2018年

6月

18日

五重塔・南円堂より三重塔・北円堂 ホッとするエリア

早朝は24℃と肌寒さも感じました。

南遠はカラッとした晴れで九州は唐津から法事で来られた方はその過ごしやすさに感動していました。

「やはり相良はいい」と。

正直言って昨日の晴れ間は少々デキすぎの感はありました。

その前日二日間は曇天のち降雨でしたし以後週刊天気予報では見たところ御日様マークはありませんでしたからね。

 

唐津では「こんなお天気は年に2回もあればいいところ」とまで言われます。聞けば唐津は中国から「色々やってくる」と。

思い起こせば地理的に中国大陸には近いです。

黄砂にPM2.5・・・そして大陸で発生してダイレクトにやってくる雲に南西方向から吹き込む暖気がぶつかって常に湿気を含んだ空気に包まれているようです。

よってくうき自宅内は勿論の事タンスの中の衣類は常にカビとの闘いとなるとのこと。

 

というワケで昨日の相良の青空を見て大いに感動されたようです。それに限らず「こんないい場所はない」とまで。

そうですね、漫然と暮らしているとついその有難さを忘れてしまいますが降雪皆無で温暖、降雨もそれほど酷く降るワケでもありませんのでちょいとばかり不快な天気が続いたくらいで不満を漏らすというのはどうかしていました。

以前新潟の方と話した時は、「冬場に晴れ間は無い」と言い切っていましたし。

さあ今週の雨予報の一週間、腐らずにやりましょう。

 

さて、昨日の興福寺三重塔は人気薄のためかあのエリアには何故か人ナシ。あの修学旅行生と私とは違うアジア系の人たちでごった返す五重塔付近とは完全にその世界を異にします。

 

下の画像は、5分ほど待って人が切れたその瞬間にシャッターを押しました。一部の人たちは近くまで寄らなければ気が済まないという感じで真下にたかっていますからね。

 

人気の五重塔に対して三重塔、そして人が集まる南円堂に対して北円堂・・・。その猿沢池側に低い位置にある三重塔から池の反対方向に行けば北円堂があります。

その北円堂も興福寺の最も西の端にあって「人ナシ」はホッとします。

個人的には藤原不比等追善、1210年に再建されたという北円堂が好みですね。カタチもメリハリがあるような。

 

①②③は南円堂。④⑤が北円堂。

⑥西金堂跡の石碑と北円堂。⑦⑧こちらの灯籠は寛永十七年の銘。

下図右、中金堂は改修中。左奥に北円堂が見えます。

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2018年

6月

17日

武道鍛錬の守護 摩利支天 興福寺三重塔

それにしてもポルトガル×スペイン戦は圧巻でした。

日本があのレベルに達してその肩を並べられるようになるには「1世紀かかる」とは言い過ぎでしょうか。

 

昨日は史跡研究会の会合。

法事が入っていませんでしたので余裕で参加できました。

来年の田沼生誕祭に向けて書籍の発行と銅像の製作が纏まりそうです。

「早くしないと間に合わないよ・・・」とハラハラの感がありますが、9月の予算案通過後の正式発注とのこと。

 

田沼意次銅像に関しては以前より話はあがっていましたがやはりこちら相良よりも城を打ち壊し、その後に「奪取移転された色々」が多彩に残り、かつ今も「田沼」地名の残る藤枝市の方が知名度的には高いものがあるという現実から、ここは一つそのような品物があってもいいのかと思った次第です。

 

ただし通常「銅像といえば1000万円」(台座込み)と高額予算を覚悟しなくてはなりませんので「あれが欲しい、これが欲しい」などと他にもおねだりはできないことは承知しています。

(今を逃がしたら銅像は立たない・・・)

ちなみに以前静岡駅前の家康の銅像についてブログにて記しましたがその後ろ側に今川義元の像を建てることになったと聞きました。

出生地駿府でなくこれまでは没した桶狭間に信長と並立してあったに過ぎなかった義元像がようやく・・・というところ。

小和田先生もそこのところ大いに御指摘されていました。

 

既に発注が掛っているといいます。事情通によれば家康の肩に手をかけている姿になると。いつも記していますがついでに「伊勢宗瑞も建てちまえ・・・」です。

その場に滞留した時間でいえば彼は小田原よりも駿府に居た方が長かったはずです。

 

さて昨日記した宝蔵院流槍術発祥の地の石碑を見てこちら宝蔵院にあったはずの遺物がまだあったことがわかります。

それが宝蔵院の庭園にあった大きな石。

その石に摩利支天に武術鍛錬成就を祈願して稽古の相手としたとのこと。

 

摩利支天といえば山本勘助を思い出しますがサンスクリットで

「陽炎・威光」を意味するといいます。

「光」は太陽の如く発光体実態から離れ、そのもの自体を把握することはできずそれでいてその実とは切っても切れない如く随うところ。それこそに武術の神髄があるのだということでしょうか。

当流の阿弥陀仏の発する光というものは「無明の闇を明らかにする智慧」(他力)といいます。

武道家の摩利支天への傾倒はあたかも「光に成る」(自力)といった行をも推することができますので同じ「光」に関する仏であってもそこのところ、異にするものでしょう。

 

摩利支天石は一旦は明治のドサクサで他所に引き取られていましたが平成になってからこちらへ定住の地を移しています。

かつてあった宝蔵院の位置ではありませんが、猿沢の池の真上、南円堂の真後ろ、三重塔の真ん前にあります。

この三重塔に関しては案外とパスしてしまう観光客が多いようです。

 

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2018年

6月

16日

南都興福寺 宝蔵院流槍術発祥の地

いよいよ4年に1度のお楽しみ、サッカーw杯が始まりました。

これからテレビの前から離れられない不健康な日々が憂鬱でもあります。

私の中・高時代のテレビでのサッカー観戦といえば東京12chという「我が道を行く」系の放送局の深夜枠ただひとつという時代でサッカーの「さの字」にさえ触れられることはごく稀な事。時代は変わるに変わったものです。

ご時節柄でもありますが今やどちらの番組においてもその話題にならないことはありませんね。

まぁ当時の日本のサッカー事情とは雲泥の差がありますが・・・。認知度が大いに上がったワケですが、それにしても実力の方はまだまだ二流三流、世界の表舞台への出場という望みはかなったとはいうものの一流どころに肩を並べるには至っていませんね。

 

一昨晩のサウジ0-5ロシアの試合の前半を見ました。このブログでも記していますがアレでは「アジア枠」についてその昔から言われるテーマが再燃しそうで苦笑いさせられました。

こんな事を言えば失礼ですがあの開幕試合の面白味といえばただ「オープニング、最初の試合」ということだけで、本来のサッカーの醍醐味はこれから控えているということは好きモノたちはお分かりのこと。

よって途中で布団に潜り込んだという始末。あの大差の屈辱試合(サウジ監督)の結果は朝になって知りました。

 

サウジと言えばアジア予選で日本を散々に苦しめたチームではありましたが、対戦が開催国のロシアではあったもののあの得点差は酷いものです。

そもそも勝者ロシアですらこの世界では一流とは言えない国ですからね。5点差なる大量点を献上したとすれば他の2チームに対しても大迷惑。得失点差が微妙に予選突破に影響しますからね。

これからの対戦をつまらなくしてしまうものでした。

誰が見ても「あんなチーム」(テンションダウン意気消沈で失点を重ねる)を出すシステムがおかしいと思いますよね。

これからサウジがどう変わるかも興味ありますが「アジアはいらね」の雰囲気を世界に与えてしまうような試合でした。

 

ということで「それならば・・・」欧州の出場枠をもっと増やして欲しいというのがサッカー強国そろいの欧州世界の人情というもの。

殊サッカーとなると実力的に差があるアジア枠を減らすというのが合理的で以前からちらほらと出てきていますね。

ということで他のアジア代表国、「負けっぷり」もあとあとの首を絞めることになりかねません。

 

サッカーは0-1という最少得点差であっても完勝・完敗の評価が出るくらい試合運びは大事なものですが、あのサウジの5失点は「アジアはw杯に出場するに値しない」を世界に表明したのかも知れません。

0封での敗戦もイメージ悪いですね。そんな中イランの一勝は価値あるものでした。これにより危惧していたアジア勢0勝オール予選敗退の憂き目だけは免れました。

 

コロンビア戦に日本が同じ轍を踏むのであれば「世界と実力差がひっ迫してきた」の主張は通らないでしょう。

勝ってなんぼの世界ですからね。要はサッカーは得点しなくては勝てないのです。口で何を語ったとしても。

 

さて、先日来奈良国立博物館のいろいろについて適当な事をブログで記していますがあの博物館のあるあたりというのは、興福寺の宝蔵院があった場所といいます。

 

興福寺といえば「南都北嶺」と呼ばれる中央からも恐れられる寺社勢力で「泣く子も黙る」地頭の比にならない圧倒的強大寺院ですが、その根拠は

①神仏をバックとし尚、中央貴族の血脈という2つの「正義」

②各地荘園からの上納による強大な経済基盤と寄進

③乱世による流人の受け入れにより兵力確保(僧兵)

 

戦国期の本願寺も上記と同じように武士勢力と反目(目的は「自由な生き方」・・・)して兵力を確保し尚実戦に至っていましたので「神仏の道として果たして・・・」などという存念には毛頭ありませんが興福寺は武門の中でも特に著名な槍の一流を輩出しています。

それが以前記しました可児才蔵にも伝授されたという宝蔵院流槍術です。

宝蔵院流槍術の祖である宝蔵院覚禅房胤栄は猿沢池に浮かぶ三日月を突き「十文字」を考察したといいます。

彼は僧にあって武門に長けて刀術では地元の柳生との交流が知られています。

 

槍というアイテムを振り回す時代劇主人公はそうはいませんね。これも昔のテレビ話で恐縮ですが、槍の使い手といえばテレビ時代劇「三匹の侍」、長門勇を思い出します。白黒テレビでした。

 

宝蔵院流槍術の碑は奈良国立博物館の別館「仏像館」のすぐ裏側(道路側)にあります。そちらから南側の芝の上には宝蔵院の井戸の跡といわれる六角形の石の枠も見ることができます。

宝蔵院はお決まりのコース、明治の愚策「廃仏毀釈」の嵐の中、消滅しています。

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2018年

6月

15日

謀反のお返しは徹底的 田峯定忠の容赦なき首並べ  

最近新聞のコラムで「老後の3K」について記していました。

リタイアしてから「その時」までの三大不安、「健康」「金」「孤独」の3つのKです。

どれもこれも切実でだれもが抱えている不安ですね。

私に至ってはまったくピンときませんが人生100年時代と言われるようになって、さてそれまでの時間を「どう過ごす」かという難題です。

そもそもその3テーマ以外にも果てしなく多くの雑念を抱えている身でどれもこれもそううまくいく筈は無いとは思うもののあらためてその三つを「さあ さあ さあ」の如く問い詰められたらぐうの音も出ませんね。

 

