2021年

7月

29日

固定化されたイメージ 地蔵といえば笠? 伊賀の笠地蔵

神奈川、千葉、埼玉のトーキョー隣接三県が揃って緊急事態宣言を要請するとのこと。

トーキョーが3117とこれまで見たこともない数字となってそれにつられて3県の状況も酷いもの(神1051 千577 埼877)。

私ども静岡県も120で牧之原市にも2人ほど出ています。

 

息子も私も仕事の内容は他人様の前に出て声を出して(当然大きく呼吸)おしゃべりもするという「特殊」な職種のためその感染についてのおそれは少なくないことは承知しています。

 

それでいて私も息子もその時は「しゃあない!!」との開き直りがあるのですが、他人様に感染させてしまわないかということに、以後スケジュールが台無しになってしまうことがとても心配になります。

8月のお盆シーズンは結構に埋まっているのです。

こちらが「だいじょうぶかよぉ~」と思わせるくらいに・・・。

その感覚は元に戻っているのです。

 

昨日は「だいじょうぶ~」の心について記しましたが、それは一つの「世話をやいてくれるな」であってやんわりとした反意の主張ですね。

よってその三県揃い踏みの「宣言」に関して私は「100%意味ナシ」を思うワケです。

それをどうこうとしたとしても、もはや人々の、特に若者たちの「だいじょうぶ~」の内心「世話やくな・・・」と見ます。

要は「私のやりたいようにやる」し、コロナに掛かったとしても「まぁ、なんとかなるだろう」ですね。

その雰囲気を社会全体に広げたのが五輪の開催。

 

お偉いさんに「感染状況どうするの?」の質問に対して「五輪はTVでみてください」・・・とは如何に。

まったくもって質問の回答になっていないですよね。

最近のワンパターン「はぐらかし」。

 

先日の4連休以前のあれこれトーキョーの人々の行動がその3000オーバーの数字となっているのですが、ではその「だいじょうぶ~」の最たる4連休五輪開催のデタラメ、オーバーおちゃらけ気分の高揚時期のその結果がまだであるということの怖ろしさたるや・・・

 

そしてまたその4連休の各地へのトーキョー脱出者が18万人もいたといいますので、これからもっともっと強烈なしっぺ返し(おちゃらけ気分の)を各地で喰らっていく図も想像できます。

相当な蔓延を覚悟する必要があるのでしょうね。

 

おちゃらけ気分といえば「この世は私のためにある~」という女性歌手(山本リンダ)の曲のフレーズがありましたが(年が知れます・・・)その流れの別の曲に「どうにもとまらない」なるタイトルもありました。

 

「この世は私のためにある」といった具合におちゃらけ気分を盛大に盛り上げたガースー総理の施策が国民の行動「どうにもとまらない」に繋がったというワケです。

 

さて、以前当地より奈良方面に向かうに「東名阪を伊賀で降りて笠置から加茂のコース」と記しましたがその道が国道163号線になります。

先日記した残念石から加茂の石仏などもそのルート上にあってきょろきょろしながら走っていれば奈良に到着できないくらいのお楽しみがあります。

要は歴史が詰まった地。キリがないのですね。

 

また、それら、以前のブログに記されているコロナ新規感染者と今の状況が雲泥の差でその時の私の考えも違っているところなど面白いところでした。

 

その163号線を伊賀から南山城方向に向かっていると道路の左手に「笠地蔵」の案内板が目に入ります(場所はこちら)。

ただしこの道路は車がひっきりなしにそれもハイスピードで通過しますので、車は安全な場所に停めてからその地蔵さまに会いに行くことになります。

 

掲示板の通り「天正伊賀の乱」の際の伊賀からの逃走経路がその裏手の山道にあったことか記されていること、そして地蔵堂の中の奥にあった五輪塔の残欠に心が向きました。

 

地蔵はオーソドックスなタイプで身長130㎝とその存在感をアピールしています。

何故かとってつけたような笠がのっかっていました。

石室の違いも一目瞭然。

なるほどこれで笠地蔵というワケか・・・勝手に納得した次第。

 

昔から地蔵といえば「笠」と一番に考える人が必ず居て、案外とその「仏への優しさ」を推測させる提案は周囲の人々から承認されるということですね。ワンパターンでもありました。

私からすれば頭の上に石を載せられては「たまったものじゃあナイ」ですが。

 

これもいつもの赤い前掛けと同じ感覚なのでしょう。

古き時代のオリジナルに「手をかけるな」。

これこそまさに余計なお世話。

 

 

 

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2021年

7月

28日

39才以下接種券 標高の高い夏の景色 谷川岳

トーキョー2848・・・。

今回の五輪の開催年2020や今年の数字くらいまでは「8月頭にはある・・・」といった専門家のシミュレーションにありましたが、それらを大きく超えて3000をうかがう勢いですからね。

日々色々驚かされることに遭遇していますが、この辺は想定内。

五輪関係者もガースーも想定内の様。

 

まぁ他府県の事はともかく、当静岡県も99人と尻に飛び火していて牧之原市も昨日は2名の新規感染者が。

まぁ首都圏の皆さんのノー天気「平気 平気・・・」と私も含めて「私は大丈夫」の蔓延がこの数字に繋がっているのでしょうが

沖縄の354人という過去最高を叩き出すその理由もそれに近いものがあるのではないかと思い当たる節があります。

 

沖縄の人の口癖といえば「だいじょうぶ~」でしたね。

ビーチパーティで泡盛をがぶ飲みしてべろべろに酔っぱらった海人(うみんちゅ)に私が「大丈夫っすか~」と声掛けすればまずその語が返ってきたものです。

それでいて翌日になって聞けば「58号の信号待ちの度に爆睡してた」などと。

私の沖縄に居た頃の話。飲酒運転が緩い時代で豪快無比を感じたものでした。

現在ではまずないこととは思いますが、そもそも沖縄人(うちなんちゅ)は何事でも難題と思わない軽快、愉快な性質です。

 

特に内地発信の難題には今は「意に介せず」の気概があって、それは戦時下、軍の支配下にあって結局は沖縄の地が日本を代表して主戦地と化し戦火に蹂躙された歴史があったからなのでしょうね。日本政府の言うことを聞いたら酷い目にあわされる・・・

その思想に似た「だいじょうぶ」を今トーキョーの人出を見て思いますね。

政府のアナウンスに耳を傾けていられないのは一言「信用していない」から。

 

今年は開戦80周年といわれて、NHKでも五輪後の反省ドキュメンタリーの番組が放映されることでしょうが、我々はその「反省」という語だけは忘れてはイケません。

 

五輪の時節には「諦めない」とか「努力は報われる」といった凛々しい文言が流行りますが、その掲げられた空虚な語のアドバルーンを「正義」と錯覚して若者たちは死地に向かったのでした。

思うに、その感覚は「負けちゃった人」は諦めた人、努力しなかった人という章になりかねない・・・などと。

 

さて、息子宛てのワクチン接種券とその予約方法についての案内が届きました。

息子は横浜在住ですが住所変更をしていませんので、色々と行政の手続きの報せが舞い込んでその転送が面倒なものです。

それでいてノコノコと帰ってこられるといのも困りもの。

予約についてはネットでできますが、若い連中は打った後の副反応が顕著といい、「打ったら即帰れ」とは言いにくい。

 

ある会社の職域接種(モデルナ製)で20代前後の社員3人(男1人女2人)が先週接種したそうですが3人とも熱が引かず翌日は会社を休んだとのこと。別の24歳の男性も翌日かなりの筋肉痛と熱があったそう。

それでいて45歳の男性はほとんど「だいじょうぶ」だったということでやはり若者はその件、想定しておく必要がありますね。接種翌日が休日ということを配慮しなくては。

 

画像は友人の「女墓場」の趣味。

先週末に「谷川岳登ってきた~」とのお気楽「だいじょうぶ~」。

彼女も私と奥方と同様沖縄にどっぷり浸かった生活を経験していました。

 

彼女はワクチンは打ちたくないと言っていましたが最近の事情から心変わりしている可能性もありますね。

私もその影響を受けて「国産がてきるまで待とう」などと考えていましたが先日、ファイザーの自治体接種を申し込んでしまいました。

圧倒的に副反応から死に至る例があるのはファイザーでしたね。これまでに700人以上が亡くなっているといいますので。

 

それにしても国産ワクチンがここまで遅れているのは「何故?」

そんな愚図モタの図を晒して・・・医化学途上国でもあるまいし。

お国の責任というもの、決して小さくはないですよ。

まぁすべてにおいてですがね。

これからトーキョーで感染させられた・・・などいう報が各国から寄せられるのかと。

 

 

 

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2021年

7月

27日

小田原日帰り電撃墓参 北条五代を大河ドラマに 

午前3時に起床してオオタニサンを視聴。

NHKがやめていたMLB放送を「視聴者のご要望が多いため」ということで「7回ばかり枠を」と報じられていましたがその第一回目ですね。

昨日は本来ならばオオタニサンが投げる予定でしたが1日スライドしてバッターに専念。二刀流が見られず不満は残りますが・・・

すると期待のブラボーが1本。それだけで大いに満足しました。

復調を期待しています。

次の放送は8/1とのことですが、それまではネットで我慢します。

 

その後は気分を良くして小田原へ墓参に。

ここ数日は台風による荒れ模様の予報につき、「今日中に!」顔を出したいということで、朝食もとらずに「えいやぁ」の勢いで飛び出しました。

 

墓参は2か寺へのお参りですがどちらも駐車スペースがないお寺で毎度難儀させられますがこれは小田原は「住宅密集地に寺」といったシチュエーション(本当はお寺が先・・・)多く見られ車社会「駐車場」必携の思想がまだ芽生える以前の立地がそのまま続いている・・・といった感じ。

 

明治期の仏教と寺排除の寺院困窮期に自ら寺地を手放していった歴史が垣間見られます。

しかし今時、墓参で車の置き場を考えて、尚のんびり手を合わせられないという状況はいやはや・・・私は田舎でよかった。

まぁ不動産の価値がナイに等しいのでしょうが、お寺としても土地がおカネに化けるのなら手放したくなる気持ちはわからないでもなし。

私の祖父はそれらの処分をしていきましたから。その時分は土地というものに相良でもある程度価値があった時代でした。

 

その手のことを考えると六本木ヒルズ下の麻布山善福寺など広い敷地で墓域もたくさんありますが「きっとスゴイ・・・」のだろう、などと下世話なことを想像してしまいます。

 

さて、小田原に顔を出すと毎度その変貌ぶりを体感するのですが、今一番に力を入れているのは「観光絶対重視」というところが手に取るよにわかります。

お堀端通りなど、観光を前面にした新設施設も目に入りましたが今回手に取った市の観光課が発行している冊子に気合の入り振りが伝わってきました。

それが以前から言われている「北条五代」をNHK大河ドラマに(してほしい)・・・というチラシです。

 

その件、毎度毎度「次は是非・・・」という具合に言われているのですが、問題は「5代」の人物像を分散させて描くのはなかなか難しくストーリーがブツブツに別れて収まりがつきにくいという点。主役が誰だかわからない・・・というところ。

 

以前「葵 徳川三代」という大河ドラマがありましたがまぁせいぜいその「三代」くらいに絞って進めるのが無難かと思うところ。

ではタイトルをどうするか・・・どちらにしろ「頭数」に拘ることを捨てましょう。それポイントでしょう。

さもないと明智に先を越されたように、「三好」や「松永」に取られちゃいますよ。

私など最近は「本願寺顕如」など最高!!などと無謀な思いまで、もたげています。

まぁそれは「特定の宗教」とのご批判を受けることとなりましょうし無理でしょうね。

オーソドックスに考えただけでもまだ採用されていないたくさんの主人公が揃っていますし。

 

それでいて「ルイス・フロイス」などの突飛な大河ドラマの主人公など持ってきそうでもあり・・・

まぁそれなりに面白そうですけどね。

いや、やはり分散しすぎて(配役多すぎ)無理でしょう。

 

戦国大河ドラマを予想するのは誠に楽しいこと。

とにかく私は今これまで何度も顔を出している戦国の次回「徳川家康」を首を長くして待っています。

またも静岡県主体の大河になるということ。

町おこしに大河ドラマ・・・を掲げられるだけ素晴らしい。

歴史にあまり登場してこない土地が多いなかで。

今日は磐田市が盛り上がっているのでしょうね(卓球混合ダブルス)。

 

 

 

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2021年

7月

26日

七曜紋手ぬぐい 500円 浜岡まで歩くのは

日曜にもかかわらず境内参拝者はまばら。

午前中はざっと先日持ち込まれた盆栽含めて、すべての松の剪定に区切りをつけました。

気になるところはたくさんありますが、どこかで手を打たないとキリがありません。

まばらにある参拝者の皆さんはマスクをガッチリ装着してのいでたちでどなたか一瞬で判別するのは難しい。

そして私。境内作業にマスク装着の件、以前記しましたが、もはやそれはもう完全にナシ。

へいチャラの躰で境内をうろついています。

 

午後は久々に徒歩で浜岡方面に向かいました。

いつもの行ったっきり、向こうで適当に奥方を呼びつけて拾ってもらうという作戦です。

緑の中を蝉と鳥の声を聞きながら歩を進めることは至福の時間。法事もなく直近黒くなったとしても「障りはない」と決めつけてのブラつきです。勿論ノーマスク。車しかすれ違いませんからね。

 

昨日は蝉と鳥たちの声以外にいつもと違う音が耳に入ってきましたがそれが遠く波の音。

海の荒れ具合を実際に目にしてはいませんが、太平洋上には台風8号がありました。

この7月の台風でこの辿るコースに首を傾げる方は多いのではないでしょうか。

本州に近づくにしろ普通は高気圧のへりを回り込んで、沖縄から九州方面を「狙い撃ち」にしたものですからね。

 

ところがこの8号の予報進路を見ると上陸地点は東北福島辺り。

台風は高気圧を避けたり偏西風の影響を受けながら進みますが、パワーの供給源は海水温度の高さですね。

いくら何でもその辺りの海水温が沖縄周辺ほど高いはずもなく、成長は限定的と考えますが、8号がこの進路を取るということはやはり以前とは違う変化、気温、海水温の上昇が影響しているのでは・・・

その件、昨年もどこかで記した覚えがありますが、台風といえば即西日本の被害という連想はもはや古い考えになったかもしれませんね。

 

強烈台風が東京湾を襲って「レインボーブリッジ崩落」「お台場浸水」などいうニュースが起こり得るかもしれない・・・などなど歩きながら・・・

 

そして昨日は私の誕生日。まぁ365分の1ということだけで最近は「目出度い」より嫌悪しかありませんが息子から「いくつになった・・・」などふざけたメールが入っていました。

「何かくれるのか?」と返せば完全無視となっていましたが。

 

その前日は最近平田寺で催されるようになった田沼意次法要の日。「私」の前日ですから忘れようがありません。

天明8年(1788)7月24日の没で法要に参加された秋野氏から「10人ほどの出席」があったと聞きました。

ちなみに昨日の東京の感染者は「1763(宝暦十三年)」ですからまさにうなぎのぼりの田沼時代。こじつけでした。

 

法要を開催するに平田寺住職の大変さは手に取るようにわかりますが、こういったものがいつまで続けられるのか、他の相良の殿様たちは無視していいのか・・・などなど一人歩きは色々と考えさせられる機会となります。

 

①は七曜紋の手ぬぐい500円。

当初不要であるとは思ったものの相良城の材を使用している拙寺本堂ということもあって1枚購入し、額にでも入れておこうか・・・などと思い出しました。

 

②途中須々木地区で見たワクチンタクシー配車場の掲示板。

年配者の利便のために配慮されていることがわかりました。

しかしそれで感染が広がったりして・・・などとも。

おかげさまで当地での感染者の発生は少なくなっている感ありますが。

 

③は田んぼの稲の生育状況。向こうの山が桜が池のある丘。

浜岡への徒歩といえば今は亡き本通りの永田さんが「若いころ桜が池のお祭りに下駄で行った」と聞いていてその頃ののんびりした時間の動きと自分の足こそ基本という考えを教わりました。「自分の足」は動くうちに使えということですが、それを奥方に言えば「自分の足で帰ってこい」「時々思いついて歩いてもダメだ!」と。

 

 

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2021年

7月

25日

繁栄も衰退の道を 岩淵廃寺跡 地球上の人類の刹那

普通の土日ときたら、それなりの墓参の方たちとお会いしたものですが、昨日は殆ど参拝者の影が見られませんでした。

毎日のようにヘルパーさん同行で電動車椅子でお参りに来られる才次郎さんが言っていました。

「8月はヘルパーさんの同行はないので一人で来る」。

これは「表に出るのは危険だから・・・」ということのよう。

酷暑がキツイということですね。

まぁ私の沖縄時代も、この時分、街から人影が消えていました。

酷暑=危険というのではないのですがね。

何事も自己コントロール次第と思いますが。

 

昨日はNHKの番組未来への分岐点」の視聴について記しましたがここのところニュースで報じられ目に焼き付いていることといえば「人々の生活の変化」に因るであろう(いやそうに決まっている・・・)「気候変動」の様。

 

ドイツ・ベルギーで発生した豪雨による洪水で欧州全体で216人が亡くなったといいますし中国の「1000年に一度」という洪水による地下鉄の画像やら道路に車たちをごちゃごちゃにしながら流れる水流の様子には驚愕させらています。

どちらの画像も先日の熱海の土石流画像に匹敵するものがありました。

 

ただし中国のその「1000年に一度」の形容についてはちょっとばかり首を傾げたくなります。

1000年前の洪水とやらと現代をどう比較できるのかというところ引っ掛かりますし「1000年」の語はとかく数的重みの方ばかりに目が向いてしまいがち。

それだけ「滅多にない自然災害」だから・・・「仕方ない・・」の雰囲気を醸し出そうという意図も勘繰りたくなってしまいます。

真っ先に「人災」を否定したいようにも感じるところ。

ダムが崩壊したという噂もありましたからね。

 

要は国の認識と対応力の甘さへの弁解に聞こえてくるのですね。そしてその「責任はナイ」の表明です。

中国は大河の存在から各支流の広がりが無数にあってそのコントロールは一筋縄ではいかないことはわかりますが、これまでそれへの対応策として堤防とダムの設置をしてきたというのが歴史というものですね。

ただしこれまでのそれでは不十分なほど上を行く気候変動が進んでその対応が遅れているということを考えます。

 

ここでの「夏の水害」たちですがいわゆる先進国系というのがポイントです。

これまでは気候変動の被害を真っ先に受けていた地域、人々といえばその変動に加担していない、まったく関係のない(先進とはいえない)生活を送っていた人というのが定番で、それでいてかつ世界のニュースとして配信されないものでした。

