2024年

6月

26日

深溝松平 五代忠利 肖影堂 願掛け 亀に何をタノム?

梅雨入りとのことですが、昨日も晴れ。

素直に嬉しい。

しかし昨日は市外で雑用があったために寺を不在にしていました。奥方も同様です。

ご門徒様のお参りも多く、住職不在に「何やってんだ~」との声にはありませんが(心底プレッシャーに感じました)携帯電話やら転送電話で多様な問い合わせがあった一日でした。

大変申し訳なし。

 

扨、再び本光寺の墓域に戻ります。

昨日は深溝松平初代と二代の首塚(二本松 元本光寺跡)、一昨日は初代から四代の本光寺墓域を記しました。

 

本光寺のその四代墓域結界入口には「御先祖堂」とあり「数々の戦いで功を立て、子孫繁栄の~」とありましたが、まさにその通りというか端的にその人たちの存在を表していました。

 

そしてまた五代目の忠利への崇敬は高く冠衣像が安置される肖影堂があります。

彼の代から扇紋に変更したのですね。

「願掛け亀」覆堂の石扉にもそれが。

本多家系でよく見た墓碑のタイプと思いきや・・・

 

ちなみに私がその手のモノと遭遇した場合、折角だからの粋狂は「悪辣政治屋が消え去りますよう・・・」でしょうね。

私利私欲の「お願い」ではなく、私利私欲の為に暗躍し、政を詐術を以て操る輩へのそうあるべき結末について「頼みますよ~」。

それは庶民の当然なる願いです。

それはたれ ?・・・御判断はおまかせしますよぉ~と、またねぇ。

 

 

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2024年

6月

25日

向野首塚 初代忠定 二代好景の二本松 元の本光寺址

晴れたので宿題の一つ、先日伐った立ち枯れ槙を土手から引きづ出してそれを5分割にカットしました。強烈に重い・・・。

横になっている材ですから楽に・・・と思いきや、乾燥しきっていてカチカチ。チェーンソーの歯から煙がでてくるほど。

折角の替えたばかりのソーチェーンでしたが、交換の刃の用意が必要になりました。

まぁ一番悪かったのは先日、静波墓園の古い物置を切断したことですね。勿論、砥いでから仕事に入りましたが。

 

人の作った工作物はイケません。

どちらか釘などの金物が隠れていますからね。

何度か「やっちゃった」ことから大分刃を欠いてしまいました。私がやったことですから文句なし。

しかし最近やたらと失敗が多すぎます・・・「うっかり」というヤツ・・・軽度認知症が始まったか・・・

 

お昼のニュースでは熱中症についてやたらと警鐘警告していましたが(静岡で35℃超え)この日は風もあって私の感覚では大したことはありませんでした

やはり沖縄で遮蔽物の無い場所に長居した経験があるからでしょうかね。

 

ただし、チェーンソー仕事はへろへろに疲労、片付けはまた、ということで丸太は墓地に放置したままです。

その仕事は少なからずキックバック等うっかり自傷事故がつきものですから、それも酷くやかましい機械音の中での神経は結構にピリピリ。

 

木くずだらけになった服を脱ぎ捨ててシャワーを浴び、昼食後 ネコと仏間で昼寝。

まぁ気楽な半日仕事、「熱中症」などまったく縁がなし。

さあ、あの丸太・・・どうしてやろうか。
持ち上げられる重さになったので(処理場に)「搬出しろ」との指示がありますが。

 

扨、昨日は本光寺の深溝松平四代の墓域について記しましたが、そのうちの初代松平忠定、二代好景の「首」に因んだ験・・・二本松の塚があります。別名向野塚、向野首塚です(場所はこちら)。

 

拙ブログでも度々記していますが松は墓の験、標としてあることが多くいわゆる墓と同等。

杉ほどの寿命がないことが残念ですが・・・。

こちらの掲示板によれば昭和25年に伐採とあります。

立ち枯れしたのでしょうかね・・・2本いっぺんに?

 

そうでないとすれば近隣住宅地と化していますので開発に伴う伐採か・・・などとも思い浮かぶところ。

それは墓を荒らすことと同等・・・開発(金儲け)の為に木を伐ったりして・・・いいのかなぁ~の思い。

 

トーキョーのお偉いさん筆頭に神宮外苑の木々の伐採の件、あれこれが伝わってきますが、私の個人的意見を殴り書きすれば私利私欲で木を伐る者に「大バチが当たれや~!!」ですね。

阿弥陀さんは苦虫を潰しましょうが「呪い殺してやろうか~・・・」現代にあって「呪詛」を勝手にやるのは犯罪行為ではありませんし。

 

尚、私は大木好き、ついつい言葉が過ぎました、失礼。

 

そして私のチェーンソー仕事は・・・「管理上」という言い訳をさせていただきます、はい。

 

 

 

 

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2024年

6月

24日

深溝松平4名の結界 幸田本光寺

昨日は降雨でやきもき。

先方ご自宅へ「さぁ、出立」とばかりに玄関で草履を履いていると外から黒い影がこちらに。

 

私は完全にボケまくっていました。

先般「法要は本堂で」と窺っていたことを思い出しました。

大慌てで本堂の用意に取りかかりましたが、その法要ではいろいろ間違いが露呈。

間違いと言っても私の全ミスですからね。いやはや・・・終わっている・・・

 

施主から「ボケるにはまだ早い!!」と尻を叩かれましたが。

何を言っても言い訳にしか聞こえないとは思いますが、つべこべと色々お話だけはさせていただきました。

真宗の流儀、悪人正機だとかありのまま、おまかせ・・・などの語彙をちりばめて。

都合イイこと、言ってやがる・・・

 

扨、昨日は「幸田のいろいろ」と称して二村氏からの資料を記させていただきましたが、深溝松平家の3代目の松平伊忠(またはこちら)に4代家忠の墓域があります。

厳密には初代忠定・二代好景と4人勢ぞろいの場ですがこちらは

幸田の本光寺(場所はこちら)。

初代忠定の創建で松平として圧倒的に多い浄土宗ではなく曹洞宗。忠定の夫人は三光院という寺を建てていましたが、大名家夫婦ではありがちなところ。

夫婦別姓が言われるようになりましたが、その当時は夫婦で別々の宗旨、家の宗旨を継承したものですが、このクラスとなるとそれぞれ違う寺を建てる・・・面白い。

夫と同じ墓、義母義父たちと同じ葉かな入りたくないという声が聞こえてくることがありましたがスケールが少々違う。

 

画像はPCに埋もれていたもの。

鮮度という点では古いのでしょうが墓石はそうは変わりませんからね。

 

 

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2024年

6月

23日

幸田のいろいろ 二村氏から

当分は雨・・・との覚悟はありましたが、昨日は晴れ。

午前の法事は東京からの御門徒様の来訪でしたからこの好天は有難い。

親類には相良在住の方々がいらっしゃいました。

そこで拙寺関係の相良の最近の傾向ということで昨日の「いわた浜松信用金庫」の「風便り」を紹介しました。

 

会社経営をされている方がいて、さすがにこの発行者は西部すぎて日ごろのお付き合いはない・・・といいつつその出来の良さと比較的地縁的に近くない相良の歴史、話題を取り上げてくれたことに感服していました。

地元の企業、「何やってんだ~」。

 

そして午後からは婦人部の会合と世話人会。

聞いている方も大変だとは思いますが、私は一日中のおしゃべりに喉がかすれ気味。

 

梅雨の晴れ間の休日、折角の時間を取らせてしまって申し訳なし。しかし降雨ならばそれはそれで申し訳なし。

私が「物を言う」こと、それも何卒と申し訳ないことばかり。

 

扨、先日は「さんえん」の「夏目氏と明善寺」を送付いただきました二村氏の封書に同封されていましたのが表記画像たち。

これらを拝見して、最近離れていた幸田と三河のいろいろに拙ブログも戻ろうか・・・と思った次第。

散らかった雑多な画像が我がPCに滞留していますので。

しかし、奈良周辺の画像もゴチャゴチャになって積みあがっていますからね。

 

時間を経て、私の記憶から消えつつあるような古い画像の存在はまた残念。

まぁあちこち彷徨っての忘却の残骸について、「どうってことはない」というところでもあります。

そんなとき私はいつもこう思います。「また出あえれば それでヨシ」。

とはいいながら、昨日の沖縄と同様、体も心も衰えて、家の中でボーっとしている我が身を想像するのでした。

 

10月19日はスケジュール的に無理でした。

幸田を訪れる理由になったのですが。

 

 

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2024年

6月

22日

浜松いわた信金「夢風便り」 田沼意次とその時代

朝から雨も15時頃に晴れて変な天気。そして梅雨入りとの事。

沖縄は梅雨明け。毎年この時期になるとそちらへの想いが増幅して「今年こそは・・・」などと憧れを胸に抱いていたものでしたが、今年になって何故か、それは殆ど喪失していました。

完全な諦めムード。

 

体の方もきっとついて行けないでしょう。

日焼けは当初真っ赤になってヒリヒリ。それが過ぎて真っ黒になった頃にこちらに帰ってくると、超が付くほどの違和感の目で見られる・・・すべてが過去の思い出ですが気持ちとしては「いつかまた・・・」。

 

昔の友人たちは単独でも沖縄に向かう勇気があること敬服しますよ。

奥方との共通の友「女墓場」は・・・オバさんになりましたが(失礼!!)機会があればいまだ平チャラ、独りで沖縄を彷徨っていますからね。

仕事の歯科学校講師が夏休みで暇になる頃、私と同様、その思いが・・・しかし肌の劣化、老化の現実を思い知るのでしょう。

ジジイもババアも沖縄の日差しは刺激が強すぎるはず。

 

何度も「今日来た!!」という観光客が救急車で搬送されるシーンを見てきました。ビーチで日焼け数時間で救急搬送。

昔は笑いながら(これも失礼)見送っていましたが。

私たちがいた頃より断然キツそうな気がします。

イスラム教徒が聖地メッカへの巡礼(ハッジ)で、1000人以上亡くなっったと報じられていましたが51℃超えの酷暑が原因だそう。

辛いことはわかっていても絶対行く、それは「聖地だから」ですが、我らが憧れる沖縄の太陽と青い海と風への夢こそ聖地巡礼の如くなのですね。

 

扨、先般取材協力した「浜松いわた信用金庫」の年2回発行の機関誌「夢風便り」が手元にありますので紹介させていただきます。

来年の田沼意次登場の大河ドラマ先取りと思われますが、今後それが本格化することも予想されるところ。

だとしたら楽しいことです。NHKの脚本次第ですが・・・たくさんヨイショしてもらえば・・・相良も聖地化するかも。

 

今回のそのタイトルが「相良の名君 田沼意次とその時代」でした。

史料館の長谷川氏経由でその件の話がすすめられますが、相良城、田沼意次関連の紹介はまず平田寺―般若寺―そして拙寺というパターンが出来上がっています。

3ケ寺の住職がチラチラっと登場しています。これまた失礼。

 

 

 

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2024年

6月

21日

二村氏「夏目氏と明善寺」 知事選に隠れた茶業衰退

昨日は挿木で成長したハイビスカスたちの植替えと途中で放置されたままになっていた松の剪定を。

松のトップ部分はこれまた脚立のトップに上がっての仕事になりますが、それは一応反則。そして両手を使っての仕事はさすがに度胸が要ります。

 

毎度のこととはいえ、途中で相当嫌気がさして愈々ブン投げてしまおうかとも思う年頃。

それでも最後は上部を大雑把に剪定、いやカットして仕事を終えました。

奥方はそんな私の松管理を、アレ(息子)は「絶対にやらない」いや「やるわけがナイ」と断言。

仕舞にはチェーンソーを持ち出して「根元からだろうよ・・・」の憎まれ口。

 

死した後(あとに残れるものは)勝手自由というのは了解していますが、心残りは案外たくさんありますね。世を去った者のいろいろを考えていたら、大変でしょうから致し方はないでしょうが。やはり生きている方が大事ですからね。

また同じ趣味を強制はできないですね。

ハイビスカスもブーゲンも南洋系の植物たち、配慮を欠けばその命すべてが消え去ります。それを考えると残念無念。

自分が死ぬこととは・・・そういうことか。

 

死すると言えば昨日画像で示しましたよう、当地の茶産業は衰退の一途。一部既に「死んで」います。

それは大手の茶メーカーの叩き売りにも似た価格となる3番茶以降の茶葉で食い繋いでいる農家もありますが、あの原の茶畑の各惨状を目にすれば、素人でもその無慈悲は察知できるところでしょう。

 

ところが先般の静岡県知事選での争点はボケまくり。お茶農家救済の声など聞こえてきません。

双方ともリニア、リニアと○○の一つ覚えの如くの連呼。

将来の「水争い」に及ぶことの危惧があるそれ、その水という生活に肝心なものを「このままでは静岡県民が日本国中から恨まれる」なる理由で「早期解決」したいの主張は、私からすれば問題の根本を見誤っているように感じました。

 

何故にして、リニア関係者とその果実を期待している人たちに対してゴマをすらねばならないのか。

静岡県民の私はリニアなんて知ったこっちゃない・・・です。

まずは完成したとしても乗る人不在の大赤字路線になるのでしょうから。それも国民にツケが廻るのでしょう。

 

そのリニア・リニアの連呼の頃、牧之原台地、菊川のご門徒さんの法要があり生産されたばかりの新茶~あの菊川の茶娘がプリントされたパッケージ~をいただきました。

まだまだお茶の生産に希望があった頃、逝去された故人は周辺茶畑を購入し続けて大きくその業を広げたといいます。

 

ところがご主人が病によって倒れ、なお最近の茶葉価格下落傾向に陥り継続困難の現状について奥さんが吐露されていました。

それでもご主人の妹さんたち80歳近い皆さんのヘルプによって今年は何とか新茶を摘むことはできたとのことでした。

乗用摘採機の有無を聞けば維持管理に費用がかかるのでその使用はナシ。本体は普通自動車一台分。替え刃やらメンテ管理の費用が膨大になるといいます。

 

畝を跨がせて両脇二人で摘採するタイプの茶摘み機を使用する

そうですが、あと一人、摘採袋の持ち手がいれば「乗用がなくて

もOKだよ~」と。

とはいえ、それは古い農業のカタチ。

三人工の人件費を考えればどうなんだろう・・・と感じます。

皆さん殆ど親類のボランティア感覚だからこそできることでしょうね。

息子さんがいますが、実家農家は継がないと。

サラリーマンで外から確実におカネを稼ぐこと、それ以外考えられないのでしょうね。

 

今年はこれまた茶葉の価格が酷く一番茶は何とか出せたが「ニ番茶の価格が怖い」と。

「400円(㎏)割れたら捨てた方がマシ」といいます。価格は納入後しばらくして決まりますのでどうにもならないでしょうね。

まずはその価格を割っていることは確実。

肥料代、農薬代で大赤字になっている模様。

 

茶農家の高齢化と人手不足に後継者不在そして追い打ちが茶葉価格低迷。

これだけ値上げ値上げと騒がしい世の中で何故に茶農家だけがイジメられるのか。

静岡の農といえばやはりお茶でしょうよ。

その惨状について触れず、リニア業界への忖度の弁、腹が立つ。

見殺しにしているようにしか見えません。現場の窮状を知らないのでしょう。本当の死活問題を。

 