昏睡状態の末に亡くなった父親の姿を目の当たりにしたときはこれは決して「イイ最期」ではなくもっと違う何かを求めるべきだとは思ったのですが、自分の体が今後どうなるかなど分かったものではありませんね。

 

そして「有無同然」である・・・と「カネ」にこだわることはないとも口にはするものの父母の如く年金をアテにできませんので、

生きたら生きたで辛いような・・・。

昔は「姥捨て山」という「適宜リセット」の機能がありましたがまさか「オレを山に捨ててくれ」などとその時分に言い出せるものかわかりませんし、家族を殺人罪(未必の故意)に問われるようなことを仕向けられませんね。

だいたい足腰も立たなくなったら家に居る、あるいはベットに貼りついているだけですし。

 

そちらの記事では実はその3つのKのうち最悪なのは「孤独」であると。つまるところその「孤独」が今巷でいわれる「暴走老人」へと化すのだと断定していました。

「犯罪白書」(2017)の数字を示していましたが、65歳以上の高齢者の犯罪はほぼ一貫して増え続けているようです。

増えているのは「傷害・暴行犯」というから恐ろしい。

そういえばブチ切れの御老体の姿を見聞きするようになりました。

 

高齢者の犯罪検挙者数は約4万7000人いたそうですがこの20年で約3.7倍の伸び率です。特に傷害・暴行犯に関しては約17.4倍。これは不可解、明らかに異常であるかと。

 

何故にそんなに切れてしまうかというと・・・孤独が人との接し方をわからなくしてしまうよう。

孤独は自身の脳の動きをフラットにしてしまい、新たな刺激がなくなってしまうのですね。

 

私の場合は先日も記しましたがその皆さんが「最悪のK」とおそれる「孤独」に関しては仕事柄「まずまず」回避できると喜んでいます。

昨夕も近隣の歴史好きの方から直電があって励まされました。今度お参りに来られるそうです。

その時は塩買坂から高天神六砦そして横地城についての話題でした。

歴史がご縁で新たな親交が増えたということで奇特なことです。

 

さて、先日は田峯城の門前で大恥をかかされて、尚また居城を追い出された菅沼定忠について記しました。

その約1年後に満を持して夜襲をかけて田峯城を再奪取したのですが、そのクーデターを首謀した今泉道善に対しては特別の憎しみがあったことは「鋸びき」という処刑方法でわかりました。

 

菅沼定忠は今泉一統は勿論、在城していた一族郎党を殆ど皆殺しにしているようです。

そちらは今泉道善が処刑された道善畑から一旦下り北に向かいます。

すると道の向こうに田峯菅沼家の菩提寺といわれる日光寺(裏側です)が見えますがそのまま西側の坂を上り詰めたところを左に上がってしばらく行けば「首塚」の掲示板が。

この道は鳳来寺道に出られますので地元の人たちの生活道になっています。ただし一見林道の如くです。

 

石碑がガードレール前に立っていますのでスグわかりますし駐車スペースもあります。

そちらから小径を上がって森を少々行けば荒れた覆堂らしきものが。

石塔残欠が無造作に並べられています(場所はこちら)。

 

⑤の看板はやはり英語入り。

「首塚」とは「Burial mound for Severed head」だそう。

⑬⑭は田峯城本丸に設けられた供養塔。

⑮⑯⑰が日光寺門前より。田峯城が見えます。

最後の画像が少々離れた場所で見かけた「今泉」さんの墓碑。

まずは関係ないと思われますが、失礼ながらそういったところに拘りを持って推測するのも面白い。ただし怒られそう。

 

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2018年

6月

14日

シナモンの肝障害 ? 健康志向裏目と裏サッカー協会

一昨日のサッカーw杯本戦直前のテストマッチ、パラグアイ戦を見た「裏サッカー協会会長」を自認する友人からコメントがありました。

とても的を射た「なるほど」の妙がありました。

 

今回のパラグアイ戦の勝利は日本中はじめマスコミの報道もこぞってもろ手を挙げる讃辞を送り、あるいは安堵を得られた方が多かったことでしょう。

何せ無得点のうえ失点をかさねるという方程式、勝利から見放されていた日本代表でしたから。

しかしそれほど「小躍りしてはしゃぐ事?」と首を傾げています。

 

またひねくれ者の戯言か・・・と流していただいてかまいませんが、中には「くだらないブログを書くな !」等の御注進メールをされる方もいらっしゃいますので、どうかそのように無視いただければと思います。

まぁブログなどは個人レベルの日記のようなものですからね。

 

さて、その試合を見ていてこれまでと違うところは・・・といえばハッキリ言って「得点したこと」に相違ありません。

それで結果的に勝利したということで皆さん大喜びなのでしょう。これは選手たちは感じていたでしょうが、確実に「お膳立て」があったように見えました。

 

そもそもパラグアイは予選敗退組で気持ち的にどうでもイイ試合。それを何故にここに呼んだの?といえば・・・「日本に自信」を持たせるための舞台装置(かませ犬なる語もあったりします)だったという感。

サッカーは営業・興行なのですね。

どれだけスポンサーを集めてお祭り騒ぎにするか・・・なのです。

オトナの事情というヤツ。

 

これまでの負け戦の積み重ねで相当国内のテンションは下がっていましたからその意味では各メディアはじめバックアップ企業は大喜びでしょう。視聴率も稼がなくてはなりませんし。

 

得点シーンを録画からチェックすればまずパラグアイのディフェンスに目を疑います。

友人は「ルーズすぎる」という表現をしていましたが、なぜかボールに「寄らない」のです。

ブレスをかけずに日本に自由にパス回しをさせたあげく「どうぞ打ってください」ばかりにスペースを開けているのでした。

 

それにも関わらず決定的と思われる場面で日本の攻撃陣はボールを「ふかす」シーンが多々ありましたね。

最初の失点も混戦での「立ちん坊」で毎度の事でした。

そしてまるで出来レースの如く後半になってパラグアイ選手は寄せもせずシュートコースを空けてやる等不思議なサッカーをしていました。何か使命があるかの如く。

 

相手のサッカーに集中力がなかったとは言えますが、そもそも集中力のないチームを招聘したということ。

私どもの知りたい事はこのチームに声をかけてセッティングした方。そして旅費とギャラどこからいくら支払ってるの?というところです。

 

あの試合を見て日本はイケる(予選突破OK !!)などとお考えの方があったらかなりお目出度いことですね。まぁそのように盛り上げられれば番組スポンサーからは喜ばれるでしょうが。

 

彼がその終わりに言っていましたが日本とパラグアイの得点シーンだけを抽出してみればわかるといいます。

パラグアイの得点は僕らが惚れ込むようなシュートでした。

日本人選手にはできない芸当です。

何故にそれなのに日本に勝利を献上したかというと「パラグアイ選手の忖度」いわゆる「太鼓持ち」なのでしょうね。

もしかするとボーナスも支給されたりして・・・

そこまで首を傾げてしまう「勝利」。

一昔前の人なら「八百長」と言ったかもしれません。

 

もうすべてが結果待ち。

この期に及んでは「興行の営業重視で選んだ選手」といわれないよう気張っていただきたく存じます。

さぁ、お手並み拝見とさせていただきましょう。

 

さて、昨日の午後は檀家さんからスグ来てくれとの電話。

取り壊し中の家屋の脇に墓石があって「どうしたらいいものか」というものでした。

行ってみれば150号線脇。昔から陣台山と言われているエリアです。

場所柄もあり「墓が出た」となればどうても駆け付けたくなります。しかし私の期待しているような古いモノではなく銘もハッキリ。明治期にその家の御頭主が建てられたものでした。

重機が来ていましたので墓の下を一応確認してもらいましたが何も出ませんでした。

折角ですので墓石は「今ある御当家の墓碑の脇に置いてあげれば」ということでご了解。スペースは十分ありましたので。

 

どちらの皆さんも墓石・位牌・仏具が突然として出現したりすると迷うもの。亡き人が「迷う」などという雑念を人はよく言いますが本当に迷っているのは「今生きている私」であることがわかります。

 

話変わって、昨日の肝臓数値異常の件について「ターメリックの摂りすぎ」との御指摘を受けました。

要はカレーライスの食べ過ぎということですが、ターメリックではなくて超高カロリーのカレーライスということでしょう。

その件昨年末以降気がついて大分控えるようになっていますのでまだ原因はハッキリしていません。

ということで今の私のターメリックに次ぐ方向性は桂皮ーシナモンです。

 

朝食にバナナに振りかけて食べています。結構イケますね。

シナモンシュガートーストなどいう絶品もありますが、糖分が気になりますからね。

 

先日の問診によれば医師は漢方薬も殊によっては悪さをすると言っていましたので、少々自信が失せてきました。

ちなみにシナモンは毛細血管を増やす作用がありますが食べ過ぎは肝障害を起こすといいます(毒成分クマリン)。

効能に関しては各ググってくださいますよう。

 

しばらくの間シナモンもターメリックも抜いてかつ「牛肉」は排除。フルーツは陽の明るいうち、夕食は早めにして納豆と冷奴の主体でいこうと考えます。

もう当分は「さわやか」には行けなくなりました。

 

②が昨日行った墓地。

③は相良某所にて。みなさん大抵の方が思っている事。

 

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2018年

6月

13日

好天32℃と運動不足 俄かに思いついたのは高天神

台風一過というヤツでしょう、風は強めながら気持ちのいい天気を提供していただきました。

午前中は人間ドックの予約を入れていましたので「勿体ない時間」とは思いましたが朝から榛原病院へ。

今回は「脳ドック」をオプションに入れたのは、先日来御注進いただいた脳血栓、や瘤の存在について。

それらが存在すると脳内血管に「近いうち爆発」して、あるかないかはわからない「希望の未来」がもしかすると台無しになりえますから。

前回のMRIは7、8年前でしたのでいい頃合いでしたし。

 

MRIの結果は後日ですが、現状「要精密検査」もあってあまりイイ結果ではなかったですね。

これまでもそのような再検査を勧められることはありましたが、ずっと放置でした。しかし今回は医師指摘の「不明点」に関してはハッキリさせるつもりです。

早めに病因を突きとめて善処すれば少しは「今」の延長を楽しめるかも知れません。

しかし生老病死は人の背負いこんでいる道。観念しています。

 

今回のテーマは未だかつてなかったような不明点2題。

一つは血液検査によって判明した異常な数値。

医師の問診第一声は「お酒はほどほどに」と言われる始末。

「一滴も飲みませんよ」というと「すると各数値にかなりの矛盾がある」といいます。

酒や毒物等肝臓を傷めつけ時などその数値は上がるそうです。

とりあえずは2か月ほど食生活を整えて再診に向かう事となりました。

 

上記再診と同時ですが、左の肺外側に「何かある」とのこと。

血管や骨が重なってそう見える場合もあるそうですが上記再診と重ねてCTで確認することになりました。

奥方は「タバコを吸わなくても肺が、酒を飲まなくても肝臓が」と皮肉裏腹の人生・・・などと苦笑していました。

 

