うものの奥方の口から「外に出向く」ということは珍しいこと。それならば大いに結構とばかりに私は運転手として飛び出したのでした。ついでに私の趣向も成就できれば言うことなしですからね。
工場ではウィスキーと天然水のお勉強。
しかし酒を飲まない我らが・・・酔狂なのかやはりバカなのか・・・「奥の墓道」氏が「複雑怪奇の内閣総辞職モノ」 (平沼騏一郎)と首を傾げる私どもの行動がありました。
ここでも記しますが私どもは一切合切酒の味はわかりませんし普段一滴たりとも口にしません。というか正真の下戸。
お土産で購入した酒瓶の数本は飾ってありますが・・・ただそれを眺めているだけ。
白州工場にはレストランが新しく増築中。
「今度また行こう・・・」と。
その折には再び躑躅ケ崎信玄ミュージアムまで足を延ばそうか・・・またぶどうの美味しいヤツに遇えれば満足。
『サイパン戦 発掘 米軍録音記録「最期の1人を殺すまで」』を視聴して本日はおしまい。
時間帯としてはNHK総合のゴールデンタイムでした。
2024年
8月
18日
日
ルッキズム 今ではNG表現 記す人の年代は
「一億特攻への道~隊員4000人 生と死の記録~」を視聴しました。ここにも集団心理の恐ろしさを痛感しました。
あの時「特攻、GOGOGOGO!!」の風潮が社会にあったのでした。
軍部や政治の責任とついつい思いがちな「特攻」ですが国民全体がそれを受けての大絶賛と大いなる後押しがありました。
メディア(新聞・ラジオ)の方向も~軍部からの強い指示~社会全体のその「(華々しく)命を捨てて・・・」の大盛り上がりの雰囲気が蔓延していたのですね。
新聞紙上には「勇猛果敢」に「美しき~」・・・・「荒鷲」やら「軍神」等のキラキラした語が亡き人の名の冠に装飾されてました。「敵艦船撃沈」などの戦果も紙面に踊っていましたが実際は鈍重な「練習機」に搭乗して任務を遂行した者たちの数の多き事。
殆どが撃ち落されてしまった「犬死」なのでしょうが。
いやその「成果」については問題ではありません。
死していった者たちには失礼でその語彙を記すことは憚られるところでしょうが、それがあの特攻というものの紛れもない事実です。
先日も道具理論について触れましたが国全体が人間を、国民を取り換え可能の道具として見ていたのでした。
「一億総特攻」というキャンペーンを掲げてその高揚した雰囲気でもってその特攻を発案した連中の批判・反論を封じ込めようと画策。
もしかしてそれがスバラシイ作戦「特攻」がこの劣悪な戦局を挽回できると信じ「一撃講和」 (致命的な打撃をひとまず米軍に与えて戦意を喪失させ有利な条件を引き出しながら手打ち~講和~にする)なる意図での無茶で非人道の戦法を続けていたのなら余りにも浅はか。一旦やり出したら止まらない、止められないというアレですね。責任を取ることが怖いから・・・
最後の最後まで若者たちを死地に追い込んでしまった軍とそれを謳歌した国民全体が反省すべき悲劇として感じました。
扨、本日も昨日に続いて小谷城の涼しげ画像を。
古い図ですから、現状どうなっているのかなどわかりませんが・・・。
そこに立てられた看板⑤について一考。
その意図は大いにわかります。
それは「堅いこと」になりますのでちょいと「おもろいことでも」とお茶目に記したのでしょうが「美人~美しき人~が見ている」の表現には違和感。
つっこみどころとしては「非美人」の方が見ていたとしたらゴミを捨ててもいいのか・・・となりますが、そもそもそのカテゴリーはヒジョーに難しい・・・正義、善悪の判断よりも・・・でしょうね。
下手をすれば永遠に・・・判定不能。それもまた個々の感覚ですし。
まぁ「美しき女性」と言いたいのでしょうが。
まぁこの「美人」の語を面白おかしく使用するその御年頃としては大体予測がつきます。
大昔に放映されていたダイハツのCM「サイパンじゃ美人~」を思いだしますが~アレは二重に差別的を思うものでした~まずジジィの発想とその言葉でしょう。
その語の評価としては現状NGでそれは、いわゆる今言う「ルッキズム」というヤツです。
たくさんの人間の個の評価、差別というものの一つですが他者を外見を以って見る、評するというもの。
見た目第一印象で何かの可否を断ずることです。
ついついご当人に向かって「キレイにしてますね・・・」などと軽口を叩いてしまう私もそのジジイの一員でしょうが、この世界に生かされている者としては慎まなくてはならない類の語になりました。
女性への評価というものが、たとえ個人的に、あったとして、やはりその目盛りは「人間そのもの」であるべきです。男性もそれは同じでしょう。
よって「いい人」「良き人」の語が重宝なのかも。
そういえば「良き人」といえば御開祖の言う法然さんのことでした。
あの「ギインヤメた」のエッフェル塔詐欺師のオバさんが「議員なんかしているより弁護士の方が儲かる」などと嘯いていましたがそれはあまりにも「クズな人」を思います。
検察は在宅起訴の「美しき」手じまい。酷いおはなしですね。
議員として400万円也を国から掠め取って在宅起訴だとか。
方や海岸でハマグリ2個で「密漁」(最悪100万円の罰金)の件(先般記しました)どうみてもフェアではありませんね。
上級国民と平民とは最近の語ですがその差・・・これも歴とした「差別」です。
そして議員どもがこれ以上の優遇と強権を求めるものが「憲法改正」です。
この件、よく思量しておかないと・・・今の刑法で詐欺罪として明記されているハズなのにあのザマなのですからね。
あれ(憲法)を触ってしまうと、なし崩し的に国民の権利は劣化、酷い目に遭うことは目に見えています。
もっともっと上級と平民の優位不利が顕著になることでしょう。
時として詐欺的(フェイク)な方策をもって集団心理を煽りますからね、タチが悪い。
続けてテレビ小僧は終戦の2カ月前にあった天皇含めた「終戦工作」についての番組を視聴。
しかし何故にしてそういった番組をEテレの遅い時間帯(23時)に
追いやられたが如く放映されるのだろう・・・単純なギモン。
出来るだけ「人々の目に触れさすな」の意図があったりして。
2カ月早く戦争を終わらすことができていたら・・・のタラレバ。
そうあったらどれだけの命が救われたのでしょう。
「(戦争を)やりたい」連中がそのグズ・モタの壁になったことは言うまでもないことです。