扨、画像は三河地区歴史冊子「さんえん」のNo.85より。

厳密にその発行者を記せば「三遠地方民族と歴史研究会」ですが、その研究会の二村順二氏による論文の掲載がありました。

タイトルが「夏目氏と明善寺」です。

 

そのタイトルといえば拙ブログで何度か記していましたので興味深くその内容を拝見すれば、何と拙寺の名まで。

有難くも唐突すぎで仰天させられました。

 

私の明善寺といえば住職を亡くされた坊守さん、息子さん、岡崎の寺に嫁に出た娘さんと僅かな時間ながらお付き合いをさせていただいたことの思い出。

岡崎法蔵寺の成瀬藤蔵正義の墓の発見に至ったのもこの明善寺からでした。

 

その後のご無沙汰失礼について日々もやもや感が滞留するばかり。 

堂内阿弥陀さんの前で今一度経典拝読をしたいものです。

 

 

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2024年

6月

20日

叔母の希望は鰻 「田沼意次物語」オーディション

早朝は依然龍神さん(昨日)が去ったあとのおどろおどろしい空気が流れていましたがしばらくしてお日様と青空が顔を出してくれました。その件は予想通りでした。

伊豆方面ではその豪雨で大層ヤラれたとニュースがありましたが当地は、少なくとも私の周辺での被害はなかったよう。

 

3月以来「鰻喰わせろ」と、ことあるごとに叔母の伝言を聞かされていた私どもでしたが、月曜日に火曜の土砂降りが明けるとの予報を信じ翌水曜の叔母の外出を施設に予約していました。

 

毎度記せば叔母(父の妹)は本年90歳。

軍医・皇宮警察だった夫の遺族年金+自らの年金によってその施設に入所しています。

永田町の大層なオエライ議員さんから「早く死んでくれ」風の嫌味を言われているその世代一員ですが、ぱっと見、なかなか元気でしぶとさ強烈。

一時酷かった痴呆の症状も完全に一掃されています。

信じられないことばかり。

 

鰻など高価かつカロリーのある食べ物は控えたいというのが最近の私どもの心情です。

「次回、お誕生日にはハンバーグか別のお肉などにしよう?」と奥方が打診しました。

ファミレスで誤魔化す作戦を進めようという魂胆ですが「誕生日(9月)までには時間が空きすぎ」という指摘とその際は必ず鰻でなくてはダメとの注文でした。奥方と苦笑いするだけ。

鰻はその店の普通サイズを注文し、あっという間に平らげていました。

 

お隣には3人組の年配者(明らかに叔母より年少)が自家用車で訪れていましたが、叔母の所望したものと同様のサイズながらいずれも「ご飯は少なめにして・・・」と店員さんに。

叔母はメニューを見回してから「肝焼きも食べたい~」と言い出しましたがいくら何でも・・・と心配になりそれを制止したくらいです。

 

当人は「100まで生きる」と相変わらずの化け物的弁舌。

このような高カロリーのものを毎度食するのを付き合っていたらこっちが先に逝っちまう。

ちなみに「奥の墓道」氏は「鰻はここ数年食べてない」と。

 

尚、施設からは入所者から「何を食べて来た?」と聞かれたとき「鰻」といわないよう釘を刺されているとのこと。

私に「何といえば・・・」と叔母が問うので「焼きそば」とでも・・・と。

入所者の皆さんも鰻は羨望の食べ物なのでしょうね。叔母も肉は時々出て来るが鰻は出ないと。

家族が一緒に外出させての時間を持つということもそうはないでしょうし。

 

これは叔母のお頭がハッキリしつづけているが故できる事。

私と奥方の名をあげて「鰻はまだか」とそれは絶対に忘れることなく、ややもすれば「電話機を貸せ」と暴れんばかりの様。

おそらくその鰻こそが生きる希望になっているのかと。

痴呆になれば食べたい物も外出の件も口に出さなくなるでしょうから。ましてや私どもの名など言えるはずがありません。

 

その勢いを見倣って私どももそのあとに続けるよう気合を入れなくては。そうあれば仕合せ。

かつて幾度か記していますが、ご長寿により国からガッツリと年金をできるだけ長く積み上げて奪取してやりましょう。

政治屋さんでそれを心配する輩が時々出てきますが、何より先ず自分が死してそれをお示しいただくこと、見せて欲しい。

叔母はまさに「ダイ・ハード」婆です。

 

扨、昨日午後は史料館から長谷川氏が掛川からのお客さんを連れて来訪。本堂の見学が主旨ですが、掲示板用ポスターを持参されました。

先日掛川のホールで今井信郎の演劇についてのポスターを紹介しましたが、そのグループらしき団体の演劇の件。

相良のホール「い~ら」にて来年1月19日公演の演劇「田沼意次物語」の出演者オーディション(20名)を開催するとのこと。

地元から素人さんを集めて劇を作る・・・悪くない企画です。

 

②③④は叔母を送っての帰路の景色。

榛原から原に上がって平田寺に抜ける道を選択しました。

①は西の空②は東、駿河湾と伊豆半島が見えます。

③は南。今季刈り込んだ茶畑の左奥に2年ほど放置されている「茶林」、その左奥に5~6年かそれ以上放置されているであろう「茶森」の図。

各所で茶畑が茶林→茶森に変化(へんげ)しています。恐ろしい。

 

 

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2024年

6月

19日

杉と龍(水)は相性ヨシ 室生龍穴(吉祥龍穴)

朝から夕刻まで土砂降り。

時折心配になって本堂、庫裏仏間と雨漏りの有無を見回りに行った次第。一時的ですがあたかも龍神の襲来を思ったほどです。

小雨になった夕方、まだ日があるうちにと先般東側墓地に設置した浸透ますの確認に。

鐘楼前からの通路が高くなっているためだとわかりましたが墓地南側のプール状態は解消されていませんでした。

ますを設置したのが墓地北側の端でしたが、低くなっている南側の地盤を上げるか南側にもそれを設置するかで対応するしかありません。やはりやるとなれば低コストの浸透ますの設置でしょうね。

しかし土砂降りのあと、スグにお参りに来られる方などそうはないでしょうからしばらくは様子見にします。

次回コンクリ屋さんが来られた時にでも一応追加料金について問い合わせはしてみますが。

コンクリを打てば水の逃げ場が無くなりますから排水の件配慮しなくてはなりません。

ちなみにその工事は祖父の代の仕事。コンクリートは雑草の繁茂を抑え歩行もしやすくなりますが・・・。

 

梅雨を心待ちにしている人もいれば毎度頭を痛めて忌み嫌うべき季節と感じる人がいます。

どちらかといえば私は後者。水には苦労させられています。

まぁその龍神さんからすれば「勝手な事を・・・」と人間がそれぞれの自己の都合だけで生きていることを嗤うでしょうね。

 

扨、先般室生寺五重塔の相輪の風鐸付きの九輪、その上の「八弁 

受け花に乗った水瓶」について記しました。

水瓶(すいびょう)は八角形の傘蓋の形をしていていますが塔のトップに特異なものでした①。

これには室生寺に伝わる龍神伝説というものがあります。

室生寺創建に関わった修圓と弘法大師の「死ね死ね」呪詛合戦の一つでしょうか。

どちらが先に雨が降らすことができるのか、どちらの祈祷に軍配があがるかの勝負をしたそう。そのために修圓は日本中の龍神をこの五重塔の水瓶内に封じ込めて空海の祈祷を消失させようとしたという伝承。

 

現代人からすれば「しかし、まぁ~」という風に呆れてしまうようなお話です。お天気お姉さんのいない時代、当時の人々はその祈祷の成果(雨降りは龍神の差配で決まる)をただの「偶然」(今で言えば大気の流れあれこれ)によって褒めもされ貶されもされて・・・さぞかし大変だったでしょうね。

よって龍神さんの気まぐれで、雨が降らずに作物が枯れては困る人、大雨ですべてを失う人が出ること、その龍の仕業をただただ畏れていたのでした。ほどほどにしてほしい・・・とばかりに。

人智を超えた不都合の原因を実在しない龍に向けた素朴です。

 

ただ水が豊富でキレイな地といえば杉の成長が良いのでしょうね。毎度それには圧倒されます。

まさにスゴイ!!室生寺周辺の杉たち(→三本杉)。

 

画像①は龍神を閉じ込めたという水瓶(すいびょう)。 

②~は龍穴神社、先日記した西ケ滝のトンネルを出てスグ(場所はこちら)。

 

掲示板には室生寺は龍穴神社の神宮寺との件。

室生寺は龍神信仰の寺でもあるわけですね。

「勧請杉」という木があり例祭時には勧請綱(龍綱)なるお飾りが龍穴神社前の杉と室生寺天神社の木に掛けられるとのこと。

 

拙寺の玄関脇の杉、あそこまで大きくなるには600~700年?

現代人の嫌われ者となった杉ですが、お調子にのっているとそのお友達の龍(天変地異の喩えとして)にきっとヤラれますね。

 

 

 

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2024年

6月

18日

七曜紋の引き戸金物 何となく日々開け閉め 中止

夜間には大雨になるとの予報がありました。

それ以降「梅雨入り」の気配がありましたので、午前中にセメント打設作業を2か所ほど。

庫裏の中が暑すぎるせいか、外仕事は案外ラクなものでした。

途中砂が不足して購入に走ることになりましたが。

 

扨、先日は七曜紋の瓦についてのあれこれを記したのでしたがこのほどその七曜紋についての別のその存在について「まだあった~」と「ハッ」と気づいたものがありました。

 

日々そちらの襖を開け閉めしていますが、その襖の金物がそれです。

その件はずっと頭の中にあって、一応承知していたものですがあまりにも日常に埋没していたためどうしてやろうかなどという気は起こりませんでした。

金具もしっかりと襖に装着されていますからね。

 

私が生まれる以前からその金具が付いた襖はあって、何度も何度も私含め、人の手に触れられているのでしょうが、何故か現存する物は表面左右2枚のみ。表面とは旧玄関八畳間のことです。

 

元は4枚襖のすべてその取っ手金具装着されていて、襖の張替え等の際などに故意か錯誤か「消えた」説が。

代々当家の者のたれかが処分したのか、はたまた戦時中に陸軍により庫裏の本堂側と本堂が接収されていたこともあって、父も「何だかわからない」と言っていました。

ハナから2枚という説もありますがね。

 

また何故にしてそれが当家に伝わっているのか。

お城の廃却のドサクサで持ち込まれたのでしょうが・・・

それが普段使いの日用品として延々と使用され続けられていたのですからね。

どう見てもその出自はお城の殿中と推察するところですがその大切な遺すべき品という感覚はまったくナシでした。

まぁ当初はその手のものを「相良に遺すな」というのがお達しでしたから、さりげなく、何となく庫裏の取っ手と替えたということ、考えられます。

 

何故か先日、その存在にあらためて「ハッ」と気づいた私は、市販のそれを新たに買い求めて交換、その日用品扱いを今回中止させたのでした。

 

以前は金箔で仕上げられていたことがわかりますが今は摩耗が激しく地肌が見えています。爪が何度も当たって削られたようでもあります。

御門徒様の年配者の方でその存在をご存知の方がいます。

それを「金製の引き戸」と仰っていました。

「違います」と返してもまったく取り合ってくれませんでしたが。

中央に大き目の七曜紋、上下左右、合わせて5か所にそれが。

盂蘭盆会法要の際に皆さんに披露したいと思います。

 

他所のその存在、そしてその形状の比較をしてみたいものです。

いずれかの課題ですね。

縦110mm×横95mm 背面凸部 縦53mm×横42mm。

 

 

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2024年

6月

17日

体に悪い食習慣 室生寺トンネル前 西ケ滝 

午前の法要が始まる前には雨があがって涼しい風が。

一晩中だらだらと降っていましたからね。

施主は障子を開けっ放しにしていましたので、蚊の襲来が気がかりでしたが、大丈夫だったよう。

しかし庫裏に居てその不快はありました。

湿気と高温と蚊、最悪ですね。

特に夕方に西日の直射を受けた時・・・たまったものじゃない。

墓参は地代の山の上でしたから、そればかりは上々の出来。

 

この時期旬の私の好物にトウモロコシがあります。

特にこんがり焼いたそれを所望することもあって奥方はその購入をとても嫌います。

「どれだけの糖分を接種するつもりだ」と私の健康のことを気遣う風に面倒な焼きトウモロコシの「調理」を忌避したいという躰。

よって最近は以前ほどそれを購入しようという気にはなれなくなりましたね。

 

昨日のテレビで「食の単一化」と「超加工食品」繁盛の様を伝えていました。現在進行形の世界のリスクという感覚。

トウモロコシの糖分もそうですが、各調理そして特に世界に蔓延するスナック菓子の大繁盛。

そのトウモロコシの需要に応じるべく森林エリアの破壊も進んでいるよう。

そのトウモロコシ一辺倒の食物原材料使用とそれを使用した超加工食品がまた人の健康を蝕んでいるのでした。

トウモロコシは体に悪い・・・最近は奥方にそれを刷り込まれています。

 

メキシコの小学校にて、近いうちに2人に1人が肥満だといいます。よって将来糖尿病患者で溢れるとの危惧が。

私も中南米系の子供たち特有の体格としてそれを思っていましたが~それはかつていた横浜辺りのこと~まさに彼らの食生活が起因しているのでしょうね。

 

メキシコにはまともな食材・・・野菜・果物など~は豊富にあるそうですが輸出用に高騰した影響もあって国内でも1年前と比べて2倍になっているといいます。

すると手軽・カンタン・安価、そしてかねてから「美味しい」と脳に刷り込まれた単一食材を加工し超加工食品といわれるいろいろをMIXした食の生活をしざるを得なくなって健康を害してしまうというメカニズム。

 

私の食生活の改善テーマなるものは健在、まだ肥満体とまではいかないもののその「食生活改善」の語は耳が痛いところです。

脳内に刷り込まれた「美味しいもの」の類のうち、体に悪そうなもののオンパレード。

健康のためにどう自分の脳内意識と闘っていこうか・・・です。

 

食は生物が生きる上で必須の行為ですが、それだけに収まらず「できるだけ美味しいものをたくさん」そして「いつもいつも」の無制限煩悩。

番組に寄れば脳は「喰ってため込む」指令は出すが「喰うな」の指令は出さないと。

糖尿病になって苦しく煩わしい人生を送らなくてはならないと思えば、今一度それについて脳に任せきりにせずその本能に抗がうことができるかどうか・・・それが最大のテーマ。

アルコールもタバコの誘惑も同様でした。

 

扨、あの時は工事通行止めにより大野寺から室生寺へ辿る道は諦めて迂回しました。

室生寺トンネルの入り口右側 (場所はこちら)に小さいながらも滝が目に入りましたので車を停めしばし涼しい風を前に深呼吸。看板には西ケ滝(にしゃたき)と。

渓谷が山を刻み山系が連なりますから他にも複数の滝があるようです。

 

その直近、雨量はそれほどでもなかったため、おとなし(音無し)めの滝の感ありますが、場所が場所だけにかつては滝に打たれる行に使用されていたよう。

私にはそれはムリ。

かつて海上、海中で七転八倒したことがありましたが、それで十分です。

体にイイわけがない。だいたい体が冷えるでしょ。

 

 

