2019年

3月

24日

ミロクの辻 線刻摩崖仏はコピー 弥勒菩薩は阿逸多

昨日は「智慧」の「慧」について記すにあたり文殊菩薩(文殊師利法王子)を引き合いに登場させました。

しかし阿弥陀さんにも「智慧光仏」と私たち衆生に及ぼす阿弥陀仏の力(光線)の如くの別名(十二光)がありました。

正信偈では「清浄歓喜智慧光」と登場。

また「智慧の光明はかりなし~」もあまりにも私どもが日々馴染んでいる和讃もありました

 

ちなみに「十二光」を羅列すれば

無量光

無辺光

無碍光

無対光

炎王光

清浄光

歓喜光

智慧光

不断光

難思光

無称光

超日月光

 

と眩いばかり。

正信偈中お馴染みの文言ですがもともとは大無量寿経からです。

 

そして阿弥陀経では冒頭部分「文殊師利法王子」の次に登場するのが「阿逸多菩薩」(あいったぼさつ)でした。

この阿逸多菩薩が弥勒菩薩(慈氏菩薩とも)の別名ですね。

 

真宗系、私どもの墓地を見回しても目につきますが墓石に「不退」とか「不退転」の語があります。

これは「阿惟越致」(あゆいおっち)の訳語で~阿弥陀経では阿毘跋致(あびばっち)~その音が似ている通り阿逸多」(弥勒)のことを言っているのです。

 

最近は墓碑にその語を記すことはなくなりましたが以前は何故にそれが記されているかというと、やはり当流和讃に頻出する弥勒の件「弥勒におなじ」のフレーズが「不退転」であることが根拠。

よく政治屋さん他権威者の会見などの言葉にその語がよく聞こえてきますが私にはそのままの通り「弥勒におなじ」と聞こえてきます。

 

「弥勒におなじ(決意)」(便同弥勒)ということですが、当流にそれに「決意」などいう仰々しい語は似合いません。

そしてそもそも「弥勒の化身的」発信は「胡散臭い」というのが歴史の中の定番なのでした。

 

またそれは決意という類のものではなく「他力の信心」というもので敢えてそれを記せば「動かぬ信心」ということでしょうか。

「弥勒に同じ」ということはそもそも「往生極楽が約束された身」ということを言っているのです。

それは墓石に刻まれた「不退転」の通りでしょう。

 

よってかつては墓石といえばその「不退転」(=弥勒におなじ)の語を刻んだのでした。

ただしその決定事項(「同じ・・・」)とは釈迦入滅の「56億7千万年後」にそれが実現するといいますので果てしない未来の事を言っているのです。

 

よって「不退転」なる語を墓石に記さなくなったその理由は「弥勒とおなじでは遅すぎ、成仏するのは今・・・」だったと。

念仏して(「即得往生住不退転」となり)信心獲得したのだの宣言として「南無阿弥陀仏」や「倶会一処」が主流になったのでしょうね。

 

ただし弥勒菩薩の「今でしょ」説は歴史的に見て危うい部分がありました。

これは上記「即得往生住不退転」の阿弥陀仏への信心とは全く異にする「今」ですね。

 

何せ釈迦入滅後に相当のインターバルを置くとはいいながらも弥勒が出現してくれることは間違いないことなのですが、人は時代時代の困窮災難の時に「弥勒菩薩さえいてくれたら・・・」の希望を持ったものなのです。

人々はその出現に大いなる希望でもって現実の苦痛を逃れようとしたのです。

 

そこに来てその願望に応えようと「私こそ弥勒菩薩の化身です」の如くの怪しい輩が出ては消え出ては消えと名乗りをあげては人身を惑わし、各煽動を行ったといいます。

世に一向一揆という為政者反発集団行動が有名ですが、他の各一揆の主導的理念としてこの弥勒菩薩出現がバックボーンにあったとも推測されます。

 

よって御開祖親鸞聖人がその法縁経典の中にその弥勒菩薩の名を多く散りばめているのは当時の末端庶民へのその対照提示がいかに分かり易く親しみやすいことだったかを推測できます。やはり文殊菩薩の智慧と慈悲に続いて、その弥勒の別名の「慈氏菩薩」の通り、衆生は今享受したい「仏の慈悲」現出を熱望していたことがわかります。

 

さて、当尾(とうの)の路に「ミロクの辻」なる三叉路があります

奈良県から京都府に入ってスグという感じ。

これはその交差点近くにある通称「弥勒摩崖仏」があるからですね(場所はこちら)