私たちの知らないところで起こった気にもかけないような「些細な事」だったワケですね。

それでいてその手の非先進国にて毎年の如く頻発している各自然災害が今度はそういった地域だけでなく、私たちコンビニエンスな生活と産業、国家の発展のみに注力し環境問題など二の次にしていた富裕な国々にも「暴走地球」の牙(そう仕向けたのは私たち)が向けられ始めたことを感じるのでした。

 

因果の法則はこれまで悪因(劣悪なタネ)を撒いた者たちが悪い果実を得る(悪因悪果 因果応報)というのが鉄則(その逆が善因善果)でしたがこれまでの自然の果実は例外で不公平、悪い因を撒いて善き果実を得るばかりの世界があったのです。

しかしいよいよ正当な因果の法則の中に生かされている私を思うときが来たということです。

悪の因を撒く社会に胡坐をかいていた私です。

 

「2020年の地球の平均気温は産業革命前と比べて、約1.2℃の上昇」と言われます。

平均気温のコンマ1℃の差が著しい変動に繋がることは耳で聞いてのみわかります。

その「1.2℃」の数字についてそれでも「大したことない」という感覚に陥ることは愚であることはわかっていますがどうしてもそれは些細なことのように取られがちです。

42℃の温度を体感(昨年)しても何事もなく「ふ~ん」という私がいました。

その平均気温1.5℃上昇がどれだけ厳しいことか、ずっと言い続け私たちの脳裏から離れないよう心掛けなくてはなりませんね。膝を叩いて立ち上がる時がきたのかなぁ~などと。

 

二酸化炭素を出さない、プラスチックに頼らない生活というものを自身刷り込んでいかなくては。

暑いといいながらエアコンに頼って、ペットボトルの飲み物をあおり、ちょっとした移動にも車という恩恵を享受している私ですが・・・。少しずつ問題として捉え変えて行かなくては。

 

さて、奈良のつづき。

ブログでは以前「天国の階段」と重ねて白毫寺について記しましたが(またはこちら こちらも)その背後の高円山を回りこむようにして針や福住方面から奈良市内に降りていくのがいつもの私のパターン。

「さぁ奈良の町が見える」というあたりに左側に岩井川ダムが見えてきます。

 

その右、ダムを真ん前にした道路、高円山側にバス停がありますがそちらが「岩淵寺口」。

その寺はかつては大きな寺院であの白毫寺もその寺の一宇だったともいいます。

今はそのバス停がかつての寺の存在を知らせているのみです。

それでも探索しようと踏み込めば石碑と石段に鳥居がありました。

やはり「天国の階段」(黄金の)に拘ることの因果、そしてキミの悪そうな伝承もあるようで、草ぼうぼうというところ、私はそこでストップ。

壊れたフェンスも人の立ち入りを拒むといった感じがしました。

 

大層な繁栄のあった寺だったそうですが、今はその通り。

人の営みの空しさを感じますが、正面のこのダムを見回して「奈良は大丈夫?」をつい思ってしまいます。

これが決壊したとすれば下界の奈良市街は大層な被害となるでしょうね(場所はこちら)。

 

 

 

 

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2021年

7月

24日

東塔院基盤と回廊発掘事業 地球温暖化警鐘の番組

昨晩はBSの再放送「未来への分岐点」を視聴しました。

地上波では五輪オープンの番組が放映される予定とのことで7時のニュースの時間にチャンネルを変えました。

 

6月に放送されたものの再放送ですが、世の私の如くの五輪とバラエティ逃避組にはうってつけの避難地となったでしょう。

前後半別れていて前半が脱プラスチックを促す地球の危機的状況について。そして後半は食料システム(不耕起栽培)の改変に私たちの行動の変革(使い捨て社会からの脱却・・・「LOOP」)です。

 

だいたい推測はしていましたが「飽和状態になった地球」などいう表現はショッキングですね。

人類の活動を受け取れなくなったということですが温暖化がいよいよ加速して地球がこれまで人類の暴走(大量生産・大量消費)を受け止めていた包容力について、もはや限界であるとの警鐘でした。2030年までに何とかしないと取り返しがつかなくなるというものです。

 

特に地球を壊しているのがプラスチックの大量使用の件。

その使用済み廃プラの一部リサイクルなど微々たるもので、焼却そして殆どが埋め立てか(不法)投棄。

年間3000万トンのプラゴミが海に流れ出ているとのこと。

その陸や海で分解されるプラスチックがメタンガスを発生することがわかったそう。

 

冒頭温暖化によって永久凍土の氷解が進み閉じ込められていたメタンガスや未知のウィルスが開放されていることも指摘されていました。

ウィルスの増殖力も恐ろしいものがありましたがメタンガスが二酸化炭素の25倍のオゾン層破壊力というのは驚き以外の何物でもありません。温暖化がさらに温暖化の拍車をかけるという悪循環です。

 

とにかくプラの消費を抑えようというのがこれからの社会の、私たちの行動規範なのですがマイクロプラスチックという微細プラの問題もあり「LOOP」(使い捨てされていた洗剤やシャンプ

ーなどの日用消耗品や食品などの容器や商品パッケージをステンレスやガラスなど耐久性の高いものに変え、繰り返し利用を可能にする新たな商品提供システム)などの循環システムへの変換

が急務なのです。

それらシステムを受け入れられない、努力しない企業は淘汰されるべきなのかも知れません。

どこかのストロー会社の社長さんが「それほどに早くストロー拒絶社会など訪れっこない!!」との軽口を述べていたことを思い出しますがその流れは速かったですね。

世の中は今その温暖化対策非協力には敏感になっているようでもあります。

 

ただしペットボトルの飲料は溢れかえり、それを利用したフリースという衣料品を作り続けている会社がありますが、私たちはそれらを漫然と作って消費を促す姿勢を崩さない会社の品物の購買について今一度考え直さなくてはならないでしょうね。

 

一番悪い(地球を滅ぼす)奴は「見ていて何もしない者」といいますので皆がそれを見て判断し購買意識に結び付けなくてはね。環境に悪影響を与えそうな商品はできるだけ控える・・・大切な心掛け。

 

また、私たちの食生活を変えなくてはならないことも指摘していました。牛肉、豚肉の摂取量を減らせというものでした。

たとえば牛肉1キロあたりの生産に6~20㎏の穀物(主にトウモロコシ)が必要でそれを育てるために大量の水が消費されると。

 

現在既に世界的な地下水の枯渇が言われていて「水」も限界を迎えているとのこと。

農産品も「儲かる産品」ばかりに重きを置いた商業主義による

単一品種大規模生産が推奨されて、森林(温室ガスの解消域)の伐採消滅と自給のための農地不足に陥っているとも。

 

水不足の危惧といえば当地でいえばリニア工事による大井川の枯渇リスクがいわれていますが、その件ヒステリックな静岡県民の単なる「無利益(リニアの直接的利益享受)への反発」程度に思われがちで「水こそ命」であること、その不利益は甚大で取り返しがつかないというところ、何度も記していますが認識いただきたいですね。

 

さて、先般の東大寺の思わぬ至福の時間に恵まれたことを記しましたが、あの時はガラ空きをいいことに余裕をかましてのんびり散策までしました。

 

そこで出くわしたのが「東塔院」発掘調査の現場。

その時の現場にはどなたも動いている人はいませんでしたが。

この東大寺でも未だ発掘調査が行われる場所があったとは・・・

とはいえ寺としての最大なる発掘事業だそうです。

東塔院は奈良時代の創建。鎌倉時代に復興を経るも南北朝時代に焼失しているといいます。

4~5年後には全貌がわかるはずです。色々「出てきている」ようです。

 

④は1970年の万博に出品されたという七重塔の相輪。

その時、父母につれられてあの大混雑に揉まれたのでしたがその存在については一切記憶になし。

京都の叔母の家をベースにして数日通ったのですが・・・

 

そのような建造物を再建するとなると想像を絶する資金が必要となるのですが「あるところにはある」のですね。

まぁ国の宝の寺ですから。

 

私は最後の画像の松の木の美しさを見ただけで「緑化維持だけでどれくらいコストがかかるのだろう・・・」と。

あれだけ大きい木だと高所作業車が入るのでしょうね。

昨日も私は少々の時間、境内の松に向かっていましたが小さい境内、アレだけは大きくしたら自身クビを絞めるようなもの。

頭を伐って高さをコントロール、それしかありません。

  

 

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2021年

7月

23日

水上勉の禅僧、小僧(10~13才)時代 瑞春院 雁の寺

「恥をかいて(経験を重ねて)大きくなりなさい」などとよく言われたものです。

その言葉は躊躇して前に進めない出来損ないの私など若衆に向かって他者の目を気にせず、ありのままで進め・・・的、まずは師からの叱咤激励の言葉ですね。よく言う「失敗を恐れるな」というやつです。

 

これは成長過程にある者へ「恥」「羞恥心」というものなど一時的なものであって、それを物ともせずに遮二無二なって事にあたることが肝心であることの勧め、一種の超然、諦観でしょう。

まぁ周囲の人の思いなどを気にして、自身のやるべきことを見失うことほどの愚はありませんからね。

 

しかしこれまでの五輪のあれこれを見廻していてこれほどの「醜態」を世界に晒した「日本」のそのご担当諸氏に言いたいことといえば「もうこれ以上の恥は世界に発信しないでほしい」というのがせめてもの今の気持ち。

未成長のガキではないのですからね。

何から何までみっともない「恥」と思える事案が沸き上がり、また沸き上がり続けているような現状です。

 

今度は五輪開会式のショーディレクターさんとやらがユダヤ人ホロコーストを過去に揶揄していたことが発覚して解雇されていました。数日前には開会式の曲を作ったミュージシャンが「イジメ」問題でクビになっていましたね。

しかし世界の協調とか平和を大層な旗印として掲げる五輪のスタッフ様の人事それも直前になってのドタバタ劇ですからね。

それ以前のみっともない系の話となると女性差別に人格蔑視などなど枚挙に暇がないくらい。

これらをもって日本人そのものの考えが一律そうであったと世界中で受け取られるというのは一庶民として辛いことです。

ここでも昨日の通り「ドコカニイッテ、ハヲミガク」系のビッグなネガティブサプライズでした。

 

しかし直近その名の上がったお二人の件。

それまで私などまったく知らない人たちでしたから、それでもその名前は全国に知れ渡ったワケで・・・。

名が知れてナンボの世界と聞きますからね。

もっとも3日もたてば私の記憶から消えていくでしょうし、名前が出回った分、事が事だけに(「非道徳」の部類です)今後人様の前に出てこられるかといえば普通の感覚でいえば「もう無理」でしょうね。「サヨナラ」です。

 

それにしてもそれほどの国際的大イベントとなれば有り余るほどの準備期間があったはず。

その手のゲスな発想をする輩たちの性根を見抜けなかったというのもお粗末様としか言いようがありませんね。

この期に及んで「見直ししていく」の声がありましたが、どれをとっても他人任せで自責ナシのシステム。ただの苦し紛れの弁明のように聞こえました。既に始まっている競技があるのにね。

 

そして感染者のあった場合(昨日の組織委の発表87人)のまともなルールも決めていないなんて・・・ドタバタもここまでくると恥を恥と気づかない恥。

「オレでも大会運営者になれるよ」とますます奥方への家庭内軽口が飛んでいます。

 

昨日の私は朝から葬儀前の色々・・・から。

そこで参列者の雑談が耳に入ってきました。

「今日は休日だったのを忘れていて混雑に遭遇、危うく遅れるところだった」と。

私も「なるほど・・・だからこの日まで葬儀が・・・?」と今日になってそれが延ばされていたことに気づいたのでした。

知らないうちにカレンダーがいじくられていたことに驚き。

なんと急造4連休となっていてその初日が昨日だったのでした。

 

まったく気づきませんでした。

当家にぶら下がっている各カレンダーにそのようなことは記されていませんからね。

奥方も薬の処方箋を取りに行けなくなって地団太を踏んでいました。

そもそも檀家さんの依頼主導で動いていますので私の予定は二の次、その無茶振りを知らなくてもまったく関係ナシですが。

 

4連休などといえばどなたも考えることは遠乗り旅行。

昨晩のニュースでは京都嵐山の風景が映されていましたがひと時よりずっと混雑を思わす風景が。

観光地に人々が出て、地元の関連業界はいい思いを多少はできるのでしょうがこの分ではコロナウィルスの感染に歯止めはかからないでしょうね。

緩みまくりを助長する連休の存在は五輪のため。やはり恥ずべき軽率としか思えません。

 

そういう意味では台風6号の東シナ海の居座りについて、観光業界には痛烈でしょうが、コロナ蔓延状況の打開のきっかけとなりうる「好天」と思えてなりません。

台風は太平洋上にまたも発生していますが気持ちは高気圧さん頑張って・・・

そのおかげで本州の直撃は回避されます。

まぁその分被害大迷惑の地があるわけですが。

天気の事の個人の一喜一憂は無礼講。

 

昨日の私は相良の近場をうろうろしているだけでしたが、息子といえば「大変だった」とのこと。

片道2時間の小平霊園でのお仕事だったそうですが運転疲れと気温上昇で「くらくら来た」とのこと。

おそらく燦燦お日様の注ぐ墓参タイムのことを言っているのでしょうが寺の小僧といえども夏といえばシャツ1枚に短パンとビーサンのスタイルがしっくりと来る者としては法衣による緊縛の身をHOTな環境に投じることはキツいこと大いに理解できますね。

 

私が思うに帰路の2時間の辛さについて同情しました。

案の定睡魔との闘いがあったよう。

夏の「帰り路」はそれが一番リスキー。彼は衣のままコンビニに行くことに対して「人の目を気にしない」そうですが、私は何しろ「脱ぎ捨てたい」が先に立って法要が終了次第どちらであっても着替えを優先。

 公園など駐車場を見つけてさっと着替えることができますが(車の外で)、息子の方はそれを「恥かしい」と。知らない場所ですから人の目など関係なし。

恥の受け取り方それぞれ違うということですね。

 

さて、作家水上勉といえば禅宗寺院の小僧経験のある人。

もとはといえば福井の被差別部落に準じた家の出自といいます。家の口減らしのために10歳で寺に入ることとなりますがそれが京都相国寺の塔頭「瑞春院」。

 

そこでの水上勉の経験から書かれたのが「雁(がん)の寺」ですね。

寺の中のいろいろ、洗いざらい書かれて「恥ずかしい」・・・と思うところですが水上はそちらで直木賞をとって映画化までされています。寺からは多くの反発もあったようですが・・・

水上の成功はいろいろな経験と失敗の積み重ね。

ただし一種の暴露本の躰にも感じます。

 

お寺は庭と水琴窟の音の良さで知られていますが、ひょいと行って拝観できるお寺ではありません。

特別拝観のアナウンスを待ちましょう。

 

④⑤画像は拙寺前の道路の陥没箇所。

どう見ても穴は広がり周囲に陥没は広がっているようです。

奥方からは「どうすんだよ・・・」。

どうするもこうするも既に市の道路課に一報済み。

あとのことは任せるしかありませんが、怪我人でも出なければスグには動けないものなのでしょうかね。

忙しいのでしょう。

4連休となれば週明け以降の仕事となるのでしょうが、それまでにアスファルトが溶けてしまわないか・・・注視しています。

 

 

 

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2021年

7月

22日

ドコカニイッテ、ハヲミガク!スワッテクダサイ

驚きました。

昨日は今週中に「応仁の乱-1467」にまで行くのでは・・・と東京都の新規感染者数について記していましたが蓋を開けてみれば昨日は1823。

天保3年、まさかのタイムワープが起こりました。この波は今回はスケールが違うような。

増え方半端ない。

「ドコカニイッテ、ハヲミガク!」・・・

 

これはMLBのオオタニサンを絶賛する実況アナウンサーの言葉。三振アウトとなったバッターに「家帰って寝ろ!」との表現を解釈するしかありませんが、まぁテキトーな日本語を並べていることは確か。「サヨナラ」「スワッテクダサイ」も絶叫していました。

しかしそれを聞いて吹き出している方は案外多いのでは・・・

片言の日本語の意味不明ながら、なぜか面白いのです。

 

そのNHKBSの朝のお楽しみが消滅して茫然と過ごしているわけですが、ただしあまりにクレームと要望があったとのことで「7回ばかり放送します」のアナウンスが昨日ありました。

これで少しは日々の鬱憤が解消されるかとは思います。

 

その「ドコカニイッテ、ハヲミガク!」ではありませんが日本でもそれと同様の意味不明の言葉よく聞きます。ガースーがいつも発している「安全安心」でしたね。

「一体何それ・・・」と首を傾げるばかりですが、ぶっ壊れたテープデッキの如くそれだけは連発しています。

リスクだらけのデタラメ五輪。

海外の選手からも「選手村ヤバイ」の声があがっているそうですよ。それって「不安」の声で「安心」など提供していないということ。

 

「人類がコロナに勝った証としての五輪」とかの勇ましいフレーズはさすがに影を潜めましたが大会関係者や選手たちから続々と出てくる陽性者も「安心安全」どころか「日本がコロナに負けた恥の証」にようなるような感じがしてなりません。

「五輪」じゃなくてまったく「懲りん」。

オヤジギャグまで出てくる次第、お粗末。

 

首都圏中心に全国的に感染者upupの様で油断のおけない流れとなりましたが私は昨日は通夜の席に参上。

唯一の精神的すくいとなるものといえば牧之原市はゼロというところだけ。

ところが会場は想像以上の密状態でここでも驚かされました。

最近はどちらも感覚的に「緩み」溢れるばかりで解放感満載。通夜葬儀は県境またぎは基本アリですからね。

1年前なら「来るな」でしたが今は「殆どOK」と化していますね。緩み、油断が怖いのです。何事も。

 

家族のみの通夜と一般焼香の時間を分けての開催でしたが、あちらでマスク装着とはいえ始終声を張り上げていること・・・不安はあります。

かかっちゃったら「詮無き事」「しゃあない しゃあない」と割り切るだけですが。

 

皆さんは「実は坊さんがキャリアかも」ということ、思うでしょうしもしあの中に陽性者が出た場合、まさに「同舟」。

きっと全員が濃厚接触者ということになるでしょう。

 

尚、私は昨日牧之原市からのお誘い(ワクチン接種)にのっかってちゃっかりとそれに申し込み済みです。

息子には伝えていませんがいつもの「生きながらえたいのか」

のフレーズが聞こえてきそう。

 

