2019年

9月

17日

奇妙なカタチ あたご灯籠 浄瑠璃寺手前の小径

横浜は朝から小雨交じりとの報せ、そして台風被災で苦しむ房総半島にはかなりまとまった雨が降っていました。

テレビの画像からはブルー(シート)に染まった屋根たち、そして雨漏りにそれを受け溜める入れ物が置かれた家の中の様子が映し出されていました。

天気のこと(台風も昨日の降雨も)で「致し方なし」とはいうものの「無情の雨」は被災者に追い打ちをかけた感がありました。周辺では千葉方面以外あのような酷い雨になっていませんでしたからね。

 

この三連休からボランティアの受け入れが始まり千葉県民限定でその募集があったようです。

「屋根のブルーシート張りお願い」に応えたボランティアの方だけではないでしょうがこれまでに30人以上が落下等によって怪我をしているよう。

失礼な言い回しですが、度胸1本でお気楽に梯子を使って屋根に上るのはよろしいのですが他人様の屋根仕事を善意で行うということは何よりも自身の「完全なる安全」の確保が前提です。

ただでさえ「忙しい」時に先方様の手を煩わせることになりますからね。

 

臆病者の私ですが高いところだけは度胸が据わり、これまで本堂ほか庫裏、会館、土蔵にて屋根屋のお仕事の真似事はしてきましたが、テレビの映像で見るような無鉄砲はさすがにやりません。

ヘルメットだけは付けていたもののまったくの丸腰の様でした。

屋根の上で風に煽られるシートと重たい土嚢を振り回して自由に仕事を進めるには自身確保は基本。私ならハーネス+部材を装着してどちらに落下してもいいようザイルを2本用意しますね。

まぁそういった「ガチャガチャ」(各機材の総称)を使用したいだけの話かも・・・

また墜落して怪我をすれば「余計な事をして・・・」と笑われかねません。

そう大袈裟ではないにしろせめて安全帯の気休めは瓦職人は付けています。

 

テレビ映像の丸腰姿は結果的に役所が「度胸と善意の勝る方」に声を掛けてそれに応じた方々の様子だったということなのでしょうが(要は殆ど素人さん)、あの高所作業の光景が公然と映し出されていたのに対し、果たして別のお役所(労働基準監督署)のご評価にご指導は如何なるものなのかうかがってみたいところではあります。

また、ボランティアにて怪我した場合の保険は・・・などと考えてしまいました。お見舞い程度?それとも自己責任?

 

安直な高所作業のボランティア募集に安全管理無視ともいえる姿勢があったとしたら法的問題も含むと考えますが・・・

 

さて、久々南山城の「当尾」。

あの「わらい仏」から「唐臼の壺」と続く道を「東小田原随願寺跡」を右に見ながら浄瑠璃寺方向に向かえば道端右の停留所の前に「あたご灯籠」なる一般的な灯籠のカタチとは違いながらも一応はシンプルな火袋のある「灯籠」が目に入ります。

 

愛宕社につきもののカタチのようですが、火炎のカタチなのでしょうね。「火」への畏敬を表しながら夜道の案内の役目となるものでしょう(場所はこちら)。

しかし私的には滑稽というよりも「気味が悪い」方ですね。

 

上記「わらい仏」ブログでは令和決定の号外発行の珍妙な図について記していました。

先日の都心で盛り上がっていたマラソンの選考会のあった日に奥方は有楽町駅を歩いていましたが、その結果を報せる号外新聞を配っていたそう。

何の騒ぎも「さもしさ」もなかったそうで「それなら」と1部頂戴してきたとのこと。

 

0 コメント

2019年

9月

16日

私の一番は肉彫線刻宝篋印塔 石仏の路 百毫寺 

昨日も井戸が気になって何杯もバケツに水を汲みました。

一昨日は一時的に水が汲めただけだったなどということも大いにありうる事でやはり心配。

どちらにせよこれから井戸の使用頻度を高める必要がありますね。使用しないとイザという時に使えなくなるほど部材が劣化してしまうようで。

 

あの井戸から汲み上げた水は「飲料不可」という件はかねてから父親等から耳にしていて、私は口にする気などはさらさらありませんが、最初の2杯くらいは毎度水の色が黒いのです。

 

これはマンガン成分が多いということでしたが、私のずっと若い頃の井戸水はその手の濁りはありませんでした。

当時と言えば井戸水を飲んでいた時代ですね。

 

ちなみにここ数年聞かされている地元の噂の類ですが「井戸水を飲むと癌になる」という人がいます。理由は「原」から流れる肥料と農薬ず悪さをするとのこと。

私の使用目的は緊急時の洗い物や水洗トイレに使用できればと考えていますが、風呂水としての使用はその噂を真に受けると少々引き気味になりますね。

 

まぁオリンピック、トライアスロンであの腐敗臭の中を泳がされるよりはマシでしょうが。ドブ色の異臭漂う東京湾に一生のうち一度たりとも入ろうという気は起こりませんね。

水に入って体を動かせば「お腹いっぱい」になるのは当然の事。体にイイはずあろうものか・・・。

 

真っ当な運営者ならばトライアスロンに関して「東京」に拘ることはむしろ危険だと考えるところでしょう。

自転車競技が伊豆で行われるようですがそれに関連付けて伊豆や駿河湾で開催するくらいの発想が出てこないところが痛いですね。

 

湾の中は大きく攪拌されないためどちらであっても汚いというのは当然ですが駿河湾に限っていえば黒潮の流れ、外洋が近くて深海も迫っていますので比較的水はキレイですね。

県内各海水浴場としても優良のお墨付きが出ています。

勿論東京湾や江の島辺りにありがちな鼻にとくる生活排水の臭いはそう感じません。

ランで都内を走らせる事(念入りな東京のアピール)を想定しているのでしょうが、机上でアレコレ考えるより、実際にあの海を前に五感を働かせてみてください。

もう知事さんには感じていただいたでしょうか。

 

東京湾岸に海水浴場がありましたっけ?「汚なすぎ」で遊泳禁止と思っていましたが。そんな海に世界から来る一流の競技者を「浸け」てはイケないでしょう。

何しろあの汚水同然の酷くの臭いを放つの海に「自分が浸かる」事を考えてみたらよろしいのでは。それが出来ないからその程度の仕事・・・

私がもしエライ人だったら・・・いっその事「トライアスロンは宮古島でお願いしちゃいます」と一声あげますがね。

 

キレイな場所を世界に発してくれた方が余程その価値というものがあるでしょう。

トライアスロンの東京は世界に恥を曝すことになるかも知れません。

汚水の中を泳がされて「病気になった」と訴えられたりして・・・前代未聞の恥ですね。それは大いに想定できること。

「トーキョー」はさすががにムリがと・・・。

科学・医学の面からデータを集めて「不適格」を提示してくだされば・・・。聞く耳を持たない習性も致命的。

まったく「五輪」の語に墓のイメージしかありませんね。

 

さて百毫寺の境内はさして広くはありませんが、散策に石仏と石塔たちのお迎えがあります。

時代的にはお寺に伝わる発祥とは後の世になってからのものになりましょうが、十分に楽しめます。

一番のお気に入りは線刻の宝篋印塔です。

あの手のもので五輪塔を彫ったものはよく見ますがやは彫りという低コストのものでも五輪塔よりは手間がかかるでしょうからね。

時折、現代の墓地で五輪塔や宝篋印塔の石塔を目にしますが、「自然石に線刻」がセンスがイイと勝手に思っています。

今の墓地では見かけませんね、線刻にレリーフ。

0 コメント

2019年

9月

15日

無知 ピストンと「木玉と革」 井戸ポンプ修理

涼しくなるとともにあっという間に日も短くなりました。

これから私にとっては下り坂まっしぐらの心境。暗くて寒い冬は人の生死に繋げてしまいます。

また昨年はインフルエンザという初めての病の苦しみに遭遇しましたので今年はその再現だけは避けたいところです。

 

問題はいつ予防接種を受けるかですね。

2月までその効力を維持させるとなれば12月に入ってからがベストですが、あの沖縄では8月からインフルエンザ患者数の上昇について言われていましたので常識というものが通用しないというのも現実(気温や湿度関係ナシか)・・・

そしていくら以前とは違う画期的な薬ができたからと言って一旦は40℃の高熱でうなされなければなりません。

よってワクチン接種によって「罹っても重症化は許してくれるかも・・・」と(またも「私だけはたすかりたい・・・」)思案中。

 

私はこの時節、先方御自宅の法要で風邪をもらってくるというジンクスがありますので、12月~2月は自宅法要を避けていただければありがたいのが本音。

かといって本堂は極寒世界で先方様が気の毒ではあります。

しかしながら人が居るところにはウィルスはつきもの、本堂にはまずそんな病原菌は居ません。

 

さて、昨日記しました通り3連休間の宿題、どのようにして井戸のポンプを修理するか・・・朝から「ナイお頭」をひねっていました。

私は大抵の物とその仕組みについては理解しているつもりでしたがこの今回の井戸の手動ポンプいじりに本腰を入れてて、はじめて何も知っちゃあいない自分というものを見ました。

まったく初めての経験で勉強になりましたね。

 

「水を吸いあげない理由」についてはわかりましたので手っ取り早く手動ポンプのハンドルに直結しているピストンを取り外してみました①②。

 

腐食が進んでいること、エアが漏れて役立たずになっていることはスグ判別できました。そもそも木製というのが驚き。

パイプに接するピストン周囲に布のようなものがグルリと釘打ちされていました。

一見したところ「イイ加減でデタラメな作りと構造」で、誰かのやっつけ仕事かとも思いましたが、とにかくコレと同じものを再現してみようとサイズを計測を始めました。

 

