2018年

8月

15日

蔓茶・ヘビ茶と脅かされ 乗用型茶葉摘採機 祖廟茶釜

本日もペットボトル茶のネガティブニュースを。

数日前、1番茶が美味しい理由を簡単に記しましたが、昨日は「やはり手摘み一番茶がなによりも美味い」というお話を伺いました。

単純にそうはいますしそれこそ当然の事とは思っていましたがその方は、その方法(手摘み)こそ本当のお茶であってそれは「雑味が無いから」であると主張されていました。

その手摘みに対して現代において真っ盛りというか導入されて以来現代の摘茶というものに大変革をもたらしたものが機械摘みです。

 

大規模農地と効率化に一役買って緑茶飲料、特にペットボトル飲料製造には欠かせなくなりました。

その茶摘み機械は「乗用型茶葉摘採機」と言います。

今、緑茶生産従事者での離農者は当地にてもかなり増えていますが、その理由は「作っても作っても価格の低下」に見舞われて自転車操業的になりつつあることと高齢化そして後継者ナシです。農家としては例の5B以上に稼ぎと未来が見えない茶農について子供たちに向かってそれを「継いでくれ」とは言えませんね。一同「外で給金を貰った方がぜんぜんマシ」と。

 

そこで先祖伝来の農地を手放すことになるのですがまずひとまずは農地そのものはそのままにして貸与する方法を模索しますね。どなたかがそれに名のりを挙げてくれれば幾らかの貸与料は期待できます。

ところが借り方不在の場合となれば雑木林に成り果てるという結末です。その借り方がその判断材料となるのがその乗用機が畑内で機動できるかどうかという点のみ。

要は平坦(広い土地)以外の畑はダメなのです。台地上起伏の多い当地の茶畑で耕作放棄が増える理由です。

 

ということで「乗用型茶葉摘採機」がどちらの畑に於いても活躍していますがその方は「だからマズイ」と一蹴。

茶摘み現場での適宜選別ができるかできないかということですが、二番茶三番茶の収穫ともなる盛夏の候といえば茶葉以外の植物に生物の繁栄は「付き物」です。

 

茶畑茶葉に付く茶以外のものの存在を無視できないといいます。それが手摘みかそれに近い昔ながらの機械摘みに於いては目視しながらの現場臨機が利いて、特に手摘みであれば異物の混入は有り得ませんね。

 

そこへ来て人力とは比べ物にならない「乗用」が畑を駆け巡った場合は刈込みは一気。まさに機械的、細かな配慮はまったくなしとなりましょう。

その方が仰っていましたが、火入れ蒸し行程で除かれるにしろ、「美味くない」のはそのせいだとのこと。

 

蔓ほかあらゆる雑草が茶株の頭に顔を出していますからそれらもいっしょくたに刈り入れられていることは大いにわかります。「マムシの頭が入っていたこともあった」と。

「精力がつく」と割り切れればいいかも知れませんが、本当の「茶の美味さ」は「リーズナブル&コンビニエンス」では手に入らないと。

 

しかし当地の茶農家はその2番茶3番茶に経営の主軸を移しています。ペットボトル飲料会社との契約農家というカタチですね。時代の流れと言えば皮肉なものです、1番でなくて2番3番なんて。

 

茶の接待はお寺に於いて欠かせぬもの。

画像①②は大谷祖廟の茶釜。本日の祖廟はきっと大勢の参拝者で賑わうでしょうね。

 

③④は秋の八風街道、茶ではなく稲刈りの図です。

私は何度もその道を利用していますが鈴鹿超えはかつて冬に入る前に往くのが常道だったことが察せられます。八風とは八峯からとその険しさを示唆しています。

自然の流れに逆らわずたんたんと準備をしてから取り掛かったのが古き良き日本人の姿。安直はダメですね。

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2018年

8月

14日

鳳来寺南「門谷」の石仏 阿弥陀三尊 住立空中尊

昨日も東部の天気は荒れ気味のよう。

ただしこちら相良に小雨が降り出したのは18時頃で一日の活動というものにまったく支障なしでした。

むしろ15時過ぎに湧き出してきた雲を見て「水やりをしないで済みそう」を期待しました。その後の打ち水的小雨は願ったりかなったりでベリーナイス!!。

 

法事とお斉が終わった2時過ぎに自宅に戻れば言いつけていた通り蔵の2階から「これ」と言った木箱を下ろしていました。

蔵を整理するに当たり、奥方は「どうせロクなものは出てこない」「ゴミばかり」ということで蔵を壊す際に業者に処分を依頼した方がイイとの主張でした。

しかし今回の「ママ判定」には私は異議を唱えて息子にやってもらうということで話がまとまりました。

他人様に入ってもらいたくない、しかし私どもはこの暑い中、なお暑くて埃だらけの極悪環境下にての仕事は御免でした。

遊んでる若者がやる、それが一番。

 

業者さんに任せてしまうということは100に一つ、掘り出し物があったとしても永久にそれがなかったことになりますからね。

何も出て来なければそれはそれで地頭方の処理場に行ってもらえばOK。

どうせゴミ処理場行きと高をくくって法要から帰宅してから涼んでいると外から「何か出て来たヨ」と息子が。

奥方がその語を吐けば「すっ飛んで出て来るぞ」と息子に言っていたようで、やはりその期待通りにそれを慌てて点検に行けば戦前の書物やら経本で面白味なしでした。

 

「教育勅語」などが絵で記された軸が出てきて「こんなものイラネ」と憎まれ口を叩いていると息子が違う箱から「山岡鉄舟に小島蕉園もあるよ」と。

私は絶句させられました。

真夏のサプライズ、絶対にナイと踏んでいた場所から虫食いでボロボロながら夥しい古文書が出てきました。

 

本堂の長櫃に詰まっていてたお軸等は庫裏に移して保管していますが、まさか蔵にもまだあったとは。

父からは「蔵には何もない、もぬけの殻、既にお宝は持ち出され済み・・・」ということを聞かされていましたので私が戻ってからの12年余り、蔵に立ち入ることはありませんでした。地震で蔵の屋根が崩れた際は外側から補修して雨漏りを防ぐ程度の工事で関わったきりでしたからね。

 

のんびり整理となると殆ど年単位の時間がかかりそうな量ですし、虫に食われてのボロボロと埃だらけで家の中で広げたり手で触れるのも気持ち悪くなるような代物です。

軸装されていないどなたが記したかわからない書画も出てきましたが、もしこれらを「軸装していたら」を考えると破産レベルですね。どちらも保存作業等手を入れるべきか悩ましいところです。

 

さて、新城鳳来寺周辺の続き。

もっとずっと涼しい時でしたが鳳来寺の南側の字名で「砦」なる場所がありまして、「どんな場所?」という気持ちが自然発生的に起こりましたので寄り道しました。

地区の墓地もその奥まった場所にありましたのでうろついた時のこと(場所はこちら)、道端の小さな辻にガラ置場の如く積み上げられた石塔残欠が目に入りました。

殆ど「処分したいが処分しきれるものではない」という今の人の気持ちと、なんでこんなことに・・・と石仏たちの声が交錯しているように感じましたが、見回すと興味深い石仏がありました。

 

よく見れば空中阿弥陀三尊の来迎の様子が肉彫りされた石塔です。

先日来掛軸でのそれらについて記していますが案外石仏の三尊は珍しいかと。中央阿弥陀如如来、左脇侍の観音菩薩、右脇侍の勢至菩薩のスタイルは間違いないかと。

三尊が一つの蓮華座の雲にご一緒している様子も可愛らしいものがあります。

 

ちなみに近所の墓地の様子は小笠原姓多し。手前「黒谷さん」を見て伝太田備中守墓(上記鳳来寺リンク先)の近くにある「黒谷家」を類推します(新聞紙上)。

ただしこれは無根拠です。

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2018年

8月

13日

4Bから5Bに昇格? 未だかつてない暑さ 8月の法要 

昨日は朝のテント張りからスタート。

8月の法要は午後2時からですので準備は当日でOKです。

どなたかにも調子づいて口走りましたが、拙寺の事はすべてが「行き当たりばったり」。

「臨機応変」や「機縁」と解釈していただければ・・・良き方向性への期待です。

 

テントは前日に伝えられたかき氷店の出店用意でした。

するとかき氷店の隣に焼き団子の店を出したいという方の申し出があってそちらも是非にとお願いしました。

当初の予定では参拝者対応(熱中症対策)についてはクーラーやポットでの「お茶をどうぞ」程度のものでしたから、楽しく賑やかになりました。

 

天気については懸念されていた雨にはまったく見舞われず、天気予報の豪雨、「突風対策」に用意したロープは不要となりました。

しかし皆さんの情報では「御前崎も吉田も酷い雨」で特に御前崎は停電になっているとのことでしたので、かなり驚かされました。県内東部では夜間ずっと大雨洪水警報が出ていましたね。今度の件、相良で起こった摩訶不思議な出来事と言ってもいいかも知れません。

ただし強烈な湿度の中で逆に「一雨欲しい」などの声があったほどでした。

 

さて、メインイベントは既報の通り「寺ジャズ」。

昨年に引き続き松風鉱一氏を招いてのサマータイム、雑談含めて楽しくすごさせていただきました。

タイで仕入れたドイツ人のミュジシャンが作ったといわれる「バンブーサックス」の披露と演奏に興味津々。終了後に鎌倉から見えたという女性の方がそれにチャレンジしていましたが、案外吹き切れないものです。

 

「吹いてみたい」という気持ちは私からすればスゴイと思います。きっと日ごろからこういった楽器に慣れ親しんでいる方なのでしょうが、そういう方が「ひょい」という具合に思うよう音が鳴らせないというところがまたプロとの違いを知って口を開けてその様子を拝見していました。

松風氏は楽器いじりがそもそも「好き」ということで、この楽器の写真を飛行機内の雑誌で見て即欲しくなってチェンマイにて仕入れたといいます。

 

「サックス」が人の名前( Adolphe Sax ベルギー )からという事も初めて知りました。

サックスはベルギーの偉人の一人で通貨ユーロに統一される以前はベルギーで発行された紙幣(フラン)にはその肖像が刷られていたほどだったと。

ベルギーからみではフレンチフライ(フライドポテト)の発祥もそちらとのこと。

フレンチという名称はおそらくたまたまフランス人がそれを作ったのをアメリカ人あたりが「これはうまい」と言う具合に広めたからでしょうね。

 

また雑談では面白い事を言っていました。

昔のバンドマンと言ったらヤクザな稼業でまあそういった興行には「そのスジ」の人たちが蠢いていたそう。

当時はショービジネスは繁盛してそれなりに儲かったものの今はまったくダメと。

そして今はといえば「4B」なる語があっていわゆるどうにもならない(稼ぎにならない、生活不安定)職種と自虐的。

バンドマン(ミュージシャン)がその中に入っているとのことですが・・・。

一つ一つ他の「B」を指折り数えてあと今はコレが5番目と次の候補も紹介していただきました。

 

①にバンドマン②にバーバー(美容師)③バーテンダ―④舞台俳優そして新規⑤に坊主だそうです。

まったく合点。その通りですね。

「ダメダメでもまぁいいや・・・」という感じです。

 

画像は打ち水した本堂前。

③がバンブーサックスです。形状はストレートではありません。

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2018年

8月

12日

本日14時法要そして寺ジャズ 緑茶1番茶深蒸しの絶妙

美味しいものの食べ過ぎと運動不足はわかっています。

しかしこのままその生活を続けていたら危機的状況に陥るのでしょうね。

昨日は午前と午後それぞれ法事がありましたが、2件ともお斉あり。

 

