2022年

1月

26日

超絶のご褒美(女墓場)だという茅ケ岳からの富士

午後は天気予報の言う通り、陽射しは消えて小雨に。予報は大当たりでした。

私は「今回の予報は当たらないし大したことない」と奥方とドコモショップに向かいました。

奥方の「携帯が超が付くほどの絶不調」に陥って数か月「もう我慢の限界」というのがその理由でした。

 

そこいら中にコロナ感染者がいる世の中ですが(昨日1日で6万人超え静岡県で1336人とこちらも超絶)、気分はエライ人たちが流布している楽観論(オミクロンは軽症)が伝播して私ども含めて今の人心のうちにあることは間違いなし。

その楽観論は要は経済界護持の思想ですが現実問題として昨日も死者数がそれなりに(昨日は全国で41名)出ていますので「私は平チャラ」の思想はNGですね。

よってWマスクと外食ナシ。

奥方はトイレも我慢していました。

コロナの感染スポットとして今「トイレ」が指摘されていますからね。

 

その感染の苦しみは自身や家族が被って初めて後悔の念が沸き起こるのでしょうが、何事においても人とはそんなものですね。

 

ちなみに携帯電話屋さんは要予約です。

その件は承知していましたが私は「平日につき飛び込みでいいんじゃね・・・」と言いながら強行したのでした。

すると窓口で「空き時間は17時30分から」と告げられて尻尾を巻いて帰宅したという次第。

帰宅してから奥方は正攻法で店に予約を取っていた模様。

昨日の私の予測はすべてハズレでした。

これもそう。

人の考えること(特に私の)特に希望など裏切られることばかり。

 

さて、友人の「女墓場」の言う超絶。

先日、念願の茅ケ岳に行ってきたと画像を送ってきました。

前回は天候不順につき諦めて再チャレンジとのこと。

そこでの絶景に「ご褒美を戴いた」とその感動の弁を添えていました。期待を裏切られなかったということですね。

私は「このクソ寒いのによくもまぁ」と憎らしいことを言っても「ぜんぜん寒くな~い」とその友人と富士山を借景、即席ラーメンをすする図まで送ってきました(そちらは割愛)。

 

帰りにさわやかでハンバーグを食べてきたといいますから静岡県内を通過したということですね。

私は茅ケ岳という山について視界には入っているのでしょうが注意して思ったことがありませんでした。

位置的に中央高速を利用する選択肢もあるとは思いますが静岡側に出る道も整備されて案外すんなりと帰宅できるのかもしれません。

私もいずれその道を辿って甲府辺りをうろつきたいものです。

やはり甲府は「ぶどうの季節がいい」と奥方。

 

 

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2022年

1月

25日

くじ将軍 唯念寺歴代の名を眺めて 二十四世義円 

雨上がりの朝は無風で温かさがup

何より良きお湿りをいただきました。

前夜、床に着く前に庫裏の毎度雨漏りする箇所にバケツを二つばかり置きましたが、朝のそれには溜まった水はナシ。

一応は安堵しましたがあの程度の雨では前回の補修が上手くいったかどうかの判断はできませんね。

 

昨晩は寝ている間の雨ということで、通常昼間の生活環境を送っている私どもにとってはことに有難いことでした。

雨は夜に降って夜明けとともにスカッと晴れ渡る・・・など都合よくいけばいいものだと常々考えてしまいますね。

そううまいこといくワケはありませんが、昔から「夜半」に天気が急変するというイメージは少なからずありましたね。

 

まだ梅も咲き終わっていないのに桜の話というのも早いですが

御開祖の歌を思います。

 「明日ありと 思う心の あだ桜 

           夜半に嵐の 吹かぬものかは」

でした。

 

よく言う「明日があるさ」的ノー天気分の反意ですね。

要は「はやく はやく」のスタンスですがこれは蓮如さんの白骨の御文(5-16)の終わりの箇所

「たれのひとも はやく後生の一大事を心にかけて・・・」の「はやく」に通じるところ。

 

また「夜散る花」といえば金子みすゞの同名の詩がありました。昨晩のEテレの番組でもその詩が登場していましたが「あっという間の命」と「花」をかけてこれからの人生への不安と寂しさ、居ても立っても居られない焦りのようなものがあったりすることも思います。

もたもたしていれば空しきことになる・・・

 

さて、御開祖は比叡山に上がることになりますが、当初その歌を詠んだといわれるのが青蓮院。こちらは以前拙ブログでもその歌とともに記していました(青龍殿はこちらまたはこちら)。

 

拙寺も天台寺院からの改宗、当初の名、本楽寺がその始まりですが、この青蓮寺は天台宗の門跡寺院です。古くは比叡山に坊舎がありました。

御開祖も蓮如さんもこのお寺に世話になっていることが知られていますので真宗門徒としても宗旨は違えども崇敬の念を向ける寺でもあります。

 

四十九院唯念寺は法相宗-天台宗の流れを持ち、真宗に改宗された寺ですね。

寺伝から詳しく記すと行基菩薩の創建を初代とし第四世の豊安という人までが法相で五代慧達から法相兼天台という形態になります。私にはその感覚はわかりませんが、天台を名乗ったとしても法相を完全に捨てたというワケではないようです。

 

二十五世に本願寺六世の巧如(ごうにょ)上人の三男の照俊が入りその子の照善はやはり青蓮院経由でこちら唯念寺の二十六世を継承しています。勿論その際はお寺の宗旨はそのまま。

またそこにも初期本願寺と青蓮院の関わりが深かったことがうかがえます。

そのような経緯の中、二十六世の照善が念仏の教えを父より受け継いでいたこともあってか蓮如さんの子、実如がこちらの寺に逗留したことをきっかけに真宗寺院として宗旨を完全に改めたということになります。

 

ここで特筆すべきはこの宗旨改宗劇のそもそものきっかけとなった二十五世の照俊をこの寺に入れたのが二十四世の義円だっ 

たということのよう。

義円の「義」とは・・・足利将軍家の「義」。

この人があのくじ将軍足利義教です。

当初、足利将軍家の倣い、将軍継承者にない男子は寺に入るというのが道筋。後継候補ではない旨を主張することになります。そして史上、彼が青蓮院に入って門跡となったことは承知していましたが、その前にこちらのお寺に入っていて、しっかりと二十四世として明記されていることには驚きました。

 

こちらの寺が足利尊氏、義詮との関りが深かったことから以来足利家は義円を僧籍に入れるにあたり青蓮院の前にこちらの寺に 

入ったのでしょうね。

 

画像①は昨日の午後、5時過ぎあたりに相良汐見台の最西の丘の上 に上がって東側小堤山公園方向を見たところ。

だいぶ日が長くなってきましたね。

 

②~は唯念寺の荘厳と装飾そして天井。

 

 

 

 

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2022年

1月

24日

相良大沢の文殊さん 相良小学校ほか 寂々

午後からはどんよりした天気になりましたが風が無かったため体感温度は少々高め。そこで奥方から散策を誘われました。

頭の中もどんよりていましたのでそのお誘いはいい機会と飛びついたというわけです。

街区ではどちらも「人っ子一人・・・」のゴーストタウンの様。

ちらほらと目に入る「閉店のご挨拶」や「売地」の看板、そして重機が入っての解体中の建物を見て、これからこの町はどうなるのだろう・・・と思いつつ。

 

文殊堂の丘に久々に上って町内景色を確認して、相良小学校と相良高校の間の道を突っ切って帰宅しました。

野球部の照明施設にネットの姿を感じつつ相良小学校のグラウンドへ。

 

誰も子供たちは遊んでいません。寂しいものです。

一昔前の日曜の小学校のグラウンドといえば賑やかな歓声が響いていたものです。

「コロナで親がコントロールしているのでは・・・」と奥方が。

しかしそれでいて大人たちは夜になると出歩いて酒盛りをしているとも聞きますのでね。

昨日の静岡の感染者は日曜日では最高の1146人で牧之原市も14人でした。

 

相良でも特に大沢地区の人たちに愛されている文殊さんですがキレイに管理されている様子がわかりました。

下の道路は頻繁に通過するもののこの丘に上がるのは中学校以来くらいと遠い昔のこと。

普賢菩薩がいらっしゃるとは初めて知りました。

となると三尊形式(釈迦・・・)の中心はどちらに・・・

 

 

 

 

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2022年

1月

23日

吊は弔の俗字 唯念寺への顕如の吊状 

東京が1万人超え(11227)そして全国でも5万人超え。

大層な数字ですが、もうさほど驚きません。

予想では東京で2万近く行くよ・・・などと言っていた人もいましたし。

そもそもその状況は去年から散々に言われてきたことですからね。

高をくくって何事も対応を先延ばしにしていた楽観論蔓延の雰囲気でいた咎でしょうかね。

感染しても発症しない人もいるということでみなさん最近は平チャラの躰。

しかしそれはあくまでも「そんな人もいる」といことで酷い苦しみに陥っている人もいるワケで。

 

ウィルスの方からすれば「まだまだイキまっせぇ~」といった感じなのかも知れません。

昨晩あたりだと東京だけで「10万人」の声も出ていました。

まぁそうなることによって日本もニューヨークの如くの感染者数頭打ち、減少を待っているのでしょう。

みんなで感染すれば社会に免疫ができるという算段ですが、私自身はその喉の死ぬほどの痛みと、もしかしての後遺症等々まったく許容できませんね。

苦しい思いをするのは真っ平御免。

まぁその時は「おまかせ」ということではありますが。

 

昨日は波津区のイベントの中止の報について記しましたが拙寺も1月末に予定されていた2件の法事が中止になっています。

ウィルス蔓延の方はまだまだでしょうが寒さはそろそろピークアウトしてくれると見込んでどこかの近場の山の中でもほっつき歩きたいと考えています。

まごまごしていると乾季が終わってしまいますので。

境内もやりたいこと山積ですべて気分次第かつ「あなたまかせ」(一茶)の日々ですが。

 

さて、四十九院唯念寺。

武佐に居た拙寺初代権七(釋浄了)が江州を捨てて遠州へ辿った時期は永禄元年(1558)と推測していますが、その頃と言えば信長はま

まだ清州に居て、桶狭間の件もその二年後の永禄三年の話ですからその頃の近江はまだそこそこ平和。

よって住処を変えたその理由を信長のせいというのは言い過ぎですね。

果たして権七は本格的移住ではなく、実はまだ家族を近江に残しての旅路程度の遠州への行程だったのかも知れません。

それはそれでその理由などを知りたいとは思いますが。

 

時間軸として信長の上洛、箕作城を攻略して六角承禎を観音寺城から追い払ったのが永禄十一年(1568)と信長が近江に覇を唱えつつあったのがその(権七が遠州に来た)10年後のことですからね。

そして石山の合戦となるのは元亀元年(1570)から天正八年(1580)。顕如の檄によって摂津に赴くわけですが権七がその間ずっと本願寺に籠りっきりのはずもなく摂津-近江-遠州の往来があったことでしょう。

 

顕如の檄は対信長徹底抗戦のための至急の報。できれば人数を集めて石山本願寺への集合と、各地でも信長に対して蜂起せよの真宗門徒たちへの触れですね。

各寺院に発せられた顕如の檄は門徒衆に行き渡り寺院レベルで本願寺へ入る人集めと兵糧の手配で大わらわになったことが想像できます。

 

唯念寺にもその顕如の檄(「信長近年爰許へたいし 度々難題、いまに其煩やまず。此砌、門下之輩、寸志を励まさば、仏法興隆たるべし」「以密使令進達候、近日仏敵信長大群もて石山の御営へ押し寄候趣、注進これあり、雖有防戦用意、為徴力敵対がたし、御宗旨の退転此時と、実に歎わ敷存候云々」)への反応の件、その歴史が伝わっています。

 

私は以前から戦闘状態にある主戦場になっていない敵方が掌握している領内を通過する場合、常識的にそうやすやすと通過できるはずがないと考えます。

そのような場合、できるだけ見え見えの戦闘を意識させない、集団での移動を避ける、目立たず単独の行動を心がけ、集合場所を本願寺にするなどの取り決めが必要だったかと思います。

当時の近江といえば夥しいほどの関が設けられていたといいますし、信長の勢力もそういった関に常駐していたはずです。

 

元亀元年(1470)こちらの唯念寺にも本願寺の下間家(頼廉・頼竜・仲之等)より急使があって、ここぞとばかりに寺に300余名が集まって本願寺に向かいました。

その行程、その寺の目と鼻の先、観音寺城下を通過中に城内からの急襲を受けてその半数以上が討ち取られています。

寺では護法のための殉教と伝わっていますが、信長方の城となった観音寺下を六字の名号の旗印などを掲げたとして大挙行進していればそうなることもあり得る・・・などと思うところです。

摂津へ向かうに一番の近道であることは間違いありませんが、もう少し違うコースの選択ができなかったものかと。甘く見ていたのかも知れません。

 

顕如の出した討死した巧空と門徒への弔いの書が遺ります。

 

殉教吊状(「吊」は「弔」の俗字)

 

「去頃 功空御坊并門徒

数多途中不慮之

討死之義 為法義忠節

不浅 右神妙之働令

感候 貴坊義 追而格別之

可及沙汰候也

あなかしこ ~~  十二月五日 顕如 花押                  

                    照光坊 殿」

 

そして教如の寺院免許状も。その件の十七回忌にも教如は書面を発しています。

 

「寺号免許状

其方儀従

実門主已来有大功故更

唯念寺と

申送候仍坊号と可相兼候

尤耆老と免許揮筆候也

 天正八庚辰十二月五日裁四月十九日釈教如 花押

                江州犬上郡甲良庄

                四十九院顕佐院主」

 

観音寺城はあの安土城と同じ山系にあって観音寺城各櫓からは周辺の平地での目立った行軍は一目で判別できるはず。

容易く大坂石山本願寺への合力を許容してくれるとは思えませんね。

 

 

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2022年

1月

22日

観応二年の「正平一統」のドサクサの中 唯念寺梵鐘

先日は相良は氷点下にはならない・・・ようなことを記しましたがどうやら昨日朝は0℃を割った可能性がありますね。

大口を叩いて失礼しました。

風も強く、近くのコイン洗濯場で洗った幕をテラスの屋上に掛けて乾かそうとしましたが、強風に煽られて生地の耐力が持たないことがわかり取りやめたくらいです。

コロナ感染者といえば東京は9699で静岡も1156人。いよいよ社会機能の停滞が現実になりつつあります。

「自分はコロナなんかにかからない」と調子づくようななった昨今で無茶なことになっているとは思うものの、ともかくも寒さの方、「あと少しの辛抱」と言い聞かせて朝をすごしています。

 

各地、イベント等の開催は次々に中止は順延になっているようですね。

地元相良でも私の住まう波津周辺の企画として「絆づくりウォーク」なる歩け歩けの会が企画されていて、昨年から区長さんからその行程のポイントとして「寺に寄るのでタノム」との打診を受けていました。

その確認やら何やらで3度ほどお寺に来られていましたが、一昨日の晩になって恐縮そうに「今年は中止になりました」との連絡がありました。

残念ですが致し方ありませんね。タイミングが悪すぎました。

これを企画して実現寸前に諦めるという苦渋の選択を思い計ります。

それにしても来月の静岡市内での小和田先生ほかのシンポジウムの満員御礼、どうなるのでしょうね。

 

以前NHKの「人体」という番組で自転車競技のアスリートで骨が形成できない病気になった人の件を紹介していました。

いかにもサイクリングというものがカラダによさげで筋力も肺活量も活性化するなど健康そのものを思いますが、「骨」というものからその優位性を見て行けば、その運動は無意味だといいます。

 

骨の形成と成長維持をするためには「骨への衝撃」が無くてはならないといいますね。

要は歩くことが骨にとっての最高の刺激であるということです。

ちなみにその「歩け」ができない人は「その場でジャンプ」だけでも効果があるようです。自分のカラダにも脳にも刺激を与え続けることを意識します。

 

おカネが無いというのは辛いことですが(昨日)自分の足で自由に歩けなくなるのもまた辛いこと。

ぴょんぴょんと跳ねているところを人に見られるのは恥ずかしいので玄関の土間でその秘事をこなすのも悪くないでしょう。

 

さて、普通の大谷派のお寺とは異種の歴史を持ち巨大な堂を誇る唯念寺ですがあちらの梵鐘と鐘楼は足利義詮関りのものですね。

あとになってから、あの悪名高き「金属回収令」から免除されたという事実を知って調べてみました。

義詮は観応二年(1351 ・・・ 南朝の「正平六年」に統一されるー正平一統-しょうへいいっとうー )の京都争乱の際に近江に逃れてから兵を立て直しつつ画策していたのがこちら唯念寺。

目途がたって翌年に京都へ向けて出陣する際に天下静謐の大法要を行ったといいます。

 

 

於近州四十九院給之

天下静謐祈祷事

殊可致精誠之状 如件

      観応三年閏二月廿五日  義詮 御判

 

義詮は「観応」にこだわっていますね。

その時、義詮は梵鐘を鋳造させて鐘楼とセットでこちらの寺に寄進しています。

根幹6mの大木となった後光厳天皇が植えたという松(「行在松」)は明治二十九年に風災によって倒れますがその時鐘楼も倒壊し、その松材を桁上部に使用して鐘楼を再建、梵鐘を掛け直したとのこと。

 

昭和17年にその金属回収令によって徴収命令が一旦は出たそうですが、「いくら何でも・・・」と当局に掛け合った結果、保存が許されたと。

私が思うに・・・観応の1300年代の梵鐘ならば、遺留は当然と思うところですが一旦は供出命が出たということは「足利義詮の寄進」というところ(明治維新後に生じた皇国史観に反する・・・足利尊氏国賊)が気に入らなかったのか・・・などと思いましたが。

 

画像は梵鐘の外観。親鸞さんの後ろの建物の中を覗いた図。

そして顕彰碑。

最後が中止になった1月30日の歩け歩けのパンフ。

多くの人たちの苦労が水の泡になってしまいました。

 

 

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2022年

1月

21日

特別な法縁 蓮如さんのお立ち寄り 四十九院唯念寺

暗いご時世となりました。

毎日更新されるオミクロンの新規感染者の数もそうですが、やはり先般大阪で起こったクリニックの放火道連れ自殺の件が不安な世の中にいて一層の気味の悪さを感じさせます。

報道によればその犯行に至った人は2度役所に訪れて生活保護申請について問い合わせたそうですが最後に「もう、いいよ」という捨て台詞を吐いて去ったとのこと。

 

ということは他にも色々な(家族?)問題もあったようですがあの自暴自棄に至った直接の原因を考えると「生活困窮」が大いにその心情を探るに一番近いところかと。

その人の通帳も貯蓄は底をついていたといいますからね。

よく「お役所仕事」とは言いますが、紋切り型の対応で「難しい、できない」の門前払い風を想像してしまいます。

恣意的道徳観念まで振りかざして「まだ若いのだから仕事を探して・・・」「まず働け」の親身ではない対応だったことがその「もう、いいよ」の弁から窺えます。

 

住民税の支払い猶予などもそうですが、不動産を所有していたとしても生活保護申請の方法はあるようです。

多少の遠回りと手続きの煩雑もあるとは思いますが、「まず拒絶」ではなくその人の窮状を聞いていかなくてはね

 

その報道では彼の話をよく聞いて対応ができていたら・・・あの事件は起きなかったかも・・・と。

 

お役所仕事というものがあるのなら、まず直接窓口に申請するのではなく相談すべきは「生活困窮者自立支援制度」というものがあるようです。そちらでの対応について私は知りませんが。とにかく一人で悶々と悩んで沈み込むのではなく相談していただきたいものです。

 

おカネの悩みは何よりも辛いことですからね。

 

さて、四十九院唯念寺の続き。

このお寺が長く続いた天台宗(その前は法相宗)から真宗に改宗したのが實如さんのとき(本願寺9代)となりますが、實如さんも父の蓮如さんにならって諸国行脚し門信徒育成教化に励みますが、湖東のこのお寺には東海方向への往復に逗留しています。

真宗改宗の際(永正三年)にはお寺に宗祖の木造を下附しています。

 

そのような別格的流れなのでしょう、当流には「蓮如上人御影道中」(真宗大谷派吉崎別院にて毎年4月23日から5月2日まで勤められる蓮如上人御忌法要に際して本山東本願寺にある上人御影を御櫃に収め、さらに御輿に載せて、吉崎別院までの間を往復徒歩でお運びする仏事)があります。その行程にこちらの四十九院にも立ち寄っているようです。

そもそもその永正三年といえば当流は越前朝倉と泥沼の戦闘状態にあって吉崎御坊は破壊されていますので江戸期に入ってから再興後の仏事ではありますが。

江戸時代になってから東西二つの御坊が設立されてからのことでその行列の開始については諸説あるようです。

 

ちなみに4月17日に本山出立、往路は湖西経路で23日に吉崎到着5月2日までの十昼夜にわたって法要。そして復路は湖東の通過、9日に本願寺に帰着するというもの。

途中、ゆかりの寺院や民家に立ち寄っての法縁が催されるのですが唯念寺には5月7日の夕刻に「お立ち寄り」があるそうです。

 

画像は唯念寺門前の恵林寺(やはり真宗大谷派)の掲示板。

そして先日記した聖武天皇と後光厳天皇の寿牌。

 

 

 

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2022年

1月

20日

手出し無用の場所に突っ込んである2台の乗物

文句なしの遠州の青空。

風がなく、境内で一仕事すればジャンバー要らず。

こんな日が続いてくれれば有難いのですが・・・。

そうなると雨続きに悩まされますから・・・うまいこといきませんね。

 

私は昔から雨といえば嫌悪すべきものと思っていましたが、こちらで農業を営む皆さんといえば雨は期待するものという声をよく聞きます。

広い農地に水を撒くというのは大仕事となりますが、うまいこと雨が降ってくれればその大層な手間が省かれるということです。

 

その農家の皆さん「これで野良仕事はおしまい、子供たちに引き継がない」という声があっちこっちで上がっていますが、農家の仕事はきつくて収入は不安定、下手すればすべてが水の泡になる・・・と。そんな苦労をさせるより会社勤めの方が余程イイとのこと。

今年も大根が豊作で値が下がっているようですし、お茶の需要も下降に歯止めがかかりません。

日本はクルマをバンバン作って輸出しまくり、食料は輸入すればヨシ・・・などの「スバらしい我が国経済の在り方」を吹聴するエライ人の姿を見てきましたが、海外から食糧輸入が滞ったら・・・など考えると「農業やめる」の方向を許容していたら将来ヤバそうな感じ。

 

