2022年

10月

04日

持前の通り 神は舞い降りた② 山中八幡宮大楠

先日は榛原病院にて待ち合わせして、叔母の整形外科定期健診に同行したわけですが、おかげさまで現状良い方向には動いています。

何せ先日は米寿のお祝いが届くほどで、年齢的にいって何時その「電池」が切れても不思議がありませんお年頃てすからね。

 

治療箇所の予後快癒傾向は勿論、テーマだった「お頭の具合」はハッキリスッキリ。聴力の衰えもありませんから受け答えもバッチリ。

 

一人暮らしの際はありとあらゆるボケをかまして、私どもを慌てさせましたから、今回の半年ぶりの面談で知った叔母の健常振りには余程施設とのマッチングが良いのか驚きしかありませんでした。

「家はどう?」と逆に問われた時はさすがに焦りましたが・・・。

まさか解体更地にしたとはいえず、いつものウソを並べましたが。はい、私は地獄行き。

 

あの時は好天に恵まれたため、検診終了後に病院ロータリーの花壇近くで叔母に日光浴をしてもらいましたが、ちょうど咲いていた花たち三種について「コレ何?」とばかりに質問すると、これはケイトウ、これはヒガンバナ、これはコスモス・・・とばかりに全て正解。感心していると「100まで生きられるかな?」と上機嫌でした。

その様子、何かが「降臨」したか(昨日)の如く。

100に到達してもまったく不思議はナイくらい。大腿骨にチタンが入っている以外はすべてが健康そのもの、以前から「病気なんかしたことがない」というのが口癖でしたが、それこそ真似のできないスゴイことです。

 

命の事はまったくわかりませんが、叔母がその100に到達するまであと12年。その間にあの人もこの人も、ひょっとして私も・・・という具合に叔母より先に逝くことになるかも知れません。

まぁ「『持ち前の通り』に死んでいけばいいだけ』ですがね(因幡の源佐→ ウイキペディア)。

 

さて、岡崎舞木のその字の如く降臨した神は大木に姿を変えたかと思わせるのが昨日の順念寺の西、山中八幡宮の大楠です(場所はこちら)。

古いもの、デカイものに「ヤマ-カミ」は宿るのでしょう。

時にはかり知れない怨念にもそれは・・・

 

①を振り返ると⑤の長閑な景色。中央に順念寺が見えます。

 

 

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2022年

10月

03日

神が舞い降りた 岡崎舞木 順念寺 

当地静岡に被害をもたらしたダブル台風(特に二つ目 天災の字の如く天から舞い降りてきたの様)が去ってから当地のお天気は安定した秋晴れが続いています。

29℃と意外な気温上昇になっていますが湿気が無い分快適です。

 

この晴れ間は河川が溢れて浸水した家屋の片づけ作業は捗ったとは思いますが、あの家の中に水が流れるという普通では考えられないことが起こったりすると(これは初めて聞きましたが)、床下の土砂を撤去して乾燥までに「1カ月」以上擁することを覚悟しなくてはならないようです。

畳や床を外してその下に堆積した泥を完全に除去しないと異臭、カビ等の発生があって健康被害に繋がるからですが、まずは断水が解消しないとお話になりませんからね。

昨日あたりで大分復旧が進んでいるそうですが、まだ完全復旧にまでは至っていないようです。

床下を洗い流したあとは扇風機、乾燥機等をフル回転させて乾かしてからようやく床の張り替えが出来て、浸水によって壊れた家電製品を揃えるということになりますね。

 

独り住まいの方、年配者だとその手の作業にはなかなか手が出せないでしょうし資金的にも相当の出費を覚悟しなくてはならないでしょうね。

 

数日前に世話人会のお知らせのために周辺地域を廻りながら被害状況の有無についてさらっとお聞きしましたが、案外と身近なところでも被害があったことがわかりました。

静岡市清水区の有様は酷いの一言でしたが実は被害は軽重の差はあるものの広範囲に及んでいましたが相良周辺でもあちこちと傷んだ箇所が見受けられます。

「軽いからテレビの取材が来ないだけ」と皆が知らないその理由についてどなたかが話していました。

 

車両の浸水はやはり先日記した萩間川よりも上流部分(3つの小河川が合流して萩間川に)で車が浸水しての使用不能の件に茶業工場の高圧線引き込み分電盤に浸水して出火した件などの被災を新たにお聞きました。

後者の件「保険屋さんを呼んで折衝中」とのこと。

工場内部の機械は無事だったことは「良かった」と安堵していました。

 

ざっと車で走っていて「どうすんだよ・・・」と思ったのが、菅ケ谷川護岸の崩落部分の数々。その川は先日記した通り萩間川に合流します。

菅ケ谷は牧之原台地の先端、舌状大地の谷部を削る菅ケ谷川沿いにある集落ですがここ数年、常時といっていいほどそちらの川底を掘削する工事が行われていました。

そして今回の台風による異常出水によって(おそらく川底は上がり)左右護岸の一部崩落となっている状況を目にしました。

まぁ次の同等の水量には耐えられないのでは・・・と思うところ。

歴史的に見て「古い家」は谷の山腹に張り付くように家がある感ありますが近年、川沿いに住宅地が広がっていますからそういった家々は(護岸崩れによって)幅が広がり、底上げされたその川は相当のリスクを強めたように感じます。

 

先日は私がかつて観た映画「Cross of Iron (鉄十字勲章)」(「戦争のはらわた」)について記しましたがやはりドイツ軍人を主役にした映画がありましたね。そしてまた主人公の名が「シュタイナー」でした。

ヒトラーの右腕としてその信頼を得た軍人にもその名がありましたからドイツ軍人の名といえばそれなのでしょうかね。

日本語タイトルは「鷲は舞い降りた」で原題と同じ。

 

あまりにも「恰好イイ!!」とばかりに誘引されたものです。

まさにそれは「降臨」の如し。神がかっているを感じるタイトルでした。

まぁその内容については各おまかせいたします。

 

そこでこの「降臨」ですが岡崎本宿からさらに岡崎城方面に東海道を進むと名電中山駅が右手。その先の地名が「舞木」です。

その舞木の地名伝承が「神が舞い降りた」からだそう。

こちらはその山中駅の通り「山中」という地(山中城・・・)に隣接していますので私はてっきりその「山の神」が降臨しての地名と連想したものでした。

「ヤマ―カミ」という繋がりは日本人の心の奥底にある信仰の原点であるとも思います。

身近な山々にある神秘、それあってこそ仏の教えがスンナリと心に染み渡ったといっても過言ではないでしょう。

その頂点に立つ仏が阿弥陀如来なのですね(歎異抄七条)。

 

以前から岡崎方向に向かうにあたって左手に合掌風本堂が目に。気になっていましたので立ち寄ってお参りしたことがあります。

やはり大谷派のお寺、順念寺でした。

若手の住職がサイケで派手な画像を精力的にアップしていることがわかりました。

 

①山号は法隆山⑥の梵鐘鋳造期から戦時下に供出されたことを想像しますが詳細不明。⑧の墓石形状は三河の真宗寺院を歩いていると遭遇します(場所はこちら)。

 

 

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2022年

10月

02日

古本宿城 俱会一處の墓塔 1国脇歩道から降りて 

昨晩はNスぺ「新型コロナ病棟 いのちを見つめた900日」を視聴しました。

奇跡に奇跡が重なって(エクモを装着したまま出産・・・)次々に発生する合併症を一つ一つ克服して退院に到達できた人、コロナが治っても後遺症で1年近く外来に通ってその苦しみを乗り越えた高校生。

それを聞くと奇跡は何処にでも転がっているのだ・・・、医学と生きる力を信じさえすればコロナは克服できる・・・と思いがちになりますがその裏には感染防止用の遺体処置袋に入って「退院」しなくてはならなかった多くの人たちがいたのでした。

 

それにしても看護師と医師そして病院、医療従事者たちの(たすけるための)「手」を差しのべること惜しまない姿には感激。

世の中、色々な仕事がありますが、やはり頭が下がります。

「たすけたい」の本意・・・その真実しかないからですね。

ところが「賢善精進の相」のエライ人たちまたぞろの政治社会ときたら辟易させられます。それに相反して真に清々しい。

最近は毎度毎度の「真摯に」と「適切に」の語彙が耳につきますね。ヤダヤダ~私はそれを「絶対に使わない」と自身念押ししている次第。誤魔化しの逃げ口上。

 

さて、昨日記した古本宿城の西側境界を想像すれば鉢地川沿いになりますが、東側の①を背にして国道1号線に並行してある歩道を西(岡崎方向)に歩を進めるとその鉢地川に架かる橋の手前に川筋や畑地に降りることができる階段とその下方木々の中に墓塔の姿が見えました。③画像(グーグールマップより拝借)。

④は下りてスグの背後からの図です。

 

左側墓碑の建碑は昭和40年代とのことですが、右側に建つ墓石はさも古げです。

ちなみに左側墓石に記された四文字「俱会一處」は阿弥陀経から。当流はじめ浄土系の墓碑によく見られます。

拙寺境内の墓碑にもそれが多く掲げられていますが親鸞聖人裏側にある合葬墓の名「一処一處」はそちらからでした。

 

正面の新しい五輪塔には六字の名号、そしてその古そうな墓塔は、層塔を意識して後世積まれたものでしょうが、ぱっと見、同等サイズの宝篋印塔2基と五輪塔1基のMIX、パーツ合成のよう。

まぁそれはともかく墓碑には松平権兵衛重弘(昨日)の名が

 

こちらの歴史は深くまた未知なる部分多し。

「面白い」と思ったのが、墓の建碑者の名「冨田」さんでした。

「冨田」といえば旗本柴田家の本宿代官職の家系。

柴田家より古い家ですがその冨田家のどなたかが本宿古城の城主松平権兵衛重弘一統を弔っていたということでしょうか。

 

(場所はこちら)

 

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2022年

10月

01日

東海道本宿法蔵寺前から不動院 松平重弘 古本宿城

昨日お会いした方は「朝からツイてねぇ・・・」と。

自宅の階段で足を滑らせて「下まで」落ちたとのこと。

いつもの愛車の自転車で来られていたので「大したことはナイのでは・・・」とは思いましたが、各所に発生していそうな痛みを堪えている様子でした。

この間「肋骨を折ったばかり」だそうで「まったく・・・」と溜息をついていました。

昨日は本堂の段差で私が転んだことを記しましたが、本堂に限らずどちらのお宅でも最強の段差、階段があったことを思い出しました。

日常に潜む油断がそこにあるのですが、階段の昇降は比較的お気楽ゆえのこと。

私は時にテラスに上がるために備え付けのタラップ(梯子)を使用しますが(布団、毛布干しのため)その時はいつも「いつか落ちる」が頭をよぎります。

いつも必ず「落ちる、転ぶ」を頭の中、それも最前列に置いておくこと・・・それが油断して後から後悔しない秘訣でしょうか。

大丈夫、平気だ・・・そして漫然の気持ちが命取りになります。

 

テラスの屋上へ上がることは今、控えています。

それは、ヤマバトのつがいが、その脇のナギの木にせっせと枝木を運び込んでいるからです。

ナギの木もボサボサになっていて、そろそろやっつけようと思っていたところでしたが、その件あって剪定も中止した次第。

以前から境内にはヤマバトが姿を見せていますが、何度か代替わりしているようです。

昔の個体は庫裏の玄関にまで入ってきたものもありました。

晴れた日に彼らがのんびりと屋根のテレビアンテナにとまって私どもを見下ろしながらの例の声には和まされます。 

 

 

 

 

さて、昨日の本宿「ほうぞうじばし」から岡崎方面、旧本宿村役場へ戻ります。

すると右側に不動院とその祠が、その道路沿いの壁の看板に古本宿城とあります(場所はこちら)。

城址は不動院の裏手側⑤です。

 

国道1号と名鉄線辺りの古字に「古城」とありますが、そのまた上方に走る東名高速辺りに主郭があったのかと。

すべてそれらは例に漏れず道路×2と鉄道敷設によって跡形もなし。雰囲気としてはうねうねと湾曲して流れる鉢地川が絶妙な大外堀として機能していたのではないかと。

 

当時は護岸工事などありませんから河川を中心にした湿地帯を前面にした防御態勢を誇っていたことでしょう。

本宿城の攻防は松平宗家脆弱の廣忠時代。

信光の頃に多くの諸流が発してゆくゆく同族間での足の引っ張り合いが当然の如く起こります。

清康事件以来廣忠-竹千代(家康)とピンチの連続は織田と今川の両勢力の間にあって、諸流それぞれが我こそが松平本流とばかりに存続を掛けたせめぎ合いがあったのでした。

 

こちらには松平権兵衛重弘なる人が在城、岡崎から廣忠が攻め寄せて落城させたといいます。

 

⑦⑧の竹藪を見てこれまでの経験から「何かありそう」とは思ったもののパスしました。

あちらこはちょっとばかし顔を出しにくい。

 

 

 

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2022年

9月

30日

東海道本宿法蔵寺前 ほうぞうじばし

先日は久しぶりに思いっきり大の字になって転び、左足から僅かながら出血をしました。

やはり脚立や軽トラの運転席の上部に上がるなどして木を伐ったりしていますが、その作業中ではありません。

本堂お内陣にてスリッパ履きのうえ段差に躓いたのでした。

両手に鶴亀(燭台)を持って衣を着ていたため躓けば対応不可、受け身ナシ。

燭台を放り投げるわけにいかずとにかく膝→肘と無様な着地をしたのでした。

肘も少々の擦り傷がありましたが骨を折るでもなく燭台も安泰で何とか無事に済みました。

 

蝋と芯の燃えカスで汚した白衣を急きょ洗うことになった奥方は「もう齢だな・・・」と苦笑。私はお内陣の各段差のある床上でのスリッパ履き、衣のままでの作業についてを指摘しましたが。

私の母もかつて生花と水が入った華瓶を抱えて転んでいました。

私はお内陣での作業はスニーカーを履くべきと主張。

また衣などを着ていたら躓いてもパタンという具合に倒れるだけですからね。本当はトレパンでの作業がベストですが。

 

ただ「注意力散漫」と言われればぐーの音も出ませんね。

人間みんな「そんなもの」でしょうよ。

ただ、今はお内陣での履物のベストな選択・・・を検討しています。

 

さて、昨日にひきつづき本宿旧東海道。法蔵寺(鉢地川に架かる来迎橋 こちらも)方向に戻ります。

旧東海道、鉢地川に架かる橋の石標の渋さ、橋の面影としてはそれしかありませんが、いい味をだしています(場所はこちら)。

 

 

 

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2022年

9月

29日

東名通行止めの件を思う 額田郡本宿村役場庁舎 

朝が特に心地よく感じられるようになりました。

まぁ晴れていればこそですが。

そんな時深く息を吸いこみながら思うことはやはり西の方角を「ブラつきたい」となりますね。

奈良も京都も近江・越前も最近ご無沙汰しています。

 

これからの季節、降雪前というタイミングは越前がベストではありますがそちらはさすがに遠い。

どちらにせよ「冬場は山城」でしょうからそれならば越前に限ったことでなし。

関ケ原辺りならばお気楽ですから。

 

庫裏でニュースを見廻すと、東名高速道路が通行止めになっていました。

その日は他にも交通事故のニュースがあって東名高速の岡崎と豊田での大きな事故2件そして奈良法隆寺近くでの観光バスの事故でした。

観光バスの乗客は豊田市内の小学生ということでしたので、そのすべての事故は三河関り。

バスの小学生に怪我はなかったそう。

無事に法隆寺に行けたのかどうかはわかりませんが、そればっかしはよかったな・・・

東名の豊田ジャンクションの事故についてトラック荷台積載のプロパンボンベが大音響とともに爆発しているシーンが流れていましたがたまたま通行していてそのタイミングに巻き込まれたら・・・など「今日はツイテない」どころではありませんからね。

 

何より高速道路は午前中いっぱい通行止めになっていたようで、もし昨日西に向かっていたとしたら・・・など考えると・・・さぞかし辛い一日になっていたでしょう。

あのような画像を見せつけられれば車の運転がいよいよ恐ろしく感じます。

先日は日曜日に東名高速を利用しましたが、混雑箇所がそうは無いこの辺りであればETC休日割引があるということ、そして平日に比べて走りやすさの利を感じました。

トラックが少ないというのがその理由ですが結構にその点はポイント高いかと。

日曜日の高速移動など考えたこともありませんでしたので、その意外なところ強く感動させられました。

そうは日曜日に動けませんが・・・

 

さて、岡崎の名鉄名古屋本線の本宿駅は国道1号線の真ん前ですがその前の交差点「本宿駅東」を冨田病院方向に向かえば「白亜の殿堂」(ただバックの青との対比)?と思しき建物が周囲の風景とは浮きつつその威風を前面にしていることに気づきます。

 

そちらが旧本宿村役場(復元)。昭和3年から昭和30年まで使用されていたといいます。

近くには公民館風の簡易な建物に十王堂跡の看板が。

東海道ということで色々な遺構にブチ当たるのが本宿です。

 

 

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2022年

9月

28日

本宿冨田病院の「木南舎」 楠のある柴田領代官所 

清水があれほどの過酷に見舞われているとは知りませんでした。巴川が氾濫して結構な高さまで(家屋一階まで)浸水していたことをニュースで見て唖然。

まさかそれほどの被害が静岡県内に出ていたなんて・・・

 

あの周辺といえば江尻城袋城そして専念寺(こちら)周辺を思いますが清水区は断水の継続もまだあるとのこと。

さぞかし難儀を強いられていることでしょうから早々の復旧が望まれます。

 

あの地はまさに住宅街です。

住宅地に河川があると平穏時には和みというものを覚えますがあの手の豪雨の際には往々にして人への仇となること大。

やはり水害のことを考えると住居近くの河川の存在は温暖化の気候変動もあって相当怖いということを再認識した次第。

 

「今後の事を考える」との被災者がいらっしゃいましたが住処を変えることも念頭に入れたということでしょうね。

しかし、そのようなことが起こることなど「まさか」と思うような場所ですから。

日本全国この小さな島国のこと、どこかしらでまた「不条理」と遭遇することになりそう。

 

さて、法蔵寺のある地は古来からの街道(鎌倉街道-東海道)の要地「本宿」で通った地。

江戸期になると大御所関りの法蔵寺領と天領としてありましたが旗本の柴田勝門が天領地に入って本宿陣屋を。

よって柴田氏と法蔵寺がこの地を治めることになりますがその代官職を。そして代官=冨田氏が世襲。

現在に至ります。

現在に至る・・・とは不思議な物言いですが、その本宿陣屋の跡には「木南舎 冨田病院」がど~んと建っているからです。

 

「木南舎」の名称については①看板の通り。

②の楠に由来する名称です。この木は病院の裏手のスロープの途中から見ることができます。

代官所が病院になっているということですが、その木の向こう側はモダンなレストラン。

時代が移ろいで地上のモノも変わっていく状況まざまざ。

 

こちらに「冨田病院の沿革」を転記させていただきます。

「岡崎市の東部に位置する本宿は、応仁の乱以前から栄えてきた古い土地です。

冨田家は400年前からこの土地に住み続けており、柴田勝家の子孫に命じられて、代官を務めておりました。

江戸時代に街道が整備されたときに、東海道が冨田家の前を通ることになり、とてもにぎやかなところになりました。

 

病院のすぐ隣に徳川家康が幼少期に読み書きを教わったという法蔵寺という由緒正しいお寺もあります。

冨田病院は、初代院長・冨田丈次郎によって明治36年に開業、当時の本宿村に地域医療の礎を築きました~。」

 

 

 

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2022年

9月

27日

幕末まで続く勝家系 柴田出雲守勝明室綱子 法蔵寺

数日前にいらしたトレッキング好きの檀家さんとの雑談。

母親への誕生日に登山用の靴を息子からプレゼントされたそうで、その新しい靴を履いていつものグループで山登りに行ったといいます。

「ハッキリ言ってその靴が悪かった」とのことですが、痛みからそれをかばっての下り道、筋を断裂(診断後)したそう。

その時はただの違和感程度でその「痛い」をひたすら我慢しての下山をしたのはグループの皆さんに迷惑がかかることを心配したとのことです。

 

どのようなメカニズムでそうなってしまうのか私にはさっぱりわかりませんが、その後、医師の診断で膝の骨が壊死していることが判明、入院手術になってしまったと。

現在、金属が数本入っているそうですが、負傷部位が左膝だけに運転はできるものの「痛みがとれなくて・・・」とその辛さを淡々と語っていました。

 

私の場合はどちらに行くにしろアディダスのフットサルシューズというのがお決まりです。

それ以外の靴の選択はあり得ませんが、最近は以前履いていた今よりも一回り小さい靴を引っ張り出して履いていました。

その話を聞いて、まともなサイズのものに戻そうと思った次第。

「勿体ない」の気持ちだけでしたが小さい靴を我慢して歩くなんて・・・

たくさんあるのに「ケチくさい」と奥方からご指摘が。

 

昨日の午前中は施設入所中の叔母の定期健診に。

診療には縁者の付き添いが必要になります。

榛原病院整形外科に予約はしてありましたが、何せ人気の整形外科。長時間の診察待ちは覚悟です。

 

診療目的は大腿骨骨折により補強材として入れたチタン合金2本の骨盤との接着状況を診るためです。

よってまずはX線撮影後に整形外科へ。

そちらは毎度毎度のことですが、スゴイ診療待ちでごった返していました。

それだけ骨折の類の患者が多いのでしょうかね・・・

人間はそそっかしいもの・・・か。どうしても転ぶことは避けられない。

 

先生が言うには時に金属の設置個所(骨)が「崩れる」可能性がありそのチェックは必須。おかげさまで別段異常はみられないとの判定がありました。

来年早々に再診、「それを最後の診察にしたい」と嬉しい解放宣言。

ただし「痛み」が出れば「人工関節」にしなくてはならないと脅かされました。

やはり「また骨折しないでね」の声も。

 

年配者が骨折によって激烈な衰えを見せること、多々ありますからね。

 

さて、法蔵寺の廣忠墓域のさらに奥、松平親氏の父有親の五輪塔の上方に笠塔婆が建っています。

脇の灯篭は崩れていましたが。

その方は明治になって没したとありますが、「柴田出雲守勝明」の奥さんの墓塔とのこと。

 

ということで賤ケ岳に大敗、北ノ庄落城によって一瞬、歴史から消えてしまったと思われた柴田家ですが、徳川家旗本としてしっかりと生き残っていたことがわかります。

秀吉に大敗した柴田勝家ですが、その系(柴田勝政~)は「継続」していたということです。

やはり時の流れで大勝し一時の栄華を誇ったとしても「消える時は消える」いや「消えるべくして消える」か・・・。

 

空しいと思う勿れ、仏教ではそれをしばしば「因果」という語を使ったりします。

まぁ市井では自身のこと「仕方ないねぇ」・・・の諦観で纏めるものですね。

 

自分でも知らないうちに密かにその「種を撒いている」のですから。宿業とでも申しましょうか・・・「悪人」の私もたくさんの悪い種まきをしていますので。

 

世を去ってからも「賢善精進の相」のままの御仁もいらっしゃる中、まぁ私はそれに気づかされているだけマシではあります。

よって「阿弥陀の救いはある」と確信しているのでした。 

 

 

 

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2022年

9月

26日

萩間川東中橋周辺② 本多忠通墓

「台風は大丈夫でした?」というのが最近のご挨拶になっています。

時間が経つにつれて近隣でもあっちこっち、被害について断片的ながら聞こえてきました。

続けざまに二つの台風にヤラレた遠州でしたが、やはり2度目の15号にも竜巻が発生していたという人がいます。

 

