2020年

9月

25日

一乗谷山城千畳敷→馬出し道 線刻地蔵摩崖仏

連休明けイキナリの台風襲来ということで彼岸参りのあと片付け、花ガラを処理するタイミングに困りましたが、昨日の晴れは有難く地頭方の処理場へ行くことができました。

帰りに150号線を使いましたが、行った筈の台風の残りの風が強く、岸壁に打ち寄せる波が国道にしぶきとなってフロントガラスを汚していました。

往路に150号を使用せず、住宅地を通る旧道をゆっくりのんびり走るのは積み荷の花ガラが飛ぶと、後続車が慌てることになるからです。

 

その後、本堂から庫裏に入る入り口に一つ手摺を増設しました。

古い形式である寺などトイレ等の配置は年配者の動線からして障害物だらけ。

階段を回避していただくためスロープを設置していますが庫裏のトイレに入るためには階段3段ばかりを昇降しなくてはなりません。先日その3段の乗り降りに難渋している方を見てその増設に至ったのですが、健康で「何でもできる」と思い込んでいる者にはなかなかその辛さはわかりません。

奥方と何度もシミュレーションして手摺の位置決めをしました。

 

私もまだまだ「階段なんて・・・平チャラ」の躰ではありますが、年齢とともに一つ一つの「平チャラ」がそうではなくなるというのが現実の我が身。すでに「ヤバい」と思わされる件多々浮上しています。

「元気で長生き(健康寿命)」と言う語がはやされていますが、その件私は「非常に難しい、稀有なるご縁」を思うようになっています。弱気です。

 

さて、一乗谷山城の馬出し道なる大手道の清水不動を後にして浄覚寺ご住職の指摘にあった水が溢れ出る箇所④をクリアしさらに大手道を下ります。

登り道であの水の流れに対面したとしたら相当困ったと思いますが、勢いよく飛ぶように水の無さそうな場所をステップするように下りれば靴の中は無事で行くことができました。

 

やはりところどころに石コロがあったり何かの遺品かも・・・と思わせるものが目につきましたが、途中千畳敷まで0.8㎞下ったあたりに線刻地蔵摩崖仏がありました。

これは線刻かつ摩滅と苔のせいでうっかり歩けば見落としかねないような代物です。

また石仏等の残欠が散見できることから、小規模ながらもこの山に寺院があったことも推測できます。

 

尚、①は千畳敷から出土した鬼石です(一乗谷朝倉氏遺跡史料館蔵)。

瓦の代わりに石(笏谷石)を使用する例はこの地区にありますが、当山城本郭の館も一乗谷の本館と同等、豪奢な建築物があったことが推測できます。

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2020年

9月

24日

一乗谷山城「千畳敷」から 清水湧き出る不動明王

突然発生した台風12号は達することもなく、進路も当初の「ひょっとして上陸?・・・」のコースからは大きく東寄りに逸れてここ東海地区は無事。少々風の音がうるさいくらいの曇天という感じで雨も小振り、荒天とはなりませんでした。夜になってからその風すらも「心地よい」といった程度に。

 

今年のこの地に1番に向かってきた台風としては名刺代わりの如くで大変有難いことでした。

これは北に鎮座して、張り出している高気圧様の賜物、台風は陸地に近づけなかったのでした。

まぁ、あと1カ月程度の間はその襲来に覚悟が必要ですが、どうかお手柔らかに願いたいものです。

こういった弱っちいお気楽台風は滅多にないものですから次は怖い。

 

しかしまたアメリカの現状、トランプの「超」と「ド」がつく楽観的主張は凄いものがあります。

昨日は22日でアメリカの「新型コロナによる死者数が20万人超え」というニュースがありましたが、専門家の推計では「その数字では済まない」と隠れて表に出ていない死者が居るとの記事がありました。

そしてこれまで感染した人は「600万人」という卒倒するような数字。天文学的を思います。

まだまだ先が見えてこないような新コロ、パンデミックの不安がありますね。

 

それでもかの大統領はこの病気について「ピークアウト」したようなことを言い、ワクチンは早々に「出る出る」と「自分のおかげで国民は安心である」を吹聴していました。

ワクチン製造が思うように進まないことがわかると今度は「ワクチン無くても集団免疫でウィルスは消える」などと。

それもこれも全部「中国のせい」という主張で収めている強烈ド級ノー天気野郎でした。

 

そういえば「ノー天気」という語について私自身そう嫌いな言葉ではありません。人それぞれ言葉の捉え方は違うでしょうが、これは「細かいことは気にしない」的奔放さを感じるからです。特に両親からよくそれを言われてきたこともありますが。

その語といえば今一つよく母親が言っていた言葉に「ノーテンファイラー」がありました。

最近それを聞いたのが映画「寅さん」。

「おばちゃん」のさりげない一言でしたがとても懐かしく思いましたね。

今の若い人たちには絶対に通じないでしょう。

「ノー天気」や「のんき」とは違った独特の言葉で既にそれは死語に近いかもしれません・・・詳細各お調べください。

 

昭和一桁中心に、戦中戦後を生きた人がよく使っていた言葉でした。勿論母はその語一言でもって私に映画の「おばちゃん」の如く繰り返していました。

 

さて、昨日の一乗谷本丸、千畳敷より大手と言われる「馬出し道」を下ります。

この道にはちょっとした石垣らしき痕跡を示す礫や明らかに石仏と思われる残欠等が散在していますが、下り出してスグの場所にこの城の唯一の水源があって、今も水が湧き出てています。

そちらには「清水不動」なる石仏がいらっしゃって本丸登城者を迎えてくれます。

 

半分は土に埋もれて苔生していて判別できませんがこの地での石造工作物ではお決まり、足羽山産の笏谷石製とのこと。

いつからこちらに・・・と囁きながら手を合わせてからの下山となりましたが、その先の下りも大した水の出はなく何とか下山することができました。

城が管理されていたころはこの水源こそがこの城の守護神だったのでしょうね。

今は山が雨天続きで荒れればそのまま水は馬出し道を流れて人の登城を拒みます。

この山城はお天気が数日続いた後に取付くべきなのです。

 

 

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2020年

9月

23日

「宿直」(とのい)から見る一乗谷と福井平野

「やめようコロナいじめ」という記事を見ました。

「コロナになったら秘密にしたい・・・32%」の数値も分かるような気がしますが「コロナ怖い」の行き過ぎた反応。

当田舎町周辺の「ウソだろ?」と思うような感染者バッシング

各直接行動(投石・貼り紙・匿名電話・他府県ナンバー車への危害)の数々は、中には誇張されて言われている部分があるかもし知れませんが酷い有様のようです。

 

ただの噂話の類とはいえないストーリーの数々ありますね。

吉田町の静岡銀行の新入社員が試雇採用期間の掟を破って都内で遊興した挙句新コロに罹って解雇されたという話が春先にありましたがその後、転居するハメになったとか、菊川の感染者の母親が自殺した・・・とか新コロそのものによる苦痛以上に周囲の心ない人々の行動、言葉や眼差しによって人生を狂わされている人たちがいるようです。

 

その辺りこの国の人々の変てこな正義感と「自分は大丈夫」の高慢ちきがそう振る舞わさせるのでしょうが、やはり「弱きに思いやり」は無用であるということでしょうか。

 

若さもあるでしょうが、進路が決まって一安心、都内の友人と再会上京して騒ぐことなどあり得ますよね。

たまたま新コロになったことを正直に会社に告げたらクビ。「自己責任」を振りかざされるのですからね。気の毒なことです。

菊川の件も詳細は分かりませんが、普段「親身に」と寄り添ってくれる人たちからの「目」の恐ろしさが推測されます。

まぁ飲酒と薬物など自己コントロールを失う人たちの自己責任とは違いますからね。病気は当たり前のように罹るもの。

 

芸能人やお偉いさんたちはコロナに罹っても治癒すれば「どうも、どうも~」と平気な顔をして出てくるではありませんか・・。

何故にして一般人の人たちが相互にイジメあうのでしょう。

コロナに罹患する責任なんてコレっぽっちもありませんからね。

 

まぁ閉口させられたのはこの連休の人の出。

京都等人気の観光名所は勿論、各地キャンプ場、ハイキングコースなど自然豊かな場所もごった返していましたね。

友人の山好き「女バガボンド」は八王寺城の裏鬼門、高尾山方面を歩きに行ったそうですが「これまでにない人混み」だったといいます。

 

ある人はその日本国民「どうせアホなら~」の躰を見て「連休明けが楽しみだ・・・」と痛烈。

私は政治よりも医科学者の仰ることを信じます。

さぁどうなる・・・見ものです。

 

そして昨日のニュースでは英国の第2波について「1日5万人感染も」と。

規制再強化やむなしということですが、現状のままでは10月中旬に「1日あたりの新規感染者が5万人に達する」かも・・・と警戒の声が上がっているとのこと。

各国それぞれの対応があるようですが、どちらのお国でもここへきての感染者増加はバクハツしています。

このまま日本の緩みっぱなしが通用するものか世界が見守っているでしょう。

 

偶然か奇跡か今のところ明快なる説明はできないようですが。

 

私は幾度も記していますが「そうは問屋が卸さない」に一票。

私に限っての経験則でいえば「楽観」よりも「悲観」の方がどうしても身近に感じます。

うまいこといかないのですよ、特に自分の思い、図ることとは逆に動くもの・・・それ人生の鉄則だから。

 

さて、一乗谷の山城の一番の絶景といえば「宿直」です。

昨日の本丸、千畳敷の先。

宿直には「とのい」・・・殿の居る場所・・・の意がありますが、現在そのまま読めば「しゅくちょく」で「番人」の意ですね。

殿様が入った際の守衛や常時詰めている警備番人の櫓です。

ここの見晴らしはよく、各支城からの狼煙等監視するにはうってつけ。上城戸方向、いわゆる京都方向の視界が眼下に開け、西の山の向こうには福井平野が・・・。

一乗谷はこちらに立ってのもの・・・などと勝手な事を記せば怒られるかも知れませんが、素晴らしい景色が楽しめます。

 

下記画像は友人が送って来た高尾の図。

自分最優先の心を「懺悔懺悔」と手を合わせたそう。

当流宗旨とは異なりますが「思いやり」というものが不可欠ですね。 

 

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2020年

9月

22日

一乗谷山城 本丸は「千畳敷」+「観音屋敷」「宿直」

世の中の以前と変わらぬ各地の混雑ぶりの復活状況を見て「これで大丈夫・・・?」と首を傾げてしまいます。

テレビで報じられる大渋滞と人々の密集を見てですが拙寺にも遠方から墓参に来られました。

三重県から来られた方が言うには伊勢湾岸長島を出る車で混雑し岡崎付近でも渋滞が発生していたといいます。

東名高速は連休中でも集中工事を行うとのことでしたからどこもかしこも通行に時間を要したことでしょう。

 