そして「ポツダム宣言はアメリカの原爆投下のアリバイだったかも」という説も恐ろしい・・・人殺しの理由づけの講釈だった・・・
果たしてそういった事々への反省が今もあるのでしょうかね。
政治屋も私たちも・・・「人」が一番恐ろしい。
2024年
8月
17日
土
バカに拍車の頃 小谷城桜馬場と本丸 浅井家供養塔
台風7号の影響は殆どなし。
午前中は築地塀の塗装、いい加減それも飽きて午後からは息子のいる浜松でうろうろしていましたが、17時頃一雨あったようで有難し。
静岡の秋野氏は先日自転車にて市内走行中(道路自転車路側帯)左側の路地から出てきたレクサスに跳ね飛ばされたとのこと。当然に救急搬送とあいなって大変な思いをしてきたそうです。
無事で何よりですが・・・
自転車走行時にはヘルメット装着の習慣が身に着いてきたタイミングだとあってしばしばその手の事故の致命的要因となる頭のケガからはそのおかげで免れたとのこと。
不慮のことへの準備が確かでした。
氏はお盆時期に催される各地のイベントに顔を出してその記録を継続的にされていますが、通院、保険屋との交渉ですべての時間がパーになったと大きな張りのある元気な声で語っていました。
きっとそれは加害者や保険屋との折衝、医者との会話の中で「その調子なら~」と安心を与えたことでしょう。
私ならば人が悪いというか卑屈なのか「明日死ぬ~」の如くの弱々しさでもって対するかも。
何しろ色々と「腹が立つ」環境ですからね。
その前に何より「私が加害者になる」というところ思い浮かびます。
先日も地頭方処理場に向かっている際、150号線で前方右からイキナリ出てきた車が対抗車線を走っていた車の横腹に衝突、私の軽トラにその壊れたウィンカーの破片が当たりました。
処理場の締め切り時間が迫っていたため、「面倒はごめん」とそのまま通過しましたがついつい何となく、走行車を見落としてしまったということでしょう。
子供の道路への飛び出し事案と同じこと。
何時まで経っても「子供の動き」は体が覚えているのかも。
まぁ注意力散漫もあるかも知れません。
「明日死ぬ~」もそうですが「今にも殺す~」を、特に車の運転時は念頭に入れておく必要があります。それが社会との関わりというものでしょう。
秋野氏はgoodラック!!
加害者も肝を冷やしたとは思いますがそれもまたツイいてますね。
タラレバですが子供やノーヘルメットの人への衝突となれば、命を奪ったとしても不思議はありませんからね。
扨、奥方が「いい加減、暑苦しいことはよせ」とPC前に鎮座してこれを記す私に苦言を。
ということで「こんな画像は?」とこちらの図を見せると「それならよろしい 今スグにでも行きたい」といいますので、即貼り付けました。
近江浅井、小谷城の図で桜馬場と本丸の図になります。
かなり前の図ですが、一昔前の私は「バカに拍車」で行きたいと思えば遮二無二突き進むという感。例によって「折角来たのだから」の中止できない論理。
昨日記しましたが「戦争をやりたい」バカが政治の主体になれば国民全体が大迷惑するのですが、それとも同じようなもの。
飛び出し、イケイケドンドンは大概の所失策に及ぶこと大です。
「せっかく軍備拡張したのだから・・・」
何度か登城している小谷城ですが、この時は私のファーストコンタクトでした。
気も急いて普段着、雪対策ナシで登城しました。
山城は真夏と雪がある場所は真冬はヤメておけ・・・というのが今となっての持論となっていますが、それは大変な労力で登攀しても、雪の中の遺構の様は何もわからないというのがその理由。
礎石に土塁に各位置関係、積雪のせいでチンプンカンプンです。
雪の足跡は私の物だけ。長靴履きででなくてはね。
勿論私はいつものアディダス。
ただし自然とは仲良しできました。
①は琵琶湖と竹生島が見える図。桜馬場は景色良き曲輪。
登城経験のある方ならそのバカの具合が推察できるかも知れません。
尚、真夏にもこちらを歩いていますが、それもなかなか・・・
その「拍車」が取れつつある私は「真夏と真冬はヨセ」。
というか真っ当な人はハナから行かないそうです。
2024年
8月
16日
金
本年でおしまい「さがら灯ろう流し」
拙寺のお盆シーズンは実は既に終了しています。
よって築地塀の修繕の続き、柱部の塗装準備のための養生テープ貼りをしていると「今日はようやく会えました」とため息をつきながら二名の年配の方が訪れました。
そう言えば私が外部に出ている時に限って来られていたようで、タイミングの悪さを以前電話で嘆かれていました。
来訪の件、私は大した仕事はしていませんが、お参りを兼ね、かつての法縁の御礼をとのことでした。
「お気遣い御無用」とは申すものの、「こちらの方が気が済まない」と仰られ恐縮至極。
お話があるというので超暑い本堂にお招き。扇風機で対応しましたが。
それは身の上話が主体です。
「恥も外聞もない話だが聞いてもらいたい・・・」でした。
私は災難や病気、辛いこと、人間関係に「まさかの坂」は珍しいことでもなくてごく普通に皆さんが抱えている事ですよ~・・・とはいつもの如く話すものの、辛い話は、話すことと聞く者がいるというのが肝心、ひたすら聞き役に徹しました。
するとそのうちの一つですが、自宅介護をしているご主人が、「お前とは離縁する」「慰謝料はやらん」と言い出して大いに呆れたとのこと。
一瞬、今、流行りの熟年離婚かと思いきや、それではないよう。
奥さんは3度の食事と介護いろいろを日々こなしていますが、「はいはい、そんじゃあご飯は自分でどうぞ」と言うと「そりゃあ困る」・・・。
失礼な言い方ですが「昭和の男」というものの末路を感じたのでした。私も昭和のそれですからもうしばらくすると自由が利かなくなった腹いせに奥方に無茶を言うものなのか・・・とも。
認知症初期であったとしたら「いちいち真に受けていたら身がもちませんよ」。
丁度お昼丁度、境内には七つの鐘の音が響いていました。三人で黙祷。
扨、今年の8月は「NHK恒例の戦時特集番組が少なくなった」と「奥の墓道」氏が指摘していました。
私は来年の戦後80年に向けて資料収集しているのでは・・・と返していましたが、その手の番組の製作に圧力がかかっているのかも・・・と彼は疑っていました。
そんな中、昨晩は地上波でNHKスペシャルがありました。その昭和のことですね。
