2018年

4月

22日

ぶらり田沼の旅第一回 ハリルの肩を持ちたい ! 

今年の各地イベント開催者から悲鳴があがっていると聞きます。桜の開花が早く各地「桜まつり」予定が合わずに「台無し」になった?件を聞きましたが、次はGWに藤やツツジの見どころをうたったイベントが既に盛りを過ぎたあとになってしまうようです。

 

それだけ季節は進み「夏」が早まっているということですが昨日も気温は上がりましたね。熱中症の声も聞こえています。

私も夕刻からの法事ではかなりの汗が出ました。

施主は九州からご家族で車で来られていましたので、運転を交代しながらといってもかなり疲労度はupしたでしょう。

安全にのんびりと御帰宅いただければありがたいことです。

 

日曜は市の教育委員会の依頼で法事はいれないよう本堂を空けていましたが、上記先方からの依頼を優先しました。

葬祭場での開式となりますので本堂は空いていますし・・・。

私が不在とはなりますが、市の御担当でうまいことやって頂ければと思います。

 

それが表記「ぶらり田沼の旅」なる企画です。

拙寺境内では市のスタッフによる茶の接待があるそうです。

拙寺での準備もあるそうですので朝は少々忙しくなりそうです。

花の咲き具合は関係ありません。100%晴れの予報が出ていますのでそれだけで成功「間違いなし」ですね。

 

やらなくても「間違いない」のは以前記した横須賀の選挙もそうですが実力格差という現実はスポーツ世界でもいえる事。

まぁそれを言ってはおしまいですが。

しかし人気投票の件と違ってスポーツは時としてジャイアントキラーが発生するもののそれは文字通り強者がゴリアテ化したときです。

 

さて、先の日本代表監督のハリルホジッチ氏解任の報には驚きました。大会本戦直前の解任劇に何のメリットがあるのでしょうか、不可思議千万の裁量でした。

まずは混乱を惹起。無用な不統一を起こすこと間違いなし。

そしてゲームのチームとしての戦法の熟知配慮の違いが発生、中途半端なものになるでしょうね。

 

一言で言って日本はパス回し好き<横>。

それから脱却してスピードと当たりを強くする<縦>の動きを重視するものでした。

体力のみならずメンタル面でも強く仕立てようとする発想です。要はいつもの負け犬弱腰、ハーフライン後方でパス回しに終始するブラジルを真似て大成できなかったサッカーを欧州レベルまで引き上げようというハリル氏の画策でしたが、それが「厳しすぎてついて行けない」という「泣き」が出たという事でしょう。私にはそう見えます。

喜んだのは白紙になった代表選考。選考に漏れていた選手たちですね。ただし新造チームに連携の微妙を求めることは不可能でしょう。サッカー選手の人気度に目がくらんだ結果なのかとも考えられます。

 

ということで世界的に前代未聞の監督外しをしでかした日本のサッカー協会のお粗末に思えますが、私はハリル氏の肩を持ちたいですね。ハリル氏も世界に大恥を晒されたわけで、これからの彼の強烈なる反撃も見物です。甘く見たようですね。

 

私はゴリアテに勝つために名乗り出たダビデをハリルに見立て、それを外してしまった日本はボロ負けの運命を辿るという皮肉を感じます。

勿論、予選敗退は間違いなしの感。全敗も有り得ますね。

私も僅かな期待をしつつテレビ観戦はしますが・・・。

そうなると今度はどなたが責任をとられるの?まったくちぐはぐで脈略を感じませんね。

 

先般竹藪で見た「パワーとガッツ」。

階段の敷石を押しやって顔を出す図です。40~50㎏はあるような石ですよ。何と素晴らしい。

あのガッツが必要ですね。何事にも。

竹藪の中にも私たちが見倣う事があります。

ただし彼らもこの時期の「大袋とスコップを持ったオッサン」には弱いものです。

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2018年

4月

21日

藤とタケノコ 蚊野の軽野神社 4月春季例祭

先般「IR法案」というものが固まったというニュースがありました。カジノの入場料を「6000円」と決めて本人確認をマイナンバーカードで行い入場制限回数を週3回かつ月10回にするというもの。

考えていた規制、制限よりも大甘な感じがします。

てっきり「日本人は入場禁止」くらいがあっても不思議はなかったのですが。

 

ブログでもその辺りの件を何度か記していたと思いますが、「ギャンブル依存」というその病気は本人だけでなく家族全体、すべてを「崩壊」させてしまいます。

日本で一番に突出しているギャンブルである、パチンコ・スロットよりもそれは素人目には敷居を高く設定しているようですが、6000円という入場料はハマる人にとって大した数字ではないでしょう。「大勝ち」すれば誤差の範囲という数字でしょうね。

大いにそそられるショバ代かも。

 

依存者がゲームやりたさに無茶な金策に走る事に周囲は困惑するものです。

犯罪行為は論外ですが、このほど「ギャンブル依存症問題を考える会」と学者さんがまとめた数値というものには驚きでした。

ギャンブル依存症「患者」のギャンブルの資金についてその8割の家族が借金を肩代わりして、そのうちの15%がその額1000万円を超えているとのこと。

 

私が寺に入って以来、色々な場所で奥さんと子供達の憎悪の声が耳に残っています。男は生来のバカな生き物であるとつくづく思ったものです。

 

それはそれは私も沖縄在住時などはパチスロ等のお遊びをしたことがありますが、それは若い頃限定。

私事失礼、現在の遊興というか自身「イイ御身分」と感じるほどに依存しているのはやはり「墓場と古城」。

要は極論「森の中と竹藪」ということです。

 

竹藪がポツンとあれば古墳・墓地・城址が浮かんでついつい立ち止まって中を覗き込みたくなります。

隔絶された世界に身を投じれば、ちょうど今頃は鳥の声に癒され、眺めればタケノコたちの力強さと藤の薄紫色、微かに香るあの独特が私の心を引き寄せます。

まさに河瀬法蔵寺の掲示板の通りです。

その藪の中に一つの石塔などと出遭えればそれが私の至極の時間であります。

 

以前近江豊郷の街区で雨降野」という地名や国道8号線の「不飲橋」などについて、勝手に感動して記していましたがまだまだ近江には不思議な地名があります。

「河瀬と川瀬」というWスタンダードも面白いと思いますが湖東をうろちょろしていて気になっていたのが「蚊野」という地。まるで夏場にこの辺りの竹藪にでも入ろうものならば「痒くて痒くて・・・」の不快指数満点を想像してしまいます。

 

実際は田園風景の中の集落でその「蚊」というイメージはまったくナシ。三重県には蚊野という地名に蚊野神社なる社がありますが・・・

そして「蚊野」を姓として名のる方は全国的に滋賀県が断トツでその中でも愛荘町が突出していますね。ということで苗字としてのルーツはこちら蚊野が始まりでしょう。

 

ところがもっと面白いことにこの蚊野には狩野という城址と狩野氏という名、そしてお隣に軽野という地に軽野神社。

また近隣に香之庄の香之神社まであります。

「読み」(耳に入る言葉)が似すぎです。ちなみに蚊野は「かの」。狩野は「かのう」。軽野は「かるの」香之庄は「このしょう」。

また軽野には蚊屋野神社があって岩倉にも軽野神社があります。地元の人との会話で「どういう字?」と確認しなくてはなりません。

 

ちなみに上記軽野神社(蚊野と軽野地区の神社)は4月の第3土曜日、21日は春の祭礼にあたりますのできっと蚊野の街は賑やかになることでしょう(場所はこちら)。

 

今年の藤は無茶苦茶早いような・・・相良あたりではもうおしまいの感。今の竹藪はタケノコ堀りの人とすれ違いますが、私との遭遇に何ともバツが悪そう。

 

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2018年

4月

20日

川瀬馬場公民館脇の祠と石塔たち

やはりホントでした。2020大河ドラマが明智光秀の件。

彼は多様な人間と色々な場所に縁のある人ですから各地で盛り上がることでしょう。

 

ここのところ横須賀からみのニュースが立て続けに3件ほど。

横須賀といっても遠州のそれではなく、全国区の方。神奈川県の横須賀です。

私が横浜の金沢区に住んでいた頃と言えば横須賀市には頻繁に通ったものです。

上司に誘われて横須賀市内のソフトボールチームにて遊ばせていただいていたこともありますが市内のショッピングセンターもお目当てでした。

 

天気の良い日は弁当持参で安針塚や海岸に向かったものです。

すると一昨日の「歴史秘話」は三浦按針でしたね。

あの逸見の山を見て懐かしく思いました。

当時のそちらの画像は何台か前のPCとともに消え去っていますので無し。

いずれ再訪したいものだとは思っていてもなかなか横須賀にまでは出向けませんね。

 

そして俄かに次期総理候補として小泉進次郎の名が出てきたというニュースがあり、やはりその横須賀を思い出しましたね。

横須賀という地はその小泉ファミリーの地盤で選挙ときたら毎度毎度の圧勝を見てきました。

対立候補として手を挙げる方も居るようですがこの一統の人気は突出していて、その他はまったく相手にされないような土地柄です。立候補するだけムダだな・・・と思っていました。

 

そしてあと一つが「横須賀市が終活支援」のニュース。

特に市が管理せざるを得なくなった遺骨が増え続けているそうですが墓があるなら前もって本人と結びつけておこうというデータ管理ですね。

独り暮らしで亡くられても行き着くお墓がわからないということへの対応です。

墓地がわかれば必然的に葬儀式手配もできますからね。

まぁ「その時」に伴う色々について生前に決めておくように尻押しをするというサービスです。

 

苦肉の策から発したもののようですが、御時節がらその件是非に必要と思われ自治体主導は「ナイス!」と相槌した次第。

 

さて河瀬の川瀬馬場

だいたい地名として「馬場」なる名称が残っていることに軍事的要塞の存在と武門の集合体、屋敷などの地の由来を推測できますね。

 

川瀬馬場公民館前のスペースには祠が2つ並び、そのお隣に石仏たちが並んでいました。近江特有の風景です。

祠の中には外にあるのと同様の石仏が一つづつ。どのような違いがあってこの二つが優遇されているか不詳です。

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2018年

4月

19日

河瀬神社の川瀬馬場 河瀬城 2020は明智?