昨日も新コロは限りなく「空気感染」に近いものがあるという記事を見ましたが、そういう手強い敵を前にしてマスクを外して雑多な場所で食事しながらワイワイガヤガヤなど怖いもの知らずのつわものたちとしか思えませんね。

 

どちらに行って「なにか症状の疑いのある方」の入店、入館を控えてほしい・・・くらいの掲示を見かけ、実際に体温まで測るまでしてくれますね。

疑いに関しては自己診断と当事者判断であるにしろ、そもそも「発症前」が一番に感染させやすいこのウィルスの特性をまったく無視しているように感じます。

自覚症状はなく、その人がおしゃべりすれば密閉空間であればマイクロ飛沫は20分は浮遊しているのですからね。

連休が終わってからガッツリ増えたら元も子もなし。

 

そして今流行りのマスクではない透明樹脂製の口を覆うカバー。ほとんど意味がないような。

その人が感染者だったらウィルスを散らかしまくっていると考えたほうがいいかも。

 

さて、一乗谷城。

昨日は尾根上の最高地点の三の丸から二の丸、一の丸の曲輪群について記しましたが、そのうち呼び名として「一の丸」というのはちょっと違和感があります。

通常の城郭では「本丸-二の丸-三の丸」という具合で続き、「一の丸」ではなくて「本丸」といいますね。

 

しかしこの名称は曲輪群にただ番手を振っただけでしょう。

本丸は別にあります。

こちらでは通称「千畳敷」と呼ばれる削平された地が尾根の北西側、一乗谷を見渡しやすい場所にありますが(東西30m、南北50m)そちらが本曲輪にあたる場所

要はこちらがこの山城の中心(曲輪図参照)にあたる場所で昨日の曲輪はこの本丸を囲む防御施設ということになりますね。

普段の生活は一乗谷のお屋形が中心でこちらには籠城用の施設、家屋が用意されていたのでしょう。

礎石らしき遺物が各所に散らばっています。

数百年の経過によって土砂等の堆積が積み重なっているのでしょうが土塁に囲繞されている様子がわかります。

その他「観音屋敷」「宿直(とのい)」なる平坦地が続きます。

 

「宿直」にも礎石類が見られ月見櫓ほか監視機能を持たせたで

あろう施設があったと考えられています。

この千畳敷から西側の谷へ降りる道がいわゆる大手道であるといわれています。

南と北には大小曲輪と竪堀が廻らしてあることは言うまでもないこと。 

 

 

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2020年

9月

21日

一乗谷山城尾根 一~三の丸 小谷城山﨑吉家山﨑丸

先日の史跡研究会での雑談は「相良はますます寂しくなるね」のため息の連続。

この12月で相良バスターミナルは廃止されただの「相良郵便局前」停留所に格下げ、ターミナルは菅山に移転します。

その件ハナからわかっていたことですが、ちょっとばかり虚しいことです。

 

拙寺も、その立地場所を知らせるに「バスターミナルの南、スグ近く・・・」などと大いにその存在を利していましたので・・・

田舎町でランドマークといえばそのバスターミルナルが一番にわかりやすいものがありました。

静鉄も企業であって営利と効率化を求めるのは当然の事。

まぁ津波の危惧もあったのでしょうが、バス路線として残っただけマシなのでしょう。

 

とかいう私などここ30年くらい路線バスの利用がなくてバスの乗りかたも分からないくらいです。

 

問題はその跡地ですが一つの噂としては「静鉄ストア」があるようです。そうであったとしても極秘事項なのでしょうが、それらある開発部門の人の声として「知らない」とのこと。

噂話ばかりが躍っています。

それにしてもそれが真実だとしたらこの周辺だけで大きなスーパーマーケットで4件目。

潰し合いの修羅場となるかも知れません。

 

大小企業の存続可否の話なども耳に入っていますが、掛川大渕の外資系ハイテクガラス会社のコーニングが操業を停止する件、そちらには牧之原市内就業者が約100名いるとのこと。

相良のここ近しい企業が非正規雇用の就業人員を大幅に削減したことなども以前ブログにて記しましたが「仕事」がないということは生活へ直接に響いてきますからね。

町自体が将来的に荒んでくること、目に見えています。

 

さて一乗谷山城の登城の続き。

その前に大河ドラマの件2つ。一つは気の早い噂話の部類かも知れませんが2023年の大河にキムタクが抜擢、石田三成の関ケ原・・・かも知れないという件。順番からそこは「戦国」になることはだいたいのスジではありますが、主人公としてちょっと・・・

私の期待一番の①三好長慶②北条五代でなくてしょぼ~んです。

そして昨日の大河では朝倉家臣として山﨑吉家が登場していました。先日の一乗谷全図の本館向かいに「山﨑長門守」として記されています。そのお屋形の直近位置からしても彼の朝倉家重鎮ぶりがわかるというもの。

というと彼の討ち死にもここ数週のうちに放映されるのでしょうね。

最初の画像①②は朝倉軍が浅井支援にまわった際小谷城に山﨑吉家が構えた「山﨑丸」。③~が一乗谷山城。

 

先日は3つの登城路の内、下城戸安波賀から取り付いた件記しました。

登路がフラットにまた前方が開けてくるとこの山の最高地点になります。

一応は一の丸二の丸三の丸と団子三兄弟の如くこの山の尾根上に曲輪が設けられています。各曲輪との間隔は遠くなくそれぞれが堀切で隔てられそれら郭の東側斜面に畝状竪堀が削られています。

 

ここで城郭大系の記述を。

「北から南に一の丸二の丸三の丸と並んでいる。一の丸の北西側には空堀がめぐっている。二の丸は西に延びる尾根を掘り切て造られ、三の丸との堀切には土橋が設けられている。三の丸は三つの郭から成り南端の堀切は最も深く10m以上ある。

一の丸跡から三の丸跡まで約300m、本丸跡も含めた全体では500mある。

特に北端の櫓跡と一の丸から三の丸にかけての東斜面には多数の竪堀が谷底に向かって垂直に掘られている。また二の丸から続く西の尾根上には伏兵地と呼ばれる凹地が多数存在する。」

 

画像最後の二枚が「伏兵地」の凹部。

 

下図は尾根上の曲輪の配置図。

 

 

 

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2020年

9月

20日

相良史料館 まきのはらを築いた人々~忘れない

第一声「善導独明仏正意~」だったのは昨日の寅さん(寅次郎ハイビスカスの花)。たしかそう聞こえましたが・・・

ストーリーの最後に「御前さま」(笠智衆)がお盆参りに虎屋にやってきて仏前に坐したシーン。

「今日は忙しいので短く省略したお勤めを」と。

 

柴又帝釈天といえば日蓮宗ですので私は「どんな感じ?」という具合で耳を傾けました。

すると第一声「善導独明仏正意~」だったわけで思わず一瞬耳を疑いました。

まぁ劇中ですからどうでもイイといえばどうでもイイことですがニヤっとしてしまいましたね。

当時というかこれまではそれで良かったのですね。

まぁ「わかりゃしねぇ」というのも一理・・なのかも知れませんし。

 

これまで何度か流してこの寅さんを視聴したことがありましたが特段気づきはありませんでしたしそれは私にとっても「どうでもよかった」ことでしょうし大して興味もありませんでしたからね。

 

ちなみにその句は当流一番の経典、正信偈の後半、ひと区切りして音程が変わる再スタートの冒頭の句になります。真面目に記せばそこからスタートしておしまいにすることはまず絶対にありませんね。いくら忙しくてもそれでは何を言われるかわかりません。

またご門徒の皆さんは耳に馴染んでいる経典ですのでスグにご指摘の嵐となってしまうことは間違いなし。

短くやるならそこしかないというポイントもズバリですが笠智衆は本願寺末寺の子で一旦は住職経験アリ。

よってそこのところは監督に任されたのでしょう。

監督としてもどうでもいいところだったとは思いますが、今だったら相当関係者からクレームが舞い込むのかも。

 

度たび記しますが大河ドラマでも以前本願寺の顕如さんを描いた場面で釈迦如来坐像をドアップで出してクレームの声を集めて以後最近では「宗教考証」に人をあてていますね。

まぁ「感じだけ」の演出というのは軽々できなくなった時代です。

 

さて先日の横浜・川崎方面へは法要開式の相当前に相良を出立。

息子の家へ寄ることになっていましたがそれでも十分余裕がありましたので湘南の懐かしい場所をのんびりと走りました。

妹夫婦の居る辻堂の駅前を通りましたが、私の知っている以前の辻堂とはまったく違っていて恐ろしいほどの変貌ぶり。

まるで浦島太郎になったような気分でした。まぁここも殆ど30年振りくらいだったかも知れません。

 

それからその先の大渋滞の名所「原宿交差点」の立体化にも感動しましたが藤沢市大鋸(だいぎり)の坂、通称遊行寺坂を通る際(箱根駅伝の通過でも有名)、ついでということで遊行寺に寄りました。

そこでちょっとした悔しい思いをしたのが宝物館の企画。

ポスターを遠目に見て「よっしゃ~」と喜んで近くまで行けばその企画は既に終了、そしてまた宝物館自体休館日だったこと。

それにしても開館日が土日祝日に平日は月曜のみではね。

開催がわかっていたとしてもそれでは私が行くことはできません。

 

画像は昨日の史跡研究会で渡された次期史料館で開催される企画パンフです。

「゛まきのはら゛を築いた人々」゛ー貴殿たちを忘れない・・・-ですが、今年の10月3日(土)~来年の2月28日(日)で第1期から4期に分かれて展示品の入れ替えがあります。

拙寺からは第一期(10/3~11/1)に小島蕉園の御軸を出品させていただきます。

 

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2020年

9月

19日

一乗谷城 下城戸登山道を登る 福井平野と足羽川

久しぶりの川崎・横浜の都市部の車の移動はドギマギさせられることばかり。

川崎市内はほとんど20年ぶりくらいでした。

車から見る歩道の通行人はノーマスクの方たちも見受けられ、結構にのんびりの感。

まぁ昨日のあそこ辺りは外気温34℃となってそれを顔に覆っての通行はキツイものがあったでしょうね。

 

新しい道、特に帰路、東名(横浜青葉)と第三京浜そして湾岸線まで接続しているのはびっくり。便利になったこと。

私のナビは新設道路非対応で却ってその存在が適正な判断を妨げてイライラがつのるばかり。川崎から湾岸線に乗って道路標識をたよりに辿り着けました。

以前でしたら悩むところでしたから。

 

ナビ屋さんは古いナビへのソフトの対応も遅く(要は新しいナビ機の購入を促しているのか・・・)何より新設道路開通とのタイムラグもあるので購入には注意が必要になります(一年は遅れます)。