この石仏は肉彫りではなく線刻。

経年もあってハッキリとはわかりにくいですね。

 

こちらの摩崖仏は笠置寺摩崖仏のコピーと言います。

ただしその時代も1274年、鎌倉期といいますから。

判読不能につき史料から。

願主は「永清」による造作とのことで彼の亡父の上生(往生)を願いつつまた当流でいう回向文「願似此功徳  平等施一切  同発菩提心  往生安楽国」的な事が記されているとのこと。

 

⑤近くの首無し石仏はおそらく廃仏毀釈の咎でしょう。

この細道を進めば当尾で浄瑠璃寺と並ぶ古寺、岩船寺に辿り着くようです。

⑨は阿弥陀経から。文殊菩薩と弥勒菩薩。

 

掲示板には弥勒菩薩を「如来」と記しています。

ということは「今、出現している」を示唆しているのでしょうが製作者の意図とは違うかもしれません。

 

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2019年

3月

23日

慈心の欠落 文殊師利般涅槃経 雨中野良犬と五輪塔

先日逝去された御年九十三歳の善知識の方へその法名に「慧」の文字を入れさせていただきました。

この文字は「智慧」の「慧」からということは言うまでありませんが「智慧」とは「物知り、知識とか利口、民度の高さ」のことをいう「知恵」とは違ってより高度でベストな仏的道理判断力のことをイメージします。

 

その智慧といえばやはり文殊菩薩がその代表ですね。

阿弥陀仏一向専念の坊主が「文殊菩薩?」とのご指摘を受けるかも知れませんので一応一言。

当方頻繁に読誦する極楽浄土の荘厳について語る阿弥陀経の冒頭に「文殊師利王子」が同座、登場していますね。

 

昨日は「他者への寛容さ」について日本の世界順位が九十位以下という数値に落ち込んでいる事を記しましたがこれは今の日本におけるすべてのネガティブ状況・・・人としての在り方・・・その歴史的劣化・変異・・・に日々触れている身としては大いに納得できると了解したところです。

 

ホントは私ども文化を育んできた仏教的思想の原点にたちかえるべきと声を挙げなくてはならないのですが一方この国は落ちるところまで落ちた方がイイ(というかどうなもならないところまで来ているという諦観)と思う面もあって何ともこの現状には歯がゆい思いがするばかりです。

自ら各ハードルを上げて何事にも勝手にもがき苦しんでいる日本人がいるわけですが・・・

 

以前寺に食べ物の提供を依頼する人が時々来られることを記しました。

突然来訪するその人にあたふたしながら品を搔き集めるやれやれ顔の奥方に対して私は「如来さんかも知れないよ」と言ったことがありますが、実はその手の「化身」の件、仏典にあります。

真宗の経典ではありませんが、それが「仏説文殊師利般涅槃経」です。

 

文殊師利王子(文殊菩薩)は自ら貧・窮、孤独・苦悩の民となり現世に現れる」ですね。

 

阿弥陀如来の化身でも別にかまわないのですが、「文殊菩薩の智慧」の作用を記しているのでしょう。

この仏典では他者を「救済する」それこそがすべてを「幸福にする」と言っているに違いないところです。

 

他者への思いやりであり配慮であり献身。

それが文殊経のすすめる「慈心」の養成です。

国連のその幸福度算出数値の多寡に影響を及ぼすその「他者への寛容さ」の低下こそ私たちの今の「慈心」の欠落なのでしょう。相手への思いやりについて「寄り添う」とはよく言われますがそれどころか文殊は「困窮する衆生として」・・・ですからね。

 

そしてまた「慈心」の発生により自らが「文殊」となるということですね。 

ということはその90位以下というのは明らかにこの日本に於ける仏教思想と仏教文化継承の衰退が顕著であると大騒ぎをしなくてはならないことかも知れません。

 

昨日記したあの地の「加茂青少年山の家」の稼働停止の件は残念でした。

あれだけの「日本人の心の故郷」を満喫できる環境にあってそれら「仏の智慧」の紹介とその心に誘導するという折角の装置が働いていないことはなんとも不幸な事です。

 

そちらから府道754号線に戻って「当尾」であまりにも著名な阿弥陀九体仏の浄瑠璃寺方向に進むと右側に古い墓地があります(場所はこちら)。

大振りの五輪塔が一対、あたかも「お迎え」されるような気がします。すると雨に濡れた痩せた野良犬が一匹現れました。

突然のことで驚きましたが私を威嚇する様子はなくむしろ怯えた様子でした。

 