その前、このピストンを外している際、檀家さんの金物屋さんからそれを見て「電動ポンプ(約10万円)にしちゃいなさい」とのアドバイスがありましたが、それでは無意味。

この無用放置だった井戸に手を付けようとの発想は停電等の災害対策ですからね。今回の千葉台風を見て思い立ったワケで。

電気が無いというところからスタートしなくてはなりませんからあくまでも「手動」にこだわらなくては・・・。

 

次にそのサイズの計測をしながら「素材は何で作りなおそう」と思案していると今度はその金物屋さんと親類にあたる金物屋さんがたまたま声を掛けてきて「こりゃまた珍しいことを・・・」と。

「これから3日かけて作るところ」と説明すると「そりゃあ大変」とニッコリ。

そしてそれと同じもの、それもまったく同等のものが商品としてあること、そして「店に在庫している」ということも。

ただしこの商品は最近は需要が無くなり以前より滅法「高くなった」ということでした。

 

多少の金額が張ろうが3日かけて完成させてそれがうまくいくかいかないかもわからない「未知の物」に期待を抱くよりも「ハイコレ」の如くいわゆる「渡りに船」の提示に載らない手はないですね。

 

ということで即購入しました③。

一旦水に浸けましたが新品です。ボルト締めして「ハイ完成」④。

呼び水を2~3杯、バケツで突っ込んでポンプアップすると⑤の如く。

ピストンの交換に要する時間は数分、何という時間と労力の節約。この品物との出会いは偶然とはいえ阿弥陀さんに感謝した次第です。

私の欲しいものが瞬時に提供されたことは奇特ですね。

 

尚、ピストン本体が木製だったのはそれこそ本来のもので正式には「木玉」と呼び、その周囲に釘打ちされたものが「革」といいます。

 

木を使用することは水分で膨張させて「密着性を高める」とのこと、結構に曖昧な世界でした。

「革」は消耗品で交換ができるとのこと。「木玉」もパーツとして単品で存在するようでした。

実はこのポンプの仕組みと部材について私は初めて知ったのでした。

 

特に木玉の上部にある「弁」の存在も。

あの弁の有無が水の吸い込みに関わるのですね。

作りとしてもどう見てもファジー、こういっては失礼ですが鶴瓶の時代からすれば文明の利器だったこれが一世を風靡した時代があったのでした。

 

「鶴瓶落とし」(おろし)といえば今の使用としては秋の日、あっという間に日が暮れることとして使いますがそれとは別に「鶴瓶落とし」は各地方に伝承する妖怪の名でもありました。

特に丹波地方にはその鶴瓶の伝承が残っています。

 

⑥画像は当ブログ再掲ですが、気持ちとしてはあのスタイルは格別。

あのようにあればお寺らしくて完璧なのですが・・・。

屋根を作って井戸の縁を取っ払い転落防止の枠で囲むという一大工事と出費になります。

作ったら作ったで子供が落ちそうでハラハラしなくてはならないでしょうね。

 

⑦⑧は丹波道の駅の図。

先日秋の味覚の栗を奥方の御注進を無視して購入しましたがやはり、栗といえば丹波栗を思い出します。

奥方の言う通り。値段も格別ですが。

 

0 コメント

2019年

9月

14日

百毫寺本堂と万葉の碑 高円の野辺の秋萩

この連休中は当地はじめいたるところでお祭りが開催されるよう。毎年同様の事ですがその間に法要を入れる家は皆無です。

かといってフラフラっと車で飛び出したとしても祭典の神輿の通行止めにひっかかってイラっとさせられること多々。

境内雑用に励むとしましょう。

ちなみに息子の方はしっかりと法務に勤しむそう。

 

例年ならば小田原へ墓参に行く機会としていましたが、今年は奥方が別件で単身東上しますので今回はパスということで。

 

「千葉大変」の無策長期化はまったく気の毒な事です。

千葉以外でも惨禍を味わっている所は各ありますが、どうやら「些末な事」としてスルーされているのかも知れませんね。

人は自分に関わることには大いに関心を抱きますし、メディアの動向に影響されがち。報道がなされなければ「なかったこと」にされてしまうのですね。

 

お上としては口をそろえていつもの「想定外」の語を予想通りに並べていたことはこちらとしては「想定内」。保身の言葉「想定外」。エライ人がされを使うとそう感じてしまいます。

 

三連休の3日目は雨予想になっていました。

再び台風が北上する気配ですね。

今回の件で政に頼ることは「できない」ということはカンペキにわかりました。

やはり早め早めの対応を「自分たちで」心がけなくてはイケませんね。

 

たとえば手っ取り早く飲料水に食料。賞味期限を考えてしまいますからガッツリ買いだめは利きません。

そして電池(電源)・簡易コンロ等々。

私は念のため車の燃料は満タンにして井戸の水量を確認しておきます。手動ポンプがぶっ壊れていますので水が確認できれば修理しなければ・・・

尚、「念のため」とは「今」の私の「心」。

事前の準備こそ「私のため」になるということと勝手に。

 

尚、奥方の大多喜町の親類の家は昨日電気が開通したとのこと。「1週間後かも」とアナウンスされてその日のうちに開通したとなればうれしさ、ありがたさは数倍増しでしょうね。

「スグにでも開通」と言い触らしておいてそれが繰り延べ順延になったとしたら怒りは倍増。

そこのところ、人間の心理と行動をよく理解いただかないと。

それにしても「2週間以上」レベルとなればまるで絶海の孤島に流されたようなものですね。

 

さて、百毫寺は元は天智天皇の皇子、「志貴皇子」の山荘があったといわれ境内には皇子死したあと笠金村(かさのかなむら)が詠んだといわれる万葉歌碑が建っています。

 

昨日ブログは春先の図で階段の脇には椿の花が見えましたが、こちらは椿もそうですが「秋は萩」というのか定番のよう。

主の死という無常に接してあの地の秋に必ず咲く萩(不変)についてやはり自然世界は変わらないのだろうという悲哀溢れる達観なのでしょうか。

 

皇子は天智の7番目の皇子で(父が天智天皇ということもあって)政世界からは隔絶したいわゆる文化人。

ところが彼の没後かなりたってから彼の息子が光仁天皇として即位したために死後大いに讃えられ天皇名を贈られた(追尊)人でした。

 

本堂は画像の通りですが、阿弥陀如来ほか諸仏像たちは「宝蔵」と呼ばれる新造の建物に納められていました。

 

0 コメント

2019年

9月

13日

高円山中腹 百毫寺の参道 「天国への階段」を

千葉大変は想像以上に長引いています。

台風15号の通過以来その苦境にある人たちを尻目に同じ首都圏、そう遠くにはない永田町ではお歴々の皆さんたちは笑顔(大臣になって名誉~時におカネ~を得た?歓喜)のオンパレード。

イイ気なもので現在進行形被災者数十万人の件、「そんなこと どこ吹く風」の躰でした。

「国民の不幸は私の不幸」のスタンスが国政ギインさんのあるべき姿と思っていましたからここでも毎度の驚きがありましたね。「そんなこと、そんなもの」なのでしょう。

自分たちがハッピーならすべてヨシ。

 

あそこのタレントあがりの知事さんもどうなんでしょうか。

職業的差別はしてはいけませんが県民が長期の間苦痛に悶絶している姿を目の当たりにしていて、行政トップの手の打ち方、アナウンスは適切だったのか。

東京のお隣の県で品物は溢れているはずなのに・・・

 

あのゴルフ練習場の鉄柱も撤去が進まないようですが、行政は民事不介入とノータッチの様。そこを何とかしようというのが行政の手腕というものでしょう。「指導」というものをカタチだけでも・・・といったら語弊がありましょうが、「何もしない」というのはねぇ。

ややこしいことに顔を突っ込まないことが基本というのはわかりますがね。

 

傍から見ているばかりの皮肉屋の私で申し訳ありませんが、こればっかりはどうにもなりませんので、その苦難の数々を「次の私たち」の糧にし「漫然」を改めていきたいところですね。

しかし私の場合は殆ど「おまかせ」。

自然災害は一過性ですから。

一休さんではありませんがいずれは「どうにかなる」(心配するな)。

 

被災者の皆さん、所詮は他人事としか聞こえない言葉でしょうがあと少しの辛抱です。

せめてバハマを襲ったハリケーン並みの台風でなくて良かったと。次は私たちの番でしょう・・・。

その時同情していただければありがたいですね。

また「禍福は糾える縄の如し」ですよ。

 

 

さて、滝坂の出入り口は奈良の中心地に近い場所。

まさかあの大混雑の裏側にあのような「原始林」が広がっていてたくさんの石仏たちがお迎えしてくれるなどと想像がなかなかできません。

その滝坂に歩を進める前には高円山の中腹にある百毫寺へどうぞ。私が歩いた時は椿の季節の終わりかけでした。

参道階段は明るく長さも程々。まさに輝いているが如く。

 

Led Zeppelin の「天国への階段」を勝手にイメージして門を潜って振り返れば、まぁそんな気分にもさせられました。

その歌詞に「There's a feeling I get when I look to the west」(西の方を見やれば私にはある思いが生まれ・・・)とありますね。

私は西方からは阿弥陀さんの声ですが。

そういえばお寺の本尊は阿弥陀さんでした。

 

この曲の詩にある「階段」とは「黄金の階段」でそれを「買う」という謎の女の人が出てきますね。不思議なところです。

なんでも光るものは「ゴールド」と信じ、カネさえあればいかなるものも(「階段」であっても)手に入れられるということ、人間の欲深さ、そうあっても結局は天国(死)に向っていることの皮肉なのでしょうか。