他人様の前にしゃしゃり出る頻度が高いので「私は打たない」の選択肢はあり得ないと感じるようになりました。

まぁ「ブレークスルー」もありますのでそれへの信頼などまったくありませんが。

1回目の接種日は横浜の「奥の墓道」氏のそれよりも5日ばかり早い8月18日。案外と早くて「へぇ~」と驚いていました。

ただし本当に順番が回ってくるのかも半信半疑ですがね。

結局期待の国産ワクチンは間に合いませんでした。

来年も再来年もインフルエンザのそれと同様、毎年毎年打たなくてはならなくなるでしょうから次は国産でお願いしたいところです。

 

さて、昨朝は先日引き取りの件了解していた松の盆栽が届けられました。

ということで午前中はその植木を載せる台の製作に時間を費やしました。

台の上に載せて「スワッテ・・・眺めて」仕事をするためです。

盆栽ド素人の私はその価値についてよくわかりませんが幹の太さといい、かなりの年期を経ているよう感じます。

その木を大事にしていた方が亡くなって約30年。それまで殆ど放置していたといいます。

枯らさないようしっかり見ていこうと嫌が応でも目につく場所に置くことにしました。

移動しやすくするには台にキャスターを付けるべきだと載せたあとに気づきました。何しろ重いのです。

 

私の剪定の技量といえばやはり「ドコカニイッテ、ハヲミガク!」ではあります。いや「サヨナラ・・・」程度か。

よ~く考えてみればその歯ブラシをしなくてはならない機会は自分自身たくさんあるような。

カオヲアラッテ・・・それもアリ。

 

 

 

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2021年

7月

21日

宣明とは跋陀婆羅菩薩が管理する風呂 相国寺

昨日も気持ちいい晴れた空が広がりました。

昨年は浜松の「42℃」を体験させていただいた身としては昨日あたりの30℃と少々の気温ではそう暑いとは感じなくなってしまいました。

今年もその40超えを「味わってみたい」などの軽口も・・・もしまたそうであったとしたら完全に地球が壊れだしたということでしょが。

 

先週末には以前の恒例行事だった「真夏の徒(かち)」として御前崎まで歩こうか・・・と奥方と話していたところでしたが、お弔いの予定が入り自宅待機となっています。

 

訃報を受けてからインターバルがありますが、やはりその葬儀が無事終わるまでは基本、準備もありますし自坊引きこもりとなります。

よって昨日もこれまでとは別の松の剪定を行いました。

普通は緑摘みといって、もっと早い時期に行うものですが、遅れてこの時期になっただけ。

要は真夏の酷暑にやるべきものではナイということでしょう。これが私の松を「やっつける」時期なのですが・・・。

それも1回だけです。

緑摘みに加えて秋冬にも剪定をするというのが本筋のようですが、現状それをやっているところは奇特なことでしょうね。

立派なお寺に高級料亭、そしてお金持ちのお屋敷だけ。

 

松は人にお願いすればやたらとコスト掛かるわけで最近は経費削減から真っ先に庭木から引っこ抜かれている植栽とも聞きます。

植木屋さんを呼べば春先に消毒まで勧められますね。

松くい虫対策のスミチオンの散布ですがコロナのワクチンと同様、100%安心とはならないもので無駄になることもしばしば。

海岸端の松も各所で葉を赤くした松が見受けられます(要は散布のタイミングです)。

よって私はその薬剤散布をしたことがありません。

その時は仕方なしとあきらめるつもりです。

 

暑い日であっても松の剪定は日光があたっている方が仕事が比較的ラク。細かい仕事の継続ですから対象物がライトアップされて目視しやすいのです。

自宅の仕事ですから、頃合い見てテキトーに引き上げひとっ風呂浴びて昼寝。お気楽です。

 

さて、昨日のトーキョーの新規感染者数は1387人で先週火曜より557人up。

ここのところ「鎌倉~室町」を行ったり来たり(西暦・・・)していましたが私は奥方に今週中には「応仁の乱(1467)をブレークするよ」と予想。

それどころか専門家によっては3000などいう数字も出していましたから超絶未知の世界もありうるかも。

 

乱立する松がキレイに整えられた寺といえば相国寺を思い出します。

応仁元年1467に東軍の武田信賢勢が陣を置いた相国寺勝定院に西軍の畠山義就、朝倉孝景が攻め込んで焼き討ち。三日間も燃え続けたといいます。

その跡地も双方取ったり取られたりの陣取り合戦の消耗戦。

以後バカバカしい戦乱期という無駄な時間が全国的に波及していきました。

 

何度かこの辺りは息子の京都在住の時の時間調整でふらふらと回遊していますが(→墓域 またはこちら こちら)相国寺の境内には手の入った庭、それも赤松(女松)主体に松林が形成されています。

明治期には困窮した時期があったと聞きますが、今は美しく整備されたお寺です。

 

そちらには「宣明」なる風呂があります。

「宣明」の名称は跋陀婆羅菩薩の悟りの言葉にその語があるそうでその風呂場入口にはその菩薩像が掛かっているとのこと。

サウナ風呂の如く部屋に下から沸かされた釜の湯の蒸気の中に身を置き、かけ湯するシステムとか・・・1400年頃の創建といわれます。

庶民の風呂というと、私の小さい頃というと「風呂をもらいに行く」という会話を聞いたことがありますし、そこいらじゅうに銭湯がありましたので今のように各家に漏れなくというわけではなかったのでしょうね。

 

夏といえば井戸端で行水など当たり前だったでしょう。

夏はそれが気持ちよさそう。

 

 

 

 

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2021年

7月

20日

拙寺石垣 BSNHKとアスファルト陥没 猛暑のせい? 

昨日もドがつく晴れ。

NHKのここへきて変てこなBS放送スケジュールの変異があってオオタニサンの放送ナシ。

まったく興味のわかない五輪関係の番組になっていました。

おそらくお国から「MLBなんかけしからん」と指摘されたことと拝察いたします。

私から言わせていただければ国民からすればその方がよほど「けしからん」。いよいよ呪われたごとくの五輪の躰になりつつありますが、もはや苦笑するだけです。

これからオオタニサン見たさにユーチューブライブの検索から朝を始めなくてはならなくなりました。

 

前日に大正八年生まれのお婆さんの逝去の報せがあり、今後の諸予定の連絡待ちということで終日お寺に居っぱなしでした。

ちなみに故人は孫ひ孫玄孫合わせて51名というご長寿。

まぁスケール半端じゃない。

 

というわけで私は続けて松の剪定のため脚立の上に。

松の剪定など本来私の性格には合わない仕事。

根気、集中力、センス何をとっても落第者。

それをやらなくてはならないのはただ松があるから・・・

松は剪定しても1年後には勢いよく伸びて元の木阿弥、それでいてバッサリ伐ればより見苦しくなりますし、機嫌が悪いと枯れてしまいます。そもそものところ松は嫌いではありませんがね。

 

私の松剪定の様子を見た檀家さんからそのご自宅の庭にあるお父さん由来の松の盆栽の引き取りを依頼されました。

私は盆栽には興味がないところですが、「どうしようが勝手」とのお気楽対応を許容されて引き受けました。

あと2本小ぶりではありますが松が残っていますのでそちらも早いところやっつけなくてはなりません。

手が入っていない松ほど見苦しいものはありませんからね。

 

脚立の上で淡々と葉摘みをしていれば、時折奥方が様子を見に来ます。脚立といえば「落ちる」を連想してそれを楽しみに見に来るのかも知れませんが、お日様の勢いが強く、それでお頭の方も「イッている」かも・・・と気にかけてくれているのかも知れません。

 

私はそれでもこの門近くの松に張り付いていたのは、市の道路課の担当が来ることを待っていたということもあります。

それは朝一、門前の道路、アスファルトに陥没箇所アリの通報をしたからですが、気温が高くなればアスファルトの陥没、剥離はつきものです。

この道は通学路兼避難路になっていますので、今後それが拡大していけばケガの元となるかも知れません。

忙しいのでしょうね、私の居るときには見えなかったようですが、こちらも早いところ対応していただきたいものです。

 

さて、昨日は拙寺境内の「河原に転がっている丸いタイプの石」

の石垣について記しましたが、あの積み石の「積み」もなかなか熟達していないとできないことを聞いたことがあります。

「今はそれができる人はいない」とまで。

 

その石積みの上にコンクリ壁などを付けるとクラックが入ることを記しましたが②、実は①の隣家境界の石積みを「撤去してコンクリに改める」ことを先日いつものコンクリ屋さんに持ちかけましたがよくよく考えるとそれは具合が悪いかも・・・と至ったわけで、次回その私の発案について訂正しようかと思っています。それは排水の件。

お隣敷地に排水を露骨に出せないからです。

その石積みは目に見える位置よりかなり深い場所から立ち上がっていますがこの石積みこそ目に見えない浸透桝の役割をしているということです。

 

昨日は拙寺境内が50㎝~80㎝とその周囲との比高を記しましたがこれは戦後のことでそれ以前といえば周囲との差はもっとあったのでした。現在の門前の道路などかなり嵩上げされているのでした。

 

この周囲との高さは結構に「拙寺は水で溢れない筈である」と少々の安心材料になっています。

「水は高いところから低い場所へ」それ当たり前のこと。

 

①の奥に昨日「やっつけた」松が見えます。②昨日ブログにて記したクラックの入った壁。

④の突き当りに今は暗渠となった樋尻川。排水がいいのはこちらに流れてくれるからです。

④画像の真ん中あたりに陥没箇所が見えます。

 

溢れたらより低い場所に広がってくれることを期待しています。低いところに住まう人はたまったものではないでしょうが。

尚、①の黒い建物が「寺テラス」。今はガラクタ入れと化していますが増水津波等「水」が怖くて最上階にまで避難できるように作ってあります。

 

 

 

 

 

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2021年

7月

19日

廣坂と兼六園川口門跡周辺の石垣がある景色

日曜日のスカ晴れ。

法要が入っていませんでしたので気合を知れて境内作業となります。静波墓園の生垣が中途半端になっていますので、そちらにも行きたいところですがさすがに日曜日だけに寺に籠りっきりの一日でした。

 

境内は周囲の土地よりも50㎝~80㎝ほど高くなっていますが一部境界には石垣が使用されています。

河原に転がっている丸いタイプの石を積み上げたものですが墓地の台座にもそれらが使用されています。

日々頭の痛いことばかり各対策について考えさせられていますがその石垣でいえば、先般撤去した更地の東側隣地の境界と南側墓地との境界の件。

 

特に墓地との境界の上にはコンクリートの壁が巡っていますが各所にクラックが入っています。勿論倒壊のおそれもありますが、見苦しさは甚だしいものがあります。

会館を撤去したことによって目立つようになりました。

その墓地の排水(大雨でプールの如くになる)について相談したことのあるコンクリ屋さんの意見を聞きながらいずれはその箇所の修正をしていくことになりますが、石積みの上にコンクリの壁を載せることはしばしば石積みの動きによって壁が沈下したり割れたりするとのこと。

 

それを聞いて城郭等の積み石の上に立つ櫓などの建造物の重さについて想像しました。

城郭の石積みは初期の野面積みにしろ主に今残存しているものといえばその道のプロ(穴太衆・・・)が積んだもので偏に経験に裏打ちされた技術のたまものですから、この手の積み石とは違うに決まっていますがやはりその上に載る建屋を支えるものはやはり「木」であるということでしょうね。

 

木と木を組み合わせたものは多少の地盤の変化程度では木そのものの柔軟な性質によって正立を維持できるものだということです。コンクリでしたら数ミリの沈下がクラックを招きますからね。一度クラックが入れば経年によってそれは広がっていきいずれは崩れるでしょう。

 

今一度「木の良さ」というものを感じたのですが、最近は世の中もその方向性に気づいたようで世界的に木材価格が高騰しているというニュースがあります(ウッドショック)。

 

春先に整備中の勝間田城について記しましたが伐採した木々は谷底へ捨てるという「処理方法」でした。

まぁもっと地の利(道路が近く搬出に利便)が良い諏訪原城でもそうでしたが「なんか勿体ない」を感じるわけですね。

搬出に経費がかかり「ペイしない」というのが理由のようですが、「御自由にどうぞ」の有効利用のチャンスがあればいいのですがね。

おそらく製材屋さんからクレームがあるのかも・・・とも邪推してしまいます。

スグには林業復活というわけにはいかないのでしょうが、「森」を伐採して「開発」するのではなくそれを管理して生産、利用できるようにすればより環境にやさしいビジネスとなるのでしょうね。ただし何故か木材は末端では高価な素材になってしまうのです。

山では打ち捨てられているのに・・・

 

製材しない丸太をどう使うんだ・・・という方もいらっしゃるかと思います。

私は捨てられている細めの杉材に目が留まりましたがそれらを組んで西側墓地の土留めにしたり南側墓地の柵製作の材料にしたいものだと考えたものです。

軽トラで乗り入れて「くださいな・・・」という具合に。

 

さて、昨日は金沢城-鯉喉櫓台復元石垣とその金沢城中指折りの石垣景観について記しましたが、私の場合あの時、金沢といえばとりあえずは県立歴史博物館と兼六園東側の通りにあるお寺に行くという目標がありましたので車は歴史博物館の駐車場に乗り捨てでした。

金沢のあの辺りはアップダウンがあってうろうろすれば足に来ますがそれもまた楽しみのうち。

 

ブログでは兼六園を右に見て・・・と記しましたがその坂道の名が「廣坂」といい(今は「百万石通り」なる名称も)その途中に「川口門跡」という馬の歩幅に考慮したといわれる出入り口跡があります(場所はこちら)。

野面積みの石垣が趣を出していますがこの廣坂を下り切った信号交差点の右方向に鯉喉櫓台が見えて来るワケです。

 

 

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2021年

7月

18日

金沢城 鯉喉櫓台復元石垣と背後の段改変の石垣

昨日のお天気は今年一番の好天に恵まれました。

突き抜ける青い空はまさに夏、爽快な季節となりました。

気分よく午前中は法事に、午後からは史跡研究会にて雑談会。

私は何か出し物を・・・ということで今回は「一橋様御支配之節」の文書を持参しました。

奥方から「自慢かよ・・・」と指摘されましたが、「お寺にとって古き良き時代のお宝」・・・と言い残して出かけましたが「まったく意味不明・・・」と。

 

その文書が包まれていた「一橋様~」の表題のある切紙(リンク先ブログの④)を紛失して真っ青になっていたところを「やれやれ」感満載の顔で見返されましたが、心当たりのあった役場の駐車場に取って返すと植え込みの中にさりげなく置かれていました。

車を降りた際に落として2時間30分の間この付近に存在していたのでしょうが、きっとどなたかがそこに差し込んでおいてくださったのでしょうね。

 

私は風下を探そうと心得ていましたが植え込みの中とは有り難いことでした。

偶然が良き方向に向かってラッキーだったわけですが、奥方からは大事なものなら①持ち歩くな②落とすなと罵られました。

私は「拾い返した」と即反論しましたが、いつもの「バカなの?」と言われて問答は終了。

 

私が「バカなの?」と思わされることといえば「バッハの歓迎パーティが迎賓館で・・・」の件でしょうか。

あれだけ顰蹙を買っている中国人と日本人を混同しているかに思える「貴族野郎」をパーティを開催して煽て上げるとは・・・ですね。

 

国民には「やめなさい」の制御の文言多くして自分たち特権階級は何でもアリの躰というのはいくら何でもダメでしょ。

もろ手を挙げてそれを許容する方を探すことは難しいのでは?

反発の声が沸き上がることは、想定外だったのでしょうかね。

やはり私と同じバカでした。

単細胞の私が思いついたのは「自粛するヤツはもっとバカ」「大阪、京都に奈良に滋賀 美濃に越前も加賀も・・・ どちらにしようかな~」です。

 

そして昨日も記した熱海土石流の件。

この世界の専門家の声が寄せられていましたが「完全な人災」との判定。

ところが静岡県副知事のそれ(人災)を匂わす意見について、昨日は「今後はその手のコメントは差し控える」との談。

これに違和感を覚えましたが、ハッキリ言って裏から突き上げがあったかと思うのがスンナリ行くところですね。

 

一般論で言えば「まだ科学的見地からの確証がないのに」「推論を公言するな」とのお叱りを受けたのでしょうが、その主張の裏に隠れていることは・・・隠したいことがあるから・・・でしょうか。

何を隠蔽したいかといえば利権に群がり暗躍した人たち、政治家、そして稼いだおカネであり逃亡のための時間を提供するため・・・などとも考えてしまいます。

 

この人災により傷んだ熱海の人たちへの救済はおカネでしかありません。

そのおカネは熱海市民と静岡県民そして瑕疵のある法を作った国(国民)が取り敢えずは負担しなくてはなりませんが、やはり相当分のウェイトとしては加害行為、不法盛り土を行った業者と土地所有者にご負担いただきたいところ。「逃げ得」なんてオカシイ話です。

 

今後の「財産移動」について監視してもらいたいものですがこの分では「逃げ得」満了と見ますがね。

嫌な言い方失礼「死に損」で「浮かばれない」ということ?。

時代劇の「必殺仕置人」にでも依頼するしかないのでしょうかね。

 

さて、昨日はブラタモリで金沢城の石垣三昧でした。

金沢城にはお寺の遠足でも足を延ばしましたが番組の冒頭で紹介された段数のある石垣を。

一番下が明治時代のものでその上が当初は段ではなく一体の巨大石垣だったというもの。

ちょうど兼六園の坂を下りたところにそれらを拝むことができます。

まぁ石垣だけ見ていても飽きない城ですね。

画像は遠足の時のモノでなく桜の季節のもの。あの時は人だらけでした。

 

①の一番手前が鯉喉櫓台の復元石垣(場所はこちら)。

石川県立歴史博物館から坂道を兼六園を右に見て降りますが金沢城の遺構を目の当たりにして一番に感動させられる景色ではないでしょうか。

よってあの番組でもそちらからのスタートでしたね。

 

②番組でも触れられていましたが一番下の階段のある石積みは明治になってからの後補。

 

 

 

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2021年

7月

17日

相良海水浴場の開設 熱海はどうだろう・・・

今年の相良海水浴場は開かれます。

海水浴場が開くとなれば「海難供養」がオープニングイベントとなりますので相良の仏教会そして私にもお声がかかるわけで

8時30分すぎに会場へ向かいました。

良きお天気で心地よい風が吹き渡り、これまであまり経験したことがない絶妙の「海開き」でした。

 

てっきり今日こそ梅雨明けの「宣言」かと思いきや東海地区はまだのよう。

「宣言」の重みは殆どナイに等しいですね。

尚海開き法要は今年は1件だけ建てられた海の家で行われました。

そして8月の灯籠流しについては中止とのこと。

まぁ判断の理由はいろいろあるのでしょう。

 