まぁコメに関してはおいしい国内産についてまだまだ心配はなさそうで、飽食指向になければ私の生きる時代くらいは食べ物がなくて困るといったことは無いような気がしますが、トンガの火山がありましたが気候の変動があったりすれば農作物の供給は一気に減りますからね。

前述した農業に不可欠な全世界的水不足もかなりシビアだと聞きます。アメリカのトウモロコシ農園が水不足につきその栽培をヤメて太陽光パネルを設置しまくっているという件、報道で知りました。

要は当たり前の事ですが「クルマは喰えない」ということ。

食の安定があってこそ・・・の便利品です。

 

さて、当家の「乗物 のりもの」、かなり古いものですが紹介いたします。

と言ってもこちらは車庫の中ではありません。

本堂後堂の高棚の上の2台です。

200年オチとでも言いましょうかその間、誰も触れない、いや触れられない場所に放置されています。

 

使わないから取りあえず「上にあげちゃえ」とでも思ったのでしょうが一体誰が、何人がかりでどうやって・・・と思うところです。

 

時代劇で駕籠を用意する場面がありますが、要はお寺の「My 駕籠」。「寺男」の存在があったことは聞いていますが駕籠を担いでもらうに最低2人は必要ですからね。それも屈強そうな男が。

歴代の住職がお城との往来等の移動手段に使ったものが手前の物で、最後にそれの乗ったのが当家12代目の曽祖父あたりかと。

祖父は自転車にも乗れないくらいの徒歩、下駄履きオンリーの人でしたが父以下、私、息子は4つの輪っかの機械式のものに変遷。

 

奥に押し込んである小さめの女性用、それも漆らしきフレームの残骸が見られるものは波さんが江戸から下ってきた時のものと考えています。彼女が振り回したであろう女性用の薙刀も伝わっていますので江戸からの下りに荷物持ちが付随したはず。

駕籠かきは徒歩で帰ったということでしょうが、その運賃は何処から出ていたのか・・・そしてその江戸-相良の相場は・・・1泊は確実でしょうし。

まずあの箱根を駕籠を担いで超えていくなど信じがたいことです。

その手の詳細史料が出てくれば面白いところなのでしょうが。

 

博物館、資料館にでもあるような代物ですが、何せ経年劣化、虫食い等酷い有様で見栄えをよくするには修復は不可欠。

人に見せたとしても「ふ~ん」で終わってしまうようなモノですし、とにかくあの堆積した埃を見ただけで尻ごみします。

以前土蔵の片づけで肺炎に罹ったことを思い出しますね。

そもそもこれらをどうやって引っ張り出すか、出したあとどちらに置くか・・・それを考えれば「このまま放置」が正しい選択でしょう。

梯子でここまで上がりますが、その時も梯子がズレ落ちそうになってかなりヤバい思いをしました。

 

 

 

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2022年

1月

19日

四十九院唯念寺 庫裏も貴重な建造物

 

寒さのうえ強風。

本堂後堂に突っ込んでいた古い打敷を引っ張り出してテラスの2階にざっと広げるなどしてみました。

本当は外気に思いっきり触れさせたかったのですが・・・

但し古いといっても江戸中期の物は少なく、後期の物ばかり。

繊維質は虫とカビと退色という劣化要因に容易く降参してしまいますから。

余程真面目に「管理して遺したい」という気概がなくては無理な話です。

 

拙寺は近江を出自とする真宗寺院ですが、初代の権七(郎)は石山本願寺から、紀伊鷺森に顕如さんが向かうに従って籠城地に同行しました。

信長と長期にわたって交戦し続け、絶体絶命の状況に陥ったそのとき、あの天正十年六月の奇跡的朗報を迎えての歓喜踊躍、晴れて遠州に戻ることができたということからが始まりですが、そもそもそれ以前に故郷の近江は捨てていました。

 

理由は故郷安土(武佐)に於いての住みにくさ、生きづらさ感じたのは真宗門徒が各地で信長と戦っていたことは言うまでもないこと、その信長の居城が眼前にそびえ立ったのですから当然といえば当然です。

やはり当時の情報として遠州の気候が温暖で暮らしやすいということも十分加味されたことでしょう。

 

そしてまた真宗教団の危機的状況の中、顕如、教如と直接その元に長期間過ごして、平穏無事に家族の待つ遠江(当時は菊川段平尾)に帰還するとなって、その中で培った親鸞の教えを是非に広げたいという希望が芽生えたことでしょう。

また近江の真宗の教えは既に飽和状態と感じたかも知れません。

それに対して西三河以東、遠江などは新しくその教えを受け入れる余地がありました。

 

近江と遠江・・・「うみの国」という同じようなお国柄をイメージしたのでしょうが、そこにもその夢を実現するために、ある意味いい機会であると判断に至った理由があったかと考えます。

叔父のいた三河の天台宗本楽寺の改宗をすすめ叔父と一緒に段平尾にその名と同じ本楽寺という道場を開設したのが拙寺のはじまりです。

 

人それぞれ「生き方」があります。

故郷を諦めて(捨てて)新天地にて希望を探すか、先祖伝来の土地を守って(一所懸命)そこで生き抜くか・・・「一所懸命」の語源の通り、それこその優位性が説かれた時代ではありましたが当家の権七さん(釋浄了)はそれを捨て去ったのでした。

数多の戦の中、それを生き残ったこと自体奇特なことでした。

 

昨日記した四十九院唯念寺にも石山本願寺の危機的状況の中、顕如の檄に応じて門徒宗を集めたという歴史が残ります。

 

その前に、昨日は唯念寺の歴史の深さに一向専念にそぐわない各遺物の存在(法然像に弥勒菩薩を表す山号等)を記しましたが、その寺の創立について前四十四世住職の記した書物がありますので冒頭転記します

 

「抑々当院は行基菩薩(668-749)が聖武天皇の命を奉じて七堂伽藍の坊舎を創建した。時まさに天平三年(731)。自作の弥勒菩薩を本尊とした。同天皇は構営が兜率の宝殿に拠っているため、山号を兜率山、寺号を四十九院と名づけしめ、そして勅願所と定められた。

古きより当院に聖武天皇の寿牌を奉安しているのはこの所以である。

行基は更に勅を受けて、弟子の法海とともに荒神山の上に本院の奥之院を建立し、大日如来・文殊菩薩・不動明王の三尊を安置した。称して荒神山奥寺域は単に陪山と云った。行基を始め代々の方丈はこの寺内の萬蔵院にも居住した。よって以来この奥山寺を萬蔵院と呼ぶようになった。今の萬蔵院・勝乗院・念仏堂の建物に往古の面影が偲ばれる。

 

当院の宗旨は法相宗であった。該宗は唯識論を正依とし、六経十一論を所依とし、解深密経の一切法相品によって法相の名をたてた。この宗は白雉四年(653)、道昭が唐より我が国に招来した。

道昭は有名な玄奘の弟子であり行基は彼の門から出たのである。

天平八年(736)行基は勅命により更に奥山寺に経堂を造営して大蔵経を奉納した。而して行基は弟子の法海、信勝、良基、慈訓等とともに落慶法要を盛大に執行した。

時に天皇より供養米五石を下賜された。

この経堂及び大蔵経等は承和五年(838)に落雷のため惜しくも焼失した。」

 

寺院の発祥にその行基の名を記す寺は全国に数多ありますが、こちらの寺におけるそれに関して私は納得しています。

 

真宗寺院は「聞法道場」という「講」「寄合」の場を発祥とする場合がありますが、宗旨の違う既存の寺の御堂を借りて構を開き、そのまま道場主(僧侶)もろとも真宗に傾倒、宗旨替えに至る例も多分にあります。

唯念寺もその歴史の中で法相-天台-真宗とその歩んで来られたのですが、それゆえまた真宗寺院とは思えないような遺物が伝わっているのでした。

 

こちらのお寺には書院と呼ばれる建造物がありますが、室町期までは三階建てで「芙蓉閣」と呼ばれていたとのことです。

何らかの損傷があったのでしょう、当時その2~3階部分を撤去して現状残るのは1階部分のみとなります。

その1階部分は「不二之間」と称したそうで(2階は蓮之間、3階は霊山之間)聖武天皇による「芙蓉」の二字が木に刻まれた勅額が掲げられていたことから「芙蓉書院」とも言われています。

その前庭が芙蓉庭園。

後高厳天皇の行在所でもあったため皇苑とも称したとあります。

 

この後光厳天皇は南北朝期の北朝の天皇で南朝方が京都に押し寄せて来た際、近江に退避するわけですが、その「行在所」であったということです。そのために別に清和殿なるものを造営しています。

足利尊氏そして義詮も京都から出て近江方面に駐留する際のベースとしていたこと、法堂の改修に尽力したという経緯から天皇の在所となったようです。

尊氏らも当初の不安定な状況に陥った際は京都を離れてこの寺に逃げ込んだといいます。

昨日記した通り、城塞の如くあったというのはそういった理由ですね。

 

画像は書院の外観と庫裏の土間より。

梅は寒く陽の当たらない場所のものが咲き、陽当りの良い方はまだ蕾だけ。不思議なものです。 

 

 

 

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2022年

1月

18日

城塞の如く 四十九院兜率山唯念寺築地塀の見事 

昨日午後は岡崎教区内、中遠のお寺があつまる「組会(そかい)」に出向く予定でした。

内容は私の予想するところ・・・本山からの厳しいお達しがここ数年言われ出して久しいものがありますが、末寺としてもそれを大らかな心で受け入れて愈々本山を盛り上げていきたい・・・というものですね。

 

本山の危惧するところは、親鸞の教えを維持するための運営力の減衰ですが、その辺りは末寺の寺々も同じこと。

しかしながら私ども末寺の僧侶もご開祖の教えあっての存在意義ですから「身を粉にしても報ずべし」(正像末和算)の心得でありたいものです。

 

予定・・・と記したのは私は会の出席を見送った故のこと。

先週は葬儀ほか法事、読経の時間が続き、喉のかすれと鼻水といわゆる風邪の症状が出ていたからです。

熱などはありませんので平チャラの躰ですが、他者への迷惑がありうることと、田舎の地に住まう抵抗力のない私が東海道沿線のお寺に行って、「何か」を頂いてくるというのも少しばかり恐ろしいものと思いました。

地元の仏教会の寄合は早々に中止になっていますので。

 

さて、先日は近江、豊郷町四十九院兜率山唯念寺の真宗寺院にもかかわらず法然さんの像の存在について記しましたが、その理由はお寺の辿った歴史の古さゆえのこと。

ただし再三記しますが当流で御開祖回忌のその「開祖」といえば親鸞さんのことのみです。

そして以前こちらのお寺について記しましたがその追記です。

 

 

お寺の宗旨の名乗りの変遷が大雑把に法相宗-天台宗-真宗とありますが、天台と真宗の間に浄土宗に傾倒した僧がいたとしても不思議なことではありませんし、一向専念無量寿仏の宗旨以前

にその「兜率」(弥勒)の山号の如く、多くの仏たちとその救済を受け入れてきた歴史の古さというものが私どもの寺の如く450年程度の歴史とはくらべものにならないほど古いのでした。

 

それでいてスケールも巨大で、何から何まで別格と言えるくらいなのです。あのお寺の紹介に「城塞」であるとか中には「四十九院城」などというものもあるくらいで訪れた際はその見事な本堂に圧倒されたものです。

何よりまたその築地塀は見事です。

 

 

いったいこの巨大な寺をどう維持していけるものか、大変なことであると思った次第。近江のご門徒は各寺院に分散し、また人口の減少も著しいでしょうから。

 

最後の画像はお寺の物置の1ショット。

雪かき機ですが、これをスタンバイしておかないと「その時どうにもならなくなる」ようです。

きっと今年もフル活動でしょうね。

 

ここでも雪かき、雪下ろし皆無の当地の地理的有利を思いました。そうそう氷点下にならない・・・それも自慢。

 

 

 

 

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2022年

1月

17日

御文「睡眠」 お参りが増えそう 眞珠院 伊豆の国市

布団の中でのあのサイレンは完全無視。

と言っても「テレビで確認する」と起き上がった奥方のしばらくしてからの「大したことないな」の言を聞いてから本格的熟睡となりましたが・・・。

私も腹の中では「遠い遠いトンガの海の火山が噴火して・・・」の思いと、①眠たい②寒さの中暖かい布団から出る気がしない

③明日は法事・・・の思いがありました。 

とはいえ、「オオカミ少年」のようにいつかは酷い目に合うというオチと蓮如さんのお文「睡眠」(一帖-六)。その中の「油断」「後悔」の語を思い浮かびつつ朝まで熟睡させていただきました。

 

御文の「睡眠」の季節は初夏ということになりますが引っ張り出したからにはそちらを。

 

「 睡眠

そもそも、当年の夏このごろは、なにとやらんことのほか睡眠にをかされて、ねむたく候ふはいかんと案じ候へば、不審もなく往生の死期もちかづくかとおぼえ候ふ。

まことにもつてあぢきなく名残をしくこそ候へ。

さりながら、今日までも、往生の期もいまや来らんと油断なくそのかまへは候ふ。 それにつけても、この在所において以後までも信心決定するひとの退転なきやうにも候へかしと、念願のみ昼夜不断におもふばかりなり。

この分にては往生つかまつり候ふとも、いまは子細なく候ふべきに、それにつけても、面々の心中もことのほか油断どもにてこそは候へ。

いのちのあらんかぎりは、われらはいまのごとくにてあるべく候ふ。よろづにつけて、みなみなの心中こそ不足に存じ候へ。

 

明日もしらぬいのちにてこそ候ふに、なにごとを申すもいのちをはり候はば、いたづらごとにてあるべく候ふ。命のうちに不審も疾く疾くはれられ候はでは、さだめて後悔のみにて候はんずるぞ、御こころえあるべく候ふ。

あなかしこ、あなかしこ。

この障子のそなたの人々のかたへまゐらせ候ふ。のちの年にとり出して御覧候へ。」

[文明五年卯月二十五日これを書く]

 

蓮如さんは自身の死という無常の近しいことがその眠たさに繋がっていると感じているようですが、私なんぞ年がら年中「眠たい」を覚える身。「情けないねぇ・・・」(奥方)。

 

さて、最近の当方奥方様は大河ドラマというものから離れていて一切その件、家庭内で話題に上がることはありませんでしたが、今回の「鎌倉殿」初回はその再放送をたまたま私と視聴したのでした。

適宜、「セリフ回しがふざけている」と指摘しつつ、登場人物について「サッパリわからん」とのご指摘。

というわけで「貴方は幸運ですよ、私が解説しましょう」とばかりにペラペラ。

「それが嫌だから大河は視ないのだ」とうざったい風でした。

 

すると昨晩のドラマで「〇〇はどうなった?」と。

役者の名を言われる方がチンプンカンプンの私はおそらくそれだろと思い「八重さんか?」と聞き返せば「そう、そう・・・」。

「そんならかなり前にブログで書いたよ・・・」と言えば「そんなの知るか・・・」と吐き捨てられてしまいました。

まぁ何を書いているか、私でさえもまったく失念していますので奥方が「知らない」というのも無理はなし。

 

結末を話すと「そうか・・・」と納得していました。

画像は伊豆の国市の眞珠院の画像。あの時は奥方と訪問していましたが忘れていたようです。

あの不思議な五輪塔、まぁ宝篋印塔の笠の部分を据えただけのものですがそのスグ奥の解説版。

大河の放映で八重姫のファンが増えそうですね。

 

ナギの木の奥の堂の脇に小さな梯子のミニチュアが見えます。

そろそろ再た行きたくなりました。

 

 

 

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2022年

1月

16日

小袖 総、腰模様 縮緬 絽 裂 墨書 そして打敷

世の中の疫癘蔓延のところは承知していますが、人の心もまた病んでいるところは今、巷で繰り返されるようになったと感じる「病」からもわかります。

「他者を道連れにして己も死ぬ」の短絡思考、とはいえ当の本人は余程追い詰められた故のことなのでしょうが、昨日起きた若者の試験会場での凶行には唖然とさせられました。

どうやらその手の自暴自棄をメディアでは「拡大自殺」と呼ぶようです。

自爆テロと同様ですね。

しかしまぁ、その自己主張の無理やりに一緒にお付き合いする方はたまったものではありません。

 

問題はその「拡大」する風潮がかなり蔓延してきたような気がして。

それを「世の中が病んでいる」と一言で仕舞うのはカンタンですが、この因は孤独と疎外感。それが各執着心から醸成していけば絶望感に繋がるというわけで。

ただでさえ世の中の事、大抵の事は自己の希望に叶わないことばかりですから。

社会には「思いやり」も「やさしさ」も消え失せているような個人主義の蔓延。

 

そこへきて人の価値観、幸福感の物差しが増幅し、人々が自己を主体にした生活感と欲望を実現すべく行動し、その実現のための生活感こそをヨシとした風潮がその病の大元でしょうか。

絶望してリセット、しかも他人に八つ当たりという結末。

やはり世の中、病んでいる。

何を隠そう、そういう社会を容認してきたのは私たちですからね。

 

何度も記していますが、今子供たちに教えていくべきは夢や希望もいいのですが、一言で「諦めること」・・・(明らかにすること)

そしてこだわらないこと、出来ないことを認めること。

自分を見つめ直す事。

真宗的には「ちうくらい」「おまかせする」の「諦観」ですね。

色々あっていいのですから本当のところは「ダメ」は無いのですがそれでも「ダメでいいじゃあねぇか!!」の開き直り。

どうか絶望しないで欲しい。

おカネが無かったらとにかく国の制度を利用してください。

聞く耳を持つ地元の方は必ずいます。

 

さて、昨日の続き。

拙寺にお招きした学芸員の先生の「御所解」を考察された論文(東京国立博物館研究誌No.653 画像②)を拝読し、また先生に推奨いただいた図録を国立歴史民俗博物館より取り寄せました③④。

カラー図録には昨日記した顕微鏡の画像が各掲示されていましたがあの道具の使用はその世界では常識だったことがわかります。

 

これまで博物館の類にお邪魔した際に見かけた「きもの」の類でしたが、ざっと見て「ふ~ん」程度で鶏の進むの如くして忘却の途を歩んで来たものですが、それら論文や専門の書籍を取り寄せて触れる新しい語にはたくさんの発見がありました。

その語たちが表記のものですが、拙寺なみさんの「御所解」打敷に関わる言葉たちです。

 

総模様と腰模様は小袖の模様の位置の違い。

模様が全体か腰から下かですね。

縮緬に絽は素材と織り方。

それらはなみさんの打敷に改めた御所解の2種。

「裂」は御所解からの「きもの」からの再生のことを言うようで文字通りきものを裂いて別用途に仕立てるということでしょうか。

 

また私は「裏書うらがき」と言っていましたが、その手の添え書き(銘文)について裂には多種、例があるようでした。

またそれは「墨書 ぼくしょ」とのことです。

 

驚いたのはこの裂の例ですが、案外と打敷に改めて(仕立て替え)寺院に寄進するということが多いこと。

もっと驚いたのはその手のものたちが存在する場所は国内有数の博物館たちですが、どこのどなたが着用していたかについて判明しているものは僅か、そして広大院の例などはありませんでした。

 

画像①は息子のお世話になっているカレンダーから。

息子らしい語彙、彼が先生方に言われ続けた語でしょうね。

 

④は③の中からの一つですが、やはりお寺に寄進された打敷。

私はその解説文の「法然上人の回忌」というのには疑問に思いますが。

なぜならば真宗大谷派の寺院で「祖師」といえば親鸞聖人以外考えられないからです。祖師=親鸞・・・絶対的敬意なのですね。

私の知っている真宗寺院で法然さんの何がしかのご縁のものが伝わっているお寺は確か同じ近江でも豊郷町四十九院の唯念寺くらいのものだったような。

博物館図録の文言にケチをつけるなんて・・・とんでもないことですが。

 

とにもかくにもこの図録掲載の品々を拝見して、当家なみさんの打敷もこれらと同じ土俵に十分立てるのでは・・・と控えめながら確信した次第です。

 

 

 

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2022年

1月

15日

高価だけれど・・・早速購入 文化財虫菌害防除薬

OECD(経済協力開発機構)加盟国中ダントツのビリっけつというのがワクチン三回目の接種率。

あれだけそのブースター接種の効果について言われ続け、時間もタップリあったのに・・・といつものモタ愚図の様。

やはり厚労省の間抜けっぷり、恐れ入ります。

在庫を眠らせての出し渋り。

どこかの時点で「高をくくった」のでしょうが世界に対して甚だしくみっともない話ですし、国民に対してもどう弁解するつもりなのでしょうかね。

 

しきりに「経済をとめられない」という語を常套句にして「感染拡大はしょうがない」の開き直りの感がまずありますが私は昨日「止めた」ものがあります。

 

叔母の榛原病院での定期健診の立ち合いの日でしたが、朝になってドタキャンの電話をしました。

外仕事をしていれば鼻水の一つも出てくるくらいの強風ですが、その症状がありました。

それ以外はいたって健常でしたが。

それは「オミクロンの症状は鼻水から」と聞きかじったこともあって、私の気持ち的には「99%OK」とは思いましたが当方としても夫婦であちらに半日以上滞留し、マスクを外した叔母と待合室でバカっ話をするというのも「今節ムリがある」と判断したのでした。

 

まぁ私の思うその「まわす経済」とやらは①飲みに出歩く②友達とバカ騒ぎする③夜遊びする・・・のことのように感じますがね。画面から抱くトーキョーのイメージですが。

再感染爆発もやむを得ないし無理もない。

 

さて、先般拙寺にお招きした学芸員の目的は波さんの「御所解」の検証。

まだまだ検証がはじまったばかりで迂闊な事を記せませんが少しずつ先に進んでいるようです。まぁコロナがなければ色々と早く事が前に行ったのでしょうが。

 

そこでやはりご指摘があったのは保管の方法。

着物の遺物の管理はまず①に各虫たちによる食害で②カビ③紫外線(蛍光灯含む)に注意しなくてはならないということ。

あと④として「あまり出し入れしない」⑤「吊るす」(人に見せるために)などはもってのほか・・・でしょうかね。

 

②は湿度の上昇、60%を超えると一気にカビが生えやすくなるとのことですが、湿度の急激な変化も生地と刺繍を傷めるので40~60%を維持するがベストとのこと。

 

今回その存在をお知らせいただいたのが表記の「文化財虫菌害防除薬」です。

前回お越しいただいた先生の「市販の防虫剤はダメ」を聞いて、そのまま桐箪笥に入れておきましたが「コレならOK」と良き防虫剤を紹介いただきました。

 

