2019年

1月

21日

関所手形にハンコをつく 家主は連帯保証

一昨日の史跡研究会の会合でいただいた、というか勝手にパチリと撮った史料に関所手形がありました。

早速、吉祥寺の叔父に転送し講釈を依頼。

 

此者遠州藤五郎と申者ニ而此度

江戸表ゟ国元江罷帰り候間

御関所無相違御通し可被下候若此者

之義ニ付故障之義出来候ハヽ私何方迄も

罷出申披可仕候仍如件          

                  江戸霊巌嶋

 

  巳七月廿八日          家主      

     箱根            傳左衛門 印

       御関所

 

遠州の藤五郎が江戸の霊巌嶋(中央区新川)から遠州の国元に帰るにあたって箱根の関所の通行手形を家主の傳左衛門が発行したものですね。

以前「家主長兵衛」(梅雨小袖昔八丈―髪結新三)について記しました。家主と店子の関係の何たるかを家主の長兵衛のが強圧的に新三を脅してカネを巻き上げようとするシーン(「鰹は半分貰ったよ」)でした。

その時の台詞で「大家と店子の関係について大家は親と同然、店子は子も同然」と肉親親子関係に等しいといったものがありました。

 

劇中、新三ほどのワルが犯行がバレたとはいえ何故にして大家にそこまでやり込められ、挙句にカネをむしり取られるのかと思う方もいるかも知れませんがその台詞について何らの大袈裟な誇張はありませんね。

 

「家主」を今風に解釈すればアパートなどの所有者のこと。

しかし江戸期の長屋の「家主」は「管理人」のこと。

一言でその上に大名やら大店やらの本当の所有者がいてそれらから雇われている管理者のことですね。

その管理者たるお仕事は、長屋の施設管理は勿論のこと、お上との中間位置にあって居住者の戸籍管理、役所への届出等の責任を負いました。

 

半ば警察のような管理にも及ぶこともあったかと。

極論を記せば家主が居なければ店子は社会活動ができないほどであって、店子は家主と絶妙良好の関係を維持することがなによりも必要だったのでした。

よって家主の言うことは「絶対」。

親とも同様というのはお上の意向も背景にあるということを表しています。

 

関所手形の件に戻ります。

手形のパターンは画一的でだいたいあの手の形式といいます。

江戸表ゟ国元江罷帰り候間 の「ゟ」は「より」

「間」は「あいだ」の読みですが、この場合は「~するので」と理由の意。

古文書パターンで特筆はその後の空欄の件。

改行した冒頭に「御関所」とありますが、その部署(お上の権威)への敬意と「恐れ多い」の気持ちを表すための公文書のお決まりの形式ですね。

それを「闕字けつじ・・・欠字」と言うようです。

 

故障之義出来候ハヽ私何方迄も の「故障」は「こしょう」読みですが「さしさわりの出来(しゅったい)」があればこの手形を発行した「私」-家主の傳左衛門が何方迄も いずかたまでもその処理責任を負うために探索し当人に責任を取らせるという証文となります。

 

家主も大変ですね。

札付き者は店子にしたくない理由は大いにわかります。

要は店子に対して家主は連帯責任を負うということでもあります。親と子以上の関係と言ってもいいかも知れませんが、叔父さんが言うにはこれは江戸特有。

民のことは民、いざこざはなるべく「起こさず、公に持ち出すな持ちこむな」の為政者の方向性。

「お上の手を煩わすな、手を焼かすな」です。探索捜索までしなくてはならないなんて・・・

 

今は高給取りでやりたい放題のお上になんでもかんでもやってもらわなくては。 

 

上記の画像①は昨晩開いた直後のPCモニターの画面。

どういう管理とシステムでこういった画像が入れ替わり立ちあがるのかわかりませんが、毎度ハッとするような画像が出てきます。そういえば本日旧暦12月16日。満月です。

夕刻、日没直後、クリアな空気にあのような真ん丸の月が浮かぶことでしょう。

それにしても素晴らしい画像。

著作権に触れるかも。

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2019年

1月

20日

入場不可 太田道灌築造庭園 浅間神社お隣

塗装やら大工仕事で小屋に籠っていると「もう出ましたか?」と史料館から電話があったそう。

まったく失念していましたが史跡研究会の会合がありました。

その中の雑談で会長が話していましたが、静岡市の今川義元の銅像製作ついて現状頓挫しているようなことを言っていました。

義元生誕500年に併せての企画です。

 

桶狭間の今川義元の銅像に先を越されて静岡市の動向について「さあ・・・どうする」という具合に見守っていましたが、まったくもって「今川」となるとやる気なしの感が漂います。

どうしてだろうと私が疑問を投げかけると「お金が集まらない」といいます。要はその今川に興味のある人が居ないといことです。

皮肉にも静岡には小和田先生というその道では第一線の研究者が控えているのにも関わらずですから、人の活用もできず、観光資源の活用もできないというお寒い状況の様。まぁ宣伝活動が貧弱なのでしょうね。

せっかくの全国に知れ渡った戦国武将にも関わらずほとんど生かし切れていない現実を嘆いています。

 

また今川義元のイメージとして貴族的装束か武者鎧の姿かについてもその雑談にありましたが、どうせ作るならやはり真っ白けの顔にお歯黒、輿にのった肥満系、なにより高貴を発する装束のイメージは払拭させて、「海道一の弓取り」の名の如く、桶狭間の銅像を意識するワケではありませんがそれを超えるような風格が欲しいと思った次第。桶狭間の銅像は少々線が細いような感じでしたから。

 

ブログでは以前から静岡駅前や駿府城付近に家康だけでなく今川義元に加えて武田信玄、伊勢宗瑞(北条早雲)そして太田道灌まで「並べちまえ」と形振り構わぬ無茶と思える事を記していますが、まんざら駿府に無関係ではないですからね。

信玄と早雲はそれぞれ甲府と小田原がケチをつけてくるかも知れませんが法的に歴史的人物の名の使用は問題ないでしょう。

いつもの事を記しますがだいたい小田原に早雲(伊勢宗瑞)は住んでいなかったはず。

駿府ベースの時間帯の方が断然小田原滞留時間より多いですからね。

 

また、太田道灌については至る所に銅像が建てられていることはどこかで記していますが、道灌が駿府に来ていたことも有名な話。今川義忠が塩買坂で討たれ、家督争いが発生、遺児の龍王丸(のちの氏親)と従兄の小鹿範満が争って内紛状態になった際、道灌は小鹿範満のバックアップ、宗瑞が龍王丸の後援となって双方が駿府で交渉していました。

 

さて、浅間神社に隣接した場所、といっても殆どお隣と言ってもいいくらい。あの慶喜邸にも近く麻機通り沿い臨済寺方向に太田道灌築造庭園」なる空間があります(場所はこちら)。

慶喜駿府時代を経た頃、初代静岡県知事の関口隆吉の「静山荘」そして、現在は静岡鉄道の管理地。

フェンスに囲まれていて、中には入れません。

外見、「たまに草刈りはしている」程度。

実際に太田道灌が手掛けたのか不詳です。

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2019年

1月

19日

干された安部川 「瀬切れ」 狩野氏の残影 狩野橋

はっきり言わせていただければ、人工で作った流れ星なんぞ何らの期待もないですね。

そもそもそれは花火大会の花火のようなものでしょうが、それも私は興味なし。

 

昨日打ち上げたロケットに積まれた衛星がそれをやるというニュースがありましたが、流れ星なんざぁ、たまたま見上げた星空に流れてこその感動。人工のそれ、ビジネスでしょ?

