2020年

12月

04日

いろはかるた設楽原教訓コレ一番 名高田前激戦地

昨日の静岡県のニュースのうちやはり気分が良くなかったのは榛原病院のリハビリ棟で3人の陽性が出てしまったこと。

外部との接触が無かった人たちです。

他の医療従事者と事務職すべての検査ではすべて陰性。

感染ルートが掴めていないところがまた恐ろしい。

今、何かあっても気軽には病院へ行けなくなったよう。

12月2週すぎあたりから静岡もこれまでの暖冬気分をぶっ飛ばすくらいの寒気が訪れそう。

環境の変化と体調には気を使っていかないと・・・

 

先日は大阪出身の20代前半の若者に私の知ったかぶり「十三って知ってる?」などと聞いたことがありました。

この大阪の難読地名「十三」は関東あたりの若い人ではまず読めないはずと思っていたところ(奥方にも聞いたことがありました)、大阪の若者がたまたま目の前にいるということでそれを思わずぶつけていたのですが・・・「知らない・・・」でした。

まぁその人は熊取町出身ですので淀川の西岸にあるこの地名、駅(阪急3路線の駅)からは相当離れていますから無理もないかも知れませんね。

唄のタイトルにもあったその地「十三」(じゅうそう)には緊急事態宣言下の4月、大阪市長が肝入りでコロナ専門病院(中等症病

床専門)として指定した大阪市立十三市民病院がありましたね。

 

それ以来病院の医師、看護師の怒涛の苦難があったようですがこの病院一つとっても大阪の医療崩壊間近?といった現状がわかります。

大阪府の医療センターでは手が負えない理由からガン患者専用病棟を閉鎖するとのことですし、こちらの市民病院では現状90床の中等症病床を確保したものの人員不足から60床の稼働でいっぱいいっぱいと。 

こちらの病院では4月から非正規含め「医師10人、看護職員22名が離職」の現実。

 

要は現場の医療従事者の「やってられない」の声なのでしょうね。どうしてその声が聞こえないのでしょう。

いやそれは聞こえているはず、ただひたすら黙殺しているのでしょう。

 

自分が看護師だったとして、休みなしの勤続労働200日、給料カットで我武者羅お国のためと働いていても、国の方ではそんなことはお構いなしに「Go To ~Go To ~」と煽りまくり。

先の見えない患者大挙の無限看護地獄。

その病院に勤めているだけで差別の目で見られて子供たちも疲労困憊。「ケツを捲る」というのも仕方ない事でしょう。

いよいよ大阪から医療崩壊が始まっている感です。

ここへ来てどちらでも増床、増床と旗振り大騒ぎになっていますがそう簡単にいくとは思えません。

 

よって本来あるべき「Go To ~」とは医療従事者のために「コ

ロナが克服できたら思う存分羽を伸ばしてください」でなくてはね。

医療従事者がいなくなったら、いったい誰が病気を診てくれるというのでしょう?

経済などよりもずっと医療が大切と思うのですが。見捨てられ 

るのは重篤患者から・・・が崩壊の末期です。そんな状況まで見させられるのでしょうか。

これでは政治屋のみなさんもイザという時に駆け込みができなくなりますよ。

 

さて、ここのところ設楽原周辺についてテキトーに記していますがとりあえず画像のありったけを少しづつアップしていこうと思います。

 

昨日の史料館付近から再び激戦の連吾川に下ります。

ここは丸山砦から200~300m、新東名高速の橋脚の南側手前にその標は立っています(場所はこちら)。

「名高田前激戦地」で、馬場を筆頭に武田勢右翼VS連合軍左翼織田勢による激戦地。

激戦地と各記してはいるもののこの一帯すべて死闘が繰り広げられていますから・・・特にここの北側は南側に比べて段丘が迫った閉塞地であるため混戦に拍車がかかる場所ですね。

 

私はこの地に立ついろはかるたの中でこの文言が一番に好みです。

「老将の言 勝頼は 封じたり」

ここでの老将を一人あげれば馬場信春が思い浮かびます。

 

②③方向の先に例の馬防柵、③の右側が丸山砦がありますが④北側、新東名橋脚の先200m程度が柵の北限、連吾川はこの辺りで本流は西に折れ、川を越して馬防柵がそこまで連なっていたよう。

 

昨日と同様「そういうの よしなよ!」と言われつつ「オヤジ殿を超す」「オレが一番」と「自分を信じて~」の典型的失敗例。

御注進が聞こえない、聞かない・・・その手のぼんぼんのお坊ちゃまの姿・・・どうも目につきますね。

私も忠告は受け続けてきましたのでよくわかります。ただそれを耳にして修正できるかどうか・・・

 

②③の丘が勝頼の才ノ神本陣。

馬場はこちらの勝頼に負け戦に付き退去を促し、橋詰殿戦地の 藤生道で勝頼が豊川を渡ったところを見送って覚悟を決めたというのが言い伝え。 

 

 

 

 

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2020年

12月

03日

設楽原歴史資料館 岩瀬忠震の銅像と鴨川橋脚 ?

昨晩のNHK総合「歴史探偵」は実に楽しい番組でした。

特に航空レーザー測量の周山城(こちらも)は安土城を凌ぐ巨大城郭と。それは最近になって判明したそうです。

特に瓦葺きの本丸の門と瓦の残骸そして石垣と天守台そして天守には瓦ナシの檜皮葺。これは花の御所を真似たとのこと。

是非また行きたくなりました。

 

そしてコロナ。東京500人、全国2000人。

静岡中部の病院の病床占有率が80%と。

ヤバい水域に入ってきました。

東京だ神奈川だ・・・などと言ってられないようですね。

「陸の孤島」相良に住まう私も迂闊な行動は行く行く後悔することになるのかも。

 

昨日は広島の選挙買収事案でアゲられた夫婦の件、企業の強制捜査でたまたま500万円を大臣室で貰っていたことがバレちゃった旧農水大臣さまが突然「病気です」といって入院してしまいました。勿論収支報告書の記載なんてないとのこと。

今後芋づる式に・・・の戦々恐々、それを真の自業自得と言うのでは・・・検察トップにお友達を無理くり入れたい理由がわかるというもの。前総理も「桜」でビクビクなのでは・・・

 

それにしても病床の足りない時にいったい何をやってるのでしょう。

どうせまた例の「詐病・・・?」が思い浮かびますが。

犯罪に関わる政治屋のワンパターン、病院を「駆け込み寺」にするっていうのはね。笑ってもいられませんが。

ヤバくなったら病院へ、合言葉の如く・・・常套手段というのは。「そういうの、よしなよ!!」としっかり言いきかせてあげて。

 

私の場合は駆け込まなくても寺にいますので、何かやらかせばお寺にも居られなくなりますからね。

 

今一番に言われているその感染リスクが突出してヤバい場所というのが飲食。

酒の提供の有無にかかわらず食事の際に感染リスクが上がるといいます。

一昨日は浜岡での仕事が終わって叔母とあちらの店舗で遅い昼食をとりましたがその件、今後は考えなくてはイケません。

叔母は一緒に食事をとりたがりますが・・・その時は奥方からは「ヤメた方がイイ」と忠告を受けましたが「まぁいいじゃないか・・・」とごく気楽に3人で店に入ってしまいました。

食事の件、人との「対面は控える・・・」ということが必須ですが、私の正面でぺらぺらおしゃべりしていました。

ウィルス学の先生からすればトラベルより「Go To イート」が感染を増やしているとも言っています。

 

叔母はマスクに関しては通常買い物に行くときもまったくしていません。口を酸っぱくして毎度言い聞かせてはいますが「忘れちゃった」が常套句。どちらでも「オッかねぇ婆さん」で通っていることでしょう。

よって叔母から感染・・・という不安がありましたが、叔母のピンピンしている状態を見て奥方が「鉱山のカナリアと同じ」と。

「高齢の叔母が罹っていないということでこっちも大丈夫」ということですが実は高齢者の無症状感染者もいるということを忘れてはイケませんでした。

 

外食というものをいよいよ避けるべき時が来たということかも知れません。日本医師会の会長は「師走は正念場」といいます。クリスマスに忘年会、浮かれて出ていけばヤラれそう。

飲食関係のお店と従事される方々、今年は御辛抱をいただきたく思います。

 

ワクチンはタダという法案が通ったようです。まだそこにあるワケではありませんが・・・

それよりは今、まずは市中市民の無症状感染者の掘り起こしのために検査の方に力を入れてくれないものでしょうかね。

 

さて、設楽原の歴史史料館周辺について記していますが、その建屋の前で入館者をお出迎えしてくれる像と石柱を(場所はこちら)。

 

銅象は2016年に史料館が建てられたときに建立された岩瀬忠震(ただなり)の像。設楽原に所縁ある偉人ですね。

各所にても顕彰されている幕末の開国に尽力した人で老中阿部正弘に列強交渉役として抜擢されています。

 

そしてその銅像のある広場の近くの木々の中、ポツンと立つ石柱に注目。

石柱・・・というかこちらは橋脚だったといいます。

眉に唾しながらも聞いたところを記せば、この資料館が建てられた際、京都でこれを買ったという古物商が寄進したものといいます。

その人が言うには「京都の鴨川から出て来た代物」だそう。

「天正十一年」(天正十・・・ 三日 と確認できます)と見たこともないほどにデカく線刻されています。

 