それまでの2か月間の過ごし方のご指導は「とにかく運動不足」と食事食材に注意ということで。

特に胃が食道に上がってきていることから(こちらは胃カメラ検診から)「息がハーハーするような少々強い運動」を勧められました。これは横隔膜が胃を抑え込むようです。

 

まぁ人様に健康長寿のあれこれを吹聴している私が「ハイ病気でした」となるとやはり舌先三寸の軽率モノの烙印を押されましょう。

しかしすべて如来さんにおまかせしています。

 

医師に告げられた「運動不足」に呼応して午後から「いざ高天神へ」車での移動ですから大した歩数は稼げませんでしたが午前の診断内容を少しは忘れさせてくれる緑と鶯とホトトギスでした。

 

地元ボランティアの看板が整備されています。

ただし大河内の石風呂と大手側に繋がる道は以前崩壊応急処置のまま。

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2018年

6月

12日

今泉道善 門に閂 勝頼と門前払いの屈辱 田峯城

昨日記した「異常な領域」のもう一つは時々耳にする「だれでもよかった」の凶行。

実はそれ、相手を選択していますよね。自分より弱そうな者を。

よって女性や子供たちへその勝手な「むしゃくしゃ」とやらの暴発を向けるのでしょう。

22歳の彼が精神的に追い込まれていたことは十二分にわかります。特にその年齢といえば息子と同じです。

そのオトナに成り切れていない彼が新幹線の中で刃傷事件を起こしたというニュースは世を震撼させました。

 

考えさせられる事が多くありましたが特に自分が頭の中に引っかかるのはあの時自分があの場にいたとしたら・・・です。

東海道線新幹線の利用は家族とも頻繁ですし、たまたま居合わせることもあるかも知れません。

前回の新幹線放火事件の際は全線不通になりましたが奥方がその車両のすれ違い車両に乗っていたために缶詰となって結局は自宅に引き返していました。

 

私の考えるのは「違う車両」ではなく「その場にいたら」なのです。

きっと逃げ足だけは早いと自慢の私ですから誰よりも瞬時に走ることはできましょうがここは一つ考えなくてはなりません。

僧職の身として「説教一つできずに命欲しさに逃げるのか」という自問です。

果たして狂気の怨念復習に満ちた眼光を見開いて大ナタを振り回す彼にまともな問答ができるものかなどは甚だ疑問ですが、これはただただあの場面を推するに「誰も捨てないはずでは・・・」という如来さんからの問いかけも感じるのです。

 

いやこれは私だけではないでしょう。あの時反射的に逃げ出した男性諸君の中で、そこのところ大いにトラウマとなるポイントです。

どうしてあの犠牲となった男性の手助けができなかったのか・・・みんなで協力して止められなかったか。

これは物理的に無理であると思われる状況であってもそう思わざるを得ないでしょうね。

 

やたらと国民栄誉賞とやらを世間人気の「スター」に与える風潮があるようですが、そのような賞はあの狂気を止めようと身を挺して犠牲となってしまったあの方に差し上げるべきだと思ったのでした。

それがいつも問題から逃げ回って我が身の可愛さあまっての幸福を追いかけてばかりいる私たちの少しばかりの反省ではないでしょうか。勿論政治家たちもです。

 

さて、あの風光明媚で静かな山中に佇む田峯城には怨念復習を雌伏約1年に渡って醸成し、遂にそれを無残というカタチで晴らしたという歴史がありました。

その人が菅沼定忠です。

昨日は「忠」について記しましたが定忠は父が今川の手で排除されたのち幼少期に家康のバックアップを得て田峯菅沼の家を継承しています。それを思うと彼の「忠義」に関しては徳川の恩は特に厚いはずです。

ところが信州に近いという立地状況とあの時点からいって致し方ないのかとは思いますが武田の調略を受け他の菅沼一門(「山家三方衆」―作手の奥平、長篠の菅沼、田峰の菅沼)との袂を分かちます。結局はその三方衆の動向の結果として長篠設楽原の戦い~武田滅亡のスイッチとなるのですが・・・

 

以来菅沼定忠は文字通り(「定忠」)武田の麾下に入って戦働きを重ねます。

長篠設楽原のボロ負戦では勝頼を連れてこちら田峯城に帰城したといいます。

敗戦疲弊の戦場離脱の憂き目の総大将を甲州に逃がしつつ「我が城」田峯城にて休憩ともてなしを行う算段でしたが、なんと城門は閉鎖されていたという屈辱。

留守居役の家臣団が城主菅沼定忠に反旗を翻したといいます。留守居役は武田形勢不利とみて徳川反旗の件は城主定忠の錯乱が理由とでも画策したのでしょうか。

 

彼の味わった大恥と焦燥感は計り知れなかったでしょう。

普通に考えて「帰る家が無い」ということですし、大事な客人を招いていたのですからね。

 

定忠一味は信州に潜伏、虎視眈々と復讐を誓ったのですが、門前払いからの一年後に夜襲をかけて城を奪取しています。

その際の制圧戦で捕らえた留守居役の首謀者と言われる今泉道善を城近くの丘の上で鋸びきの刑にしたといいます(場所はこちら)。

鋸びきの刑といえば大賀弥四郎に杉谷善住坊を思い出します。②③は処刑がなされた道善畑からの景色。

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2018年

6月

11日

没落滅亡の道を選択 本家田峯菅沼氏 田峯城

ニュース報道を見ていると日々想像を超えた、以前ではとても考えられないような事件事故が飛び込んできます。

そんな世風に大分慣れっ子にはなりましたが、その現象に慣れさせられているというのはいかにも異常です。

この国はもう既に昔僕たちが考えたいたようなありえないような異常な未来に足を踏み入れているようです。

 

特に拙ブログでも記している自動車の免許証返納の件ですが昨日も「ブレーキとアクセルを間違えた」(との供述)車が買い物客で賑わうお店の正面に突っ込んでいました。

運転手の年齢は55歳とのことでこれもなるほどと。

どちらかで記していますが、私の知り得るその手の事故は年齢というよりも上記のような瞬時のパニック系と勘違いばかりですからね。

すべてを年齢のせいにするのはおかしいことです。

 

ただ「過失」(法律上)というものが引き起こす事案は殆ど自己を過大に評価安心することから始まります。

ということでオチとしては「自分を信じない」が有意な発想かと。やはり「自分を信じて」などのセリフは好きになれませんね。

 

さて、「仁義礼智信」なる儒教的語の羅列があります。

私は「義」についての親しみ(これは既出ご先祖様の名にあるから・・・)はあるものの、「仁義」という語に関して特に小さい頃に見かけた東映系の任侠映画のイメージが強く残っていますので、どうしても違和感があります。

まぁ仏教でも当流の考え方からすれば、それぞれの語の持つ意味は道徳的「人間そうあるべき」ではあるものの、実はそう簡単に一筋縄ではいかないというのも人間の姿。

 

だいたい「仁義」の字面を見れば「思いやりと正義」。

それはそれは生きていくうえで大切なスタンスではありますが上記映画の内容ときたら「罵声と人殺し」ばかり。

そしてまたその五つの文字中「信」の意たるや殆ど上記「自分を信じて」の「信」でしょうね。

 

話はすっ飛びますが「信」は「人が言う」と記しますね。

それを「実践していく」ということも含みますがそこでW杯出場が晴れて決まったホンダ君の弁が相変わらずそんなこと・・・と苦笑いをさせられましたがそれが「W杯優勝」でした。

ここまで来ると教祖様。お怒りになられる方もいらっしゃるとは思いますがそうも仰るならむしろどれほどボロ負けするかが楽しみとなってしまいました。

私の友人などまったく得点のできない先日来の対外試合を見て「出場辞退して帰ってこい」とまで言い捨てています。

 

点取りゲームのサッカーで点が取れない現実につき、よくもまぁ舌先三寸が言えるものか。

年長者多し(人気取り)の選出に対しそのクレームを言う人は「サッカーを知らない人」と言い放ったベテラン金髪選手がいましたが、それを言うのはまだ早し。

どうか「実践勝利してから」お願いします。

 

昔、NHKの人形劇からそれらの語の羅列を見覚えたのですが、その5つのほか「忠」(忠誠を尽くす)  「孝」(親を敬う)  「悌」(目上の者に従う)」の3つがありました。

その三つに関しては封建社会の縦割り社会でのどちらかと言えば上からの目線の美徳ですが、この「忠・孝・悌」を眺めていると私は田峯菅沼氏を想います。

 

「遠州忩劇」については井伊家はじめ何度か記していますが、元はと言えば桶狭間を期に今川安定期が崩れたこと。

以来武田・徳川そして織田までが遠州・三河を舞台に進出し覇権を競いあいました。

菅沼氏はブログ(またはこちらそしてこちらこちら こちら)にて記していますようにその大混乱期に大いに翻弄された一族でした。

 

田峯城といえば昨日記した英文掲示板の如く「菅沼定忠」という人の名が出てきますがその人の「忠」については色々と考えさせられますね。

最終的には武田の選択となってそのまま武田と命運を共にしたのでしたが、それ以前は徳川であり当然にそれ以前は家として今川でした。

彼の父親の菅沼定継も今川への一旦の反旗の咎から謀殺されているといいますね。それは一族すべての方向と期待が一枚岩ではなくそれぞれの思惑で動きつつ、惣領が総意をまとめることが出来なかったことがイケませんでした。

 

名家の菅沼家の没落は当時上下下達一本槍の封建的縦社会にありながら一族皆々の発言権の尊重もあったのでしょうが、きっとそれが惣領制と家臣団纏まりというものを失してしまったのでしょう。

何かを決定するにあたり道筋として談合は大いに有意義でありますが、一旦方向性が決まったのなら一族総力で向かわないと破たんするということは歴史が証明しています。

 

この山中(失礼!!)にしっかりした復元城館が建てられていることに感激しました。

発掘調査は一応は済まされているのでしょうが、同等城館施設での建造物を正確に再現しているようで少なくとも我が町近隣の「吉田城」とやらから比べれば断然に真面目さを思います。

 

 

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2018年

6月

10日

Snake head castle 英語のみの掲示板 田峯城

昨日は意表をついて当地ほか好天に恵まれました。

近頃の夏の晴れといえばその日の夕方のニュースには必ずと言っていいほど「熱中症」の言葉が。

暑いといえば暑かった日でしたが「おいおい本格的な夏はこれからでしょ・・・」と思うばかり。

そのメカニズムについては理解していますが、この新しくて対応可能にもかかわらず「案の定」と変な病気の「熱中症」。

何度か記していますが僕たちの高校時代などの部活の夏合宿など練習中に水分を入れることは絶対禁止の時代で尚ぶっ倒れるなどの人は居ませんでした。それほど真面目に練習をしていなかったということでしょうかねぇ。

 