普通の人が1年に一度食べるか食べないかのガッツリ系御馳走をこの日だけで2回頂きました。

通常でも週1ペースでの御馳走三昧は世界的に食べ物が欠乏している地域に住まう人たちにどう顔向けできるのか。

お招きいただくことは有り難いことですが、大いなる反省が伴います。

 

坊さんという職種の方で比較的恰幅がいい方が多いとお見受けするのは運動不足のうえに美味しいものを食べ過ぎるからなのでしょうね。

要はガッツリお斉を頂いたとしてもそれに見合う運動をすればエネルギーは解消するのですが、どうしても摂取過多の傾向が強くなります。まぁこの状況は異常としか言いようがないような・・・

 

さて先日、プラスチック製ストローやペットボトルの件を記しましたが、海洋汚染という見方もありますが、私はこの静岡のお茶を守っていくためにもそのプラスチック容器の飲料は控えて行かなくてはならないと思っています。

とか言いながらも世話人会等では当たり前の如くペットボトルのお茶を提供していますので、この件記していて自分自身消化不良というか出鱈目感が漂っています。

 

ペットボトル飲料の場合は「はいどうぞ」でおしまいです。

それに反して急須で淹れるお茶そして、コールドだと氷に容器に提供用のコップや茶わんが必要になりますね。

何よりも茶ガラの始末と各容器の洗浄が伴います。

カンタン便利が大うけにウケてここまでの大繁盛に繋がったのですが、お茶の淹れ方について、元のオーソドックスな飲み方を今一度キャンペーンを行っていく必要があると思います。

これまでもずっとその方向性が模索され、何度もそれを呼びかけられている様子を見ていますが、まったくペットボトル茶の衰退の影は見られません。

 

まぁネガティブ情報を流すとすれば雌化する環境ホルモンとなりうるプラスチックの茶への溶融(ペットボトルの凸凹の理由)リスクというものがありますが、そもそもペットボトルのお茶はまったく美味しくないですよねぇ。なぜにして美味しくないか。

 

昨日のお斉でお茶農家の方と話しましたが、「今年は惨い」と。

聞けばキロ単位の一番茶の価格が以前の1/5に成り下がったと。

どんどんお茶農家がやめて放置茶畑が増えていくという状況に拍車がかかっているよう。

 

ペットボトル用のお茶は2番茶3番茶を使用しますのでそれでも価格的には値が張る1番茶の需要はその特定業界にとっては不要です。全体的な1番茶の需要も減少していることもあって昔のような価格には戻りそうもないと悲観の声ばかりでした。

 

なぜにして美味しい1番茶が見捨てられて美味しくもない2番以下のペットボトルが持て囃されるかといえば、上記のような安直もありますが、大衆というものがその1番茶の美味しさを知らないからでしょうね。

ここで1番茶と2番以下の茶が如何にして違うのかを。

 

その農家の方が仰っていましたが、秋から空っ風の吹く台地の冬を我慢し成長、栄養分を蓄積して初夏に一気に息吹いた新芽の辿ってきた「鍛錬の積重ね」に比べて夏季のみ、その次や次の次に出てきた葉が美味いワケがない・・・と。

 

そういうことなのですね、1番茶の特筆すべき美味しさの理由というものは。

私はここでも「なるほど」と頷かされました。

人間と同じ・・・のような気も。

 

皆さま、お茶はケチらず100g1000円を目安に夏は冷茶で御所望くださいませ。深蒸し茶は茶葉を「氷水にブチ込む」くらい安易といい加減なさじ加減で美味い冷茶が出来上がり。

沸かして淹れて冷やすなどの手間はかけません。

「騙されすかされた」と思ってやってみてください。

勿論冬場は急須からですね。

 

①は高台寺のポスター。インパクトあります。

「天下第一緑」そのまま頂いちゃいたいくらいのフレーズ。

そして「Worldclass beauty」も。

ビジュアルインパクトは大事です。

 

当地の深蒸し茶のイメージはコレでしょ。もっと胸を張って地元から盛り上げないと。

 

②③本日8月12日は「8月の法要」14時00分より。

14時30分からジャズライブコンサートです。

雨予報がありますが、いつもの「地の利」を生かしてうまいこと大崩れがないようお願いしたいものです。

 

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2018年

8月

11日

今度の一大事の往生について 「易往而無人」

朝から榛原病院の内科待合を並び午後はのんびり。

本当に病院だけはどちらも「人多し」で閉口させられますね。

「咳こみながら熱が下がらない、食欲がない」などと受付にて語る症状が聞こえてきて、「こちらに長居は禁物」であることがわかります。

しかし私はもっと重篤かも知れないと思われる病を疑われての再検査の結果待ちでしたので、我ながら土壇場を前に「腹を壊すから」と言って差し入れを口にしなかった石田三成を思い出してニヤリと。

 

当家には「ママ判定」なる暗黙の了解があって、何事も息子も私もその顔色を見ながらの処断行動となるワケですが今回の私の通院検査から医師の見立てのドタバタの件「どうせ偽病」とハナから相手にしていませんでした。

息子は奥方の判定にのっとって私がCT検査をするにあたり「(坊さんなのに)生きながらえたいのか?」などと言い放つはでその人間ドックのX線画像診断による再検査をただの「冗談」レベルの事だと思っていたようです。

 

今回の再検査は①「酒も飲まないのに肝臓の数値UPUP」

②「煙草も吸わないのに肺に影」の2点についての再検査だったのですが考えるに酒もタバコもそれぞれその病の「傾向が強い」はあるものの、かといって「絶対にナイ」とはいえないですし、私の周囲には皮肉的結末は概して往々にあることを知らされていますので十分に「有りうる」と考えていました。

 

肝臓の数値は栄養過多と運動不足のうえにたまたま検診前に食べ続けていたシナモンが影響したことはだいたい推測できましたが奥方には特にいよいよ「城歩き墓歩き」の時間を増やすよう頼み込んでおきました。

 

さて、「肺に影」といえば普通に想像するのは「(悪性)新生物質」。要は「肺がんになったか・・・」と6月の人間ドックから先月のCT、そして昨日まで「おまかせ」により「仕方ない」の気分でいましたがやはり結果は「ママ判定」の通りでした。

 

春先に頸椎の手術のするしないの大騒ぎに続いての通院ごっこ(奥方)となったのでしたがきっと内心安堵もあったはずですね。

まだ息子が定位置に留まるまで時間が必要と考えているようですし。私の考えは「その時はその時、どうにかなる」としか・・。

 

今回は運がイイということもありましょうが、私はただ医師の所見と指示に従ったというところ。

人はいずれにしろ浄土に行くということは決定事項でありまして、ただそれが何時かは計れないだけですね。

息子の言うよう今度の一大事の往生についてどれだけ健康にして生きながらえるか、気張らずにチャレンジしてみましょう。

 

病院の待合室「人多し」は今や常識。

あれだけの人口密度は特筆ものですね。

医療の現場は今や一大産業となりました。

 

本日は「人多し」の語の反対、「人なし」(「浄土へは往きやすくして人なし」)で著名な蓮如さんの御文(二帖七「易往而無人」)を。日本人の大好きかも知れない「差別」について否定しているところもイイですね。そうだからこそ蓮如さんはそう記しているのでしょうが。

ちなみにこの御文は少々長いですが私の拝読頻度は高いものがあります。ブログでも再登場と思われます。

 

二帖目 七「易往而無人」

『しづかにおもんみれば、それ人間界の生を受くることは、

まことに五戒をたもてる功力によりてなり。これおほきにまれなることぞかし。ただし人界の生はわづかに一旦の浮生なり。

後生は永生の楽果なり。たとひまた栄華にほこり栄燿にあまるといふとも、盛者必衰会者定離のならひなれば、ひさしくたもつべきにあらず。ただ五十年・百年のあひだのことなり。

それも老少不定ときくときは、まことにもつてたのみすくなし。これによりて、今の時の衆生は、他力の信心をえて浄土の往生をとげんとおもふべきなり。

 

そもそもその信心をとらんずるには、さらに智慧もいらず、才学もいらず、富貴もいらず貧窮もいらず、善人も悪人もいらず、男子も女人もいらず、ただもろもろの雑行をすてて、正行に帰するもつて本意とす。

 

その正行に帰するといふは、なにのやうもなく弥陀如来を一心一向にたのみたてまつる理ばかりなり。かやうに信ずる衆生をあまねく光明のなかに摂取して捨てたまはずして、一期の命尽きぬればかならず浄土におくりたまふなり。 

この一念の安心一つにて浄土に往生することの、あらやうもいらぬとりやすの安心や。されば安心といふ二字をば「やすきこころ」とよめるはこのこころなり。

さらになにの造作もなく一心一向に如来をたのみまゐらする信心ひとつにて、極楽に往生すべし。あら、こころえやすの安心や。また、あら往きやすの浄土や。

 

これによりて、「大経」には「易往而無人」とこれを説かれたり。この文のこころは、「安心をとりて弥陀を一向にたのめば、浄土へはまゐりやすけれども、信心をとるひとまれなれば、浄土へは往きやすくして人なし」といへるはこの経文のこころなり。 

 

かくのごとくこころうるうへには、昼夜朝暮にとなふるところの名号は、大悲弘誓の御恩を報じたてまつるべきばかりなり。 かへすがへす仏法にこころをとどめて、とりやすき信心のおもむきを存知して、かならず今度の一大事の報土の往生をとぐべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。 

文明六年三月三日これを清書す。』

 

画像①②は山梨で懐かしきあの「給食」を食べさせる場所。

檀家さんがそちらに行ってきたようで画像をいただきました。

私も鰻ばかり殺生をせずにこのような質素を心がければより健康なのですが。

奥方は送られてきた画像を見て是非に所望したいと申しておりますが、それはかつて公立校には通っていなかったということです。

「なめとんのか」ということですね。イラつかれるからそれ(給食なんて食べたことが無い)を言うなと。

 

それにしてもイラっとさせられたのは相良の花火大会でドンパチが終わった直後の震度3の地震。久し振りの揺れにCTの結果を聞く時以上にドキドキさせられました。そののちに再度揺れがありましたが嫌な感じです。

 

③は8時30分頃の榛原病院。より早くチェックインしなくてはと早駆け・・・。おかげで10時過ぎには終了できました。

④はその「影」の原因について触れている所見。

 

「ニップル(乳首)」がX線画像に写り込んだ可能性があるとのことでした。さらに検証するために乳首に金属を貼り付けて再度撮影する方法を提示されましたが、「また来年」ということでこれ以上の探索は辞退することにしました。キリがなさそう。

 

 

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2018年

8月

10日

海にプラスチックは不要 海の如来は怒ってます

「普通の夏」のようでした。

澄んだ青空の下、台風の返しの風が心地よく感じる一日でした。

台風に関してもし私の希望というものが通るとするならばこれからも上陸地点は300㎞以上離れた「東側」にお願いしたいところ。

直近2つの台風の上陸地は当地の「東側」でしたが今回の12号に対して台風対策というものはまったく行いませんでした。

その逆(西側)は酷いことになることはわかっています・・・。

 

一昨日の夕方は「しばらくすれば雨が」とアテにして植木に水やりをしないままでいましたが、夜間は一粒の雨も無し。

よって昨朝は朝一で水やりをすることになりました。

今のお天気で2日もそれを忘れたとしたら枯死に至る事は必定ですからね。

それを見込んだ農家の皆さんの中、今回慌てさせられた方もいらしたのではないでしょうか。

 