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2024年

6月

16日

教区主催のイベント落語会へ 掛川

昨日土曜の午前、法務の予定はありませんでした。

なぜならば掛川での教区主催の落語会の館内スタッフとしての集合が13時ということてで12時にはここを出立したかったからですね。

午前からパワー全開で動いていたら消耗することは必至、体力温存を図りました。

 

参加者は予想外に少なく、私どもの仕事はほとんどなし。

当初、心配されていた駐車場のキャパも「80台分の余裕」があったとのこと。

まぁ、どちらかといえば駐車スペースがなくなったので「お引き取りください」と言い放つよりは主催者としてはマシですがね。

 

200人程度の来場となったわけですが、まぁ落語の寄席という感覚では「そんなもの」と捉えることもできるでしょう。

私が会場で驚いたのは1階フロアから下方に見下げてステージがあるところ。イキナリ階段を降りていくワケですが、そういう全自由の席の場合はとにかく「前へ前(の席)へ~」と背中から声を掛けることは鉄則。

 

しかしその決して緩やかとは言えない、手摺も無い階段を年配者の背中を押すが如くそれをけしかけるのはイヤな感じでした。

私は「階段が急でゴメンね 気を付けて・・・」とも付け加えましたが・・・

年配者=足が覚束ない・・・よって転倒について気がかりではありましたがその時はどうにもならないことと諦め。そうなったらどうすんだよ~と心中思いながら。

年配者からすればその階段とステージはあたかも大球場スタジアムの2階席トップからフィールドを見下すような感覚ではないでしょうか。

怖がっている方もいらっしゃいました。

 

また私はタイトルの「教化」という語にどうも違和感がありますね。

まぁ以前からその語は使われ続けられていて、今更それを言ったとしても「ふん」という具合に流されることでしょうがその語にはどうしても「上から目線」を感じてしまいます。

昨日の私ではありませんが「無知な者に教えてやる」といったところか。

その文字が二つも入った看板・・・って・・・どうよ・・・ってところ。

そろそろ違う表現に変更すればいいのに・・・と思います。

良き方向に変化をもたらす「化」ならいいのですが「化かす」のイメージが先行すると、一般人がそれを見たら「何か洗脳でもされるのか・・・」とも受け取られるかも。

古いこといろいろを継承していくことは大切ですが自らも少しはいい方向に変化しなくちゃね。

勿論私も・・・

 

③は会場ホールで見かけたポスター。

時間が合えば行ってもイイかも・・・とは思いましたがその日曜日はまったく動けません。

 

気持ちとしてはイベントいろいろ、相良、拙寺直近のい~らを会場にしていただければラクなのですが。

地元御門徒さんも気軽に足を運べたでしょうね。

 

 

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2024年

6月

15日

駿府浅間神社関わり各々 我が無知を知る 「踟」 

予報はおかげさまで外れ気味。

それほど天気は悪くならないような。そうであったら有難いことです。

昨日もいいお天気。私は殆どエアコンの効いた室内に滞留、外気の夏の様とは隔絶されていました。

 

幾度かその辺りのことを記していますが、齢を重ねてあるべき姿というもの、持論を記せば「聞いて話して、できれば書く」を厚く心がけその習慣に自らを浸すことが肝要と考えていますが、それには基本、外に出て人の中に身を置く事が一番に手っ取り早いところ。

 

ところが外にも出られない事情にタイミングもあるワケですから、自宅にてでもその習慣を維持したいもの。

その聞く事と書くことは何とか独りで可能なことですが話すことは難しいものです。

 

話すとは思考しながら発声することですが、それを単独で行うことに最適なのが仏間での仏との対話ですね。

私は声を出しての正信偈の拝読を推奨しているワケですがまぁ何も経典の拝読だけでなく、好きな歌など口づさむことでもOKでしょう。

ある御門徒さんでは「カラオケ命」のような趣味生活をされている方がいらっしゃいますが、それも価値ある暢気生活ですね。

それによって唾の飲み込みの訓練にもなって誤嚥性肺炎の予防にも繋がるのですから、声出しは特にリタイア後の不可欠習慣。

 

扨、一昨日昨日と静岡市内の葬儀会場にお邪魔していました。

故人は相良出身の方で浅間社関りの活動で大いに動き回っていた方です。

私は以前その方から「木遣り」について語られていたことを思い出しましたがその何たるかについてまったく存じ上げませんでした。

昨日初めて知ったことですが故人はその浅間さんの木遣りの会の会長さんだったわけで、その団体組織の皆さんがおそろいの法被を着けてホールに登場、出棺の際その見送りに30人ほどの皆さんの合唱がホール内で響いたのでした。

繰り上げ初七日の法要までもいらっしゃったということです。最近ではあまり目にできない光景でとた。

 

その会は年配者方々の集合体でしたが、これこそリタイア後の「積極の姿」であると感じた次第。故人はそれを纏めかつ組織を大きくしていったといいます。

 

また「踟」の字について初めて出会いました。

「行きつもどりつする」・・・から「ねり」?

 

当流では二河白道を前にして「行け」と「来い」の声があってその躊躇はあり得ませんからね。易行道なるが故・・・信じて渡るのみ。

 

まったく別世界に入り込んだような式でした。

今回、私の知り得たことは「私の知らないこと たくさん」。

 

 

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2024年

6月

14日

ご本尊のある生活を 本尊裏書の件

土日より天気が崩れるとの予報。

いよいよ梅雨入り・・・の感。できればカラ梅雨を希望しますが。

そして予報では晴れ間が広がるはずだったのですが昨日は殆ど曇りの一日でした。

 

というわけで、花ガラ袋満杯につきそれに雨が降り注ぐことは避けたいところですので朝一番に地頭方処理場へ。

帰宅してから他の雑務色々は我慢して夕刻にある法務の準備をして、14時には出立。

静岡にて17時の開式でしたが、施主家族とは今回の法務詳細についてお話することができなかったため早めの到着を目指しました。

終了後18時前には帰路につきましたが雨がポツポツ。

天気は結構に不安定ですね。梅雨間近ということか・・・

 

扨、処理場には色々な物を持ち込んで処分依頼をしているワケですが、これまでそちらに持ち込んだことのないもの・・・といえばお内仏。要は仏壇一式です。

お内仏の閉扉式とご本尊のお焚きあげを依頼され、ついでに外箱(仏壇)の処理まで頼まれたことがあります。

ごみ処理場にそちらを持ち込むこと自体憚られるところですし、処理場担当からも拒絶されそう。

そこは試したことがないのでわかりません。

 

その引き取りについて頼まれた場合、かつてはご本尊と一緒にお炊きあげしていましたが、実はそれを細かく破砕して火にくべること淡々と・・・とはいってもあまり気分のイイものではありません。特に大型のそれを壊すところなど人に見られたくありませんからね。

よって最近の私はそのストレスを私が買って出ることもなかろうと「仏具屋さんにお願いしましょう・・・」とお断りすることにしています。

仏具屋さんの引き取り費用はどのくらいか、知る由はありませんが、金仏壇の中古品は人気で輸出して高値で取引されていることもあるよう。

 

先日来、石屋さんの墓塔の新規建碑について少なくなっていることを記しましたがこの仏壇、お内仏を新規で求めようという家もかなり減っているのでしょうね。

どちらの家でも最近は邪魔もの扱い。置く場所がナイ・・・

ご本尊を新規に招くこともありますが、ハコは要らないということ多くお見受けします。

 

画像は本山東本願寺発行のパンフから。

ハコはともかくとしてご本尊に手をあわせる習慣、生活は捨ててはイケないでしょうね。

子、孫はその親たちの後ろ姿を見て成長します。

頭を下げる、師主知識への報恩謝徳の心を伝えてゆくこと、一番に大切なことでした。

 

本山発行のお軸には必ず「裏書」があります。

ちなみに当流では各寺院の本尊阿弥陀さん木仏にも裏書という認定証があります。 

その「裏書」とはどちらも「本山が確かに承認しました、よってインチキではないよ~」という証に他なりませんが、仏像自体にはそれ的のものを記すことができませんので別途小型の軸としてそれを発行します。

勿論、それを本山にお願いする際はご依頼金がかかることになります。

 

一般家庭のお内仏をお軸から木仏に変更する際も新規導入する阿弥陀さんについて本山に「点検」を依頼して裏書を発行していただきます。

それを木仏点検といいました。

それも私はやったことがないので詳細については不明。

また、お東→お西またその逆など本山を変更したりする際にもその点検依頼は必須とも。

「本山門主の承認」がないものは本尊として認めない・・・というニュアンスもあったのでした。

 

 

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2024年

6月

13日

岐阜タカシマヤ「みわ屋」から金華山

やらなければならない庫裏内での雑務各あって、外仕事の宿題はパスさせていただきました。

先般壊した墓と隣の墓との境界の処理もそうですが切りっぱなしの長い丸太の処理等です。すべて来週のお天気を見て、ということになります。

趣味のハイビスカスたちの植替えもそうですね。

昨年の秋に挿木したものが花を咲かせるまでに成長していて、本格的な夏を迎える前に一回り大きい「家」を提供しなくてはなりません。

 

扨、最近は当地でも「閉店します、長らくのご愛顧を感謝・・・」の如くの詞が店頭にてお目にかかることが増えています。

その件、枚挙に暇がありませんが、拙寺近隣のご門徒様お菓子屋さんもそうでした。和菓子8洋菓子2くらいのウェイトかと。

現状、それを惜しむ声が多数あったということから「今しばらく頑張ります」の貼紙に変わっていますが・・・。

 

また県内中堅クラスの相良大沢にあるお菓子屋さんの支店にも閉店の報せを記す書面が貼られていました。

先般榛原病院近くのその店が撤退したこともありますが、お菓子は今時振るわないのか・・・と。

要は健康ブームでしょうね。

 

一昨日のドックでの医師との面談で、タバコも酒もやらないのに「この数値は・・・」と追及されて私の甘いもの、お煎餅好きについてぶっちゃけたわけですが、夕食後にお菓子を食べるのは「命取り」になるとのご指摘がありました。

また、もし食べるなら昼か朝といいますがね。

そういった中、ケーキなど若い時分に食べた重ための洋風菓子などからは遠ざかっていました。

やはりそれなりに健康について気遣いがあったからですね。

 

ということで世間様も皆ケーキからは離れぎみになったのかも知れません。

若い子などには「ダイエット」の風も吹いているでしょうし。

よく聞く話ですが、坊さんは菓子を頂戴すること、お供物のお下がりにお菓子がつきものになっていますので「糖尿病」になりがちとも。

運動不足で甘いもの・・・それはかなりヤバい兆候なのでした。

ただし「あなたは血糖値については良好」とのお墨付きはもらいましたが。

いずれにせよ改善の余地がありますので何とかしなくては。

 

先日はまた、洋菓子店の倒産件数が増えているとのニュースがありました。その原因については、円安による原材料高騰があるといいますが、聞くところによると相良大沢のその店舗は賃貸借契約終了とその更新手続きで意見の相違があったということです。大家さんと店舗との関係がこじれるパターンもよく聞くところですね。

乃庄、大栄館の相次ぐ閉店で相良人が「寿司屋難民」といわれるようになってしばし、やはりこのほど大沢の寿司屋さんが店じまいするとのことですが、その理由もそれだとか。

 

この町の店の閉店ラッシュの件、全国的に見てもそう珍しいことではなさそうです。

先般、百貨店大手の岐阜タカシマヤが閉店(7月31日)とのニュースを聞きましたが、その手の地方の旗艦店が次々と姿を消していく様を見せつけられている昨今です。

そちらも賃貸借の問題があるようですが、それとは別につまるところ「頑張れば頑張るほど取り返しがつかないドツボにハマる」理論がその判断の背景にあるのでしょうね。

 

頑張り続けることがマイナスならば「さっさと諦める」が肝要という考え方ですが、本来日本人はその判断が超がつくほど苦手ですね。

まぁそれは戦時中の大本営の思考能力劣悪の数々から判るというものです。現在で言えば大阪万博でしょうかねぇ。

私の周囲ではどなたもそこへ行こうなどいう奇特な方は見えません。

奈良大阪方面にはまだまだ拝見したい墓石その他遺構はありますが、そこに行くこと、私は「100%無い」と断言できます。

バス遠足に入れる? ないない・・・。

 

画像は以前奥方とうろついた岐阜にある百貨店タカシマヤの食堂街からの図。

「みわ屋」という飛騨牛を食べさせる店のランチタイムでしたが、値段の割にボリュームもあって美味しくいただきました。

奥方と各所うろつく時はそういった時間は必ず持たなくてはなりません。

私独りの場合はまず、昼食ナシで時間を惜しんで歩き回りますが、そうでもしないと奥方は付いて来てくれませんからね。

ハカテラシロはNGながらデパ地下とランチがコースにあればそれなりに。

尚、タカシマヤが無くなっても他にも岐阜県内にそのお店がありますので、「今度また行こう」。

ホントは血尿が出るほどに歩くぐらいの気合が必要なのですがね。

 

 

みわ屋の窓際からは金華山岐阜城④と市街の様子が。

⑤は長良川対岸へ向かう橋の上からの岐阜城。

「奥の墓道」氏との「地獄の登攀」(または)が思いだされます。

この城を攻めあがるなど「どうかしている」と文句を言いながらただひたすら登りました。そしてあの時は山頂でぶっ倒れましたね。

岐阜には色々な思い出があります。

 

 

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2024年

6月

12日

安静は体にワルい 「ハァハァ、ゼイゼイ」のすすめ

昨日4時に目が覚めて雑務いろいろ。

午前中には人間ドックの予定もありました。

榛原病院の8時10分からの受付開始に早い順番をゲットして早々に帰ることを毎度気にかけているのですが、昨日は、例の石塔を移動だけでも・・・と鐘楼下に運んだりしていたため、結局到着も遅くなって3番でした。

 

しかしよくよく考えてみるとそれはあまり意味がないような。

その日たまたまなのでしょうが「胃カメラの先生の出勤時間は〇時〇分頃」などと言われてただただ、ぼけ~っと外を眺めている時間がありましたので。

内視鏡受付に辿り着いても待ち時間多すぎ・・・

 

そちらでは皆さんのマスク装着の様を見て、そういえばまたコロナが繁盛していることを思いだしてハッとさせられました。

「こうなったらしかたがねぇや」の開き直り。

 

胃カメラの判定が一番気がかりでしたが、医師より「変わりない」との言葉を戴いて安堵させられた次第。

検査項目すべての結果は後日になりますが、最後の医師の所感の時間にはいつもの如く、「運動不足」の4文字を重ねて指摘されてしまいました。

初めてのご指摘でしたが心電図を見せられて、確か「T波」とのことだったかと思いますが「低すぎる」とのこと。

それが低いということは「心臓の血管が細くなる」とのことで心筋梗塞などのリスクが・・・との談。

心臓はある程度の負担がかからないと血管に血が流れなくなり自然と細くなるといいます。

ということで一日数分でも「ハァハァ、ゼイゼイ」しなさいと。

要は運動して時に血をたくさん血管に通せということです。

 

そういえば「安静」にしてのんびりしてばかりいた半年間でした。

殆どすべてのドックの項目におけるネガティブサインはその運動で解消できうるもののようです。

 

扨、11時30頃寺に戻ると石材屋さんが境内墓石墓じまいによる撤去工事が進行していました。

昨日ブログで記した墓塔とは別の墓ですが、墓じまいばかりで石屋さんは今、頭が痛いでしょうね。

逆にここ数年はそれだけを業にしても成り立ちそう。

 