天からの頂き物の思わぬ晴れ間に境内作業の宿題の一部をやっつけてから境内でネコの舞鶴殿と遊んでいると少しばかり遠くから檀家さんの来訪がありました。

お墓参りではなく大谷祖廟分骨の詳細等確認に来られたのでした。

 

境内のベンチに腰かけて雑談から始まりましたが、83歳になったというその方は先日は「免許証の更新に行ってきた」と。

離れた2ヵ所の家を管理していることを知っていましたので私はその判断に異論はありませんでしたが、御当人は少々悩んだそう。

しかし結局は「車がなくてはどうにもならない」ということで今回の免許更新。

 

初めて知りましたが筆記試験に続いて運転試験もあるようです。その方は筆記試験は上々の出来だったのですが実地試験ではバックで脱輪してしまいヒヤッとしたとのこと。

バックは「大嫌い」だそうです。

「お年なのだから免許証を返上しなさい」など言えるものではありませんね。やはり結論として「御当人の問題」なのです。

不安でしたら「ご家族と相談してください」としか言いようがありませんね。

 

昨日大阪であったフェンスを突き破って電車に衝突したという暴走事案は70歳の男性でした。詳細不明ですが70歳など「まだまだ」の年齢ですからね。一応は75歳という線が引かれていますがこればかりは生物学的「個体差」でまったくわかりません。その方は83歳ながらおしゃべりしていて全くの健康的の感。まだまだイケそうでした。

 

さて、田峯の観音さんの弓道場の「金的中」について記しましたが私の目的は田峯城でした(場所はこちら)。

この城はといえば田峯菅沼氏の本領で、菅沼定信という人が文明二年(1420)に築城したと言いますので、観音さんの梵鐘の製作期と重なります。

 

この城はまさに攻めづらいでしょうね。

蛇行する川に沿って信州方面に北上する伊奈街道に居ていったいどこに城があるのかもわかりずらいのです。またその伊奈街道からも案外距離があります。

もし私が城を攻め落とすとすればあの時に上がった「城坂」なる街道側からの上りを道は選択せず、今の鳳来街道のある西側からの攻城になるでしょうね。

その西から見た城の様子が最後の画像2枚ですが、山城にもかかわらず眼下に城の全容を把握することができます。

 

この対岸の丘陵は田峯の集落も同時に掌握できるような場所ですが水の張られた田も各所に見えて当時も「田峯」の地名、山間部の田についてその存在を想いました。

 

昨日も田峯の文化について勝手な事を記しましたが、驚いたのは田峯城入り口の案内板。

どこにでも案内板は設置されていますがそれが英語での記述。

今どきそれも当然だろ・・・と言われそうですが英語だけで日本語の紹介はナシ。ある意味これもこちらでの文化なのかと思った次第です。

 

宇連川と長篠城で合流する豊川の上流、寒狭川の蛇行の様子は鳥瞰すれば文字通り蛇。誰が付けたか田峯城は別名「蛇頭城」(じゃずがじょう)なのでした。

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2018年

6月

09日

境内弓道場「金的中」の額 弓術鍛錬の日常を彷彿

昨日は奥三河設楽の田峰観音の石灯籠の画像をアップしました(場所はこちら)。

以前「菅沼さん」とお会いしてお恥ずかしながら「田峯」を「だみね」と「た」を濁って読む件を知ったのでしたが、行ってみての第一印象は伊奈街道に沿った「奥深い山中」の感。

 

私事ですが、これまで海の見える場所以外の生活がなかったということ、当然ながら海運・防衛ライン等「海」を意識した城塞ばかりを見て来たせいか、このような山間地での繁栄、それどころか生活というものが成り立つものか・・・などと今住まわれている方々には大変失礼ではありますが、疑問をも感じました。

ところがこの地の文化とそれらを遺していこうという雰囲気はむしろ海岸線に住む私たちの地域よりも十分に溢れているようです。

 

こちらの高勝寺を平日にうろついても殆ど「人ナシ」。

ところが賑やかな場面も当然にありました。

境内掲示板の通り、縁日には歌舞伎が興行されているのですね。

そもそも芝居小屋があるということは建屋の維持もさることながらお芝居の中の演目とそれをたくさんの人たちの力で盛り上げて伝えていく継続的な努力が不可欠ですね。

 

目をくぎ付けにされたのが弓道場。

絵馬と額の整列にも驚かされました。

以前大野城周辺の地名で「的場」の地名について記しましたが場所によっては「矢場」ともいいますがこれは弓矢の鍛錬の場です。

こちらの地名は「設楽町田峯字鍛治沢」と鍛冶関係の職種の存在も推測できます。

遠州三河地方では弓術が武門だけでなく庶民レベルまでに普及していたといいますが、こちらでもおそらく古い時代から弓師・矢師が神仏への奉納のためだけではなく庶民の交流、言い過ぎかも知れませんがゲーム感覚で競い合ったとものと考えられます。

 

そういう意味で以前相良でも「弓道」のイベントを検討したらいかがかと(たとえば相良草競馬の際の流鏑馬など・・・)思ったこともありましたが、歳を取ったせいか「どうせ無理だろう」と決め付けて大分トーンダウンしていますね。

「田沼意次」オンリーではインパクト今一つであると言ったら怒られるでしょうが。

 

格天井に絵が描かれた弓道場脇の建屋に掛けられた額たちに記されている語は「金的中」。

浜松中央図書館によると金的とは文字通り金色の的の事。

「ゲーム」としては最初は大きい的からだんだんに小さくしていき、その最小の的(直径二寸  6cm)に金箔を貼ったことからと

的は射小屋から十五間(27m)の距離にあってその小さい的を矢で射貫くことは一大名誉となります。

その成果を得た者が板の額に「金的中」と記して、その寺社の拝殿または射小屋に奉納したといいます。

 

「金的中」の額には弓道の流派、大和の日置弾正正次(1492‐1501)の日置(へき)流の名が。弓道を大衆化した人ですね。

吉田重勝(1512―1590)を祖とする雪荷(せっか)の名も見えますが三河北遠に広がった弓道の流派といいます。

 

こちらのお寺の御本尊は十一面観音。梵鐘も小ぶりながら文明期のものといいます。

 

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2018年

6月

08日

金剛力士 阿像の口と燈籠火袋の空間利用

昨晩の「クロ現」テーマは高齢者ドライバーによる事故の件。

こればっかりは自分の問題ですので、事故が起こったあとに縁者に向かって免許証の返納を強く言っていたら「こんなことにはならなかったのに・・・」あるいは家族そのものの悔恨が伝わってきます。

 

どうにもならないな~・・・と思うばかり。

高齢者から車を奪うことは「いよいよ孤独への途」の背中を押しているようなものでむしろ個に対しての自由を拘束するようなもの。田舎で何もないような場所に住まう高齢者は「家に居ろ」という事に相違ありませんね。

そしてこう記している私が若い頃より相当に怪しい運転をしていることを自覚しているからです。

おかしな話ですがそれでいて「私が75歳に」なった場合を家族で話せばぬけぬけと「ボクは大丈夫」などと吹いている私がありますからね。

人様に向かって「免許証を返上しなさい」などと言えたものではありません。

 

そして「年齢」に関しては一応「75歳以上」とはいうものの個人差がありますし大抵の方は「認知機能検査」をパスしているといいます。

その試験は殆ど「ざる」というに等しくて家族の願いも空しく合格してしまうのだとある檀家さんは言っていましたが。

 

すると警察庁にもプライドがあるのでしょうね。

その認知症検査で不合格だった高齢者の数について発表していました。

システム上試験一発で免許証の取り上げにはなりません。

認知症の恐れがある「第1分類」というカテゴリーに入れられて「医師の検診」を待ちます。

 

昨年3月12日の施行から今年3月末まで約1年間で全国で210万5477人が受検し、そのうち5万7099人が第1分類と判定されたそう。数字から見てもやはり「殆ど合格」と言っても過言はないかと。

 

その他の人たちが自主返納に至ったかどうかは記されていませんでしたがその「医師の診断」を受けた人は1万6470人。

診断後に免許の取り消しや停止の行政処分を受けたのは1892人で現状1515人が行政処分に向けた手続き中とのこと。

それでもやっぱり「ざる」と言われても仕方ないか・・・

 

孤独を誘引する免許証の返納であるならば頭が痛いですね。

心を開きお喋りをすることがどなたに於いても必要な事ですがお国の方は免許証を取り上げたあとの事も思料していただかなくては。

 

画像①は當麻寺仁王門阿像。画像からはわかりにくいですが、ミツバチが巣を作っていました。

「阿吽」の「阿」が口を開いている方。

②が三河設楽の田峰観音の石灯籠の火袋。猪目(♡)の彫りがオシャレです。

所有者は不明ですが、鳥の巣がありました。

人の出入りの僅少か人々の寛大さ、その両方が考えられます。

 

どうか両方とも巣立ちを待って欲しいものです。

「開けば何か入るものがある」という画です。

 

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2018年

6月

07日

奈良国立 宝篋印塔に般若寺型灯籠 美形容姿共感

「孤独が炎症を増やす」・・・昨晩のNHK「ガッテン」にて。

長生き(脳梗塞・心筋梗塞のリスクの減少)の秘訣は「人と繋がりのある生活」だといいます。

孤独にならないことが健康につながるということはどうやら確定的のようですね。

 

拙ブログでは先日来「反孤独」の旗印を掲げていますがまさにその学説は主流といいますので的を射たような心持ちです。

「孤独がイイ」などと言う生活は本来の人類進化のDNAの働きに相反するといいます。

よって当然に不健康で忌まわしい「寝たきり」期間を経た滅亡が待っているのです。

この不健康の恐怖は何といっても最近いわれるようになった「人生100年時代」の件。

100歳までの間、健全性を維持し続けるために自宅を飛び出して「人」と接することをお勧めします。

 

しかしズルいですね、坊さんは。

いったい私の健康が最期まで維持できるものかはわかりませんが、人と接することに関してはこと少なくない職種ですね。

それも「定年」が無いというところも。

歳を重ねて重みが増していくという職種は奇特なこと。

特にサラリーマン生活を送った人は定年後の身の振り方によって健全性が変わりますからね。

 

NHKの他の番組では秀吉の怒りっぽさ(自己コントロールの欠落)からくる短慮短命と病因死因について。

秀吉の六十一歳の生涯は当時では「そんなものか・・・」ではありますが「長生きした」とは決して言えませんね。

我らの親鸞聖人も鎌倉期であっても九十歳でしたし同時代ではライバルの家康が七十三です。拙寺3代目の祐伝の母の禄さん(釋尼妙意)の没年は万治三年(1661)で生年不詳ながら100歳オーバーは確定的ですから。

 

何故に秀吉は早死にしたか・・・

色々と説がありますが、その「怒り」を抑えられない性分(人はついてこないし適切なアドバイスが得られにくい状況)に加えて「美食」が仇になった可能性があります。

日本中の富という富を手に入れて粗食にこだわる理由はありませんが特に「白いご飯」を食べていたからだとも推測できますね。

 