後堂に仕舞っている打敷や幕の類の防虫剤はその辺でお気軽に手に入る防虫剤を放り込んでいましたが、それは却って禁忌と、よってなみさんの御所解には、桐箪笥の効果を信じて完全ノーガード状態でしたので。

 

早速ネットで購入しましたが、何せ驚くほど高価なものでした。

たまげました。やはりプロの使うものは違いますね。

果たして私がその道のプロかどうかは別の話ですが。

届いたら1か月ほど密閉容器にその薬剤とともに入れて目に見えないそれらを完全に駆逐してから保管するのがベストと。

大きくて平たくそして密閉の効く容器を探します。

そして「枕」。折り目部分にそれを挟んで布地のストレスを分散させようというものです。

基本的にこの家に置いておくものではないということを再認識。

 

最後の画像は学芸員さんが持参した×50の顕微鏡。

当然に覗かしていただいて感服。

緻密な糸の撚りと繊細さがわかりました。

やはりスマホ撮影を試みましたが焦点が合わずに諦めました。特別なアダプターがあるわけで。

 

 

 

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2022年

1月

14日

静岡市でも・・・小和田先生のシンポジウムは満員御礼

 

大河ドラマ「鎌倉~」の第一回目を視聴しましたが登場人物の多さはこれからお話が進んでいくにしたがってさらに増えていくうえに史的呼称もあいまって複雑感が増幅して「脱落」していく方もきっと多いのでは・・・。

一昔前のオチャラケナシの大河「花の乱」が低調だったことを思い出します。

そもそも大河ドラマに笑いの演出を無理やり入れる必要もなかろう・・・という人もいるワケで・・・

 

第一回目でざっと木曽殿と(おそらく)巴のシーンが流れましたのでまず義経に滅ぼされる戦闘シーンは扱われるのかとは思いますがその二人が出るとなれば「兼平も・・・」と「奥の墓道」氏に問えば「知らないのか、配役はきまっている」とのことでした。

巴の格好良い女武者ぶり(→義仲寺)と義仲と兼平の壮絶死は映像でどう描くのか見ものです。

まさか最近の低予算ぶりからの、ナレーションでおしまい・・・になるのかは見てのお楽しみ。

尚、先日記した保田與重郎も義仲好きだったようで、その寺に分

骨までされているとのこと。

 

先般は木曽殿大河採用希望などと殆ど「あり得そうもない」(「奥の墓道」氏)ようなことを記しましたがその点からいうとやはり家康はスゴイ。

何度も何度も「これでもか」という具合に登場してきますからね。

地方に分散させて町おこしの手段に一役買うという方向もあるなか「なんか駿遠ばっかしで申しわけないね」などというと、「ここから京都あたりまでが日本の歴史の中心地だから仕方なし」と奥方が。まぁそういうことで。

 

ということで来春の大河「どうする家康」は県内各盛り上がりを見せていますが、特に浜松市は大河館の設営と徳川家広氏をその名誉館長として招くなど準備万端。

そこに来て今年は静岡市歴史博物館がオープン。

そちらにも大河館が設けられるとのこと。

その博物館についての評価ときたら大抵は「ちうくらい」というところ。

 

「何が?」と問えば「展示するものがナイ」というもの。

「そんならそんなもん 作らなけりゃいいじゃねぇか」などと思うところですが静岡市はおカネが有り余っているのでしょうね。ほかにも景気のいい話が飛び交っていますし。

 

「じゃあ そのがらんどうの部屋に何を?」と考えるところですが、お宝史料の類を買い漁っているようで、先日来2点ほど古文書を購入したとのニュースがありました。相当焦っているの感あるのでしょうね。

他には模造品とジオラマ等の工作物の展示だそうですが。

まぁオープン当初は浅間神社やら久能山あたりからお宝を拝借してくれば恰好はつくのでは・・・

 

画像は早々に締め切りとなった静岡市民文化会館で催されるシンポジウム「今川館の姿にせまる」のパンフ。

先着500人が数日で埋まるというのはひとえに小和田先生の名前ですね。

気合が入っていて、2部制になっています。

はたして2/11の世の中がその密集を許容してくれるかですが。

③は昨日の当家テラスの2階。ブーゲン3鉢のうち2つが殆ど満開です。

ハイビスカスは赤系が2つ3つ咲いていました。

さすがに黄色はムリですがね。

昨年は相当数を枯らしてしまいましたので5℃を割らないように心がけています。

今年も寒すぎる。日本海側の降雪も半端なし。

とはいえ当地にはたった1mmの雪も積もりませんからね。

贅沢いっちゃあイケません。

 

 

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2022年

1月

13日

息子と連携 めでたさも ちうくらい也 おらが春

 

私は車からは降りませんでしたが、ご近所のみなさん(当地では「組の人」といいます)が多数集まっていました。

昨日早朝の故人出立(ホール読経)後の自宅廻りの車のあとを追っての風景です。以前は私もバスに乗り込みましたがコロナ対策、私の車で単独追走。

氷結はありませんでしたが風がきつく、その寒中、車を待ち続けた皆さん方の健康の方も気になってしまいました。

凄く寒そうで・・・

 

先日も拙寺の近く、同じ組の方ではありませんが、一昨々年の大晦日に拙寺の鐘を撞きにきていただいたくらいごく「身近な顔」の訃報を聞きました。つい先ごろまで大きめの自家用車を動かしていましたね。

この頃の遠州の寒さによって体調を急変される例が多いようで、昨日の葬儀も火葬場の手当てがつかずに先のべになっていたのでした。 

 

先日は正月の訃報の際のテーマについて息子に深い「自然法爾」の気持ちの発露、小林一茶の句についてその考察を推奨しました。

特に表記の

  「 めでたさも ちうくらい也 おらが春 」

ご存じ彼の代表的句集(といっても一茶死去後に弟子が編纂したもの)「おらが春」のそのタイトルともなったといわれる句ですね。

その春とは正月のことです。

 

要は世間の正月の華やかさと「おめでとう」の言葉の連続に対して「俺はそうでもない・・・」「のだ(也)」という一茶の正直なありのままの心を表したものですね。

 

かなり前にブログにて臨済の一休さんの門松は~」を記しましたがやはり、「めでたいか」といえば「そうでもない・・・」というところ。

一休さんの場合はむしろ正月を迎えるからこそ(齢を一つ重ねて・・・寿命が減る)「ヤバい」のに「何が世の中おめでとうの一辺倒だ」の気持ちが含まれていることは間違いなし。

 

拙寺の易行院法海の掛け軸を紹介したことがありましたが、やはり正月に記した漢詩、「中有終焉未可知」の通りその社会の浮かれ具合とは反対、本当の心のうちを表しているように思いました。

 

そもそも寺に入って私は正月の挨拶でその「おめでとうございます」は口にしたことがありません。新たな年を迎えることの感謝として「今年もよろしくお願いします」がそのご挨拶。

というのはやはり腑に落ちないところは「それほど目出度いか?」というところ。

まぁ世の中の風習としてそれは受け入れるところですが、社会の慣例に順応していく必要もありません。

要は人によっては「めでたくない」という人もいるということで、私の場合は特に(たくさんの故人と家族と接しているため)特にそこを思います。

 

ちなみに当流には喪に服するという概念もありませんので、新年の挨拶を辞退するなどの類の報せは父母の逝去の際、出したことはありません。

まぁその報せは一つの報告でもありますので出す出さないは自由であって他者には他者のやり方はあるでしょう。

 

私は俳句の世界のことはズブの素人ですが息子に論じたのは、この「ちうくらい」・・・「中位」の解釈は「難しいよ」との件。

一茶の句は「浄土真宗の教えが見え隠れするので面白い」ところから彼への紹介となったのですが、このあまりにも有名な一茶の句の解釈についてたくさんの人たちが試みています。

 

解釈として色々あっていいのですが、やはりこの「ちうくらい」のイメージですね。

宗教的な解釈が必要なのだと。

 

たとえば上記、法海の「中有終焉未可知」の「中有」はいわゆる

「中陰」であって死後のこと。そしてまた以前白隠の「中の字」について記しましたが「中」は中庸とか中道の感覚が込められているように感じます。

 

よって句は、こだわりのない、おまかせする(私)、つまるところ「ありのままに与えられた命を全うする」・・・「私の正月」であるということですね。

勿論人の評価もそうですし私の意思があったとしてもどうにもならないことはどうにもならない・・・

「中位」を真中、半々、50-50の如く捉えてはダメだよ・・・との件でした。

 

ちなみに「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」でその句集は締めていますが、この句の解釈の中で、「あなた」=「阿弥陀如来」までの理解は当然ながら、「雪が深くて正月飾りもできなかった」の理由付けを表に出そうとしているところは「?」

それにモノ申すとすればそもそも真宗門徒でその教えにガチに生きる者は上記の理由で正月飾りなどこだわらないものです。

それでいてやりたい人はやればそれでヨシ・・・

 

一茶を詠むには真宗的深い「自然法爾」・・・「阿弥陀におまかせ」の他力の信心と彼の経験した境遇というものを知るべきであると申し伝えました。

 

①は息子が世話になっているお寺の標語から。

②今年の蝋梅は花芽が少ないよう。

③親鸞聖人の足元の舞鶴殿はご門徒さんの絶好のシャッターポイント。

 

  

 

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2022年

1月

12日

庚申塚駅から勝林寺 田沼家菩提寺

 

牧之原市の事業所でオミクロンのクラスターとのニュース。

いよいよ私の近く、包囲網は狭まっています。

もう、「どっちでもいいやぁ」「勝手にしやがれ」ですね。

人と接しないでいるなどできるわけもなく。

 

前日の「3月の陽気」から打って変わって冷たい雨の一日。

ただし午後近くからの雨、降り方はそう酷いものではありませんでしたから少々の移動なら傘ナシでもOKのレベルです。

それでも申し訳ない日になった・・・と思ったのは史料館の長谷川氏が午後からお客様を連れて来られる日だったからです。

東京の博物館の学芸員の方ですが、そのお話は興味深くとても楽しい時間をすごさせていただきました。

 

長谷川氏とは先日の福田半香の山水の軸の件になりましたが、結論として「買わなくて良かった」でした。

そもそもその手の代物を「骨董市で買ってはイケない」ものの一つだそう。衝動的にでも。

その辺り、私も重々承知はしていますが金額が飛びつきやすいもので「もしかして・・・」の色気も出てくるわけで。

要はそれは偽物の可能性が大であって、もし半香の作品を所望欲するならばしっかりしたそのスジの店で30万円を持って行かなくてはならない・・・とのこと。

「15,000円」のワケはないですね。

 

さて、東京の「女墓場放浪記」は彼女の活動エリア、駒込界隈に新年早々出没していました。

「シズラーのモーニングサラダビュッフェ」の画像とともに「隆興院殿耆山良英大居士」(田沼意次)の墓標を送ってきました。

近くに庚申塚なる電車の駅があるのですね。

 

拙寺本堂の建材はブログにて相良城の余剰材だの廃却材だのと記しているわりに田沼菩提寺の勝林寺の画像はこれまでありませんでしたからね。

そして早速の新年の参拝の代行に感謝しました。本当に気が利いています。

まだ先日の雪が残っているようでした。

 

とは言いながら食い意地の張っている我ら夫婦は①そいつはいったいいくらで②フルーツもついているのか③元は取れたのか

(2000円弱)④腹いっぱいになったのか・・・の方が興味の方向。

しかしモーニングのサラダとフルーツをたらふく食べたとして・・・

案の定「ムカムカした」(食べ過ぎて)と言っていました。

まぁそういう場に出向いて、必死こいてガツガツと「元を取るまで」の勢いで食べまくっていれば「お里が知れる」というものです。

 

 

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2022年

1月

11日

子渡井の枡井戸 聖徳太子伝承の古道 宮路 音羽川

 

昨日は「3月の気温」だったといいますが何とも心地よく過ごさせていただきました。

ともかくこちら遠州にとって「無風」ほど素晴らしいことはないのですが一日中温かな空気に覆われていました。

風(隙間風も含む)というものがいかに体感温度を一層に下げるかわかります。

 

風は木々を揺らしてごーごーと不気味な音をたてますから尚更不快なものです。そして乾燥期だけあってその風こそ大火事の要因になるだけに嫌なものです。

 

昨日は旧大東(掛川南部)の住宅地で火事がありましたが、昼時に物置で餅を焼いていたその火が原因だったといいますね。

幸いにも全焼にまで至らず消火中にヤケドを負った方のみ、ケガ人一名で済んだとのことですが、もし当地特有の「遠州の空っ風」が吹いていたとしたらもっと酷いことになっていたことは目に見えています。

 

奥方はそのニュースを見て「気を付けなさい!!」と。

というのは正月の餅の処理係としてここのところ小型の火桶(陶製火鉢)に網を用意して餅を焼いて食していますので。

火の不始末もそうですが、その生活を続けると胃を荒らして、体重増につながってしまいます。

 

さて、その風が木々の間を抜ける「ごーごー」の不気味は今年の第一回目の山歩きで早速体験しました。

知らない山道で独り、道に迷い、自身不明になれば尚更その音に不安を掻き立てられるものですね。

 

毎年、「第一回目」となれば比較的ハードなコースを選択するというのが常ですが今年は三河の山城にしました。奥方は「死ぬなよ」と小遣いとして1000円札を数枚渡して見送ってくれました。

最近はスマホとカードだけで事は足りますので現金を持ち歩く習慣がなくなりましたが、時としていくらかのキャッシュが必要というシチュエーションに遭遇することもあるからということです。

愛知県と言えばオミクロンの感染者が急速に増えている地ですが三河の山の中では人との接触はありませんからまったくノーケア。

 

その城は城郭体系によれば「三河で一番」の山城のスケールと遺構の残存状況について記していますが、ひねくれ者の私は通常推奨されているコースではなくできれば裏から廻りこんでみようと数キロほど離れた山道を当てずっぽうに勘と経験則の自信を元に車を麓の空き地に乗り捨て、獣用のフェンスを開けその世界に入りました。

結論として無謀。

山城の背後というものはそもそも人の侵入を拒むような地形で、自宅に帰ってその書物に目をやれば、谷と尾根の連続が「自然の竪堀」と。なるほどでした。

10時に登攀開始し下山できたのが14時前。

それもその段階では城にはたどり着けず何故か白いものが降り出したため「帰ろうか・・・」とも考えたくらいです。

私のその自身の裏付けは「スマホのナビさえあれば」を根拠としていましたが、その日は大きなミスを2.3やらかしました。

 

スマホには方位を示すソフトがダウンロードしてありましたが、何故かそれが示す方向はまったくの気まぐれというかデタラメ。そしてナビの移動手段の単位を「車」から「歩行」に変更するのを失念していたことも致命的。

正確な方向がわからない、いくら歩いても目標地点に近づかない・・・で張り出した舌状の台地を上がったり下がったり。

ヘロヘロになって何度も落ち葉の上で寝ころんで休んだくらいです。

スマホの電池も消耗しまくって15%を切る始末。朝方奥方にそのバッテリーを「ほい」という具合に渡したことを後悔しても後の祭り。

最悪、日没の不安があって「これはマズイ」ととにかく下山を選択しましたが道のない未知の山を下山するというのはこれまた不安ですね。まぁいずれにせよ「おまかせします」ですが。

そんなときはその台地尾根を下っていくのが一番楽となりますが、そういった尾根はどこかで急坂の谷にぶつかるものです。

画像①。

 

木々が立っている場所を選んで飛びつくようにして足場を確保しながら降り続けると小さな小川が流れていてそれに沿ってさらに下ると林道にあたりました。

こりゃうれしや・・・ととにかく車を置いた場所に向おうと歩き続ける最中に出会ったのが画像の湧き水。

「聖徳太子」の文字を見て、「おまかせして・・・導かれたのだ・・・」と勝手に納得。その小川は音羽川の支流だったようでした(場所はこちら)。

 

しかしこれほど無意味に山歩きをしたとは驚きです。目的地を通りすぎて逆方向に進んでいました。

考えてみれば山城の背後に案内板などあるはずがありませんからね。

山で遭難する人が後を絶ちませんがやはり山の中は人を惑わせる何かがあります。あの木々を揺らす風の音は・・・安吾の「桜の森~」を連想してしまいます。

最新機器があったとしてもそれを過信した私は愚かでした。

 

④⑤画像は一旦車を拾いに戻り、まだ意地を張ってあの辿り着けた林道に舞い戻りその道を上がったところにあった駐車場の「入会地」の石碑。

近くの分岐する林道の入口にバリケードがガッチリ⑥の様。

そちらで初めて「無理だった」を悟って正攻法の登城路に修正したのでした。

⑦~⑩が聖徳太子所縁の井戸。

こちらの名水を汲みに来る人もいるとのことですがこの前を3回通りましたが人っ子一人見かけませんでした。

 

これだけ無理しても楽しかったことは言うまでもないことです。なにより左足の関節から痛みが発生しなかったことはよき兆候でした。

 

 

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2022年

1月

10日

塚本如舟邸跡芭蕉句碑 島田骨董市 福田半香山水

 

本年最初の本堂での法事はこの冬一番の寒中読経。

一昨日、昨日はそれでも無風快晴で穏やかな日々を提供していただいていますが、これほどまでに寒さを感じるとは・・・

特に手の冷たさを強く感じましたが、経本のページをめくる指の感覚がなくなるというのは閉口しました。

これまでの冬でそんなことを感じたことはありませんでしたので、自身の経年劣化を思いました。

 

コロナ仕様の法事とあって参加者は4名でした。

外陣には大型ストーブを一つに火鉢で対応しましたが、きっとまずまずの環境だったのではないでしょうか。

 

午後からはある方から案内をいただいていた骨董市(やはりコロナ自粛で久々の開催とのこと)へと島田に向かいました。

骨董市というものそう出向いたことはありませんし、期待もしていませんでしたが、一つだけ気持ちを動かされたものがありました。

 

それが画像④福田半香の掛け軸。

15,000円の値がついていてびっくり。

落款について詳しくありませんので何とも言えませんが、ぱっと見「あっさりしすぎでインパクトが・・・」の感で自信なし。

ちょっぴり考えましたが手持ち資金は14,000円。値切って購入するという策も思い浮かびましたが、見送りしました。

まぁそれを持ち帰ったとしたら奥方様はカンカンになりましょう。

あと、鉄舟の軸も2つほどかかっていましたがやはり15,000円のプライスでした。

福田の偽物の例について、相良の資料館の長谷川氏に問い合わせようとも思いましたが、休日だけに遠慮しておきました。

 

さて、その島田の骨董市が開催されている島田駅近くの建物の区画には銀行がありその店の前に芭蕉の句碑がありました。

地元のお金持ちで俳人の塚本如舟の邸跡だといいます。

そちらに芭蕉が滞留した際の句ですね。

元禄七年(1694)の5月のこと。時節がら大井川の川止めがあったときのこと。

 

「やはらかにたけよ今年の手作麦」如舟

「田植えと共に旅の朝起」芭蕉

 

島田には全国的著名な連歌師宗長がいますが、駿遠の文化人(福田半香・・・)捨てておけないものがあります。

 

夜はNHK「鎌倉殿」の第一回を視聴しました。

しかし登場人物が多すぎて頭の中が混乱、勉強しなおしですね。

 

 

 

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2022年

1月

09日

神籠石の謎 霊域説と城郭説あり 押坂-忍阪の神籠石 

 

日本とはくらべものにならないほどの半端ないスケールの感染者数をブチあげるアメリカですが、昨日あたりは6日連続の感染者の減少とのこと。

ということで「もしかしてピークアウト」の楽観論が出ているようです。

果たして日本のピークがどのあたりにあるのか知りえませんが、とことん感染者数が増えれば仕舞には消えてなくなる・・・などと思いたくなりますね。

ということはここは我慢のしどころ、そのウィルスに何とか関わらずに過ごしていきたいと願いたいところ。

 

まぁ、蓮如さんの言う通り(疫癘の御文)、罹っちゃったらそれはそれで「おまかせ」ですので仕方なくまた受け入れますがね。

昨日は檀家さんの自宅にてお勤めタイムがありましたが寺を出る間際に奥方から「不織布マスク(違うメーカーの)二枚重ねでGo!!」などと言われてその通りにお内仏前に。

 

久しぶり、気まぐれながら対策らしい対策でした。

これまで不織布マスクと綿マスクとの取り合わせはありましたが、この不織布×2はキツイものがあります。

発声がしにくいことは勿論、吸気の方はかなり苦しいですね。

呼吸困難になるかも・・・

それに発声が共振しておかしなこと甚だし。

「不織布×2」は常時声出しに適しているワケはありませんね。

 

さて、昨日記した「押坂のねこやなぎ」の歌碑。

この「押坂」の件、その地は現在は「忍阪」に変遷していますが、一昔前は「意佐加」「恩坂」「押坂」「忍坂」そして「忍阪」だとのこと。

「忍阪」と「大室-おおむろ」は地名としてありますが、伝承として「神武天皇が南紀熊野を経て大和に進攻のとき、宇陀から峠を越えてこの地にいた土蜘蛛八十建(やそたける)を征伐した『忍坂大室屋』の地」であると。

 

東京国立博物館の人物画像鏡(和歌山県橋本市隅田八幡宮所有)の「意柴沙加宮」(おしさかのみや)との件。

「26代継体天皇が磐余玉穂宮で即位する前に住んでいた」との伝承ですが私にはチンプンカンプン。

 

さの地名は別としてこの歌碑のスグ近くに神籠石なる不思議な石が立っています。

その名の地元での通称は「ちごいし」とのことですが、その神籠

石については西国に散見されていますがその本質についてまだ判明していないというのが現状。

地元の掲示板にもその名称の件記されていますがやはりハッキリしていないことがわかります。

 

要は石垣含む巨石の人為的組み合わせのことでその意味として

霊域説と城郭説と二通りの説があります。

その両方もあるはずで、そもそも「石垣」というものを見ていれば城址か寺か神社ですからね。

その呼び名「神籠」が石を詰め込んだ神の籠盛りの様にも感じますしその名の如く神聖域の結界(障壁)にも受け取ることができましょう。

 

この石の先には舒明天皇はじめ古墳群が存在します(場所はこちら)。

 

 

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2022年

1月

08日

押坂の古川岸のねこやなぎ ぬれてやさしき春の雪かな

 

どこまで増えるか猛烈な感染者増の現実を見せつけられています。沖縄の1414人のブッチギリに続いて東京は922人と四桁大台寸前。沖縄 山口 広島に「まん延防止重点措置」適用との報がありましたが国会で「東京、大阪もヤバイのでは(一緒に適用したら?)」質問がありましたが、「まだ必要ない」などと前回と同じような言葉が聞こえてきました。

 