石屋さんには仕事が終わったらユニックとオペレーターを兼ねて少々の時間をお付き合いしていただくことになっていました。

それは数年前に奥方と息子の三人で切り倒そうとした槙の枯れ木の処理。

その大失策、切断した木を落下させて墓石を欠けさせた経緯あるいわくつきの木です。

時間が経過してそれがまた倒れでもしたら・・・と思案していたのでした。

その機会を得たことで無理やり裏の道に4トン車を入れてもらったということです。

そのブームを繁茂した枝木の中に突っ込んでいただき木の上部をフックにひも懸け。

そして私のチェーンソー作業は難儀しました。

案の定、材は乾燥しきっていてカチカチ、思いのほかてこずってしまいました。チェーンソーは熱を持ちすぎてなまってしまったかも。

残りの下の部分も一気にやっつける予定でしたが、こちらは朽ちるを待つが正解と放置することにしました。これ以上のヤル気が失せました。

 

南側墓地に倒したきりになっている材はさすがに重たく、せめてあと一回は切らないとどうにも動かせませんね。

ひきづり出すだけでも大変な重たさでした。いずれの機会に。

 

終了後、ひと風呂浴びて、差し入れいただいたばかり、旬の「甲州の宝石」を頬張ってから遅い昼寝を。

筋トレ風の仕事はしているものの、「ハァハァ、ゼイゼイ」と肝心の心臓には負担(いい負担)にはなっていないのでした。

暢気そのものの生活という感もありますが。

 

①は榛原病院6階から西方を見た図。

 

 

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2024年

6月

11日

毛原廃寺跡礎石 奈良の美品 円形と多様なカタチ 

雨はあがって朝から青空が広がる気配。

私はその作業を、やっつけようと境内のある墓石の前で独り線香を添えて簡単なおつとめを。

墓石と言っても墓石の形をした供養塔。これまでありがとう・・・です。

それから大ハンマーを担いでその墓地へ戻りました。

竿と呼ばれる上部の主たる石塔とそのベースの石を私なりの方法で外したあと、その下2段のコンクリート型枠で作られた3段目と4段目の除去ハツリ作業。

 

コレはある相良地区の名士がおそらく使用人だった若者のために建碑した墓碑ですが建碑されて約80年を経ます。

遥か昔に無管理になってコンクリベース部は朽ちていくままに放置されている墓標です。

相良周辺では名の通ったその建碑者の娘さんが健在ということでその墓石墓じまいを打診するためにお会いしました。

一週間ほどまえのことです。

すると撤去工事について快諾いただきましたので、早速石屋さんを呼んでその工事着手について折衝したのでした。

 

事情が事情だけに他の拙寺の工事と抱き合わせにして格安の見積もりを頼むと「本来は20万円と言いたいところだが17万円で」と。

それでも先方に配慮して「もう一声」何とかして欲しいと図々しく頼み込むと15万円を割った金額の提示をいただきました。

 

考えてみれば墓じまいといえども私の代は勿論、父の代祖父の代まで運営費その他いろいろな経費について御依頼したことはありませんので、他の御門徒さんからすれば不満が出ても致し方無いところではあります。

 

その書面を持って先方宅に再度赴くと、「よく考えて子供たちに相談した結果お断りすることにした」と。

そして3回目に先方から呼ばれて伺った際はヘルプの年配の方二名が待機しておられ「支払いの必要はない」とまで断言されていました。

 

私の言い分としては「貴女のお父さんが墓石の建碑者です」ということだったのですが、これ以上の話し合いはムダ、もはやその主張は不要と判断しそのお宅を退去したのでした。

「トラブルは御免」というところでしょうか。

総代会、世話人会にその件を報告し、処分費について御門徒さんからの運営費で支出することに了解を得ることにします。

解体に関しては私がDIYで行いましたが、残材の処分費は業者さんに依頼する他はなし。

これから来られるコンクリ工事の業者さんに泣きついて何とか片付けてもらうことにしましょう。

 

その墓碑の主たる部分は当分の間は鐘楼のベース部分に寄っかからせて置いておくことにします。

実は竿部分を確りと立たせてそれとなく設置したのですが、奥方からそれでは「何かの墓と誤解される」「むしろ適当に~」との指摘がありました。

よって「墓標ではない」を主張すべく午後遅くにでもその作業に取り掛かることにします。

午前はやることいっぱいなのでした。

 

ちなみに、あの手の重量物の移動は先般の石垣いじり(50個以上)以来でしたがまだまだイケることを確信しました。

ただし石垣の石は25~30㎏程度ですが、墓石は80~100㎏はありそうです。

よってゴロゴロと転がして移動させる程度ですね。

大ハンマーを振り回したこともあって、関節各ミシミシ、両腕パンパン。

 

扨、毛原廃寺跡には想像を絶する空間が広がっています。

山の中のこのような地にかつての大伽藍の存在があった・・・それを考えるだけで不思議世界に埋没。

昨日も少々の礎石画像を示しましたが、その夥しい礎石の数にはまた圧巻です。

何しろデカイ。

私も本堂の礎石ほか「石」というものに馴染みがありますが、あの大きさから推測するその上物の大きさたるや如何に・・・

 

昨日の掲示板の如く、かつて昭和13年に売却されて行方知れずだった物があり、後年返却された・・・という経緯があったとのことですがそれにしてもこれだけの物をどういう権威があって売り払ってしまったのか・・・無管理という時代があったのでした。

私は元あった場所に正確に戻されたのか、そちらの方も心配になってしまいますが。

 

それにしてもこの重量物の移動について、もし私なら・・・を考えてしまいます。やはりこればかりは頭数が必要です。

ユニックなどがない時代ですからコロとロープを駆使する他はないでしょうね。

 

しかし、もしこれが一つ二つ庭にあったとしたら・・・最高の趣になることは必定。

「欲しい」という気持ちは大いにわかりますね。

まぁ趣味の問題ですが。

 

 

 

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2024年

6月

10日

唐招提寺並みのスケール? 毛原廃寺跡 今は人家の間 

昨日午後も境内にてご門徒さんご夫婦と歓談。

「昨日、ようやく退院できました」と軽トラの助手席から杖で台地をとらえつつ奥様が現れました。

 

その入院は右膝に人工関節を入れる手術です。

リハビリの末「何とかここまで・・・」との歓びの声がありました。

その施術についての決断は私どもも承知していましたが、その出現の図はまさに「痩せた」感。

当人も「寝ていたものだから、ほとんど筋肉がなくなった」と。

現状、施術した右足ではなく、ひたすらそれをかばって体を支えてきた左足の方に痛みを感じるとのこと。

よく聞くところです。

 

そして自宅に戻って食べた食事が「物凄く美味い」を感じたそう。病院食のコントロールされた食事の辛さについて仰っていました。

これからどんどん美味しいものを食べて筋肉を付けていきましょう・・・と私。焦って転ばないこと、そして今後のリハビリがまず大事ですね。

 

入院となれば、これはまた安楽な状態を維持することが主眼となりますが筋肉はガッツリ落ちることは確か。

寝ていれば動けませんので運動は不可能ですからね。

ただ筋肉の減少を手をこまねいて見ているだけ、何とかならないものでしょうかね。病院にいるのですから。

治療の反面不健康にさせられる・・・そんな思いも。

 

先日「ハイジ」、いわゆる昔アニメにあった「アルプスの少女~」の映画実写版をざっと視聴しました。

当方奥方がそのアニメの視聴者だったということからその内容について登場人物の名前から各知らされていましたが、やはりその劇のメッセージは確りと伝わってきました。

 

男子が観る番組に非ずという観念もあってそのストーリーすらも眼中になかったのですが案外感動的でした。

一言で親の固定観念こそが子の害になる・・・ということ、そして都会の喧騒から離れた自然環境と自由活発・・・。体の健常はそこからなのだな・・・と。

たまたまその晩に別のチャンネルで「マッドハイジ」なる(おばかパロディー)映画が流れていましたが、それは10分で視聴をやめました。

 

扨、ブログで以前、下笠間永仁阿弥陀磨崖仏に、また山添村毛原の「山辺の御井(みゐ)」について記しました。

そちらで毛原とは京原からの変異を示唆しているようだと匂わせましたがその街道は奈良と伊勢を結ぶ古道であって古代の往還道であったかも・・・を推測するところです。

今風にいえば名張から室生寺に向かう道。

それはその御井の存在が後押しする材料となりますし、その御井のある場所こそが奈良時代の毛原廃寺跡ということになります(場所はこちら)。

 

歴史資料に登場することはなく、歴史から消えている感ありますがそれでいて唐招提寺並みの伽藍があったその痕跡。

 

 

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2024年

6月

09日

中古ドラム缶仕入れて 加工の蘊蓄

境内テラス前での作業中、お参りに来られた御門徒様としばし雑談。

久しぶりに近くでお話をさせていただいたのでしたが、手に震えがあったことはスグに気づきました。

その旨おうかがいした方がいいかと思っていればその方から「今度入院する」と。

どういうことかその理由を聞けば、パーキンソン病での処術だとのこと。その病の名を頻度高く聞くようになりましたから、同じ悩みを持つ方がたくさんいらっしゃるということですね。

 

3年ほど前にその診断が出たそうで原因不明「一生治癒しない」といわれるその病気の進行を遅らせるための入院処置だそうです。現状歩行に支障はなさそうですしお参りには自家用車で来られていますがいずれ車椅子・・・というのでは困ります。

 

ご主人が亡くなってからパートタイマーで家計を維持している方です。復帰に時間がかかることもそうですが、病気の進行については特に辛いことです。

 

そのご主人が亡くなってかなりの時間が経ちましたが、私が寺に入ったばかりの頃、境内作業をしいてる私に、気軽に「いつでも手伝いをするから声を掛けて・・・」と気にかけてくださいました。

親戚の葬儀でその家の菩提寺の住職が火葬場に来ないことを憂いて「ちょっとタノム」と拙寺に連絡してくるほど他者への面倒見のいい方でした。

その奥さんの他のいろいろな事情と難題を思うと、声を掛けずにいられません。

「病院から解放されたらまた元気にお会いしましょう・・・」と別れました。

 

その火葬場の件ですが、同じ宗派でよく存じ上げる寺の大御所住職ですからちょっぴり困惑しながらおどおどしつつ向かったことを覚えています。

要は越権行為ということで。

 

当流でも「火葬場に同行しない」という申し合わせが一部の寺の間で広がっているようですが・・・まぁ、私は私のやり方で。

昔ながらの葬場勤行、葬列の名残すら消えていく・・・

坊さんの手抜きの如く見られても仕方ないか・・・

 

扨、数日前、中古のドラム缶を購入しました。

長尺の木材等を整理するためですが、お炊き上げ用のドラム缶が錆びて朽ちつつあることと、「その時用にあった方がイイかも」と思われるドラム缶風呂に転用・・・ということでしょうか。

 

中古ドラム缶は多様な場所に出回っているのですが、その大きさから配送料金はかなりの金額になることは必定。

よって近場の出物を待つわけですがこのほど150号線沿線の自動車パーツ屋さんにそれを見つけました。

勿論、軽トラで取りに行くことになりますが、価格は2500円。

相手からすれば、処理料がかかる廃棄物をお金を貰って「処分」してくれるのですから悪い話ではないでしょう。

 

一般の家庭には大きくて無骨なそれは不要、あり得ない代物でしょうが、拙寺では焼き芋の窯の製作などドラム缶の用途はまだありますし置き場所も工夫すればもっとイケそう。

 

しかし一工夫は不可欠です。

大抵のドラム缶というものは上蓋の取り外しはできませんので、用途にもよりますがそれを取り除かなくてはなりません。

そしてその外し方は各あって、要はカンタンとはいうものの地道な手作業となります。

トータルの時間も要し、結構に準備と思案をしなくてはなりません。

 

私の外し方は大概世間で行われている①上蓋の外周の縁部分上部をグラインダーで削っていく、のではなく②上蓋の外周部分の内側の上蓋の天の外周をドリルで穴をあけていくもの。

 

①のグラインダーで上部を削っていく方法はあとあとの使用に(天の縁が残らないため)少々のバリ取りだけで済みます。

ハナからのグラインダー作業は微細な粉塵との戦いになるためそれはパスしました。

よって②を選択しましたが、それはそれで縁部分が残りその処理にグラインダー作業とひと手間かけなくてはなりませんでした。

尚、ドリルでの穴あけはハンドドリルでは数が多すぎておはなしになりませんので、卓上ボール盤のベース部分を取り外し、ドラム缶の高さに合わせて作業台に固定し適宜ドラム缶を廻しながらボーリングしていきます。

 

無数の穴が開いたあと、穴と穴の間にタガネとハンマーで開口部を繋いでいきます。

尚、ドリル切削は刃先の冷却のためにこまめにCRCを噴霧します。

 

また前述したように外周内側に「天の縁」が残ります。

グラインダーでの処理は行ったもののドラム缶風呂として利用するのは少々技が必要かも。

 

次回製作する際は①でやってみようか・・・。

蓋部分③も廃棄せず、縁部分を均して保存しておこうと思います。

焼き芋の窯に加工するにはそれは必要です。

 

 

 

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2024年

6月

08日

人によって少々違う「マンダラ」「曼荼羅」 

昨日ブログにて記しました東京から来訪された方は先日東京国立博物館の特別展「法然と極楽浄土」の遺物たちを拝観してきたと(今週日曜が最終日です)。

 

実は私もそれ目当てに東京方面に向かうタイミングを計っていたのですが、あっという間に私の一番の目当てだったそれが入れ替えとなってしまっての残念無念。

よって次の開催が予定されている京都国立博物館にその望みをつないでいるところです。

 

京都での開催は10月といいますので、そこは拙寺バス遠足の日程が組まれています。

今回のバス遠足は概略行先は指定していますが行程・時間・昼食等を旅行会社に投げてしまっていますのでその博物館行脚を差し込むことにムリがあるかも知れません。

 

ふざけた企画で直接奈良の一寺に寄ったあとは、京都の酒造見学、烏丸通のホテルに投宿し翌日朝一に大谷祖廟といういつもとは順序の違った段取りになっています。

これまでの感覚として皆さんは博物館見学等はお好きでないよう。興味がない方をお連れする事も私としては気が引けます。

 

昨年の南山城の「わらい仏に逢いに行く」ツアーで岩船寺から浄瑠璃寺まで皆さんを歩かせたことから「愚痴の少々」が聞こえてきましたので今回は私の趣向はほどほどに・・・と思っていましたが京都国立の企画がその期間にあることを知って、私は引率者としてバスは降りられませんが「あとは勝手にホテルまで・・・」の毎度の投げやり自由行動での博物館企画を差し込もうかとひらめいたところ。

まぁそれまでしてその「法然~展」に行きたいという方は不在かも知れませんが。一応打診することにします。

 

今年は桜咲くころに奈良の山間部を歩いたわけですがその中心部、奈良国立博物館では「空海 KŪKAI-密教のルーツとマンダラ世界」展(やはり日曜日まで)が開かれていて、非常に悩んだわけですが、奈良市内の混雑の状況が蘇ってパスした次第。

 