というのは文書に記された秀吉の症状から現代の医師が「脚気」との診断をしていました。

死亡前の衰弱と神経障害から心不全に至ったというものですがその病因といえばビタミンB1不足からくる脚気です。

日露戦争で戦病死した陸軍兵の一番の理由がそれだったといいますが、白米を食べる事がそれほどまでに命取りだったとは。

現在では他に豚肉などのその代用食品は山ほどあってその白米食が悪いとは言えませんが、またその番組では現代の「隠れ脚気」について触れていました。

 

それは大量水分摂取と糖分によるビタミンB1の体外への流出から引き起こされるといいます。

脚気などの病はもはや死語と思っていましたが意外でした。

特に夏季には水分摂取について檀家さんにやたらと吹聴していましたので。

水分摂取は熱中症にも効果がありますし、血液ドロドロによる心疾患も予防できると考えていました。

 

食物摂取は難しい。こっちをたてればあっちがたたない・・・

まぁ「いずれもほどほど」ということなのでしょうが、この夏はやはり水分豊富に摂取しつつ豚肉を食べるということで。

 

画像は奈良国立博物館中庭。

先日記しました国東塔の近くにあります。

宝篋印塔は南北朝期のものですが背の高さの割りに塔身はコンパクトなサイコロ。やはり隅飾り。立ち具合もイイですね。

 

あちらの般若寺型石燈籠も芸術性が高いと思われます。

特に石灯籠という超アンバランスな石塔が数百年もの間に渡って風雨に耐えて立ち続け現存していることに意義がありますね。おそらく何度かは倒壊の憂き目にあって修復の手が入っていることでしょうが。

最後の2件の小品も同所にて。

 

そういった石塔の美を共感できる人と話を交わすことはまずありません。

結局私も孤独が好きなのでしょうね。

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2018年

6月

06日

さりげなく佇む古品 當麻寺 石手水舟

先日テレビで目にした神社の「狛犬専」。

なかなかそのスジの世界にお詳しくハマっているご様子。

 

墓石墓塔に対して美的感覚を抱く方は少なからずいらっしゃいますね。よってそのジャンルもなかなかOKと感じたものでした。

さすがに先日記した「墓場系ギャル」などはあり得ないとは思いますが「狛犬にときめく」などという方なら居そうな気がします。

石仏等は数ある「追っかけ」の中でも居場所はハッキリしていますので突然の訪問でも今流行のストーカー的執着であってもそれを「愛でる」という目的は達成できますし、お相手(被葬者)からは突然の訪問(参詣)であったとしてもむしろ喜ばれることは必定です。

 

この頃は「撮り鉄」による各迷惑行為についてよく報じられるようになりましたが、石塔石仏ならば時間も場所も制約はありませんね。

だいたい忌々しい雑踏と喧噪からはまず大抵は離れることができて一石二鳥、撮影のための場所取りなどという他者との争いからも離れられますね。

 

というワケで私もコレにハマれば面白いかも・・・とおすすめしたい追っかけ撮影コレクターは、石香炉や石棺もいいですが「舟」でしたらかなり地味ですが「専門書」の存在を知りません。

これを掘り下げて研究すればスグ学者さん専門家ですね。

 

大きい意味では石塔石仏等の石像美術のカテゴリーになるのでしょうが、この「舟」(あるいは「船」表記)はやはり神社仏閣には付き物です。

 

こちらは舟(ふね)の読みでいいのですが當麻寺のそれには表記「石手水舟」(いしちょうずぶね)とあります。

これは舟の如く石を刳り穿って水を溜めておくので「舟」。

どちらのお寺にも神社にも備わっていますがまったく当たり前のようにさりげなく置かれなお実際に使われています。

 

「手も心も洗いその手を合わせてお参りしましょう」という趣旨なのでしょうが拙寺ではそれよりもお墓参り用の意味合いが強いのかと。

 

ところが現在の日本ではその「舟」に関する掘り下げというか興味が向かないのかどちらのものもその由来等の銘記説明はありませんね。時代が新しくて新設のものなのか、古い時代に寄贈されたものなのかよくわかりません。

なんとなく置かれていて感動に繋がらないからかも知れませんね。

 

先日の寺遠足ではあの當麻寺本堂の階段前で参加者の集合写真を撮影したのでしたが、そちらから視界に入る本堂前には古い「手水舟」があります。

やはり現役で水をたたえ、尚紹介文一つなし。

このカタチは今世に溢れる「手水舟」の超がつくほどオーソドックスで一見したところ珍しさナシ。

しかし水舟のこのタイプのカタチのものとしては日本最古の部類といいます。

 

「南無阿弥陀佛 奉施入 當麻寺 

石手水舟壱居 右為二親幽儀往生 

佛土兼法界衆生 平等利益又自身 

決定証大菩提 施入如件

  元徳三年辛巳正(1331)月日 大施主  僧寂心 尼心妙

                 大工藤井延清 各敬白」

 

本堂側に13行にわたって上記の文言が刻まれています。

施主は在俗の夫婦が出家して寄贈した(川勝氏)といいます。

藤井姓の石大工の名について特筆すべきはこちらの藤井延清

とは別に那智勝浦の青岸渡寺の宝篋印塔(1322)―重要文化財―に藤井景成という名が登場しこの藤井一統は当時の石大工系の職人としては著名な系列だったことが想像できます。

ただし不詳です。 

 

 

④も當麻寺。例の石灯籠の脇にありますが、やはり説明なし。

⑤は大谷祖廟本堂前にある黒鞍馬石の手水石。

ご存知鞍馬石は庭園の石としては高価なもの。こちらに置かれたその経緯や歴史というものは記されていませんでしたが大谷祖廟ではその「価値」について文言がありました。

 

⑥が拙寺の水屋。

「釘浦山」の山号が入っています。

かなり以前、排水のために底部に穴を開けてしまいましたが・・・

 

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2018年

6月

05日

奈良国立中庭 国東塔との出会い 外からチラ見して

名古屋城の本丸御殿が完成して一般公開(6月8日)前のお披露目があったとニュースで

最近は名古屋の方に足をとめていませんが、その工事はほとんど「ず~っと」行われていたというイメージ。やっとこさ完成したということですね。

天守閣の方は建て替え工事に入りますので当分の間はこの本丸御殿にお客さんを誘引するということでしょう。

 

「これから暑くなりますがエアコンやトイレ等の設置はありません」との事前アナウンス。

これは当然のこと。歴史的建造物を忠実に再現すればエアコンなどを設けられるワケもなく・・・。

 

かなり以前、夏季のお休みに合わせて犬山城天守の雑踏の中、家族で登ったことがありましたが周囲の人たちの熱気と汗臭さで閉口した覚えがあります。歴史的建造物ですから仕方なし。

人が集まる時に行くのがイケなかったと・・・。

 

また名古屋城にエレベーターを「設置しない」方向で決定したというニュースもありましたがこれも「当然」の結論でしょうね。日本の古建築物再建にあたっては「忠実に再現」していただきたいという気持ちがあります。

「名古屋城遊園地」でしたらどのようなアトラクションやら設備工作をされてもまったく問題なしですね。

 

さて、昨日の奈良国立の建屋外、拝観料無し、タダで見ることができる石塔(奥方が言うには「まったくうれしくない」とのこと)について記しましたが、本館の中庭にも大振りの石塔があって感激させられました。

あの時皆さんと一緒に開館前の博物館のチケット売り場に並んでいたのですが時間が勿体ないという理由で「ちょっと一周してきます」とその場を離れたところ、偶然に外から見つけました。

 

あとからその石塔の存在について皆さんに話すと(おそらくまったく興味はないかと思われたのですが)、一同「中庭へは行かなかった」とサラリ。

私はその際、別のお目当てがあってそちらの確認に向かっていたのでしたが外部から庭園内に立つその石塔のシルエットが目に入って「膝を叩いた」というワケです(①画像)。

皆さんにはその感動を話すに「静体視力」などと意味不明な自慢をしていましたが・・・。まぁ相手にもされないでしょうね。

 

博物館にある石塔類はホンモノ指向ではあるもののその性質としては「ディスプレー」「お飾り」に近い演出です(本来それらがあるべき場所ではない)。

よってこういう場合、心の隅にもやもや感は残ります。

しかし美術品、芸術品と考えれば「まぁそれもいいか・・・」と勝手に納得している私がありますね。

 

確実にこれは建碑者の意図に反していることであり、墓塔という主旨であれば被葬者の意思をも無視しているということになりますからね。

まぁそんな堅い事を言わずに石塔美術を味わうというのであれば嬉しい出あいではあったのでした。

 

一瞬遠目からは水輪と火輪の形状から五輪塔・・・と誤認させられますが実はこちらを凝視すれば五輪塔でも宝篋印塔でもない形状であることがわかります。

 

こちらが「国東塔」(くにさきとう)。

日本古建築では第一人者の天沼俊一博士が命名した石塔の名です。

私はそちら国東にお邪魔したことはありませんが大分県の国東地方に多い形式によりそう名付けられたと。

等身が「平面円形」と球形に近く五輪塔の水輪と見違えるところ。そしてその等身は無地というのが基本。

 

川勝政太郎氏の解説によれば・・・

「基礎は側面二区または三区に格狭間を作り、上端に平面円形複弁の反花座(かえりばなざ)があり、その上に上向きの蓮座が設けられるか、または反花座のみとする。この基礎上の特別な蓮座などと、相輪の宝珠の四方に火焔状を刻み出すことなどが、国東塔一般の特色である。」

 

最後の画像3つが名古屋城本丸御殿。紹介画像キャプチャー。

開館後スグはきっと拝観が集中するでしょう。

 

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2018年

6月

04日

なら仏像館手前(地上)の美形一流の宝篋印塔と石棺

法事のあとの雑談にて「くろい !」と私の色黒を指摘されましたがこれはその前日にほぼ池新田から歩いたこともあるかも知れません。

ほぼと記したのは叔母の家の帰り道奥方から「また捨ててやろうか」との声かけがあって「それでは・・・」ということで比木のセブンイレブンに停めてもらいました。

どのくらいの歩数があるのか興味がありましたし。

 

結果は先日の「下岬」と比べて歩数も時間も半分でした。

感じたことは田舎道のくせに案外と通行車両が多くて期待したこの季節の森の一番の主役、ホトトギスの声がかき消されてしまいました。

ホトトギスの声からはそれを聴く者に何かのメッセージの存在を感じさせますね。

たくさんのメッセージは私の場合、すべて仏からのそれを感じます。「おまえ どうなの」です。

本来「おまえ」は「御前」で敬語ですがここでは「俗に」です。そういえば「貴様」もそのような感じ・・・でしたね。

 

さて、奈良国立の春日大社展には別館併設の「なら仏像館」への入館フリーが付いていました。

御一同にそちらの仏像たちの圧巻について聞けば「知らなかった」という人も。

まぁ考えてみれば本館と仏像館を隈なく拝観していたら半日以上の時間は要するでしょうから私もどちらの方も「ざっと見」でしたが。

それにしても「仏像館タダ」のアナウンス表示(最後の画像)は嬉しかったですね。今度はお得感が・・・と思ったほどです。

 