さて、昨日の大平洋、一昨日の拙寺「海の如来」に続き本日も海に関わる件。

今俄かに言われるようになった海洋汚染の一つ「マイクロプラスチック」について記させていただきましたが、外資系の企業がまたぞろ「プラスチック製ストローはやめる」宣言をしだしています。

 

こちらでも思った事は外国企業が自然環境の問題について即座に反応して動くところに反して日本の企業というものは反応薄でグズグズ。様子見、日和見で率先しての「責任」というものが感じられませんね。

 

食品プラスチック容器を含めて、その実数についておそらく日本企業と日本人はその生産量含めて大きな恩恵を得ていることは間違いないでしょうが、先般国内プラ製ストロー製造会社のどちらかのコメントで「どうせ無くせない」くらいの発言を聞きましたが、これはコストと技術の問題なのでしょう。自信ありげ。

 

しかし海洋汚染の現状は悠長な事を言っている場合ではないのですから安直安価の使い捨てプラスチックの考え方は改めなくてはなりません。

 

今こそ私たちはプラストローを使用しない生活をしなくてはなりません。ちなみに私は外食等の飲み物に付くストローは使用しません。直接コップに口を付けて飲んでいますよ。

以前口紅の付いたままのコップに出くわしたことがありますが、飲食店からすれば客のストロー使用は推奨したいでしょうね。コップの洗浄を簡略できるというワケですし思わぬクレームの元となりましょう。

 

ペットボトルも最悪、環境汚染の元凶ですね。

飲料業界が潤うための最大のアイテムですが、それら使用済みプラスチック(廃プラ)の行先はこれまでは決まっていました。

中国が日本だけでなく世界の廃プラの最大受入れ(輸入)先でしたが昨年の7月にそれが方向転換。完全にシャットアウトされるようになったためにその行き場を失った廃プラが今世界中で彷徨っているといいます。

 

中国はリサイクル資源として輸入をしていましたが、中国国内の汚染に手が負えなくなったというところでしょう。不純物混成洗浄の手間もありますが再生成の際に出るさらなる廃プラが汚染を拡大しているようですね。

 

まぁ厄介なものを受け入れてくれていた中国が方針転換したことから俄かに騒ぎが起こっているのですが、もともと責任があるのはそれを「作って売って儲けた」ですからね。

ガッツリ儲かった各企業経営者の皆さん、しっかり地球環境の件を思量してくださらないと・・・。

 

のべつまくなしに廃プラを自社リサイクル無しで出しまくっている会社となれば社会からの評価は低くなりますよ。

自社の回収システムとリサイクルについて、「できない、やれっこない」と仰るのでしたらもはや退場を願うしかありませんね。いやこれからの時代生き残れるはずはありません。

 

「おいしくて便利」の発想はこれまで第一義の傾向はありましたが、今は「ゴミになった場合」の説明と「真面目なリサイクル」ができるかどうか。

 

私たち消費者もその監視の目を怠ってはいけません。

だいたい廃プラ濃度の上がった海洋に棲む生物の食物連鎖の頂点にあるのは人間です。土壌にもふんだんに流れている事も考えられますので、海洋生物以外の食品であっても例外はありませんね。

 

ということで日本の技術の限界はここまで・・・と思っていれば

「海水中で分解できるプラスチック」なる100%植物由来の原料を使用した素材の話を聞きました。

世界は既にプラスチック廃絶の流れに進んでいます。その需要を先取りしてそちらの会社は製品(商品名「PHBH」)の増産に踏み切るとの事。

「30℃の海水で、6カ月以内に90%以上が水と二酸化炭素に分解される」そうで環境への配慮は十分です。

 

上昇コストは価格に反映してもいいことですし、企業の負担はもちろんのこと。国レベルで推奨し、消費者サイドでもその有り方というものを承認すべきですね。

 

 

牧之原市御開帳の復習(坂部の清水堂と小仁田の薬師堂)

そろそろです。

 

①牧之原市坂部の清水堂 25年に一度の公開

 

  千手観世音菩薩立像 伝承 行基

 

   2018年8月16日(木) 10:00~15:00

 

 

 

②③④牧之原市小仁田の薬師堂 17年に一度の公開

 

  ③薬師如来・日光・月光菩薩立像 伝承 空海

 

  十二神将像 不詳

 

  2018年9月20日(木)13時30分開扉~

 

       9月26日(水)10時30分閉扉

 

③は拙寺「海の如来」。

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2018年

8月

09日

「美しき海の墓場トラック島~戦時徴用船の悲劇~」

箱根山系と富士山のおかげでしょうか、さすがに昨日は一日中雲が出ていましたが台風13号の存在はそう感じさせませんでした。

ただし国道150号線の走行時は潮が空中に靄っている様子からうねりは入っていることがわかりました。

首都圏は雨と強風の画像が入っていました。

南海上には14号が控えていますのでまた当分の間国内やきもきさせられることになりましょう。

 

先日の12号で散々にヤラれていた湯河原の海水浴場の「海の家」も修復しかけて即13号の到来ということでてんやわんやというニュースがありましたが台風そのものは東にそれた感がありますので少なからず安堵されているのではないでしょうか。

 

「海」という大自然の現場で御商売(恩恵を受けている)をしているのですからそういう事もある程度は覚悟の上なのでしょうが、やはり運・不運というものがありますね。

 

不運といえば戦時中、軍用運搬船として日本の国から徴用されて西太平洋で米軍艦載機の攻撃によって沈没させられた徴用船の運命。乗員の命も勿論です。

8月15日が近くなると必ずNHKは特別番組を用意してくれますが、昨晩はBSプレミアム「美しき海の墓場トラック島~戦時徴用船の悲劇~」を視聴しました。

 

私は横浜山下公園にある氷川丸を眺め慣れ親しんでいた事を思い出しますがその姉妹船(3番船)の「平安丸」という船もそのトラック環礁に沈んでいました。

あのような豪華客船も「兵役にとられて」いたとは・・・

 

太平洋戦争中、徴用船は大抵が軍用に改造されて、中には飛行機が離着艦ができるように、大砲や機銃の設置改造が義務付けられていたよう。

本来の設計とは違う無理な改造がなされれば実用性は勿論、安全面が犠牲にされることは一目瞭然、それでも日本軍は民間からそれら船舶を掻き詰めたという歴史があったということです。

お寺から梵鐘他金属類を搔き集めた件もありますが、「計画性」というものが無いということ。大本営のお偉いさんときたら「行き当たりばったりの精神論」で戦争をしていたことがわかります。

 

連合艦隊最強神話の誤算からアメリカに押されっぱなしの制海権消失に伴う船舶消耗が著しくなったが故の「徴用船」でしたが、アメリカ側の狙いは「物資輸送船(徴用船)壊滅こそが日本軍の息の根を留める事につながると早くからその戦争終結への方向性に絞り込んでいたよう。

 

特に無線傍受と暗号の解読に関して注力し、日本の艦船・輸送船団の各船舶の現在位置(緯度経度)と名称は把握されていたとのことです。護衛艦が付き添わない場合などは潜水艦を派遣して魚雷で沈没していったとのこと。

 

トラック環礁内に停泊する船舶は米軍航空写真によって手に取るように把握されていました。

トラック島爆撃の前に撮影された写真にはすべて船舶名が記されていましたので当時のアメリカの諜報力の凄さを知りました。あの武蔵や大和も写っていましたね。

 

ところが海軍(連合艦隊)はそれを察知してアメリカ軍の機動部隊の襲来直前にトラック島を離れてしまい島に残っていたのは徴用船だけだったというのがこの国のお粗末さです。

命令系統の複雑さもあるでしょうが「弱いものを守る」精神の欠落もあるのでしょうね。

 

ということで世にいうトラック島空襲というものは限りなく「一方的」だったということですね。これは「無抵抗の者をボコボコ」だったということが伺えます。

ちなみにアメリカ機動部隊艦載機の「avenger」の意は「復讐・仕返しする者」。トラック島攻撃にあたって米国軍兵は一途に一言「真珠湾を忘れるな」がフレーズだったそう。

 

水深50mに沈む「愛国丸」はその「avenger」から放たれた爆弾が2発被弾したという米国側の記録が残っていましたが、400名以上が船とともに亡くなったといいます。

番組では船の機関室内に潜った様子が映し出されてましたが、愕然とさせられました。

いまだ夥しい遺骨が残っているのでした。

父親がその機関室に居たという遺族の方が仰っていましたがその形容を「真っ暗な海の底の棺」と。

 

600人が乗船していた赤城丸は環礁を脱出したものの「avenger」に追撃を受て沈没。生存者は十数名だったとのこと。

母と乗船し今生の別れとなったと泣きながら話していた女性が印象的でした。

 

このように攻撃によって船が沈没した際、水没を免れても漂流し、力尽きて溺死する者もいれば、漂流者へ向けた機銃掃射の雨が容赦なく降らされたといいます。

友軍の船舶に引き揚げられたとしてもその船も攻撃されて沈没。再び漂流してなんとか小舟に拾われて九死に一生を得たという方たちがその生存者なのでしょう。

 

中には戦闘員(軍人)でないことを理由にその小舟(定員がある)への乗船を拒んだ婦女子があったと聞きます。強制的なのかその方たちの深慮なのか色々なシチュエーションがあったかとは思いますがやはり日本の男たちは女子供を守ろうという気概というものの欠落が伝統(男尊女卑)にあったようです。

 

今もトラック島に沈んだままの遺骨を目の当たりにして、私が想うところは、そのご当人は勿論ながら遺族たちの気持ちに対してのお国の責任はいかに。「それでイイの ?」です。

 

戦後3/4世紀が過ぎようとする今、その方たちにとって戦争は未だ終わってなどいないのではないでしょうか。

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2018年

8月

08日

CTスキャンは医療現場だけでない 仏像胎内物

おかげさまで、台風13号は私の住まう相良への上陸は免れたよう。よって昨日は台風対策ナシのノー天気。

ズルいですね、これも今流行りの「自分さえ・・・」の一種なのでしょうが、台風も地震も日本はどちらの地が被害の的になるかはその時次第というか人知を超えていますからね。

少なからず、みなさん台風も地震も津波も「勘弁してくれ」の気持ちはあるでしょうよ。

こちらに来ないということはあちら様に・・・ということになりますが大きい意味では「みんな同じ」ですね。

 

奥方は昨日は東京に単身向かっていましたが、帰宅するやいなや「相良はなんでこんなに暑いのだ」・・・東京は秋の如くで涼しかったよう。関東地方は大雨の代わりに被害さえなければ待望の涼しさが味わえるということですね。「早く涼しくな~れ」と仰ってた通り、秋は台風とともにやってきます。

 

東海地区は39℃の予想が出ています。

様子を見ながら植木と雨戸の対策をすることにします。

 

先日は「髪繍」という人体の一部を刺繍仏等の素材にする特異な故人供養の形について記しましたが―施主の追善供養の意図は確信 !!―これは科学的検証ができる点が面白いですね。

今その追善供養のカタチと思しき遺物に今一つ科学的検証を行おうという動きがありますね。

というか以前からそのチャレンジと成果について耳にしていましたがそれが仏像胎内物の存在をCTスキャンで確認するというものです。

 

先日、要精密検査ということでCT画像診断を指示されていましたが榛原病院の待合でずっとその件を考えていました。

国立系の博物館などには技師を養成してそのCTでの非破壊検査システムを導入していると聞いていましたが、考えてみれば「仏像の胎内」も患者と同様に地元の病院で「診察」してもらうのが一番効率的であると思ったのでした。