まぁ、三連休を思いっきり遊んで・・・(様子をみて)き・め・る・・・といった感じ。いつものグズモタの躰でリフレイン。

今度は「軽度だから・・・」という意識がもあって政治の動きは「同じ轍」コースを思います。

相変わらず「経済を守らなくてはならない」と繰り返すところも能がない。

米軍基地からのノーチェックでの日本国内流入についてもそれをストップすることはできないとのことですがその理由として「国を守らなくてはならない」と。

同じ土俵の上にするのもオカしなことですがこの件、経済や国を守る以前に国民の健康と命を守るという発想が無いということでしょうね。

 

今思うところは「こうなることはわかっていた」のに・・・です。

つい最近まで、あの「10万円をどうバラ撒くか」で時間ばかり費やしていたマヌケぶりの姿を思いおこします。

あの時の最大テーマは三回目のワクチン接種をどう手配し早くいかに早く国民に接種するかでした。

いまだ国からのスピード感あるメッセージが聞こえてきません。

これから高齢者施設や、病院の一般病棟のクラスターが頻発すれば体力のない、持病を持つ方の重篤化そして死亡のケースが増えていくのでは・・・

 

ワクチン接種率の低い国々の事、公平性を考えてそちらに配布したいという道義的指向があるのならそれならそれで説明していただければ私は承諾しますよ。ただのグズもたの躰ではね。

 

これは介護者・看護者は家庭・社会との往来をしているからですが未発症のキャリア、施設職員からの感染が心配です。

これらはすべて前例を見て誰もが危惧していたことですからね。

「聞くこと」を主眼にする総理殿。聞いても動かなくては・・・それとも「聞くふり」だったりして・・・河野がやっていたら違った・・・などの意見も耳にします。

そしてオミクロンの次、世代交代せんと名乗りをあげている変異があるとも聞きますよ。

 

保田與重郎の歌碑。

昨日は雪によって散々で厳しい目にあった方もいらしたかとは思いますが「雪」をお題に一つ引っ張りました。

この歌はまさに「春」を喜ぶものですね。

押坂の地名は以前記した忍坂と同じ。

この碑は舒明天皇の段ノ塚古墳へ上がる道の近くにありました。

 

私はネコの画像は数多ありますがね(昨日)・・・ねこやなぎの発見には至りませんでした。

保田は故郷の押坂にて春の景色を詠んだのでしょうが、大和の里山にて先を急ぐでもない旅にその雪景色の情景に遭遇したらやはり私であってもほっこりさせられる歌だと思います。

 

 

 

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2022年

1月

07日

ご興味次第 木組みほぞ穴の現場紹介 床下照明

 

お日さまが顔を出さない寒~い一日でした。

小雨でしたが朝7時過ぎから降りだしてやはり終日ずっと。

関東系の友人やら親戚から降雪の画像が送られてきましたが、当地は雪はなく雨。県内各所でも降雪が見られたそうですが・・・。

他所からすれば最高なのでしょうね。

病院で仕事をしている「女墓場」からはこういう日の翌朝は救急車で搬送される人の数多が予想されるとのこと。

スリップ事故と転倒、どうかお気を付けを。

 

沖縄の感染者数のうなぎ登りは唖然です。

昨日は「数日中に1000・・・」など記しましたがなんと昨日は981人。

さすが米軍基地多数の地だけあります。

何のこっちゃあない、「ザル」と揶揄されていたものの一応は抗原検査を実施していた空港検疫。

 

ところが米軍基地を通じて入国した基地関係者には「ノー検査」でザルではなく大穴が空いていたというところ、唖然呆然といいながら沖縄や基地周辺で感染者が増えている状況は「そりゃ、当然だぁ」です。

やっぱり厚労省はじめ政府のやってることはアホ丸出しの大間抜け。まさかと思う無策でした。

あれだけ騒がれ事前にわかっていたオミクロンの対応、酷いものですよ。

世界的に厳しい水際対策、空港検疫の自負、いったい何だったのでしょうかねぇ。 バカバカしいことです。

お金も人力も多く投入してきたはずでまた入国者に酷なことを強いてきたのですから。これも厚労省の認識不足。

再び日本は特別の「神風が吹く」とでも思っての無作為だったのでしょうかね。

 

出国地域によって待機期間等が異なっているのですが入国者の滞在履歴は飛行機が到着してみなくてはわからないところが問題だったといいます。

出発地が待機ナシ指定でも経由地になっていると搭乗客のほとんどがホテル待機などいう事案が多くあったようですね。

そこで思わぬホテル等の待機施設の数とそちらへの運送手配が追いつかなかったようです。空港検疫のてんてこ舞いについての番組を視聴しました。

 

そういった苦労をかけたたくさんの事を水泡に帰したのが米軍基地のフリーだったのです。

 

私は沖縄はじめ横須賀など米軍基地近くに住んだことがありますが、彼らがコロナノーケア、ノー天気で基地外をブラつくことは「当たり前」の如くというのは推測できます。

基地内には多くの日本人が勤務しています。

沖縄滞在時、友人らの中でベースで仕事にありつければハッピーという言葉が聞こえるほど人気の職場でした(安定と比較的高給であるということ)。

 

米軍基地勤務の日本人が市中、自宅を往来するということは念頭になかったのでしょうかね、おエライお役人さまたち・・・

今後、感染力の強いオミクロンに圧倒されることは目に見えています。

 

この新型がこの世界を制覇したのち前回の如く自壊していったとしてもオミクロンからさらに変異した新型の出現があることはまず当然でしょうから、そちらがまた恐ろしい。

まぁいずれにせよ早いところ収束していってもらうのが一番ですね。

 

テレビで厚労省出の毎度間抜けなことを仰る医師とやらが「ムリにコロナを抑えることはない」等「余裕のよっちゃん」の風を言い放っていましたが、「それはあんたが厚労省で飯を喰っていたからだろ・・・」の「ヨイショ」のサーピスと思うところ。

以前は「マスクも、PCR検査も不要」のようなことを語っていた御仁ですが、ハッキリ言ってそんなヤツをテレビに出すな・・・とも感じます。

チャンネル即廻し。次はその顔が出たらテレビを消します。

 

さて、先日来お報せしている本堂床下木組みと照明具の設置の件その紹介掲示板を現場、一番見やすい場所に設置しました。

照明のスイッチの場所も記していますので「興味のある方は勝手にONにして、帰る時はちゃんとOFFにしてね・・・」のようなことを記してあります。

 

雪の画像は①横浜の「奥の墓道」氏②池袋の「女墓場放浪」

③奥方の親類千葉県内からの図。

 

 

 

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2022年

1月

06日

御開祖も来ていた 河原山勝蓮寺 信康画像の存在

 

ぼけぼけすごしていたらオミクロンの勢いがスゴイ。

一時はゼロ続きで余裕の静岡県内でしたが昨日は27人(牧之原市1名)でした。

東京よりはずっとマシ(2日で4倍近くの390人)ですがね・・・数日中に沖縄も東京も1000の大台に乗るのでしょうね。

その時はこのド田舎であっても安泰ではないかも。

2月には東京3000人/一日などいう数字もあり得るという専門家もいます。

 

昨日境内で会った御門徒さんがそのまま顎にマスクを着け、尚咳こみながら、庫裏の玄関に。ひ孫11人という方でこれまで娘の家で過ごしていたそうで、そちらで風邪をひいたそうですが、やはりこの時節、風邪の症状があることを他者に察知されることは具合がよろしくないでしょうね。

私もノーマスクでいましたが、礼儀としてネッグウォーマーを引き揚げて喉口を覆いましたが、それを見たその方は「ただの風邪だから・・・」と。

しかしながらその件、その病の本質について他者には窺い知ることはできませんからね。

 

牧之原市での1名発現についてまだ知らない時間帯でしたので「まさかね」と自身勝手に心安らかにしていましたが今考えると「油断しすぎた」の後悔の念が。

まったく失礼な話で申し訳ないことですが、人との交流に関して再び初期のコロナ対応の如く、警戒とケアが必要になりました。

 

また総理殿の次のコロナ対応についての2件、ちょいと疑問に思いましたね。

①医療機関のパンクを事前に解消しようと「オミクロン株の感染者を従来株と同様に症状に応じて、宿泊施設や自宅で療養して差し支えない」の件。それはあくまでも自治体判断だから、あとのことは「国はしらないよ~」の如くのメッセージでした。

私はこれからどこかの街のリーズナブルな宿に転がり込むなどして山城など放っつき歩くという楽しみがありましたが、その手の宿はとかくコロナ感染者の隔離部屋になるというのが常でしょう。何より感染者がイイ子にして自宅療養などしているワケがありません。

②アメリカ産のコロナ飲み薬の件。

その救世主たらん飲み薬を「2月には使用可能にする」とのことですが、それらの投薬とその病の改善への希望にお調子をこいてはイケません。

まるで「大丈夫、心配いりません」の如くですが、その薬とは禁忌と副作用の数々を無視しての物言いはね。

健常な人と子供はそもそも使用できません。特に妊婦とその可能性のある女性には投与はできないことになっています。

詳細は厚労省の「新型コロナウイルス治療薬の特例承認について」を眺めてみてください。

 

ところで厚労省も首相も国産の飲み薬やワクチンの話はどうなっているのか、ダンマリです。どうなっているのでしょうかねホントのところ。

遅々としてまったく進んでいないという感あります。

私と一緒、モタモタ愚図グスで歯がゆいねぇ。

今後ともコロナに罹患しないこと、そして他者に感染させないことが何より肝要です。

 

さて、昨日記した東海道矢作橋西の勝蓮寺

こちらのお寺は松平信康との関りが深かったといいます。

別名「次郎三郎」に「岡崎三郎信康」。

岡崎衆を率いる筆頭城主としてその居城は矢作川を渡ってスグでした。

 

信康と当時の住職との関りがあったということでしょうが、そうなればさぞかしあの信康事件は辛く苦しい思いをしたことでしょうね。そういった伝承があって後世、信康の像を描かせたのだと思います。

 

親鸞聖人の旧跡ということでお参りして良かったと思うばかり。

石柱のウラの文言もそれぞれいい味を出しています。

 

 

 

 

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2022年

1月

05日

矢作川の河原? その雰囲気は十分に  河原山勝蓮寺

 

ここ数日はたくさんの皆さんとお会いしました。

「久しぶり」の顔も多くて特に年末にお会いした皆さんは私の外仕事で境内にあったこともあって少々の会話があります。

その中で家族の方に引かれるようにお参りにやってきた「いつもの知った顔」の印象的だったお二人の件。

二人とも拙寺が古くから世話になっている方で、イメージとしてはシャキシャキ、バリバリに仕事をしていた方たち。

 

その一人は秋ごろに脳梗塞で倒れてから痴ほうが進んでしまったといい、もう一方もここのところますます痴ほうが進んでしまったといいます。

なぜに先方ご家族からその旨伝えられるかといえば、以前を知っている人からすれば明らかな変調を感じさせるからですね。

私も普通の会話が成立していないことがわかりました。

 

それらの言葉を聞いて、やはり「時間が経っている」ことをつくづく感じるワケで。

年末から正月の再会というものは厳しい現実以外ありませんね。

今年は記すのはやめようかと思った一休さんのアレ。

やはり思い起こさずにはいられませんね。

門松は 冥途の旅の一里塚  

          めでたくもあり めでたくもなし

 

私はやはり正月などまったく目出度いなど感じませんね。

 

ただ年を重ねて老いていく私の様と私の知っている方々の老病の姿を拝見するのは辛いものがあります。

 

年明けは流れにまかせるだけ。ハイ生きていました~の「今年もよろしくお願いしま~す」は表明しますが・・・。

 

さて矢作橋の西の土手の下をみやると立派な松と本堂と庫裏、もしかして・・・それなら本尊に挨拶を・・・と山門に廻りこめばやはり真宗大谷派のお寺、勝蓮寺。

本堂に上がるべく段を上がって戸に手を掛けるも開きませんでした。こちらも治安の状況が良くないということが察せられます。

東海道沿線の寺は往来の多い分、気が気ではないでしょうね。

 

拙寺の場合は時代が少々古いですが本堂の中ではなく本堂の床下で「暮らしていた」人がいたことは知っていますが・・・

さすがに勘弁してくれ・・・と出て行ってもらったそう。

 

①が土手の上から見た図。

しかし矢作川の氾濫も歴史の中であったはず。

堤防がなければこの辺りは河面とほとんどフラットなような感じがしますが浸水の被害があったことが推測されます。

この下流、同じように堤の脇に成瀬藤蔵正義の入った木戸城がありました。

 

 

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2022年

1月

04日

蜂須賀小六と日吉丸(秀吉)12歳 創作矢作橋

 

本日午前中は昨日より温かく、風は少々アリの感。

残っていたドラム缶を片づけました。

ドラム缶を二つ、これまでいろいろな場所に置いてきましたが、ここのところは一番安直な本堂脇の庫裏の旧玄関前に置いていました。

しかしどう考えてもそれは見苦しすぎるの一言。

 

今、外駐車場の車庫の脇に小さな小屋でも作ってドラム缶置き場を作ろうか検討中。

「物置小屋ばかり・・・」と奥方が口をはさんできましたが。

現状消耗が激しくてボロボロに近く、辛うじて形状を保っているようなところ、どちらにしろ更新時期が近いこともありますが。外置きは劣化を早めますが、まぁ致し方なし。

 

年が明けてから4~5件ほど3月前後の法事開催について日時の打診がありました。

毎度「本堂は寒いので・・・」(日をあとにズラすのも可)とは思うもののその件当然に承知のうえのことでしょう。

今回の問題はオミクロンの感染爆発が「2月ころ」といった予想があることとその後の状況がよくわからないこと。

 

これもわからないなりにレッツゴーしてしまう、いつもの私ですが、お相手があることで少々慎重になります。

よって回答は「もっと近くなってからでいいですよ~」。

その中で特に厳しい独自規制をとる家があります。

昨年の葬儀の際は首都圏在住の子らの帰郷、参拝について参加を辞退させていました。

49日の納骨も盂蘭盆も故人の奥さんと当地在住の娘さんと2人きりの法要となっていましたがこのまま感染者が増えると一周忌もまたそれと同じ寂しい法要開催となりそうです

勿論、法要後のお斎は省略のパターン。

数日前にお会いした宴会場を持つ料理屋さんの大女将は「早いところコロナが収まってもらわないと・・・」。

お斎のない法要ばかりでその業界もまた青息吐息の様です。

 

さて昨日の矢作川橋

その西側上り車線の入口に比較的新し気で妙な石造が建っています。

その名が「出合之像」。

盗賊一味の頭だった蜂須賀小六と12歳の日吉丸(秀吉)の出会をテーマにしたものですが、完璧な作り話。

 

そもそも蜂須賀小六が野盗だったという件、寛永三年(1626)以後に出された「太閤記」の中に記された演出だそう。

そして室町期のどの紀行文を見てもその川に橋がなく渡し船が用いられていて、橋が架かったのは江戸に入っての元禄年間で秀吉12歳の時代に「その橋のたもとで」などあり得ないお話。

「絵本太閤記」寛政九年(1797)の創作とのこと。

京都五条橋の出会いの二番煎じの感。その話も真偽のほど別として矢作橋の話は創作、史実とかけ離れています。

 

 

 

 

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2022年

1月

03日

岡崎の大外堀 三州矢作橋 国道1号線

 

寒いが無風、そればっかりは殊に有難いことで。

雪ばかりで困っている地域がたくさん出ていますからね。

よって朝一、元日は放置していたテントの部材とドラム缶を一つだけやっつけました。

焼き芋用のドラムには石コロが並べられていますので片付けは厄介となり後回しにします。

 

Uターンラッシュで酷い渋滞が発生しているというニュース。それだけ地方と首都圏で多くの往来があったということですがこれからの感染者数が見ものです。

拙寺にも久しぶりの遠方からの墓参の方々の顔がちらほら。

世界的に見た日本独特の感染者数僅少の不思議がありますが今度は覚悟をしておかなくては。

 

テレビの方は相変わらずの様。昨日腰を据えて視聴したのは夜のEテレくらいのものでした。

今度の新しい大河ドラマは時代的には今一つですが実際はどうでしょうかね。

今回の主人公がOKならば「木曽義仲」なんども「まっくヨシ」と思ったところです。

義仲好きは案外にいるのものです。

これまでの視点が変わってウケそうな気がしますね。

 

戦国時代は三好長慶、江戸期は田沼意次、平安鎌倉で木曽義仲。

その辺りでこの10年で、(生きていられれば)大河に「あったらいいな」を思います。

 

さて、昨日は謎の矢作橋図面を記しましたので現在の橋を。

勿論橋の上を通るのは東海道。

戦略上の要衝でもあります。

矢作川は岡崎城とその街区の西の大外堀になり、城とも目と鼻の先ですからね。

 

画像は①②とも東海道、現在の矢作橋西から見た図。

岡崎城の屋根が見えます。

③は広重④が北斎による矢作橋。絵にもなる橋なのです。

 

 

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2022年

1月

02日

謎 何故か拙寺の土蔵から出てきた 三州矢作橋図面

 

大晦日に境内でスタッフに提供されたヤマメの件、その提供者が新年の挨拶に来られました。

好評につき4月の春の法要の寺楽市に備えて3月の解禁から頑張って釣りまくるとのこと。

私は竹串担当。

次回は「食べます」と。

 

欧州にアメリカと軒並みオミクロン感染大爆発の状況を見て、一説に言われている2月の日本国内感染者ピークはありうることと恐れ入っているところですが、やはり緩み傾向の現実からしてその痛みの再来を覚悟しなくてはならないのでしょうね。

そこのピークアウトのあと、次の変異があれば今年の法要だバス遠足だ・・・のお楽しみの数々は水泡に帰すこともあるワケで。

いつもの通り「勝手にしやがれ」と苦笑いしているだけですが。今年も「ついてない」となるか・・・それとも・・・

 

さて、拙寺古文書についてそれぞれを紐解いていくことは一言で言って「手に負えない」ところ大なるものがあります。

これから無くなるもの無くなったもの・・・の例として穀類を粉ひきする石臼やお寺の梵鐘など拙ブログで記してきましたが、今一つ感じるものは紙に記した書面でしょうか。

要は文書ですが、効率化重視の風潮を背景とした世にいうペーパーレス社会の推奨からそういった書き物は消えてなくなる運命なのかも知れません。

電光掲示板にモニター、電子書籍などがメディアの主役となって本や新聞、雑誌からとってかわるというもの。

 

当然にそれらに関わる職業・・・本屋・新聞屋など危うくなりそうです。よって私が「古文書」などと口にするその物体そのものがこれからは世に出てこないので人の記した過去の文書は珍品として重んじられるかも知れませんね。

 

土蔵を壊した際出てきた文書のうちこればっかしは謎である・・・とばッと見て隅の方に放置していたものがありました。

何せ意味不明なのです。

それが三州矢作橋の図面です。

一体全体「何のこっちやぁ」で隅っこに弾いていたのですが、自身それを邪険にしていた分、その書面の存在の不思議もあって記憶の隅にも常に漂っていました。

 

そこで自分一人「わからない」で済ますのも勿体ないと思い、拙ブログで紹介することとしました。

拙寺の代々古くから岡崎から安城にかけての矢作川近くに行き来している形跡はありますが、橋の設計や土木に関わった件などまったく聞いたこともありません。

 

画像は一部断片史料です。

どちらでも橋を復元しようなどいう酔狂があれば面白いかもしれません。

 

 

 

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2022年

1月

01日

238回の鐘とヤマメ 次はもっと楽しく

 

大晦日の恒例行事となった鐘撞きの日。

「明るいうちに鐘をついてさっさと家に帰ってのんびりする」という「除夕鐘」ですが今回で8回目を数えました。

ピーク時にはあった行列はなくなりましたが238回の鐘が撞かれました。

昨年よりは100人減、ピークからすれば半分以下で少々の拍子抜けはありましたが、そもそもこれは108回とその打数は決まっているものですから、まったくヨシとしなくてはなりませんね。

 

イベントが無事に済ませたことは何よりありがたいことですが、朝9時過ぎに須々木地区の檀家さんが拙寺に向かう途中、お寺に最も近い交差点の信号待ちの際に「追突された」との連絡がありました。

 

私はダッシュで急行して確認。 

車の後部はへこんでいたものの被害者はいたって元気で一安心。

「よそ見しちゃった」と人のよさそうな追突の加害者を見て重ねて安心。

警察を呼んだので「帰還してヨシ」の号令があったため「今は調子よくても後から何かあると大変だから、頼むよ・・・」と追突車両の運転手に言い残して境内に戻りました。

夕刻になってその日の「大変」について情報を得ましたが、「まぁほとんど1日つぶれた」ようでした。

 

大晦日の救急外来そしてCT検査となれば待合室長時間待機となることは必定、大いに推測できるところ。

相手の保険を使うため保険証の使用はナシ、3万数千円の一時立て替えに診断書は数日後ということで面倒に面倒を重ねることとなったようです。

 

しかし怪我がなかったことだけで「よかった」と思わなくてはね。

御前崎の方だといいます相手さんも「こんな日に・・・」と自責の念含め悔しい思いをしているでしょう・・・

交通事故は今回は軽微なもので安堵したわけですが、加害事故も被害事故もまったく他人事ではありませんからね。

 

鐘の方は15時には終了しドラム缶の火を中心に除夕鐘スタッフの打ち上げ会が続けて催されました。

その前に釣り師が持参したヤマメを見た調理のプロが「竹を切って来て・・・」と言うので私が早速先般寄進を受けた汐見台の藪に行って3本ばかり切り取り。材料は豊富ですからね。

するとヤマメに適宜切った竹の串を通して塩をパラパラっと振ってから七輪でこんがり。

「七輪はオレが」と家にとってかえして持参したのは別の檀家さんでした。炭はお寺にいくらでもあります。

 

私は「川魚はちょっと・・・」の口でして遠慮させていただきましたがご一同は喜んで食していました。他のつまみはおでんにウィンナーです。

 

 

鐘を撞いたみなさんも準備に奔走したスタッフの皆さんも寒い中本当にありがとうございました。

⑤は今回の受付ハウス。広くて寒すぎでした。

⑥は駐車場の案内を交差点3か所に貼り付けた小堤山方向の図。

 

 

 

 

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2021年

12月

31日

夏の陣シミュレーション視聴 織田軍死屍累々 織田塚

 

30日は大晦日の鐘撞の準備の日。

皆さん13時に集まってテントの設営に掃除などそれぞれ思い思い(適当に・・・)動きました。

夕刻前には西に黒い雲。

不穏な天気を感じつつ「寒くなりそうだから温かくしてね」と解散しました。

 

それにしても年末間近になるとテレビがつまらない。

「アホらしい」の一言でテレビの電源をオフにしている時間が多いのもこのシーズン。

私が一番嫌悪すべきと感じるのが「食べ物系」。特に食レポとかいうパターンは即却下です。

「不味くて喰えたもんじゃあない」などそれを感じたとしても口にすることはないでしょうし、あの一口食してからの「う~ん・・・」(女性が多し)と発するところのワンパターン、かなりムカつきます。

 

まぁこちらにはチャンネル選択権もあるし、ムカつけば電源オフにしてしまえばそれでお終いですからそれでOKです。

そんな中、昨晩のテレビ好きなのにテレビが見られないというこの時期、お助けいただいた番組がやはりNHK。

BSの「決戦!大阪の陣」でした。

新説、①秀頼は淀殿の言いなりではなかった②秀頼の洪水作戦(大坂城防衛)とそのシミュレーション③徳川方の堤防づくり淀川の流れの変更④その浸水域を利したのが真田丸⑤豊臣方も堀の埋め立てに同意していた(一方的な徳川方の仕業ではない・・・大坂場内に集まった牢人たちが自らの判断で退去してもらうため)・・・⑥しかし左衛門佐(真田信繁)は依然として大坂に残っていたため家康は怒った(オランダの史料から)➆秀頼は夏の陣最後まで和平工作を仕組んでいた・・・などなど。

 

大坂方が真田信繁と縁を切っていれば夏の陣は起こらなかったか・・・とは言い切れませんが、家康は真田に一目を置いていたわけですね(真田「日本一の兵~ひのもといちのつわもの~」)。

 

まぁ秀頼間抜け説を流布したのは勝ち戦となった徳川と決まっていますが、秀頼の奇抜で斬新な戦法についても徳川方としても触れたくないところだったでしょうから・・・

 

真田信繁についての扱いも変化していますがその呼び名から。

番組では何度もその「信繁」の名が出てきましたが今回の番組ではあの本人もその名を知らないという「幸村」などいう語は一切出てきませんでした。

田沼=賄賂というイメージで歴史を読み解く誤りと同様、その変てこな名、史実にない「幸村」の名を一掃することができて嬉しく思いました。

 

さて、2021年最後の「墓場」は昨日の円徳寺関りで、織田塚を。

やはり大河ドラマでもそのシーンはありましたが責め立てて優位に戦いを進めていた織田信秀が余裕を決めているところに斎藤道三の逆襲を喰らってボロ負けするというもの。

信長公記の記述では5000人の死者が出ていることになりますが、移設された円徳寺の石塔と合わせてもごく少なし。

 

5000人の埋葬処理がホントにあったかはわかりませんが、現在のこの地は住宅街のごく狭い一画。

5000の仏たちはこの「霞」の中に・・・?