内容は当時戦時下の日記・手記に沿って構成。サイパン・中国・特攻回転・中島飛行機工場へのB29による爆撃・・・
何時観てもこういった番組に命の軽さと歯がゆさそして軍部、政治家指導者の間抜け振りを確認。
ただただ「戦争なんかやりやがって・・・バカヤロー」。
1941年に近衛内閣が設置した「総力戦研究所」によれば、日本が米国と戦った場合「必敗」と分析していたといいます。
それでも「やりたい」という指導者(東条)が出ると国民がそれに付き合わなければイケなくなる社会。
やっぱり憲法を変えることはイケません。為政者のシバリを自らの手で緩めようとする動き、警戒します。
集団疎開の新資料の発見について紹介が少々ありました。
これからもう少し探究が進んでいくかも知れません。
受信料を取るNHKの使命、どんな圧力があったとしても跳ね返してその手の番組を作り続けて欲しいものです。
そうでないと後世にその悲惨を伝えきれません。反省のない社会は未来に同じ轍を踏みます。
画像は昨日午後6時から催された「さがら灯ろう流し」の準備風景。これが今年で最後となりますが寂しいことです。
折角相良高校生たちがこういったイベントに協力していこうという気概を見せてくれているのに・・・それが一番に残念。
台風7号は相良は関係なし。
これまでこのイベントは雨に見舞われる事、多々ありましたが昨日は穏やかな萩間川周辺。
寺に帰って「どうせ雨なんか降りゃしねぇ~」と憎い言葉で水やりを行いました。
海岸からは複雑な波の音が聞こえていました。
2024年
8月
15日
木
地頭方の墓場の前の海へ 天気晴朗海にして穏やか
築地塀前の朽ちかけた犬走の縁木の修復作業。
通行中のお婆さんや前の墓地の草取りをするシルバーさんの休憩の腰かけに丁度いいのか、そのために無様な躰となってきます。椅子の仕立てにはなっていませんからね。
もう何回も壊れては修繕・・・の繰り返し。昼頃にかけては良き日陰を提供しますからこの時期は。
壊れて中の砂利がこぼれている様を見て腹というものが立ちますが、お婆さんやシルバーさんたちがそこで一息ついているところに割って入って「NG」を言い放つ勇気は到底ありません。
しかしずっと放置していたその修繕を昨日着手完成させました。大した仕事ではありませんが、少々の段取りと行程の多さがあります。
塗装はスロープの塗料と同じですから残りのそれで対応します。
夜はBS12「たそがれ清兵衛」を視聴しながらこれを記しています。もう何度目でしょうか・・・日本映画でも私もお好みのものはあります。彼もハリウッドスターです。
扨、外仕事がひと段落ついて、帰省できなくなった「奥の墓道」氏と寄ることになっていた地頭方の海の見える墓地へ車で向かいました。150号御前崎に向かう道すがらにそれはあります。
この墓地は「鯱岩の死人川」(しゃっちゃのしびとがわ)の近くにある墓地ですが、私どもの友人S君が日々この海を眺めています①②③。
拙ブログでも何度か記していますがエホバに入信した彼の妻と教団(菅山)との軋轢を苦にして自死を遂げています。
以来この墓地に適宜顔を出すというのが習慣となり特にお盆の時節には彼の自宅にて線香を1本というのも。
母上殿からはいつもの如く大層喜んでいただき毎度「来た甲斐があった」と満足しながらそちらを後にするのでした。
ただしコレは「ただの自己満足かも・・・」という気持ちも心に滞留します。「彼は死んで私は生きている」。
帰りに地頭方の海岸を散策。
この海も以前とはずっと寂しくなっていました。
まぁ一昨日に続いて人のいない自然の中に浸る時間とは良きものです。
静岡の海はキレイとの評がありますが、その通りです。
ここでも記したくなりましたが、人混みに身を投じることなど
難しいことです。
人との会話は重大な人生の事案ですが、不特定多数の人々の交錯する場などそれは苦悶以外の何物でもありませんね。
④画像はブログにて幾度かアップしている地頭方港東側の突堤
です。突堤の奥の手摺のある場所はかつて中高生の夏のたまり場、飛び込んだり投げ込んだり歓声が絶えない場所でした。
私も息子もそこから飛び込んだものです。
「クズグズするな、早く飛べ」などいう時代を経ながら彼もここで成長したのでした。
彼にもこの画像を送りましたが「人がいない」との指摘。
台風7号が北上ということもあってその海の姿を目にしようとこちらに来ましたが、地頭方の海は至って静か。
これなら遊べるのに・・・私も飛び込みたくなる衝動に・・・
先日、相良海岸から保安庁の船を目にしてそのお仕事の「厳しい追及」について記しましたが、一昨日の夕刊に藤沢の海岸でハマグリ(2個)を「収穫」しバックに収めたところ、保安庁職員に御用となったと。陸から監視の例です。
罪状は漁業法違反(密漁)。
最高刑は100万円の罰金といいますから、高いハマグリになりました。
みなさんお気楽すぎです。
保安庁の怖さを知らなすぎる。まぁ違法行為ですからぐうの音も出ませんね。
尚、ハマグリは絶滅危惧種に指定されていて漁業関係者がそれを将来にわたって維持しようと躍起になって努力していることを知っておかなくてはなりません。
以前は当地でも密漁について「海に返せば目をつぶる」という時代がありましたが、今となっては相当のペナルティが待っているようです。
罰金だけでは済まず、新聞にでも掲載されたとしたら社会的にも排除されかねません。
「奥の墓道」氏は私のシュノーケルでサザエを収穫したらの件「サザエのつぼ焼きとビール 最高だぁ」と語っていましたが皆さんお気楽すぎ。それは「密漁」です。海岸に平行してあるテトラには多くのその生息が見えますが、罪は罪。
海を常時監視しているのが保安庁の仕事。
それほど食べたければ「なぶら市場で買ってくる」。
それが一番安あがりなのですがね。
そして台風7号は当地相良はセーフでしょうね。
ずっと東に・・・希望です。
2024年
8月
14日
水
感じる季節の変化 新野原から池新田へ ひまわり園
朝一番の蝉の一声はクマゼミではなくミンミンゼミに。
遠くの方ではクマゼミの声が微かに聞こえてきますが時間が経っても境内のあの騒音は消えつつあります。
そして10時過ぎの休憩時間(無音の空間)も長くなったよう。
これで台風の襲来があれば、ガラっと空気の色が変わるのでしょうね。
週末にかけて台風7号の警戒について言われていますが、現状