心中、奈良か東京どちらかの選択肢ならその今回の企画・・・空海と法然では「法然に決まっている」という気持ちが無きにしもあらず。

そういう時は、宗旨的判定が頭の中で幅を利かせますから。

ぶっちゃけ記せば真言密教か称名念仏ですからね、当然といえば当然の事。

 

しかし、私は日々五輪塔だの宝篋印塔だ大日如来だのと阿弥陀さんの物語とは真逆に近い流儀による遺美術について、のらりくらり綴っているわけで、その空海に関わる美的遺品に関しても大いに興味をそそられるのでした。

 

扨、その奈良国立博物館の「空海 KŪKAI-密教のルーツとマンダラ世界」のタイトルの「曼荼羅」を何故にしてカタカナにしたのか・・・などとあまり大したことではないようなギモンが湧きました。

 

「マンダラ」の感覚は一般的には「世界」とかサークル状に配したフラクタル幾何学的絵図を思いますね。

そして本来の意味はそもそもサンスクリットからであて字(円とか集会・・・今言う「サークル」に似たイメージ)そして漢字で記すことにこだわるのはあまり意味がないのですが・・・

まぁどちらでもいいか・・・

また伝来諸仏を中心に据えたストーリーの絵図を通称「〇〇曼荼羅」と言ったりします。

 

ところが真言密教(中心は大日如来)ではその曼荼羅は宗旨ならではの灌頂という儀式に切っても切れないアイテムで「悟り」に通じるものでした。

それは胎蔵界曼荼羅③と金剛界曼荼羅④とのセットですね。

片方だけというのは有りえないのでしょう。大抵そのセットになります。

室生寺では灌頂堂内陣の東西板壁に胎蔵-金剛と向って掛けられています。

 

詳細はその世界未熟者の私が記すより各お調べいただければと思いますが、私はただ見た目だけのことを。

中心に大日如来がいて放射状に各如来と菩薩諸仏が配されるという構図が胎蔵界曼荼羅。

そして金剛界曼荼羅もやはり大日如来が主役となりますが、構図は3×3の「9つの四角」で両曼荼羅の差別は一目瞭然です。

 

そして、私が目前で拝観したかった東京国立の出し物といえば門外不出だった當麻寺曼荼羅「阿弥陀浄土変相図」でした。

いわゆるホンモノです。

當麻寺でかつて私が見たものはコピーかつ格子の中でしたからね。

 

①がホンモノ。4m×4mの大作の刺繍ですが大きなガラス越しからの図でNHKで放映された画のキャプチャーです。

 

奈良時代に作られたものといいます。表に出てきたからには記憶に留めておきたいものです。

②は後世複製されたもの。

私はやはり阿弥陀さんが中心世界、サークルに生かされていますのでこちらの企画には参加しなくてはなりません

ただし真宗の曼荼羅を敢えて言えば立ち姿の阿弥陀仏単体の絵図であってそちらから放射状に放たれる光の環をイメージするだけですが。

阿弥陀仏一佛で他の諸仏は割愛・・・シンプルでわかりやすい。

 

 

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2024年

6月

07日

東大谷万灯会とご門徒さんビール工場飲み放題企画

東京からご門徒様がお参り。

コロナ中、アケ後それ以来のお久しぶりの対面でしたが、その間には「色々あった」とのこと。

 

何度かのうっかり転倒で痛い目を味わい、コロナに罹患したうえ続けざまにインフルエンザにも。すべて予後無事だとのことですが奥様は不調をきたして2カ月弱の入院。

ご当人のコロナ感染は奥様入院中のことだったそうでそのタイミングに関しては「良かった」と。奥様は相当の不調で免疫が落ちていたといいますので。今は回復とのことで一安心。

 

その方が仰っていたことは

①コロナとインフルとでは格段に後者の方の辛さ、特に喉の痛みがきつかった。

②コロナワクチンを接種したばかりで何故か鼻血が止まらないでいたが逆にコロナになった途端それが止まっていた。

③やはりコロナワクチンは「怪しい」としか思えず今後は打ちたくない。

とのことでした。

 

墓参のあとはお斎のお誘いを受けて鰻屋さんへ。

当初の予定にありませんでしたので、奥方にその旨「悪いねぇ~」という具合で連絡。

すると帰り際にお土産を「奥方さまにどうぞ」・・・。

図々しいお寺の夫婦ではあるものの「ごちそうさまでした」とお別れしました。

そのあと、京都のご本山と大谷祖廟をお参りされるとのことでした。良き天気が続いて本当に有難い。

 

大谷祖廟といえば数日前にそちらにて開催される現状ほぼメジャーとなったといえるイベントの「東大谷万灯会」の案内が届きました。お盆の風物詩として毎度NHKニュースで放映されるようになっているかと。

第63回ということですから案外と回を重ねていたのですね。

それにしてもこれまでずっとこういった案内は見た事がありませんでしたから、広く宣伝公開する方向性に舵をきったということでしょう。

 

奈良も京都も寺社拝観料の値上げラッシュと聞きます。

維持費人件費高騰がその理由といいますが、私ども宗旨の寺は観光を主にうたうものではありませんのでそもそも拝観料はナシ。

値上げのしようがありません。

しかしタダが物を言うのか、京都駅前の両本願寺には観光客が溢れていますね。よってあっちこっち歩き回る外国人観光客の対応やトイレの維持など経費は嵩むに決まっています。

当然に寺として「何かしなくちゃ・・・」の方向性は模索されるわけで。

私個人の感覚では、その時節「動けない ムリ」というのが本音。のんびり近隣ホテルに宿泊し、夕時、団扇片手に散策できるような身分になってから・・・の夢としましょう。

 

そして、ビール飲み放題は近隣拙寺ご門徒池田屋さんの企画になります。

他のご門徒様に報せて欲しいとのことでお寺の掲示板2カ所にその旨記しました。

 

池田屋の店主は拙寺寺楽市に毎度ご協力出店いただいていますが、牧之原ご当地ビールを製造販売するようになって今年で4周年。

コロナ前にかなりの設備投資を行っているご様子です。

あのコロナ期間のダメージは多少なりともあったろう思いますが、是非ともへこたれずに挽回していただきたいものです。

尚、お楽しみは店舗内にて。

 

 

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2024年

6月

06日

北畠親房塔周辺墓域 多気北畠一統か 室生寺

良きお天気が続いて嬉しい限りです。

昨日は懸案だった拙寺境内に建つある墓石についてその継続か否かの方向性進捗がありました。

戦時中、南洋で戦死した方の墓碑ですが参詣・墓石管理者不在のまま数十年。

ただし、建碑者については判明していましたので、その旨今後の事をおうかがいさせていただきました。

拙寺御門徒さまではありませんので第一声「はじめまして」のイキナリ訪問の失礼だったわけですが、「そういうことならば・・・」とその方向性について検討いただけることになりました。

まずは「墓じまい」となるのでしょうが、どうしても、もやもや感が残ります。

 

若くして戦場で惨い亡くなり方をして、かつ無縁さんとなることなど当人も知らぬこと、まったく気の毒なことですが、そういう仏たちは世に無数にあります。

やるせないことですが、若き命を戦争に引きづり込んだ国の責任として亡くなったあと墓地の管理100年200年は面倒を見ようと気概を持っていただいても罰はあたらないでしょうよ。

彼の墓を抹消するということは戦争の歴史を消すということですからね。

 

昨日のニュースでやはり揉めていた「政治資金規正法の改正案」とやらが衆議院を通過する見通しであるとの報。

その内容については煙にまかれた感じが・・・

一番にインチキ臭いと思ったのが「政策活動費はすべての支出の領収書等10年後に公開」という件。

 

「10年後に公開」って・・・「?」マークしか出てきません。

素人の私だからなのでしょうか意味不明に陥ります。

一般に私どもの生活の中でそのインターバルは有り得ませんからね。商行為であれば「瞬時」に出されるものです。

 

私どもの立場としてご懇志またはご依頼について先方様より受取の証が必要であると申請されれば「披露状」という書面になりますが、その提出は遅れたとしてもせいぜい4~5日ですからね。

彼らの感覚はあまりにも我らのそれとケタ違いに飛んでいます。まぁ庶民の感覚としてはその件時効を期待する悪辣な発想があるのでは・・・などと考えてしまいます。

わるい事を散々やってバレたとしてもその証拠は10年後。

それでいて時効ともなればもはや訴えられる心配はナシ。

 

 

そもそも10年ひと昔、悪い事をして10年後にその者がギインさんの職など辞めているかも知れませんし生きている確証もナシ。生き恥をかく心配なし。しかし昨日記した呪詛の如く庶民大衆から恨みを買いますね。

まぁ改正とはいっても彼ら御一同のやりたい放題のママ、思うつぼなのでしょうね。

 

扨、室生寺本堂の南西の森の中、大き目五輪塔の影が見えます。

その左側には宝篋印塔とやはり五輪塔が立ちます。

右端にある大き目五輪塔は壇上区画にあって正面左右の角に小さな五輪塔。あまりそういったスタイルは御見受けしませんので、後世いつの頃かちょっとした演出、イタズラかも。

 

こちらが北畠親房の墓といわれている墓塔です。

正面石柱②の彼の名の上に小さく「伝」という文字が添えられていますが要は確証がないということ。

いずれにしろ多気国司の墓という説もありますので、北畠の一党の墓というのは違いないところかも。

先般記した織田信雄は北畠家の養嗣子となって北畠氏を称した時期がありましたね。

 

興味が沸くところは、大正五年にこの墓の発掘調査が行われたそうで骨壺の中に遺骨が出てきたということですね。

その主たる者は確定できなかったそうですが、この寺に直接埋葬されたということは余程の権威の持ち主だったということが推測できます。

また、五輪塔水輪部から木製五輪塔とその内部から水晶製の五輪塔が出てきたとのこと。

 

またお隣の宝篋印塔も相輪等欠損がありますが、良き形で、おそらく北畠家に関わる人の墓ではないでしょうか。

 

 

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2024年

6月

05日

互いに死ね死ねと呪詛しけり 修圓と空海

そろそろ梅雨といった時節ですが、妙に好天が続きます。

ありがたいことです。ということで朝から境内雑用。

花ガラやゴミの処理のためにに地頭方処理場にも向かうことができました。

おかげさまでこの日の予定していた作業はスンナリと満了することができました。

 

お天気がイイのでご門徒様のお参りもあります。

息子さんとお住まいになっている年配の女性としばし立ち話。

以前、私が紹介した耐震ベッドの件、検討しているのだが~、と打診を受けた方です。

手伝いはできるが息子さんの手前、私がしゃしゃり出るのは・・・ということと設置場所が畳であることから「どうしようか・・・」と曖昧な返事をしていたわけですね。

昨日、私からその件窺うと「喉元過ぎれば~」ではないが、この齢になって家が潰れたとして死ぬのも仕方ないか・・・と考えが変わって来たと。

 

私は実はそれこそが真宗的(「おまかせするほかはなし」)ですと。しかしできるだけ生きながらえようと一所懸命に工夫して生きていくことも大事ですが・・・

どちらにしろまた気が変わったら声かけてください、と別れました。

 

扨、室生寺について観光の寺、多くの重文・国宝の整列から日本の仏教文化の深さと畏敬を感じるのですが、宗旨的にみれば真言宗ということで。

しかし室生寺弥勒堂の弥勒菩薩は奈良興福寺関りの遺物と記した通り、別の流れがあったことを示唆しています。

興福寺の「興福寺別当次第」なる資料等に弥勒堂は室生寺の堂塔建立に関わった修圓が興福寺別当の時、創説した伝法院を室生寺に移したことに由来するといいます。

 

そもそも室生寺は、奈良時代末、山部親王(桓武天皇)の病気平癒のために室生の地にて延寿法を修したところ回復したということで興福寺の法相宗の碩学、賢璟が朝廷の命でここに寺院を建てたことが始まりと。

 

何故にして興福寺法相から空海の真言系への変遷があったのか。本格的には江戸期桂昌院の意図、彼女のお墨付きがあってから現在のカタチに増幅されたのかとは思いますが、このお寺には古くから複雑な歴史が交錯していたようです。

 

興福寺の僧賢璟の弟子の修圓という僧がその後室生寺に入ったといいます。

それなのになぜにして・・・という思いが浮かぶのは当然の事。

何かのドサクサがあったに違いありません。

 

そこの経緯については不明ですが面白い話がありますので参考までに記します。

それが今昔物語巻14第40話 弘法大師挑修圓 から。

彼らの呪詛合戦と相互のフェイク泥仕合の件。

 

概略記せば

弘法大師と修圓が嵯峨天皇に仕えていた頃。

修圓が天皇の近くにいた時、生の栗があって天皇がそれを所望。

茹でて来るよう命じます。

修圓が「人が火を以て煮ないでも私の法力で出来あがりますよ」と。

するとその法力とやらが効いてでうまく煮えて食べられるようになっていたといいます。天皇もその法力の恩恵を喜んで食べていたようですが、それを聞いた弘法大師が、自分がその法力を隠れて見ているので今一度それをやらせてみてくれ・・・と。ということで天皇は就圓にその法力での栗の調理をやらせてみるとまったくそれが通じずに栗は煮立たない。

頃合いを見て、弘法大師が登場すると、就圓いわく、ああこの者が煮立たないよう陰で加持祈祷し足を引っ張っていたのねと。

以後二人は罵り合うようようになって互いに死ね死ねと呪詛しけり」の如く。

 

高僧たちの怨恨嫉妬の泥仕合は続き、弘法大師は「空海は死んだ」のフェイクニュースを弟子たちに流すよう命じます。

それを信じた修圓は「死ね」の呪詛をやめるわけですが、その呪詛攻撃のパワーがなくなったことを機に空海は一気に呪詛を集中させて、仕舞には修圓が亡くなってしまったというもの。

 

 高僧たちの煩悩熾盛の様が記されている面白さと、呪詛合戦の子供じみた泥仕合、そしてその呪詛というヤツ、真に受ける人は多くいたのでした。

 

話変わって呪詛の極意とはその相手に「呪詛されていること」を何となく気づかせることといいます。

悪辣で醜い政治屋のみなさん、国民に呪詛されないようにね。

当然に裏金ギインさんなどは、呪詛の対象でしょうからそれぞれお体の具合には気を付けてくださいまし・・・。

今は呪詛は罪になりませんからね。

どなたでもお気軽にお呪いくだされ。

 

画像は室生寺の片隅にある修圓の廟。

私は当然の如くそちらの扉をオープンしてご挨拶。

背後から奥方のやれやれの目つきが刺さっていましたが私としては当たり前の事です。

開けてはいけない箇所には施錠がありますからね。

それが無いということは「ご自由にお参りください」ということ。拙寺の本堂と同じようなものです。

 

しかし室生寺創建にも関わる彼の墓としてはあまりにも貧弱な五輪塔。

廟の中で風雨から護られていることは確かですが、損傷も無く

キレイで新しめ。平安前期の方の墓とは思えません。

興福寺法相から真言の寺となった理由はその今昔物語に記された内容からとは断定できませんが、何かあったことは違いないところ。

 

空海の敵ではあっても室生寺の創建者。

しかし今は真言の寺。

まぁいろいろあった・・・そういうことなのでしょう。

 

 