実はこの仏像館は本館からは100m程度離れているところに建っていますが地下道で繋がっています。

その間にレストランやら土産屋があって余裕さえあればその辺りで時間を費やすというのも良かったのですが・・・

の画像は丁度仏像館に上がる階段手前あたりです。

 

お出迎えを頂いたのは立ち姿の阿弥陀さん三体でした。

どちらも鎌倉期の古仏です⑬はそのうちの一つ。

⑫も阿弥陀さん。定印と厚ぼったいお顔の座像ですが平安期ですからの古さに溜息。

その次がお釈迦さんの座像、そして三十三間堂からか千手観音。

 

その仏像館の本館とは反対側の図が①でその裏側に地下道と館内へ入る入口がありますが、その本館側の入り口前に円形の池が。その中島に古式美形のずっしりとした宝篋印塔があります。

金剛界四仏の種子の彫りもハッキリ。

さすが奈良国立とそのさりげなさに唸らされましたが説明版の「個人蔵」に興味が。

所有欲ありますね。人はそれを「コレクション」と言いますが、その文言を見て「いったいだれのもの」と首を傾げました。

そもそも墓標ですし。

私も「コレ欲しい !!」と奥方におねだりすれば「買ってやる どこで売ってるの ?」と。

こればっかりは新しいものはダメ。墓石・石塔に仏さんは古ければ古いほどイイ。売っているところを知りません。

俗っぽくてごめんなさい。

 

その池の近くには何故か石棺まで。脈略を感じませんが奈良国立の外庭にはお似合いです。日本全国田舎道農道を歩いていて「この石は古墳を壊したあとの石棺だろ・・・」などと思うところありますね。

どちらでも古墳は畑を開墾、壊し放題の時代がありましたからね。牧之原にも結構あります。

 

これらには拝観料はかかりません。

 

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2018年

6月

03日

一本の草さえ 生きねばならぬ 使命をもっている

昨晩のNHK「ミッシングワーカー 働くことをあきらめて・・・」

なる番組を視聴。

思うことは勿論「辛くて切ない」もありますがよくもまぁこのような社会の致命的状況をお国が放置していたものだと。

いかに政治が遊んでいたかを物語っていますね。

それは『独身中高年と「ミッシングワーカー」103万人』の件です(番組サイト)。

 

昨日記した(人口減少まっしぐら・・・)「尻に火が付いている」どころではない惨憺たる日本の影の部分です。

思いのほか深刻で暗くなりました。

「ミッシング」と記されている通りそれは「社会から消えている」ことを表していますがこれはお国が算出する雇用統計の「失業者」という部類にはあたらず、労働市場から“消えた”「ノーカウント状態」になっているということです。

 

「失業率」は景気の指標になりますが、それがその数値に反映されていないことは、きっと今の「景気が良さげなのに実感がない」というところ合点がいきます。

「103万人が無職」でそれを「失業」のカテゴリーに入れていない・・・色々と不思議なことばかりです。

 

その「働かない」(働けない)ということは生産性がゼロということ。それではいったい何で食い繋いでいるかといえばまずは「親の年金」というところ。もはやこの国はぶっ壊れているのか・・・とも思える数字ですね。

そういえば周囲を見てそのパターンは世にありふれていました。

 

番組を視聴していると「仕事をしない」理由は「働くことをあきらめた」ということ。

病気等により仕事をあきらめなくてはならない状況はあるものですが、彼らの殆どは「親の介護のため」に離職せざるを得なかったという切実でした。

先日は「孤独」を謳歌するような人生を囃す書籍が出回っていることに「わかっちゃいない」風嫌悪を記しましたが番組に登場したどなたを見ても「孤独」を楽しむなどという感じは受け取れませんね。みんな寂しそうなのです。

 

ミッシングワーカーに陥るに3つのリスクがあるとのこと。

それが「非正規・独身・介護」だそうです。

中には両親の介護のために正社員をやめて非正規雇用、そして当然の如く伴侶には恵まれることはないでしょうしその親の不遇に子が付きあっていかなくてはならないという現実。

不遇と記しましたが仏教でいう「四苦(生老病死)」の「老と病」は絶対に歩んでいかなくてはならない道ですからね。

 

ここでも「お前はどうなんだ」という阿弥陀さんからの問いが頭をよぎってきますが「オレは絶対に施設など行かない」「この家で死ぬのだ」と施設に入る事を頑なに拒む方がありました。大いに気持ちはわかりますね。

しかしその子供はそのために非正規のままを余儀なくされて介護という重圧がのしかかるのでした。

よろこんで施設に入るという心の準備をしておかなくては・・・

 

選択肢は狭まれる中どう進んだとしても明るい未来は描けないとの声がありましたが、本当に辛い番組でした。

こうなるとお前は「いつ免許証を返上するのだ」は甘っちょろいですね。「いつから施設に厄介になるのだ」を考えなくてはなりません。

究極のところは早いところリタイアして息子に任せることですが、健康状態だけは何とか維持して子供の世話になることをできるだけ「入所」の子の判断に従いその時期も「その時」(お浄土に迎えられること)に近づける努力をしなくてはなりません。

 

浄土といっても子供を道連れにするのでは「気持ちは地獄」ですからね。

まずは親の年金で子供が生活するということにそもそも常軌を逸しているのだということを考えなくては。

 

表記と画像①は大谷祖廟の掲示板から。

「死にたい」という気持ちを吐露されていた方がいらっしゃいました。しかしその(電車に飛び込む)勇気が無くて踏切で立ち止まってしまうと。

みんないつまでも若くはないし、何時でも「寝たきり」状態になり得ることは知っているのでしょう・・・。

寝たきりや判断不能に陥る前に身の振り方を考えておかなくては。笑って浄土に行くにはそれしかありませんね。

「無常」は受け入れなくてはなりませんがとりあえずは「健康」「無事」が目標です。

 

②③神の使いと言われている鹿もなかなか大変のよう。

日本人は鹿など完全無視しています。奈良公園の鹿など珍しくも何ともありませんからね。

ただあちらの鹿世界は今のところうまく回っていて餌やり担当は殆どが外国人観光客。

本当は鹿せんべいを売るオバさんが一番に助かっているのでしょうが。

 

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2018年

6月

02日

次回企画展も食指が いとのみほとけ 縁結会

世の中には色々な趣味系統を持つ人がいらっしゃいます。

特に奇天烈なご趣味を持つ方で「没頭しすぎる」感ある場合少々引き気味となる私がありますね。

かといって私の趣向が「他者から見てさてどうだろう」と思えばあまり説得力がないかも知れません。

 

先日の「あなたはいったい・・・」の掲示板の、また「どうなりたいのか」という投げかけの回答ではありませんが私の希望的寺の在り方としては地域コミュニケーションの尻押しができればと思っています。

漠然としていますね・・・。それでは突っ込んで・・・。

 

「笛吹けど踊らず」という現象が十分に考えられることで私がどう囃しても時代に抗うような雰囲気がありますが、地域の活性化に直結する縁組後押しの場としての寺の活動です。

題して「縁結会」(えんゆうかい)の結成。

コレは上手い事考えたので商標登録を・・・などと奥方と。

 

前回も掛川のお寺で業者主導でのイベントを企画されましたが参加者僅少で中止になったという経緯がありました。

非情にナイーブな件で、その件に顔を突っ込む事も憚られる事ですが、もはやそんなことを言っていられる状況ではありません。

尻に火がついて、あるいは軒先に火がついて(火宅無常)、平気な顔をしているのと同じです。

「あなたはいったい・・・」なのです。

 

だいたいお国の方が「尻に火が付いている」危機的状況が認知できていないということはトップの総理殿がご自身と御身内の幸福のみしかお考えになっていないご様子からよくわかるところですね。

昨日報じられた厚生労働省が発表した、2017年の人口動態統計によると

1人の女性が生涯に産む子どもの推計人数を示す「合計特殊出生率」は1.43で前年を0.01ポイント下回り、2年連続で低下した。出生数は94万6060人で、前年に続き100万人を割り、過去最少を記録した。死亡数は戦後最多の134万433人。死亡数から出生数を差し引いた自然減は39万4373人で過去最大幅となり、人口減少が加速した。」

 

どう考えても今の政治から将来を見据えた政策は見えてきませんね。どんだけのんびりしているんだと吐き捨てたくなりますが、ここは一つこのちっぽけな町であっても「じたばたしなくては・・・と考えたのでした。

 

臨済宗系の寺院を会場としたそれはシステムも確立されてかなりの認知度を得ていますね。

その活動が地元へ結実したかというところはまだ聞いた事がありませんが・・・

 

とにかく多くの女子たちに来ていただかなくてはお話にならないことだけは確かです。

私は知っています、女子たちは結婚について「したくはなくないが機会がない」ことを。まぁ肩肘張らずにどんな寺か「遊」(この音も「縁結」の「結」と同じ「ゆう」)の気持ちでお参りに来ていただければ。

私が前面に出て(チャラい坊主と)印象を悪くすることは避けたいため婦人部主導で動いて頂きたい旨の了解は得ています。

「御朱印ガール」「刀剣女子」「テラガール」等の造語が持て囃されていますが絶対に寺の良さは分って頂けるはず。

 

私の気持ちとしてはその他に「墓場系」などいらっしゃればもっと楽しいのですがね(まぁ99%ナイを踏んでいますが)。

石塔・石仏に関してその世界にご興味がある方は特に歓迎いたします。男女関わらず一緒に学ぼうという方は是非に。情報を交換しましょう。

 

ということで大体の案は固まっていますのでこれから世話人会等で詰めてから記させていただきたいと思っています。

 

「いとのみほとけ」からその「縁結」をイメージしたのです。

こちらは昨日記した奈良国立博物館の企画「春日大社」の次に控える企画です。

當麻寺の浄土曼荼羅も昔教科書で見た「天寿国繍帳」もお目にかかることができるよう。

 

予告編の中の「鎧繍(よろいぬい)と相良繍(さがらぬい)」~「立体感を表す究極の繍技」とありました。

相良繍」なる語はお恥ずかしいことですが初めてでした。

古来からの刺繍の技法とのこと。

そういえば拙寺に伝わる阿弥陀さんの軸(源信筆伝承)の螺髪もそんな感じでしたね。

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2018年

6月

01日

ゴチャ混ぜいい加減がイイ 神仏習合 春日大社

昨日のテレビ小僧の続き

超ホームで予選敗退組、秋葉原お買い物ツアーの時差ボケガーナにボロ負けした西野監督が本戦登録選手のメンバーを発表しました。

案の定の予想通りでクビにした前監督がピックアブしていた選手たちが勢ぞろい。

あの首の据替はいったい何だったのでしょう。敢えて言えばホンダ選手の立場が怪しかったこと。

まぁ新監督としては「サプライズ人事」などの冒険をやらかして、その結果から大失敗と叱責されるよりは、「無風でそのまま」というスライド人事にしておけば、譬え三連敗の惨敗だとしても「仕方ないね」で済まされるという責任回避の方向性はわかります。