昨日のニュースで「こりゃあ図星・・・」と思ったのが・・・あの破廉恥高給取りの公務員が更迭された件ではありません、バカバカしい。

 

どこからリークしたのかわかりませんが、2020年の大河ドラマはどうやら「明智光秀」になったような。そんなニュースが朝ネット上に報じられていましたが午後には見当たらなくなっていたような。

まだ決定事項ではないようですが、2年間「戦国」から離れればその時代背景が採用されることはまずは固いところです。

その明智に関して実現すれば私からすれば予想通りの大当たり。

家庭内ではドヤ顔になっていました。

そこで拙ブログ内で明智関係を記したものをざっとピックアップしようと試みました。

まだ不完全ですが一応は左側ナビゲーション内に設定しました。備忘録(ブログ)の中の備忘録です。

 

あと1件。

「今年もクマ大量出没」の見出しには溜息が出ます。

最近のクマは冬眠もせずにうろついているようですから始末におえません。

私のような小心者は山歩きがビクビクになります。

 

さて、先般息子より一つ上の子が「地上げ屋」になりたいと不動産屋に仕事変えした件を記しました。

その後奥方が彼の縁者から聞いたところによれば私の予想はこれも図星、その会社は社会保険もなく、ずっと試雇採用のママだとの不安を吐露していたとのこと。

さして驚く事もなし。まぁそんなものでしょう。

そういう世界に入って「懲りる」「諦める」ということも人生に於いて大切なことですからね。

 

不動産屋の知り合いは同級生含めて2人ありますが、どちらもマンション関係。一人は自社マンションの売買が主ですが、あと一人は「投資用レジ開発」が主とのこと。

「レジ」とは「レジデンス」。要は2億~5億くらいの投資家向け物件の売り込みで仲介はしていないとのこと。

スルガ銀行があの倒産したシェアハウス(かぼちゃ)だけでなく富裕層向けの「マンション一棟」等の融資にも担保等預金資産の水増しをしていたというニュースがありましたが、世間様ではその手の少々スケールの大きい話が活発のよう。

 

話変わって叔父(不動産業)が言っていたその「仲介」について。

不動産仲介業者は「片手じゃあ仕事はしない」「両手となると腰を上げる」といいます。

この「片手」とは近江商人ではありませんが「売ってヨシ」「買って(買わせて)ヨシ」の手数料の事。

そのどちらか一方でしたら「片手」の仕事として「おいしくない」の判定となるのです。

 

特に不動産屋が不動産屋に買い手を探してもらうなどいうシチュエーションが発生する場合、双方が「片手」となって仕事は進まないのだということ。

ということで不動産屋が知り合いだからと不動産の売買を依頼したとしても地場に詳しくない不動産屋は地元の知り合いに依頼することになりますから、双方が「おいしくない」ということでしばしば法外な設定操作等が行われたりして却って納得できる売買が出来なくなる可能性もあるとのこと。

 

不動産の売買は大手か地元に詳しい業者に限るということですが、まずは彼らも手数料以上に「儲けたい」という気持ちが動きますので基本は

①相手のペースにのらない

②実勢価格を把握しておく

③「なめられたな」と思ったら業界では対外的にそう表に出て

 こない「取引事例の一覧表を出せや」と「こちとらすべて

 お見通しだ」風の躰を取ること

ですね。

 

③の「取引事例の一覧表」は地元の不動産売買の実績一覧表のことで当該不動産売買の価格比較ができようというもの。

よってそれの指摘こそ「伝家の宝刀」を抜くに値する最終兵器になります。

 

概略「取引事例の一覧」の如くものは別に国土交通省の「土地総合情報システム」なるサイトがありますのでそちらの「不動産取引価格情報検索」をクリックして調べてみてください。

ちなみに私が真っ先に調べたのが浜岡池新田地区。

叔母が住まう地域ですがアレではあの地の土地を売却してから新天地に向おうということもできないでしょうね。

菊川市のマンションはこの地区の人たちの転入居を念頭に入れていたそうでその方向が頓挫したといいます。

自分の住まいの売却益と新地の地所の買値の差があまりにも離れていたということ。

 

河瀬法蔵寺繋がりでいえば6回目ですね。

南北諸士帳の河瀬には「南河瀬と北河瀬」の文字が見えます。法蔵寺が河瀬城との伝承がありますが今一つ、それ以上に周囲水路と微段丘の様子に「城らしい」を思わせるのが河瀬神社(場所はこちら)。

何よりもそれらしいと思わせるのがこの地の地名「川瀬馬場」です。南河瀬に館を特定すれば法蔵寺、北河瀬ならば河瀬神社かもしれません。

 

とにかくここでも「河瀬と川瀬」の両使いがありました。

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2018年

4月

18日

河瀬の法蔵寺は河瀬城跡 ? 奈良橿原今井を思う

先日走行中の藤沢町田線でのこと。

義母が銀行口座を新規に開設するということで奥方と「相模」に同行しました。

あのスルガ銀行から現金を移動するとのことで「一人では少々不安」ということでした。

私も付近の城めぐりでも・・・といったお気軽さで出向きましたが思わず時間を喰ってしまいそちらは今度のお楽しみに。

 

その道路はかなりの交通量がありますが、珍しく信号機のない横断歩道がありました。

すると対向車線側で年配者が横断しそうな雰囲気で立っているではありませんか。

私は相良にてつい最近、檀家さん(女性)より「パトカーの待ち伏せ」により「歩行者保護義務」の違反9000円を上納するハメとなった件を聞かされていたばかりでしたし、義母の前で「イイ子」を装うと思ったか、「こういう場合は停車しなくてはならないね」と「解説付き」で横断者優先のための模範的停車をしました。

 

ところが対向車両の通過車両ときたら一向に停車する気配すら見せません。

私は後方に並び出した車両に冷や冷やしながら「神奈川県とはこんなものか・・・」と憎まれ口を放っていました。

何とか10数台を見送ったあたりに停車していただいてその一時の難題から解放されたのですがきっと「神奈川県のお巡りさんは忙しいから静岡のお巡りさんの如く親身のご指導はないのでしょう・・・」ということで話を収めました。

神奈川県に生まれて育ち殆どの仕事をしていたその地ですがいまや静岡県に住まう私は神奈川の準首都気質というものからくるかひとつひとつの粗雑さが気になるようになりました。

 

かといって沼津のスルガ銀行のえげつなき経営方針を培ってきた県民性も自慢できるとはいえませんが。ただ私は駿河ではなく「遠州人」(何も取り得の無い)であることは吹聴させてください。

 

ちなみに義母は「イオン銀行」を採用しました。

イオン近隣に住まい、何をとっても便利で効率的だということですね。

これから銀行を取り巻く環境は厳しくなるでしょう。

それは私共お寺と同じこと。

 

さて、法蔵寺のたしか5回目。

「有徳なる人」あってのお寺の経営と維持でありますが、拙寺よりも規模が大きい敷地に大きな本堂それでいて檀家数が多くないというお寺でありながら脈々と近江門徒の血脈を維持するという心意気に感動させられるのですが、こちら法蔵寺の敷地は実は河瀬城跡と言われています。

なるほど壇上風境内地境界には堀跡らしい様が見て取れます。

宇曽川右岸の湿地帯で水路が廻らされていたことでしょう。

ただし周囲は全くの平地で現在は住宅地。

城であったという推測はなかなか難しいところがありますが、例によって「100m×100m」の国人領主の館風の敷地も想像できます。

 

ここで当HPの「江州佐々木南北諸士帳 5 犬上郡」を開いていただいて・・・

 

甘呂      住 佐々木随兵豊後行実末 河瀬大和守秀宗

北河瀬     住 佐々木        河瀬壱岐守秀成

南河瀬     住 河瀬末天正元年八月於小谷兄弟共討死

                     大宇大和守秀則

南河瀬     住 河瀬末天正元年八月於小谷兄弟共討死

                     蓮台寺主膳正

南河瀬     住 与力         宇多三右衛門

 

と十二分にこの河瀬という地には河瀬を名のる氏族が居てその館があったことがわかります。

 

拙寺の初めは安土住の今井権七(郎)ではありますがその縁者かも・・・と夢を馳せたのが奈良県橿原市今井町称念寺(または   )を開いた今井権八郎。

私の父親はその件をよく強調していました。

4つ目の画像が今井町の街区。5つ目が称念寺門前。

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2018年

4月

17日

國冠酒造 小林庄平氏 法蔵寺の有徳なる人 

財務次官殿の破廉恥疑惑について、ご当人は否定されたとのことです。やっぱり政界と高給取りのお役人たち、「ウソばっかし」との印象が増しましたね。

「あるものをない」、「やったことをやっていない」「言ったことを言っていない」まるで小学生のおトボケの如くの連発でいやはやこの国のお偉いさんたちは見苦しい事このうえなし。

 

「面倒は御免」は私の息子への常套句ですが、彼らも国民から突き上げを喰らうような「面倒は御免こうむりたい」であって、それならみんな「隠しちまえ」ということでしょう。

それを許容するということは本来の民主主義を知らない国民という烙印も世界から押されかねませんね。

その件を恥辱ととるか、能天気に傍観するかでは「国民の責任」というものに関わってきます。

もはや国レベルのシステムは「無責任」状況に陥っているかの躰。ああみっともない。

 

さて、「法蔵」(昨日の法蔵寺)といえば西村九郎右衛門の法蔵館を思います。創業400年の仏教書中心の書店で特に当流(東本願寺)の僧籍にあるものでしたら知らない人はいないくらいお世話になっている本屋さん。本山系修練場では経本の法蔵館指定は当たり前のようになっていますね。

その「法蔵」の語源は無量寿経(重誓偈)の「爲衆開法藏」からとのこと。

「為衆開法藏 」(法蔵菩薩)とくれば 

「広施功徳宝  常於大衆中  説法獅子吼」とお馴染みの語彙が続きますがその「獅子吼」を山号として「法蔵寺」としたのが獅子吼山法蔵寺でした。

 

その境内地にある「しあわせ保育園」の歴史は古く、明治後半に農耕繁忙時節の託児施設の開設から始まっていますが本格的運営のための園舎の建設に有力檀信徒の小林庄平という人の支援がありました。

その方は当時「國冠酒造」の経営者です。

近江出身者が灘の蔵元?とは少々違和感があるかも知れませんが「近江商人たるや」を知れば合点がいきますね。

こちらのお寺にはそういった有徳なる人がいらしたということです。

ちなみに近江商人の有徳人たる人の思考はやはり真宗的で仏飯を食む者の「おかげさま」の発露でしょうね。

100人に満たないという檀信徒数で代表役員の出資の大きさもさることながら現在の本堂大規模改修の資財は檀信徒の後押しのなせるところ。厳しい時代とはいうものの凄いパワーを感じました。

 

灘の酒造所には1995年の阪神・淡路大震災にて被災して廃業に追い込まれた老舗が多くありましたがその國冠酒造」もその苦渋の決断に追い込まれた会社の一つでした。

法蔵寺墓域は圧倒的な小林姓の墓石の数に驚かされますが、そちらの小林家も墓石を改めて近江の地をも離れたといいます。

 

その悲しい結末は色々な意味でのそれぞれの浮沈と残酷を感じました。

人と人との繋がりをも断ち切ってしまう地震。

その破壊力は物的のみにとどまらないのです。

 