カネ(名誉)を抱いてあちらには行けないよ・・・。

 

まぁ日本にはこういった示唆に富んだ歌詞の歌謡曲はありませんね。聞く人の自由は言うまでもないことですが。

一番に驚くのはやはり「西」の件でした。

 

⑧はかつてあった多宝塔の跡。

百毫寺は明治維新後に例の廃仏毀釈でボロボロにされていたところを長州出の藤田財閥、藤田伝三郎が手に入れたといいます。

まぁあの歌詞の「階段」と同じようなものです。

自分の別荘に移築しその趣を独占して楽しんだのでしょう。

その手のものを引っ剥がして持ち帰ることのできる財力に驚かされますがそれ以上にそんな権威を恣意的に振舞えるそのバックボーンとやらにも・・・。

 

結局は後世その宝塔は焼失させてしまっています。

明治維新が無ければそのような大富豪は生じなかったでしょうし、宝塔はその雄姿を今も奈良市中にアピールしていたことでしょうね。

 

人の行いは往々にして空しい。

何よりおカネを大枚スーツケースに入れて天国(いや地獄かも)に向かえやしないのですから。

無くても少々困るがあったらあったで大いに悩ましいおカネ。

私は手ぶらでお浄土に迎えてくださることになっています。

 

0 コメント

2019年

9月

12日

夕日-日没-西方浄土は阿弥陀さんか 「夕日観音」

奥方の千葉の親類はたまりかねて娘の家に転がり込んだそう。

昨日も記した停電と断水生活からの脱出行ですが、待てど暮らせど再開の目途はたたず脱出したと。

ペットの犬も同行とのことですが、私どもがもしそうあったとしたらネコどもの同伴はムリでしょうし、ただただ耐えるしかないでしょうね。

 

春夏秋冬の各時節、電気と水が無い、自動車の燃料や灯油が無い、飲食物が無いのナイナイ尽くしを今シミュレーション。

その時「さぁどうする」を突き付けられているようです。

まぁ「次は私」を念頭に入れて生きる事が肝要ですね。

頼れる者があればイイですが基本、安全と安心は自分で確保しなくてはなりませんね。

しかし「準備を」と一言に言っても何事もコストは高くつきそう。心の準備はできました。

 

さて、昨日の寝仏の標識の近くには「夕日観音」とも。

この寝仏の上の崖には地蔵3体+1体の摩崖仏があってこの看板はそのことを指しているのかと思いました。

これより前に見た「朝日観音」を対にしているようでもありこの地蔵の列に不可解を思いましたがその摩崖仏の直下まで上がって少々川下側に歩を進めて見上げるとこちらを見下ろす眼差しを感じました。

 

かなり上の石の塊に仏の姿が確認できました②ので「もっと近くに」とばかりに崖を上がりました。

こちらが「夕日観音」ということでしょうが、観音ではなく立ち姿の阿弥陀さんでしょう。

時間は早朝でしたが、本当にこちらに夕日が差し込むのでしょうか。きっとどちらの仏たちも後付けの名称でしょうね。

 

尚、私はこちらの仏の足元まで辿り着けましたが⑥画像の如く設置されていたトラロープのおかげです。左側サイドの緩斜面から回り込みました。

複数の人たちで上がるとなれば崩した石で下方にいるグループメンバーや相方に直撃しないように細心の注意が必要です。

まずは自分自身の安全が第一となります。

 

ちなみにトラロープはモノを縛ったりするには不向き(テンション掛けにくく硬くて痛い)で使用としてはこの手の案内ラインか通行止のアピール程度。

特に手摺り案内の使用には軍手の着用が必要かも。

 

まぁそもそも遠方下方から合掌してその恩徳を喜ぶというのが阿弥陀仏礼讃のスタイルですので私の場合は「近い!近すぎる!」だったわけで。

そもそも阿弥陀仏のカタチは化身、目に見える「仏像」は「仮」の姿でした。

 

0 コメント

2019年

9月

11日

崖から落ちて転がった? 寝仏と地蔵たち 春日山

奥方の親類は千葉の大多喜町に住んでいますが台風以来ずっと停電が続いているとのこと。携帯電話の充電は車からといいますが、不便はそれだけにとどまらないでしょう。

当たり前の利便が突然享受できなくなったらそれはそれは辛いでしょうね。

風呂は電気の通じている娘の家に通っているそう。

その手の頼み不在の方たち、特に年配の方は一層の苦痛を強いられていることでしょう。

大規模な停電はどこにでもありうることですね。

まともな対策、電柱を撤去して電線を地中に埋める等考えて行かないと・・・

やはりとりあえずの対策として発電機の用意について思い浮かびます。

ちなみにその息子は浜松にて一人住まいをしていますが、先般の大雨で車が水没しています。まったくツイていないよう。

 

さて、今日も春日山の滝坂。

朝日観音」からさらに滝坂を下ります。

そのまま下れば百毫寺の脇に出られますがそこまでは行かない途中に「寝仏」の標識が右側に立っていることに気づきます画像②③(場所はこちら)。

目の前に崩壊したような石コロと大き目な石がありますので目を凝らして周回。

当初はサッパリ「何の事やら」の疑いの目でしたが、慣れるとようやく仏が浮かび上がってきました。

なるほど寝てました。ということで画像を90度修正⑤

「寝仏」なる名称がいつ頃から言われているのか知りませんが要は摩崖仏が崩れて落ちたこと理解できました。

 

 

その上には摩崖地蔵仏が。

この下をうかがっているかの如くありました⑥⑦。そのまた上の崖にも⑧。

このあたり一帯に石が転がっていますがもしかして他にもこういった崩落した摩崖仏、バラバラの石コロと化した仏があるような気がしますね。

蹴飛ばした石ころが地蔵の頭だった・・・、などありそうなこと。

 

0 コメント

2019年

9月

10日

朝日が当たるから「朝日観音」 でも実は弥勒+地蔵

台風の被害はただただ通過コースによって変わりますね。

当家の場合はいつもの大雨と同じ2ヵ所(庫裏と新設物置)の雨漏り以外は大目に見ていただけたようでした。土嚢袋を用意しようとしてその設置を忘れたシャッターも大丈夫でした。

 

「嵐」は気まぐれな「空気の塊」の移動ですから微妙な変針があるのは当然でしょうが、気象庁が大層なコンピューター解析をして数時間も前にルート予想を発表してくれています。

そんなワケでそれに信頼を寄せる私などは早い時間から高をくくっていられたのでした。JRほか各路線も同時に「止まるし動かないかも・・・」と発していました。

 

それでも台風は陸が近づくと上陸を嫌がるように寸前に東寄りにブレたがるのか予想(当初の予想は悲観的、静岡中部)より相当東にブレて実際の上陸は千葉でしたね。

その後は案の定というかお決まりの首都圏交通網の寸断の状況。「電車は止まってますよ」のニュースが出ているにも関わらずどちらの駅も行列ができていました。8時から動くかも・・・の推測が独り歩きしていたようで・・・

 

それにしてもサラリーマン諸兄の悲哀を感じたと同時に一昨日の法要のお斎の締めに施主が歌った「スーダラ伝説」を思い出しました。

「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ~」は大いにわかるところですが、その歌詞の通り「責任」などから離れられればいいのにね。

「こつこつやる奴ぁ~ ごくろうさん」でしょう。

本当に「ごくろうさん」としか言いようがありませんね。

 

まぁあれだけ予想が早く出されていて交通が乱れることはわかり切っていたところ、「月曜は休み」の英断が発せられなかった会社経営者の無能とそのボスに付かなくてはならない自身に残念を感じるのみでしょう。

まだまだ「這ってでも出社」「それこそ会社の鑑」といった旧態で古流な風潮が残存しているということでしょう。

臨機に動けない組織など・・・お先真っ暗。

 

当家奥方は昨日は渋谷にて色々の予定がありましたが先週末の段階で「月曜はキャンセル」と先方に連絡していました。

学校なども早々に休校になっていましたしね。

 

バカバカしいほどの無駄な時間と社員の疲弊が予測できない者に「経営」などできるはずもなく。

とかいう私の無責任は誰もが認めるところですが・・・

 

責任・無責任といえば千葉の東京湾岸に近い市原のゴルフ練習場のフェンスが倒れて民家数軒を直撃大破させた件には特にまた驚かされましたね。まぁ世界にみっともなさを露呈させたのは「成田空港1万人足止め」でした。成田空港に対応能力なし。

気を聞かせた飛行機は羽田に向かったとも言いますが客としては有難かったでしょうね。

機長の臨機ですが今誰もが思うのは「羽田がイイ」ですね。

 

 

ネット支柱の倒壊は怪我人まで出していますので「業務上過失傷害」の刑事事件を思いつきますが民事でも「何件建て直すの」と唖然の躰。

 

いくらかは保険の対応もあるかも知れませんが「自然災害」との理由は通らないでしょう。

構造物の管理「無責任」は画像からうかがえました。

折れ曲がった支柱の塗装が剥げた部分は錆びだらけでしたからメンテ不良・・・管理不足の一端が。

 

私のサラリーマン時代に関連会社のゴルフ練習場に何度かお邪魔したことがありましたが支配人から気象の変化には敏感で特に大風が予想される際はネットを降ろすことが肝心であると仰っていました。

あのネットの重量と受ける風は半端ではないからですね。あの手の施設では常識ともいえる事でした。

 

要は営業を日曜午後には中止にできなかったのかネットの降ろしが半端だったかですが、保障が出来ないといった場合は何故に降ろさなかったのか、過失無過失を争うことになるでしょうね。

 