その大した仕事でもない時間を過ごしたあと(導師は平田寺さんで私は同座するのみ)は静波の墓地の草取りと生垣の剪定に向かいました。

待ってましたの季節ですから。この時間が来るのを。

これまでは息子にその仕事をやらせておいて自身自坊にてふんぞり返っている楽ちんでしたが、今はそれは無理。

ということで去年はまるまるサボって生垣はボサボサというわけです。

奥方のヘルプで今回は2~3日かけようという作戦ですね。

3時間ほど軽トラ半分程度を積み込んで「今日はこのへんで許してやらぁ・・・」と捨て台詞を残して撤収しました。

 

充電式のバリカンと刈込ばさみを駆使、腕を伸ばしての久々真面目な作業は関節と手の痛みを招き、暑さで集中力もダウン。

そこへきてアシナガバチの巣と遭遇、「まともにやっちゃあいられない・・・」というところ。

奥方は「日焼けしたじゃないか」と赤くなった腕を見せて怒りギミでした。

 

さて、熱海の土石流は殆ど「人災」ということを示唆していた静岡県副知事さん。

それは「盛り土」がすべてということになりますが、その件あまり早いうちに公言されるのは困る人もいるでしょうね。

よって副知事さんのその判定について、「よく言ってくれました」というところ。

誰もがそれを思うところですが、確証がナイということで(責任を・・・)うやむやにしてしまうというのはよくある話ですからね。

 

「激甚災害の指定」となれば地方の財政負担が助かることになりますから当初はスグにでも指定か?・・・と思いましたが、人災に激甚災害の指定があるの?というのが単純な疑問となりますね。

 

それでいて政府は早いところ「天災につき激甚災害に指定」したかったのかも・・・などとも考えてしまいます。

天災でないということは人災。

人災なら100%のどなたか関係者の責。当然にそれは連想するところです。

その重き責を負う人は小田原の不動産屋さん・・・というのがさらなる連想となります。現所有者も何かしかの工作をしているといいますが・・・

 

盛り土された土地の元の所有者(登記上)と言えば私も知っている小田原駅西口(通称「新幹線側」)にあった不動産屋さんですね。

近くの城山中学校に1年間通学した私としては懐かしい思い出のある場所です。

小6くらいは確かバッティングセンター兼ゲームセンターがあってそこでずっと流れていたビートルズの曲が耳に焼き付いています。そこに友人たちと屯していましたので。

 

その不動産屋さんは小田原中心に手広く不動産開発をしていました。今は場所について伏せられていますが宅地開発用の盛り土も数か所手掛けているようです。

要はお金持ちであって、利権権益が付き物という推測、政治力のフォローがあるのかも・・・大きな政治稼業との結託・・・なども考えてしまいます。

 

不動産関係の造成工事は規制も各厳しくありますが、インチキも横行していることは世間周知のこと。

拙寺墓地の廃材混入による工事によって沈下の被害の件を春先に拙ブログにも記していましたがいわゆるこれも「性善説」。

裏を返せばハッキリ言ってそれはデタラメなのです。

あの土地に長年苦労させられた私としてはこの手の事案への怨恨は激しく、忘れがたい記憶ですのでついつい記したくなります。

 

特に「盛り土」という工作は土地が化けて2度オイシイものです。谷を埋めて土地を平らかに造成すればその土地の価値が増幅することはわかりますが、実はその「盛り土」の原材料は別の工事で出た残土です。

 

残土というものの受け入れ先は重宝がられます。そうは受け入れできるものではありませんから。

そして盛り土の材料となる土はタダどころかダンプ1台ナンボ・・・の世界。

受け入れれば受け入れるほどお金が舞い込む計算式があることはこの業界では誰もが知っているところ。

よって申請した土以上にどしどし受け入れるというのが金儲けの原理で心中よ~くわかるところですね。

よって行政としてはそれらの行為を管理するべく監視を怠ってはイケないのですが、それができなかったという責が発生します。いい加減な監督があったということですね。

 

そして真正の土砂ではなく廃材、産廃混入残土と聞きますから通常の取引では受けられない代物。

それが被害の元凶だったとしたらまったくもって酷いお話で・・・

 

熱海は静岡ではなく神奈川・・・などとその印象を拙ブログでも記していますが、それはその話し言葉は小田原弁に近く静岡特有のなまりがナイということと、何せ首都圏から直近であるということ。

首都圏で行われる各工事の厄介な残土の受け入れ先になりやすくお気軽さがあるという立地なのです。

当地をいざ「開発」となればリゾート物件に早変わり、谷筋も多く、残土の受け入れ先としては絶好の場所だったわけです。

 

今後「責任のなすりあい」という性善説のなれの果てを私どもは傍観することになるのでしょうが、熱海の土石流で命を失った人、家族、住まいの喪失、インフラの復興に関わるみなさんにこれ以上の人間界つきものとはいえ<災難>を体現させるのはあまりにも気の毒でなりません。

それらも人間界に生かされる者の性として受け入れるしかないのでしょうかね。

 

そして何よりノー天気で五輪をやってる場合なのでしょうかとも思うところ。

日本中の盛り土の検証は急務となりました。

これからの土石流の災いを止めなくてはなりませんからね。

その手の開発は「氷山」と同じで根深いものがあります、この業界の罪は・・・。

それでいて国は大いに潤っていたのですから。

 

 

昔はありませんでしたが・・・熱海にも海水浴場が整備されています(人工の海水浴場)。

私はかつてそちらでボートを15分チャーターしてスキーをした覚えがあります。

おそらく今年は海水浴場の開設は無理でしょうね。 

 

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2021年

7月

16日

忍辱山円成寺苑池の天文と元亀の板碑 +石仏残欠 

昼間のクマゼミの合唱と青空の下にいて「さすがに梅雨明」と思いきや夕刻になってもそのアナウンスはありませんでした。

昨日も落ち着いて家にいる時間がありませんでしたのでのんびり天気の状況を眺めることはできませんでしたが、やはりいいお天気は当地周辺限定だったのでしょうかね。

 

ニュースとしては東京の感染者が新たに1308人出たとありましたが、その件大方の予想通りでさして驚きはありません。

ド田舎住まいの私に軽口を叩かせていただければ、あのトーキョーの人々の動き、流れを見ていれば「さもありなん」。

そちらに足を踏み入れさえしなければ、「安心安全」かと思う次第です。こちらにもやってくるのでしょうかねぇ。

 

ただしその語「安心安全」を口にする者はその語そのもの以上にそれを発した人物を「信用するな」が頭に刷り込まれてしまったようです。

五輪水際対策などボロボロの穴だらけということもわかってきたところで。

 

とはいえ先般の盂蘭盆会にて東京国立博物館で催される「聖徳太子と法隆寺展」にGO!!などと宣伝したばかり。そこへきてこのザマ・・・「足を踏み入れるな」などとはいえません。

まぁワクチンを接種された方はこっそりと覗いてきてくださいな。

奈良と違って人だらけですからね。あそこは・・・。

 

またワクチン全員接種済みの搭乗員のイギリス空母で現状100人が感染というニュースもありましたから、ワクチン接種が完璧とはいえないようで。軽く済むのでは・・・とは聞きますがすべてのことがまともに聞いていられない「話半分」の世界になったようです。政治屋どものウソばっかりが目立ちます・・・

 

さて、昨日に続き忍辱山。

円成寺浄土式庭園の苑池の南側の淵、道路沿いの土塁の下に室町期(天文と元亀)の板碑があります。③がお揃いの図。右奥にお店の建屋が見えます。

 

④の手前の上部が欠損している板碑。

半分欠損している梵字から大日如来(胎蔵界 ア)をあしらっているようで現状判別不可ですが

 

 藤原七郎次郎家友

一見卒塔婆永離三悪道

(梵)ア

何況造立者必生安楽国

       元亀二辛未(1571)八月十五日

 

そして⑤の上部山形形状とラインのハッキリ残る板碑には

 

 一和尚法印 泉教 天文二(1533)

(梵)ケン ウーン ラ ビ ア 法界 施主

 法印栄助大阿闍梨一聖 卯月廿八日

 

 

とのこと。

この梵字の解読は私が確認したワケではなく史料(奈良県史)を参考に記していますがこの梵字の羅列「ケン ウーン ラ ビ ア」について大日如来三身(法身 報身 応身)という真言がありますがその「報身」(胎蔵大日真言)がその逆さまの列「ア ビ ラ ウーン ケン」であることを追記しておきます。

その逆さまについては不詳です。

 

円成寺といえば運慶の大日如来が鎮座(別棟特殊防火施設)していますが古くから大日信仰のある真言のお寺。

それでいて本尊が阿弥陀さん。

 

浄土型庭園があることからもそれは推測できますが碑の文言にある「必生安楽国」に注目しました。

当流の回向文「往生安楽国」と同様というかそれ以上に(「必」ですから)それを強く訴えているよう。

 

他の五輪塔など江戸期のもの。五輪塔残欠に五輪塔型小型板碑にも目が留まりました。

最後の画像、井戸の如くの枠を石積した窪みがありますが・・・不詳です。

 

 

 

 

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2021年

7月

15日

一生すぎやすし~たれか百年の形体を 保つべきや

夕方になって晴れ間がのぞきましたがドカンドカンと比較的「近い」を思う落雷タイムがある不順な一日でした。

それでいて北陸方面が梅雨明けとのことで少々不思議に感ずるところもありますが、あと少々の我慢ともいえて週間予報をあらためて見てみれば以後☼マークが勢ぞろいしていました。

とりあえずは梅雨という嫌悪すべき時間ははやいところクリアしていただきたい。

 

昨日の法要では蓮如さんの御文「五帖―十六 白骨」の件

  「一生すぎやすし 

      今に至りて たれか百年の形体を

                  保つべきや」

「百年の形体」について少々。

故人の年齢が九十六歳だったということもありますが、その「難しい」形体の維持をし続けて生きること、生かされている奇特とその一所懸命の姿を追いかけてそれに追いつけずとも今度は「私」が気張って生きることの気概、その大切さについてお話させていただくました。

要は与えられた「私の人生の<時間>」、「その時」まで気合を入れて生きるといったところでしょうか。

ネガティブ(四門出游)から始まる人生の希望です。

 

私の叔母が大腿骨を骨折して病院付属の介護施設に入所していることをブログでも何度か記していますが浜岡の独り住まいからそちらに入ってスグ「電話で話を付ける」といいながら「今スグ出せ」の主張をしていたのでしたが、だんだんと落ち着き尚慣れて今はその場を楽しんでいるとのこと。

最近は「頼むから歩き回らないでくれ」と担当者が説得しても「ちょっと遊びに行ってくる」といいながら施設内リクレーションルームやら他の入所者の部屋に行き浸っているとのこと。

 

友達ができたというか対応力の速さにおそれいったところです。「黙っていれば御飯が三食出てくる」「独りで居るより楽しい」「環境は快適」ということがわかったようでそれはそれで私はひと安心したところです。

施設の危惧としては活発に動くので「また転んで骨折するかも・・・」と心配の談。事前にそのときの了解を求めてきたほどです。

活発に動いてくれるならそれでOKです。

転ぶことを考えていたら何もできなくなってしまいますから。

 

その蓮如さんの御文の記述、あっという間の「百年」について語ったあと、帰宅すれば叔母の施設から前1か月の締めの請求書と叔母からのメッセージが届いていました。

昨日は私の「体力の消耗キツイ」とボヤきましたが叔母の方はいたって元気、痴呆の進行もないそう。

ワクチンの2回を打っても副反応一切ナシでますます活発といいます。

 

叔母の暑中見舞いのカードには驚き。

手書きで「百才迄生きる」と仰天の宣言が・・・。

奥方が「それじゃあ こっちがお先に!!」とひっくり返っていました。

真似しようにも真似できない偉大な宣言ですね。

奥方は私の父→母→叔母と介護の連続でした。そのうち彼女の母親がその列に加わるでしょうからすべての介護を全うできたとしてもスグに自身が介護される身となってしまいます。

 

そして他にも奥方はその父親と叔母の葬儀も出しています。

人生いろいろといいますが、世には一切介護も葬儀も出したことナイという方々もおられますがすべてケロっとこなしています。

最後には私もその列の最後に加わるということになります。

 

さて、7月13日の静岡新聞。

相良波津にいらした秋野氏の投稿です。

相良油田についての重たい思いが伝わってくる一文です。

その太平洋岸で一番の良質な油について地元では最近かなりトーンダウンしているきらいがありますが、そんな焦燥感も滲み出ているかと。

 

 

 

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2021年

7月

14日

ニンニクといえば忍辱 円成寺室町期阿弥陀と2地蔵

続けて当地は朝から青空に恵まれました。連日の好天です。

そしてこれまでと違ってまさに真夏の陽射しが・・・

昨日は私事、朝から西へ東へと動き回っていましたが直射日光の下に車を少々置いただけで車中は強烈な温度に。

帰宅は午後3時過ぎでしたが、今年一番の気温に疲労度は久々にアップ。体力の消耗が殊にキツイと感じる一日でした。

年齢のせいにはしたくありません。

季節の変動の中にいてこれは徐々に慣れていくにちがいないことと考えたい。
自坊に帰って遅い昼食を取るとスグに睡魔に襲われて畳の上にゴロンと。2時間も昼寝を
してしまいました。

西日のあたる部屋に寝たことを後悔しました。

昼寝としては長すぎでこれではあまりいいことではありませんね。

 

さて、昨日は当家の「ニンニク」大好き人間(奥方)について記しましたがその音を仏教の語で記せば「忍辱」。

「侮辱や苦しみに耐え忍び、心を動かさないこと」とあります。「忍辱波羅蜜」(六波羅蜜-布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)。

 

その「忍辱」といえば奈良円成寺が思い浮かびますが、先日あの崩壊間にも思える十三重塔を記しましたが道路を隔てた駐車場前の「うどんのおいしい店」と季節感の違う塔の画像がありましたのでそれを追記すると同時に詳細記述をしていなかった石仏の件、思い起こしましたのでこちらに。

以前ブログではさらっと画像をあげただけでした。

 

円成寺の室町期の三体石仏です。

勿論こちらは拝観料を支払うエリアとなり本堂の西側にあります。

面白いことに現在の三仏の並びは以前とは違っているのです。

⑤が現在の図で左から⑥⑦⑧と一番大きな阿弥陀さんの石仏が中央に鎮座し、あたかも阿弥陀三尊の形式をとるかのように設置されていますが、昭和の頃といえば⑦と⑧が入れ替わっていて阿弥陀さんは向かって右端でした。

現在のバランスの方がやはりしっくりきますがそもそも地蔵・地蔵・阿弥陀を3つ並べたとして中央に阿弥陀さんを鎮座するのが何よりには思います。

 

ということで阿弥陀さんが主役と考えますが、これらは当初から3体並べることを意図したものではないですね。

花崗岩製の一番大きな阿弥陀さん(定印)の頭上に阿弥陀の種子「キリーク」がよくわかります。

脇に「天文十九年(1550)二月十五日重栄」と。

⑥⑧とも錫杖と宝珠の地蔵。

⑧には「永禄元年八月廿四日」。

 

石仏の並びの修正はともかくとして、こちらでもあのヨダレ掛け、何とかならないかと思うばかり。

好意というか厚意というか気持ちというか独りよがりと言っては悪いとは思いますがね。

あの手のものたちからこちらの石仏まで何度も機会のこどに拝見させていただいていますが、大抵はあの赤い布切れは1年も風雨に晒されれば脱色されてボロ切れと化します。それがまぁ何とも見苦しいこと。

 

それらのメンテもままならず、余計なことはしないで欲しいのですがね。

しかしどちらかお婆さんが「心を込めて一所懸命作りました」などと言ってその石仏たちを愛でながら装着している場にあったなら、そんなこと・・・言えるはずもなく。

 

 

 

 

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2021年

7月

13日

他人の靴を履いてみる 黒ニンニクを作ってみる

昨日も当地は朝から晴れ。

まぁそれは主に午前中。気持ちよくクマゼミの声が聞こえました。ただし盛夏のクマゼミ大合唱の境内にまでにはまだ至っていません。

午後以降曇天となり夕刻にはポツポツ程度の雨がありました。

世の天候は不安定の様。「静岡県内」というくくりで午後になってから竜巻等の発生やら大荒れになるとの予報が発せられたものですから奥方は洗濯物の取り込みに急ぎバタバタしていました。

 

以前、檀家さんが法要時の動きの参考としてスマホで雲の動きを見ていたことからその情報は法事前の確認は当然ながら、プライベートで山歩きその他何をする際も得るべき情報として便利なソフトと思い先般取り入れました。

それが気象庁のサイト「ナウキャスト」(「雨雲の動き」)「キキクル」(危険度分布)です。

大雨が長時間続くなどいつもと違う変異を察したら「記録的短時間大雨情報」や「指定河川洪水予報」などに切り替えてみれば事前の行動規範となりますね

 

奥方が洗濯物の取り込みを行う前に私はテラスの屋上に投げ上げていたスニーカーたちを回収。

朝の好天に一昨日洗って一晩軽トラの荷台に置いていたものを、さらに完全乾燥させようと目論んでいました。

黒色屋根の放射熱と風通しの良さは最高の場所ですからね。

 

どちらにしろPCからその「雨雲の動き」を見ていれば当地はいつもの如く「大したことなし」がわかるわけで。

 

さて、表記「他人の靴を履いてみる」とは今や社会に耳慣れてきた「シンパシー」の対義語「エンパシー」について「一言で語れば・・・」と形容された語のようで、自身の感情ではなく他者の気持ち(喜怒哀楽)を客観ではない共感をする(単純な同情ではなく・・・)ことをいうようです(『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』-本屋大賞-)。

 

これもまたよくいう「忖度」の類と違って自身の意見と対峙したりこれまでの既成の考えである人種、宗教、富の格差による「違う人たち」の声をよく聞いて一歩踏み込んで受入れて「考えよう」とする方向、スタンスです。

相手の立ち位置に自分も立ってみるという姿勢が「他者の靴」をイメージしたのでしょうね。

 

それは聖徳太子の十七条憲法の15条「私あれば必ず恨あり」に通ずるものがあります。その「他人の靴」はこれからの私たちの行動と心情に一つ置いておかねばならない考えでしょう。

特に私の仕事には不可欠であると思うばかり。反省も多多。

 

さて、最近は奥方がどっぷりハマりこんで集中しているのがクロニンニクの製造。

それをよそで教わったのがつい最近のことと思っていましたがみるみるうちにその技量は熟達し今や親戚に配るまでになりました。

私には何がウマイのかさっぱりわかりませんが、モノによってかなり味は違うようです。

何しろ「健康にいい」ということで毎食そのかけらが食卓に添えられるようになっています。

今、奥方の従妹の夫が癌になって「是非に」と所望されたということでせっせと作っています。

 