人工的にカラー発色する物質を宇宙に出てまでして打ち出し流星然とさせるというものですが、個人的に評価させていただければ無意味。宇宙にゴミを散らかすな・・・です。

 

何よりカチンと来るのは人様の頭上で何かを大気に向かって打ち出して燃やすこと。危なっかしくて外も歩けやしないという感じがします。

まぁ最近、なんでもかんでもカチンカチンと腹が立ちますがその傾向を息子は「嫌味ジジィになった」と言います。

そういう言葉には腹が立たないのですが・・・

 

この乾季、安部川では極端に水量が減少して数日前から「瀬切れ」と呼ばれる水なし状態の箇所が発生し日々それが広がっているよう。

昨日辺りで国道一号線の橋辺りから河口まで広がったと。

1.5年に1回程度で発生する現象で安部川では珍しいことではないようですが今回は広がりが早いようですね。

 

昨年秋以降の少雨と最近の雨なしの乾燥状態が続いていることから干上がっているようで、河原遊びも楽しそう。

ただし楽しいなど言ったら顰蹙もので、魚たちからすれば酷い災難。逃げ遅れた水生動物たちは絶滅状態でしょうね。

今後アユの遡上などに影響のおそれがあるとのことです。

 

安部川に何故にして瀬切れが多いかと言えば国内でもかなりの急こう配の河川で水が留まっていることがないといいます。 一気に流れやすいということですが、家康の薩摩堤着工の意図はその水難から街を守るためでした。

 

伏流水が多いというのもその理由です。

静岡県が上流山地でJR東海のトンネル堀りについてなかなか承諾しないという理由はそういった静岡県内の河川と山の関係が密接に関わっていることからですね。

 

それほどの乾季の現象を見てインフルエンザの脅威についてますます感じたところです。

 

さて、安部川も先日記した安倍城を前にしたあたりに掛かる橋の名は狩野橋(場所はこちら)。

あの狩野氏の名がいまだ地名として残っていてなかなかの感動ものです。

①は下流方向。④安倍城⑤内牧城方向。

 

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2019年

1月

18日

ヤバい期間は緑茶に加え紅茶も 水分大量補給

 静岡県内のインフルエンザの患者数が1月半ばすぎにして先月の3倍に上ったといいます。

そういえば県内幼稚園・小学校での学級・学年閉鎖の声が頻繁に聞こえるよになりました。

各市町村別の患者数が発表されていましたが当牧之原市は「3施設で30人」と。

昨日も短時間ながら外を出歩きましたが人多めの室内は要注意ですね。

それでは外出から帰宅してからの最近のルーティーンを。

以前はざっと手洗い、うがいをしてから緑茶で一服というものでしたが、最近は緑茶の頻度はそのままに、紅茶を加えて飲むようにしています。

 

緑茶の抗細菌作用は良く知られていますが、紅茶の効能は当地は静岡だけにそうは広がっていないというのが実のところです。

緑茶も紅茶も元は同じ茶葉から作られますが違いは発酵するかしないか、製造の工程が違うだけですね。

県内でも製造しているところはそれなりにあります。

以前、中国からの団体が市内を訪れた時に、「紅茶はないの?」の声があって市の担当者がそれを搔き集めていました。

 

外出からの帰宅後、外出先で一休みの合間は紅茶を所望。

勿論ストレートです。以前から紅茶といえばミルクと砂糖のたくさん入ったものが定番でしたが、これは喉をケアするための試みでした。

ところがその習慣は糖分摂取が過剰となりますので(加えてたくさんのお仏供をいただきます)今では糖分は無し。

ストレートティというヤツで当家では「素(ス)紅茶」と呼んでいます。

 

効能は「紅茶 インフルエンザ」でクグっていただければ学術的なものから宣伝からまたぞろ出てきますので・・・お試しください。

私は特に紅茶を飲む際もウィルスの「秒殺」をイメージしています。

冬場の乾燥期は体内の水分も失われて、心筋梗塞、脳梗塞の引き金となりかねませんので「緑茶+適宜紅茶」は現在ベストな冬の養生法と信じています。

私の所見、年配者は水分を取りたがりませんしそもそも紅茶を好んで飲む人は少ないですね。

 

トイレの不自由の件色々も関わってきますが、日常水分を摂らないことほどの危険はありませんね。

尚、緑茶・紅茶でうがいをしている方がいますが、飲み込んでその効能を生かさなくては・・・何より温かくいそれらはリラックスもできます。

紅茶の場合、低濃度(いわゆる出がらし)でも効果があるといいますし、うがいもそれなりに有効なようですが。

 

長時間、雑踏に滞留する場合、水筒に入れたホットなヤツを30分おきぐらいに口に入れていれば「どうだろう・・・」と試してみたいところですが、ここ牧之原市内では大した人混みはありません。とにかく緑茶+紅茶はトイレへの頻度が上がりますがガブ飲みを心がけている昨今です。

 

画像は最近籠っていることが多い土蔵改め物置兼温室兼居間件避難タワーの2階部分。フロアに30mm厚(W120  L3000)の杉材をこつこつと張っています。

市販のフローリング材ではなく、通常壁材の見えない場所に使用される「間柱」を使っています。普通はそれでフローリングをしたなどとは聞いたことがありませんが。

値段はピンキリで105幅がオーソドックスですが、今回は頑張って120を使用しました。

 

その材は反りがあるところにきて釘止めはサイド一方からになりますのでどうしても仕上がりは凸凹になります。

切断面も丸鋸手切りですのでムラが出てしまいますね。

ということですべて張り終えたらかんな掛け(電動)してフラットにし隙間には砥の粉を突っ込んでペーパーをかけます。

尚サッシの掃き出しの部分と床面との間は大工さんに「30mm」を指定しておきました。

 

日中陽ざしがあれば、作業はツナギでも「暑い」を思わせます。

水分を摂りまくっているとそのツナギが厄介ですね。

いちいちそれを脱がないと用が足せませんので。

 

まだまだ当分かかりそうです。

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2019年

1月

17日

田沼意次生誕300年  発行「意次通信」 強請り者

昨日、「コンサルティング」なる語が出てきたらお金を贈与するための一つの言い回しの如く記しました。

要はある人に「お金をあげる」ことですが、それをストレートに言ってしまえばその意味について周囲に対して説得力というものがありません。

 

もともとお金を第三者に意味もなくそれも大金を「あげる」など普通にあり得ないことですので、どうしてもそれを「あげる」ことに関して理由がなくてはならないのです。

よってそのコンサルティング料、アドバイザー契約なんたらというベールで包み込むワケですね。

 

他者からすればこれで中身の詳細がよくわからなくなりますし「あげる」側としても大義ができるのでした。

昨日あった報道ではシンガポールの裁判所が、東京オリンピック招致委員会が契約していたコンサルタント会社の元代表に対して、「虚偽の報告をしていた罪」で有罪判決を下したというもの。

 

その虚偽の報告というのは、その手の業務などをしていないのにもかかわらず「コンサルタント料金だった」とウソを申告していたといいます。

JOCのコンサルタントのお話も当然にその手のウソを類推する件でとてもタイムリー。お相手が捕まっちゃってるのですからね。竹田という人はフランスはじめ欧州に足を踏み入れられないでしょう。

海外に出られないオリンピック委というのも面白い。「即収監」は恐ろしいですからね。

そういえば世間はアレを「成功報酬」とも言うかもしれません。医大の裏口入学などなど、日本ではそちらの分野は特にお得意でした。

 

さて、昨日フローリング作業をしていると牧之原市の観光課の方が来訪。

田沼生誕300年のポスターと「意次通信」なる紙面を持参いただきました。

第一回目の通信発行とのことですが、昨日の地元紙(静岡新聞)に掲載されていたよう。

今後毎月発行されるそうです。

牧之原市のサイトからPDFで見ることができます。

 

①早速拙寺門前の掲示板にポスターを。

②~は先日奥方にねだって買ってもらった戦国モノのチョコレート。

中身が見たくて開けてみました。

あの時は数点種類がありましたがそのうち「義の者」というパッケージを選択しました。「義」は人それぞれ違うだけに日本人的難しいスタンスです。嫌いな語ではないですが。

 

ちなみに表記「強請り者」は「ねだりもの」と読みます。

今使われるような「おねだり」の如くの可愛らしさとは程遠く、語源はいわゆる「強請」~ゆすりのこと。

言いがかり、無理難題でもってカネを奪おうとする奴のことです。

あのコンサルタント料、おねだりされちゃったのかな・・・?