①の味あるいで立ちの家屋は「小林家」本家と思しきもの。

法蔵寺の真っ隣にあります。

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2018年

4月

16日

河瀬法蔵寺の掲示板2つ しあわせ 仕合せ

今年は幾度も「春の嵐」というヤツに襲われたような気がします。昨日も本堂も庫裏も吹っ飛んでしまうほどの風と雨。

幸いにして午前10時前にはピタっと風雨はやんで、うまいこと法事の時間はやりすごすことができました。

その後は午後遅くから風が強まって、まるで台風なみ。

テレビニュースにて横浜辺りの暴風の様子を見ましたが、各地で被害の報があっても不思議はないくらいでした。

 

それでも日曜日となれば別の意味で「静かな時間」を感じます。

最近は自宅にやたらと無用な電話がかかってきて閉口していますがその迷惑な連中はしっかりと日曜日はお休みのよう。

嘘八百を並べ立てる勧誘電話をかけまくっていながら健全な週休を取っているのはお笑いぐさではあります。

 

電力系と太陽光系そしてプロバイダー系の電話がありますが、土曜の夜は夜9時半にもかかってきました。

それはこうです。

「現在の貴方様のプロバイダーの契約は『とっくに』切れています。そして次の更新は現在より300円ほどお安くなります」というものでした。

「とっくに」などという表現を果たしてするものかと耳を疑いましたが私の名とプロバイダー名を把握していたことから、一瞬「ホントに?」とその女性のカタリを信じてしまいました。

「そりゃあイイ話だ」と合点すると「では次に別の者から承認確認の電話があります」と言って電話を終了したというわけです。

 

いつもならば「そんな話は結構毛だらけ・・・」の躰でガチャ切りをするのですが、ついつい「ちょっと待って!」の声に遮断を躊躇してしまったのでした。

プロバイダー契約の色々についての情報をすべて把握している風の語り口に信用させられたのですが今となって考えれば個人情報の流出があったということでしょうね。

 

その担当者分業制のシステムの2人目の電話がその後複数回掛かってその最後の電話が9時半だったのですが、1回目の電話を切ったあとに私が行ったことはインターネット検索。

拙家の電話はナンバーディスプレーを採用していますので、その着信履歴のナンバーをPC検索画面に打ち込んだというワケですね。

 

みなさまも「ヤバそうな電話」「疑わしい」と察したら是非にそのようにすることをお勧めいたします。

すると明らかにインチキプロバイダーを推測できるネガティブコメントが並んでいました。

「迷惑電話チェック」なるサイトもありますが、勿論それにも登場していましたから。

そこでその2人目の電話は完全無視したというワケです。

 

私はナンバーディスプレーを見て「0120」で始まる番号は100%無視してきましたが、最近は「080」が多い事がわかりました。

面倒くさいことになりますのでこれからはその「080」も無視したいと思っています。

あの時はしつこさにあきれて留守電にしていました。

本当にカタリが多くて困ったもの。

「油断のならない世の中だねぇ~」(白浪五人男 浜松屋)

 

さて、獅子吼山法蔵寺は古くて大きな真宗寺院(お西)。

以前、湖東には「お東が多い」の如く記したことがありましたが、お西の寺もかなり目立ちます。

蓮如さんの時代に西も東もありませんからね。

山号の「獅子吼」とは釈迦の説法雄弁の比喩で「法蔵」とはごくオーソドックスな寺の名、「法(教え)が大切に収蔵されている」の意(法蔵菩薩→阿弥陀如来・・・正信偈冒頭部分)を含みましょう。

 

こちらのお寺の名は元は「弘誓寺」といいます。

その「弘誓」(こちら)と言えば阿弥陀の誓願のことですね。

その阿弥陀さんのお寺「弘誓寺」は付近に七ケ寺あって「近江七弘誓寺」と呼ばれていますがこちら法蔵寺はたまたま名称が変わっていますが、その中の一つになります。

ちなみに7件中6件が真宗、1件が浄土宗ですが、伝承として飾っているものに「那須与一の末裔たち」が建てた寺々ということがあります。

以前ブログでは五箇荘金堂町の弘誓寺について触れています。

 

先般は法蔵寺への目標を河瀬駅から一直線の幼稚園の裏と記しましたがそちらが「しあわせ保育園」でした。

勿論こちらのお寺が運営している保育園ですが私はこの「しあわせ」という字面に「いいね」を思いました。

漢字の「仕合わせ」と「御縁」を連想させます。

 

お寺の掲示板も拝見してこれこそまたギスギスした社会と怒りに満ちた人々に伝えていかなくてはならないものであると何度も読み返していました。

「幸福」というもののハードルをあげてきた日本人への静かな警鐘でもあります。

本屋さんに並ぶ「幸福」関連の書籍に胡散臭さを思う私です。

あらためて記します。

「幸福」の吹聴はインチキです。

 

法蔵寺は現在改修中。正面外回りに建築資材がありましたので正面からの撮影はやめました。

寺社建築の専門大工をアパート住み込みで発注、内部の改修も同時に進行しているよう。

建築現場掲示板を失礼ながら撮影させていただきましたが御住職の「那須」姓にも感動。

歴史ミーハーでお恥ずかしいところですがまさに古刹を感じます。

尚、「代表役員」とは宗教法人上の代表者の事でまずは「住職」でよろしいかと。

 

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2018年

4月

15日

河瀬と川瀬 妹と井本 河瀬法蔵寺前の空間 

日曜日の天気となるとどうなるかはわかりませんが、昨日土曜日は気温は低めとなりましたが大荒れ予報の如く状況にはならず、とりあえず安心。できれば明日も何とか「大荒れ」は勘弁していただきたいものです。

愛知県の中心の地震は数度に及び、当地も微かに揺れを感じる程度でしたが久し振りにあの独特な不愉快を感じてしまいました。あの件、あの恐怖には絶句です。

 

テレビでは国会で開催されている「どっちが嘘」問答と昨日のシリアへのミサイル攻撃の話題で一杯で、殆ど報道が抑えられているのかと思うあの19歳のお巡りさんの件、やはり当家ではその家族の心情というものに頭が行ってしまいます。

 

8号線から湖東に向かうに目賀田の岩倉川沿いの道を東上しますが、近江鉄道の踏切をまたぎます。

彼はパトカーを乗り捨てたあと、警棒や拳銃を田んぼに投げ捨ててその線路を制服のままで歩いていたとのこと。

気が動転していることがわかります。

事件後に携帯電話で家族と取り乱した様子で話していたという情報もありますが、あの上司のお巡りさんの叱責によって衝動的激昂のスイッチが入ってしまったのでしょうね。

 

鉄砲所有の許可については学校でしっかりと教育されてのことでしょうからそれは致し方ないにしろ、私が違和感があったのは至近距離それも背後から後頭部と背中に1発ずつを撃っていることです。

言葉を選ぶという力量がありませんのでストレートに思ったことを記しますが、その方法はあたかもゲームの如く感じました。

「敵を倒す」のみを目的とした遊戯です。

 

私が子供の頃に見た西部劇などは野蛮で情操教育によくないとよく言われましたがあの中での人間関係からのもつれで「殺し合い」をする場合、まずは面をあわせての真っ向勝負が暗黙の掟です。

背後から撃つ事に関しては特に後ろ指を指される忌避すべき行為であってそれをやらかしたとしたら卑怯者・弱虫の烙印を押されるものでした。

不意打ちに関しては日本においては「奇襲」という言い方となって悪評価はされずむしろ伝統のような戦い方ですのでその社会に育つ者としては無理もないのかも知れませんが・・・。

 

子供達は今何をやっているかといえばゲーム(バーチャル)世界で漠然と「敵」を倒す事。

道理もへったくりもない無感情、不利あるいは都合が悪くなったら「ない」ことにしてしまう(・・・リセット)殺戮ゲームも流行っているようです。

 

まあ中央お役人さま世界は「嘘つきばかり」の醜態を見せつけています。

19歳の公務員が時に前後不覚の激昂に陥ったとしても私たちはそれも許容しなくてはならないのです。

そんな世の中になったのでしょうね。

 

お気の毒としか言いようのないのが教育係だったという井本さんというお巡りさん。

その「井本」さんの苗字を聞いて近江は東近江市の「妹」を連想しました。

滋賀県特有の苗字とは言えませんので何とも言えませんがこの「妹」の地名の読みは「いもと」です。

またワープロ変換でも「いもと」と入れて何度かボードを叩けば「妹」が出てくるはずです。

もともとこれは「いも」読みで現在とは違って女性を意味する語でもありました。

 

その「妹」(場所はこちら)には「井本城」なるあの「鯰江城」繋がりの段丘上の城がありました。

愛知川右岸の河岸段丘は河川と並行して一直線に丘を形成していますが鯰江城はじめ複数の城跡がありますがその愛知川上流側お隣のお城で対鯰江城に織田方が作った付城といいます。

ということで江州佐々木南北諸士帳には登場してきませんね。勿論「井本も妹」も・・・

 

地名として「妹」が先か「井本」が先か勉強不足で私にはわかりませんが大抵は発音「いもと」を聞き馴染んでから文字をあてているように思いますので「どっちが先」は参考程度であまり意味がないような・・・

「かわせ」の場合は苗字の河原﨑→川原崎の変遷がありましたのでもとは「河瀬」がはじめだったとは思います。基本カンタンな方に変わるということ。

 

「いもと」発祥がどなたかの女性への思いなのか、人の命の元である水の源流愛知川近郊の地からの名なのか興味は尽きませんがこの地元には「井本さん」は見られなかったということは付け加えておきましょう。

ちなみに鯰江に鯰江さんはたくさんいらっしゃいましたがこの段丘の上流にかけても鯰江さんの名のりは散見されました。

まぁ「妹」は地名としては珍しき名ではあります。

 

そのように地名・人命の「読み」は同じで字が変化するパターンは珍しくないですね。

それが先日記した「河瀬の川瀬」です。

「目賀田と目加田」もそうですが、元は耳で聞く「カワセ」に「メカタ」などから後になって文字が付いてきたような歴史でしょうからね。

 

法蔵寺の寺領は大きく門前にもかつて子院が4件ほど建っていたそうです。現在の法蔵寺前の「妙境寺跡」の石碑がある駐車場に「上國寺駐車場」と3つの寺の名が登場するという不思議を味わって一瞬間戸惑うことになります。

ちなみにすべて本願寺派(お西)のお寺です。

 

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2018年

4月

14日

4月14・15日はイベント集中日 荒天の予報 愛知神社

初夏と思えば、気温がグッと下がるなど体調を崩しやすい時期ですね。半袖シャツ1枚では肌寒さを感じてトレーナーを着れば汗が出ます。車など乗りこめば暑くて暑くて・・・かていってエアコンは・・・