当然に竜巻注意報は出されていました。

あの豪雨の真っ只中に庫裏の「ビューっ」という音ともに天井が浮き上がるような感じがしたのでしたがその翌日は樹木(ブーゲン)が倒れ込んでいました。

ひょっとして・・・とは思いましたが、その手の竜巻か何だかわからない「一瞬の強風」は確かに存在していたことはわかっていました。

 

すると昨日になって「御前崎方面」でも風の被害があったことを聞きました。

静岡市内の停電は12時間で解消とのことでしたが、一部静岡市内では断水が未だ続いて給水車が出ていると。

流木が溜まって水源取水口を止めてしまったといいます。

電気もそうですが水が家庭に届かないことは不便極まりなし。

私もあの台風を甘く見ていました。停電に断水対策などノーケアでしたから。

タイミング次第ではどうなるかなどまったくわかりませんね。

まぁ、すべてのことがそうですが・・・

 

さて、昨日は東中橋上流の土手からの図と「少々の浸水」があったことを記しました。

その橋の東側には住宅地がありますが、家屋周辺に萩間川から溢れた水が滞留せずに流れ去った理由はその住宅地周辺には田畑があってそちらが溜池の役割をしつつ、あと一つ1m幅程度ではありますが用水路側溝が機能したのではないでしょうかね。

大雨が降るとここの道が周囲最下位になるようで「通行するのが怖い」ようです。

 

画像①②は東中橋を東側から見た図。①に側溝のガードレールが見えます。

画像に見えますが本多忠通の墓の案内板があります。

私の記憶では既にup済かと思っていましたがそこは失念。

10年以上前とまったく変わっていない墓域を拝見しましたが、こちらは個人宅管理になります。

きっといつもキレイにされているのでしょう。

登り口は他人様の家のまさに入口にあります。

 

墓は江戸期のお金持ちに流行った「台座が亀」の亀趺(きふ)という墓石で④の木の下です。

三河の安城の本多忠高などもそのタイプでした。

 

掲示板の通り、かつての「桂光庵」なる寺の墓域(付近卵塔の数種から)ということがわかりますがその寺の詳細は知らず。 

尚、本多忠晴は小堤山こちらも。そして本多忠如

 

 

 

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2022年

9月

25日

ヤバいよ萩間川東中橋周辺 三昧は来月も7時から

台風15号はその発生とコースそして移動速度は前回の九州に上陸して列島を縦断した14号とは違って、熱低から台風に「進化」したあとの進路は速攻、イキナリ東海地区へ向かってからの上陸と移動はやたら早かったですね。

のんびり来週の27あたりに都内を通過してもらえるものとてっきり思っていましたのでこれは意表を突かれてしまいました。

 

また一見してその勢力は1000hp程度だったことから「大したことナイ」と奥方に軽口をを叩いている私がありました。

よって本堂、無防備(雨戸閉めず)のまま、あの強烈・激烈の雨を迎えて、あたふたさせられたわけですが、あの時は既にあのデタラメな雨。風がなかったことから「まぁどうにかなるだろう」の楽観により「何もしない」策で対応しました。

 

翌朝の本堂点検はおかげさまで無事を得て安堵したものの、境内の樹木のうちお気に入りのブーゲンが倒れていました。

通路側に倒れていたため、奥方を呼びだしてその対応に1時間ほど付き合ってもらいました。

これから花を咲かせる葉が付いていましたが引き起こすにも重量があったため、半分程度をやむなく伐採。

その他排水溝の詰まりを清掃していめとから、息子の知人宅周辺に浸水があったということで「現場を見てこい・・・」というのでさらっと一周して帰宅、朝食をとりました。

 

オオタニサンが200奪三振と14勝をかけて投げていたため地元ほか一般ニュースは視ずにそちらに集中していましたが、あとから静岡県内の被災不具合のニュースを知って驚かされました。

こっちは床下、あそこは膝上・・・などの浸水の件やら本通りが「川」(の如し)といった話を聞きましたが、静岡在住の方がJRが停まって動けなくなった縁者からのヘルプで富士まで迎えに行って帰宅。午前2時に停電が始まって復旧まで12時間。

それまで電気もナイ情報もナイという時間を過ごしたとのこと。

あの酷雨の夜間、縁者のためとはいえ車を出すことは勇気がいりますね。掛川駅ではタクシーなどまったくつかまらなかったといいますからそういう際は縁者に助けを求めるほかはなし。

 

それはそうでしょう。山崩れで静岡市内の鉄塔が倒壊したというニュースがありました。そう簡単には鉄塔を建てられませんからその時間の我慢は当たり前のことでしょうが電線を迂回させる工事を行ったということですね。

それにしてもそれなら12時間は案外と早い復旧なのかも知れません。

どちらにしろ冷凍庫の食品他、パーになったお店などあったでしょうね。

怖いのは肉などの冷蔵品。その停電による温度上昇に曝された食品たち。

「食べてみなくちゃわからない」と言う感じで提供されるのはかなわない。

まぁ自宅ではしょっちゅうですがね。

 

さて、息子に「見てこい」と言われた場所は萩間川沿いの東中橋東側。そのさらに東の八幡宮との間に檀家さんの家が数件ありますので情報収集を兼ねて向かいました。

土手間近の家々に浸水があったようでホース片手に後処理に励んでいる方がちらほら。さらにその東側はなんとかセーフだったよう。

 

場所は菅山方向からの菅ケ谷川が西から合流する地点からすぐ下流で川幅が狭く西岸よりも東岸が低いように見える自然堤防の川。

あきらかに流れ出すなら「東側にどうぞ」という感じですね。

そちら側の草木が下流側に倒れていました。

 

地元では「東中橋」(場所はこちら)で通じますがこの橋周辺は新設橋に新道建設(榛原方向に山越え)の計画があってそれと含めての改良工事の予定があるのでしょう、河川改修は遅れています。橋より下流は大分川幅が広くなって、随時堤防改修工事をしていますからね。

 

今回、実際に水が溢れたという事実がありますので、人命優先の見地から早々に堤防の嵩上げ工事に着手しなくてはならないでしょうね。

この画像を奥方はその母親に見せたそうですが「そんな場所は怖すぎる」とのこと。神奈川県人には相当の違和感があったようです。普段は長閑な場所なのですがね。

 

ちなみにこの河川の平常時画像とライブカメラはこちら

この橋は県の河川砂防局土木防災課のチェック地点、ライブカメラが設置されているくらいです。

 

念仏メディテーション(三昧)は各月最終土曜日の午後7時開式に統一します。

これまで10月~3月は6時開式でした。

 

 

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2022年

9月

24日

千人殺せば~さるべき業縁~戦争のはらわた

昨晩は台風15号の雨域に入って当地は酷い雨。

全国ニュースで牧之原の名がまたも出ていましたが周辺各地「1時間に120mmの雨量」と報じられていました。

萩間川が「危険水域を超えた」の件もありました。

途中、本堂の雨戸を閉めようと試みましたが、「もはや無理」と諦めました。

一瞬間、一度だけ「ビュー」という突風がありましたが・・・。

やはり竜巻注意情報も・・・

夜が明けたらまた確認に。

 

例のカルト教団ご一同からの選挙応援のおかげか、晴れて当選されたといわれる、あのゲーノー人様でしたが、そのカルトの巣窟?へ立候補の挨拶に出向いた際に一同から漫画の「巨人の星」の曲の替え歌で盛り上げていただいたと報じられていました。

ご当人は痛く喜んでいたとのこと。

 

「替え歌」といえば色々な曲に勝手に思い思いの詩をつけるなど、よくある事ですが、その手の曲で私が一番に思うのは「ちょうちょう」なる唱歌です。

幼稚園で歌ったり(歌わされたり)ピアノのお稽古で最初にそれを弾いたりしたものです。

「ソ ミ ミ  ファ レ レ   ド レ ミ ファ ソ ソ ソ ~」

  蝶々    蝶々     菜の葉に止れ  ~

 

先日は日本初の幼稚園長の関信三について記しましたがまさにその楽曲はその時代(1876年頃)に日本に紹介されたといいます。

勿論原曲の歌詞とは全く違うものでいわゆる替え歌の類。

 

ただし日本人にはその原曲の歌詞は知りませんのでそうとはわからないのですが、ドイツ人の耳の中には当たり前の如くその蝶々とは違う歌詞のメロディーが展開するのでした。

世界的にその曲は拡散し、各国でオリジナルの歌詞が付けられたりしているようですが。

 

そのオリジナルと言われるドイツの曲に付けられたタイトルが

「幼いハンス」。

少々深読みしすぎか普通に歌詞を眺めても怖い感じがしないでもなし。

ここでも人の性というか「無常」がプレスされるわけです。

「子供の成長」を単純に受け取ればイイだけの話ですが、やはり欧米人もその変化という「無常」にその最たる「死」というものまで示唆的に感じ取ったのだろう・・・などとも思えます。

 

まず「ハンスちゃん」が旅に出るというところから。

歌詞の一番で幼いハンスをその母親が見送り、二番で放浪の旅に。よってハンスは日焼けした大人の「ハンス」へと変わり、

三番でもっと大きくなったハンスが故郷に戻ると、あまりの変わり様にだれにもハンスだと気づいてもらえなかったが、その母親は一目でハンスと分かった」というものです。

 

設定としてそのように幼い子と親が離れ離れになるシチュエーションは現代人にとって想像しがたいところですが、「別れと悲しみ」と「私自身そのものの変化」は人生につきものであって避けがたいこと。しかし「母親の愛情」は常に深く成長した子供を何時でも迎え入れてくれるものだ」ということを幼少期の子供達へ聞かせようとした内容でしょうか。

 

そして幼い子供といえば「かわいい」ものですが成長すればその「かわいさ」は消えていくのは当たり前とはいうものの、「ちょっと怖いかも・・・」と思うのがその「深読み」から。

 

旅とは「戦場」であり大人のハンスとは「戦士・兵隊」への変化そして「ハンス」であると皆がわからなかったその帰郷とは「ハンスの死」(または心身を害する後遺症)であるとも思えるのでした。

 

その深読みのきっかけになったのはある戦争映画に使用されてそれがあまりにもインパクトがある映画だったからです。

以前と言えば戦争映画の上映の頻度は今よりかなり高く、私もアメリカ、ハリウッド製の映画ばかりを鑑賞したものです。

 

その戦争映画といえばまずは主役がアメリカで敵役はドイツか日本です。

欧州(稀に北アフリカ)が主戦場ならばドイツ、大平洋ならば日本といった具合ですが、私の子供の頃と言えば戦争映画の戦場が欧州系が多いということで敵役はドイツという時代でした。

 

すると学生の頃になってアメリカの監督(サム・ペキンパー)がアメリカ資本ではないドイツ側からの視点の映画を作りました。

 

原題が 「Cross of Iron (鉄十字)」ドイツ軍の勲章のことです。

主役、主人公の名「シュタイナー」でも映画の名として通じました。

ところが日本版になるとそのタイトルが「戦争のはらわた」に変じています。

誰が決めたか如何にもオカルトチックで「軽い」印象を受けましたが、ただ映画の期待値はかなり高いものがありました。

 

この映画はかつて奥の墓道氏と観賞したのでしたが、その監督といえば当時アクション映画界を牽引する特筆される監督。

スローモーション映像の斬新さは誰もが圧倒されたものです。

ドイツ目線の映画を撮ったのは彼がドイツ移民だったこともあるでしょうし、このハンスの童謡を凄惨な戦争映画に使用したというセンスとその意図をまた凄いと感じたものです。

 

映画は戦争そのものの残虐さ愚かさは勿論、人間の心の汚らしさというものを描こうとしています。

特にシュタイナーの上官がCross of Iron (鉄十字勲章)」を得ることへの執着と名誉欲、仕舞には利己的振る舞いに及ぶ姿、そして「こんなものが欲しいのか?」なるシュタイナーの台詞も、痛烈でとても心に残った映画でした。

 

尚、その戦場とは東部戦線(昨日)であり、いわゆるウクライナ、クリミア半島が舞台です。

プーチンが反ナチズムなる虚言を持ち出すのは過去のヒトラーとの闘いでの勝利を今のウクライナ侵攻を重ねその正当性をこじつけているわけですね。

 

当時は今とは真逆、連合国はこぞってソ連側につき武器等の補給を支援していました。

歴史は繰り返す、そして歴史というものの皮肉をまた思います。

 

 

よってあの映画を観れば、童謡の「ちょうちょう」のイメージは吹き飛んでしまいますね。

勿論「幼いハンス」の方をのみ連想します。

それもその戦場への「旅」に出た幼き者たちは、塹壕の中で成長し、泥と硝煙の中、真っ黒になりながら戦って、傷を負い障害を抱えあるいは戦死し変わり果てた姿で郷里に帰って母と再会・・・というシーンが思い浮かぶわけです。

 

何より、歎異抄の「さるべき業縁~」の件(やはり昨日)ですが、それこそ「どれもこれも私のことだ」の再認識があるわけで。

それが殺したら殺されるのは勿論の戦争をまた思います。

不仕合わせの連鎖、そのきっかけは抑えたい。

 

それを避けるための国民の大切なスタンスは、独裁者を出す環境をつくらない事でしょう。

ヒトラーやスターリンの類。過去の世界人類の汚点として捉えるだけでなく未来にわたってその手の野心家の登場のリスクを常に警戒しなくてはなりません。

人とは名誉と権威にしがみつき、それに付随して富の蓄積をしていきたいと思うものなのですから。

 

一度ゲットした地位を手離したくないということから、法を改めるなどして繰り返しトップに居続けることを所望したがるものです。

この国でもその類を以前目撃しました。

 

平和と安定世界の維持はその醜態シグナルに早く気づき、ストップをかけられるかどうかにかかっています。

それを見誤ると「同じこと」を繰り返すというのが人間の歴史でした。

巧みな情報操作の中、真実を見続けることの難度は上がっていますが、アンテナを伸ばし耳を傾け見張り続けていかなくてはなりません。

 

画像は歎異抄13章から。

有名な①「ひと千人ころして」に②「さるべき業縁」の件。

特に

「当時は後世者ぶりして、よからんものばかり念仏申すべきやうに、あるいは道場にはりぶみをして、なんなんのことしたらんものをば、道場へ入るべからずなんどといふこと、ひとへに賢善精進の相を外にしめして、内には虚仮をいだけるものか」は私の好みのところです。

 

「賢善精進の相を外にしめしている」輩とは今風に言えば東京オリンピックの贈収賄で逮捕された連中他いろいろの高貴風紳士面の人たちと重ねてしまいます。

 

先日行われたの統一教会御仁の記者会見なども、その出で立ち物言いなど一見したところ「賢善精進の相」でしょうかね。

態様はまさに虚仮でしたが・・・。

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2022年

9月

23日

さるべき業縁 裁判所の地図記号は高札から

昨日記した無常(不条理)への「人」の思い①「何故」②「私が」③「こんな目に」④「遭わなくてはならない」の愚痴について。

ありがち・・・というか私など以前から「まぁ、そんなもの」といったレベルですからね。

しかし、それをどう受け入れるかで精神衛生上の良しあしの違いが出てくるというもの。

それが「当たり前」と苦笑いして受け流せるか、毎度思いつくまま悔恨と愚痴を繰り返して日々過ごすかの違いでしょうか。

いわゆる、あるべき慙愧の念とは違いますからね。

 

その手の思いは何かその原因を他に向けて私の心を治めたいという気持ちの表れでもあります。

しかし、そもそも人間の「生」とは仏教的な思索「無常・一切皆苦」ですのでそこのところに疑問を抱いて時に悩んだとしてもそれこそが「本質」ですのでまったくその方向は詮なきことでしょう。

 

この世のことはすべてその(無常)通りに進み私たちはその大波小波の中で揉まれながら生かされているといったところでしょうか。よって、たまたま生じた僥倖も、目いっぱい不都合と思われる事も、すべてを受け入れなくてはならないのでした。

 

しかしながらその不条理について、無慈悲でまた慟哭を招くような悲劇の結末があれば感情的、心が動かされるというのが人間ですね。

その衝動も自然界の天変地異を除いて、大抵の事は自らと近親者の生老病死の感覚とは違う、人同士の間で発生する故意、過失、そして争いでしょうかね。

その最たるものが国家間の戦争ということになりますが、それこそが人間界の代表的不条理です。

愚かの一語ですが同じことの繰り返しをやらかしているのが人間の歴史でした。

 

昨晩はNHKのBS「ヒトラーvs.スターリン」という両独裁者にスポットをあてた戦争ドキュメンタリーの再放送を視聴。

その両者とも自らの栄誉と主義のために「大量殺戮」を行ったその時期限定の「英雄」だったわけですね。

 

その末期と言えば「病と老」の人そのものの性と狂気が匂ってきますし、そして共通するものといえば自国民にとっても「忌まわしい存在」として歴史に残ったということですね。

お決まりのパターン一部同調者からホイホイされてたまたま栄華を誇れば「滅びる」の例を示していました。

 

今、世界にその不条理感を撒き散らかしているプーチンはそのソビエトの栄華を再び・・・という具合にその本性正体野心を現したのでしょうか。

やはり歳もそこそこ重ねてくると往々にして無茶をやらかす(暴走する)ものか・・・とも思わされます。

 

叔父も「そろそろ暴走する時節」であると自らを戒める言葉を示していました。

狂気に走るかも知れない、大きなミスをやらかすかも知れないという恐怖ですね。私もそろそろ・・・と応えたことは言うまでもないこと。

 

貪らず愚痴らず怒らずそして争わず・・・その自戒は宗旨に「戒」がないからこそ必要です。

何故ならば①の「何故」の理由を無常以外に挙げるとすれば何より(他の者、他の外力よりも)「私が一番イカれている」からでしょうね。

それだからこそ如来の手が差し伸べられるのですが。

ただし、私そのものが「毒」(三毒・・・貪欲・瞋恚・愚痴)の塊であることは頭に入れておくべきですね。

 

その番組を視聴して思うことが多々ありました。

映画の件ですね。

そのご両名(ヒトラーとスターリン)のライバル同士は世界中をひっくり返らんばかりに驚かした独ソ不可侵条約を結んで突然の盟約同志に。

当時の日本でも首相だった平沼騏一郎が「欧州の天地は複雑怪奇」といいながら総辞職するなど有名な事件でした。

 

その同盟はヒトラーのスターリンを動かさないための詐術だったわけです。スターリンが騙された・・・

西部戦線を早々に占領鎮圧してから、これなら「イケる」と思ったヒトラーがソビエトに侵攻を始める(バルバロッサ作戦)というものです。

その主たる方向は三方面に。

北はスターリングラードから中部、そして現在のウクライナの東部戦線ですね。

 

その東部戦線の目的はヒトラーはその穀倉地帯、食料の確保とその地のユダヤ人の絶滅でした。

まさにウクライナは戦争と憎悪と悲しみの集積する場(ソフィアローレンの「ひまわり」)でした。歴史的にも毎度のことのような。

 

そして記録映画「バビ・ヤール」(22年9月24日公開)の件。

ドイツの侵攻によってソビエトからの解放を歓んだウクライナの人々は、そのヒトラーの政策にのっとってユダヤ人狩りを行いキエフの北にあるバビ・ヤール渓谷で大虐殺を行ったという隠れた歴史がありました。

2日間で33,771名のユダヤ人を集めて射殺したといいます。

 

現在ロシア軍がウクライナ侵攻で行った大量虐殺について「戦争犯罪」として大なる声をあげていますが、そのウクライナではかつてホロコーストの加害者として手を貸していたのでした。

ウクライナ国内からはあまり都合よくない史実であって今それを上映すべきものではナイとその映像公開には批判も出ているようですが、事実は事実。

見て聞いていかなくては「人の行い」の真実がわからない。

 

人間社会というものはその流れに乗って(乗せられれば)「何でもヤル」・・・「さるべき業縁のもよおせば いかなる振る舞いもすべし」(歎異抄)ということですね。

ちなみにその「バビ・ヤール」なる映画の監督がスターリン死後のソ連を描いた「国葬」の監督でした

 

さて、画像は一昨晩のテレ朝のクイズ番組からのカット。

「裁判所の地図記号の由来は?」という問題がありました。

番組放映前に製作会社から寺に連絡があってその問題を出すにあたって正解サンプルとして拙ブログから画像を拝借したい旨の依頼でした。

以前にも同局のクイズ番組で同じ依頼があって「どうぞご自由に おまかせしま~す」と返答したことがありましたが、放映したものからのコピーは具合が悪い(画像劣化)ということか他の画像もタノムとのことで電話とメールで数回やり取りしました。

勿論今回も「どうぞご自由に~」。

私が撮影はしましたが私が作った高札でもなし。

 

それにしても復元高札が掲げられている場所は都内近郊にもたくさんあるわけで・・・まぁネット上から引っ張ってくればお手軽ではありますがね。

また1カット数秒の画像の放映だけであれだけの段取りを踏むとは・・・恐れ入りました(企画書まで送付されていました)。

 

 

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2022年

9月

22日

松平親氏の父有親の五輪塔 法蔵寺廣忠墓域の奥 

台風が季節の恒例行事のごとく、それも気まぐれにやってきて収穫前の農産物を台無しにし、遠い地にも竜巻を起こしながら、時に人の命を奪った挙句、何事もなかったようにただの空気に戻っ(消滅)いくの繰り返し。

たまたまその進路の気まぐれが人の生活圏にハマった時一言「ついてない」というしかないのでしょう。

どうにもならないことです。

それを仏教では二字でもって「無常」と言いますね(→諸行無常)。

最近その意を三字でもって記すことが多くなったような。

 

それが「不条理」の語です。

大抵はどちらも同じような意味で使用しますが、その言葉のイメージとしては私には「煩悩主体の愚痴」の如く感じます。

無常の語よりその3文字の方が一般的にピンとくるというかわかりやすいのかもしれませんし「不合理」という語にも似ています。

 

その愚痴としての感覚は

①「なんで」②「私だけ」③「こんな目に」④「遭わなくてはならないんだ!!」・・・でしょうね。

同意でも「無常」の二字だと「万物変化することへの畏れ」であって「むじょう」の発音で他にも「無情」「無上」がありますのでわかりずらいところもあるでしょうが深くて味がある語だと思います。

私に与えられた人生の最大テーマであるという漠然なる達観(「四苦八苦は人生につきもの」)ですからむしろ腹の中に仕舞っておくものかとも思いますが。

 

その腹の中に納めきれない不満足・・・時に不幸福感・・・の表明が「不条理」であってその感情が含まれているような。

 

その「①なんで」の疑問は無意味ですね。「無常」ですから理由などはナシ。②③④も同様であって「無常だから」以外の理由は見当たりません。

 

何度か記していますがそこに「理由」をこじつけてその解法の提供をもってマインドコントロールを試みるのが今流行りのインチキ宗教。

親たちのスタンスとしてネガティブイメージ「無常」を教えず「無上なる幸福」なる幻影のみを子に伝えているのでは・・・。

ちなみに仏教の物語の中、釈迦が「無常」を体感(四門出遊)したというのは有名なお話でした。

「一切皆苦」の僅かなところでも触れさせなくてはイケません。

 

さて、法蔵寺の廣忠墓域の続き。

あの地に訪れると墓好き?と思われる人とすれ違いますが、私が目にした方々のうち、その殆どは「そのさらに奥」についてご存じないようで、ざっと廣忠墓域周辺を見てから東照宮に上がってから下っていく姿を目にします。

目的としてこちらが主であれば「余計なお世話」ですから黙ってスルーしますが、あの看板の記述をしっかり目を通せば了解できるところ。

 