何をお願いしたのでしょう・・・

 

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2019年

1月

16日

而+大・・・「堧」(ぜん)はお城用語? 彦根城堀で見る

しかしJOCの竹田という人の会見を拝見しましたが、酷いものでしたね。

会見は「2億ン千万の賄賂を贈った」という疑惑に対してシロ・クロはっきりさせようという主旨のものでしたが、あのザマでは世論も世界もおそらく「クロ」の推測に傾いたことでしょう。

 

どのようなスタンスで会見を行うかというところもかなり稚拙の感。とりあえずシロの主張のみをしてただ疑惑を押し切って難局を乗り切りたいという拙速きわまりないものを感じました。

さっとコメントのみを読み上げて質疑は一切受け付けずに退場してしまいましたね。「三文芝居」はこれで幕ということになりましょうが、当人の幕引きを早くという気持ちとは裏腹に醜態ショーがいよいよ開演したかの状況でした。

 

日本では理由も述べずに「シロだ潔白だ無実だ正義だ」などの自身の主張のみで相手を無視して議論に持ち込まないというやり方は国会など官僚や議員さんの中で拝見しますが、この手法は日本だけ。

世界に向かって行うというところ、センス無しというか、「一つやらかした」と思わされました。

 

とにかく、「コンサルタント料」という語はゴーンさんのお姉さんも・・・という報道がありましたが、「何それ?」というのが私たちド素人の単純なギモン。

竹田という人が贈った「2億、ン千万」という「そのバカ高い助言」とは「それって何?」です。

そんなもの「適正な法にのっとって」と断じられたとしてもチンプンカンプンになりますよ。

 

単純に「そんなアドバイス、必要なモノなの?」です。

誰が見ても「袖の下」など「迂回」を想像する違った言い回し。そして誰のお金?・・・というのも。

スッキリには程遠いものがありました。

これから「コンサルタント」「アドバイザー契約」なる語が出てきたらすなわち=インチキを連想するでしょうね。

今度の会見であの方が「禊は済んだ」など思ったとしたら頭の中は相当なお花畑。嗚呼お目出度き人かな・・・。

 

さて、古文書頻出の「而」なる文字。

普通に文頭にあれば「しこうして」「しかれども」「すなわち」ですが、文中にあれば無視というのがその字の意でしょうか。

「而」とはそもそも象形で「顎鬚」からですが、その下に「大」が付くと城郭の堀や河川の堤を意味する構造物の名に見ることができます。

ただし普段は見かける機会はありませんね。

 

「而部」部首を検索していくと、土偏の「堧」(ぜん)で

※宮殿・廟など敷地と境界の垣、土塁や塀や壁などに付属する構

 造物。

※川沿いの土地

「𤲬」(ぜん)で

※城下空いている土地に作られた田畑

「陾」(じょう)で

※城壁を造るに大勢の人が土を運ぶさま・・・人が大勢いるさま

ちなみに「𡑂」(ぜん)で「堧」と同意でした。

また「堧」の訓読みが「すなつち」と土木を示唆しているのもしている面白い。

ヒゲがもじゃもじゃ生えるように大挙して動くというのが城づくりの基本なのでしょうか。

 

画像は昨日が梅一輪の画像でしたので桜満開の彦根城で。

彦根城はその時期を狙って向かうもの。数年前の画像ですが。

①画像堀の上、右側の比較的広い平坦地を「堧地」(ぜんち)と。

②③比較的狭いところ、石垣の下、堀の境界を「犬走」といいますね。

攻め手には一休みと横移動が可能となって防御的に不利な作りであることは違いありませんが、石垣と堀の構造耐力上必要なものです。

 

また塀や土塁の内側の通路を「武者走」と言いました。

犬走の語源は「犬が走ることができる程度の細い通路」ということです。

④⑤は拙寺の築地塀。

舞鶴殿しか歩けない細い通路ですので「猫走」。 

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2019年

1月

15日

「突飛」な梅一輪開花と小和田先生イン小笠山

土蔵改め「私の小屋」の外見は完成です。

当初は2階のフローリングと内装は「私の仕事」にする予定でしたが年末からの繁忙につき一旦は大工さんに泣きを入れて私の作業は放棄していました。

ところが大工さんの方では他所に数件作業を抱えているとのことで以来まったく工事が進みませんでした。

ということで数日前から大工仕事を開始したところです。

ちなみに大工さんの今の仕事は新築工事だそうで、以前記した台風による破損修復工事ではないそうです。

 

また数日前に、渡辺商店(瓦屋さん)のご挨拶がありましたが、聞けば静岡県内だけで「4月まで」びっしり仕事を抱えているとのこと。殆どが昨年の台風被害の修復依頼のようです。

 

さて表記、温かかった昨日、拙寺の「春の一番」の報せは梅の開花。一昨年、数本挿し木にしたものですがその一つ、植木鉢で育てていたものから一輪の開花がありました。

香りは絶妙。一言で「すばらしい!!」です。

これを感じることがまさに「生きていること」です。

心の底から「おめでとう」といいたい。

 

またもう一つの楽しい報せは小和田先生の講演。

SBS学苑の講座で代金がかかりますが平日開催というのが有難い。2月4日の月曜日です。

「高天神城の戦いと小笠山砦」(SBS学苑)とありますから講演の切り口としては申し分なし。会場はエコパ~小笠山運動公園~(3Fレセプションルーム)で駐車場で頭を悩ますこともないですね。

 

小笠山砦にも久々奥方を連れて向かいたくなりました。

もっとも正攻法のコースですが。

奥方も数度登っていますが、南の池の裏側からの立ち入り禁止コースは懐かしいものがあります。

奥の墓道氏も奥方も異口同音に「二度と行かない」と言わしめた馬の背コースです。

とてもわくわくさせられるコースですが、あれからかなり時間が経過していますのでどうなっているか不明。また冬場にしか行けませんからね。まともな人は行かないコースです。

よって「小笠山」と言っただけで警戒されてしまいますね。

 

①は拙寺ネコどもの中で体重が一番、巨大化した「梅王丸」。

②梅一輪、寒い寒いと言いながらも着実に春に進んでいます。

 

 

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2019年

1月

14日

来るか人生150年時代 枝豆と黒豆とカカオ豆

正月太りの要因の一つ、雑煮と焼餅が飽きた頃、本堂からの鏡餅の引き上げがあります。

よってこの時期から再び餅とのつきあいが出てきますが今季から餅屋さんで真空パック済みのものを作ってくれるようになりましたので結構にそれが「余裕」です。

例年ですと丁度カビが生えだすころで、案外とそれを早く処理しなくてはならないことが重荷になりました。

 