息子はそこのところ「ナビはアテにならないのでオレはスマホ」と。

 

ソフトの更新が遅いのは経費の面で厳しいのかもしれませんが、古い地図を使わされて不便さを思うユーザーは息子と同じようにこれからナビを捨て去るかもしれないことを考えないといけないのでは・・・

今回の件でナビソフトの更新をしようという気になりましたがそれの出費もキツイものがあります。

陳腐化ナビの発するものは偽情報ばかりでロクなことがありませんからとにかくそれから解放されたい・・・。

 

そして今回の行脚で失敗したと思ったことといええば、小銭を一銭も持っていかなかったこと。ここ急激に習慣化してしまったキャッシュレスとカードでの支払いの利便がつい迂闊にさせました。

まだまだ世の中アナログなものがあって特に「これは困った」と思ったのがコインパーキングの支払い。

その件事前に気づいて「ちょっと寄り道」を思いとどまりました。

あの辺りでちょいと駐車したら即お縄を頂戴しますからね。

そして以前は結構見かけた携帯電話払いの自動販売機が何故か少なくなっているようで、自動販売機の利用ができないのもイケません。まぁ後者はコンビニで解消できますが器械相手なら人との接触はありません。

とにかく厳密なキャッシュレスはまだまだ先の話ですね。セキュリティも酷いものの様。 

 

さて一乗谷城。

いわゆる一乗谷と呼ばれる遺構は朝倉一統と家臣団、政治組織そして都市を形成する町人たちの生活圏のことを言いますね。

駿河今川でいえば賎機山があったように、いざ有事というときに町を捨てて山に上がるシステムが控えているワケですがその詰めの城が一乗谷城(一乗山)。要は「谷」ではくて「山」の方。御屋形の裏山になります。

 

概略城郭大系の冒頭の部分からその位置についておさらいすると・・・

「福井市の中心から足羽川を東南にさかのぼること約10㎞で山間にかかり南からの支流一乗谷川を合わせる。この谷川がつくる幅500mもない狭い谷間に今から約500年前、100余年にわたって繁栄した朝倉氏代々の居館跡とその城下町の名残がある。

一乗谷は西は標高約200mの御茸山、東と南は400mを超える山々に囲まれて、北だけがわずかに開けている。その北も足羽川をもって外堀となし天然の要害となっている。

三方の山々には砦や山城を築き、さらに足羽川が福井平野に出る両側には、東郷槇山城と成願寺城を築いて守りを固める」

とあります。

 

その一乗谷の東側の470mの一乗城山が本城。

登攀する下城戸登山道については以前その登城口についてさらっと記しましたが主に3本ある(①下城戸安波賀から②馬出から③本館の裏から)登城路のうちそちらを選択したのはそちらを除いて「水が出ちゃって無理だろう」のアドバイスを一乗山浄覚寺の朝倉住職からいただいたからです。

 

3つの登城路のうち大手たる本道はその②馬出からの道。あの時の私の行程は①から上がって②で降りるコースを辿りました。ご指摘にあった通り②は道に水が溢れる箇所がありましたが何とか下ることができました。 

 

下城戸からのルートは一言で言って空堀竪堀底を進むといった道で時に石畳?を連想するような箇所もあるような気にもなりますが殆ど放置状態。

特に枯れ葉の堆積物が滑りやすく注意が必要です。

その後に皆さんをお連れしたバス遠足では飛び入りの城郭好きの方がいらっしゃいましたがさすがに勧めることはできませんでした。「また次にどうぞ」です。

 

しかしこのコースは(おそらく搦手道なのでしょうが)狭い堀底を進行する攻城軍を想定すると左右の高い位置からいいように仕留められてしまうような気がします。

皮肉にもこれだけの規模と準備万端の施設を誇る山城をいとも簡単に放棄して逃亡しなくてはならなかった朝倉義景の心情たるや如何。

 

あの時は彼に随行する者たちもまばらと聞きますから致し方なしだったのでしょう。城は大きいばかりでは機能しません。

それだけ守備に人が割かれるということで大量の人員が必要です。

そして動員する人が多ければ食糧等の維持が不可欠になりますのでつまるところ戦争など回避するのがベストな選択。

朝倉勢は出張った負け戦で家臣団が疲弊逃散して籠城戦もできないくらいの躰でした。

戦いの準備を周到に行うのもいいのですが、やはりその戦いにならないよう交渉努力するのが為政者の力量ですね。

 

なにより民を不幸にしかつ自身滅亡してしまいますから。

すべてにおいて「勝つ」ことばかりではないということを「負けて知る」・・・ではあまりにも智慧が無い。

 

 

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2020年

9月

18日

一乗寺下り松 決闘碑の隣 楠木正成陣所跡 辻の石仏

久しぶりに息子と昼食をともに。たまたま彼の仕事はお休み。

川崎にて法事があったため、途中彼の家に寄ってみました。

コロナのせいで「相良立ち入り禁止」にしていましたので正月以来です。

考えてみれば息子はダメで私はイイ・・・日頃偉そうなことを言っている割に滅茶苦茶ですね。

もっとも静岡と神奈川の「ヤバさ」でいえば神奈川の方が上、道理にはあっているとは思いますが・・・

 

昨日も横浜、川崎の人含め神奈川県で5人が亡くなり、65人が新コロに感染したといいますので半端ナイ感が大ありですからね。

彼と一緒に食事していて内心「こいつが無症状のキャリアだったらどうしよう」と不安に襲われたほどです。これまでの感覚でいえば帰宅後2週間は様子見、自宅に籠っているべきなのでしょうね。

こういう理由からも「私が一番怪しい」ということになるのです。

 

法要は息子に行ってもらっても良かったのですが、初めての御家のご縁で「イキナリピンチヒッター」では恐縮・・・ということから私の出番とあいなりました。

ご先祖様のDNA的には石山本願寺に籠城、一所して同じ釜の飯を食べて死地を潜って来た子孫どうしであることも背中を押しました。

 

しかし当初から大井川以東、天竜川以西は危ないなどと口ではいっいたものの、ついに川崎まで。

かなり緩みが出たものだと感じています。

そういった雰囲気は尻腰を押されるようなお国の政策とそれに醸し出される雰囲気によるものなのですが、科学的見地に立つ学者(金子勝氏)が「オカシイ」と苦言を呈していましたね。

特にオリンピックについてのお国はもとより各界はしゃぎすぎの如くの件。出場が決まっている選手たちには気の毒ではありますがね。

 

金子教授は「東京オリンピックは意味あるのか」と鋭いテーマを掲げました。

「東京五輪、大阪万博の話の前に、なぜきちんとしたコロナ制圧を考えないのか?昨日もアメリカ1197人、インド1283人、ブラジル1090人が亡くなっている。陽性者が仏7千人、英国3千人を超えて感染再拡大なのに・・・」

また再び増え出す懸念として、「コロナは無症状の感染者が震源になる」と指摘しています。症状のあるクラスター追跡の行政検査(保健所、医師会)が終われば陽性者の発見が減り出しますが無症状者プールは大きくて、次の感染の波が広がる」とのこと。

 

よって「無症状だったら・・・」は恐ろしいのです。歯医者やデパートでの体温チェックは当たり前のご時節ではありますが、それこそ無症状の人には無意味ですからね。まさに気休め、ザルみたいなもの。「自分が怪しい」ということも。

 

さて、昨日の一条寺下がり松の向かって右側に武蔵VS吉岡の石碑と同じように「大楠公先陣跡」の碑が。

昭和20年の建碑のようで、当時の足利尊氏を否定、楠木正成を顕彰したいという世風をも感じ取れます。

世の流れに翻弄させられた楠木親子(またはこちら こちら)私ども家系も南朝方に与する系統もあったことから気持ち的にはわかりますがね。

 

石仏に前掛け、つきものというかワンパターンですが仕方ないでしょうね。あれがあるとやはり興ざめです。

覆堂があるのにね。

 

 

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2020年

9月

17日

決闘 宮本武蔵VS吉岡軍団 京都白川一乗寺下り松

昨日のオモろいニュース(ちょっと眉唾・・・)が「柿渋がコロナに効く」というもの。それも相当濃いヤツだと。

飴やラムネに混ぜるなどして何か商品化を目論んでいるそうですが想像がつきませんね。

 

この柿渋といえばどうしても思いつくのが渋柿の決闘。

決闘と言っても「ちょいちょい」(ジャンケン)で勝負を決めるだけですが、「墓道氏」と秋の柿が実る季節になると始まるお遊びでした。

街区を歩いていて他家の垣根から飛び出している柿をちょいちょいで負けた方がそれをもぎ盗り、ひとかじりするというもの。

これは柿が熟れる前限定ではありますが、だいたい若いころの柿は黄色になっていても渋いというのが定番です。

 

私がちょいちょいで負けた思い出は数度ありました。今の子供たちはその味というか激しい刺激を味わう機会はないでしょうね。

何故かそれで負けるのは「墓道氏」でした。

一口噛んだところで私がニヤニヤしながら「どうよ」と顔を見上げれば「うまいよ」と。

「んなワケないだろ もっと喰え」と言えばブチ切れてその齧った柿を私に投げつけたものでした。

ゲラゲラ笑いながら逃げ回った思い出でしたが、あの渋をどう口から摂取してウィルスをやっつけようとういうのでしょう。

十分にその効果はありそうな気がしますがあの口の中全体に毛が生えたようになる強烈な渋みは誰かを騙して喰わせたい衝動には駆られますが自身味わいたくないですね。

 

尚、塗料としての柿渋はイイ味出すという事はわかります。

 

さて越前一乗谷の伝承、佐々木小次郎がその門下に居たという富田勢源道場について記しましたので京都市内の「一乗寺」という地の宮本武蔵に関わる場所を。

 

京都白川通から万寿院通に入ってスグ、変則的な辻にあたります。

この「一乗寺〇〇」という地はこの辺りにたくさんあって叡山鉄道の駅の名にもありますが、結構に広域。そのうちの花ノ木町を目指します。

尚地名となった一乗寺はかつてあった寺の名を伝えています。そういう古い地名を遺されているというのも京都の良さです。

 

そちらの曼殊院道の辻にある松の木が「一乗寺下り松」です。白川通から入って向かって右側になります(場所はこちら)。

尚、私は何度もこの白川通からの比叡山超え大津入りをしていますが、この辺りの神社仏閣は京都市内の人気スポットとは外れてマイナーの部類。とはいえその分「独占」に近い感じで楽しむことができます。

 

またそのまま白川通を進めば大原方面に分岐する道がありますがそちらから朽木、高島琵琶湖、小浜など日本海側へ通じることができます。歴史の中でも室町将軍家ほかこの近江、越前方面へ辿る道が使用されています。

 