つい拙寺の仏像を診てもらえるか(保険の適用外は承知しているが)聞いてみたくなってしまいました。

この手の話は実現可能であるとは思うものの、現場技師に伺いを立てても致し方ないというところでその件、口に出すのは控えましたが。

 

CT画像での結果診断は専門知識のある方によらなければなりませんが、何よりも①仏像製造方法が推測でき②胎内物の存在が確認できるというメリットがありますね。

新しい手法として地元伝来の仏像を片っ端からCTスキャンしてデータを集めて他所との比較検討を行っていけばそれこそ一つの学問となるでしょう。

今度、(病院のCTの使用について)知り合いの市議会議員さんに提唱してみることにします。

 

製造方法の判明もそうですが、胎内物に関しては即座に取り出すということは不可能にしろなにしろ「夢」が広がりますね。

 

拙寺には三体の木仏尊像がありますが、特に1番に「診察」「していただきたいのが「海の如来様」(伝承と画像はこちら)です。

先代の父が何をとち狂ったか平成元年に京都の仏具屋にて金箔を貼りなおしたという経緯がある代物ですが、先々代の祖父はこれを東京のどちらか知りませんが専門家に鑑定してもらったそうでその際「快慶」作の示唆をいただいてそれを吹聴していたことを覚えています。

 

興味と言うものは絶えないもので私もそれにならって今風の検証をしてみたいと思ったのでした。中には仏像=仏の姿という考えから検証不要という意見もあるでしょうが、それは人(管理者)それぞれではあります。

 

仏内納入品の有無については様々で小仏像、五輪塔、心月輪、宝篋印陀羅尼経に何より仏像建造の趣旨が記しされた造像願文など願主由来の品々が詰まっているというのが倣いのよう。

中身は保存状態は勿論申し分なくまるでタイムカプセルの如くですね。

 

④⑤⑥は東大寺の釈迦如来。それら納入品が実際に出されていますが、仏像底部には銘文が記されていて、仏像詳細情報が得られています。

嘉禄元年(1225)海住山寺(京都木津川)において願主覚澄が母の極楽浄土を願って仏師善円を作者とし高山寺の明恵が開眼供養の導師をつとめたことが記されています。

これだけの情報量が詰まっていることは稀なのでしょうが、それを想像するだけでもわくわくさせられます。

 

①②③は奈良法華寺の「文殊菩薩坐像」。それがこの如くと判明したのは今年になってからのようですが胎内納入品の数が180点あったとは驚きです。

丁度目の後ろ側に見えるのが舎利容器。

5月の寺の遠足で法華寺そのものにも行きたくなるほどでしたが奈良国立の仏像館の最後のブースに特別展示としてその画像が紹介されていました。

 

中にたくさん入っていることがわかったとして、それはそれは嬉しい事ですが、今度はそれをこの目で見てみたいという欲望が・・・

その前に私の体内のCTの結果に何かあったとしてそれは少しも嬉しくない。結果判断は10日です。

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2018年

8月

07日

評価ボロクソ 国会のセンセとあの学校 男子も女人も

昨日は岐阜で41℃がで出ましたね。

名古屋・岐阜そして京都辺りの高温情報がニュースでとりあげられていますが、奥方に「郡上八幡へ行こう!!」と提案すればそんなに暑い所に行きたければ「ネコ部屋に行け!!」と一蹴されました。どれどれと温度計(③画像)を見に行けばまぁなるほど・・・でした。

 

たまたま行った榛原方面、静波海水浴場に寄り道すればなかなかの繁盛ぶり。海水浴場ブームは消滅に至る運命かと思っていたところでしたので意外でした。

先日、息子が数人の男子と海水浴場に車で乗り付けて遊んできたようですがなんと駐車場料金は800円。

年配者が門番としてガッチリガードしていました。

当然の如く閑散期はフリーです。

 

ついケチな性分の私は「バカバカしいのでよしなさい」と。

地頭方で飛び込んだり潜ったりの方が断然面白いだろう・・・ということです。駐車料金は掛かりませんしシャワー付きですからね。女の子はいないでしょうが・・・。

 

さて、先日来、バカバカしいというか、お恥ずかしいニュースが報道されていますが、・・・そのお騒がせのどちらもエラい人たちのアホですか?と思わせる件でした。

今時というか、これまで差別とか平等、公平という言葉に慣れ親しんで頭の奥底に摺りこまれて育ってきた私たちですが、(無論仕事がら私は仏教経典に沿った教え・・・、回向の「平等施一切」に御文五帖の四「男子も女人も・・・」などなどです)それらの件を聞いて、「話が違うじゃん」と思いながら」「まだそんなことやってんの(いってんの) ?」の思いでした。

 

①は「LGBTは"生産性"がない」の国会のセンセ。

まず手前様の「税金喰いの非生産性」について論んじていただきたいところではありますが(勿論拙僧にその「生産性」なるものが付随しているとは思いもしません)、他者の生き方は自由であってそれが一般的ではないということから「生産」という勝手な語彙を持ち出して存在を否定するなどは「世の流れ」(自由・平等・被差別)から逸脱しています。

封建時代~戦前の考え方ですね。おそらくその語の引用は人口減少と就業者減少の危惧を指しているのだとは思いますが、あまりにもお粗末。選んだ国民が悪いですね。

 

まぁコレもその手のセンセ方がやりがちな「奇をてらった自己主張」で「名刺代わり」の短慮ともいえますが、やはり「次はナイ」でしょう。

 

②はあの「今時 裏口入学!!」で世を驚かせた東京医大の別件ですが、入試の際の女子限定減点システム。

2010年くらいから行っていたそうでそれまでよくバレなかったなぁと感心。まぁこちらも内部告発からでした。いい事ですね「自浄の精神」の風潮。

 

こちら女子の得点に一定割合の係数をかけて一律に減点し女子の合格者数を抑えていたといいます。

ある年にまともに合格発表を出したら女子が半分を超えたため女子の合格を減らすことにしたそう。意味不明です。

これだけですとただの男女不平等な学校ということで済みますがひよっとすると法に抵触するかと。

私立大学ですからご自由にその配分を決めればいいのですが、その手の件は「入試要項」などで事前に表しておかなくてはなりませんね。

 

通常その手の文言が明記されていなければ試験の点数の上位者が合格するというのが常識的入学試験のあり方ですし、私の知っている限りこの医大の如く「男女」によって点数を加減することなど聞いた事がありません。

そこを勝手に「女子だから」という理由で(これを「差別」といいます)内内で減点して不合格にしてトータル調整するということは・・・「詐欺罪」も考えられるのではないでしょうか。

民事となれば当然に、賠償請求に値しますね。

 

一つに(慰謝料抜きにしても)「試験代を返せ」というところは当然でしょう。合格ラインに達していたにも関わらず機械的に排除され、医師の道を閉ざされたことが立証できたとしたら・・・これは凄い事になりそうです。

被害者弁護団なるものが結成されたとしたら・・・

色んなことがバレちゃって大変です。

 

①の方はタダのアホでした、ちょっと口走ったことと呆れられ笑っていられますが②は大変な事になりそう。

何より「医師」の考え方とは「そんなもの」という、お下劣な先入観を植え付けましたね。

海外メディアは男女機会均等法など口先だけの政治家とそれを承認する国民性を嗤っているようです。

 

それでは蓮如さんの御文「男子も女人も」全文を

 

五帖―四

『そもそも、男子も女人も罪のふかからんともがらは、諸仏の悲願をたのみても、今の時分は末代悪世なれば、諸仏の御ちからにては、なかなかかなはざる時なり。

これによりて、阿弥陀如来と申したてまつるは諸仏にすぐれて、十悪・五逆の罪人をわれたすけんといふ大願をおこしましまして、阿弥陀仏と成りたまへり。

「この仏をふかくたのみて一念御たすけ候へと申さん衆生を、われたすけずは正覚ならじ」と誓ひまします弥陀なれば、われらが極楽に往生せんことはさらに疑なし。

このゆゑに、一心一向に阿弥陀如来たすけたまへとふかく心に疑なく信じて、わが身の罪のふかきことをばうちすて、仏にまかせまゐらせて、一念の信心定まらん輩は、

十人は十人ながら百人は百人ながら、みな浄土に往生すべきこと、さらに疑なし

このうへには、なほなほたふとくおもひたてまつらんこころのおこらんときは、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、時をもいはず、ところをもきらはず念仏申すべし。これをすなはち仏恩報謝の念仏と申すなり。

あなかしこ、あなかしこ。』

 

ちなみに蓮如さんは1415年~1499年の人です。「みな浄土に往生すべきこと」を解せば「みな幸せになれること」です。

 

時代が古くても仏の下に居ると思わせるいう自覚がある者は差別などしないですね。

最近はどちらを見てもどうも「仏の上にいる」(自分が一番)と思わせる人ばかり見ているような気がしてなりません。

 

①②はコウモリとそれを引き釣り出して遊ぶ舞鶴殿。

たまりかねてキーキーとか鳴いて飛んでいきました。あいつが本堂に居つくと厄介なことになりますが・・・

舞鶴殿にはあいつも必死に生きてるぞと。

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2018年

8月

06日

四十九仏と往生者が描写される阿弥陀来迎図

暑い暑いと言いながらも7月後半のそれとは微妙な変化を感じていますが実際はどのようなものでしょう。

私の方で気候に慣れてしまったせいなのかもしれませんがTVのニュースでインタビューされている人の言葉の如くのそれらを吐きまくる程ではないように感じます。再び台風が私の方に向かってきていますが面倒な事だけは御免ですね。

たかが「空気の塊」なのですが場合によっては厄介なヤツになります。「オオカミ少年」かも知れませんがしっかり対策はしましょう。

 

このお天気続きと気温上昇にしたたかに業績を上げている業界もあることはだいたいわかります。

家の中にじっとしていればエアコン代がかかりますし涼しい場所と言えばそれぞれの皆さんが発想する通り、子連れでしたら大型ショッピングセンターに集結するでしょう。

賢い子供は図書館が最適なのでしょうが。

別視点で聞きかじった事がありますが、SC闊歩は健康ブームの選択肢としても今流行っているそう。

すると歩けばお腹も減るし冷たい飲み物なども所望するでしょう。今年はかなり売り上げを伸ばしているのではないでしょうか。

 

昨日、お会いした檀家さんはやはりエアコンが壊れて現在予約中とのことで、8月15日に工事とのこと。その前の日に聞いたところでは新規は「9月になる」とのことでしたので大分以前から発注をかけていたのでしょう。

それでもまだまだ1週間以上我慢しなくてはなりませんから大変ですね。まさにエアコン屋さんは超がつくほどの繁忙がうかがい知れます。

その他意外なところでも超繁忙がありそうですね。

 

さて先日は拙寺の阿弥陀三尊来迎図について「二十五菩薩」を引き連れる等のバリエーションを記しましたが、四十九仏と屋形でお迎えを待つ様子を描写しているものを見つけました。

光明寺の「四十九化仏阿弥陀来迎図」(鎌倉)です。

 

阿弥陀三尊の構図はパターン通りですがその三尊+四仏+四十九仏と登場する仏たちは豊富。何より構図の左下、観音菩薩が差し出す蓮台の先には屋形があって僧形の往生者が合掌して待っている姿があります。