ホントなら京都国立博物館が「返せ!!」と言ってくるのでは。

こちらにあることの意味が分かりませんので。

案内板の一つも掲げられていないということも不思議ではありますが橋脚の石柱であることは違いなさそうです。

 

 

 

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2020年

12月

02日

設楽原 歴史資料館・信玄塚近く 信玄祖師堂跡 

12月のはじめの日、全国で過去最多の41人の死者が出たと言います。この突飛な数字にこだわれば「1200人/月」ですからね。

年配の方で何らかの持病を持っている方がほとんどのようですが、やはりまともな世であればこの期に「死ぬ」ことはなかった人たちではないかと思います。

 

一歩も引かない「Go To」一点張りの態様で、感染拡大の鞭を入れ続けていたその結果でしょう。

昨晩は「高齢者のGo To自粛のお願い」などソーリ殿が言っていましたが無茶苦茶ワケわからない。

高齢者以外の皆さんが緩々の様で色々と動きまくり「感染 Go」させてしまったのに。

無症状者への検査体制の方におカネをかけていればここまで酷くならなかったに決まっていますよ。

鞭を入れたその「結果」とは記しましたが本当の結末はまだ先のこと。もっともっと悲惨なことが待っているかもしれません。 怖ろしや。

 

東京の知事殿は病床数を増やすよう大病院に依頼したといいますが病院では「(看護する)人がいない」と言っています。

新コロ患者への対応が限界に達しているということですが、それを「医療崩壊」と呼ぶというのに。政治の方は相変わらず悠長なこと。

今週の木・金・土でいよいよそれが見えて来るような・・・。

散々に感染者を増やし続けた挙句、他府県に「お願い」(受け入れを)しようというのでしょうかねぇ。

その件どちらでもそろそろ許容を超えつつあって悲鳴が聞こえてきます。仕舞いには「自宅待機のお願い」となるのでしょう。

 

「陸の孤島」に住む私ども昨日は池新田の叔母宅の生垣の刈込作業を。

叔母はその件、1年近く言い続けていましたので、「そろそろ行くか・・」と重くなった腰をようやく上げました。

シルバー(人材センター)に依頼すれば「3万円はかかる・・・」とのことで「そりゃ勿体ない」と以前は息子が夏休みのバイトで1日かけてやっていた作業です。

 

奥方と二人で正面部分のみ、ざっと3時間と少々、やっつけて帰宅。

体中が「痛ぇ、痛ぇ」といいながら湯舟にザブン、その後ぶっ倒れるように夕寝しました。

まだやり残しがあります。一旦ここでバッサリやっちまおう・・・ 

というのが私の意見。

その3万円の支出について再検討しましたがケチな性分ですからね。

私たちにはまだ静波墓園の生垣の宿題が残っていますし境内も酷いものです。

 

さて、設楽原の歴史資料館は武田勢本陣近くの台地の西側(激戦の連吾川方向)にありますが、その周辺は住宅地になっています。

古い農家などから、多くの遺物が伝わっていますが、戦没者の遺品でしょうね。耕作地からは鉛の銃弾が出ています。

昨日の大根もそういった古くからの農家の生産品だと思うとその味もまた格別です。

 

史料館近隣、住宅街の細道にも地元の人々の死者への慰霊の気持ちが伝わっています。

 

 

 

 

 

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2020年

12月

01日

おみやげは大根1本 設楽原 信玄塚の閻魔堂から 

寒さと風と乾燥と・・・いよいよ本格的な冬らしい冬に突入した感。日中でも「寒い」を感じました。

昨日は古い桐たんすを引き釣り出して掃除と補修。

少々の処分もありましたが、使えそうな物は残しておいたもので昨日で全終了。

新しく作ったテラスの1階が私の作業場になっていますが、それらを押し込んでいたため、「足の踏み場」が限界に達していましたからこれでスッキリしたのですが、では何処に置く?ということになって奥方と黙ってしまいました。

 

昔の人間、父母も勿論、「箪笥」と家具が大好きで庫裏の中はそれで埋め尽くされていましたからね。

またそれらを庫裏に戻すとなると元の木阿弥。

まぁ桐材の効能は素晴らしいものがありますので、法衣等を分散してひきだしの入れて活用したいと思います。

 

寒さと風と乾燥・・・それは新コロが思う存分に暴れまわれる環境が到来したということですが、ここ駿河湾に付き出た陸の孤島の相良の状況は静岡市、浜松市あたりと比べればまだまだお気楽気分。今後のことはまったくわかりませんがとにかくもこれからのシーズンは何といっても火の脅威。

先般の近隣で発生した火事の件記憶に新しいところがありますがこれから北西風の吹く乾燥季は特に注意が必要です。

それぞれが注意してあのような悲劇が起こらないようにしたいですね。

あの火災については漏電という噂がありますが、では「どうしてブレーカーが落ちなかったの・・・」と疑問も少々。

今は跡地の残骸は撤去されて更地にされていましたが、隣家の壁面など延焼箇所の状況は痛々しいことこのうえなし。

あの火災から広報無線機を復帰させて、本堂周囲の木は伐りたくない・・・を思いました。

 

さて、昨日の通り、信玄塚大小の松のあり様ときたら酷いものがありましたが、その大きい方の塚の近くには閻魔堂があります。

閻魔といえば四十九日法要(満中陰)で浄玻璃鏡についてお話しさせていただいていますが、先日のその法要では前首相のウソ(桜を見る会への支出)がバレてしまったこと引き合いに出して「ボクたちみんな大ウソつき」。

そしてそういったウソはバレるもの(地獄に堕ちる)・・・などと言い放っていましたが(ではどうして私の浄土行が約束されているか・・・という話に繋げます)この祠の中には石造の閻魔さんか怖い顔をして鎮座しています。

 

その直前、大根を抱えた地元の人らしき人とすれ違いましたが、この信玄塚の堂の下に大きな大根が中に入ったケースがあって「どうぞ~」の看板が。

要はねじ曲がって売り物には不向きな代物なのでしょうが、咄嗟に「コイツを奥方への土産にしよう」と思いつきました。

お二方の一人は「大根は作っているほど余っている」とのことで興味を示しませんでしたが、もうひと方とは「ヨシ!」ということで二人で1本ずつを頂戴しました。

片手で持って歩くのはくたびれそうで史料館の駐車場からこちらに車を廻したほどやたらと大きな大根を選んだもので。

ケチな根性まる出しで失礼。

 

帰宅して奥方に「信玄塚の前で」と告げると苦虫を潰したような顔に。「その辺で70円~90円で売っているものをわざわざ墓場から持ってくるなんて・・・」でした。

奥方は以前墓場の中で採ったタケノコを食べて原因不明の嘔吐をしたことがあって以来タケノコ恐怖症。

墓とそこでの産品の取り合わせはイケないようです。

 

私の方は特に何でもありませんから、ただの言いがかりですね。

かつては古い墓の下でヤマイモを掘って皆で食べたことがありますがその時は美味しく食していたのに。

まぁどこでそれを掘ったかは告げませんでしたが。

 

 

 

 

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2020年

11月

30日

「大松小松信玄塚の供養塔」見るも無残 設楽原 

「56歳 栄養失調による衰弱死」・・・ショッキングな件。

昨晩の「ひきこもり死」(NHK)を視聴しました。

中高年の「ひきこもり」の人が100万人いるというこの社会。

新コロ蔓延の恐怖もありますが、その数字はまさに生きながらの地獄の恐怖。

きっかけは病気、失業から兄弟縁者との疎遠、親の死など様々ですが、これは個々の病ではなく社会の病苦と言っても過言ではないような気がします。

 

特にひきこもれば生活資金枯渇となりることは必定。

親の年金で食を繋ぐことになりますが親が死して「そこで終了・・・」という図式がありますね。

 

各自治体レベルでは支援の手を伸ばしていこうという動きは見られていますがその支援の方法を模索しているようです。

それは「ひきこもり」の方がそれを「関わりたくない」と拒絶するからですね。その71.7%の人たちのがそうだといいます。

鍵を掛けられている家を押し破るワケにはいかないでしょうから。結局は対人と「聞くこと」をも拒んで「餓死」という最悪の事態になってしまうのでした。

 

行政の手出しができるはずの各資金的「制度」の限界を知りましたが結局は適性な援助というものが受けられない人達。

しかしまぁその問題に現場で関わっている皆さんの苦労をも知らされました。

人を「孤立」させない何か国の方で抜本的思案が欲しいところです。

 

この社会にはまだまだ優しさが足りないのですが、現場の人達だけが苦労する仕組みは何とかしていかないと・・・

「ひきこもり」を個別事案、自業自得・・・と思っていたとしたらとんだしっぺ返しが来るのでは・・・

私の明日、息子の明日・・・「朝(あした)には紅顔あって、夕には白骨」(御文5-16)の如くです。「病」の無常も避けられない身ですからね。

 

モノが溢れかえり何一つ足りないものがないと報謝を感じないようになった社会ですがそれは幻影だったのかも知れません。

「消費社会 贅沢三昧」の「三昧」の仏教語の意「墓場」「火葬場」が思い出されます。

 