先日は掛川の道の駅のニンニク売り場にて一般客に向って奥方がその製造法やらニンニクの選び方など語っている姿を見ました。いつまで続くかわかりませんがその製造が「生きがい」の如くにハマりこんでいるよう。

特に最近「釜が足りない」ということでネットで中古品を取り寄せていました。

ニンニク臭がコメの炊飯に移る可能性があってまともなモノは使いたくないという理由からです。またその作業に時間を取られることから通常の炊飯ができません。

 

①②まず購入してきたそれらを吊るしている様子。

その作業も不可欠だそう。

「ドラキュラ除け」とほくそ笑んでいる奥方がいます。

③④は2台稼働で製造中。⑤できあがり。

 

そのサイトにて好みのアディダスが見つかったため「私も・・・」という具合で数足購入しました。

奥方は「他人の履いた靴がよく履けるものだ」「そもそもサイズがぴったり合うかわからないだろう」「靴は試しに履いてみなくては絶対に無理」等々呆れていました。

 

「他人の靴」はとりあえず洗えばOK!!で全然大丈夫の事。

そしてアディダスのフットサルシューズはサイズもフィット感も一定。

高校時代から履いている靴のメーカーであってそのカタチも変わらずですから靴ずれ等の心配があり得ません。

足がもはやその形状になっているのかも知れませんね。

まぁ奥方の私へのクレームは果たしてそれだけの靴の在庫が必要かどうか・・・というところなのでしょうがね。

私としてはその手のデザインのものが無くなってしまうことが心配なのです。「そのニンニクと同じである」と主張していますが、少々分が悪し。

 

現状作業用と普段履きのアディダスが2足玄関にありますが、家の中のアディダスはこのような感じ⑥。

今回1000円~2000円で買いだめした中古が3足、新品が6足ありました。昨日は届いた中古品を洗濯、乾燥させたのでした。

基本「ダッシュが効く」が私の生き方、身上としたいものと考えていますのでそれを続けるためにもこれを眺めて安心させられているワケです。

 

アディダスは新しいデザインを次々に出しますが私は最近のそれらは敬遠。一昔前のものへの趣向になります。

基本白に青のライン三本線が好み。最近のモノは派手で突飛なのです。

以前でしたら1年で履きつぶしてダメになるほどでしたが最近は3年以上もってしまいます。

特にここのところは家でじっとしていますからね。

 

息子のいつもの台詞「そんなに生きながらえたいのか」が聞こえてきそうです。全部履きつぶすのに30年という計算です。

遺ったら息子に「履いてくれ・・・」ということで・・・。

スニーカーコレクターもいると聞きます。

新品のアディダスならプレミアムがつくでしょうね。

 

下駄と草履の場合は他に「履く」シチュエーションはありますが革靴などはもはや二度と履くことは無いと断言します。

またスニーカーは新品は買わないでしょうね。

「他人の履いた靴」が有難い。

 

 

 

 

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2021年

7月

12日

多々のごとくすてずして  阿摩のごとくにそひたまふ

昨日で晴れが3日続きました。

自分的には「梅雨明け」ですが、気象庁も慎重のようです。

色々な場所で線状降水帯が発生してドカ雨を降らせていますからね。

梅雨明け宣言もそうですが「宣言」などいうものがいかにアテにならないものか。

まぁお天気の方はあとになってからでも「実は・・・」という具合にその宣言があったりしますからただの気分程度のことと割り切れますし、さしてどうでもいいこと。

しかし好天は何よりのことなのです。

 

昨日も4回に分けた盂蘭盆会法要のうちの3回目が催されましたが朝から日光に恵まれベストコンディション。

御多分に漏れず皆さんより「暑い」の連呼がありましたが、各地に見られる土砂降り荒天の景色とは真逆であってそのこと(暑さ)に文句を言っちゃあ・・・申し訳ないこと。

それほどの「仕合せ」がないと実感しなくては・・・

恵まれているのですよ、相良の衆。そしてこの私も。

 

さて、盂蘭盆会の御和讃の拝読タイム、私は聖徳奉讃6首(正像末和讃83~88)と決めています。

これは今年の聖徳太子1400年御遠忌に合わせたものではなく盂蘭盆会といったらコレということで。

 

なぜならば親鸞聖人は聖徳太子を観音菩薩の化身であるとし、また父として母としてあると仰っているからです。

聖徳太子関係の和讃は親鸞さんの80歳代のものばかりでいわゆる最晩年。

父母への思いが噴出してきたとしても不思議はないところですがその件、人として「そんなものなんだろうな・・・」と納得もさせられます。

私はまだまだその域に達していませんが。

 

そして私が毎年その聖徳奉讃の拝読する夏、毎度感動する場面が出てきます。

それが

「救世観音大菩薩

 聖徳皇と示現して

 多々のごとくすてずして

 阿摩のごとくにそひたまふ」  そして

 

「無始よりこのかたこの世まで

 聖徳皇のあはれみに

 多々のごとくにそひたまひ

 阿摩のごとくにおはします」  の「多々と阿摩」の件。

 

この「多々」が父で「阿摩」が母であることは推測できます。

 

そのあとに続く

「大慈救世聖徳皇

 父のごとくにおはします

 大悲救世観世音

 母のごとくにおはします」

 

かつてその和讃を拝読し始めの頃、素人目にもその意(父と母)を間違いないと確信に至ったわけですが、私はその際、「ウソだろ・・・」とも感じたものです。

その音が「多々」(タタ 父)で「阿摩」(アマ 母)。

そうです、タタはパパでアマはママ。日本ではもちろんのこと西欧世界でも使われている語の音に酷似しているのです。

 

その音は世界共通なのか・・・と驚いたのでした。

言葉の発祥、起源の説は色々あるのでしょうが、元はといえばその語はインド、アジア系の語と思われます。

地球は繋がっているということなのですかね。

私にはタダの偶然とは思えないのです。

 

①②は真宗大谷派の発行した「ほとけの子」No.1。聖徳太子パンフ。③④はジュニアガイド。とはいえ大人が見ても新しい発見多々あり。

この2つを今回の御門徒様へ配布させていただき法要後のお話をさせていただきました。

特にジュニアガイドは奈良博(奈良国立博物館)とNHK大阪放送局ご担当のご厚意とご尽力によって手配することができました。聖徳太子の図も若くて好感が持てる現代風で一目見て気に入ってしまいました。お手配感謝します。

奈良博には今後もお世話になりますのでよろしくお願いします。

 

 

 

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2021年

7月

11日

盂蘭盆会法要は全4回分散 兼聖徳太子1400遠忌

昨日2回、本日1回そして8月8日(日)の全4回の盂蘭盆会法要。

昨年より1回減らしました。

他のお寺さんがどのような方式でコロナ禍の法要を行っているか知りませんがお盆の法縁だけで4回分ければ十分とそこで落ち着きました。

どちらにしろ3回というのが毎年の流れでしたし。

 

昨日の相良はというか静岡県は、朝からシャキッと晴れてこの自然からの思わぬプレゼントに阿弥陀さんへ感謝の念を告げました。

地方によっては九州など土砂降りの画像が入っていましたので法要当日ということもあってこの晴れには感謝してもしきれないくらい嬉しくありました

オオタニサンのホームランと同じ、朝一青空に向かってブラボーと発しながら舞鶴殿のトイレ片付けをしていました。

 

今年の盂蘭盆会のテーマは聖徳太子。聖徳太子の1400年御遠忌にのっとってです。

ということで通常本堂余間に七高僧と並んで掲げられている聖徳太子のお軸を外陣との結界の真上、参拝者の目前に引っ張り出して紹介させていただきました。

太子16歳の孝養(きょうようず)といわれるものでいわゆる聖徳太子像のうち構図としては他を圧倒の形式-角髪(みずら)を結い柄香炉(えごうろ)を捧げ持つ<童子形>です。

柄香炉も右手で持って左手で添えるというパターンですね。

これは父の用明天皇の病気平癒を祈願する姿といわれてる孝姿。「孝養図」(きょうようず)というお決まりのパターン。

 

 

その姿の木造の16歳の図。

なみさんが大奥働きから持ち帰った聖徳太子像もそのお軸の下に安置しあらためて紹介させていただきました。

お軸とは違って既に何回か法要の度に出張っていただいていますが。

 

お話の最後にご案内したというのは東京国立博物館の聖徳太子1400年遠忌記念 特別展「聖徳太子と法隆寺」の件は普通の流れでしょうね(サイトがありますのでググってください)。

昨日のトーキョーは950人とコロナ花盛り。

博物館に行きたいのはやまやまだが「ヤバくて行けない」というのが本当のところ。

 

言わせていただければそんな数字は殆どの人が予測していたところで、「奥の墓道」氏などはスグにでも「千の風になって」ならぬ「千の風邪になって」となることを確信していました。

専門家の予測では2000、3000あり得るとまで。

五輪開催中にはひょっとすると・・・

 

静岡県の五輪サッカー会場には人を入れるといいますが、他会場が無観客を決めている中、それヤバいのでは?

 

 

 

 

 

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2021年

7月

10日

聖徳太子の墳墓へお参り 一遍上人聖絵

ここ2.3日案外当地は雨がないのです。

ポツポツ程度のものはありましたが、植木鉢の土はカラカラに乾いています。

かといって何時降りだすかわからないような空でもあってホースを持ち出してガッツリ散水する気にもなれず。

ハッキリしないというのはお国のコロナ対策と同じで困りますね。

 

まぁ矛盾だらけということですが、やはり今一番に感じることといえばワクチンの件。

どんどんワクチン接種しての大号令、地方の行政担当部署の尻腰を叩いておいて、今度は打つのをやめてください(ペースを落として・・・)ですからね。

 

要は「ワクチン足りなくなっちゃった」ということなのでしょうが、品物の数量について当初からわかっているはずにもかかわらず、それが予見できないなんて、やっぱ「バカなの~」と思うばかり。

ちなみに当家ではその言葉、ブームになっていますのでたびたび失礼します。それは奥方からもよく言われている語です。

まぁ仕方ないことですね。

 

ガースーが手に入りもしないワクチンを大風呂敷を広げ期限まで指定してその接種完了とコロナ後の「復活」を自身ありげに語っていましたね。

それを「かたり」と言わずして何というのでしょう。

安心・安全を連呼しつつそのワクチン供給の万全を自身の安泰とその夢(五輪開催実現)のために騙り、その真実を知った国民のガッカリはいかばかりでしょう。

まぁ私はその手の大風呂敷は大いに予想していましたので、まぁいいか・・・とどうでもよし。

 

とは言いながらもその副反応とやらの体験をしてみたかったところでもあって、少々残念でもあります。

 

そして盂蘭盆会の候、これから大小法要が開催されていきますが昨日は本堂内の片づけと清掃の一日でした。

雨降りでないのは絶妙でした。気づいたことといえば扇風機の件。

それらの活躍の時節といえば7~9月の3か月程度であとは本堂の端っこに片づけてあるだけです。埃にまみれて。

 

比較的参拝者の多いこの時期は涼を求める意もありますが強制換気に配慮しなくてはなりませんのでそれらを引き釣り出して電源テストをしたわけです。

すると2台が少々の唸り音を出して以後不動。

「これはヤバい」と思ってコンセントを抜くのですが思うにこれは本堂内の空気は劣悪、澱んでいるからでしょうね。

モーター内もおかしくならないワケがない。

 

昨日は殺人的湿気もあって不快感よりアップ。

それは何も堂内に限ったことではありませんが、扇風機の壊れやすいのは空気を背後から供給して前面に排出するところ、本体にも多くの埃が堆積するからでしょうね。

 

そもそも扇風機は安物なら2000円程度で新品が買えますので本堂用なら使い捨てレベルと割り切らないと。

なぜなら古い扇風機からの火が出た件、よく耳にしますからね。

これからの時期、扇風機不良による火事、気を付けなくてはイケません。

私はうっかり点けっぱなしが怖いのでタイマー機能を使って夜は電源を確実に切ることを心がけています。

万が一ネコどもがONにする可能性がありますね。

まぁそあいった機種は高価でソフトタッチのスイッチに限られますが。

 

今年の盂蘭盆会法要は4回に分けました。

法要後のお話のテーマは聖徳太子になります。

声高にその人の遠忌である・・・とその人のよすがについて語れどもなかなか真宗寺院において大々的に法要として取り入れるところは・・・どうなのでしょうね。

ところが今年はキリのいい数字、没後1400年遠忌と高らかに掲げることができます。

 

以前ですと「聖徳太子」といえば高額紙幣をイメージさせるほど人口に膾炙した偉人ですがそれを大きく超有名人として人々に広めたのが当流ご開祖親鸞聖人だったとよく言われます。

それは紙幣に刷られる以前から(鎌倉時代から)親鸞さんは聖徳太子を「父であり母である」と讃えてきた歴史があったからですね。

 

親鸞教ともいわれることがある私ども浄土真宗の門徒は開祖が父母の如くに敬う人に心が向かないはずがなかったわけで。

 

また、真宗門徒も一向宗もごちゃ混ぜに考えられた一遍上人の教え、時衆について記してきましたがその一遍上人は遊行の道すがら聖徳太子の墓にお参りしていました。

その図が一遍上人聖絵(一遍上人絵伝)です。勿論国宝指定になっていますが各場面、カットはネット上でも見渡せるかと思いますが人物の描写、風俗など実に見ていて飽きません。

上人は遊行僧ですから歩き回っていますので比較的色黒。

親鸞さんの木造も真っ黒ですが、外を歩き回った人でした。

 

それを見ていても坊さんは「黒くてOK」を思いますね。

日頃父は「黒いのはみっともない」と小言を言っていましたが・・・。

 

まぁ腹立たしく思われるのは当然、胸に手をあてなくとも大いにわかります。

しかしその父も若いころは祖父を呆れさすほどの厄介者だったと聞きますからね。

血は争えないといったところでしょう。

 

奥方は息子にもし子供ができて、その子が学校で何かやらかしたとして(いや何かやらかすに決まっている・・・)、黙って息子の困り顔を見てみたいものだ・・・と。

「お前が謝りに行け」とそれが言い放ちたいそうです。

私は「それこそ奇特、幸せなことだ」と。

 

画像は絵伝から。

①大阪府、その名も太子町にある聖徳太子の墳墓に一遍上人がお参りする図。

 

 

 

 

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2021年

7月

09日

そろそろヤバいよ十三重塔 奈良円成寺 崩壊危機

五輪開催の地トーキョーの再々々々の緊急事態制限とやらのお触れがありました。

その挙句「五輪だけはヤル」には大いに呆れますがしかしその宣言、「します、しません」の動向にいったい何の影響があるの?と感じるばかり。

「一つのメッセージ」というハナから割り切っているフシもありますがハッキリ申しあげてその宣言、効果ナシの感。

 

あたかもママごと遊びの「宣言ごっこ」の様で・・・。

都民のみなさんの今のごく活発な現状を見て「もはや何の自粛を期待しての宣言なのか・・・」というところと同時に「五輪はヤル」の前提があってのまっく奇妙な発信でした。

 

記者会見の様子がテレビモニターから流れていましたが、私が合点したところといえば記者団の質問に対してガースーはまったく「応えていない」ということ。

記者の質疑にはまともに「応じるな」、世間話と過去の思い出話でもして「誤魔化せ」とでも念押しされているかの如く。

いつもすれ違いで噛み合わない問答。

アホらしくて聞いていられないレベルでテレビを点けっぱなしにしていたことを後悔したほどです。

 

さすがにあんなのでは通用しないでしょ。普通の社会では・・・。

友人「女墓場」の人を揶揄するときの口癖「バカなの~?」を思い出しますし、そもそもまともな会社のプレゼンや会議であのザマだとしたらボコボコにされますよ。

それがまかり通ってしまうのがこの国の政治屋ならではなのでしょうね。

「責任はどうしてくれるの・・・」という記者の質問には「はぐらかし」の技を使っていましたが、その場はそれでおしまい。

まったく彼を甘やかししすぎですよ。

 

デルタ株の国内浸潤と今後もっと強烈な、ワクチンの効きにくいラムダ株の蔓延が予想されているのにね。

世界はきっと面白がってトーキョー五輪を「応援する」といいながら見ていますよ。

さすがに昨晩になって無観客を決めたようですが。

 

私は「野球はMLB」と決めています。

かつては子供たちを連れて球場に足を運ぶほどでしたが今はテレビでも国内のプロ野球はまったく視聴しなくなりました。

今朝も早朝からMLBのディゲーム、オオタニサンの雄姿をテレビモニターに噛り付き、適宜横浜の「奥の墓道」氏と戦況について各持論をline交換。それが日々の楽しみになりました。

 

昨日も一日の気分高揚の指標である1ブラボー(ブラボーは私どものいうホームラン)があり、まずまず。

ハッキリ日本と違うこと(笛に太鼓にラッパの「応援」のダサさがないことも素敵ですが)を一言でいえば3万人内外の超密ともいえる観客のうちマスク着用者は皆無ということ。

 

さすがアメリカ、ワクチンが効いてるということでしょうが、やることなすこと誠に早い。

愚図といわれて尚「早く早く」の口だけ自分応援に励む様子はもはや「痛い!」を感じるガースーレベル。

やはりアメリカには何から何までかなわない。

 

厚労省は国産ワクチンについて認可をビビっているようですがそれは最後の選挙対策用に残しているのでしょうかね。

この承認遅延の理由はほかには見当たりらないような気が・・・。それほど医学医療の技術に世界とそれほどの差があるとは思えません。

技術はあるが施策が無能。それの差でしょうね。

単純な理由。

海外製承認はあくまで緊急性重視であって例外のこと。

その接種によって死亡したとしても国の責任はナシ・・・です。

ところが国産とになれば承認したのは国・・・ということで訴訟の対象になりかねませんからね。

それだとしても「緊急性」でいいではないですかね。みみっちい保身ばかり目立ちます。

やっぱり「バカなの~?」。それは歴史が証明してくれることでしょう。

その語「歴史」を使って自らを逆に鼓舞(偉業の如く)していたガースーでしたが。

 

役人も政治屋も「責任」を取るのが大嫌い。

きっと方々はお家では「ごめんなさい」など言ったことがないのでしょうね。それこそ悪いオトナの教科書。

 

さて、昨日は奈良「塔の森」の奇特な存在ながらいかにも危機感漂う層塔を記しましたが、本日も続けて。

塔にはシングルの宝塔から三重・五重・七重、ときに九重・十一重塔そして十三重塔。

積めば積むほど手間とリスクがかかる多重層塔(十三重)ですが何度か拙ブログでも記している円成寺にも・・・。

「圧巻の13」を見ることができます。

 

