2021年

5月

17日

正座 足の痺れ人様転倒笑えず 裾乱れの不様

この期にあっての梅雨入りとは・・・早すぎ・・・

五月といえば何と言っても「五月晴れ」をイメージしますからね。例年でいえばGW直後のこの頃といえば晴れが続いていましたし、それを見込んでまともな年(コロナ蔓延でない)ならばこの月の中旬に拙寺バス遠足が催されていたほどです。

 

青い空、清々しい空気と緑の野山の情景への思いが一気に吹っ飛んでしまいました。

それでいて早めの梅雨明けを期待したいところですが、そうは問屋が卸さない。そのアケは「例年通り」が予想されているようです。今年はまだ半分も過ぎていないのですがまったく「踏んだり蹴ったり」の一年になりそう。

 

だいたい今月末から始めるといわれる会館の取り壊し作業ですが、まだ中身の移動や処理が進んでいません。

こちらにため込んでいた古文書類の整理もその作業にありますが、あの仕事は晴天の境内に広げてのんびりと行うのが一番と心得ていましたのでこれではいよいよ「尻に火」の様相。

ここまで押してしまったのは・・・自分の責任。

 

ちなみに古文書整理というか当初それらを土蔵から引き釣り出した際、奥方と二人で肺炎にかかって通院するハメになりましたので、次回の古い文書類の片付けは「紫外線の下」と決めていました。

コロナのウィルスもそのようですが、あ奴ら含め、「よどみ」の空間が大好きの様。人間でも悪質な種と言われる人たちは風通しの悪い場所(夜の密室等)で悪事を巡らすようで。

フルオープン、明るい空の薫風吹きっさらしに吊るす・・・それが最良の策。

 

先日はメールにて紹介された資料から「小笠原流の騎射の名人」大草高重について記しましたが、そのK氏より追加の情報を提供いただきました。

「流鏑馬射手として『十六騎』の記録がありますが、牧之原からは大草高重氏以下、山名時富氏、小島勝直氏の三騎が出場しています。特に大草高重氏(当時52歳だったはず)は、以下のことから『一之射手』(最初に出走する重要な射手)であったことが推測されます。

・「風俗画報」の射手一覧で冒頭に氏名が記載されている。

・大草氏自身の書状に、小笠原流で一之射手が出走前に行う所作

 「揚扇」(あげおうぎ)をしたという記載が見られる。」

 

幕末から明治の牧之原台地には大草高重は勿論中條景昭に今井信郎などなど大河ドラマに採用されるに相応しい人々が数多いたということです。

 

さて、昨晩は長野県から訃報がありました。

長野上田といえば違う意味で興味ある場所で「今ならそちらは穴場」とは思うものの今回の訃報は複雑、亡くなった方は東京の従妹の件。

14日の逝去につき上京し昨日火葬したとのことでした。

16日は友引でしたが東京の火葬場は忙しく、月一で友引でも稼働しているようです。

 

意味不明たる「友引」を強調しますが、要は火葬場の閉館を兼ねたメンテナンスと業務員の休業日ですね。

それを開けなければならないほど火葬場が逼迫しているというのはまさか・・・コロナのせいではありませんよね。

インドのガンジス川を連想した次第です。

 

逝去された方はもと相良から九州熊本に。

市内で飲食店を構えていた方でかなり以前から(熊本城が震災で壊れる前から)その城の勇姿について私と盛り上がるなどお付き合いをさせていただいた方です。

墓参の際には熊本の高価な焼酎を持参されていたことは特に思い出します。

数週間前にその長野から、その方が独り暮らしのところ脳梗塞で倒れていたところを発見され、危篤であることを知らされていました。よって私もすぐにその後の件、了解させていただきました。

 

火葬場では俗名にて簡単ながら真宗の僧侶を呼んで読経していただいたといいます。

遺骨は東京より長野に持ち戻り拙寺納骨まで厚く弔うとのことでした。

 

私が毎度「私の事」として警戒する「独居のうえ脳溢血」「しばらくして発見」の流れ。身につまされるところです。

子供など近親者がいなくとも親しくしている縁者が遠い所からでもケアする人がいたことにより、死することは変わりないにしろ無残な状況だけは避けられたことは一つの仕合せであり良縁でした。

この件も「有難い」ことなのです。

 

以前もこの「ありがとう」の件、何度か拙ブログでも記したことがありましたが、この言葉を「商売等売買成就の返礼」であるとその意のみと誤解している方たちが数多いて、坊さんが布施を頂いて、香典の弔意返礼を頂いてなどなど厳かな場所では「相応しくない」などと注進されたことさえあるほどでした。

血相変えたかどうか忘れましたがこの語は「有難う」「有難し」の通り「あることが難しいことである」ことを表明することであり謙虚さを匂わし、また「縁」を感じさせるものですから私はその語は今後も「連発する」と断言したものでした。

 

その人の培ってきたイメージというものは時に違和感として醸成しその意に反している様にどうしても一言いいたくなることはわかりますがね。

特に前回の大河ドラマでかなりの違和感としてあったのでは・・・と思うのが、帰蝶の立膝姿。

小和田先生が以前の「風と雲と虹と」の吉永小百合に当初その立膝座りをしてもらったら(当時のNHKの脚本)相当のクレームの電話があってそれをやめることになったという経緯に触れていました。

 

「正座だろ」この野郎!!と言ったかどうか知りませんが、それはその人のイメージですね。却って恥をかきます。

 

その立膝は古くから高貴な者の待機姿勢としてはそれこそが「当たり前」(しばしば前述の「有難う」の反対語と)のこと。

 

そもそも着物での正座はムリがあるというのが常識なのですね。着物の重ね着の場合は「中の足」のカタチについて表に見えませんからその崩し方も(胡坐・・・)その人のやり方があるでしょう。

 

坊さんの着衣も曲録への着座をに関しては裾を気にしなくて済みますが正座となるとその後、立ち上がった時が面倒ですね。

まったく不様の躰と成り果てています。

着物での正座はそもそもそれこそが違和感なのです。

しかし今、私には仏前で胡坐をかいて念仏する度胸はありませんので、正座をするワケです。

立膝もそれを持続するのは意外と辛いものがありますので今のところ「正座でいいや・・・」というところ。

 

他宗大法要に参列の際見た僧侶の転倒や、正座に慣れない若者のそれはまさに他人ごとではありませんし、笑えません。

正座はやはり現状「当たり前」であって今更「それは違う」などと言い出せるものでなく。堪忍堪忍。

 

①長尾政景と仙桃院。②③高台院 寧々。

小和田哲男先生のユ―チューブにも立膝座りの解説があります。

 

 

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2021年

5月

16日

清貧痩せ型真面目な念仏者 持ち物ナシ 一遍上人像 

昨日午前は大谷のホームランを見てから103歳で「枯れたように」(施主談)亡くなった方の枕経へ。

大谷ファン(拙寺は大谷派・・・ただそれが記したくて・・・)の私はその異次元のパワーをまたもこの目にした満足感に高揚した気持ちを抑えながら先方のお宅へ。

じっくりと故人の顔を拝し、やはりその秘めたパワーを感じました。

いつも私をニコニコと笑顔で迎えてくれたことを思い起こしながら感謝のお念仏。何と言っても大正七年生まれは驚愕以外何物もありません。

 

あの蓮如さんが「白骨の御文」で「たれか百年の形体をたもつべきや」の如くですからね。

もっともその語の前に「いまだ万歳の人身をうけたりという事をきかず 一生すぎやすし」を受けての記述ですからその「百」という数字に「百歳」という年齢としてその優位を記したわけではないことはわかりますが・・・。

 

しかしながらその「100年」という人生の積み重ねについて考えるとやはり「苦難の路」を想像します(苦界 堪忍)。

そういう時代を通してきたこともありますが、「そもそも」そういうものであると決まっているからです。私はその「枯れた」姿にこれぞ素晴らしい生き方であったのかとパワーを頂きました。

 

それから帰宅するとテレビから横浜のみなとみらい周辺がアスリートとともに映っていました。

トライアスロンの世界大会とのことでたくさんの外国人選手が招待されていたようです。

奥方が「よくもまぁ・・・」と呆れていましたがそれはあの薄汚い海を選手たちが建気に泳いでいるところ・・・を見て。

クロールで跳ね上がった水が茶色く染まっているのがよくわかります。

 

私どもはその地で長い間過ごしていますので、ここの水の汚物的腐敗臭についてはまさに嫌悪すべきものとよく承知しています。

地元の人間は傍らを散策してそれを楽しんだとしても絶対にあの海に入ろうなど言う酔狂はありえませんしまずその姿を見ることはないでしょう。

そこを何故に・・・ということになりますが、きっと組織のおエライさんがデスクに座ったまま「できるよ、いいよ・・・」程度に適当に決めたのでしょうね。

自身その水に浸ったこともない輩でしょう。

 

そこで一度伺ってみたいと思ったのはその水に入った選手のみなさんに、時に口にして飲み込んだ時の感想です。

うまいか不味いかのレポートですが、そんなところで今後も泳ぎたいものかどうかも聞いてみたいものです。

競技者も場所を選べないのは辛いこと。

以前にも記しましたが、あの競技だけは首都近郊、特に東京湾で開催するのは罪なことだと考えます。

国内トライアスロンといえばやっぱり宮古島でしょう。

横浜のみなとみらいをぐるぐる回ってその地を「紹介」したいという意図だけは伝わってきましたが選手たちは「たまったもんじゃない」ような。気の毒すぎ。

 

まさに「身を捨ててこそ」の強いハートを思います。

私にはそんな割り切りは到底できませんね。

以前でしたら「落水者でもいたら」(助けに飛び込めるか・・・)などと少々考えたこともありましたが、それでもそんな時はやはり躊躇してその場を離れたくなる場所でした。

 

「捨ててこそ」、拙ブログでもそのフレーズを好んで使用していますが、それはどこかでそれを勢い余って「座右の銘」と記したからですね。

好みの言葉でありますし空也~一遍そして当流にも親鸞聖人へもその思想は伝わっていると思います。

ただし真宗ではその「捨ててこそ」は私のような煩悩具足の凡夫にとって鋭く迫って来ませんし、そもそも捨てきれるものではないと、わかりやすく「こだわらない」「ありのままに」と言葉を変化させて伝わっているかと。