さて、本日も設楽原。

設楽原の歴史資料館への来訪は御無沙汰で2年振りでした。

設楽原戦跡観光の双璧(馬防柵と)で長篠城と史料館を合わせて廻るのが一般的推奨コースですね。

昨日の通り、お二方をこちらにお連れしたのですが、折角だからと「信玄塚」と呼ばれる大小の塚と墓碑のある場所に。

史料館を出てものの50mも行けばまずその円墳状の大塚に当たります。

 

行ってびっくり仰天、空しさをも感じました。

こちらには「設楽原古戦場いろはかるた」と称して各戦跡、墓碑当の前に簡単で分かりやすい言葉が連ねられていますが、表記の

「大松小松信玄塚の供養塔」はこちらにあったはずのもの。

その日は「どこに目を付けているんだ」と怒られるかも知れませんが見当たりませんでした。

 

要はこちらには大小の塚が対面してあってそれぞれのトップにはかつては青々とした松がその存在感を顕わにしていました。

①~⑨が2018年の夏ごろの図で⑩~⑬が一昨日のそちらの様子です。

酷いあり様で呆れましたがよりによってよあの両墳墓の松がま

っ茶っ茶の枯れっ葉に成り果てていました。

見苦しいことこの上ないことですが、早々に伐採しないとどんどん周囲に感染してしまいますよ。

 

新城市の対策などもお伺いしたいものですが新しい松を植えるなどの手配はどうなっているの・・・など余計な事まで考えてしまいました。

まぁ当地に限って大丈夫だろう・・・の油断があったのかもしれませんが名所の松は消毒等のメンテが不可欠ですね。

もしそうだとしたら不作為の咎か・・・。

実にみっともない姿でした。

拙寺境内の杉が立ち枯れするのとは大違いですから。

 

20年近くご無沙汰している富士の樹海ではミズナラの巨木の枯れ死が問題になっていますね。

私はそちらで一番デカいといわれる巨木のドングリを拾ってきて境内に植えていますが今あるそれは2代目のもの。

やはりドングリから芽を出しました。

 

あの木は松同様に虫の餌食となってしまいますから人の手で守ってあげなくてはなりません。

まぁこの地は温かすぎるという彼らにとって不都合な環境であるのかも知れません。

 

 

 

 

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2020年

11月

29日

設楽原 馬坊柵復元土塁より才ノ神勝頼本陣方向を

新規感染者、全国2678人という新記録を出した昨日土曜日(御開祖命日)、私は史蹟研究会メンバーのお二人と設楽原まで向かいました。

前回の刈谷行脚に続いて2回目の遠足でした。

お二方とも「設楽原も長篠城もまだ・・・」とのことで張り切ってご案内させていただきました。

「ご案内」などいうとまるで私の所有の如く言回しになりましたが、自分的には「そんなもん・・・<庭>のような」です。

 

設楽原~長篠を中心に奥三河の戦跡巡りなどは到底一日でできるはずもありませんがとりあえずということで本命中の本命、連吾川周辺と信玄塚近くの鉄砲の史料館、そして長篠城へ。

 

皆さん、「お墓」はあまり興味が無いようでしたが(何せ墓だらけの地です)歴史の中の中心となった現場に遊ぶその醍醐味を共有できる方がいることは嬉しいものです。

まぁ、仲間を増やしたのは有意義なことでした。

 

車は相良から新東名金谷経由で新城まで1時間とちょい、大して時間はかかりません。

お二人とも「また来たい」とそれぞれの車での再訪を期していました。

問題は同じ車での移動。いわゆる三密の最たる環境になりますからね。

帰り際に「コロナに罹ったら教えて・・・」と別れました。

 

車という空間といえばタクシーの運転手の件、よく例として挙げられますが、あまり「感染した」という報は聞きませんね。

ポイントはマスク装着は当然。

マスクも不織布の方が有効で乗車中ずっと付けていなくてはなりません。

 

いつもと違うのは車の換気方法です。

通常は「社内循環」にして外気の排ガスを入れないようにすることが多い傾向がありますが、ここは終始「外気導入」にして車内空気の吸入排出を心がけました。

当初は窓も各5㎝ほど開けていましたが「うるせぇ!」(風切り音が)といいながら閉められていましたが・・・。

 

まぁ先述したように皆さん普段から新コロ対策についてしっかりと気をつけて動いている様子、お互いを信じての行動でした

勿論食事(ラーメン)は人さまの集中する時間をずらしてテーブル対面をしないように・・・。

「道の駅」は人でごった返していましたが連吾川の馬防柵前、昨日記した丸山砦周辺など他に人の影は一切ありませんでしたので概ね健全なお遊びだったと・・・。

 

本日はもう何度もアップしている(奥の墓道にここからの画像を送ると「また来てるのか・・・」)馬坊柵の正面と裏側から見た勝頼本陣のある才ノ神本陣方向。

⑤⑥は復元土塁とその上から(場所はこちら)。

⑧は皆さんと丸山砦へ。

この高さからだと馬坊柵が見えます。ということは丸山砦は両軍全軍から見える場所であり、そこを奪取するかどうかがどちらの郡にとっても指揮にかかわったことは間違いないところ。

友軍の旗が立つかどうかで一喜一憂したことかと。

 

最後の画像が道の駅の入口の掲示。

このドアがお寺でいえば結界なのでしょうが、寺の境内にそんな規制は設けられません。

史料館2か所(鉄砲史料館と長篠城史料館)の通し券を購入しましたが、どちらも検温は必須。

これも拙寺では考えられません。

社会の要求はわかりますがつまるところそれは「病人の入場を禁じる」ということですからね。

 

ただでさえ結界を設けない当流にあってその件「それを言っちゃあおしめぇ」みたいなものです。

むしろ「病人こそ来て欲しい」というのがお寺のはず(極論)。

 

案外と「自身無病」と錯覚している方などが他者を拒絶しようとするものなのです。

病人差別の助長にも感じますが「感染したかも・・・」と自覚してもそれを公表せず隠して自身の自然治癒力を期待して様子見し、挙句世間蔓延と繋がっていることなど最近思うようになりました。

 

来週はいよいよ「医療崩壊の実際」があるのでしょうか。

 

 

 

 

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2020年

11月

28日

設楽原 連吾川脇の丸山砦 小さなぼた山 古墳? 

昨日の東京の新コロ感染者は記録更新の570人。

まぁこの様はド素人の私でも予想しきっていることでしたからね。

経済、経済と人を動かしたその結果でしょうが、今になってドタバタ騒ぎ出してもね。やれやれの感です。

 

静岡も相変わらず「爆発」寸前の様を思いますが、三島市ではPCR検査を限定数65歳以上の高齢者と医療従事者限定で支援するというニュースがありましたね。何と1回5000円でできると言いますから安価です。

ただし「300件を予定」とのことですがこれは疑問ですね。

昨日も記しました通り、PCR検査は「定期的」に行うことによって安心を得るものですから。 

そのサービスの提供は大いに結構なことですがそんな件数で足りるはずがないと思うのがやはりド素人の考え。

 

北九州市は全国的大流行とクラスター発生またそろの中、相当の善戦をしているようです。

要は国の姿勢の通りに動くのではなく、「片っ端から検査」を行って抑え込んでいるとのこと。

要は専門家がその警戒を発していた「無症状感染者」の存在について早くから耳を傾けきめ細かく感染者把握に繋がる行動をとったということですね。

それを北九州モデルとも言われるようになっていますが、そのおかげで経済、経済といわなくともしっかり「廻っている」とのことですから素晴らしい。

 

北九州市は月3回ペースの検査ができるよう、やはりソフトバンク系の企業による検査体制を整えたよう。しっかりと予算を取っているというところが違います。

国が主導してやるべきことだと思いますがね。

あのバカみたいなマスク配りではなく、まさにそこでしょう。

また企業の有りかたもしかり。

社会のためになってかつ収益があげられるところ、目の付け所がちがいます。

野球の選手育成などもいろいろ旧態依然の企業とは異にするところがあるのでしょうね。

 

「北海道と大阪の感染流行地には行かないで・・・」でありながらトーキョーはOK、そして「流行地のGo To イート券を販売中止」とはいいながら使用はOKなどなど片手落ちの対策ばかり。

まるで「矛と盾」ですね。

聞けない、学習しない、経験を生かせない、あとに引けない、対応できない、の「ないないずくし」。どうすんのよ・・・まったく。

 

さて、昨日の設楽原の大宮前激戦地の画像の⑥、標識から北側の図ですがボタ山が見えます。⑦の連吾川の右上に見えるのもそれです。

 

このぼた山の名が丸山ですが、遠くから見れば円墳のよう。

実際の所はわかりませんが、この小さなスペースに陣を敷いてその陣取り合戦を大軍どうしでとったり取られたりとやり合えば相当の熾烈さを思いますね(場所はこちら)。

 

こちらは道路沿いにあってここいらを走ればどなたも目に付く場所。①夏②冬の丸山の図。看板のメンテもしっかりされているようですね。③と⑤の如く時間の経過、枠が更新されていることがわかります。古い看板も撤去されていました。

 

 

 

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2020年

11月

27日

長篠から引き出され設楽原 大宮前激戦地の標  

注目の新コロ感染者、東京は481人。

まぁそんなものだろうというところでしたが、静岡の72人というのは少々驚きましたね。

過去最多の数字を叩き出した地は他にもあって兵庫県が184人(大阪326)で兵庫の病床使用率は70%直前といいますからそろそろ危険水域に入ったに等しいでしょうね。

 