その「一条寺下り松」は宮本武蔵が吉岡一門とハチャメチャの決闘を行ったという伝承のある場所でこの松が四代目といいます。

その決闘の件は各お調べいただくとして私が武蔵に好感を抱くところは決闘の相手が子供(吉岡源次郎12歳)であろうが実体としてその組織の大将であることから必殺の一刀を背後から振り下ろして討ち取ったという彼の作戦。

 

それを「卑怯道」といって揶揄する人もいるかと思いますが、それこそが剣豪と唸らせるところなのです。

正々堂々?それはちゃんちゃらオカシイ。

臨機に動けば選択肢はそれしかありません。

武蔵に一票。

まぁその状況だったら私なら尻尾を巻いてどちらかに逃げますが。

 

また事前に武蔵が行った近くの八大神社での参拝の件。

『我、神仏を尊んで 神仏に恃(たの)まず』はカッコいい。

私どもの宗旨で言えば「他力の本願」。

仏におまかせしているので念押しのお願いはいらないといったところ。要はありのままのスタンスです。

私どもが「たのむ」のイメージは称名(南無阿弥陀仏)のみで仏の願いを承るのみですから武蔵の気持ちに近いかも知れません。

武蔵のその「恃まず」は多勢に無勢の状況に「加勢を恃む」といった加護的意味あいになるかと。

 

 

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2020年

9月

16日

一乗谷 富田勢源所縁盛源寺の石仏たち

猫どもの様子からも季節の微妙な変化を感じます。

8月から残暑の9月の2週にかけて彼らの居場所と言えばエアコン直下の床の上にぼとぼとと転がっているといった感じ。

ところが昨日辺りから寝室に集合するようになっています。

その中で暗いうちに頭の上に上がってきて髪やおでこを嘗め回す奴がいますので寝不足気味に。

 

もっと寒くなれば布団は人との奪い合いになります。当然の如く即排除とあいなりますが、彼らの掟は早いもの勝ちというか先取特権のようなものがありますのでその私の行為に毎度「掟しらずの我が物顔の輩」を感じていることでしょう。

そこのところは少々後ろめたいものがありますが・・・。

この冬も寒くなるとの予想を聞きましたが油断ができません。

堅くガードしてウィルスたちとも闘わなくてはなりません。

 

昨日の檀家さんとの会話。

私もよく知る80歳を少々超えた年配の方がいらっしゃいますがその方の「強い主張」からの色々でした。

その人の主張とは「エアコンは大嫌い」。

私もその傾向は強いものがあって沖縄時代にあっては家にエアコンはありませんでした。

ところがここ最近にいたっては夜間にでもその力を借りなくては快適な睡眠とは程遠い状態となりました。

よって世の「エアコン嫌い」は大いに理解ができます。

 

家族としてもそれはそれで仕方ないことと思っていたそうですが、長袖まで着ている様子に「加齢による体感異常」を感じこの夏、問答無用でその部屋にエアコンを導入したそう。

「熱中症になってからでは遅い」ということで。

24時間27℃に設定して点けっぱなし。「寒かったら布団を被れ」と言ってリモコンを隠したとのこと。

 

私は以前のキレキレのその人を知っていますので「80」という数字は「感覚異常」に至る一大ポイントなのかと思いました。

人によってその変化は違うのでしょうが概してその傾向は強いものがありますね。

その「80」、あいかわらず政界でしがみついている方々をお見受けしますが、やはりその「感覚」について首を傾げるところ多いようでどうも時として頓珍漢を感じてしまいます。

 

そういう人たちが重鎮として威張り散らしている旧態依然。

論功行賞に敗者の排除の論理もそうですが老害のシナリオ通りに進んだようで嫌な感じがします。

私はボロ負けしたあの人に同情ぎみ。まるでインチキのペテンにでもかけられたが如くでしょうね。

国民を詐術の得物にして振るうのはカンベンいただきたい。

 

さて、昨日の富田勢源の続き。

昨日の富田勢源道場跡のスグ近く、表記最後の画像の山裾に盛源

寺があります(場所はこちら)。

明応元年(1492)の創建とのことですが境内には室町期の石仏が並んでいます。

よく見るとか首が飛んでいたり顔が無かったりの仏たちが。

こちらでも明治のアレ(廃仏毀釈)が吹き荒れたことが推測できます。

③は参道下の祠の図ですが地蔵も左わきの六字名号石板も笏谷石の色合いが出ています。他の苔むしたものたちもおそらくそちらの産でしょう。

 

富田勢源(とだ-せいげん)関りはその名の通り字面は少し違えども盛源寺(せいげんじ)からも推することができます。

ただし勢源の生誕が大永四年(1524)です。

 

どちらにしろ一乗谷の栄華とその顛末の一部始終を彼らは見届けているのでしょう。

⑬の層塔のベースに使用されている石塔パーツ群⑭をよく見ると永正六年(1509)の文字が光っていました。

 

 

 

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2020年

9月

15日

兵法でなくて平法 一乗谷 富田勢源の道場址 

昨日記した心筋梗塞で緊急手術をされたという方と再びお会いしました。

朝方病院にて再検査を行って「まったく順調」の診断を得たとのこと。

発見から処置まですべて申し分ないことでした。

基本はムリせず(我慢せず)少しでもいつもと違うを感じたら予定を割いても病院に直行すべきということですね。

「心臓」といえばあまりにも重大すぎて手に負えない病気と思いがち。そこを「しょうがないことだ」と投げやりにならず、早いうちにその病原を発見することができれば案外と平らかな日常を維持できるものです。

いろいろな体調劣化をもたらす心臓原発のそれには早期発見が肝心。「息が切れる」などの変化は勿論、昨日記したような心臓とは全く関係ない部位の痛み等、異変を少しでも感じたら「現状繁忙」を「ふりすてて」医者の元に走ること。

 

「改悔文」冒頭・・・「もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけ候へとたのみもうして候ふ」

 

ついつい感じてしまうことは、運だとかツキだとかとは別に、特に病気に「予兆」があったということは「もしや南無・・・おかげさま」などと。

これは宗旨がら何から何までそれに結びつけようとする傾向があるのは当然かもしれませんが「阿弥陀仏のはからい」にて最大チャンスを頂いたものだと勝手に推測-個人的には確信。

やはり合掌しつつ報恩感謝。ただの「偶然だ」となどと思ったら「おしめ~よぉ」。

何から何まで「御恩、御恩・・・ありがたい、ありがたい」。

 

さて、昨日ブログの一乗谷南の上城戸の堀の外側に神明神社(場所はこちら)なる小さな社がありますが、そちらがここ一乗谷を出自とする剣豪の富田勢源(とだせいげん)の道場の跡となります。

近くの一乗川にかかる橋にも彼の名が見えますが、彼の門下で一番名だたる人に佐々木小次郎がいます。

「中条流」「平法中條流」といって「兵法ではなく平法」というこだわりがあります。

 

『中条流平法口決』

「平法とは平の字 たひらか又はひとしと読んで夢想剣に通ずる也。

此の心何といふなれば平らかに一生事なきを以って第一とする也。

戦を好むは道にあらず。やむことを得ず時の太刀の手たるべき也。

この教えを知らずして此の手にほこらば命を捨る本たるべし」

 

平らかに生きる・・・

「平らかに一生事なきを以って第一とする」いのちは大事。

戦うばかり、前に出るばかりが人生にあらず・・・です。

 

ただしこの地での「富田」のイメージは富田長繁の方が強いですが・・・。 

 

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2020年

9月

14日

一乗谷上城戸跡門外近くの字名「斎藤」を思う

朝のテニスの全米の決勝を見たあと、静波墓苑へ。法事は無し。

怪しい天気でしたが一応予報を確認して「まず大丈夫」と判断しました。「降るかもよ・・・」と奥方からは指摘がありましたがその忠告は無視。

 

草ぼうぼうの様とカイヅカの成長に苦笑しながら除草剤の散布を始めました。刈機の使用かどうか迷いましたが薬剤で枯らして「放置」・・・が結構にラクでついそちらを選択です。

そして物置小屋が壊れかけていましたがこの日は寸法を見ただけで帰宅しました。

その後雨が降りだし「ツイてない」と舌打ち。

折角の薬剤の散布が水の泡になったような。奥方からは「だから言っただろ」と憎まれ口を浴びせられる始末でした。

 

木々が茂る庭のあるお宅(檀家さん)がありますが、医師から「梯子など乗って高所に行くな」と忠告されているそう。

そんな戒めなど無視して木々の剪定をしているそうですが、実はね・・・と信じられないような話をし出しました。

その方はお寺の京都納骨バス遠足に毎回同行してくださる方ですが第一声「今年の遠足は中止にしてもらってよかった・・・」でした。

 

新コロ蔓延で募集一転中止にしたのでしたが、その予定していた日の翌日に心筋梗塞で緊急手術して入院していたと。

もし、その遠足で「発症していたら」を思うと相当の幸運を思ったそう。

拙寺の遠足はその名の通り皆さんに歩いていただきますからね。

予定では南山城岩船寺から山道を浄瑠璃寺まで徒歩というコースがありました。車両の進入は不可能な野山ですから「もしや」を思うと心底震えが起こります。

 

その方のお話では前日に右の肩甲骨辺りに痛みが出て「す~っと冷たい空気を吸いこんだような気がした」といいます。

その表現はその時味わった方のみのもので私には今一つわかりえませんが、痛みにつては翌日には引いたとのこと。

 

念のためということで近場の医院にて検診してもらえば「今スグ救急車を呼んでもいいが榛原病院へ」と紹介状を貰って病院へ。ちなみに「車では行かないよう」と念押しされたそうですが「それも無視して行っちゃった」と。

その日に1本カテーテルにてステントを挿入、1週間後にもう1本。二度目はなかなか入らず3時間もかかって冷や汗が出たとのことでした。麻酔は腕のみで手術中の会話は一部始終聞こえてくるとのこと。

 

診断後即入院しての緊急手術は心臓の血管が2本詰まっていたから。心筋梗塞の前兆がある例はそうは多くないといいますがその微妙な前兆を「まぁいいや・・・」で見逃さず医師の元に走ったことはまさに英断でした。

その方は飲酒と喫煙の習慣はありません。

今後食生活の改善が課題となったそうですが、その旨私もそこのところはこれからのポイントとなることは同じです。

 

すべてにおいて「有難い」と手を合わせてしまいました。

 

その件やはり今年の遠足は中止にしてよかったと安堵したわけですが、その前年は京都東大谷のあと本山と越前一乗谷、吉崎御坊に金沢という遠征がありました。どちらも自由散策ばかり。

その方も勿論同じ行程ですが相当に歩かせてしまいました。私も「歩かないと死ぬ」理論を日頃言い触らしていますしそれは致し方ないのですが人にはいつもの持病以外、突発性の病理が隠れていてそれが何時出現するのかわからないということも頭の中に入れておく必要がありますね。