「御親縁様方御霊廟 五輪塔 宝篋印塔など

山内の墓所

有親公(五輪塔)「晋修院殿増光長阿大居士」松平家初代親氏公尊父有親公は時宗の僧 長阿弥と称し徳阿弥(後の親氏)と所々

御遊歴境井村にて康安元丑年(1361)四月廿日寂 親氏公供養される」

とあります。

その記述に関しては他に諸説あってよくわからないところたくさん(その一つまたはこちら こちら も参考)。

 

ということで廣忠墓地からさらに奥へ進むと①の景色が見えてきます。大した距離ではありません。

大き目の五輪塔がまず一基目について塔身が五輪塔水輪の如くの宝篋印塔の数基がランダムに散らばっています。

 

歴史的にその存在がハッキリと断言できないというか、陰に隠れていて敢えて表に出ていただかなくとも大差ナシということか。しかし立派な五輪塔ではあります。

 

 

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2022年

9月

21日

続々まきのはらを築いた人々 市史料館10/1(土)より

今回の台風14号もそう。今回も思ったほど雨は降りませんでした。日頃私が勝手に決めつける降雨帯移動の「国道1号線理論」が当たったような。

海からの暖気の供給は遠州駿州の山系の立ち上がる麓沿い(国道1号線と同じライン)で本格的な積乱雲の生成になる・・・というようなものでただの私の「思いつき」の如くではありますが、大抵がそんな感じに収まります。

「湿気た空気が山に当たって雲が立ち上がり雨を降らせる」ということにも繋がりますから無茶な空想ではナイと思っていますが。

 

そしてあの強風(竜巻)の件。

発生個所は複数あったとのことで昨日も続けて市内各所で大暴れした様子が伝えられていました。

去年に続いて今年も「竜巻」の襲来を受けた当市でしたが、それがただの偶然ではないとするとまた来るということ。

原因はやはり海水温度の高さとその空気を呼び込む低気圧の位置でしょうかね。

 

そのメカニズムをまたも勝手に考えてみました。

それを一言で記せば「舌状台地先端の形状から暖気流を呼び込んで低台地を上がった暖気はそれまであった寒気とMIXして不安定化(渦を巻く)」ということでしょうか。

昨日記した小堤山公園の映像と当日の郵便局付近の発生時刻についての検証が必要ですが、その二つの嵐が同一のものと考えると腑に落ちます。丘を下りて発達したのでしょう。

 

私の考えを記すと駿河湾に並行してある晴海台丘陵(⑥の赤いライン)に南から吹き当たった暖気は(須々木地区でも被害を出していました)汐見台住宅地のある開口部に流れ込んだ後、小堤山を開削した低めの丘の公園に上がってまとまります。

勢いそこで上昇気流が発生したというのが私の視た小堤山公園駐車場での暴風。

そちらから発達して郵便局側に移動した・・・それが私のイメージ。⑥画像上クスリ屋付近が郵便局付近。

 

大沢方面での瓦屋根の被害もその直線上にあるような・・・

その勝手な説をさらに思量すると・・・拙寺(黄色の★)は竜巻に関しては西の秋葉神社のある小堤山より高い山による「姥が懐」の位置になる・・・などと安堵した次第。

次の竜巻の発生を見てみなくてはわかのませんが。

 

昨日は消防署の査察の日でした。

ご指摘を受けることといえば設置義務のある消火器についてが主となりますから事前にその使用期限についてはチェック済みでした。

しかし、私が胸を張って設置していた消火器(購入後約7年)は前回査察の指摘後に揃えたものでしたが、3年ごと?の「検査が為されていない」という御指摘を受けてしまいました。

 

検査の修了費を考えれば新規に導入した方がマシですし本堂には家庭用中型のタイプ2本の設置を勧められました。

よって他所にあった10年以上の期限切れ消火器を2本車に積み込んでDIY店の消火器売り場に。

 

最初に行った店の在庫が1本きり。3680円台でした(画像⑤)。

よって次の店へ。

在庫は複数本あったもののなんと価格が4400円でした。

「アホらしい」と奥方が。ということで次の店。

そちらは3980円でした。

それならと最初の店の別支店へと・・・そちらは3980円。

同じ店で値段が違う(メーカーは違いました)というのは解せませんでしたが、そこで手を打って1本、そして最初の店に戻って1本購入しました。

よって5つの店の消火器売り場を歩いたということで。

 

消防署としては未検査の消火器の設置について看過できないようで「購入したら連絡してほしい」・・・とのことでした。

「スグに買いに行きま~す」と言うと「明日あたり消防署にそれを持参いただければ有難い 設置の件を確認したい」とのことでした。

 

まだ有効期限の残っている未検査消火器は庫裏に置くことにします。その件は任意ですからね

他にも有効期限切れの消火器が数本本堂周囲に置いてありますが、4000円/1本で安心が買えると思えば安いもの、法定設置ではありませんがこの機会にすべて更新してもイイくらい。

 

さて、牧之原市史料館、長谷川氏の企画展から。

 

偉人マンガ「田沼意次物語」発刊記念

「続々・まきのはらを築いた人々-郷土の偉人と新収蔵品展- 

 

10/1(土)より開催されるとのこと。

新しい出し物があるようです。

 

拙寺からは本堂格天井にあった寺田洞仙人の絵画を2点ほど

(10月1日~10月30日まで)。

 

全体開催期間は令和4年10月1日(土)~令和5年2月26日(日)

 

③が「田沼意次物語」表紙。

 

 

 

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2022年

9月

20日

松平廣忠以下三方原戦没者墓域の下 法蔵寺 

一夜明けて市内各所であの竜巻らしき風被害の状況が報じられていました。

驚かされたこと多々ありましたが特に度肝を抜かされたのは拙寺近隣、小堤山公園で撮影された画像の件。

暴風の真っ只中という状況を映し出していましたが、そちらから目と鼻の先にある拙寺にいる私どもには、その時、雨音すら聞こえずにごく普通、のんびりと過ごしていましたので。

あの時の証言として「ゴーという」などの表現がある中、拙寺は無風。

 

それらが竜巻だったにしろ、同時に数個が発生していたという説もあってどちらから来てどちらに向かったかかなどはよくわかっていませんが、南からの温かい空気が、それまでこの地域にあった比較的湿気ある低温の空気に当たって回転と上昇が始まったいうところでしょうが、この小堤山公園は東側よりも南側御前崎方向に開いているような削平地形で、その風の流れは拙寺方向よりも昨日記した郵便局方向に進むと勝手に決めつけました。

それ以外だったら・・・すぐ西側の小堤山南の丘陵・・・そして阿弥陀さんの差配・・・により寺は守られている・・・

いずれにしろ結果オーライ、自分勝手の説でした。

 

ただし、かつみ食堂の店主は「相良高校方向から来た」説を展開。

要は北東方向から色々なものが飛んできたということですが、アレはぐるぐると洗濯機の如く回っていますから飛んできたモノのその方角と進路は関係ないようにも感じます。

 

勝間田ではコンテナが飛んできて玄関が壊れた家がありましたが、その手の物が人に直撃したら大惨事になるところ。

竜巻などいうものがそれほど身近な存在であったというのが驚きです。

それまでその手の被害は聞いたことがなかったのですが。

やはり地球は壊れかかっているのでしょうかね。

 

さて、法蔵寺に戻ります。

何といっても法蔵寺といえば松平廣忠ほか御一同そして三方原戦没者の墓域(またはこちら こちら)でしたが境内を近藤勇の首塚の案内の通りに進んでその階段を上がらずにその階段の左手、宝篋印塔の隅飾りのある五輪塔(パーツMIX?)を中心にした板碑の連なる墓域がありました。

卵塔も見えますので古くからお寺に関わった方々の墓石ではないでしょうか。不詳です。

 

 

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2022年

9月

19日

これでもかという具合に 牧之原市

台風14号の強風域のギリ外側となる当地は朝からドカンと降っては止み、そしてドカン・・・の繰り返し。

いつもと違う海の音が常時ゴーゴーと、他は風もなく時折祭典の花火の爆音が聞こえていました。

午後は「殆ど降っていない」時間が多く、日差しまで出ているくらいで思わぬ平穏ぶり、大いに喜んでいました。

予報ではもっと降りそうな雰囲気でしたから。

 

私は午前午後と法要開催によりあっこっちと動いていましたから特にそれを思ったのですが、降雨に邪魔されることなくすべてが終了し「仕合わせなこと」と御一同とニッコリしていたわけです。

 

3時過ぎに帰宅し、軽く昼食をとりながらのんびりしていると

一瞬間の停電があって奥方と顔を見合わせたことは覚えています。

それから少し経ったころでしょうかテレビモニターからは津波注意報が流れて「何それ?」と思っていれば台湾で地震があったと。

「沖縄方面は台風に地震に津波か~」とそのタイミングの悪さにいやはや「悪いことは案外と重なるものだ・・・」とその地と離れている故の勝手に俯瞰的、他人事の様の私がありました。

 

引き続き居間で寛いでいると、5時ころになって先日相良ターミナル跡に開店したばかりのマーケットが「ぶっ壊れて救急やら消防やら警察の車両が入り乱れている、寺は大丈夫?」の電話がありました。

 

「寺は大丈夫?」の件。

自然現象・・・いわゆる突風、竜巻の部類があったかも・・・ということですが半信半疑で本堂周囲を2周。

何らの異常も感じられませんでした。

そんなら・・・と奥方にお腹が減っていないが「かつみ食道」でかつ丼でも食べながら強風見舞いでも・・・とそのマーケットや郵便局の並びの檀家さんのその店に野次馬根性丸出しで向かいました。雨はまったくナシ。

 

すると歩道には規制線が張られていました。

向い側の郵便局側を歩くと、店の外壁の上部が剥がれて周囲に散らばりその破材回収作業に店の人たちが出ていました。

 

食堂のご夫婦も店の外に出ていましたが、飛翔物がガラス戸に直撃してやむなく「本日休業にしました」と。

「ガラスくらいで・・・」(飯喰わせろ・・・ではないですが)あの直撃時、開店準備に店内にいたご夫婦は「ショックがキツイ・・・」と。

横に置いていた車にも傷がついようですが飛び込んできたプラスチックの筒状のものとガラスを突き抜けた様子を見せつけられました。暖簾を出す直前に②のガラス戸に貼られた③のステッカー部分を直撃したといいます。

店の中で鼻っ先をそれがかすめたとしたら・・・「ショック受けた」の件納得しました。

もし近くにいて体に直撃したとすれば病院行きでしょうから。

周辺を見廻すと、外壁パネルが剥がれたり雨どいが壊れたり・・・

噂では郵便局も被害があったとも。

 

マーケットの駐車所にあった車たちも無事では済まなかったようで、中にはレッカー車を呼んでいた車もありました。

ケガ人は現状二人あったとのこと。今後さらに被害が発覚していくのでしょうが、やはり自然のことですから誰にも文句が言えない。そこははわかっているところですが、ある方が「悪いことばかりで何とかして欲しい」と私に。

「そればっかりは(ただ受け入れるしか)・・・」と。

 

ただ被害にあった皆様方には申し訳ありませんが内心、寺が無事で安堵させていただいている次第。

帰宅してからさらにもう一周してから本堂の正面の一つを残して他の雨戸を閉めました。

 

しかし工法の違いはあるというもの。新建材の外壁パネルはいかにも脆弱ですからね。

しかしそれが竜巻として(竜巻風画像がテレビで放送されていました)たまたま拙寺上を通らなかっただけなのでしょうね。

ただ運がイイだけ・・・最近はやたらと竜巻が発生してこの辺りを通過していきます。

ちなみにこの日は竜巻の通過前だけで私はこの道を6回通過していますがもし通行中だったらパニックになったかも。

 

叔父からは牧之原市はここのところ、「一気に全国区に躍り出た 

・・知らない人は居なくなったのでは・・・」

 

まともなことだったらよかったのに・・・

これで終わりに・・・果たして許してもらえるのか・・・天変地異はじめ不条理いろいろ。

 

 

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2022年

9月

18日

小島蕉園の一閑事 寒厨已富 以分下僚 防民苞苴

台風14号の昨晩辺りの勢力が910hP。

私がかつて沖縄で体験した915hPより上、要は「電信柱が折れ、船が陸に打ち上げられる」ヤツです。

その勢力を維持したまま九州から本州を縦断するということになれば大惨事をもたらすこと間違いなし。

予報が外れたらそれはそれでヨシですよ。

しかし「今度のヤツは手強い、甘く見たらヤラれる」を念頭に、早め早めに動いて安全を確保していただきたいものです。

 

私の方はといえば、コース的に外れそう、陸の上を進むので勢力は落ちるに決まっている・・・と見てはいますが、昨日記した通り、鉢植えの避難を行いました。

様子を見て本堂雨戸を閉めていこうと思っています。

あの半分朽ちかけた会館を撤去して更地にしたことで相当気がラクになっています。

 

さて、久々に相良の偉人、善政の代官、小島蕉園について。

昭和二十六年の山本楽山による「新訳蕉園渉筆」をペラペラっと捲っていて蕉園の私生活と人柄がうかがえる文字が目に留まりました。

 

蕉園渉筆153「一閑事」(抜粋)から

 

「官舎四壁之地 尽闢圃 

 種蔬菜 逐時蕃殖 

 寒厨已富 以分下僚 防民苞苴」  のところです。

 

官舎四壁之地は 尽く圃を闢き 

蔬菜を種え 時を逐って蕃殖す 

 

寒厨にも已富む 以て下僚に分ち 民の苞苴を防ぐ  

 

屋敷の周囲、外壁の内側には畑。野菜を植えて収穫していたようですね。今ではそう珍しいことではありませんが、蕉園は相良に赴任した代官様ですからね。

興味深いのが「寒厨」の表現と「苞苴(ほうしょ)」の語。

 

食べるものがあまり多くはない時代で贅沢な献立など考えられませんが「台所に食材が揃わない」如くのような表現「寒厨」には驚きです。

現代は食べるものだらけですからね。

しかし蕉園の台所は「寒厨」にはならずそれは野菜が豊富にあったということ。庭の畑で野菜の収穫があったからですね。

 

そこで蕉園の地方の行政官トップの心構え、性格として特筆すべきと思うところが

「以て下僚に分ち 民の苞苴を防ぐ」です。

部下たちにその収穫を分け与えたということと苞苴の件。

苞苴はそもそも藁などを束ね、その中に魚や果物などの食品を包むことですが転じて贈答品。

それを防ぐとは民の気遣い、忖度、贈り物、要は賄賂を貰わないということ。

現在のお国の役人といえば苞苴(そこでは包みの中にはカネ)大好き、いつでも「頂戴な」の感覚かと。

蕉園こそ正真正銘の政(まつりごと)を行った見倣わなくてはならない人格者でした。

 

①は夕刻前の小堤山から。

予報では「雨に変わる」でしたが・・・青空も顔を出していました。

 

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2022年

9月

17日

是非に購入したしパタゴニア 西尾忠移墓 龍眠寺

台風(14号)が来そう。

午前中はさらっとその対策にかかるとしますか・・・

勢力を増しながらの北上そして東への転進が予測されていますが、どうせ当地は「大したことないだろう」の楽観。

しかしながら私の信じる阿弥陀如来の「他力」の本質「自然」(じねん)の一類のこと、敬意をもって神妙に対応し、お迎えすることとします(本音は・・・ああ面倒くさい・・・)。 

まずは植木鉢から・・・ですね。

 

昨日は「さすがアメリカ」という具合に国民の生命を第一に思考する-医学医療分野への研究資金を手厚く確保する-という考え方の一つを記しましたが、今一つ「スゴイ!」と唸らせられた件がありました。

 

アメリカの大手のアウトドア用品でお馴染み、パタゴニアの創業者が自分や家族が保有するパタゴニア社の全株式を環境団体などに譲渡するというニュースがありました。

理由は環境危機に対応する資金として活用してもらいたいということですが直接のきっかけは自身の名が「世界長者番付」に載ったことだといいます。

自身は豪邸に住まうでもなく高級車にも乗らない、着ているものといえばラフ、古着を大切にというのがモットーのようで、その件汚名に感じたようです。

 

「地球が私たちの唯一の株主」と仰っているそうですがその方が寄贈した額はなんと4200億円。

二人の息子たちも了解済みだとのこと。

やはりデキが違うのだ・・・と溜息をついてしまいました。

贈与するからには課税されるわけですが、それもスゴイ金額になるでしょうね。

真似はできないでしょう、島国日本に住まう人には。

私レベルでは想像もつきません、目もくらむ金額ですからね。

それこそ「自然」信奉の真の姿を拝見させていただきました。

 

やはり洋服屋のAOKI創業者が一儲けたくらんで贈賄で逮捕されていましたが、そのパタゴニアの件と比べてみればいかにもチンケでみっともない話。ゴミにしか見えてきません。

他にも未練がましくロシアにしがみついている衣料品屋さんもありました。

 

私たち消費者の購買動向としてパタゴニアこそ「買い」ですね。良き品物で少々高価ですが。

せっせとおカネを溜めてそれを着込めば地球環境のために一役買っているのだと自負できようというもの。

本当に彼の国とのスケールの違い、何から何までというところを見せつけられたという思いです。

 

さて、先日は拙寺の時太鼓について記しました。

その寄贈者の西尾忠移(ただゆき)の墓は直近記した久世家供養

塔の並ぶ浄泉寺のスグ近くです(場所はこちら)。

 

正面左側の大型笠塔婆墓石の笠が外れて落ちているものが西尾忠移のもの。

相良城破却の心労も多少なりともあったことでしょう。

 

本堂を前にして左側の図⑤。

この奥の左手上部に墓域があります。

門前①②には結界石。

こちらは「禁」ではなく「不許」です。

「不許葷酒入山門」。

 

 

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2022年

9月

16日

安休寺の宝篋印塔 水没地のマラリア発生増を見て

週末から週明けまで天候不順の予報があります。

台風14号が列島を縦断するようですね。

そのため、ゴミ類を集めて地頭方の処理場へ。

墓地を一回りして、朽ちた花ガラを回収しましたが、例によって蚊の大群に徹底的にイヤというほどヤラれました。

「発狂しそう」と記しても過言ではないくらいの敗北感。

堆積した落葉の回収についてはそれを理由に早々に諦めて退散した次第です。

一度完全装備に殺虫剤を振り回してあ奴らの退治のためだけに動くべきでしょうね。

「人類最大の敵」とも言われる「蚊」を私は甘く見ているのでしょうね。頭の中では「ヤバい」といいながら毎度毎度同じようにヤラれまくる。やはり底抜けのアホなのでしょう。

 

蚊の絶妙生息環境となったのは雨続きの夏の終わりということだけでなく墓地西側の笹の刈りこみをヤメたこと。

私が毎年その笹を刈機でバッサリやり続け除草剤まで撒いて「管理」をしているつもりになっていたのでしたが、そのために土塁の崩壊が進んで上部の樹木の足場(根)の脆さを招いてしまいました。

法面上の雑草・雑木を取り去ることは命取りになりかねないということに気づき、現状「笹伸び放題」に戻したということです。

寺の大木倒壊のニュースは度々耳にしていますからね。

そのために墓地境内の空気の流れを留め、笹自体が蚊の生息地となってしまったのでしょう。

 

パキスタンの件、そちらの今年の夏は無茶苦茶な洪水続きで国土の1/3が水に浸かったというニュースがありました。

住居の消失のうえ、蚊の発生により18万人(昨日ニュース)がマラリアに罹ったといいます。

「痒い」どころでは済みませんからね。

 

以前NHKのドキュメントで戦時中の戦線拡大と並行して創設された「防疫給水部」なる部隊にスポットをあてマラリア、デング熱、破傷風などの対応に人体実験により多くの人命を犠牲にしていたという番組を視聴したことを思い出します。

南方に行って無事に帰還した元兵士なら誰でも知っているその病気の恐ろしさですが蚊にもたくさんの種類があることを知りました。

 

当時マラリアの感染発症は戦争以上に日米両国とも悩ませた病気でしたが、当初日本はインドネシア産原料で作る薬「キニーネ」を独占したおかげで、その病気の対抗策としては有利に進めていたといいます。

しかし戦況悪化とともに薬は不足。バタバタとその病気に罹って戦争どころではなくにっていくワケです。

その薬の取り合いから殺し合いになったこと、食料飲料の補給もままならない中マラリアに罹った兵士のところに衛生兵がやってきて「気合が足りない!!」と言いながら「ブン殴ったら、死んじゃった」という証言は衝撃を受けました。

 

「戦争栄養失調症」なる語も耳にしましたがそれら耐性体力が減衰した兵士にマラリア蚊の襲来は酷だったでしょうね。

そのせいで「兵力が1/4になった」(参謀)というくらいでした。

戦闘以上に蚊の襲来はダメージとなったのでした。

 

色々と感じさせられる番組でしたが、やはり「スゴイな!」と思わされたのはアメリカの対応です。

各界総力を集めてマラリアの特効薬「クロロキン」を早々に作りあげ医療体制を逆転させてしまったこと。

それによってマラリアでの疲弊を考えずに対日本軍一本で戦えたのでした。

 

その病気の歴史としては源氏物語にも登場するくらい「古い」ものであって研究機会はいくらでもあったはずですし、これから日本人が大挙して赴く地に蔓延し罹患するおそれがある病への対応として後手後手になったことを見ても国の姿勢はいつも「そんなもの・・・」と諦めるしかほかは無いのでしょうね。

いつもがそうなのですから。

 

日本は今、新型コロナでもアメリカ産の製剤の後塵を拝するという結果になっていますが、ずっと昔からそういった姿勢は変わっていないのす。

以前は他国占領と戦線拡大オンリー、今は経済と景気を旗印に。

要は国民の健康と命は二の次という思想が蔓延っているということ。

日本社会はつい最近まで「体調の具合が悪い・・・」など言うだけで「気合」だの「根性」だのを振りかざして怒鳴りつける輩が居たものです。

「病は気から・・・」病気になった人にそれが言えますかね。

先日は自分だけ特効薬を処方されて「大したことない」の風を標ぼうするソーリ殿の姿を見てもそう感じました。

 

アメリカ、中国などこれからの未知なるウィルスの登場に対するための医療、バイオ技術に注力し、国としての企業や研究技術の囲い込みを進めていくようです。

日本という国は直接カネに繋がらない医療技術の学術研究への支援は僅かという傾向がありますね。

永遠に後手を踏んでいく姿、アメリカの顔を伺いながらクスリを分けてもらおうという根性が透けて見えます。

 

さて、昨日は三河一色の安休寺の本堂裏の五輪塔二基について記しましたがそれ以上に興味深い石塔が本堂脇の堂(納骨堂か・・・)の脇の顕彰碑の建つ場所にあります。

 

私はてっきりこの二つの宝篋印塔がそれぞれ吉良満義と一色有義の石塔かと思ったほどです。

ところがそれらのものといえば昨日記した五輪塔と決まっています。

 

宝篋印塔と五輪塔、そしてそのサイズから言ってどう考えても私の思った「その逆」というのが正論かとは思ったところですがやはり寺伝と違う私の発想は誤りでしょう。

 

しかし完全ではありませんがこの宝篋印塔にどのような歴史があるのか、知りたいものです。

 

 

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2022年

9月

15日

吉良満義一色有義五輪塔 安休寺 底割れ底なしの世

ギインという職業の土井某とかいう人もその「真のお母様」なる言葉を吐いていたといいますね。知らない人ですがニュースに出ていました。

如何にもそれは変な言葉で「?」の迷宮に入りそう。

私でいえば母は逝去しています(ちなみに「おふくろ」のことをそう呼んだことはありませんが・・・)ので、敢えてその「本当の国葬」ならぬ「真のお母さま」なる語を使うとすればまさに当方奥方様を指すのがもっともの処。

 

ところがその「真の~」とは例のあの国の変てこな夫婦のオバさんの方だというから如何にも気持ちが悪い。

一般人が考えれば不気味とも「何だそれ・・・」と絶句するような言葉であってそれをサラッと吐く人の感覚、精神というものを疑いますね。

バカバカしいを通り越してハッキリ言って相当「イッてる・・・」の感まであります。

そのお仲間たちも多数いらしたよう・・・

 

しかしまぁ、あの手のギインさんやそのボスさまの率いるグループは自らの意思に反意を示す者たちをしばしば「非国民」というレッテル貼りに励んでいたことを思い出しますね。

 

そのウラで他国の宗教の指導者に靡き、最大限ヨイショしている姿がありました。

日本国民の洗脳のために他国の勢力に力を貸し、巨額資金をその団体に流出させ、国民に多大な不仕合わせと破滅そして恨みを招いたことは言うまでもないこと。

 

つまるところそれこそがこの国にとっての最大ネガティブ因子でした。反社会勢力に力を貸すギインさんたち、やはりそれこそが反社会だったということで合点させられました。

「いやはやもはやこの国は・・・」と思うばかりですね。

その精神、まるで良心の底割れをも思える昨今です。

 

昨日は収賄でタイホされてしまった五輪オヤジ、高橋殿に貢いでいた本屋さんKADOKAWA会長殿の「真」の姿が。

この御仁もまた贈賄の疑いということでお縄になったようでやはり79才といいます。

IOCにしろこれからオリンピックで「一旗揚げたい」と目論むお金持ちたちはどう考えているのでしょうかね。やはり「倫理」というものをですよ。

オリンピック=汚職の巣窟というか、またもや日本の大恥を晒しました。

これも底ナシの感。検察はグッド・ジョブ!!