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2024年

6月

04日

久々頭から湯気が出た件 心の底から◎※×△~

天気が良くて気分も爽快。関東とは違って雨はナシ。

よって「宿題」だった切株のすべてを午前中いっぱいかけて気合を入れて引き抜きを完了しました。

こちらの土壌はどちらを掘っても砂地です。

大きな地震が来たら液状化するに違いないと掘っていて(かなり深堀しました・・・)思ったのでした。

当然のことながらこの地区は相良川(萩間川)の砂州だったというイメージはありましたが先般行った地盤調査の際、採取したサンプル土壌の中から貝殻が出てきましたので海岸線が後退したかつての砂浜ということ大いに考えられます。「波津」という地名の通り。

 

どちらにしろ新築建造物の基礎については「ベタ基礎」だろうと思っていれば建築士は「布基礎」で・・・と。

やはり経費の節減の問題からその発想が出たかと思いますが当方納得ができていませんのでその件は再度問い合わせをするつもりです。

まぁそもそも建築確認(接道義務)が下りないとのことを言われていますが・・・

 

寺として昔からある建造物の新造。以前あったものを解体し再建するのですが、別の御門徒さんに聞けば、これまでは「接道義務」には地元ならではのテクニックがあったとのこと。

ところが今回の建築士は世話人さんの紹介の方で、相良のことにあまり精通していないような。

 

また来年の1月からはじまる相良のイベント用に合わせて外トイレを造作するという意図もありますので、お役所仕事には本当にくさくささせられます。

 

これで総務省から届いたアンケートの件も、無視してやろうと腹積もり。

突然郵送されてきた書面ですが一応回答を試みましたが、サッパリわからない・・・字が細かすぎて読みにくいということもあってこれではどうでもイイという気持ちにもなるというものです。

時間をかけることだけでもバカバカしい。

 

接道に関しては県の言い分でしょうが昨日夕刻、市の方のやり方にもそれ以上に不満に残る事案がありました。

 

昨日は午後から静波墓園に出向いて先般の伐採作業の片付け整理し劣化した物置を撤去しました。

軽トラの荷台にはさすがに私一人では積込み不可だったため奥方に付き合ってもらいました。

ヘロヘロになって帰宅、ひとっ風呂浴びていると史跡研究会の会長より電話が、折り返してみると「唖然呆然の報せ」がありました。

 

会長は役人の事なかれ主義で、何かをやってみようという工夫もパワーもまったく感じられないとお怒りでしたが、私も数日前に御門徒さんのある方に史料館2階のショップの運営について声を掛け法的・技術的提案と企画書の作成をお願いしていたのでした。

それをイキナリ市の担当者から「もう決めちゃいましたから・・・」と会長に連絡があったとのことでした。

 

どういう経緯でそうなったかなど私にはサッパリわからないところですが、どうやら史料館2階のお土産スペースのショップを仕切るに静鉄関係の大手に「決めてしまった」ということですね。

当初からそちらは地元の商店が仕切ってみんなで頭を廻してアイデアを募ろうという「手作り」ショップという流れがありましたからその急転直下の判断に言葉がありませんでした。

 

要は役人根性というやつ。

自分に責任が回らないよう信頼と実績のある有名大手に「全部投げる」というオチ。

ネガティブキャンペーンでも展開してやろうか・・・ついつい敵対意識が芽生えました。

その担当者とやらは長谷川氏が超繁忙の為、限界点に達していたことから抜擢されたようですが。

「気が小さいくせに、そうカッカすんな」と奥方から肩を叩かれましたが久々頭から湯気が出そうな思いをしました。

 

寺には観光客を招いてやるので「ただトイレの用意と堂内で小話でもしてやれ・・・」ということなら大きな間違い。

少なくとも私はそう受け取りました。

こっちはヤル気があっても役所仕事というヤツがどうもギモンですね

父親が日ごろ呟いていた言葉が思い出されます。

「うちは観光寺じゃあない」。

 

事なかれ主義から脱却せよ。

冒険してみやがれ・・・若いんだから・・・ばかもん!!!

 

一応はそれを記してスッキリしました。

いや、あと一言「覚えてろよぉ~!」

次の世話人会でボヤくこと間違いなし。

 

②画像は大中特小を引き抜いてあとは小を残すのみの図。

③が今回の掘り起こした根っこたち。

業者にまかせたら処理費も嵩むでしょうね。

④は静波から運んできた物置。

 

 

 

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2024年

6月

03日

織田信雄 巡り巡って宇陀へ 信雄五輪塔 室生寺

爽やかな梅雨入り前の侯。本堂内の空気のことですが昨日は朝早めの時間帯は陽光が注いでいましたが昼前頃には曇が広がり出して2時前にはぽつぽつ。

午前は法事がありましたがその雨降りの怪しくなった頃、吉田の墓園での納骨の勤行がありましたので「タノム~」の気持ちで少々早め現地に向かいました。

すると雨は消えてうまいことお勤めは終了。

ありがたいことです。

その後も予報に反して大きな降りはありませんでした。

 

息子は久々横浜での法務に向かっていました。

横浜辺りの縁が切れないで続けさせていただいていることは有難いことですが、東名高速往復料金+燃料費+走行のリスクについて勘案すると「ちょっとね・・・」というところ。

そして息子の浮かれた話。

先般神奈川県内の法務でご縁のあった御家の施主さんから「是非とも次も今井先生を」なるご指名があった・・・と。

奥方と「じょうだんじゃぁない」と吹き出しましたが、煽てられて天狗の図。何せ27歳の小僧ですからね。

どうしてそうなってこうなったのか親としても理解不能ですが、私自身はその「先生」付けの尊称が大嫌い。

そんな呼ばれ方をされた時はいちいち「それヤメテ!!」などと注文を付けるところです。半分コケにされているようでもあり・・・

「先生」とは当流で言う「善知識」のことですから、その言葉を歓んでいれば救いようのないバカということかも知れません。

ただのバカ(愚-悪人)というのが一番になごみますからね。それだけはゴメンです。

 

私も息子もおエライさん、センセーでは無いのです。皆さんと同じですからね。

またその称を歓ぶ類とは違うからです。

私どもの歓ぶ称といえばただ一つ「南無阿弥陀仏」の称名です。

学校の先生には勿論、本当の敬う気持ちがありますのでその「先生」を付けて呼びますがね。

 

扨、室生寺の桂昌院五輪塔のあるエリアとは違う段になりますがやはり五輪塔が並ぶ場所があります。

そちらの真ん中の大きい五輪塔が織田信雄の墓。

彼の墓も御多分に漏れず他所にも存在しますが、こちらには分骨とはいえ遺骨があるようです②③。

 

やはり「どうしてそうなってこうなった」のか、彼の不運かタイミングの悪さか時の流れか、はたまた世にいう無能の武将だったのかわかりませんが、流転して宇陀という地に収まったのでした。やはり室生寺にとって「有徳なる人」だったのでしょう。

詳細はWikipediaでも開いていただければと。

まぁ豊臣親子の滅亡のことを考えればつまるところ「うまいことやった」の目出度しの感。

生きて残って最期の寿命を迎えることほど仕合せはありませんね。

 

 

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2024年

6月

02日

ぼちぼち継続 伐根作業

午前の法要のあとは、史跡研究会の会長さんが大いに動いて実現間近となった相良の新しい名物「田沼意次」なる清酒(720㎖)の販売方法について御門徒さんの酒店の店主に御足労いただいて会長さんと本堂にてミーティング。

そのお酒は現状3店舗の取り扱い指定が決まっていますがそのうちの2店が拙寺御門徒さんです。

各店舗での販売については問題がありませんが、テーマは史料館2階の大河ドラマ関係の展示場に併設することが決まった相良名産品の集まる場のお酒含めて運営の件。

 

アルコール類は税務所の許可申請が必要ですが、仮設常設はともかく責任者の常駐が必要か任意の店員さんで販売ができるのか・・・法的な部分と実際にどう人が動き動かせるのか・・・人件費は・・・で課題は多そう。

もし可能ならば拙寺婦人部で手を挙げちゃおうかな・・・・としても、どこからかちゃちゃが入るかもとの思いも。

一同で「お店屋さん」を廻すことなど拙寺みなさんの得意技ですからね。

 

扨、私は神奈川県の小田原生まれ。母の実家とその菩提寺があります。中二までそこに暮らし、中三から父の実家相良へ。

大学卒業後は各所転居の連続はありましたが結局小田原に舞い戻ってそちらでの生活が長くありました。

私はその母方実家とはそこに入った嫁と息子が統一教会に入信したあと、無茶苦茶ヤラれたことから縁切りして音信不通になりましたが、菩提寺墓参には時折向かっています。

またその墓参りの折にもう一か寺「おばさん」のお寺の墓地に顔をだすことがお決まりになっています。

 

先日、小田原の古くからの知り合いから連絡がありました。

母も私もずっと世話になっていたその「おばさん」の縁者からでそのお宅の稼業は町の鮮魚店です。

するとこの1~2年のうちに店を閉めます・・・とのことでした。

 

以前相良の閉店する寿司屋の板前さんがボヤいていた「市場に魚がいない」ことが原因なのかとそれを伺えば「客数が激減した」とのこと。

ひどく驚かされましたが、これも時代の流れなのでしょうね。

大型S.C.の賑わいの半面街区の商店街、小売店舗のシャッター街化、弱小資本が淘汰される時代のことです。

昔ながらの顧客も少しずつ世を去り、魚を選んで包丁を入れていただく間、世間話をしながら待つという時間の使い方が無くなっていったということでしょうか。

 

この流れは国の施策なのでしょうね。

大手資本を優遇し他の淘汰されるべき小店舗としては「サラリーマンでもヤレ」ということなのでしょう。農業もしかり。

相良の薬局、酒店の御門徒さんから耳にしたことがありますが

スーパーマーケットで酒や薬を売れるように規制を解かれるにつれてこれまでの営業継続の不安を吐露されていますからね。就業の継続ができないということは将来、未来の自己の存在に疑問符が・・・

 

画像は午後のミーティングのあと、切株堀りの続きの図。

「大」の切株に難儀していましたが、本体は何とか引き抜けました。ただし派生する根が多方にわたって、それらがビクともしません。

またのんびりつづけることにします。+αと小と特小。

 

 

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2024年

6月

01日

禁足如意山納経塔 室生寺桂昌院五輪塔の隣3基

台風一号は早々に熱帯低気圧に勢力を落とし、遠く南の海上を通り過ぎていきました。

とはいえ殆ど雨の時間が多い一日でした。

午後は会館工事の図面を新たに持参いただいて問題点の抽出。

どうやら接道義務の問題で建築確認がスンナリ通らなそう。

対応の方法はあるようですが、今のところ提案されたそれ(壁あるいは土塁のセットバック)は私としてもまったく受け入れられない件でありお手上げ状態。

ただ「何とかうまいことやってください」と言うだけでした。

扨、室生寺の七重塔は目の前10mのところで立入禁止、残念の思いをしたことを記しましたが、それ以上に残念なのは如意山の禁足の件です。

もしかして・・・こっそりとでも登れるかと思いましたが。

何とかうまいこといけば、奥方に「車で待ってて~」と別れて単独で登ることも考えましたがムリでしたね。

そもそもどちらから上っていいかわからないことと(だいたいの場所はわかりますが)、真顔でその辿る道をお寺に伺ったとしても一笑に付されるだけですからね。何故なら禁足の山ということを知っていたからです。

私の目的はその山のトップに立つ二重塔いわゆる納経塔(重要文化財指定)でした。

まぁムリな物はムリ、こちらも笑って帰路に尽きましたが、心残りであったことは確か。

 

如意山は空海が如意宝珠を埋めたと伝える山でその二重塔がその在処と伝わっています。

 

以下奈良県史より。

平安時代後期 高さ132㎝ 安山岩

「基礎は壇上積式で二区に分け、軸部は初重も二重目も長めに作り、屋根は真反りで降棟を刻み出し、軒裏は屋根勾配に応じて傾斜し軸部をはめ込む作り出しがある。

こういう各部の工作は鎌倉時代以後のものとは違い外観ものびやかである。各重の軸部は円筒形にくり抜いて、中に木製の経筒が入っていた。

昭和二十一年に塔下を調査された結果、径約3㎝の水晶の玉が発見された。これが如意宝珠ではないかといわれた。

その他に小観音像、古銭などもあった」

 

最後の画像(奈良県史)がそれです。

他は昨日の桂昌院五輪塔のお隣三基。

 

 

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2024年

5月

31日

室生寺にもあった桂昌院五輪塔

境内作業は思いのほか時間を要しました。

午前は雑多な仕事に午後からは新会館用地の墓地側にある切株をボチボチ取ろうと穴掘り開始。

切株はイヌマキの生垣のもので大木ではありませんが切株の掘り起こしはそうカンタンな仕事ではありません。

 

どうせユンボが入るのだから業者に任せれば・・・という指摘もありましたが、これは私の宿題とこの4本の切株の撤去のタイミングを計っていたのでした。工数が減れば請求書の項目がなくなって減額にも繋がるでしょう。

 

大・中・小・特小の切株のうち、まず中サイズからやっつけましたが大は根の張り具合が複雑で難儀しました。

仕事先の、あるいは他人様のチェーンソーであれば根切りはその登場で何とかなるなどの発想が起こるところですが、Myチェーンソーの刃は先般新品に交換したばかり。

よって手切りで対応しましたが、今のところ本体も根の先端もビクともしていません。

上空の様子が怪しくなったので夕刻前に撤収しました。

来週またぼちぼちとやっていこうかと。

 

チェーンソーは土・砂のついた木を伐れば一発で伐れ味が落ちること必定。石を切るのと同じ・・・です。

そして切れ味の落ちた刃を使用していればチェーンソー本体の劣化を早めますからね。

まぁこれが私が他人様にチェーンソーを貸さない理由になります。チェーンソー仕事なら「私がヤル」に行きつくのでした。

 

根切り作業を日常的にされている方などは根切り専門のチェーンソーを一台用意しているくらいです。

根切りは刃に焼きが入りやすく本体に負荷がかかりすぎるのとキャブレターへの砂の吸い込みもあってエンジン不調に陥りますので大抵は電動のチェーンソーを用意していることが多いですね。

 

扨、以前拙ブログにて善峯寺のいろいろを記しましたが、その中で「桂昌院とけいしょう殿」(またはこちら)とありました。

その桂昌院(玉さん)は徳川家光の側室、五代将軍綱吉の母で各寺院復興支援のために動いた人でした。

 

室生寺(昨日ブログ)にも彼女への報恩感謝のために建碑された石塔がありました。

国宝の本堂-灌頂堂-の近くの五輪塔になります。

こちらは顕彰碑としての五輪塔になり遺骨、遺髪の類の埋葬はなしか。

宝永二年六月弐拾弐日没。

 

 

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2024年

5月

30日

室生寺奥之院 立ち入り禁止 七重塔

昨日は新会館建設予定地に依然としてあったコンクリート敷設とその下の旧浄化槽を撤去。これでまったくの更地となったわけでようやく工事が進んでいく気配です。

あとは新しい図面ができるのを待つのみです。

 

ちょっぴり頭が痛いこと。

地盤調査に関しては調査資料をそのまま移行してもらうことができましたが、以前何度も改作いただいていた図面がゼロとなったためその製作についての費用がどうなるのか・・・

また、地盤調査した業者とパイル打ち業者について、当初は同一業者とのことでしたが、新しい設計士はそれは止めた方がいいとのご指摘がありました。

意向としては当方の主張が通るわけですが、わからないこと多多あって、結局はプロの言う通りになりそう。

バカバカしいとも思える調整に頭を捻るのも・・・やはりアホらしい。

 

見積もりが出ず、遅延が続いて、一向に着手できないでいたままになっていた工事について、業を煮やした世話人さんの手筋で新しい設計事務所に依頼。このほど工事が動き出したのですが、これでは旧設計士のメンツは丸潰れでしょうね。

しかし3年も進捗がなかったことからこうなったワケですので、私どもにも主張するところは多分にあって、先方のすべてを承服するという寛容さは持ち合わせていません。

出来るだけトラブルは起こしたくないという気持ちで待ち続けましたが、3年経って何も動いていないというのではね。

とにかく来年初めまでにお参りの皆さん用の外トイレの完成が至上命題となっていましたので。はやくはやくの気持ちが。

 

扨、先日記した室生寺奥之院。最後の階段を登りきると左前方に御影堂(みえいどう)=大師堂-重要文化財-が目に入ります。

木造ですが屋根中央には石の路盤と宝珠が・・・

そして私の一番の残念はその建屋に隣接した「諸仏出現岩」と呼ばれる小山。

そのトップには石造七重塔が立っていますが、歩道状の道の底部には立入禁止の札が。

 

奥之院とはいえ観光客は比較的多い寺で案外とそちらまで上る人がいます。

年配者も多く、その崖の如くある山にお気軽に上がられるのは気が気ではないでしょうからね。

安全面からの規制線ということですが、私からすれば興ざめでした。

「閑散としていて管理者不在の様ならばお前は(札の意趣を無視して)登るだろ・・・」との奥方の指摘。私は無言でニヤけているだけ。

 

こちらは平安期とも推測される層塔で、この塔の下の穴から諸仏が湧き出てくるとの言い伝えが。

その「穴」とやらも見て見たいものでした。

 

 

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2024年

5月

29日

QRコード注文 スマホが無いと話にならない世の中?