 

まぁ人気選手とそれらを推すスポンサー契約を重視したといってもいい選手選択が想像できますし、いわゆる大衆迎合の一つかも知れません。

新監督という名誉などカタチだけ、西野監督がはたして自身の判断だけで彼らを選んだのではないでしょうね。

ホントに今回人事は矢面に立たされるだけ嫌な立場です。

メンバーを見れば冒険の「ぼ」の字もなし。

 

私はw杯とは「原石を磨く土俵」という意味合いもあって国レベルで若手を育てるということに意義があると思っています。

歌謡曲に「昔の名前で出ています」というタイトルがありましたが、失礼ながら30代過ぎれば蹴球世界ではもはや爺。

ざっと見、平均年齢高すぎでしょうよ。

どうせボロ負け三連敗するのなら若手(20代前半)にガンガン行かせた方が見ていてスッキリするのですが。

 

若い連中の力は未知ですよ。意外な収穫だってあるかも知れませんからね。いくらでもそういった原石は転がっているものでそもそも監督とは自分の色をだすためそれらからダイヤモンドの輝きに磨き上げるということが仕事なのですが。

どうにも納得のいかない日本サッカー界の不可思議です。

 

サッカーで「演歌」の懐かしい曲名を出しましたのであと1件。

ずっとテレビニュースで報じられていたアメフトです。

日大のみなさんからすれば恥辱のうえに恥辱を重ねたといってもいいあのアメフトタックルから始まった色々。

早いところ「ごめんなさい」の声が出来ていればああはならなかったと思う自己含めた「管理」判断の甘さからくる自業自得ですから同情の余地はまったくありません。

もはやあの「前監督と理事のクビ」をあげるまで世間は「溜飲を下げない」レベルへ怒りと不満は醸成されてしまっているよう。

 

しかし関東学連からの処断からニュースで報じられる前監督さんのその言葉への評価には「うそ」の単語ばかりが並んでいました。

いい歳したオッサンがどのチャンネルを回しても「うそつき」呼ばわりですからね。苦笑するというかちょいと気の毒な気持ちにもなりました。

 

私が20代の頃に居た会社にて、友人のSクンがマネージャーの質問に対して「その場しのぎのいい加減、適当」を申し開きしたところ後日フロア朝礼の一同を前にSクンに向かって「この嘘つき  !」と罵倒したことがありました。

それを見ていた更に若いアルバイトのNクンが後から「折れたタバコの吸い殻で~あなたのウソがわかるのよ」と口ずさんでから、いよいよ皆は面白がってSクンのことを「嘘つき」と呼ぶようになり、それが彼のあだ名になったことを思い出しました。

これは屈辱的な語に感じますが当人はいたって能天気。むしろ喜んでいましたから。

また彼は生来の「いい加減」な性質でしたからね。

 

さて「いい加減」という語については当ブログでも物事に対するにごく推奨すべきスタンスであることを記していますが、この件は説明責任をはぐらかして保身のための出鱈目のウソ八百を並べるたてる政治家その他とりまきのそれとは違います。

それらはどいつもこいつも「折れたタバコ」ではありますが

イイ歳したオッサンたちがしらばっくれて厚顔の太い首を「橋台のイモ」のように並べる有様は見ているこっちが恥ずかしくなります。

 

私の好む「いい加減」を敢えて言い直すとしたら「いい塩梅」「ちょうどいい」ですね。「鷹揚でデカイ」をも類推します。

 

一昨日のNHK番組「歴史秘話」のタイトル「奥深いニッポンの信仰心」にて日本人の信仰心の良さとは「ゴチャマゼでいい加減だったから」であると断じていました。

それが日本人の良さ「寛容さ」「懐の深さ」なのですね。

歴史世界ではそれを嫌ったのが明治政府でした。

それが最大の愚行と揶揄される廃仏毀釈だったというワケです。

そのバカバカしい施策はスグに修正はされましたがその瞬間的短慮の及ぼした仏教遺物の損失は計り知れないものがありましたね。そしてまた国家神道を基礎とした教育が結局は各大戦へと導き、国民を苦難の道へと引きずり込んだというのが歴史でした。

 

先般の拙寺奈良遠足の最大焦点は「奈良国立博物館」。

そちらで開催されている「創建1250年記念特別展 国宝 春日大社のすべて」<6月10日(日)まで>でした。

それを聞いた奥方は「なぜにして春日大社へ ?」と聞き返していましたがある意味その質問はもっともかも知れません。

単純に考えれば「春日大社」は神社のイメージが大ですから仏教史との関連の有無を知りたくなるでしょうね

 

しかしその番組の通り、日本人の宗教観(神と仏のゴチャ混ぜ―神仏習合)について語るにこの春日大社の存在は欠かすことはできませんね。

 

夥しいほどの春日曼荼羅の御軸の整列から「神仏習合」の証拠の品々。価値ある機会でしたが、時間がなし。いつも同様「図録で復習」を試みます。

入館料1500円+図録2500円+別館図録1000円で5000円也。

それからあちこっちの拝観料たるや・・・人の興味を充足させるにはおカネがかかる・・・。

 

④が数ある春日曼荼羅の一つ。神の本地仏(「本地垂迹」)について詳細が描かれています。

③の春日大明神の権現、本地仏が不空羂索観音という説がありますが釈迦であるという説の後ろ盾にあるのが⑤⑥の「春日神鹿(しんろく)舎利厨子」。舎利とは「釈迦の骨」ですからね。

私が嬉しい遺物といえばやはりコレ。

「黒漆五輪塔嵌装舎利厨子」です。

 

最後の画像が今回展示会にて「鳴り物入り」で登場したのは鼉太鼓(だだいこ)。

舞楽を伴う雅楽に使用される巨大(658㎝)な太鼓です。

本来は左右一対、源頼朝寄贈といいますが昭和51年まで現役使用されていたと。よくもまぁ・・・でもあります。

修復の手を入れて今回の展示となったのでした。元々は興福寺にあったもので神仏分離令以降に春日大社にて保存されるようになったもの。当ブログで一つ一つピックアップしていたらキリがありません。奈良へどうぞ。 

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2018年

5月

31日

愛荘町大字の東出と西出 何が出るの・・・

昨晩はテレビ小僧。

「歴史秘話」は神仏習合、特に先日「寺遠足」で訪れた奈良国立の春日大社展についてでした。

サッカーについてはもう触れまいと思っていましたが怒りがこみあげてしまい一言二言。

 

ハリルホジッチ監督を突如クビにしたのは「ホンダ君をロシアに連れて行きたかったから・・・」とその画策の成果だったといわれていますが・・・不可思議で説得力の無い差配がありましたね。

昨晩はサッカーW杯直前のガーナ戦。

雨中アレを見せつけられた観客には気の毒とは思いますがまぁ懲りないというか、ファンというものの厚い気持ちに感心させていただきました。

私がスタジアムに居たとしたら・・・とことんそこに居た自身の判断を恨むでしょうね。ああテレビでよかった・・・。

 

ガーナチームの皆さんは殆どオフ調整でしょう。

はるばる極東まで・・・の心というのは半分以上「秋葉原お買い物ツアー」だということは推測できます。強豪が揃うアフリカ予選では敗退し、w杯には出場しません。まぁそのリラックス感が試合に反映されたという言い訳もアリかも。

こういう試合を世界に見せつけては「アジアの出場枠をやはり減らそう」という意見を許してしまうのです。

一言で言って「完全(超がつく)ホーム」試合であのザマからみていよいよ本戦3戦全敗が連想できるというもの。

 

日本チームの今回の試合への気合の入れ方ときたら半端ではなかったですね。それが空回りというのも言い訳の一つにはなりますが・・・。腹が立つのは失点2点とも反則からのフリーキックから。1つはPKで両方ともゴール正面でした。

傍観者の立場で言わせていただければ両方とも余計なファウル。

皮肉にもあれだけファウルというものに注文が入っているスポーツ世界にも関わらずというところで「なにやってんの・・・」の感。

 

また、スリッピーな芝コンディションにありながらシュートとパスを浮かせること浮かせること・・・。

何故にグラウンダーのパス出しとシュートを徹底しないか不思議でなりませんね。

水分を含んだ芝は勿論、土のグラウンドであってもボールは不規則な回転をもってさらに高速化するものです。

なぜに背の高いディフェンスの中に空中戦を仕掛けるのかも不明。ああいうコンディションはとにかく「グラウンダー」。

要は「足元を」なのですが・・・

 

攻め手の不満としてはさらに「ボールを持った時の変な余裕」です。「持ちすぎ」(ボールを)という言葉がありますが、あと一歩半歩パス出しを早くしないと「次」を読まれてしまいますね。

すべてが相手にとって「おいしいサッカー」をしてしまっていることが歯がゆいところなのです。相手にとって「嫌なプレー」とは後ろからタックルしたりする「反則」ではないのですが・・・。この位置でそのプレーに及んだら・どうなる・・ということを「考えて」相手を止めないと・・・「罰」(フリーキック)のリスクは得点機会が少なくまた得点能力に欠ける日本サッカーに於いて致命的となりましょう。

 

素早い(本能的を希望しますが)パス出しと次の次への発想、機転を念頭においていただきたい。連携も戦術もちぐはぐ感はぬぐえず、もはやチームも次の次を模索した方がいいのかも。

 

さて先日は狩野城の蚊野氏について2~3記しました。

そちらに「上蚊野東出村 佐々木随兵 村越越中守」とあった東出村について。

きっとこちらの「東出」とは以前の字名であると思いますが現地は愛知神社目賀田の集落と鈴鹿山系麓を走る名神高速に向かう道沿いにあって以前からその地名に関していったい何に対して「出張る」のか・・・と思うところがありました。。

 

そしてその東出から街道を西に行けば「西出」ですからね。

東西の位置関係はわかりますがますます「出」がわかりません。出鱈目な推測を記せば岩倉川を天然の堀にして、北からの侵攻に備えた「西の出曲輪 東の出曲輪」というところ。

 

地名一つ見ても頭を悩ませます。それがまた地方に行って楽しむべきところ。

①②③は東出交差点と本願寺派の正光寺。④~が西出。こちらも本願寺派の宝憧寺(ほうとうじ)です(場所はこちら)。

宝憧寺境内には即如門主とあるのは本願寺派24世門主さん。

当地に訪れたということですね。

この街道筋は「お西」が多いような・・・

目賀田光明寺もその川向う吉田、岡村本家の近くの正法寺もお西でした。

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2018年

5月

30日

香之庄 養専寺標語と香之神社前の宝篋印塔崩壊の美

国道1号線茅ヶ崎駅直近の東海道一里塚は都市開発の流れの中、今も遺る奇特。これからの世はその手の遺構については大切にまもろうという機運が高まっていくはずですからここまで来れば未来に向かって存続していくことはまず間違いないところでしょうね。