 

数日前のその「79才」は「部下たちを信じている」(賄賂なんか知らない!!)とのたまわっていましたが、何のことはない、主役は手前さん張本人だったというワケで。

まったくイイ歳してウソばっかし。

紳士然、上から目線の物言いもなんてこったぁ・・・御老害の域に到達しているのでしょう。

 

私以上に普通に「棺桶」が近いと思われる皆様方、さぁ今度の保釈金はお幾らになるでしょう。

やりたい放題やらかしてもカネさえ払えばスグ出て来られるというのは、やはり「真のいい国」ですね。

その国は次から次にゲスな連中が姿を現してきます。

そして次はどなたさまが挙げられるのでしょう?

 

さて、西尾一色の安休寺

こちらの真宗大谷派の本堂裏の墓域にも古そうな五輪塔があります。

それが吉良満義、一色有義父子の五輪塔。

三河真宗寺院の中でも歴史の古さというものを思いっきり感じるお寺です。

この時代の領主の領国経営であっても底が割れるほどの自利の主張は見苦しさ満点で憚られたのでは? 

家の恥に繋がりますからね。

今はその恥を恥とも思わなぬ我が物顔、ドヤ顔の振る舞いが大流行り。

 

 

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2022年

9月

14日

36℃の蓮華寺池公園 家康お手植えみかん

太平洋上に台風がバンバン発生してこの先の天候の不安定さが予想できるところ。

沖縄方面では長期間その悪天候にさらされていますので気の毒になってしまいます。

あの地での「台風対策」は相手が強烈パワーだけに早め早めの対応が肝心。

まぁ飛んでいきそうなもの、流されそうなものを「固定」することがその主たる対策ですが、緊縛したり、外したりの連続は疲労度up。

 

今後時間が進むにしたがって台風コースが東よりに、いわゆる本州直行のコースをとるようになりますね。

私の勝手な希望を記させていただくと、私の居る東海ではなく、どこよりも「東京へ行ってくれ・・・」とご案内したくなります。

ド田舎の当地には木造瓦葺の建物が多いですからね。

風雨による屋根の損かいと雨漏りはかないませんし直コースならば台風対策も欠かせません。

頑丈で近代的鉄筋コンクリートの建屋に住まうお金持ちがたくさんいらっしゃるトーキョーならば十分に耐力と許容度があるでしょうし。

 

まぁ、「勝手にしやがれ」。

その空気の動きに、どうこう期待する方もイカれているとは思いますが。

 

先日は、出先にいて私の携帯電話のベルが鳴りました。

すると拙寺の檀家さんから出た家の某さんが亡くなって藤枝の葬儀社に依頼し坊さんも手配済だとのこと。

それならば私に連絡をする必要はまったくないわけですが、その方の父母がそうあったように京都の大谷祖廟に分骨をしたいとの要望で「何とかならないか」というものでした。

その手のこみ入った話を携帯電話で解決策を提案することなど無理な話。

 

そもそも何故にしてこの私の番号を知っているのだ・・・の不思議の方で頭がいっぱいになったものでした。

そして外出中だけに早々にその件、終わりにしたい・・・の気持ちも。

 

というわけで、私の思いつくその大谷祖廟への分骨についてざっと・・・。今となっては少々不親切だったかな・・・とは反省するものの、そもそもその手の件は余裕のある時間にそれも事前に話を詰めておくべきもので、亡くなった時に慌ててすることではナイという思いがあって、その時は、ただ聞かれたことに対しての返答に限定されました。

まぁ親身ではなかったということですね。

仕方なかったとは思っていますが。

 

その分骨には現地受付に申請時に「法名と取次寺の名称が必要になりますよぉ~」と告げました。

他宗派での葬儀を行って、祖廟納骨を行う・・・「ちょっとそれは無理・・・」ですね。

 

「それでは藤枝の大谷派の寺を教えて欲しい」ということになりました。

依頼した葬儀社に寺の変更をチャレンジするような雰囲気でしたね。

というワケで私は「蓮華寺池の蓮生寺です」といって電話を切らせていただきました。

 

自宅に帰って自宅電話機の着信履歴を見るとやはりその際の「携帯」の前にかけていたことがわかりました。

以前のバスツアーにその家の本家筋の分骨がありましたので、私の携帯番号を知らせていましたからその方面からの情報だったのでしょう。

 

世の中には「(そろそろ親の状況が怪しいので)その時は頼む」などと人によっては1年以上も前からそれを告げることがありますが、やはりその時のことはイキナリではなく誰でもある当たり前のことですから、「どうする」は事前に決めておかなくてはね。

子供たちを慌てさせて「どうする」。

 

画像は昨日の午後の蓮華寺池公園。池越しに合掌。

藤の季節にはあまりの混雑で尻尾を巻いて退散したものですが、今の時期は何もなし。残暑の中で人もまばらです。

そして池には蓮の残り花がちらほらと。

 

蓮の種を所望したいと池の端から奥方に「絶対に押すなよ~」と手を伸ばしたりしましたが、ゲットは不可。

カモはうまいことその種を啄んでいましたが。

 

その蓮華寺池公園には家康お手植えみかんを称する樹木があります③④。

以前は気づきませんでしたが駿府城-田中城を経た孫木とのこと。

今度はこっちの方の種をゲットしたくなりましたが・・・

しかし蓮の種なら見逃していただけるかも知れませんがこの木の果実を取れば・・・

「不届き者の仕業」「盗られた」ということになってお咎めを受けることになるでしょうね。

 

⑤奥の屋根が蓮生寺。⑥温度計の数字に唖然。ただし空気が爽やか、真夏の酷暑という感じではありませんでした。

 

 

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2022年

9月

13日

三河一向一揆の件 案外スルー 久世広宣の件

あの川崎幼稚園の最悪なる悲劇は昨日の7時のNHKニュースでもトップ扱い。各局も同様でした。

日本国中大きなインパクトをもたらしました。

無様な管理システムの露呈は歯がゆくもあり、一市民として謝りたくなります。

 

あまりにも「お粗末」ということか幼稚園を管轄する市役所にも全国から怒りの電話やメールが500件以上入っているといいます。

役場ではその対応に時間を割いててんやわんやでしょうね。

最近は市長まで前面に出てきて対応策のコメントを述べるようになっています。収拾がつかないという感。

 

気の毒な女の子の死とその両親の苦痛が近くにあって、私が日々暑いだの(蚊に刺されて)痒いだのとボヤくのもはばかれるようにも感じます。

3歳の子が見殺しになって私のような棺桶に片足を突っ込んだような暇人が日々生かされながら文句を垂れ流しているのですからね。

 

また、やはりお葬式はどうなるのだろう・・・とも思うところ。

きっとたくさんの方たちが見えるでしょうね。大変な事です。

私どもは本堂で手を合わさせていただきましたが・・・。

ゆくゆくそれら情報は入ってくるのでしょう。

 

世の中は今「本物の国葬」(エリザベス女王の逝去)なる語が飛び交っています。

「本物の~」というからには逆に「ニセの~」があるわけでしょう? きっとそれはアレのことでしょうね。

やはりアレはみっともないからやめたいた方がいいのでしょうね。それを「やめられない」ところがまた寒い。反対者多数といいますからね。

亡くなってからも尚「忖度」・・・とは却って死した者へ「恥の上塗り」の如くに見えます。

あの女の子の死とは違って私にはどうでもいいことですが。

 

次回大河ドラマの件。

楽しみではありますがよくよく考えてみれば、三河一向一揆の扱いはごくごくあっさり・・・の感じがします。

家康が味わう試練の一つで些末な出来事ではありませんが・・・。

 

それでいながら何よりその戦さの原因と終結が分りずらい。

その発端の説も色々ありますし、原因の「本物」は隠されているような気もします。

 

というか最近の若年層女性視聴者にウェイトを置いたドラマの製作サイドでもその突っ込んだ演出は難しいと思いますし、まったくその内容を知らないで視ていたとして誤った演出をやらかせば尚更、理解不能になるかも知れません。

 

家康家臣団が家康方と阿弥陀如来方(一向一揆方)に二分されて争うなど普通に考えれば、わかりえないことでしょう。

 

以前から古今東西「一向宗(本願寺教団を他が呼ぶ語)を見誤ると歴史を見誤る」というのが私の持論ですが、まぁ最近のところはともかくとして室町中後期以降その理解が及ばずにしっぺ返しを受けた為政者たちの例は多々ありますからね。

 

一揆方(本願寺門徒多し)対家康による無意味と思われるような戦闘でしたが(結果的に家康と家臣団との結束が強まって家康にとっては悪くない落しどころでした)「どっちが悪い」と決めつけることもできないでしょう。

 

それが家康主役のドラマということもありますし、かといって一揆方の咎を強調するとなると、現状の当流大谷派(その派が圧倒的に多い)に関わる人たちからもその解釈の仕方によっては「クレームが出かねない」とやんわり気を遣うことに。

いわゆる忖度というやつをしなくてはならなくなります。

 

だから「さらっと」なのです。当たり障りのない程度に・・・

大河ドラマは特に宗教系の演出は下手というか苦手に感じるところ大とみえて最近では歴史考証ならぬ仏教(宗教)考証まで製作サイドに入れているようです。

 

ブログでも度々記していますがかつてあった大河ドラマの本願寺顕如演出のシーンで背景に「釈迦如来坐像」と思われる仏像がありました。

思うにあの件は大河製作サイドでも最もトラウマになっているかも知れないような珍事でした。

 

まぁどうでもいい人には大したことが無いと思われるでしょうがさすがに当流の人間が見たら「絶大なる違和感」。

また、最近は特にあのインチキ宗教の不気味が強調されているご時節ですので宗教については我が国に根付いている既存の仏教(新興宗教の語に対して)であるといえどもなかなかうまい具合に描きにくいというところでしょう。

 

もしかして「わかっちゃいない」と思わせるような台詞・演出があったとしたらクレームの電話が集中するかも知れませんね。

 

ただし私の今風に思うところですが三河一向一揆は地元近親者同士の不毛の「殺し合い」であって、残念至極の出来事。

多数の人命が失われた不幸な始末でした。

門徒方まとめ役の寺の僧たちが守護不入権に拘り過ぎ、譲歩案を見出せなかったところは大なる失策だったかと。

 

殊に残念に思うところは同族間分かれての戦いのなか、家康の「恕」があったにしろ(途中で寺方をハメたかと思わせる家康の判定がありました)、一揆を主導した真宗寺院には長期に渡って厳しくあたりましたから。

結局主たる寺たちは破却されたうえ真宗そのものが禁制になり

家臣団には改宗を迫りました。

 

その件、いつも思うところですが、そのせいで三河系にもかかわらず大名旗本系に真宗が残らなかったというところ、如何にも残念な事。

あの事件、三河一向一揆がなかったとしたら・・・

大名家に真宗系は多数あったでしょうね。

タラレバですが宗派的に言っても不毛なる争いだったのでした。

何事もただ戦争をすればイイというものではナイのですよ。

今も昔も。

 

さて、昨日は以前記したブログのその内容について「出所を教えて欲しい」という「便り」がありました。

久世広宣の父広長が一向宗側について戦死し母に連れられ遠州に流れ着いたという件です。

その方は「碧海郡井内村民」とありましたので三河の方でしょうね。

 

かなり前の記事ということとボケが廻って私も一瞬「?」でした。

きっと寛政譜だろうと見廻すもその辺りの記述はナシ(その広宣の件は結構面白い・・・)。

 

そのブログに記した供養塔の並ぶ寺の前には当地周辺では結構有名な安売りスタンド兼マーケットがあって横須賀方面に所要がある際に立ち寄ることがありますが、(奥方は店)私はお寺の境内をブラついたりします。

 

そういえば「こんな掲示板があった」と感じて撮影に至ったのが最近のこと。

それを「これです」という具合に「寺伝でしょう」と安直に昨日はそのブログコメントに返信して画像を追記したのですが、よくよく昔の画像を探してみると、しっかり同じ画像が残っていました。

 

これから夥しい無意味な画像は整理していかないと・・・

バックアップする前に以前の如くHDがクラッシュしそう。

まぁその時はその時。私の棺桶(あるいはゴミ箱)に入れてもらいましょう。

 

③画像はこれまで何度かupしているNHK大河ドラマで使用された石山本願寺の画像。

その前には顕如さん扮する役者が座っている・・・という場面です。

再放送の際には削除されていましたが、あの頃は私は欠かさず録画していましたから・・・

しかし天下のNHKのミス、珍しきことにつき今後も何度かこちらの画像は使わせていただきます。

 

その凡ミスについてミスばかりの私がとやかく言うとこはできませんが、「寺の本尊なんてどこも同じでどうでもイイこと」という思い込みで適当なものを見繕ってきたのでしょうね。

 

私どもの「一向」とは阿弥陀仏オンリーの意で、それも立ち姿に限定というところ、知らない人にはわからない。

また外の方にはどうでもいいこととはいえ、真宗門徒にとっては「それ(他力)しかない」の思想ですので「どうでもよくない」のです。

それがまた「命がけで守るべきもの」だったのですからムキにもなりましょう・・・

まぁ、わからない人にはわかるまい・・・。

 

だから宗教はややこしいと思われてしまうのでしょうね。

無神論を標ぼうするのがスバラシイとお考えの方ばかりの世ですから。

 

 

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2022年

9月

12日

弁解は境内の蚊 襲来に耐え切れず 一色氏発祥地

先日の川崎幼稚園の悲劇の日、あの日は奥方と午前中から境内樹木の剪定やら雑木の伐採、草刈りの作業を行っていました。

 

軽トラ一杯分の伐採材を出して昼前に地頭方へ。

ところが昼過ぎになって何故か二人とも激しい頭痛でダウン。

鎮痛剤を飲んで夕方まで横になっていて、あの事件のニュースを聞いたのが夕方でした。

「熱中症?」の語が頭をよぎりましたが私は「まさか・・・」。

これまでその日以上の炎天下にいても平チャラの態ですから。

 

敢えて理由を2、3あげるとすると・・・

①もう若くない、ジジィになった②そもそも体調がよくなかった③朝から蚊の餌食になった(ヤバいものを注入されまくっていた)・・・ですが私の考えは特に③。

 

雨の多かった最近、境内には無数の蚊どもが特に飛び交っていて、ただ庫裏から車に乗る際の数メートルの移動であっても最悪、数匹の蚊どもに取り付かれる様。

最近は直射日光が当たる場所であっても凄い勢いでやってきます。日陰などに行くなど論外ですね。

 

数十秒後には痒みのイラつきの境地に入るのですが、私は蚊に刺されることを、ただ痒いだけとは思えません。

何か悪いものを感染させられたかも・・・ですね。いつもその不安があります。

あの種は日本国内よりも緯度の低い地域で多くが生息し、多様な病気を媒介していますからね。

ヒトに対して顕著な悪さをしなくとも何某かのウィルスを接種していることに違いない・・・といったところです。

日本の夏の気候も熱帯化しているようですし、最近はそのニュースはないようですが以前デング熱について都内で騒がれていました。

 

私の住まう環境(墓地と木々)に於いて、「人十倍」といっていいほどそいつらの餌食機会があるのでは・・・と思うのですが、今のところは何とか、軽微な症状の発現だけで許されているようです。

松の剪定の際には剪定後の松に火を点けて燻したりもしましたが、奥方には不評。

長袖長ズボンを着込んで防衛手段を考えろ・・・とはいいますが、夏場にそれらを着込むことはムリです。

 

「夏場に外仕事はしないこと。できれば墓にも行かない事。」

それがイイ・・・と勝手に合点するようになってしまった私がいます。

雨の多い夏の終わり、彼らの生息と活動に拍車がかかるよう。

 

とはいいながらも墓参に参ることはありますが蚊どもは衣の裾の下から上に、好き放題にヤラれます。

真夏の間は熱中症、今は蚊が多いから・・・それが私の外仕事をサボる理由ですね。

 

さて、昨日記した一色氏発祥之碑でしたが、あの場所は安休寺の外側の敷地。

そちらにも広い敷地があってやはり寺であることがわかりますが、小ぶりの堂が二つ。そして土饅頭風のトップにある祠がありました。

そしてやはり墓石が。

卵塔の数々からそちらに・・・真宗以外の寺であることがわかります。

隣の石仏の文字は判読できませんがそのお隣にはかつて無茶に接着された跡のある宝篋印塔の残欠が。

そして善寿院なる寺の駐車場の看板。

 

尚、真宗系のお寺にある石塔で宝篋印塔・五輪塔の存在確率は「無くはない」程度で数パーセント。

そして卵塔(無縫塔)の場合となると1%未満でしょうね。

 

こちらのお寺についてはよくわかりませんが、あの石碑があるのはこの敷地になります。

 

 

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2022年

9月

11日

吉良荘一色 安休寺 一色氏発祥の碑

息子のコロナ感染について。

うまいこと完治宣言してくれて仕事に戻っています。

同居人も続いて回復したとのことでまずは安心させられました。

先日までは喉の不調の継続と未知なる後遺症の出現について不安が頭をよぎりましたが、仕事に復帰できたことは何より。

これは若い連中の回復力の良さなのでしょうね。

かといって酷い後遺症で苦しんでいる例も各聞こえてきますので、たまたま得られた上々なのでしょう。

 

さて、昨日は吉良荘の名産雲母(きらら)について記しましたが、一色の産物といえば今は雲母の採掘はないようで海産物にに鰻にお茶。遠州に近い産物になっています。

①は一色のえびせんべいの店の棚飾り。勿論所望しました。

 

そして吉良氏といえば足利義氏の系です。

義氏の子長氏が吉良を名のってから。

吉良氏の所領のうち室町初期に矢作川を境にして西と東に分かれ(西条と東条)て同族間での抗争が始まってしまいます。

応仁文明の乱に至っても東西に分かれて争う始末。

これは他の勢力に付け込まれるにもってこいの状況になるわけです。

家康が三河統一となった、その利があったことは優に推測できるところでしょうね。

 

親というものはその兄弟に「末永く相互に補完し合って家を盛り立てて欲しい」との意思で領地を分割し分家を興させるなどままありますが時としてその願い空しく相互に牽制し争って弱体するというのもその歴史。

その例がこちらにもあったといいます。

 

室町幕府内でも最有力系統の吉良氏でしたが、その分家筋の今川氏(吉良長氏の次男国氏が幡豆郡今川庄を領してからの名のり)に屈服させられ隣国尾張織田からも攻め立てられるなどいわゆる旧態依然の領国経営もその「家」というものの存続への障害になったことでしょう。

 

一色氏は足利義氏の嫡男足利泰氏の子一色公深から始まります。吉良荘一色の地を本貫としたので一色氏。鎌倉時代のことです

ちなみに義氏の子らに斯波家氏、渋川義顕、足利頼氏、石塔、上野、小俣、加古の名もあります。公深は七番目の男というわけで。

 

 

室町期、一色氏は幕府の「四職」(他に赤松・京極・山名)の一家にも数えられるほど足利家でも顔役、いわゆる名家中の名家です。

 

昨日記させていただいた安休寺雲英家表札の番地を今一度記してみます。「一色町大字一色字中屋敷二番地」です。

普通に考えてこの安休寺あるいはその周囲に一色家の屋敷(城塞)があったことを推測してしまいます。

 

②画像は寺の門前へ通じる道ですが、通りから入って直線ではナシ。この手のクランクは寺には不自然。喰違虎口の痕跡かなどと考えてしまいます。

③④は安休寺に隣接する場所から。

一色氏発祥の地の標があります。

 

概略転記すれば

「一色氏始祖公深は~

足利奏氏の七男 桜井判官代俊光(その娘が奏氏妻、公深の母)の所領吉良庄の地頭を譲られ・・・」。

この公深の奥さんが上記今川国氏の娘ですね。

まったくもって登場人物が多すぎて複雑すぎ・・・

 

 

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2022年

9月

10日

雲母は「きらら」で吉良と雲英 雲母の産地 幡豆郡

やむことはないですね。

マイナーな牧之原という地を「超」が×3くらいつくほどに名を知らしめてしまった川崎幼稚園の不祥事ですが組織というものの脆さと、いとも簡単に崩壊していく姿を垣間見た思いです。

これまで築いて来た名誉も地元へ貢献してきたという自負というものも灰燼に帰したということでしょうね。

残ったものといえば恥と懺悔でしょうか。

 

それでもあの記者会見をもって全国視聴者批評家から激しいバッシングの嵐を起こしてしまうくらいの無反省を思わせる態様と無神経さからするとその懺悔の心はひょっとしてナイのかも・・・などと感じてしまいました。

弁護するとすればのんびりとした風土に醸成された人間の性質と高齢にありがちな無頓着さ。

 

東京五輪の贈収賄で挙げられた者たちの羞恥もそうですがやはり「70代後半は鬼門」とふっと思った次第。

まぁ「そこまで生かされたのだからいいじゃねぇか・・・」という意見もありましょうが、これから私がその「鬼門」に向かって順風なる人生を戴くことができたとしてその頃「どんな私があるのか」甚だギモンになります。

歳の重ね方にも責任があるということです。

あらためて考えさせられました。

 

さて、昨日お茶の水女子大学附属幼稚園の初代監事(園長)の 

関信三(1843~1879)について記しましたが彼は幡豆郡一色の大谷派安休寺出身の僧侶でした。

実はこちらのお寺の住職の姓は「雲英」です。

確かその「関信三」の名は改名3回目。当初は「雲英猶龍」と名のっていました。

明治政府のキリスト教宗旨探索のスパイ活動に投じられた際の変更と思われます。

 

ちなみに寺の継嗣となった彼の兄が「雲英晃耀」(きらこうよう画像⑤)です。

やはり明治のキリスト禁教と廃仏毀釈の中で起こった事件、三河大浜騒動の事後処理で動いた真宗学者ですね。 

しかしこの名「雲英」は奥が深いというか、初めての方は読めないかもしれません。

 