餅以外でいうと私は黒豆が好物で三が日に鍋一杯分の黒豆を平らげるほどに食します。

硬めに仕上げることを所望しますので奥方は「かなりの糖分でシメる」といいます。

それもまた不健康につながっているのでしょうね。

 

この黒豆というものはかなりというか強烈に「体にイイ」と言われる食材です。

いちいちピックアップするのも面倒なくらいにその効果についてのいろいろが囃されていますが、カレーと同様過剰摂取は逆効果になりかねませんね。

 

さて近頃、豆は豆でもこれも私の好物、枝豆由来の成分といわれる「NMN」なる物質の名を聞くようになりました。

効能を一言で記せば「抗老化作用」。もっとぶっちゃけて記せば「不老長寿」。

まったく御伽噺かSF世界のことの如くの語ですが、どうやらその効能が立証されつつあるようです。サプリも出ていますね。

「寿命150年」などという信じられないような三桁の数字が飛び出していますが、皆さまも黒豆と枝豆をメインにした食事でその150歳を目指してみるのはいかがでしょう。

 

ただし、半面それをは「カンタンに死なない」(ダイハード)ということですが、脳みその具合が劣化した中、そこまで体力のみを維持して生き続けることになったとしたら・・・やはりそれは新しい地獄。

そのような地獄について昔の人は考えもしなかったでしょうね。またよく言われる「生き地獄」とは意味が違います。

長生きもほどほどなどといわれる時代がすぐそこまで来ているよう。いよいよ財務省は年金の支払い継続が頭痛のタネになるでしょう。「はやく死んでくれ」と仰った財務大臣様の声が空しく感じます。

国民にそれを言う前にとりあえずご自身がそれを示してくださいな。そうあったとしても私は黒豆と枝豆を食しますが。

 

最後の画像はパックされた鏡餅。

画像は昨日の続き、チョコレートも豆(カカオ)でしたね。

奥方がチョコレート売り場で気に入った一箱を選んでいる時、私もついでに「買って、買って」と。

ついその気にさせる演出にのせられました。

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2019年

1月

13日

A box of chocolates  「一箱全部食べてこそ」の人生

知らないうちにというか突如として「インフルエンザで・・・」の言葉が飛び交っています。 

 

信じられないような数字「熱が40度」に「家庭内隔離部屋」の件もです。

法事参列者は顔に大きなマスクの着用。

ご挨拶をされたとしてもどなたか判明できませんね。

 

都内では初雪との報せがありましたが当地は午後からほんの小雨程度。有難いのは無風だったことです。

地代の山の墓参りも苦も無く済ますことができました。

風さえ吹かず変なウィルスが蔓延しなければ当地の冬などは大したことはないのですが。

ただし鎮痛剤はいつものこと。

また調子にのっていると連休明けには寒波が襲来するといいますので、ピシッとやられそうです。

 

さて、表記のチョコレートの件、当家坊守の口癖です。

奥方はあんこはじめ和系の甘いものは殆ど口にせず、いただきものとしてのそれらの対応は私のお役目となります。

拙寺には「甘いもの」はお供物のおすそ分けとして事欠きませんが、それらを全部食べていたら体に悪いことこのうえなし。

最近は「お供物は仏からの授かりもの。自身いただくことに功徳があるのだ。」とお寺に置いていくのではなく、法事が終了したら参列者でいただくのがベストである旨力説。

よって最近は食べる量も減ってきました。

坊さんに体躯がイイ人が多いのはきっとそのせいだと思います。

 

奥方は和系のものは敬遠しますがことチョコレートに関してはうるさいものがあります。。

輸入物、欧州系の結構に値の張るそれを宝箱をいじるように大切にして「一日一つ」と楽しんでいる姿を見ます。

息子や私がその箱を見つけて何となく一つばかり、摘まみ食いをして、とぼけていたとしたとしてもスグにバレますね。

「味のわからぬ野暮は上等なモノに手を出してはいけない」風に罵られたのちそのセリフ(すべてを味わってこそ)が飛び出すのです。

 

一箱のチョコレートに人生を擬えるのはなるほどわかるような気がしますね

外見上チョコレートというのはわかりますがそれぞれのデコレーション、色使い、カタチのその中身、何が出てくるか食べてみなくてはわからない・・・その色々が詰まった一箱(人生)はすべて「自身で味わってみなくちゃ」というところでしょう。

言葉を変えれば「自分の人生」であるということか・・・

 

さて、奥方のこだわりは別としてこの「A box of chocolates」は実はパクリです。

「Life is like a box of chocolates」なる言葉、映画のフォレスト・ガンプを観た方ならスグにわかります。彼の母親の口癖でした。

「悪いもイイも何が起こるかわからない」。

ガンプ・・・「間抜け」と言われ続けて育った人生も面白いくらいに多様な展開に遭遇することもある、かも・・・という映画でした。

ダメだ、ついてない、人生おしまいと決めつけて落胆、嘆くばかりでなく、また図に乗ってお調子こいてハメを外すことのないようにしなくてはなりませんね。

 

しかし一番イケないことは独り占めすることだと思いますが・・・。

「私が一番」よりも「ともにある」ことが人間にとって一番優れた考え方だと。

 

ちなみに私のチョコレートの好みを記せば国産のホワイトチョコレート。板チョコです。日本のチョコレートのがよほどおいしく感じますが・・・

 

「フォレスト・ガンプ」は洋画好きで知らない方はいないほどに知れわたる作品。アカデミー賞(作品)にゴールデングローブ賞を受賞していますが、特筆すべきは全編に次々に流れるその時代のヒット曲のオンパレードです。

それを聴いているだけでも懐かしく、ほのぼのとさせられる映画でした。

 

私の印象は特にガンプがベトナム戦争に従軍する際に流れた「Fortunate Son フォーチュネイト・サン」です。

当時のまともなアメリカ人の庶民レベルの考えは大概はそのような傾向だったのでしょう。

ハリウッドのいいところは政治に忖度しないというところですね。

 

画像①は拙寺手水場前に吊るされている軸。

その四文字はフォレスト・ガンプの和名副題でした。

②③は「飲めないのに日本酒好き」の一例。

恒例、岩村の女城主さまからのお誘いが舞い込みました。

「城」の銘が付くと、つい購入したくなります。

飲むのは「奥の墓道氏」になりますが、以前泥酔して追いはぎにあってからはあまり付き合ってくれません。

だいたい下戸にすすめられる酒など何か魂胆がありそうで警戒するはずですね。

 

この時期に岩村城に向かえばまたひどい目にあうことは必定です。ただし雪の岩村城の景色は良かったですがね。

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2019年

1月

12日

阿漕の平次は不在 インテリ文化人の町 西深草慶喜邸

お国の進めている事などインチキと出鱈目が蔓延しているのは承知していますが、最近世の中に出現というかバレちゃったそれとは厚生労働省のお仕事のこと。

雇用・労災保険を過少に給付していたといいます。

タチの悪いところは「悪意」(法律用語で「知っていた」)が匂うところ。庶民の直観としては政治家と公務員はガッツリ稼ぐ一方国民への支給は誤魔化したいという構図。

 

まるで自分たちの「高給」の財源としているような気もしないではありません。

細かい数字遊びのテクニックは頭の回転の悪い私にはどうにもならないところですが、厚労省は毎度、阿漕なことをしてくれますねぇ。政に何らの「信」などありませんが。

 

「どいつもこいつも阿漕なことをしやがって~」と啖呵を切りたくなりますが、JOCの会長、竹田なる人が東京五輪の招致をめぐる贈賄罪でフランスの司法が動いているという件、「やっぱり五輪はカネで買うものか・・・」と思いましたが、結構に世界的にみっともないことをやらかしたの感。