往生者が描かれている構図となると、当初の図案作成時にはしっかりとその方がどなたなのか、作成依頼した方はだれか・・・など詳細が知られていたことが推測されます。

 

時間の経過によって当初の「送る人」の気持ちなども空しく消え去ってしまうところ、やはり無常を感じます。

「死」の効果(順番送り)は人間社会にとって不可欠というか「生きる」の裏返しであってそれを考えたとしてもどうにもならないことではありますが、「歴史」探求の意味ではやはり知りたいところです。

 

四十九の化仏が初七日から七七日と七つのグループに描かれているだけにその縁者の思いというものが知られるというものです。

 

③は国道150号線相良橋からの日没。萩間川です。

 

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2018年

8月

05日

天蓋とは日傘が発祥 日傘は高貴の称

昨日お会いした方に唐突でしたが「エアコンは使ってます ?」と聞いてしまいました。先日も記しましたが相良にはまだまだエアコン設置の無いお宅がありますのでその辺りのところ、興味があったワケです。

「勿論、朝からスイッチを入れてしまう」と半ば反省に近い言葉が返ってきました。しかし今、家に居続ければ24時間そのスイッチをONし続けていても不思議ではないですからね。

午前の早い段階で「30℃」など当たり前になりました。よってエアコン使用は恥ではありません。

 

夏のエアコンと言えば夏風邪罹患の恐怖が付きまといますが今となるとどちらでもその就寝時不快の対処法については「エアコンの点けっぱなし」を推奨しています。

私はタイマーにて管理していますがやはりそれが切れたあとというものは寝苦しくて目が覚めますね。

「2度寝できるからありがたい」程度でスグに寝付きますが世に

夜間「飲み物を枕元に置け」なる体調管理の方法がありますが

私はそれには及びません。

そこでの飲料摂取は逆に不眠のスイッチになりそうで・・・。

私は就寝前にがぶ飲みしていますのでそれで朝まで持たせているところです。

 

 

その方は「旧式で電気ばかり喰うポンコツ」ということで「今それが壊れたとしたら・・・」を想像するだけで恐ろしいことだと。

ちなみに「電気屋さんに今注文しても9月になるかも」と仰っていました。少々大袈裟かも知れませんが、在庫も少なくなっているうえに、施工技術者の手配が追い付かないようですね。

 

先日、町の電機屋さんが大手の家電ショップから出てきたところを見ましたが、相互補完というところでしょう、「手が足りない」現状が手に取るようにわかりました。

 

昨日午前は私が法事、息子が静波墓園剪定の続きでした。

特にこの頃の法事の施主となると参列者周囲へ恐縮度もUP UP、

「天気の事」ですから仕方ないのですが・・・しかし日本人の良さなのですが、そこのところ気配りしてしまうのでしょう。

 

墓地参拝の際、参拝者は木陰で待機しつつ・・・でしたがそれは当然です。施主さんは直射日光が当たる墓前にて私に申し訳なさそうに、「できれば傘を提供したい」と申していましたので、「男の日傘(今流行に仕立てようとしている・・・)ですね。それには及びません。」と(洒落臭いとは申さず丁重に)断りましたが読経が始まり出すと後方から傘が差しだされていました。

 

「本意ではないなぁ」と思いつつそのまま続けていれば意外に涼しいということがわかりました。

そのご厚意が有り難かったですが、私の頭に過ったのは「偉そうに・・・」の姿。

 

雨天の際に傘なしでうっかり墓前に参れば参列者当人の傘を差しだされてこちらが恐縮する場面がありますので、小雨でも傘を持参することは必至ですが、まさか日傘とは・・・

 

昨日も記しましたが私の顔が黒いので「気の毒」を醸し出していたのかもしれませんが、傘を出した方は日差しをその分引き受けたワケでこちらの方で申し訳なく思いました。

こういう日の「暑くてキツイ」というのは誰でもわかる事。

私の黒衣は暑苦しい出で立ちではありますが、できるだけ「その御時節柄―暑い」のフレーズは口に出さず、苦しい顔をしないというのが第一義となります。

「ニコニコして饒舌」を心がけますね。

 

その逆は「油断のならない奴」(自分ファースト)と思われがちです。傘を出されて、上等な椅子を用意されて、多種気をつかわせて、忖度される・・・そういう御身分にはなりたくないですね。

「うっちゃいといておくんなさい」と言いたいところでしたがその御親切のお礼はちゃんと申しあげました。

 

さて坊さんの「傘」といえば「天蓋」ですね。

大層な代物となりますと中尊寺金色堂のそれですがそもそもが仏教発祥国インドが大元でやはり「日傘」から発展したもの。

インドの日差しは暑そう・・・高級貴族が好んで作ったそうですが権威の象徴の部分が大いにあったよう。

そういう意味からも他者に傘を差しだされることを甘んじて受ければ「偉そうに・・・」と感じられてしまうでしょうね。

 

流れとしては虚無僧の笠がありますが、それは世間「隔絶」の証となったのでしょう。どちらにせよ真宗僧侶には必要のないものではあります。

特に阿弥陀仏など「座像」の場合でないと天蓋の存在はおかしいような、動体となる住立空中尊から発展した真宗的阿弥陀如来ご本尊に華美な傘は似合いませんね。

 

拙寺の御本尊は須弥壇上の厨子に納まっていますがその発祥はやはり「中空」風を表現していることを頭に入れておきたいものです。ただし立ち姿の阿弥陀さんであってもその敬尊の意から天蓋を設える事はよくありますね。

 

本日は天蓋のある仏を。

①が先日記した刺繍釈迦如来説法図のお釈迦さん。

②も先日記した二尊像。立ち姿でありますが天蓋付です。

ちなみに右(向かって左)が阿弥陀さん。

その上に色紙形があって文字が並びますがそれが

 

「其仏本願力 聞名欲往生 皆悉至彼国 自致不退転」

 

「無量寿経」(大経)からでその文字列からも阿弥陀さんと理解できます。

ちなみにお釈迦さんの方の色紙は「法華経」からだそうです。

 

③やはり阿弥陀さんの代表的働きを表現する「其仏本願力 聞名欲往生 皆悉至彼国 自致不退転」の語が使用されている檀王法林寺の「刺繍種子阿弥陀三尊図」を拝借。

文字に天蓋がありますが、「種子」=「仏」であることがわかります。

 

こちらは「種子」で阿弥陀三尊を描いていますので「浄土」系かつ真言密教の流れのところを示唆していますね。

この阿弥陀三尊と十二光仏そしてあの無量寿経の文字は「髪繍」とのこと。

独りの毛髪を使用したものか多人数かという点が気になります。施主に被供養者についても興味は尽きません・・・まぁDNA鑑定を・・・などという発想はイケないのでしょうかね。

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2018年

8月

04日

オーソドックスなスタイル 阿弥陀来迎三尊形式

毎年恒例、息子を引き連れて静波墓園の草刈と剪定へ。

毎年カイズカの中にアシナガバチが巣を作っていましたが今年はナシ。助かりました。

水筒に冷たいお茶を持参しましたが殆ど15分おきくらいにがぶ飲みしていましたので近くの自販機で2回追加購入しました。

ニュースでは名古屋で40℃超えとのことでしたが、おそらく静波は35℃がいいところでしょうね。結構に風もあって心地よきものがありました。

 

海に行ってどうのこうの・・・と口癖のように言っていましたが最近になって「イイ歳こいてみっともない」「どういう面さげて・・・」などと奥方から強く罵られるようになり、正直なところ近頃まったく塩水に触れていませんが、昨日は檀家さんの縁者に「真っ黒ですね」と声をかけられてしまいました。

 

自分では以前よりまったく「黒い」などと言われるレベルではないと思っていましたのでかなり驚きました。

正直に「さっきまで静波の墓地で草取りを」と返しましたがそれは一方的に否定されていたよう。

土日の法事で怪訝な顔をされましょうがやはり「草刈ヤケ」が真実ですからね。海やゴルフで遊んでばっかり・・・坊主家業はラクなもの風のご批判は嫌な感じ。

 

世の中、クロい奴は遊び人風のチャラさを醸し出して「怪しい」という先入観がありますので困りますが、よく考えるとそういう私も他者のその風体には警戒感がありました。

 

奥方に聞けばこんな日によろこんで「草刈りをした」といっても誰も信じないそうで、それを人は「JOKE」と解するのだと教わりました。

 

さて、先日紹介した独尊阿弥陀如来の姿ですが、正式には「住立空中尊(じゅうりゅうくうちゅうそん)」と言いそれが今の真宗系寺院の御本尊である木仏阿弥陀如来の立像の原形かと思います。

阿弥陀さんが立っている理由について時々問われる事がありますが、その理由を端的に説明できる論拠があります。

それが「観無量寿経」の「華座観」前文。

 

『仏、阿難および韋提希に告げたまはく

「あきらかに聴け、あきらかに聴け、よくこれを思念せよ。仏、まさになんぢがために苦悩を除く法を分別し解説すべし。なんぢら憶持して、広く大衆のために分別し解説すべし」と。

 

この語を説きたまふとき、無量寿仏、空中に住立したまふ。

観世音・大勢至、この二大士は左右に侍立せり。

光明は熾盛にしてつぶさに見るべからず。百千の閻浮檀金色も比とすることを得ず。』

 

かつて「座ってお迎えするより立ってお迎えする方がイイ」などとイイ加減(善導さんはその手の俊敏対応と親切について仰っています)を口走ったことがありますが、こちらに立っていなくてはならないしっかりとした理由付があるのでした。

 

上記には観音と勢至の両菩薩が「侍立」とありますが、それは仏典踏襲の立場であって時代が巡って「一向専念無量寿仏」の思考と実践もあり、「阿弥陀如来」のみの絵像(方便法身尊形―ほうべんほっしんのそんぎょう)が在家御内佛の御本尊の姿と繋がっています。

 

「観世音・大勢至、この二大士は左右に侍立」とありますようにこちらがオーソドックスな三尊形式。拙寺にある三尊の来迎図です。

二十五菩薩・・・「塵沙の衆」を引き連れての来迎図も中にはありますが当家には伝わっていません。

 

三尊来迎の基本的カタチというか構図はまず決まっていて中央の阿弥陀如来が白雲の「雲座」に「踏割蓮台」に乗った姿で上部空間から降臨している様子が描かれています。

右下に「阿弥陀の智慧の化身」勢至菩薩の合掌姿、左下に「阿弥陀の慈悲の化身」観音菩薩の蓮台持参の姿というのがお決まりです。

尚「左右」の言い回しは京都の左京・右京と同様、あちら側―御内陣―からこちらを見る立場になります。

 

三尊形式のお軸のあり方ですが、これは「往生作法」といわれています。「さあこれから往生するぞ」という往生者の前にこの軸を掛けて読経したといいます。

現在は亡くなった後に僧侶が呼ばれますが、一昔前といえば亡くなる前に呼ばれるものでした。

 

世のこの形式には特に別バージョンがあって三尊の向いている方向、左下に屋形があってそちらに往生者が合掌している様子が描かれているものもあります。時に複数の往生者がその来迎を待っている姿が描かれているものもあって、その図もやはり特定の「亡き人」の遺徳を偲ぶものだったことが考えられます。

 

真宗は「一向専念」の思想とともに「来迎はない」→「すでにいる」・・・という考え方に変遷していますので、三尊形式はもう「古い」考え方かも知れません。

 

ただし、私どもの葬儀開式の際、冒頭結構に気張って声を出す「先請伽陀」にはしっかりその三尊形式を彷彿とさせる件が入っていますので完全には「阿弥陀三尊は来ない」を主張するに少々それを言い切れない部分もあります。