今年は石川台嶺の企画展があった西尾岩瀬文庫(こちら)でしたがそちらから東へ古矢作川を渡って幸田方面に向かいますと、その川の手前に低めの山があってそれが八ツ面山。

今は廃坑になっていますがかつてこちらは雲母の採掘がされていた地でした。

古くから幡豆郡と言えば鉱物の「雲母」だったわけで。

 

この雲母、地元の古い呼び名が「きらら」。

今は「西尾」と呼ばれる地ですが以前と言えば「吉良」ですね。

年末お馴染み、忠臣蔵の悪役「吉良」です。

ちなみに西尾でその吉良の悪口を言ったら白い目で見られることは間違いありません。

「あのストーリーはすべて誤解」。演劇によって演出、吹聴されたもの・・・ということです。

 

ということで吉良姓の発祥は地元の産物として「きらら-雲母」が有名だったから・・・と言われます。

世間にその名を知らしめていたことがわかる記述が、「参河史」の産物を紹介しているところにあります⑦⑧。

続日本紀から始まるという歴史の古さよ。和名「きらら」も。

あのキラキラに魅了されていたのでした。

 

そして奥方が「それこそキラキラネーム」と驚愕した名のりの変遷ですが「雲母きらら→吉良きら→雲英きら」にはやはり感激させられます。

雲英晃耀師の名を眺めなおしてみれば「きら きらきら」の様

まったく凄い並びです。

 

初めて来訪した際、あまりに感動して失礼ながらも庫裏の表札にカメラを向けたことを覚えています。

 

 

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2022年

9月

09日

西尾 安休寺の関信三 日本初の幼稚園長

連日各放送局の番組に姿を晒すあの送迎バス、場所によっては「猫バス」などとの名称でまさにそれっぽい園児が「乗りたい」と思わせるような装飾を施しているものもありますが、特にあの問題となったバスには窓がナイのでした。

というか塗装が車体だけでなく窓にまで描かれていたということですが、この送迎バス全体に描くというやりかたを始めたのはあの理事長さんだったとのこと。

 

子供ウケがイイということで各園にそれを広めたとともいいますが、今スグ稼働中の送迎車の窓塗装は止めるべきですね。

たとえそのとき、理事長さんが車内未確認で外に出たとしても窓から中の様子が一瞬でも目に入り、女の子の存在に気付くことができたかも知れません。

また取り残されたとしても車中から外に向かって手を振るなどしてアピールすることもできましょう。 

あの装飾は外向きには子供たちに可愛さばかりを振りまいていますが内部といえばまさに結果的に密室監禁の場。

 

あの理事長さんは交通安全活動等で警察関係への出入りがあったといいますが、警察からはあの送迎バスの窓塗装への警告は無かったのか首を傾げるところ。

そもそもアレで車検が通るものなのでしょうかねぇ。

以前は窓にスモークフィルムを貼っただけでご指導を受けた方を知っていますが・・・

 

民放の情報番組を流し見していると実際に都内の幼稚園の先生を呼んできて問題の幼稚園との比較と所感をコメントしてもらっていましたが、まずは普通とは違う杜撰さを指摘していましたね。

 

その中でお茶の水女子大学附属幼稚園からその理事長さんらしき方が招かれている番組をたまたま視聴しました。

さすが「幼児教育はコレ」といった権威を引っ張ってくるものだと感心しましたが、このお茶の水女子大学附属幼稚園の初代監事(園長)が関信三(1843~1879)という人です(最後の画像)。

 

明治のドサクサの中、ドイツの教育学者、世界初の幼稚園を創った「フリードリヒ・フレーベル」という人と出会ってその幼少時教育思想を日本に持ち込み全国に広げた第一人者。

その人は真宗大谷派の僧侶ですね。

お寺は三河、西尾~幡豆郡一色町~の安休寺(場所はこちら)ですが、この寺は三河では学者肌の人物を輩出する名のある寺です。

 

彼は寺の末子に生まれましたので僧侶といっても当初より活動は自由だったかと。

しかし相当頭はキレたのでしょうね。

当初は明治政府からの指令によって国内キリスト教団体に潜入して間諜活動をし(当初キリスト教は得体のしれぬヤバい宗教と考えられていました)また、本山に上がって門主(現如さん)のイギリス行脚に随行したり・・・帰国してからは東京女子高等師範学校の英語教師になってそちらで日本初の幼稚園を創設したのでした。

惜しいかな36歳の生涯でしたがその歴史には欠かせない人でした。

 

以前ブログでは高倉学寮の幼稚園の併設されている図を記したことがありましたが関信三は高倉学寮の寮司(トップ)にまでなっていました。

米国人のキリスト教神父の元で(スパイ活動)英語を習得、ドイツ人の幼児教育を日本に伝え、それまでの日本には考えられないような施設を創る・・・三河門徒中、臨機応変の相当のキレ者でしょう。

 

境内鐘楼には例の突っかえ棒が・・・

 

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2022年

9月

08日

干拓地旧菱池の東側 日昇の地 廣福寺の古仏

以前、都内のある場所で「牧之原市ってどこですか?」なる質問を受けて、クサクサしながら「御前崎の手前・・・」と説明した覚えがあります。そして「田舎です」でしたね。

その説明もかなりアバウトなもので殆ど「まぁ知ったこっちゃあない」(聞くんじゃなかった・・・)といったところ、相手の顔からうかがい知れたものでした。

 

そこへ来てあの幼稚園の事案。

昨日も各局競い合ってその画面に「牧之原市」のテロップ入りで連呼していました。

奥方は「一躍全国区に躍り出たものだ・・・」と皮肉っていましたが、あの記者会見を見て「なんともいやはや・・・」の感。

私の気持ちとしては「あの件触れるのはよそう」とは思っていたものの、あの会見がすべてご当地限定、こちらならではの人の性質(タチ)などと思われるのも癪ですからね。

 

それぞれの担当(人間)のミスの連鎖の結果でしたが、関係者でもなく普段間違いを積み重ねている私がそれをどうこうと非難することなどはできません。

しかし敢えて記させていただければ自身管理責任者(最高責任者)でかつ今回の最大失策ストーリーの主人公としての会見の謝罪と内容説明ではなかったような気がしてなりません。

奥方は溜息をつきながら「牧之原市民すべてが針の筵。こっちまでバッシングを受けそうだ・・・」と。

 

一番に思ったこと。

トークと内容についてはともかくとしてまず自身の席の隣に幼稚園に直接関係のない弁護士2名を侍らすなど特に首を傾げるところでした。

自分の弁では間に合いそうもないので「タノム」とこの期に及んでの保身が垣間見れましたし、頭数を合わせた・・・とも。

記者会見とはそういうものであるとの錯覚の為せるところか。

故人の名前を間違えて発するころなども凍り付きましたね。

 

車内高温の中、その存在を忘れ去られ亡くなった女の子の水筒の中身はカラだったといいます。

3歳の女の子の苦悶もそうですが、両親の受けたその現実、厳しい結末に対する悔しさ、痛み、悲しみそして怒りが伝わってきます。

 

さて、昨日は幸田の菱池について記しました。

明治になって埋め立てられる前までは野場西城の東に広がる湖だったわけですが野場から望めばまさに日が昇る方向です。

 

当然の如くその菱池の干拓地を歩いても歴史的遺構というものは皆無です。

私が幸田方面に向かう場合国道一号、本宿から岡崎寄りの山中(地名)から左折、のんびりと山越えで向かうことがありますが、幸田の平地に下るにあたってかつてはその西側に湖が見えていたというようなシチュエーション。

そこが大草という地になります。

平地に下りて幸田の六栗明善寺方向に向かうにはやはり国道1号美会から南下する道に当たりますのでそちらを左折します。

そちらには大谷派の廣福寺がありますのでさらっと立ち寄ってお参りしました(場所はこちら)。

 

山号が「大照山」で当地の「日の出」を思います。

丁度、野場西城の真東あたりになるでしょうか。

本堂裏に廻りこんで御当家墓地にお参りすると、その脇に宝篋印塔と五輪塔の残欠が。

同様の石材ベースが三基並ぶ図ですが隅飾りからの上、相輪部分は欠損。

宝篋印塔が代々に渡って製作されていたと解釈すると土豪・国人クラス、ある程度の資金に恵まれた家というものを推測します。

 

真宗寺院でこのタイプの石塔があるということは、少なくとも拙寺よりも創建が古いということがわかりますし、天台あたりからの宗旨替えの歴史なども考えられます(詳細は不明です)。

地域差は各あるものの、当流では江戸期以降に五輪塔、宝篋印塔の製作はありません。その新設建碑に関してはやんわりと「それはムリ~」とお断りしますが・・・

敢えてそれを記せば基本、真言系の標がその始まりだからですね。歴史上、(資産家、武家階層の)墓と言えばそれ・・・というイメージが広がった時代もありました。

 

やはり本堂の裏には鉄製の突っかえ棒がありました。

拙寺本堂の裏には直下に墓石が並んでいますからそれを敷設するのはムリです。残念。

 

 

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2022年

9月

07日

野場城北側から東 現在の広田田園とは菱池の干拓地

これでもかというくらいに当市牧之原の名が連呼されていました。各放送局が大挙して彼の地の画像を中継し、見覚えのある風景が映し出されていましたが、内容が内容だけに視聴している側としては実に気分が冴えません。

 

それは当市にかかわる人ならば誰もが思うことでしょうし、彼の施設は市内榛原地区、幼少時教育の中心的存在。

結果として何とも悔いの残るやるせない結末を惹起させてしまったのですが、その関係者に近しい方々も多くいらっしゃって、一言で市内全体「悶々としている」というような状況でしょうか。

厳しい言葉ですが、ただただ「受け入れるしかない」のでしょうね。すべてのことが今となっては「及ばない」のですから。

 

さて、三河幸田の六栗から野田について記していながら、地形についてその特筆すべき歴史を記すことを失念していました。

実は幸田語源となる「広田川」は現在の広田田園という広大な平坦地を沿って流れますが、この田園風景は明治期に干拓された「菱池」と呼ばれる湖沼がありました。

残っていれば愛知県最大の湖。

マップにもその「菱池」の名称が記されています。

 

先日は野田西城野田東城の図を記しましたが、ちょうど池の推測地としては野場西城の北側から東側、野場東城の東側にかけて池と湿地帯が広がっていたのでした。

野場東城では字名「米倉」から米蔵の推測、近くの田園からの収穫収納のためとの推測を記しました。水が近いということは稲作には最適な場所ということもありますからね。

田と池の境界がどの辺りかは判然としませんが、とにかくあの野場東城の東側には湖が広がっていたはずです。

 

夏目次郎左衛門吉信が籠城捕縛の地として本拠六栗城だったかこの野場西城かとの説がありますが、その野場西城(③画像B  野場東城A 丸山古墳C)は北側から東に掛けて湖に面し、湖面が迫っていたか湿地帯だったということになります。

よってあの円形状を思わす野場西城籠城の守りは南と西の2方向のみに力を入れればOKということになります。

そこに集中して守備ができれば比較的持ち応え度がupするでしょうね。

小舟の用意でもあればイザというときの逃走の件も上々の立地だったかも。

また北の岡崎方面から幸田に進むには池の存在があるためあの丸山古墳からの図の通り、この細い街道を南下しなくてはなりませんので野場西城の存在は一定の脅威があったかと。

 

そして夏目の対深溝松平の南側からの攻めで六栗城での籠城となれば、六栗周辺の小さな湖沼と河川を見立てた堀の存在は推測できますが、本丸を同時に四方から攻め立てられれば逃げ場もナシ、長期籠城には厳しいかも知れませんね。

 

その件記しているうちに夏目の籠城の史実は六栗よりも野田が正解のような気がしてきました。では何故にして舟で逃げなかったのでしょう・・・どうでもいいようなことに思いを巡らしています。

 

 

 

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2022年

9月

06日

拙寺の時太鼓 横須賀藩西尾忠移を迂回して寄贈

昨日は当牧之原市が全国ニュースで何度も取り上げられていました。

1件は将棋の件。

あの青年棋士のおやつだ昼食だの件でいたってお気楽なニュース。

そしてあと一つはその真逆、幼稚園児の送迎バスでの痛ましい死亡事案でした。

まったく気の毒なことで関係者ならずとも市民一同いたたまれない気持ちでいっぱいでしょう。

 

日頃、私は「人間はミスを犯すものである」というのが持論で常時「間抜けな私」との対立があって冷や冷やすることばかりですが、あそこは特に念には念をいれるべき大層な責任の伴う場所です。

 

がっかりですが記すことにします。

その件、やはり漫然とした管理による「大丈夫」の風を想像してしまいます。

かつて同様の事案がやはりありました。

同じことを繰り返すことを見せつけられて思うことは、私たち人間の組織とそのシステム、その心(「私に限っては大丈夫・・・」)というものを今一度疑ってかかるべきかと思うのでした。

 

そして「私の生死」の件と同時に「いつ何時、他者の命を奪うか」もわからないということも。

きっと、それら「まさかの坂」は身近であって気づきにくい所に転がっているはずです。

なにより同時にまたこれまで、うまいこと生かされて何気なく過ごしてきたきたことの有難さに気づくべきですね。

それがまた「幸せ」であることを。

 

ちなみに話が大きく飛びます。

今流行りもののインチキ、ペテン宗教ともなるとその「幸せ」とか「幸福」という字面をやたらと使いたがるものです。

釣りのエサにするかの如くに乱発します。

本当の「仕合わせ」とは「通常なる今の継続」であって上を望みそこに達することではナイのですが。

決して権威とか蓄財を求めて、それを成就することなどではありません。

只今の私の平穏無事健勝を歓び・・・そしてその時、ことごとは「まかせる」というスタンスが大事なのですが。

 

まず「幸」という文字を旗印に何かを勧める者を承認してはイケないというのが鉄則ですよ。

承認しない・・・信じてはイケないということです。

その語はそれを吐く人間の質を表すヒントになります。

まず一番に疑ってかかることそこにピンとくるということ。

 

また、反意のネガティブ用語(悪魔 サタン)を使いたがるのも稚拙な誘導でいわゆる漫画チック。

どうかその手の幼稚なトリックに引っかからないでいただきたい。みなさんそのことになると何故か真面目過ぎなのです。

まぁ私から言わせれば無宗教感覚が隙というものを作ったとしか言いようがありませんが。

 

さて、拙寺本堂の梁に無意味に吊るされた太鼓の件。

時折参拝者がジャンプして手で叩く程度でその使用は未だかつてありません。その目的もナシ。

 

太鼓の革を張り替えろ(緩んで音が悪い・・・)などと時に言われますが、それを仕立てる意味というものがまったくありません。

ただし、太鼓にはその中に、大工の名や所縁の裏書などがあるものですからそれを見てみたいといえば見てみたい。

予算がありませんのでそれは着手せず、これまで通り吊り下げたまま「叩いてみたい」という小さい子がいたらキンを叩く撥を貸し与えて打たせてあげるくらいです。

 

この太鼓は拙寺の太子堂跡の件記された書面(そちらの画像②)にも触れていました。

「西尾隠岐守」とあります。

その人が横須賀藩の4代藩主西尾忠移(ただゆき)、妻は田沼意次の娘です。

 

意次失脚後、義理父の城、相良城の破却を命じられますが、松平定信の厳命が、「材は相良以外の地で処分すべし」でした。

相良城の時太鼓を横須賀藩が一旦回収し、後日(おそらく松平の老中失脚後か)拙寺に寄贈したという経緯があります。

横須賀に置くよりも相良に戻すこと、それが西尾忠移の意向だったのでしょう。元通り・・・それが太鼓にとっての仕合わせ。

 

相良では太鼓と言えばお菓子(最中)にもなっている「陣太鼓」が般若寺にありますが、うまいこと元の相良に戻れたという奇特の件勘案すると、この太鼓にはかねてスポットライトは当たったことがありませんが、その辿った歴史は案外特筆すべきところかと思います。

 

しかし、あの太鼓がどのくらいの重量なのかはわかりませんが、下ろしたり上げたりすることの面倒くささ、考えるだけでもイヤになります。

そして太鼓を縛り付けてあるあのロープと金具の耐力についても不安です。

その真下で皆さんが寛いでいますので。

もし落ちたら太鼓も割れそう。

誰だよ、あそこに吊るしたのは・・・

 

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2022年

9月

05日

納骨堂は太子堂 善巧寺 矢でも鉄砲でも 魚屋宗五郎

一昨晩の花火の爆音であの美声の鳥のつがいの消息が気になりましたが、昨日しっかりとその声が境内に響き渡ってまずは安心した次第。

結局この二日間寺に籠りっきりで人とも会わず仕舞い。

奥方は買い物に出向いていましたが・・・

 

花ガラ入れのバックを見れば一目瞭然、本日も参拝者少なし。

まぁ二つばかりその花ガラバックを処理場に持ち込むことにします。また雨が降りそうですからね。

 

というわけで私は少々の草刈りと少々の除草剤の散布以外の時間は殆どテレビの前。

MLBに張り付いて、HD録りだめのものを視聴していました。

夕刻にはNHKのさかな君の番組を視聴しながら、先般はその番組に前後して「カマキリ先生」の番組があり、その際は次回「秋の昆虫」の番組を予告していたものだ・・・などとふっと。

予定は未定、先のことなどまったくわからないものだとつくづく感じたものです。お蔵入りになったようです。製作費の損失は受信料からですが回収できるのかな。

人間の行いとは儚いねぇ・・・。生き死に関係なく。

 

余計な事を記すと、さかなくんのキャラならば悪酔いして不祥事を起こすことなど考えられません。「NHKからすれば安心して使えるのでは・・・」などと。NHKもそんな傾向がいよいよ強まるのでは・・・。

またカマキリ先生は昆虫がダメならば「魚一本で・・・」でイケば・・・。

カマキリ先生も昆虫キャラをすてて「魚」に鞍替えすれば・・・とも考えた次第。

それが江戸っ子の「魚屋宗五郎」(歌舞伎演目 元は「番町皿屋敷」)。

カマキリ先生ならでは。まさにハマリ役なのでは。

人によっては「酒癖の悪さ」が前面に出て、それが半端なく自他を乱れさせる(「矢でも鉄砲でも持って来やがれ」)といったお芝居です。

 

ちなみに「江戸っ子」とわざわざ記したのはその演目での台詞。「すっこんでろ」「しやでいいから~(持ってこい)」が耳に残っています。

「ひっこんでろ」「冷や(酒)でいいから」、「ひ」→「し」(す)の発音。

 

さて、善巧寺の続き。

あの鐘楼の隣には納骨堂の建屋があって扉が開いています。

きっと天気の良い日限定で日々開け閉めをされているのではないでしょうか。

中には聖徳太子像が参拝者を見下ろしています。

太子堂を兼ねた納骨堂なのでしょうね。

私の知り得るところでは聖徳太子のいらっしゃるお堂というと大谷派よりも本願寺派の方に多いような気がします。

 

拙寺でいえば以前記した通り成瀬隼人正より寄進された太子堂木像は風災による流出しています。

ちなみに拙寺の木造はなみさん寄進の像。似ていますね。

 

鐘楼と水屋の間にあるのは善巧と同様の位置関係。

拙寺の書面は明治期のものですが、あの当時は山門が無かったということです。

山門は安政の大地震で崩落したあと空白期があって今ある山門の再建は大正期に入ってから。

 

 

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2022年

9月

04日

月下美人咲いた 青黄赤白をMIXすると 善巧寺本堂 

台風11号のせいで東海地区が大雨となったのは一昨日。

たぶん昨日も同じような空模様かと思いきや当地は一日中いいお天気。

毎年やってきて朝夕になるとことのほか良声を響かせるつがいの鳥が境内に生息していますが、この日は昼間にも囀りまくっていました。

まるで何か訴えかけるかの如くのおしゃべりの連続を思いますが、ひょっとすると私への「忠告」かと「聞きなし」。

しかし哀れにも私には気づけない・・・。

敢えて感じることと言えば「仕事しろ!!」でしょうか。

 

牧之原市の昨日のコロナ感染者は65人。

日本全国も静岡県も減少感あるのですが、なぜか当地はその感覚とは程遠いものがあります。

ということで法事は「今慌てて行うことではナイ」ということなのでしょうかこの9月の法要予定は至上極稀の2件。土曜の晴れとあっても墓参はとても少ないですね。

毎日市内でそれだけの感染者の数を叩き出しているのですから「怖くて集まれない」というところでしょうか。

まぁ感染していたらどこにも出る気にはなれませんが。

 

それでも昨晩、当地では花火が打ち上げられていました。

無理してそれを開催して感染者を増やすことはないのでは・・・

当家ではネコどもがその爆音を聞いて室内を恐懼走り回る姿を見ることになりますので甚だ迷惑です。

それよりあの鳥たちは大丈夫なのか心配になってしまいます。

 

さて、昨日の善巧寺本堂へお参りに。

須弥壇荘厳は本派ならではの煌びやかさ。

③の文言は当流拝読機会の多い阿弥陀経④の一節からですね。

 

私が経典のこちらの箇所に至った時、今思い起こすのがウクライナとロシアの諍いです。

この青色・黄色・赤色・白色のしつこく色の種をあげるところ、人には「人種主義主張の違い」があるのは当たり前「ともにその違いによって抗い制すること勿れ」・・・を示唆する箇所ですが、その4色を組み合わせながら両国の国旗を思うのでした。

 

⑤⑥は昨晩玄関内に招いた月下美人。いつもは外に放置しています。「今晩あたり」を見計らって・・・

白色白光の絶妙で、香りも微妙(④阿弥陀経)。

「香り」と「白光」を独占するために・・・

日没後に咲き日の出とともにしおれ香りもなくなるという特異な花です。

咲く前の葉の様子は虫に喰われていかにも「だらー」っとした厚く美しくない葉。

 

それが人目に触れぬ夜に、まるでこっそりと咲くというのは唯我独尊。

人・物を一見したところの感覚でその良し悪しを判断することがいかに間違いであるかを知らされるのです。

 

そして子供や人の育て方も・・・

ゼロが100、いやそれ以上に変化する感覚、それがこの白光ですね。

 

 

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2022年

9月

03日

広田川より低位かも 永良山善巧寺の鐘楼

台風11号の迷走(南下)と東シナ海停滞には意表を突かれましたね。

再び北上してきますので沖縄本島も先島諸島もダブルで、長時間、何もできない籠りっきりの生活になるわけで。

その台風の影響で昨日の遠州、浜松方面はデタラメな雨が降って天竜川の支流が溢れていました。ちなみに当地相良は殆ど降雨なし。

 

沖縄の地元の皆さんも出漁できない(最長2週間)など困りきっているのですが、それはまぁ毎度の事といえば毎度の事。

しかしそれが「初めて」である人たちの件、私は何度もそういう時のツアー客の泣きっ面の状況を見送ってきました。

その旅行はまさに苦痛以外の何物でもないでしょうね。

 

事前のヒント~台風発生と進路予報~がありそれを承知しての沖縄入りだったことはわかります。

その出立の際といえばまだ飛行機は飛んでいますし、そこでの直前キャンセルは100%、いわゆる全損になりますからね。

「もしかして予報コースが変わるかも」などの楽観も頭の中を闊歩します。

 

ということで一家で沖縄入り、予想は大当たりの沖縄直コースとなれば、ビーチのお遊びに観光もパー。青い空に青い海の清々しさもナシ。

がっかり連続の後、やれやれ、さぁ帰還とばかりに空港に向かえば飛行機は飛ばず、大挙する帰還難民による最短の出発便のキャンセル待ちの行列に並ぶことになります。

 

まずその飛行機に家族全員一緒に搭乗するなどいうのは夢のまた夢。

今のご時節、同じように来沖している観光客がどれほどいるか。航空会社に「飛行機を飛ばせ、増便しろ」など気持ちはわかりますが無理なものは無理ですね。

只管その有り余った時間を反省と後悔に使うというわけで。

よって苦痛の上に苦痛を更に重ねるというのがこの沖縄名物台風ツアー客の悲劇なのでした。

 