そちらは寺域ながら拝観料のかからない場所、ほんの少し奈良市街寄りの場所に木々に隠れて立っています。

浄土庭園脇の美味しいうどんの店の側を通って、さて拝観を・・・と歩を進めがちになりますがそちらは後のお楽しみにしてまずはこの層塔にご挨拶を。

 

そちらに昨日の「塔の森」以上にハラハラさせられるようなバランスで立っている塔があるのです。

「平たい花崗岩の上、高さ450㎝の凝灰岩性」。

「塔の森」もそうでしたがやはり凝灰岩は素材の選択として不向きなのでしょうね。風化浸食が激しすぎます。

平安後期の仕事といいますから、実際、年月の経過も著しいものがありますが・・・。それにしても・・・

 

基礎四面には月輪。

東から薬師-釈迦-弥陀-弥勒(顕教四仏)の東方薬師のところを阿閦(あしゅく)仏に変更したタイプのようです。

目認試みましたがなかなか難しい。

そもそもその方角もアテになるのか・・・と疑心暗鬼。

 

何しろ今ここに立ち続けていることが奇跡のように感じる塔です。おそらく何度も崩壊を経験して今の姿になっているのでしょうね。

ただしそろそろ手を打たないとイケないレベルかも。

 

 

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2021年

7月

08日

日吉神社裏山「塔の森」 奈良~平安期の十三重塔

人の思い通りに木々を伐採し森をなくして私(人)のために土地を耕作活用しようと活動してきたのが歴史でした。

当初は主として稲作用の土地開墾が江戸期に入って、より上等な生活のためのインフラの整備・・・人口増に伴う宅地開発と「自然」を相手に大鉈を振るい本格対峙を始めたのが近年のこと。

一見、人が制圧したかと思われる「自然」に今、大攻勢にあって反省を促されているというのが現代ですね。

要はこの50年、いや明治以降「経済」を旗印に人々が狂喜乱舞したそのツケをこれから支払っていかなくてはならないといった構図かも知れません。

 

どうやらすべてが無謀な計らいだったようですね。

地球の温暖化を進めまたその温暖化をストップできる力量が追い付けない様を見せられています。

毎年毎年梅雨といえば前線が長い間停滞し、ドカ雨が降り続け大災害が起こるというパターンは今後長く続くのでしょうね。

一説にこれまでは比較的九州など西日本に多かった豪雨が東日本以北に移ってくるといいます。

まぁそれはそれで日本全国均等に被災地として巡ることですから平等といえるかも知れません。

 

いつどこでどのようにして自然災害に巻き込まれてしまうのか、人々は常時頭の中に入れておかなくてはならないということですね。

どちらにおいても先達の手掛けた開発とそれに付随する構造物が建ちまくっていますが、それら更新時期も同時に来ていますし、自然は温暖化によっていよいよ狂暴化していますからね。

「人の作ったもの」「人の考えたもの」「人そのもの」の信用というものが危うくなっている時代です。

 

熱海の土石流の起因となった「開発行為」・・・経済活動・・に大きな「不信」を思いました。

勿論利便性を追求しつつある私の反省も。

 

私は森の中を歩くことが少なくありませんが(主に山城歩き)木々に覆われた森林は神聖な雰囲気とうまい空気に浸って気分は最高潮に達します。

それはどちらにおいてでも享受できる自然の恵みですね。

 

今、山の土砂崩落について言われていますが山を歩いていて時に崩落個所を目にしますが、その「壊れているもの」といえば殆ど人間の工作物です。

橋にしろ道にしろ壁にしろ・・・それを思うと高速道路の高架にトンネルに橋梁・・・いつ崩壊しても不思議ではありません。

勿論拙寺本堂もそうですが「人の作ったものは滅びる」もの・・・などと思い出して少々の空しさも感じるものです。

ただし鉄筋コンクリートの崩壊は木材の構造物よりも遥かに弱いものがありますからね。まぁどれもこれもそれらは森を壊して作られたものでした。

 

ということで森を壊したらいずれその報いを受けるものであるという論理に辿り着きます。

壊したものと報いを受ける者は大抵の場合直接関係がないというのが常。

不公平とは思うものの「人-自然」の大きなくくりではどなたかがそのしっぺ返しを受けなくてはならないのですね。

そしてやはり「人は自然に勝ることはできない」ということ。

それをコントロールできるという者の言い分こそ詭弁です。

その一番「悪辣な人の心」を制御しなくてはならないのですが、それができない管理者(国と自治体)ならば失格としかいいようなし。

 

さて、先日は奈良日吉神社の石仏について記しましたがその背後の山が「塔の森」です。

その名は峰の上にある推定十三重塔のことを指しています。

日吉神社の道が不安だらけだったこともあり、そちらで車を置いて山道を歩き出したのですが、やはりその石塔にお目にかかれるのか不安の気持ちに覆われていました。

途中に分かれ道があったりでしたから。

もっともそういう時は森を満喫しようと割り切るだけですがね。

 

長い階段と鳥居の朱色が目に入ると「徒労になることはまずないだろう」と自分を励ましなから自信に変え、登り切ったとき、その不安は感動に変わりました。

十三重といいながら六重を残すばかりですがよく見ると崩落した屋根の残欠が積み寄せられていました。

 

凝灰岩製の六角型層塔で現在の高さは240㎝。

特に下段基礎の格狭間に風情を感じます。

奈良、平安期の手法といいますがここまでの「崩壊」の様でなおも立ち続ける姿は立派としか言いようがありません。

 

つい、いつからこちらに・・・と声を掛けてしまいました。

奈良時代からだと知っているくせに・・・。

 

 

 

 

 

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2021年

7月

07日

一昔前なら改元? 時衆の衆徒は戦場へ 檀那の所望 

昨日、あの熱海の土石流の起因となった盛り土の土地の所有者の弁護士とやらが「法的責任はナイ」と断言していましたが、それはちょっと違う・・・と感じたのは私だけではないのでは・・・

要は雇用関係(古い言い方だと弁護士から見て「檀那」-スポンサー)ということになりましょう。

 

弁護士はその「法外」の印象を世間に広げることよりも自身の忠誠をただ「檀那さま」にアピールしたかったのでしょうね。

 

「責任がナイ」の理由がその人(地権者)は投資家で、ただ「買っただけ」何よりその土地の盛り土の件は「知らなかった」というところ。

法的に民法上「知らなかった」はしばしば免責対象になることがありますが、土地の登記上の所有者というものはその果実もそうですがすべてその瑕疵の責任を負うのが当然の事。

どう考えても「知らなかったから法的責任はナイ」は通らないでしょうね。

 

ただし東京では無免許運転で事故を起こしてもタイホされない人もいれば広島では買収事件のおカネを貰っちゃった皆さんもお咎めナシという事案を目の当たりにしていますのでこの熱海地元の資産家の事案、本当に「知らなかった」がまかり通ったりして・・・いつもバカをみるのが民の衆なのでしょう。

 

それにしても思うことといえば疫病蔓延と災害の時節、こういう悪いことが重なるとまずは為政者から持ち上がってくるのは「改元」の提案というのが日本の歴史。

為政者は縁起を担ぎたがるもので天変地異や疫病、悪しき事、嫌なことがあればまずは「改元」を考えるものでした。

 

そしてその元号の字面もどうこうと学者たち知者の意見を聞きながら文字を決めていくのですがやはり使用文字には偏りがあります。「元」「徳」などもありますがぱっと見、私は「応」の字の使用頻度の高さを思います。

たまたまですが一遍さんの生涯(延応元年1239~ 正応二年1289)など「〇応→〇応」でしたね。

また「洪」という字。それは広い・大きい・優れたなどの意があって明の始祖が「洪武帝」です。

それにあやかって足利義満が「洪」の字を元号に入れたかったといいます。

しかし本邦その語といえば洪水の「洪」。当時の天変地異の最たるもので「いくら何でも・・・」という具合にそれは周囲から反対されたそうです。

そして代わりに決まったのが「応永」(1394~1428)ということになります。この年号は一桁(数年)が当然の改元の時代に思わぬ特異の長さ(35年)となりました。

 

「応」という字は「こたえる」「承知する」で国のトップが銘々するには実に適切な語。庶民の声を聴くという気概が見えるというもので。

やはり国というものは衆愚といえども耳を傾けて「こたえる」姿勢が大事となりますからね。

 

さて、今の「時宗」の「宗」は宗門の「宗」を持ってきたことは推測できますが元はといえば「時衆」から・・・と先日記しました。

その際当流、葬儀式冒頭必須の経典「勧衆偈」の「道俗時衆等~」を引っ張り出しましたが、その語彙はそれ以上に馴染みの深い「正信偈」の締めの部分にも登場します。

「~道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説」でいずれも「道俗時衆」とあります。

 

その「時」について私の解釈として「今の命を育む人々」でよろしいかとは思いますがこちらも以前といえば「六時の念仏」に励む人(遊行の衆・・・)という雰囲気も曖昧ながらあったのではないかとも思います。

「道」は僧侶で「俗」は一般人、そして「時衆」は遊行の念仏衆、いわゆる「非僧非俗の衆」ということを指していたというところです。

親鸞聖人御絵伝「洛陽遷化」の段、鳥辺野延仁寺に描かれたオレンジ色の衣と裹頭(かとう)、長刀を持った僧兵らしき人たち(犬神人-いぬじにん-とも)がその「衆」であった、あるいはその手の衆が混同されていった歴史があったともいわれます(上記画像④)。聖人の荼毘の火と同様の色相になっていますね。

ちなみに絵伝は下から上に読み解きます。

上部の廟内に親鸞さんの像が見えますが「本願寺の始まり」を表していて絵伝の締めとなっています。

 

その非僧非俗の念仏衆がそれまでの寺院がやらなかった葬送というものを請け負ったのが民間の葬式の始まりともいいますが彼らは戦場にも赴いてそれを仕事としていました。

 

また御開祖親鸞さんが著書「教行信証」(その「正信偈」が含まれる)の草稿が1225年頃といわれ、一遍さんの生涯(延応元年1239~ 正応二年1289)より以前のことからその「時衆」はやはり空也(念仏聖)の遊行によって影響を受けてその思想が拡散「非僧非俗の衆」を指していたかとも思われます。

のちに親鸞さんもその「非僧非俗」を自称していますので色々な意味でその遊行、念仏衆、六時そして一向宗の混同があったのでしょうね。

 

ここで清浄光寺に残る、戦闘参加時の時衆の掟という興味深いお達しがありますので記します(画像①)。

 

 

「十一代上人御自筆 軍勢時衆ノ掟」

 軍勢に相伴時衆の法様は、観応の此(1350~)、遊行より所々へ  

 被遣し 書ありといへとも、今ハ見おひ聞およへる時衆も不可 

 有、仍或檀那の所望といひ、或時宜くるしからしといひて、心に

 まかせてふるまう程に、門徒のあさけりにおよひ、其の身の 

 往生をもうしなふもの也、檀那も又、一往の用事ハかなへとも、 

 門下の法にたかひぬれは、時衆の道せはくなりて、かへて檀那  

 の為も難儀出来すへし、然ハ世出可被心得条々、

一、時衆同道の事ハ、十念一大事の為也。通路難儀の時分、 時衆

 ハ子細あらしとて、弓矢方の事にふミをもたせ、使せさせ ら

 るる事、努々あるへからす、 但妻子あしきハ、惣して人をたす

 く へきいはれあらハ、不可有子細、

一、軍備において檀那の武具とりつく事、時としてあるへき也、

 それもよろいかふとのたくひハくるしからす、身をかくす者な

 る かゆへに、弓箭兵杖のたくひをハ、時衆の手にとるへから 

 す、殺生 のもとひたるによてなり、

一、歳末の別時にハ、軍備なりとも、こりをかき、ときをし、阿弥衣

 を 着して称名すへき条、勿論也、雖然所によりて水もたやす

 からす、食事も心にまかせぬ事あるへし、又檀那の一大事を

 まかせてさたし、こりハかゝすとも、くるしかるへからす、

 若又さり□を へからん所にてハ、如法におこなふへき也、

一、合戦に及ハん時ハ思へし、時衆に入し最初、身命ともに 知識

 にふせしめし道理、今の往生にありと知て、檀那の 一大事を

 もすゝめ、我身の往生をもとくへき也、此旨存知せ さらん

 衆にハ、能々心得やうに可被披露、穴賢々々、

 南無阿弥陀仏

  応永六年(1399)十一月廿五日 他阿弥陀仏

                                                 ~京都国立博物館展示会~

 

年号としてここでも観応(1350~)と応永六年(1399)と「応」 

付き。「他阿弥陀仏」の差出名は清浄光寺(遊行寺)の2代以降

の名のりです。

 

この書面は時衆の従軍の掟ですね。

「檀那」の所望するところにしろ戦闘に参加していたということがわかりますし、寺も当然にその同行に限っては容認しているということですから面白い。

「檀那」とはスポンサーであり時衆の従軍者として雇用関係の存在が彼ら各「殿」と契約があったのでしょう。

またその仕事とは戦闘で亡くなった者を弔うことですね。

「十念一大事」(南無阿弥陀仏×10回)とあります。

 

人を殺める場に弔いの専門職グループを同行させるなど気が利いています。それが以前の戦いのマナーであったと推測できるところも。

 

それでも「武器はダメ」の記述を見て思うことはそもそもこういったお達しが出る事は彼らもその長刀などをブン廻して大いに戦闘に参加していたことを感じますね。

 

時衆の衆は遊行にしろ軍事参加にしろ持ち物は限定されていますのでそもそも武具すら持ち歩くことはあり得ないのですが、おそらく「檀那の所望」として現場で武具支給が頻繁に行われていたかとも思えます。

 

もしかして人を殺めたその場で念仏。

時代劇的には面白いシーンではありますが、そういったことは実際にあったかと想像してしまいます。

 

②は書面三番目にある時衆の持ち物の一つ「阿弥衣」。

六時念仏等その時の作法としてこの「阿弥衣」着用することが記されています。

③は当流「正信偈」の最後の部分。

 

 

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2021年

7月

06日

熱海を見てわが身を思う 牧之原市主体の開発あるが・・・

昨日の相良は何故か晴れ。静岡全体ではくもりの予報でしたから。

時に雲が出てきて「ヤバいかも・・・」などの雰囲気も漂いましたが布団を干せるほど上々。 

夕方も汐見台経由で大沢まで奥方と散歩できるくらい久々の雨のない貴重な一日でした。

 

熱海の土砂流出の起点が確定したようですね。

グーグル地図を見れば尾根筋の開削地ではなくその北側の谷筋の土砂堆積場の上部が起点となったよう。

地図で確認するとその谷筋には段々に盛り土工作がされていましたが、報道によれば小田原の業者から土砂搬入の届け出があったといいます。

もしそれが起因した事故だったとしたらまさに夜逃げレベル。

その先の開発目的についての情報はまだですが、いずれ明らかになっていくでしょう。

どんなに否定したとしてもそれを覆す論理だてた説明がなければ負け。

 

谷筋に盛り土をすると土砂流出のリスクがあることは大体想像がつきますが、谷には大なり小なり川が流れているものであり、埋め立てたといってもその流れは地下で生きているといいます。

要は大量に降った雨が集中的にそのパイプ化した「流れ」に集まってかつ周囲の地盤の軟弱質(埋立地の地盤)への水量も増えて限界を超えるということです。

 

何故にそのような想像をするのかといえば小島蕉園の記述の如く当地での土砂崩れは実際にありますし、この春ご寄進いただいた汐見台住宅地の谷筋の元にある山林がまさにそのような形状にあって1本の小さな川が流れています。

そしてその上部の山の伐採と開削というところ、まったく同じなのです。

以前のブログでは上部の台地に城砦があったことを想像して「堀底大手道・・・」などと記していました。

 

私としてはその上部開削にまったく関与していませんし土砂の流出があるとすればその起点の下の谷ということになります。

しかし崩れ出したとすれば下にある住宅地はひとたまりもないでしょうね。

 

まさかとは思いますが本当に土砂崩れが発生したとすれば基本は崩落が発生した土地の所有者の責というのがスジ。

しかしその上部の土地工作、開発責任者は牧之原市。

南東斜面に住宅地が広がっていることをお忘れてはいないでしょうがそちら側の土地崩壊の恐れに対して手を打っているようには思えませんね。

現状赤っぽい土がその水と一緒に宅地上部の排水溝に流れ込んでいますので・・・

 

段丘トップから西側に向けて据え付ける工作物周辺はコンクリートで覆われるのでしょうが、排水施設がどうなっているかはわかりません。基本汐見台側にスンナリ自然排水させようという考えでしょうが、上部に茂っていた樹木の伐採がありますのでそれがどう作用するのかまったく不明です。

何かあったときの市の責任を問うために今のうちに動いた方がいいのかも。

 

画像は汐見台住宅地と牧之原市が開発中の土地。

黄色がご寄進いただいた土地です。

①はハザードマップ。急傾斜地ということです。

登記名義は私の個人名ですからお寺は関係なし。

 

 

 

 

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2021年

7月

05日

「塔の森」下の日吉神社 石仏石塔 南田原

熱海の土砂崩の悲劇の現場は投稿動画という以前はない衝撃の視覚伝達からでした。

地獄絵図がお茶の間でそれもスペクタクルなドラマの如く・・・

その絵図の中には人々の生活と命が隠れているのですが、こういった私のブログ等含め大概の皆さんは「客観」というかいわば他人事の感。

「ひょっとすると次は私・・・」という切実が無ければこのような災害に対する対応力というものが醸成されてきませんね。

ただあの泥の堆積中に「沈む」ことの悲痛、そこから助け出そうと二次災害の発生というリスクを承知で泥の中を動き回る人たちの姿は脳裏に焼き付けられましたが、どうやら今回の件、単純な自然災害ではなかったようだという情報が静岡県から発せられていました。

 

昨日は災害の責任論、ことに行政の対応について少なからずどなたかまたは管理部署の「予知対応と対策の責」について少々興味深く考えたのですが、県として今回の調査によって判明した内容とは、「流れ出た10万立方メートル」という土砂の発生元、起点の周辺に「開発行為による盛り土があってこのすべてが流出した」というものでした。

 

そうとなれば熱海市のこれまで言われていた「各不作為による怠慢のおそれ」という疑義は消滅しその責任論はその開発行為を行った組織一本に向けられるのではないかと思われます。

行政としては許可を与えたとなればその責任も浮上しますがここは開発行為者がすべて責を負わなくてはならなくなったのかも知れません。

 

何の開発行為を行っていたのかは知りえませんが、山林を伐採、土地を開削した傾斜地に大量の土砂を搬入していたといいます。

グーグルマップを試しに見てみましたがその平らかにされた地形を拡大してみるとダンプカーが数台うかがえました。

ゴルフ場には狭そうですので今流行りの太陽光発電かも知れませんね。

 