コースが当地より東より、勢力990hpについては私は「台風対策不要」と高をくくっています。
まぁ状況が変われば15日辺りに軽トラの荷台に植木鉢を積み込んで外の車庫前に退避させますが・・・
昨日の私は今年2度目のMy安居。
コースは車の通りが少ない道を選択。
そして復路については「バスで帰って来い」とのお達しがあったため、バス停のある道を。
また前回は比木から浜岡に向かっていたため昨日は「い~ら」から鬼女にあがって塩買坂を目指しました。
途中、この時節バスの運行がないことを知って「どうにでもなれ」と適当に歩を進めていました。
結局塩買坂の手前新野原の先で左折、坂を下りて新野へ。
奥方に頼み込んでイオンタウン近くで回収してもらいました。
当初「新野佐馬助の墓」とメールをしていましたが、「忙しい」とのこと。
「干からびちまえ・・・」の罵りの言葉もいただきました。
よって前回とはかなり余計に歩いたわけで4時間で23000歩。久々の歩数になりました。
今回都合によって帰省しなかった「奥の墓道」氏と適宜交信していましたがその歩きの「意味」について問われました。
それについて私は・・・「自身に問うこと」と「新しい発想・方向性の発見」であると妙にカッコいいことを言い放っていました。つまるところそれが楽しいかどうかですがね。
すれ違う人は皆無、原から新野、そして新野川沿いの土手を自分の足で歩くことができるその仕合わせを実感した次第。
バス代のこともありましたから小銭は多めに持参、途中販売機で3度の水分補給をしました。
アディダスの靴底が途中で半分剥がれたのは想定外。
ペタペタと音を出しつつ左足を普段より高く上げて歩かなくてはなりませんでした。
また首から下げていた携帯電話と小銭入れの入ったポーチ状のものの紐が切れた事も。
歩きは両手がフリーであることが一義。
そのことによってそれを持つ右手が塞がったことは疲労度アップの要因でした。
尚、そこで思うのが最近若者が使用するようになったハンディ「熱風機」の件、私にはありえない代物です。
何を持とうが、何を為すか為さないかそれは個々の自由ですがね。
久し振りに新野の地に足を踏み入れましたがあの多数の城がある地域、案内板が拡充されていたような。
①のバス停で「不通」を知りましたが、どうせ時間の設定に無理があってタイミングがいいワケがない。
②新野原の交差点。そこから塩買坂方向に向かいましたが、途中で新野地区に下りました③④。この辺りで拾ってもらおうとの算段でしたが・・・
⑤は旧新野小学校の入口、そこに入ると⑥の看板があります。
20年近く前にこの看板の裏側辺りから当家家族と「奥の墓道」氏で登城した記憶が。
⑨は新野川の土手上から池新田方向を見たところ。
田によっては稲刈が始まっていました。
ひまわり畑は毎年恒例の姿。池新田から相良方面、比木の地に見えます。
驚いた事にGoogleマップには「比木のひまわり畑」なる名称が。かなりメジャーになりました。
2024年
8月
13日
火
相良の街 そして寺にイソヒヨドリ 心洗われる美声
NHKBSのワイルドライフ「絶滅危惧種レスキュー」を視聴しました。
北海道の鳥たち、主にオジロワシにスポットが当てられていました。
各災難によって飛べなくなったオジロワシの命を諦めることなく動物の立場に寄り添って手を貸しできる限り自然に帰ってもらうというグループの活動でした。確か以前も視聴した記憶があります。
その各災難とは
1 電線 2 風力発電の風車 3 電車 4 自動車への激突 5 散弾銃による鉛中毒 そして 6 鳥インフルエンザです。
1~5はすべて人間が原因ですからね。
1~4は衝突によるものですが 4は鉛の散弾を使用して鹿を撃って駆除したあとの死骸をそのまま放置することからオジロワシがそれを食して鉛中毒になるというもの。
その中毒症に関しては手の施しようもないことから救助担当はシカ猟の鉛弾実包の使用を北海道で禁止するよう働きかけ大いにその成果が出たといいます。
ただし外部からそれを持ち込む人間がいて、完全には鉛中毒のオジロワシの発生がなくなるに至っていないとのこと。
人間の存在がどれほど自然に対して負担を掛けているか、そしてその迷惑を被った動物たちに手を差し伸べようと日々努力している人たちがいるということを再確認させていただきました。
6 鳥インフルエンザもやり方によっては回復するということを知りました。それもまた恐れ入るような根気がいることでした。
扨、昨日はスロープの塗装を半日かけて行いました。
本堂前に長時間居たことでシャッターチャンスが訪れました。
勿論カメラを脇に置いて。
こちら相良の街区では数年ほど前から、晴れた青空のもと澄んだ南国風を感じる鳥の声が響き渡るようになりました。
そして初夏あたりから本堂周辺に夫婦のそれが飛び回るようになって本堂の廊下には鳥のフンが目立つようになっていました。
数日前のイベント前の清掃でそれらをキレイにしたわけですが、昨日にはまた新しくフンが。
カラスの仕業でしたら怪しからんとは思っていたもののその犯人は彼らであることが判明。
それならとあのキレイな声と引き換えにトイレ掃除を引き受けた次第。もっともその掃除も奥方の仕事ですが。
「新聞を敷け」と言い張りますが特定の場所とは限りませんからね。
その鳥の名がイソヒヨドリ。
ウィキペディアには「幸せの青い鳥」 (画像⑤⑥ オス)なる語もありましたのでそれを伝えると「まぁいいか」と納得していました。
彼らはその生活の場がそもそも海岸であったり岩場だったといいますが、どんどん「人」と同じ環境に進出しているようです。
読経中にもあの声は聞こえてきますが、まったく朗らかな気分にさせてくれます。
末永いおつきあいをさせていただければ有難いことですね。
本堂の屋根裏に入っている可能性もありますが、それならそれで彼らであれば許可します。晴天が似合う鳥ですから。
①②は午後の散歩で相良海岸に。
海水浴客はゼロではありませんでした。長野・八王子など県外ナンバーが約半数。意外でしたね。
②の海に見えるは保安庁の船。
あの船影は海に出る前のチェック項目というのは沖縄での対11管区との関わり方。
要人警護の場合はともかく、突然船の後ろ側から高速艇がすっ飛んできて停船指示、「ハイ免許証!」となった話を聞かされたものですから。
案外と免許証を持って海に出ることはありませんのでそうなると厄介な事になりますからね。