 

今、心配なのが土日の空模様。

気温も昨日より下がって、天気は荒れ気味のようです。

九州の土砂崩れの救出作業の遅れとさらなる災害の発生が危惧されます。

 

さて世間的に4月第2土曜・日曜というのは各地で祭りが催される日とのようです。「春の高山祭」もそうですね。

そういったイベントに降雨がぶつかるというのは主催者側としてはその心境、最悪でしょうね。

イベントというものの成否はまずは「天気」ということであるというのは異論がないところでその件が恵まれたとしたら「なんでもOK」です。

 

豊郷町吉田にある愛知(えち)神社の御輿が出るのも4月第2土曜・日曜ということです。

毎年の事といいますが伊藤忠兵衛からみでしょう伊藤忠から若手社員がこの吉田の街にやって来て御輿を担いて廻るとのこと。

近江商人は本家には家族等を残して各地に店を出し主はそういった最前線で手腕を振るって外にいるもの。いわゆる単身赴任ですね。

そして本家にその「成果」を送るというのが大体のスタイルですが、やはり時代の変遷とともに「本家」というものの意義は失われ、繁盛の主体に本家機能が移って家族たちも迎え入れることになりますので、「近江商人」という商売上手に出世の現実はあっても地元近江への恩恵は徐々に薄れていくものです。

 

そのような中、会社本体として発祥の地への思い深く、ずっと関わっていきたいという精神を持ち続けて大切にするという姿勢は奇特なことと思います。

詳細はわかりませんが、新卒のオリエンテーリングとコミュニケーション熟成のためのものかも知れません。

雨でも決行すると聞きましたがいずれにせよ大変な事でしょうね。受け入れ態勢の方も同様ですね。

 

愛知神社は「春日神社」とかつては呼ばれていたことから、この辺りはまず奈良春日大社の荘園だったことが推測されます。

 

近江の神社によく目にする「馬」が見えます(場所はこちら)。

⑥⑦は岩倉川。上流に岩倉という部落があります。

その先の西出→東出→岩倉→松尾寺と通過して湖東三山スマートETCを利用します。

⑥の対岸に見えるのが目賀田(昨日)の部落。

 

 

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2018年

4月

13日

愛荘町、豊郷町界隈の朝 河瀬の獅子吼山法蔵寺へ

先般の春の法要の私のお話は脱線ばかりの思い付きが主でしたが自動車免許証の返上について、なまじっか返却してしまったための悲劇について触れました。

返却後、そのことを忘れてしまって何となく運転し、死亡事故を起こした結果についてです。

勿論「無免許運転」扱いになって「保険などきかない」ということになりますよ・・・。

といったところですが次に「自転車」に話が飛びました。

 

齢を重ねると自転車から転んでケガをするケースが増えますが、私が申し上げたのは加害者になった時のこと。

その件、加害者は比較的若い人たちに多いものです。彼らが引き起こす事故と損害賠償請求の事案として目に触れることとが多いですが、私たちにおいても一旦自転車に乗れば十分に加害者になり得ることに触れました。

 

先般、イヤホン+スマホ+飲み物持ちといういで立ちで電動自転車を走らせて年配者に衝突して死亡に至らしめた女学生がいましたが、想像するに半端ではない慰謝料の請求額が想定できます。

勿論刑事事件であることも言うまでもないこと。

自転車操縦の責任についてです。

 

死亡事案でなく後遺障害で9500万円という数字も聞き及びますからね。ちなみにその件加害者は小学校5年生。両親の責任となりましょう。

 

その対応としてやはり「自転車保険」に入ることをお勧めしたというわけです。

3000円程度で最高1億の対人賠償が補完できるのですからそれをケチる理由はありませんね。

無保険はすべてが不幸になります。

 

さて、相良あたりでのお巡りさんの評判はあまりイイ評価を聞きませんが、それは

①忍者の如く電信柱や街区の角に「隠れ」交通違反切符を切る

②比較的対象者は年配者・女性がターゲット

 

卑怯の如く「待ち伏せ」をしての「弱い者虐め」であって点数稼ぎを連想するその有り様についてはその関係者家族以外の人たちから見れば「不信」そのもので同情などできません。

ということであまり関わりたくない(その意味からして交通安全を心がけるという方向にはなるのでしょうが)職業の方たちではあります。

 

各聞こえてくる彼らの不祥事に関してはその体制に「様を見ろ」とは言わないものの「どうなってんのかしら?」とはよく・・・。

ただし私ども人間というものに完璧はあり得ませんのでお巡りさんだけに六道輪廻中の「人間」に溢れんばかりに備わった各種煩悩を「滅すべき」とは思いません。

失敗だらけの私がミス、失策に対して「とんでもないことである」とは言える立場にありませんし・・・。

 

ところが一昨日から昨日にかけての彼ら自らもそう思ったであろう不祥事に関しては私は別に多様な意味で考えさせられてしまいました。

 

たまたま私はあの晩は息子と愛荘町の宿に投宿していて、宿のテレビで河瀬駅前交番の事件を知りました。

私は京都の宿も使用する場合もありますが、最近は殆どその愛荘町付近がお気に入りです。

お気軽な価格で時に満員の際もありますが、宿泊はこの付近と決めています。

 

また「明日は河瀬の法蔵寺へ」と予定をたてていたところにそのニュースが飛び込んできました。

丁度シャワーに入る段になって息子が「下着を忘れたので買いに行く」と言い出しましたので問答無用で「ヤメロ!!」と却下しました。

そこで彼はブツブツいいながらも手洗いにてそれを乾かしていました。

 

初期の情報では「警察官を撃って鉄砲を持った犯人が逃走中」ということで警察が血眼になって追っているという様でしたから、「面倒は御免だ」と一喝したのでした。

 

「近隣」の事で犯人が「警察官で19歳」を知ったのが夜寝る前。

乗り捨てたパトカーが目賀田(またはこちらまたはこちら)の田んぼだったとのことで付近に拳銃を捨てていたことが分かったのは翌朝になってからでした。

目賀田の部落など8号線や旧中山道にぶつかる幹線道が通っている場所で名神高速方面とを結ぶ私の幹線路です。

 

朝からヘリコプターが飛び回っていましたが、私は朝の散歩に表記「獅子吼山法蔵寺」(場所はこちら)に行く予定をしていましたのでその河瀬駅前を通過しました。

法蔵寺は河瀬駅前から一直線の場所にありますので起点は河瀬駅だったのです。

8号線から直接行くよりも駅からがわかりやすくてベスト。

幼稚園の裏になります。

「河瀬と川瀬」の両方の地名の字、『「耳」は同じで字が違う』の例を楽しみたかった場所でもあります。

 

私はあの晩ずっと考えてしまいました。

鉄砲を片手に現れたとしたら「さぁどうする」というのも勿論ありましたが、とにかく上司を「撃ち殺して逃げた」と聞けば前代未聞の「凶悪」という活字が先行するのは当たり前です。しかし「その子」は何せ19歳。

私の息よりも2つも若い。

ハッキリ言って「子供」、「ガキ」です。

何が故にそうなってしまったのか・・・私は逃げている彼が私の息子とオーバーラップしてしまい、被害者には申し訳ないことですがつい彼の事、彼の人生、彼の両親のことそして「人の心とは・・・」等いろいろを想像して眠れなくなりました。

 

彼は上司に「罵倒されたから」とその凶行に及んだと告げているようですが、子供に強く叱りつける事など私はしょっちゅうのことですし、彼は普段から「穏やかで怒ったことがない」ような好印象漂う子だったよう。

今言う「パワハラ」の如き叱責があってのことだったのでしょうか・・・。

叱られ慣れていなかった少年が大人になりきれないまま警察官になったのでしょうか・・・。色々考えてしまいました。

すべてが「勿体ない」の一言です。

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2018年

4月

12日

参道石段に見える石塔ベースそして石仏 鳳来寺

ハイブリッド花粉なる言葉を聞きました。

「花粉+黄砂+PM2.5」が合体したもので人の症状を強くするにかなりのパワーアップがあるとのことです。

まだまだこれからの辛い季節が待っているようですね。

奥方は今年あたりからより酷いアレルギー様のくしゃみと鼻水鼻詰まりの症状の出現に見舞われていますが、私の方はそれとは反比例。

年を追うごとに上向き好調になってきました。

 

どちらかで記しましたが私のこの季節のその手の症状は沖縄生活が終わってから迎えた春からほとんど消えてしまいましたので家に中では独りお気楽(息子はネコ好きのネコアレルギー)にしています。

消えたと言ってもそのアレルギーの存在は僅かながらその存在について感じていましたが今年に至ってはまったくといってその花粉を感じませんでしたね。

ここでも記します。

皆さんも「花粉症は沖縄に行って治せ」と。

どなた様もやりたくてもできないことでしょうね。

そのメカニズム(免疫)に関してはわかりません。

私の「花粉症は治った」という事実だけです。

 

さて、昨日の鳳来寺。

ドライブコースといっても奥三河ですからそうお気軽にという場所ではありません。

しかし三河湾をも望む絶景と空気清浄の自然の中に身を投ずれば日頃の雑念消えて真如世界を体感できることは間違いなし。

私はこちらでは聞いたことがありませんがあのコノハズクのブッポウソウ(仏教の三宝)なる声を聴けばまさにお浄土世界を彷彿するというもの。

ちなみに私がコノハズクの声を初めて聴いたのは比木の賀茂神社でしたが・・・。

 

鳳来寺本堂前面から見る景色を眺めたあとは本堂裏手の山を。

裏手には標識と石仏。

石段には墓石らしき基壇を確認。

無縁となった墓石は路盤材になるというのが通例ですね。

以前はそのままズバリを使用することに躊躇がなかったということ。

③は山頭火の石仏と石段の件。 

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2018年

4月

11日

鳳来寺にもある東照宮 ボクたちの遠足のイメージ

先日の叔母さん宅でのフェンス柱建ての工事中にやらかした水道管破裂のあたふたの最中、叔母さんはその日2度目の転倒をしました。

コンクリートに倒れ込んだ時に発した鈍い音は息子が水道管を破裂させた以上に一瞬間私の意気を消沈させました。

絶対に「骨折した?」と思わせるような嫌な音でしたからね。

その前に転んだのが奥方と「タクシー券」を役場に取りに行った際に駐車場の車止めに躓いて肘を擦りむいていたこと。

 

私の目前で酷い転倒パフォーマンスを行った叔母は、私たちの危惧に反して、ケロッとしていました。膝の擦りむきだけで骨には異状なしでした。

叔母さんは子供がいませんのできっと骨粗しょう症が進んでいないのでしょうね。

高齢者が1日に2度も酷い転び方をして擦り傷だけで終われるなど不死身の如くで、私はこれは「ありえないこと」と感謝した次第です。

2度目の転倒時は「水道屋の次に呼ぶのは救急車か」とまで思ったくらいでした。

 