そんな中、夜になって兵庫県在住の友人から電話がありました。四方山話の類ですがやはり新コロの件いろいろです。

彼は多くの人達と関わらなくてはならない仕事を東京-大阪の間を飛行機で行ったり来たりしていますが、定期的にPCR検査を行っているといいます。

 

鼻からのそれについて「私は嫌だな」ということからそれを聞けば「唾液から」ということでしたから、SB(ソフトバンク)の法人用検査サービスを思いましたがそういえば楽天も一昨日PCR検査サーピースを開始したというニュースがありました。

後者の方は陰性証明も出せるとのことでしたから今後普及するでしょうね。値段も当初より安くなっていました。

 

彼の持論①は大阪の状況はすでにコロナ禍は去ったかの如くの賑わいで感染者UPの数字など「どこ吹く風の感」であるということ。そして「もしかしてとっくに私はコロナに罹っていて発症せずに完治しているのかも」と考えるようになったそう。

ちなみに

 

未知なるウィルスで本当のところはどうなかまったくわかりませんが先の三連休もそうでしたがあれだけの「密」世界を繰り返していたことに慣れてリスキーは承知していても「なんだ大丈夫ではないか」また「罹ったとしても発症しない人がいるではないか」「私は大丈夫かも」の勝手な緩み心が蔓延しているのかも知れません。

 

まぁ政府が「Go Toは知事にまかせる」と言い知事たちは「政府にまかせる」の責任のなすり合い。

つまるところその方向はスバリ「国民にまかせる」(自己責任)ということのよう。

 

さて、昨日は設楽原の激戦地、柳田橋から見た織田連合軍の陣、馬防柵方向の図をアップしましたが、逆側、北から見た馬防柵を。

段丘と段丘の間を流れる連吾川を挟んで対峙した両軍でしたが誰がどう考えても柵が複数に重ねて連なる敵陣方向に突き進むのはいくら勇猛果敢の武田騎馬隊であってもそれはムリな話。

そもそも長篠城からこの地におびき出されての決戦など愚の骨頂でしょう。

現場に来たとしても「こりゃヤバい」と思うのが普通の感覚。

 

「決まったことだからGoする」ということに違いないガチな命令形の旧態依然(今の感覚で)が見えてくるワケですが、まぁこれは武田家臣団の諦めの達観があっての玉砕戦法だったかも知れません。

 

昨日の柳田含めて連吾川を挟んだ周辺はどちらも激戦の地ではありますが、北側の畑にも標識が建てられています。

「大宮前激戦地」とあります(場所はこちら)。

数mほどの削平された段の手前になっていますがこの地形について詳細は不明です。

 

②は標識前から見た織田軍陣地方向と連吾川にかかる橋。

③は川沿いに北側に回り込んで南側を。④⑤に織田方馬防柵が見えますが④の日が当たっている段丘が武田方の陣。

丁度こちらの大宮前激戦地の東側のトップ辺りが武田勝頼の陣があった場所になります。

⑥⑦は新東名側。戦闘はその向こう側にも広がっていました。

 

 

 

 

 

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2020年

11月

26日

設楽原連吾川 柳田橋から見る馬坊柵 

新コロ重傷者が増えすぎてコロナ専用病床の使用率が上昇しているとのこと。

毎週木曜日にスゴイ数字を見せられていますがどうなることやら。

医療崩壊秒読み開始か・・・というところのようですが、それって切実ですよね。

医療従事者は疲弊しているところに追い打ちをかけて患者は受け入れて看護することができない。

これから新コロに罹ったら「野垂れ死」するしかないということでしょうね。

 

今井信郎の刀の柄にあった「野ざらし」(塔婆と頭蓋骨)を思いだしますが、時代が違いすぎますね。

その刀が遺骸の脇に立ち墓標とすることを意図しての「覚悟」なのですがそんな達観させるなんて、政治が国民に強いていいの?

 

さて、そろそろ史蹟研究会の会合がありますが、前回は雨天で流れた遠足の予定を入れています。ノー天気ですね。

参加者はかなり前に刈谷に行ったグループとなりますが近場でごまかすか、長篠まで行くか思案中。

長篠といっても新東名に乗ればあっという間、ほとんど浜松と同じようなものですからね。

 

私が車を出して運転手ということになっていますが、この新コロ大流行りの時期にそんな密接空間てどうよ・・・と引っかかるところあります。

 

マスクしておしゃべり無し、寒いけれど窓を開けての走行に果たして皆さん耐えられるか・・・です。

私が最年少なワケで、どなたも「接待のある飲食」からカラオケ等無縁の方たちですが、現状からして行動規範からのウィルス感染の確率は薄くなっていて、今どなたが感染者となったとしても不思議はありませんからね。

 

皆さんからすれば「オマエが一番怪しい」というかも知れません。当日、どうするか皆さんの顔色を見て決めることにしましょう。

 

画像は久しぶりに引っ張り出してきた、設楽原の風景。

激戦の連吾川にかかる柳田橋付近(場所はこちら こちら)。

⑤に馬防柵と新東名の高架が見えます。

⑤の山頂が信長の本陣。新東名の左方向に長篠設楽原PAがあります。そのPAから高速道路の北側の山の中腹に秀吉の陣、信長の陣から南側、中学校の上側が家康の陣でした。

小さな連吾川ですが当時は橋も無く泥湿地帯であったと思われ 

ます。

 

道の駅「もっくる新城」で足湯でも浸かってのんびりしたいですね。

しかし皆さんも怯え切っていますから・・・さぁ、どうする です。

 

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2020年

11月

25日

好天につき島田蓬莱橋を渡る 10年以上振り

昨日は平日の法事でした。「土日以外で」という家も少なくありません。業種によって休みは違いますしね。

そして、法要の施主の形態もいろいろあります。嫁ぎ先は当然別のお寺ながら実家の弔いほか法要は家を出た娘が執り行い菩提寺との関わりを繋いでいくというものなどです。

要は二つのお寺との関わりを維持していこうというものですが、未来永劫その継続を望むことは難しいでしょうね。

 

本日の法要も三姉妹すべて嫁いでいたことからかつて同じ旧姓を名乗っていた3人と代表者の御主人の4名での法事でした。

そのご主人とのお話。

「うちのお寺の住職は小学生の子供を残して亡くなった。幸い前住が健在だったからその成長まで何とかやっていけそう」と。そして続けざまに出てきたお話がその姉妹の一人、ご主人が先般亡くなったこと。

葬儀の依頼をと菩提寺に連絡しようにもまったく音信普通で困り果てていたところ、住職は亡くなったばかりだということがわかったそうです。その前にその寺の前住職が亡くなっていることを知っていたものの続けざまの悲報の件大いに驚いたそう。

そのピンチヒッターに赴いた住職がたまたま私の存じ上げる方でさらに私も驚いた次第。

 

するとそのご主人は私に「住職と息子は大丈夫だろうね・・・」でした。

まぁそれほど周辺のお寺の主が亡くなっているところを目の当りにしての言葉なのでしょうが、その言葉への返答は窮しました。

仕事がら「人が死ぬのは当たり前(定業)」を吹聴している私が「私は大丈夫」など口が裂けても言えません。

「大丈夫」とは「私は死なない」ということで、「ダイハード」シリーズは好きですがそれは映画の世界ですからね。荒唐無稽のことなのです。

 

私は「息子はおかげさまで横浜で坊さんをやってます」と答えになっていない返答をしていましたが、その方も質問が少々無茶だったことを感じたようで「つまらんことを・・・」とそれを撤回したい様子でした。

私はそれは「後生の一大事」、「逃れ難き無常」だが、その時までうまいこと行きたい(生きたい)ものと。

「定業」のそのタイムリミットは人それぞれ、誰も分かりませんからね。

ただ、例外はありますが「齢を重ねること」に比例して近づいてくることは確かなことです。

 

昨晩のニュースに「緑豊かな環境が心血管疾患による死亡を減らす」(米マイアミ大学)という記事を見ました。

山歩きをしていてその環境の良さに「体に悪いワケがない」と思っていましたが興味深い研究発表です。

相良はまだまだ緑が多く、ただここに生活しているだけで都会でのそれとの優位性を感じました。

やはり緑はすばらしい。長生きができるといっても過言ではないようです。

 

さて、昨日午後は何となく島田のS.C.へ。奥方が食料品を買い求めるためですが、私はいつものように車で待機。要は昼寝タイムです。

その前に久しぶりに「向こう岸まで」ということで渡賃一人100円を払って大井川を向こう岸まで。山側から吹く風は少々冷たく感じました手が、まだまだ「温かい」の部類。

 

蓬莱橋はとても身近、周辺からその全景を見ています。

時に橋を眺めるために車を停めてることはあっても最近は橋を渡ることはありませんでした。

のんびり観光気分でそちらに行く意味はありませんので。

ということで何せ久しぶりのことでした。

 

ここを向こう岸(彼岸)に渡ったのは私一人で台地を上がったとき。

そして吉田まで歩いたことはありましたが、思い出としては母と息子を連れてこの橋の上でスナップ写真を撮ったこと。

母親を思い出す場所でもありました。

「次来るときはどんな時?」楽しみではあります。

私が息子に撮られる番とすると、この橋はトコロテンの押出器なのかも。

 