 

「先請伽陀

 

 先請彌陀入道場  不違弘願應時迎 

 觀音勢至塵沙衆  從佛乘華來入會

 

まづ弥陀を請じたてまつる 道場に入りたまへ

弘願に違せず時に応じて迎へたまへ

観音・勢至・塵沙の衆

仏に従ひ華に乗じて来りて会に入りたまへ」

 

拙寺に伝わる三尊図は仏事に使い込んだのかかなりの痛みと修復の痕があります。

この軸もおそらく鎌倉期のものと(勝手に)推測しています。

やはり拙寺初代が畿内から持ち戻ったものかと。

繊細な描写はないものの両菩薩の持ちものなど色味が残っています。

 

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2018年

8月

03日

作者(発注者)と往生した者の存在を推す 髪繍

昨日記した拙寺の髪繍阿弥陀如来来迎図」のつづき。

そちらはおそらく拙寺初代の今井権七(釋浄了)が石山本願寺からの退去のドサクサの際に入手したものですね。

顕如上人に別れを告げて上人から頂戴したという阿弥陀如来(方便法身の尊形)と五帖の御文(どちらも顕如署名入り)がありますが、その際に顕如さんからその来迎図を戴いたと考えるのが常識的な線。

荒廃畿内のどこかで権七が略奪あるいは金員を積んで買い求めたかという経緯も考えられますが、その仏画が初代、2代と拙寺御本尊としてあったといわれていますので、初代の権七が顕如さんの元を離れるにあたって「道場建立に本尊が不可欠」ということから顕如周辺から託されたという落としどころです。

 

以前のブログでも記しましたが拙寺にはこの「髪繍阿弥陀如来来迎図」の作者が源信(恵心僧都)であるとの言い伝えがあります。

江戸期、宝暦十年(1760)にこの軸を京都の仏師に鑑定のために赴いたのが七代目の釋祐信。やはりその伝承がホントかどうか知りたかったのでしょうね。

しかし当時の「鑑定」などもかなり眉唾のような気がします。

何を根拠に「相違ない」「真筆」と断言しているのかその場に居合わせたワケでもありませんのでやはりまともに頷くノー天気は控えたいところ。

 

この件、その手の「仮託」の言い伝えはよくある事。

当流でいう源信(恵心僧都)といえば親鸞聖人ご指定善知識の「七高層」のうちの第六祖で、本邦浄土系の祖と言われている人ですね(画像③)。ちなみに④の右側の「源空」とは親鸞さんの師で浄土宗開祖の法然さんのことです。

 

その「源信筆」の件、当流に於いてその知名度からして是非に「そうであって欲しい」という気持ちはわかりますね。

拙寺七代目が鑑定に及ぶなど「疑い」の気持ちも無理はないと思いますし・・・

 

①は昨日の髪繍阿弥陀仏のお軸ですが、参考のためメジャーを置いたもの。

鎌倉期の阿弥陀仏の大きさの流行について「三尺阿弥陀」という語があってそれをそのまま捉えれば「90cm少々の」ですがだいたい80㎝前後~90㎝前後の阿弥陀仏の「身長」を言いますね。

特に仏師快慶の「安阿弥様」にてその「三尺」の阿弥陀仏が世に流行していますが、それと同様に立ち姿の来迎図として、特に独尊正立正面の図の阿弥陀仏の場合もその「三尺」を踏襲したといわれています。

 

拙寺のそれは阿弥陀仏そのものの身長は約72㎝ですが光円から蓮台までを入れれば約三尺で、その「流行」を背景とした製作年代を考えるに鎌倉時代というのが妥当なところとなりましょう。

鎌倉期の阿弥陀如来像の「価値観」(下世話ですみません・・・)も大したものですが、源信さんの生きていた(947~1017)時代は、

平安期。そうとなるとその流れからは100年程度早いので、完全否定はしにくいものの確信(源信筆)は得られないところですね。

 

ただし私としては拙寺の伝承はやはり大切にしたいところで「伝源信」は重く考えます。

そうあった方がよりイメージが広がるというものですが、あの「髪繍」を考えると特にその思いは強くなります。

 

「髪繍」をおさらいすれば、これは亡き人を偲びそれを供養してできれば未来永劫にわたって遺し(遺品)かつ「仏」として同化したいという気持ちの表れだったという説があります。

 

奈良国立博物館学芸部長の内藤氏は今の葬儀式の如くの一連の葬送の儀をもって説明しています。

九条兼実の「玉葉」にその記述はあるとのことですがそれが兼実の息子の藤原良通が22歳で急逝したことからその流れが伝わってきます。

とにかく、貴族階層ということもあって庶民のそれとは格別なものになるのでしょうが、その一連の儀式は簡略なものではありませんでした。

 

四十九日までの七日×七の法要形式は当然の如くでしたが私がハッとさせられたのは死亡が殆ど確定したあと生命蘇生が仏事として行われていることもさることながら、出家授戒の儀、いわゆる剃髪が行われているということ。

私どももそれと同様の「帰敬式」がありますがそちらはあくまでも形式的ですので実際にそれが行われて、何よりそこには故人の身体の一部で尚且つ「素材」としての「髪」が実際に「ある」という事実に気が付いたというワケです。

 

故人の大切にしていたものは遺品として継承されることはよくありますが、この「髪の毛」は「遺髪」の概念はありますが、まさかそれを仏として繍み込むという発想には繋がりませんでした。亡き人の往生極楽を願いかつ祈念の対象としたということですね。

他にも大納言藤原為家が愛娘の遺髪を用いて種子(真言系 梵字であらわす仏の称)を作り、北条政子も剃髪した自らの髪で阿字(梵字の中心・スタートの字)で繍仏を描かせたといいます。

 

さて源信といえば源信母の手紙を思い出します。

前述の如くあの阿弥陀さんを源信筆と信じれば、その髪の持ち主を推測したいところで、それがまず思い浮かぶのが大和當麻で亡くなった源信さんの母ですね。

母の往生と供養のためにその髪を阿弥陀の螺髪に繍み込んで源信さん生涯の合掌対象としながら自らの往生を願ったのではないでしょうか。 

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2018年

8月

02日

誰の髪・・・ 拙寺「髪繍独尊阿弥陀如来来迎図」

昨日は三人で裏の墓地にてだらだらと・・・

私は草刈り機をブン回していましたので、その時二人が居なくなったのは感じていましたが、そんなことがあったとはわかりませんでした。

 

聞けば年配のご夫婦のうち男の人が境内駐車場とコインランドリーの間の道で倒れたと。「熱中症!!さぁ大変」ということで奥方と息子がその方(90歳と言っていました)の元に駆けよれば、躓いて膝を擦りむいただけだったよう。

物置から椅子を取り出して暫く休んでもらったそうですが、その時の御夫婦の会話がいわゆる特有のものだったそう。

「夫が言い張り、妻が引き留めしかし夫は一歩も引かない頑固」のパターンだったよう。

私もそうなるのかなぁ・・・と思いつつその90歳とはほとんど「天寿」。そこまでいければ「もうどうでもイイ」の世界。

 

その御年で夫婦で炎天下を散歩し尚、引っ繰り返って「へいチャラ」の躰で妻を罵る・・・なんてデキすぎ、上等のレベルですね。

家に居ないで外に出る事、これ熱中症を避ける妙法なり。

相良の高齢者、元気です。

 

さて、昨日は相良繍(さがらぬい)について記しました。

その他各種刺繍の技法はありますが、どうしても縫物は苦手でその固有技術についてはまったくわかりません。

奈良国立のブースにもそれらを紹介する展示がありましたが私には「無理」・・・

もっともやはり古来より「刺繍」造形による「ほとけ世界」の現出の発想は女性が主体(・・・・「天寿国繍帳」)というのが定番のよう。

 

本日は刺繍の技法ではなくのその素材について。

「ほとけ」を飾る刺繍に「髪繍」(はっしゅう)なる方法がありますが、今回の展示物の中にも各紹介されていました。

特に昨日の相良繍が施される部位、仏の螺髪部分に本物の髪の毛が編み込まれているというもの。

髪を糸に替えて編み込むその意図とは・・・

勿論ある故人を「追善供養したい」というところが大・・・と推測するのが現代の評価。

 

軸や織物に描く「ほとけ」たちは「堂」中央に納まるいわゆるご本尊。愛する人(故人)を仏と仮託して合掌礼拝の対象としたいと考えることはごく自然、というよりも当然であるという風潮があったかも知れません。そういう「ほとけ」の演出は結構に見られます。

 

①髪繍阿弥陀聖衆来迎図(奈良 金剛寺 鎌倉時代)

髪繍阿弥陀三尊像(徳川美術館 南北朝時代)

 

①は阿弥陀如来と二十五菩薩が雲に乗って来迎の図。

仏と菩薩の頭髪や衣文線、頭光に沿って髪繍が施されています。

束ねて撚った毛髪を鎖のように繍っているとのこと。

②阿弥陀如来の螺髪と両脇侍の頭に髪繍を施しています。

 

髪繍は絵画仏画のうち仏の頭部のみにそれを施す例も多種に及びます。拙寺に伝わる「髪繍阿弥陀如来来迎図」(③~⑨)の三尊形式でない他の菩薩を引き連れていない阿弥陀如来単独での来迎図ですがこちらの阿弥陀さんの頭も「髪繍」と見ます。

以前「馬の毛」との評価を受けた事がありますが、私はそれを信じていません。

まぁ科学的分析に処すれば判別は簡単でしょうが。

この軸は木仏阿弥陀如来が本尊として拙寺に来た3代目の頃以前の御本尊だったと伝わっています。

独尊の阿弥陀如来の正面向きの立ち姿での来迎の図は中国宋代

(960~ 1279)の形式と言われています。

 

如来さんのシルエット・デザイン的には下記の「刺繍阿弥陀如来像」と似ています。

拙寺の阿弥陀さんには雲が見えませんが蓮台に乗っているところは同様。見にくいですが頭部後方の円光と光条の様子も・・・両手の指のカタチ来迎印も・・・。

そちらの阿弥陀さんの頭部は髪繍については施されていないようです。ちなみに阿弥陀さんは奈良国立博物館所蔵 鎌倉時代のもの。

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2018年

8月

01日

相良繍(さがらぬい)の現物 刺繍釈迦如来説法図

早朝の一瞬足元に感じたヒンヤリ感はやはり台風が海を掻き混ぜたせいなのでしょうか。私には「秋」が感じられました。

それでも日が昇ればこの数日前、何事もなかったようにクマゼミはいつもの勢いで鳴いていて多からず墓参にやってくる方はただ「暑い 暑い」と。

 

最近は午前はのんびり庭仕事というのが定番になっていて、お昼のチャイムが鳴るころに終了、あとは昼寝に雑用という日課です。こんな暑い中・・・という声にニヤニヤしながらその言葉には頷いていますが寺の仕事は青い空の下の方が都合がいいものです。そもそも雨が降れば外仕事はできませんし、風が吹けば木に登れない。考えてみれば周囲には「やらない理由」だらけです。人間はやらないでいい理由を探すのが上手。特に私は法事・来客など事務的な用事がありますので。

もっともこの時期の法事は外仕事以上に体力勝負と思うようになりました。

 

そこへきて気候変動の状況下「熱中症の危険」などいう語が重宝され世の外仕事に従事する人たちの管理者(現場を仕切る人)は難しい舵取りを強いられるでしょうね。

 