昨日午前は、御門徒さん宅のお内仏(他宗でいう仏壇)の閉扉式。

転居の為とのことでしたが、そのお内仏はここでお役御免だとのこと。

要は廃棄処分されるということですが新居にスペース的余裕がないことからその断腸たる結論に至ったようです。そのお内仏は昔ながらの大き目サイズ、購入した際は今でいう軽自動車一台分以上の金額にはなったであろう代物です。

そうせざるを得ないご家族の心情と、そのお内仏そのものに対しての気の毒と申し訳なさを思いました。

尚、新居にはごく小さなお内仏を設けるとのこと。

 

また朝食時に今年春、静岡の歯科医で処置してもらった奥歯の被せ物が脱落したため、昼前に急遽静岡へ。

予約はありませんが、「急患」を主張して午前の診療時間ギリに無理やり入れて頂きました。

 

静岡に向かうとデパート・食品売り場を歩き回って散財しますから抑制ぎみにしようとは思いますが、一旦あの繁華街に足を踏み入れればついつい節約意識を忘れさせ、余計な「おいしそうな物」を所望してしまいます。

奥方は特に「デパ地下命」の如く歩き回りますので、私は歩き疲れて「駐車場で待ってる!!」と言い残して雑踏を離れるのが常。

ハカ・テラ・シロ歩きの場合と真逆の展開になります。

 

 

扨、今私は盂蘭盆会法要の配布用に毎度「雑感」と称して何やら思いつきレベルのことをぐたぐたと記していますが、今年のテーマは「痴呆」です。

病の種はさまざまありますが、うまいことその病をすり抜けることができたとして長寿の果実をゲットしても「脳の老化」ともいえる「痴呆」からは逃れにくいものがあります。

よってできるだけその老化-痴呆の進行を遅らせるかがこれから私どもに突き付けられた課題ですが、私はそれには「脳を回転させ続けること」だと結論づけました。

 

小学校低学年の学習指導要綱の如く、「聞く・話す・読む・書く」の意識を持ちそれを持続するということです。

まぁだいたいその件、仲間と外に出て遊ぶことでクリアできるものですね。

孤独死という語がやたらと聞こえる時節ですが、友達を作って「何かやらかそう」の気概でしょう。

仕舞いには「まかせる」ほかは無いのですが・・・

 

画像は昨日の朝、雨が上がったタイミング。今年初のユリが咲きました。

そして②は昨日のランチに入った店と③は毎度おなじみ島田の格安外食の定番のファミレスのテーブル脇。

テーブルごとに設置されたQRコードから店のメニューと注文ページに入るシステムになります。

 

義母は友達と外食する際「絶対に対人での注文しかしない」と豪語しています。

よってこれは年配者、スマホ非所有者を排除する流れか・・・とは思いつつも、これからは高齢につき「ついていけない」ではなくてがむしゃらに頭の回転を効かせてついていかなくてはならないのかと。

といいながら私はいつも「面倒だからやって・・・」と逃げています。

機械に指令し・・・対人対応を避ける店の傾向はやはりコロナから。

そのシステムを売る人たちはコロナが絶好の商売の機会だったわけで。給仕ロボットも全盛です。コロナ様様でしょうね。

 

 

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2024年

5月

28日

宮崎莉緒さん現る 投票の帰途 小堤山遊具損傷の件

昨日午前は、世話人、総代が新たに指名された建築士が寺に。

遅延している会館新築工事について説明、早急に新しい図面を起こしていただくことをお願いしました。

会館の解体工事以来丸3年、更地にしてから思わず時間が経ってしまいましたがこれでいよいよ最大懸案(新築工事)が始まる見通し。

今度は来年1月までに・・・という期限の約束をいただきました。

 

午後は土砂降りの中、夏の演出なのでしょう、浴衣姿のミス・ユニバース宮崎莉緒さん(共立女子大 牧之原市出身)が撮影その他クルーを引き連れて拙寺を訪れました。

さすがに雨天の撮影行脚は気の毒でしたね。

拙寺の前に平田寺、般若寺での撮影が(引率・タイムキーパーは牧之原市の史料館学芸員の長谷川氏)あって、思いのほか時間をとったとのことで拙寺での撮影は1カットのみ。

 

正面如来さんの前に私と宮崎さんが立ったカットになったのは長谷川氏が推奨した拙寺の丸尾月嶂の襖絵と般若寺で撮影した木襖が「かぶる」と先方ご担当のご指摘があって急遽、阿弥陀さんをバックにした構図が採用されました。
本堂下の相良城残材を推測できるほぞ穴のある木材についても浴衣姿の彼女に床下へ潜ってもらって「ハイ、ポーズというのはちょっと・・・」と。

長身の彼女と並んで私もその1ショットに登場することになりましたが、画の採用可否はともかくとして、その身長差はかなり目立ちそう。

 

扨、その前日の日曜日は青空が広がっていましたから、この日の酷い雨は恨めしいものがありましたね。

私は庫裏に居っぱなしでどうってことはないのですが、来訪諸氏の難儀についてそれを思います。

そしてまた特に長谷川氏の奮闘には一層のこと。

何故なら彼は日曜の選挙管理委員会の一員として投票所に詰めていたからですね。

他にも知った顔がそちらに並んでいましたが奥方と「あれじゃあ、休みなしでかわいそう・・・」などと言っていたばかりでした。

まぁ私もサラリーマン時代には休日出勤は当たり前のようにありましたからね。

 

画像は投票の帰りに寄った小堤山。

噂の新しく設置されたばかりの遊具に上がってみました。

少々高い場所になりますので景色を楽しもうと。適当にグルっと撮影。

すると明らかに「頭に来ているぞ!!」の警告掲示が目に入りました。

まぁ、スケボー小僧の仕業であることが窺えます。

彼らからすれば絶妙な滑走スロープになるでしょう。

 

 

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2024年

5月

27日

室生寺奥の院 懸造りの位牌堂―金剛殿 

午前の法要は東京から来られた施主ご家族。

来年には「墓終い」・・・の語が法要終了後のお墓参りのあと聞かれました。寂しいことですが、致し方なし。

 

牧之原市は「消滅可能性自治体」の名のりをあげていますが、この町の将来について覚悟が必要になったようです。

それとは別に最近耳にするようになったのは「義務教育学校」なる語です。

何のことはない世にいう「小中一貫校」のことですね。

その手の学校はかつて私どもが居た沖縄の島しょ部にある学校で見てきましたが、子供たちがいない中、できるだけ集約して効率化をあげようというものです。校舎の耐震の問題がありますからね。

各単位で新築・改築を行うよりも大きめの校舎を新規に建てた方がベスト。子供たちのことよりもすべて管理側の都合でしょうね。教師の成り手も不在のようで。

多くの子供たち・友達に囲まれて育った方がより良い成長が見込まれると承認後付け講釈がされていますが、それはどうだかわかりはしませんね。

だいたい子供たちは自宅の部屋に籠って端末をいじっているだけのようですから。

 

榛原地区に1校で4学級制、相良地区は1校3学級制になるようですが、問題はこれまで通学していた学校が閉鎖されたとき・・・ですね。

小中学校というものはそもそも自宅直近で5分からせいぜい15分というのが一般的な通学時間でしょう。

それが30分以上という生徒がまたぞろ発生しそう。

親たちの心配の増幅・・・学校教育というものは行政サービスの一つであってよりコンビニエンスでなくてはね。

世も末か・・・。

 

扨、室生寺奥の院を目指して上り詰めると懸造りの堂々の姿が目に入ってきます。

しかし不安定な崖の淵によくもまぁとは思いますが、だからこそそこに堂を建てるのでしょう。懸造りのプロがうずうずしながら受注したことでしょう。

 

この建物は位牌堂で別名金剛殿。

 

 

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2024年

5月

26日

室生寺奥の院へ 杉の生命力に空気 そして墓塔たち

「このほど 運動会に行ってきた!」という拙寺世話人様からその件窺いました

父兄としてではなく来賓としてですがそれまた大変なお役です。それを労うと「午前だけだよ・・・」と。

「何しろ運動会は変わっている・・・」ようです。その開催時節も?でしたが。

 

私の運動会のイメージとしては小学校時代なら母や祖母などが待つ父兄席にてお昼ご飯を食べることが思い浮かびますが、今はそのお昼ご飯に親たちが来ることができない子供たちへの配慮か「昼にて解散終了」となっているよう。

共働きの家庭では会社を休んでまで子供の運動会に参加しようなどと思う奇特は無くなったということでしょう。

 

内容も個人の優劣を決めるものではなく、団体の競技、演技が主だといいます。

それではハッスルする子供たちの様を見ることができませんので面白くなさそう。そういう時代であるとはいえ、子供たちもそれでいいのでしょうかね。

 

運動競技の優劣をすべて他者の排除、弱い者いじめ的弊害として結びつけてしまうのは少々やりすぎの感。

ハードな競技を無くしてしまえば子供たちの怪我防止にもなりますから、管理者(学校・先生方)としてはその方がラクなのかも知れませんが。

 

私個人の運動会の思いといえば、前日に眠れなくなるほどハイテンションになったものです。

短距離徒競走もそうですが、高校時代は100、400、リレー、1500などありったけの競争に出させてもらって、悦に入ったものです。

大学時代も、社会人になってからも地区の運動会には顔を出すなど秋のお楽しみの一つでしたがそれが無くなっているというのは「つまらねぇ~」の一言でしょうね。

まぁ、当時から運動会、スポーツなど大嫌いという子供達がいましたから、そういう人たちからすれば「ああよかった~」なのでしょうが。

何がいいのかわからない・・・

 

扨、昨日記した室生寺奥の院の階段を見て、よくもまぁ奥方が淡々と登っていたものだと感心させられましたが(そのあとの長谷寺の上りには文句が出ていました・・・)やはりそちらまで行ってこその室生寺です。

 

やはり杉の大木の威風とその空気の良さ、行ってみなくてはわからない。途中ここかしこに見える五輪塔ほか石塔に注目しつつ。

 

①画像奥に見える五輪塔と②③は同じ。

大木といえば杉ですね。

松は短命、杉の偉大さを目の当たりにします。

 

 

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2024年

5月

25日

室生寺奥の院への階段 隣家依頼の樹木は伐採 

昨日は郵便料金の値上げ(10月から)についてボヤかせていただいたのですが、その世間に蔓延している「値上げー物価上昇」の数々、昨日の報道によれば多くは企業収益、政府が大風呂敷を広げた賃金の上昇には「ほとんど回っていない」と。

企業はこの機会に便乗値上げして、ガッツリ稼いだということですね。善人面さらして、まったくもって結構にあくどいものです。経団連の会長が自分の会社(住友化学)の赤字垂れ流し状態を「さておいて・・・」全国給料あげろ・・・よって物価あげあげ致し方なし・・・の躰はウソ八百もいいところか。

 

昨日は、お隣の奥さんに依頼されていた木を1本伐採。

交換したばかりのチェーンソーを持ち出して殆どぶった切り。

「棒切れにしてイイ」とのお墨付きがありましたので・・・

ちまちま剪定などやっていられませんからね。

「棒切れ」は有難い。快く承ったのでした。

 

しかしまた新品チェーンソー替え刃は切っていて清々しいことこの上なし。

4~5年間、研ぎと清掃でゴマ化していましたが替刃は経年で徐々に焼きが入ってしまいますので切れ味は劣化します。

交換して良かった・・・と呟くと「ケチケチしないで早く交換しとけ!!」と奥方から。

ストレスなくスパスパ仕事が進みますから、その件もっともなことです。ちなみに交換用ソーチェーンは3000円程度。

 

伐採材の地頭方処理場への搬入費は250円でした。

伐採樹木を細かく切って指定ゴミ袋に入れれば処理費はタダ(袋代金に含まれます)ですがあれだけの物を袋詰めするのは面倒なこと。

以前は母が花ガラ含め、袋詰めしたり焼却炉で焼いていましたが(父はその仕事をしません)私の代で焼却炉は解体処分、焼却の煙でクレームが来たこともあり、軽トラ搬出一本に変えています。

 

扨、室生寺、五重塔を見送ったら奥の院へ進みますが、あの目前にある上り階段を見て断念する方はいらっしゃるでしょうね。

そちらに上がってこそのテラ行脚、行かないでどうする・・・ですので私どもは階段をぼちぼちと。

すると階段にはところどころ何か彫られている箇所が。

墓石には見えませんが・・・

長い間多くの人々の足元を支えてきたのでしょうね。

 

 

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2024年

5月

24日

境内東側墓地コンクリ壁 部分撤去工事

値上げラッシュのご時節、10月に郵便料金が値上げされるとのこと。なんだそりゃぁ~・・・です。

普通郵便が84円から110円、はがきも63円から85円に。

情報伝達手段として郵便は極力やめて、メール中心にシフトしていくべきですね。

しかし、困りました。当面は相良の町中への世話人様への伝達は車と足でダイレクト投函に。

 

扨、半世紀以上前、祖父の時代に増設された境内東墓地の北側と東側半分のコンクリ壁を撤去しました。

クラックだらけで、何時倒壊しても不思議が無いくらいに劣化しており、いつものコンクリ屋さんに依頼。

私と奥方二人でもできそうな工事ですが、撤去後のコンクリガラの処理に、以前とは違って個人の受け入れにうるさくなった(マニュフェスト伝票等必需)ことと、その後の型枠工も手掛けていただくこともあって丸投げさせていただきました。