日頃私が叔母にガミガミと指摘しているのは(転倒防止のために)①家の中ばかりに居ないで歩く②ポケットに手を入れて歩かない②外歩きの際の履物はつっかけは止めてシューズに・・・ですが、①最近歩いていない(外出していない)②両手をポケットに③サンダル履きというすべて真逆の結果、今回の件。

歳を重ねるとそういった指摘が耳に入ってこないのですね。

 

尚、御前崎市には高齢者用に毎年「タクシー券」を配布しています。もっとも叔母は毎年殆どを無駄にしていますが、周辺自治体にはない太っ腹のサービスですね。

財源はこれも「原発迷惑料」からでしょう。

 

さて利修仙人足湯(またはこちら)からの登り路を上がれば鳳来寺(場所はこちら)。

鳳来寺に関してはこの遠州でも中学校の遠足に使われる頻度も高くお馴染みの場所です。

さすがに旧来の参道を徒歩で登るというガッツはありませんので、一気に車であがります。

 

利修仙人足湯からの登りも長篠城側からの道も途中で合流して山頂近くの駐車場に行き当たります。よってかつての修験の険しい山というイメージはまったくなく、気軽なドライブコースといった感覚になっています。

 

こちらの寺といえば「コノハズク」の当時の「目からうろこ」のラジオ放送の件ですが、最近では大河ドラマの影響で虎松(井伊直政)が逃げ込んでいた寺として知られています。

江戸期になって徳川家光が東照宮を建立するなど強大なバックアップをしたことも知られていますね。

家康の母、於大の方がこちらに参籠して家康を授けられたという伝説に基づいているとのこと。

 

寺と神社の共存が許されなくなったあの時代(神仏分離)、この東照宮は温存されたものの、寺としての山は衰退の一途を辿ります。

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2018年

4月

10日

左衛門尉家 酒井広親の石宝塔 長禄三年1459

昨日は池新田の叔母の家の庭でちょっとしたフェンス工事。

京都に向かう直前の愚息に穴掘りをやらせようと連れて行きました。

そこで何故かいつもの不運に襲われたのです。

息子が作業中に「ああ~!!」と。

掘ったばかりの穴からは水がどんどん溢れて道路に流れ出てきました⑦画像。

 

そうです。水道管をスコップで突いたのでした。

そうなると作業は終了。

御前崎市の水道課に連絡して指定の業者さんを呼びました。

10分もしないうちにやって来てくれてこれは有難いと余計な事を作業員の方に話しかけていました。

市役所通りの「河原﨑」という業者でしたので・・・。

溢れ出る水に悪戦苦闘しているところを「河原﨑ってどこ出身?」とノー天気なことまで・・・

 

水道管破裂に関してはプロであってもやらかす事ですからね。まるで地雷のようでもあります。

何処にそれが通っているかなどまったくわかりません。

ちなみに場所はメーターの外側でバルブを閉めるなどの対応ができない場所でした。

 

奥方が後からやってきて、その無駄な時間と緊急の散財(水道管修復の工賃)について大いにお叱りを受けたことは言うまでもないことです。

 

さて拙寺と古くからお付き合いしていただいている家系に酒井家一統があります。

境内に数基の墓石が立ちますが家紋の入っているものはすべて「丸に片喰(酢漿草)」(○の中に「けんかたばみ」)です。

その件以前ブログにて記したことは覚えています。

 

昨日のブログで伊藤忠兵衛邸の画像をアップしていたものを眺めていてその♡型に気づき、この件については果たしてアッフしていたのだろうか・・・と過去ブログの検証をしました。

ざっと見、誤字脱字に関してのお恥ずかしいところは見つかったものの、やはりお初だろうと判断してこの画像を並べてみました。

一気に関連の場所を続けて記せばいいものを気が散ってあるいは忘れ去っているのでしょう。

 

こちらは以前岩津城信光明寺に訪れた際のものです。

酒井広親の石塔は岡崎の岩津小学校の真西にある墳丘風の壇上にあります(場所はこちら)。

 

石塔のどっしりとしたシンプルさは好感が持てます。

今は住宅地の一画にあって草ぼうぼうとなる夏期ともなれば埋もれてしまいそうな環境にあります。

一番古いとそれまで岡崎市が仰るならば(掲示板)、もう少しばかり配慮をしてあげてもいいのでは・・・と思ったところです。

覆堂等で雨からの浸食を防いであげたいところですね。

近くに散らばった石塔残欠などもキレイに整理してあげれば。

 

私はこの墳丘らしき石塔の下を発掘したら何かが出てきそう・・・と考えます。

 

 

 

 

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2018年

4月

09日

伊藤忠と丸紅発祥 近江商人に見た真宗思想

朝起きて室内12℃には意表をつかれました。

昨日の宴のあとというか「春の法要」でひっちらかったままの本堂やら境内のやきいものドラム缶やらをのんびりと片づけて幸いにも日曜業務日にあたった地頭方の処分場にゴミを搬入しました。

午前中は旧相良町内仏教会の催す「はなまつり」がありましたが息子に出てもらいました。

夜はテレビ小僧。NHK2330のサイエンスZERO「山城」探しの「赤い地図」について興味津々でした。

 

さて、「春の法要」の私のお話の中で脱線して触れた近江の豊郷町(またはこちら)にある伊藤忠兵衛記念館の仏間。

私共お馴染みの門徒のデカイ御内佛と真宗ならではの仏典が並べられていました。

 

伊藤忠兵衛記念館のある場所(こちら)は旧東山道(中山道)と又十屋敷と同様、古くからの街道筋。

中山道が東国との往来の街道NO.1として君臨していた時代は今の東海道隆盛のイメージとは掛け離れています。

昨日の「橋」つながりではありますが大平洋に面した、大河下流を横断する経費とリスクは計り知れない浪費と捉えられていたのでしょうね。

橋梁技術など未熟でまずは大河に橋などは架けられていない時代。アップダウンの難渋はありますが、「渡河」という最大難関の数々を回避できるというメリットがありますから。

渡し船を依頼し河川増水によってそれが不通になれば予定をもたたなくなりますからね。

 

伊藤忠兵衛と伊藤長兵衛兄弟については各お調べいただくとして彼らが創始した現在の巨大商社へと発展したベースこそ近江出自のまた真宗的宗教感の存在があったからこそと勝手に思い込んでいる次第であります。

 

初期の商標が梵鐘のマークというのも親しみがわきますが地区

名士の寄進による正信偈の展示にチャキチャキの浄土真宗グッズひと揃えの姿を見て感動させられました。

 

こちらでいう本山とは西本願寺。

最後の画像、屋敷から見えたお寺は鶏足山佛願寺なるお西のお寺。変わった山号については「犬上君」関りの「黄金の鶏」が埋蔵されているという伝承から。

鶏は早起き・・・勤勉の象徴ですのでそれも近江商人の古くからの姿勢なのでしょう。

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2018年

4月

08日

橋といえば極楽橋 二河白道は渡らない 源信母の手紙

夜半の風雨は予報通りでした。そして朝にはやむことも。

5時過ぎに外を見やれば、結構な降りだったわりに風の強さもあってコンクリート路面は乾燥していました。

「ありがたい」と思わず阿弥陀の名を称えていました。

その後の超凝縮された午前中の半日はまさにあっという間。

皆さまのおかげで段取りよくスムースに事が運びました。

特にテントの整理が瞬時で驚愕の速さ。

市のグラウンドから借りている2本のテントは往復の手間と劣化して使いづらいことがあり、婦人部の本多さんよりあと2本の寄進を打診されました。ありがたいことです。

保管場所を作ってから発注しようと思います。

全5本のテントがあればより便利になります。

 

どちらのお店も売り上げの方はまずまずだったと聞いてこれもおかげさまの一安心。

直営では肌寒かったせいか150個以上の焼き芋(100円/一個)が完売しましたが、しっとり系で期待外れの方がいらしたかも。

季節的にどうしても無理のある素材かも知れません。

 

拙僧のお話のテーマは「尻腰」。私自身含めこれからの重大テーマです。

「しっこしのない」と言う台詞がありますね。普通は「もっと我慢しろや」の叱咤する語ではありますが。

支離滅裂な雑談レベルのものですがその「尻腰」の衰えは「白い道」を渡り切れないからスクワットで維持しようという流れ。映画の「親鸞 白い道」のそれですが「二河白道」の「白い道」のこと。その語はググっていただければと思いますが、奈良国立博物館の「二河白道図」(③画像)を今度の旅行の宣伝を兼ねてスクリーン上にアップ。

ちなみに拙寺では紙芝居ならぬパワーポイントとプロジェクターを使用して法話等の進行をしています。

 

尻腰を強くするスクワットの説明は「和と洋」という言葉遊びから。

昨日記した日本(「和」)の伝統(女は土俵から降りろ)とやらを揶揄ってからトイレの「洋」のありがたさ。

今学校のトイレは殆どが洋風便座になったと聞きます。しかし「和」タイプも残したいという意見というか余裕も出てきているとのこと。

 

私も時折「和」に出くわす事があります。凄いというか「コレってかなりハードな筋トレ」を思わされますね。

「和」を身近からあまりにも遠ざけてしまったら、どこかで「和」と遭遇した場合対応不可になるでしょうが、あまりにも「洋」によって楽をしてきたかということがわかります。

 

そこでスクワット。「洋」に座るような感覚でゆっくりと自身体力に合わせて1日何セットかの習慣を作り、各自信がついてきたら「和」にも挑戦しようというもの。

勿論「和」は「エアー」ですから深いスクワットのこと。

昔の人の尻腰の強さは「和」にあったというオチですが赤ちゃんが泣き出して端折ったものですからやはり消化不良のお話となりました。

80歳以上の方は知っている「白い道」ならぬ穴に渡した板っ切れ2本のアレ。バランス感覚が衰えたら・・・酷い事になりますね。そんな昔の笑い話はよく耳にします。

当日は88歳と99歳そして99歳+@の方たちのお祝いもありました。

 

「白い道」とは橋のことですね。

仏教世界ではその橋を二河白道とは別に時として御縁の喩えともします。「橋渡し」「仲介」の意にも使いますが人と人を繋げる大切な役回りのこと。

源信さんの母親の手紙にもありましたね。

  

  「後の世を渡す橋とぞ思いしに      

            世渡る僧となるぞ悲しき」

 

私はこの交差点、極楽橋(場所はこちら)を通過する際、ただの字面だけですが感動をおぼえてしまいます。

「また渡らせていただいた」ですね。

ただの交差点ですが、できればこれから何度でも渡りたい。

①②は境内イベント大嫌いな「舞鶴殿」。

通常は外にあるリンゴ箱に避難しますが、早朝からの異常を察して庫裏屋根裏に逃げ込んでいました。

 