 

歩きの件、たとえば去年の一乗谷ですと下城戸でバスを下車していただいて(ほとんど無理矢理)義景館跡まで歩いていただきました。画像①~④。勿論私が殿(しんがり)です。

こちら一乗谷ならばわかりやすいのですが来年の南山城は先導が大事。最後尾を奥方に頼むとしますが先頭と最後尾は相当に差がついてしまいますし山道ですのでそちらのフォローも必至となりましょう。車椅子をあの道に持ち込むかも思案中。

 

さて、一乗谷についてはかつてその図面をブログにて記しましたが城郭大系のものを2点。本館跡のものと全体図です。

全体図⑥に着目してください。

図面上方が北になりますがそちら側が下城戸①②③。

そして図面南端が上城戸となりますがその外側スグの黒く囲まれた「斎藤」なる字名・・・

こちらが斎藤義龍の子龍興一門が屋敷を構えた地といわれている場所でしょう。

道三-義龍をいろいろ詮索入れずに父子とすれば道三の孫にあたる人。

 

あの「やれやれ振り」を表した竹中半兵衛(またはこちら)らによる稲葉山城占拠事件を経て美濃国内での信用は丸潰れ。

結局は織田信長に美濃を追い払われてから伊勢一向一揆-本願寺に三好三人衆と反信長を旗印に転戦、最後に越前一乗谷に納まったのでした。

美濃では「ヤバくなったら越前へ」は合言葉のようなものだったのでしょぅね。

まぁ縁戚の近江浅井はまだこの当時は信長と同盟状態(浅井長政は信長の義弟)になっていましたので美濃奪還の選択肢としてはこちらしか無かったのでしょう。

実際、そのために顕如さんも手を貸して越前と伊勢から美濃、尾張を挟撃しようとする計略もあったよう。

 

それにしても上城戸といえば一乗谷を城に見立てて(一乗谷城という詰の山城はあるものの)籠城戦となれば真っ先に敵方と戦闘に及ぶ場所。それもいわゆる城、掘の外側ですからね。

義景らしいといえばそうですが龍興も庇護されるよりは前面に出て戦働きをするのだという気概はあったでしょう。

この位置はまぁ致し方なくも承服する場所でもあったはずです。

 

 

 

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2020年

9月

13日

各家一つトイレと井戸そして大甕 一乗谷遺跡

先般のお寺の会合の主たるポイントは今期の「本山ご依頼金」について。本年限定ですが全国的お寺の懐事情を勘案して約10%の減額となりました。

それとは別にまた少々頭が痛いのはあの長ったらしくて覚えきれない「宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要」の懇志金御依頼の件。募財期間2019年~2022年度の4年で既にスタートしていますが拙寺は未だ一銭も納めていないという事実。

聞けばすでに全額お納め済みのお寺も散見され、いよいよ尻に火が付いた感。田舎にいてボケっとしているとそういった雰囲気すらも入ってこず・・・、まぁそこがド田舎の良さなのですがね。

 

拙寺ではその異常に長い名称の本山イベントの件、御門徒様にも承知していただくため、昨年の報恩講の回文に記し、報恩講と春の法要にて各回各家100円の御寄進を依頼していましたが(あくまでも熟知していただくことが主)その第2回目となるはずだった「春の法要」が中止になったこともあって、まったくといっていいほどその件失念していました。

両方9月中に奥方にすべて工面してもらって岡崎に届けることにしました。

 

これは振込入金が年々面倒になってきていて、送金という行為にやたらと制限が付加されるようになったからです。

これは今回、「ドコモ口座事件」が騒ぎになっていますが要は他人の口座から「勝手に送金」が流行っているからですね。

 

大きな額の送金が難しくなりつつある今、いかにも面倒ということと久しぶりに三河別院にお参り+αで岡崎周辺をドライブするということで話がまとまっています。

 

そして、会合で耳を傾けたのは報恩講の件。

報恩講については形式を変更して短縮バージョンで執り行うというのが各お寺のスタンス。

これから先どうなるか確定できませんので「今のところ・・・」という但し書き付きですが拙寺も御逮夜、晨朝ナシで昼と午後と夕の三回くらいに分散して短時間開催することを総代会に提案しようと思っています。

 

また懸案の「お取越」についてですが既に問い合わせがあった須々木地区についての代表家寄り合い形式のものに関してすべて来年に順延というカタチで決定しました。

ソーシャルディスタンスがしにくい環境となりますので、今年は特別ということで。

そしてそれならと「あの家ではやったのにこちらでは来てくれなかった」という不本意なクレームも想定しいっそのこと今年は「すべて中止」にすべきと考えています。

申し訳なくも順延は致し方なしか。

 

何しろ寺の聞法会をきっかけとしてクラスターが起こってしまうというのはそれこそ不本意なことです。私一人であれば少々のリスクは取れますが、お取越は広範囲に私がたくさんの人たちと接しますので、私自身がキャリアとなってウィルスを広げる可能性も捨てきれません。

インフルエンザの同時流行の噂もあり、ここは一つ厳重警戒をもって対応すべきかと。

 

昨日の米国からのニュースでは「飲食店利用者」について感染割合が2倍(飲食店非利用者の)という見だしが躍っていました。

要は社会的距離が厳密でない空間で食事という最大無防備状態をつくることがリスキーだということ。

マスク着用の有意義もまた感じますが、暖房が必要になるかも知れない秋冬の狭い空間に人が同座することは、あと少しの間は様子を見た方が得策でしょう。

お国はどんどん緩みの方向に舵を切るようですが、私はあと少しこの流行の先を見守りたいですね。

 

ある情報では11月に本山含めご納骨のバス遠足を催すお寺があると聞きましたがその時は小心者の私は思わず耳を疑ってしまいました。

まさにその件「勇者」としか言いようがありませんね。

 

ちなみに拙寺の予定としては例年通り来年の5月になっています。

 

さて、一乗谷遺跡に入って目に入るのが井戸の復元井桁と石積みで枠取りされたトイレ跡。

まさにどちらの家にもそれらが設置されていたことがわかります。共同炊事場に共同トイレというのが庶民的暮らしと想像するところですが、ここ一乗谷は「上流」な社会が構成されていたことがわかります。

トイレの考察は面白いですね、発掘調査から寄生虫の卵が発見されているとのこと。

 

トイレと甕について復元街並みで見ることができます。

 

 

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2020年

9月

12日

「鏡」とは「鑑」であって人の模範 朝倉景鏡館跡

10月から「Go To (感染拡大)キャンペーン」に東京を加えるかどうか悩んでいるそう。

私の如く個人の新コロ対応が緩んでくるのは致し方ないにしろお国の方が手綱を緩めて解放気分を世に蔓延させるというのは少しばかり疑問。しっかりと金儲け関係の意見だけでなく医学界、ウィルス学界の見地からまともな判断をしていただきたいものです。

 

私どもが「気が緩む」といっても人がそもそも居ないところですからね。人と接することが少ないから安心に振る舞えるわけで、人だらけごちゃごちゃの東京で感染者が日々三桁を叩き出す状況は理解できます。その東京の未発症感染者がこぞって地方に振り分けられれば次の波動は大きいものになるのではないでしょうか。

各地方でそれぞれ変異して再び東京に舞い戻ることを推測しますが・・・

 

昨日はパンデミック宣言半年後、新コロの世界の死者数が90万人のニュースをブログにて記しました。アメリカ、インド、ブラジルの世界のトップ3を並べましたが、欧州であってもその鎮静化には程遠いというニュースを見ました。

9月10日の段階で一日あたりの感染者が約1万人と過去最多になったというフランスの件。

どちらの国も派手な数字ばかりで恐れ入りますが、日本人は(私も実はそうですが)「日本は特別」の如くこの不可思議な状況(感染者も死亡者も比較的少ない)に甘んじているように感じます。

まぁツキというか偶然なのでしょうがこれに胡坐をかいて漫然と緩和方向に進めばいつかは「ピシッ」とやられるのでは・・・何せ「日本だけ」の説明がつきませんからね。

 

さて、今日も一乗谷。

昨日は朝倉家の特色として紛らわしくも先祖の名と同じ名を名のることがあるというものを記しましたがあと一つ、「家」というものを大事にするあまりなのか、一族系統を要職に配分、結局は「御屋形」と対立して無用な争いを起こすといういわゆる親族間闘争が起こってしまうというところも見受けられます。

 

まぁどちらの「家」であっても戦国大名に限ったことではありませんが、考えてみれば足利将軍家について(今川家も)はその辺りの件、最初からルールが決まっていて惣領以外の次男以下男子は僧籍に入りましたね。

昨日ブログで記した「義秋」改め「義昭」は興福寺一条院に入っていた「覚慶」が還俗将軍(15代)でした。

イザという時の将軍スペアとしてもありますが、とにかく幼少より仏門に入り「長男-家督相続者」には対抗意識はハナから持っていないということを表明するワケです。

 

次男以下は他家にて養育させる・・・などのパターンもよくありますが、そうなると面倒を見た家や嫁がせた父方の家が「その者(婿殿)こそ家督に相応しい」・・・などと往々にして言いだすもので後の紛争の種になる例は多々ありますからね。

 

朝倉家最期の御屋形となった朝倉義景はやはり戦いとなると前面に立つことは少なく、いざ戦となると通説従弟(父10代孝景の弟の子)といわれている朝倉景鏡が総大将として主戦を率いていました。

織田との重ねての戦に疲弊し不満が醸成したのか、小谷城を包囲された浅井の後詰に関して「疲れた・・・」を理由に出兵拒否。

仕方なく義景が出兵するもボロ負けの敗走となって配下の兵もちりじりとなったわけです。

 

一乗谷に居た景鏡は義景に対して「ここは一つ一乗谷を退去」して再起を図るよう進め、自らの手配した屋敷に匿うのですがそちらを包囲して、自害に追い込みます。

勿論、義景の首は信長への土産。

そちらが例の「箔濃(はくだみ)」として祝宴にあげられたというわけですね。

 

景鏡はきっと、いつかは義景を追い落として「自分が」の気持ちがあったと思うのですが、皮肉にも信長への許しは得たものの「朝倉」の名跡は捨てさせられています。

その末路も悲惨そのものですが、改めた名(土橋信鏡)には元の「鏡」の字だけが光っています(「信」は勿論信長から・・・家臣を意味します)。

 

「鏡」とは私を客観的に見る道具でありますが、意味としては他者の模範、規範となるということ。しばしば「鑑」と同一にイメージされます。宝物としてもありますね。

私は「仏」の作用としてそれこそ「私を見つめなおす」ことができるのだ・・・などと吹聴する語彙ですが、この景鏡さんについては「名は体を表す」などとは言えないような逆鑑。

 