ついでに墓地の排水対策として浸透桝の設置も依頼しました。

それも以前からの懸案事項で「いつかオレがやるから」と延び延びになっていましたが、ここで一所にお願いしてしまいました。

 

見積額は撤去工事だけで昨日浮いた分の1.5倍。

浸透桝追加工事がありますので+αです。

またそれには型枠工の分は入っていません。

 

そしてお隣の家主の奥さんに撤去のために業者さんの車を入れる許諾をいただきましたが、その際、そちらの敷地の木を一本枝払いすること承りました。30分もあればやっつけられる仕事です。

 

 

 

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2024年

5月

23日

カイズカの剪定(伐採)静波墓園 私のとりあえず

 

昨日拙寺に来られた方といえば、転居前の旧宅での御内仏の閉扉式の際、コロナワクチンを接種して脳溢血になることを恐れて、それは周囲に若くして脳溢血で倒れた人たちが多かったからですが、「接種しない宣言」している人がいるといった話をしていました。

お会いした際、あの時はそんな話になってしばらく、「私が脳出血になっちゃった・・・」と仰っていたのでした。

世の中には未だそのワクチンの後遺症と闘っている人たちがいて、国はワクチン接種は大奨励。

何がホントか「わからない」のですがただ私の場合、コロナもインフルも予防接種などヤル気にはなれません。

 

また、ウソかホントか酒に弱い人がそうでない人に比べて5倍もコロナに罹らない・・・なる論文がありました。

佐賀大学の研究だそうで飲酒で顔が赤くなる人は「コロナにかかりにくい」というもの。インフルもその傾向があるようです。

私も奥方もまさにそれ。

だとしたら下戸にとって喜ぶべきことですね。 

 

扨、4月から始めた静波墓園の外周のボサボサカイズカのやっつけ作業はここでひとまず終了。

その件、体裁などはお構いなしです。剪定というかぶった切り。

チェーンソーをブン廻してバサバサと切りました。

ポイントは成長の早いその樹木をここで一気に・・・というところですが、この課題を息子にブン投げるのは酷ですから小さくするというのが主旨。

基本手に負えなくなったら根元から・・・が合言葉。

こんな厄介な植栽、私が植えたものではありませんし。

 

そして何より防犯の問題。

住宅地の中に閉鎖的空間を作るのは良くないですからね。

防犯ということは勿論、墓地がゴミ捨て場にもなりかねません。

 

昨日は奥方に積み込みを手伝ってもらい、地頭方処理場の処理費は710円でした。トータル6回で4880円。

工数は一人工4回二人工2回。

もっとも大抵は半日仕事でした。

業者さんに依頼したとしたら一人工×4日として4×日当2.5万円。

処理費用は業者価格×2で1万円弱、搬送費含めてそれにどのくらい吹っ掛けられるかで差が出ましょうが最低でも10万円以上の節約になりました。

奥方は浮いたお金でさわやかで「ステーキ+ハンバーグ」と「かっぱ寿司」を喰わせろと。

息子はどう手配するかわかりませんが、シルバーさんに依頼したとしても皆様方大挙しておしゃべり会、何日かかるのか・・・そして請求がいくらになるのか・・・

もっとも痒いところに手が届かない仕事だろう・・・というのが最大のネックですが。

年配者をバカにするつもりはありませんがね。

 

少々の材は大晦日に暖をとるための薪用にする予定、まだ周囲にゴロゴロっと置いてありますので、いずれ回収に向かうことにします。

 

チェーンソーの清掃後、用意していた新品のソーチェーンに交換、次の仕事はスパスパっという具合に捗るでしょう。

石屋さんがユニックで訪れた際、墓地の枯れた槙(以前その上部を伐った際、下にいる奥方と息子のロープワークがヘマって墓石壊しました)を吊るしてもらいながら伐採しようと思います。

 

 

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2024年

5月

22日

小型ながら優美 自然の中に映える室生寺五重塔

午前8時すぎに拙寺庫裏の呼び鈴が鳴りました。

その手の時間での来訪は「急な要件」というのがこれまでの経験則でしたが、それは違いました。

 

二年ほど前に相良から東北に転居された方の来訪で、午前4時に到着して旧家の片付けをして時間を見て来られたとのこと。

車の運転は息子さんでした。

 

その方は私より3つほど若かったと記憶していますが、先般脳出血で倒れたとのことでした。

一見してまったく変化はなく、意気軒高の感。

その病は死を免れたとしても重篤な後遺症が残ることを承知していますので私も「?」の躰となってその方を再度見上げてしまいました。

「何も不便の様は感じ取れませんが・・・」と窺えば、奇跡的に何事も無く退院できたとのことでした。

思わず私は「よりよきご縁でしたね~」と高いトーンで感服の声をあげていました。そういうこともあるのですね。

 

人生は縁、機縁・・・チャンスとその見逃しの連続。そしてそのベースに宿業(親鸞さんの意は悪業)という「私」の積み重ねた因縁果の複合的組み合わせで今があるといいますが、その健康という果実をたまたま得た奇特を歓びました。

 

そして今は食生活と運動を心がけるように自身変化したそう。

「拾った命」への感謝を強く仰っていました。

 

※歎異抄13 宿業

「善き心のおこるも宿善のもよおすゆえなり

 悪事の思われせらるるも悪業の計らうゆえなり

 故聖人の仰せには『卯毛・羊毛のさきにいる塵ばかりも

 つくる罪の宿業にあらずということなしと知るべし』

 と候いき」

 

先日も「わからない」について記しましたが、まぁ人間世界、すべてのことが「わからない」ことだらけ。

「こうである」が如くの物知り顔の輩は・・・やはり虚仮不実・・・

そう思いますがね・・・

 

扨、室生寺といえば・・・というくらい人々がその歩を向けるのが五重塔ですね。

昨日の灌頂堂のすぐ脇の階段上にあってあたかも「早く上がってこい」と促されているよう。

平安初期800年頃の創建で屋外に建つ、日本で一番小さい五重塔になります。

 

先日は三宝杉の一本が倒れた件を記しましたが、1998年の台風7号での倒木によって破損しています。

木々、それも大木だらけに良き雰囲気を感じる室生寺ですが、それはそれで風が吹けば冷や冷やものとなるわけで。

 

相輪は風鐸付きの九輪、その上に八弁の受け花に乗った水瓶、さらにその上に風鐸付きの八角の天蓋、龍舎、そして宝珠をいただくといったカタチ。他にない特異な形式になるようです。

画像ではよく見えませんが。

 

それにしても800年からこれまでよくもまぁ立ち続けているか、まさに奇特な出会い。勿論国宝指定になります。

 

 

 

 

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2024年

5月

21日

室生寺灌頂堂(本堂) 如意輪観音 法輪

昨夜のテレビ小僧は東大寺再建の重源さんとカラシニコフの憂鬱(1億丁出回ったといわれるベストセラー銃)について視聴。

昼間は日曜の法事時間中に放映された「日曜美術館」(法然と来迎図)の録画を再生。こちらは今週の日曜の大河のウラで再放送があります

そろそろ東京国立に「行くぞ~」と気合を入れての視聴でしたが、どうやら私が興味ある逸品たちは既に公開が終わっていて、九州、京都への巡回の準備に入っているとのこと。

奥方に「じゃあ京都へ」と言うと「勝手に行きやがれ~」でした。これは私のいつも吐き散らかす「勝手にしやがれ~」の変型。

どこかの政治屋さんではありませんが「行かない(産まない)でどうする・・・」ですね。

 

そして昨日は来年のイベント用冊子作成のための取材の予定がありましたが、先週末あたりの天気の悪化予報から中止順延が決まっていました。

平田寺、般若寺そして拙寺ほか相良のいろいろを見て回るものでしたが。

ところが朝方は雨が残ったもののあっという間に雨はあがって度P感の陽射しが。

また雲がかかる時間もありましたが撮影にはまったく問題ありませんでした。勿体ない一日でした。

またゼロから予定を組み直さなければならなくなった史料館の長谷川氏に同情してしまいます。

 

扨、昨日の室生寺弥勒堂に続いて灌頂堂-かんじょうどう。

灌頂とは密教(真言系)の儀式の遂行のことで要はその中心的伽藍であるということ。一般的に言う本堂の事ですね。

勿論国宝指定、鎌倉期の建物といいます。

①悉地院なる扁額が見えますが、もとは鐘楼近くにあった伽藍の一つの名称でそちらにあった如意輪観音を移設したためにその院名が残っているとのこと。

 

この如意輪観音は日本三如意輪の一つで他の二つは大阪観心寺、神戸神呪寺(かんのうじ) ということになります。

本堂に鎮座しているということでたくさんの仏像たちがある中、この如意輪観音が室生寺の本尊ということになります。

平安期の仏像で重文指定になっていますがこの仏像が何故にして国宝指定になっていないのか不思議なこと。

 

如意輪観音のスタイルは半跏思惟、そして如意とは思うがままに、法輪とは煩悩を壊す・・・といった大雑把な意味がありますが、ちなみに拙寺先代である父の院号にこの法輪を命名したのは私。しかしその意は「煩悩を破する」にあらず。

 

開祖の御和讃「弥陀成仏のこの方は~」から引っ張って来たものでした。

「弥陀成仏のこのかたは

 いまに十劫をへたまわり

 法身の光輪きわもなく

 世の盲瞑をてらすなり」

 

「法身の光輪」の法+輪。

阿弥陀さんのはたらきからでした。

当流は「煩悩そのまま、ありのまま」というのが本でありますから。

 

 

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2024年

5月

20日

一番許せてないのは自分やで 室生寺弥勒菩薩

藤沢在住の妹の夫が手術入院したと。

今は無事退院しているようですが緑内障の治療を行っているなか、今度の診断にて眼圧が急上昇していることが判明。

「このままでは失明」と宣告されて、急ぎ施術したとのこと。

その病は遺伝とのことで先方家代々その病の出現により苦しめていたそうですがこの寺に居ると皆さんの多種多様の病のそれも親から引き継いだ「遺伝」について聞こえてきます。

仏教では宿業だとか因果とかの語をしばしば使いますが、それって科学的生物的因果なの?などと考えてしまいます。

 

ゲノム解析が進んでいる中、その悪さをする遺伝子を特定し改変する薬が出来ても不思議ではない時代です。

多くの皆さんの苦しみから解放してあげたいものです。

 

それにしてもその夫は私の同年代ではありますが、今彼は緑内障以外、心臓などの不安を抱えています。心臓疾患即、障がい者手帳を持つことになったといいます。

年相応という言葉があって「承らなくてはならない」ところ、あることはわかりますが、人によっては一気に各所にそれが出現しますので、許容というものの限界を超えてしまいます。

人として生まれたという「楽」の第一を享受したからにはその逆作用(老病死)も背負って立たなくてはなりませんね。それも皆同じです。

 

また夜間、御門徒さんから電話がありました。

基本、大谷祖廟への分骨の流れについての確認だったのですが、最近のお互いの体調についての話に及びました。

するとその方は先般不調をきたして、医師のもとに駆け込んだとのこと。

診断は初期の癌が見つかって1週間ほどの入院で「処理」したそう。小さいものだったそうでラッキーと。

御当人は「気が小さいのでスグに医者に行ったおかげ」と。

「よかった、よかった 私も気が小さいので我慢しませ~ん」と言うと、いろいろ私へのご心配とボヤキ多数のお見舞いの言葉をいただきました。

ありがたいことです。

弱気な一人間として、他者から優しい言葉など投げかけられるとこれほど「ほんわか」するものか・・・、言葉の力は案外「病に抗う免疫力」をアップさせるのでしょうね。

それも一つの「養生」 (病気にさせないための)~昨日 東洋医学を科学するNHK~なのでしょうね。

 

扨、メディア各局、各紙いろいろ唖然とさせられるような事件・事故を報じています。

そんな中、被害者がいて加害者がある場合など聞こえてくる言葉がまず「許せない」なる語です。

 

当流では以前から「既に許されている身」という考え方があって他者をあげつらうことなどはよくないことであって、そもそもお前さんに「許さない」なる大層な言葉が吐けるのか・・・という疑問が出てきます。それほどの権威も力量も立場もありませんし、それでは・・・どうするんだ・・・ということになりますね。

よって人を許す許さないは仏の仕事であると。

 

室生寺から駐車場への途上、面白い看板を見かけました。

客観的に他者の逸脱した行為に対して、了見し、許容、時に眼をつぶるがヨシなどとは思ってはいるものの、他者のその行為が自身や家族に及んだ時、人は大抵その語を吐き散らかします。

ごくつまらないことに対しても・・・

それが、みんな一番自分が偉いんだな~と思う時ですね。

 

看板の絵は室生寺の重文弥勒堂と堂内の同じく重文弥勒菩薩。

小ぶりながら奈良から平安初期の作だそう。

奈良興福寺関りの遺物です。

 

 

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2024年

5月

19日

相良城太鼓櫓(矢倉)の位置 田沼七曜紋の瓦

「まるでカリフォルニアみたいな・・・」などとここのところの寒かったり暑かったり、半袖か長袖かなど着るものに配慮が必要であることをその天気に喩えて言うと、「何を調子こいたことを・・・」と奥方に呆れられましたが、要は「油断がならない」ということですね。

 

数日前、拙寺の庫裏の台所兼居間のエアコン(4年目)について初めて専門の業者によるクリーニング依頼をしました。

あれだけはプロに頼んだ方がイイとかねてから思っていましたし、奥方もその方向を去年から主張していました。

昨年は奥方が気合を入れて脚立の上に立ち悪戦苦闘していましたが、結局は「消化不良」のまま諦めていました。

要は気休め程度(市販のクリーナー)の清掃ではまったくキレイになっていないのでした。

 

よって試しに・・・ということでプロに任せることに。

すると時間は2時間弱と案外とかかったようですが、奥方はその清掃の一部始終に立ち会っていたらしく(私は外出)、そのプロの仕事に感服していました。

「素人にはムリ」そして「ドロドロまっ黒の排水」がみるみるうちに設置されたタンクに溜まっていったといいます。

 

あのまっ黒でおぞましい~おそらく黒カビ+ホコリ~の堆積した機械の中を通過する空気を吸うなど「あり得ない!!」とその成果を誇っていました。

作業の方にその施術についての頻度を聞いたそうですが「2年に1度」を推奨されたそう。奥方はあのまっ黒の液体を見たら1年に一度でもやりたくなったと。

まだ請求は届いていませんが2.5万円程度と聞いています。

あの機械にはこの夏フルに働いてもらいましょう。

これで気楽にエアコンのスイッチをオンにできるというものです。

 

扨、昨日は午前の法要後に史料館の史跡調査会の会合へ。

相良小学校グラウンドの隣が史料館(相良城本丸址)になりますが、ご存知小学校グラウンドのお隣といった場所。

そして小学校正門入口の土塁が二の丸土塁。

会合の時間の15分ほど前にブラついて拙寺の太鼓のあった櫓の位置を実地で眺めてみることにしました。

入口③を入って左側には小島蕉園先生の名が記された標柱が⑥。

 

先日記した拙寺本堂に吊るされた刻(とき)太鼓のあった太鼓櫓の位置について現地の様子④。

その日は少年野球(男女混成)の試合がありましたがだいたい左中間あたり松が並ぶ右手、いやセンター辺りか・・・に太鼓櫓があったかと。

小学校グラウンドの正門を入って左右の道は堀が巡った位置になります。