フランスもゴーンの件でカリカリしているのかしていないのか知りませんがもし、それがクロの結論が出れば、東京五輪を返上するくらいの気風の良さを見せなくては「日本人とはそんなもの~カネで人の心を操る」は世界の統一見解になってしまいます。

え?どこの国でもやっている?・・・それでは子供の理屈。

キレイごと並びたてている五輪ですが「そんなもの」だとしたら子供たちに顔向けできないでしょうよ。

 

まぁ「見解の相違だけど辞任します」というカタチで「しゃんしゃん」(幕引き)というのが推測できますが。

いつものパターンですね。

 

末端の庶民の知らないところで一部、「オレが代表」然とした連中が勝手にやっていることですから、私にはどうでもイイことですが。

「オレがトップで差配、オレが一番えらい」の高慢ちきの心が今流行りとなっている航空機や豪華客船などの機長・船長さんの立派な心構え(飲酒)によるテキトーなお仕事に繋がっているのでしょう。汚職に至る論理もそんなところですが。

 

時代錯誤の佐幕派の私が記していますので話半分で。

ずっと同じようなことを記していますが、こういう事案が現れるとどうしても思い起こしてしまいます。

「明治維新」ですね。

一部の関ケ原敗北組の藩(薩長)が主となって突飛な尊王攘夷運動を展開し、それを討幕運動に変化させ、「勝てば官軍」なる語で示されるようにたまたま天下を取ったのが長州藩のみなさんという構図が明治維新でした。

維新という語が馴染んで言い触らされていますが「クーデター」に変わりありませんね。

 

その長州主体の政治というものは露骨に腐敗を生んだことは確かです。天皇の威厳を強調、神格化までして掲げ、その膝元で自分の思うままにやりたい放題、少なくとも江戸期に外国に出て土地を占領したり戦ったことなどありませんでしたからね。

 

よっていつも思うのが、慶喜さんのこと。

お人よしの文化人のイメージですが、つくづく思います。

あの時、長州藩を完膚なきまでに叩いておけば・・・あの時先陣に立って西郷と正攻法で戦っていれば・・・。

「阿漕の平次」はそう出て来やぁしなかっただろうと。

 

①~画像は駿府西深草公園前。突き当りが賎機通り、その向こうが浅間神社。

静岡藩主の徳川家達が浅間社家新宮兵部の屋敷に入りました

⑦は西深草ポケットパークの石碑(場所はこちら)。

慶喜邸址とあります。

慶喜が最初に入った宝台院についてはこちら。そして浮月桜(またはこちら)。

慶喜の良さはガツガツしていないところ。

政から外れたからといえばそれまでですが。

 

 

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2019年

1月

11日

やっぱり藤原南家 末裔の存在も・・・狩野貞長の墓

私の頭痛は季節性です。

最近は殆ど頭痛薬を手放せない状態が続いていますが、これは寒気のせいだと思います。

体が冷えるとダメですね。

夏場でも海に浸かって動きまくったあとなどもその症状が出ていましたがおそらくそのメカニズムと同様でしょう。

要は血の循環が悪くなって酸素や栄養が届いていないか、血行の悪さが私の持病、頸椎と神経の関係に何かちゃちゃを入れているのでしょう。

特に最近は困ったことに頭痛薬の効き目が悪いというところ。

 

寒気が人の体調を壊すというのは葬場担当者の言でもわかります。正月明けはたまっていた分が「どっと来る」のはいつものことだが、今年はそれからも「毎日5番まで」と。

 

4番は11時点火となりますのでそれ以降は葬儀式開始が14時以降となるか「前葬-さきそう」になります。

先葬とは午前中に葬儀をして午後に火葬という段取りになりますが、ちなみに南遠地区は出棺・火葬を先に行うというのが慣例です。おそらくそれは全国的に見て逆なのかとは思いますが・・・

 

付け加えると以前から「前葬」の機会はありましたが、火葬後に一旦会場に戻って繰り上げの初七日法要を行ったものですが、最近は「前葬」の最後にムリやり突っ込むというのが流れ。

これは会場都合、喪主都合。相手の要望ということになりますが、そういう時、私は例によっていつもは付けない腕時計を巻いてタイムキープ、法要を進めています。

 

ということでのんびり進行できないというのは後ろが詰まっているから。

市内に火葬場は2カ所ありますがこちらだけで1日5人。

確実に人口が少なくなっているということを実感しています。

 

さて、安倍城の築城者は通説狩野貞長。

以前高草山の方ノ上城について記しましたがこちらもそもそもは狩野氏が築城したといいます。

安倍城のある台地よりもさらに南になります。

また伊豆から遠州まで、以前井伊家も藤原南家かも・・・というブログを記したことがありましたが(小和田先生)その三国、今の静岡県内の名家として歴史上各名は残ります。

井伊家を除いて戦国期以降没落してしまいます。

 

それは北朝方今川氏の勢力拡大によるものですが先日記した内牧城の標の如く、後醍醐天皇の皇子の宗良親王が滞在したといいます。

通説宗良親王は井伊城を追われて大平城に籠ったのちも敗色濃く、さらに信州に逃れたといわれていますが、これはその前に「安部の狩野氏の庇護を受けた」ということでしょう。

 

その信州にて死亡したという宗良親王の墳墓が井伊谷の龍潭寺の裏にあったりまた、ここかしこで宗良の名が出てくるということはその名の威光を拝借するという傾向があったからなのでしょうね。

 

安倍城と内牧城のラインのさらに安部川寄りに段丘が見えます。そちらは舌状台地の伸び切った先端といった箇所になりますが、まさにその先端の丘の上に狩野貞長の宝篋印塔があります(場所はこちら)。

残念ながら破損風化が著しかったのでしょう塔身は後補となっています。

こちらの墓域の管理者として市内の狩野氏の名が見えますのでしっかりと血脈は続いているのでしょうね。

 

 

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2019年

1月

10日

音読と香りが前頭葉を活性・・・坊さんは健康?

昨晩のNHKのBS放送、菅原道真の「健康診断」を視聴。

学問の神と讃えられる菅原道真の「頭脳明晰」はいかにして・・・というような番組でしたが表記「音読」の習慣がその前頭葉の活性に繋がるのだといいます。

 

また、道真といえば「梅」が定番ですが、その「香り」というものが前頭葉を働かすとも。

「アロマセラピー」なる語を何となく耳にしていましたが、案外「香り」というものは前頭葉だけでなく私どもの各健康志向要素として効果があるようです。感じるところは「何となく」ではありますが。

 

その2つ、「音読と香り」について、坊さんという仕事にはつきものですので「これはドヤ顔できる」のでは・・・と思った次第です。

 

経文の拝読に関してはあまりにも漢文調につき感情や抑揚が入れにくいですね。私のお頭に効果があるのかないのかはわかりませんが(参列者が居てもまず意味は通じていないでしょうが)、御文の拝読に関して、そもそもそれは蓮如さんの手紙文ですので読みやすく聞いている方も比較的わかりやすいものがあります。

よって御文の拝読は大音声と活舌を意識、何より少々の感情移入もあります。そして大抵の御文は馴染みの深い段を選択しますので、その意味ではガッツリとその「音読」の脳みそへの効能を享受しているのだと番組を見て確信したのでした。

 

また今後も「脳みその活性化」という有難い「いただきもの」の作用を感じながら御文の拝読に力(リキ)を入れたいと思ったところです。

 