免許が必要なボート系のお遊びと密漁の監視なのでしょうが、この辺りは御前崎の基地に連絡、そちらから自動車でやってきます。当地でも各取り締まりの状況を目の当たりにし、その追及の厳しさについて聞かされています。船舶免許にしろ漁業免許にしろその確認に家までやってくる・・・
2024年
8月
12日
月
寺町に移転 あの西園寺氏だけに西園寺・・・
施主の配慮です。
先般は猛暑のために法事そのものが順延されたことを記しましたが、昨日の法要は墓参りが中止になりました。
山の上のお墓で足元が悪いということもありますが、施主家として参拝縁者をそこまで連れて参ることは遠慮したいというものでした。念のため「私は平チャラですよ・・・」と。
一昨日の法要では墓参の際、私は「お日さまは友達」と言ってお断りはしましたが私に日傘を差し出してくれるというご厚意を受けました。
雨の日にもそれを頭上にで雨を避けようとしてくれる方がいらっしゃいますが、~私は余程の降り以外は濡れることは無視しています~、本当にその気持ちは有難く嬉しいものです。
日傘はきっと暑苦しく黒衣を着た黒坊主に「気の毒」を感じられたのでしょう。
恐縮なこと私はそれに価するような者ではないのですがね。
できることなら皆さん参列者全員に私の方で日傘を差し出さなくてはならないはず・・・
扨、南禅寺前のお寺、真乗院について記しましたが京都の寺町をブラつけば色々な出逢いが待ち受けています。
かつて阿弥陀寺に赴いたときに立ち寄った寺に西園寺がありました(場所はこちら)。
古い画像ですが、歴史的遺物ですから私の思う古い新しい・・・などは誤差どころが何も変わっていないというレベルか。
西園寺・・・といえば耳に親しいその名といえば西園寺公望でしょう。高校の教科書で登場しました。
その名と同じ寺ということであの時は興味本位だけで参拝。
やはりその関係は大アリでした。
まぁ家柄としては西園寺家と伊藤博文の系では破格の違いがあるワケで「明治維新て、一体・・・」などと溜息が出るところ。
しかし寺の名前と今の苗字が同じというのも悪くないですね。
私なら「大澤寺」? いや私はその前身の「本楽寺」が好み。
姓が「本楽寺」・・・悪くない。
境内には法然さんの像ほか各それを奉る標を散見。
浄土宗のお寺でした。
藤原家から派生した西園寺家、昨日は大正琴の演奏会の件記しましたが、西園寺家のパートとしては琵琶のご担当だったとのこと。ただし公望は琵琶嫌い。政治に野心を抱いたのでしょうね。
2024年
8月
11日
日
南禅寺塔頭 真乗院 山名宗全墓
盂蘭盆の時節にケチをつけた宮崎沖と昨晩の神奈川中部の地震。昨日は御門徒様の縁者がたまたま東京に出ていたそうで、新幹線はストップ、何とか帰宅できたのが午前様だったそう。
横浜の奥の墓道氏もこの新幹線の様に恐れ入ったか、お盆休みの帰省はヤメルと連絡がありました。
内心、「ホントに地震が来たら・・・」を危惧してのことでしょうね。彼は結構にマジメ、私の「そんなの来やしねぇや」とは反対です。これまで私の暴走へのストッパー役として機能していたところですが。
そして私に以前同様、地頭方の海に連れていかれて水遊びを強いられるとでも思っているかも知れません。
実はそれ図星だったのですが・・・残念。私どもには「イイ歳こいて」の自重は特にありません。
昨日は8月の法要。今年3度目の盂蘭盆会の機縁でした。
読経後の婦人部の皆さんの企画は「大正琴」の演奏会。
掛川からその会の5名の方々が招かれていました。
皆さんの平均年齢は75歳といいます。
といっても猛暑のエアコンなしの本堂という環境の演奏は初めてとのこと、強烈な汗によって「スティックが滑る」と。
まぁ演奏を聴く皆さんも扇風機のみ熱風の空気は大変だったでしょう。
私はその楽器についての知識はゼロ。
初めて知ることばかりでした。一番に驚いたのはある大正琴にドハマりの方(私の表現です)が言うには音階、パートが違うので現状「3台持ち」と。
決して安いとは言えない買い物でしょうが
指と頭を使うその楽器の鍛錬は「ヤル気」と向上心を維持させて老化の防止になるとのこと。
演奏する方も聴衆も元気そのものでした。
扨、昨日は南禅寺界隈、金地院門前をさらっと記しましたが本日は南禅寺三門のスグ近くの真乗院(場所はこちら)を。
目的は山名宗全の五輪塔でした。
意外に小振りで水輪のお団子の底部が地輪の深い窪みを作って安定感を増しているのか、ハナからお団子底部をカットしていたか、その両方か・・・
かつての拙ブログ山名関連個所は・・・東大阪若江城、御霊神社、室町小学校、小川児童公園、竹林公園、相国寺蓮池。
2024年
8月
10日
土
南禅寺塔頭 金地院といえば崇伝 黒衣の宰相
「どうせ地震なんて来やしねえ・・・」などと婦人部役員の皆さんの前で・・・。
昨日は10日に催される盂蘭盆会「八月の法要」とその直前の婦人部の皆さんの集まりがありますのでその準備と清掃がありました。
私は強烈にだらしなくみすぼらしい躰を晒していたお内陣北側の障子貼りを完遂し、設置。まぁ糊と障子紙で苦闘していたのは奥方ですが。
その地震について私は高をくくっていたのでしたが、この神奈川中部での震度5の発生で一応は気象庁の面子は保ったというところでしょうかね。南海トラフとは無関係といいますがね。
調子をこいているとヤラれるのは私ですから「気を付けろ」とご注進されることでしょうが、そういわれても「一体どうすれば」の感覚。
「災難に遭う時節には~」の良寛さんの名言を思い出すところです。阿弥陀さんに「まかせる」の達観です。
以前から拙ブログにて好んでそれを掲げていますが全文はコレです。
「災難に逢う時節には 災難に逢うがよく候
死ぬる時節には 死ぬがよく候
是はこれ 災難をのがるる妙法にて候」
尚、先日息子が大和市の義母の家に法事の為に宿泊しましたがその折に息子に頼んでいたことがありました。
テレビ台に置いてあるだけの液晶テレビを壁に固定するための部材を渡して。
その時も「どうせ来やしねぇ」とは言っていましたがその一週間後に地震が来て(テレビの転倒についての効果があったかどうかは知りませんが)、何ごともなかったよう。
奥方が早速に安否連絡をしていましたが「ああ怖かった~」と。
気象庁のアレに敬意を表し風呂桶に水を蓄えておくこととしました。飲料水は十分ありますので。