てっきり野良猫除けの工事か成功したと思っていたところ、天井からの彼女の声を聞いてガッカリ。「どこから入った」と尋問しても「ニャー」としか。

②は静粛を取り戻した境内に舞い戻った舞鶴殿。木に登ってはしゃぎます。

 

 

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2018年

4月

07日

人多すぎ こわいもの見たさ 龍安寺と仁和寺名宝展

昨日は春の法要の前日準備のためご一同様にお集まりいただきました。

夜間の風雨の予報のため幕を張ることはやめてテントはとりあえずフレームのみ。

朝方に気合を入れてテントを完成させようという算段です。

ただし早朝の段階で雨があがっているということが前提のお話。

信じられないような晴れ続きに、これはそろそろ・・・と思っていればズバリ大当たり。なるようにしかなりませんね。

無理もしなければ無理なお願いもしたくありません。

 

それにしても「これはヤバイ傾向?」と感じたのは毎年「春の法要」の際に行う念珠授与式。

新生児そしてご結婚のペアにお念珠と記念品を贈呈していますが、今年は何故か子供達が激減。

2014年からの推移を記せば20人→9人→12人→そして去年が18人だったところ今年はなんと4人ですからね。

世に叫ばれている「少子化」の流れなのでしょうか。

もしこの調子であったならば・・・すべてにおいての危機が迫っているということでしょう。人が少なくなるということはシステム全体が回らないということですからね。

 

さて、先般京都に所用にて向いましたが、朝早く到着して午前中山歩きをしました。

私が歩く場所といえば山城か墓場が主ですがその際は龍安寺の裏山をうろつこうという趣旨でした。

いつものスマホ万歩計は午前中だけで20000歩を超えていましたがそれでも先日の4階建てエレベーター無しの引っ越しの際の数値には満たないものでした。それにしてもあの引っ越しは私の運動不足を解消、尻腰を強くしてくれました。

 

山中では数組の年配者とすれ違いましたがみなさん転ばぬ先の・・・ステッキ等を手に軽やかな足取りでした。

するとちょいと若めでスマホ地図を見ながらの3人組に出くわしたのですが、彼らがまさかの中華系の人たちであることがわかりました。山ですれ違えば必ず声を掛けますので・・・言葉が通じません。

「よくもまぁ」とこのような場所に観光で踏み込んでくるものかとその度胸に感心したものです。

京都の中学校修学旅行レベルで趣向される寺院等のごった返す外国人たちの件、よく承知していますが、私はするとあそこいらはどうなっているのだと「こわいもの見たさ」で仁和寺と龍安寺を覗いてみることにしました。

尚両寺院とも近接して徒歩で十分に行ける距離です。

 

龍安寺の裏山に登るには拝観料500円は不要(いずれブログにて)ですが、チケット販売所あたりまで行って様子うかがいを。

その日は午前9時頃だったせいか修学旅行の書生さんたちは見られずざっと9割方が外国からのお客さん。

やはり日本人を探すのが困難の様。

そして一見して中華系は少なく殆どが欧州系の様でした。

花々が咲き乱れみなさん懸命にカメラに「色々」を収めていました。まぁ外国の観光客を誘引できる施設ということです。

境内土産店も結構な効果がありましょう。

しかしあの石庭に何を感じるのか・・・それを伺ってみたくもなりました。

 

11時過ぎの仁和寺は強烈でした。

桜とミツバツツジが満開でまさに人だらけ。

やはり日本人は2~3割くらいでしょうか。

これは圧倒的に中華系の観光客が多いということと日本人との判別ができないからですね。

スマホの自撮り棒と妙なサングラスのいでたちから推測します。

人混みもあそこまで来ると早々に退散したくなるのですが仁和寺境内でもまったくもって空いている場所がありました。

 

仁和寺霊宝館の春季名宝展(4/1~5/27)500円が開催中です。

阿弥陀三尊像(③パンフレットが阿弥陀如来坐像)の阿弥陀さんの御尊顔を拝せば来た甲斐があったというもの。

このお寺に江戸期とはいえ「阿弥陀経」が陳列されていたことには驚きました。

 

画像⑯が仁和寺駐車場。駐車場渋滞の状況。⑰が龍安寺の駐車場。どちらも満車です。

 

桜とツツジの桃色は圧巻です。

特に仁和寺のツツジは凄すぎます。

あの風景を独り占めできたら最高でしょうね。

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2018年

4月

06日

水野家墓域に建つ墓石に記された文字 朝夷彦八郎

間抜けなアナウンスとヤジ2題には驚かされました。

両方ともスポーツの現場でした。

あまりにもインパクトがあるニュースでしたのでご存知のこと詳細は割愛。

 

両方とも開いた口が・・・と呆れかえるばかりでした。

1件目は「相撲の伝統」の件。

そんなつまらない事に拘っている「伝統」などクソ喰らえですね。

相撲というものへの興味がいよいよ失せました。

 

もう一件は中日ファンが広島球場でのヤジ。

「死んじまえ 原爆落ちろ」との言葉が・・・

両方とも世界の恥でしょう。

「日本人はバカ」を宣伝してしまいましたね。

サッカーだとチームそのものがペナルティを喰らいますから野球は大甘の感。

 

さて、彦根の桜が満開と聞きました。

ということは暖地の桜はもうおしまい。丁度風雨強まりそうな予報となりますですので舞い散った花びらも一気に消えてなくなるのでしょうね。

これからは藤の紫が当地の山々を彩るのでしょうが、藤といえば昨日記した藤ケ谷。

その季節にはその地より南側の朝比奈城の紫色が印象が残っていますがその名も「藤ケ谷」と呼ばれるこの地のその時期についてはこれまでノーケアでした。

今年は注意して眺めて見ることにします。

 

その藤ケ谷の水野氏がこの地に多数見られる水野さんのルーツかと勝手に思い込んでいる私ですが、その水野家の墓域にあって、先祖代々守ってきた墓に「なるほど」と唸らせる、墓石があります。

それが弘治三年(1557)建立とありますのでまさに戦国期。

年代不詳ながら「朝夷彦八郎」なる人物の名が見られます。

墓の形状からして江戸期以降のものと推測しがちになりますが朝夷の名も勿論の事その年を見て一瞬目を疑いました。

 

最後の2つが以前の桜満開の彦根城。

 

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2018年

4月

05日

朝夷氏の居城・・・が通説 藤ケ谷城

うろうろすると東京都の条例に引っかかるようになったと聞きますが不審者扱いされるのは困りますね。

墓地でうろうろ、山でうろうろ。

どこでもかしこでも厳密にいえば私有地であって私のようなほっつき歩きを趣味とする者はいよいよ面倒な事になることは事前に予知して「不審度」を醸し出さないよう心がけなくてはならなくなりました。

特にこれからの季節感表す旬のものといえばタケノコ。

檀家さんで近くの山でタケノコを取りに行って警察沙汰になった方がいますが笑いごとではありません。

 

私は以前、相良平田寺にてタケノコを奥方他数人で取らせてもらった際のこと、私はおいしくいただきましたが、奥方は何故か謎の発疹と呼吸困難が出てそれ以来タケノコ嫌いになっています。

よって「殺す気か?」と罵られますので喜んでタケノコを持ち帰ろうとは思いません。

もっとも、「墓場のタケノコ」というのが気に入らなかったのかも知れません。

 

それにしても私がヤマイモ堀りに興じていた頃の話、奥方が「うまい」といって食していたあのヤマイモは実はその斜面の上に墓地があったということは未だ言っていません。

 

タケノコなどは今に至っては出始めの頃はともかくどちらの山でも「以後放置」というのが通例でまぁ一言挨拶でもすれば「好きなだけ持ってって」といわれるくらいでしょうね。

 

山歩きというか「こちらは〇〇城址」の如く案内掲示板の無い城跡などは100%私有地であることはまちがいないところですので「一般」を言うならば違法行為。

所有者のムシの居所次第では通報されかねませんね。

 

ということで私の目的を表する意味で許可権のあるなしにかかわらず人とみたらこちらから声かけします。人が見当たらなければ玄関のドアを叩くことも厭いません。

情報を得るということと「私の目的」を知らせる事が出来てすべてが御の字に収まります。

 

さて、表記藤ケ谷城はやはり訪れる人も稀な地元でもなか知る人も少ない古い城で朝夷氏の居城というのが通説です。

2度ほどブログでも記している上朝比奈小泉の伝朝夷三郎の宝篋印塔(朝夷さま)ですが横舟に元いた河原崎氏が横舟から移動させたものといいます。

 

朝夷氏は歴史の表舞台から姿を消してはいますが、実はこの地では数多い水野氏を名乗ったといいます。

この水野氏と河原崎氏の関りについては不詳ながら浅からず縁戚関係も考えられます。

代々に渡り墓地管理を任されていた河原崎氏が居所を変えるにあたって「朝夷さま」を移したのでしょうね。

 

ということで朝夷氏の居城藤ケ谷城に近接したどちらかにあの墓があったということになりますので、「藤ケ谷城=朝夷氏」という推測が成り立つのです。

 

私はこの城(場所はこちら)へ2回戦の登城を試みていますが、要は放置竹藪。

閑田院から南に延びる台地からさらに東にU字型に分岐する地、近隣の方がいうにはそちらを「藤ケ谷」と呼ぶようで2度ともその東に延びる尾根からでした。

尚西側の宮ケ谷の242号線からも、真北の尾根の始まりからも取りつくことができます。

 

取りつきは切岸状の崖の如くで楽ではありませんが、これは経年の崩落も重なったためでしょう。U字の南側の尾根上にはかつては墓域があって現在は閑田院に移設されています。よってこちらの墓は昨日記した無縁墓の中にあるはずです。この尾根の上の墓域にあの宝篋印塔があったのか・・・などというのは端折りすぎ。

 

そのU字型の入り口を「本屋敷」という方もいて、城主等屋敷はこちら側にあったかと。

西ノ谷歩道橋画像から見た藤ケ谷方向ですが、この台地を削る切通により横舟と宮ケ谷を結びます(矢印)。古道あるいは堀としてあったものが利便性から拡幅されたものと思います。

尚画像の右端が「U字」の南側の尾根となります(家屋の右側)。

 

いつもの如く山城を撮影してもただの藪。

比較的大きな堀切は南側からの尾根の付け根付近に。

本曲輪らしき場所に上がればご親切に展望用のベンチがありますが、気軽に来れる場所ではないはずですがどなたが・・・

眺望は直下の街道を見渡すにベストな場所。

 

防衛上北側からの尾根伝いの侵攻に脆弱性がある城です。

たとえば武田の侵攻の際であれば瞬時に落とされたかも知れません。まぁ当時の武田勢であれば逃げるが勝ちですね。

 

