2023年

9月

27日

豊田大谷の案内 豊田下山支所図書館で遊ぶ

昨日はどうしてもやらなくてはならない関門。郵便局へ。

初秋の候、今年度の本山経常費の送金のためです。

その算出の根拠は門徒戸数調査により出た数字を元にしていますが、こればっかりは全くハッキリした数字が出ないということと、寺院によってその考え方が違うというところがあって、昔から不公平感が漂っているわけです~基本自己申告~。

それでもご門徒さんの意志、本山護持に不可欠なものですのでゴネても仕方がありません。

コレはそういう言い回しをしたら叱られるでしょうが、わかりやすく言えばフランチャイジーの看板代といった感じかも。

要は「真宗大谷派」のお墨付きの維持ですね。

 

住職によっては「お西に鞍替えするぞ・・・!!」等の強硬とも思える発言をされる方がいらっしゃいましたが私にはそのような度胸も力もありません。

ご指示の通り淡々と手続きを進めるだけです。

 

その送金に関して、毎年その送金システム「ゆうちょダイレクト」を使用していましたが今年の7月からその面倒ないろいろ~たとえば1日50万円以上の送金不可のため2日にかけて送金~が更改されて一層の面倒、面倒に拍車がかかったような次第。

ハッキリ言ってアクセスも出来ずこれまでの送金の履歴や相手先口座番号まで調べることができなくなってしまいました。

全てそのアクセス面倒は世のアホバカ詐欺野郎の暗躍があったためでいわゆるセキュリティー厳重化の一環ですね。

しかしこれは無茶苦茶なハードルです。

 

まぁ個人口座でなく宗教法人の口座であることがその強烈に拍車を掛けます。

教務所に口座番号を問い合わせ、奥方に「コレタノム」と窓口に向かってもらったのが11時頃。

するとしばらくして「私ではお話にならない」と奥方が帰宅。

「代表役員」たる私が窓口に行かなくてはならないとのこと。

そこで庭仕事を放ったらかして私が同行することになりました。

免許証にハンコも持参して窓口に向かいましたが、それでも信用されなかったよう。

それはそれは「宗教法人の代表役員」という肩書と私の姿、容貌に関しての一般人から見たギャップは甚だしく怪しいということはわかりますが、免許証以外に宗教法人の規約書(法定の県庁提出物の控え)を見せて欲しいということでそれを取りにい戻ったり、受付の新人さんらしき方のミスも重なって何とか振込が完了した次第。14時でした。

さすがにお待たせしちゃって・・・とお詫びの冷たいお茶のペットボトルを二人分渡されその窓口で「ごちそうさま~」と言って帰宅。

窓口での直接振り込みは完了しましたが再訪して今度はネット上の不具合を修正することになっています。

 

扨、先日教務所から豊田大谷高校のパンフレットが届きました。

豊田は岡崎に隣接し、時々にその地に赴くこともあって身近な感覚はありますし、宗派の「大谷」が付く学校法人として三河に於ける真宗の光を伝播する楔として大いに応援したいという思いもありますね。

しかしどうでもイイことですが「学校法人 尾張学園」って・・・?

豊田は三河では・・・?

 

先日、花沢の郡界川やら孫根城界隈について記していましたが、あのときはたまたま行き当たった場所に豊田市の下山支所がありましたので立ち寄りました。

図書館がありますのでその蔵書をざっと眺めに。

地元の難しそうな書籍に目が留まりましたが、時間の制約のある中、まさに後ろ髪を引かれる思い、「またね~」と別れました。

貸出禁止の地元の歴史書、ハマれば相当の面白知識と対面できそうですが。豊田市の下山支所(場所はこちら)。

 

 

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2023年

9月

26日

龍安寺裏の墓碑たち 細川勝元 京兆家

息子はこの3日間、浜松から神奈川ベース(義母の家)へ移動し、依頼された法事をこなしていますが、昨日の段階で「今週末もタノム」と声が掛かったそう。

一旦浜松に帰り、再びそちらに戻るそうですが、この調子で首都圏で仕事があるのなら浜松を退去した方がラクなのに・・・

まったく浜松・・・想定を見誤りましたね。

私は浜松か静岡かでその転居地について意見を問われたことがありましたが、それなら断然浜松と言う具合に背中を押したのでしたが。三河門徒の流れを期待しましたが・・・

 

昨日は子供が居ない「叔母さんの行く末」について相談を受けました。

私も同じような境遇の叔母の件、施設の入所から継続維持、診療付き添いなど、いろいろについて、また「その後」まで私どもが責任者として差配することになっていますが、その方も「医者に呼ばれた・・・」とのことで「もう、そろそろ・・・」を匂わされているよう。

 

そこで「そのとき」のことを問い合わせに来られたのでした。

一応他に親族があるそうで、それらと合議しての決定だそうですができるだけ負担が少ない方向を探るようです。

看取らなければならなくなった叔父叔母の親族を抱えている方、案外多いような。

以前の女性(専業主婦)はロクな年金も期待できないことが多く、長期療養によって貯蓄も少なし。

介護して看取るといってもかなりの負担があることは見過ごすことはできません。物凄く大変。

 

また、私の叔母が御厄介になっている施設から連絡があって「鰻を食べたがっているがどうする・・・?」と。

2~3週間前に連絡してくれればOKだそうです。

そんな先の予定は立てづらい・・・ということで保留。

元気で他の入所者への面倒見がイイということで、たまには鰻でもつきあうか・・・といったところ。

えいやぁで「この日に!!」と決めればいいだけですが。

 

扨、龍安寺、仁和寺など雑踏と化す境内というのが私のイメージですが、昨日も記した通り私はその裏山(または)を歩きます。

そこまでは登らず龍安寺の裏側には細川勝元の宝篋印塔が立っていました。こちらも当然ながら丸に二つ引きが。

勝元が建てた龍安寺。墓があるのは当然といえば当然。

 

正面右から

①細川稙国 ②細川政元 ③細川勝元 (龍安寺殿)

④勝元正室  (春林寺殿)-山名宗全養女

⑤見桃院殿 不明

 

 

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2023年

9月

25日

真宗高田派 常楽寺の墓碑たち

昨日は伐採剪定等、植栽全般を業とする方と歓談。ご夫婦でその仕事を請け負っています。

すると今夏「初めて熱中症になった」と。

回復後も高温状態に不調が続き、ヘロヘロの夏だったよう。

同業者からは7、8月は休みにしたいとの声が出ているそうで、もし来年もその傾向ならそれも一考と。

伐採等の作業・・・「夏はもうイヤ・・・」の気持ちよくわかります。

 

また150号線沿いの松林の赤茶けた部分多し・・・の件「行政の理解度が低い」と仰っていましたが、盛夏のあとはマツクイムシの活動も活発、来年はもっとひどく赤茶が広がるだろう・・・と。

マツクイムシの駆除として3~4月の農薬散布というのがどちらでも概ね行われていますが現在は2月適正説。

私も以前からそう考えていましたが暖冬傾向の予報もあってその「早いうちに」動くことが大事かと。

 

今春私は今春3月4月5月とマダニに咬まれましたが、あ奴らは3月も啓蟄の頃から活動しているということがわかりました。

人間にも悪さをする薬剤(有機リン系)ですので何とも言えませんが2月末から3月初頃に散布してさらに3月末から4月初頃に撒くという手間が赤茶の松林からの回復を促す手段かと。

何しろ酷い。いまに松が無くなるかも。枯れた松もずっとそのままに立ち枯れさせたままですしね。元の緑の林を復活させて欲しいものです。

この件、何年も前から危惧されていることですが、漫然。

一向に改善を見ることがありません。

 

さて、等持院(昨日)の立地が立命館の真裏(南)というようなことを記しましたがその北側が衣笠山。その西方には龍安寺(こちら こちら こちら こちら )があって以前その裏山を散策し仁和寺にまで辿ったことを拙ブログにてのらりくらりと記していました。

 

この名刹の裏山は散策ができる歩道が整備されていますので人混みに違和感がある方はこの山はお勧めです。

たまたまあの時はスマホ片手にガヤガヤ、中国系の観光客とすれ違いましたが・・・。

仁和寺に至る道の脇に、真宗高田派の常楽寺に出あいましたので寄り道しました。南無阿弥陀仏の寺ですからね。

当地に移転して時間はそう経ていないようですが、同じようなカタチの墓碑がたくさん建っていました。

 

このカタチは石屋さん泣かせ。塔婆型石碑。

建碑の経費はかなり節約できそう。

 

 

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2023年

9月

24日

利休と丿貫のエピソード 映画のマキノ 等持院

息子は浜松に引っ越したものの今のところ仕事の依頼はなかなか入ってこないようです。

来月にようやく1件そのご縁があるようですが、昨日は再び横浜周辺の法事に向かっていました。

3日間3回の法事だそう。

その前乗りで義母の家に転がり込むという手はずです。

 

義母は相良に住処を変えることになっていますがその際はそちらの家を処分することになっています。

 

しかしながら彼の遠征宿泊には好都合ですので、このまま静岡での仕事が少なければその家を神奈川ベースとして残していくのも一手と私が提案。

すると「誰が水道と電気代を払うんだ」と奥方が騒ぎ出しました。

いろいろ彼が忙しく動いている様子を見て、私の早々の引退も視野に入れなくてはならないのかも。

なんとなく「死に待ち」されているような気がしないでもありませんが。

奥方は引退したら私を「寺男」として再雇用するとのことですが毎日草むしりと伐採、お寺のメンテナンスにこき使われるのはまっぴら御免・・・。

まぁ動けるということは悪いことではありませんが。

世の人の言葉に「死んだら仕舞」とは言いますがやはりそうではなくて「動けなくなったら~」でしょうかね。「自分の足で動けてご飯がおいしい」それが一番の仕合わせ。寺男OKか・・・

 

案外「屋根から落ちて突然亡くなる」なども仕合わせなことかも知れませんね。

長患いして長期療養、意識がないまま胃ろうの処置をされての衰弱死は自分も腹立たしいことですし奥方と息子のケアも大変。

しかしそれも子供たる者の使命ですがね。「すべてが自由で勝手」など大間違いです。

 

なかなか死なないのが本来備わった生命力であり、死なせてくれないというのが医療の進歩。

何が良くて何が悪いのか・・・果たして。

 

そして昨日は史跡研究会の寄合の日。

裏千家の師である増田氏(実家は地頭方)の流れが高天神崩れ(武田方帰農者)の説があるよう。

拙寺ご門徒の増田一統は近江出自(益田~)はまず間違いないところですのでルーツは違うはず。

当地に多くある「増田」の一系統としてなるほどと思ったところでした。

 

師には今回の拙寺バス遠足にも参加いただくことになっていますが、先日ブログで記した丿貫(へちかん)のエピソードについて盛り上がりました。

本当の「おもてなし(表ナシ=裏がナイ)」とは・・・

のエピソードですが、自身の茶室に招待した利休を事前に作っておいた落とし穴に落とす・・・という荒業。

 

利休が丿貫の庵に行くと風呂の煙突から煙と臭い。

さらに露路に赴くと足元の雰囲気がいつもと違います。

平然と歩を進めた利休の足元は落とし穴であり利休は穴に落ちて泥まみれに。

そこに丿貫がタイミングよく現れ出て「大変なことだ」・・・と「汚れをさっぱり落してください」とばかりに風呂へ案内。

利休がほっこり風呂から出てきて喉が渇いたところに、丿貫が温度、濃さを風呂上りの喉に最適な茶を差し出し、もてなしたという不思議な話。

 

実はこの流れについて利休はすべて丿貫のその意趣もてなしを承知し、露地に作られた落とし穴にわざと落ちて泥だらけになり用意された風呂に勧められるままに入ったというもの。

亭主の意趣を損なうことは亭主に恥をかかせることになりますし、それこそが真なるおもてなしと心得れば「すべてを信ずる」ことこそがまたウラがない心構えというべき粋なところ。

 

当流阿弥陀如来を亭主とすれば私は客。すべてをまかせる。

それを思いました。

 

まぁ普通なら「喧嘩して帰るところだ」(奥方)でしょうね。

「それでもそんなものわからねぇし二度と口きかねぇ」と腹をたてつつ無粋な意見もありましたが。

 

私なら丿貫の心情の方をスゴイと思いますね。

「落とし穴」の類、かつて色々なところでその手のイタズラをしてきましたが、穴を掘って相手がそれにかかるのを見届けながら真顔で現れてそれを気遣うなどできませんね。

ゲラゲラ笑い転げながら「してやったり」の心境。

 

利休の心情も倣うべきかも

まぁ丿貫はそれが目的ではなく、最良のおもてなしのための手段としてそれに行き着いたということでしょうが。

 

相手に酷い仕打ちを受けたとしても、「わかっていましたよ」の躰でこれもおもてなし・・と解釈して受け入れれば喧嘩は起きないかも。

 

扨、本日も等持院

①画像は足利尊氏宝篋印塔近くで見かけた石灯籠。

これは江戸期のもののようですが、利休は庵に石灯籠を設けそれに灯る灯かりに情趣を感じたよう。

 

そして世は俄かに牧野富太郎ブームといった感じ。

いろいろなところでその名が聞こえてきます。

そのマキノではなく、日本映画界のマキノ。

等持院には牧野省三の墓とその大きな像が建っていました。

古刹の佇まいに意表を突かれたことは確かです。

 

 

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2023年

9月

23日

足利尊氏に逢いに行く 宝篋印塔 等持院

拙寺のバス遠足(大谷祖廟納骨)を控えていますが、それに関わるいろいろ、配慮しなくてはならないところ山ほどありますね。

傍から見れば無茶な企画というか無配慮モノ多々。

解消の努力はしていますが、考えても仕方なし。

まぁ「なるようにしかならない」の一点、常套句で開き直りの躰ですね。

 

私は「自由」「無管理」こそが楽しい遠足と考えていますがそもそも皆さんを「引率」しまとめ、安全に帰還するという責任がありますので、その行程の時間コントロールの件、相当気を使います。

 

参加の女性の中に二名ほど骨折後(膝)のリハビリ中で、遠足の為に現在歩行訓練に励んでいるという方もいらっしゃいます。

そのポジティブ姿勢には驚かされます。

脳梗塞により歩行に介助が必要な方も「余裕で」参加されますので、車椅子を用意して対応。

問題は二日目の岩船寺から浄瑠璃寺までの悪路、「どうすんだよ」の気持ちが頭に残りますが、コレも「なるようにしかならない」でゴマ化しています。

 

傾向としてバスツアーで男性が思いやむ点は、とにもかくにもトイレの件。各疾病と投薬の影響もあって中には「30分おきに」などいう方も。

集団行動はムリという理由がそれですが、それを解消するにはトイレ付のバスでもなければ解消できないでしょうね。

運転手の京都行程まで最低30分(15分×2回)の休憩時間を入れるというのは法定の規約。

 

それプラストイレ休憩を増やすというのでは到着が何時になるか予想もつかないというところ。

今、大谷祖廟到着時間について結構厳密の制約がある中、それを考えると頭が痛くなりますね。

京都東インターを出てからの渋滞ノロノロも想定できます。

それでは「早く出発」と単純に言いますが、それですとスタート地点が朝3時などいうことになってしまいますのでそれも今更変更はムリ。

よって「なるようにしかならない」で睡眠を貪るだけ。

 