橋も私同様、各所に痛みが来ていますね。ギシギシいっていました。橋の方がヤバイかも。

④橋脚は鉄筋コンクリート。往復すれば1.8㎞。北風ビュービューともなれば苦痛以外の何物でもないでしょう。

 

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2020年

11月

24日

細川忠興 喧嘩はダメよ 朝暉丘横山城福知山   

三連休の最終日はフリーでしたので藤枝方面に買い物に。

往復の国道一号線沿いの飲食関係の店舗は車と人でごった返していました。

これはどうやら今週は各「懺悔の日」になるような気がして。

 

昨晩はBSの22時からの「親鸞」を予約録画して21時から再びC・イーストウッドの「運び屋」を。

字幕でしたが2度目とあって本日のブログの画像を選びつつ流しながらでした。

それにしても「世界一のポークサンド」(劇中)とは・・・食べてみたいものです。カツサンドとはちがうでしょうね。

 

以前記したブログでは返信をたくさんいただきました。

それはコメントという類のものではなく、その方の思いというか「本当のところ」を記していただきました。

そのブログがこちら、福知山城朝暉神社の件です。

 

大河ドラマに採用されることに短時間でも関係のあった明智光秀にあやかって福知山の観光資源としたいというところはその手の傾向として当然の事とは思いますが、ずっと福知山に住んで、その歴史について探求されている方たちにとってはその返信にありました通り、「なんだかなぁ~」的割り切れなさというものが窺えて来ます。

 

そして、昨日の京都新聞に『「もう恨みない」が今もご法度 光秀に領地奪われた豪族末裔』という記事が。

明智光秀に領地を奪われた豪族の末裔たちが、現在も市内で暮らしながら先祖の供養を続けているという内容で「もう恨みはない」とのことですがそのブログの返信にあった御霊神社への参拝はいまだその一族では禁忌というもの。

興味深い記事ですね。

その一族とは横山氏でした。そういえば福知山城の前身は「横山城」でしたね。

 

それでは城郭大系の冒頭部分を。

「福知山城は徳川初期の文書によれば、小笠原長清の後裔塩見大膳頼勝が現在の朝暉ケ丘丘陵に掻上城を築いて立て籠もったのが城砦としての始まりという。頼勝の子大膳大夫頼氏は、姓を横山と改めたが、のち隠居して功雲(法名香雲)と号し当城の南方堀の木内に住んだ。その頃はまだ福知山の地名はなくこの丘陵も横山と呼ばれており、頼氏の城砦も『横山城』と書かれている。その後天正年間に頼氏の子大膳大夫信房が当城に居たが天正七  

年八月、丹後の大部を攻略していた明智光秀に攻められ信房は衆寡敵せず切腹して果てたのであった。」

 

戦国期の陣取り合戦の命がけ、どちらにおいてもこの手の話は枚挙にいとまがありませんが、ちょこっとやって来て地元勢力を一掃、400年以上経ってからヒーローに祭り上げられたとしても「腑に落ちない」という人たちがあったとして不思議はありません。

むしろそういったちょっとした異論が出てくるところにその地の歴史の深さというものが知られるというものです。

 

400年以上の時間の経過もあって「恨みはない」の言葉が出て来ること自体その「恨み」があって子々孫々に伝わってきたということですからね。

あの石垣に使用された墓石類たちを見ればやはりその件合点がいくものです。

墓石を石垣に使用しても不思議は無い時代ですが、やはり新しい為政者として善政を心がけるのであれば墓石を使用することは避けたいところだと私なら思いますね。

 

さて本日も駿府城普請、細川忠興掟十三カ条から。

1~3条です。 

 

 

万事 御法度之様子本多上野殿ヘ相断書付 入念家中へ可触事

 

一他家中と喧𠵅無之様に日々相触堅可申付次ニ家中之喧𠵅ハ理非に不立入双方可成敗荷擔仕者立之と本人同前成敗可仕候取にかし候は同誰之衆可為幼稚事

 

一余所之喧𠵅有之共見物にも出候は急度可成敗稲葉喜六殿木下右衛門太夫殿家中申事ニは此方家中同前ニ覚悟可仕事

 

 

1は駿府城普請中の御法度については万事、本多正純の指示を家中に入念(徹底)するよう冒頭に記していますが、「万事 御法

」の通り「万事」と「御法度」の間に空欄があるのは「敬意の闕字(けつじ)」です。

そのことからこの「御法度」が幕府の「御法度」を指していることがわかります。

 

その次にでてくる「喧嘩」の件、コレについては絶対にあり得ないこととしていてこの掟中の本題になるところ。意向がわかります。「他家中」と決して「喧嘩」を起こさないよう日々徹底し、細川家中内での喧嘩は両成敗、加担した者も本人同様に成敗すると。

「喧嘩両成敗」は武士の間では当然でした。

 

3は他所・他家の喧嘩を見物に出てもダメ(成敗)というもので細川忠興がそのちょっとした些細な喧嘩のようなものが思わぬ形で火が付いて大きな紛争になりかねず「家」そのものの命取りになるということを配慮しているのでしょうね。

 

前回記した酒や他家の風呂の件は油断に繋がることでしたが、喧嘩をすることはそのうちでも特に最悪の油断ですからね。

油を断つどころか双方感情に油を注いで火を点けるようなもの。

刃傷沙汰に繋がる事は目に見えているということでしょう。

 

 

 

 

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2020年

11月

23日

駿府城普請細川忠興掟十三カ条 酒は小盃三杯まで 

三連休の2日目。各地の人出は凄いの一言。

羨ましくもみなさん強者としか言いようにありません。

空気感染も有り得そうな新コロウィルス、感染経路不明者またぞろの中、「よくやるよ」・・・ではありますが。

昨日の東京は391人。400代に慣れてしまってこの数字が「少ない」と感じるようになってしまうのは恐ろしいことです。

まぁいつものように水・木曜日あたりに度肝を抜かされることになるのでは・・・私は法事がありましたからどちらにも行けませんので嫌味の一つ二つは言いたくなります。

 

ここで気になること一つだけ。昨日の段階で東京都の感染者は「37708人」ということになったといいますが、その中で「再感染」の有無について聞こえてきませんね。

ナイなら無いとハッキリとアナウンスしそれを強調して欲しいものです。

「幾度でも罹ります」なんてことがあればワクチンの効き目など刹那であって意味がないに等しいですからね。

 

法事は年末が近づいて迷ってはいたもののやはり「今年中に」ということでここへ来て「えいやぁ」という具合で予定が入っています。越年1月2月の寒い時期に行うよりも今のうち・・・という法要もありますね。

参列者を絞るなどの対応をされていますので「二人っきりですが・・・」などと恐縮されての開催もあります。

勿論、法要後お斎の会食は一切ありません。

 

法要のお話は昨日、善導さんの「至心懺悔」を拝読したことから。それが無ければ報恩感謝の念は生まれませんからね。

その「懺悔」は「ざんげではなくさんげ」と濁らないということから。

濁らないということでもう一つ「三昧-さんまい」を。

人々のよく口にする「贅沢三昧」と濁る方も引き合いに出していました。

 

濁る濁らないで言えば当方経典で頻出の「微妙」がありますね。経典上その文字は「みみょう」。こちらはブログでも以前記したことがあったような・・・

阿弥陀経中の発声もそれは濁らず「微妙香潔(みみょうこうけつ)」ですね。

意味は若者がよく使う「ビミョー」の意ではなく「無茶苦茶素晴らしい!!」でほとんどその真逆です。

 

昨日は「完甘-ししかい」という名について記しましたが日本語は本当に難しい。

 

昨日の夜は大河ドラマに引き続きNスぺのドラマ「こもりびと」を見ました。

社会問題となっている引きこもりについて真面目に向かおうとする意欲的作品でした。

各キーワードが出てきましたが私が一番に頷いたは「同調圧力」でしたね。そして終盤の父の懺悔の声が痛切でした。

 

さて、昨日の続き。駿府城普請、細川忠興掟十三カ条からその六条目を。

まるで会食、酒が伴う席についての事を細かく色々仰る都知事殿の如し。

 

 

御普請中振舞禁制事付面々べんたうをもち寄

          一所ニて喰候は不苦酒ハ小盃三盃之事

 

今回の御普請中につき振舞酒は絶対ダメ。

弁当を持ち寄って一所で食べるなら、まぁいい(苦しからず)。

酒は「小盃三杯まで」にすること。

 

私は量的にその小✖3について呑べえさんにとってどうなのかは知りませんが、やはり相当少ないような。

問題はそこでストップが効くものか甚だ疑問。

しかしここまで記した掟を破ったとしたら(実際に居たと思います)やはりキツイお達し(成敗)があったのでしょうね。

 

ここでも問題を惹起するであろう事案を予測し事前に摘み取ろうという意図が見えますね。

「人間」は酒で身を亡ぼすということは昔から言われてきたことですからね。

 

画像は昨日の大河ドラマのエンドで園城寺三井寺が紹介されていましたので。

③画像はその時の1カットと同じ位置の図でしょう。

園城寺から見た比叡山と琵琶湖。

天台宗比叡山を攻略した信長は比叡山と仲が悪かった園城寺に陣を敷いていて、こちらで正親町天皇の和議仲介を引き出しています。

 