究極の熱中症予防は木陰で昼寝することですが気ばかり使って休ませていたら仕事になりませんね。

まぁ「健康第一の職場」ではまったく仕事と両立しないダブルスタンダードとなります。

以前の職場の真夏の現場で自称自衛隊あがりの若者が熱中症になってぶっ倒れたのを見ましたが、他者の体調を推すのは難しいということを知りました。

倒れられても困ってしまいます。

 

墓地法面上の木を伐採中にあまりにも鋸が切れなくなったため刃を交換しようと庫裏に戻れば先日も来ていた小学校6年の可愛らしい女子たちが5名が再訪。夏の研究課題として拙寺を選んでくれた様子でした。

あの時は本堂で多少の時間をお付き合いさせていただきましたがその追加の質問があったのこと。

 

先日AFNで「SWEET CHILD O' MINE」という曲を久しぶりに聞きその後ユーチューブでも何度か。

青い空の下、少女たちの笑顔の中にいて調子づいてお話をすることがいかに楽しいことか・・・

すると一人の女子が今にも倒れそうになって目がうつろに。

軽い熱中症のようでした。会館の玄関で休んでもらって事なきを得ましたが、その一部始終を見ていた奥方が「炎天下で話が長い!!」とお叱りを頂戴しました。ただ質問に応えていただけなのですが。

 

質問が難しすぎるのでつい反応の言葉が長くなってしまいます。

ちなみに①「本堂」について②「阿弥陀仏」について③「旗差し」についてでした。

仏とその教えの基本は「仲良く喧嘩しない・・・平和」というところを織り交ぜて・・・奥方と息子にはその3つについて端的に説明できますか・・・って反論。

 

反省点、もっと涼しい場所でのんびりとわかりやすい説明を心掛けねば・・・次の来訪を楽しみにしています(奥方は今回の件でもう来ないよ・・・とは言っていましたが)。

 

さて「いとのみほとけ」展にて今一つこの目で確認したかったのが相良繍(さがらぬい)の現物、奈良国立博物館所蔵の「刺繍釈迦如来説法図」でした。

 

そもそも相良に住まわれている方でその「相良繍」なる技法をどれだけの方がご存知なのかわかりませんが(勿論私もお恥ずかしながら知ったのはつい近頃です)、この技法は古くからあって

「日本刺繍の技法の一種。玉繍,いぼ繍,こぶ繍ともいう。

糸を布の裏から表へ通し,そこで結び玉をつくって再び裏へ返し,刺し進める。この結び玉を連ね,あるいは集合させて文様をつくる。」とあります。

まぁ語源については地名の相良とは関わりが遠いようですが、相良人としてこの「相良繍」の代表的作品「刺繍釈迦如来説法図」を「見ていない」のは「寒い」と思ったのでした。

この釈迦説法図はかなりの大作で縦211㎝横160.4㎝の大きさ。

製作年代としては奈良時代もしくは8世紀の唐といいます。

渡来品ということも考えられるところですね。

 

作品は全体的な手法として鎖縫い(チェーンステッチ)というオーソドックスな刺繍が施されていますが、釈迦の螺髪や菩薩の宝冠などに糸に団子結びを作る「相良繍」を用いています。

また釈迦の頭上の糸の暖色の配色グラデーションは見事です。

 

当作品は過去の修理による間違いと痛みについての補修修繕を平成24~27年の間に行っていますので見事な出来栄えを拝することができました。「痛み」の原因は虫食いと線香穴だったそうですが、拙寺のお軸にもそれと同様にみられるところでローソクなども付いています。

実際に堂内で御本尊の如く崇敬を集めていたことが思えます。

 

「相良の女子」にちなみ、先日沖縄慰霊の日に「平和の詩 いきる」を朗読した中学生の女の子「相良倫子(さがらりんこ)」

さんという書生さんがいました。

私どもも沖縄に滞留していましたがその苗字「相良」には初めてで驚きました。

 

その朗読の上手と内容の立派さ健気さに感動しさらに詩の中の

「今」の連発と特に「今を一緒に」に「ドキっ」とさせられたわけですがその「いきる」は当流の「慶讃法要」のテーマでもありますのでここにそれを「私も忘れまじ」ということもありまして全文を転記させていただきます。

 

相良倫子氏 「いきる」

 

「私は、生きている。/マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、/心地よい湿気を孕(はら)んだ風を全身に受け、/草の匂いを鼻孔に感じ、/遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。私は今、生きている。私の生きるこの島は、/何と美しい島だろう。/青く輝く海、/岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、/山羊(やぎ)の嘶(いなな)き、/小川のせせらぎ、/畑に続く小道、/萌(も)え出(い)づる山の緑、/優しい三線(さんしん)の響き、/照りつける太陽の光。

 

私はなんと美しい島に、/生まれ育ったのだろう。ありったけの私の感覚器で、感受性で、/島を感じる。心がじわりと熱くなる。私はこの瞬間を、生きている。この瞬間の素晴らしさが/この瞬間の愛(いと)おしさが/今と言う安らぎとなり/私の中に広がりゆく。たまらなく込み上げるこの気持ちを/どう表現しよう。/大切な今よ/かけがえのない今よ私の生きる、この今よ。

 

七十三年前、/私の愛する島が、死の島と化したあの日。/小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。/優しく響く三線は、爆撃の轟(とどろき)に消えた。/青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。/草の匂いは死臭で濁り、/光り輝いていた海の水面(みなも)は、/戦艦で埋め尽くされた。/火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、/燃えつくされた民家、火薬の匂い。/着弾に揺れる大地。血に染まった海。/魑魅魍魎(ちみもうりょう)の如(ごと)く、姿を変えた人々。/阿鼻叫喚(あびきょうかん)の壮絶な戦の記憶。

 

みんな、生きていたのだ。/私と何も変わらない、/懸命に生きる命だったのだ。/彼らの人生を、それぞれの未来を。/疑うことなく、思い描いていたんだ。/家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。/仕事があった。生きがいがあった。/日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。/それなのに。/壊されて、奪われた。/生きた時代が違う。ただ、それだけで。/無辜(むこ)の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

 

摩文仁(まぶに)の丘。眼下に広がる穏やかな海。/悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。/私は手を強く握り、誓う。/奪われた命に想(おも)いを馳(は)せて、/心から、誓う。

 

私が生きている限り、/こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。/もう二度と過去を未来にしないこと。/全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。/生きる事、命を大切にできることを、/誰からも侵されない世界を創ること。/平和を創造する努力を、厭(いと)わないことを。

 

あなたも、感じるだろう。/この島の美しさを。/あなたも、知っているだろう。/この島の悲しみを。/そして、あなたも、/私と同じこの瞬間(とき)を/一緒に生きているのだ。

 

今を一緒に、生きているのだ。

 

だから、きっとわかるはずなんだ。/戦争の無意味さを。本当の平和を。/頭じゃなくて、その心で。/戦力という愚かな力を持つことで、/得られる平和など、本当は無いことを。/平和とは、あたり前に生きること。/その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

 

私は、今を生きている。/みんなと一緒に。/そして、これからも生きていく。/一日一日を大切に。/平和を想って。平和を祈って。/なぜなら、未来は、/この瞬間の延長線上にあるからだ。/つまり、未来は、今なんだ。

 

大好きな、私の島。/誇り高き、みんなの島。/そして、この島に生きる、すべての命。/私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

 

これからも、共に生きてゆこう。/この青に囲まれた美しい故郷から。/真の平和を発進しよう。/一人一人が立ち上がって、/みんなで未来を歩んでいこう。

 

摩文仁の丘の風に吹かれ、/私の命が鳴っている。/過去と現在、未来の共鳴。/鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。/命よ響け。生きゆく未来に。/私は今を、生きていく。

 

 

 

 

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2018年

7月

31日

古代刺繍を見に行く 奈良国立再訪 いとのみほとけ 

逆走台風12号は九州南部に停滞といいます。

自然世界、そのようなコースを辿る台風などありえないというのが教科書通り。その真逆の事が起こるというのはまさに地球の自然環境がぶっ壊れている証拠。

 

ぶっ壊したのは我々人間。よってその自然に人々が苦しめられるということは因果応報なのか・・・

シミュレーションによれば数十年後の夏の気温は40℃超えは普通になるといいますので、その数字は人間に向かって「いい加減気がつけよ」とも聞こえてきます。

 

昨日は仕入れた桜を植えてざっと剪定と本堂前から駐車場までの掃除。

まだまだ墓地内までは手が届かず片付けは要継続。

植物も生き物ですからねぇ、この夏いよいよ繁茂の様子です、伐採もしていかなくては・・・。

 

先日の奈良弾丸日帰りツアーの目的は以前ブログでも記していましたが奈良国立博物館での「いとのみほとけ」展でした。

展示全体、無理してでも行って良かったと納得することができましたが各展示物の中で3点ほど主に目指したものがありました。

それが

1に聖徳太子の「天寿国繍帳-(上宮聖徳法王帝説)」

2に當麻寺曼荼羅の修復完成後のお初とリメイク

3に相良繍(さがらぬい)の現物

です。

1は高校時代に日本史の教科書にてその存在について教わっていたものの実物を拝見する機会はありませんでした。

2の曼荼羅は5月に行った當麻寺本堂のうす暗い中(ただでさえ目を凝らしても判別できなさそう)、少々消化不良になりましたのでその解消(ただしその本質に辿り着いていません)。

また天寿国繍帳の「天寿」とは極楽浄土世界でしょうがいかにもイイ言葉。

當麻曼荼羅は観無量寿経物語で、ともに阿弥陀浄土に関わるものですね。

3の相良繍に関しては特に感動させられました。

 

「天寿国繍帳」は推古天皇が聖徳太子の奥方「橘大郎女」(たちばなおおいらつめ)の願い(聖徳太子讃嘆)を受けて作った「帷」(とばり)の残欠のこと。

621年の12月に太子の母親の「間人皇后」が亡くなった翌年の春2月に太子が亡くなって「橘大郎女」が嘆き悲しみ、「太子の往生の様子をみたい」と発願したそう。

 

もとは✖4文字で400文字、百の亀が記されていたといいます。

著名な亀の図の4文字「部間人公」の銘文は「間人皇后」を指しています。

展示物は「残欠」刺繍ではありましたが、デザイン的に十分に面白く、「どなたか既にパクッテるかも・・・」と思わせるなど斬新性に富んでいました。

 

⑤は修復された當麻寺曼荼羅の阿弥陀さん部分のアップ。

あの明るい展示室であっても目を凝らすばかりでした。

⑥は再現もの。コレを見てようやく構成がわかりました。

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2018年

7月

30日

夏季小田原の墓地には花が無し 私は植木の仕入れ

「変な台風」12号の通過した後の朝は「雨よりも風の方」の強さを感じました。

木々の枝葉が千切れて飛ばされて境内も周辺もゴミだらけ。

セミたちも大分やられたよう。あ奴らの体形は強風対応にできていません。

 

本堂や庫裏、懸念していた木塀など無事で安堵しましたが、先日誤って傷つけてしまった枝垂れ桜の幼木は遂にダメになりました。

 

聞くところによれば周辺長時間の停電区域もあったようで、冷凍ものを取り扱っている商店はダメージを受けたのではないでしょうか。停電するエリアは「毎度お決まり」のような気がしますが気のせいでしょうか・・・

また、「小屋が崩れた、屋根の一部がめくれた」等の事案もあったとのこと。

いずれにせよ被害は些細で私の住まう「相良」という地は恵まれていることをあらためて感じました。

私にとって「牧之原市」なる名称はやはり「クソ喰らえ」であります。

 