さて、私どもが日々接している「香り」といえばそのものズバリ「香」ですね。抹香と線香です。

ただしその香りはピンキリでその価格も当然に違ってきますが私の好みといえばやはり沈香がイイに決まっていますね。

ところがその手の香は高価ですから、たくさんの人が集まる場所には不向き。拙寺内のみということになります。

(携帯用の香盒は持参していますが、イザと言う時に出し忘れたりします)

まずはホールなどでは安価な香が焚かれることになりますが、そうともなると①煙い②不快③下手をすれば咳きこむといういわゆるリラクゼーションやセラピーとはかけ離れた「苦痛」に襲われることになります。

 

どちらかのお寺の住職がその「香」のことを「おがくず」と形容していましたがまさに少なからずそれは当たっています。

一体それに何が入っているのか不明ですが、健康のために良いとは言えなさそうですね。とにかく顔を洗いたくなるほどに嫌と言うほどそれを浴びることになりますからね。

 

私の好みを記せば香は勿論沈香。

あまり価格の張らないものを選んでいます。

そして今大事に使っている線香が①②。

現在市販の線香は大抵、各今風(ラベンダーから各各)香料が添加されて興ざめですが、私の線香の好みを一言で言い表せば・・・

「子供の頃に嗅いだ観音堂の線香の香り」ですね。昔懐かしい線香の香り。その頃の線香と言えばまずそれでしたね。

 

杉を原材料にした線香は安価で、どちらかといえばそれに近い感じはしますが、その「観音堂の香り」にはなりません。

 

拙寺に残るその香りの線香は数少なくなりましたが気が向くとその香りを・・・嗅ぐというか「聞き」ます。

あの香りには真に安静化させられます。

こればかりは好みの問題でしょうが。

ちなみに京都鳩居堂に赴いて同じような包装の線香を購入したことがありますが、期待の香りではありませんでした。

種類が豊富でまさか店員さんに「昔の観音堂の香り」とは言えなかったもので・・・また探しに行きます。

 

③は私のもう一つの好み。ヒノキオイルです。

京都周山の「道の駅ウッディー京北」にて購入。

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2019年

1月

09日

安倍城の連郭の城か根古屋の主城塞か 内牧城

故人の法名に「勝」の字を入れることを所望されることが結構多いですね。

名前そのものにその字が入っていることもありますが、まったくそれ以外、敢えてその字を使うよう求められるということです。

先般のその会話の中で盛り上がったのは「そうだ!賭け事が大好き」でした。

 

経典にも複数出てくるその「勝」の字の意味は今普通に意味する「勝つこと」ではありませんね。

その件、ブログでも何度か記しています(本多忠勝・・・勝事や・・・または道誉の墓・・・そして正信偈の中にも・・・)が、どうしてもその字のイメージが強すぎてその字を採用したからにはどうしても・・・ということで一言付け加えさせていただいています。

 

というのもその意味(勝負)では仏法の説くところとは正反対になってしまいますからね。

特に阿弥陀仏別名の」「無量寿仏」の如く「何も量らない」がその思想ですので、相手というもの(しばしば敵)の存在、要はその者に対して優位性や劣等の指針を持たないしそもそも存在しないのだというのが根本的考え方でした。

 

そうはいっても「優位性」としてこれは「必要だ」と思うのが薬の効果です。

偽薬よりやはりこればっかりはホンモノがいい。

病を克服するためにはその優位性の思想は肝要ですね。

「生老病死」(四苦)のうち「病」という人類必然の「苦」から少しでも解放されるようよりよい「勝れた」薬の登場が待たれます。

 

さて、昨日の安倍城の周辺城塞の名として「内牧」という名がありました。

地名としては安倍城主郭から下った安部川側の地域です。

増善寺の慈悲尾(しいのお)は現在静岡地区の斎場になっていますがそれをさらに安部川を上流に(場所はこちら)。

目安としては新東名高速の高架の向こう側辺りがその内牧ですがその手前が西ケ谷運動場。その西ケ谷の名も安倍支城らしきものとして登場していました。

 

以前よりこの内牧の城砦存在は言われてきたことで、静岡市では大々的な発掘調査を行っているといいます。

この内牧の城は平時の狩野貞長の居館があった場所と認識されるようでそうなるとこちらから安倍川に至る内牧が狩野一族の根古屋となっていたかとも考えられます。

 

①西ヶ谷運動場プール付近からの安倍城。

②新東名高架を潜らずケアハウスの建物に向って左手を上がります。③を右に。

害獣用電気柵がありますが人的拒絶ではないと解して進みます。するとスグこちらの石碑が見えます。

比高は大したものではなく安倍川の氾濫から逃れるという意味あいが強い居館の位置でしょう。

また当然にこちらから安倍城に上る道があるはずですね。

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2019年

1月

08日

安倍用無し 城の存在は誰も価値を見出さなかった

どちらにおいてもそうでしょうが静岡にも難読地名がたくさんありますね。

その中でこれは・・・と思うのがやはり「建穂」です。

「たきょう」と読みますがその地の「服織」(はとり)などもちょっと無理・・・の部類、その地には「羽鳥」の字面も混在しているところも・・・。

その裏山が久住で安倍城の向こう側が「慈悲尾(しいのお)」でこちらも読みづらい。

またその近くに「千代」なる地名があって「これならカンタン」と思いきや「せんだい」と読みますからね。まったく地名は一筋縄では行きませんね。

 

さて、昨日の安倍城の続き。

山頂(主郭)までは「のんびり」往復して2時間といったところですが運動不足の体にはハードな山登りになります。

城郭大系にある図の通りに本城手前、駿府城背後の賎機山方向から安部川超えで見たダブルトップの左、低い方が久住砦。

ちなみに「賎機山」(しずはたやま)も地元静岡人でなくては読みにくい地名ですね。

 

私よりもかなり年配の方が「お先に~♪」という具合に追い抜いてまた、引き返してくる姿を見ましたが、まったく恐れ入りますよ。

その方は「週一でこの山を散歩する」という強者でしたが、きっと健康そのものなのでしょうね。

私も「奥の墓道氏」と同様心臓が飛び出しそうな勢い、久し振りに自身心臓の動きというものを体感しました。

 

彼は山を降りた後になって今回の安倍城行脚についての不服を申し立ててきました。

「知っていたら行かなかった。キツイよりも今日は革靴だ」でした。「おかげで枝と岩で傷だらけになった」と。

ただし本丸からの「景色は絶景」のお墨付きはありました。

 

そうは言いながらも彼は私に5分差をつけて安倍城石碑のある本郭址にゴールしていましたが・・・。

あれだけのヘビースモーカーがなぜにして心肺機能がそれほどに強いのか・・・移動といえば自動車に頼ることなく自身の足のみという生活が効いているのでしょう。

 

安倍城は高さと広さだけでなく藁科川と安部川という2本の大河に挟まれた絶妙の立地です。

城郭大系に「本城を核として四方に延びる尾根上に久住、千代、羽鳥、西ケ谷、大代、内牧、水見色の諸塁を附属して」とあります通り、その中部地区山城としての威容は最たるものを推します。

 

ただしそのたくさんの郭というか砦群は登ってみてもまったくもってわからないというのが本音。

あのコースの苦痛というものは登攀路が急ということもありますが、主郭にたどり着くまではただひたすら「森の中」の感があって視覚的に単調なのです。

また久住から本郭方向に向かうに下降する場面があってかなり気が滅入るのは八王子城の如く。

 

尾根づたいにたまに出てくる腰曲輪らしき削平地の崖側に出て土塁だの空堀だの堅堀だのの遺構を「確かめてやろう」といった前向きな気持ちは余程の城好きでなくてはやれないこと。