①②は園城寺の別院の一つ「微妙寺」。

こちらは「みみょう」ではなく濁って「びみょうじ」でした。本尊は平安期の十一面観音。

病禍から免れようと願う参拝の方がいらっしゃるといいます。

 

 

 

 

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2020年

11月

22日

小倉藩細川忠興掟十三カ条 駿府城普請 急度成敗

三連休の初日。

夜はBSで寅さんそしてストーンズ。いつものテレビ小僧でした。

ストーンズはキューバでのライブ映像でしたが、73歳(現在77歳)のミックジャガーその他メンバーのステージ縦横無尽のパワフルさを再び見て私の最近の泣き言(齢のせい・・・)など甘っちょろい甘っちょろい・・・

キューバの公演でしたがどちらかで「オバマが前座だ」という言葉がありました。2016年に大統領はハバナに降り立っていましたね。その次の大統領のキューバに対する評価はガラッとかわっていましたから極端さは両極。

 

いがみあいではなく音楽での交流は政治を超えて素晴らしいものがあります。

キューバの人達のノリも凄いものがありました。

「Gimme Shelter」は私もお気に入りの曲ですが、キューバであの歌詞ですからね。面白い。

日本人のプロデューサーだったら「それってまずいかも・・・」など変な配慮があるかも知れませんね。

 

昨日前夜は風が強めに吹いて、いよいよ真冬の到来か・・・などと思いましたが夜が明ければその風はピタリとやんで、青い空が広がり最近ならではの温かさとなりました。朝方はグッと気温は下がりましたが・・・

 

よって本堂の法要はストーブの出番はなし。

墓参の際「故人はさすが晴れ男」と奥さんが「おかげさま」を喜んでいました。

「じいじ」との声が孫たちの口から聞こえてきましたが十三回忌ということで当たり前ではありますが「じいじ見たことないよねぇ・・・」とつい奥さんに聞いてしまいました。

幼子の手を合わせる姿はいつ見てもいいものです。

 

故人の娘さんの一人は浦安から。

深夜のご主人の自家用車での行脚だったとのことですが東名の工事もあって結構な渋滞があったとのこと。

そういえば昨日朝からどちらの行楽地へ向かう道路も混雑している様子でした。

 

昨日は東京(539人)も全国も感染者数の最多を更新していました。東京の数字の6割が感染経路不明ということですからいわゆる「会食」に限ったことではないということがわかりますが、

息子には「外食時配慮急度可申付事」と掟・戒律風のメールを打っておきました。

ソーリ殿のアピールする「マスクしながら食事する」(その逆も)などあり得ないくらいアホらしいことでナンセンス。また無理な話。

「外食するな」といっても彼も若者も「行く」とは思いますが少しは頻度を落としてくれるだろうと思い親の気持ちを伝えたのでした。

 

「急度」は「きっと」で現在巷で使用する推測・思い込んで・・・といっった意味ではなく「厳しく・絶対に」の意味ですね。

まぁその語をただ使いたかっただけのこと。

 

叔父が言うにはこの急度可~」のあとにはしっかり記されて

いることもありますが「成敗」の語が隠れているとのこと。

要は「必ず成敗(御咎めを受ける)される」ということですが、それはやはりそのお達しに違えたその度合いによって違うのでしょうが、最悪クビは飛ぶことになるのでしょうね。

 

さて、そんな「急度」の件、叔父と話したのは史蹟研究会の小澤会長から「例のアレ」、先だって発見されたと新聞紙上を賑わした細川忠興が駿府城普請に駿河に派遣した家臣団の代表4名に出した13か条の掟文の解読の件を吉祥寺の叔父に依頼して欲しいと頼まれたからですが、あっという間に解読が終わってその文を眺めながら話したのでした。

当所は小澤氏に頂いた資料は判読が難しいということで高明細のものをあらためて吉祥寺に直送して対応してもらっていました。

 

私はそれを手にしていませんのでネット上の新聞社のものから拝借しました。よって見合わせることができませんがまぁ感じだけでもということで。

上記「急度」の字は2度記されています

す。一つは「成敗」付きでしたね。

 

一番に目に留まったところは13条のうち11条と12条そして4名のお名前のうち完甘氏。これは名前の字面の変遷というものが見られ

る面白いところだと叔父が指摘していました。

 

「完甘太郎兵衛」なる藩の駿府城普請事業を取仕切る4名のうちの一人ですがその読みは「完甘」で「シシカイ」

以前都内に居たとき「甘太郎」という居酒屋に連れていかれたことがありましたので「完」を苗字に太郎兵衛と続けて読んでついそれを連想してしまいました。

 

この「完甘」をシシカイと読むのは無理矢理なのですが、元の字といえば「完が宍」で「甘が貝」。よって「宍貝」が元でしょう。 それなら「シシカイ」は読めますね。

叔父が言うにはその宍と完、貝と甘は崩し字にするとまったく同じであって、おそらく宍より完、貝より甘の方がカッコイイということでだんだんとそのように変わっていったのだろうと。

よってその変化の途中なのか「宍と甘」でシシカイなどの苗字がありました。

 

それでは最後の2条と宛名と年号の部分を。

 

 

12 他所之湯風呂へ入事堅令停止事

13 すまう取事又万事見物御普請中令停止候 

 若相背者立候は可為成敗事

 

慶長十三年正月八日        越中守花押

 

              牧左馬丞殿 完甘太郎兵衛殿

           小谷又右衛門殿 高田九郎右衛門殿

 

招かれたとしても他人様他家の風呂に入ることそして相撲をとることとそれを見物すること。

ここでの「令和」の「令」は「せしめ」です。

 

昨日は「お調子にのった生活」をしている自身記しましたが

要は「緩み」があってはならない、この普請中に関しては緊張感を維持せよという忠興の気持ちが伝わってきます。

家臣が何かやらかせば家を潰されあるいは腹を切ることにまでになり得る時代ですのでピリピリするところが伝わってきます。

まぁ「他家の風呂」といえば源頼朝の父義朝が野間で、太田道灌が伊勢原で暗殺されていますので、武家の棟梁とすれば風呂ほど気が緩み、他者に狙われる場所ということを心中思って、家臣にも「努々油断あるべからず」ということを伝えたかったのでしょう。

風呂にまで浸かっていくというシチュエーションは何らかの接待などもつきものでしょうし。やはり相撲は見物含め油断の最たるものとの判断があったことと。一言で言えば「遊興」。 

 

 

 

 

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2020年

11月

21日

躓いた時、頼れる親戚や友人がいる? 石位寺石仏再

東京は一昨日に引き続いて500人台(522)。

「経済と安心の両立」という語は政治の常套句、耳にタコですが、「健康」か「おカネ」かの問題で、政治屋さんのスタンスはどう見ても「おカネ」の方にかなりウェイトがかかっている感否めませんね。

検査数を徹底して・・・その芽をひとつづつ摘み取っていく作業を・・・などとは今年の2月あたりから言われてきていましたがその意見に蓋をして中途半端な「お願い」程度の施策のみを頼りにここまで引っ張ってきた咎がこの第三波の結末なのでしょうね。

 

私も十分にお調子にのった生活をして今の健康は「たまたま」であるとは感じるものの本当のところはお国のお偉いさんたちが大いにコロナを甘く見ていたことは間違いなし。

ここは一つ「ちょっとGo To控えてみましょう」のアナウンス、できないものなのでしょうかね。きめたものは一歩も引かないという様。

医師会もそれを連呼していますが・・・試しに政治家に医療をやってもらったら・・・などと考えてしまいます。

その時初めてその辛さがわかるでしょうから。

 

にも拘わらずあいも変わらず「Go Toをやめるレベルではない」

との主張をされているようで、逆に聞きたくなるのは「どういう数字が出ればヤメるの?」です。決断ができない様も見えて来ます。

東京で1000人ならどう?それとも2000人?。まぁ勝手にしてくれ・・・の思い。ハチャメチャですね。私含めて・・・

 

私の居る遠州相良は時にそのド田舎振りを「陸の孤島」呼ばわりされることがありますが、いまのところ感染者が少ないのはそれはそれで大いに結構なこと。のんびりしていてお気楽気分、昨日も気温高めで雨天でも快調。ずっと閉じこもっていました。

 

東京住まいではおつおつ外に出られやしませんね。

息子は横浜ですが齢は20代。新コロにヤラれたとしてもまさか重篤にはならないでしょうし、抗体がいつまで残っているかはわかりませんが既に罹っているかも知れませんからね。

今は家族間感染が一番の感染源だそうです

若い皆さんは弾けたい気持ちはわかりますが両親や祖父さん祖母さんの命を守るために慎しんでもらわなくては。

今は忍の一字でしょう。

 

さて、表記は国連の世界幸福度報告という各国の幸福度ランキング(日本は世界ランキング58位)を決めるうえでの質問の一項目で、正式には「あなたは困ったとき、必要があれば、いつでも頼れる親戚や友人はいますか?」です。

とくにこの項目において「はい」か「いいえ」によってまずその国の「国民の幸福度」が判定されるといいます。そしてその幸福度の最も重要な要素は社会的支援であると。

 