拙寺の西側の槙の大木が倒れた場合、これはナイとは思いたいですが境内物損の保険でどこまで通用するのか一応は再検証しなくてはならないですね。

自然災害の免責は承知していますがしっかりした管理(定期的剪定)と瑕疵の不在を証明しなくてはなりませんから。

何より近隣関係をギクシャクさせたくありません。

 

今回の15号の如く東京湾を直撃した例は珍しい事。

毎度毎度痛みを味わう九州から東南海のエリアをズレてその地区の人たちは「ホッとした」ワケです。

そして勢力は955hp(ただし「非常に強い」のカテゴリー)ではあったものの大きさ的にコンパクトだったことは実際に被害にあった方は気の毒なことですが大局的には結構ラッキーだったのかも。

 

これから緯度の高い場所への大型台風の直撃が増えるのかも知れません。これも温暖化なのでしょうね。

また台風が発生しそうで当然ながらやってきます。

「想定外」の言い訳は無いようにしたいところ。

 

さて、春日山の首切り地蔵から滝坂の石畳を進みます。

ここで私は迷って右上の林道に進んでしまい無駄な歩きをしましたが、滝坂はこの首切り地蔵の向かいにあるトイレの脇を川沿いに進むことになります。

 

すると右側の崖に摩崖仏が。

「朝日観音」とよばれています(場所はこのあたり)。

この谷間に向かって高円山の頂きから差し込む朝日に照らされることから名づけられたといいます。

とはいえ仏は「観音菩薩」ではなく中央が弥勒菩薩、左右が地蔵といいます。文永二年(1265)と。

その頃は石畳の敷設はありませんでした。

2 コメント

2019年

9月

09日

突然の出現2度驚く 春日山芳山交番所 高山神社

施主が心配されていた法事(昨日)は無事終了。

何せ台風15号の進路が当静岡方面にあって天気は限りなく怪しかったですからね。

台風の通過タイミングですがたまたま昨日の昼間の接近は避けられて御一同ハッピーな様子。お斉はカラオケ大会の様でした。

開式を30分ほど早められたのは東京方面から来られたみなさんへの配慮だったのでしょう。

 

午後夕方近くにJRの運休や高速道路の通行止めの報がありましたが、何とかなったのでしょうね。

夜間8時過ぎに遠州南部に「竜巻と突風のおそれ」と発令されましたが、台風上陸地点は伊豆半島以東、相模湾辺りになりそうです。進路の西にあたる当地の風雨は「軽め」が予想されます。

果たして東京湾岸の橋梁・道路・建築物の耐力について見ものではあります。

 

今のところ大雨恒例の停電も庫裏の雨漏りもありません。

台風明けの「ドP感のスカっ晴れ」が楽しみですが、各片付けに追われるのだけは勘弁してほしいですね。一つ懸念材料を記せば車庫のシャッター。土嚢袋を置こうと考えていましたがてっきり忘れていました。あとはおまかせ。

 

通過進路になりそうな奥の墓道氏と息子の住まう横浜は・・・さてどうなるでしょう・・・墓道氏は「楽しみだ」の軽口を叩いていましたが。

 

さて、春日山原始林をうろつく際私は自家用車を乗り捨ててというかあの「新若草山ドライブウェイ」か「高円山ドライブウェイ」なのか迷いますがそのドライブウェイのちょっとした路側帯のようなスペースに駐車して「滝坂」の石畳を歩きだしました。

 

首切り地蔵の辺りで迷ってあの小川とは違う林道を進むという大失態をやらかして迷い、また放置した車両も不安になって「ドライブウェイ」までその林道沿いに戻りました。

そこで驚いたのが交番があったこと。

「芳山交番所」とありました。「芳山―ほやま」ですね。

 

森の中に交番があるということにも驚きましたがそれは私がこの先の道に車を停めてきたことに対して御咎めを受ける可能性が高まったというおそれを感じたからです。

しかし林道入口を閉鎖するためだけの施設であると勝手に納得し(不在でした)車の様子をチェックして今一度石畳を降りました。そして一通り歩き回った後この交番の前を通って再び驚き。

今度は中にお巡りさんが・・・

 

あの時、「面倒だから林道に車で・・・」などと一瞬間このゲートの突破について頭をよぎりましたが「浅はかな事をしないで良かった・・・」などと胸を撫でおろしました(私が駐車した場所からこの交番までは一方通行となりますし)。

 

要は1回目の無人の交番は時間外だったということでしょう。

そもそもドライブウェイの開業時間ではありませんからね。

新若草山と高円山のドライブウェイの名称の違いはこの交番で区切られているのでしょう。

 

②③画像は高山(こうせん)神社の祠。

春日大社の末社「春日奥山五社」といわれる小さな神社が散在しているようですがそのうちの1つ。

林道の脇に見えました(場所はこちら)。

尚滝坂石畳は地図には出ていません。

ドライブウェイ春日山石窟仏」の掲示板下(交番の先右側)からとなります。

0 コメント

2019年

9月

08日

土塁と堀の調査と各イベント予定 田沼意次生誕300年

昨日は台風前の絶妙な好天。

午前の法要の施主は法要後気仙沼へ「台風と一緒に帰る」とのこと。20人乗りのカツオ船で「暮らしている」そうで、殆ど海の上の生活。今回は法要のための特別下船。カツオの1本釣りの船です。

 

お斉では当然「私の知らない世界」について根掘り葉掘りと質問攻めとなります。

小笠原諸島に硫黄島に今話題の西ノ島。小笠原父島では待避所、救護所として寄港することがあるそう。一度は行ってみたい場所ですからね。

 

何といっても噴煙を上げている西ノ島の「成長」の過程を見守り続けているというのがスゴイ。

ジンベイザメの半端ないデカさにイルカの伴走どちらも時間と大金を払わなくては体験できないことばかりでその当たり前の日常に羨ましさをも感じてしまいました。

 

その方の母上は硫黄島にも上陸したと。

やはりそちらは観光ではなく亡くなった親族のお参りとのこと。

墓の中身は現地から持ってきた石の様でした。

その件で私の浮ついた気分は吹っ飛んでしまいましたね。

 

気がかりだったのは確実にカツオが少なくなっていることがわかるといいます。

資源としてのカツオはやはり最近の大小度外視の一網打尽の漁法で減少しているようです。

単純な質問「小さなカツオは何にするの ?」を投げかけると

「加工品」(主にペットフード)になるとのことでした。

 

夜間の「見張り交代2時間」についても興味津々。

私ならまず居眠りをしますからね。

2時間たっても交代に現れない人は必ずいるそうで、そんな時は「起こしにいく」とのこと。

昼間くたくたに疲れているので仕方ないそうですが、居眠りも出そうで恐ろしい・・・

しかし目視だけではなく、レーダーが中心。

そして接近する船舶があるとアラームが鳴るシステムになっているとのこと。それならボーっとしていても気が付きます。

 

京急線で踏切衝突事故がありましたが、信号ではなく運転席にアラームが鳴り響いて同時に自動ブレーキでもかかる仕組みがあれば今回のような大事故は避けられたのかも。

むしろそういったシステムが無かったことに驚きましたが。

船より恐ろしい京浜急行、昔からあの快特ズッ走りに「怖い」を思う人はたくさんいました。

船だったら沈没でしたからまだマシなのかも・・・。

 

さて、昨晩は順延されていた「灯籠流し」が萩間川で開催されました。かなり規模は小さくなっていましたが毎度の顔ぶれがお揃いでした。

ただし「若い衆」不在の人手不足は否めず、事前に水面に浮かんで演出する灯籠の設置は省略。

画像は流しはじめ直前の画像ですが、台風の風が海から吹いていておそらく逆流しそうな感じがしました。

まぁその方が回収しやすく好都合かもしれません。

 

②③④は田沼意次生誕300年イベントの色々(→サイト)。

③④のパンフレットは昨日教育委員会の松下氏に届けていただきました。

 

また「かつおは半分もらったよ」ではなくてまたもまるまる1本いただいたの図。生臭坊主ですみません。

ネコどもにも剥き身のおすそ分け、大喜び。

五六八(いろは 左画像)はさすが野良出身、生魚大好きです。

ネコも趣向それぞれで「加工品」(カリカリ)専門もいたり鰹節が一番と言う者も。外ネコの舞鶴殿は何でも食べるので太り気味です。

0 コメント

2019年

9月

07日

「忠」付きをアピール 本多忠晴家墓域 標識更新

マキの垣根のちょっと気になる箇所をやっつけてから昼食を兼ねて掛川まで奥方に同行。

まさに昨日の青空は心中ウキウキにさせました

「秋なのに夏」という不思議な感じで8月のキツイ暑さとは違って爽やかさがあるのです。

ただし相変わらず境内で会う人からは「暑い」のフレーズの連呼がありました。

 

帰宅してから満載だった剪定材を空にした軽トラの荷台に外の駐車場に並べていたハイビスカスの鉢を積もうと準備していれば静岡の秋野氏が来訪。

ちなみにハイビスカスは台風15号対策です。

あの台風は日曜に限りなく静岡に近づくという進路予想が出ていますので事前に。

 

秋野氏は以前(2008年)撮影されたという種子島産の砂鉄から作る鉄砲(全国火縄銃大会)の様子を映したDVDを持参してくださいました。

そして6日の「静岡新聞」に秋野氏の投稿が載ったこと、棚草の雲林寺の棚草本城山の今川様に行って帰りに正林寺の義忠の位牌にお参りした事等々、やはりこの「秋なのに夏」を謳歌してきたよう。タンクトップから出た二の腕は真っ黒でした。その新聞を買ってきて投降に目を通しましたが氏の齢は何と75歳であることがわかりました。元気の秘訣をここでも垣間見たところです。

 