 

今回そちらの道標に向かって国道から突っ込むように歩道に入って歩行者を跳ねてしまったのが90歳のお婆さんでした。

死傷事故により逮捕され、報道では敬称は無くいわゆる犯罪事件の仲間入りと相成ってしまいました。

被害者の方も「思いもしない突然」を受けての事でとても気の毒なことですが加害者にも同情したくなる事案です。

周囲の者たち皆を不幸にしたこと、何ともやるせない現実を迎えてしまいました。

90歳という年齢で車の運転ができるということに感心するのと同時にやはりそういう結末か・・・というところもありました。

 

暴走事案は年齢に関わらず発生していますので特に「その年齢が・・・」というところに強い違和感はありませんが実際声が上がっているのは「何故にそれまでに免許返上を選択しなかったか・・・」です。

しかし私の周囲で起こっている「うっかり暴走」の事案は50代からありますし、その原因について年齢が年齢だからと一概には言えないところがありますね。

その意見はまずこの手の事案に登場してきますが、そもそもそれ(返上)を選択するしないの判断は当人の意思、「自由」ですからね。

社会は免許証の保持については適正な手続きがあれば承認していますので。

 

その手続きの一つに「75歳以上」は免許証の更新時などに「認知機能検査」というフィルターが設定されていますが、聞くところによれば殆ど「ざる」といいますね。

私の知り合いの方でその方の父親に認知機能の低下による度重なる物損事故に呆れていたところ免許の更新を迎え「これは落第!!」と期待していたところスンナリとパスしてしまってガッカリと。今は「車に乗せろ いや乗せない」で家庭内で揉めています。余程のことが出現しない限りまずは通過してしまうようですからあまりその検査というものに意味はないような。

 

息子としては人身事故を起こされてはたまらないと必死ですし、御当人は「大丈夫」と言い張っています。

しかしこの親子の関係はむしろ適切かもしれませんね。

親の車の運転ができるかできないかについて一番知っているのは子息ですからね。

難しいテーマですがやはり家庭内コミュニケーションは大切です。

 

ちなみに私事、この頃運転の自信というものが失せてきましたが「まだいいんじゃね ?」と能天気です。このままいくと「私は大丈夫」の如くの陥りやすいその性質の出現、危惧は感じています。

いつ息子に「ダメ」の断を喰らうのか・・・。

その時は神妙にお縄を頂戴いたすことを誓いましょう。

その件、ある意味「しあわせ」なことですよね。

 

さて狩野は「かのう」。軽野は「かるの」香之庄は「このしょう」と近江「蚊野」地区について記しています。

その香之庄の交差点近くの道路脇に今一つ私の「静体視力」で見つけた宝篋印塔について。

蚊野の街区より香之庄交差点を天満宮を左に見ながら28号線を南東方面に曲がります。

 

左手に真宗大谷派の養専寺を見かけて参拝。

そしてスグにまた「香乃神社」が

香乃庄の香乃神社ということで了解・・・しかしなぜにしてこの地は「かの」「こうの」の音(頭文字「K」)にこだわっているのでしょう。面白すぎますね。

 

車両走行中「香乃神社」の名に「なるほど」と感じいってその向かいに目をやると大木が目に入ってその下に残存映像としてあったのが見覚えのあるカタチでした(場所はこちら)。

ここでもまさかの宝篋印塔の出現です。

欠損崩壊の目立つ宝篋印塔ですが塔身四面月輪種子に格狭間に反花座が確認できます。隅飾りについては4面とも欠損していますが立ちあがり具合と風化の様子から南北朝期から鎌倉後期くらいまで遡るかも知れません。

 

その際私がいただいたメッセージは養専寺前の地元仏教会による看板に記された言葉。

       

   「あなたは いったい どうなりたいと 

               生活しているのですか ?」

 

こたえは人それぞれあっていいもの。

あえて私が口にしたことは

「さて。どうなりたいなどないし・・・疑問に感じられるのは当然の事でしょうが・・・どうにもなりません。」

うまい空気と青い空を眺めて生活したい、そんなところでしょう。あるがままですよ。

 

香之庄は村川さんだらけのよう。

 

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2018年

5月

29日

蚊野外 絶妙の出現  金剛寺橋下 御霊神社の宝塔

先日は「山口神社」なる名称について記しましたが「御霊神社」名称も各地にありますね。

私事一番に思いつくのは京都の大乱(応仁・文明の乱)勃発の地として名のあるそれですが・・・。

 

名称から推するに前者のそれ(山の麓口)とは違ってどなたか対象人物の「怨念」を鎮静化するためという要素が多分にあります。要は「今は反省しています」の表現でしょう。

「貴方様のご無念については地元民一同了解しています」よって「今生きる我らに向けて悪さはしないでください」といったところでしょうか。

 

各伝承としてそのどなたかを特定できる御霊もあればどなたの霊を鎮めることを目的にしたものか不明のもの・・・色々です。

 

話変わって以前も記したこともある私の「静体視力」。

そのような語は世にはないでしょうが・・・。

運動神経に欠かすことができない「動体視力」に関してはよく言われますが、私の得意能力の自慢として「奥の墓道」氏に車上運転中であっても遠くの「墓石」を見つけ出すことが出来るのだ、如くドヤ顔をして言い放ってから使用しています。

しかしそれを初めての人に言ったとしても「何それ?」でしょうね。

 

昨日も触れましたが「墓・城址は藪の中」説は大いに当たっていて特に近江の田園風景の中にそのような場所があれば要チェックポイント。

ただ車からの景色を漫然と眺めていてはその出会いにはありつけませんね。

 

さて、偶然にそれもしつこく探索した結果「出会い」という「果実」を得た件記します。

それは墓石ではなく、ある鳥居の手前に建った掲示板が通行中に目に留まったことから。

その神社が御霊神社(場所はこちら)。

宇曽川上流の橋の手前、土手の下という感覚ですが、その橋「金剛寺橋」の交差点付近から何となく最初に見かけてから「ああ私を呼んでいる」とその神社に通じる道を探しました。

掲示板の内容など考えもせずにです。

「探した」というくらいわかりにくかった(到着してみれば大したことはないのですが)のは前述の通り天井川に河川を囲う堤防と橋を繋ぐために立ち上がった道路が交差する場所で付近には降り口は見当たりませんでした。よってあっちこっちを彷徨ってしまいました。

 

こちらの地名は「蚊野外」。

勿論私はこの地名を見てニヤリ。第一コレを見て「蚊帳の外」を思わない方はいないのでは・・・。

しかしそれはイメージ膨らませすぎ、実際の読みは「かのとの」。

「外」の「との」読みは苗字等でよく見ますがこの辺りでその「音」を聞くとやはり「殿」を考えてしまいます。

 

こちらには掲示板の如く鎌倉末期の宝塔が森の中にあったのですが、思わず歓喜しましたね。意表を突かれましたので。

これも「まずは、そもそも・・・」と前置きして神社境内に「墓標はない」というのが常。

そう踏んではいてもあの掲示板と鳥居の様子は何故か私を誘引するにただモノではない何かを感じさせましたね。

 

尚、そもそも神社、特に新しいものは絶対といっていいかと思いますが墓碑・墓石は無いと踏んでかかります。

神社は「死」を嫌うという傾向がありますので。

死を穢れと解することを特に強調されたのが明治期でした。

しかし神仏習合の時代もそうですが戦乱期から廃仏毀釈を通して寺→神社の流れもありますので、一概には神社に墓塔は無いとは決め付けられないのですが、神社境内の探索に関してはいたってサラりというのが基本です。

 

そんなスタンスでいるだけにあの宝塔との出会いは喜びでした。まずは余程の執念がなければあちらにはたどり着かないでしょうが。執念の甲斐があったというものです。

あの際は奥方が隣の席にいましたが、「どうせ何もありゃあしないから車番している」でした。

 

車は近くの蚊野外公民館の前に駐車したのですが、それは神社付近の行き止まりの転回不能を考慮したためです。

車で突っ込んだとしても問題はありませんでしたが。

 

画像後ろ4つが公民館近くの図。

コンクリート製の覆堂は初めて見ましたがキレイに整備されてこういうカタチもアリと思ったところ。その辺りにぶん投げられて放置されているような石仏をそこここで見させられていますからね。

 

地元教育委員会の看板設置期日からして、長い間この森の中に見落とされていたのでしょうか。

尚、看板設置場所や境内社殿からは離れた場所にあります。公民館側です。

 

 

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2018年

5月

28日

軽野神社から蚊野の狩野城の藪 城郭大系にアリ 

日本大学の「守りたいもの」のすべてがそれだとは言い切れませんが昨日の新聞紙上による指摘はお国からの私学助成金の件。なんと金額は「80億円」というから驚きです。

ところが理事の不祥事等へのペナルティとしてその補助金が減額となったり交付されなくなったりするとのこと。

ということにより監督(副理事)が「私の指示です」と白状できずまた大学としても監督を守りたいという意思が働くというものです。

 

ということで社会に日大OBが溢れていますので各方面からの擁護忖度の醸成を期待して一同バックレの意思統一、刑事告訴の一つや二つ「やれるものならやって見ろ」の大バクチを打ったというところでしょうか。そのオトナのバクチたるや一人の学生の存在を葬り去るということになりますから、結果的に学生を犠牲にして80億を取ったというのが今回の不自然な日大の「ツッパリ」だったということで合点がいくわけです。

 

私たち庶民的思考たるや今やあの時代劇、「水戸の御老公」の采配の如くスカとした結論が出る事。

80億円召し上げのうえ担当者「お仕置き」は当然の事。

「お取り潰し」がないだけありがたいと思わなくては・・・

大甘の処断など期待するだけアホ。

あれだけ世間様の怒りを買ったのですから各大学OBももはや守り切れるものではありませんね。

ちなみにその「80億円」は元をたどれば私たちの税金ですし。

 

さて昨日久々に記した蚊野の軽野神社付近ですが、こちらの起伏のない平の田んぼを隔てた場所~隔てたと言っても100mもないような場所です~にかつてあったのが狩野城。

 

私の「竹藪・藪には何かある」の主張に違わず、軽野神社から見た風景は「島状に竹藪」の感。

ただし蚊野の中心集落がその向こうに続きますので「島」ではなく軽野神社からは城址を西から見たような恰好になるかと(場所はこちら)。

 

ちなみに「竹藪」が単独に残存するその意味は「かつてあった城砦跡か墓域」を推測します。かつての領主・支配者の城砦跡も墓域も後世になってからも「手を入れる」ことに遠慮があるからです。勿論伝承口伝によるもの「禁忌」の部類ですね。

また近代においてそれらタブーは「公共の福祉」という大義によって排除されていることは言うまでもないこと。

「竹藪が残っている」ことが奇特な時代になりました。

 

平地の城館址は往々にして住宅化していきますので殆ど遺構は残りませんが、かといって安易に落としやすいと思うのは早合点しすぎ。私は低湿地帯に浮かぶ城塞を想像します。