どちらも大事にしたい語です。

 

画像は清浄光寺本堂前の一遍上人像。

持ち物は何もなし、まさに真摯な清貧、痩せ型のスタイルに合掌の形。これを見ただけでもその「捨てきれていない私」を思うワケです。

 

 

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2021年

5月

15日

長門守の陰謀 堪忍は娑婆 百戦百勝は忍に如かず

緊急事態宣言だか蔓延防止だかよく理解していない私が言うのも何ですが、昨日その「緊急」の方の宣言が追加して出されていましたね。

昨日記した北海道、そして広島と岡山の追加だそうです。

ガースーは当初、それらも蔓延防止措置ということで決めていたそうですが、分科会の諮問を通してからその3つの地域を緊急宣言に変更したとのこと。

 

分科会の諮問では蔓延防止という形式を通そうとする最初の案への賛成者は1名きりだったといいます。

反対者多数につき、ここへ来てそれを強行したらマズいと思ったのでしょう、これまでなかったようなこの直前変更があったのでした。

分科会の当初反対したというテレビでもお馴染みになった方のコメントに「看過できない」のフレーズがありましたが爆笑ですね。

 

その「看過」とは単純に「見逃すことはできない」風にさらっと解釈しそうになりますが、この「看過できない」という語を聞くとウラに非難(時に侮蔑も)の気持ちを含めた極めて強い表現を思いますね。

特に不道徳、不法、滅裂、大矛盾、お下劣、破廉恥の類の者または事象に対してそういったレベルの者たちを監督する者がよく使用する文言のように感じます。

 

内閣が「こうしますよ・・・」とこれまで通りに形骸化した感のあった分科会に「諮問」したところ、その語句を使われて「蹴飛ばされた」ようなイメージを思ったのでした。

国のやることに対して「看過できない」と言われてしまうことに「どれだけ野放図で間抜けなんだよ・・・」を思わせました。

堪忍袋の緒が切れたところで、それを見てその三カ所を急遽咄嗟に「宣言」に入れることを思い立ったのでしょう。

ただしそうしたところで果たしてどう変わるものか・・・

 

さて、「堪忍袋」とは人の度量を表す語です。

その「容量」が一杯に、はちきれんばかりにため込まれそれを縛る緒が「ブチっと」切れてしまうという比喩です。

「堪忍」というと「怒りを抑え、人の過ちを許すこと」の意ではありますが少々古風な言葉のよう、最近はその使用を前述の「袋」以外、あまり聞かなくなってしまいました。

諺にも「ならぬ堪忍、するが堪忍」などあってそれをあげてお説教された覚えはありますが・・・

ただしそれは私の場合は頻繁に使用する語ではあります。

それは堪忍を懇願する機会、立場が多くなったからですね。

 

梯子から落ちて数多迷惑をかけた人たちに堪忍、叔母にとって本意でない施設に入所させて堪忍、他者をうっかり言葉で傷つけてしまって堪忍、日々の失敗山積に奥方に堪忍、ネコの尻尾を踏んで堪忍・・・年がら年中堪忍していただいて生かされる私かいました。

その堪忍とはそもそも仏教からきた言葉で「娑婆」のことですね。

娑婆とは「苦界」であって堪忍そのものだということです。

大谷大学の木村宣彰氏のその短い解説の締めに沢庵和尚の言葉をあげていました。

「堪忍の二字、常に思ふべし。百戦百勝は、忍に如かず」~東海夜話~と。

「人類がこの世界で共に生きようとすれば、自分だけ勝ち続けようとするのではなく、堪忍が肝要と心得なくてはならない・・・」でした。

 

この「自分だけ勝つ」を見て、今各地市町の「長」さんたちが我先にワクチンを注射していたなど、耳を疑いたくなるような破廉恥醜態を思い浮かべました。

私は小学校頃は今よりずっと読書をしていましたが、それは特に太平洋戦争の戦記もののウェイトが高いものがありました。

どうすれば「戦いに負けるか・・・」を子供心に歯がゆいながら触れさせていただきましたがその時の海軍の「長」たるものの当たり前のマナーのようなものにその責の「大変さ」を思いました。

それが海に沈む我が艦船と生命を共にするというところ。

「全艦退避」の命を下し乗員がすべて海に飛び込んだあと、ブリッジに残ったまま船と沈んでいくという件です。

 

軍人的精神論を鼓舞するワケではありませんが、日本の海軍には統率にそういった無言の責任と、「背中を見せる」という気概がありましたね。

今の「長」たちは「真っ先に自分が救命胴衣を着けて逃げる・・・」そんな情景が思い浮かんできました。市民を捨てて・・・

「自分は確実に助かりたい」の保身表明ですし、それがバレたら赤っ恥であることがわからないのでしょうかね。

それでは誰も付いてくる人はいないでしょう。恥を恥と思わぬ首長とは・・・その市民も情けない。

 

何も「死ね」と言っているのではありません。

「長」として選ばれたのだから市民町民を第一に思料する施策を進めていただかないと。

 

さて、その堪忍ですが、歴史の中で「堪忍料」なる語を聞きます。

要は上に「立つ者の優しさ」をおカネで表明するもののこと。

配下の者が戦死や病没してその遺族への供養料から始まって江戸期には大身の大名の改易に伴う代替地や当面の生活の糧として幕府や為政者が提供する金をそう呼んでいました。

 

昨日は清浄光寺参道に酒井忠重が自らの供養のため生前に建立した六地蔵について記しましたがその地蔵たちの端に五輪塔があります。

そちらがその酒井忠重の墓と言われています。

看板にはその旨記されていて、エピタフにもその法名「光岳院殿従五位前長刕大守鏡誉宗円大居士」と「酒井忠重」の名も彫られていますが彼は「市川で横死」というのが通説で、この寺に「墓」があることについての確証がないから「言われている」となります。

 

何故ならその時の彼の身分としては「色々あった」その人生のうち終盤になってから、惨めなものに落ちぶれていたからですね。

彼が死して一体誰がそれをフォロー(葬儀、墓地建立)できたのか・・・

推測としてはこのお寺に多くの寄進をしたスポンサー的時期があって、悲惨を見るに見かねた寺院関係者が手を差し伸べたか。

多少の土地財産も残っていてそれを元手にしたかも知れません。

 

色々あったその酒井忠重(長門守)の人生については藤沢周平の「長門守の陰謀」という短編小説に詳しいのでご興味のある方はどうぞ。

小説としての演出、特にラストシーンの刺客の出現など際立っていますが、内容は著者が詳細にその史実を各方面からの文献を紐解いてから執筆しているようで、当時の状況がよくわかります。

 

これは時代劇でよく使用される「御家騒動」だとか「家督乗っ取り」のモデルともいえる事件でもあります。

「酒井家(庄内藩 松山藩 大山藩)からみる大名評判記」(和田雄介氏) の中の斎藤正一氏の「庄内記」から記させていただくと、「初代藩主酒井忠勝の弟長門守忠重が兄忠勝を寵直し、忠勝の世子忠当を廃し、自子九八郎を立てて御家乗取りを陰謀し、(忠当の)忠心を擁護する家老高力喜兵衛と対立し、長門守の讒訴によって喜兵衛は忠勝の逆鱗に触れ追放された事件」とカンタンに。

そして

「長門守は、幕府の小姓衆に属し、白岩8000石を給されていたが、苛政のため領民を困窮」させて一揆を起こされるなど為政者としてかなりのトラブルメーカーということ。

それを咎に改易にされた挙句兄の忠勝に取り入ってその庄内藩お家乗っ取りを画策して失敗したという顛末です。

 

当初の忠勝の子の世子の忠当(ただまさ)はその陰謀から逃れ無事に藩主2代目として継承することができたのはたまたま父の忠勝が亡くなったこともありますが何と言っても岳父の「知恵伊豆」(松平伊豆守)の存在と働きは大きいでしょう。

 

藩主継承を引き釣り降ろそうとする動きに対して忠当の嫁の父親の存在はデカすぎます。無理くりの強行は破綻しますね。

ちなみに忠当は彼からすれば長門守は大罪人となりますが、2万両という大金を彼に与えて縁を切っています。

これも一つの堪忍料というものでしょう。

 

娑婆世界、「百戦百勝は、忍に如かず」。ただ「忍」。

 

 

 

 

 

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2021年

5月

14日

遊行寺旧光岳院 酒井長門守 逆修六地蔵供養塔

緊急事態宣言を出して2週間が経ったそう。その宣言とマンボウだか何だかわからない措置指定がどうこう言われ出してからも相当の日数が経ちました。

ところが逆に感染者が増えているという現状はいやはや。

次の手はいったい何?というところです。

内心打つ手なしの無策を毎度の如く想像しますがね。

 

人口密集の大都市は相変わらず感染発症者高位を保ちつつ、それが周辺地方に拡散している様子が毎日夕方のニュースを見ていてわかります。昨日の北海道の712人は圧巻でした。

重傷者は過去最多の全国1214人。ICUに入っての治療となるのでしょうね。

私のその地のイメージは大雪山や釧路の湿原で、いわゆる大自然の山野を想像。

人口密度は少ないだろう・・・と思うところですが、やはりその広大な地でも都会となれば密集があるのでしょうね。

しかし、一歩立ち止まって考えれば、あのオリンピックのマラソンのテスト大会が開催されていましたね。

GWという緩み週間のうえ変異株を野放図に国内にいれた「水際対策」の欠陥が露呈したというところでしょう。北海道は国内有数の観光地でもありました。

 

当静岡県も昨日の感染者数は122名でしたから過去最多の127名(1月)オーバーは時間の問題かも知れません。

 

海外からは「オリンピックは中止して・・・」の声がいよいよ色々な方面からあがってきました。

昨日はアメリカの陸上競技の事前合宿がドタキャンになったというニュースがありましたが、驚くことはありません。

それこそが世界の常識なのですから。

「選手たちを危険にさらすワケにはいかない」・・・当然でしょう。どうしてそこのところがわからないのでしょうかね。

カネ儲けに目がくらむと人は空気を読めなくなることは歴史が証明しています。

六道輪廻する人々の煩悩の極み。

 