①②③は数日前の拙寺境内。

 

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2018年

4月

04日

牛の食べ過ぎ 「横舟」は貴船神社から?   閑田院

先頃奥方の誕生日ということで当家が滅多にいくことがない焼き肉店に行きました。

そんなもの(誕生日)など「どうでもイイ」というのが本音ですが、それを言ってしまうと関係険悪となりますのでやむを得ず同行させていただきました。

 

しかし夜間はやらなくてはならないこと(ブログ更新)がありますので外遊びは気乗りのしないものです。

私はその件「日没後は(外出)ダメ」と当家ならではの掟を勝手に作っていますが、今回は特別でした。

もっとも運転は息子でしたから座っているだけですが。

 

滅多に行くことがない焼き肉ということで「食べ放題」と看板に記されている店はパスするとのことでした。

とうとう藤枝まで走っていましたね。

「安かろう」で悪い肉を喰わされてお腹の具合が悪くなるのではかないませんので私も大いに賛成でした。

 

御飯は大盛、脂身の少ない肉でしたがガッツリと食しましたので翌日は胃の下あたりが痛くてしばし後悔の次第。

消化不良というヤツでしょうね。普段食べ慣れない上等の肉であさましくも後先考えずの暴食でした。

 

奥方も息子も「冒険」をして私の聞いた事もないような肉の部位を注文しますが翌日はケロっとしていますから凄いものだと感心しています。

牛という命には申し訳ないことですが歳をかさねていよいよ「肉食」という優良たんぱく質の摂取は欠かせません。

 

その日のランチは牛肉のケバブでしたからその日一日牛にお世話になった日でした。

 

さて上朝比奈小泉の台地と台地を削るように流れて、平地を作ったであろうあの川はその先で朝比奈川と合流してさらに新野川に合流、池新田と呼ばれるようになる以前の湿地帯湖沼を形成していました。

 

ブログでもその地名を記していますが「横舟」の地は小泉の宮之谷と呼ばれる朝比奈城側の朝夷さまのある台地の麓に住まわれている方の元居た地といわれます。

「横舟」の地名の発祥は・・・と考えればその朝比奈川の北側の台地に貴船神社がありますね。

ちょうど横舟公民館の向かいとなります(場所はこちら)。

 

勿論「舟」というからには古来よりその運輸手段がこちらにて活躍していた事が察せられますが、貴船神社といえば京都の貴船神社伝説。

信貴山朝護孫子寺の「寅・寅・寅 トラ・トラ・トラ」ならぬ「丑・丑・丑・丑」ですね。

 

これはご存知「丑の刻参り」の調伏呪詛儀礼。

「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に参拝して「憎きその人」に呪いの願掛けをしてこの世から消えてもらうという恐ろしげな儀式です。

時に「藁人形と五寸釘」とも表現を変えているようですが、昔はそれをやれば死罪だと聞きます。

現代法では不能犯といって罪科対象としては相手にもされないものですね。

しかしかといってそれを古式にのっとって貴船神社で行えば敷地内不法侵入と器物損壊(木に打ち付けるため)を問われて御用になりましょう。

今時その装束でもってしょっ引かれたとしたら新聞沙汰になるかも知れませんね。

面白そうですがやはり消化不良の感は残ります。

 

この台地の西側を「下朝比奈」という地名が。

この上と下の違いは朝比奈川の上流と下流の区分けでしょう。

下朝比奈のさらに西が新野です。

尚その下朝比奈の宮ケ谷には拙寺当家の縁者で医師を輩出した赤堀家があります。

赤堀家は昭和初期に、拙寺の門の脇の建屋に住まったと聞きます。

 

また下朝比奈(岩地)に建つ、閑田院には昨日記した廃寺となった普門寺にかつてあった墓を探しに向かったことがあります。

閑田院は明応五年(1496)の創建と戦国時代突入期。

第一次高天神城戦にて徳川方の前線基地になったそうで故に堂宇は灰燼に帰したといいますから拙寺と同様の歴史を持ちますね。

もっともこういう場合火をかけるのは逃げる方、徳川方です。

そののち家康は武田信玄の調伏祈願を閑田院に命じたといいそののち武田家は滅亡したため褒美として葵の御紋の使用を許可したといいます。

 

拙寺もまた徳川家康に再建の手を差し伸べていただいていますが、葵の御紋を寺に掲げるなどいうことは聞いたことがありません。

 

②が貴船神社。③④⑤付近の様子。⑥⑦朝比奈川から見た貴船神社と横舟公民館。

⑧~⑫が閑田院の無縁墓群。特定困難に陥ります。

 

親鸞さん銅像は拙寺境内。

足の下あたりが舞鶴殿のお気に入りの場所。

最後の画像がどこかで見た宝篋印塔の相輪部分。

差し込み部分は十分に計算されています。

 

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2018年

4月

03日

上朝比奈小泉の風景 小原橋近くの地蔵堂

2019年に予定している静岡空港の民営化の件、「静岡県は運営事業者となる優先交渉権者に三菱地所と東急電鉄を選定した」というニュースがありました。

 

先般もショッピングセンターの誘致(牧之原I.C.北開発)について今後は核となる運営母体の選定に移るということを記しました。

私は今回の三菱と東急電鉄のラインは空港の管理は県であり北開発は牧之原市という違いはあるものの、まんざらその方向性がステックされたことを示唆しているようにも感じました。

 

先の読めない時代ですが、「どうせやるなら早いところ決めちゃって」てなところ。

私が一番に危険視しているのが例の「カジノ」。

あんなものをあそこに建てられたそんな日には、結局は周辺の人たちをカモに「惨めな家族の没落」の類を見なければいけなくなるやも知れません。

 

どの時代にも「バクチ」で家を傾けたという件、やたらと聞きますし現代であってもそれにのめり込んだ父親を原因とした家族の悲惨譚は各あって毎度耳を覆いたくなります。

どちらに建てられるのであってもあれは強く反対したいものです。庶民を不幸に陥れる施設ですから。

 

あれは一見したところ自己責任に見え、時として「レジャー」という美辞のオブラートに包まれますが常習者を見ていると殆ど「病気」と同じ。

国民を蝕む病の元凶を何故にして運用しようとするのか、意味がわかりません。

手っ取り早く儲かるものに手を出すところがお寒い感覚ですが。

デカくテラ銭を稼ぐ「バクチの元締め」をお国がやろうというのですからね。

ヤマ師風の輩が大挙して田舎町を闊歩されるのもね。

 

さて、牧之原台地の舌状台地の「舌」を形成するためには「谷」を削っていく必要がありますが、そのアイテムが「川」ですね。

有史以前、長い歴史の中、大井川の蛇行やら台地隆起やらでこの辺りの地形が形成されたのでしょうが、台地のそこかしこから流れ出た川が集約されつつ長い年月をかけて谷を作り、さらに川を中心に扇状地の如くの平らかな地を作っていったのでしょう。

 

相良から浜岡の池新田に向かうには一旦「鬼女」の原に出て朝比奈の地にくだり下りるのですが、あの新野川に合流する川が谷の中央を流れています。先日記した桜並木はその土手です。

谷と言っても台地と台地の間に結構な距離がありますので、殆ど平地の如くになっていますが・・・。

 

その川の流れの近く「小原橋」のたもとに地蔵堂があります。

上朝比奈屋台小屋がその川の向かいになりますね(場所はこちら)。「この川がこの平地を作った」と考えるのと「まさか」と思えるくらいに小さな流れです。

 

小泉区の人たちが古くから祀っている石仏ですが、豊受神社そして「朝夷さま」とかつてあった朝夷さまを含めて住民先祖を供養するためにあった普門寺も近くにあります。

 

普門寺は五代程度の住職が続いていたようですが、閑田院に併合されて今に至ります。

普門寺の跡地に中部電力が鉄塔を建てたいと申し出があった際、朽ち果てた普門寺の堂をあらためて、簡易ながら建屋を作ってもらったということです。

裏側には瓦の破片と石ころが積まれていました。かつての何かの残骸でしょうか。

この建屋の裏側に丘に登る階段がありますがその竹藪の中にかつては歴代住職含めて何基かの墓地がありました。今はすべて閑田院に移されています。

 

上記地蔵堂、朝夷さま、普門寺跡の堂とも閑田院から僧侶を招いて年に一度法要があるといいます。

⑦の大きなヤマモモの小径を上がれば⑧。

③地蔵堂から見た豊受神社の鳥居に小泉区民会館。

地蔵のベース部分には上朝比奈に普門の文字が見えますので廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた頃に普門寺から逃れてきたのかも知れません。

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2018年

4月

02日

朝比奈小泉の宝篋印塔 朝夷さま ソケットを見てみる

宝篋印塔にしろ五輪塔にしろ現存する石塔がバランスが良くてまた劣化崩壊がなく完全系容姿、当初の姿が伝えられていれば希有奇特な事でその出遭いとなって感動します。

特に宝篋印塔ならば細部装飾等の凝り具合にも注目しますね。

 

昨日記した通称「朝夷さま」、朝夷三郎の墓といわれる宝篋印塔はこの地区トップレベルと少々オーバーな表現をしましたが、まんざら吹聴ではないと思っています。

 

直近でいえば「石切りさま」がありましたがこちらよりも崩壊が進んでいるのと装飾も念入りにしようとした作者の主張はある程度伝わってきますがやはりシンプル。

相輪の代わりに代用品の五輪塔の宝珠らしきものがのっかっていましたし塔身が不明となっていました。

 

またこの北方の新野地区の新野左馬之助を祀る佐馬武神社の石塔などはほとんど五輪塔の残欠で目を凝らしてやっと宝篋印塔の相輪らしきものがうかがえる程度でした。

さらに北にある横地一族の墓域にも宝篋印塔がありましたが。あちらは菊川市ですね。牧之原市の勝間田氏のものともなればバラバラの組み合わせであることが一見してうかがえるほど。

 

その朝夷三郎の墓と伝わる宝篋印塔はまず磨滅崩壊が少なく残存状況がよくやはり伝承を裏付ける如く鎌倉時代は遡るのではないかというところではありますが、惜しい事にやはり不完全で基礎部分から塔身が欠落しています。

輪郭を刻んだ隅飾りは立ちギミなところは天晴ですが、笠下2段と基礎上3段の今の接合部分に塔身があったはずでしょうね。

 

勿論、現在の上部が欠損している相輪も後付けであることは想像ができます。まず石質と色味が違いますね。

一応は相輪が差し込まれている部分を無礼を承知で確認させていただきました。

やはりソケット、差し込み部分はボーリングの深さも大きさも違うようです。

 