人の「生」の活力は凄いの一言。

過去の遺物(墓)など一掃してしまいます。

この場所はとても分かりにくいところにありますがマップには「岐阜市霞町19」で入力してください。

 

本年もいろいろありがとうございました。

またどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

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2021年

12月

30日

信長の陣鐘と芭蕉の句碑 岐阜円徳寺

 

日没近く、境内作業を終えてひとっ風呂。

昨日は一昨日から一転、体感温度は比較的温かで動けばドカジャン不要の一日でした。

風呂から出ると奥方は先日の「(豪雪の)彦根に行けばいいじゃん」に引き続いて「長篠行ってこいやぁ・・・」。

これは何かあったな・・・と思っていればニュースで新東名新城のトンネルで車両火災の報。

いつも私が走ってる道路ですが、そのタイミングでトンネル内に居合わせた後続車の皆さんはさぞ肝を潰したことでしょうね。

 

帰省ラッシュと重なって新東名からなだれ込んだ車両で東名下り車線は酷い渋滞が発生していました。

あたかも「帰省するな」を示唆する何かのメッセージのようにも感じましたが。

 

「人の流れ」がオミクロンの爆発的感染を起こすことは誰しも知っているところですからね。

ちなみに横浜在住の息子も友人の「奥の墓道」氏も帰省は自重したいと。

 

人が集中すると「ロクなことがない」とは思いはしますが大晦日の拙寺の「除夕鐘」について、何とかご容赦いただきたいと心よりその安全を願うばかりです。

 

尚、私のあとに風呂に入った奥方の風呂上がりのコメントは「風情あるお風呂でした・・・」と。

聞けば露天風呂の如く落ち葉が浮いていたとのこと。

昨日はソテツの中に入って落ち葉を集めてをしていましたからね。

 

さて、先般美濃円徳寺(またはこちら)について記しましたが「鐘」つながりでそちらの鐘について。

「陣鐘」と一般的な梵鐘とは違ってひと回り小ぶりになりますが、永禄七年の銘がある信長寄進の鐘になります。

 

円徳寺は浄土真宗本願寺のお寺ですが、顕如さんの消息文と信長の鐘の取り合わせも奇遇です。

その顕如消息の内容は顕如が鷺ノ森に退去後、長男教如が信長に徹底抗戦しようと全国に檄を飛ばしているところ「それを信じるな」というもののようです。

織田家が「有徳なる人」である寺にとってあの長かった戦をこれ以上長引かせたくなかったという気持ちがあったことは推測できるところで、まさにその消息文の通りに考えたことでしょう。

 

その鐘の前にある芭蕉の句碑。

思うところは、鐘の音を聞いての句ですが、夏のもの。

よって時鐘を耳にして・・・の発句でしょう。

 

この句の出典は美濃の各務支考という芭蕉門の人の「笈日記」から。

各務支考は芭蕉の臨終を看取ってから芭蕉の遺句を「笈日記」

に記しました。

「撞鐘も ひゞくやうなり 蝉の声」は芭蕉が稲葉山(岐阜)で詠んだといいますがどうでしょう・・・稲葉山といってもお寺はたくさん。

こちらのお寺の鐘の音が聞こえたのでしょうか・・・

 

 

 

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2021年

12月

29日

相良城リサイクル材としての証 床下照明完成 

 

朝一は計画通り今年最後の処理場に花ガラを搬入。

これは経験則、のんびり午後にでも・・・などといっていたら処理場は大掃除で出た1年のゴミたちを持ち込む車で渋滞になる・・・というもの。

波津のコミュニティセンターの段ボール回収小屋の戸を開けた途端、中から溢れかえっている段ボールが崩れ出てきましたがこの時期はすべてがパンクしやすい・・・

奥方に「もう少々の段ボールと新聞があるが」とのことでしたが私は「もう行かない方がイイかも」と。

私も勢いで突っ込んできましたからね。

 

午後の地頭方処理場の状況が実際にそうなったかどうかは知りませんが、朝オープンしたばかりの処理場はごくスムーズに事が運びました。

 

何しろ最終日には花ガラをカラにしておかないと年初にはいっぱいになってしまいます。

この寺のこの時期、軽トラはフル稼働ですね。

処理場のあとは再び山に行って0.3㎥ほど砂利を積載し、また黒土を梅の木の下に敷設したいため途中の店で購入して帰りました。

 

一昨日は今季初、水屋の前にある餅つき用の石臼にガッチリと結氷がありました。

終日融けないくらいに当地は冷え込みましたが以後寒さは続いています。

先般モルタル詰めにて雨漏り対応をした庫裏の棟(前回の雨ではセーフ。しかし、もっと強く降ったらどうなるか・・・あまり自分の仕事を信用していません)とは反対側の屋根上でケーブルの調整を行いましたが、屋根面を通り過ぎる風の強烈と寒さは半端ではなく、飛ばされそうな勢いにクラクラしながらしがみついていました。雨漏の修繕箇所も確認したいとは思ったもののもはや寒すぎてヤメにしました。

 

風が強くて上には上がることは得策ではないことがわかりましたので午後から今度は本堂床下に嵌まり込みました。

先般も記しましたが、最近は外部から来られるお客さんや地元の見学ツアーの皆さんに本堂の内部だけでなく本堂床下を見ていただく事が多くなりました。

それなら照明があればより見やすくなるだろう・・・と思い、床下に配線を回し、LEDの照明器具を数か所設置しようという試み。

 

これまでは中が暗すぎてよく見えなかったのですが、これで何箇所かの「木組みほぞ穴」のある材(リサイクル材)を確認することができます。

1スイッチで5か所のLEDが点灯する仕掛けで、勿論通常は常にOFFになっています。これなら信用のならない仕事だけに安心というものです。

 

その「木組み」の痕跡こそが相良城廃材を主張するものです。

後付けの提出物控えではありますが「本堂材木の寄進-田沼玄蕃頭」の名をブログで記していました。

照明器具とその配線をしたあとその木組み工作の跡を撮影しようとカメラを首に掛けて黒ネコ舞鶴殿同伴で床下に。

 

こちらは以前大石学氏が床下を覗いている図。

庫裏に一声かけて頂ければスイッチONしてご披露いたします。

 

 

 

 

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2021年

12月

28日

奈良町御霊神社 わからないのは今の時代

 

先日は某新聞社の中部支局の方から電話がありました。

除夕鐘の継続の有無と梵鐘という特別な楽器、道具の使用機会について問われました。

以前、時鐘御用について拙ブログにて記しましたが寺の鐘の意義といえば時報と火事の報せです。

 

寅さんシリーズを見ていれば毎度、夕刻の鐘の音を入れそれに風情を醸し出させるとともにシーンの展開のアイテムとしていることがわかりますが、拙寺の時鐘について私は祖父の代でそれをしていたことを見ていませんので明治以降には止めていたことだと思います。

時計という時を知らせる最新のグッズが登場し場所によっては寺がそれで市中に報せなくとも自治体設置のスピーカーから昼12時と午後5時の時刻を報せてくれます。

また火災時の梵鐘早打ちは主に周辺からヘルプ参集を求める意がありましたが、今は119に電話し、自身やれることをやるだけで梵鐘など衝いている人はいないでしょう。

 

よって現在、寺が梵鐘を衝く機会というものは一言で「極めて」少なくなったということです。形骸化という言葉がありますがまさにお寺のカタチとして存在するのみで、そこに「あってもなくても同じこと」くらいにどうでもいいようなお寺のアイテムとなったということかもしれません。

 

その新聞社の方が寺の梵鐘をテーマに取材をし始めたきっかけは2021年6月末に富山県高岡市の老舗で大手の梵鐘製造会社「老子製作所」が民事再生法の適用を申請したことからだといいます。

この会社は広島の「平和の鐘」や沖縄平和祈念堂の梵鐘を手掛けるなど梵鐘会のトップ企業(シェア70%)とのことでした。

 

コロナ禍世界にあって倒産やむなしの企業は数あることは承知していますが、この梵鐘製造会社の困窮は今に始まったことではなかったようです。

広島や沖縄の鐘は名としては残りますが、実入りは多くなかったでしょうね。

あくまでも商売の相手は「お寺」なのです。

相良の寺院数ある中で梵鐘がある寺は拙寺含めて3ケ寺のみ。

戦中の金属類回収令によって梵鐘を国に奪われたのでしたが、拙寺の如くすべてのお寺が再鋳造して元通りに梵鐘を鐘楼に復活できたとは限りませんね。

 

いつかは梵鐘を復活させたいというお寺もあったことでしょうが梵鐘を衝く機会が少なくなった今、果たしてそれが必要なものなのか、何より資金的に困窮している中、諦めるが肝要・・・などと思考が変化していったのでしょうね。

 

現在、梵鐘があるお寺でそれを新規に更新するなどの頻度は鐘を衝くという機会以上に少ないでしょうから。

昨日記した石臼とはまた違った意味で無用の物となったようですが時代とはいえ寂しい世の中です。

 

さて、奈良町の人影のない寺を歩きましたが、「案外賑やか・・・」を感じたのが御霊神社。

若い連中のよく言うパワースポットだとか恋愛成就とかの類の神社だといいますが、とにかく一刻も早く退散したいという念が起こりました。

私の存在に違和感が生じる場所でもありました。

すべてがあずかりしらぬこと。腹の中で「知るか・・・」。

 

御霊神社の位置は最後の画像、アップし忘れた元興寺塔跡の掲示板の地図を参照。

もともとは元興寺ということになります。

 

 

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2021年

12月

27日

昔のフードプロセッサー 道具としては面白い 石臼

 

朝から奥方が嬉しそうに「(ひと段落ついたので)彦根辺りまで行ってくれば・・・」などと思わぬ良き言葉を投げかけてくれました。

当然に私も「そりゃ嬉しや・・・」となるわけですが、冷静に考えると今年はまだやり残している課題が残っていますので「年明けにでも」などと真顔で返答していました。

するとその彦根のニュースがテレビ画面から。

前日午後までは何ともなかったものが一夜明けて銀世界になったといいます。

夕方のニュースでは44㎝の積雪と名神高速の通行止めに大渋滞の図を目の当たりにしました。

 

道理で奥方は「彦根」の固有名詞をあげたわけです。

その地の名は私がよく宿泊する安宿がありますのでごく普通の会話でもありますからまさに自然でした。

まぁ調子にのって「ちょっくら行ってくる・・・」など無きにしもあらず。人が悪い。

 

滋賀県の冬は突然の降雪があることは経験上承知していますが、今回のその積雪量は「反則」に近いものがあります。

あの雪では微動だにすることもできませんし命の危機すら感じますね。

 

境内では先日積み込んだまま軽トラの荷台に載せていた砂利を下ろしました。

当然ながらお参りの皆さんからは「さむ~いですねぇ」で私もその語のオウム返し、省エネ対応の一日でした。

 

午後になって息子からはline。

「寒くて死にそうだった」のメッセージがありました。

「今日は休みか?」と返せば「冗談じゃない!!・・・」と。

彼の受け持つ法要の類は、墓園・霊園での現地集合現地解散が主で本堂内でのんびりという類のものではありませんね。

 

都会特有のカタチですが、その現地にもホールでの読経と墓前法要と二種あるそうで、その日は墓前での法要とのことでした。

法要が終了して車に帰って「ホッとした」ところだったよう。

 

最近の私なら、「法要の期日にこだわることはない」ので相良であっても「1~2月の極寒本堂の時間を持つのは止めた方がイイ」などとこちらから注進するくらいです。

吹きっさらしの空の下の長時間などはありえません。

 

法要に墓参はつきものですがそれでも大抵は5~10分程度の我慢です。

彼はまだ若いから耐性はありましょうが施主はじめ先方の皆さんの相当の苦難を思います。

 

画像⑤⑥はその寒風吹く、鎌倉霊園の図。

「そりゃあ寒いはなぁ・・・」白いものまで画像で確認。

その時はスカッと晴れた相良の画像を見せびらかしたりしていましたが、その後相良も風の中にその「白」が混ざるなど滅多なことではない景色を見させてもらいました。

そしてまた日没後の寒さときたら酷いものでした。

まぁ「遠州南岸(相良)の寒さ」などオチャラケでしょう。

まったく文句など言えませんが。

 

画像①~は石臼。

蔵から出てきた石臼を土中に埋めて飛び石にしたところ。

この石臼、ここ相良あたりの古い家には「一家に一台」の代物。要はキッチン用品のようなもので一言でフードプロセッサーの如く、穀類を粉状にするもの。

 

茶道の先生に聞けば「今の抹茶はずっと衛生管理の行き届いた場所で作っていて、その器具を使用したものより格段に上等に仕上がっている。」ということでした。

昔の人の知恵の結晶のような「道具」ですが、まさに仕様が更新されて無用の長物となってしまったよう。

重たくて取り回しが悪すぎではありますがね。

 

そばや山椒をこの昔ながらの手法で擦ってその趣を楽しむという方もいるようですが、摺面の溝が摩滅するなどの維持も難しいとのこと。

 

石臼は上下2つのパーツに分かれていて上段の物には材料を投入する穴と脇には回転させるためのハンドルが付きます。

そこそこの重量はありますがそれでも回転時に動きやすくなりますので、各家庭ではその固定の為にさらに台をつくるなどの工夫がありました。

尚、上下のパーツを回転させるために鉄製の芯が中央に刺さっていてそれを石の穴に固定するために、竹か杉の皮が使用されているようです(朽ちていて判別不能)。

 

石臼を土に埋設する場合、上下それぞれの摺面を上にします。

摺面の独特の模様は幾何学的。

今、お参りの方に石臼の講釈をしつつ、もし自宅にあって処理に困っていたら当方で「使いたい」旨伝えています。

 

当家でも庭の片隅に打ち捨てられていましたからね。探せばまだまだあるはずです。

下波津の秋野氏にその存在について振ってみれば「春先に処分した」とのこと。

「もっと早く言ってくれれば・・・」でしたが、私も最近になって突然それを思い立ったのですから。

 

 

 

 

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2021年

12月

26日

ここにもある中将姫伝承 奈良町誕生寺 

 

夕刻六時から今年最後の念仏メディテーションがありました。

よって明るいうちの境内作業の中、必要な物を購入に走りたくりましたが、我慢して待機。

外をほっつき歩いて雑念が生じ、その時間を失念したとしたら残念・無念なことですからね。折角一年間を何とか自分なりに過ごすことができたものですから。

 

念仏失念残念無念と「念」が重なりましたが、すべてが「私の思い」ベース。

「思い」とは「心」で「私の」は「自己の」「都合よく自由な」で、要は「勝手な」・・・。

ということでこれらは「私の勝手都合」ということになりますがそれに限らず、どれもこれも「私」が主体ですから何事においても「勝手」に動くもの。

 

その心の動きについて自身、自分から一歩でも離れて「自身俯瞰してみよう」という訓練の機会がそのメディテーションなのです。それからそれぞれの「私」に問われている人生や命について応えていければ・・・と一瞬間でも考えられれば上出来なのですが。

またそれは私の「命」や「人生」の方から(仏を通して・・・)主体になって私に向かって「どうよ・・・」という具合に聞いてくるのだと解釈。

 

現代は心のオーバーコントロール、制御不能・・・いわゆる「キレる」というヤツですが、一昔前といえばそれには必ず理由というものがあってその理由というものが見つけにくいというのが現代の子供たちだといいます。

そしてまた「キレやすさ」も低年齢化し暴力的トラブルも増えているよう。

 

対処方については現場の先生方や父母に任せることとして、私が思うことと言えば、集団の中のコミュニケーション、思いやり、そして「ごめんなさい」と「ありがとう」の二つの欠落だと考えますがね。

要は自身主導だけでなく他者の思いを汲んでみる。

そこのところの訓練不足に尽きますね。

機械相手のロールプレイングでそれは醸成できないでしょうね。生身の人間の中にいてそれらは育てられるはず。

 

「怒り」即破壊的な行為に及ぶ自暴自棄の大人が増えていることも事実。まず、大人が常に「お前はどうよ」と仏から問われている身であるということを自覚していなくては。

怒りも反発もつまるところ人の責任ではありませんね。

「自分の責」を棚の上にあげたままというのでは・・・

 

勿論、「私の事」ととして記しています。

昨日は「ついてないぜと苦笑い」のフレーズを記しましたので

ついでに「いいことばかりはありゃしない」が人生!(2つともRCサクセションから)。

ポジティブ思考も大切ですがネガティブこそまさに現実です。

そこを子供たちに教えて行かなくては・・・「夢」だとか「やればできる」の綺麗ごとばかりでは。

 

先日は今年誕生の子供たちの名づけランキングについて法話で取り上げました。

ランキングでは男の子のNO.1が「蓮」で女の子が「紬」でした。

世の中の親たちは何を思ってそれをつけるのかよくわかりませんが、一文字というのがまた流行のようです。

流行にのって他人様と同じというのも違和感ありますが。

 

特に「蓮」といえば当流坊さんの息子が生まれたとして・・・、さて、それを命名するか・・・といえば・・・「スバラシイが(当流の他のお寺さんたちの目を気にして)遠慮すべき・・・」などと思わせる文字なのですね。

 

御開祖親鸞さんの「鸞」と同様、蓮如さんを連想させますから。

また仏教を代表する華ですね。

また阿弥陀如来に同伴する観音菩薩が死者を載せる台(浄土行の特設台座)を「蓮台」というように浄土には切っても切れない文字。

それはそれはその語を名のりは素晴らしいことですしそれを命名された子供は羨ましいこと。

ただしその蓮の「徳」の数々(特に「泥中君子」・・・)についてしっかりと自覚していただけるよう親が伝えなお、そのように育てるという意気込みが必要でしょう。

まぁ私にはその文字を使う勇気はありませんでした。ただただ美しすぎる・・・

 

女の子の一番、「紬」(つむぎ)もその「蓮」に連動しているかの如くその偶然なのか「ほぉ・・・」と思わせました。

 

「経」とは釈迦の説法のことですね。

釈迦が「生きるための経糸(たていと)」を説かれそれに私どもが緯糸(よこいと)を紡いでいくわけです。

其の出来あがったものが「紬」。

「経緯」とまた人は別の意でもよく使いますが、その出来栄え・・・「人生」の方からまた「私に~『どうよ』と~解いている」と日々「思う」ことが大切なのでした。

 

また蓮糸織という言葉があります。

拙寺檀家さんですと2018年だったと思いますが奈良の當麻寺へお参りしたバス遠足で拝観した、中将姫の曼荼羅。蓮糸織りの本尊でした。

 

蓮から糸を作ってそれを紡ぎ曼荼羅を製作するなどとは気が遠くなるような労力を思ったものです。

その「蓮と紬」が今年の誕生児の名前の一番というのも偶然とはいえ、凄い取り合わせだと思った次第。

 

さて、その中将姫の誕生地が元興寺の奈良町。

その一角にその名もズバリ誕生寺なる中将姫所縁のお寺がありました。

尚、門はガッシリと締まっていて立ち入りはできませんので生垣の外側から・・・

事前予約が必要のようです。

 

①の背の高い石碑は先日記した庚申堂につづき庚申塔。猿三匹を見てあの際は、一瞬でパスしました。

 

 

 

 

 

 

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2021年

12月

25日

元興寺塔跡の色々 住宅街の異空間 今はなき五重塔 

 

境内作業ののち山に行って砂利を積み込みに。

軽トラ一車の「一杯」とはいってもあのオンボロに積み込める量といえば0.3㎥もないくらいですが・・・(サスペンション、タイヤ、ブレーキが信用できません)。

 

「ついてないぜと苦笑い」したのは車をバックした際、岩にぶつけてウインカーを破損したこと。

妙にウィンカーの「点滅が早い」を感じて境内に帰ってチェック、気が付きました。

ランプが割れていたのでその交換に時間を取られることになります。

勿論カバーが割れていますので次の車検が面倒になりそう。

同系色の樹脂板でも買ってきて誤魔化せないものか・・・。

ボロはボロなりの使い方がありますので。

 