柳生からこの辺りには春日山周辺から流れて野生化したのか本来の野生のものかはわかりませんが鹿を見ます。黒っぽい毛色の鹿にその日にも2頭遭遇していましたが、人っ子一人いない場所で動物とバッタリというのは身構えます。

 

私を見ての勝手に大慌ての挙動にこっちが逆に驚いてしまいます。まぁイノシシでなくて良かったというところですが。

ちなみに鹿は甲高い声で仲間に侵入者の存在を知らせます。

 

彼にはたまたま持っていた煎餅を置いていきましたが少々塩辛く余計なお世話だったかも。あまりに見すぼらしく彼の未来を案じてしまいましたがこれも逆に「お前もな・・・」とも感じるところ。

墓地には小さな物置があってそちらをねぐらにしていた可能性もありました。

静謐なひと時を邪魔してしまったのかも知れません。

考えてみれば純正の「野良犬」というのも珍しい遭遇でした。

 

その奥の藪の中にはこちらも今時滅多にお目に掛かれない土葬墓らしき墓地がありました。

雨天晴天かかわらずそちらを何気なしに歩くことは危険です。

下手をすれば踏み抜きますからね。

 

①画像が少々かわりだねの「文殊菩薩騎獅像」。文科相所有です。「獅子をのりもの」という形態を踏襲していますが獅子にはたて髪が描かれていずあたかも犬にまたがっているように見える文殊さんです。

 

 

 

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2019年

3月

22日

摩崖仏(阿弥陀)が川向こうにあるのは お彼岸だから

発表された日本人の幸福度ランキング(58位-G7中ビリ)ほか女性の社会進出に関しても、みっともない話で非常に低い数値が出現していました。

「幸福度」の中のカテゴリー「他者への寛容性」のランキングとなると92位。酷い世の中になったものです。

 

半面日本の「ギャンブル大国」振りについてはアメリカの博打屋(カジノIR会社)からは「雨の如く円が降り注ぐ」などと垂涎ものの如く高評価がありますね。

 

その根拠はラスベガスの粗利8300億円に対して日本の博打場トップのパチンコ業界だと、こちらは売上ですが19兆超え、他の色々の公営施設の売り上げ5兆円が加わると、すべてのバクチで24兆円のカネが飛び交っているということです。

要は博打天国なのですね。

だから所詮「自己責任」ということにして大いにバクチ「やりましょう」と進んでいるのがIR法。

 

トランプの後ろ盾になっているといわれる大手の博打屋(カジノ王)が日本に進出してのひと儲けを企んでいるわけですね。

よって当国のその推進者はトランプの飼い犬たちといっても過言ではないかも。

 

「カジノ税」と称するアガリは国と自治体が30%(15%ずつの折半)で黙っていればそれだけの収益が転がり込んでくるという算段です。

また7割がカジノ業者側の懐に入るというワケですがその経営も許可権者もそちらに赴くギャンブラーたちもみんなが「甘い汁」を吸おうというのがIRで世間にその「一攫千金」の風潮が流布していくというのは困りますね。

社会が荒んでくることは間違いないでしょう。銭の病の重篤化です。

 

「ぜにのないやつぁ俺んとこへこい 俺もないけど・・・」の植木等の歌詞が懐かしく思います。昔の日本人にはそんなギスギス感はなかったような。

今は各「甘い汁」を吸うことばかり思考しているようですが、まぁそれはプラス、有意の志向というものですね。

しかしそもそもその一番に「甘い汁」というか射幸心を煽られて入場したギャンブラーの皆さんですが大抵が大損させられることになります。それだけは決定事項。

 

勝つのは胴元と誘致したノーリスクの自治体に国ですね。

しかしそのプラス効果とおそらくその「プラス」も相殺されてしまって効果という面で意味がなかったと落胆する結末が推測できます。

 

ギャンブラーの損失によるその人物と家族の崩壊は勿論、IRと関連施設の集中があれば既存の地域消費が衰退し収益が減ることになりますね。

どこかの収益が上がればどちらかが下がることはシーソーの如くです。

そうなれば当然に雇用も失われますから、IRによる雇用の拡大の算段も±ゼロ。

 

ギャンブル依存症に対する対応というか社会全体が負担していくコストも大いに覚悟していかなくてはなりません。

「病」となれば病院に行かなくてはなりませんからね。

 