今回の長期間に渡る台風の嫌がらせについてもやはり空港待機の時間は増えるわけで。

よって夏場の沖縄ツアーの際には今後有り得る最大の苦痛というものを理解、想定し、運悪く台風の気配があった場合キャンセル料100%の損で手を打つというのも一つの策となりますね。

最近では台風保険などもあるようですが。

 

毎度私は沖縄に行くなら梅雨明け直後の6/23~7月初旬(今年は雨が多かったのですが)というのはその台風到来の確率が少ないからですね。美しいリゾートの快適の裏にはそれが控えていることを。

お盆休みから9月の選択は絶対にありません。

あり得ないほどの苦痛を味わうということをツアー客は御存じないのでした。

沖縄ツアー、それは・・・博打のようなものです。

 

旅行会社はそういったネガティブな情報は伝えません。

ブログでは時折、思いついたように台風について記していますが、あそこを通過する台風(日々勢力upする海域です)を甘く見てはイケません。

私の経験した最強だった915hpの台風が過ぎたあとの景色は一変していました。

コンクリート鉄筋入り電信柱は根元から折れ、船は道に打ち上げられて、立っているものはすべて倒れているような感じでした。

 

私が沖縄在住の際そんな台風をやり過ごす時は意外にお気楽。

借家はコンクリート製で頑丈、ただひたすら耐えるだけです。

その「お気楽」というのは「失うものが何もない」ということ。

敢えていえば命の他には外に駐車している車ぐらい。自身の家や船を持つ方たちは冷や冷やでしたから。

 

ところが今、私にはお寺があります。

つくづくそんな厄介者がこちらに来られることは甚だ迷惑。

逃げたいくらい。

管理者、責任者としては頭が痛いものがあります。

 

最近は世界各地の天変地異の状況を目に焼き付けられているのです。そんな猛烈勢力の台風に関して日本本土に至るまでに減衰するというパターンを見ていますがまったくそうなるとは限りません。強いままやってくるということです。

私はそんな異常な台風が「そろそろある・・・」と考えています。猛烈大型の直コースが。

 

前例を記せばそれが伊勢湾台風。

私の記憶には当然ながらありませんが(昭和34年)三河の西側を北上した「猛烈で大型」の台風です。いわゆる「コースの右」という位置関係の台風でした。

発生当初は1000hp程度であって天気図を書く人なら台風としては「大したことない低圧帯」-ただの空気-程度と高をくくりたくなる台風でした。

それが何故・・・というくらいに瞬く間に勢力を増して最高で895hpだったといいますので驚異的。 

私が沖縄で味わったのと同様の900台前半の縦断がかつてあったのでした。

 

拙ブログでも何度かその台風の名を記していますが三河のお寺たちを拝見していて「二度とその被害を味わいたくない」といった本堂、鐘楼、山門などへの補強対策の様が伝わってきます。

 

それに対して拙寺の場合は台風・地震対策は今のところナシ。

本堂には多少の手を入れていますが・・・

人間というものは一回ビシっと痛い思いをしないと重い腰があげられないものですが、私も例に漏れず。

何とかしたい気持ちはあります、ただただ暫く暫く、お待ちいただきたい。

 

さて先日は幸田の六栗城で幸田は広田川からと記しましたが(昨日の野場東城の赤川もその支流)広田川の歴史はその氾濫水没と堤防修復の歴史とも。在地に住まう人々の苦難の連続が想像できます。

 

広田川といえばその川越しに見た加藤嘉明生誕地の碑があった 上永良神明社について記しましたがやはりこの広田川近くに永良山という山号を持つ本願寺派のお寺「善巧寺」(場所はこちら)があります。

 

将に広田川の土手の脇の下という感じ。

平常時の川の水面と同じか、ひょっとしてそれよりも低いとも思わせるような場所です。

 

いつものようにお参りしてから境内をブラつかせていただきました。

そして鐘楼の「突っかえ棒」に着目。

最近の私の気になるところです。

どのような機会にこの鉄の支柱を設けたかわかりませんが、重たい瓦に鐘をぶら下げた鐘楼は地震と水流には脆いということです。倒壊する前、予測しうる失態の前に先回りして手を打つ、それが良識者の心得か。

 

④は寺山門の前の土手の上から。

 

 

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2022年

9月

02日

新幹線と墓地 野場東城址推定地 法然さんの酒の件 

結構にあのNHKの変な番組、「カマキリ先生」の昆虫番組は嫌いではありませんでしたね。

他の彼の出ている番組は見たことがありませんでしたが。

ただし昆虫好きはわかりますが殺虫剤のCMに登場していることにはその脈略の無さに疑問は感じていましたが・・・

 

その芸人さんの酒の席での醜態が暴露されてこれからその手の番組やら各CMから姿を消していくようですね。

まぁ酒席での破廉恥の責任を取るということになります。

 

私は「何という恵運」と周囲が感嘆してしまう専らの下戸ということもあってその趣向での「間違い」の心配はありません。

友人からは「素面というのがもっと恐ろしい」とも言われますし、酒の習慣があったら「今頃生きていられない」支離滅裂、終始「酔っている」とも。

ということで若い頃から御一同誰もが怪しかったと反省する飲酒や酒気帯び運転も当然に経験なく私はいつも運転手。

 

一昔前だとその酒に対する世間様の許容度は高くて、飲酒運転なども「ちょっとくらいなら」事故さえ起さなければOK!!くらいの気持ちで殆どの人たちが気軽にハンドルを握っていたものです。

そして酒場でハメを外して何かやらかすことも余程の事がない限り「なーなー」で済んだものでした。

 

その酒好きの皆さんは私の友人にも多く、そしてそのアルコールが惹起する性質の豹変を幾度も目にしてきたところです。

下戸のくせに酒の場にちょろちょろしたのは学生時代の「合同コンパ」とやらに顔を出すという機会がままあったからで、そういう場に足を運ぶこと、さほど苦に感じないからです。

 

まぁ、ああいう場でジュース(まだウーロン茶がない時代)などをちびちび飲んでいることには違和感がありましたがね。

 

拙ブログではその酒への宗旨的許容については幾度か記しています。他流で御馴染み、山門の「不許葷酒」「禁葷酒山門」などの結界については「無い」ということ。

 

親鸞さんは酒というと「無明の酒に酔ひて」(親鸞聖人御消息)

と酒に「無明」という形容付きで記しています。

無明とは「無明の闇」(教行信証)のこと。

まぁ酒は「飲まない方がいいかも知れないが飲んだとしても無明に陥らないようにね・・・」でしょうか。

自己を忘れてハチャメチャにならなければ・・・ですがそれがまた人によっては難しいことになりますね。

 

よって蓮如さんも酒をふるまうなどその許容度は高かったのですが、親鸞さんの善智識、法然さんはというと・・・

「お酒は仏教の戒律にあるのでダメでしょうねぇ?」といった質問に対しての回答

「まことは のむへくもなけれとも この世のならひ」

でした。

 

要は酒と自己の性格との関係と色々「わきまえる」こと必要だということ。それならOK・・・世のならいだから・・・

戒律などありませんからね。お好きにどうぞ・・・

そして現代は、その酒で乱れることの許容度はどんどん低くなっているということも念頭に入れておかなくては。

人生台無しの例を限りなく見せつけられています。

 

さて、昨日は幸田の野場西城について記しました。

地図を眺めているとその周囲の字名に「城」「城下」「城東」等が見られそのかつての城址の存在がより一層推測されるところですが、昨日も記したとおり、こちらには今一つ、野場東城という城址の件が伝わっています(場所はこちら)。

 

下図の航空図からすると背後を南側から張り出した台地の先端の平坦部、先日記した丸山古墳からの街道を抑えようとする場所になります。

地形としては街道が丘の直下を走ってその城があったと言われる地はむしろ低地。

ぱっと見て要害性はまったくナシ。

字名は「米倉」ですから想像するに「米蔵」。

東側の低湿地の田園地帯の収穫物をプールするための集積場としての付属的施設(城塞)だったのかも知れません。

 

今は新幹線(野場西城①画像にも見えます)と墓地に埋もれているようです。

⑤⑥赤川と米倉橋。

河川を掘に見立ててみました。

山本氏の城といいますし、夏目が籠って捕縛されたのはこちらだったという説もまたあります。

 

私は六栗城の地形が一番に籠りやすく逃げやすいと思うのですが・・・

 

 

 

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2022年

9月

01日

上塁宅地化 残存する大須賀一統の野場西城土塁   

人間社会、特に政治に地球上の自然まで不条理が満ち満ちています。

ということから世の中は人々の愚痴の数々に覆われているのですが、思うに世界の極度の乾燥と大雨洪水の両極端で喘ぐ人々の姿を見て「中位ってものがほしい・・・」などと声をあげたくなります。

 

ブログでも以前「中の字」(こちらも)について記しましたが先人たちの「そうあればいいな・・・」の願いというものも伺えました。

それだけすべてこと、人の思うように事は運ばないということですね。

自然というものの猛威には人はただ「まかせる」他はないわけですがあまりにもその両極端の現象には人々が苦しむことになります。

乾燥日照りの水不足は農作物の生産に打撃を与えますし山火事も頻発、集中豪雨による大雨は人命ほか家屋家財を喪失させてしまいますからね。

 

気象庁の当たらない天気予報(昨日は今年の梅雨明け宣言を1カ月遅くするという発表がありました)に猛暑だ雨続きだとボヤいていますが私のいる遠州南部はそれでも極端異常には見舞われず、いつも「中位」といった具合。

これはこのうえない仕合わせを戴いていることですね。

有り難い、有り難い・・・

問題は人の質、特に政治屋の・・・。

票のために自国民を異国のインチキ宗教に蹂躙させて食い物にさせるなんて・・・毎日テレビはその話題で一杯です。

 

 

さて、昨日は古墳の上から幸田の野場方面を眺めたのでしたが、この野場には城址といわれる場所が2カ所(野場西と野場東)ありそのうち昨日記した画像⑤の街道左側の丘の向こう側スグのところに野場西の城がありました。

街道を南下してくる行軍を待ち受けるに絶妙な場所になりますが、夏目吉信が一揆側として家康軍抵抗していたのがこの野場西から本拠の六栗城までの地域だったかと。

まぁどちらかに追い込まれて捕縛されてしまったのでしたが。

 

そもそもこの「野場西城」と周辺地を差配していたのが大須賀一統でした。

現状もこの地域には大須賀姓が散見されますね。

ちなみに昨日も記しましたが近くのお西の寺、専光寺の門前の商店には「大須賀」の看板が目に入りました。

 

遠州ではその名を聞けば横須賀の大須賀康高

そしてその名、大須賀といえば善福寺でした。

こちら野場の地が大須賀氏発祥と言われています(場所はこちら)。

 

土塁は外周道路からそれが円形だったことを思わせますが北側によく遺ります。

土塁上を上がりたくなる衝動にかられますが、昨日の古墳と違って民地、住宅地になります。

 

⑤の看板は以前は民有地奥⑥に立っていましたが現状、外周の道路前に移されています。

 

 

 

 

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2022年

8月

31日

幸田一番の丸山古墳頂上から野場方向を望む

横浜の息子はおかげさまで体温は36度代で安定、ただし体力は元に戻らずにただ寝てばかりと。

やはり喉の痛みがとれずに、完全復活までは程遠いとのこと。

坊さんという仕事はちょっと困ります、声が出ないのでは・・・

ソーリ殿はアメリカ産の薬を処方されていることはまちがいないところですが、あの症状も軽そうな元気ぶりの姿を見て「あの薬は相当効く!!」と思うばかり。

 

年齢差を考えてもそう。

20代の連中が七転八倒の苦しみ、「もしかして死ぬのでは・・・」の思いと後遺症に悩むことになるのですからね。

さっさと皆に平等に「配れよ」です。

 

さて、夏目吉信(昨日)は三河一向一揆1563の際は家康と対峙して一揆側に付きます。

交戦籠城の吉信らは松平伊忠に包囲され遂に交戦不能。

そこに家康の「恕」あって伊忠の包囲は解かれて命を拾ったという次第。

そこから三方ヶ原の「身をもって」に繋がるのでした。

 

この吉信が立て籠もっていたいた場所がそもそもの彼の六栗城だったのか幸田の北、広田川の大きく湾曲したその南側の「野場」という地であったのかの説が分かれているようです。

事案としてのその記述はあっても場所の確定できる史料が無いからですね。

 

この野場という地は南東側は開けていますがその北西への街道(幸田石井線)は丘陵の切通となっていて、北西側から南下するには比較的進軍しにくい場所になるかもしれません。

 

その狭小となる場所に幸田で一番大きいという丸山古墳に上がってみました。どうしても私は古墳があれば上りたくなる性分ですがさして意味はナシ。高いところが好きなだけ。

ただし古墳によっては何か発見がりますよ。

こちらの古墳は盗掘があったそうで上部に石室の材らしきものが露出していました③。

 

まぁ野場方面を眺め、陣を置くにはもってこいの場所かと。

⑤⑥が野場の集落。

⑥に見えるお寺が専光寺

 

 

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2022年

8月

30日

夏目家位牌拝見 明善寺にて

息子や親戚のコロナ感染体験など、聞けば聞くほど「おそろしや~」です。

当人たちはまさか自分が死ぬかも知れないなどとは思いたくはないところですが、死者が毎日のように出でいる現状、苦痛の病床の中「もしかして・・・」はふつと思い浮かんだことでしょう。

それほどに体力が消耗し、食事も飲み物も摂ることができなくなるくらいにただ倒れているだけといいます。

 

息子は昨日、感染後初めてコンビニに行って食材を仕入れたそう。

周囲は勿論、彼がコロナ感染者だとは思いもしないでしょうね。

自治体が自宅療養者へ「外に買い出しに行かれては困る」という理由から大量の食糧支援を行っている様子を見ますが、彼の場合は住民票を移していないため、牧之原市民。もっとも聞くところによればその段ボールの中身は「喰いたくもないものだらけ」とも。

ということで世の中その手の者がうじゃうじゃ動き回っているというわけですね。

 

尚、息子と同時期に感染し、今も療養中の妹はいまだ37℃代。

平常体温に戻らず、コロナ特有のあの諸症状も消えずに苦しんでいるとのこと。年齢差、自然治癒力の差か・・・。

尚、同居の息子は友人の家で「避難生活」とのこと。

 

飲んだ薬と言えば市販の風邪薬(カコナール)というのが笑うところでした。

それが庶民の現実というものなのですが、エライ人たちは自分らが飲んで快方に向かったそのクスリの件、庶民に行き渡っていない事実、知らないハズがないわけで。

為政者というものは「自分は後回しで」というスタンスだとてっきり思っていましたね。それが「我先に・・・」ですから。

何もかもが信じられなくなりました。

日本の政治屋が韓国のインチキ宗教にドップリ嵌まり、国民の財産をくすねまくって送金させていたなんて・・・開いた口がふさがらない。

 

さて、以前拝見させていただ夏目家位牌の件。

明善寺縁者の中川氏によると、寛政八(1796)年当時、夏目家の九家が集まって当地六栗での法要開催の計画が発案されたといいます。

寛政譜編纂がきっかけだといいます。

計画としては位牌の製作・三代の墓の建立、顕彰碑建碑に梵鐘鋳造と堂内整備だった模様です。

しかしながら思わぬ時間が経過し文政六年(1823)になって夏目家の本家含む六家にて位牌と墓が完成したとのこと。ただし顕彰碑の建碑は実現しなかったようです。

 

①②は同じもの。①②と③で夏目三代。お墓の方たち。まとめたものが⑤。

⑧が15代目。

4代~14代は下記、史料通りに数字を振ってみました。

位牌が順番でなく家紋等まちまちのところは不明。

 

尚、真宗大谷派では現状位牌は用いません。

また法名に「○○院」と「釋〇〇」というのが常。

それ以外の階位は用いません。

古い時代は結構に重んじられていたのでした。「字数」勝負?

 

これら位牌たちも伊勢湾台風で損壊した本堂から四半世紀の間、夏目家由縁の個人宅に安置されていたそう。

 

 

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2022年

8月

29日

大谷祖廟 2022年7月より変更点各アリ ネット予約 

政府のコロナ対策の後手後手マヌケぶりには呆れます。

データ取り統計数値あつめに必死になって肝心の「国民の健康」の方はといえば行き当たりばったりのデタラメか無策。

コロナ用に承認されたアメリカ産の薬は確保しているものの出し惜しみ、使用は特別な人だけ。

病床使用率も限りなく満床。

病院で陽性判定が出ても処方薬ナシで帰されるなど「ふざけんな!」と言いたくなりますね。各個の自然治癒力期待の策で死者の山を築いているところです。

ウィルスを減らすという旗印に申請された国産新薬は承認を却下し軽症者対応の術を奪っておいて・・・どういうお頭の構造なのか見てみたい・・・

 

昨日はこのド田舎牧之原市で90人の感染者。

いつまで続くのか・・・

横浜の息子は昨晩36℃になって喜んでいれば翌朝またもや38℃まで上昇、上げ下げにつきあうのもいやはや・・・とくたくたになっていたところでようやく36℃の小康状態を得たとのこと。

私が事前に送っておいたイベルメクチンは「飲んだ」と言っていましたが。

息子の同居人も濃厚接触者として10日間の自宅待機を申し付けられていたようですが、当初は感染の様子もなくピンピンして笑っていたといいます。

ところが2日目の昨日朝より38℃に急上昇、例によってお決まりの症状が出現してぶっ倒れていると。

 

私の妹もそうでしたが、わざわざ病院には行かないよう。

ダンマリを決めて自宅療養。

まぁ息子の同居人は会社がありますので何らかの手続きがあるとは思いますが、主婦であるとかコロナ保険に入っていない人などはもはや陽性の判定のために医者には行かないでしょう。

行っても意味がない。

 

要は巷にはノーカウントの人がうようよ居るということです。

自宅療養に一番に必要なものは食料というのは当たり前。

苦痛を押しての食料の買い出しに向かうことになります。

よって食品売り場の陳列棚に並ぶ食品たち、どなたが触ったかわからないものだらけです。

ということで自宅に帰ったらパッケージの上からアルコール消毒をする必要があるかも。

感染者となれば苦しい思いをさせられて「自分だけ」というのは腹立たしいはずです。

やはり誰かに「うつされちゃった」のですから。

「悪い子」ならウイルス撒き散らかしの冒険に出かけるなどあるかも知れませんね。

それを考えると・・・怖すぎる。

 

さて、拙寺の大谷祖廟納骨バス遠足は全6回の中止順延となっていますが、この間、大谷祖廟では受付のほか色々の変更があったようです。

驚いたのがネットでの事前予約を推奨しているところ。

 

しかし私は来年も早々の京都行は既に諦めています。

引率はできないということです。

 

グズモタ対応の政府のやり方では来年の春も怪しいというのが当然なる帰結です。

来年春といえば御開祖の誕生850年と立教開宗800年の慶讃法要がありますが、そちらの本山上山の募集もお断りさせていただきました。三河から遠州の各組でバスチャーターと経費の補助もあるお得なツアーですが、まぁ検討すらその余地はありませんね。おそらく他の地域でも同様でしょう。

限りなくキャンセルが出ることは間違いなし。

 

檀家さんの安全と安心を思量すれば「無理なものは無理」なのですよ。

そちらはネットで楽しませていただきます。

 

 

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2022年

8月

28日

知ったこっちゃあない 勝手にしやがれ 歎異抄

息子の体温は本日朝になって36度代になったという連絡がありました。「果物が食べたい」とのリクエストがあったよう。

「手前で買ってこい!!」とは思うのは私、奥方はそれを承諾したといううわけで・・・。

 

私どもはコロナ大繁盛のご時節がら、土日の法要の開催はゼロ。

横浜まで行って玄関前に差し入れを置いて帰るという選択肢もありましたが、午後からそのフルーツ盛り合わせを買い出しに走りました。宅配で送るという算段です。

勿論私はただの運転手。

送付後メールを入れても既読ナシでしたが夜遅く「生きてるよ~」と連絡あり。

熱は下がるも喉の痛み、咳、関節痛が残っているとのこと。

相当くたばっている様子がうかがえます。

 

妹からも連絡がありました。

サッカースクールのコーチをしている息子の体調がおかしいということで簡易検査をすれば陰性判定。

よって「ただの熱中症だろ・・・」ということで高をくくっていれば「このザマ。酷い目にあった・・・」と。

結局本当の原因はわからなかったようですが夫の方は37℃代が最高で喉の痛みが少々だとのこと。

 

発症するしない、そして症状の出方も個人差がありますね。

ワクチン信仰も。

妹は三回、旦那は四回だと付け加えていましたが・・・

 

さて、本日のタイトル「知ったこっちゃあ~」と「勝手に~」について奥方が「お前がしょっちゅう言ってることだ」といいます。

まぁ私の口癖とも指摘されればそうかも知れませんが・・・。

 

しかし私は「それ、親鸞さんも使ってるよぉ~」とその論拠を解説。

歎異抄の第二章からでした。

もっともそれほどゲスな言い回しではありませんがね。

 

まずこちらは有名な「地獄は一定すみかぞかし」の「念仏」の

解説記述、念仏が浄土に繋がるのか地獄に堕ちる因なのか・・・のところです。

 

「念仏は まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん 

 また地獄におつべき業にてやはんべるらん 

 総じてもって存知せざるなり(「知ったこっちゃあない」)

 

 たとひ法然聖人にすかされまゐらせて 

 念仏して地獄におちたりとも さらに後悔すべからず候ふ

 そのゆゑは 自余の行もはげみて仏に成るべかりける身が

 念仏を申して地獄にもおちて候はばこそ すかされたてまつ 

 りてといふ後悔も候はめ 

 いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみ 

 かぞかし」

 

「弥陀の本願まことにおはしまさば 

 釈尊の説教虚言なるべからず 

 仏説まことにおはしまさば

 善導の御釈虚言したまふべからず 

 善導の御釈まことならば 法然の仰せそらごとならんや

 法然の仰せまことならば 親鸞が申すむね 

 またもつてむなしかるべからず候ふか

 

 詮ずるところ 愚身の信心におきてはかくのごとし

 このうへは 

 念仏をとりて信じたてまつらんとも 

 またすてんとも 

 面々の御はからひなりと(「勝手にしやがれ」)   

 [云々]」

 

私の「つまるところ」でいえばそれぞれ各個の自由、おまかせするほかナイということ。

しかし親鸞さんはその言い回しで「本当のところは念仏以外ナイ」と結論し浅はかな私を導いてくれているのですね。

 

歎異抄後序

「~煩悩具足の凡夫

 火宅無常の世界は よろづのこと

 みなもつてそらごとたはごと 

 まことあることなきに 

 ただ念仏のみぞまことにておはします~」

 

しかし、奥が深すぎ、面白すぎ。

「南無阿弥陀仏」の六文字を解説するにあれだけのものがありますかね。

スゴイんです、まったく・・・。

 

①は昨日の地区回覧板のポスター。

気合が入っています。

テーマは「おやつと昼食」だとのこと。市は公募中。

②~は舞鶴殿の境内周囲の散歩の図。周囲を警戒しながら我らのあとに着いてきます。

人車の気配があれば脱兎のごとく消え去りますが。

 

 

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2022年

8月

27日

太子山明善寺 本尊木仏点検 境内五輪塔残欠

遂にやっちまいましたね。

横浜の息子より「40.2℃」のデジタル体温計の画像が送られてきました。

自宅近くの医院に自家用車で駆け込んで検査の依頼、すると

「ハイ、陽性」。

「処方ナシ」で帰されてただただ家で悶絶しているよう。

 