扨、先日は蘭方医、新宮凉庭(鬼國)の医に関する十五則について記しましたが、彼は蘭方医術の門弟を多く育て、医学校を構えています。
その建屋は名物の豆腐を食べさせる高級そうな料亭になっていますが、私どもは先日も記したとおり、安直な志津屋のカルネが趣向となっていますので敷居も高いこともありますが、その店への入店は論外。
まぁあの辺りをブラつけば色々とお楽しみはありますが、こんなお寺もありました。
「金地院崇伝」の名・・・金地院です(場所はこちら)。
家康の懐刀といわれちょいワルをイメージする坊さんのお寺にも見どころがたくさんあります。
崇伝は黒衣と「腹黒い」の語がイメージ的に重なり将軍の後ろに見え隠れしていればちょい悪以上の「何か」を感じさせる坊さんとして知られるようになったのでしょうね。
あの時は順正書院同様、入山は門周辺だけでパスしました。
2024年
8月
09日
金
烈婦お妙の五輪塔 形原城
南海トラフなんたらの件、この暑い時期に面倒くさいこと(宮崎県沖M7 震度6弱)。「巨大地震を誘発」するかも・・・とその確率Upを報じていました。
テレビでは「飲料水の備蓄」などと言っていましたのでこれから店頭からペットボトルのそれらが姿を消すかも知れませんね・・・集団心理は一方通行、そして自分だけは助かりたいの一心で動きます。地震も怖いですが「人」も怖い。
後から自身その姿を反省すると結構に滑稽なものですがね。
そういう私も「今から水を買いに走るか・・・」と奥方に。
水と言えば昨日は火葬場の職員と話す機会がありました。
会話の中で水分摂取についての件に及んだのですが炉のバックヤードにも事務所にも冷蔵庫の存在は無いとのことでした。
事務所にはエアコンがあるそうですが、繁忙期には事務所に居ることもできず、窓とドアを開いての空気の流入にのみにその新鮮を期待するだけの空間(炉前)での作業。
委託会社からのケアとして「塩」のみが送られてきたそう。
私は「よく生きてるね」と冗談を言い放つ始末。
飲料水は自前で事前に冷やしたものを用意して対応しているとのことでした。
そして以前は火葬場の待合室に自動販売機があったそうですが、故障をきっかけに撤去されたといいます。
いくら何でも気の毒なことであると思い、御門徒の市会議員さんにその旨伝えておきました。
うまいこと改善できればいいのですが。
火葬場の統合移転新設が言われている中、余計な出費は避けたいところでしょうが、この時期冷たい飲み物が命綱、何かあってからでは遅いですからね。
無常世界に生かされている我らとしてはその仕事に日々携わっている彼らは大切な人たち。
敬意を表し待遇改善を模索すべきと思いますが。
扨、昨日の形原城。
そちらには烈婦「お妙塚」なる石標と五輪塔があります。
掲示板の通りですが、五輪塔の「偶然なる発見」についてもう少々知りたいところですね(場所はこちら)。
海抜25mは近隣居住者の避難場所になりうる地でしょう。
2024年
8月
08日
木
三河湾に張り出した丘 形原(かたのはら)城
太平洋上の二つの熱帯低気圧の影響でしょう、雲多めでかつ少々の風に外仕事には一息つける一日でした。
午後からの屋根に上がっての作業の続き(BSアンテナの交換と本堂へのネット有線配線の撤去)の終了後はシャワーを浴びてからエアコンを効かせた部屋で昼寝の時間に。
午前は一昨日に本堂内陣北側の障子を外してざっと洗って天日干しをしていました。朝からそれに防虫防腐剤を塗布してから、浜岡方面に買い物へ。
途中、新庄を過ぎたあたりで雨がポツポツきましたので、慌てて奥方に電話。
「障子をテラス(物置)に取り込んでくれ~」とお願いをしていました。
この雨で夕方の水やりは不要かと思いきや、以後太陽が顔を出している時間が長くあったため蚊の襲来に耐えながら水撒きはしっかり行いました。
夜間各所で土砂降りがあったようですが当地にはナシ。21時ごろに静岡-富士間で不通になっていましたね。
当地にはたまには「土砂降り」もいいのですが。
扨、先日は蒲郡からのお便りの中で形原城の名がありました。
彼の地の印象は何よりも①図の如くの風光明媚。相良辺りの景色とは一味違う海の景色がありました。
地元企業の脇道が登城口②③になりますがその辺りから東側を望んだ図になります。
その先に古城稲荷なる赤い鳥居が林立していました。
いつもの如く日本城郭大系から。こちらは本編への記載があります。
形原城―稲生城
この地に最初に城を構えたのは「三河国二葉松」によれば「頼朝卿時代ニモ在城 方原下司次郎師光住之」とあり、古く鎌倉時代に下司として、この地にいたことが知られる。
その後、松平信光の四男与副(ともすけ)が額田郡内七百貫に五十貫を加えられて形原に移り、以後形原松平と称した。
しかし、この時代は定かではなく「形原記」に「長享年中五十貫之采地ヲ加倍シテ」とあることから、長享年間であろうと思われる。この頃は今川氏に属していたが今川義元亡き後は徳川氏に従い、各地を転戦して、家信の時、天正十八年(1590)から上総国五井で五千石を領し、関ケ原の合戦後の慶長六年(1601)には形原に移され、さらに元和四年(1618)には安房で一万石となった。さらに子孫は慶安二年(1649)には丹後篠山五万石に転封され、十一代長岑は亀山に移封され明治に至った。
城は往時、陸地から三河湾の海上に突出した丘陵を利用したもので、規模は比較的大きかったと推察される。だが、現在、住宅地や畑地となり、それを証する遺構はあまりない。
2024年
8月
07日
水
大手とは伏見城 大手筋伏見桃山駅 志津屋「カルネ」
昨日広島原爆の日、8時15分、ボランティアの方による梵鐘を七つ。
犠牲になった方々への、人としてあるべき謝罪と反省そして「核なき世界」への希望の鐘でした。
夜のニュース番組で国連事務次官、軍縮担当上級代表の中満泉氏のインタビューを視聴しました。
勿論その主旨は「核兵器が使用されない世界」を求めているものでした。
それは、各国でその有無による強勢を競いまたはそれを「有」する国の(核の傘)恩恵を戴く我らが現実にあり、せめて「有る」は否定出来なくとも「不使用」ならできるという希望でしょう。
アメリカでは次期大統領候補のハリス女史の躍動が目覚ましいものがありますがこの中満泉女史の強い発信力には同じ日本語を話す同類として心強いものがあります。