ということでIRにバラ色の収益源を期待するのはムリのような気が・・・。

収益源は外国人客2割として8割が日本人の来場を期待しているのですね(ギャンブル大国25兆円のおこぼれを吸い上げようという魂胆は前述した通り)。

日本人の貯蓄率の高いところを狙っていることはいうまでもないところ。それを吐き出させるのが魂胆。

他の消費に回るべきおカネが「あっち」に回れば「こっち」は当然に減って成り立たなくなりますので全体の経済効果の観点からしてもチャラになるはずです。

 

マイナス面の方も考慮していないというのが今回のIR無理強いでした。全部失敗したら荒涼とした人のいない焼け野原が見られるのかも。

 

さて、先日記した「摩崖仏が川沿いにあるのは・・・」の続き。

そちらでは川による浸食によって露出した岩盤が出やすいのだ、ということを記しましたが本日は「川沿い」ではなく「川向う」です。

 

その際記した北出磨崖仏」などまさに私の立ち位置から見て「川向う」でした。

 

ちょっとその前にその際私の感ずるところの「摩崖仏の仏」について「地蔵が6阿弥陀が3他の仏が1」などとざっと記したわけですがその件、結構にいい加減であることはいつもの通り。

 

だいたい「石仏」=「地蔵」という感覚があるのですから。

よってそのイメージが各地方での伝承に影響して現在の石仏・摩崖仏の名称に一律に「地蔵」と名称が記されたりしています。

 

厳密に言えば「地蔵」とは「地蔵菩薩」であって仏典根拠による修行者(菩薩)の名ですね。他にもたくさんの仏たち、如来もある中、それら石仏を一緒くたに「お地蔵さん」なる呼び名でもって表すことも承知しています。

また地蔵といえば六体セット(六地蔵)の場合も多く見られ(特に人の目にする場所に多し)石仏含め摩崖仏系といえばやはり「地蔵」の存在の圧倒感は致し方ないところてす。

 

しかし要は「阿弥陀仏」であっても地元では「地蔵」名称を継承していることもあるということでそうなると親切にも地図に落とされている時などもやはり「地蔵」のまま。

よってその割合も結構に逼迫してくる(4-3くらいに)かも知れません。

 

その阿弥陀仏の摩崖仏が川の向こう岸(と感ずる場)にあるのは製作者が「二河白道」のストーリーを意識していたということでしょうか。

「こっち」(此岸)からはお釈迦さんが「行け」で「あっち」(彼岸)からは阿弥陀さんが「来い」の現場を再現しようというものですね。

 

しかし良好なキャンバス(岩盤)が露出している場所限定となりますのでそれはあくまでも製作者の意識。

また、傾向としては阿弥陀さんがいる場所は「西」というのがまぁ「お決まり」のパターンではあります。

中には「無頓着?」と思わせるものもありますのでそれらがすべてではないということは付け加えなければなりません。

 

そして三途の川の渡賃は六文(銭)と言われていますが「白い道」の渡りに必要なのは阿弥陀さんの声に応える「信心」だけです。

 

画像は通称「大門の仏谷」(場所はこちら)。

こちらの字名「仏谷」だけに阿弥陀さん摩崖仏は川ではなく「谷向こう」におわします。向こう岸のイメージは踏襲です。

こちらは座像で2.5mと大身ですね。

あたかも「こっちへ来い」の様相でしたが、ここの道は地元車両しか通行しないような山路。

停車する場所もなくあの時は降雨だったため如来の足元まで行くことは遠慮させていただき対岸にて合掌。

そのあと車を切り返すために前進しましたが戻るのにかなり苦労しました。

 

この仏谷への目標は「加茂青少年山の家」という京都府の施設。地元ではただ「山の家」と呼ばれています。

この呼び名はいわゆる「海の家」に対するもので宿泊施設もあったようですが、既に閉鎖されています。

 

このような自然と歴史の豊かに溢れる地で子供達を遊ばせ、それを肌に触れ感じさせるは有意義なことなのですが「需要がない」ということ、当初の目論見も外れたのでしょうね。

まったくもって痛ましく寂しいことです。

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2019年

3月

21日

三匝 時計回りに三度回って敬意を表す 菊池五山

先日「恐ろしいサイトがある」とある事情通から知らされクリックして驚いたのが「破産者マップ」。

昨日あたりには完全閉鎖に追い込まれて今は閲覧できませんがハッキリ言って凄かったです。

 