鏡・・・鑑になるような人格はそもそも難しい事。

なぜなら人間だから(煩悩まみれの)。

 

一乗谷の義景屋敷跡の北隣には景鏡屋敷跡④~があります。

こちらで色々思案したことでしょう。

ボロ負け壊滅敗走の報は先に入っていたといいます。

①②③が義景屋敷。②③は初夏の図です。バックか一乗谷城。 

 

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2020年

9月

11日

天下悪事始業の張本人 朝倉孝景 一乗谷英林塚

9月10日で新コロの世界の死者数が90万人を超えたとのこと。

8月22日に80万人を超えてから少々で10万人増えました。

天下のアメリカ合衆国が断トツ約19万人でトップ。続くはブラジル12.7万、インド7.4万、メキシコ6.8万と驚きの数字。

感染者数ではインドが2位に躍り出ているよう。

ただしこの数字を見聞きしてもあまりにも大きすぎてピンときませんね。

この日本では死者数がそうは増えず、私の周囲にもこの疫癘によって死した方がいないということがその理由。

 

その件、世界の感じる最大なる不可思議であることは間違いないところなのでしょうが、いずれ科学的見地に立ったその理由が知られることになるでしょう。またこれからどう日本国内で増えるのか・・・わかりません。

 

それにしてもワクチン完成については今の最大テーマではありますが、昨日記しました通り、いくら何でも早すぎるだろ・・・と思う中国製、ロシア製のそれ・・・甚だ怪しさ満点の代物ですが、その両国のワクチン成否を求める人体実験場となっているのがブラジルですね。

その世界では完成まで「10年かかっても不思議ではない」と言われるワクチンがウィルス確認後1年も経たない今、「ハイできました」といわれてそれを信じて自国民に投与するという神経がわかりません。さすが彼の国の大統領。

 

フェイズ3というボランティア大量投与による副作用の有無についての確認を今そこでやっているのだということなのでしょうが、そんなものをさらさら打つ気にはなりませんね。

それだけ尻に火が付いているという状況かも知れませんが、得体の知れぬものの接種の反作用によって辛い思いはしたくありません。

取り返しがつかなくなることも大いにあり得るワケでそれほどのリスクを背負わせるということになります。

 

副反応とは別に「抗体できました」の朗報らしき報せも入ってきていますが、抗体については①それを維持できる期間②複数回の接種の有無③ウィルス変異によって効果はどうか・・・などなどわからないことばかり。

完成したとはいっても全人類に投与してのワクチンですから、国により地域により人種によってその投与の差があったらナンセンスね。

特に国の富裕の差によって順位に差が出ることは見えています。

庶民はマスクの買い占めに走りましたが国レベルではワクチンの買い占めを虎視眈々と狙っているのでしょうが・・・

 

さて、本日も一乗谷。昨日の流れですが英林塚の墓所を。

「英林」とは義景(朝倉家11代)の父、10代孝景のことではなく7代目の孝景です。

朝倉家の家風なのでしょうが、父や祖父と同じ名を名乗ることがあって紛らわしいものがありますがこの7代孝景は戒名「一乗寺殿英林宗雄居士」から。

英林の孝景、英林孝景と呼んで区別します。

 

この孝景こそ越前朝倉の戦国大名としての全盛期を築いた「当家初代」の如くの人です。

何より応仁・文明の乱で名をあげた人ですが、寺社本所領の押領についても縦横に行って各方面、中央公家からの恨みを買っていたよう。

 

ある公卿も日記で「天下悪事始行の張本人」と最大限に評し、孝景が亡くなった際には「近年まれに見る慶事」とまで。

私はそこまでの評価を頂けることに、一種の憧れのようなものを感じます。

そこまで憎まれるというのは逆に一種の歓びに変えられるかも。

 

朝倉家最後の当主となってしまった義景がその勢いをそのまま継承していれば、やはりタラレバですが信長に本拠を蹂躙されることはなかったのでは・・・などと思います。

かわいいばかりに子供を甘やかして育てれば行く末、家を潰す・・・などとも。

 

墓所へは屋敷跡から一乗谷城側の丘を上がります。

コンクリート製の覆堂らしき建屋が「英林塚」。

 

最期の画像。

前回記した南陽寺跡庭園の記念碑の文言を今一度。

今の一乗谷が枝垂れ桜に拘る理由がコレですね。

「義秋」は興福寺塔頭一条院門跡「覚慶」が還俗しての名のりでその後「義昭」と一字変え足利義昭(15代将軍)。

一乗谷で義景にフラれた義秋はこちらを去って信長の元に。

義景は上洛して将軍補佐役(実質号令者)となるチャンスをみすみす逃したということです。

 

ここでの別れは義秋にとっても義景にとっても不幸の途へのキーポイント、ひいては日本史というものを変えた事案かも知れません。

 

 

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2020年

9月

10日

一乗谷 朝倉義景墓域は屋敷跡の隅に

新コロは一時の勢いを無くしたかに見えます。

それを見て政府はこれから秋の四連休にかけて各緩和していこうという算段のよう。

欧州にしろインドにしろ、再拡大の様相と聞きます。

これからの乾期に向かってインフルエンザとのダブル流行も頭にあり、「緩み」に関してはもう少し様子を見ていった方がいいのでは・・・などと考えてしまいます。

 

まぁ、雰囲気的にいって死に至る重篤事例が少なくなったようにも感じますので私も大井川超え(静岡市内)、天竜川超え(浜松市内)と適宜「緩み」を発生させています。

尤もアルコール消毒液を携帯用スプレー容器に充填して持ち歩き何かに触ったときは勿論、定期的に一吹きするなど「アルコール消毒癖」が出来上がりました。

また以前と変わって飲食店にも平気な顔をして入店するようになるほどです。しかしながらそれは平日の空いた時間帯になりますが。

 

再開再開の気持ちは大いにわかりますし、その先には来年夏のオリンピックの開催という一大悲願があるのでしょうが、日本国内でたとえ収束傾向に落ち着いたとしても海外の現状が酷いもの。拙速に色々緩めて、「どうぞ、どうぞ」とばかりに海外の人々をお迎えすれば日本国内にまた変異したウィルスをお土産に持ち込まれそうです。

開催の悲願とはいいますが「彼岸」に連れられては・・・

 

昨日も新コロワクチンの製造で世界のトップバッターと思われていた製薬会社が臨床試験をストップしたとのニュースがありました。副作用が出たということですが、急こしらえのお粗末な代物を注射してまで海外から人が来られるとでも思っているのでしょうかね。

 

中国とロシアのそれに関しては個人的には「信用ならない」と考えていますので、日本政府もどうせなら国産製薬会社をバックアップしてくれた方が安心を得られるのですがね。

昨日臨床を停止した会社にはソーリ殿が供給契約を取りつけていましたね。

まぁ海外からの緊急輸入とすれば厚労省の責任は逃れられるわけで、面倒な薬害訴訟が発生したとしてもお国の方からすれば「安心」なのでしょうが。

 

さて、先日は大河ドラマの演出の件「朝倉義景は間抜けの宰相の如く描くよう」と記しました。越前の朝倉ファンとして歯がゆい描き方になりそうということですが、やはりあの時代の朝倉義景の動向を冷静に見ていてもその「歯がゆさ」は禁じえません。

 

昨晩のBSプレミアムの英雄たちの選択「朝倉義景 信長を最も追い詰めた男」 を視聴してますますその思いが。

2度にわたり信長を制するチャンスを手に入れたにも関わらず結局は滅亡の憂き目に遭ったという人です。

 

信長・家康あたりの弱小大名あがりの泥臭い「つわもの」とはまったく真逆の生い立ちと順風満帆の幼少、少年期を過ごした人で生まれながらの「祝福された息子」(Fortunate)だったワケです。

一説に父孝景の40歳の時の息子で父の逝去によって16歳(当時の名は「延景」。のちに将軍足利義輝から「義」をもらって「義景」)で家督を相続したとのこと。将軍家の「義」を名乗りに入れられる(特に「義」は)ことは破格の扱いを想定します。

 

要は京都人でも憧れたほどの文化人の集まる越前の小京都一乗谷で生まれながらのやりたい放題のお坊ちゃま。

その志向は貴族的趣味だったことは大いに頷けます。

 

そういった環境で育ち、侵略的野望はなく保守的であったとはいえ大いなるプライドは同時に芽吹いたわけで、その矛盾が時代を見誤った感がありますね。要は経験不足もあって人と時代を読めなかったということ。

 

そもそも朝倉家が守護として戦国大名としてのしあがったそのきっかけは守護斯波氏を追い落としての下剋上。

そのDNAを引き継いでいることは間違いありませんが、子や孫ともなって彼らの「祝福」の日々が続けばとんだお坊ちゃまの施策となるのでしょうね。

どなたかとオーバーラップしてきます。

 

テレビを視聴して思い出しました。

彼の墓が朝倉義景屋敷跡の一画にありましたが・・・。

 

後世かなり経ってからおしるしの如く造られたものでしょう。

それにしても枝垂れ桜だらけの一乗谷は最高です。

奥方にその良さを淡々と話し「来年ここに行こう」というも無言。

一乗谷城の近くの城(槇山城・東郷城)はまだ未登城ですがそれを恐れているようでした。

 

 

 

 

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2020年

9月

09日

宝塔+宝篋印塔の整列 田中神社 眼科再診の日

人間ドックの結果は「まずまずの結果」だろう・・・(私の勝手な解釈)とはいうものの再検診を強く指摘されていたのが眼科。

それが先日記していた「数年来指摘を受けていてトボけていた箇所」で「視神経乳頭形状異常」の件。

一昨年と今年は緑内障の疑い(去年は白内障と)ということですが私は勝手に何かの間違いに決まっている・・・とトボけていたわけです。

まったくと言う程自覚症状ナシ。

悪いモノもイイモノもしっかり見えていましたからね。

 

しかし今回のドックの問診で「いい加減検診を」の指摘があったため素直にそのテーマをクリアするため、昨日は榛原病院に。

時間待ちは覚悟でフロイス日本史の一冊を片手に診療30分前にチェックインしました。

視力検査をしたり瞳孔を開く点眼薬を入れては待ち、入れて待ちを重ねてから、眼底の撮影。

おかげさまで医師の判断は「問題なし」でした。

近視や個体差で視神経の集まる箇所の凹部が変形していることはよくあるということは事前に調べて分かっていましたがやはりそのようでした。

奥方は「また詐病(虚偽性障害)・・・」とヤレヤレ顔。

ただし病院からの指示があったのだから・・・主張しておきました。

見えるものすべてキラキラ眩い(特に白系が)一日でした(2回ずつ入れられた点眼薬は瞳孔が縮まるまで5時間かかるというのが医師の忠告)。

とにかく今私ども共通の課題は「食生活の改善」。

それが一番難しいことなのですが。

 