人間というものの煩悩の集合体~対国家、対民族、領土欲による侵略とそのための政治屋の兵器産業への資本投下後押しと企業からのペイバックを目論む~「戦争」について「軍縮」という重大責務の最前線にいる方です。
英語力も長けて、こういった女性がいらっしゃることは殊に喜ばしきこと。61歳キレキレですからね。
扨、今年のバス遠足は伏見の酒蔵訪問が予定に入っています。
山崎蒸溜所等、大山崎天王山方面を完全にボツとしてしまったためにその伏見を選択しました。
ウィスキーから日本酒という宗旨替えとはなりますが、私にはどちらであっても関係ありませんからね。
まぁ物見遊山の一環で好きな人は御試飲くださいということで。そのあとに大谷大学の博物館に向かうということが少々きにかかるところですが。
広いとはいえないあの博物館スペースに「葷酒入山門」、酔っぱらい集団のお出ましとなります。
さて、伏見については周辺の名の有る場所は見て回っていますがこちら「大手筋」-納屋町-のアーケード周辺には多くのお楽しみがあります。伏見の錦市場などとも呼ばれていたといいます。
何の大手筋かといえば伏見城(こちら、こちらも)のことですね。
伏見稲荷にも近いこの地ですがあの際は桜の季節も終盤と合ってやはり近くの醍醐寺でも・・・という私の考えがありました。
稲荷は到底再訪はありませんがね。
何より助手席の奥方から「志津屋に連れていけ」とせっつかれてこちらの大手筋アーケード西側の路上駐車スペース①(場所はこちら)までやってきたのでした。
私もその意見には同意賛成しました。
そのパン屋さん「志津屋 SIZUYA」は京都市内に(特に烏丸四条は頻繁に)各あって私どもは京都に行けばそちらのパン屋に駆け込み「カルネ」という小振りで柔らかめのフランスパン(中にボンレスハムとタマネギを挟んだ)を所望します。
滅多な事では口にできないとあって私は自宅で食べる1つと車中で喰いつく2つ、計3個を。
こういうところでお腹を膨らませるので「京都らしい」食とは縁遠くなっています。
今節のバス遠足の宿も烏丸四条ですので、100%その店に向かうでしょう。しかし京都の夕食にパン?
当然の如く河原町まで歩きたくなりますからね。
②はアーケードを出たところ。③京阪本線「伏見桃山駅」イカした名称です。
④の向こうに赤い鳥居が見えます。
⑤の地図の通り、ブラつくには最適な場所。丸1日くらいかけてカルネでも齧りながら歩くのも悪くない。
お奨めの地です。
2024年
8月
06日
火
今年も開花 月下美人 吟醸酒「田沼意次」9月予定
「水鳥の羽音で潰走」~富士川の合戦(某新聞社のコラム)~した平家の疑心暗鬼の大衆心理というものを傍観していました。
ブラックマンデーの再来とのことです。
その「平家」の皆さんとは年初から「貯蓄から投資」なる語で大いに踊らされた方々だったのでしょうね。がっちり嵌められてしまった感。いい思いをさせられたところでイキナリの試練ですからね。
私は境内で植木いじり。雲の多い一日でした。
夕刻にはてっきり一雨あるかと思いきや奥方がスマホを眺めて「今日はナイ」の判定。結局は水やりを。
土いじりは先日剪定し特製の遮光した水鉢に入れていたハイビスカスたちに発根の兆しが現れたため、15~6本を鉢植えにしました。
挿木の方法は各あるようですが、これは私なりの方法です。
これらが確実に根付いてくれるかはわかりませんし彼らには厳冬期にさらなる試練が待ち受けています。
来年まで何本生き残るか。
挿木といえば月下美人もそれで簡単に増やすことができます。
しかし開花させるにはある程度の成長時間が必要ですが。
今年もいつも通り咲いてくれていますが「美人」も裏切ることはありません。
ただし挿木に関してハイビスカスは条件が良ければその年の秋にでも花を咲かせてくれますが「美人」はそういうわけにはいきません。
厳冬期の耐寒性についてはハイビスカスよりありますので私の場合は外の簡易温室―梱包用フィルムで覆うだけ―にて冬を越してもらっています。
なにより大きく育った葉の先に蕾が付きますので2~3年の成長を待たねばなりません。大きくすれば場所を取りますからまた管理が厄介です。
よって鉢の更新が不可欠になりますが花を付けない時のあの姿はかなり汚らしいものがあります。
知らない人が見たら「何コレ?」といった容姿で特に日にヤケで茶色に変色している姿はいかにも醜悪です。
それでいて花が咲いた際、初めてその名の意味が了解できるのでした。
純白それは繊細で圧巻、その芳香の良さが。
日没後しばらくして開花、その絶妙を披露してくれるのですが夜明けまでには、だら~という具合に萎んで更なる見苦しさを見せつけます。
この一夜という儚さがまたいいのですが、開花のタイミングを見誤ればその「美人」の姿と優雅な香りは体感できませんね。
冬の管理と経年の維持もそうですが、早い蕾の成長と開花の機会予測も頭にいれておくことが肝要。
私は「咲く」と見たら鉢植えのそれを玄関内に招待し、楽しませて頂いています。違う鉢でも同じ日に開花するなど、不思議すぎ。
そして数日は玄関にその香りが残ります。
今年は地植えにチャレンジしてみようか・・・
尚、挿木はいくらでもできますのでお寺までどうぞ。
画像①②は史跡調査会の小澤氏が動き回って実現させた日本酒「田沼意次」のパッケージです。
9月の王位戦にあわせて発売するとのこと。
本来の目的は勿論来年の大河ドラマですが、以後継続的に相良の土産として販売できればと目論んでいるようです。
尚、通常販売者はご門徒の店舗では本通りの池田屋さんと150号線の笹屋さん(ファミリーマート)になるようです。
2024年
8月
05日
月
離宮八幡塔心礎と大山崎地蔵道標と久我畷
昨日の法務は午前午後の2回戦。本堂内の不快指数は日々更新している感。
体力的には大した消耗は感じませんでしたが、後半になるにしたがって発声具合が徐々に劣化していくことがわかります。
疲労があると声がかすれぎみになりますのでおそらくそれでしょうね。
とにかくこの土日をうまいことクリアできたこと、あらためて如来さんに向かって合掌して感謝。
お内陣には私専用の扇風機を背後に置いていますが、「微風」にしか設定できません。なぜならば須弥壇上の和ろうそくがその風によって異常燃焼するからです。