ここ数年の間に自己破産した個人(会社経営の場合は会社名)の氏名、住所をGoogleマップ上に赤色ポイントで落とし込みしたものです。経営者家族全員の名が出ていたり個人経営の会社の辛辣を垣間見た思いです。

閲覧者はそれをクリックして検索するという凄いシステムです。日本中のその夥しい数の「破産者」を網羅していましたからね。

 

そもそも破産宣告者は官報に掲載されますのでこのサイトがプライバシーの侵害にあたるかどうかはわかりません。

ただし個々の社会生活の中、周囲にコッソリとその手続きをして借金をチャラにできるシステムですから突然今回のような利便このうえない破産者検索サイトが立ち上がるということは破産者にとっては相当キツイことでおそらくそれを見た破産者は顔面蒼白になったでしょうね。

 

興味本位で閲覧した人もあって一時は1時間に230万アクセスがあったといい、そこで強烈な数の削除依頼も同時に起こったそうです。

破産者にとってそのようなサイトがあるとなれば真っ先に確認するはずですからね。

 

 

私はかつて父母たちと小田原の賃貸マンションにて暮らしていました。父母が相良に戻ってからは私と奥方がそのままその部屋に住んだのですが、当初奥方が入ったばかりの頃、大家さんの奥さんが立ち寄った父親に「貴方の息子さんが女を連れ込んでいます(何とかしてくれ・・・)」とクレームをつけたことがあったといいます。

これは語り草になっていましたが父親は「それは嫁ですが何か・・・?」というと「グーの音も出なかった」といいます。

 

またその部屋の入口に燕が営巣したとき、それを取り払った者が居たため私はガッカリして大家さんの奥さんに「そういう人がいます」とその無残について報告をしたことがありました。

その際は「ああそうですか・・・」とあしらわれましたが、お隣さんが言うには「なぁにアレはあの人(大家の奥さん)が取り払ったんだよ」と。

ご近所井戸端話も怖いですね。みんな耳に入ってしまうのです。

私の事だと思いますが燕の巣の件での私のクレームについて「民度が低い家族」と陰で語っていたそう。

まぁそのころの私は(今とそう変わりませんが)チンピラ風情に感じられたかも知れません。

私の民度の低さはさて置いて燕の新居撤去とは関係ないことと思ったものでした。

 

神奈川県小田原市から横浜と旧来住んだ辺り(というかそこしか知っている人はいないので)を何気なくクリックしました。

「へ~え」と思ったのはその大家さんの名があって驚愕しましたね。

その驚きを叔父に知らせれば「『不動産で飛ぶ』人は結構多いよ」と言っていましたがその理由は推測にすぎません。

 

奥の墓道氏も同じマンションの「上の階の人の氏名があった」と驚いていましたが本当に身近なところに破産者はいるということです。

まぁその「破産宣告」は一方、借金から逃れられるための合法的でかつ最終手段ではありますが、ある意味その「借金をチャラにできる」という社会通念上一般的常識から逸脱したシステムの恩恵を受けるということですのである意味ペナルティ的に名を晒される事はやむを得ないことかとも思いますが。

これは借金を踏み倒されて困窮する方も存在するということですし、ひょっとして連帯責任で負債を被る人も居たりしますからね。まぁ連帯責任で破産宣告に至る方も存在することも承知していますが。

 

それは「頑張りすぎて堪えすぎて」でも抗えないその行く末であって私ども寺の「経営」もいつ破綻するかわからない環境。

いつ「飛んで」(夜逃げ)も不思議はないということでしょう。

その前、一足先に「あちら」(彼岸)に行って永劫の安楽を決め込むとしましょう。

 

 

さて、布施家に伝わるお軸を勝手に掲載。

 

「菊池五山」です。

 

荒山野水寒三匝棘籬茅舎春一梢

 

翠幙繍箇新冠春渓雲微々舊精神 

 

荒れた山野水寒し

三匝棘籬(きょくり)茅舎に春一梢

棘籬  いばらのかきね茅舎:粗末な家

翠幕のぬいもの(美しい青系衣服)

箇(これ)新冠春(あたらしくかぶるはる)

※渓雲 谷間からたちのぼる雲微々

※かすかに舊精神 旧来(昔)の心

 

春らしい漢詩です。

特に青系の衣類に袖を通すことが春のイメージとは・・・青々と言う感じになると「初夏」なのでしょうが・・・

私も大好きな色で年がら年中それを着ていますが、ということはいつも「おめでたい」ということでしょうか。

 