「58位」は偉そうに経済大国とか「NO.1」を標榜していた割に結構にみっともない数字。

国民の殆どが「幸福ではない」と言っているようなものですからね。自国民の幸福を求められない世情とはやはり「やさしくない」を感じ取っているのでしょうね。

 

それを恥と思わない厚顔振りもありますが現実の社会的支援の欠落があることを認め、偏に「国民の幸福とは何ぞ・・・」ということをテーマにしてまずはお国の方で旗を振ってもらわなくてはね。国民は案外国の方針に「のっとって」動くものだということがこのコロナ禍によって知りました。

 

さて、画像は以前記した奈良石位寺。

地名は「忍阪」と記して「おっさか」です。

こちらも日本国中数ある「おおさか」の変型でしょう。

石位寺の件は忘れもしない私の大マヌケ。

地団太踏んで文字通り「忍」の一字でした。

 

その翌日でもこちらの画像を上げて置けばよかったのですがこれも忘れていました。

室町期の石標がありました。

ショックが大きすぎて頭が真っ白になった時でしたが、しかし最近はどうもその真っ白・・・続いているような・・・何事も記憶から消えていきます。

 

 

 

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2020年

11月

20日

我慢のしどころも゙おまかぜ 友人は沖縄へ 

毎日毎日よくもまぁこんな数字が・・・というコロナ感染者突出の具合(東京新規感染者534人)。色々と思うことはたくさんありますが、まぁいつもの「勝手にしやがれ」です。すべて「まかせる」ほかありません。

アメリカではコロナ感染者の死者数が25万人超えといいますから「お手上げ」なのでしょうね。

まぁあれだけマスク装着を嫌がる国民性でしたらその数字も致し方なしかも・・・

 

日本医師会の注進を無視して「経済」という語を大看板に、一向に「突き進む(「Go・・・」)」ことに修正がかけられない人たちの姿には呆れかえりますが、そもそもおカネを投じる場所を間違えているのでは・・・という疑問があります。

 

どれもこれも政治屋さんの演出ですから庶民の内情に関してはド素人であることはわかります。

変てこなマスクの配布で悦に入る様子もそうでしたが、そもそも「Go To」いろいろと休業給付金の類というものは大企業にしか向いていないような気がして・・・。

 

そう強く思ったのは今年の「10月の自殺者」の数を見てですね。

2153人が亡くなったというその数字は最近それらの「多数」の数の並びに慣れきっている中、あまりにも異常性を思いました。

前年同月比で約4割増、さらに驚くべきことは女性では8割超えといいます。

 

先般のゲート・キーパーの講習会の通り、自殺は男性が断トツで多いというのがこれまでの傾向でした。

ところが最近の自殺者は女性が増えつつあることは知っていましたがこの10月の結果は酷すぎますね。

 

単純に思うところはこれまで「心の弱い」オトコ(~プライドが高く結論を早く出しがち~)ヤケのやんぱちに陥りやすい性質に対してドッカリと腰が据わって案外と自身不遇や環境変化にケロっと動じない性質の「女性」に自殺者が少ない傾向があることは頷けますが、この期の女性自殺増加の件はひとえに生活困窮がその原因であると推測されています。

その他直接原因は各違えども元をただせばその生活の荒み、即ち経済的理由があるようです。

 

その困窮の発端こそが新コロですね。

その我慢の限界を超えていしまい思考が混濁してしまうのか結論を早めてしまうのでしょうか・・・。

それはどうにもならないおカネの問題が控えているのですね。パートタイマー等雇用条件の悪い女性の場合、単身だったり家族を支えなくてはならない場合、生活費、特に食費にも事欠くような状況が増加しているとのこと。

昨日は芦屋のお金持ちが巨額脱税を指摘されていたというニュースを見ましたが、食事代もままならない人たちが自死を選択している状況はやっぱり不思議。そしてさらなる不思議はそういうお金持ちに国は援助の手を厚くしていながら本当に困っている人たちにはあまり配慮できていないという現実。

 

よって政府の支援の行きどころの第一は医療機関は当然ながら、その次は本当の生活困窮者なのでは?

企業経営を助ける経済界を支援することによってその見返りはいずれ直接に期待できるのかも知れませんが、困窮した女性たちを支援していけば、優しい社会ともなり、人口も増えるのでは・・・

それこそが大局的に見た国の経済基盤醸成となるのではないでしょうか。目先の経済よりもまず国民の健康。

その健康こそが安定、安寧の生活を育みますから、ゆくゆくは国が潤うということになるのですがね。

とにかく新コロの爆発的増加もそうですが、この病的状況について何とかしないと国はぶっ壊れていきますよ。

そこに手を入れられる優しさがすべての解決策につながるような。

 

相談窓口を作って「話を聞く」というレベルではもはやないような気がしてなりません。

 

さて、東京の友人は沖縄の山歩きをしに飛行機に乗ったそう。

羨ましいですが私の行きたい季節とは違います。

感想としては「沖縄は死んでいる」とのことで観光客風の人は見えなくなっているよう。

「通」の人としては今がチャンスなのでしょうね。

私の沖縄への指向はそう行けるワケではないので「6月下旬から7月に入るくらい」という心で決めた限定期間があります。

 

しかしいつも気持ちだけで踏ん切りがつきませんね。

踏ん切りがつかないのは越前再訪の件、昨日辺りは「空前の夏日」を記録していた北陸地方ですが、いくら何でもそれは続かないでしょうね。

今年は諦めた方がいいのかも知れませんが虎視眈々であることは否定しません。

そろそろ雪に覆われることでしょうから行くとしたらああなる前。

 

①②は友人が送ってきた画像。

名護には今車エビの養殖場があってそれを食べさせる店があるそうです。私は名護に行くなら金武のタコスですがね。

③はここ数日の遠州の気温。これは北陸地方も同様のようです。

④~は一乗谷の雪景色。以前の画像ですがああなってしまったら意味がなし。何よりも車の走行は危険です。

若くなければそんな無茶はできませんね。

 

 

 

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2020年

11月

19日

浄瑠璃寺奥の院 永仁四1296線刻不動明王摩崖仏崩壊中

昨日は見たことが無いような数字のオンパレードでした。

まずはこの期ではあり得ないような気温。

当遠州はまるで夏。外をほっつき歩いていましたがまたも半袖ですごしました。26℃にまでになりました。

ただし庫裏の中といえば一つ着こまないと風邪をひくような感じですので油断はなりませんが奥方と「暑い!!」のフレーズを何度も交わしていました。

 

報恩講といえば先代の時は11月3日というのが恒例で私どもの思い出といえば、息が白くなるほど寒かったということ。

今年はお取越はすべて中止にしてしまいましたが、その頃のお取越といえば風がびゅーびゅーで先方のお宅に行っても窓がガタガタ鳴り続けて酷く寒いというのが当たり前。

ところが何故かここのところ風はピタリとやんでまったくもって快適な日々が続いています。

遠州名物の季節風「空っ風」がないのは何より嬉しいことですね。

 

そして新コロ、ウィルス大繁盛を示す数字には驚かされました。

全国で2200人超え、何より当静岡県内の感染者87人は「なぜ?」と思うばかり。

東京の最高は火曜日の拙ブログにて月曜日の180人という数字がありましたが週末要因であってスグに「200、300当たり前」

などと嫌味を記しましたがまさか500に迫る過去最多(493人)になるなどとは・・・。検査数もが多いから・・・の理屈を都知事殿は述べられていましたが市中にどれだけ広がってるんだ・・・というのが単純な疑問。早いところ対処できたはずなのに・・・

 

日本医師会の会長が「GoToトラベルがきっかけになったことは間違いない」と会見で述べていますが、医療関係、最前線でコロナと闘っている側からすれば文句の一つも言いたくなるでしょうね。

医療崩壊が進めばこれからきっと目もあてられないことになりますよ。

耳障りなことでもそれを聞けずに、修正ができないのは悪いオトナの悪い癖ですね。

しかし当方緊迫感はまるでナシ。

木曜午後の発表の数字はどうなることやら。

 

さて、当尾に戻ってあの浄瑠璃寺の裏山へ。

奥の院と呼ばれる山の中に不動明王の摩崖仏があります。

この摩崖仏には2度も立ち寄っていますが感想としてはもうこれで結構・・・といったところ。

現状、通行止めになっているようですが何せ歩きにくい谷にあってその往復の山道は結構に足にきいてきます。というか健脚者のみの遺構なのです。

 

何らの手入れも行き届かない場所で、倒木が道を塞ぎ土砂は脆く枯れ葉には足を取られます。

よって当然に今度の遠足ではパスするところですね。

 

入口は浄瑠璃寺を背にして長尾阿弥陀磨崖仏の先のカーブの先に左方向に入る道がありますのでそこから進入します(場所はこちら)。

しばらくは大した難儀はありませんが、下りの細道には不安に駆られます。本当にこの道でいいのか・・・です。

 

あたかも「能の石橋」を思わす「あぶない 危険」と警告付きの看板のある木橋を渡ったところが浄瑠璃寺の奥の院と呼ばれる場所。

不動明王の立像に目がとまりますが目標はそれではありません。

その背後の崖に不動明王の線刻摩崖仏がありますが、今や崩壊が進んでかすかにそれが判断できるのみ。

それも水が沸き落ちる崖を登らなければわからないようなところ。

苦労して辿り着いたとしてもそれを目にするのはリスキーなことです。

奇跡的というか製作年の「永仁四年」の文字は確認できました。

この場所では遺構崩壊の流れを食い止めたいといってもなかなか難しい場所ですね。

最後の石塊にも何か記されていましたが判読は試みませんでした。

 