「喉痛い、頭痛い、だるい」をプロによる療法ご指導なしで放置。聞きしに勝る現実医療崩壊の恐ろしさよ。

 

息子の談「コロナ感染者というものはまず『大したことない』風の躰で世に流布されているがイザ自分がなってみると・・・酷いもんだ」と。

朝方一旦37℃になって安心していると再び40℃。そして昼間に36℃に。今は再び40℃前といいます。

ウィルスはしぶとく体の中に潜んで悪さをします。

 

丁度同時に同じ神奈川県内に住む妹夫婦が二人でダウンしたことがわかりました。たまたま叔父が電話をしてその件わかったそうですが、現状音信不通。私の留守番電話もメールも返信なし。今頃ぶっ倒れているのでしょう。

尚、息子は10日間の出勤停止自宅静養とのこと。

冗談で「遊べていいじゃん」「そこいらじゅうバラ撒いて来い」と投げるも、現状それどころではなさそう。

 

私が危惧していたことが現実になりましたね。

彼の地は自宅での法要が主体、やはり先方自宅仏間の狭空間での読経はヤバいのです。

 

テレビに出てくる有名人や政治屋さんの「軽度で平常」「大丈夫」の躰は大ウソ。

彼らには隠し玉の薬は勿論ぶ厚い介護の手があるということをお忘れなく。

勿論政府はそういうアメリカから大量購入した「お薬」は庶民に出し惜しみして大量在庫していることも。

ズルイ・・・汚い・・・その言に尽きる。

 

世の中にはその件、恨みつらみを抱く者たちがたくさん存在すること、お国の偉い方たちもお忘れなく。

 

さて、本日も明善寺

本堂にお邪魔してご本尊をパチリ。

私はこちちらのお寺から岡崎の真宗寺院に嫁いだ方とたまたまご一所してこの本堂で三誓偈を拝読したことがあります。

 

須弥壇、阿弥陀さん背後が独特の景色ですが、「おおこれは・・・」と思ったのが例の本山による本尊の認定書、木仏点検の軸に目が留まったところ(拙寺のそれこちら 尚、その尊像以前のお軸の詳細 「髪繍独尊阿弥陀如来来迎図」はこちら)。

 

「方便法身尊像 延宝五年(1677)常如上人(東本願寺15代)」とありました。

拙寺のご本尊の期日よりは少々あとから・・・ということになりますが、ただ木仏点検の承認が下った日にちですのでその検査日の違い。尊像そのものの製作年代とはまったく違いますしその意味(本山お墨付きの有無)も違います。

 

この木仏点検の証は仏像とともに一緒にあるということは珍しいこと。

「どこかに行っちゃった~」になりやすい小ささですから。

こちらに仏像と対で残っていることが奇特なことなのでした。

 

明善寺の山号は「太子山」。

拙寺の本堂聖徳太子像はお軸ですがこちらは木仏(おそらく太子像)です。まぁ波さんの像は拙寺にも庫裏に鎮座しますが。

真っ黒のところに時代を感じますが絵像の太子像も本堂に掛かっていましす。

 

境内には五輪塔の残欠が散らばります。

他は一見したところ直近参拝者は見えないよう。

夏目一統の古仏を連想してしまいます。

 

 

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2022年

8月

26日

幸田の名は広田川から 明善寺付近の墓地 六栗城 

昨日記した、子供たちの「学校に行かない」の選択肢の件、それを採用するかしないかは彼ら個人の自由。

しかしながら「アレがいや、コレがいや」の不平不満の積み重ねから安直勝手自由世界への回避の連続があったとすれば人生に付き物であってかつ「玉」(宝物)として人を育むに大切な「艱難辛苦」が不足がちに陥ることになってしまいます。

「艱難汝を玉にす」ですね。

苦しみとは楽しみの種。

「辛さ苦しさから逃げるのは自由、しかしその傷みが貴方を育てるのだ」ということですが、まぁ若い子たちにはその意が通じないのでしょうね。

困った~困った~。

安直ショートカットに不都合な場面のリセットに慣れ親しんだ世代は・・・。

辛いこと、遠回りする面倒くささも成功の種なのに・・・

チャンスを自ら捨てていることになること、勿体ない。

校に行け・・・チャレンジしてみろ・・・

「どうする・・・」の切羽詰まったシチュエーションも経験しないとね。家康は決して順風満帆ではなかったのですから。

 

さて、三河は幸田の明善寺。昨日の続きです。

「幸田」の名は拙ブログでも何度か登場していますが、どう見てもその名の「幸」はキラキラネーム感が溢れていますね。

以前地頭方海岸の「鯱岩」(しゃっちゃ)という名が読みにくくて無粋だということから「幸岩」に変更しようという案が地区議題に上がったようなことを記しましたが、その字から来るイメージは絶大の様。ちなみに私は元の「鯱岩」派。おかげさまでその手のキラキラへの変更がされたという噂は聞こえてきません。

各地でその字「幸」への変更があるようですがね。

 

その字はそもそも「最悪の機縁から免れて普通に近い落しどころ」に「今あることができた」喜びを表すものと解していますので、私はその「機縁」の方を強調して「仕合わせ」を使用することが多いのですが。

世の中は「幸」が大好きの様ですがね。

もっと付け加えればそれを願うから間違いなののでしょうね。願えばまず挫折を招きます。

願われているのは私の方(阿弥陀と諸仏から)、図らず気張らずおまかせのまま、難しいですがそれが最良のスタンスでしょうに。

 

その地名の「幸田」は広田川からですね。ただ「幸田」の場合は「こうた」であって濁らないのです。

やはり同町に「深溝」(ふこうず)といった、より著名な地名があります。よって私はその読みが「不幸のイメージ」がするので何とかしたいという気持ちから「幸」を持ってきたのではないかとも一瞬思ったほどでした。

個人的には「深溝町」であってもイイくらいだとも。

 

その広田川が大地を削って開いた低地を中心に開墾。

JR幸田駅から西側の丘の途中に明善寺がありますがこの辺りの地名は六栗と呼びます。

この明善寺のある地が夏目屋敷があった場所で夏目吉久が城塞化したといいます。そしてそれが六栗城。

 

昨日はあの三基の元となる墓碑が元にあった地について記しましたがそちらの字名は中屋敷でした。

夏目家家臣団の屋敷の存在あるいは城址の中心地が推測できます。

そして昨日の画像③の明善寺北側の広田川に向かう河川を「掘」と記したのもその六栗城の存在を私が勝手に意識したものでした。

 

城郭の存在を確定できる史料も残存遺構を推することができる場所も見渡せず、ただ行きたりばったりで入ったのが地区に二つばかりある墓地の一つ、寺から北西にある「六栗中屋敷霊園」。②③④⑤の東側の林の中に⑥⑦。祠が何を意味しているのかわかりません。

 

④の自然石の石塔の墓碑を眺めると夫婦墓を思いました。

元文と享保の元号が見えますので江戸中期。法名からして真宗系であることがわかります。

この地でも人口は減っているようで無縁墓はそれに伴って増えているようです。

 

もう一方の墓、寺から南西の墓地には六地蔵がお迎えしてくれます。

地蔵前に蓮台はありません。棺を置いたか、荘厳するために使用したか判りませんが、それらの存在から元火葬場だったことがわかります。

⑧は昨日の画像③の真裏からお寺方向を見やったところ。

⑨⑩⑪は地蔵のある墓地から見た寺の裏方向。

 

夏目吉信は三河一向一揆の際は一揆方について家康と敵対。

こちら六栗城に籠城して捕縛された説もあります。家康の恕があっこその三方ヶ原の戦働きでした。

 

 

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2022年

8月

25日

夏目家菩提寺明善寺 夏目家の以前の墓地の件

秋の気配、季節のうつり変わりの迅速(~無常迅速)をしんみり思っていれば昨日は朝からドカっ晴れて、日差しカンカン、夏真っ盛りの相良でした。

境内にはやらなければイケない宿題が山積ですが叔父に送付を依頼されている品に少しばかり変わったものを同梱して送ろうと買い出しへ向かおうと奥方を誘いました。

 

洗濯物を干したばかりの奥方を連れ出したのですが、もし最近のあるある、突然の豪雨(記録的短時間大雨・・)が来たら・・・とその「責任を取らせる!!」を思わす表情がありました。

 

西の方から黒っぽい雲が迫っているところ、まんざらその件「ありうる」と不安になりましたが、同時にスマホで雨雲の流れを注視する奥方があり「雨雲は静岡より北を通過」とせかされることなく無事帰宅、洗濯物をとりこんで一件落着。

降られずによかった・・・

夜間10時過ぎに雷鳴がありました。翌日の予報は降水確率90%になっています。

 

昨晩はNHKの番組「不登校やってきた2」を視聴。

子供たちの声の数々を聞いて、ただただ「オレたちの時代とは違う」と圧倒させられました。みんな賢そうなのに・・・もありました。

 

文科省のデータによれば2020年度に不登校だった小中学生が19万6127人。不登校の数は8年連続増加。統計開始(1966)以来、過去最多でその更新は3年連続とのこと。

 

今は学校に行かなくてもいい「それも選択肢の一つ」という考え方がありますのでそれはそれで「まぁ、いい」のでしょうが、親としては心配になるでしょうね。

 

私も学校など「行きたくない」と言っちゃあ行きたくないところでしたが、「行かない」の選択肢とやらは「絶対に」といえるほどありませんでした。「這ってでもイケ!!」でしたね。

私などサラリーマン時代の会社では2度骨折して2度とも会社を休まなかった武勇伝、「這ってでも」派でしたから「あれがイヤ、これがイヤ」の今の子供たちのその理由を理解するに多少の時間を要したものです。

根性論全盛それオンリー美化された時代でしたから親や教師に「NO」など言える時代ではありませんでした。

まぁ時代が変わったということでその件、ひと先ず呑み込んで子供たちの言い分を聞かなくてはなりません・・・

 

これまでその理由についての総括、先生と学校側のその評価について一言で言えば「無気力」(登校しない生徒の)だそうです。

そこに理由アリのような気がしますね。

 

教師側学校側がその語で以っての処断、「責任は当方にナシ」感がぷんぷん匂ってくるのです。

例の日本的というヤツですね。

ホントに親身になって耳を澄まし彼らの言うことが聞こえていないのだな・・・ということ、それがわかったような。

不登校の理由が一律「生徒の無気力」ということだけで片づけてしまうこと、それこそ無責任。

ヤル気になれない理由を探してその解法を探してあげて欲しいものです。

しかし比較的「一人が好き」で「人がキライ」の傾向がある中問題は簡単なものではありません。

私は「御堂と墓と念仏」そして「三昧」(メディテーション)で彼らの心が開けられないか・・・などと思ったのでした。

 

ただ子供たちがゲームに依存している姿を見るのは気持ちが悪いですね。話をあわせることもできません。

これからどうなってしまうのでしょう。

つくづく思います。教師にならなくてよかった・・・と。

奥方からは「そもそもお前には無理。ただ一緒に遊ぶだけ」と しかし子供というものは遊びには歓びを見出しますからね。

 

今の子供はガツンと怒ったり命令されたりするのは嫌うようです。まぁいつになっても私は人に頭があがらないので・・・

姪がよく言っていました「ドジ・バカ・マヌケ」と。

それでは学校指導者としてはやはり無理かもね。

子供が100人いれば100の性質がありますし。

以前は坊さんの若いころといえば教師というのが定番だったのでしたが・・・

 

さて、先日記した夏目家菩提寺の明善寺の前住?(いやその前か)もたしか高校の教諭だったと聞きますが、お寺の護持に難しい時代を経ているといいます。

それが三河地震(昭和20年)に伊勢湾台風(昭和34年)。

その後者によって明善寺本堂が「甚だしく」損壊したそうです。

三河のお寺たちには本堂、鐘楼、山門に補修の跡や補強材の存在が目につきますがこれらは地震と台風によって苦しめられた歴史があるからですね。

津波だ地震だと静岡の皆さんはその恐怖のもと小さいころから言われ続けられていますが、三河地区の皆さんはここ100年の間自然災害にきつく痛めつけられていたのでした。

 

あの夏目家三代の墓碑も昭和になって前住職が建てたといいますが墓碑紹介文の記述の「幕末頃」(文政六 1823)のものといえば碑文のみで石塔はナシだったのでした。

それが「大松三本是ハ右御三人廟所の松」「御廟所御墓木」ですね。

 

そしてそれがあった場所といえば、現在のお寺(場所はこちら)の南側の道路を挟んで向かいではなく、門前を北に、東に折れて少々の住宅地の角④⑤⑥にあったといいます。

①は南方向②はその逆方向。

③はお寺に隣接する北側の川ですが意味合いとしては堀として機能していたのでしょう。

⑦は近くの小さな堂。

 

石塔が建てられなかった理由は勿論夏目家の懐事情だったのでしょう。松前奉行として任地赴任とあって世情も「それどころではない」状況(異国船打払令、シーボルト事件・・・)ですからね。

お墓を新しくする時間も経済的余裕も夏目家には残っていなかったということでしょう。

それを引きずってようやく前住の悲願、三者の墓が建碑されたのでした。

 

夏目家家系から出たあの著名な夏目漱石もそちらの方の整備には興味がなかったのかも知れません。

ただし、来年の大河ドラマ出演決定、家康の命の恩人として描かれることはわかりきっていますのであの墓はその回のドラマ最後の紹介コーナーで三方ヶ原の碑とともに登場することでしょうし、それに感じ入った視聴者のお墓参りも増えるはず。

 

幸田の教育委員会(久保田城で登場)ではきっとそれを迎える準備が淡々と進められていることでしょう。

 

 

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2022年

8月

24日

キャットウォーク(犬走)修復 お寺のお仕事

午前9時からのお内仏閉扉式に向かいました。

相良から山形市内に引っ越しするとのこと。

お内仏を一旦閉め、引っ越し屋さんに梱包してもらって山形へ行くことになります。

息子さんが山形で始めた事業について順調につき「手伝わないか?」と誘われ父親は「ここで一つ」とばかりに会社を辞めて家族での移住に踏ん切りをつけたとのこと。

その息子さんが両親の住まう相良について不安を挙げていたといいます。

地震と津波と原発の3つをその理由に挙げられていましたが、「山形はいいな・・・」とは思うものの冬は寒そうですのでそんな時、相良が懐かしく感じるのでは・・・と。

私どもには相良を離れる理由というものは見当たりませんが(もはや諦め)今はその3つの懸案事項よりも毎度ブログで記していることの不安。

「脳梗塞(脳血管系各症状)になったら・・・」ですね。

脳外科医不在の市にあってその病へ即座に対応ができない不仕合わせほど辛いものはありません。5分10分が生死を分け、その数分で重篤度が進む病気です。

ここに住まうということだけでそれを背負って生きるということになりますから。

 

この時節、年配者は特に水分補給について注意しなくてはなりませんね(血液ドロドロ)。

この八月になってその病で救急搬送される件あいかわらず耳にします。

コンディションにもよるのでしょうが、水分不足は致命的です。

 

その山形へ向かう家族のお婆さんも最近脳梗塞で市外の病院に担ぎ込まれ、山形には同行できなくなってしまったようです。

これから当家は山形と静岡の往復の生活が続くとのこと。

タイミングも最悪。何とも大変な事ばかりで・・・

 

あと別件で市内、相良の檀家さんですが一家全員がコロナでダウンという報がありました。

そのお宅には高齢の方がいらっしゃいますのでちょっと気がかり。

危機は「スグそこ」に迫っています。

 

さて、ここのところ私の「適当な工作」の件記していましたがそれが築地塀下の犬走というかネコしか歩いているところしか見たことがないので「キャットウォーク」の如く砂利道の件。

何とそちらには人が腰掛けること多々見られます。

年配者の休憩から拙寺とは無関係の工事業者の休憩タイムによく使われてしまいます。

 

「仕方なし」と黙認していますが、あの程度の工作はそもそも「腰かけ」としてのものではありませんので当然に壊れます。

幾度も幾度も壊されては砂利が散乱、「やってられない」と奥方にボヤけば、「木に有刺鉄線でも張り巡らせろ」「痛い思いをさせてやれ」などといいますが、その工作を美的に施工することは破損個所を修理する以上に経費と時間を要します。

 

何しろその手のケチな(腰掛けるな!!)発想と見透かされることがまたイヤですね。

 

当初はL字型に加工した木材でしたが、今回初めて行った修理は長めのネジをつけてそのネジの上にセメントを置いて終了。

その前はシリコンで留めましたが・・・

塗装も以前の如くのものは高価につき、板を焼いてから灯油と防腐剤入り塗料を混ぜたものを塗りました。灯油は匂いがキツいですが防虫防腐に効き目がありそう。

 

サイズ違いあったり段差まちまちの「キャットウォーク」ですが今はある程度の量の補修材を確保しましたのでカンタンに対応可となりました。

 

どこかのオヤジが座って壊したぁ・・・? 一瞬顔が引きつりますが、淡々と修理するだけです。

中には子供がその上を歩きますからね。

子供なら言って聞かせれば何とかなりますが、オトナは怖い。

いつもの「勝手にしやがれ」。

 

 

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2022年

8月

23日

夏目三代の墓碑 幸田の明善寺 鳥居と大河出演決定

朝は涼しくなっています。

お天気で時間があったため築地壁前の補修工作のつづきを。

 

大した仕事ではありませんが、ベースをモルタルで固定させるためざっと施工して終了。

いい加減な工事でした。

砂が見当たらず、砂利のみを混ぜてのセメントづくり。

そのあとは除草剤散布でした。

除草剤の価格が2倍になっていて、それもお気軽とはいえなくなりましたね。

 

昨日はコロナワクチン4回目の接種について自身は接種済みで何事もなかったが、奥さんがどうしようか悩んでいるとの話を聞きました。

私どもは今のところ「打たない」を決め込んでいて、それはどうしても周囲でワクチンの副反応らしき症状で苦しんでいる人が少なからずあること、田舎住まいで人との接触は比較的少ないということをお話しましたが、その方はこちらより人口が圧倒的に多い場所住まいですからね。

「何ともいえない」ということになりました。

 

ソーリ殿の如く「夏休みアケ」(お調子にのったあと)がヤバいということがだいたいわかりましたがそうだとするとこれから本格的に感染者が増えるかもしれません。

 

有名人がまたぞろ感染しそして「軽度です」等完癒のニュースを見せつけられていますが私ども庶民ともなれば、あの方たちの如くの治療を受けることは100%ムリ。

ふざけた話ですが救急車も来ないし、入院施設も無いというのが実情の様。酷い処遇です。

きっと薬の処方があったとしてもただの頭痛薬、風邪薬なのでしょうね。

 

ということで当分の間は偏にリスクはとりたくないということで。

自分サイドでのケアのみ。コロナにかからないことが大事です。

相当大人しくしていなければなりませんがね。

ただただ辛抱でしょう。

要は人との接触が無ければ絶対にかからない病気。

 

マヌケの厚労省が例の塩野義のクスリを承認しなかったことからここまでコロナが蔓延り収束が遅れている状況が続いていると考えます。

クスリ(お気軽錠剤)が出ていれば、タラレバですが拙寺のバスツアーもきっとキャンセルはなかったでしょうね。

厚労省の「責任を取りたくない」御一同によって経済を沈滞化させ人の命も葬ってしまったような気がしてなりません。

3年間バス遠足中止(6回順延)はホテル・バス・食事代1回100万円とすれば×3で300万円。

おカネの動きが停滞しているのです。

 

さて、来年の大河ドラマの配役をチラっと拝見しました。

すると法蔵寺の三方ヶ原戦没者たちの列に掲示板付きであった鳥居と夏目の墓のその両名の配役がありました。

 

三方ヶ原合戦といえば家康の「どうする」であり、その両者ともその前の「どうする」だった三河一向一揆では一揆方となって登場してきますからストーリーとしてはそこでの討ち死にするなど、感動ものではあります。

 

しかし成瀬藤蔵の件、法蔵寺に掲示板が無いのも、大河で取り扱いがもしかして無いかも知れないというのは、三方ヶ原で討ち死にはするものの一向一揆前に同僚を斬って遠州に逃げているという変人ぶりがあるのかも。 

そして一揆が終わるころになって岡崎に駆け付けるという調子の良さもあったからでしょうかね。

 

昨日のとおり冷静な判断(武田に攻め懸けるのは不利)の鳥居に腰抜け呼ばわりしたことも「しょうもない」の低評価かも。

しかしそのエピソードは結構に世間に言いふらされたものですから鳥居が登場するとなれば喧嘩相手がいるはずです。

 

その成瀬正義のお隣、来年の大河ドラマでは登場確実となった夏目吉信ですが、その墓は法蔵寺の墓のほか岡崎の南、現在の幸田(こうた)の明善寺にあります。

改葬され新しく建碑されたものですが当初からこちらに並べられていたのではありません。

こちらに3つ建碑整列させたのは亡くなった先代住職です。

掲示板の「幕末頃」の記述は誤解招きますね。それは墓石から見てもあきらか。

 

吉信の墓碑には「元亀三壬申年十二月廿二日~於遠州味方ケ原討死 俗名次郎左衛門」。

 

右端が夏目吉信 中央が父の吉久 左端が吉信の子吉忠。

その御三名からさらに右側の端にあるのが明善寺住職家榊原家の墓碑です。

 

 

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2022年

8月

22日

首を洗って待て 湯水の行水 鳥居忠広と成瀬正義

今年七月の盂蘭盆会法要、私の挨拶の中で、脳溢血や血管系の発症について症状をあげ、それらが出現、感じたら「躊躇なく救急車」の件を吹聴していました。

ところが今、世の中は救急車が出払って尚、病院も満床でてんやわんやと聞きます。

「救急搬送困難事案」増加に「病床使用率」静岡115%と。

 

不注意の事故も病気も「今は待て」。

といっても「まさかの坂」は「待ったなし」ですからね。

「しゃあない、しゃあない」で誤魔化すしかない。

運のあるなし・・・ということか。

 

ここ数日テレビから聞こえてきたフレーズで耳に残存しているものが「死んでからも税金のムダづかい」と「首を洗って待ってろ」でした。

前者は都内のデモ参加者の掲げたプラカードに記されていたものですが「うまいこと言いやがる」と感心してしまいました。

 

今一つがその脅迫の意思表示らしい語。

この台詞は時代劇やギャング映画でよく聞く決めことば。

まぁ「捨て台詞」の一種で相手をビビらそうとするのが第一義ですね。

 

しかし日本のサムライ世界では率先して自ら首を洗ってキレイにしておくことは一つのマナーと言ってもいいのでは・・・。

他者に言われてそれを行うものではありませんね。

何故なら討取られて首実検に挙げられた時に、首回りが垢だらけでうすら汚れていれば「恥辱」を感じたからですね。

「なんだこの小汚ねぇ首は・・・」などと揶揄されるのはかなわない。死したあとこそキレイに首と躯を遺す・・・です。

 

以前ブログで木村重成の配慮について記しましたが、自身が討た

れ、死したあとのことを慮る・・・常に自らの「死」というものを予測、意識、念頭に入れて事に向かうという姿勢があったということでしょう。

私も大きな仕事前(今は葬儀式)に食べ物を口にしないところ踏襲しています(首を落とされた際食べ物が逆流して見苦しい)。

 

講談に「湯水の行水」という演目がありますがその主役があの二人、鳥居忠広と成瀬正義です。

昨日の画像、夏目を一人置いて居並ぶご両人でした。

私はあの状況を初めて見た際、お隣同士にしないで、一人おいて並べていることにそんな配慮があったのかも・・・などとニヤリとしたのでした。

 

要はその二人は仲が悪かったということです。

元亀三年の信玄の西遠州の浸潤(三方ヶ原戦い)に二人と家康の間で籠城が迎え撃つかでの激論があり籠城を主張する鳥居に成瀬が「腰抜け」と言ったことから険悪な雰囲気、それがエスカレートして屋敷がお隣りさん同士の双方が刀を抜いたという創作です。

 

自分は死を恐れることはない、首を洗って(キレイにして)いつでも斬り死にする覚悟ができているのだとの主張。

そして寒中行水してのやせ我慢大会になっての挙句斬り合いに発展し酒井忠次に止められたというストーリー。

一昔前は止め役は本多忠勝でした(創作だからどうでもいい)。

とんだおっちょこちょいのマヌケ役になっている正義の役どころでした(→ 忠義あれど悋嗇で短慮 ?)。

 

画像は豊原国周の役者絵。

以前の、片桐且元と顕如の図もそう。

かつてはそんな演目があったのでしょう。

見てみたい。

 

 

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2022年

8月

21日

三方ヶ原戦没石塔たち3 成瀬藤蔵正義も 法蔵寺

天気予報、またもはずれて、ああ嬉し・・・。

昨日はご納骨を伴う法事がありました。

予報とは違って晴れ間が広がりおしゃべりに花が咲きました

 

ひっくり返りそうに驚いたのが、施主の奥さんから私が大昔にお世話になった沖縄の方たちの名が出てきたこと。

施主夫婦も私どもが居たそのいくらか後に来沖し時間を過ごしたとのことでした。

仕事は海難レスキューとのことで私などよりよほど高度な技量と精神を持ち合わせて、まさに胸を張れる仕事です。

 

恩納村の「シーサイド ドライブイン」などの名が出てきて「よく行きました~」などと相槌を打ちつつ、墓地で別れました。

機会があればまた詳しく話をお聞きしたいものです。

ホントに世の中、狭い。

すべて「如来さんのご縁」で片づけていますが、それほどの頻度で偶然が訪れるものでしょうかね ?