ここで「三匝」なる語が登場しました。

右肩を礼拝の対象に向けて(右回りに)三周する儀礼作法のことです。

当流でには「三匝の鈴」(さそうのりん)という鈴の打ち上げ下げを言ってそのことの方が身近ではあります。

よってここでいう「三匝」の「ぐるぐる周回作法」はありませんがこれは永観堂の見返り阿弥陀を思い起こします。

 

阿弥陀仏須弥壇の周囲を称名しながらグルグルと行道するわけですが阿弥陀さんが横を振り向いて「永観遅し」でした。

まぁ永観の場合は1万遍のお念仏ですから「三匝」なんてものではなかったでしょうが。

「右繞三匝」(うにょうさんそう)なる語があってそれが「右回りに三周」することです。

盆踊りもその名残でしょうね。

それを逆に回ることをよく「左巻き」と言うのですが人とは違う変わり者のことを揶揄する語です。

まさか世間様は「逆回り」を「民度が低い」とまでは罵倒しないでしょう。

 

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2019年

3月

20日

どうでもイイとは思うもののこれも 3-5-7

先日お彼岸のあげ経に先方ご自宅にうかがった際、施主の仕事が「庭師」ということがわかりました。

「外の仕事」であることは承知していましたがその内容まで伺ったのは初めてで私もつい話が盛り上がってしまいました。

 

その際は先日関西で起こった件、焚き木にしようと他人様の木を伐採したものの、対面に走る電車の架線に誤って倒してしまったニュースを引き合いにして、「私のチェーンソー捌き」はじめ木の倒し方、チェーンソーの管理について大いに語り合っていました。

 

木の上でも取り回しやすい日本製の小型エンジンチェーンソーについてそれぞれのおすすめの機種、操作性、アイドリングはしっかり、そしてマイチェーンソーは絶対に人に貸さないというところですね。

 

この道具も世にいう「バッタもん」の如くのどこかのお国製品で格安のものがありますが、ハッキリ言ってそれは「使い捨て」になりますね。

他の電動工具等にもいえますが日本製の名だたるメーカーの品物はやはり安心して使えます。これは「安物買いの銭失い」を重ねた結果、行きついた判断です。

木の上でエンジンが突然止まるのが一番にイラっとくるところですからね。

 

先日は約1年ぶりに~家族で木を切ってロープワークと落としどころを誤って墓石を傷つけてから以来~にチェーンソーを持ち出しましたが難なく始動できました。

あのときの使用後は確りと清掃し、注油、ラップフィルムでぐるぐるに撒いて片付けていましたがこれは国産メーカーならではでしょうね。

ストレスが少ない、信頼性は他に望めません。

 

さて、植木の剪定と庭石の設置について。

「くだらない」とご指摘を受けそうですが「3-5-7」ルールがあるのでした。

たとえば枝の葉を何枚残すかという点でいえば「3枚か5枚」ですね。

踏み石ステップの数はといえばやはり「3個-5個-7個」。

「2-4-6」ではダメなのです。とにかく「奇数」にしろということですがまぁ無根拠な伝承でしょう。

 

陰陽道などからの因縁でしょうがその件歯牙にもかけない私ではありますがやはり剪定と造園の基本として奇数ルールを意識する傾向はあります。

他にも「七五三」を祝ったり「割り切れてはいけない」など偶数を嫌うものもとかくこじつける件、聞いたことがありますが私は基本的にどうでもいいことと思っていますが・・・。

 

しかしそして一番にコレは絶対にありえないというのは層塔の件。

昨日の「ニヤリ」したのはその件がありました。

層数の偶数はナイということ。

こればっかしは偶数はナイ。

三重塔・五重塔・七重塔・・・・十三重などのように。

 

画像は京都木津川。

奈良に近い加茂町の「当尾(とうの)」の藪の中にて。

こちらは層塔の残欠で、たまたま四層が残っているということでしょうね。

近くに宝珠のパーツが転がっています。

層塔の場合はトップに相輪と宝珠の構成となりますがこちらは五輪塔の宝珠のような気がします・・・バランスが少し悪いですからね。

 

層塔はやはり崩壊しやすく管理者が居ない場合、断片化してしまうことが多いようです。

特に相輪部分の欠落はどうしてもありますね。

下に転がっているそれをよく見かけます。

 

まぁ数百年もの間美しい層塔の体を保っていることか奇特なことですね。

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2019年

3月

19日

摩崖仏が川沿いにあるのは 石が露出しているから

仏像泥棒ほか、他人さんのものをくすねて自分の所有物にしたり売り払ったり、また最近の流行りはオレオレ強盗などの無茶もエスカレートの傾向、やれやれです。

そういうことで私がこればっかりは仏像泥も絶対に「かっぱらい」はできないだろうと思うのが摩崖仏。当たり前か・・・

 