扨、本日は等持院の庭の主役、足利尊氏の宝篋印塔を。

等持院事件から明治維新以降、足利尊氏逆賊論が闊歩した時代があったわけですが、その時代の不運をやりすごし凛々しい佇まいの宝篋印塔は奇特です。

欠損部分も見受けられますが・・・もしかして・・・など思わせます。

廃仏毀釈の時期とも重なり、あの頃の寺は一部のおっちょこちょいの徒党にボコボコにされていましたからね。

 

 

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2023年

9月

22日

等持院事件 等持院の芙蓉池 十三重塔

先週末、地元のお店の企画「駅弁大会」に行った奥方が「殆ど売り切れだった・・・」としょんぼりしながら帰宅。

買い物のついでに昼食を購入しようとその店の棚を覗いたそうです。

少々の残りものはあったそうですが北の名物は少量で高価ということで手が出ないとも。

 

私には「豊川の稲荷ずし」を差し出し「コレで」と。

濃い味のそれは私の好み、十分満足、美味しく戴きました。

奥方は冷凍室からパンを出して適当に済ませたようでした。

 

その後、その「駅弁大会?」で出品され、早々に売り切れしていた、人気の青森の駅弁屋の商品を食した人の七転八倒の症状をニュースで視聴しました。

県内だけで86名が発症しているとのことですから、かなり確率が高いような。

ごはんが糸を引いていたといいますが、恐ろしい。

奥方からそれが提供され私が苦しみを得たとすれば「毒を盛った、盛らない」の険悪な雰囲気になることは必至。くわばらくわばら。

奥方はこんな時期に「その企画は無茶だろ」と。長距離搬送の途中のどちらかで「菌」の繁茂する時間があったのでしょうね。まだ空気は夏です。

 

と笑っていれば息子から連絡が。

その弁当ではなく友人ら4人で浜名湖でバーべキューでの話。

安売りマーケートのド〇〇で海産物を購入して食したところ同様に「七転八倒」の苦しみに至ったといいます。

息子は下痢程度で済んだそうですが、他には夜間一睡もできずに翌日病院行きになった人が二人。

食中毒というものは、自らの意思で毒を(毒と思わず)摂取する忌まわしいものです。

症状発現は体調によっても変わりますが、摂取量によって大きく違ってくるともいいますので、質もさることながら、量も気を付けていかなくては。

要は店頭にあるものであっても、100%の信用がおけないということでしょう。

駅弁当の食べた人の証言では「糸を引いていた」以外に「一味違っていた」ともいいますので、その判断(食を断念)はその後の状況を変えてしまいます。

レシートを持って突き返すことも頭に入れておかなくてはね。

それにしてもあれだけの不祥事、お店の方も信用を失くして大変です。治療費等の弁済も必然でしょうね。「返金させていただきます」では済まないでしょうね。

尚、息子たちはその件、お店には何もクレームを入れていないようです。

 

私はそれに「泣き寝入り」の大甘は自由だが、残りのブツが残っているならレシートを持って「おいおいおい」という具合に「店長さんいる?」と押しかけるのが普通の社会人と注進。

そんなことをしても門前払いだろと言いますので「こう言ってヤレ」と。

「そんじゃあ、今から保健所に行きま~す・・・」(検体持参で)と捨て台詞を吐けば大抵は「お待ちください」になるよ・・・と。

こじれて腹が立ったら、診断書持って「裁判所へ」の方向もOK、頂戴した苦悶のお返しはしっかりとするべきだと言いました。

 

食品衛生の責任者にはその語(保健所)には弱いものです。

菌が出れば営業停止のペナルティもありえますからね。

 

扨、等持院の芙蓉池つづき。

かなり以前、私が東武東上線の、確か大山駅の駅前商店街を歩いている時、大きな看板を持った人が立っているのが目に入りました。真昼間です。

それは各々ありがちな怪しげなお店の勧誘ではなくその人の主張が記されていました。

「我こそが皇室の正当な後継者」との主張ですが、要は今の北朝系ではなく「南朝系である私」が本質であるというもの。

どなたも我関せず、見向きもせずの躰で歩を進めていましたが私はあの時、まじまじとそれを拝読させていただきました。

まったくその人の事を知らず、真に受けることはできませんが、インパクトだけはありましたね。

「南北朝の名残をここまで・・・」とその人の出自にまで興味が沸きましたが、やはり「深入りは禁物」の抑制の心に趣向は打ち消されてすれ違い通り越した覚えがあります。

 

等持院にはその主張を思い起こさせる歴史がありました。

等持院事件(足利三代木像梟首事件)というものですね。

幕末の京都不穏の時節、等持院霊光殿安置の室町幕府初代足利尊氏、義詮、義満の木像の首と位牌が持ち出されて首は賀茂川三条河原に晒されたという事件。その罪状が「正当な皇統たる南朝に対する逆賊」でした。

単純に室町幕府(武家政権)初期の三代の時代に傀儡の皇室天皇家を樹立(北朝)したのであって南朝こそが真なる系統であるとの意趣ではありますがこれはある意味「=倒幕」の主張であって、幕府側としては当然に放置はできません。

それを処断し新選組を導入した京都守護職松平容保の会津藩が討幕派の目の敵のイメージのきっかけとなった事件でした。

 

霊光殿にある歴代将軍の一部+家康+αの木像は撮禁。

十五代の供養塔であるという十三重塔と⑦有楽椿(ワビスケ)。樹齢は400年以上といいますが・・・

寺に秀頼の手が入った際、植樹されたそう。

この珍品初見でしたが花を見なくてはお話になりません。

⑧は「芙蓉池に 風あるやなし  落花舞ふ」の歌碑。

 

 

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2023年

9月

21日

萬年山等持院の芙蓉池 足利家菩提寺

私の腰の具合は最悪期を脱しておかげさまでかなりの改善を見ています。

一時はこのまま寝込む・・・?という不安がよぎったくらいの未だかつてない痛みだったのですからこの回復は奇跡のようにも思えます。

これは痛みが消えたのではなく、その痛みに慣れたということなのかも知れません。

痛みと付き合っていくといった感覚もよく言われますが、人一倍無感性の私はきっとその痛みについて「忘れた」のかも知れません。

人の生き方の方向性として痛みについて忘れることは案外悪くない。

 

以前視たハリウッド映画の台詞で「痛みは無視する」という語が思いだされますが、それにとらわれていたら、次のステップを放棄しなくてはならないでしょうからね。

 

というワケで数日前あたりから数時間程度ですが外仕事を再開。

このところ腰痛を理由にすべてのことを放棄していた結果、どちらも草ぼうぼう。それらの草刈りや剪定などに着手した次第です。

境内の重量物の移動などはまだ力が入らないというか、腰を使った際、ヤバそうな電気のような走りを感じますのでそこはまだ遠慮させていただいています。

石垣積みの予定もあるにはありますし、鐘楼背後の楠の調子が悪く、枝枯れが激しいため、その伐採作業も必須です。

これからやるべきこと多々。

 

昨晩、電話が。「バス遠足に行けなくなっちゃった・・・」「ごめんなさい」の連絡でした。

毎度毎度そのツアーをツアーを仕切っていただき当人も相当楽しみにしてくれていました。これまで残念無念の中止順延を6回も乗り越えた方です。

その理由は奥さんが脳梗塞で倒れ入院したのことでした。

心筋梗塞のあとのそれだったとのことで心臓のケアに重点を置いていたところの今回の病にはかなりのショックを受けていました。

心筋梗塞~脳梗塞の件の関連性について以前から「ある」ということを言われていますが・・・しかし血管系のケアの念入りなどどうしても不可能。どうにもならないことですからね。

不参加に関しては残念でしたが、奥様を大事に療養を主眼にして過ごしていただき次々回のツアーの参加を待ちたいものです。

 

扨、先日の等持院の庭の追記。

等持院とは足利尊氏の戒名「等持院殿仁山妙義大居士長寿寺殿」の通り足利家菩提寺になります。

墓地のフェンスに掲げられた二つ引きが光っています④。

梵鐘には萬年山等持院の銘が③。

庭園「芙蓉池」周囲は散策できるようになっています。

 

 

 

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2023年

9月

20日

晴れ渡る午後の心 浄瑠璃寺 角塔婆阿字観

昨日記した浮かない「もやもや」の件、おかげさまで一瞬のうちに解決、暗い気持ちはスッと晴れ渡りました。

 

午前中、お彼岸前の一仕事、ため込んだ花ガラを地頭方の処理場に持ち込んだ帰り途、本通りの紙屋さんが「愚痴なら聞こう」と返信をいただいたため昼前ながら店に押しかけて言いたいことその思いを一通りしゃべりまくりました。

おかげです~っとして帰宅してしばらく、その件の当事者から電話があり、「予定通り」となったのでした。

 

処理場に行っている間は奥方に「電話番をタノム」という具合でしたが、日・月と昨午前までその連絡はありませんでした。

よってずっと暗い気持ちでいたわけですが、その内容とは1カ月を切った拙寺のバスツアーのある予定にダブルブッキングが判明したという報せがあったからです。

 

それはそのツアーに致命的なものでした。

これは相手があることですし、今はうまいこと処理していただいたことが窺われますので一件落着、満足に至る結果を戴いたことでその詳細を記すことは避けることにします。

 

何せ、その連絡の第一声が「申し訳ありませんが~」で、最悪その中止まで考慮するべき内容でした。

よってまさに尋常ではない心中の二日間でした。

旅費等は徴収済み、その他色々について予約等すべて「完成」済で、その中止など弁済費用(キャンセル料)もそうですが信用を失くしますからね。

何より、その言い訳について皆さんに一から報告して返金することも辛いことでそこまで考えたくらいでした。

一時は万事休すの心境にまで至っていましたのでその連絡を戴いたあとは安心・安堵・安楽の心地ですべての重荷を降ろせたところ。

「涙がちょちょ切れるほど嬉しい!!」とその担当者の善処に感謝しました。

 

私はサービス業に従事していたことがありますが、そのオーバーブッキングについて、怒っても「詮なき」こと、そしてそのミスについて「よくあること」と「俎板の鯉」を承知していますが、ここにきてまさか私が・・・と愕然とさせられたワケです。

 

私も「入念さ」のスタンスでもってそれら強く配慮していればこんなことにならなかったかも知れません。

これは皆さんにはその発狂しそうな件、ナイショにしなくてはパニックになるようなことだったのです。

 

今回その愚痴を一気に聞いていただくことが良好な方向に進む・・・こともある・・・ということを確認しました。偶然といえばそれでおしまいですが。

少なくとも喋り捲ることが如何にスカッとするか。

スカッとしたところに朗報が飛び込む・・・悪くない展開・・・。

ツキはまだありました。

 

扨、しかしながら私の「入念」はいつもながら軽いものがありますね。

それではまるで「無念」というものでしょうか。

世にいう「残念な生き物」なのかも知れません。

 

今回の遠足二日目というかその遠足の主たる目的地は遠足のタイトル「南山城の仏に会いに行く」の通りですが、これは岩船寺→わらい仏→浄瑠璃寺(→ブログ南山城)→円成寺。

上記愕然の前に愕然とさせられたことが、実はあります。

今回東博(東京国立博物館)で開催されている特別展「京都・南山城の仏像」の件。

やっちゃいましたね。そこに浄瑠璃寺の仏像が展示されるよう。

その以前に奈良博(奈良国立博物館)で同様の「巡業」があったことは承知していましたが、てっきりそれが終われば浄瑠璃寺に帰るものと思い込んでいました。

 

その前は毎年九体の阿弥陀如来坐像が数体ずつ修理に出て御堂④(灯籠は再掲 南北朝時代のもの)内の本来の勢揃いがありませんでしたが、まさかそこまで外働きをさせるかと・・・

あの地、木津川は便が悪く、人の往来が少ない場所。

仏像も都会に出なくては大きな稼ぎにはならないのでしょう。

 

まぁこの件もバスの中で白状することにします。

完全ではないということを。

主体は「わらい仏」ですからと開き直り。

 

またもう一つゲロしなくてはならないことは浄瑠璃寺に団体割引が無かったこと。回文にはそれがアルようなことをうたっていましたから⑦。

 

お彼岸の中日は三重塔がオープンするよう⑤⑥。

まぁ恥の上塗りツアー、あとはお天気だけ。

 

①②③は浄瑠璃寺参道脇にさりげなく立つ、南北朝時代の角塔婆が。

それは「塔身が方柱状に造られ、その頭部を四方とも傾斜を作って山形に作り、その下に二段の切り込みを持つもので、一見板碑を角状に造ったものの如く」(石造美術の分類)ですが、見れば宝篋印塔の笠が。

それは後補に見えますが・・・

 

角柱四面には真言系密教の「阿字観」のニュアンス漂う梵字が。

梵語の第一母音a~大日如来 胎蔵界~をもってその宇宙を観想するというものですが・・・。

私は「念」といえば阿弥陀さんだけ。

⑧は浄瑠璃寺阿弥陀如来。東博サイトより。

今、東京に行くべきか気迷い中。

 

 

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2023年

9月

19日

龍安寺近くというか立命館のウラ 等持院の庭と額 

今、滅多にないような驚愕・仰天事案に直面しているところ。

そのドタバタの件、いずれこちらで吐きだすことになるでしょうが、進展を見るまで恐ろしくて口に出せません。

そういった「追い込まれ感」の焦燥、これまで何度かその手のものを経験していますがかなりのものです。

打開策を検討してもらっていますが今、「超」がつくほどのもやもや感。

結果次第ではいつもの「勝手にしやがれ」の調子では済まされないようなことですから。

 

こういう時はテレビの映画放送で気晴らし。

というか毎度毎度同じ映画で「再」が10個以上は付くような放送で殆ど流し見状態ですが。

奥方は「やれやれ」と吐き捨てますが、何故に同じ映画を放送するのか・・・それは「御前の如くのバカが多く視聴率を稼げると踏んでいるのだろう」と。

映画の内容はカットが多くて時間合わせ、無理やりの感。私はそちらに驚かされますが、内容も例によって無茶苦茶、いわゆる荒唐無稽と一蹴されそうなものですからね。

 

その映画の和名タイトルは「続・夕陽のガンマン」。

その最後の場面、広大な墓地のインパクトと大谷祖廟隣の墓地を重ねて拙ブログでもその「好き度」を超えて記していますが、アレを視て、当初はデタラメ、無茶苦茶の荒唐無稽のアクション映画というところは他と同じでしたが、最近になって案外大嘘とは言い切れないと思うようになりましたね。

本日も映画のストーリーについて全くの根拠レスではないというところ。

 

それは今年7月15日のAFPから。

「米ケンタッキー州の農場のトウモロコシ畑で、南北戦争時代の金貨700枚以上が発見された」というニュースが飛び込んできました。

現在の取引価格は何と数百万ドルと見込まれている(骨董希少価値)というものです。

映画のおはなしでは20万ドルの金貨の在処について南軍の兵士が死ぬ間際に主役(C・イーストウッド)に伝えたことからその金貨の埋まっている墓地と墓石を探し出そうと「The Good, the Bad and the Ugly」 (善玉、悪玉、卑劣漢)」が争うというもの。

無意味とも思える南北戦争のドサクサを背景に展開されるというもので、各所にその戦争の悲話的な演出も散りばめられていました。

 

「金貨など埋められているワケないだろう」というのが視る方の感覚で「面白けりゃイイ」でこれまで過ごしていましたが今年の夏のそのニュースには仰天させられました。

「アメリカって凄い」また映画の中のおはなしは100%娯楽デタラメとは限らないということも。

 