さて、清浄光寺(遊行寺)の長生院へ至る道の左右には石塔たちがお出迎えしてくれますが、その左側に六地蔵が。

墓場放浪ではこの六地蔵がつきもので珍しいものではありません。

墓地入り口、寺院山門前によく見かける整列で、しばしば覆堂(ふくどう)に納まっていることがあります(こちらは露出しています)。

看板には「逆修六地蔵供養塔」と。

板碑など逆襲塔(こちらまたはこちら)は数ある中、地蔵を六体とは・・・さすが有徳人。

 

 

萬治三年(1660)一月十五日に施主酒井長門守忠重が建立。

酒井長門守忠重は出羽鶴岡城主酒井忠勝の弟。

色々あった人ですね。

やっぱりカネで六道輪廻、地獄に堕ちちゃった・・・など言えば気の毒ですが。

 

 

 

 

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2021年

5月

13日

今年の静岡茶のデキはすこぶるイイ 宣伝ですぅ~

軽トラの車検については「早いとこやっちまおう」と奥方からの指摘がありました。それは良策と合点して午前中には工場に搬入しました。

ということで本日の境内雑用はナシ。

軽トラはオンボロですが私の雑用の御供であることは勿論、アオリを全開しての作業台でもありますからね。

先般まったく不動となっての修繕出費があって以来、奥方は新しい軽トラが欲しいとはいうものの私はそれには不賛同。

「乗り潰す」と断言しました。

 

そもそも出費がある話です。またキレイなものだとどうしても気を使ってしまいますから作業台(塗装台)としてフルに活用というわけにはいかなくなってしまいます。

ただし、中古購入の当初からあった燃料タンクのエアの詰まりとガチガチに硬いステアリングには毎度閉口させられます。

奥方は後者の件、パワステが欲しい・・・とボヤいていますので。

ちなみに前者はエアが抜けないため給油の際、スグにガソリンが溢れてしまいます。

よって次回はこのメーカーの軽トラは購入対象にありません。

 

昨日のニュースでソフトバンクグループの驚愕の純利益4.9兆円という数字を見せつけられたワケですが、孫社長はそれでも「満足していない」を強調していました。

もっとも巨額すぎてピンときませんがね。

 

愛知県の薬局の創業者ご夫婦がインチキをして列の後に付かず「お先にワクチン」をウラで画策、内部告発によって断念させられて「ごめんなさい」をしていた破廉恥千万のニュースも前日にありましたが、同じお金持ちでも孫社長くらいになるとそんなセコイことはしないのでしょうね。

ワクチン会社ごと買えばイイくらい。

 

その孫社長のフレーズ「満足していない」を聞いて思い出すのがストーンズのサティスファクションと当流無量寿経の中の「三誓偈」。

その曲は耳にタコで聞きまくった覚えがあります。

この偈文の方は単独でもしばしば拝読します。

何といっても「短い」というお気軽さがイイので。

その冒頭の部分が以下。

「我建超世願 必至無上道 斯願不満足 誓不成正覚~」

「斯願不満足」が光っています。

願とは阿弥陀の前身(法蔵菩薩)のときにたてた「願」でそれが「満足できない」ものだったとしたら・・・仏(阿弥陀)にならない・・・という誓いです。

孫さんはあたかも「仏」になろうとしているよう。

オリンピックを無理くり差配しようとするガースーを「神・仏」とも先日記しましたが孫氏の神格化には異議の余地ありませんがね。まぁ「カネ」に特化した「願」ではありますが。

 

一つ難を言えば人というものは往々にして「不満足」のまま一生を終わるものだから・・・

そして私の場合は結構に今を満足しています。

体中筋肉痛の如く痛みがあって肩が上がらなくても・・・

 

さて、昨日は軽トラを出したあと菊川から日坂方面に。

西方の畑の中を走っていると助手席の奥方が「目が合っちゃった」と①。少々戻って茶畑に目をやるとおそらく今年生まれたばかりといった感じのカモシカが。

こっちは道路だから危ないよ・・・という気持ちが通じたか狭い通路を反転して背後の山に帰って行きました。

 

山野には緑色が迫り鶯の絶妙の響き。そして空気もうまい

今年のお茶は10年振りの上出来だと。

あのお茶を頂いて満足いかないというのなら自然を冒涜しているようにも感じます。

「ペットボトルのお茶など飲めるものか」・・・「飲み物」が違いますね。

抗ウィルスを期待してがぶがぶと急須でいれたお茶を飲んでいます。

 

しかし静岡の感染者は90人と1月以来の数。御前崎でも2名出ていました。

これまでのウィルスとはまるで性質が違うといいます。

「これまで通り」は通用しないと思いますが、何のしようもナイというのが実情。罹っちゃったら仕方なし。

 

ただダブルマスクに何か触ったら「はい、アルコール」の習慣だけは身についてしまいました。どこに行くにもマイ(アルコール)ボトル持参です。

 

④は息子が半年前に道端で拾った幸せなネコ、「寧々」。

病院にも連れて行ってもらってケアも万全・・・今は相当デカくなっているようです。みんな満足しています。

 

 

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2021年

5月

12日

光源寺大和写十一面観音 森鴎外記念館 戦後の復興

軽トラの車検が迫っているとのことで慌てました。

よって残りの会館の畳を少しでも処分場に持っていこうと周辺の片付けを行いました。

会館前に設置した二階の畳を滑り落とすためのスロープを撤去し本堂裏に運び、畳数枚と座布団、不要となった炊事道具を積み込みました。

 

処理場で大量の座布団を見た担当の方が「新調するの?」と声を掛けてくれました。

それは座布団を使う機会がまったくなくなったからの処分ですが(使用しても殆ど今はネコの寝床)、今時会合にしろ法要にしろ椅子の使用がなくては、やんわりとですがクレームが来ます。

そもそも会館を使用しなくなったのは2階の座敷まで「上がれない」「座れない」の声が多数あったからですね。

 

いま、拙寺での法要は参列者は椅子への着座は当たり前。

法要後の私のご挨拶は椅子(曲録)に腰を掛けず私だけが正面で正座するのか慣例となっています。

ある人が「皆さんより低位置になってしまう」と指摘されましたが、私は特にその高低差には意味がナイと思います。

高い場所と低い場所の緩みの問題(昨日)も関係ありませんしいつも仏から見下ろされ見守られている感覚であって私にとってその視線は慣れています。

 

 海外を主たる活躍の場としているアスリートのオリンピック開催についての意見が伝わってきました。

テニスの錦織選手は新コロ感染経験がありますが「死人を出してまで・・・」とストレートな言葉が・・・。

大坂選手もその開催を強く進めることへの疑念を吐露していましたが共通している言葉は「議論」。

 

もっと議論すべき・・・ということですが現状「ヤルヤル」の一方的主張のみ。昨日の通り、国民の半数が反対しているにも関わらずですからね。

スーパーマーケットでお菓子を買ってもらえない子供が床に寝転んでダダをこねているが如くに見えて・・・。

もっと議論というものがあってもいいですよね。

少なからず政に首を突っ込んでいるのですから論理的な検証をしていただき異論があるならしっかりと説明していただかないとね。

「やりたい、やりたい」だけでは・・・

「なぜ、ボクはそれがしたいの?・・・」優しく聞いてあげて・・・

 

さて、「女墓場」はその活動域、山手線の東部の画像を送ってくれます。

山登りはその友人と、墓場放浪は単独でウロついているようですが、雨さえ降らなければ外を歩きまくっていて健康を維持しているのでした。

 

先日は近場を散策したとのことで森鴎外記念館(文京区立)から光源寺というお寺を廻ったとのこと。

ちょうど記念館では

特別展「観潮楼の逸品―鴎外に愛されたものたち」を開催していますね。

森鴎外というと私の中高時代の読書と叔母さんの旦那をイメージします。叔父さんはどういった経緯か知りませんが軍医として中国に転戦したあと、帰還後ヤクザな商売に手を染めていました。

敗戦後の国内は軍人嫌いの世の中にあってまともな仕事にはありつけなかったと聞いています。

 

その失火に戦災、空襲によって灰燼に帰したというのが森鴎外の住居「観潮楼」と庭。

それを記念館として改修したというもの。

 

そしてその近くの光源寺。

こちらには別名「駒込大観音」と呼ばれる十一面観音が・・・

「大和写」とありますがこれが奈良長谷寺の十一面観音の「コピーです」ということ。

錫杖を持つ大きな十一面観音は長谷寺由来ということですね。

 

その観音様も空襲で焼け、再建されたものだそう。

 

昨朝の新聞に巨大広告がありました。面白いですね。

宝島社の意見広告ですが「政治に殺される」が印象的。

もっともなことです。

新コロに「竹槍で戦う」(精神論のみで戦う)のと同じかも。

戦争で殺されるのは政治に殺されるのと同様。

 

ガースーの(オリンピックを)「諦めない」というフレーズに違和感あり。

私どもの宗旨はむしろ「諦めろ」(あきらかにしろ)ですからね。

 

私は毎日のようにあきらめています。

「あきらめる」・・・一旦止まること。肩の荷を降ろすこと。

そして耳を傾けること。

 

 

 

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2021年

5月

11日

百の古仏・古城との出会いに百の喜びあり 茅ケ岳

日本人の半数近く(49%)の人がこの夏の五輪の中止あるいは延期について望んでいるとのこと。

先週末に催された史蹟研究会の雑談の中でも諸先輩方異口同音にそれを指摘していました。

どう考えてもアレの無理くり強行については腑に落ちないという方が多いということです。

 

「諦めずに」とか「日本人を元気に」などというキレイ事を吐く人がいますがもはや詭弁の如し。利害関係人としか思えなくなりました。

そもそも私に限っては諦めるも諦めないもどうでもイイから。祭りが私の強い望みでもなく、十分元気にさせていただいていますので。

 

大概の国民にとってもそのスポンサーをしているワケでもその出場に命をかけているワケでもないところ。

そこに来て、「元気にする」どころか「病気にする」かも知れないその「バカ騒ぎ」に諸手を挙げて賛同することなどできませんね。

 

ガースーの支持率がダウンしたとのニュースがありました。

いよいよその大イベントの強行を進め、結果博打の如くいい目が出て「御の字」をいただくことを偏に夢を見ている図が思い浮かんできました。

そこに丁半賭けているのでしょうね。

 

衆愚民衆としては日本人のアスリートがバンバンメダルをゲットしスポーツ紙の一面を連日高揚感に満ち溢れた言葉で飾られさえすれば結果、自身の「支持率はあがる」という算段でしょうか。