昨晩視聴して印象に残った番組が「沁みる夜汽車」で最初に登場した90歳のお婆さんの「手」。

40歳から新橋駅前で50年もの間、「靴磨き」を提供する人です。

駅前の隅っこに座り続けて半世紀、一言では言い表せないくらいの「超絶」を感じます。

隅っこに追いやられたのは当初は同業者だらけでイジメにあったからといいます。

現在も1コイン(500円)という格安料金でその仕事を請け負っていながら専ら「丁寧」という語が常連さんの口から。

 

丁寧の理由はきっと指で靴の感触を得て、クリームも指で塗るというところかも知れませんが、その方の手は黒く、シワだらけでまた各所の関節が曲がっていました。

仕上げの磨き等の際、指に力を入れ続けるのでそのように硬直してしまったのでしょう。

その仕事1本で5人の子供たちを育て上げたといいますが、そういった私には想像もできないような過酷な環境(都会の雑踏の中にいて尚風雨に曝され、座り続ける)の中に50年は偉大すぎます。

「90歳現役」のところ、その健康維持についても真似ができないことですが、一つ心掛けなくてはならない言葉といえば「丁寧な仕事」。

「丁寧」は身の心底から出てくるものですが、外からは容易く見えているのですね。形だけなのか真のものなのかも・・・

 

新橋に行ったらその方とのひと時もいいかとは思うものの私の足元は毎度アディダスのフットサルシューズ。

お呼びで無いと追い払われそう。

 

さて、元興寺塔跡には御堂に鐘楼、仏足石に十三重塔、五輪塔たちに稲荷と決して広いとは言えない空間にそれぞれが凝縮して詰まっています。

四季折々境内の花たちが迎えてくれるというのがウリとなっていますが、私が立ち入った際は私一人だけ、その空間を独り占めにしたのでした。

こちらに五重塔があったとしたら・・・観光客のたくさんで華やかな往来があったのでしょうね。

 

 

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2021年

12月

24日

欲しいからって・・・ダメよ 啼灯籠 元興寺塔跡

 

オミクロンの発生によって「新型コロナは風邪やインフルエンザの如くになる」などいう人がいますがそれはあまりにも短絡。

日本人だけに限ってそうは都合よくウィルスがまわってくれますか・・・というところですね。

たまたま現状のオミクロンによる症状が肺での増殖がデルタの1/10で重傷者が激減しているからといってこの先にどうなるかなどわかりません。

 

ウィルスは日々変異を繰り返して彼らなりに「生きながらえること」を模索していますので人間たちに都合のよい症状、人へのダメージが少なく重篤化しない・・・などいう「大人しくよい子」でいてくれることなど望むことも野暮な話。

やはりヤバイ方、最悪の方向(感染力も致死量もともに高い変異)に向かったら・・・について国は思量していただかなくては。

 

ただ私が思うことは「モタモタしていないで早く早く」ですね。この期に及んで「PCR検査を日本全国無料、町医者レベルでのお気軽チェック」に踏み切れないのは愚図の極み。

いつまでも誤まった陰性が出現する抗原検査(空港)にこだわらないでいただきたい。

その手の事々はハナから言われていることです。

何せ厚労省はじめお役所仕事は・・・毎度遅い。それに忖度と保身が関わるのでモタモタ感満載です。

 

その厚労省から発表された推計データ。

「ヒートショックとみられる入浴中の急死者数は年間1万9000人」の件です。

12月~2月、65才以上が90%といいます。

また1番風呂は冷えているので年配者は避けるべきだそう。

20分以上の長湯などダメとのこと。

体にイイのは日没前に入浴することのようですが時間の制約のある人はムリな話ではあります。

 

奥方は湯舟の中で居眠りすることを楽しみとしていましたがそれは「ヤバイ」ことがわかってやめています。

寝る・・・気を失う(血圧の低下)・・・溺死するのリスキーな構図のようですね。

そして家中二人しかいませんのでどちらかが必ず1番風呂になりますが、ここのところ我が家では風呂に蓋をしないで給湯しお湯が溜まったらスグ入浴。出る時も換気せず蓋を開けたままにして即座にバトンタッチするという感じになりました。

湯気が充満して温度の上昇がありますからね。

 

私が「死ぬかも知れない」と思うことがハシゴの上。

そのハシゴから落ちることよりも危険な場所、それが風呂場だったとは・・・ハシゴから落ちて亡くなる人が年間1万9000人もいるとは思えません。

強烈な寒波が来ると天気予報にも脅されています。温かくしてやりすごしましょう。

先日「私は靴下など履かない」と勇ましい方がいましたがそれも冷えの元。体には良くないらしいですよ。

 

さて、昨日の「元興寺塔跡」の五重塔跡の基壇の脇に一つ灯籠が立っています。

経緯は看板の通り。

昭和19年の地震で崩壊し半世紀以上放ったらかしになっていた六角灯籠を平成22年に修復されたといいます。

よって奈良県史には「崩壊して大破 付近に基礎と残欠」と修復の件は記されていません。

 

「花崗岩製、基礎側面二区に格狭間上端複弁反花を刻み出す。中台下端単弁請花。火袋下二区格狭間、蓮華座上如来坐像を刻み出した一面が残る。」

以前の火災によって剥落してしまったそうですが竿円柱節を挟んで正嘉元年(1257)銘と「願主〇〇 □衆等」とあったよう。

 

 

 

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2021年

12月

23日

元興寺五重塔の礎石 通称「元興寺塔跡」

 

オミクロンの感染爆発がいよいよ・・・と思わせる市中感染のニュースがありました。

いずれにしろ「時間の問題」で感染は広がることは確実と言われていましたので驚きはありませんが、まぁウィルスを止めることはできないでしょう。

ザルの空港検査と米軍基地からのノーバス入国が重なればいくら島国だからラッキーとは言ってもその蔓延についてただ黙認するだけ。

 

先日はある方から「息子が沖縄旅行に・・・」とスマホに届いた青い海と空の画像を見せてくれましたが、これから例によって沖縄の感染爆発が始まるでしょうね。

国内旅行については「自由」が原則で、空港検疫はありませんし。

 

温かくて風もなくドカジャン不要の一日でした。

昨日は「ヤルなら今日だろ」とばかりにモルタルをバケツに練って雨漏りのある庫裏の屋根に上がりました。

前回はシリコン系の防水樹脂をクラックや瓦の隙間に詰め込んだものの改善はありませんでした。

 

今回の目標は大棟のエンドの瓦の下の左右に瓦土が露出して剥離の箇所が見えましたので(画像⑤)そちらにモルタルを塗り付ける算段です。

25日には天気が崩れるといいますのでそれを待ってからその出来を確認することになります。

その瓦の上部の接合部分にもモルタルを塗りたくりましたが、どう無細工に仕上げたとしても地上からはわからない・・・テキトーな仕事でOKです。

以前だったらしっかりとハーネスを装着して棟を中心にして左右からロープで結んでから・・・など念入りでしたが、お調子をこいて「大丈夫」の私がいました。仕事はテキトーでも安全についてそれをやると痛い目にあいますからね。

少々反省したところ。次は真面目にやります。

 

そのあとは久々にチェーンソーを調整してから枝払いと雑木の伐採を。

庫裏入口の杉の下方の枝の伐採は二連ハシゴでチェーンソー持ち。ここでも超イイ加減の無装備(ノーヘル、身一つ)で奥方からは「死にたいのか・・・?」。

最近は昔あったプロ意識というものが剥げ落ちてきましたね。

「プロ意識」とは「他人にケガをさせない、自分もケガはしない」の安全を求める思考ですが自宅の仕事となると・・・面倒だからの「エイ、やぁ」の慢心、自分にはついつい甘く、「テキトー」なってしまっています。

 

以前は息子からは「生きながらえたいのか・・・?」と言われるくらい、ほどほどに「慎重に」だったのですが。

元々「イイ加減」・・・「イイ塩梅」「適当に」を基にして生かされているような私ですから、それに帰っただけでしょうが。

 

しかしチェーンソーの片手ぶん回しなどをやれば関節痛が治癒するわけがありませんね。やはり久しぶりに処理場に「草木」として軽トラ一杯搬入しました。

 

さて、先日は元興寺の「鬼」の出没は五重塔・・・などとあの絵図から推測したわけですが、その五重塔は今はありませんがその台座が残っているのが元興寺塔跡

かつての巨大な寺も経年、時代の流れによって、こうなることもあるのだ・・・というところ感じます。

元興寺といえば主たるものは極楽堂のある場所になりますが今や宗旨まで分かれて三か所に分散。

 

この五重塔のあった場所は民家に囲まれるようにあります。

今更「塔の再建」などの声があったとしても到底ムリな話でしょうね。

一辺17.7m(塔の一辺は10m)の基壇の上は立ち入りができませんが、礎石が17個も散らばっているとのこと。

 

 

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2021年

12月

22日

大晦日はAM11時から 除夕鐘再掲 著作権御免

 

叔母の転出(御前崎)と転入(牧之原)の届けは完了。

法律上転居後(とは言っても家の解体後)「2週間以内に」ですから・・・

転出届は郵送にて、転入届は私と同住所のため叔母が出向く必要はありません。

私の本人確認だけで事は済みました。

 

まぁ笑い話ですが受付で「申請の住所地に家はありませんよ、そこにあるのはお寺しか・・・」でした。転入となるとチェックはするようです。

今回の大忙しはこれで無事終了。

 

案外と役場などでは私の顔を知っている方は多いもので、住所地の確認やら叔母の保険証の発行手続きでお世話になった方たちからは「あら、住職・・・」などと反応がありました。

まぁ、ツナギ+ドカジャンのうえマスク姿ですからどこの誰かを判定するなどは至難の業ですね。

 

手続きの時間待ちの間、指名手配犯のポスターを眺めながら、このご時節だけに大手を振って街を歩き、大いに自由を満喫していることだろう・・・などと思ったものでした。

マスクを着けている者は犯罪者などいうアメリカ人の感覚も一理あるような。

 

同住所に世帯主が複数あっても問題なし。

それでいて連絡先(電話番号)は同じです。叔母はあくまでも単独であるということですがどちらにしろ施設に入所しているため法的な住所地ということです。

そして介護認定は従前の市町村の認定が6か月間生きますのでとりあえずはそのままになります。

 

一時は叔母の家(借地権)を解体せずに誰かに貸そうかとも思いました。

叔母の妹が埼玉で独り暮らしになっていましたので一応検討してもらいましたが、結局叔母の娘の反対で白紙に。

他にも中を見てみたいという方もありましたが、維持保全に今後どれくらいの負担があるのかを考えて「ここはひとつ踏ん切りをつけるべき」とすべてを解消することにしました。

正解なのでしょうね。

数年後に今回私どもがその処理に動いた労力と時間をそこに割けるかといえば・・・「絶対にありえない」です。

叔母の終活は私の終活でもあったのでした。

 

さて、ブログ既報の通り、拙寺では大晦日恒例の除夕鐘が催されます。

コロナ禍の催しものとなりますから「漫然と、淡々と・・・」でただひたすら事故のないように・・・「やり過ごしたい」の気持ち。

 

以前「通りすがりのMさん」から「こんなのあるよ」と紹介していただいたのが画像の4コマです。

 

この手の作品の掲載には作者の意向をうかがって・・・というのが当然なのですが私はその作者の名を知りません。どちらからのものかも・・・

それでいてその4コマに私の言いたいことやりたいこと感じることを端的に、そしてその登場キャラが(たったの4コマですが)特に気に入って、思い切ってアップしたという次第です。

 

まぁその件、拙寺の名と私の名が記されているのでチャラかも知れませんが、私としては、有難く嬉しく思っています。

作者の方がもし「けしからん」とお思いでしたらご一報ください。

即座に削除させていただきます。

 

 

 

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2021年

12月

21日

厚労省健康寿命の調査結果 血圧上昇で失明の件

 

世界に目をやればオランダのロックダウンほか、イギリス、アメリカなど相変わらずコロナでてんてこ舞いの様。

アメリカなどはオミクロンではなくでデルタの方の勢い、そしてインフルエンザまで加わるなどまさにウィルスだらけ。

今後の状況が一体どうなるものなのか見ものでもあります。

 

他人事のようで申し訳ないところです。

世界的に不思議の国、日本の感染減にあってそれも人と接することの少ないド田舎で生活する私がそのウィルスにやられる確率はそうは高くないと思いますからね。

一昨日の講演会の人混みには「ちょっとヤバイ」とは感じましたが・・・

朗報としては昨晩になって国産のメーカーから治験中の飲み薬について「オミクロンにも有効です」とのアナウンスがあったこと。飲み薬と予防薬(ワクチン)が揃えばますます私のような暢気もまったくOKのスタンスとなるでしょうね。

「イシャイラズ」はムリでしょうが早いところ出回ってきて欲しいものです。

アメリカヨイショの姿勢を修正、信用ある国産で行きたいですね。

 

さて、昨日境内でフラフラしていると、お参りの檀家さんとの会話が・・・。

当然の如くご挨拶はお互い「寒いですね~」ですね。

その方は高血圧のため片目の視力を失っている方です。

私は「こんなに寒いのに無理してお参りされなくても・・・仏さんはきっと今は『家で温かくしていてイイヨ』と言ってくれているはず・・・」と。

すると「どうしても気が済まない。朝(の寒さ)より全然マシ・・・」と。

お参りは体力維持に是非必要とは言うもののさすがに年配者の寒冷時の歩行はいろいろと難題がありますからね。

押し車を杖の代わりに帰路に就くその方の背中を見送りました。

 

体力、特に足の筋力の維持は不可欠で私も歩け歩け・・・歩かないと死ぬ・・・などと時に言っていますが、私が聞いた中で年配者とも言えない年齢ですが厳冬期に大江あたりのあぜ道を散歩された際、湧水が凍っているのを知らずに進んで転倒。後頭部を打ち付けて昏倒するも誰も気づく人も無し、何とか気がついて泥まみれで帰宅したといいます。

携帯電話は持たないという方ですので奥さんにヘルプもできなかったそうでした。

 

その方は相当の幸運の持ち主です。普通なら凍死しても不思議ではありませんからね。

大江でも萩間川沿いだと冬場に人とすれ違うことはありませんから。

 

昨日20日の厚労省からのニュース。

「介護を受けたり寝たきりになったりせずに日常生活を送れる期間を示す『健康寿命」が、2019年は男性72.68歳、女性75.38歳だった」前回調査の16年(男性72.14歳、女性74.79歳)から男性は0.54歳、女性は0.59歳延びたというもの。

 

私は「伸びた」とはいうもののその寿命を迎えるというのは案外「早い」と感じますね。

その数字は平均値でしょうが、私のふだん見ている檀家さんたちは80代すぎても平チャラで元気にしていますから。

人それぞれ。

 

血圧の上昇によって失明するという件もショックです。

失明しても片目があれば・・・と言うことでシャキシャキと歩きまわり、日常の買い物から墓参りまで「自分でやる」その姿、見倣うべし。

 

画像は友人の「女墓場」の2週にわたっての山歩きの画像。

①②③は本栖湖の駐車場に車を停めて目の前の山、山梨百名山竜ケ岳に登ったそう。③が本栖湖。

尚、石仏ルートを登ったそうですが、「大したことない」と一蹴されてしまいました。

 

④⑤は先々週、竹芝桟橋から高速船で大島三原山に向かったそう。その精力的に歩く姿も偉大です。

 

 

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2021年

12月

20日

動き出した大河ドラマ招致委員会 田沼意次

 

井沢元彦氏による「田沼意次」の講演会が午後からありました。

コロナ順延で3回目の機会です。

午前中に井沢氏を連れて拙寺本堂を案内されるとの連絡を学芸員の長谷川氏から受けていましたので内陣ほか照明を点けてから史料館へ向かいました。

私は講演会までの時間、史料館で史跡研究会の会合がありましたので・・・。

その後長谷川氏が戻ってきて、「本堂と本堂床下の相良城廃却の材を見た」とのこと。

私はその件、最近になって皆さんがそれを目当てにやってくることが多くなっているため、「やはり床下に照明と手元スイッチを付けた方がいいよねぇ・・・」と長谷川氏の顔色をうかがってみました。

すると「それはありがたい・・・」とのこと。

大した労力がかかるわけでもなく、その辺にある器具を使って配線してみようかと検討している次第。

 

白熱灯など熱の出るものはNGですから、LED電灯の使用となりますが、要は手元にON OFFができるスイッチがないと不便ですのでそこをどう配線するか思案のしどころ。

「無用のほぞ穴」のある材から大型建造物のリサイクル材であるというのがその証ですが、床下の材のうち各所散らばるそちらをピンポイントでわかるようにできればベストです。

しかし、それはかなり厄介。今のところ大雑把に床下を明るくする・・・そんな感じでしょうかね。

 

井沢氏講演内容は南鐐二朱銀はじめ「田沼意次スバラシイ、朱子学一辺倒の松平定信はバカ」の流れでそしてその反対の歴史をずっと容認してきたエライ歴史学者はみんなアホ・・・そんな感じ。

まさに最上級に田沼意次を持ち上げた内容でした。

歴史を客観視してみればまさにその通りですから異論はナシということで。

 

意次の銅像建立記念講演と銘打っていますので当然でしょうが、講演の終わりの締めで市長が「大河ドラマ誘致宣言」を「重大宣言」として勇ましくぶちまけるシーンがありました。

井沢氏と壇上で肘タッチをする様子は、おそらく地元新聞社を意識したものでしょうが果たして喰いついてくれるかな・・・

 

来年早々には誘致委員会なるものが立ち上がって活動が開始されるとのこと。

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2021年

12月

19日

焼き芋のイモ高値 除夕鐘今年もやります

 

午前中は境内諸作業の続き。

今年一番の寒さで鼻水垂らしての時間でした。

午後4時から飛び入りのミニ法要がありましたので昼には早々にあがって沸かしてもらっていた風呂に飛び込みました。

贅沢な身分とは思いますが、長湯は冷え切った体に一番、最近になってのジジイ度進行の証・・・背中や肩の痛みが一瞬間ではありますがラクになります。極楽気分たまりません。

最近は冬の風呂で亡くなる人が増えているといいますが、それならなるほど文字通りの極楽湯。

 

やはり父は冬の風呂場で倒れたことがありましたが母が「あの時はどうにもならなかった」と言っていたことを思い出します。

裸のままの父は重たくて服を着せるにも動かなかったということです。

母は「寒かろう・・・」とひしゃくでお湯をかけながら救急車を待ったという笑い話がありました。

その後父は奇跡的な快復があったわけですが、奥方と「風呂場で倒れたら」が話題になると「お湯をかけてやるから心配するな」となります。

 

しかし「湯ぶねの中で・・・」となるとまず話は違います。

心疾患など血管の異常や血圧変化で卒倒してしまうとそのままお湯の中に沈んで溺れてしまうからですが、奥方はそっちの方が心配のようで最近は「膨らんで浮かんでいたらヨロシク」と言って風呂場に向かいます。

「1時間もすればいい出汁がでてるべ・・・」ですが・・・。

 

世の中には・・・圧倒的にご亭主がされる方でしょうが・・・苦労して伴侶を風呂場から引き釣り出さなくてはならないような例が多くあるようです。

 

風呂は家の中で最もリスキーな場所といいますのでこの年になるとお互いの風呂タイムくらいはチェックする習慣は必要ですね。

一人住まいとなれば風呂こそ命がけ、風呂場の温度くらいは気をつかわないとね。

酒などひっかけて「ひとっ風呂」など・・・ヤバイでしょ。

 

4時からの法務は今年春先に会社内で食事中に突然死したというた方でした。一人住まいでさらに遠方のことで不審死ということから警察が入り、葬儀もしていないとのことですが、さらに遠隔地の墓に納める前にお念仏を・・・ということでした。

風呂、風呂とその危険性について記しましたがそれに限らず身近な生活の中、どこにでもリスクは転がっています。

死というもの、一つの縁ですね。

 

さて、昨日の電話に檀家さんから「今年の焼き芋はヤバイ・・・」の警鐘がありました。

大晦日の除夕鐘は前年と同様、控えめとなることは了承済み。

しかし暖をとるために「焼き芋」の販売は例年通り計画していたところ、ここのところのすべての値上げラッシュの中、特筆的な高値となっているのがイモだそう。

 

焼き芋ブームとやらもあってイモの取り合いになっている中、産地のイモの市場入荷が激減していると。

昨日の電話では例年1箱800円がこれから2500円近くまでになりそうといいます。

毎年100円というのが拙寺の売値ですが「とてもじゃないけど

1個100円なんてありえない」と婦人部のみなさんからも。

毎年100円というのも利益ナシですから・・・

 

除夕鐘は午前11時開始。10時45分より本堂にて正信偈。

なんとか無事にすごせますよう。

 

①②は嫁に出た妹の娘に男の子が生まれて、お祝いのお返しの包装紙に入り込む当家の足の悪いネコ(股関節が生まれつき変形していて右足が伸びたままになっています)。

昨年は当家の古株「氏真」、先日はその母「寿桂尼」が天寿を全うしましたが、彼女の拙ブログ登場は久しぶり。

大切にされて元気なものですよ。

当初は獣医に「足を切りなさい」と手術を推奨されましたがそれは無視。まったく問題なく生活しています。診断もいい加減なもの。

彼女は悪い足についてその不都合を無視してまったく気にしていない様子です。

ネコというものの達観は人も見習うべきですね。

 

ちなみにその妹の孫の名前は「怜恩」。

今風とはいえかなり仰天の名です。

息子がそれを聞いて「ジャン・レノじゃん・・・」と。

映画好きは私と同じでその件は私も同感です。

まぁそのものズバリ(プロの殺し屋の名)ですからね。

そしてその劇中に流れる「Shape Of My Heart」とその詩は幾度も聞いてまた読みかえしたものです。

「Meditation」から始まって「My Heart」のカタチ・・・とは。昨日ブログも「心」がテーマでしたが自分のハートほどわからないものはナイですからね。

 

そして妹の娘に御礼の電話をかけました。

お参りに来たら私からのご挨拶として「レオンをさかさ吊りにしてあげる・・・」というと「洗礼ね」と軽く返されました・・・

大分大人になっていましたね。

彼女もその弟もその「私の洗礼」とやらの「昔、悪い叔父にやられた」という伝説は両親から聞いて知っています。

その姉弟は私よりもその両親に向かって「何故止めなかったのだ」と問い詰めているところは奥方が笑うところ。

 

その「レオン」を観たことがあるのかまた内容を知っているのか私は知りません。

 