扨、昨日は浄土宗の招善寺の庭を記しましたが、京都の庭と言えば龍安寺

あの辺りは寺多しで散策にはもってこい。

ただし観光客だらけとあってあまり気乗りのしない場所ではあります。

そして本日もかなり以前の画像ですが等持院という臨済のお寺。龍安寺とはそれほど離れていないというか立命館大学のウラという位置になります(場所はこちら)。

アメリカの南北戦争ではなく日本の南北朝時代のお寺。

あの時は改修中でしたが茶室からの庭の景色がウリですね。

私は各所に掛けられた「額」に目が行きました。

 

 

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2023年

9月

18日

玄琢道の御土居 大宮土居町 本念山招善寺から

相良の秋祭りの二日目。

例年雨に祟られることが多いイメージがありますが今回未だ雨はナシ。

連休の中日とあって参拝者は散見されましたが「相良はお祭りなの?」の声が。

境内のどなたも相良以外の方たちばかりだったような。

 

最近の境内でよく聞くのが「お婆さんが、孫が、私が・・・コロナになっちゃって~」です。

今再た、またぞろの感。

「どこでもらってきたか不詳」と心当たりはナイというのが専らで「学校やデイサービスの疑い」ということで話は収まります。

罹っても「投薬のおかげで大したことなかった」というのも異口同音に。家庭内「同居人に感染しなかった」とも。

薬とは塩野義のゾコーバでしょうかね。

今はタダですが来年にも保険適用3割負担になるといいますから「罹るなら今のうち」などの冗談まで出てしまいます。

「風邪(インフルエンザ)と同じ」という評価が蔓延していますので、場合によってはその出費に躊躇する人も出たりして・・・

それにしても初期のパニック状態の時節に亡くなった人たち、「一体アレは何だったの?」と思うくらい今は軽度で治まっているところ不思議です。

 

たまたま昨晩はI.M-2(2000年 トム・クルーズ)をBS4で放映していましたが、ストーリーはパンデミックを起こさせるウィルスとその特効薬を巡るおはなしでした。

「荒唐無稽のお気楽アクション映画」とアホ面して視ていたあの頃を思い出しますが、その後パンデミックは実際に起こり、一部欧米系製薬会社が大儲けをしたこと、まさにここ数年似たようなことが現実社会で起こっていたことでした。

映画ではパンデミック寸前で留めることができたのですが、現実は違いました。

 

アメリカという国は凄い。

その手のことを絵空事と放置せず、常に念頭に置いてパンデミック対応用のワクチンや薬の開発のために裏でせっせと動いていたのでしょうね。

勿論国家的使命として湯水のごとく資金を投入したことは窺えます。

そこは日本の政府とは違いましたね。

死者の多寡は別として「薬」の件では相当の後手を踏んでいましたから。

 

扨、昨日の玄琢道の御土居の続き。

あの御土居の後ろ側には本念山招善寺の境内(大宮土居町)が広がりますのでそちらへ(場所はこちら)。

手入れの行き届いた庭、比叡山を借景にした墓地と御土居のあるお寺です。

以前こちらから遠くない場所に息子の生息していた寮があったため立ち寄りました。

 

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2023年

9月

17日

玄琢町 玄琢道の御土居 野間玄琢

相良は恒例秋祭りの三連休。

当然いつものようにお寺は暇になります。

相良住まいの長い人たちは祭典中に「仏事はやらない」というならいがあるのと、そちらにいろいろ注力し、大いに関わるという傾向がありますのでお墓詣りも少なし。

 

地域神社のお祭りにお寺としては無関係(ただし「さ組」~相良区からご祝儀の依頼はあります)という歴史を貫いてきていますので拙寺に生まれた子供たちも祭りと言えば棚店の食べ物(相良区)にのみ趣向が向くのみ。

 

しかし祖父は日が落ちた頃、神社に出向き催される演芸を一通り立木の脇で立ち見するという毎年の習慣がありましたが、私にはその趣味はなし。

 

妹が「台所に立つのも辛い」と足の不調について電話でボヤいていましたが齢を重ねると女性の方が男性に比べて足の具合の劣化が進むようでその件どちらでも耳にします。

奥方は足の方はされほど悪いというわけではありませんが、暑さで台所で「火を使いたくない」とボヤいていることから私は奥方に「本日の夕食は神社の棚店で」と提案。

 

あまり期待せずにダメ元で出向きました。

奥方は焼きそばを所望していたようですが、その値を目の当たりにして(500えん)一気に食欲減衰したようで「ヤメタ」と。

「それなら自分で作る・・・」がその意のようですが、そのくらいの値は今時、許容範囲ですがね。

奥方はその500円でなぜかベビーカステラ、私はケバブ風の600円を購入して帰宅。

ケバブ風というのは秋葉原や名古屋辺りでトルコ人が経営する本場ものとは違う鉄板焼きの牛肉を炒めたものになります。

ケバブといえばコーラが定番。味はまずまずでした。

ケバブ用のパンは簡単に入手できますからね。

まさかそんな店が出ているとは・・・

いつもと違う夕食になりました。奥方は残りもののパンとサラダでごまかしたよう。

 

扨、御土居については以前、鴨川沿いの蘆山寺のそれを記したことがありましたが本日は玄琢町玄琢道の遺構(場所はこちら)。

 

現状御土居遺構としては下記の内、「大宮御土居町」の御土居ということになります。

 

9カ所の遺跡指定は・・・

昭和五年史跡指定8カ所

*北区紫竹上長目町・堀川町(加茂川中学校敷地)

*北区大宮土居町 玄琢道脇

*北区鷹峯旧土居町2番地

*北区鷹峯旧土居町3番地-御土居史跡公園

*北区紫野西土居町

*北区平野鳥居前町

*中区 廬山寺

*中京区 市五郎神社

 

昭和40年史跡指定1カ所 *上京区 北野天満宮 

 

史跡指定外 *北野中学校校庭 *大宮交通公園

 

 

その玄琢道という名称が野間玄琢から。

彼は父が昵懇にしていた曲直瀬道三の養嗣子の曲直瀬玄朔の門下に入って医術を学んだ人。

医者としてスポンサーは天皇家に幕府(秀忠-家光)ですから当時のその名は確たるものだったでしょう。

その人の屋敷も近くこの辺りには彼の薬草園が広がっていたそう。

⑧画像は玄琢町の図ですが、医院がこの地区にあるのはまさに「合っている・・・」とニヤリとしたところ。

 

 

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2023年

9月

16日

市五郎大明神がある御土居 

先日はトム・クルーズ(MI)の最新作を久々に楽しんだことを記しましたが、なぜかあれからその映画に登場した地名が現実世界でもやたらと頻出するようになりました。

 

一つにベネチア。

盂蘭盆会法要の世話人会で「コロナ禍再び」の傾向の中、各方面から次の波は来ないし来たとしても重篤症状にならないのでただの風邪と同じ・・・「大丈夫だよ」との声が交錯している中、その風潮に私はそもそも「ベニスに死す」状態で「信じられない」と言ったことがありましたが、それは観光業者等、人の流れに恩恵を享受する関係者の利益主体の行動規範につき往々にしてそのネガティブ意見は抹殺しようとする傾向があって、結局多くの人々を死に至らしめる・・・かも知れない・・・というおそれがあって楽観論こそ素直に信じられず慎重になるべきという感覚でした。

しかしその後私も楽観というよりいつもの「勝手にしやがれ」の投げやりで今回のお寺のバス遠足で人を集めていますのでまったく脈絡がありません。

 

先般の80回ベネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した濱口監督の作品がありましたが、ベネチアといえば今、コロナ後のオーバーツーリズムによって市民(おそらく観光業にかかわっていない)は悲鳴をあげていて、今後ベネチア市内に入るに入場料を徴収するなどの選択肢も検討ともありましたね。

話は飛びますが観光客のマナーとゴミの山に辟易としている様が伝えられていました。

 

そして二つ目がクリミアのセヴァストポリの語。

ロシア黒海艦隊の拠点ですがそこに居た潜水艦にこのほどウクライナがミサイルを撃ち込んで大破させたというニュースがありました。まるでこちらも映画の中の出来事のよう。

セヴァストポリそして潜水艦・・・あの映画に登場していたフレーズでした。

ストーリー的には何らの繋がりもありませんが、物語に入れる語彙としてまさに現実社会の色々を加味しながら登場させたのでは・・・などと思うと「当たり!!」を感じさせられるばかり。

 

実際に人が死んでいる戦争と娯楽映画をゴチャ混ぜにして面白がるような躰はイケないこととは思うものの戦争映画、ドラマを日々の娯楽として育った身としてはどうしてもその手のことに興味が向かってしまいます。

 

現実問題として今回のセヴァストポリの攻撃は本格的なウクライナのクリミア攻勢の始まりであって「クリミア半島まで一気に奪回」するの意思表示の如く。

NATO系の長距離誘導ミサイルを今回「使用して成果をあげた」の既成事実作りに成功したということいかにもしたたか。

支援国(英米)は苦虫を潰したといったところでしょうが、この軍港の攻撃いよいよ「賽は投げられた」の感、しないわけでもありません。

 

今後どうなるかなどわかりませんが、クリミアとウクライナに平和な時間を取り戻して欲しいものです。しかしウクライナとプーチンの目的が違いますからね。

プーチン病気重篤説・・・これもフェイクだったのかしらねぇ。

案外早い終息を見るかと思ったのですが。

 

扨、昨日に引き続いて本日も御土居。

スケールとしては街なかでフラットな地ですから、江戸期に削平されて殆どそれらしさは感じられません。

その場所がこちら

堤上に市五郎大明神とやらの社があってそちらに石標が建っています。

 

掲示板の如く当初御土居跡として昭和5年に史跡指定された場所は8か所。

昨日記した北野天満宮の御土居指定は昭和40年になりますので直近の9つ目ということになります。

 

 

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2023年

9月

15日

御土居の大欅「東風」 北野天満宮 

夜間、学校のプールのフェンスを飛び越えることは私も何度か記憶に残ります。

いずれも許可を得て使用したグラウンドでのサッカーや野球、ソフトボールの球がプールに入ったことによる回収です。

えいやぁとばかりにそちらに「侵入」するわけで、その目標が達成されれば何事もなく退出することになります。

そんな際、どなたの許可も得るワケでもなく当然の躰でその仕事を達成するワケですが「ひと泳ぎして帰ろう」などの気はまったく起こりませんでしたね。

 

先日はどちらかで体育館でスポーツ後(許可あり)にひと泳ぎということでプールに(許可なし)入って何故か気の毒にも亡くなってしまった若者の事例がありましたが、学校側の管理責任に関してはさすがにゼロでしょうね。

 

昨日はトイレの水道代についてケチなことを記しましたがプールの水となると大変です。

学校のプール担当の教師の責任を追及されている事案があります。

川崎市教育委員会が多摩区の稲田小学校のプール管理作業で誤って流出させてしまった水道代金190万円のうち半額の95万円をその小学校の校長と注水を担当していた教諭に支払いを求めたとのこと。

それはいわゆる止水を忘れていたという部類の凡ミスではなく機械操作のうえのミス(アラーム音に反応してブレーカーを落として対応したため止水不能になっていたそう)で専門外のたまたまプール担当になっていた教師に責任を押し付けて円満解決としようとした厳しい市の姿勢に対してやはり「気の毒」を思いました。

気の毒なのは教師と校長。校長なんてのは管理責任者という立場上の理由だけですからね。

 

そもそもプール担当教師にプール操作マニュアルを提示していなかったようですしそれを教師に責任を負わせるのは酷すぎますね。

ただでさえ大変な教師の時間、夏のプール授業用の管理者として奔走しながらその損失について支払いを強く言われるのなら・・・

いよいよ子供たちに「教師なんてやるな!!」と教示するしかありませんね。

一般の教員職務にいっぱいいっぱいになっている教師のことを考えれば専門に機械操作を熟知したプール管理オンリーの作業員の雇用を検討すべき。

 

それはそれは190万円の損失について市民に「ごめんなさい」を告げる立場もあるでしょうが、その鬱憤の捌け口としてを二人の教員を指名、背負わせることが「道義なの?」と聞いてみたいところ。

 

扨、連日の北野天満宮ですが、私があそこをブラついた理由は御土居のケヤキの大木に会いに行くが主眼。

上部に枯れが入っているようでまさに老木の様。

秀吉時代辺りからというものの菅原道真の歌で特に有名な「東風」の名がつけられているようです。

「東風吹かば  にほひをこせよ  梅の花 ~」

これも道真の心境、気の毒になってしまう歌でした。

 

御土居はかなり深い。

 

 

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2023年

9月

14日

紅葉もお好き 菅原道真歌碑 北野天満宮 

拙寺の外トイレの件、以前の旧式のものはとっくに廃止、会館の解体の際に浄化槽も撤去しています。

拙寺の以前のトイレは床の施工が悪く、逆テーパーが掛かっていて水洗いの際、水が奥に溜まるというバカバカしいほどに呆れかえさせられる代物でしたが、その清掃と管理含めて、大いに神経を傾注する場所でした。

理由は目が届きにくい場所にあって管理不能に陥るからです。

撤去して数年、境内参拝者の利用に支障が出ていることは承知しています。

その折には本堂脇のドアより庫裏のトイレに案内していますがそのドアは大抵ガッチリと鍵をかけていることが多いですからね。

よって当初は境内墓地の隅っこで「処理」する方も散見したほど。

さすがに最近はそういった慌てん坊さんは見えなくなりましたが不便であることは確かですし不特定多数の方が来訪する場所において受け入れとしては適切とはいえません。

 

お寺の外トイレについては各寺院色々お悩みの所があって、私の聞いた某寺院では郵便配達や宅配員が毎度使用することに「腹が立ってクレームを入れた」そうです。

それは「水道代の件もあるが清掃が大変」だとのこと。

傾向としては我が家のトイレでなければ適当に使用するという人の心理傾向があることですね。

 

拙寺の庫裏のトイレの使用は庫裏のドアが開いていれば出入り自由になっていますし、閉じていても声を掛けていただければ開錠します。

そして煩忙の手を止めて呼び出された際の奥方の「なんだかな~」は拙寺の向かいにある墓地へのお墓参りの方、あるいは部外者、通行人等がトイレを所望される際などですが、その部外者の使用に関して実はケアが特に必要なのです。

 

何故ならばその空間は目が届きにくく、防犯の観点からも注意が必要なポイントだからです。

次節拙寺にて外トイレの設置構想がありますが、私はそのドアについて業者に検討課題を投げかけました。

まぁ予算にもよりますが、外からの施錠ができるものでその施錠にタイマーが付けられるかどうか検討中。

どちらかの公園のトイレでは夜間、首吊自殺の例があったようにその空間は結構にヤバい。

 

要は夜間、たとえば17時~翌朝8時まで施錠するというものです。

まぁタイマー施錠ができれば確実ですが、マニュアルでも対応可能というか毎度施錠に赴けば念のための個室のチェック習慣ができますからね。

とにかく業者さんへの注文は清掃のしやすいトイレ、それが第一義となります。

 

扨、菅原道真といえば「梅」そして松、桜かなどのイメージ。

紅葉の鮮やかさにも感動したというところ。

北野天満宮、御土居跡の秋は温かな色合いに包まれることでしょう。

 

 

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2023年

9月

13日

秀吉の北野大茶湯 丿貫(へちかん) 花街上七軒 

時に息子、奥方、奥の墓道氏とラーメン談義となります。

塩分過多につき「控える、控えろ」というのが私の主張ですが

皆、私の主張を笑い飛ばして「スープを飲み干さなければOKだ」と反論してきます。

その論理、正論なのか・・・とも。甚だ疑問です。

 