熱海という地は未だ神奈川県と思われる人が多々いるようですが首都圏に近く、交通もお気軽であるため各企業の保養所の類は多数、都内からの移住者も多く、そちらからの資本の投下もよく見受けられます。

今回の件、もしも開発行為による「人災だった」という判断が下されたとなれば中小企業のレベルではまずもたないくらいの甚大さです。


今後の補償について推測するなど「まだ早い・・・」のかもしれませんが思うところこれから円滑な対応と再整備のためには避けられない問題となるでしょうね。

大きな資本であればあるほど前に進みやすくなるのですが弱小資本だったら破産して夜逃げレベル。

 

さて、昨日はブログにて奈良南田原の阿弥陀摩崖仏について記しました。そのまま長谷方向に南下すれば道の右側に南田原墓地がありさらに日吉神社に向かいました。

右手の山の中腹にその日吉神社がありその背後の山を「塔の森」と呼ばれています(場所はこちら)。

 

その日吉神社への登攀路を車で進わけですが、そちらに向かう道がなかなかわからない。

注意深く走れば小さな案内版がお印程度にあること目に留まります。そのあとに分岐もあってヒジョーにわかりずらいものがありました。

よそ者は来なくていいという感じも漂ってきますね。

人に聞くことができればいいのですが、その辺りで地元の人を見つける事はまず奇跡に近いこと。

 

そして自家用車の場合はおそらく4WDでなくては登れないかも知れません。

細い道の急坂とカーブで車輪が空転するのでは・・・私は2駆→4駆にすかさず切り替えましたが。

よってこちらに車で行くのは相当のリスクというものをご覚悟を。何しろ確信なくただ進むということに不安を覚えたことは確かです。

 

こちらの神社裏には広いスペースがありますので難なくそ車の方向転換と駐車ができますのでご安心を。ただし娑婆に下りる際もそれなりのストレスを感じます。

2度と来ることはナイと割り切って・・・

 

その神社の脇に南北朝期~室町後期の石仏、石塔、宝篋印塔残欠が森を背後に佇んでいます。

画像の如く、バラバラパーツ合わせの躰は酷いものでたとえば

(`六輪塔`化している)五輪等の下にさらに宝篋印塔の笠石が据えられていたりの無茶苦茶です。

五輪板碑の様は「悪くナイ・・・」という感じですが。

年号の刻銘が比較的わかりやすい石塔が集まっています。

 

 

 

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2021年

7月

04日

南田原摩崖仏 鎌倉期伊行恒の阿弥陀仏 弥勒と地蔵

熱海の土砂崩れの画像には圧倒、言葉を失います。

私どもは小田原を永らく生活の場としていましたのでその地の悲惨画像に恐怖を感じました。

画像の道路を幾度も通行していましたし、伊豆山地区は大学3年の頃一泊二日のアルバイトでこの山を歩き回ったこともある箱根に次いで身近な場所でした。

あそこの美術館のコレクションは特筆ものが並んでいますし。

 

昨日ブログでは「早く帰れ」と息子に言い放ったことを記しましたがあれは午前11時頃のこと。13時すぎには「さわやか」での昼食を終えて東名高速に乗り17時前には義母の大和経由で横浜泉区に到着していたようですが、以降夜半にかけて静岡の道路は昨日昼以降まで各地で分断されていました。

 

昨日は午前中に法事がありましたが三河方面からの参列された方が下を使ってのんびり帰るか(宿泊するか)・・・など悩んでいました。

当、相良は私の勝手に付けた県央「国道一号線理論」の通り降雨は山側が中心、当地はごく軽めでお墓参りの時刻1130過ぎといえば傘不用。

 

私が「帰れ」と言えたのは親心からでしょうね。

強い口調で言い放ったのですが今回熱海市として避難勧告を出していなかったということは不思議な話。もっと(避難について)強く言うべき。

静岡県内は相当量の雨を降らせていたこと、私の如くド素人であっても「何かやばい」を早々に感じ取って息子に向かって「早く帰れ」を「勧告」できているのに・・・

熱海市のご担当殿に強く言うのも酷ですが(まぁ「まさかの坂」ですから)どうしてその判断が下せなかったのでしょうか。

土曜日でお休み・・・なんてないですよね。

 

自然災害にありがちな言い訳「想定外」の文字が市長さんあたり出てくるのでしょうが、それはただの「知らなかったフリ」としか・・・

以前から伊豆半島の海岸沿いの急峻のリスクは十分すぎるほど言われていたことですし特にかつて関東大震災に伴う土砂崩落で近隣の根府川で相当数の死者が出た話は有名なこと。

 

乾いた土地であっても地震の揺れで崩れる地盤ですから雨が多量に降り注いだら「崩れて流れる」ことは連想できるはず。

だからこそのハザードマップの流布なのですが、そのリスク表示公開はできてもそれを生かすことができない行政というのはお寒いことです。

これからも前線は停滞したまま。

今年の梅雨はことのほかうんざりです。

 

私もそういった軽口を記すと土石流ならぬ海からの地震の産物(津波)に遭遇するのでしょうからほどほどに。

しかし地震-津波となれば多少の心の準備はできますが、土石流はイキナリの感。どちらにしろ辛くて厳しい自然からのお達しです。それを将来に生かすも殺すもこれからの人の心。

 

さて、先日は奈良南田原の墓地について記しました。

国内では土葬の習慣が続いていた地でもありました。現在は既にそれは消滅したよう。

同時にやはり大雨迷惑の境内の墓地についてボヤいていた際のブログでした。

 

その南田原墓地の近くの道路脇に「南田原磨崖仏」「切りつけ地蔵」と呼ばれる崖があります。

場所については壊された地図がまだ生きているようですのでこちらです。

 

阿弥陀如来と弥勒の2体+地蔵たち。

阿弥陀仏はその彫りこみの奥に

「一念弥陀仏 即滅無量寿 現受無比楽 後生清浄土

 元徳三辛未(1331)五月日願主東大寺大法師定詮石大工行恒」

とあります。

石工「行恒」はそのスジでは名工の伊派。彼の代表作といいます。

伊派といえば私が真っ先に思い浮かぶのが「わらい仏」(こちらも)の伊末行ですね

尚、偈文は「往生本縁経」からとのこと。ちなみにわたしどもではその経典について読誦することはありません。

H200㎝W100㎝D35㎝の彫り込みにH12㎝の蓮華座、像高167㎝

上品下生来迎印の立ち姿の阿弥陀さん。

 

お隣の弥勒仏の作風は伊行恒とは違って看板には鎌倉時代とはありますが室町時代であることを奈良県史では指摘。後世追像というヤツですね。

そもそも印相が右手掌を下げ左手は掌を胸元に・・・という形は釈迦如来の真逆。「釈迦ではない」ということから弥勒が推定されているようですがどちらにしろ阿弥陀如来の作風とは違って尚作者も年号も記されていないことから、地区の有志の仕事か。

 

地蔵たちには年号があります。

大永三年□□(1523)十一月十一日。

 

「切り付け地蔵」の名はおそらく弥勒摩崖仏のお腹あたりに刀で斬られたようなクラックが入っていることからでしょう。

石塊の直線クラックを人為的と捉えて想像力を発揮させストーリーを立てることはよくある話。

そもそも石、それも仏が彫られた石に大切な自分の刀で斬ってやろうなどいう人がいるワケもなく。

100%大損します。

 

そして「~地蔵」と記されているから「弥勒ではナイ」と指摘されるかもしれませんが、民間では石仏をすべて一緒くたに「地蔵」呼びすることがありますからね。

そういう意味からしてもその「切り付け地蔵」の銘々は最近のものであってさして古くから言われている名とは思えないのです。

 

よってこの摩崖仏の主たるものは阿弥陀仏であって正式名としては「鎌倉期伊行恒の阿弥陀摩崖仏」がよろしいかと。

 

 

 

 

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2021年

7月

03日

時衆流行 横地城の三光寺跡  道俗時衆等各發無上心

雨が激しく降りました。殆ど一日中。

朝から宿泊先をチェックアウトしてやってきた息子がうろちょろ庫裏を歩き回ってネコどもとじゃれていました。

今は少々言葉が過ぎたと反省していますが「家の中でもマスクをしろ」とか、雨が小康状態のうちに「とっとと帰れ」と追い返してしまいました。

 

昼食でも一緒に・・・とは思いましたが一昨晩の焼肉に続いて『「さわやか」に行く』と言い出しましたので私どもは遠慮させていただきました。

2日続けての肉類、過多となりますからね。

 

「早く帰れ!!」は明るいうちに帰着してもらいたいという思いからですが、いかにも昨日の県内天候は大荒れです。

新東名の西部は通行止めになっていましたし県内あらゆる地で警報の類のものが出ていました。

夜になって東名も通行止めになっていましたね。

「早いところ帰れ」は正解でした。

 

さて、昨日は藤沢清浄光寺について久しぶりに記しましたので続けて。いわゆる一遍さんの時宗のお寺です。

ただしここで付け加えなくてはならないのがその一遍さんの名は教科書的には当たり前の人ですが、実は一遍さんはやはり当流の親鸞さんと同様、現在のような大きなお寺(当流は本願寺)を後世に残そうなどいう気持ちは一切合切なかったのでした。

 

その死後たまたまの流れによってその跡を継承した4代目の呑海(他阿弥陀仏)が建てて「独住」したのがはじまり。

そもそも一遍の教えは一遍死後の一時衰退を経て2代目の真教(他阿)がその「衆」を纏めあげ、現在のような宗派の基盤を作ったという流れがありますが、「独住」とわざわざ記すのはそもそも一遍は「遊行」を旨としていたからですね。道場に定住することです。

 

そして表記「時衆」とは「時宗の宗徒」のことですね。

江戸期になって時宗と統一されたのですがもとはと言えば「時衆」がその呼び名。そしてなぜか当流が「一向宗」の名に決められました。傍から見たらどちらも同じに見えますからね。

 

江戸のお上の意向は民衆を寺で管理するという体制を確立しようとしましたが、それは本山と寺の関係とその宗旨をハッキリさせそれらに必ず所属させることに意義があったのです。

切支丹の炙り出しの意図もあったかと(「宗門改」)。

 

拙ブログでは司馬遼太郎の文章を転記していますが「時宗にみる日本人」も参考にしてください。

 

時宗開祖一遍の発想もそうでしたが親鸞さんが善智識である善導さんを同様に讃ずる(正信偈 「善導独明仏正意~」の件)ところなど「一向専念無量寿仏」のほか酷似がありますね。

 

また当流の出棺勤行や葬儀の冒頭「伽陀」に続く「勧衆偈」という偈文は、善導の「観経疏」(巻一)の最初の部分です。

その「勧衆偈」の冒頭に「道俗時衆等 各発無上心~」とありました③。

そもそもこの「時衆」こそが時宗という宗旨の元といいます。

教典が重複してなお、宗派の名まで記されている部分です。

 

意味としては「坊さんも一般の人も(誰もかれも差別なく・・・)

今の命を育む人々よ・・・(南無阿弥陀仏によって)無上(ベスト)の救いを得ることができる・・・」でしょうか。

 

その時宗の繁盛の理由、特に拙ブログでは室町期の斯波氏や諸流小大名の帰依を得たことを以前記しました。

当地勝間田氏の菩提寺が清浄寺という時宗のお寺で、勝間田氏は近くに藤沢清浄光寺近隣の地名を当地に付けましたね(藤沢・戸塚・川崎・大磯・・・)。

 

そして横地城に登る入り口近くにある三光寺跡④。

以前のブログではこちらも時宗の寺らしき名であることを記していますが、その名から連想するのは「一光三尊阿弥陀如来」。勿論阿弥陀如来の「一光」ですがその両脇も数えて三光・・・

まんざらこじつけではなさそう。②は善光寺型如来像。

親鸞さんは勿論一遍さんもそちらへの参詣し少なからず影響を受けています。

何せ横地も勝間田同様に駿河今川に滅ぼされて、史料が残っていませんのでよくわかりません。

 

何故にしてその時宗が大きく広がっていったか・・・それはやはり

高貴な公家との付き合いも多々あったことがうかがえますが何といっても背後に後醍醐天皇の名が掲げられたから・・・なのでしょうかね。

 

父が亀山天皇である尊観親王は清浄光寺十二世。

後醍醐天皇崩御のあと開眼されたというお軸①など清浄光寺に複数伝わっています。

こちらは天皇の晩年の図といいますが尊観が清浄光寺に持ち込んだもののよう。

神であり仏である天皇の姿を描いていますが、そのブランド力は当時計り知れず大きかったかも知れません。 

 

 

 

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2021年

7月

02日

時宗「隅切角に三」の主張 遊行寺荘厳 乃至十念

朝から久々大雨。

オオタニサンのブラボーはお預け。敗戦投手か?と思えばチームの奇跡的逆転があって気分はまぁまぁ・・・悪天候は仕方なし。

 

寄りによって横浜から息子が免許の更新のために帰っていますが警察署ではなく静岡の免許センターまで行っていました。

ちょうど昨日が彼の誕生日ということで、それでは飯くらい・・・ということで夕飯を食べに行きました。

彼に希望を聞けば「焼肉」といいますので、先日の人間ドックでアドバイスされて「肉は控えめに」の言葉が脳裏に浮かびましたが「たまにはいいだろう」などと勝手に承認して同行しました。

焼肉店の感染リスクは数ある飲食店の中で「低い」と聞いたことがあります。

それは換気がしっかりしていることと今時の焼肉テーブルには排煙機能がありますからね。

コロナ禍における「焼肉店」(藤枝)でしたが夕時頃といえば以前なら相当の混雑が見えていたものの昨晩は18時入店で私どものみという閑散さ。

「これじゃあ潰れるかもね・・・」とこそこそ話していました。

 

ちなみにこの梅雨時にまともに布団を干せず掃除ができなかったことなど、もろもろの理由あって2泊3日の宿を外に取らせました。

本当の理由は首都圏からやってきた者を家中やすやすと入れるワケにはいかないというところか・・・。前日には渋谷で葬儀というくらい首都圏でずっぼりですからね。

 

しかし「奥の墓道」氏のママチャリの前かごに嵌まり込んで彼の家まで行ったことの記憶も新しい、その息子の今度の齢をlineで送れば感慨深く「もうそんなか・・・」と。

私は「次は私どもがトコロテン」と返信すると、当月以降私と「墓道」氏も齢を重ねるためノー天気にも「今度はヘルシーなトコロテンパーティでもやるのか」と。

私のその食べ物の意味は「押し出される」・・・要は「お浄土に」向かうことを行ったのですがね。

1つ齢を重ねればそれだけ「その時」が近づくというところ。

 

さて、まず「時」といえば浄土系では「六時」・・・六時礼讃のこと。拙ブログでも何度か善導さんの往生礼讃から記していますが遊行寺はじめとするいわゆる「時宗」の「時」文字もその意を一言で記したものです。

最近当家文書を引っ張り出して「一向宗の混同」について記していますがそのごちゃ混ぜの他宗派の代表といえば番場蓮華寺の一向さんや清浄光寺(遊行寺)の一遍さんという流れ。

 

どちらにしろ善導の往生礼讃は当流でも御開祖が相当なる影響を受けておられることは必定。

いつも記しますが正信偈の後段の冒頭、「善導独明仏正意」からもわかります。

ただ御開祖からすればその念仏が「行」となってはいまいか・・・というところがネックだったのでしょうね。

勿論一声の念仏に「信」が伴うことがあるべき姿です。

とはいえ私はどうしても10回「南無阿弥陀仏」を口ずさまないと気が済まないのですが(・・・「乃至十念」)。

いずれにしろ一とか十の「数にこだわらない」ということですね。

 

画像は久しぶりに清浄光寺(遊行寺)。

急に鎌倉にブログが飛んでから頭から消えていました。

 

 

 

 

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2021年

7月

01日

昨日はブラボー×2で気分爽快 女墓場は赤城山

檀家さんに仕事でアスベストを取り扱い、肺がんとなって亡くなった方がいましたが、ご当人はそのアスベストが直接の病因となったことについて(当人はうすうすは知っていたかもしれませんが)生前、体調万全ではない中その手のボヤキについて私には一切することはありませんでした。

亡くなったあとからその件ご遺族から聞いたのでした。

国からの給付の決定がありましたが、そのあとのことは私にはわかりません。

・・・本当に気の毒なことだと思います。世の中にはそのリスクについてまったく知らないで病気になって亡くなった方はたくさんいらっしゃいますからね。

 

いつかの寒い朝、火葬場から自宅に向かって歩いていると車の向きが違うにも関わらず急ブレーキに近い停まり方をして「乗る?」と声掛けしてくれたその人です。

その優しい言葉が忘れられませんね。

 

先日は石標の移動工事を手伝っていただいた石工の若者と雑談。

既に10年以上の付き合いとなりますから若いといっても私よりは・・・ということで最近はどちらも「若くない」が口癖になっていますが・・・。

そこで初めて聞いたこと。

彼は実は喘息という病を抱え「既に5回は・・・」過呼吸で救急搬送されているとのこと。

重量物を難なく持ちあげるどその屈強さには圧倒されていましたが、案外人には弱みがあるもので驚いたところでした。

 

私はその彼の喘息には心当たりがありました。

当人はとっくに気づいているはずですが・・・

墓石等に銘を彫る際はその相手の形状を見てサンドブラスターというコンプレッサーに金剛砂を使った移動式の彫刻機を使用する場合と手彫りがありますが、その両方とも彼の担当になっています。ダイヤモンドカッターでの切削や手彫りでは相当量の粉塵を吸い込むでしょう。

親方が近くに居ましたのでその件触れませんでしたが、ひょっとして「労災」に近いものがあるのではないかと。

 

以前も私どもが蔵の埃を吸って肺炎になって苦しんだことを記しましたが、毎度毎度あの石の微粉末を吸い込んでいたら肺をヤラれることもあろうかと。

たまたまアスベストではなかっただけで、肺に空気以外の微粒子を吸い込むこと、肺の機能を劣化させることは確かでしょう

たばこも同様のはず。

 

人はどんどん年を重ねていきますので、数年後の彼の体調について「大丈夫?」の思いがしてくるワケです。

 

私と言えば昨日(「ブラボー」)の通り朝の「2B」(二打席連続)に気分よく一日を過ごさせていたただきました。

午前中のオオタニサンのB(ブラボー)は私の元気のもと。

「奥の墓道」氏はHR×2に勝ち投手を加えたの3Bを期待するといいますが、勝ち投手+HR1本で満足しましょうよ。

いくらなんでも。釘付けの一日になりそうです。

 