国民の健康を博打の駒に、そうであれば今に仏罰が当たる・・・・。

日本人のメダルゲットのひと騒ぎに不参加の国の人々は勿論、日本人であってもどっちらけ・・・

 

年配者のワクチン接種優先の件、拙ブログでは各疑問を記してきましたが、その理由こそ、一見健康脆弱と思われる年配者層には「祭りの前に済ませた」という「対策十分」という既成事実つくりだったような。

今の感染爆発(ただの「さざ波」程度というその取り巻きの御仁もいましたが)を「推進」している者に年代の差異はなく、どの世代でも重篤患者が出ているのにもかかわらず、医療従事者、救急隊員等を差し置いてそれのみをターゲットにしようと進めてきたことですね。

やることなすこと疑問だらけだったのはやはりウラにオリンピックがあったのでした。

 

昨日のニュースの数字ですが、海外のワクチン接種回数が12億8000万回といいます。

数千万~億回を上回る国々はインドを除いて上々の結果を得ていますが、日本は400万ちょいというところで先進国中ドンビリの状態。

しかしもっと驚かされるのはまだワクチン接種が始まっていないという国々が世界に180カ国もあるとのこと。

まったくフェアではないですね。

 

オリンピックの開催となれば無観客であったとしても選手以外のスタッフや報道関係者含めて5万~8万の来日があるといいます。

そういう方たちをホテルに缶詰めにして毎日PCR検査をして「管理する」とはいうものの、その手の管理が果たして出来得るものか・・・海外から日本に来れば「折角のトーキョー、六本木で一杯」となるのが人情でしょう。

 

ホテルから抜け出したらどういったペナルティがあるというのでしょう。

きっとザルの如しでしょうし、そもそもオリンピックというものは競技だけでなく海外の文化の紹介と自国民との交流に意義があるもの。

私は「中止にしろ」などと高慢な態度で言い放つことは差し控えるにしろ「時を見て柔軟適宜に思量して・・・」と思うばかり。しかしやはり中止か延期の判断をして欲しい・・・要は世界のすべての人々にワクチン接種がゆきわたり、この病が「落ち着いてきたら やればイイ」と思うのですが。

オリンピック憲章に「平等」という語句がありますが、まったくその心得を感じませんね。

 

なぜ今強行したがるのか・・・自分たちの任期があるから・・・花道を飾りたいから・・・おカネ儲けの問題があるから・・・その辺りでしょう。

 

さて、表記の語は私の造語というかパクリです。

しかしまさにその通りではありますが、現状そういった「出会い」はお預け状態。

いいお天気の五月晴れとあって家に居続けなければいけないのですから辛いですね。まぁプラプラしていますが。

奥方は「頭を冷やせ、そもそも住職。その文字を今一度考えなさい・・・」

そしてまた自身「墓と城」という人の居ない場所廻りといえども何せ畿内方面は躊躇することになります。

 

さて、先週末、友人の「女墓場」から「茅ヶ岳に行ってきた」と画像を送ってきました。

「女墓場」が行った場所はその世界(登山者)の聖地だそう。

今、「百名城」等の名称あげて全国の城たちを紹介する書籍が各ありますが、おそらくそのハシリ、著書「日本百名山」を記した人が深田久弥です。

 

その人が亡くなった場所が茅ヶ岳とのこと。

登山中に突然の病(私が今一番に警戒している脳卒中)に倒れたのがそちらだということで絶命した地に石碑が建っていたのでした。

登山を兼ねて、その石塔にお参りに行ったようです。

山は「もやって 景色悪し」とボヤいていましたが楽しそうで羨ましくも思います。

 

深田久弥は作家兼登山家ですが、68歳の時その山で亡くなります。

登山家が山で死ぬことに「本望」を感じましたが、果たして「私の境内墓地で」とは雲泥の差でしょう。

本望は本望でも人の手はあまりかけない死に方がイイですね。

 

突然の病への件は致し方ないのでしょうが最近、やたらと山での滑落、転落のニュース(「梯子」とはチンケですが私の実体験もあります)を見聞きし、大変だ・・・ということと「落ちる」というか地球に引っ張られるという物理的法則について特に考えることが多くなりました。

 

「打ちどころ」がすべてですが、やはり高低差の致命度の違いは大きいですね。ハーネスとザイル、ヘルメットのセットが「不要だろう」と思う高さ・・・ほんの数メートルでも「人は死ぬ」ということがわかりました。

それも「緩み」の一つです。

安全、安心、大丈夫と思った瞬間に緩みが発生します。

 

画像④の石碑に記された言葉が表題パクリの元。

『百の頂に百の喜びあり』。

 

畿内ムリでも山梨なら色々廻れそう。自然の中こそ安心・安全。

 

 

 

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2021年

5月

10日

清浄光寺塔頭長生院小栗堂 阿弥陀仏座像

ドが付くほどの中途半端な「宣言」とやらの延長。

それで5月末で宣言の解除ができるのでしょうかね。

そもそもその宣言の出す出さないのラインは示されていず毎度テキトー、恣意という語しか思い浮かべることはできませんし論拠はなし。

 

ここのところ当地周辺では全国の感染拡大の様相を尻目にほとんどその感染について耳にしなくなりました。圧倒的に密になる機会がないからに他なりませんが。

とはいえ東の静岡、西の浜松あたりでは相変わらず減少の気配が見えませんので昨日記した如く「油断と緩みは禁物」です。

 

コロナ対策の大敵は「私の心の緩み」ですが、これは長期間のシバリには付き物となります。

そこへ来て、レベルが下がりきらないうちに「Go To」の旗を振りまくったり五輪ヤルヤルで余裕のお祭りムードを演出したりの中途半端な・・・厳しそうで厳しくない、ゆるゆる中途半端のメッセージを出しまくりました。

国民には会食するなと言いつつそのいろいろ発信先のお偉いさんたちが夜間飲み歩いていたなども「平気だよぉ~」のメッセージでした。

 

ガースーの「専門家の意見を聞いて~」の常套句がありますが、それは一つの「間」取り程度の方便。

これまでの色々を見ていて「サラサラ聞く気なし」としか感じませんからね。

最近になって「専門家」たちも彼らに忖度をしなくなって厳しい予測と目途を示すよう。いよいよその「専門家」との齟齬が生じるのでは・・・と。

昨日はその解除の条件としてガースーは「ステージ4脱却」の緩さに対して、分科会専門家は「3から2へ」との厳しいところを提示していました。

しかし専門家でないガースーが雰囲気でそういうものを決定するシステムとは一体何?政治屋稼業は神・仏に近づいたのか・・・

 

昨日は前々日から突如として騒がれ出したのが中国の人工衛星(「長征」とやら)が地球に燃え尽きずに落ちてくるというニュース。しかし知らないところでなんとか無事に解決してくれていました。

インド洋に(勝手に?)落ちていてくれたようですがやはり「そんなのアリ?」と疑問に思ったところです。

世界中をハラハラドキドキさせて・・・

 

確率としては相当低いのでしょうがそんなものが頭の上から落ちてきて人的損害があったとしたらシャレになりませんし「さて、どうしてくれるの」という単純な疑問と、ロケットをブチ上げる国々の間ではその手のことの「取り決め」というものは一体どうなっているのか・・・と。やっぱり「なぁなぁ」だったの?

 

先進国の仲間入りとばかりにロケット、ミサイル、人工衛星などの飛び道具を派手に打ち上げて、落ちてくることに関しては「そんなの関係ない」とばかり・・・「どうせ海に落ちるだろう」というのではいつか誰かが酷い目に遭うのかも。

「ごめんなさい、つい落ちちゃった」と言われても困りますし、あの国でしたら「知らぬ存ぜぬ、アメリカの謀略・・・」などと言い出すかも知れません。

だいたいロケットの名前「長征」とは勇ましすぎる語。

文字通り長距離を進軍して征討するという意味ですが、そんなものを落としてきたら、ますます腹が立ってきますね。

 

長征-ちょうせい―との読みですがそれに反して「長生」でしたらほっこりとさせられます。

長く人生を歩む・・・「長寿」の意ですからね。

昨日の少病少悩に近いものがあります。

「長い」ものには巻かれなくてはなりませんが(まかせる・・・)銘々によるそのメッセージが雲泥の差。

軍事的発想にはそういった考えは出て来ないというかあの国らしい。

 

昨日記した地蔵堂の裏側の道、大鋸の坂道と平行して上がる細い坂道ですが、その突当りに長生院という名のお寺、小栗堂があります。

勿論時宗らしく「阿弥陀堂」小堂といった感じで遊行寺の塔頭です。

ということでご本尊は阿弥陀如来。

六字名号の軸が見えます。

回向文を同時に思い浮かべて南無阿弥陀仏。

 

「願似此功徳  平等施一切  同発菩提心  往生安楽国」

「自分だけじゃなくて みんないっしょ そして安楽の境地に・・・」

それが基本でした。

隅切角に三」が光っています。

 

 

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2021年

5月

09日

少病少悩の願い 謙虚だがそれは選べない 日限地蔵

今やるべきことは「祭り」ではなく新型ウィルス対策。

要は市民の健康、安心を守る事なのですが。

「○○を守る」と言うフレーズは政治家の宣伝・アピールの中でもよく使われている語て、お頭の方があまりハッキリしない私などは「まぁ、なるほど・・・」の如く錯覚に陥ってしまうものですが、今のこの現状を俯瞰して「私は守られているのだ」と実感されている方は果たしてどのくらいいらっしゃるのか・・・甚だギモンです。

 

大阪の「100万人あたりの新規死亡者数」がインドを上回ったというニュースがありましたが、大阪の医療はすでにぶっ壊れていますね。先日滋賀県にヘルプを求めるなどという声もありましたが、その滋賀も受け入れしている場合ではないような状況かも・・・。

首都圏でも「発熱外来」の行列の様子が報じられていました・・・

要は数多「野垂れ死」の様相が想像できるわけで。

 

大阪のテレビ出たがりのパフォーマー知事殿の各ご活躍は拝見していますが、関西圏の惨憺たる状況が毎度報じられ続けて、ハッキリ言ってあの人が何をやっても「通用しない」ことだけはわかりました。