奥の墓道氏など年がら年中ラーメン食の感がありますからね。

一時は日々それを食べ歩いていたような。

タバコを吸って酒も飲みいつも健気に塩分摂取。

どう考えてもヤバいだろ・・・と思いますが現状至極元気。

さすがに降圧剤、痛風の薬は欠かせないようですが・・・

 

しかし絶対に、何らかのカタチで血管を痛めつけているはず。

最近は脳出血、脳梗塞、心筋梗塞の症例に次いで大動脈解離というそら恐ろしい病で亡くなった方の例を知らされています。

 

私もラーメンはどうしても食べたくなりますので時にお店の暖簾を潜りますが食事後はどうも「悪いことをした」とうしろめたさのようなものを感じてしまいます。

きっとそのうしろめたさを感じさせるものが私の脳内毛細血管をむしばむ塩分濃度であると。

そんな時はスーパーに飛び込んでバナナを所望するというのが私のルーティーン。水をがぶ飲みしながら塩分排除のためのカリウム摂取機会ですがこれも私の錯覚、気休めでしょうが。

 

これはその件「いつも気に掛けている」というスタンスの維持が塩分摂取減量に繋がっていると信じています。

その分甘いものに関してはノーセーブですから、まったく勝手なものです。

 

そのラーメン通の奥の墓道氏の住処近隣弘明寺にある「丿貫」について彼が語ったそのお味について。

彼はラーメン店について問えばその食レポを報じてきます。

周辺繁華街「美味い」と聞けばスッとんで「転戦」しているようですからね。

その「丿貫」の彼のトータルな評価が「濃厚煮干しスープとパツパツ低加水麺」とのことでしたので私が「?」と首を傾げると

「当初所感、スープがエグ味を感じるほどの濃厚さ。スープはセメントの様な色をして見た目悪いが美味い。チャーシューは低温調理。」で要は美味いらしい。

同じ弘明寺に「丿貫」出のラーメン屋「ひんな」があってそちらにも良く顔を出すとのこと。

 

その「丿貫」。その店の名称選定は漫画の「へうげもの」からだろうとのことですが、その「丿貫」(へちかん)とは天正 

十五年に北野天満宮で開催された北野大茶湯に野点に登場した数寄者の名です。

千利休・津田宗及・今井宗久の3名を茶頭として招聘し、全国から「茶人集れ」の大号令。

そこでの野点で丿貫」が秀吉を驚嘆させたといいますね。

 

扨、北野天満宮の東側には天満社改装の余剰材で建てたのが始まりという茶屋を始まりとする花街上七軒なる街が広がります。

京都の街並みとしては電柱を除去するなどかなり上等な配慮のされている地ですが、私には縁遠い場所。

あの時、私はうどん屋さん~850円~のお世話になりました。

京都というと私は何故かうどんになりますね。

息子のラーメン好きは京都居住から始まっていますが、京都のそれら店の話をする時は彼も奥の墓道氏同様に詳らかに情報を提供してくれます。

 

私は「あまり喰うな!!」ですが。

 

 

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2023年

9月

12日

良時吉日えらばしめ 天神地祇をあがめつつ 北野天満宮

先般気づいたことですが首都圏の火葬場で稼働しない日(お休み)を設けないというのが普通になりつつあるよう。

要は火葬場超繁忙につき順番待ちの列が「一週間は当たり前」の状況が続くようになっていて、これまで1週間に一度あった閉所日をなくすという方向に舵が切られたということです。

 

当地ではその「面倒くさい」因習がまだ厳然と残っていて葬儀式等の計画を起こすうえの一つのハードルになっていますが、それが「友引」というやつです。出自のハッキリしないくだらないこじつけ。

まぁそれは職員のあるべき休日として許容してていましたが、考えてみればスタッフのシフトを廻していけばいいだけですからね。アホらしい理屈。

市民サービスという点でも行政はその辺りの件、検討していく必要がありますね。

1日、日延べになるということはご遺体の保存のためだけでも多様な選択肢の中、頭の中を整理して考える必要が出てきますから。

 

特に高温の夏期の場合、多くのドライアイスの取り換えのほか特別な安置施設に搬送したり、また究極の保存処理、エンバーミングなどの高額な処理を施すことを検討しなくてはなりません。

よって「友引だからお休み」にする・・・などの悠長は言わない・言わせない・・・というのがその首都圏火葬場周辺の動きでしょうね。

お別れの時間を長くとりたいというのは心情でしょうが、1週間

以上というのはちょっと・・・

 

カレンダーを眺めてその「友引外し」のスケジュールを頭に描いて予定をたてるのは何ともバカバカしいこと。

そこが休業というのはその次の日が混みあうことにもなります。

私としてはさっさとこの相良辺りもそれら良き方策に倣っていただきたいと考える次第。

 

それはいわゆる「良時吉日」というやつです。

結構にそれは日本人の心底に流れているおまじない的変てこ風習です。

当流親鸞さんはそれに関して一蹴していますが、そうはいっても祖母などガチの真宗門徒であってもその「大安」というのが大がつくほど好きで何かポジティブ行動を起こす際はその語彙を口にしていたくらい。

年配者、特に女性はそれがお好きなよう。

 

そういいながら当家縁者が先般婚姻届けを出していましたが単純に「その日は何の意味が・・・」と問いた際「飼い猫の誕生日」とのことでその大安だ仏滅だの件まったく関係なし。

当流の門徒以前に、でした。

若い連中はそんな吉日どうの・・・の件、まったく眼中にないようで一安心しました。

おまじない、占いに頼るのは人間の弱さの露呈かも知れませんからね。

もうそんなアホらしい習慣はおやめになって迫られた利便実利を求めましょう。

とにかく「友引はお休み」というスタイル、是非に変更希望。

 

そのことについての親鸞さんの御示しは御和讃を眺めてみればわかります。

 

かなしきかなや道俗の 良時吉日 えらばしめ 

      天神地祇を あがめつつ ト占祭祀つとめとす」

                   ~『正像末和讃』

 

でした。

 

扨、画像は昨日に続いて北野天満宮。

圧倒される歴史ある建造物です。

最後から2番目の画像が地主神社とやらで看板に「祭神 天神

 祇」とあります。「ああ、親鸞さんがきらうヤツね・・・」

私も占いの類、まったく興味ナシ。

親鸞さんを悲しませることはイケません。

 

 

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2023年

9月

11日

親子は一世夫婦は二世主従は三世 北野天満宮伴氏社

昨日夕刻に来客があってから思わぬ長話となったため、大河ドラマはいつもの「流し見」の視聴すらありませんでした。

 

その長話の内容は一言である夫婦の悩む家族の件。

義父と嫁の関係の悪さ その嫁と夫と息子 そして同居する嫁の母と息子の嫁 別居する夫のきょうだい 息子の嫁の家族。複雑に絡み合いつつそれぞれの「後生の一大事」についての心配の件。「自身の骨を拾ってくれるのは誰か・・・」含めて。

血縁者と他人とでは血縁者の方が尚更問題が複雑化することはよく知られているところですがやはりそのパターンいろいろですね。

聞くのみとしたいところですが、私の意見は漠然ながら「一番大切なものは何か・・・」について念頭に置き決してそれは忘れてはならないと。「離縁」の声も聞こえていました。

 

その時、私がその夫婦に囁いた言葉が表記、「親子は一世 夫婦は二世 主従は三世」でした。

まぁ息子夫婦のことよりも夫婦の大切さを言いたいばかりにその語を持ち出したのですが、古い時代にもて囃された考えですから時代錯誤と一蹴されても仕方がないところ。

 

扨、先日私が映画のロードショーに出向いた頃、叔父夫婦は文楽の菅原伝授手習鑑の観劇をしたところだったようでした。

拙寺には「梅王丸」という名のネコがいますが、それはその物語に登場する三っ子の兄弟の一人から取ったもの。

他の二人が松王と桜丸ですね。その物語の重要な役柄です。

その桜丸が自害するワケですがその際もその「親子は一世 夫婦は二世 主従は三世」の詞が登場したとのこと。

その言葉についてその思想こそが信玄や家康の脳裏にあったことはまず違いないところ・・・というのがその時の叔父との会話でした。

 

それぞれの長子、武田義信と松平信康への処断の謎ということになりますが、その語は昔から言われ続けられ繰り返し摺りこまれた言葉ですからイザという時にはその方向性はありうるというのがその結論。

 

尚、「主従は三世」と最重要の強調ですがこれは単純に主従関係というものだけでなくこれこそが「家の存続」~現在 過去 未来(永劫)~であるというところ。

家康は一世、二世ではなく三世(未来)の重要性を選択したといえるのかも知れませんが当時としてはまさにそれが適切な判断だったということでしょうか。

 

画像は菅原道真を祀る北野天満宮。

そして菅原道真の母を祀る伴氏社。「親子は一世」といえどもその母あっての天才菅原道真がありました。

石鳥居は鎌倉期の逸品。

 

 

 

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2023年

9月

10日

大河カット石川数正 正信偈つぶさには正信念佛偈 

昨日、奥方から地元民放系の情報番組で史料館の長谷川氏が登場したと。

牧之原会場(平田寺)の将棋の対戦がお流れとなって当地のい~らに棋士を招いてのトークショーが催されたそうで、その市側の担当者ということでした。

「観光課も兼務だね・・・」とニヤリ。

彼のその責務の大変さを思いますが、それはこじつけではなく田沼意次の将棋好きの文献を彼が掘り出したからですね。

そういう経緯もあって史料館、学芸員の彼が将棋企画の担当者となっているわけです。

これから「将棋で町おこし」の方向性も囁かれていますが、体がいくつあっても足りないような。

 

とかくお役人世界は滅私奉公と忖度の風。心身共に疲弊させられます。大事にして欲しいものです。

 

何ともおかしな話ですが私は現在のNHK大河ドラマから少々距離を置いていました。

テレビ小僧としてそのチャンネルには特にお世話になっていて外しがたいところですが、その番組には私の勝手な持論を展開したくなるところ多々あって、それならと言う具合にテレビのチャンネルは、ずっとそのままに、ただ「流し」ている程度になっていました。

夜遊びの帰りが遅くなることもあって丸ごと一作飛ばしたりしましたが。

 

今回の物語の私の興味の本とするところは三河一向一揆と三方ヶ原戦ということもありますが、一向一揆の方はまずまずながら三方ヶ原ほかその他のストーリーはどうも不満足ばかりで。

演出家によるお話の持って行き方の違いですから私がとやかく囁いても意味はなし。

 

扨、先日日曜日の放送回もまた音量を絞っての「流し見」だったわけですが一瞬目を疑うようなカットが目に留まり、まさかとは思いましたが確証がないまま一週間を過ごしていました。

お話は石川数正の謎の出奔、その理由の推測でした。

 

先月末、8月の史跡研究会のミーティングが史料館でありました。

その中でやはり石川数正のその「謎」が話題にあがりましたが、私はいつも同様、他の色々はさておいて、石川数正ほか石川一統はチャキチャキの真宗門徒でしたから、その辺りからの家康の本證寺以下宗派の処遇についての「もやもや」を引きずっていた・・・とその出奔まで他の不満も積み重なり醸成したわだかまりの一つだったと論じたわけですが、番組の演出はまさに私の思うようなところを示唆していました。

尚、拙ブログで記した「石川」関りについては最下段「サイトマップ」をクリックして「Ctrl+F」で開いた窓に「石川」と検索文字を入力してください。

 

今回のストーリーは数正の出奔のあとその屋敷に残された彼が彫った仏像と桐の箱にスポットが。

その仏像が画面に現れるや当然の如く私はその様に目をやりました。

番組演出による石川数正の彫ったという仏像とは・・・何?ですね。「おはなし」ながら興味が沸くところです。

よって凝視。

「ほう、阿弥陀如来・・・」でした。まず間違いなし。

「喜ばしてくれるものだ・・・」とニヤニヤして見ていると、次の場面で仏像と一緒に包まれていた桐の箱が開けられている様子、そしてその仏像に手を合わせている数正のシーンが。

 

その桐の箱の中には築山御前と信康の思い出の詰まった押し花が納まっているというところですがその花の上にあった冊子の表紙の表題について、まさにこの目を疑ったのでした。

パッと見「正信念佛偈」と読みました。

ぼんやりと流し見していましたからね。

まさかと思ってこれはこの目で確認しようと思い土曜日の再放送を待ったのでした。

 

というわけで画像①②③④は昨日再放送で確認できたその場面になります。

ビデオキャプチャーさせていただきました。

齢を重ねたといえどまだまだこの視覚機能はOKの様。その語は間違いなく「正信念佛偈」でした。

まだ、当流関係者が時代考証に顔を出しているのか・・・と思うところですが、私としては今回の演出は嬉しく思いましたね。

仏像の種類もその語彙についても何らの紹介もなく、あくまでも知る人ぞ知る・・・でかつ示唆的なもの。要は、勝手に納得させるところですね。

 

ここでその「正信念佛偈」について記したくなりましたのでさらっと。⑤⑥が本山発行の解説本です。

要は拙ブログで幾度か記している「正信偈」のことですね。

いずれにしろ大河ドラマで「こっそり」と、当流一番の経典の名称が出演したことは嬉しいことでした。

 

⑦⑧は拙寺の今年の盂蘭盆会法要で配布した岡崎教務所が発行した「正信偈」青本。

正信偈といえば「赤本」というのがイメージでしたがこちらは「青」。シンプルにその「正信偈」を主に記した構成になっています。

 

この青本、「正信偈」にご興味のある方、拙寺にて坊守か私を掴まえて声をかけていいただければ1冊贈呈いたします(限定30冊)。それはご門徒・他流関わりません。

合言葉は「大河見た! 正信念仏偈!!」で。

 

電話確認して来られれば尚確実です。

気軽にお声かけください。

そして当方からのリクエストは何もありません。

 

 

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2023年

9月

09日

郡界川 花沢町~下山 疣神さん 川の小島に

台風13号は私の予想を裏切りました。

昨晩の午前3時頃の強風には意表を突かれました。

何故にして台風本体から離れた北東側に風雨の集中が発生するのか。

その前の熱低崩れの際もその傾向がありましたが、今回は台風が接近し明るくなる頃には風もやんで晴れ間まで出てきたことはまったく理解不能。

まぁ午後あたりから台風は北上に従って当初の針路を東側に変えたこともあって当地は静かなものでした。

 

朝の風雨のあと対策を怠っていた境内周辺を見回りましたが何とか無事にやり過ごせたよう。

その際は午後からの「上陸」の予報に敬意を表して、遅ればせながら本堂の雨戸を閉めました。

 

植木鉢の片づけを放棄していたため、朝一は倒れた鉢を起こして纏める作業があり、その中花を多く咲かせるブーゲンの株が1本根元から折れてショックを受けました。

付き合いが長く何度も冬を越した仲間、がっかりです。

まさかあれほどの風に見舞われるとは・・・少々甘く見ましたね。

尚、土曜日に横浜で法事を抱える息子は、午後の無風、降雨無しの安定した時間に余裕しゃくしゃくで向かい明るい時間には義母の家に着いていました。

 

扨、花沢町~下山地区には郡界川なる川が流れています。

由来は加茂郡(豊田市域)と額田郡(岡崎市域)の郡の境界を流れたことからです。岩津まで流れて巴川と合流して矢作川に。

 