数え出してみてもキリがないくらい。繋がっています。

 

さて、法蔵寺の廣忠墓域の続き。

廣忠の五輪塔(こちらも)のお向いに揃って並ぶのが三方ヶ原合戦の戦没者墓域でした。

鳥居と夏目」についてブログで重ねて記していたのは

①お寺の掲示板の紹介と標識がその二人だけ

②他は「御一同」の一緒くた、

そして何より

③当家ご先祖様の成瀬藤蔵正義の名が見えない!!

という少々の不満足からのもやもやがあって、その件引っ張ってきました。

 

そもそもこの墓域について、鳥居に関してはこちらに葬った如くの紹介がありましたが、この手のものは供養塔墓石の類ですので彼の遺体がこちらにというのも少々疑問。

それであるならば単独墓が作られていても不思議はありませんからね。

 

そしてこれだけの墓石が並んでいるとまず時間の経過とともにどちらがどなたの墓石かが判らなくなってしまうものなのです。そして何より墓石は崩れるて壊れる。

 

現場に訪れれば一目で分かります。

それらの列は壇上の端に並びますが辛うじてその列を保っているかの如くの危うい場所。

まぁ450年(合戦命日からこれまで)は言いすぎでしょうが、建碑されてから長い期間この崖の上に無事に立ち続けられていたとは思えません。

どういう経緯でここに並べられたのかもわかりませんが・・・。

 

危うい場の件、それは各石塔の破損、欠損を見て優に推測することができます。

何かの拍子でそれらがあっちこっちに散らばったとしたら・・・まさに修復はパズル。

まぁその手の様相はどちらの墓地でもあることですが、これだけの墓石たちの数となるとなかなかその復元と管理は難しいでしょうね。

一つ一つのパーツに記号でもつけられていれば別ですが・・・

 

植栽に被われがちの墓石たちについて記しましたが、何故にしてそれらを伐採しきってしまわないかといえば、植栽の繁茂によって土砂崩壊を止めてもらっていることが理解できます。

コンクリ製の法面は経費も掛かりますし今度はそちらの経年劣化によるメンテという負担が増えるでしょうし。

 

法蔵寺には近年纏められた墓域の図があります。

ソースとしては確かであることは間違いないのですが、何分お寺というものでも古い記録の伝承はあまりにも曖昧になります。

その件念頭に置いて、その列の名を転記すれば以下の如くになります。

 

元亀三年十二月二十二日

 

1 小笠原勤右衛門

2 岩瀬勘解由

3 加藤源内

4 鳥居四郎左衛門

5 夏目次郎左衛門

6 成瀬藤蔵

7 永田又十郎

8 石川半三郎

9 鈴木又六

10 鈴木傳八郎

11 於伊勢丸ノ父

12 山下宗十郎

13 酒部三六郎

14 安田助八郎

15 加藤次郎九郎

16 松平久太郎

17 松平三平

 

図の通りであれば成瀬の墓は夏目の右隣であることがわかります。

廣忠五輪塔の正面の植栽の中という感じ①②ですね。

⑥が比較的植栽が刈りこまれた頃の三基ですが成瀬の墓は欠損はあるもののカタチのイイ宝篋印塔。

鳥居と夏目の墓は石塔パーツ混載も見受けられるところ。

 

成瀬推測の墓石にその名を記す標識を鳥居・夏目と同じように立ててあげたいとは思いますが、墓地を紹介する案内板には18基とあって図面を勘定すると17基だったりまた、それがカウント違いもあるのでしょうがまるまる1基ズレていたりすることもあり得ます。

よってあの鳥居と夏目の墓石もその創建はあまりアテにならないかも知れません。標識の位置もしかりです。

夏目の墓石の相輪のトップ部分の形状が時間を置くと変わっているところなど⑤⑥比較してもあの手の墓石の管理が難しいことがわかります。

 

しかし何かの史料が遺っているということ、価値は大アリ。

バラバラになる前にパズル組み立てに苦しむ前に事前に資料を作成しておく必要があるかも知れません。

余計なお世話・・・でした。

 

まぁ成瀬正義の墓といえば浜松三方ヶ原の端、亡くなった場所の通称成瀬谷近くの宗源院の五輪塔が有名ですが時にこちらの墓も含めてお参りはするものの、そのスタンダードは誰が何と言おうが拙寺の墓とご本尊ですね。

ただ当家の墓にその名が記されていないだけ。

 

 

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2022年

8月

20日

三方ヶ原戦没者供養石塔2 植栽ナシの図  法蔵寺

牧之原市で94人と増加反転傾向。県内7100人はこれまでのベスト3です。

お盆明けにぐっと増えることはわかっていましたが、問題はどこで止まってくれるのか。

世界一感染者を発している国、日本。

それには胸を張るワケにはいきませんね。恥と思わなくては。

たくさんの人たちが毎日亡くなっていますがお国は静観。

 

昨日は9月23日に静岡市文化センターで行われる講演会のチケット(500円)を購入していただいていますのでその頃の状況が気がかりになります。

吉祥寺の叔父は既に平チャラの態で夫婦で歌舞伎を楽しんでいますが私にはその勇気はありません。

 

お盆すぎといえば・・・秋の気配に夏休みの宿題・・・。

まぁ、今はその定番ともいえる後者の方からは開放されていますが若き頃といえばこの時期の夏が終わる寂しさとあの迫りくる締め切り、独特の焦燥感が溢れていたものです。

当家の伝説となった名句(迷句)、息子が夏の課題の一つでしたが

「宿題も 終わらないのに 海に行く」が思い出されます。

 

というわけで、呼び鈴の音が。

奥方が玄関に出て、スグ「お前の出番だ」とバトンタッチ。

すると中学生の男子が「相良城とお寺の関係を調べている」とのことでした。

私のそのころを思い出しつつざっとお話させていただきましたが私であれば必携のあのブツが見えません。

よって私から聞いてしまいました。

「カメラを持ってきた?」です。

すると「持っています!!」との返答があってデジカメを取り出していました。

 

遠慮深いのでした。

まぁ写真撮影について本尊が隠れていたり「お断り」のお寺は各ありますからね。

私は「構うことは無い ドンドンやって」でしたが、それは私がどちらにおいても勝手にさせていただいていること。

それにしてもデジカメにワープロの存在は心強い。宿題もラクになったものです。

奥方からは「毎日宿題ご苦労」(ブログ)とお褒めの言葉をいただきました。

 

さて、昨日の続き。

法蔵寺の廣忠墓域にある三方ヶ原戦没者の石塔たち。

昨日画像では墓石たちが植栽で隠れて標識のある鳥居忠広と夏目吉信以外の存在がわかりにくくなっていましたのでスッキリした以前のものを。

 

青い空と秋の雲は昨日昼過ぎの様子。

サボりっぱなしの夏でした。

また雨の予報が。

 

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2022年

8月

19日

家康が選択?三方ヶ原戦没者供養石塔 法蔵寺

昨日は大雨の予報ではありましたが午前中にサラッと降っただけであとはお日さまが顔をだしていました。まぁ予報はハズレ。

 

私は寺テラスにて工作の時間を。

強烈な暑さを感じましたが2階の温度計を見ると40℃超え。

2階のエアコンから階下に冷風を送ろうも考えましたがもはや快適な温度まで下げるのは無理と察し、そのまま作業を続行していました。

早々に終わらそうとやっつけ仕事でしたが、やはり体力の消耗を感じます。熱中症になりうるリスクを感じました。

 

昨日ブログではNHKBS放送、今週土曜日に放映される私の勝手な趣向を2つばかり記しましたがそれとは別に毎年8月15日前後には戦争の悲劇と日本的組織の吐き気がするくらいの

道徳的勇気の欠」を含んだテーマでもって毎年新しい切り口の番組が製作放映、楽しみにしています。

 

先日は「沖縄戦争孤児」を視聴しました。

戦争の影響で親を亡くした子供たちを戦争孤児といいますが、生まれてスグの子から年長まで様々。

戦争には何とか生き残った子供たちではありますがその数は日本中で12万人を超えたといいます。

小さい子供となるとその出生、親、そして名前すら不明であることが多々あったとのこと。

 

沖縄の場合は内地と違って米軍の上陸戦があった場所ですから爆撃や艦砲に加えて地上戦によって一般人の死者・焼失度も半端なし。

街区そのものをリセットされてしまったようなものですから、保護者たる親がいなくなって戦場に放り出され、たとえ米軍の手でによって助けられたとしても「誰だかわからない」というのが実情だったことは私でも理解できるところです。

 

彼らは沖縄戦終了後に孤児院に収容されることになりますが、そちらで栄養失調や病気で命を落とした子供たちがまたぞろだったそう。

番組では生き残った子供たちにスポットが当てられていました。

何しろ、親の無い子供が成長することは筆舌に尽くしがたい苦難があるということがわかります。

 

孤児院は「親」を探しますがその親とは育ての親の募集となり、中にはお金を払って労働力として引き取られる例もあったとのこと。

その親からは言うことを聞かないと気絶するほどに樫の木でブン殴られた思い出や、ひもじく差別を受けながらの生活、そして知らない自分の本名を、未だ探している方の件もありました。

 

象徴的だったエピソードが、壕にいた日本兵が小さい子供を連れた年長の子供に向かって(弟や妹を)殺すことや壕から出ていくことを強要されることなどは多く聞いていましたが、米兵に撃たれた父親が亡くなって近くにいたその子供と父親の断末魔を見たアメリカ兵がハンカチを出して涙を拭っていたということ。

 

先日の番組ではフィリピン人が日本の兵隊は「バガヤロー(カをガと濁って現地の方が言っていました・・・)と言いながらブン殴るんだ」とのことでしたが地元ローカルの民を蔑ろ、侮蔑する姿ばかりが見える日本の軍隊から、各国人の人間性を俯瞰してみてやはりこの国のかつての軍人ほかエラぶった人種の劣悪さは顕著であると感じました。

 

その番組を視聴して、「私など極めつけの仕合わせ者である」をあらためて思った次第。

それは普通にいれば見失いがちになるところです。「両親が居る」その有難さの基本ですが・・・。

子はその親がいたからこそのおかげで育つということですね。

温かく保護され、食事を与えられ、教育を受けさせてくれるのは親だけだということも。

孤児たちは異口同音に「学校に行きたかった」と。

今、学校に行きたくないという子供は山ほどいるのに。

 

さて、再び法蔵寺。

東照宮の下の松平廣忠墓域について先日記しましたが、その墓の周辺には松平系の墓石のほか三方ヶ原合戦の戦没者の墓石(供養塔)が並んでいます。

供養碑の類は一石で大型のものというのが定番ですが、こちらのものはここぞという人間の名が出てきます。

家康の特別なはからいがあったのでしょうか。

 

こちらの北側の面の一列が三方ヶ原戦没者たちの墓になりますが、鳥居忠広と夏目吉信のみ看板に記され墓石前には標識まで立てられています。

まぁ予算の関係なのでしょうか。

他の方々の墓の名はだいたい判明していますのでそれ(予算)さえクリアできれば着手できるはずなのですが。折角ですからね。

 

一番最後の画像は毎度のもの。本堂の左上に東照宮が見えます。④に近藤勇の首塚の像が見えますが墓場の管理人の様。

 

 

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2022年

8月

18日

8月20日土曜日は本願寺系番組2つ NHK BS

「雨が降るぞー」と前日から予報があって朝イチで「晴れているうちに」と水気を含んだ花ガラ満載の袋を地頭方の処理場に運び込みました。

お盆期間中の参拝の残骸処理ですが、墓地境内にはまだ湿気タップリの落葉が散乱しています。

早いところ何とかしたいところではありますが、蚊の餌食になると思うと気が引けます。

結局その日の雨はなく心地よい晴れ間が広がっていましたが西から大雨になりそうな雲が迫っているようです。

雨がうまいこと落ち葉を流し出してくれればいいのに・・・ダメか・・・

 

先日は14日早朝の雷雨の不思議(呼び鈴が鳴って本堂のセンサーライトが点いていたこと)について記しましたが、「よくよく考えてみると・・・」などと奥方に前置きして「そういえばお盆だな・・・」などと意味深なことを。すると「ただの雷の仕業・・・」と一蹴されてしまいました。

 

私の示唆は「誰か(故人・・仏)が訪れた!!」ということですが、真宗的に言えば奥方の言っている事が「正」であって私の語が「虚」かも知れませんがまんざらすべての「そ-いうこと」を

全部「虚」としてしまうのは、やはりちょっと違う。 

 

毎度御馴染みご開祖の「御臨末の御書」の件

「寄せかけ寄せかけ 帰らんに同じ

 一人居ゐて喜こばゝ  二人と思ふべし 

 二人居ゐて喜こばゝ  三人と思ふべし」 

                 の通りです。

 

要は仏たちは浄還しっぱなしではなく打ち寄せる波の如く頻繁にあちらとこちらを行ったり来たり。大抵の時間は「貴方の近くに居るよ!」というものです。

まぁ他流においては地獄に行きっぱなしの例もあるようですが、ここでは当流の件。

「近くにいる」「見られている」。

よって「ご先祖様に申し訳ない、面目が立たない・・・」となって真っ当に生きようと努力しようとする人の道徳規範であったわけで・・・、盂蘭盆の通りそれは日本の文化と言っていいかも知れません。

あまりそれに囚われて悩んでしまうとあの霊感商法の餌食になったりしますがね。

 

奥方は故人縁者たちが「ピンポンを押して本堂でお参りするものか!!」と。「それならそもそも既にそこに居なくてはオカシイだろ」と反論しますが、これは私の微かな期待でもあったわけで。

そうであったとしたら「誰かな?」「何かのメッセージかな?」と思いを馳せる楽しみというものがあるというもの。

やはり雷でそれを片づけては無粋です。

昔は「神鳴り」。何かメッセージを慮ったのですから。

 

私の子供の頃といえばそういった不思議な話は大いに尾ひれがついて吹聴されたものです。

やはり仏(らしき者)が「私を見守り(監視)、悪戯には罰(バチ)を」というのが常でした。

「悪いことをすれば必ず罰が当たる」です。

 

昨日はオリンピックの高橋元理事を主人公とした贈収賄事件で

すが、遂に逮捕の断、ニュースがありました。

オリンピックを商魂たくましくガッツリ自身の財物に変換させてしまったのですからお縄を受けなくてはなりません。

あの輩は、コンサルタント料の名目で賄賂をもらい自身の焼き肉屋の借金の返済に充てていたというものですからかなりのワルというかゲス。

御年78歳。やだやだ・・・ロクでもない末路とはこのことなのでしょうね。

 

そういうのを庶民は昔から「そ~れ見ろ 罰が当たった」と失笑したものです。

罰などあたらないよう後ろ指を指されないよう気概を持って生きなくてはイケませんね。

子供の頃を思い出しました。

 

たとえ路傍で死にざまを晒すことがあっても(現代において普通はナイ!!)、幕末志士の刀の束に標された「野ざらし」(塔婆と骸骨)の如く納得のいく生き方(死に方)をしたいですね。

今回の方々、自身の利己的欲望のために生き、刑務所に行き「臭い飯」の覚悟をしなくては。

高級車に豪邸住まいであっても、あまりにもチンケで最低な人生でした。所詮他人事です。

 

さて、直近勝手な情報3題。

①「王位戦 第5局に牧之原確定」のニュースがありました。

ブログでも以前記していましたが予定では第6局について挑戦者がコロナ感染により第4局が繰り上がったため牧之原市の開催が決まったというもの。

平田寺での開催、い~らでの実況観戦の予定ですね。

 

②③は当流、本願寺系のNHKの番組から

「340年ごしの和解~親鸞の血脈を引く二つの寺」

 8月20日 (土) 11:00~12:00  NHKBSプレミアム

 

「戦禍のなかの僧侶たち~浄土真宗本願寺派と戦争~」

 8月20日 (土) 21:00~21:50  NHKBS1

 

②については秋野氏との会話の中で知りました。

その時間は法要が予定されていますので録画することにします。

私としては見逃すことができない番組です。

 

画像は西本願寺から。

その最後の図は「本日の和讃」の紹介。

「如来スナハチ」。

歌詞カードではありませんが、通ともなるとそれを持参し発声したりします。

真実は一つ、自利のため、私中心の生き方になるのはその真逆となりますね。

 

 

 

 

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2022年

8月

17日

ハイまた中止 希望者ゼロ~ 乗鞍 松本城 by 女墓場

先日の牧之原市のコロナ発症者「100人」の数字に驚かされましたが、そのあとは何とか二ケタ台中盤を維持しています。

しかしながらお隣の神奈川県などは病床使用率は90%超えの大繁盛。

そしてコロナに苦しんでも、たらい回し放置状態当たり前のご時節とあいなりました。

政府はあいかわらず「何も手を打たない」という策を「打って」いる様。「インフルエンザと同類に・・・」の声も聞こえています。

そしてまた国民の生命より自身の「夏休み」なのでしょうね。

 

こっちにも策はありますよ。

私のその①はワクチン4回目、打たない作戦。

打つことのメリットよりもデメリット、リスクにウェイトを置きました。私の勝手です。

 

先日「中毒性表皮壊死症」の酷い画像を息子から送り付けられ

ていたこともありますが、昨日耳にした話では「やたら脳溢血で倒れる人が多い」の件。

 

拙ブログでも「ワクチン打ってから・・・」の「脳梗塞、脳内出血になった」という方の恨みつらみについて記していましたが、それらはまんざら「気のせい・・・」と一言で片づけられない様相になっています。

昨日聞いた話。

その方の近所の檀家さんが昨年に脳出血で倒れたあと、周囲で続けざまにバタバタっと3件の脳梗塞の発症例があったとのこと。

 

その60歳代の檀家さんが脳出血で倒れたことは承知していましたがそのあと、ご近所でその病気としては「お年頃」ではある、などとは断じられそうな方たちが3人も、脳梗塞になったと。

血管劣化の年頃とはいっても「いくら何でも多すぎる」とその方も4回目ワクチンの「打たない宣言」をしていました。

私は「僕たち田舎住まいの者は山手線も中央線の混雑も無縁です!!」。

 

罹っちゃったら? ・・・ その時はその時考えましょう。

どうせ放ったらかしにされるのですから。

 

そして②。

10月に予定していたバス遠足(御納骨兼)を中止にしました。

撤収判断はお早めに・・・です。

インパール作戦ではありませんがね。

もたもたしているとキャンセル料が発生してしまいますし・・・

そんな時期(催行2か月を切った)にもかかわらず「行きま~す」と手を挙げた人はゼロ~ですからね。

 

皆さん心にもやもや、何人かの方々に直接審問を試みたところ、住職に頼まれたら「行かないワケには行かない」との嬉しい反応がありましたが、不安を抱えたままバスに乗らせるワケには行きませんからね。本音は皆さん誰もが「怖い~」。

 

私がふっと思ったのは以下のような事が起こったら・・・

一日目の行程が終了してホテルにチェックインした頃、「実は熱が・・・」という感じでぶっちゃけられて、ドタバタ、検査結果は陽性でした・・・などまったくシャレにもなりませんから。

バス乗車ご一同、全員濃厚接触者? 

 

ちなみに沖縄への修学旅行解禁となった某所の高校ですが、父母の誓約書が「現地で発症が確認されたら現地に置いていくのでヨロシク・・・」の様。その件事前に了解してもらうというものだったそう。

飛行機に搭乗させてもらえないのでしょうが、陰性確認されるまで沖縄滞在になるのでしょうね。

 

バス遠足の場合、私が引率責任者ですから、京都のホテルに檀家さんを置きっぱなしにし、さっさと帰れるワケもなく。

私だけでなく何より皆さんをリスクに曝すことになります。

すべてが台無しになる危険がある「無謀な冒険」となりうるからには早々に撤収の判断を打つが肝要。

また作戦練り直しになりますね。

 

画像は医療関係者でかつワクチン打たない派、友人の「女墓場放浪記」からの画像。転職して現在インターバル中。

次の仕事は某医療専門学校で教鞭を取るよう。

 

「晴れ」の美景を期待して早朝「あずさ2号」で向かったそうですが終始山は靄っていたそう。

「残念だったネ」と返せば「天気のことはしょうがない」「また行く!!」といたって冷静、ボヤキなし。

人間がデキているかと思うも、奥方が言うには「アレもお前と同じ相当のバカだろ・・・」。

なるほど、どこかしらイカれていなければ私などにハカ・テラ・シロそしてヤマの画像など送ってこないでしょうね。

 

山小屋に一泊して松本城をブラついてきたとのご報告。

イヤというほど松本城の画像を送ってきていました。

あの威風天守に感動したことはよくわかります。

私なら山は抜きにして松本市内を歩きたいところですがね。

尚、女史は東京から拙寺に前泊しそのバスツアーに参陣を予定していましたので中止を伝えておきました。

 

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2022年

8月

16日

法蔵寺 廣忠五輪塔周辺の墓石たち

以前の会社でお世話になった先輩が秋田角館に転居されていることをブログでも記していましたが、電話は勿論、携帯・メール等今風の連絡手段がありませんので、そちらのライブな状況がわかりません。

連日報道される災害級大雨と更なる前線の通過に、被害が僅かであることを願うばかりです。

 

昨日は午前・午後の法事がありましたがお昼はヒロシマ、ナガサキの日に続き戦没者を追悼する鐘が、ご門徒さんの手で撞かれていました。

日本海側から東北にかけて、雨続きで困窮される皆さんには申し訳ないことですが、当地の天気は安定した晴れ。

私のこの夏の本堂読経中の体感は今年一番の暑さと湿気になりました。

お内陣は閉鎖空間、私の体質は、汗をかきにくく高校のサッカー部時代に「お前は汗をかいていない(まともな練習をしていない)!!」などとT先輩に罵られたことを思い出しますが、昨日の読