先々月に小堤山の本多家法要について記しましたがその情報源はやはりその秋野氏からでした。

昨日その話の中で墓地の「案内標識」が更新されたという情報を得ましたので、ちょいと見に行ってきました。

 

行ってなるほど、見事でした。

秋野氏が以前の案内標識には無い「忠勝」(他は下のサイトマップからどうぞ 「ctrl+F」で検索)の名を入れるべきとの注進を教育委員会にしていてこのほどそれが成果として表れたとのこと。

 

新品の標識にはしっかりとその名が。

やはり本多といえば「忠勝」でしょう。

その名を入れるかどうかで歴史好きへのアピール度はかなりアップするでしょうからね。いずれクローズアップされていくのでは・・・田沼一色お祭りムードの相良で「それを言っちゃあおしめぇよ」ではありませんが、田沼意次と本多忠勝とでは格の違いは圧倒的ですからね。

 

以前の掲示板はこちらです。

本多忠晴墓域は小堤山の南側斜面中段に並べられていますが②

開削整備前といえば墓の向かいの森の中にありました。

旧駿遠線のトンネルの上といえばわかりやすいですが、そのトンネルの北側に黄檗宗の宝泉寺がありました。

明治維新の廃仏毀釈の際にその宝泉寺が廃寺になったあと石坂周三がそちらを拠点としていました。

 

「秋なのに夏」の景色として今一つ、③の雪の無い黒い富士山ですが、だいたい真夏には富士山はそうクッキリ見えないものです。昨日は暑い中にあって空気は澄んでいました。

あまりにも心地よく室内に居ることが勿体ないと感じました。

 

最後の三枚がマキの垣根。

最後の画像が剪定前のもの。

ブーゲンのピンクの花が少しばかりですが咲いてくれています。あちらは陽当りもあまりよくないうえに墓参の皆さんが余った水を撒きますので、コンディションが悪いようです。

 

看板についてケチをつけさせていただければ、「本多忠勝」の名を行を変えずにレイアウトしていただければ・・・と思ったところです。

 

 

4 コメント

2019年

9月

06日

荒木又右エ門が斬った ? 首切り地蔵 春日山

イヌマキの垣根を伐りながら数日前に「今年は蜂の巣がないのはありがたい」と奥方に話したばかりでしたが、コゲラの来る槙の木に足場を移して「ついで」と言う具合に剪定を始めると「ブブブ」の異音。見上げればアシナガバチが一斉に巣から飛び出したところでした。

 

首を引っ込めながら急いで木を降りかけましたが一匹が頭の上より急降下して衝突。

髪の毛によって針は届きませんでした。よって何とかセーフ。

坊主頭でしていたら一発ノックアウトでしたから、「髪の毛があって良かった」と安堵。

 

十数年前ですが、やはり木の上で目の前にある蜂の巣に気づかずに彼らを怒らせて逃げ損ない、眉間に一発喰らったことがあります。

翌日には顔全部が腫れて会社を休みましたが、奥方の語り草「蜂に刺されて会社を休む男」の憎まれ口が久々に出ていました。

その頃2度骨折(足の指と肋骨)したことがありますが2度とも出社していましたので。

痛みには耐力がありますが、あのパンパンに腫れあがった顔で外を歩く気にはなりませんでした。蜂は黒目・眉毛・髪の毛等「黒いもの」を狙いますね。

 

それにしてもあの蜂の巣は異色。

枝先の風雨に晒されやすい場所にブラ下がっていました。気づかなかった私が悪いですね。

ということで作業は垣根だけ。

槙の木の剪定はヤメにしました。それが「やらない理由」になりました。

昨日も軽トラ一杯。

地頭方処理場にて一般家庭扱いで500円~700円程度になります。

 

さて、春日山裏の滝坂沿いの続き。

「首切り地蔵」なる名称が付けられた石仏があります(場所はこちら)。

例によってご丁寧にも赤い前掛けを着用していました。

どなたかの「独り善がり」と言っちゃあ何ですが、面倒くさいことです。

場合によっては一旦外してから「ハイ!ポーズ」となるところですがお地蔵さんは月並みな被写体ですからね。

とはいえ鎌倉期のものとのことですから、なかなかの代物。

「朱色の前掛け」はこの自然の中に「人の野暮」を思わざるを得ません。

 

看板には荒木又右衛門(鍵屋の辻)が試し斬りした伝承とありますが、「眉唾もいいところ」というのが所感。

ケチをつけるのもほどほどにしろとお叱りを受けそうですが、大切な刀で「石仏」を両断にするということ、少なくとも対象は「仏」ですからね。

 

まぁその手の石仏、巨石を刀で切った風の伝承は各所で出くわしますが。

その荒木の作り話については明治以降では? 

地蔵など石仏の首が飛ぶという事件はやはり廃仏毀釈を思いつきますね。

 

滝坂の石畳はその名の如く、春日山の谷を流れる小川に沿ってあります。

尚、この首切り地蔵の近くで突然遭遇した鹿には大いにビビらされました。

 

0 コメント

2019年

9月

05日

地盤情報ナビ見て一喜一憂 家を求めるなら一見を

昨日は垣根の剪定の続き。

処理場へ軽トラ1杯分搬入でおしまい。

左膝と右腕関節の痛みで外仕事はほどほどにしています。あと1回木々に取り付けば何とか恰好がつくのではないでしょうか。

 

休憩中にNHKの番組で「地盤」についてのいろいろを語っていました。

一般の住居に住まう方たちは勿論の事、大きな建造物を抱えるお寺にとってもその語は気になるところ。

地盤が悪いということは液状化するかも・・・との連想ですが、こちら相良の萩間川の作った扇状地の地盤(堆積砂と海岸の砂状)がイイわけはないのでしょうが・・・。

特に「私のいる真下」のベースが少しでもしっかりしているのかやはりヤワイのか・・・少しは枕を高くして寝たいものですからね。

 

それを検索するサイトを紹介していましたので、適当にクリック、早速わが町我が住まいについて眺めてみました。

 

その「地盤」検索についてのサービスは各サイトが公開していて慣れるのに少々厄介なところがありますが、見回せば結構面白くて時間が経つのも忘れるほど。

結局は「その時はその時」ということで内なる不安を胡麻化してこれもおしまい。どうこう騒いだとしてもどうにもならないことですから。

気持ちとしては拙寺は山から下りてきた歴史があるわけでそれについての「恨み節」を吐いたとしても詮無きことではあります。とはいえ、当初ご先祖様(今井権七)がやってきた菊川段平尾の下、耳川橋周辺を見た時、現在住まう方たちには失礼な言い回しですが、「余程こちらのがマシ」と思いました。

内陸部と思われる菊川の周囲は昔から川の氾濫や地盤軟弱性について言われていますがその地図では赤色になっていましたから。

それは地盤情報ナビというサイトでしたが、私の町でいえば萩間川下流に例の図書館が新設される大沢地区が「赤」になっていました。

 

結論はどこもかしこも危ないところはあるものでたまたまボーリングしたところにデータが残っていてたまたまその堆積層にそれを予測するような物が出てきたということで、地震があったからそれが液状化するとは限らないということ。

しかしその上に住まうとなれば、安定を望みます。

ああここでも「自分は助かりたい」ですね。

 

①②とも赤丸が拙寺。気休めにはなりました。

②画像は土砂災害の危険を重ねたもの。

汐見台はこちらでの浸水ヵ所を予想するものがありませんが、他のサイトにはそれを示唆する図がありました。相良の新興住宅地汐見台は湿田を改修したところで以前から「水が出る」とは聞いていましたからね。

 

汐見台の南側の丘陵にはそれ以前からある相良の高級住宅地というか別荘地と供される区画があって先般まで「100坪1000万円」の値がついていましたね。

以前は「津波から逃げる」ために近くの高台物件として羨望していましたが、コレを見た時「なるほどね」と喉のつかえたものが落ちました。

 

須々木の檀家さんであの段丘の真下に住まう方がいますが、「前は海、後ろは崖」とその土砂崩れにいて「尚恐ろしい」と指摘していましたから。

下に居る人も恐ろしければ上に居る人たちもこりゃあもっと恐ろしい。しかし知らぬが仏? 誰もわかりません。

実際はどうってことはないかも・・・

 

家などを建てることを所望するならば「地盤」のデータを考慮することは今は不可欠です。

私の場合はあるがまま。

海抜6mの地に高さ6mの避難所を建ててそちらを気休めの支えとしています。

2 コメント

2019年

9月

04日

あのとき京都を発ったその翌日 重文指定 真宗本廟

さぁ台風シーズン突入。

その前哨戦なのか秋雨前線は悪さをしています。

昨晩は息子と奥の墓道氏の居住する地域の水浸しについてテレビ画像を見ました。

車両はじめ住居への浸水があったようで、その後静岡県内にも大雨警報が発せられていました。

 

予報図には台風と熱帯低気圧、そしてそれらに発達しそうな雲の塊が太平洋の緯度の低いところでゴロゴロと発生していました。あんなものの1つでも直撃を喰らえば、「人生が変わる」ことになるかも知れませんからね。

温暖化を放置し、時に楽しんできたというフシのある私があの暴風雨に晒されるのは致し方ないのかとは思いますが、図々しく勝手とは思っても内心「今回も助かりたい」ですね。

9月7日は8月15日から順延された灯籠流しがあるようですが、また怪しくなりました。早めの御英断を。

 

大阪のお坊さんが法衣姿であおり運転をやらかして他人様に恫喝している様子がテレビほかネット上などでアップされていましたが、一言で凄い。

度胸があるというかある特殊な「生きざま」を見せつけられました。

 