コースを外れて山を彷徨うはめになりますからね。

それは以前、近江の和田山城で酷い目にあったことが頭から離れませんね。和田山城は安倍城のスケールからしたら1/10くらい。山の中での遺構探しは怖いものがあります。

 

まぁこちらのコースで出会った人たちはほとんどが年配者。

城ではなく純然たるトレッカーばかりですが、この城を熟知するには「週一で1年間」は通わなくてはならないくらいでしょう。

 

静岡市としてもほとんど歴史的価値として放置しているに近いこの山ですが、それだけの砦の名があるのですから、案内板を各所に配置するなどもう少しばかり手をいれるべきだと思った次第です。

ただし人がたくさん来れば山は荒れて、登攀路も崩れ、その補修にも経費がかかるでしょうね。けが人が出ても不思議はないコースですし。

 

通説この城は南朝方に付いた「狩野介貞長」の築城といわれます。「足利尊氏側の今川氏に対抗してこの辺りの国人土豪の諸氏」(大系)がこの安倍城を中心とした砦群に籠ったということでしょう。

 

ただし時代(戦国期への流れ)の要望はこの安倍城は無用。

駿府にはたくさんの名だたる武将が入っていますが誰もこの城を再興しようなどいう粋狂は現れなかったのでした。

 

最後の画像が彼のドタ靴。

まぁ私はあの手の履物での山城行脚をしたことがありませんが。気にも留めませんでした。

その前の画像が各所にある「分かれ」の図の一例。

⑤左端に富士山が見えます。

賎機山から駿府、日本平まで一望できるというこの地に掌握と安定の錯覚を得ることは戦略的にみて無能と呼ばれてしまうのかも。

ただし今あそこに立てば達成感と眺望の良さにこれまでの疲れは吹き飛びます。

 

⑪⑫は久住砦の土塁・堀切・虎口を推測しますが・・・石積みもあるような・・・ 

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2019年

1月

07日

標高と城域広さは駿府トップレベル 安倍城

今年の大河ドラマが始まりますが、私といえば来年の「麒麟がくる」まで冬眠状態。

前回も時代は幕末でした。

視聴したのは後半、山岡鉄舟が出てくるあたりからで、ほとんど日曜の夜の制約はありませんでしたね。

ということで来年の話ではありますが、「麒麟」は期待しています。

主演の明智光秀役が現在の朝ドラの「萬平さん」ということが決まっているようで、憎めない「悩み」の光秀を描くのでしょう。

しばらくすれば他の配役も決まり、撮影も6月には始まるとのこと。

 

小和田先生の今年初のブログによればやはり番組時代考証に招聘されているようです。

また、当地相良では田沼意次生誕300年の各イベントが予定されていますが、他に戦国系で今川義元生誕500年、北条早雲没後500年というその時代の超有名人を冠にした色々が各地で開催されるようで、先生もかなり忙しくなりそうですね。

 

さて、昨日の静岡の梅の名所洞慶院。

お寺の山号の通り裏の山の名が久住山と呼ぶようですが、この山系は実は狩野氏の城塞群が展開されていた場所。

主城の名を安倍城と言います。

 

ブログでは慈悲尾(しいのお)の増善寺(こちらまたはこちらも)を何度か記していますがその寺がちょうど山の向こう側(安部川側)にあたります。

安部川の対岸、賎機山方面からの視界、景色の中で「一番高い山」と思っていただければと。

その二つの寺からの登城口が主たるものでしょうが、おそらく尾根上の連郭式を推す砦群の存在も伝わっているこちらの洞慶院側は歩きごたえもあって正月のたるんだ体にはもってこいのトレッキング。

一方慈悲尾側はダイレクトに本郭近くまで向かいますのでその分登攀はキツ目となりましょう。

 

この山城は以前井伊三岳城の筋トレについて記しましたがそれと同等いやそれ以上の城域と登攀者の疲労度はあると思います。スケールの面のみで選べばこの安倍城(標高435比高400)と三岳城(標高467比高400)が静岡の双璧と言っていいかも知れません。双方とも南北朝時代の城、大まかに敵対勢力は今川氏という共通点がありますね。

 

ということは時代も早く、戦国期を通していることから改変など手が加えられた形跡もあるようで「殆ど謎」という感じです。

時間経過による遺構の「自然化」と以後支配者の城塞と都市との形成発想の変化によって放棄・廃城となったことも大きいでしょうね。

 

それら巨大スケールの山城は「守る」ことに関しては超一級。

しかしながら「籠城」の長期化になった場合、兵糧、特に水の確保は殆ど期待できません。

そもそも尾根伝いの砦に大軍を確保して長期戦など持ち込めるワケがありませんね。

 

洞慶院の鐘楼の裏側から登攀路があります。

各所に線刻の仏がお出迎え。

このコースは親切?(実は迷います)に各所で二又三又と思われる「分かれ」がありますが、取り敢えず上っていれば何とかなるという感じ。

いわゆるショートコースが険しく、ロングコースがなだらかということですが、それは各自「見た目」で御判断ください。

 

ただしこればっかりは自己責任の要素が強いので自信のない方は下調べを入念に行いください。

要はあの山の頂上近くで「何かあった」としても誰もスグにはたすけに来てくれないということ。

 

 

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2019年

1月

06日

静岡の梅の名所400本 さすがに早すぎ 洞慶院

昨日の続き。

脳卒中とは大きく分けて脳梗塞と脳出血のことを言うのですがどちらも直接、死につながる病。

救命に至ったとしても後遺障害は往々にして重篤になりますね。リハビリの苦労もよく聞かされています。

 

日本では年間15万人が発症して4万人近くの方が亡くなっているそうですがよく言われている対処法は「運動と食事」。

脳出血の場合は特に塩分接種過多による高血圧を遠因としていることがわかっていますので若年のうちから味覚と塩分の管理という思想を植え付けておくことが肝要ですね。

 

脳梗塞は近年、心房細動によって(心源性脳塞栓)血栓が発生し脳の微細血管を詰まらせて発症するものが増えているといいますが私の父もそうでした。

こちらは基本、定期的に心電図をとるなどの検診に出向いて異常を早めに察知することです。

私は以前、心電図の診断で医師より「洞性不整脈」の疑いがあるということで精密検査を勧められたことがありましたが若さもあって放ったらかしにしていました。

内心「洞」だけに「心臓が空洞?」をイメージし「どうなることやら・・・」ともやもやは残りましたが数年経てからの検診ではその指摘はなくなりました。

 

塩分の件も運動も重々承知していますが、正常性バイアス(自分は大丈夫)働いてどうもこの時節、食べすぎと運動不足は顕著になりますね。

いくら「塩分は・・・」と声高らかに吹聴していてもこうおいしいものを食べる機会、量が多くてはその摂取量は遥かに許容を超えているでしょうね。塩分だけでなくコレステロール値も。

 

ということで奥の墓道氏のUターン、静岡まで送るにあたって少々の散策を予定に入れました。

今年最初の「昼食博打」に私は静岡の梅の名所「洞慶院」で「梅の一輪が咲いている」に勝負。

 

一輪でも咲いていれば私の勝ち、昼食がタダということです。

植物の中でも人間と同様、突飛な個体があって、先走って開花するものが「絶対にある」と主張したのが私。

奥の墓道氏は「いくらなんでもありえない」でした。

 

結果は私の惨敗。

しかしながら交通費と駄賃として負けは免除され尚、昼食は彼の奢りとなりました。

 

①久住谷川橋手前を曲がれば山号も久住山、洞慶院(場所はこちら)に突き当たります。

羽鳥の建穂寺(またはこちら)の近くということです。

③禁(不許)葷酒山門の石碑。

梅はまだ。

門前の覆堂に一石三体仏のお出迎えがあります。

 