他所で拝見しましたが、今はローソクの燈明ではなくLED化が進んでいるよう。そうあれば火の取り扱いに神経を使わずに済みますがそれはそれで味気ないですからね。
和ろうそくの「ゆらぎ」は参拝者への「特別な日」を思い起こしてもらうアイテムです。
扨、離宮八幡の境内には層塔などの建築物の中心柱を立てる礎石、塔心礎があります。上物が喪失したあとに手水鉢としてその孔に手が加えられていますが、その大きさからかなりの大きさの塔であったことが推測できます。
また京都方面、大山崎インターチェンジ近くに大山崎の地蔵道標と久我畷の紹介掲示板がありました。
大山崎の松原交差点になりますが、現状民家の角。
昔のこの辺りも泥田であったことがわかります(場所はこちら)。
最後の画像が離宮八幡宮社務所で求めることができる御朱印。
山崎城の御城印はそれら収集されている方には価値があるものでしょうね。
何といっても天下分け目の天王山に関わる城ですから。
2024年
8月
04日
日
大山崎離宮八幡 東門から
聞けば息子の昨日の法務は東京府中の霊園での墓前法要だったそう。
いくらご指名で「今井センセー」の如く持ち上げられても私には無理。
浜松から当地を経由、大和市の祖母の家に前乗りして府中、そして法務終了後も一旦祖母宅に寄って着替えをしてから東名綾瀬から浜松へ。
以前も記しましたがその着替えのために遠回りしてから帰宅というのが私には解せません。
適当な空き地、公園でもSAでもどこでも着替えなどできるのに・・・。変なところにこだわりを持つ男。私の父に似ているかも。
何より驚かされたのは「首都圏ではフツーだよ」と言われる墓前法要の件。
炎天下ですからね。その法要は坊さんだけでなく施主家族にも過酷なはず。豪雨でもあればどうなるんだろう・・・と単純に考えてしまいます。
首都圏では自宅、菩提寺、墓の距離が離れていることが多く、結局は「墓前一本で済ます」ことがベストなカタチと考えるのでしょうね。現状拙寺では本堂での本法要が主とはなりますがその全部を廻る事もありますからね。
「汗だくになった」とは言っていましたが「よくもまぁ」です。「交通費、ガス代」を考えてしまいますが、おそらくこれまで彼が言われたこともなかった「センセー」敬称がお気に入りの様。
私などそれを言われたらどうもおちょくられているようにしか感じませんがね。
以前はよく「センセーじゃねぇよ~」とか最近では「和尚じゃねぇよ~」(時に「方丈~」)などと親しき人には「反論」しています。
ちなみにその呼称としては私の希望としては「住職」ですし、昔ながらの「ごじゅっつぁん」が心地よき呼ばれ方でした。
その「センセー」と言えばどうも中央に暗躍する裏金ギインさんや詐欺罪でガサ入れを受けたあのエッフェル塔おばさんの顔がオーバーラップしてきてしまいます。やだやだ・・・
また奥方は最近80歳も余裕で過ぎているだろう石材屋の「おばさん」に境内で会釈した際「お寺のおばさん?」と言われたこと。
それが余程癪に障ったのか「お寺のおばさんじゃねぇよ~」と私にぶつくさ。「なんだって年長のおばあさんにおばさんと言われるんだ~」が怒りの根源の様でした。
扨、本日も大山崎離宮八幡。
「離宮」の呼称は嵯峨天皇の離宮(河陽宮)からといいますが、男山の石清水八幡宮との間で「どっちが先か、大元か」の論争もあって石清水八幡の主張としてはその分社(離宮)を主張したそう。
よって境内には石清水八幡の名が記された灯ろうも目立ちますが。天王山の酒解神社の掲示板にも離宮八幡の件、記されていましたね。
八幡宮の高麗門の別名のある惣門は昨日記しましたが東門と呼ばれる小振りの門がその名の通り東向きにあります。
双方とも蛤御門(禁門)の変にて長州藩士が天王山に籠ったために周辺が火に包まれますがその際、この二つの門は焼失を免れています。
正門が南向き、鳥居が南向きという大概の神社の有様は「天子南面す」の思想。
まぁ場合によっては神社に限りませんが「南向き」は日本の建築ではよく見られる図。
尚、私どもが大谷祖廟お参りの際、その手前にある八坂神社の脇を上がりますがその正門は南に向いています。
どうしても四条通突き当りの大きな門をそれと思いがちですがね。
拙寺本堂は東向きで阿弥陀さんの西方からのおでましを意識する造りです。
2024年
8月
03日
土
荏胡麻油は健康の基 油しぼり発祥 大山崎離宮八幡
息子が静岡東部の葬儀につづき横浜の法要に向かうため当家に宿泊していました。朝早く出立していましたが朝食を提供するために朝から奥方は忙しく動いていました。
私は、いつものペースを崩されて、呆けっとその様子を傍観していましたが、昨夕に境内の植木鉢に水やりをしていなかったことを思いだして慌てて境内へ。
夜間は一昨晩に続いての降雨はありませんでした。
その時間は蚊の餌食になることは仕方なし。
大いにヤラれましたのでその仕返しに本堂前の鳥たちに用意している水鉢をひっくり返して水を入れ替えてやりました。
それを2~3日も放置すればボウフラだらけ。特に雨水が入ると・・・絶好の産卵場所を提供しておきながら頃合いを見て一気に始末。
殺生のための罠を設けるとはある意味悪辣な坊主か。
最近の息子は法務が重なってあちこち動いているよう。
神奈川県内の法務は彼の祖母の住まいがそちらにありますので宿泊とリラックスの場として活用していますが、義母がそこを引き払って当地に来ることになったとしたら、どうするのでしょうか・・・
先般、浜松市内でのある葬儀について耳にしたこと。
葬儀と火葬場の日時はどうしてもそれを連携しますの。葬儀場はまず大抵は手配できるものの、火葬場については「先着順」ですからのんびりできません。
私も葬儀式についての段取りあれこれについて問われた場合、
まず「火葬場の予約から」とその動きの優先順位が上位であることを示させていただいています。
先に葬儀開式にするのかその後からの開式にするのかそれが決まらないと後の予定がたちません。
ところがその先着順、時にその施設が満杯、許容オーバーとなることがあります。
そしてまたこの時節です。
昔から遠隔地から訪れた方が亡くなった場合それを「行旅死亡人」なる語で過去帳などに記すことがありますが、そういう場合、手続き等に時間を要す場合が多く、ご家族の疲労度も過酷。
また特にこの時節、ご遺体の傷みが進行しますので「一刻も早く!!」の遺族感情が沸き起こるのはやむを得ないところでもあります