若い頃「instructor」と記されたウェットスーツを着用したとき、まるでスーパーマンにでもなったかのような20%アップの高揚感を楽しんだものですが(同僚はそれを「魔法のウェットスーツ」に「インチキラクター」と)今、坊さんの生活として黒衣を着た際のスタンスは「冷静沈着」感をもって「-20%」があるべき姿と思いますが・・・。コレは「自分を殺す」こと2割ということ。

恰好にとらわれる事なく「ありのまま」を曝け出すことがイイのか悪いのか・・・事と次第ですね。

 

さて、今月号の同朋新聞の特集は真宗本廟(東本願寺)の六つの建物(御影堂、阿弥陀堂、御影堂門、阿弥陀堂門、鐘楼、手水屋形)に重要文化財指定のお墨付きを得ることになったということが(→新聞)記されています。

これは御門徒さん用の月刊新聞ですが実物は拙寺本堂にも置いてありますのでどうぞ。

 

また本山のサイトにもアップされていますが、日付は結構早い時期(5月17日付)で私はお恥ずかしいことですがまったく気づかずにいました。

その日と言えば今年のお寺のバス遠足で福井に一泊していましたが前日は本山で皆さんと大寝殿にてお斎をいただくなどウロついていたくらいでした。

 

この件、とてもよろこばしい事。

何せ「禁門の変」に長州勢に火を放たれて以来の苦難の道を歩んだお東の御門徒さん。

てっきり明治以降の建築物とあってそのような指定はあり得ない事と思っていましたので・・・。

私の一押し、大寝殿前の菊御門は2002年に指定文化財としての登録はありましたが・・・。

大切に後世に繋げていかなくては・・・

 

0 コメント

2019年

9月

03日

古来より人の頭を悩ませたもの 送蝗 蕉園渉筆  

午前は先送りにしていた静波墓苑の除草作業へ。

境内に戻ってからはこちらも遅々として手を付ける事が無かった鐘楼手前の槙の生垣の剪定に着手。

午後2時頃まで限定ということで始めました。

ボチボチやる気持ちで取り敢えず脚立を持ち出しましたが、夕刻からは通夜の出仕がありましたので・・・

 

地頭方の処理場に伐採した枝葉を持ち込みますが、帰りは滅多に使わない比木に下りる道を選択しました(→比木城山)。

ちょうど比木の加茂神社の前に出る道です。

最近の田圃の状況は一律ではなく、既に刈り入れ済のものもあればまだまだ未熟のもの、あるいは先日の豪雨で倒れてしまうほど実ったものなど色々です。

昨日はあの辺りで「只今収穫中」といった場面が2件ありました。

 

画像は①の杜が比木加茂神社(場所はこちら)。

②がその逆側からの図。刈り入れ済みでしょうか。風車のある丘の向こうに処理場があります。③は近くの畔の左右で生育(品種?)の違う田圃の図。④は静波墓苑の1カット。

 

さて、この田圃の稲の生育を見て感じるのが、今の時代の収穫量はとても安定的であってまた色々な種の選択や収穫時期の変化を試す事などができるということ。

稲作で困難に当たることといえば日照不足に台風や水害など「自然の恵み」との裏腹にある人智を超えるもので今となればまぁ稀なケースかも知れません。そして自然相手の仕事ですからその辺りのリスクは許容しなくてはならないこと。

 

しかし、先日も記しましたが田圃に機械油が流入するなどの件は受け入れる側としては想定していないところでとても気の毒というしか言いようがありません。

加害企業からは許容してくれとは言えないでしょうし被害農家も許容などできようもなく。

一体どうなるのでしょうね。

 

ここでまったく事情も違えば意味もまったく違いますが、歴史上江戸期の稲作で「田圃に油を流す」ことはある手段として行われていました。勿論管理された技術の上での注入で油の種類も鯨油と菜種油が主。

 

その手段とは稲に付く害虫対策です。

それ以前となれば害虫の発生に関しての対応は殆どナシで水害と同様、自然現象の一つとして受け入れるべきものでした。

油膜で水面を覆ったのち稲穂についた虫を落とし油まみれにした虫たちの呼吸を止めてしまうという注油駆除作戦ですね。

最近では貝殻虫対策(水稲ではありません)で機械油を噴霧して油膜で覆ってしまうという防虫対策もありました。

 

ようやくに江戸期になって虫たちの自由にさせることは「私たちの不幸」に繋がる事であって何よりも「食」の供給を確実に断たれるということへの対策に着手したのでした。

「不愉快」どころかその虫の襲来こそが最悪の傷みであってご先祖様が忌避すべき最大のものだったのかと思われます。

 

そしてまたその「虫」の発生について人々は「祟り」的畏怖をもイメージしてその発生に人々の行いの因果を結び付けて「反省」を促す「祭り」を催したという歴史がありました(虫による実害防除と「厄除け」が合流)。

それが「送蝗」ですね。

蝗」は蝗害」なる言葉がありますがウンカやイナゴなどの稲を喰う虫のこと。

 

これが「虫送り」のイベントに繋がっていきます。

それは晩夏の季語にもなっている語ですがこの語は旧き良き時代の農村の「畏怖と慶讃(恵みへの)」、季節の風物詩でもありました。

いつしか農村の主役は交代し(不合理から効率・・・肥料と適切な農薬)その人々安泰の願いの表現は消えていったかと。殆ど安定的な収穫が当然のこととなったからです。

 

小島蕉園の蕉園渉筆の一文にその「送蝗」についての記述がありました。

 

「諸縣送蝗、用鐘鼓、近時少年輩競求大鐘、棚草村少年新造之、大過於他方、里正招而視之、少年誇而曰、諸縣無有焉、里正曰、実然也、如汝愚亦無有焉、奪而不与」

 

「諸(この)縣では蝗を送る(虫送り)に、鐘鼓を用いる、近時、少年の輩は競って大鐘を求む、棚草村の少年新たに之れを造る、大きさは他方より過ぎる、里正(村長)招んで之を視る、少年誇りて曰く、諸縣有ること無し焉、里正曰く、実に然り也、汝如き愚も亦有ること無し焉、奪って与えず」

 

棚草のオッチョコチョイの若者について記したものです。

まぁ、往々にして若気の至りとは大きいもの好き。

「でかい口」もそう。奇をてらった事、言葉でもって衆目を集めることがそう。

 

「戦争して取り返すしかない!」の毎度の放言をする件のお子様議員を思い出しました。

いやはや呆れるばかりでバッジを取り上げるしかありません。それこそ「虫送り」にしないとね。

 

 

0 コメント

2019年

9月

02日

春日山原始林滝坂ワンダーランド 春日山石窟仏 

クロネコ舞鶴殿に気を使って境内の除草剤散布は控えていましたがさすがに「酷すぎる」伸び放題に昨日は朝からの対応。

大雑把に3回戦(15㍑)を。ちなみに除草剤の散布は「雨が降らない」ことが肝要。好天に恵まれて、お参りの方々の第一声に「暑いねぇ」が復活していました。

ひと時から比べれば「夏は終わってる」感が漂っていますが。

一気に静波墓苑まで走ろうかと思いましたが、大工仕事が再び発生しているため次回という事にしました。

きっとそちらの方がおそろしいことになっているでしょう。

 

さて、昨日は「原始林」などいう語を使用しましたが普通で考えればその名は「大袈裟」の一語でしょうね。

仏教的な言い回しで記せば「無始以来~」といった所で、始まりが計れないほどの大昔から「そのまま」ということですから、今時「あり得ない」と思うのは当たり前。

 

そしてその名称に偽りなく原始の森が眼前に広がるというのですからまさにその名に偽りはありません。

 

ちなみに「無始以来~」は当流でいえば「無始以来つくりとつくる悪業煩悩を」です(「信心獲得」の御文 五帖-五)。

「他流の人に対して~」沙汰してはダメよ!と異例の言葉が付け加えられているものですね。

何せ「煩悩を断ぜずして涅槃を得」(修行しても無意味・・・)ですからね。

まさに私のためにあるような言葉でした。

 

その「始め」が遥か彼方の大昔でそれ以来「人の手が入っていない」というのがこの春日山原始林なのでした。

しかし、この原始林には奈良の「表側の仏教」とは一線を画そうとしたのか修行者が入って洞窟に住まい、石仏を刻んだという歴史があります。

案外、都と近いですから、食料の買い出しや知り合いの差し入れ訪問など頻繁にあり得る場所ではありますが。

そんな詮索はヨシにしてこちらには多くの遺物、「人の痕跡」を見ることができます。そういう意味では厳密な「手付かず」というワケではありませんね。

 

画像は春日山石窟仏(場所はこちら)。

昨日の地獄谷の彩色石窟仏とはそう離れていない場所です。

頭がない石仏は心無い輩の仕業でしょうか。

廃仏毀釈の暴挙も考えられます・・・。

やはりこちらも金網で囲われていますので撮影はうまくいきませんが、仕方ないでしょう。勿論拝観料の野暮はありません。

 

0 コメント

2019年

9月

01日

春日山原始林 拝観料タダ 極彩色の地獄谷石窟仏

豪雨開けの昨日は好天に恵まれ久し振りに遠くから生き残りの蝉の声を聞くことができました。

境内の蝉の合唱は今季は終了です。あれだけやかましかったのがウソのよう。

 

アース線が短かったためそれを延長しブロアの嵩上げ作業を行いましたがこれは例の浸水対策。

雨の吹き込みの方向によることも考えられますが、別のトイレのブロアに問題がなさそうなことからして、大雨が降るとブレーカーが落ちる原因は他にあるのかも知れません。

 

ショックだったのはこの夏仕上げた物置に雨漏りがあったこと。「こんなもんでイイだろう」程度で仕上げた屋根と側面の加工でしたが、雨の吹き込みが。

心当たりのある箇所に念入りに充填剤を突っ込みました。

いずれも結果は豪雨が来るまでわかりませんね。

 