その川に疣神の伝承があります。

疣といえば当地から原(行僧原)にあがったところに地元の皆さんから「疣取りならここ」という具合に信仰を集めている疣地蔵がありましたが、単純なるギモン。

それほどに①疣が困るほどできるものか・・・②願掛けしてそれがホントに(納得できるほど)消滅するものか・・・

古い時代からの信仰でケチの付けようはありませんが・・・

現在は道路に接した崖下落石防御ネットの内側にひっそり佇むといった感じ。

さらなるギモン。③落石がもしあれば・・・

 

疣神様(場所はこちら)周辺には車を停車する場所はありません。⑥郡界川はこちらより少々源流に近い場所の図。

 

 

 

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2023年

9月

08日

花沢町小御堂易往寺巨樹2本 好みの御文 易往而無人

台風13号の針路は少~しづつ西に変わってついに昨夕は私の住処をピンポイントに狙い撃ちしているかの如し。

ただしいつもの台風と違って私は高をくくって余裕の躰ではあります。

対策もまったくしていません。

「温帯低気圧に毛が生えた」程度というのがその私の勝手な見立てですから。

通過時には激しい降雨となることは予想しますが、大した風もないのでは・・・ただしそれは「私の事」。

河川近くや土砂崩れに見舞われそうな地にお住まいの方はご配慮あれ。

息子も再び週末、横浜での法事に呼ばれて高速を使用するといいますが、それはそれでリスクあり。道路がどうなるかなどまったくわかりませんからね。

「安請け合いするな」と言ったものの受けちゃったからには仕方ない。

 

扨、昨日の花沢町の小字「小御堂」には案の定「御堂」がありました。

それが当流の易往寺になります(場所はこちら)。

こちらの字名になったそのはじまりの道場が易往寺だったのでしょうね。

山号が「華林山」。

「花沢」という地の華の林・・・近くには「花山中学」があり花づくし。お寺の住職の名も「花〇さん」でした。

ヒヨクヒバとクロガネモチ、二本の大木がお出迎えしてくれます。

 

易往寺の「易往」といえば「易往而無人」。

御文二帖-七から。

 

しづかにおもんみれば、それ人間界の生を受くることは、まことに五戒をたもてる功力によりてなり。

これおほきにまれなることぞかし。ただし人界の生はわづかに一旦の浮生なり、後生は永生の楽果なり。

たとひまた栄華にほこり栄耀にあまるといふとも、盛者必衰会者定離のならひなれば、ひさしくたもつべきにあらず。

ただ五十年・百年のあひだのことなり。それも老少不定ときくときは、まことにもつてたのみすくなし。

 

これによりて、今の時の衆生は、他力の信心をえて浄土の往生をとげんとおもふべきなり。

そもそもその信心をとらんずるには、さらに智慧もいらず、才学もいらず、富貴も貧窮もいらず、善人も悪人もいらず、男子も女人もいらず、ただもろもろの雑行をすてて、正行に帰するをもつて本意とす。

その正行に帰するといふは、なにのやうもなく弥陀如来を一心一向にたのみたてまつる理ばかりなり。かやうに信ずる衆生をあまねく光明のなかに摂取して捨てたまはずして、一期の命尽きぬればかならず浄土におくりたまふなり。

この一念の安心一つにて浄土に往生することの、あら、やうもいらぬとりやすの安心や。

されば安心といふ二字をば「やすきこころ」とよめるはこのこころなり。さらになにの造作もなく一心一向に如来をたのみまゐらする信心ひとつにて、極楽に往生すべし。

あら、こころえやすの安心や。また、あら、往きやすの浄土や。

これによりて大経には「易往而無人」とこれを説かれたり。

この文のこころは「安心をとりて弥陀を一向にたのめば、浄土へはまゐりやすけれども、信心をとるひとまれなれば、浄土へは往きやすくして人なし」といへるはこの経文のこころなり。

かくのごとくこころうるうへには、昼夜朝暮にとなふるところの名号は、大悲弘誓の御恩を報じたてまつるべきばかりなり。

かへすがへす仏法にこころをとどめて、とりやすき信心のおもむきを存知して、かならず今度の一大事の報土の往生をとぐべきものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

[文明六年三月三日これを清書す]

 

 

 

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2023年

9月

07日

花沢町小御堂  Negative capability アナログ的スロー

朝から降ったりやんだりの不順な天気。

午前中はもやもやしながら書き物に時間を費やし、昼前に外に出ました。

一気呵成にと、最近ご無沙汰していた映画館にGo Go Go Go!!とばかりに奥方の尻を叩きました。

水曜日は入館料の割引がありますからね。

息子にそれを報せると「暢気なもんだ」と呆れられてしまいましたが、何せハリウッド製映画はかなり久しぶりですから少々のハイテンションをもって向かったのでした。

 

また最近は腰痛やらなんやらでテンション下がりっぱなし、「少しは元気が出るヤツ」といった感覚も。

 

主演はトム・クルーズ。私が子供の頃お茶の間で視ていたシリーズものの映画版になりますが、これまですべて視聴しています。

やはり映画は大画面・大音量に限りますね。

テーマはAI人工知能の暴走と恐怖というところか。

冒頭沈んだロシアの原潜の名がクリミアの地名「セヴァストポリ」(現黒海艦隊基地)というのもニヤリとしたところ。その映画はPART 1とありましたので続編があるでしょう。

おそらくその「セヴァストポリ」の海底の探索から始まることはまず見えています。

 

しかし私はアレを見て確信しましたね。影響されたというか・・・

人口頭脳AI流行りの世の中にあってその警鐘にも見えました。「そんな世の中、さらさら御免」といったところ。

人口知能の暴走・・・恐ろしいことになりますよきっと。

 

夜間は毎度のクロ現、そして関東大震災下の竹下夢二。それから歴史探偵までだらだらと。

そのクロ現のテーマが「ネガティブ・ケーパビリティ」でした。

18c~19cのイギリスの詩人ジョン・キーツの言葉ですが、今の世を席巻するAIと同様にむしろ「これもあるべきスタンスだ」とばかりにやはり「一気に」と頭をもたげている考え方ですね。

 

それを一言で「もやもやする力」と。

「どうする、こうする」うだうだ・ぐだぐたを嫌い、即断即決高効率テキパキの成果主義にのみ意義を求める傾向は性急すぎ・・・それでは案外とイイ答え、結論が出てこないといいます。

よって答えや結論をスグに見つける必要はあらず、むしろ急がず議論含めて時間をかけてのスローもOKとする考え方です。

 

人間ですから悩むことは当たり前です。そもそも悩みの中にこそ生きる意味・希望があるというのがそれ。

また「もやもやする人の強み」というのもあるようです。

どうにかなる的未決の中途半端感、判断保留の意思は協働感覚や柔軟性を育むとも。

阿弥陀如来の「気にするな どうにかなる」「人間的に ありのままに」の声がオーバーラップしてきます。

 

AI的即決高効率も時に良き方向に向かうこともありましょうがアナログ的本来の「人の頭」の中を大混乱にする各問題へ向かう時間の取り方も大切だということですね。

 

扨、画像①②③は三河、花沢町の案内板と名号のある板碑に諸仏。

根引峠から下って「花沢」という地名に浄土を連想して立ち止まりました。

またこの花沢に「小御堂」(場所はこちら)なる小字があってより一層のもやもや感が広がったものです。

迷宮に近いような「もやもや感」多々は歴史にはつきものですからね。

 

④⑤はこの花沢ではありませんが、それほど遠くない某所。

墓場探索で遭遇した民地ですが良き佇まいでついバシリ。

思わずどなたかいらっしゃるかと、声掛けに玄関まで。

朽ちかけ家屋が放置されている様で、勿論応答はありませんでした。

近隣迷惑になるでもなくこのままでも問題ないのでしょうね。

オンラインもほどほどアナログオフラインも悪くない。

 

 

 

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2023年

9月

06日

真福寺五輪塔の整列 郷に入れば郷に~面倒くさい

ここ数日、朝夕に涼しさを感じます。

いよいよ夏は終わりを告げるかの如く・・・。

とっくにクマゼミたちは姿を消していますが。

日中の高温状態は当面続くようですが、天気の状態は不安定。

当地以外の所ですが毎度の如くドカ雨の様子が画面から飛び込んできます。

 

晴れ間が広がったとはいえ、昨夕もまた夜間の降雨予想をして水やりは行いませんでした。

前線は南下、雨域北上の気配。

この8月は台風の季節を先取りしたかのような月でしたが9月もかなりそれに右往左往されそう。

 

昨晩のクロ現のタイトルは「移住者と地域住民対立」でした。

「郷に入れば郷に従え」という諺の通りの上から目線風、年配者の声が聞こえそうですが、中には怨恨の如く相当なわだかまりを残しての残念な再転出もあるようです。

番組では地域おこし協力隊員と自治体+地元衆との経緯いろいろを挙げていましたがその辺りの件、わかるような気がします。

 

夢と希望に満ち溢れ家族で移住し、地域のために役立とうと身を投じた挙句、退去し尚、怒りの籠った感情をSNSに投じてしまうに至ったことは、やはり地元自治体の受け入れ感覚とまた地元の町おこし対応の皆さんとの感覚の齟齬の存在に尽きますね。

 

どのようなカタチでその移住者と付き合って良好な関係を維持していくか、受け入れる側次第というところがありますが、相互に納得できる話し合いも必要でしょうね。

やはり「入る方」にド田舎の町おこしに「一役買ってやる」といった高慢な意識はあってはならないのですが、しばしば提案・提示で新風を送り込もうという発言所作に対して、聞く側としてはこれまでのことをすべて否定されてしまうようなところもあるでしょうからね。

人間関係というものは難しいものです。

「よそものにとやかく・・・」という排他的感覚(自分たちと違う)というのも、そもそも人の心に存在するところですから。

 

扨、画像は不思議な空間。

真福寺の続きです。

五輪塔たちの整列があって私がえっ?と想ったところがそれ。

その前面の石碑に愛犬愛猫の供養塔の碑がありました。

「さすが境内敷地は広い・・・」などとそのペットの墓らしきエリアの広さに感心したのではなく、その背後に並べられた無名の五輪塔たちの演出に少々の違和感。

その「列」は私がこれまでお目にかかった形式ではありませんでしたので。

 

毘沙門堂の掲示を見て思う。

「商売どうの、〇〇利益」といった感覚は当流には希薄なところがありますので。

これも人様それぞれ違っていてそれでヨシ・・・ですがね。

 

ちなみに私ども宗旨は絶対他力(他=阿弥陀仏)、一向専念無量寿仏です。

「まかせてある、(逆に)願われている身」であるので、敢えてこちらからお願いごとはしません。

ありのままに生かされている私を「南無阿弥陀仏」と歓ぶ宗派です。

 

 

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2023年

9月

05日

関東大震災 福田村事件 映画のちらし 

降雨予報は当地に限っては大ハズレ。

前々日から降る降ると言われて植木の水やりを控え様子見としていたのでしたが、雨を待ちきれずに早朝より水撒き。

しかし腰痛のため花ガラ処理の件サボりにサボりゴミ袋を溜め込んでいましたので、「降られる前に!!」と地頭方の処理場に走りました。

 

毎日の夕方の水やりはやめていましたがそれでも当地に雨が降り出したのは20時前くらいでしょうか。

熱低崩れの湿潤高温の空気は何故か御前崎沖で東側に廻りこんでそのまま関東に向かっているようでした。

次の熱低のコースは東海沖を北上するかの動き、上陸となることは御免蒙りたいところで、何とか今度の台風もやり過ごしたいものです。

 

扨、昨晩もNHK映像の世紀は「関東大震災」。

震災から太平洋戦争にかけての18年間の記録。

国家総動員法の精神的規範になったのが関東大震災からの復興奇跡だったのでした。

空襲の焼夷弾なんて怖くない・・・「消火すればイイ」のであって「避難なんてしたらダメ」精神の醸成のきっかけだったと。

 

天譴論(てんけんろん―渋沢栄一が震災について論じた)に「成金」の元祖山本唯三郎がお札に火を点けて足元を照らしたエピソードもさらっとありました。

その天譴論は政治利用に拡大解釈されて自由主義と贅沢を抑制

しつつ言論統制に繋がったのでした。

 

山本は「船成金」とか「虎大尽」(朝鮮半島に虎狩に)と呼ばれましたが、結局恐慌で破産して50代で寂しく死去しています。

お札を焼いて灯火としたバカが破産して早死にすることと震災の苦難を市民が味わうことを天譴として一緒くたにするのはど

うかと思いますがね。

 

画像は昨日も記しました「福田村事件」の映画化によるそのちらし。

究極環境の人間の狂気、集団心理、そして責任について今一度深く考える機会を与えられました。

 

 

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2023年

9月

04日

段ボール製ドローンのコスパ 真福寺慈恵大師座像

昨晩はNHKカラー化「関東大震災」の後編を。

自警団と警察の路上検問の図に驚愕。そらおそろしい形相でした。

言葉がたどたどしいと「朝鮮人」として皆殺し。

「た」の濁音が言えればセーフで言えないとアウト。

福田村事件では標準語でなく讃岐なまりがあるというだけで殺害されていました。

震災の恐ろしさに加え人間狂気の世界も同時に視聴しました。

あそこまで証拠が残っているのですから、この機会に正式にその件謝罪したら如何・・・と思うのですがね。

 

また一機50万円程度の段ボール製ドローンの興味深いニュースがありました。そのコスパ、恐るべしです。

ウクライナはそれを導入しロシアの超高価なハイテク兵器の色々を破壊しまくっているとのこと。

段ボール製のそれに特殊なコーティングを施せば受け身側としては探知迎撃がしにくいそう。

 

まぁこれからの軍拡競争の有り様にこのドローンでの戦い方は一石を投じた感がありますね。

日本の2023年度予算、一般会計総額は過去最大の114兆3812億円。

そのうち防衛費は6兆7880億円でGDP比で1%超え。

新規国債の発行で調達するとのこと。

天文学的数字につき、想像を絶しイメージ不能になります。

 

お買い物リストでも添付いただかないとワケわからん状態になりますが、これはイージス艦にミサイル防衛、戦闘機、新型兵器の更新がそのリストの主役になるのでしょうね。

しかしながらもはやそれらは現実的な戦争兵器たちではないのかも知れません・・・

 

その大層でご立派な戦闘機に兵器たち、クリミア界隈ではその段ボール製無人機にボコボコにヤラれているといいます。

どんなにスバラシイ、最新ハイテク兵器も形無し・・・

 

北のミサイルの探知がしにくく迎撃が不能といいますが、たとえば段ボールドローンをいっぺんに1000機でも発射させて短期間集中攻撃でもすればやはり迎撃不能に陥るでしょうね。

1000機×50万円で5億円の計算式。

それを100カ所でもいっぺんにやったとしてもたった500億円。

 

ドローンを作りまくればいいんじゃない?というのが私の思い。日々その精度とコントロール、無線技術のステップアップがあればベストな選択と思うのですがね。

坊さんが人殺し兵器についてとやかく記すのは心苦しいことですが、意図は「防衛費高すぎ~」からの発想です。

 

そしてまた既存の兵器会社は苦虫を潰しそう。

それではまったくカネになりませんからね。政治屋さんへのペイバックもしかり。

 

ドローンの発射場は仮想を「北」としてできるだけ近い場所、韓国国境近くがいいですよねぇ。

ということで今後は日韓より仲良くして、ドローンの発進ベースをこっそり作っておけば・・・などと。

これを機に関東大震災の朝鮮人大量虐殺の件、謝罪して水に流していただくよう努力しましょう・・・(恕は相手次第ですし、謝罪すべきことは他にもあるようですから・・・)

何事も小出しはダメですね。

ここぞと思ったら一気呵成にごめんなさいとドローン整備。

 