お口の方はお達者の様、しかしすべてが演劇的かつそれも的を射ないもの。あの「イソジン」がいい例だったかも知れません。

結論として1年間何も対応、対策の進展がなかったということで一言で「無策」。

そのステージは壇上華々しくもありますが市民にとっては「無価値」であってむしろその地位にしがみつかれていることこそが市民の悲劇なのですね。それはガースーのいかにも頼りなさげと同様。

 

そろそろ大失敗を認めて身を引く覚悟も必要でしょう。

政治も結果ですからね。

死屍累々の惨状、市民を守ることができなかったことに対してどのようにお考えになるのでしょうか。

国の方も例の宣言を日限で、〇日に解除すると決めていてそれが無理とわかって今度も延長の日にちを「今月いっぱいまで」と改めましたが、この新コロの蔓延状況からしてそもそもそういった日限はアリなのかまったくギモンです。

何よりこの夏、国の主催する国際的お祭りに影響が及ばないように・・・というところが見え透いてきます。

 

最初の日限は「ぼったくり男爵」とワシントンポストが酷評した国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長の「来日にあわせて」の策謀を感じましたが、そうあったとしたら無理無理見え見えの浅はかさ。

専門家だけでなく色々なところから嘲笑されていましたね。

 

次は「5月31日まで」といった日限が発せられましたがさてさて、どうなることやら。

「そして誰もいなくなった」・・・アガサ・クリスティではあるまいし、国民はどんどん消えていきます。

 

「山手線を止めろ」などとの暴言ともいえる語を去年の春に拙ブログで記したことを思い出しますが、現在の山手線の混雑具合を見て、これは今度の日限もムリかも・・・という思いと、私は気候のいい静岡の人がいないド田舎に住まうことの有意義を再確認したのでした。

国民全体に大きな緩み具合が見られますからね。

今一番のタブーは油断。緊張の糸というものがあるのならもうしばらく張り続けなくてはなりません。

「もう我慢できない」の声を伝えるニュースがありますが、それはそれで限界と緩みの雰囲気を助長しますからダメですね。

 

今の私の僅かな願いとしては横浜の息子はじめ知り合い、友人たち檀家さん縁者が何事もなくこの禍をやり過ごすこと。

もはや大きな願い・・・感染の撲滅とオール安心など夢のまた夢となりつつあります。

 

さて、横浜の「奥の墓道」氏の住まう横浜は港南区の地名に「日限山」があります。

ごく最近の町名変更によってその名が銘々されたといいますが、今風ありがちなキラキラネームではなく如何にも古風を感じました。

「日限といえば地蔵」(日限地蔵尊)といったイメージしかない私ですが、やはりその近くに日限地蔵尊がありますね。

ちなみに私がよくその名を見るのは金谷ですが。

 

日限地蔵の悪口を言うワケではありませんが、私の一心一向の阿弥陀仏といえば年がら年中いつでもどこでもで「限り」ない「無制限」ですからね。

特にまたその語を見ると有難く感じてしまいます。

まぁ当方の思う勝手、都合のいい「願い」とは違いますが。

 

ここのところ記している藤沢清浄光寺(遊行寺)にもまた日限地蔵がありました。

そこで昨日の四文字熟語「怨親平等」に続き「少病少悩」を。

少病少悩は一言で「軽い病」。

私は先日来幸運にも梯子から落ちての「少病少悩」の軽度の打撲で済んだことを記していますがまさにそれ。

その手の予期せぬ「禍」は仏教の教えからいって絶対に免れることはできない「定業」の一部ですが、心情としては(自分だけは)「できるだけ軽く済ませたい」というのは当然のこと。

そしてこの地蔵の体内から発見された文言が「少病少悩」といいます。

 

それは庶民の切なる願いかも知れませんが現実はその願いとはかけ離れているようですね。

まぁだからこそ人はそれを心中懇願するのですが。

 

 

※5月29日に「い~ら」にて開催予定だった井沢元彦氏の講演会の中止情報が昨日午後にありました。

田沼意次銅像の序幕式の記念講演です。

 

私はそもそもこの時節、どちらも回避の方向でした。

ただし除幕式は行われるようです。

念のため各ご確認を。

問い合わせ先:牧之原市社会教育課 0548-53-2646

意次ドットコム

 

 

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2021年

5月

08日

上杉禅秀の乱 藤沢敵御方供養塔 怨親平等 遊行寺

昨日は雨予報につき、ぷらぷら遊んでいた一昨日の穴埋めをしようと朝からスタンバイ。

連休中にため込んだ花ガラと会館の畳にガラクタ類を処理場に搬出しようという算段でした。

 

すると朝7時に電話が・・・。

施設の叔母が5時にトイレで転がって痛がっているとのことでした。そこでいつもの榛原病院まで来て立ち会って欲しいということでしたのですべてを放ったらかしにして奥方と病院に向かいました。

前回の私のパターンでいけばレントゲンそしてCT、そののち診断という流れは確定的。

昼過ぎまでただ病院の待合室のベンチをハシゴしました。

 

奥方にはその「待合地獄」と物品搬出入の往来を何度も何度もやってもらっていますがさすがにボヤキの声をあげていました。

父-母-叔母をそれぞれ複数回のうえ、先日の私に今回の叔母。

「誰もかれも血縁ナシ」を主張していました。

たまたまの持ち回りでこれも一つの縁なのですが、奥方の場合は私のやるべきことを肩代わりしてもらっているワケです。

「それを言っちゃあおしめぇよ・・・」ではありますが、その手の環境にはない人たちも彼女の友人の中にも多くいて一言「いいなぁ~」とため息を吐いていました

たまたま、たまたまなんですよ。

私も昨日のブログの如く「親」ならぬ「叔母を捨ててもいいですか」にはなれません。私が先・・・ということもありますが「その時」まで何とか付き合わせていただきます。

 

ストレッチャーに寝ている叔母は「すまないねぇ」と言ってくれるだけマシ。おしゃべりできない方もたくさんいますからね。また、この期に及んで「家に帰る」と罵倒されるかと戦々恐々でもありましたが、さすがに痛みには勝てなかったようでとても神妙でした。

二人でもって一日棒に振ったわけでしたがこの件でいよいよ叔母の独り暮らしはもうできない、させられないの確信を得たワケで叔母の方もそろそろ諦めモードに入っているようでもありました。

 

トイレで転倒して呼び付けたのはナースコール。

自宅に独りでいてはそういうワケにはいきませんからね。

尚、骨折はありませんでしたが、「第三腰椎の変形」が認められるとのことで当人の主張する痛みと合致するとのこと。

ということで新調するコルセットを装着し施設で様子見しつつ、2週間後のレントゲンで確認するとのこと。

 

コルセット代金の3万円は1割負担とのことでした。あとから「返ってきます」ということで一安心。

おカネの出費もありますが突然呼ばれての「待合地獄」は結構にしんどいものがあります。毎週それをやらされることになりましたがそのようなことはそうはナイでしょう。いずれにせよ奥方には頭があがりません。

 

母の腕の骨折の際もそうでしたが前回の叔母の大腿骨、私のいろいろ、そして今回も同じ整形外科の先生(院長先生)でした。

先生がたまたまCTの待合に現れたので先週私がお世話になった旨を伝えると「見た事があるがたくさんいて生憎思い出せない・・・」と言ったあと、「ああ!! 左足を痛がっていてスグいなくなっちゃった方ね」と。

これは・・・と思い私の今の両肩の筋肉の痛みについて聞くと「骨折はなく、いわゆる鞭打ち症みたいなもの」と。

図々しくも「ついで」とはいいながら思わぬところで「診療」をしていただきました。

立ち話診察・・・コレも普通はナイことでしょう。

 

さて、清浄光寺(遊行寺)の駐車場に大鋸の坂道から入るとスグ、目に飛び込んでくる石塔が「藤沢敵御方供養塔」です。

敵御方(てきみかた)を言う争乱とは上杉禅秀の乱。

応仁文明の乱前夜ともいえる応永年間(1400年代前期)に起こった関東の覇権争いですね。

 

南無阿弥陀佛

応永二十三年十月六日より兵乱 同二十四年に至る。

在々所々において 敵御方箭刀水火のために落命せる人畜の亡魂 皆悉く浄土に往生せしめん故なり

この塔婆の前を通る僧も俗人も十念あるべき者なり。

応永二十五年十月六日

 

一説にこの碑を建てたのが鎌倉公方足利持氏だといいます。

策謀渦巻くこの時代であり、敵方別れて各家の存亡をかけた死ぬか生きるかの戦いが終わり生き延びた者が「すべての者は皆同じに」という精神になれるものかわかりませんが。

奇特な事でそうあったとしたら天晴れです。

ちなみに足利持氏の三女が遠州に疎開して没した「三の姫さま」です。 

 

 

 

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2021年

5月

07日

奥州岩谷堂城由来の古典的スイーツ 境内ブラシノキ

静岡県の数字ですが医療従事者へのワクチン接種、現状20%止まりといいます。

変異ウィルスへの対応が迫られる中、何とも心細い数字です。

インドの感染者については最近のニュースでは必ずといって指摘されていますが、昨日辺りで一日に40万人という驚異的数字です。

インドは陸続きで隣接している国があります。

「インド型変異株」がアジア各国へ浸潤を始めているよう。

あの感染力の下、曝されたくないのですが、検疫はザルのようで(抗体検査のみで、より判定力のあるPCR検査ではナシ)。

 

そのザルを通過した人たちは1週間程度の自宅待機「お願い」のレベル」。感染が止まらないのは理由があるのです。

玄関の「開けっ放し」と同じですね。

 

昨日は雨があがっていい天気。

よって奥方に「残りの会館の畳をやっつけるか・・・」との提案は即却下されました。

私への気遣いもあるのでしょうが、当人も体調が完全ではなかったよう。

会館の畳はあと24枚。あと二回に分けて搬出する予定です。

 

もっともあのいいお天気に仕事などする気にはさらさらなれません。

よってGWあけということもあって私の運転で浜松方面に車で向かいました。目的は無し。ただ高速道路に乗ってみる・・・。

クラッチについてはまったく問題はありませんでした。

奥方の父上は転倒後にリハビリを失敗し後遺症が多く残ったため私の外歩きには賛成してくれます。

昼食は時間をズラしてショッピングセンターにて。

「大丈夫かよ こんなところ来て」とその混雑さには驚くばかり。学生さんは見かけませんでしたが、ひょっとするとまだ人によってはGWはあけていないということでしょう。

「早まった」ことが致命的なことになりませんように。

また飲食店、店舗とも撤退、閉店(予定含め)の様子を相変わらず多数見受けました。

 