さて、高円山の展望台は明るく開けた南向きになりますが私が今一番に「奈良の味わい」についておすすめする場所といえば「雑踏の真裏」、いわゆる「春日山原始林」です。

私は原生林歩きは嫌いではなく、かつては富士の樹海を歩きましたが、そちらでのトラブル含めての色々はブログにて記していたと思いますので割愛。

 

また「春日山の裏に原始林」が広がっているなどと記してもイマイチ、ピンとこない方もいらっしゃるかと思いますが、ハッキリ言って富士樹海と同等以上の「リスキーな森」です。

 

私の「おすすめ」ではあるものの、当然に危険を伴いますので散策はあくまでも自己の注意と管理について十分に考慮願います(奈良県のサイト)。

 

こちらの原生林は今は新若草山ドライブウェイが走っていますので苦労せずに車である程度は行くことができます。

スペースを探して停車させて歩きます。

本来ならハイキングコースを下から上がって来るのがベストなのでしょうが、私のような遠方から来た横着者はそれはムリ。

またその「下から上がるは」どうしても雑踏を抜けるというイメージがありますしこのドライブウェイはそもそも営業時間があってそれが朝の8時からというところ。

よって毎度朝6時には先方着到を目標とする私にはそのドライブウェイを正攻法で行くこともこれは無理。

 

たまたまこれはイケると見つけたコースが一昔前にあった柳生(疱瘡地蔵と徳政碑)街道(滝坂)に通じる現在の「峠茶屋」(場所はこちら)を目標にするコースです。

茶屋の手前あたりから林道の如くで不安になりますがそのドライブウェイに合流することができます。

 

合流して左折、高円山方向に約1㎞も行くと左側に駐車スペースがありますがそちらに「地獄谷石窟仏」の看板が見えます。

こちらがこの山で一番のお奨め歴史遺構ですね。

何より修学旅行生や外国語の飛び交う混雑の中に押し出されるように見物することを余儀なくされる観光地とは違ってまずはこの空気を独占することができます。

 

その時もどなたともすれ違うことはありませんでした。

そう意味からもベストなチョイスですが、仏たちのお出迎えに最近滅多にない感動を提供してくれます。

 

不届き者の出現もありうるワケで⑧⑨の如く金網で囲われています。

⑥⑦画像の如く倒木アリ、滑りやすい崖アリの難所。

尻腰が弱い方はキツイかも。

お寺の遠足は当然その選択肢にありません。 

0 コメント

2019年

8月

31日

大伴家持の歌碑「たかまどの」 奈良高円山から

なんという酷い天気でしょう。

そして夏の終わり方も。

前代未聞のように感じた長梅雨がやっと終えて、エンジン全開の夏かと思えば8月中旬からの秋雨前線の停滞によってこの短い夏は終わってしまいました。

 

夏嫌いの方たちはほっとされているところでしょうが私の場合はまったくこの季節は未消化。

気分は蝉と同じ、夏が終わると「死」のイメージに近いものがどうしても沸き起こってきます。

皆さんと一所に無事に春を迎えられることを願います。

これはまた一つ齢を重ねられるという栄誉が伴います(数え)からね。

 

昨朝も明け方の激しい雷と豪雨で目が覚めました。

梅雨時に庫裏の雨漏りで悩まされましたが数度にわたって屋根の「怪しい箇所」を補修してからの初の「豪雨」。

おそるおそるバケツを置いたその場に行ってみて安堵しました。何とかなっていたようです。

 

ところが相変わらず漏電ブレーカーが落ちてうんざり。

雨の中、怪しいと踏んでいる室外設置のブロアに直接雨が当たらないよう板を立てかけに行きました。

前に立てていた板は昔の裏木戸でしたが物置の観音扉の1枚にしていましたのでそういえば露出していましたね。

今度こそまともな漏電対策をしようと思います。

これから台風シーズンに入ります。

 

そういえばアメリカにはかなりデカそうなハリケーンが向かっているようです。何事もスケールの大きいアメリカ、被害も半端ないですからね。自然の猛威からはただ耐えるのみ。

 

さて、奈良の有名寺院などに足を踏み入れれば都会の雑踏と同じ。京都でもその傾向は強いものがありますが、奈良の東大寺・興福寺周辺ときたら、渋滞も激しく一度懲りれば二度とその轍は踏みたくありませんね。

しかし奈良の中心部でありながら「100対1」いやそれ以下と言っても過言ではないほどの人口密度の少ないそれも広大なエリアがあります。

 

それが春日大社の裏山から高円山にかけての森林です。といっても車で登ることができますので瞬時に雑踏世界から逃れることができる一押しのエリアですね。

一押しは春日山の原生林ですが、本日はそちらからの帰り道、高円山展望台からの遠景と歌碑を。

その山の展望施設(といっても道路わきの駐車スペース)には奈良の歴史に登場する山々が掲示板で紹介されています(場所はこちら)。

 

歌碑は万葉集で大伴家持。「秋」の歌。

万葉学者犬養孝による一連の万葉歌碑の一つです

「多可麻刀能  秋野乃宇倍能  安佐疑里尓 

          都麻欲夫乎之可  伊泥多都良武可」

                    とあります。

 

若い頃見た「変てこ集団」がよくアピールしていた当て字を連想する文字列ですが・・・。

読みやすく記せば

「高円の 秋野の上の 朝霧に 

            妻呼ぶ牡鹿 出で立つらむか」

 

私は春日山の朝霧と森に生息する鹿の空気を切り裂く大音声に胆を潰したことがありますが、それだけは大昔の家持の頃の奈良と何ら変わっていないことを感じました。

私も「お~い」と奥方を呼んで立ち尽くしますが鹿はまさか「朝ごはんが欲しくて・・・」ではないでしょう。

 

森の中で人を見た鹿が鳴くのは余所者侵入者への威嚇と仲間への警戒発令でしょう。

 

0 コメント

2019年

8月

30日

駿河―甲州の「さかなの道―中道」荒れる笛吹川

佐賀県在住の御門徒さんの顔が浮かんできますが今度の豪雨による水害には驚かされました。

お住まいのある唐津の方はニュースには上がってきませんので大したことはないとは思いますが、生活と移動に関してインフラもところどころ寸断されているようで難渋を強いられていることと思います。早い回復を願います。

 

語源は不詳ですが「六角川」なる河川の流域の水浸しについてテレビ画面から連日流れていますね。

「六角」という名がつい興味深い名称だけにマップ検索をして驚きました。

一言で奇異に感じるほど蛇行する河川でした。

河川の流れというものは歴史上付け替えを重ねていることが多いのでこの形状について、素人目に見ても氾濫を招きやすいのでは・・・と思いたくなりました。

 

特に大町町の流域の流れを見て「無意味な蛇行」を感じてしまいました。

おそらく歴史上の利便と有明海と内陸との傾斜の少なさから起こる塩水逆流を防ぐ意味もあったかと思いますが、台風・豪雨・大潮などの突発災害への脆弱性は露呈したままでしたね。

 

現在となっては個別の権利関係の複雑さからその河川のショートカットは難しかったのかも知れませんが行政は少々甘く見ていたのかも知れません。

 

こういう場合、大抵はあの責任逃れの常套句、「想定外」が発せられるものですが調べてみるとあの地域の水害ときたらこれまでまたぞろに経験されているのですね。

幾度も幾度も同じように水害に遭っていたのでした。

近年は河川の拡幅に堰と排水ポンプの増設によって対応してきた歴史があったようですがやはり今回の件を見ていずれも「付け焼刃」程度の対応だったと断ぜられても仕方がないかも知れません。

 

一応これは付け加えますが、この件何も佐賀県の皆さんに言い放っているのではありません。自然に対する「人間」というものの智慧の浅はかさについて言えることであって、当地に於いて津波対応として嵩上げしている堤防についても同様のことでしょう。

 

当初「コレはついていないなぁ」と思ったことは地元鉄工所の焼き入れ油が大量流出したことですね。

その流出によって自慢の排水ポンプの使用が出来なくなってしまったのでした。油の拡散を喰いとめるための対応ですが、それが一部地域に「油まみれの水没」を強いているようでした。

 

この工場の担当者もその「想定外」の言葉を発していて、当初は気の毒な事とは思っていましたが、実はこの工場の油の流出は前例があったのですね。

1度はしっかり「ヒント」(改善の)が与えられていたのでした。その時間的猶予を無駄にしたと考えるとその咎は軽くはないでしょうね。

 

おそらく金銭的にも相当のダメージを負うことは「想定内」。

油の除去費用に汚染された住居と農産物への損害賠償、何より有明海にそれが流出すれば(堰以外に小さな水路は無数にある)恐ろしいほどの漁業従事者からの補償請求が発生する筈です。

夜間には「海に出ちゃいました」のニュースがありましたね。

 

この事例を見て低地にある焼き入れ処理など油を使用する鉄工関係の事業所は今の施設の再考が急務となったことを考えないとイケません。

私のお世話になった日本発条の横浜バネ工場なども目の前が漁港ですので今回の事例により油の流出と汚染について「想定外」の言い訳はこれで通じなくなってしまいました。

 

水より油の方が軽いということは小学生でも知っていることですが、どうしても利便優先のため管理をカンタンにしがち。

開放したままの地上設置のプール(油)などザラのようですから。

 

可動式でかつ密閉できるものを思案しないとまた同じことが起こります。まさに盲点でした。

企業の経営を傾けさせないために、各最悪を想定しておくことが真の経営者ですね。

 