これまで誰がそのドローン兵器の登場を予想していたでしょうか。

大金を突っ込んでイージス艦やら最新航空機を調達しようという考えは、太平洋戦争前の大鑑巨砲主義にも似ているような。

格安高効率を求めるべきですね。

まだまだドローンの技術は向上するはずです。

まぁ平和利用が一番ですが。

 

扨、真福寺の本堂薬師堂裏の慈恵大師像。

胎内の嵌め板(1274)1274)年の銘付墨書付き。

慈恵大師(元三大師)は比叡山中興の祖で重文指定になっています。 

 

 

 

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2023年

9月

03日

ちょっとした玄関外つっかけ・・・八尾おわら風の盆視聴

息子は東京での法事の帰り途、着替えのために義母の家に寄ったようです。

そんなとき私の場合は、着替えは海老名SAと決めていますので、「律儀なもんだ」と感心するばかり。

因みに私は一応は駐車場所を考えますが、行き当たりばったり。

昔からその手のことはどこでもできる図々しさがありますので、人目を気にするなどまったくなし。

だいたいPAなどの公共不特定多数の場、知らない人ばかり。

「旅の恥は掻き捨て」ともいいます。

 

ホールで着替えるという方もいますが、法事関係者からその普段着とのギャップに仰天される方がいますので、法要厳粛の余韻を残すために私は道中着(簡衣、和袈裟+草履)でその場からの退場をするようになりました。

よって運転に支障があるため、着替えタイムを所望したくなるのでした。

 

息子が義母の家に寄って送ってきた画像が青アザの残る顎と擦りむいたおでこの義母の顔。

朝、彼を見送ったあとのゴミ出しの際に、「思いっきり転んだ」とのこと。

私は第一声「膝は大丈夫か?」でしたが運よく見た目、顔の打撲程度で済んだようです。

 

つっかけで家を飛び出して転ぶ・・・よく聞く話です。

私も2度足の小指を骨折していますが、その際の履物はビーサンとサンダルでした。そういえば叔母の施設入所の原因がつっかけで転んで骨折したからでした。

父の転倒も骨折はしなかったものの毎度それでしたね。

 

先日は入院中の病室から携帯電話で「しばらく・・・」という具合に連絡してこられた方がいましたが、日没後、外の物置の冷蔵庫に物を取りに出た際、やはり「思いっきり転んで」膝を強打したそう。

何とか救急車を手配して入院となったわけですが膝が砕けていて手術となって、現在リハビリ中だとのこと。

聞けばやはり「つっかけ」での転び。

気軽で何の気なし、時に適当に足を入れたか入れないかの急いで飛び出し(私はいつもそれ・・・)のつっかけ履きは案外と高リスクであることがわかります。

 

高齢者の足腰の骨折が入院中の筋力減衰もあって復活が難しく以後不健康の連鎖のきっかけになるところを見ていますので、齢を重ねたらサンダル履きの習慣を離れ、面倒でもスニーカーなどを履く心構えが必要です。

履きにくいが脱げにくい、一旦履けば安定した歩行ができる・・・

メリットの方が断然大きいですからね。

早速、奥方は母親に「サンダル禁止令」を出していました。

そして母親は「早速片付けて靴を履くことにする」と神妙。

結局自分の為なのですから。

 

昨晩は夕刻からBS3「おわら風の盆」生中継を視聴。

途中無粋な地元の花火の音が響いていましたが、当家の居間はそのモニターとそのゆっくりした調がBGMになりました。

地元のみなさん宅の仏間等の様が映りましたが富山とあって大き目な真宗系のお内仏を窺がうことができました。

「無量寿」の扁額が掛かっていましたからね。

また違うお宅では確か「超日月光」の軸が。

正信偈の一節、阿弥陀如来の光のパワーの件です。

八尾の鏡町、諏訪町・・・歩いてみたくなりました。

 

画像はかつて通過した富山湾、石川-富山県境の図。

そして富山の観光案内

「おわら風の盆」について地図上にも案内にも記されていま

す。

午後10時からはNHK地上波「関東大震災」を視聴。

考えさせられることたくさん。

 

 

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2023年

9月

02日

息子が乗せたヒッチハイカー 真福寺薬師堂 

昨日は、不登校の子供たちの件を記しましたがやはり彼らは自己の発信力が苦手なような。

 

昨日はまた浜松在住の息子が当地に顔を出してから神奈川県の大和の義母、彼からすれば祖母の家へ向かっていました。

翌日に東京都内の法要を依頼されたのことですが、前乗りです。一言「ご苦労さま・・・」。

「顔つなぎで・・・」とはいうものの如何にも距離はありますからね。その疲労度は結構なものでしょう。高速代とガス代もしかり。

 

彼の静岡―首都圏行脚の行程お決まりは富士川SAで食事休憩をとることですが、昨日そちらで「東京」の看板を掲げ立つ彼と同世代の若者を見かけて、「海老名SAまでなら・・・」と声を掛けたそう。

私も数年前に同じことをやっていますので、見ず知らずの人間にあっても適宜「手を貸そう」というところ、「悪くない」と思いました。

奥方は「眠気覚ましに好都合だったな・・・」とやはりその選択は良かったと。

彼の車の助手席に転がり込んできたその若者はまさに息子と同い年と。富士川で降ろされてから90分、炎天下で看板を掲げ続け疲労困憊、もう諦めかけていたところに息子が登場したといいます。

その悦びは車内での饒舌さに現れていたそうですが、やはりあの手のアピールをする者ならではというか発信力、そしてドライバーへの気遣い(乗せてもらったお礼としての会話の継続)は立派なものですね。

奥方の言った通り、海老名SAまでの行程おしゃべり仲間として居眠りをする暇もなかったよう。

 

私なら海老名SAでの立ちん坊の継続は疲れるだろうから・・・と綾瀬スマートICで下りた後に小田急の最寄りの駅にでも・・・という提案をしますが・・・余計なことか。

彼にも息子にも得るものがあったことでしょう。

 

不登校の子供を一人旅に出す・・・いい社会経験ができるかも。

しかし意外でしたが「トラックドライバーへの懇願はまったく無駄」とのことでした。彼らは自分独りの空間を大事にしますからね。

 

夜9時頃の広報無線、行方知れずの方の捜索願い(尋ね人)がありました。

61歳の方でそれは如何にも若い、いや若すぎる。

事情はそれぞれあることでしょうが・・・

それからしばらくして「無事保護されました」の放送がありました。

地元の皆さんは齢を重ねてからその尋ね人の捜索願いに実名を晒される事、「できれば避けたい」というのがその本音。

奥方は「家をフラっと出て行方をくらました段階でそれを恥ずかしいとは思っていないはず。よって大丈夫・・・」とはいいますが。

「大澤寺の住職が行方知れず・・・」それもまたヨシ・・・か・・・

 

扨、本日も昨日の続き。

真福寺宝塔を後にしてあの階段をのぼりきると薬師堂が。

いわゆるこちらが本堂ですね。

当然ながら薬師如来が鎮座しています。

 

 

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2023年

9月

01日

不登校の子たちクラスに1~2人当たり前 真福寺宝塔

現状、不登校承認の教育界の変貌の様。

「学校に行かなくてもいいんだよ~」「学習は学校だけじゃないんだよ~」と子供たちの選択肢の存在を強調「無理すること」のナンセンスを説くようになっているようです。

 

私ども世代からすればそれはそれは驚きですね。

学校は行くのが当然、風邪・腹痛くらいなら「這ってでも」と親たちに言われ続けてその時代を過ごしてきましたからね。

母親でさえ寝坊の私に対し箒を片手に布団を引っ剥がして「掃き出す」と脅していましたから。

そういった世代ですから、骨折しても出社するなど根性論で生きることが醸成されてきたのかも。

今考えると親の指令「絶対登校」の選択肢ナシの件はこの人生において「悪くなかった」と思っていますが。

 

学校に行きたい人はそれでOK、行きたくなくても尻を叩かれてイヤイヤ行って過ごしての我慢・忍耐もOK、そして今や学校にも行かなくても全然OKの発想が「当然のこと」になっていたのですね。

親や世間に気を使って生きることは子供たちは疲れるでしょうが、それはそれで親も大変だ。みんな「しんどい」のだね。

親・教育者の悩み、増えますが、社会はその不登校の子供たちを余裕で受け入れられる箱―フレキシブルな―を用意する必要に迫られているよう。私の頭の中も・・・

 

しかし、しかしながら「ゲームやりたさで通学したくない」の子供もいるようで・・・どうしたらいいのだろう。まだまだ理解力がない私たち。奥方も、息子がそうなら「ブン殴る」と言っていました。

時代の変遷と一言で諦めるのではなく何とかしなくては・・・との思いはありますが。

基本は「子供にまかせる」でいいのでしょうがね。

不登校生徒は今やクラスに1~2人の存在は当然といいますね。

それとは違うものですが、私がお世話になった会社でも部署に一人は鬱病出社不能の方がいましたね。

学校へ尻を蹴り上げて無理やり登校させると「壊れちゃう」というのが昨今。どうする少子化社会。

ただでさえ子供が少ないのに・・・

 

画像は昨日の続き、真福寺。

参道を登りきると宝塔がお出迎えしてくれました。室町初期の建立といいます。これほどの仏塔に遇えたことはうれしきご縁でした。

 

 

 

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2023年

8月

31日

真福寺城の面影も推測 竹林参道

昨晩のテレビ小僧はクロ現「福田村事件」から。

関東大震災直後の混乱のデマ・風説大混乱の中、千葉県福田村(野田市)に香川県から来ていた行商団の一行が地元の自警団に朝鮮人と疑われて9人が殺害された集団暴走の事案。

集団心理とデマにそれを追認して煽る内務省(公)と新聞(メディア)。デマ&仕掛け、偶然が重なっての市民による暴虐か・・・

映画化されていました。

人は「のせられ、お調子にのってはしゃぎ、時にハメを外すもの」とは日々記していますがその人の動きが集団の一員としてより先鋭化していく構図があるということ。

 

問題は今もその事実(ドサクサに紛れて異人種-朝鮮人-を殺した)を曲げて解釈し、(都合の悪い事実を)無かったことにしようと知らんぷりの様。

歴史の検証はまず反省からですからね。でないと進歩がナイ。

 

反省しないで失敗を無かったことにする姿勢は胸糞悪い・・・。

番組に顔を出していた東京都知事殿、「その件、歴史家が検証すべきこと・・・」とのことをのたまわっていましたが、既にその件、忘れてはならない、負の事実として通っていますけどね。

知らないフリ・・まったくもって薄気味悪い御仁ですが一体何を狙ってるのかしらねぇ。トップがあの様では東京都民様もお寒いことで・・・。

 

そのあとは石川数正の「謎の出奔」、そして歴史探偵「小牧長久手戦」を。

 

扨、昨日の真福寺、お寺の中心に向かうに竹林参道を。駐車場もありますからね。

このお寺は竹の子料理が有名の様ですが、この竹林の道を歩けばなるほどというところ。

私はこの竹林の段丘の様⑨を見て、色々その場所について推測されている真福寺城の一端を想うのですが。

 

④~⑧は昨日記した仁王門前。

石仏が無造作に集められていました⑧。

 

 

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2023年

8月

30日

真福寺仁王門 立ち続けて500年 私の腰痛は 

毎日何かしらのボヤキを記しています。

原因不明の強烈な痛みで歩行すら覚束なかった腰痛でしたが、昨日あたりから改善(6~7割方)の兆候。快癒とはいきませんが。

 

奥方から「飯食って寝てれば・・・」の通りで、まったく意外でした。キツネの仕業か・・・と思うくらい。

椅子から立ち上がるにも肩を借り、腰を曲げたり屈伸することなどありえないくらいの激痛がありましたからね。

ここ数日、医者に行くか、痛み止めの注射を打ってもらうか、いや電気治療か、マッサージかにするか、コルセットの生活、いや車椅子生活か、寝たきりになる兆しか・・・などなど色々な思いが頭を巡りましたが、現状、その進行はとまって痛みは減衰しています。

ただし昨日は当流の組会の開催日で掛川のお寺までお伺いすることになっていましたが欠席しました。

畳の上に3時間近くの間、座してすごすなど苦痛以外何物でもなし。小中の頃を思い出す、「廊下で立ってろ」の方がまだマシ。 

 

まぁ自然治癒とまでは行かないにしろ(痛みに慣れてきた感も)あの強烈な痛みが去りつつあることは何とも有難いこと。

まだこの先の事はわかりませんが。

 

扨、昨日記した岩津天神からさらに東の丘陵を進みます。

戦国期には真福寺城なる城砦があったといいますが、その山(薬師山)のお寺が霊鷲山真福寺。

現天台宗ですが、創建は古く(物部守屋の次男 真福が願主として聖徳太子が)、聖徳太子46カ寺の一つで三河の最古刹の寺。

そのように感じる「如何にも」の堂々たる山門がお出迎えしてくれます(場所はこちら)。

仁王像建立は永正十二(1515)年。

 

 

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2023年

8月

29日

「ぼん鐘を守った技師」NHKWEB特集  岩津天神

処理水なのか汚染水なのか知りませんがその海洋放出に関して中国の反発が厳しくなっているよう。

その反応について「想定外」との政府内からの声もありましたがおかしな言い分に思います。

私は中国に物を買ってもらう立場でもなく、中国から来日されるツアー客に何らの期待もありませんので経済的損失は皆無ですが①想定していなかったと言うのは笑止千万。

②如何にも放出ありき、真っ当な根回しがなかったということなのでしょうね。その怠慢さをも感じます。

 

まぁあのお国の様を見ていれば大なり小なりその手の政治的方策として利用することはわかること。

台湾のパイナップルにマンゴー、オーストラリアの大麦やワインなどありましたね。

 

また、お客が「買わない」というのなら仕方がナイと思うワケで買って買ってと泣きついて懇願しても詮なきこと。しばらく見守っていくしかありませんね。

しかししきりに海産物を食するパフォーマンスの図を画面から見ますが、未知なる人智の及ばぬところの出現はまだ先と見るのが常識的な感覚。

遺伝子レベルでの損傷もありうるというアレ。

精査していくには海産物の2世3世、それを食した人の数年後とその孫子の遺伝子まで追いかけたうえで「安全でした」と言いきれるのでは?