 

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2021年

12月

18日

元興寺五重塔を連想「画図百鬼夜行」ガンゴジ

 

大阪曽根崎の痛ましいビル火災は放火とのこと。

午前中からテレビ画面からはその様子が映りだされていました。

風の強くなる時節がら特に火の恐怖は頭から離れませんが、その事件は訪れた者が可燃性液体を撒いたといいます。

最近やたらと増えたと感じる電車等で行われたその手の暴挙と同様でしょうか。

 

居合わせた人たちは気の毒の一言です。

拙ブログでも「ぶっ壊れている社会」について記すことが多くなってきましたが、人々の「心」というものが平常にはない一種不気味な不安定感に追い詰められているのでしょうね。

 

私は昨日で3日連続になりますが軽トラにて砂利(石灰)の搬入。

知り合いの山に向かってから、積み込みと下ろしは手作業。

よって腕の関節痛が再発しました。

朝方まで続いた降雨によって庫裏の雨漏りも再び発生。がっくりです。

その対応のために「屋根に上がる」と奥方に言えば「風があるからよしなさい」ということで砂利の仕事に専念しました。

これから当分の間は晴れ間が続きそうですからまぁそれもよしですが。

 

雨上がりの山は酷いものがありました。

土の斜面に積もった落ち葉で後輪が空転してしまい一瞬携帯を忘れずに持ってきて「よかった」(ヘルプの要請)などと。

「やっぱり屋根の方にしとけば・・・」と後悔の念を起こしつつ数度かチャレンジ、坂であることが功を奏して、脱出-スタックを数度繰り返して登攀成功。

砂利を少なめに積みこんでから今後は雨上がりの山は止めておこうと思いつつ帰宅。

尚、坂は荷台の砂利の重たさがありますのでギアは1速で相当慎重に降りなくてはなりません。各所から水が漏れ出ている斜面を降りつつ「アホもいいところ」と反省しきり。

 

坂道の下りは恐ろしい。

坂道を下りている時に思うことといえば「老ノ坂」。

下り出したらその時まで止まれませんしあっという間にその時は来ますからね。関節痛どころの騒ぎではありませんよ。

「老ノ坂」といえばブログでは大江山のそちらに熊野観心十界曼荼羅そして酒呑童子に首塚大明神

ヤバイこと、化け物が潜んでいるということ、そして無常の示唆ですね。

 

さて元興寺。

実は拝観料が唯一ある極楽坊の方ですが、鬼をウリにしているお寺です。

その鬼の伝承の根拠となるのが日本霊異記の「雷の憙を得て生ま令めし子の強き力在る縁」で道場法師なる僧の出自からの不思議なお話。

「憙」は「よろこび」・・・「心」の字体が光ります。

雷を喜ばせたおかげで授かった子供が怪力の持ち主。

その子が童子として入った元興寺に出没する鬼を捕まえその髪をブン廻して退散させたという件ですが、その髪というものが実際に寺宝としてあったといわれています。

 

柳田国男は否定していますが、元興寺(がんごうじ)の読み方として、「がごぜ、がごじ、ぐわごぜ、がんごう、がんご・・・」などあるようですが一昔前までは「ガゴゼ、ガゴジ、ガンゴジ・・・」という「お化け」を表す言葉があってそれらの発祥が元興寺であったなどと言われていたよう。

 

私がそれに似た言葉といえば「ガンガゼ」。

海にはどちでにもいます。

ウニの針の長いヤツで青い目のように見える不気味な様態と危険性はまさに化け物を感じました。

 

画像①②ともウィキから。

①には「がごう」とあります。

②は鳥山石燕の妖怪画「画図百鬼夜行」の元興寺に現れたという僧形の化け物。

この画像を見て思うのが手摺のあるところから五重塔の最上階のように見えます。

となると伝承の場所は正確には現在の元興寺塔跡の方かも知れませんね。

やはり化け物は鼻高々で「高いところ」にいる ・・・?

 

③は野観心十界曼荼羅図の中心に表れる「心」の文字。

心次第では見えないものが見え、見るべきところが見えてきません。

今、自暴自棄の不安定な心が増えています。

心の安寧・・・大切ですね。

 

 

 

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2021年

12月

17日

石仏たちのディスプレー 3つ目の元興寺 元興寺塔跡へ

 

トーキョーの新規感染者は1人増えて久しぶりの30人。

「やはりね・・・」と思うのが、都内で見つかったオミクロン感染者の件。

12月8日にアメリカから帰国した都内の20代女性といいますが、成田空港での検疫では陰性だったそう。

これが昨日記したザルの話「抗原検査」での偽陰性というところでしょうね。

女性は9日に発熱して10日に医療機関を受診したそうですが、ある男性と接触していたということでその人は濃厚接触者。

その濃厚接触者は12日の等々力球場で家族3人と同僚7人でサッカー観戦。

15日にその男性は陽性が判明しています。

 

一応これまでのところですが、空気感染しやすいウィルスに「濃厚接触者」の意味が今一つわかりません。

男性の家族と友人10人が「濃厚接触者です」と言われても、球場には17000人以上入場者があって、あっちこっちそれぞれが動き回っていればもう無茶苦茶です。

まぁ今後爆発感染の「導火線に火を点けたな・・・」と思うところ。

 

そういうことを承知の上で空港の抗原検査に拘っているのですからそれを「間抜け」と罵られても仕方なし。それともわざとやっているの?・・・

まぁPCR検査でそれをすり抜けたというのであれば「仕方ないね」で済むところですが。

 

さて、3つ目の元興寺へ。

いわゆる五重塔(こちらは大塔)がかつてあったひとからそう呼ばれています。

門を入ってスグに覆堂が。

中には石仏たちが壁面に沿って積み上げられていました。

正面の仏たちを見せたいという意図はわかりますが、他の情報は側面、裏面などにもあるものです。

ただし風雨に曝されない分、守られているのでは・・・。蛇足ですが毎度の通り前掛けは不要と思われ・・・。

 

⑤画像など上段船形光背の半肉彫像は錫杖が見えるところから推測できます。

宝珠もそうですが、頭上の種子ほか他に左右に6つずつの種子(十三仏)が目視できませんね。

室町後期のものとのこと。

 

 

  

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2021年

12月

16日

叢の中 美形の金剛界四仏宝篋印塔 小塔院跡

 

お隣の韓国は新規感染者も死者も過去最高更新(7850人と94人)それで、なおまたオミクロン感染判明は128人。

よってウィズ・コロナの緩々の風潮を一気に改めようともがいているようですね。

日本においてもオミクロンなる変異株の濃厚接触者多数の存在が報じられだしました。いよいよ六波の始まりでしょうか。

昨日の東京は久しぶりによく言う「30人」ギリ手前の29人ということで、そろそろ怪しい・・・といった感じが漂っています。

 

以前もブログで記していますが、相変わらず空港のチェック体制は大甘で抗原検査での対応。

目の粗いザルとしか言いようがないですが、専門家の弁を借りればPCR検査(遺伝子検査)と精度の違いは「1万倍」・・・昨日の専門家は「100倍」と言っていました。

 

なぜに空港での検査にその「抗原検査」を拘るのか・・・その検査薬を製造しているメーカーと政治家の裏取引があるのでは・・・と勘繰りなるところです。

専門家の言う精度、100倍の差ということは偽陰性の数も半端ないと思うところ。理にかなわない。

 

昨日も国土交通省の統計調査(基幹統計・・・重要の意)の数字を改ざん水増しを8年も行っていたというデタラメの仕事をしていたことについて報じられていましたが、まったく高給取りが何をやっているのでしょうね。何もかもまったく信用できません。

3年前のアベソーリの時代にも指摘されていたことでからね。

 

その「抗原検査」を精度の高い「PCR検査」へ頑として改めない理由に「場所が無い」とかの意味不明の弁解がありましたが結果としてザル。

その「抗原検査」の導入の旗振りもアベでしたね。やはりインチキくさい。

 

そのアベソーリの禊を進めて色々「なかったこと」にしようという見え見えの作戦の決行が昨日2件ありましたね。

まずその1。

たくさんの疑惑のあるアベソーリでしたが強烈に庶民レベルまでその間抜けぶりを晒した「アベノマスク」についての尻ぬぐいの件、希望者にタダで配るという策。

年間億単位の管理費(昨年8月から今年3月の保管費用が約6億円)が発生するそのお荷物をどうするかについてです。

ある新聞社の見出しに「安倍に買い取らせろー8000万枚余ったアベノマスクの希望配布に大ブーイング」とありました。

まったく御意。

 

タダで配ると言っても今更その希望者はいるのかどうか。

今更高齢者施設でもそんなものの洗いによる使いまわしはしないでしょう。

不織布マスクを使い捨てした方が衛生的ですからね。

当家では昨日、50枚で300円代のマスクを補充しました。

 

配送料も半端な金額ではないでしょう。それも税金ですから。

何しろ早いところその「汚物」を処分したかったのですね。

国民はその処分状況を監視していかなくては。

 

要りもしない意味不明のマスクをワケわからん業者に大枚叩いて作らせたそれ、資金の流れもよくわかりません。

あの御仁のポケットに還流してるのではないか・・・などとこれもまた勘繰ってしまいます。

 

昨晩はNHKのクロ現+、生活困窮によって「家を失う女性たち」、「家賃が払えず生活費が底をつく」を視聴しました。

女性のホームレスも増えているなど社会は歪み切っているというか既に庶民レベルではぶっ壊れているという現状。

それなのに保身一辺倒で「再度の自身の芽」を待つ悠長な無知な御仁がいるなんて。

 

旅行会社H.I.Sの件もそう。

No.2とNo.3の役員がそれぞれ社長をしているその子会社に「Go To」のインチキやらせて億単位のカネを国からせしめていて、どこ吹く風の経営者がいることも腹立たしいことです。国もグルだったりして・・・

 

その2。森友問題(アベの不利になる事実の隠蔽を命令)で自殺した公務員の妻が起こしていた裁判について、国は争わず、損害賠償請求に応じたと。

要は訴訟にはならず真相の解明はこれでできなくなるということですが、これもその継続によってヤバイ話が表に出る可能性があって「はやいところ国民に忘れてもらおう」という意向が見て取れます。

 

あの人にまつわる周囲の忖度の度ときたら目に余るものがありますね。

現総理の方はといえば一昨日の答弁で「マスクの件(倉庫の肥やしで黙っていても出費する様)は何とかしなくては・・・」

「私の内閣で桜を見る会などヤル気はナイ」などどアベの心情には一線を画す風を感じました。

しかし、その周囲からはヨイショする動きがあったということ。

いよいよアへは現総理の失脚を望んでいるかも知れない、などと思うようになりました。すると「オレしかいない!!」としゃしゃり出るという算段、まぁ院政というところなのでしょうが、大いにあり得る。

そうともなれば国民はバカにされまくっています。

 

さて、昨日ブログの元興寺小塔院

堂は虚空蔵堂とのことで本尊の名がそれでわかりますが、私の興味の方向としては堂の背後に見える宝篋印塔。

 

相輪上部の欠損はあるものの、優美かつ凛々しくそれでいて密かに叢の中に佇んでいる謙虚さに感動を覚えます。

ウェキの記述を転記すれば

「法相宗の有名な学僧である護命は小塔院僧正と呼ばれ、承和元年(834)にこの小塔院で亡くなっている。現存の護命の供養のために作られた宝篋印塔は、鎌倉時代後期のものとされる。」

です。

塔の下の石標に護命の名が記されていました。

 

ただし、私の教科書「奈良県史」にはその名については記されていませんでした。

しかしその評価としては「その作風は優れている」と締めています。

 

同誌より。

「花崗岩製 相輪上部を欠損して現高183㎝、反花座を設ける。基礎高さ47㎝、側面高さ37.5㎝、幅62.5㎝で側面四方素地、上二段式。筒身高さ34.5㎝、幅35㎝で四面とも枠取りをした内部に月輪内金剛界四仏の種子を薬研彫りする。

その字画は雄渾で優れ、鋭く彫りこまれている。笠高さ49㎝、軒幅61㎝で下二段式上六段式。

隅飾り高さ16㎝、下幅14.5㎝で軒面より少し入って立ち、先端でその分だけ外斜する。二弧輪郭つき、内部素地。全体の様式技法から見て典型的な大和式宝篋印塔」

 

叢の中には他に多くの石仏、石塔が隠れています。

 

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2021年

12月

15日

小塔院跡 五重小塔と浄瑠璃寺三重塔の件 大峰山碑

寒い一日でしたが風がなく外仕事の継続。

すると雨が降りだして「やめた やめた~」などと吐き捨てて庫裏に入ってぬくぬくしていれば不思議や不思議、午後には雨はやんで日が出ているほどの変わりよう。

 

再びツナギに着替えてあれこれ些末な仕事。境内に滞留した一日でした。

檀家さんが掘りこまれて黒い土が露わになった場所を見て「どんな風になるのか楽しみだ」などと声をかけられましたが、ただの車置き場。楽しみだなどと言われると困ってしまいます。

土が流れて見苦しくならないよう上部に畝用の土留め板を設置するなど念入りに少しずつ進めていますが。

 

あの土留め用のプレートはよくできています。

サイズも各あってまた複数を連ねて長く連結できるようになっていますので今後墓地西側の土塁下の浸食箇所にそれらを並べて土砂を補充しようと考えています。

 

またある檀家さんから、「来年のバス遠足は是非に」との声。

どうかキャンセルにしないで予定通り催行してもらいたいということですが、その件に関しては私が勝手に決めていると思われたら困りますね。

あくまでも将来の事はわからない。コロナ次第ですね。

 

その遠足はこれまで3度の中止順延を繰り返していますがその遠足の納骨以後の二日目のお遊びの部のテーマが「南山城の南無阿弥陀仏」です。

岩船寺から野山を浄瑠璃寺まで歩いてその後に円成寺を見て帰路に就くというものですが、どちらも苑池を前に阿弥陀堂のある浄土を意識した古刹です。

 

先日は浄瑠璃寺の三重塔を紹介する番組を視聴しましたがあの平安期の塔には心柱も無ければ四天柱も無いという構造だといいます。外見からは四隅に簡単な柱のようなものが見られますがそれは四天柱とは違うよう。

 

塔といえば心柱というのが常と考えていましたから驚きでした。私ども家族、父母も機は違うにしろその寺に参っていますが(私など5~6度くらい)その塔の中には入っていませんでした。

 

しかしそのような造りの塔が、他とは小さ目とはいうものの立ち続けていることの奇特に感じ入るばかりです。

 

さて、奈良町の元興寺は厳密に現状3つに分かれていることを記しました。

そのうちの小塔院跡に。

やはり先日記した庚申堂のスグ先に入口がありました。

呼び鈴のある小さな門があってあたかもどちらかの家の路地口の様。一瞬躊躇しましたがそのまま失礼、進入しました。

 

するとお堂があって手前には大峰山三十三度の記念碑。

仏教寺院に歴史的には明治前後と決して古いものではない修験道のマスター成就の記念です。

私的にはちょっとね・・・の感。

三十三という回数の意味も分かりません。私達で言えば「四十八」(弥陀の四十八願)という数字が思い浮かびますが・・・

 

尚、私ども浄土系にも「行」の回数の概念はありました。

と言っても口称念仏1回か10回か・・・の如くですがね。

本山に「何回行った」で記念碑は建てません。

それはそれで人によっては達成感というものがあるということでしょう。

 

また、元興寺の宝物館に鎮座する国宝指定の高さ、5.5mの奈良時代創建の五重小塔(こちらのサイト参照)はもともとこちらにあったというのが定説です。

小さいながら奈良時代の「塔」ですが平安、鎌倉、江戸期に修理の手は加わっているようです。

経年室内の保存のためまるでマニアの手による模型の如く。

各国宝展等に出張って人々の目に触れられている五重塔ですね。

 

①②③画像は入って来た側の逆側の参道。そこから退出。

その入口の近くに崩壊した築地塀の跡が。

指定史跡であっても管理は行き届かないものです。

 

 

 

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2021年

12月

14日

建物滅失登記完了証 元興寺の石仏たち②

冷たい風が吹く朝でしたがそろそろ耐性のついてきた私はドカジャンを着こみながら境内庫裏前の駐車スペースの整地作業を行いました。

午後からは先般掛川法務局の担当より登記完了証について「週明けには出来上がっているかも・・・」とのことでしたので掛川へ。本来ならば「14日以降~」と引換証にはありましたが、「その程度の柔軟性はある」と見込んでダメ元でチャレンジしてみました。

 

すると受付してしばらくして「できてますよぉ~」の声。

ありがたや・・・。

これで今度の叔母の家の解体、そして滅失登記が終了したということでいっぺんに気がラクになりました。

 

今年を締めくくる一字が「金」ということでしたが、なるほどです。今、雇用調整助成金やら持続化給付金などカネにまつわる大いなる疑問を湧き起こしている事案がありました。

昨日ブログでは「寺社大変」と宗教法人困難の色々を記しましたが、寺社においては基本的に国からのヘルプはナイというのが大前提。

アメリカでは教会など宗教関係者に給付するシステムは出来上がったようですが日本は「政教分離」を強く建前としていますからね。

ただし「持続化」の方はNGとしても「失業者」の発生という点で考えれば「持続化給付金」の方は理屈としてはあり得るかも知れません。しかしその方法と現実の状況は私にはわかりません。

 

要は拙寺の如くの住職と坊守の二人だけで「経営」している寺にその恩恵について求めようとすることなどあり得ないワケで・・・。よって昨日の記した「神主は喰わん主」と自虐するなどの不安定な神職たちや檀家数の少ないお寺の住職家族は「やっていけない」の愚痴は出ますね。

私の懇意にしていた住職(ここ1年近く連絡していません)はキャバレーやラーメン店など飲食系などで仕事を掛け持ちしていましたがそのような仕事も無くなっていましたからね。

 

そんな中ニュース報道で見た政治家事務所で雇用調整助成金

をゲットした政治家やら持続化給付金を詐術によって大金を得ていた旅行会社など見ているとやはり本当に我慢している者からすればカチンときますね。

 

そのカネ配りのシステムの盲点を突くというしたたかさ狡さも腹が立ちますが、大事な国民の税金をそう簡単に騙し取られている政府の方に疑問が生じます。

特に詐欺行為に関してどこまで取り戻せるのかわかりませんが、徹底的に調査して取り戻したうえ社会的制裁を与えていただかないと腹の虫がおさまらないというものです。

 

TBSの番組では「Go To」のインチキ詐術の件を視聴しましたが「泊まらなくてもいいから名前を貸してくれ」と言って1万円もしないビジネスホテルに名前だけ人を集めたとのこと。中には「69連泊」などの例まで。

その宿泊実態のない「Go To」の申請は一泊4万円。

その50%の2万円/一泊を国からせしめるというやり方ですね。

現状取材に業者は惚けまくっているようですが、いわゆるコロナで儲ける「焼け太り」をも感じます。真面目にそれをただ受け入れ、苦しんでいる人たちがいるのにね。

 

そのことなのか、別件なのか国内大手旅行会社のH.I.Sの子会社がその「Go To」の不正受給の件「やってました」の報道がありました。

おそらくその手のものでしょう。その会社以外にもたくさんあるような気がしますがね。

 

その手の悪辣な会社には社会的制裁を与えなくてはね・・・やりたい放題やられて・・・そのH.I.Sなど助成金は別に受給しているは

ずですから。正規でゲットしてインチキで盗るのW獲り。

お国の方もしっかりと刑事事件として摘発していただかなくては。無茶苦茶のやられっ放しは我ら国民があまりにもアホ。

 

私はそんな業者は使いたいとは思いませんよ。

もっともまず海外旅行など行きたいという気は消え失せましたし、国内どちらに行くにしろ自分で手配するかお寺のバス遠足くらい。

 

さて、元興寺の石仏は浮図田だけではありません。

まず門の内外でお出迎えしていただけます。

首の飛んだ石仏も見られますがこれも明治期の廃仏毀釈の無茶が推測できます。

六字の自然石の板碑が見られますが文字のバランスから元はひと回り大きかったように感じます。やっぱりこん棒でぶっ叩かれたのでしょうか・・・そう思うと痛々しい・・・

 

最後の画像が昨日掛川の法務局で交付された完了証。

少しでもお金を浮かそうと自身動き回った成果です。

交付されたのは13日でしたが12月8日が正式な日付でした。 

建物滅失登記には手数料(印紙代)不要です。

その件も初めて知りました。

 

 

 

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2021年

12月

13日

菅ケ谷 時ケ谷地蔵尊 地蔵たちより・・・川田関りを思う

米国の竜巻には恐れ入りました。日本とはスケールが違っていてまったく度肝を抜かされます。

まぁ一言でそれも「温暖化」の影響なのでしょうね。

 

昨日日曜日、今年最後の法要が終わりました。

いつもの気温でいえば本堂内は寒く、無風の外気の方が温かいという感じ。

師走と言えば1月、2月の極寒期を避けて早めに法事を澄まそうと駆け込みで法要を催行する家があるものですが、今年は皆さん、そうもいかないようです。

全国各地葬祭場に寺社の窮状が聞こえてくる昨今ですが、コロナ禍におけるその「経営」維持はますます厳しさを増しているよう。まぁ拙寺の場合は過疎化一直線の田舎寺ではありますが御門徒各家に支えられて何とかやらせていただいています。

 

今、寺院の「経営」などと記すと「お金儲け」のイメージが先だって、妙な感じがしますがそもそもその語、元はと言えば「経を営む」の通りお寺から出た語。

まぁ、寺の維持という観点からしても経済的維持が立ち行かなくなるということは厳しいですからね。

やはりその「経営」(維持)のスタンスは不可欠となります。

 

先日は相良の薬局とスーパーマーケットの「淘汰の時代」のようなことを記しましたが寺社であってもその通りのこと。

浄土宗僧侶の鵜飼氏の書籍「寺院消滅」から・・・

「現在、全国に約7万7000の寺院がある。そのうち無住寺院は約2万カ寺に達している。さらに宗教活動を停止した不活動寺院は2000カ寺以上にも上ると推定される。無住寺院とはつまり空き寺のこと・・・」

 

また「日本創成会議」が発表した「消滅可能性都市」について。「このまま大都市圏への人口流出が止まらず、若年女性の減少などが進めば、2040年には全国の自治体の49.8%が消滅する可能性がある」といいます。

寺院に限っての話ではありませんね。

 

「2019年末時点で全国には約8万の神社があり(文化庁--宮司などの神職は約2万1000人)1人で複数(50以上等)を管理する場合もある」とのこと。

その「消滅可能性都市」に挙げられた896市区町村には約3万1000社の神社があるといいます。

 