将来が見えて来ませんが超絶の苦痛を強いていることをガースーは切実の身にはしていませんね。

昨晩になって「宣言」の延長が決まったようですがガースーは今回の短期のそれに「効果があった」の自画自賛の言葉がありました。

やだやだ・・・毎日全国で亡くなる人がまたぞろ出ているのに。

私がそれを言っちゃうのは何ですがその方たちは「うかばれない・・・」。

 

昨晩のクロ現のタイトルも超絶。

「親を捨ててもいいですか?」でした。

ということで「捨てられる」というのは今や私のことしかありませんので胸に手を当てて各反省。

息子からは以前から「呆けたら萩間川に捨てる」とか「BB弾で撃つ」等の無茶苦茶を言われて喜んでいる私がいますが「呆けたら痛くも痒くもナイ」と言い返しています。

 

番組冒頭の葬儀の委託と事後処理一任するという業務が存在するということも凄い時代になったと思うところ。葬儀すら関与したくない・・・何がそうさせる・・・

 

画像は境内のブラシノキと「岩谷堂羊羹」。

ブラシノキは文字通り、特に墓石の花立の中を掃除するブラシのように見えることからそういわれるのでしょうが、私にはネコの尻尾のようにも見えます。赤いネコは見ませんがね。

ネコが怒ったときはそのブラシの如くなりますよ。

 

「岩谷堂羊羹」は私の甘党をご存じの秋野氏からの差し入れです。栗羊羹でデカい栗がそのまま。糖尿病に気を付けながら少しづつ頂いています。

その名は岩手奥州市の岩谷堂城から銘々とのことですがこの地にも戦国期からの各家の栄枯盛衰があったようです(奥州仕置)。

 

私の人生のうちその辺りまで実地を歩けたとすれば「大したもんだよカエルノしょんべん」。

そういえば息子は(呆けたら)「山城に置いてくる」とも言っていました。

息子に余分な世話を掛けたくはありませんからそれもまたヨシ。

これほど遠地の城ならばまず帰って来られないでしょうね。

真冬なら即凍死しそう。

呆けないようにしないと・・・

 

 

 

 

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2021年

5月

06日

ネコ寺数ある中 太田道灌の伝承 ねこ地蔵自性院

先日の竜巻を伴う雷雨で「そういうこともあるのか」と納得させられたのが我が家のテレビモニターの破損。

まぁ色々あるのですよ。

梯子に上がれば落っこちて、ブログを記せば誤字脱字。

あの竜巻が拙寺に「直」でしたらこんなところで余裕をかましていられませんでしたからね。まだツキはあるということで。

 

母親が施設入所時に購入したテレビで経年劣化もあるのでしょうが、各所の画像のモニターとして使用し続けていたからでしょう。

母の施設退去後は当家に持ち帰って24時間365日点けっぱなしという代物です。

市内でも拙寺周辺はあの雷雨で瞬間的なものと30秒ほどの少々長めのものと2度の停電があったのでしたがそれ以来そのモニターは画面を映さなくなりました。

 

本堂のモニターを持ち出して配線するもまったくダメ。

これはもっと製造年が古く、機材との接続ができても非対応のようでした。

そこでモニターをどうするかというわけですが、安物でも1万円、ジャンク屋に行けばもっと安価なものがありますが、信頼性はゼロです。

よってどこか遊んでいるモニターを考えるワケですがそれが浜岡にありました。

 

叔母の家からテレビを持ってくるという算段です。それなら先般購入したばかり、メーカー品ですから絶品です。

叔母が帰ってきたらまた考えればイイ・・・ということで小雨の中池新田まで。

デスクトップの27インチをカメラモニターとして移動、叔母の家から持ち出した32インチを私のデスクトップに据え付けました。

相当デカくなった画面、このうえなく見やすくすべてヨシ。

アンテナ線を接続すればテレビが観られます。

 

最近ブログではワクチン接種の優先順位として私の思うところを記しましたが(昨日)、あともう一つ。 

この職種も以前も記したことがありましたが、そこのポイントを抑えていただかないとね。

それが介護施設の職員です。

昨日もその手の施設でクラスターが発生していました。

職場では特定された人たちとの接触しかありませんが、一歩外に出れば大衆の中の人。

新コロに罹ってはイケない人たちと多くの時間を接する彼らに接種させないでどうするつもり・・・

ワルい言い方をすれば前述した職種の人たち同様、ウィルスの媒介人にもなりうるのですから。だから真っ先に守らなくてはならない人たちでした。守ることによって守られる・・・わからないかなぁ・・・

 

さて、画像は「西光山自性院無量寺」通称「猫寺」。

東京の友人「女墓場」からの画像です。

GW最終日の昨日、雨があがってぷらっと入ったお寺がこちらだと。

お寺の名を見てご本尊は阿弥陀の推測はできますが、宗旨は真言といいます。秘仏という「猫地蔵」を安置しているそうですがその画像はナシ。

 

東京都寺社案内によると「文明九年(1477)豊島左衛門尉と太田道灌が江古田ヶ原で合戦した折に道に迷った道灌の前に一匹の黒猫が現れ自性院に導き危難を救った」とのこと。そして猫の死後に地蔵像を造り奉納したのがこの猫寺の起こりだそうです。

拙寺にもペットたちの「生々流転」墓がありますが数日前20匹目の納骨があったばかり。黒猫でした。

 

拙寺も「ネコ寺」と言う方が居ますし現に黒猫「舞鶴」が世話役として境内に。

世にはネコが御主人、ご本尊の如く振る舞う寺は数ありますが、この太田道灌と黒ネコの話はネコと武将関わりという点でも悪くありませんね。

 

尚、友人の「女墓場」には墓場詣りの必要グッズとして「数珠を・・・」とその所望があったため、先般本山から貰った女性用の紫色のものと爺臭い地味なもの2点を新茶とともに送っておきました。いづれも新品です。

「またいいのがあったら送るから・・・」の取り敢えず・・・。

しかしお念珠は自身愛着が籠るよう自分の目で選ぶのが一番です。

 

静岡産の製茶沈滞ムードのニュースがあって寂しい限りですが今年のお茶のデキは悪くないですよ。

生産量最高を譲ったとしても鹿児島のお茶はペットボトル向けが殆どですからね。

本当のお茶の旨味と成分を摂るには当地深蒸し茶を是非にお勧めします。静岡の地理と天候の具合がお茶の生育にマッチしていますので。

 

 

 

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2021年

5月

05日

宝泉寺の善光寺如来石仏 救急隊員へ接種を

昨日の法事は最近少なくなった自宅の法要でした。

そのままご自宅裏手の墓地への墓参で終了しますので本堂でのお参りはなし。

ちなみに息子のいる横浜周辺の法要形態は「ご自宅」の頻度が高いようです。

 

持ち物がいつもと少々違ってチェックを念入りに行いますが、「ご自宅」の場合は100%お内仏前の正座となりますので、事前に正座のシミュレーションをして大丈夫と自身念を押しておきました。当初は膝を曲げられないくらいでした。

打撲事件後、最初だった前回の法要はご自宅仏前はご挨拶程度で本堂にて本法要となりましたので大して座する時間はありませんでした。しかし今回は「フル」でしたのでその「確認」が必要だったのでした。

 

左足の打撲の痛みは、救急車の中での問診で応えた箇所(大腿部)になりますが、日々その痛みは消えて、現在の主たる症状は両肩の痛みになっています。

そちらの症状も当初から出現していましたが足の痛みが消えつつある中、特に昨日あたりからは絶不調の域に発達していました。

再び両腕が真っ直ぐに上がらなくなっていますが、症状を一言でいえば「酷い肩こり」の感覚。

これも打ち身の後遺症なのでしょう・・・

 

今回の法事は1年順延されたものでした。

家族のみの参集でしたがご家族が関西圏からGWを利用して帰省していますので「家の中でも全員マスク装着」のうえ換気に配慮されていました。

よって御内仏前は心地よい爽やかな五月の風が優しく吹き抜けていました(殆ど「森の入口」のようなお宅)。

 

当然に施主ほか皆さんは「私のことも気がかりだろう・・・」と思い、先日28日の入院の際、「初めてPCR検査をしました」と打ち明けました。

ずっと室内で発声しているのは私ですからね。

それを抑えようと不織布+綿のダブルマスクで臨んだほど。

 

そのPCRの話をしている際、あの時既に入院が決まっているのに処置室で待たされ続けた意味がふっと思いつきました。

やたらと待たされて病棟に運ばれなかったのは・・・陰性判定が出るのを待っていたということでしょうか。

 

昨日はワクチン接種の順序について(医療従事者そして介護職員、各施設の管理者・・・それから社会活動度の高い若い世代)記しましたが一つ優先順位を上げるべき職種を記すのを失念してました。

 

それが初期救急対応をしてくれた隊員の皆さんです。

私は搬送されるにあたって(マスクをしないで作業をしていましたので)奥方に「マスクを持ってきて・・・」とその件気にしていましたがそのマスクを手渡されたのは処置室に運ばれてから。

それは何故かというならば救急車の中での「マスク」といえば酸素呼吸器が定番です。

不織布マスクなど着けていたとしても外さなくてはなりません。

 

ということで私の車内での移動はそのマスク装着してのもの。もし私が今いわれる「スーパースプレッダー」の強烈感染源だとしたらあの「密室」にて対応にあたる彼らを最大なリスクの下に曝すことになったわけです。

ところがその肝心の患者の初期対応、救急搬送を手掛ける隊員へのワクチン接種が遅々として進んでいないといいます。

 

この国のやることなすことケチをつけるようで申し訳なくも呆れ果てるばかりですが、何故そこのところが理解できないのか・・・不思議で不思議でなりませんね。

救急隊員に看護師、医師など最前線で働く皆さんにまずは接種していだきたいものです。そこが倒れたとしたら誰が代行してくれる?