さて、先日来近江高島の田中神社周辺について記していますがこちらの神社には古式ゆかしい宝塔と宝篋印塔(参考奈良県史)が本殿に上がる階段の脇に整列しています(場所はこちら)。

宝塔のサイズとしてはオーソドックスですが宝篋印塔はサイズのみならず古風のタイプを主張しこれだけの遺物が整列しているところはさすが近江であると唸らせるところ。これらは鎌倉期の秀作の様です。

 

宝篋印塔の相輪が欠損することや、どちらから持ってきたであろう五輪塔の宝珠が載っている例はよくあることですがこちらのそれ2基とも筒身が欠落していて、一基は後補新調されていることが一目見てわかります。

宝塔塔身の側面には鳥居型・扉状が見えます。

佐々木系の有徳者によるものか、比叡山天台系寺院の高僧によるものか・・・との連想が働きますが、この神社下にある理由が不明です。

神社に石塔といった例は各見ることができますが・・・

石質素材の調査について知りませんが、先日の稲荷山石棺の如く奈良あたりのものか・・・

石段向かって左側の丘の上には鐘楼がありました。

最期の画像が本殿手前右側の田中古墳群への案内板。

 

 

 

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2020年

9月

08日

稲荷山古墳紹介パンフ発見につき追加史料 二上山産

台風10号は各地に被害をもたらして朝鮮半島に去っていきました。唐津の檀家さんからは「何とか無事です」のメールが入っていて何よりの事。お隣の家の瓦が10枚程度飛ばされたと仰っていました。

ショッキングだったのは神社本殿が、御神木でしょうケヤキの大木の倒壊によって真っ二つに壊れたこと。

拙寺本堂周囲にも大木が控えていますのでそればっかりはおそろしいことです。最近その手の報が散見されていますね。

 

それでも当初の予想よりは軽く済んだのかも・・・

私も気圧とコースをテレビに貼りついて見ていましたが(大河ドラマが中止になって台風特別番組に)西に微妙に逸れて且つそれほどの発達がなくむしろ減衰していきましたね。

そういった理由について、直前に北上した9号が海水を掻きまわしたため・・・と解説がありました。

ということは「夏の終わりに一番に来る台風は強い」コレ定説になりますね。またこれから海水温が再び上がった頃に台風が進めばより強いものが来るということですね。

太平洋を東海関東直撃コースはまだ有りません。

そのトップバッターは今回はスラッガーなのかも。

 

海水温と台風の勢力の関係は直接リンクしてきます。

温暖化の傾向は台風を強大化させますのでそれを放任していたら結局のところ自分のクビを締めることになるのでしょう。

 

それにしても比較的緯度の高いところであっても945(hPa)の勢力を維持しながら上がってくるのですから直撃を喰らったとしたらさぞかし辛そう。これまでの経験の上を行きますし。

また9号のあとの10号の襲来について「大した対策などしていない」と言い放っていた韓国とその北のみなさんはどうだったのでしょう。

日本列島が防波堤の如くにあってまた緯度も日本より高く台風の勢力が弱くなって通過する朝鮮半島ですが今回の台風に関して「準備など無い」と言っていた人々(テレビのインタビューで)の被害は免れないでしょう。

 

台風は半島の東側の海上を通過したことから条件的には幸運な方でったのではないでしょうか。まぁ人さまの国の心配より「次はお前だ」を肝に銘じなくてはなりません。

窓に貼る大きめの段ボールの確保を奥方に頼み、絶対に買い閉められて店頭から消えてしまう大きめの養生テープを購入しておく必要があります。

また台風の大型化について考慮し特に本堂の雨戸が飛ばされることについても再考しなくてはなりません。

正面には閂が掛かりますが左右は100年以上経つ雨戸ですから怪しいものです。

 

昨日の私は静岡市内の歯科医へ。

ずっと新コロの件で行くか行くまいか悩んでいましたが「えいやぁ」という具合です。

朝からドカッと降って青空、そしてドカッと降るの繰り返し。

特に夕刻過ぎて土砂降りが続きました。

あの台風に吹き込む南からの空気はムッとして暖かくいつもの逆、家の中が涼しく感じましたね。やはりカラッと晴れてくれた方が心地よいものです。

 

さて、近江高島の安曇川周辺のただならぬ古墳の件昨日一昨日と記しましたがあの時私が立ち寄った高島歴史民俗資料館にて入手した稲荷山古墳の紹介冊子を私の机上周辺から「発掘」しましたのでこちらにアップさせていただきました。

石棺材は二上山から運んだとあります。

 

何せ継体天皇については記紀記述からの推測しかありえませんので確実性については今一つ、眉に唾を付けると言ったとしたら叱られるでしょうが、確証を得るというのはかなり難しい宿題。

しかし歴史の検証というものはその推測たちに多く論考して矛盾を排除しある程度の証拠らしきものを集めながら「~であろう」の取り敢えずの結論を導こうとするものですね。そして後のことは後世に任せるというのが歴史の学び。

決定的証拠が出ればそれでハッピー、一件落着というところです。

 

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2020年

9月

07日

高島 田中古墳群 伝彦主人王墳墓

先日の人間ドックの結果が送られてきました。

まぁ最後に行われた医師の面談の通り「概ね問題なし」なのではありますが、数年来指摘を受けていてトボけていた箇所がありますので来週にでもその問題をクリアしに行く予定です。

早くしろと脅されました。

 

これまで要経過観察、要再検査については肝機能障害と肺の影についての指摘がありましたが前者はカレーにシナモンを大量にかけるという食習慣が悪さしていると即断、それをやめてから次の年にクリアできました。

後者の場合は再X線検査でクリア、「乳首が写り込む」ことはよくある、との説明でした。

 

人間その他生き物に病気はつきもの。

どんな病気になったとしても不思議なことではありませんが、医師にそれを「ハイ〇〇」と宣告されたらやはりちょっとした病でもショックです。

 

私の関わった人たちの中、鬱病など精神にかかわるものも少なくありませんでした。

治癒の目途が掴めず本人もとより家族、周囲の人々もやきもきさせられますね。

そして何よりなかなか相手の気持ちというものがつかめませんからね。

 

特に病気になったと言い触らして出社に至らないとなると穴を空けられた仕事に対し周囲は困り果てるものの、やはり基本「病気だから仕方ない」・・・とせっせと残業までしてフォローに廻るというのが人情というもの。

 

しかし虚偽性障害(→ウィキペディア)なる精神の御病気があってそれは結構に周囲を困惑させます。

いわゆる仮病というものでしょうがそれ以上にタチの悪い「詐病」の類ですね。

先日も自分のお病気について「予断を許さない」なる語彙を使用した御仁がいましたが、その言葉には違和感というものがバリバリありました。

そんな表現します?・・・私がその立場だったらどうでしょう・・・

 

「私病気です」に関しては他者は「同情する」のは当然でそもそも「相手の気持ちになる」ことは大切であると私たちは教わっています。

そこのところうまい具合にコントロールしてやろうという精神の薄弱が虚偽性障害からということなのでしょう。

それでもやはり詐病する病であって弱者となれば救済の手を差し伸べたいと思うのはやはり人の情け。

「情けは人のためならず」・・・

まぁ「自分のため」になるわけで。

そういうテクニックもあることですしあまりのせられないよう注意しなくてはなりませんね。

 

私も色々病名らしきものをあげてどうこう記していますが「オレオレ病気詐欺」みたいなものかも。

「ほら吹き男爵」なんて言葉もありました。

ブログの支持率をあげるよう・・・? 滅相もないことです。

 

さて、昨日の稲荷山古墳に続いて安曇川域の継体天皇関りの墳墓といえば田中神社の裏山にや夥しいほどの古墳があるといいます。70基はあるそうですがその中で比較的大きなもの宮内庁管理の墳墓があります(場所はこちら)。

 

田中王塚古墳と呼ばれ、継体天皇の父、彦主人王(ひこうしおう)が被葬者であるといいます。

ただしあくまでも確証はなく推測のみのお話。

 

昨日の稲荷山古墳のように「間違って掘っちゃった」が無いとその副葬品からの推測ができませんね。

宮内庁は考古的研究をいつまで妨げるのでしょう。

発掘調査以外、事実に近づく術はありません。「陵墓参考地」なる名称を付けるばかり。

①は田中神社境内の案内板。

あの時は田中城の所在が不明でただ歩いてたまたまこちらの古墳に行き当たりました。

 

 

 

 

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2020年

9月

06日

高島「三尾之別業」稲荷山古墳 刳抜式家形石棺覆屋

奄美から九州地区は超絶台風襲来の予報でてんやわんやになっている中、昨日当遠州相良は朝から「度Pカン」の快晴。

風通しの悪い御内陣でのお勤めにクラクラさせられました。

佐賀県唐津の檀家さんにメールをしてみましたが、台風対策に遅れを取ったとのことで養生テープの品薄状態が発生している中、何か違うテープで対応を考えるとのこと。

各マスコミも警報を出していますね。

大変なことがおこりませんよう。とことん「逃げる」が最大の命を守る行為なのでしょうね。

 

以前当地でもどちらの店でも台風対策用にと養生テープの棚が空っぽになっていましたが、その件聞いて今のうちに少しは買っておいた方がいいように感じました。これからのことです。

そのテープの件、剥がさずにいまだそのままになっている家がありますね。

戦時下の空襲を警戒しているが如くですがそもそもそれの役割といえば第一にガラスの飛散防止でしょう。

しかし雨戸のない露出したガラス窓は全体をカバーできるようにしないと暴風にはあまり意味がないような気がします。

 

私は昨年の台風対策として段ボールを一部窓枠通りに切って貼り付けました。窓ガラスそのものが割れて空気が流れ込むと屋根が飛ばされる可能性があります。

その手の画像を見た事があって「窓の守備」についてますます肝心だと思ったところです。

 

それにしても「温暖化はフェイク」を持論とするトランプがここへきて巻き返しを見せているとの様子。

カンベンしてもらいたいですよアメリカ合衆国の皆さん。あと4年もウソと茶番のパフォーマンスを見せつけられるのは・・・

 

さて、近江でも高島の地はここ東海地区からとすると決してお気軽に行き来できる場所とは言い難い場所。

それでいて京都からとなれば案外と近場で歴史的に古い土地柄。付近には多様な遺跡が残りますね。

京の裏山といった感じです。

 

記紀ではこの地高島安曇川の南域を「三尾之別業」(みおのなりどころ)~別業=別荘~と呼んだそうで、京からすればまぁ手軽な別荘地として最適な場所だったのかも知れません。

 

その安曇川の三尾之別業がどちらを差すのか特定はできていないようですがその「三尾」を名乗る氏族の存在があります。

その古代「三尾」の首長の墓という推測がされている古墳が稲荷山古墳です(場所はこちら)。

 