さて、画像は笛吹川。

「洪水」に関して特に信玄が洪水を阻止するために構築した堤として名高い釜無川とともに人々が苦渋を味わったその重みとしてはよく耳にする川の名です。

 

「上曽根の浜は昔の舟着場」の碑はこちらが昔の物流拠点であったことを示唆しているのでしょうが、辿る道がかつての「中道往還」(なかみちおえかん)。

「駿州往還(身延道)」と「若彦路」という駿河と甲斐を結ぶ二つの街道の「真ん中」ですから「中道」です。

少し前までは「中道町」という町名がありましたが合併によって消滅。

あの合併はここでも一つの歴史を消していたのですね。

そしてこの道こそ今川と武田のせめぎ合いの道でもあったのです。別称「さかなの道」とも聞きますが要は甲州路「塩の道」ですね。

 

そちらには「那口熊蔵顕彰の碑」と付近散在のものでしょう、集められた江戸期の石塔が建てられていました。

場所は国道140号線「笛吹ライン 中道橋南詰」近くです(こちら)。画像に中道橋が見えます。

碑の解説文の通り、明治期に彼が財産を投げうって橋を架けたことが記されています。

個人レベルの発想と熱意ある活動には昔から政治はかなわないものです。「無欲」ほど強いものはなし。

 

下図が佐賀六角川の蛇行。右方向が有明海。

次に大雨が来たらオイルフェンスなどもたないでしょう。

既に国レベルでの本腰を入れた早急の対応が成されないと手遅れになる段階かと。

日本全国この件、教訓とすべき、スグに動く事肝要。

 

2 コメント

2019年

8月

29日

三毒まみれのクソ坊主とは私の事 脱力感

あの盗人まがいの政務官上野殿はクビ(役職)になったよう。

 

理由としては当人の意向(体調不良)の如くありましたが裏で「強いアドバイスー任命責任者の保身も」があったのでしょうね。

ただしそれで一件落着と思うのは甘すぎますよ。

次は議員としてのお立場を再考願います。

ズルはしていなくともしようとしていたらそりゃダメでしょうよ。今度は一国民としてのアドバイスをさせていただくとすれば、早々に永田町から退場されるのが賢明かと・・・私なら「体調不良」など言わずにトンズラして姿を消しますがねぇ・・・。

腹黒いところがバレちゃったんだから。

それだけ「いちどやったらやめられない」オイシイ仕事なのでしょう、国会議員さんは。

 

真宗門徒として自らの腹の中の黒々とした闇(煩悩の数々)についてそれを否定するものではありません。

むしろそれらを持ち合わせていることが人間である証拠ですからね。

しかし坊さんとして三毒(貪欲・瞋恚・愚痴)のコントロールは一つの課題であることは言われていますが私は全くダメ。

諦めの境地です。

特に「瞋恚」(怒り)について心が抑えがたくなること多々あってそのような時、我ながらとても情けなく思いますね。

 

今、奥方か今プリプリと怒っていることは花ガラ入れに缶コーヒーの飲みかけのものを毎度毎度入れていく方がいること。

このルール違反に「信じられない」と。

その言に「自分含めて人間を信じているの」・・・と思うところありますが怒りについては大いに理解できます。

 

分別意識の欠落と、ここにそれを入れたらそれを処理する人の仕事が増えることへの無配慮への疑問ですが、まぁその件「しょうがないねぇ」ということで異臭を放つ中おさめてもらいます。

たった独りの「缶コーヒー好き」のためにキレていても仕方なし。また静岡人は緑茶でしょ。

 

そして先日以来私が閉口したのは駐車場敷地での排便と墓地への廃テレビ投げ込みでした。

人には「怒っちゃダメ」といいつつもその件唖然呆然、怒りなどを超えて悲しくなりましたね。

その前は不自然な姿のネコの死骸も捨てられていました。

一昔前は人の死骸も投げ込まれるようなことがあるのが寺だったとは聞きますからこの程度ではお笑い草かもしれませんが。

 

お寺には法務以外の雑務が多いのです。

いずれも今回「なんでコレを・・・」とつぶやきながら処理しましたが奥方は物事に「なんで、何故」は「言うべからず」と逆に私に言って聞かせてくれますので、まぁニヤリとしながら淡々とやらせていただきました。

とにかく不満(毒)は相互にフォロー補完して淡々と。

 

まぁ一言言わせていただければお寺はゴミ捨て場ではないのですが、それを言っても「仕方ねぇか・・・」です。

そしてもう一つ、駐車場のそれは防犯カメラの真下。

次はプリントアウトして掲示板に張り出しちゃいますから(ブログにも?・・・)。

肖像権なんてクソ喰らえなんて言ったらダメですかねぇ?

仏罰は私が落とすものではありませんからね。

 

余計な雑務抑止のためにはもう2つ3つカメラを追加しなくてはならないのかも知れません。

時代がそうさせるのでしょう。これも仕方ないですね。

 

画像は上記のうち墓地に投げ込まれたテレビモニターの図。

一瞬、お金を支払ってでも家電屋さんに持ち込もうと考えましたが、今回はこちらをバラバラにすることで気分を抑えました。

家電三品目は処理場では受け入れ不可ですので要は廃プラと金属ガラにバラバラにしてしまって受け入れてもらうという荒業です。

昔のテレビと違って液晶モニターならカンタンですね。

 

しかし降ってわいた「廃品処分」は気が進みませんね。

本堂裏にもカメラを設置すればとの指摘がありますがその前にボサボサの草だらけの状況も何とかしないと。

同じ雑務でも好きな方向にはヤル気が出ますが・・・

2 コメント

2019年

8月

28日

秦野田原の香雲寺 北条家臣団大藤氏墓域

昨日に続き本日も厚労省の悪口。

「年金制度は大丈夫」(「2000万円ないとダメ」に対して)のリップサービスはやっぱり参院選対策の上辺の口上だったのでしょうね。

横浜市長が市長選の直前になって例の公営賭博場の件「IRは白紙です」と言っておいてから最近になってから「やっぱやる」と転換したように言うのと同じでしょう。

ちなみに牧之原市のそれはとっくに撤退が決まっています。

お騒がせでした。

 

年金といえば60歳で定年退職したら60歳で支給されるというのがそのイメージでしたが最近は定年を延長させたり支給開始を65歳にして尚70歳そして75歳・・・などとどんどん遅らせる選択肢を設けていますね。

そして昨日出された年金の件(財政検証)、経済成長率が最も高い推測して考えても将来の給付水準は今より16%下落し、成長率が横ばいだと3割弱も低下するとのこと。

現在の60歳まで働いて65歳で年金をもらう額の年金を今の20歳の人がもらうには68歳まで働かなくてはならないといいます。

結局お国の「長寿社会」への対応は無策だったということなのでしょうね。

 

いつもながら私の考える事は国から「死に待ち」されているということ。「年金支払ったらさっさと退場してほしい」というのが年金を支払う側の本音でしょう。

 

それを「死亡期待値」と勝手に名付けますが、どのくらいの年齢で死亡し、あるいはどのくらいの人たちが亡くなっていけばお国としては御の字なのか一度その数字というものを見てみたいものです。厚労省はその辺りも試算しているはず。

 

長寿社会と耳に親しいですが、まだまだ一番悔しい60代の死など

珍しくないですからね。やはり一部の健康長寿を勝ち得た人の福祉なのでしょう。生きたもん勝ち・・・。

みなさん無茶(タバコと酒と博打)をやらずにバリバリ長生きしてください。

それらすべて「お国のため」になることばかりですからね。

国にとって不健康こそが徳、長生きは不徳なのです。

国益?それはあなたや私がいい頃合いで死ぬこと。

 

さて、以前「秦野の波多野」の波多野城について記しましたが、あの辺りの地名が「田原」。

現在は「東・西田原」の括りになっていますが、私の育ったのは「小田原」でしたのでその地名ときたら①相模には田んぼと原っぱを単純に地名にすることがよくあったのかそれとも②波多野氏は「田原(俵)藤太」・・・藤原秀郷流ですのでご先祖の名を持ってきたかなどと連想したものです。集団移住・植民があれば元居て馴染みのある名を新地につける事はありますからね。

 

まぁ「米」という宝物を産出する田んぼは何よりにも勝る財産で生活の基盤ですからね。

 

その「田原」(西田原)には北条時代に北条配下としてこの辺りを治めた大藤氏の城、田原城がありました。

城の推定地としては香雲寺の背後の丘陵と考えられますが不詳。秀吉の小田原攻めの際は東の防衛ラインとしてあったはずですが、多勢に無勢で一蹴されたことでしょう。

 

大藤信基という人が二代北条氏綱時代にこの地を与えられたのですが、この人は北条家の新参家臣ながら戦略家としても重宝にされた人です。

出身は紀伊根来といわれていますが根来といえば雑賀と並ぶ鉄砲衆で鉄砲伝来に機敏に反応しいち早くその生産と技術者の輩出を手掛けた地ですね。

そういったかつてのコネをフルに使って北条家の兵卒のライン(当時は鉄砲を第一線に)の構築とその統率の要となったのでしょう。

 

たとえば武田家の山本勘助、今川家の雪斎、そして秀吉の黒田勘兵衛のような感じでしょうか。もしかして将来北条氏綱―氏康という最盛期の小田原北条家が描かれる大河ドラマができるとすればこの大藤信基・秀信親子は必出でしょう。

 

こちら香雲寺本堂の背後の山にその大藤信基・秀信親子の墓と言われる石塔があります(場所はこちら)。

北条軍団最強期の軍師の墓としては掲示板もなく寂しいことです。

 

近くの八幡神社の看板には大藤氏の名があります。

最後の画像が波多野城の看板です。 

 

0 コメント