 

さて、昨日は旧宝泉寺の釈迦如来坐像について記しましたがそのちいさな祠の上部、旧駿遠線トンネルの上には宝泉寺歴代と思われる墓域がありました。

ただ藪の中に散乱していたあの時以来私はそちらには入っていませんので確認はしていません。

 

その上部まで散策道ができていますのでちょいと下りればいいだけなのですが、滅多にこちらに上がることのないその時も退院翌々日のことで気にはなりましたが自重したのでした。コースは4方面から上がれますがその時は小堤山公園から廻りこんで。

 

そのキレイにされた散策路については海側からの避難通路も作られるなどしていますが、これは安政地震の際の津波でこの地まで避難した波津地区の人々の「経験」を意識したものでしょう。

 

その西に向いた削平地に石仏たちが一列に並んでいる場所があります。こちらは旧宝泉寺の石仏かと。

中心に立つ石仏をよく見ると「善光寺如来」。 阿弥陀さんですね。

当地にも善光寺信仰があったということです。

拙寺を見下ろす南側に張り出す舌状台地のトップに、そして拙寺の阿弥陀さんよりもさらに西に阿弥陀さんがおわすということになります。

善光寺形式であれば「一光三尊」ですがこちらには脇が見えません。

基礎の角柱の石には何やら記されていましたが・・・

 

 

 

 

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2021年

5月

04日

看護師たちの限界線 五輪と政治に追われて 宝泉寺

叔母がお世話になっている施設から連絡がありました。

コロナワクチンの1回目が終わって副反応はない・・・とのことであい変わらず「帰りたい」を連呼しながら元気にしているとのこと。

しかし、軟禁状態になっていて活発に何処かに行くでもないお年寄りたちにまずワクチンを・・・という策はやはり順序が違うよう思います。

 

まず第一にといえば医療従事者そして介護職員、各施設の管理者の順序でしょう。それから社会活動度の高い若い世代ですね。

何故にして医療従事者への接種が100%行き渡らないのにも関わらずそちらになるのか理由を知りたい。

それでいて病床逼迫の大阪あたりでは年齢によって治療を放棄されてしまうトリアージ(・・・患者の選別  後回し・・・自宅療養 ホテル療養)が行われているとも。 

病床数世界トップを誇る日本のコロナ対応として耳を疑いたくなります。

 

病院がコロナ患者を受け入れると病院の経営体力が落ちるといいます。自治体からコロナ患者をたくさん受け入れるようにせっつかれ、コロナ患者の受け入れを増やせば増やすほど経営を圧迫するようです。

民は「御都合主義の衆愚」であってその受け入れを承諾した病院には行かなくなります。

「コロナを貰ってはかなわん・・・」とばかりに病気になったとしてもコロナの受け入れをしていない病院を選ぶ傾向があります。

そもそもコロナ患者の受け入れはリスクとその対応の手間ばかりがかかって病院の経営努力だけではもはや届かないレベルにあるよう。

 

1年以上にわたってその状況が変えられない政治力とはいったい何だったのでしょう。経済活動の偏重そして医療現場の声を聞かずまた薬事行政の怠慢による咎は「国民の弱いところ」が負っていくのでしょうね。

先日は渋谷のバス停で撲殺されたホームレスの女性にスポットを当てたNHKの番組を視聴しました。

その方はスーパーマーケットの試食担当のパートの仕事をしていたそうです。

このコロナ禍に離職することになったのはスーパーの試食コーナーが感染予防から撤去されたからだといいます。

その後アパートの家賃の支払いができず、路上生活者にまで落ちてしまったその結果がそれでした。

今、その事件こそ「わたしのこと」と切実を感じた若者たちによる路上生活者への声掛けが始まったといいます。

 

昨日はクルーズ船の件、乗船回遊2~3日目にコロナ陽性者発生によって中止帰港となったことなどが伝えられていましたが、その乗船客の言葉が「ステーキもアワビも絶妙、お酒も飲み放題」「最高だったのに・・・」の残念の声を放つ人を見ましたがこの現実のギャップというものについて「お前の理解度如何に・・・」と自身投げかけられたように感じました。

 

私は黙っていれば食事にありつける日々、感謝が足りていませんね。まぁ「飲み放題」に歓びを得るワケではありませんが。

またこの時節、クルーズ船稼業が成立していることには驚きでした。お客が集まってそのサービスが出来得るということですがお客といえば新コロのリスクは棚の上において「私は大丈夫」基本の行動規範ですからね。

大層なお金持ちによるノー天気なのでしょうが。

 

まぁその手の感覚は私にも少なからずあって、たまたまここ相良のド田舎に居て多くの時間を自坊で過ごしている故にその感染を免れているのでしょうが、私もちょろちょろとあっちこっちに行くときは行っていましたからね。

それはいつもの運・不運のおかげでしょう。たまたま。

 

しかし今の観光地の人混みは異常。

朝の番組で「バーベキュー禁止」にした河川敷に入り込みそれを行う輩に注意をし「逆切れ」されていた様子を拝見しましたが、ついついこういう連中が今「コロナに罹ってしまっているのでは・・・」などと偏見が。

イケないこととは思いつつ、そしてその人たちがコロナに罹った場合、やはりICUの酸素吸入器やエクモに繋がれながら「後悔」の一念が思い起こされるものか・・・などとも考えてしまいます。

後悔したとしても亡くなってしまえば空しいことですが。

 

そういう方々(高慢ちきそして「基本 自分本位」の人)にはまず修正して人生を送るために病院に入院することをお勧めしますよ。

病床で頭を冷やすことは案外有意義。

あそこに運び込まれて(先日)思うことは(私の如き者であったとしても)老若男女「人の命」に真摯に向かってくれているということ。まさに感動を得ます。

 

ちなみに「記憶がない」に続いて政治家かやはりよく使いたがるその「真摯に」とは意味がまったく違いますね。

看護師から受けるそれは相手の精神的な安定を維持しつつ快方の途を探っていく深い熱意を手に取るように感じます。

対するものが「命」ですからすべての行為が軽くないのですよ。

政治家のそれは自身保持のための言い訳の常套句でした。

 

あと一つ先般視聴したNスぺの件。

「看護師たちの限界線」という番組でした。

拙ブログでも、五輪ヤルので介護士「500人タノム」の件、おかしな話だとチラッと記しましたが、今「#看護師の五輪派遣は困ります」と Twitterでその訴えが広がっているといいます。

 

「患者を守ることに必死で五輪どころでない」というのがその意ですが、私も大いに賛同したいところ。

よく聞けばその医療従事者たちは無報酬、ボランティア。

専門家が言っていましたが他に医師が200人募集し、おそらく看護師は500人では済まないと。

 

ガースーは「休んでいる看護師がいるから可能」と言い放ったそうですがそのNHKの番組を視ることをお薦めしますよ。

サブタイトルの〜密着 新型コロナ集中治療室〜の通り、ICUに詰めた若い看護師の汗みどろの精神的肉体的苦痛伴う日々と苦渋の決断について密着したものでした。

筆舌に尽くしがたいコロナの最前線で奮闘する彼女たちに感動を覚えない人はいないのでは・・・(まともなお頭の人ならば・・・)

 

体調を壊してシフトに穴を空けてしまい、また心身ともに疲れ果てて仕事を休んだり辞めることになってしまった際「本当にごめんなさい」の声とそれを認めなくてはならない残された看護師たちの思い、両方とも痛いほどよくわかりました。

 

その馬車馬の如く仕事を全うしている看護師たちの給料も賞与もそれでいて減額されてしまっているというその大矛盾。

病院側の経営状態がワルイということからですがこれもまたおかしな話です。

オリンピック話で名誉を目論む輩に一稼ぎしている連中もいれば、コロナ禍お構いなしでハメを外してコロナになっている輩もいるなか、お国はどうしてこちらに手厚い補償ができないのでしょう。謎の中の謎です。

自国民を守ることはまず病院を守ること。今はより一層それを思うようになりました。

 

しかし今に病院が機能しなくなりますよ。

大阪、北海道がその道を走っていますが東京もそろそろ怪しいレベル。

マラソンのテスト大会を強行する札幌とあの繁華街、観光地の人出を見て看護師たちはどう思うのでしょう。

 

諸仏はどう見てる?

画像は波津区管理の旧宝泉寺本尊だった釈迦如来坐像。

史料館長谷川氏の紹介文を転記すると・・・

「低い肉髻、剃りぬかれていない耳朶、腹部の裙(下半身に巻いた布)、楕円形の衣紋など、中国明清時代の受けた形式(黄檗様)が見られる。」

脇は向って左が阿南、右が迦葉との推測。

黄檗宗は禅宗でも大名等セレブの有徳人のバックアップによって経営されていたため、明治の廃仏毀釈のダメージは絶大で当宝泉寺も真っ先に廃寺になりました。

廃寺になった後は石坂周造が入ったこと、鉄舟、泥舟の往来があったことなどを以前記しました。

③は宝泉寺の結界石。 

 

 

 

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2021年

5月

03日

牧之原布引原 全国に名を知らしめたのは竜巻 

朝の全国版ニュースで牧之原市布引原の惨状を目にした東京在住の檀家さんからメールが入ったり直電がきたり。

心温まる声が届けられました。

おかげさまでお寺の被害はありませんでしたがお茶の間に届けられる台地上、布引原の画像は竜巻の想像以上の勢いを感じました。

 

以前東萩間中原の「仁王辻霊園」の風の強さについて記したこ

とがありましたが、その辺りがこの台地の西の縁になります。

谷から吹きあがる風(おそらくこの時は暖気)は強く、駆け上がった風と上空の寒気が混ざりあって竜巻が発生、東側の沢水加(さばか)あたりで発達してその布引原の真っ平(旧海軍大井航空基地のあった平かな場所)の場所で最大化しその遮蔽物のない台地上を蹂躙、勝間田川の作った谷に駆け下りて被害を広げたというところでしょう。

 

私ども沿岸域に住まう者としてこの台地上に住居を求めるということ、これほど枕を高くして眠れる場所はないだろう・・・などと思いがちになりますが、そうとは限らないということをやはり思い知らされましたね。災難はどこでも起こりますし逃れることはできません。それは人智を超えているから。

 

前日の天気予報では「何やら凄い事になるやも知れぬ」という只ならぬ雰囲気を感じ取りましたが、コレだったのですね。

要は大気が不安定になるよ・・・というところなのですが、奥方に言わせれば「だからどうする、なにができる・・・」。

まぁごもっともな指摘です。

 