継体天皇云々(三尾出生地説)の記述がありますが継体天皇周辺にはこの「三尾」の出自を記す文字が散見されます。

古墳の刳抜式家形石棺は特筆的。

まずは石棺といえば石片を組み合わせて作るものを見ることが多いですが、こちらのものは一石モノ。

副葬品も豪華でタダ者ではない方との評価があり東京国立博物館に展示されているほどです。

道路拡張から偶然発見されたそうですが突然の露出には被葬者も驚いたことでしょう。

 

→追加史料 0908ブログ

 

 

 

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2020年

9月

05日

田中城天守(主)から湖東まで見渡せる感動 山の楽しみ

朝から「富士山はいつ噴火しても不思議ではない・・・」という話題をテレビで視聴しました。その件知ってはいるもののイイ気分ではないですね。

理由としては「富士山の噴火周期は約100年のインターバルが普通だったようで「宝永四年1707以来 噴火がない」から・・・

ということでした。地震と同じ・・・

私の小学校の頃といえば「富士山は休火山」というくくりで教わっていましたがその言い回しは正しい危機意識にはつながりませんね。

「いつでも噴火します」であって今は休んで見えるだけなのですから。まるでずっと「休み」のように受け取れます。

 

もし富士山が噴火したとすれば地元と駿東から首都圏にかけて甚大な被害が出ることは必至。東京でも火山灰が10㎝も積もるといいますからね。

 

特に「女墓場放浪記」と言いながら山女と化して墓場参りをしなくなった友人は「富士山行きたい、~」を連発していますが私は毎度「よせ!」と。

静岡県民としては「登るもの」ではなくて「眺めるものだ」と主張しています。

私はそこを登りたいなどとは思ったこともありませんが・・・

とりあえず今秋は温暖化により勢力膨張化傾向にある台風襲来のシーズンをやり過ごすことが肝心です。

 

その女史は行動力は抜群でかつて私どもが沖縄にいた時に小型船舶の免許を持って渡ってきましたが当家奥方とも共通の友人でもあります。

一時は墓場巡りの醍醐味を教示してその道に引き入れたものと思っていましたがどうやら「それは無理」とのこと。

ハマっている山登りの成果画像を送ってきます。

 

これまで適当に流していましたが、今回のものは結構にきれいな画像と感動して借りることにしました。

日光といえば東照宮のイメージですが見方が変わります。

こちらも火山帯ということでビビっていたら何処も行けないと。噴火したら「その時はその時」の様ですが、私には有り得ないことです。

箱根でも幼き頃から慣れ親しんだ大涌谷など、もはや行く気になれません。御嶽山の突然の噴火の画像が記憶に残ります。

 

さて表記画像は田中城のトップ天守台から琵琶湖を見た図ほか(場所はこちら)。

尚、地元ではそちらを「天主」記述しているところ拝見しました。

こだわりがあるのでしょう。

そちらには案内の通りに行けばカンタンに辿りつけますがその場所へ上がる直前は少々急坂になっていて親切に手摺用ロープが張られています。前述していますが高い山ではありませんので疲労度は低です。

 

天守台の削平地に立つと前面に直下の集落と琵琶湖超え湖東に迫る鈴鹿の山々を見ることができます。

正面左の一つ高い山あたりが御池岳、藤原岳山系か。

その裏は三重県ということになりますからさらにその向こうが遠州方向ですね。

この方向からですと左側の木々の裏が彦根城方面でその向こうに伊吹山が控えているかと。

 

山の中の城址の見どころは各ありますが、画像としてはあまり見栄えがしませんね。それはいつもの通り。

よって彼女が送ってきた日光白根山(2552m)の画像を。

私の上る山とは全く違います。

これはこれで楽しそう。見るだけですが。

 

弥陀ヶ池から五色沼のコースで登山道まで車(駐車場1000円) 午前0730スタートで1440ゴールとのこと。

下山後へとへとになることは決まっていますがどうやって帰ってこられるかが心配になります。

 

私も山城3つほど廻って平チャラで帰ってきますので同じようなものか・・・

 

 

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2020年

9月

04日

上寺田中城の「上の寺」は松蓋寺 かつて字名松蓋寺

お日様は10曇りが70で残りは土砂降り、といった1日でした。

あのような雨の降りかたを見ては何もする気が起こりませんでした。デカい低圧帯の北上はそのコースが朝鮮半島であっても当地含め太平洋側は南からの湿っ気た空気がどんどん入り込んで天気を悪くさせますね。

教科書通りだと思ったのは日本海側で40℃超えの地点(新潟)があるなど軒並みフェーン現象の高温地として名乗りをあげたこと。

 

そして連発台風は同じコースを辿るというところも。

また915hPaの強烈台風(10号)に関しても見ものです。

海水温が暖かいことからその発達と勢力を維持したままの北上はどれほどのものなのか・・・そしていずれその強烈を私が味わうことになるのでしょうが、その時は相当面倒なことがおこりそうで・・・助かるための勉強をさせていただきます。

 

九州に接近していますができるだけ西に逸れて欲しいものです。学校、会社など事前に「休み」にするなど臨機応変に対応しないと後悔することになるかも知れませんね。

 

しかし東シナ海で貨物船が沈没して40名以上が行方不明になっているとのことですが、そもそも台風9号と並走するかの如く接近してのコースを船が進むなど正気の沙汰ではないのでは・・・

先日のインド洋の座礁といい、結構にやらかしていますね。

船舶関連の事故は重大事案に発展しますから私のようなうっかり者、不注意の塊のような人間には操船は向いていないことがわかります。

小さな船でしたが沖縄で人さまにどれだけの迷惑をかけたことか。

 

さて、上寺の田中城。

「上寺村の山の上に在り」ではありますがその上寺とはその語の通り村の裏山の上に寺があるということですね。

城はその更に上方にあったということです。

古くからの地名としては「大畑」ではなく「松蓋寺」だったと言います。

 

以下、城郭大系より。

「上寺城の一画の石段を登りつめた平坦地(標高190m)に現在観音堂が建っている。この観音堂は元亀三年1572の織田信長方の兵火によって灰燼に帰したといわれる松蓋寺の一堂宇である。比叡山延暦寺系の松蓋寺は往時大伽藍であったことが伝えられており、高島七か寺の一院でもあったが鎌倉時代後期にいたって寺域内に上寺城が築かれたのであろう。」

 

以前ブログにて清水山城の石仏について記しましたが、城を山岳寺院と同等の立地に建てるということは良く見られるところですが、それは寺院自体が城郭の形式にあり、地区の人々の拠り所という意味から地域を治める領主としても都合が良かったのだと思います。

 

昨日は田中吉政の件、記しましたが彼は阿弥陀信仰への拘りが見られる人です。

単純に考えると天台系の阿弥陀信仰もありますが、のちに菩提寺として浄土系寺院を選択しているところはこの地の松蓋寺の面影を残してはいないような・・・その辺りも今一つ「田中城城主だった」の件については不審が残るところです。

それにしても小字名「松蓋寺」が消えてしまったことは残念なことでした。

 

画像は観音堂へ登る石段と石段手前の石仏お出迎えの様子。

石段の登り口周囲は土塁状に囲まれた平坦地ですが、帰り際に土塁の上を走る獣が・・・。

慌てて撮影したためピンボケになりましたが猿数匹が走りまわりあたかも包囲された感。

昨日も記しましたが、なにせああいう場での何かの生命体との遭遇は肝を潰します。特に彼らの場合は多勢に無勢です。

一対一でも勝てる気がしませんね。

クマでなくてホッとしました。 

 

 

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2020年

9月

03日

田中吉政がかつて城主だったという件 田中城

昨日の午前中は天候悪化の予報とは逆に青空が広がっていました。

台風は当地より遥か南方にあるはずですから「こんなものだろう」と・・・

10時から納骨のみの法要があってその間、私が本堂で通常使用する座布団を1枚だけ天日で干していました。代わりは先日頂いた導師用のド派手な座布団です。

 

干すといってもただ軽トラの荷台に置くだけでしたがこれからの季節は本堂常設の座布団干しをしていく予定です。

最近は座布団の出番がめっきり少なくなって椅子ばかり。

今時座布団で正座などいう文化は寺であっても壊れてしまっています。

内心、その置き場に頭を悩ますようになっていますし、出番がない分収納ケースの中に積まれるばかり、適宜天日干しをすることになります。

 

法事終了後、庫裏でのんびりしていると奥方が「雨が・・・」と突然言い出しました。驚いて座布団の回収に向かえどすでに遅し、まさかホントに天気がこれほど早く崩れるとは・・・。

その後は好天が戻って干し直しの時間をいただきましたが雨がまた降りだしたり、まったく信用のならない一日でした。

 

先日は新コロ発症牧之原市1号さん2号さんの件、拙ブログにて記しましたが昨日はあの記述に関して「相良と榛原を差別していめよう」との指摘を頂き少々反省。

旧榛原町にも檀家さんがいらっしゃいますしね。自分の家から遠いからイイというものではありませんでした。

まぁ心情としては台風のコース同様、遠くに離れていただいた方が素直にうれしいですからね。自分への直接被害が免れることを喜ぶことは人情として致し方ないかも。台風も津波も。

 

そして、昨日の法事で「な~に住職しらないの?」と。

「細江の人が1号で2号は大江だよ」と御注進。要は同じ会社内での感染だったよう。

その手の噂話に花を咲かせるのも何だとは思いますが、前にも記しましたように本質的にそこはみなさん興味が向くところ。

仕方がないですよ。

差別があったとしたらイケないことですが相良の美容院に予約を入れる前に「大江の人はきていない?」とそれを確認してからという話もあったよう。

相良の人は厳しい~。

 

何故にそれほど情報が拡散するかといえば、その「興味」の件もありますが、その方は「家に消毒が入る」のを見て近所の人たちから広がるとのこと。会社の方も濃厚接触者の洗い出しと消毒の件「無事」では収まらないでしょうし、そちらからも「噂」は広がります。

 

経路と立ち回り先、濃厚接触者の調査によって某スーパーマーケットにも消毒が入ったと聞きます。地元ではそちらへの来店は控えたいという人も居るようで少なからず地元無関係の人たちにも影響は出るものです。

しかしこれだけバレてしまうのですからすべてを秘匿したとしてもまったく無駄というもの。

最初からブチまけていた方が気がラクですし潔いことですね。

 

さて、昨日の続き高島の上寺城(最近では田中城の方が有名)。

登城前は心わくわくではありますが実はこちらはクマ出没が頻繁な場所と心得ます。

その時は冬眠期ではあったものの「最近は冬眠しない個体も」などという噂がありますのでやはりビクビクです。

 

地元の方との会話の中、春~秋は山へ入る時は「犬を連れてが鉄則」とまで言っていましたので当然ですよ。