 

「風評被害」という語が闊歩しています。

風評とはいったい・・・「風」の語の如く軽いイメージがあってついつい今風のフェイク・・・捏造・・・な風聞をイメージしますが、要は世間の「風」の便りですから単純に「評判」ということでいいでしょうね。

その被害となりますから「世間様の評判が悪くなることによってネガティブイメージが拡散 その経済的被害」ということになりましょう。

 

その「風評」について先日NHKのWEB特集「ぼん鐘を守った技師」の中で見ました。滋賀県職員の日名子元雄氏のことです。拙寺の梵鐘もその金属回収令によって軍需工場の溶鉱炉の中に投じられてしまったことは以前拙ブログにて記していますが、その人は県内の梵鐘の歴史的価値をピックアップし「金属回収除外申請」として保存の策を講じました。

 

それがその回収令には「全部即時回収」が名目ですが「国宝など一部のものは除外」は勿論の事「由緒上、特に保存の必要ありと県に於て認めたるもの」は除外を認めるの件を強く主張展開したそうです。

 

「梵鐘の銘文には寺の由緒や地域の歴史が刻まれ未来へ子々孫々へ引き継ぐべき村の歴史。地域の歴史がそこに凝縮され、由緒を示すものである」・・・ですね。

静岡県にもそういう方、「文化遺産の継承」について論拠をもって主張できる人がいればよかったのですが・・・

あの当時の「風」の中にそれを言えるなど奇特な方でした。

 

しかしそれに反論する梵鐘回収派の意見の中にその「風評」の語がありました。

「風評香しからざる」=「評判がよくない」と。

守るべきと論じられた梵鐘の評判がよろしくないということですが・・・。

 

まぁ「世間の評価などどうでもいい」というのが私のスタンスではありますが、わざわざその評判とやらを自ら貶める方向に持っていくのもどうかとは思います。

評判が悪くなることがわかっているのならやはりその行為に論拠を以て膝を交えて説得、理解を試みることは放棄すべきではないのでは・・・。

私と同じ、いつも楽観てんこ盛りの如くのお国の判断ではやはり首を傾げます。

 

さて、画像は岩津天神の階段を上がって。

天神さんには観音さんが居て、筆塚、そして鷽(うそ)塚。

 

 

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2023年

8月

28日

岩津城址と東山の岩津天神とを分断する高速道路

昨晩はNHK、若者たちが闇バイトに走る・・・そんな番組を視聴。

特殊詐欺の甘い罠「金持ちになってラクができる」にのせられて殆ど使い走り的、微々たる報酬で、時にリターン無しの役廻りに加担した挙句、少年院に収監されたり、逃走中に高速道路上でガス欠で止まっていた車に同乗し、トラックに追突されて死亡した子供の親たちの無念と子供たちの反省。

要はどうしたら親不孝の家庭が築けるかの手本のようなものがそこにありました。

 

そう言ってしまうと何も知らない間に、物事が進んでしまっていた親たちにとっては寝耳に水、歯がゆく地団太を踏みたくなるでしょうが現実という者は残酷です。

親が子の実態を「知った時」が「終わった時」のような感じがしてとても気の毒に思うところです。

 

彼ら若者の言葉に「名をあげて金持ちになる」といった件が出てきました。日本全国、若い人たちの考えがすべてそうであるとは思いませんが、番組ではこれからも闇バイトはなくなりそうもないようなことで締めていましたから恐ろしい。

 

悪いヤツらに捨て駒の如く使われて犯罪に加担、親に余計な心配をかけ、自身も如何にも無駄な時間(逮捕収監)を過ごさなければイケないという計算式がどうしてわからないのでしょうかね。

 

カンタンに稼げる・・・濡れ手に粟、それは絶対にない。

現状政治屋にでもなった方が余程手っ取り早いのでは。

国会で業者に都合イイ質問をしただけで3000まんえん(風力開発から)。

ムショの房で家庭崩壊に近い自身を反省するよりもエッフェル塔の前で、はしゃいで怒られた方がまだマシでしょ・・・。

 

扨、昨日記した岩津城

駐車場についてその場所が難しいようなことを記しましたが、それは信光明寺など下方からそれぞれ見物しながら上がってくる場合です。

手っ取り早いのは岩津天満宮の駐車場がありました。

この地は「東山」と呼ばれる地になりますが、岩津城址の東側にあって、現在は東名高速が分断していますが、かつて岩津城と連携(連郭?)するような城郭の一部にあったような山になっています。

 

神社としての歴史は、信光明寺の芭蕉天神からの勧請とあって江戸期でそう古いものではありません。

私の興味としては岩津城側から岩津天神に向かう東名高速を跨ぐ橋からの景色。

城址と東山の距離は目と鼻の先ですがどの程度の谷があったのか、高速道路の工事でどう掘削したのかですね。

①は城址側を背にして②左側が城址右が東名高速。③は橋を渡って城址を見た所。

 

 

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2023年

8月

27日

登城は市場地蔵堂から 信光明寺からの2つ 岩津城

昨日は昼間は安定した晴れ。

夕刻に水やりをして暫く黒い雲が立ち込めて19時前には雷が鳴り始め雨が降り出しました。

21時頃にはかなり酷い雷雨となっていました。

雨漏りが発生しない事を切に願うだけ。

 

扨、岩津の地には信光明寺はじめ何かとふらついている私ですが何故か岩津城について記したことがありませんでした。

何度か井田野の戦いなど周辺地域について記している中、岩津城こそが初期松平の拠点のようなことを記していました。

ざっと城郭大系の記述を記すと

「松平氏発展の基礎、この地方随一の要衝」というのがその評価です。

「岩津城は岩津山の東端、矢作川のつくり出す碧海・額田の平野を望むところに位置する」から始まり

元は中根大膳父子が領する地を信光が攻め、それを排除して以後信光明寺を城下に、周辺に城塞や一族、家臣団の屋敷を配してその城を拠点としたことはこれまで拙ブログにて記した通り。

 

その進出こそ山間部(加茂郡松平郷))から大河(矢作川)の水運が期待できる平野部にデビューしたという歴史上画期的な一コマとなります。

その後信光は文明期1470年頃に更に平野を南下、碧海郡安祥城を攻略して三男の親忠を入れますが、その流れが家康へと繋がっていきます。

 

この親忠が千人塚西光寺の建立に関わっていったわけですが岩津・安祥城と勢力を拡大するということは前述の中根の如く、地域に根を張った地侍集団を攻略し配下に吸収あるいは排除していくことが主眼になります。

当然に反松平勢力というものが集合、その反対勢力はいずれも岩津城の攻略を目指しそれを迎え撃ったのが井田野の戦いでした(明応二1493年第二次井田野合戦 お相手は・・・上野城主阿部満五郎、寺部城主鈴木重教、挙母城主中条出羽守、伊保城主三宅加賀守、八草城主那須惣左衛門)。

 

それら群雄が大挙しての岩津の城攻めも松平勢に屈服させられたという歴史がありましたね。

三河好きオンリーになるのでしょうが、松平家にとってこの城は出世の歴史を語るにその難攻振りも推測され欠くことはできない城でした。

今川氏親が差し向けた伊勢宗瑞も一蹴されているくらいですからね。

岩津城址はそう高い山にありませんで、いわゆる山城という感覚ではありません。

最後の画像は信光明寺側からの登城口⑮⑯⑰を振り返った図ですが、宅地が広がっている通り、とてもお気軽な城ですね。

ただし車の駐車場所は城址直近にはありません。

①②③④は市場地蔵堂から進んだ岩津城登城口。

②は①の向かって左側で民有地か。開削があったか切岸状の段なのか不詳。その上部が主郭になります。

 

比較的キレイに整備されていてちょっとした散策にはもってこいの城。

⑤⑥は主郭へ辿る虎口へ。現状ストレートに見えます。

 

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2023年

8月

26日

本堂補強材のある正覚寺本堂 再び青と黄のあの言葉

数日続いた雨模様コロコロ変わる天候は終わり昨日はスカっ晴れのドP感。沖縄のビーチにいるが如く。

現状の私は、いわゆる絶が付く不調期。

動いて何かをしようという気にはさらさらなれませんね。

そこいらじゅう伸びきった雑草どもはもはや放置。

すべていつもの「勝手にしやがれ」。

 

台風の9号が発生しましたが続いてスグ10号が名乗りをあげました。

ご両名とも「どうかこっちには来ないでちょうだいね・・・」ただそれだけです。

今の私の気分としてはノーガードで耐えるしかない・・・といったところ。

 

それは数日前から始まった原因不明の腰痛です。

「齢のせい」と考えるのが妥当とは思いますが、なにせ痛い。

寝返りを打つのも運転席からの出入りも辛い。

それは画面で見たバイデン大統領の歩の進め方よりもさらにゆっくり。

もたもた、ぎこちない動きの中、時折痛みに声を発してしまう私に「うるさい」。奥方は笑いながら「飯食って寝てれば治る」などと「安心」の言葉を吐きますが、激痛が継続することはキツいことですし「もしかしてこのまま・・・」の不安があります。

齢を重ねると出来ないことが増えるとはいいますが、コレではいきなり「何もできねぇよ~」です。

 

その数日前、「この夏、久々水上スキーでも・・・」など奥方に軽口を叩いたばかりですが、阿弥陀様からの「それをやったら体がバラバラになって死ぬよ・・・」「大人しくしていろ!!」のお達しのような気がします。

奥方の笑いを信じて今は忍耐で過ごすのみ。

 

体力の年々低下、各所(関節系)にガタが発現して今後の難渋が予想されるところですが、表面的な部分、痛みの出現は比較的スローで危急感はそれほどでもありませんが、血管系の病は如何にも突発的で「即ち死」に達するような危篤をイメージします。

それらの病のうち、脳溢血、心筋梗塞などの突発もありますが、特に最近よく耳にするのが大動脈解離。

 

大動脈の裂け(・・・破裂)方によって、または症状の発現(背中・胸の激痛)の際の緊急性(119対応)の認識によって「あとのこと」が違ってくるのですが、怖い病ではあるものの対応が早ければ助かっている方はたくさんいらっしゃいます。

要は痛みに悶絶、昏倒した際に「近くにどなたか、人が居るかどうか」が分かれ道。

異変に気付き、救急の手配を即座にしてもらえるかどうかですね。

 

先般お聞きした、ある方の病状もそれでした。お独りで暮らしいて、酒もたばこも嗜まず血圧も正常だったといいますが、買い物をして帰宅直後に倒れたそう。

12時間近く経過して家族が向かったそうですが既にこと切れていたといいます。

医師の診断は大動脈解離。しかも約2時間は存命していただろうとのこと。

ご自身が購入した飲みかけのジュースが傍らにあったそうで、なんとかその状況を打開しようと力を振り絞ったことがうかがえるのでした。

ただ、家の中ではなく、人の目に触れる外で倒れていれば・・・などと考えるところですが・・・やはり人の生というもの、色々あります。

 

扨、昨日記した正覚寺。

人の身体も齢とともにガタが来ますが建築物といえば経年劣化。

そしてお寺の本堂は耐震基準も満たされない古い時代に建てられたものばかり。

特に三河といえば地震に台風と大きな天災に見舞われた歴史があり、現在の大抵の本堂、鐘楼など補強材が施されている例があり拙ブログでも何度か記しています。

 

こちらのお寺にも鉄骨の補強材が組まれていました。

私はそれらの対応を見て「お前はどうよ」の焦燥感を。

拙寺は内部に関しては完璧とはいえないものの補強を試みていますが外部の横揺れに関しての対応はナシ。

アレを見ると心細くなってしまいます。

 

③の言葉はやはり本派の善巧寺本堂で拝見したものと同じもの。阿弥陀経の一節ですね。

お西のキャンペーンでしょうかね。

「青と黄」と言えばウクライナを連想、あの戦争を示唆しているようにも感じます。 

 

 

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2023年

8月

25日

焼き魚定食屋へGO 成道山正覚寺の古石塔 

てっきり再びこちら(私)を目標にやってくると思っていた熱帯低気圧、予想に反して台風には発達しきれずに、北上に従ってなぜかその低気圧自体が消滅していました。条件によってはそういうこともあるのですね。

自然というもの、まったくわからない。人の考えを超越しています。

現状、別の熱低が台風9号に昇格して今のところ九州から本州を狙っているようなコース予想になっていますが、その熱低崩れの湿潤な空気が東海地区に流れ込んで雨/晴れ/曇り繰り返しの目まぐるしく天候が変化する一日でした。

息子の情報では「浜松は酷い」とのことでしたが、予定としては「焼き魚を食べに行く」でしたので遅い昼食でしたが雨雲の状況を確認して浜松方面に向かいました。

 

お酒を出す店ならばそのつまみにその手の魚を出すことなど珍しいことではないでしょうが、この相良辺りで焼き魚を所望してもそのようなお店は私は不詳。

かといって自宅での調理は無理な話。

臭いの件もありますがこの暑さで奥方にその調理の件リクエストしても即却下のレベルでしょう。

よって涼しいところでそれを食すというテーマ。

サバとホッケ、肉食妻帯の煩悩具足の身ながら至極の時間をいただきました⑧。

 

この食い納め家庭内企画は東電が太平洋にぶち撒いている汚染水の影響。

影響とは・・・数値だけでなくそれぞれ受け取る個々の気持ちです。

大丈夫と思う人はそれでヨシ。警戒、慎重、様子見もそれでヨシ。購入しない、食べないという人もまたヨシ。

そして産地選択の自由がこれからの課題になるでしょうかね。

 

全ての海産物の拒否反応にはならなくとも、人は産地の選択をするでしょうね。ごちゃ混ぜにすればわからない?いや違う。

日本海側やあの原発遠隔地、輸入物を取り扱う人たちは「そちらとは違います」をアピールするでしょうから

ハッキリと産地を主張すていくでしょうね。それこそ身を守る道。

「フクシマを助けたい」・・・それは誰もが同じ気持ちです。

しかしそれは産品を「消費するかしないか」ではないはずで要点はぐらかしに近い論法でしょうね。

国の一部の偉い人と東電が背負いこんだことですからね。

 

面白いのは早々に輸入拒絶を発表した中国政府でしたが、これから日本旅行解禁ということでごっそりその国から人々がやってくるといいますね。

バッチリ本邦「海の幸」をご堪能いただきましょう。

 

当家の晩御飯は、刺身の予定。まだ間に合うはずです。

その後は傍観しつつ、地元産の肉でも喰うのみ・・・。

 

扨、画像は昨日の岡山陣屋よりもさらに花岳寺に近い真宗寺院。

本願寺派の正覚寺。

境内墓域を歩けば、おそらく無縁墓として集合しているのでしょう、五輪塔とその残欠が。

真宗寺院でも改宗系で発祥が古いお寺であることがわかります。

⑦は個人で管理されている墓塔ですが、宝篋印塔の笠の上に五輪塔の風と空(・・・さかさま?)が。

古い時代の錯誤がそのまま伝承されているところか。

 

 

 

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2023年

8月

24日

食品高騰に繋がる天変地異+人為 椿陣屋 岡山陣屋跡 

天変地異のスケールが変化している昨今、色々なところで農家の悲鳴が聞こえてきます。

昨日辺りの当地は、晴れ/雨がコロコロと交互にやってくるような変な天候で、やはり私としては降雨にうんざりさせられる一日でしたが、現状日本国内では水不足で困り切っているという地があるようですね。

米どころ新潟県の日照りで雨水不足、川が干上がって田の水が消え、稲が立ち枯れ寸前の画像を見ました。

 

静岡県内では数年前からの台風豪雨によってイチゴが水に浸かるなど生産に打撃を与えている件、毎年のように聞くようになりましたが、そういえば「流されて台無し」の件の報道があったことを思いだしました。

 

それが土砂が沢に流れ込んだことによるわさび田の壊滅。

すると先日⑦の如くの掲示を蕎麦屋で拝見しました。

温暖化による海水温上昇で生態系も一気に激変。天変地異によって農作物が被害を受け、市場から姿を消していく図なのでしょうが、食材そのものが希少化し高騰するのは耐えられないですね。

 

今後、風説だ風説だと叱られそうですが、「薄めて海に流す」というアレ、一般的庶民的心情としてはやはり敬遠、様子見ですね。海産物はこの数日で食べおさめになるか。

歴史的に、国が安心・安全と言い出したらそれこそ「信じてはイケない」ことですからね。

 

扨、花岳寺の門を出て左方向にしばらく、例の馬上の殿、吉良上野介(義央)、尾崎士郎の記述のある像が「門内に控える」、といった場所があります。

それが岡山陣屋になります(場所はこちら)。

元々は吉良義定の居館としてあった地で義央まで吉良家の屋敷(陣屋)があった場所。

 