 

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2019年

1月

05日

高野瀬城を示す今一つの石標と石塔たち

師走の暮れから新年にかけてお寺にはたくさんのお参りがあります。そんな中まず大抵の第一声は「御無沙汰」の声が交わされることになります。

沙汰無し」については以前ブログで記したことがありますが、

ある意味それは悪いことではありませんね。

「何事もなかった」ということでもありますから。

 

しかしその会話の中で多かったお話がこの「御無沙汰」の遠因についてです。

「私あるいは妻が、または夫が入院した」というもので、共通するその病とは異口同音に脳卒中。

幸いにして退院しリハビリに移行している方もいれば転院を繰り返して専門の施設での生活を余儀なくされた方などそれぞれです。

後者の方は「妻が家にいない寂しい正月になった」と仰っていました。

 

世の医学技術向上の進捗は目ざましく将来的に死滅した脳細胞の再生が可能になるなどの話は耳にするようになりましたが、今少しの時間を待たねばなりません。

長期に床に伏していれば筋肉も落ちてリハビリも難しくなりますね。

その寂しい思いにどうすることもできず、その件お聞きするに残念無念の気持ちで一杯でした。

 

また別の方は兄弟がその病で倒れ、看る者が近くにいないということで週に何回か病院に通っているとの件。

子供さんは遠方に居て「どうにもならない」といいます。

しかしそれは内心子供なら「どうにかすべき」事案だと思いました。

たとえそれが娘であって他家に嫁いだ身であったとしてもです。妻の父母の介護のための苦労を惜しむ夫などいないでしょうに。

目をそむけることはできない現実です。

 

とにかく脳梗塞・心筋梗塞等、血管系の病気の後遺症からの脱却は困難を極めます。

長生きという時間の享受は確かなものとなりつつある今、私たちはその質を高めていく努力をしていかなくてはなりません。

 

さて、高野瀬城のつづき。

昨日の近江愛知郡誌の踏査図には中山道の先の馬場が見えます。かなり城域としてかなりの大きさを推ることができますね。そのエリアの散策で早々にもはや探索は徒労と思わせるのが大きな工場の存在。

宅地造成というどうにもならない現代の要請については致し方ないにしろ、あの企業の敷地に一旦入れば完膚なきまでといっていいほど遺構は残りませんからね。

学校などの教育機関であればその「余裕」から空間として利用価値はありますが、営利を目的とした企業では敷地を遊ばしている余裕はありませんからね。

 

その工場の前にも昨日のものより立派な石標があります。裏側の文字によれば昭和40年に建てられたもの。

また近くには見かけた石仏たちに祠も。

これらは十分に室町期を推測できるものです。

祠の脇道を行けば昨日の石標があります。

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2019年

1月

04日

遺構は殆ど連想の域 高野瀬城址標柱とバス停

昨夕の熊本地区の震度6弱の地震、お見舞い申し上げます。

新しい年の初めに、お気楽気分も吹っ飛ばされる自然の気まぐれ。遠い遠州の沿海に面した場所に住まう私どもであってもその自然現象には敏感です。

余震の再発も十分あり得ますので十分にご配慮くださいませ。

 

さて高野瀬の天稚彦神社付近は高野瀬氏館の中心地となりますが、その高野瀬氏の城館址を指定する石柱のある場所は少々離れた場所にあります。

豊郷駅伊藤忠兵衛記念館から西方にあたります。

天稚彦神社の社殿裏方向の田圃の向こうに高野瀬公民館があってその周囲の様子が何らかの「遺構」を想像させますが、その石柱、といってもかなりちっぽけなものですが、その城の存在を提示する標はその前の細い道を入ったあたりにありました(場所はこちら)。

 

近江愛知郡誌に付されている昭和三年の踏査図にはしっかりと残存遺構の存在はうかがえるものの現在はほとんど不明(日本城郭大系)。

「城主高野瀬氏は愛智氏の支流で、鎌倉時代から愛知郡内に居住していたようであるが、その詳細は不明であり、同時に、いつ頃当城が築かれたかも不明である。」(同大系)ということで謎の城址となってしまっているということですね。

私は何度かほっつき歩き、数か所ある竹藪等も覗いてまわりましたが、水路と言えば水路、溝といえば溝、土塁と言えば土塁・・・といった感じでハッキリと断言できそうな遺構は「わからない」というのが本当の所。

 

大系より追記すれば

「ただ高野瀬氏は応仁・文明の乱の際、京極氏に従って細川勝元に仕えていた。また、享禄二年1529には佐々木定頼の女が細川春元に嫁するときの使者として高野瀬家澄がその任にあたっている。大永五年1525佐々木定頼は浅井亮政を江北に攻めた時、伊庭・久里とも対立していたことから苦境に落ちて細川高国の支援を請うことになったがその際、この城に滞留していた」

とあります。

多賀神社文書にはその際の城主として「高野瀬備前入道」や「七郎右衛門」の名があるとのこと。

 

①画像は豊郷側とは逆側、国道8号線からの入路。

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2019年

1月

03日

高野瀬天稚彦神社 愛宕社と龍神 暮れ六ツ~明け六ツ

空気の乾燥が続き年末から各地で悲惨な火災が続いています。

当遠州では大晦日に横須賀(旧大東町)、横須賀高校の近くで大きな火事がありました。

古い城下町の町並みでの事案でした。

火事の件、「神頼み」という気持ちもわかりますが、こればっかりは火を取り扱う者の不始末、不注意が起因するものです。

北西風が強くなる時期でもあり常に火伏・火防の配慮をしたいものです。

 

先日はまた拙寺「除夕の鐘」について「除夜の鐘は日本の文化である」の件、記させていただきましたが昨晩NHK(Eテレ)で見た「松竹梅湯島掛額(しょうちくばいゆしまのかけがく)」の「火の見櫓の場」で再び思いました。

数あるお七の物語(八百屋お七)の歌舞伎演目です。

伝承としてのお七の悲哀を描き、鈴ヶ森で火刑となるまでの展開となりますがこちらは少々演出が違っています。

時代背景無茶苦茶は歌舞伎の「いつもの通り」ですが・・・

 

お七のお相手吉三郎というところは踏襲されますが、紅屋長兵衛という人物(歌舞伎にはその「長兵衛」(またはこちら)の名はこれもお決まりの様)とのからみがありますが、ストーリーの見どころは「火の見櫓の場」ですねお七の「人形振り」もなかなかの見どころでした。

 

各お調べいただければと思いますが大雑把にそのシチュエーションを羅列すれば

①お七は夜間吉三郎に知らせたい事、持参したいものがあった

②それは「明け六つ」までという時間限定

③しかし「暮れ六つ」以降は町の門番が町に出入りする木戸を 

 閉めてしまう 

④門が開かれるのは「明け六つ」であり、それでは間に合わない

⑤しかしどうしても門は開けてもらえない

⑥そこで思いついたのが火の見櫓の太鼓を叩くというもの

⑦ただし火の見櫓の太鼓や鐘は当時むやみに叩くと曲事として

 きついお咎め

⑧それでも門を開けるにはこれしかないとお七は櫓に上がる

 

という流れになります。

 

ストーリーはともかく、通例夜間は「火事以外は門が開かない」ですね。

門の開閉は日没から日の出までに関わるという日常であってひょいと夜中に出歩いて「除夜の鐘」を衝きに行くなどはあり得なかったということです。

 

そもそも」「夜は出歩かない」のが灯りの無い時代の当たり前ということはわかりますがそういえば「門の開閉」まであったことは忘れていました。