この石塔は不完全とはいいながら御前崎市の貴重な芸術品、財産だと思います。

文化財指定がされているのかされていないのかわかりませんが、案内・掲示板の一つも立てて人々に周知させるべきと感じました。この石塔の存在を知っている方は地元のごく一部の方たちだけですからね。

そもそもこの墓が「朝夷三郎」のものというだけで夢が広がるというものです。

歴史の登場人物の格でいえば、ここでまた失礼な事を記しますが先般急激に有名になった新野三郎の比ではないような人ですしね。

 

画像①は道路から見た図。河原﨑家の墓地がお隣。

②朝夷さまの隣には石塔2つと残欠があります。

③が朝夷さまの相輪接合部分。大きさと深さの割に小振りです。⑥⑦はお隣の小振りの宝篋印塔2つの相輪部分です。

 

大き目の宝篋印塔の塔身の部分はその形状から(立方体に近い)建築物の基礎に流用されやすいのかもしれません。

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2018年

4月

01日

行僧原の西 朝比奈城東 小泉の宝篋印塔 朝夷さま

先日は調子づいて高校野球の勝ち負けについて記しましたが、昨日の結果はすべて前回とまったく逆。

私が応援などすればロクな事がありません。

静岡県代表の静高も期待に反していいとこなし。

しかしお茶の間でどうこう一喜一憂している者としては気が楽なものです。

 

昨日お会いした野村氏は静高出身で野球部後援会としてあの試合は甲子園のスタンドにいらしたとのこと。大変ですね。想像を超えた疲労度を感じてしまいました。

ついでに京都に立ち寄って円山公園にて花見を楽しんだとの事。

 

それにしても好天つづきで花散らしの風雨がありませんから花もちが良く見頃が持続します。これまで未経験のこと、本当に珍しいです。

そのせいで4月7日の拙寺「春の法要」の日についに雨マークが点灯してしまいました。

また「勝手にしやがれ」と投げやり。

 

さて、朝比奈の河原﨑姓について記しましたが行僧原から小泉という地に降りた辺りに某「河原﨑」家の墓地があります。

改修を重ねているようで一見新しい墓ですが墓誌に記された一番古い方が「元禄四年」とありました。

家紋はやはり澤瀉(おもだか)です。

 

家紋というものは同族であっても変わっていっても不思議の無いものですが河原﨑といえばなぜか澤瀉(おもだか)が圧倒しています。墓石には「宮之谷」とありますが「小泉」同様にこの地のことをそう呼んでいるのだと思いますが・・・。勿論その「宮」とは近くの豊受神社でしょうね。

ただし、「宮ケ谷」という地も「横舟」から一山超えた西側にあります。

 

この河原﨑さんは代々農業を営んでいますが、元はといえば谷向かいの横舟という地から来たのだといいます。

正確な転住時期はわかりませんが先祖伝来の耕作地がこちら側に近かったせいかも知れません。

その移動時に移してきたのが豊受神社といいます。

住処を変える際に神社を建てるなどは余程の財力があったということでしょうね。

④は豊受神社からの画像ですが矢印が「横舟」地区。

この神社の近くに小泉公民館⑤⑥が見えますが墓地はちょうどその裏側になります(場所はこちら)。

 

そのご当家の墓の近くに小さくて簡易な覆堂があって、その中にはこの地域一番といってもいいくらいの美形の宝篋印塔が鎮座しています。

あの石切りさまとは細部を異にしますが、時代的には同じような感じがします。

やはり相輪上部は後補のようですが実はこの墓石の地元の皆さんの愛称は「朝夷さま」(あさひなさま)。

「朝比奈」ではなく「朝夷」、こちらの字を書きます。どうやら元は朝夷で時代を経て朝比奈になったような・・・

 

この辺りの地名は朝比奈(上朝比奈・下朝比奈)で、その地名の発祥を推測できる名ですが、この地より西に1キロ行ったところには曽根氏が入った朝比奈城がありますね。

そちらの城砦の設定次期はといえば16世紀頃と思いますので、あくまでもこの朝比奈という地名はそれ以前からあって、この「朝夷さま」と城との関係はないと考えます。

 

ということで地元の伝承。

この「朝夷さま」とは朝夷三郎の墓というのが通説。

朝夷三郎といえば鎌倉期のスーパー超人ヒーローでした。

和田義盛の三男で「三郎」。名は義秀です。

和田が幕府方に追われた際、阿波に逃れたといいます。あまりの人気振りで各地にその伝承が残っていますがその説を覆して脈々と当地に落ち延びたという伝承が残っているのでした。

まぁ一族離散の中、それぞれの生き残りがその名を継承していったことも考えられます。

 

以前ブログでこの台地の南側「落居と比木」について記しましたがこの比企氏といいこの辺りは鎌倉から落ちた名家が雌伏する地だったのでしょうか。

 

その伝説的超人はあの歌舞伎「曽我対面」でも登場します(小林朝比奈)。ちなみにその妹が「舞鶴」です。

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2018年

3月

31日

戦没者碑のかわりだね ビルマ派遣軍 龍安寺 

気持ちのイイ日が続きます。おかげさまで体調も十分となりますね。やはり寒い冬ほど体に悪いものはないと確信に至ります。

病院にお世話になるのだけはかないません。

私も色々な人の面倒をおかけしているのは当然ながらそれだけはどうしても・・・この件どなたも同様でしょう。

 

ところがどうでしょう。

中国からの人々による日本の病院検診施術ツアーが流行っている件。事は日本の高度医療への需要ということのみに留まりません。

中国のサイトには「タダで日本の医療を受けられる法」的なサイトが溢れているとのこと。

要は「コーチ屋」で手数料を取ってその「裏技」を提供するサイトですが、法の網をくぐるように日本の「国民健康保険」に加入して治療、不正受給して帰国するというものです。

 

テクニックの詳細については各お調べいただくとして列挙すれば「留学ビザ」「経営・管理ビザ」「就労ビザ」「滞留者の扶養者申請」によってその権利が発生するよう。

 

お国、厚生労働省と日本年金機構は「国民年金保険料を滞納した人に、平成30年度から取り立てを強化。財産差し押さえる強制徴収の対象者を3年連続で拡大」と息巻いて国民に対して厳しい目を向けていますが、「国民健康保険」の海外の人たち(納税していない人たち)に向ける大甘の取られ放題の状況に「さぁ、どうする」と映画のセリフを出したくなります。

 

ちなみに肝炎の治療は大概中国では1000万円以上の治療費となりますが日本では200万円、心臓手術だと200万円以上が9万円と言います。差額は出何処は同じ、日本の納税者。カモにされている国民は黙っていていいの?

周囲はできるだけ病院に行かないよう我慢している人ばかりです。いずれはこのしわ寄せ、私たちが負う事になりましょう。

 

昨日は小堤山の慰霊塔の形状について昔から子供達が口にしていた呼称についてご紹介を受けましたが、私が見た戦没者慰霊塔の中、場所柄「奇抜」と圧倒されたのが龍安寺のビルマ塔パゴダ。

厳密には「ビルマ派遣軍自動車廠戦没者英霊之碑」というようですが、仏教国ミャンマー(ビルマ)の仏塔ですね。

異国情緒溢れるカタチもそうですが色も真っ白。古い寺院につきものの木造建築のイメージからはどうしても違和感アリアリです。あの枯山水という純日本を代表する庭でお馴染みのお寺ですからね。

 

こういった場所の慰霊碑の類ですと「くくり」が無いものですが何故かこちらのものは特定の人たちを供養する仏塔でした。

理由は色々あるのでしょう。

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2018年

3月

30日

河村多賀造 日露戦争碑にさりげなく 小堤山公園

夏の如くの気温上昇についに会館1階に避難していたハイビスカスを外に出しました。4か月振りとなります。

ボロボロに枯れ果てたもの、元気さを感じられないもの多数でこれからどう復活してくれるかが楽しみです。

枯れたとしてもやれるだけのことはやりましたので悔いはありません。

あれだけ寒い冬でしたので仕方がなかったという思いです。

 

しかし私の夢は彼らにとって快適な冬季用の部屋を作ってあげたいというもの。せめて最低でも10℃程度を維持できる部屋を。

しかしながらあ奴らは1株でも残れば「挿し木」というクローンにて増やすことができますから、厳密な「死」のイメージとは違いますね。

「あ奴ら」とは記したものの実は人間も植物と同様に挿し木ならぬクローンができるように技術は進んでいるとのこと。

倫理上の問題を残すのみといいますが、ちょっと怖いような。

遺伝子を操作するとなれば「優生」思想が芽をもたげましょう。悲劇を生む可能性があります。「劣性」を排除するという国家の進めた思想への反省は今求められていますね。

 

植物の特にソメイヨシノなどはクローンの最たるものですが開花期が同地区で殆ど同じであることは知られています。

かといって個性も個体差がないとは言い切れない部分があります。

小堤山の桜で、「今回は咲かない」を主張しているが如くのへそ曲がりもいるようです。それともこれから開花しようというのでしょうか。要観察です。

 

桜を見ながら公園をブラつけば、本多家の墓地群にたくさんの石標のあるエリアにぶつかりますが、その中で「まるで銃弾」と思わせる形状の石塔があります。

 

この塔はこの公園にかつてあった南と西の山が削平される以前に西端にあった慰霊塔のものと思われます。

それが「たしかあった?」という怪しい記憶ですが・・・。

山は古墳の址でしたからそれを壊してしまったことに対しても惜しい事をしたと思えます。

 

慰霊塔には明治37年(1904)~明治38年の日露戦争に地元より出征して亡くなった人たちの名がズラリと記されていますが相良尋常小学校長の「河村多賀造」の名が。

そういったご縁があって拙寺との関わりを持ち「相良町誌」を手掛け拙寺の古い文書にあたっていたということですね。

河村多賀造は旧金谷町の歴史家で金谷史について多様にその名を顕していますが、あの時代によく相良の歴史について調べ上げたものと感心していました。なるほどです。

 

当時好戦的「帝国主義」一本やりの我が国は如何にして中国の利権に群がる大国と渡り合い多くの儲け話から離れぬようパワー拮抗を維持するために1902年に英国と同盟を結んでいました。

そしてその2年後にロシアに宣戦布告(日露戦争)しています

結果、勝ち戦として国内は大いに浮ついて、政策はいよいよ軍備増強に走りだし次の戦争のステップとなったものですが、やはりそういった「勝ち戦」でもたくさんの「無常」を迎えた家族たちがあったのでした。

 

ざっと眺めればよく存じあげている名も見られます。

特にこの石標建碑に尽力した方たちですね。

布施勘兵衛・布施茂吉・布施清市・野村文平・小山竹蔵に側面には

山崎重蔵・小山和作の名も。

拙寺が世話になっている御家の先輩方です。

夕刻近かったせいで塔の影がまるで拙寺本堂を差しているように感じました。

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