ダメになった枝垂れ桜は本来のカタチではないのですが(「再生」は諦めました)気持ちの問題、同種のものを購入して「再現」の方向で動くことにしました。

本来は台風一過の晴天を期待して境内とその周囲の清掃をするはずでしたがまったく天候はコロコロ変わる猫の目状態。

路面が乾かなくては掃き掃除もままなりませんからね。

 

ということで午前の法事を済ませてから浜松の「浜北営農緑花木センター」へ向かいました。噂に聞いて訪れましたがそちらに行けばまずは所望する植木があります。

問題は枝垂れ桜は3点在庫がありましたがどちらも2m近くと少々大き目。

「えいやぁ」で購入しましたが車は息子のセダン。

助手席を倒すなどして雨交じりの中汗だくになって何とか詰め込み帰宅。

息子は留守にて少々の掃除を頼んでおきましたが、もし3人でノー天気に植木を購入しに来ていたら酷いことになっていました。奥方は後部座席に居て、車中なのに藪の中の如くと。

軽トラで来るべきでした。

 

さて、先日は小田原2カ寺の墓参りに行きましたが奥方はそれに関して、「お花は今あるもので・・・」など献花の心配をしていました。

ところがそんな心配をよそに小田原に参ってびっくり。

墓地内の墓石のどちらにも花は添えられていませんでした。

私どもは持参した花を花入れに差して焼香して逃げ帰ってきましたが、きっとコレは「夏の間はお花はナシにしよう」というお達しがあるものなかと思ったのでした。

 

それにしても不思議です。

夏は花の命はあっという間ではありますが、そのような手抜きはアリなのでしょうか。

私は「花が枯れて朽ちた姿もまたヨシ」(私たちのいのちもまたおなじ)と教わったものですが・・・。

これではきっと「暑いから墓参りも省略・・・」になるかも。

お花代が勿体ないから・・・それとも花ガラが朽ちて汚いから?掃除が面倒だから?いろいろと理由はありそう。

まぁナイのもナイなりにスカっとしていて悪くはないですが・・・

 

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2018年

7月

29日

昭和17年築にして重文 俳聖殿 芭蕉の旅姿 

台風12号は昨晩21時頃が当地最接近。直撃は免れましたが意外に風が強く、明るくなってからどのような状況になっているのか少々心配・・・。特に前回倒れた本堂北側の街路に面した木塀。

 

午前の法事は晴れ間まで広がっていて台風などどこ吹く風の躰、有り難くも参列者皆笑顔で終了させていただきました。

事前の台風情報からすれば下手をすればずぶ濡れ覚悟でしたから。

午後からは池新田の叔母宅にて街灯の蛍光灯を取り換えたあと一番に怪しい木戸の緊縛をしてから帰宅、家に籠りました。

 

さて伊賀上野城の公園化した域内は模擬天守に忍者館そして芭蕉関連2件の建造物があります。

松尾芭蕉は伊賀上野の人としてその出自を地元では誉としていますがその作品を企画モノで紹介する芭蕉翁記念館そして松尾芭蕉を祀る俳聖殿です。

 

その俳聖殿の威容は特徴的で「芭蕉の旅姿」を表現しているそう。驚きは昭和十七年の建造物であるにもかかわらず国の重文指定となっていることです。

 

「時鳥」といえば夏の季語。当ブログでもかつて登場していました。

芭蕉はその鳥の名を自らの句で三十余も登場させているそうですがお気に入りのところ大いに納得します。

後世「聞きなし」といえば各地にその鳥の鳴き声に感情移入させている伝承を聞きますがあの声は情緒的。特に夜に鳴くその声はその気分を増長させます。

 

「時鳥 鰹を染に けりけらし」は夏の季語が二つ。

「鰹は1本もらったよ」のブログでも登場させましたが

目には青葉 山ほととぎす 初鰹」の季語三つの句を思い出します。

「鰹の真っ赤な肉質は時鳥が吐いた血で染まったのだろう、いやそうにちがいない」

 

口の中が血を吐く如きの真っ赤な時鳥は明治の俳人正岡子規が自らの病、結核からの喀血を自虐的に時鳥の異名の「子規」と名のりましたね。

昭和十七年というと戦時下、あの建築物が建てられたということは凄いことだと思います。おカネの力なのでしょうね。

皮肉にもその年は正岡の友人柳原極堂が創刊した俳句誌「ホトトギス」(正岡の俳号「子規」から)が廃刊した年です。

理由は「紙がない」だったそう。

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2018年

7月

28日

超暑い中 親鸞さんのイチョウにアゲハチョウ✖2

高温続きで直射日光のキツイ場所というのは蚊の襲来が無くて特に境内ではイイ気分。

あの連中は外に出て吸血したくても暑くて飛び回れないといいますから笑わせます。ザマぁ見やがれです。

誰が日陰に入ってやるか・・・ですね。

そうともなれば私が即餌食となりますので。

 

しかし昨日は台風12号の影響で朝から「暑くな~い」という状況。よってあ奴らは大喜びで集ってきました。痒さで暑さ2倍以上の感覚となります。

 

台風の上陸予想の地点は大分紀伊半島よりになったことで「直撃はないだろう・・・」と楽観しつつありましたが、そこのところ自然に敬意を払わなくてはなりませんので当初の予定通り植木鉢の片付けと本堂の戸を閉め閂掛けまで。

勢力的に大した脅威にはならないのだろうというのも本音ですが・・・。まぁそういうスタンスでいると往々にして痛い目に遭うのですがね。ただし東側からやってくる台風はそうはありませんからどうなるものかわかりません。

東から西に進む台風などは通常は有り得ませんね。私が気がかりなのはいずれどこかで「東に進みだす」こと。

その際は温帯低気圧になっているかも知れませんが、そうなれば2度同じ低気圧に見舞われるということ。往復ビンタになるかも。

 

先般の被災地方面への通過予想がされていますが大した雨でないことを願いたいものです。

「弱り目に祟り目」(~無残・無常)なる諺がありますが、再びの水害などあの状態の被災地に対応のしようなどないでしょう。

今節は「ノーガード」の如くですから。早めの対応を心がけていただきたいですね。

 

さてブログでも何度か記していますが生物世界において「暑い夏」は「いのちの謳歌」です。「夏は暑いもの」、当たり前なのです。

先日は結構なデカさのアオダイショウが玄関前に出現したのには驚きましたがあんなものが居るということで外ネコ「舞鶴殿」が夜間家の中に入りたがる理由がわかりました。

 

昆虫類、特に今夏のセミの繁栄は著しく早朝のその耳に入る激しさは筆舌に尽くしがたいものがあります。

とまる木が不足しているのか植木鉢のハイビスカスにて鳴き喚いています。

 

①②は殆ど半日以上の間あのポーズを決めていた揚羽×2。

境内ムカデ等忌避すべき生物の襲来もありますが微笑ましい画像です。

父が植えた「伝 親鸞さんお手植えのイチョウの子」に張り付いていました。

この木は秋に銀杏をつけだすようになりましたのでそれはそれで今後楽しみではありますが、どうしても高木に成長するため「その頃いったい誰が剪定するの・・・」という心配がありますね。あとのことは「子にまかせる」。それしかありません。

 

彼らは「やがて死ぬ」ことを知っているが故に気張っています。それを知らずにに自分はすべてを知っているが如くの高慢が人間(わたし)というところ。

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2018年

7月

27日

なんとなく伊賀上野城に墓石たち 皆は忍者屋敷

文科相のお役人さま、川端殿がご接待(収賄)を受けて逮捕されちゃった報が出た昨日、またも残りの死刑囚6人皆殺し。

何か八つ当たりの如くに感じます。

殺しのハンコをついたお偉いさん、殺人犯として死刑判決を受けているという大義名分はあるのでしょうが結果的に「人殺しには殺しで」の権力の機械的処断であって仏の道を伝える私としては、法務大臣他、後で糸を引いている関係者各位、一生の間中その結論を出したことを反省していただきたいと思います。

 

世界からみた日本は「野蛮人」の烙印は決定的。もういいい加減考えましょうよ。死刑囚の中には罪を悔い反省している者もいましたよ。

マスコミ各局は前回の反省から淡々としていましたが・・・。

 

続けざまに高級・高給役人が賄賂にて逮捕された事は重大事件。

責任の取り方としてもうそろそろ文科大臣殿はお辞めになった方がよろしいのでは。

「万死に値する」なる恐ろしい言葉がありますが、そういった国民というものをコケにする役人どもにこそ厳しいお裁きを願いたいものです。毎度同じことをやらかすのですから反省というものが無いのでしょうね、あのお役人たち。

そして「捌く側が裁かれる」とは何とも気持ちがイイ。

ただし彼らは国から命は奪われませんから安心。

もっともあの連中は「出世」が命。それは既に「無い」に等しいようなものですが。まぁ勝手にやってくんな~ですね。

私には関わりのないことです。

 

 

それにしても苦虫を潰したのは台風12号の予想進路。

昨日軽口を叩いたのをどなたか聞いていたのかわかりませんが、

ピンポイントの如く御前崎周辺になっていました。

通常西寄りからの上陸になりますが今回は東からの進路。

どのような風と雨になるのかわかりませんが、午後からは対策作業にかかる予定です。

 

さて、先日の奈良弾丸ツアーの帰り路に寄ったのが伊賀上野城でした(場所はこちら)。「帰り路」の適当な場所ということでどなたかが「忍者博物館」と挙げた事からです。

実際にそちらへ向かう段になって奥方が「どういう顔をしてこの男が忍者村へ」と私の動向をうかがっていたと言います。

 

実は「伊賀忍者博物館」がお城の近くにあることは知りませんでした。以前真冬に上野城へ来た時(またはこちら)、そのような看板は目には入っていたのでしょうが、まったく記憶の外。

実際にその外観を見て「へ~え」と思った次第です。

奥方ほか皆さんは756円なる入場料金を支払って台湾出身のスタッフによる屋敷の仕掛けのあれこれを聞いたそうですがそれほどの繁忙さというものは感じず、ウリの「忍者ショー」はその日はお休みだったとのこと。

先日も米国発フェイクニュースが世界を駆け回ったという報がありましたが、「年収900万円以上」で外国忍者を雇用するなどいうパワーは外観からも感じることはできませんでした。

 

時間の無い中、選択肢は限られ私の優先順位の中にはその「忍者」は入りませんので勿論パスさせていただきました。

前回は凍った天守と堀をうろつきましたが今回は炎天下のそれを復習。

①~⑤は前回と同じ位置から。

江戸期以降の城内に墓石がある例はありませんが、この城域は戦国期からのものです。

 

 

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2018年

7月

26日

小田原日帰り 墓参ツアー 天候不順 私の好き嫌い

昨日は朝食を抜きにして朝昼兼用の小田原の松琴楼のうなぎを目指しました。

母方実家の菩提寺とお世話になった知り合いの墓前へ「日々感謝御礼」の合掌が主な目的です。

 

毎度の松琴ですが、あらためてこちらの人気振りを実感しました。12時30分に到着すれば満席で外待ちでした。

神奈川県内に入っての東名高速道路上は集中豪雨の如き悪天候でしたがそれを引きづって市内は小雨交じりでの天気。一瞬間でしたが外待ちは閉口させられました。

 

12時36分には②の看板の通り。

昼食時間は「1400時まで」とは記されていますが「鰻がなくなり次第」とありました。