画像は雲の動きを見て前橋へ・・・といつもの友人、女墓場から。

「関越(自動車道)で前橋で降りれば・・・」といいますが、私にとっては未知、想像外の場所。たまたまそちらは雨がナイと踏んだよう。行動力があってイイ・・・ただしもし私なら・・・(そんなところ行かずに)「厩橋城に顔を出すよ」と嫌みの一つ二つ。

 

私と東京在住の「女墓場」兼「山女」は新コロの再爆発も五輪開催もまったくあずかり知らぬところ・・・何から何までアホくさくて。

 

 

 

 

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2021年

6月

30日

芝公園の芝丸山古墳 ブラボー 閑居のMLB習慣

昨日は前夜からの雨はやんでスカっ晴れの相良でした。

気温も上昇、ちょっとばかりの外仕事のあとの昼寝が心地いい時節となりました。

午前は最近の傾向、メジャーリーグのオオタニを観戦しつつ盂蘭盆会法要の案内を記しました。

私の野球観戦は国内の中継はまったく離れてしまいましたがメジャーリーグは特別です。

横浜の「奥の墓道」氏もオオタニ好きで、今年は殊に盛り上がっていますが毎度ホームランが出た際は「ブラボー!!」などと歓喜のlineを送っています。彼の場合はTVに噛り付いていられませんので真っ先に彼に知らせます。

 

昨日はヤンキースが相手でしたがニューヨークは32℃とのこと。

28日はカナダで47.5℃、その前日が46.6℃といいますから凄い数字です。

アメリカ大陸大変の感ありますがあの辺りは特に寒暖差がキツくなっているような。

たまたま球場ではオオタニさんがホームラン(26号)を打ったあとエ軍投手の「マウンド上の変化」についてテレビは指摘していました。すると汗だくで帽子のひさしを浸って流れ落ちる汗と真っ赤になった顔が映し出され、仕舞には膝に手をつき嘔吐するシーンまで。

すかさず降板、継投の投手が入りましたが、スグに広報から熱中症だったと伝えられていました。熱中症になるという実況中継を見た思い。

 

テレビの解説コメントで「だらしない」という厳しい表現がありましたが、調整不足を断じるプロ意識から出た言葉だったのでしょう。

自分の意思ではどうにもならない体調不良というものはあるものですからね。それを言っちゃあかわいそう。

 

私も外仕事となるとイライラは尽きませんね。

やはり暑いときこそクールにならなくては・・・

と言ってもわたしの午後の仕事は例の石標に微妙な傾きが出てそれを修正するというものでその用意の段階でトラブルに見舞われてホットになりました。

 

修正は1~2度程度のものですが、軽トラで引っ張るという作戦になります。少々余計に石を傾かせてその下に土を入れ均等をとろうというものですがすべて「見当」勝負です。

軽トラをの支点を取るため少しだけ先日撤去したばかりの会館跡地に入れましたがお約束の通りスタックしたのでした。

脱出方法の候補は色々ありましたが、一番安直な方法(コンパネを敷いて自力)を奥方が提案、取り敢えずそれでやってみたらスンナリ出てくれました。

私は四駆を持ち出すつもりでした。

 

イキナリ、マイナスからのスタートでしたが気を取り直してどうのこうのと私の気が済むところまでうまいこと石の傾きは修正できました。

行き当たりばったりの勘重視のバランス取りですが、まぁいつも「そんなもの」です。結果オーライ。

「さぁ埋めるぞ!!」とスコップを持ち直すと奥方から「もう少し待て、様子を見よ」とのアドバイスがあってその意見に従いました。

人は時に「言うことを聞かない」と私の無謀に困惑し呆れるといいますが昨日は奥方の注進をすべて素直に聞き入れていますよ。

 

さて、昨日はブログにて芝公園の伊能忠敬測地遺功表について記しました。

実はあの丘陵は開削とおそらく盗掘によって遺体も遺品も発見されていませんが前方後円墳です。

今は殆どそのカタチはわかりませんが、規模的には都内では最大の様。正式には芝丸山古墳と呼ぶようです。

海浜部、要は生活の場に隣接したであろう場所に作られていた古墳ですね。

当時は房総半島からもその丘の確認ができたかも。

 

 

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2021年

6月

29日

港区芝公園 伊能忠敬測地遺功表 旅の起点

昨日は午前の法要のあと午後から総代のみなさんとお会いしましたが、みなさんワクチン接種に関して「1回打った」「私は2回・・・」などの声が。

最年少の私のみ「まだ・・・」ですので少々肩身の狭い思いも。

特に「オレは2回打ったから大丈夫」の談がありましたので「ワクチン打っても過信は禁物」とご注進。

ウガンダからの五輪選手の陽性者2名は「ワクチン接種済み」とそのアテにならないところを強調しました。

 

一説にワクチンは三回打たないとダメ・・・などその確実性に至らぬ理由を言う人がいたりしますが、それが流布、確証されたとしたらますますのワクチン不足に陥りそう。

現状2回であっても国民全体に回っていくという感じがしてきません。

まぁ塩野義製薬から今年の年末から来年春に国産ワクチンが出るとの報がありました。

私はまともなものを接種したいという気持ちがありますが、果たしてそれまで我慢できるか・・・五輪で再びの感染爆発があるような気がして・・・バブルは弾けるというのがイメージですし、検疫はざるどころか大穴が空いているような。

すれ違っただけで感染するというインド型の変異・・・それが蔓延ったとしたらこれまでのように「旅」を気軽にするわけには行かなくなるでしょうね。

 

10月のお寺のバス遠足も4回目の順延となるのかも。

全国そこいらじゅうでバス会社が潰れていますがお世話になっているそちらの方も心配してしまいます。

会社が生き残ったとしてもコロナ後の需要がスグに戻るとは限りません。

業種によっては先が見えない切実があるのでしょうね。

 

さて、昨日の伊能忠敬つながり、数年前の画像、伊能忠敬測地遺功表を。

全国に彼が測量に訪れた主だった場所に顕彰碑等建てられているようですが、やはり沿海地区というのが主ですね。

しかしこちらは東京の芝公園です。

「芝は海じゃない・・・」というのは現在の話。

かつてはこの丘から目と鼻の先に海岸線があったのでした。東京湾から房総半島まで望めたはずです。

 

私は横浜金沢区柴町に数年間居を構えていましたがその芝公園の「芝」の語はもとはといえば「柴」だったといいます。

全国にその「柴」付の地名があるかと思いますが私の勝手に思うところ海岸のイメージ。

金沢区柴町は柴漁港があってあなご漁で有名。

 

そしてこの増上寺のスグお隣の「芝公園」にある測地遺功表

伊能忠敬の偉業の「旅」の起点だといいます。

 

 

 

 

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2021年

6月

28日

伊能地図 オマケ欲しさに 作礼 教典では礼して退場

4月に亡くなられて繰り延べしていた四十九日の法要がありました。朝から台風のコースと雨の降りだし予想にやきもきさせられました。

今回は特に付随する自宅と墓地での事前のお勤めがありましたので降雨について「天候が荒れ気味だったらさらに順延を・・・」などと3日ほど前に提案までしたほどでした。

 

だいたい「午前10時以降」の降りだしというのが予想でしたが、結局最後まで雨は降らず。つい有頂天に・・・嬉しすぎの感。

まずは、皆さんズブ濡れというのが頭の中にありましたから。

 

さて、先日は史跡研究会の皆さんが史料館に集まりました。

そこで冒頭出た件が雑誌の付録について。

「こんなのが付いてきた」とうれしそうに披露されたのが伊能忠敬の描いた地図。東海道・富士山周辺のものですが、その素材が気が利いています。生活防水素材ということでただの紙キレではないのです。

 

地図というものはぼんやり眺めているだけでも面白いものです。

特に最近では高速のS.A.で貰ってきたものをトイレの壁に貼り付けるなどしています。ただし紙は破けやすく劣化が進みがち。

貼り付けなくても折り畳みの繰り返しからどうしても折り目から穴が開いてしまいます。

ところがその地図の素材は巷にありがちな紙ではなく一見したところビニール風。これからどういう劣化となるのかわかりませんが「コレは私も欲しい!!」と思ってもう一方の分と合わせてその場で近くの布施書店に在庫確認、取り置きしていただきました。

 

その地図を皆さんで眺めたわけですが、私の無知から「この細密地図がいわゆる伊能の地図なの?」と半信半疑。

よくもまぁあの時代に今と殆ど変わらないような地図が作れるものか・・・と改めて感心したのでした。

その地図を紹介した方が当相良周辺が「村」であって「相良」が村でなく「町」というのはどういうこと?というなげかけが。

昨日の成瀬大域の書でも「於相良街」とありましたが「当時、相良は『町』だったから」の結論となってその理由を深く考える必要はなかったということで収まりました。

 

ここでもふっと思い出したのがその「相良」の名を残さず「牧之原市」などいう以前で言えば金谷付近の台地をイメージするような市名と改めた愚に「勿体ない」を感じたワケです。

 

それにしてもオマケ欲しさに何か買う・・・など久しぶりのこと。

奥方は最近の流行りものだといいますが・・・。しっかりと本体の方も目を通させていただきます。

ふ~ん、伊能忠敬を大河ドラマに・・・そんな話もあったのですね。

 

当流ではその雑誌の名称について耳に馴染んだ言葉ではあります。

阿弥陀経の最後の部分ですが、「歓喜信受作礼而去」(かんぎしんじゅさらいにこ)とあります。

「作礼」で「さらい」ですが「深く礼をして・・・」のイメージ。

「その件むちゃくちゃよろこんでそれを信じ、御礼してそこをあとにしました」という経の締めの部分です。

雑誌の名前についてその意味は知りません。

 

 

 

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2021年

6月

27日

成瀬大域の変わり種の書 大澤寺世代

先日、横浜の友人から「ワクチン接種券」について横浜市からその案内が届いたという報せがありました。

64歳以下の人たちへの案内でしたが、その翌日に当牧之原市のそれが当家にも届きました。

 

ところがそれは申込者限定のうえ提出-接種券郵送-先行予約という形式で実際に打つのは8月中旬以降というもの。

そしてその申し込み者のシバリは指定の病気を抱えて医師に診てもらっている人限定というものでした。

複数必要な場合は「コピーして・・・」とのこと。

 

なんだ今時「紙かよ・・・」と呆れる部分ありますが、そのシバリを入れなくてはならない理由はワクチンの確保がままならなかったということ。

まず社会的弱者からとはいうものの、既に年齢のシバリなく接種が進んでいる地があるようですから、思うところ「さすが陸の孤島」です。

 

どちらにせよ私の患いは指定された基礎疾患に示されていませんので論外ですが、おそらくこの書面提出はいつもの「性善説」というやつ。

まぁ、適当な基礎疾患の番号を記して書面を備え付けの箱に入れさえすればまず接種券は届くと見ました。

「基礎疾患」の証明は不要だからです。

それをやったからといってどうこうということもなさそう。

お役所仕事的に言えば「打ちたいヤツに打たせてやればいい 煩わしいことは避けたい」といった曖昧さの提示。

 

お役所仕事の最たるもの、国家公務員さま・・・経産省官僚のお友達同士のお下劣ニュースが紙面を盛り上げていました。

私の年齢からすれば小僧レベルの連中ですが、エゲツナイこと極まりなし。よくやるよ~です。

一昔前だったら「公僕」とか重く自認したものですがね。

まぁあんたらの人生ですので責任さえとってもらえればそれでその咎については無視。

しかしいかにもみっともないお話だことで。

御当人はともかく親がかわいそう・・・な気も・・・肩身の狭い思いをさせて・・・それも自己責任? いや親の責任・・・それ以前に「刑法犯」ですしスバラシイ学歴とやらも台無しかも。

国民からおカネをちょろまかすお役人たちの不名誉・・・ネット社会、そのお名前は永遠に語り継がれましょう。

 

さて、画像は「当方450年」のお名前が記された書。

昨晩NHKで放映された(ノーナレ「寺と家族と“私” 800年を繋ぐTEMPLE FAMILY」)当流大谷派のお寺のファミリー~24代目というのも~には圧巻でしたがその歴史の約半分、拙寺の「世代」(「代々」と同意)、初代今井権七から十一代まで記された墨書が出てきました。

ただの羅列といったらそうですが名のある書家の仕事としては変わり種。

その書家は成瀬大域です。

日坂から彼が何度かこちらに来られていた形跡はありましたがこの書面には「於相良街」と。実際に相良にて記した証でもありますね。

当時はまだ当家とも親戚付き合いが続いていたのでしょう。

三代祐傳が三方ヶ原で亡くなった成瀬藤蔵正義の息子で日坂成瀬がその兄の系。

 

明治二十八年、69歳の時といいます。当然15代目の私は勿論、祖父と父の名もナシ。

 

尚、そのNHKの番組は再放送が何度かありますのでご興味のある方はご確認ください。いい番組でした。

きっと息子も観ていると思います。

 

 

 

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2021年

6月

26日

我ながら結果満足 準備不完全ながら石標移設完了

築40年といいますがアメリカ、フロリダの12階建て集合住宅の崩落事故の件、常識的な感覚ではありえないような事案でした。

日本でも高層マンションはどちらでもありますし、その手の事象が「起こりうるのだ」ということを思うだけでも恐ろしく気の毒なことです。

自分の住まい、安寧の家が信用の置けない・・・なんて。

やはり一戸建てがイイ、などと思っていれば大阪、あべのハルカス展望から見えるかと思う住宅地の地盤崩落ニュースがあって日米「住」を脅かす事件が重なってしまいました。

「責任」というものがどう問われていくのか見ものです。

 

アメリカの方は戸数が多いだけに犠牲者も多数の様。

「パンケーキ・クラッシュ」といって建物の柱とその中の鉄筋に何かの原因が考えられます。

 

築年数を経たコンクリート製のビルが数多溢れる社会ですが経年劣化したコンクリート製構造物の突然の崩壊が今後どんどん出てくるような気がします。

橋やトンネルなど公共インフラ設備の崩壊なども考えると何処にも行けなくなってしまいそう。

世の中何から何まで「信用のおけない」時代。

人がやること何が起こったとしても不思議などない・・・

 

さて、当地の晴れ間は昨日も続いて例の懸案、宙ぶらりんだった工事を完成させました。

門前に半世紀以上鎮座しているあの石標の移設工事です。

私は先週末から石標ベース部分と次に設置する場所を掘削してクレーンの登場を待っていました。

 

既に手で押すだけで石の柱がグラグラと動くほどまでに周囲を掘り下げていましたのでそのまま時間を経るのは少々不安でした。

まず学校帰りの子供がそちらで遊んで事故が起こることを奥方は心配していましたがその手のことをやらかすのは「私か息子くらい」であると一笑。ただし万が一ということもありますからね。

私はどちらかといえば台風の通過によって地盤がさらに弱くなったところで面倒な方向に倒れこみあるいはそのショックで柱が折れはしまいかということでした。

 

朝一何とか4tユニックが来るとの報が入ってスタンバイ。

実はもし昨日が無理だとしたら私と奥方で2tユニックを借りてきてやっつけようとも考えていましたので奥方は無茶な仕事に付き合わなてもイイことがわかって喜んでいました。

 

2tも4tもあの石標には力不足となって完全な吊り上げができないというところがネックでしたね。

4tは力があっても門の直前まで寄せられないためクレーンを伸ばしますからあそこまでの重量は無理でした。

 

標をまず倒すことそして立てることがポイントとなりますがそこは石標近くまで寄せた2tユニックで何とかなりそうですからね。

最大のテーマは5mほどの移動です。

軽トラの荷台に載せて・・・という安直は無理。吊りきれないからですね。

城の石の移動を倣えば「そりとコロ」さえ作ればまずイケると思案しましたが、経費と時間を考えて躊躇していたところにその4tユニックの登場でした。

 

クレーンでゆっくりと倒して向きを変えました。

木ぞりは作れませんでしたのでこの急場はコンパネを敷いて引きずる作戦。

それでも、もっとまともな均一径の丸太(コロ)があれば効率よく仕事が進んだはずです。

ちなみに軽トラで引っ張っても後輪が空転するばかりでびくともしませんでした。

 

よって用意していただいた三脚とチェーンブロックで少しずつ移動。門の中はクレーンが届きませんのでそのまま三脚で石標を立てました。

沈み込みと傾きを考慮に入れて取り敢えず完成。

周囲にはまだ土を入れません。

1か月程度様子を見て、土を入れ固める予定です。

多少の傾きでしたらおそらく今度は軽トラで引っ張れるはずです。向きにもよりますがね。

 

新設置場所は門をくぐってスグの右側。

掲示板の前になりますが我ながら絶妙の場所であると満足しています。

 

やはりプロの言う通り「2分割はあり得ない」・・・正解でした。

上部を吊っても分離する兆候なし。ガッチリ付いたままでした。

 

 

 

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2021年

6月

25日

相良油田パンフレットと臨済寺 「接種済御紋」

昼頃から遠く雷の音が聞こえていましたが当相良は晴れ間が広がっていました。

台風が向かってきていますので日曜には大雨になるのでしょうが、ここのところの好天続きは有難いことです。

そこで数年放置していた中庭の五葉松とカエデの剪定に一日かけました。先日のやりかけのクロマツはとりあえず放置です。

 

もっと丁寧にできないものか・・・と指摘を受けそうな気もしますが(もっともそれを思うのは私だけ)、次から次にやりたいこと、手掛けるべき宿題が山積みですから、やることなすことやっつけ仕事になります。

まぁ、もともとそんな性格ですからそんなものでしょう。

 

脚立の上で作業していると相良の歴史通Aさんの来訪に気づき、しばし歓談。

その方は「文芸まきのはら」企画ものの執筆、御常連で前回も拙寺と檀家さんたちにかかわる色々について記されていました。

 

次回のその相良の歴史は相良油田にスポットをあてるとのことで日夜執筆中とのこと。

先日は「こんな本あるよ」と紹介いただいたものが「相良石油会社加入姓名簿」で、いわゆる出資者名簿。

拙寺の11代祐曜の名が記載されていたと。

 

史料館の長谷川氏が元ネタということで早速問い合わせて画像を確認させていただきました。

その本の所有者は県内在住の某コレクターだといいその画像はブログでの使用はできませんが、私は飛び上がるほど驚きました。

拙寺にてたくさんの書籍を目にしていますがその本は見たことも聞いたこともない代物です。あったとしても既に処分してしまったのかも。

 

名簿には石坂周三ほか約80人ほどの名が記されているそうで株数は「壱株」、投資金額は「二壱五圓」とありました。

「お寺では大澤寺だけ」(長谷川氏)とのことですが叔父にそれを話すと「代々儲け話に飛びつきやすくまた、大損する傾向」と。