 

 

 

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2020年

11月

18日

身を捨ててこそ 金華山から長良川対岸の鷺山城 

昨日の法要のおはなしは私の座右の銘のご紹介から。

ブログでは以前御朱印パンフのお寺の紹介コーナーで記していたものを久々に。

ただそれを言っても何のことだかサッパリ・・・でしょうから空也さん(またはこちら こちら)と千観さんの問答の件、さらっとご説明。

 

その前に一応その「座右の銘」についての私の考え方を。

「できそうもない大層な目標を掲げて、少しは近づけることができるよう念頭に置くこと」を「座右の銘」という・・・などと言ったら叱られるでしょうが、それをどなたかに聞かれるというシチュエーションは無きにしも非ず。

少しは坊さんらしい気の利いた言葉を「コレだ」という具合に決めていました。

そもそもお念仏に関わることですし、今の私の日々の拘りの数々を持ち合わせているその反省の気持ちでもあります。

空也さんのいう浄土に行くための秘訣とは・・・「いかにも身を捨ててこそ」でした。

 

まぁこの身をまた今を捨て去ることなどできませんが、真宗的にそれを解釈すれば「拘るな」「はかるな」「阿弥陀さんにまかせろ」です。

それができず執着の心まる出しだからこそ、身の近くに置いておかなくてはならない名言なのでした。

 

さて、昨日は猿啄城改め勝山城についての城郭大系の記述中に鷺山城の名がありました。こちらも画像がありましたので本日はそちらの単丘の平山城を。

てっとり早いので城郭大系の記述から。

 

「長良川を挟んで南岸の金華山と対称的な位置にある。

岐阜市より本巣郡へ入る途中にあるこの鷺山は高くはないが(比高54m)周辺の平地の中では唯一の高地である。美濃明細記には文治の頃、佐竹常陸介秀義が居住したとある。秀義は新羅三郎義光四代の孫、佐竹常陸介隆義の子で、美濃国山田郷に地頭職を与えられていた。

戦国期に入ると最後の美濃守護となった土岐頼芸が一時居城とし斎藤道三もまた隠居所とした。」

 

美濃を代表する戦国期の下剋上ドロドロの謀りごとの舞台となったのがこの周辺だったわけで(場所はこちら)。

この城は「高くない」ということもあってごくお気軽、しかし遺構らしい遺構は見当たりませんね。

⑥⑦が金華山、岐阜城です。

 

先般画像をあげた「蝉」のバス停前の通りを行けば鷺山小学校の前に。最後の画像の通り昭和51年の台風水害での深水が殆ど私の身長くらいまであったよう。

こちらの丘が歴史上何度も浮島になっていたことでしょう。

人々が高台を住処に選ぶのは先祖からの経験則なのでした。

 

車は鷺山小学校の向かいで丘の麓の駐車場に置かせていただきました。周辺もブラつきましたが神社が二つあるくらい。宅地化していました。

今度の氾濫にどう対応するのでしょう。

 

 

 

 

 

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2020年

11月

17日

猿啄城も勝山城に変更 金山城から木曽川沿いに

月曜日は週初の特殊要因もあって案外と少なくなったような。東京は200人を割れて180人でした。

どうせ明日から「200、300当たり前」に戻るのでしょうね。

 

第三波で新コロ大繁盛の中IOCの会長が来日したことは驚きにも感じました。

予定としてのアナウンスはありましたが「ホントに来た・・・」です。

なんでそんなにムリするの?何も今でなくても・・・というところですが、まさかの話、ご接待の宴会でクラスターが発生したら相当イメージが悪いのでは・・・とこちらまで心配してしまいます。

 

人々の「ウェイト」(共感の)が延期・中止の方向に傾きつつある中、「ヤル」という方向に引き戻したいというのがその意図の様ですが醒めちゃっている人もかなり多いのでは・・・世論調査では「ムリ」の意見がまだまだ多いですからね。

 

ノー天気に「観客を入れて・・できれば満員のスタンド・・・」など夢幻の如く勝手なご希望を連ねていましたが、その根拠はワクチンの完成があるということだといいます。

本当にそれができるとしたらそれも納得できますが、疑わしいことこのうえなし。昨日もアメリカから「効果があった」という報がありましたが・・・

副反応の期間を確認せずにしての投与で見切り発車するリスクの方も考えていただきたいですね。

私はそれを打ちたいと焦っているワケではありませんので。

 

さて、昨日の「勝山」。

縁起かつぎの名称変更の件、また一つ古い画像の中から発見しました。

10年ほど前に「奥の墓道」氏と岐阜をブラついた際のものでした。

金山城から木曽川伝いに犬山城経由で金華山(岐阜城)に向かった時のもの。

 

犬山城の手前、木曽川の北岸に位置する地に猿啄城(さるばみ)なる山城があります。

犬山は尾張ですので木曽川を国境にしかつ、中山道から関市や美濃市方向に通じる街道の分岐点で要衝の地となります。

この辺りの木曽川はかの有名な日本ラインの急流域、山が木曽川の谷からせり上がるような場所です。

 

ここで城郭大系から。

「この地を勝山というのは永禄八年1565織田信長が中美濃攻略の為に猿啄城を落としてのち改められたことによる。

信長の美濃攻略は、天文二十二年1553の信長・斎藤道三の尾張富田の聖徳寺会見や鷺山城の道三と稲葉山城の竜興が長良川を挟んで争った長良川の合戦の前に記された道三の弘治二年1556の遺書にもみられる書状で明らかである。桶狭間合戦の翌年永禄四年1561より信長は西美濃からの攻略を謀ったがそのたびに竜興に防がれた。よって信長は居城を清州から小牧山に移し永禄七年犬山城を降して丹羽長秀を置き、東美濃からの美濃攻略を謀った。」

 

創建は享禄三年1530、田原左衛門。土岐氏の流れですね。

金山城の画像ばかりで恐縮です①~⑩。これらもアップしていなかったと思いますが・・・何しろ当時はブログに使用することなどは考えてもいませんでしたので撮影も少なくあったとしても墓道氏と交互のスナップ写真ばかり。

看板横に私がニッコリ笑って立っていました。10年以上前の真っ黒でパワフルの感満点、溌剌としてあたかもリポビタンDの宣伝に出られそうな姿を見てひどく懐かしく思いました。

勿論恥ずかしいことですのでカットしました。

10年ひと昔、みんな変わってしまいました。

それにしてもまた、いつまでこんなことをやっているんだろう・・・とも。しかしまったくもって仕合せなこと「報恩謝徳」の気持ちです。

 

最後の2つが猿啄城の看板と日本ラインの様子(場所はこちら)。私どもはつい船に向かって手を振っていましたが、なぜか船の人たちはそれに応えて手を振り返してくるのでした。

なぜだろう・・・そういう状況は街を歩いていて絶対にありませんからね。

私は知り合いが遠くに見つけられると手を振ることはありますが。

 

信長は「猿啄城?変てこな名前だし縁起のイイ勝山城にしよう」

と変更したのでしょう。

これは昨日の姉川の家康の陣、岡山→勝山と同じ理由でした。

「勝」が大好きなのです。

 

 

 

 

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2020年

11月

16日

姉川合戦 家康の陣勝山 元は岡山 愚を甘く見るな

イスラエルの歴史家ユヴァル・ノア・ハラリ氏はメディテーション推奨実践派。

昨日のEテレの番組の終わりに両手を合わせて、あたかも合掌しているような挨拶をしていましたが、本当のところはどうなのでしょうね。

「瞑想」といっても宗教を離れて単純な自己コントロールや新発想や健康健全に導こうという意図もありますので・・・そもそも彼は無信心に近い・・・ようなことも言っていましたからね。

イスラエル人といえば単純にガチなキリスト教系をイメージしていましたからその辺りもちょっとばかり驚いたものです。

 

ちなみに拙寺では「阿弥陀経」という経典の拝読がありますが、浄土三部経の中では最も短いもののその時間は聞いている方も退屈だろうと勝手に解釈して、最近ではその「時間」でのメディテーションを推奨するアナウンスを提示しています。

 

「感謝と報恩の念仏メディテーション」

メディテーション(瞑想)は姿勢を正しくし鼻呼吸(上唇を意識します)。身近な些細な事物(どんなものでも可)その原因含めて「わたし」への関わり、報恩を深く感じること・・・

 

そのハラリ氏は有史以来の人類の狩猟社会から定住しての収穫、いわゆる農業革命が「支配」の発想の原点であると。「ヒエラルキー」の誕生ですね。

勿論私もそれに賛成します。

定住して耕作、稲作等の収穫量が財物の蓄積の差となり、その基となる土地の確保が各コミュニティ族長の課題となります。

 

そこに他部族、他民族、他宗教の異人、いわゆる「自分たちと違う」者たちとの闘争が始まり、制圧するかされるかの状況が生まれます。

大規模な開墾や収穫、そして闘争には人の数が必要になりますので被支配階層は奴隷となって頭数となるわけです。

氏はそこに「支配」というものが始まったと断ずるのでした。