松平清康―廣忠――家康・・・・

       ―娘

         | ―吉良義定―義弥―義冬―義央・・・断絶

                吉良義安 

 

 

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2023年

8月

23日

足袋がナイ 川崎探訪断念 高天神 井戸のネコ 

昨日は4時50分出発で川崎へ向かいました。

そこでのドタバタ劇を。

海老名で土砂降り、以後私の居た場所は降ったりやんだり。

帰宅後奥方に聞けば雨はなかったと。相良は別世界の感。

まぁ夜間は降り出しましたが。

それはそれで帰宅後水やりをした無意味に腹が立ちましたが。うまくいかないものです。

 

川崎での法要開始時間は正午ジャストでしたが、何故にその時間に向かったかといえば、神奈川県内滞留時間の長い私ですが川崎はもっとも土地勘のない場所、また、あそこいらのにっちもさっちもいかない大渋滞に巻き込まれることを想定しなくてはならないこと、そして時間があれば未だかつて行ったことがない川崎大師でもフラつければ・・・という思惑もありました。

 

多少の渋滞はありましたが午前8時すぎに現場付近に到着したのですがその直前に奥方からメールがあることに気づいたのでした。

「足袋を入れるのを忘れた・・・」です。

準備は任せっきりで、確認を怠りましたね。

「おいおい裸足で草履を履くのかよ・・・」とまずその恰好をイメージ。いかにも間抜けのダメダメの躰です。

すると次のメールで「しまむら2件とイトーヨーカドー」があるので「そこで買え」との指令。

 

まず手元の端末で「しまむら」を探索しました。

すると川崎競馬場の隣のビルにありましたのでそちらへ。

駐車場に車を突っ込んで開店時間10時まで待つ作戦でした。

ところがそちらの駐車場は競馬場との関連か、時間での駐車料金が発生するようで何度か混雑するその前の道路を往復観察した挙句、そちらは諦めて次の目標のヨーカドーに変更しました。

 

あとから施主の奥様に聞けば、「おそらくそちらに足袋はないだろう」でしたが、私は10時開店のシャッター前で待機。

ところが10時過ぎてもシャッターは開かず。

同様に開店を待つ方々が集まりだし、どなたかがネットで検索したようでこの日は店休日のよう。

「棚卸なら掲示板で報せろよ・・・バカ野郎」の呆れかえった罵声が聞こえてきました。

 

「ついてないぜ」などと笑っている暇はありませんので今度は大師近くのしまむらへ向かいました。

私はホームセンターと合体して営業するそちらのしまむらの形態は初めてで奥方は疑問だったようですが、とにかく店内ダッシュして従業員を捕まえて「足袋はどちら」と聞けば親切にも売り場迄案内してくれました。

するとそちらは靴売り場で地下足袋のご提供。ホームセンターの方でしたから。

さすがに今日はその仕事にはありませんので「白いヤツ、着物の足袋」と言うと。

「お祭り用品屋に行った方がいい」と別の男性従業員が。

それはどちらに?と聞き返せば「わからない」。

 

今考えれば「わからない」と言ってくれて助かりました。

私は観念して、白系のスニーカー用の靴下で誤魔化す作戦に変更し、「靴下はどちらに?」と聞けば「それなら、しまむらさん」と。

「なんだよ、しまむらじゃあなかったのかよ」と内心思いながら

その靴下売り場にダッシュ。

3足300円の靴下を手に取ってレジに向い、念のため「足袋はあるの?・・・」。

すると「あるかも・・・」と靴下売り場迄再び案内されました。

手にした靴下は戻して福助の足袋を無事ゲットできたという次第。

 

度々、足袋探しの旅をさせられるのはかなわないのでバックの隅に一組入れておくということ反省会。

私の荷物はスペアだらけ。

経本のスペア、数珠のスペア、輪袈裟のスペア・・・命のスペアがあるわけでもなく。

 

12時の開式でよかったね。10時だったら「裸足だよ」と奥方。

また福助の足袋のブランドで上品につきこれをこの日の記念にスペアにせよとのこと。

 

扨、昨夕のローカルニュース。

高天神城のあの井戸にネコが落ちて救けを求めているという連絡が観光客から市の方にあったとのこと。

そこから消防署のレスキュー隊(5名)が出て救助成功のほのぼのしたニュースでした。

暑い中、重装備であの山を駆け上がりネコ1匹の命を救うということは嬉しいことですがどうも腑に落ちない。

 

ニュースではそのネコが井戸に「誤って落ちた」との推測をしていましたが、ハッキリ言ってネコは井戸に落ちるほど間抜けではありません。

第一、高天神城址にネコの生息など見た事も聞いたこともありません。麓でも見た事がありません。

私はそのニュースを見て、「誰かやりやがったな~」。

 

 

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2023年

8月

22日

百々城址 青山忠門墓と忠高の建碑 成瀬正肥篆額

ご門徒さんの御家で先般逝去された方の遺書を拝見させていただきました。

その手の書面に目を通すことは初めてのことでしたが内容には感慨深いものがありました。

亡くなる数年前に記したことが文末の日付でわかります。

冒頭、先ず子供たちへの感謝の言葉から。

そして法名の希望、「よろしかったら~」とあって施主はその名についての承諾を私に得るためにその書を示されたというところです。

これは有難いことでした。

そういった場合、私としても法名命名が真っ先に思うのですが、生前にそれを授与されていない方々が多い中、ご当人の希望がこのようにあることは奇特なことです。

何より「死」というものに向き合い、次のステップ、仏としての活躍を期していることが手に取るように分かるものでした。

 

文面の最後には葬儀について。

葬送は簡単に、しかし「通夜と本葬はホールで」という指定があって、「〇〇さん、〇〇さん」と複数の個人名をあげて「お力を借りるよう・・・」と。

簡略ながら、心がこもったものでした。

子供たちに感謝し、そののちタノムの叱咤激励にも感ずる遺書。さて、私にもできるかな・・・

尚、故人は真宗念仏の途を歩んだ方でした。

 

扨、昨日は青山氏の城址、百々城について記しました。

先ずは城郭大系の記述から。その他の城郭にさらり。

「青山喜太夫在城 青山氏代々の居城 石碑がある」と。

 

その通り、こちらの山のトップには石碑とその墓地結界が設けられています。

地権者のS氏の案内のもと墓参。

墓は青山忠門(ただかど)、墓碑は明和八(1770)年建碑されたもので丹波国篠山藩主の青山忠高によるものです。

出自の地と先祖の一所懸命を讃えたものですね。

 

因みにS氏がA(青山)氏ではないのは、苗字を憚ってのこと。

青山氏主家は大名としてこの地を離れますが、在地に残った一統があって当初はその青山を名乗っていたとのこと。

 

犬山成瀬氏がかつて日坂成瀬氏に「その名を変えてくれ」と依頼があったこと書面に残りますが、当時はよくあることですね。

今川氏など「天下一苗字」というくらいでしたからね。

 

その篠山青山氏といえば犬山成瀬とは切っても切れないご縁があります。

以、日坂の法讃寺の「成瀬暁心翁之碑」について記しました。「正四位勲四等子爵成瀬正肥篆額」ですがその成瀬正肥(まさみつ)という人が篠山藩五代藩主青山忠良の三男で成瀬家に婿養子に入ったのでした。

 

最後の画像が石碑方向に登り切った辺りの外側の様。

岡崎市はS家の了解を得て、家屋側に境界を設けるなど手を加えてそちらからお参りできるようにし、案内板などを置けば親切なのですがね。

あの長文の碑文についてざっと見、有名どころが各登場してくることはわかります。

正式に解読に至っていないとのことでしたが、正確な撮影ができないとそれにチャレンジする気も起きないくらい。

 

興味深い文化財なのですが。岡崎には夥しいほどの遺構がありますので手が回らないのでしょうね。予算にも限りがあるでしょうから。

 

最後から2番目が①の階段のスタートの手前。

昨日の塀とセットで虎口の形成とも見て取れます。

 

 

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2023年

8月

21日

百々町字東側 百々城址「どうど」は青木川 青と青

昨日午前は本年三度目の墓じまいに伴う法要がありました。

墓碑を撤去して御遺骨は拙寺境内の永代墓「一所一處」の墓に納めました。

数日前から遺骨の泥を落として天日で乾かしてキレイに仕上げて一晩如来様前に安置。

ご参集の縁者の皆さんには全員、そのズッシリ感を味わっていただきました。

これは、施主に「結構に重たい・・・」と両腕に抱えたそれを体感していただいたところ、他の方々も「我も我も~」という具合にその包みを抱きしめてくださったのでした。

四十九日法要の如く本堂尊前でお勤めができたこと、それができたことだけでも「良かった」と思う次第。

尚、今回の墓じまいの事情は御当家には息女二人。そのお二人とも他家に嫁いだためです。

夫にはそれぞれ、守るべきご先祖がありますから。

 

理由はともあれ、この国は信教の自由が保障されています。

信心・不信心自由。入信・退去それも自由。

父母の信心から離れること、とらわれない事まったく本人次第。その自由に入檀料、離檀料ほか諸所の件(地獄堕ちるなどの脅し・・・)宗教法人主催者からつべこべ言われる筋合いもナシ。

 

すべてが各人それぞれの意向が重視されます。

ということで私としても、そんな時は「どうぞ」、オンリー。

それしかないというところ。

寺はただ、皆さんそれぞれの意向の通り「おまかせする」だけ。

真宗はそもそも絶対他力、坊さんもトータル「如来におまかせ」ですから。

尤もいずれも私の思慮など及びもしないところです。

 

本山では「お檀家さん」などいう語は使われなくなったような。大抵は「お寺のご門徒さん~」で通していますね。

また通常は歴史的に見ても「門徒」といえば真宗門徒をイメージしますが、広い意味では真宗に限った「門」ではないことは当然の事。

その門はフルオープンでなくてはならないものです。

 

今は「出入り自由」の信心世界ですから、別の信心を得ている方も無信心の方も当流の門を潜ることがまたあるかも知れません。退去する方もあれば来られる方も。

それもご縁ということになりますが、その時もそれぞれ大切にしていきたいと思います。

 

先般、当流教区の一寺院の法人解散届が受理されたことを知りましたが人口の減少もありますが時代の流れというものですね。

残念なことですが致し方ない。

抗いは不可能、「縁」の中で生かされている・・・やはりおまかせするだけですね。

 

 

扨、昨日は岡崎百々の丘、七所神社を記しましたがその杜の東にもう一つの丘というか小さな森があります(画像 ① )。  

そちらが百々城址になります。

「百々町字東側」なる地名ですが、やはり七所神社あたりまでその城域が広がっていたと見るのが妥当なところでしょうか。

 

そもそも百々(どうど)の地名はその北側を矢作川に注ぐ青木川の流れを形容したもののよう。

ちなみにその川を渡った地が本多忠勝の出生の地西蔵前城となります。

まさに井田城の石標にありました通り、三河武士の中心地がこちら(岩津を中心に岡崎城にかけて)であったという主張、わかるような気がします。

 

内藤氏の出自説同様やはり近江→三河の途を辿ったといわれ、清康時代にこの地を安堵された青山氏が居城としました。

青木川の流れから取った「とうど」の地の青き山を拠点とした青山氏。「青」の字が重なります。

地元ではこの「青山氏」の青山が時代を経て、現在の国道246号、青山通り、青山の発祥となったことはあまりにも有名な話。

 

城址は丘の東側、住宅街に囲まれた森になります④⑤(場所はこちら)。

城址の管理者はS氏です。

いわゆる個人宅の裏山という感じで気軽に立ち入りすることはできません。

⑤⑥⑦⑧などの石塀は後世の手は入っているでしょうが、古い時代の結界のように感じます。

庭にもその手の遺構が想像できる、ちょっとした構造物を認める事ができます。

 

②は七所神社の裏ですが、この周辺地は「掘れば何か出てくる」埋蔵文化財包蔵地に指定されています。

 

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2023年

8月

20日

岡崎百々の丘上 七所神社

昨日は静岡名物ハンバーグ店「さわやか」の殺人的混雑について記しましたが、息子の号令の元土曜日夕食時のそちらに初チャレンジしました。

たまたま息子が吉田インターで下りるということで約束をしたのでしたが、着到がかなり遅れて午後6時すぎになってしまいました。

 

例のサイトから吉田店の混雑状況を随時検索していましたが、1600前には待ち時間0分だったのですが17時には60分待ちにまで。

これまで、店側としてそれだけの混雑をどのようにして捌くのか疑問でしたが、今回それが判明。ハッキリ言って「なるほど」合点のシステムがそこにありました。

 

店に行くと順番待ちの時間を表示するモニターに発券機が設置されていて「私の順位位置」が記された整理券を発行してくれます。

整理券にはQRコード。

それをスマホで読み込ませるとあと何組着席を待っていて、どのくらいの時間がかかるかを教えてくれます。ということで整理券を取れば順位が確定しますので、あとは駐車場の車で居眠りをしようが他に買い物に出向こうが勝手次第。

昨日記したように店内で長時間アホ面をして待つなどは有りえないのでした。

順番が近づいた頃合いにてQRコードを開けば「店内でお待ちください」の表示まで。

またスマホに「時間ですよ」とlineしてもらうこともできるようです。

次回「奥の墓道」氏来訪の折はその方法でチャレンジしようと思います。

 

扨、以前六所神社(こちらも)について記しましたが、画像はやはり岡崎の百々(どうど)七所神社(場所はこちら)。

丘の上、昨日まで記した西光寺と同じような高さになり、また大樹寺ともやはり近隣、こちらは寺から見て北東方向になります。

井田野合戦もしかり、桶狭間直後も信長軍がなだれ込んでいると思いますのでこの丘もまた熾烈な戦いが繰り広げられたこと、想像できるというものです。

 

六所神社と七所神社そして大樹寺の共通点は岡崎市指定「ふるさとの森」。

 

 

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2023年

8月

19日

井田野西光寺 内藤義清夫妻の宝篋印塔

名目のお盆休みは15日までですが、実質は20日の日曜までという方たちもたくさんいらしたはず。それが昨日の感。

「奥の墓道」氏は16日からの仕事のために横浜に戻りましたがリッチな休暇を得ている皆さんはその20日までというのが実際でしょう。

夏休み真っ只中という季節もありますが市中にはまだ「人が溢れている」感が残ります。

 

静岡県には静岡ならではの混雑指標があります。

それがハンバーグ店「さわやか」(静岡県内にしかない!!)の各店の待ち時間案内。

そのサイトを開けば店内に着席するまでの待ち時間がわかるのですが、東西県境、特に休日昼前から夕刻までの御殿場店などまさに常軌を逸した待ち時間を提示させています。先日は「300時間待ち」など目にしました。

 

私どもがお世話になっている直近の吉田店がその中で最も待ち時間が少ないということで有名なのですがそれでも私どもは入店の時間差を試みます。

昼でも夜でも平日15~16時、それ以外の場合は諦めるが肝心と心得ています。時間が勿体ない。

 

先日のお盆休み中も「奥の墓道」氏からリクエストがあってそのサイトを見廻していましたが唖然呆然オンパレードでした。

通過した菊川店の駐車場には「満車」のプラカードを持った警備員まで出ている始末。勿論今回もパスしましたが。

彼は「静岡の幻の食べ物」と化したと。

 

昨日は19日土曜に横浜で催される法事の出仕依頼がある息子が浜松からの途中、当地に立ち寄りました。

すると15~16時に吉田インターを降りるので「そちらに集合」の号令がありました。

しかし土曜日ですからね。