摩崖仏は自然石に掘った仏の肉彫り・レリーフのことですがさすがに、お持ち帰りはできない代物。

笠置山などにある巨大なものはハナからそのような暴挙は考えつかないでしょうが摩崖仏はごく小さめのものもありますのでもしかするとその石を削ってでも手に入れたいという輩もいるかも知れませんね。何が起こっても不思議がないという時代です。

なにせ摩崖仏は年代が平安時代かそれ以前のものもあって場合によっては製昨年まで彫られているものもありますからね。

まぁ趣味的な所有願望のみとなりますが・・・

 

ただしこればっかりは出所がわからないと無価値。またそもそもうまく切り取らなくてはなりませんからね。まぁ台無しにするでしょう。

要は自分自身が石工となって何もないところから掘り出した方が早いくらいです。

 

さて笠置から奈良柳生寄りの阿対の摩崖仏も奈良下狭川の摩崖仏も川の近くにありました。

よって摩崖仏にあう散策の地はまず川のせせらぎが耳に残る場所となります。

 

その理由は断崖は川が削って作り岩盤を侵食させて露出させるからですね。

石工というか修行者にとってそれが絶好のキャンパスとなるのです。

 

私が感ずるところ摩崖仏の仏は地蔵が6阿弥陀が3他の仏が1のようなところですが、やはり私の「ほっこり感」は阿弥陀さん。

どちらの仏にも南無阿弥陀仏の称名というのは同じですが、やはりそれは阿弥陀さんが一番しっくりきますからね。

 

北阪原公民館裏の石塔(場所はこちら)に目が留まってから私が車を停めたのがこの阿弥陀仏との出会い。地図には「北出磨崖仏」なる名称が記されていました。

 

公民館裏の石塔はひょっとすると当初は立派な層塔だったのかも。石塔の笠の大中小をただ重ねたものでしょうが、バラバラになって出てきたら「集会所ウラにでも置いてけ」になってしまうのかも知れません。

ニヤリとしながら車に戻る手前、川の対岸を見て思わず声をあげてしまいました。

 

まるで声なき声に呼び止められた思いがしましたが、水のせせらぎの音がまた「顔を洗え 心も忘れるな」とも。

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2019年

3月

18日

横知 慈眼寺覆堂の五輪塔

先日舞い込んだ訃報。

この方は数えの九十三歳で大正生まれと私とは年齢が離れますがよく存じ上げている方です。

その年齢を聞いていつ逝去されても不思議はなかったのだとは思うもののお元気にして気さくにしたあの頃の情景を思い出していよいよ寂しい思いがしました。

 

特にあと少々で元号が変わるというところで命の終焉を迎えたことに少々の残念さを感じるところですが、その件あくまでも生きているものの勝手な願望。

混乱の時代に生まれ戦時下の窮乏を遠州の海と空気の下、生き抜いて与えられた一生を全うした姿に敬意を表したいものです。

 

さて私が菊川、掛川、浜松など遠州西部に向かう時必ずといって通るのが横地。

横地には全国に散らばった「横地」の会のようなものがあると聞いたことがあります。

では牧之原市勝間田あたりでも「勝間田会」のようなイベントを主催してみんなで遊んじゃおう的企画などできないものかと思ったのでした。

 

遠州勝間田は勝田、勝俣、勝又、勝股、勝亦・・・等々カツマタの発祥の地と言われている場所ですからね。

この手の事はやはり地元勝間田の人たちが旗を振って走らなくてはなりませんのでおまかせすることとしましょう。

 

その横地の横地城の南麓に慈眼寺というお寺があります(場所はこちら)。

そちらには比較的新しく作られた覆堂があって少々の石塔が並べられています。

他の横地城周辺に点在する石塔墓塔との関連はわかりませんが、室町期以前の五輪塔他残欠ですね。

風雨をしのげる堂を建ててもらって「有難い」と言わんばかり。世の中には雨ざらし放置など当たり前ですからね。 

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2019年

3月

17日

田沼意次の財政経済政策 藤田覚先生

庫裏のあまりの寒さに耐えきれず、「今年はおしまい」宣言をしたはずの灯油を注文してしまいました。

雨予想もありましたが、昨日は朝からいいお天気。

外を歩けばポカポカ、車に乗り込めば「暑い」と思うくらいの陽気でしたが庫裏や本堂の中はといえば体感3℃は低いような。

「毎年余らせる」ので足りないくらいが丁度いいとは奥方が主張しますが、私は「我慢したくない」と暖かな庫裏環境を望んだのでした。

本当にあと少しの我慢のしどころなのですがね。

 