私の知り合いの刀剣砥氏で神主の中村氏が口癖に言う言葉「神主は喰わん主」の語が思い出されます。

 

お寺のことを記せば特に最近「兼務」という語を耳目にする機会が増えました。

まずは後継者不足が主たる要因です。

他流の場合は特に住職といえば本山からの任命からその「血脈」(俗にいう血統ではない)を継承することになりますが、まず打診があってから入寺するパターンとなります。

ところが受け入れ側としての選別が行われて実際に寺に入ろうなどいう僧はいないということ。

 

要は檀家数というものは寺の勢いでもあってそれの減少と実数が少ない寺には食指は動かないということですね。

よって兼務寺院ばかりで通常時「無住」の寺が増えているということ。

今、そこいらじゅうにありますね。

特に山間部の人口減少の「さびれた地域」がそうですが、アホな連中がネット場に「心霊スポット」などと紹介し、それを観たまたアホな連中が肝試しとばかりに大挙してその空間を荒らしまくっているという現状も報道されていました。

 

「血脈」が「仏縁」のことだけでなくイコール「血縁」である当流の場合はそれでも寺=My HOMEですので何とか「寺を出ていく」ということには即座にはなりませんが、世の超ネガティブ状況を目の当たりにして、「あと三代もつのか・・・」などとも思ったりして・・・まぁ本堂維持次第でしょうね。

アメリカのような竜巻に襲われとしたら・・・やはり逃げ一本でしょうか。

 

さて、画像は相良菅ケ谷の字、時ケ谷の地蔵尊の祠。

大聖寺の谷を隔てた道路脇にそれはあります(場所はこちら)。

地蔵尊とあるだけに数体の地蔵がありますが、私が「ほぉ~っ」という具合に眼が止まったのは地蔵たちが立つ板の下。

そちらには宝篋印塔の笠などの残欠がその存在を主張していました。

 

時ケ谷は旧菅ケ谷村の役場があったり明治初期の油田開発の中心地域にあたりますが、何故こちらにこの古式溢れる宝篋印塔の残欠があるのか不詳です。

隅飾りの摩滅などもあって推測は難しいものがありますが室町から江戸初期は固いでしょうね。

この手のものは元興寺などのように寺に持ち込まれることが多いものですが、寺ならば正面に大聖寺がありますからね。

 

そうなるともともとこの祠、あるいはそれ以前から鎮座されていたのかも・・・などと考えます。川田砦川田平兵衛を思い出しま

す。

また近くの相良の園(字名)に宝篋印塔の残欠もありましたね。 

 

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2021年

12月

12日

浮図―ふととは仏・寺・墓のこと 元興寺「浮図田」

やはり無風、そして気温高めで外仕事には快適な一日でした。

よって絶妙な墓参日和でもあって境内には明るい声が響いていました。

とはいえこれだけのお天気となれば行楽日和ということもあってお寺参りは「この次で・・・」という皆さんも多かったでしょうね。

 

大抵の土曜日の夜といえば自分が思い出す限り「寅さん」にチャンネルを合わせますが一昔前の時代のものとあって視ていて毎度毎度違和感というものはあります。

宗教的考証はゼロのところは以前記しましたがほとんど現代では考えられないような、いや当時であっても無茶苦茶、殆どフィクションともいえるバカバカしい単純人間主人公の人情ドラマですからね。

しかしそれを何度となく面白がって視ている私がいるというワケです。

 

近頃になって特に「昔はそうだったなぁ~」と思うのが「タバコ」を口にする情景の多さ。

その頃は誰もかれもその煙を吐きまくっていましたからね。

今はその手の景色はそうは見ることがなくなりましたので懐かしく思いますよ。

 

社会に分煙というものが進んでタバコ吸いたちが「隔離」の道を歩むことになったからですね。

以前も記しましたが、大昔、禁煙は当然の小田急線車両の中で、タバコを取り出して一服しだした私より年上の男がいました。

私はその人の目の前に座っていましたので「そりゃダメでしょう・・・」と注意しました。

するとその男は刃物を取り出して思わず私は沈黙させられましたが、父親と祖父のヘビースモーカーにヤラれてきた経験上その煙には人一倍の嫌悪感があります。何か注進したりすればキレるところなど「やはりね」でした。

映画館の中でも昔は平チャラでタバコを吸っている輩もいたほどで「禁煙」の掲示など殆ど無意味。むしろ余計ないざこざの元でした。注意するなどまさに「命がけ」でした。

 

タバコについてダメを指摘されると刃物を出すほど腹が立つことはよくわかります。父などはタバコを切らすと「禁断症状」とか言いながら人や物にあたっていましたからね。

今、刃物などを電車の中でチラつかせたりすれば即刻電車を止めることになってテレビ局が飛んでくる時代です。

愛煙家、嫌煙家双方にとって「分煙」というものがよき時代となったといっていいのではないでしょうか。

 

ブータンという国はそもそもタバコは禁止。

私にとってはその煙を吸い込む機会がゼロというところ、とても羨ましくおもうところです。とはいえ今通常に生活していて他者の煙で困惑させられることはまずなくなりました。

コロナでヘビースモーカーの「奥の墓道」氏と会う機会がまったくなくなったことも多きいですが。

 

しかし今回(12/9)発表されたニュージーランドの「タバコフリー社会」の試みというものは素晴らしいことだと思います。

わが国では依然、刃物ならぬ「喫煙する権利」なるものを振りかざしている人たちがいますが、皆の共通の空気、大気を汚していることをあまり理解されていないよう。

なによりそのタバコは当人の癌はじめ各種病気の元。それを他人にまで及ぼすという害毒についてしっかり国の方で考えていただきたいものです。

 

ニュージーランドの試みはその「刃物」を振り回すほどの常習性のある人を対象にしておらず、現状「14歳以下」といいます。

一瞬何の事?と思いますが実に素晴らしい。

当然来年は「15歳以下」翌々年「16歳以下」・・・のように、年々それが上がっていくわけで、将来、国の屋台骨となる若き国民にそのターゲットを絞るというやり方。時間の経過とともに喫煙者はゼロに。

日本もそれができないものかなどとと思案するも、タバコ会社の存続(そちらでは「タバコ農家の存続」を口にします)に気を遣うスジもあって一筋縄ではいかないのでしょう。

 

あれだけ健康を害することがわかっていてやはり国民の健康よりも経済の方にウェイトをかけていきたい風を感じますね。

 

さて、昨日の元興寺の二つの堂の南側には無数の石塔が並べられています。

とはいえ墓域というよりも「集められて並べられた」もの。

よって今となっては墓ではなく墓標ということになります。

室町期を主に当尾で見られるような石龕二体仏なども見えます。

この様相は圧巻ではありますが奈良時代のこの手の寺の境内には墓地の存在はありえません。

 

 

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2021年

12月

11日

奈良時代 行基葺古瓦は赤茶系 元興寺

風がなく安定した晴れの天気はありがたい。

朝から境内作業いろいろ捗りました。

お昼も忘れて外にいれば奥方は14時から検診ということで結局昼食は抜き。

奥方帰宅後16時すぎに「早めの夕食」ということで波津のかつみ食堂でかつ丼をいただきました。

早い時間です。次のお客が来ないということで主人夫婦と雑談の時間となりました。

 

真ん前の工事現場の職人たちの昼食時間の店の利用についてどんなものかと聞けば、殆ど車の中での食事。

コンビニ弁当だろうとのことでお店に来られたのはこれまで数回程度だといいます。

旧相良バスターミナル跡に今流行りの生鮮食料品を扱うドラッグストアが建つわけですがそこの従業員の方も期待はできないといいますね。パートさんが多い職場ですからひょいと「かつ丼」にはならないでしょう。

 

ただし老後はその店の開店によって超便利になると。

郵便局に銀行も隣接して車はまさに不要の場所。

これから試練を迎えるのは既存のスーパーにコンビニ、そして薬局でしょうか。

拙寺檀家さんの薬店は数年前にこの本通りから大沢に移転したのでしたが、今一度どちらを本店としてもかまいませんが、本通りに店を開くことはできないものかとやはり勝手な思いを抱いてしまいます。

 

車での移動ができない高齢者の利便性もそうですが、商圏を分けて考えるのも一案。

私自身は近隣の道路が渋滞することに恐れおののいています。

またそちらは事故の多い交差点の角ですからね。

 

田舎者の私は新しいもの(新参者)にはそう飛びつこうという気にはなりませんが、「主婦の力」は強いですからね。

といっても主婦は「セール」と「ポイント」いう語に弱い。

また、その出店に町の活性化というものよりも「淘汰」の時代到来の悲観が。

何とか檀家さんのその薬店に真っ向勝負はしようもありませんが、特異性、差別化を意識、主張して「一所懸命」に気張っていただきたいと思います。

 

さて、元興寺の極楽坊の隣接する主たる国宝建造物が寄棟造の本堂と切妻屋根の僧侶の居住空間「禅室」です。

その両建物の瓦に一部ではありますが「行基葺古瓦」が健在です。

本堂の「西流れ」と禅室の「南流れ」ですが、現地では色が明らかに違いますので目視でOK。

赤茶系ですが画像の判別がしにくくて申し訳ありません。

感じだけでも。

奈良時代の瓦が未だ現役であるということが奇特です。

 

 

 

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2021年

12月

10日

泥水遊びと檀家さんとのひと時 皿を見て真珠湾を

再び境内作業に復帰。

葬儀会場になったため2日間のブランクがありましたが、外気温は16℃で、日が当たり出してからドカジャンを脱ぎ捨てました。

とはいってもあっという間に本堂ウラに日が沈んで、再びジャンバーを着るはめになります。

「水遊び・泥遊び」とは奥方から指摘されていますが私は水道管の埋設工事以降、一部分に堆積した砂利と土の掘り起こしをして時間を過ごしています。

 

テレビでは宇宙旅行の酔狂の人について報じられていました。

私自身にとって、いわば荒唐無稽の絵空事、まったく興味の外ですのでそのお話に注意はいきませんし、つまらない番組と思えば即座にチャンネルを変える性質のためハッキリ言ってよく判りません。

 

ところがその「水遊び」をしている際、檀家さん(女性)に「あの宇宙旅行の話だが、私はあのロケットが発射された瞬間、落ちろ落ちろ、爆発しちゃえ・・・と。そして『二度と地球に帰ってくるな』などと思ってしまった・・・」「それって貧乏人の僻み、やっかみだろうけどイケないことかな?」でした。

思わずその懺悔の言葉にニヤリとし、手を休めて聞き入ってしまいました。

私の返答は「いいんじゃない・・・」でした。

「少なからず、そう思っている人はいるんじゃない?」でした。

決して少数意見ではなくて、そう思ったとして自身を卑下することなどないのでは・・・と。

そういうとその方は「よかった」と私の肩を叩いて喜んで帰っていきました。誰かにその鬱憤をぶつけたかったのでしょうね。楽しい方です。

 

もう一つ、ロイターの報じたニュース。

「ナイジェリアでは先月、WHOなどから供給された新型コロナワクチンが、未使用のまま大量に期限切れを迎えてしまった恐れがある。その数は最大100万回分。」

使われないままのワクチンが1度に失われた数としては最大規模の事例となった可能性があるといいます。

アフリカの人口が100億人、そちらの最大人口2億人のナイジェリアでの出来事ですが、使用期限4週間~5週間と長期保管がきかないワクチンを先般ガーナの件でも記しましたがどう保管してどう配給するかというシステムが最大の課題なのですね。

 

先進国の感覚で「ハイどうぞ~」とばかりにワクチンを送りつけて受け入れ側の状況が対応しきれないというものです。

ちなみにナイジェリアでは2回のワクチン接種済みの人は国民の

4%にも満たないとのこと。

余計なことでしょうが、宇宙旅行の酔狂に100億円をかけるのならばアフリカに冷蔵庫やドローンなどのワクチン対策に・・・日本国内を見たら貧困でその日のご飯の心配をしている人たちがいるのにね。

そのような対応があったとしたら世界の人の日本人に対する眼も変わってくるのですが。

温暖化ガスを大量に噴出して宇宙旅行のお楽しみの優越もご勝手ご自由なことです。

よく私が拙ブログで記す「間抜け」(大概「私の事」です)とは言いませんが「道化」のように感じてしまうのも果たして僻みなのか。

どうでもいいことでしょうがね。

 

①は水道管を埋設した箇所に置いた敷石。

車が通過する箇所に置きました。

②は私の勝手な想像。

昨日は「今年の一皿」などいう企画のそれが発表されていました。そんなものがあるものとは初めて知りましたが、そのロゴマークを見て思いつくのは真珠湾。

かつて奥方との結婚式なるものは東本願寺ハワイ別院で挙げましたがその折りに真珠湾までサイクリングして戦跡めぐり。

あの時見た海に浮かぶモニュメントを思い出しました。

撃沈された戦艦アリゾナの上に建てられた1177人の墓標です。

 

まだ艦内に多くの死者(900人以上)がそのまま眠っているとのことで遺族からはDNA鑑定して各「故郷に帰せ」の声が未だあがっているとのこと。アメリカの日本への憎しみの原点ですね。

その図の皿のカタチと赤色は戦死者の血のようにも・・・まぁ、私の勝手なイメージでした。

尚、その一皿・・・勝手にお調べを。

 

 

 

 

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2021年

12月

09日

奈良時代講堂跡の礎石 元興寺

昨日の本堂は葬儀参列の皆さんでいっぱいになりましたが、ストーブは2つ用意していたものの障子戸はコロナ対策で開け広がれていて、いくら相良の冬は暖かい、風がなくて雨もやんでよかった・・・などの言葉はあってもその時間にいらした皆さんを見やればやはり酷く寒そうにしていました。

 

私は皆さんに「寒くてごめんなさい」の語を連発しましたが、それはこの「本堂の様」に長時間忍んでいただいた皆さんへのお詫びでした。謝っても仕方ない件ではありますが。

 

それにしても人間の気温の「体感」というものは結構に不思議です。

私の場合、その気温は「18℃」。

猛暑を過ごして秋に入りしばらくしたある朝、その「18℃」の数値を見て思ったことは「こりゃ寒くてかなわん」。上掛けを着こんだのが先日の事。

それから10℃近くまで低下した空気を味わった後、今度その「18℃」を迎えると、「温かい」・・・ですからね。一昨日は半袖になったほどでした。

 

-25℃で普段過ごしている人が-5℃を温かいと思うのと同様のことでしょうが、どれだけそのヒトの感覚というものはアホなのか・・・と思うところ。

「慣れ」「習慣」の漫然の怖さというものでそれは気温の体感に限らずかなりおかしなものです。

コロナ、思想、戦争・・・色々当てはまります。

死者の多少、正常・異常、正義・不正義、我慢忍耐かバクハツか、正常か狂気か・・・などなど。感覚は気分次第、ほとんどデタラメ。

 

「トラ・トラ・トラ」(真珠湾攻撃大成功!!)から80年。

関わる企画番組を視聴してそれを思いました。

 

さて先日記した元興寺。

奈良時代の建造物の礎石があります。

地球の歴史からすれば「ほんの先ほど」レベルなのでしょうが、私としては奈良時代ともなれば想像もできないほどの、むかしむかし・・・夢の中の如くの世界です。

 

上物の木造建築が朽ちようが、火災で滅失しようが、土中の礎石はその昔のありさまを伝えてくれます。

余りに小さな建造物の礎石だと、簡単に転用できてしまいますので遺りませんが。

大きな建物があったということですね。 

 

 

 

 

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2021年

12月

08日

丁半博打のドタバタの一日 疲労度も清々しさもupup

昨日は「二勝一敗」、終わってみれば結果オーライ、全てヨシの一人悶絶ドタバタの一日でした。

当初の予定、午前中は藤沢から妹夫婦とその息子が「その日でなくてはダメ」といいながら墓参にやってくる日。

昼からは除夕鐘の事前ミーティング、そして午後5時からは本堂での通夜というスケジュールでした。

 

妹の息子は先般結婚式を挙げてその経費が400万という額に驚かされていましたが、一応お義理程度のお祝いを出していましたのでその礼を兼ねての相良参り。

どうせたくさんの土産を買ってくることだろうと思って先日はこちらからの土産物を買い出しに走ってはいました。

 

いろいろやらなければならない事ばかりの一日ではありましたが、いつものマイペースでやらせていただくを旨に、朝の時間をのんびりと過ごしていると掛川の法務局から電話がありました。

先日もその件ブログにも記しましたが、滅失登記提出書面の建物の登記時の住所が現住所と違っていて「住民票の提出が必要」(本来は不要)との指示があって委任状を記入してもらっての御前崎市役所と法務局往復となったわけですが、私はその現住所がハッキリ確定できるその住民票でことは足りると思っていました。

 

ところがその住民票では現住所がわかっても建築物の登記の時の住所(登記上の住所)が出てこない(わからないー登記上の事実と整合しない)ということで書面不備を指摘されてしまったのでした。ガッカリですしすこぶる慌てました。

 

ということで妹たちの来訪対応は奥方に任せることにして、とにかく御前崎市役所に電話で相談。

すると「戸籍の附表」を取れば・・・との御指南。

それを受けて再び委任状(ダウンロード)に記入、叔母に印を押してもらって御前崎市役所に急行。

すると委任状に記入漏れがあって再び相良に逆戻り。

悔しいことですが致し方なし。

 

昔はこのように自分の力ではどうにもならないことがあったりすると「ブン投げる」傾向がありましたが今は違います。

不都合なこと、痛いこと、キレそうになることはすべて「如来様のお達し」として「受け入れ」承認することを心に決めています。

というかどうのこうの言ってもそうせざるを得ないのですが・・・

よって窓口で「わかりました。出直してきます」とニッコリして退散。

 

その記入の際、叔母の戸籍の住所をどうするかで悩みました。

叔母に聞いても分かるワケがありませんし、おそらく埒があかないでしょう。建物登記時の住所をそのまま記して提出しました。イチかバチかの勝負ですね。

 

すると叔母の戸籍はそちらではなくさらりと一蹴されてイキナリ私の負け確定。そんなものだろうとは思っていましたが・・・

窓口では叔母の戸籍上の住所は端末を見て担当者は「知っているが私には明かすことはできない」というところ、個人情報ですから当然のことですね。

その住所がわかりさえすれば戸籍は取れるのですが・・・

ということで「どうすれば・・・」と聞けば、生まれた地の役場で戸籍の除籍を取れば新しい戸籍がわかる・・・ということで再び「出直してきます~」で牧之原市役所へ。

委任状をダウンロードして「面倒くさいので貴女書いて・・・」と奥方に頼んで委任状の偽造。うしろめたさがありますが時間を稼ぐためとついついの脱法行為。

 

ところが、牧之原市役所の窓口で戸籍は出願者(私)の戸籍と同じだから委任状は不要とのこと。

無駄なことをしたものだと苦笑い。よって委任状の行使には至りませんでした。

 

戸籍が判明してみれば、亡くなったご主人の実家になっていました。それはうすうす見当はついていましたが私どもはそれを知りません。

その住所地を記して戸籍を取ろうとすると窓口ではその戸籍には登記時の住所は記載されていないとの示唆。

愕然です。戸籍の附表は住所の履歴が記されている「筈」。

それにナイとなればどう調べれば・・・

要は戸籍を取っても解決できないこと。右往左往は何だったのか。

というわけで次の提案を受けました。

 

現住所の一つ遡った住所なら出ているかも・・・とのこと。

では住民票のすべての記録全部出して・・・ということになりますが、委任状にはその指示はありませんね。

窓口担当は私が相良で取ってきた戸籍の除籍の住所と叔母の旧姓が私の身分証のものと一致していることもあって、今回は特別にということで住民票の欄にその枚数を私が記すことを許諾してくれました。

するとその現住所の前の住所が建物登記の住所と記されているものが出てきました。

その証明書が見つかったということでここは私の勝利。

 

その住民票を手にした時は15時を回っていましたが17時からの通夜には間に合うと踏んでここはもう一勝負と掛川法務局に。

それを難なく提出しなおしてお寺に帰宅したのは16時30分。

掛川から牧之原は東名高速の利用で余裕でした。

ということでその日の2勝目。

 

最初の負け戦で投げていたら今の清々しさは味わえなかったでしょうね。

法務局の担当は既に現地調査済みといいます。

「これで問題ないでしょう」との嬉しい言葉もかけられました。

それが完遂できれば今回の少々の難渋と徒労の奔走などお笑い種です。

 

その日だけで御前崎市役所3回、牧之原市役所1回、掛川法務局1回。

それがイヤだからおカネをかけて普通は書士に依頼するのでしょうが。

今回の叔母の登記は厄介(登記記載住所と現住所に戸籍がすべて違って尚戸籍が不明)でしたからきっと人に依頼すれば高くついていたでしょうね。

これも阿弥陀さんの「勉強しろ」のお達しと心得ています。

 

無事通夜も終了しこれも言うことなし。

多少の雨はありましたが気温は温かで本堂空間は快適。

12月のこの時期にもかかわらず、うそのよう。

午後の私は半袖になっていたくらいでした。

 

画像①②は親鸞さんとカエデとイチョウとメタセコイア。

それらの葉が完全に落ちればもう一段寒くなるということ。

③④は先日石屋さん代行の私の仕事具合。

納骨に石屋さんの工賃をカットする住職DIYの荒業ですが出来栄えどうのといったら、おしめぇよぉ~。

施主は遠方からです。

私の「そこまで管理する」の気概もありますが・・・。

一応よろこんではくれています。

 

 

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2021年

12月

07日

元興寺東門と極楽坊 本尊は智光曼荼羅

昨日記したガーナのドローンの件、日本でもしっかり技術は進んでいるよう。

実証実験は5㎞とさほど遠くありませんが山間部に医薬品を届けるという報道がありました。宅配便屋さんの試験のようでした。

ガーナはパラシュートで投下し、帰還はワイヤーで引っ掛けるものでしたが、こちらはうまいこと着陸していました。それだと今度は受け取り側としても発着に熟練者が必要か・・・などと疑問は残ります。便利になればいいのですがね。

 

やはりたまたまそういう数字になったのでしょうが昨日の新コロ新規感染者のうち当県はなんと8人。久しぶりにまとまった数字を見ましたね。ひと時はずっとゼロ続きだったのに・・・

そして毎度国内の感染者が多いところといえば東京、大阪、神奈川、千葉、埼玉ですがそれぞれ7、6、6、5、3人と静岡より少なし。

 

そして昨晩の「にっぽん百低山」は岩櫃山。

日本で一番魅力のない県(最下位)というデータが顕わになってから知事がすごい剣幕で怒り狂っていたあの県。