さて、午前が相良庁舎脇の史料館での史跡研究会の会合。

そして午後が法事でした。

法事参集の皆さんには「どうぞコートや上着、マフラーはそのままで・・・」と添えておきました。

大型ストーブ2台稼働で「やっとこさと」いう感じでしたね。勿論内陣にいる私は発声による「運動」で温かくなりますのでストーブ無しでOKですが、参拝者の事を考えるとますます1~2月の法事はやめようと思うばかりです。

しかし今でさえ3月下旬以降法事が重なってしまうのもスケジュール的に辛いですね。

 

午前の会合では「相良海老」刊行についての概略説明がありました。予算が通過して200部程度を考えているそうですが、私は「少々少ないのでは・・・」という疑問を。

会長に一任していますが、「飛ぶように売れる」といった品ではないというのがその理由。

まぁ一理ありますが、300冊くらいが落としどころではないかと。

 

また、「講演会行く?」のお誘いがありました。

時間さえ合えば人の話を聞くことは好きなのでなにかを問えば藤田覚先生の講演会でした。

しかし会場と時間を知って引いてしまいました。

 

江戸歴史講座 第59回 田沼意次の財政経済政策

 

講師 藤田 覚 氏(東京大学名誉教授)

会場 日比谷図書文化館(こちら)

    地下1階 日比谷コンベンションホール(大ホール)

日時 2019年4月18日(木曜日) 午後7時~午後8時30分

 

悩ましいところです。

 

 

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2019年

3月

16日

裏打ち依頼し自前額装 超難解小島蕉園の手紙 

前夜からの冬が舞い戻ったかと思えるような冷え込みも夜が明ければいいお天気で気温も春なみ。

この日は懸案の巻物の額をDIYしました。

そもそもボロの虫食い掛け軸や文書のうちコレというものは表具師に依頼し修復して新しく軸装しますが、横長のものはイケませんね。

縦型のオーソドックスな掛軸や屏風、襖の類はいつもの表具屋さんでの仕事ですが、その横長のものいわゆる「巻物」に関しては別の職人の仕事なのです。

 

以前依頼した際は他所のそのスジの人に別注でしたので、今回は「裏打ちだけ」ということでお願いしていました。

時間もかかるし諸経費も嵩みますからね。

 

ということで裏打ちが完成したそれをどうするかということですが、結局自分で額を作ることにしたのです。

額と言っても超出鱈目、透明のテーブルクロスを表面に材木を切り貼りしたヤッツケ仕事です。

 

だいたい横1m30㎝×縦30㎝の額など特注でも無いかも知れませんので金額どうこう以前の問題ですね。

ちなみに今ある材を使用しましたので材料費は1000円もかかりませんでした。

 

さて、その文書(上記画像)ですが、いたって読みにくく内容も難解です。

「蕉園渉筆」の場合は各項比較的短文であるということと不特定多数の目に触れる事を思料しての記述だったのか案外と分かり易いものがありますので、この句読点、間隔ナシの漢字の羅列のうえに私どもが見たこともないような蕉園の感動話ですからね。ピンとくるものが無いのです。

 

早速いつものように叔父にこの文書の解読を依頼しました。

すでにプロのレベルに近い叔父にしてもこの解読には3日ほどかかったようです。

 

まず冒頭の四行に「ワケわからん」状態になりますが、これはこの文書の蕉園の結論が記されているのです。

これは「なおなお書き」(尚々書)と呼ばれるもので普通に記せば「追伸」です。

何故に冒頭かといえば書面の都合上、今から記す文書の終いがわからない場合など、冒頭の数行分余白を空けて書き始めるというのが一つのならいだったようで、要は書ききれなくなった場合の締めの部分を予め開けておくというもの。

案の定紙面が足りなくなって冒頭に書き添えたのがそれで、それが「尚々~」であることを了解してもらうために列を下げています。

よって読み始めは五行目からですね。

 

原文

  得江戸信近一奇工以全竹

  象人物及禽獣草木之

  類供都人士之覧云附

  所刊行図乃就図戯詩之

 

往年江都叡岳傍假屋構

成観物場竹籠極工象百品