聞いた話で「朝起きたら庭の軽自動車が消えていた・・・」といいますが、自宅の2階が丸ごと吹き飛んだり全壊した家もあっていかにも気の毒なことです。

たまたまそこを竜巻が通過しただけなのに。やはり運・不運としか言いようがありませんね。

 

さて、昨晩はNスぺ「新型コロナ ゛第4波゛変異ウィルスの脅威」を視聴。

N501Yの変異ウィルスの感染爆発間近の様相を垣間見ました。

東京の病院の危機的状況に各地の拡大傾向は急なるものがありますね。

昨日も横浜の状況について「奥の墓道」氏から連絡がありましたが横浜の駅等繁華街は去年の比にならないほど「人多し」とのこと。

 

政府があの祭り(五輪)を是が非でも強行しようと、「ゆるゆる」の「超ド楽観」スタンスを突き進んでいるからなのでしょうね。そういった雰囲気は大衆は感じ取り行動規範とします。

まぁそのことで危機感がナイというか祭りをやるためにそのリスクに対し目を閉じるということですね。

しかし結果は「無かったこと」にすることはできませんよ。

国レベルの楽観は国民を奈落の底に落としましょう。

昨日の重傷者数最多更新1050人の数字を見て、全国ICU病棟の看護師の絶大苦労について想像ができます。

 

画像は昨朝の本堂。

須々木地区でも「別の竜巻」情報がありました。

午後お醤油屋さんの門が崩れているのを見ましたが、朝一は心配になって本堂周囲をグルっと廻りました。

何せ今は(筋肉痛)のため片付け等の大仕事などまったくヤル気にはなれませんので何事もなく安堵したところです。

 

この上空を竜巻が通過したら・・・と想像。

内心海岸に対面した場所ではそうはデカイ奴は発生しないだろうと・・・。

基本怖いのは何より「ここより西に上陸する台風」です。

 

 

 

 

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2021年

5月

02日

小笠原流流鏑馬 静岡開催準備中 ご紹介いただいて

昨日はまともだったのは朝方のみ。

午前11時過ぎに本堂での法要が終わり原の墓地へ向かう途中、西の空はピカピカっと雷と黒い雲。

ついに雨も降りだしてしまいました。

一昨日から天気予報では土日の発雷注意を伝えていましたので予報通り。しかし少々「早いよ~」の溜息。

 

原の墓地はヤバいですよ。

畑の中、覆いもなく逃げ場はありません。墓地までは農道を歩かなくてはなりません。

 

現着すると施主がスマホで雲の動きを確認しあと10分で何とかなるというので待機していると見る見る雲は晴れてお日様まで顔を出してくれました。ウェザーニュース天晴れ。

ありがたい、ありがたいと言いながらお参りして帰宅しましたが、その後は酷い雷雨が続きました。

当地では広範囲で停電があって避難所が開設されたほどです。

竜巻注意報が頻繁に出ていていましたが牧之原の布引原ではその通過らしい突風が吹いて電柱が倒れ怪我人が出ているといいます。

日曜日はさらに雷雲は活発でキツイとの予報がありますので警戒は怠りなく。といっても引きこもっているだけですが。

 

昨晩は黒ネコ舞鶴(最近は「墨丸」とも)を玄関内に居れるのを忘れていて夜八時過ぎに外を覗いてみると雨に濡れないよう高い場所に置いた箱の上で待機していました。

迎え入れたあとあまりに申し訳ないということで普段よりカリカリをたくさん盛って、「お詫び」として奥方が「ちゅーる」を献上していました。

 

さて、昨日は小笠原流流鏑馬を静岡で開催しようと尽力されているK氏より情報をいただきました(→静岡流鏑馬)。

そこで添付頂いた資料が、大草高重(またはこちら)が「小笠原流の騎射の名人」として明治二十年に千駄ヶ谷徳川宗家邸へ招かれて明治天皇行幸の際に催された「天覧流鏑馬」で射手を務めているというものでした。

画像は「風俗画報」からの添付とのことです。

 

話は変わりますが私は以前ある法要後のお斎の席で市の観光協会との関わりのある方と話したことがあります。

毎年G.W.に相良の海岸で催されている草競馬に関して、それを続けることも良いが城下町として「馬」を押し出して何かやるとすれば「流鏑馬でしょう・・・」とその開催を薦めたことがあります。

特に相良高校の弓道部の力を活用して盛り上げたいというものですが、一向にその手の話は聞こえてきませんね。

 

私の大学には馬術部があって馬のその臭気漂う空気は日々の環境でした。その馬術と弓道が組み合わされた競技が流鏑馬といったら端折りすぎかもしれませんが、日本の武道の中でも歴史ある流儀の鍛錬、技術・・・競技ですね。

競技者は今言う「アスリート」たちであって競技は「スポーツ」なのです。

 

城下町相良を広報するのなら、今一度そういった文化を盛り上げて世界に発信する競技として一役買ってみるという気概が欲しいものです。

「危ないから」「子供たちが怪我をしたら」「管理が大変」という理由をつけたがるのはわかりますが、そもそもスポーツとはそういったリスクがつきものでしょう。

 

海外からやってきた洋弓、ライフル、槍投げ、砲丸は受け入れて競技として成立させているが鎌倉時代から流行った日本の古い伝統ある競技を隅に置いたままにするなんて。

今般いただいたメールに、ただそのことを思い出してしまいました。

 

①は私が先般やらかした事件の直前、近くで見守る舞鶴。

奥にプラケースが積んであるのが見えます。

きっと一部始終を「観察」していたのでしょう。

「私ならそんなヘマはやらない・・・やれやれ」とばかりに。

今更ながらアレを積み重ねて梯子の支柱にするなんて「常軌を逸している・・・」・・・ただそれだけ。

 

 

 

 

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2021年

5月

01日

清浄光寺鐘楼前 檀信徒有徳人 大施主の墓 

5月1日とは恐れ入谷・・・

暖かい御日和は有難いことですがあっという間に時間ばかり過ぎて呆然とするばかり。人生それほど長いようでもそうでもない・・・ですね。

1日には朝比奈原のお宅で法事がありますので昨日午後からは車の運転にチャレンジ。不安でした。

左足の打撲がクラッチの正常操作に影響があるのか確かめたかったからです。

結果はまったく問題なし。敢えて言えば両肩の痛みによってハンドルを回すのがちょいとしんどい程度でした。

 

最大の難関は正座です。

痛みを無視してムリに坐しても立つ時におぼつかない感じ、ぶっ倒れる気もしないでもありませんね。

椅子を持参するか、出立直前に決めようと思います。

 

新コロの症状は重症化して亡くなる人もいれば軽症でスグに回復してしまう方がいますね。中には無症状というのもあってそれはとても不思議なことです。

交通事故もその軽重についてはまちまちでその差は殆ど「ことの拍子と運不運のめぐり合わせ」としか言いようのない道理。

私もあの高さから落ちて骨折も頭部の打撲もなく無事だったということはそのレベルであっていわゆる「付いていた」「付きがあった」ということなのでしょうね。

 

奥方も目の前で起こったことに対して「記憶がない」ということでその状況を思い出せないといいますが、私の傷口や痛みから推測するにまず墓石の頂上に左太ももから(おそらく墓石と90度に)落ちた後、下の段には左手上腕部から、そして無意識の受け身によって地上に落ちたといったところでしょう。

打撲を受けた箇所といえば筋肉で骨が覆われているところばかりということです。

要は落下の際の巡り合わせが偶然ながら「うまくまわった」から・・・でそれが一日で退院でき法事法務に穴を空けなかった理由ですね。

 

落下角度が少しでも変わればすべてが変わっていたのでしょう。CTの画像を見てそれを評価する医師が「何、この狭窄・・・」とぼそりと聞こえましたが私の頸椎のことです。

それにより神経に触れているところで私が一番に心配なところです。

以前、外科医に「次に何かやらかしたら覚悟しい・・・」と脅かされていましたがそちらの方も何とかセーフだったようです。

すべて「巡り合わせ」が良かったということですがそれを仏教的に言えば「ご縁」でしょう。

そして一体どなたがその「付」を差配しているの?といえば思うのは私の場合は勿論決まっています。

 

その手の「付」の有無について、とやかく期待されることは「あの方」は心外でしょうが、私は阿弥陀さんと決めています。

ただし私にとって都合の悪い巡り合わせも大いに受け入れますがね。

まぁ、まだ息子に好きにやらせてやれということでしょう。

無善造悪の私、すべて承引。「縁が尽きる」が「運の付」。

 

「娑婆の縁尽きて~」(力なくして 終わる時 かの土へは参るべきなり)です。

 

さて、昨日の清浄光寺鐘楼前。

そちらには遊行寺の篤信者有徳人の円意居士と中里理安、理益という人の墓があります。

前者は寺へ五百両の寄進をし、月供料として十五両を収めたという大旦那。

後者二名は中里八郎左衛門理安とその子。

小田原北条に略奪されたままになっていた梵鐘の返還を解決させた功労者といいます。

きっと大金が動いたことでしょう。

当時のお寺がその功労者たちに感謝の意を忘れないためにこの鐘楼の下という特別な場所に墓碑供養塔を建てたということです。

 

中里の宝篋印塔は上部が失われています。隅飾りの開き具合がまさに江戸期の代物。

 

 

 

 

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2021年

4月

30日

清浄光寺 の梵鐘 時に流された数奇 捨ててこそ

1日での退院は有難いこと。

24時間にも満たない「軟禁生活」でしたが得たものは大きいものがありました。

まぁとにかく入院での病床は一言辛い。まだまだ人への気遣いをする心も残っていれば羞恥心もありますので。

 

点滴拘束の時間にあって結構に困るのがトイレ。

水分を摂っていないのにそれをもよおすのは点滴からでしょうね。我慢も限界になってそれを所望すると「ハイ尿瓶で」となるわけですがそれは私の齢では結構屈辱に思います。

自分より若い看護師の女性に「ハイこれ」とそれを手渡すことは申し訳ないことと理解していますし(仕事とはいえ)そもそもどうやってそれにうまいことやるのか教えてもらったことがないワケで(だいたいわかりますが・・・)そもそも治療室には複数の人がいますからね。

要はそこまで開き直れていない自分があるのでした。

 

朝方、ナースコールが響いて「尿瓶!尿瓶!」とお爺さんらしき人の大きな声が響いていましたが、私はまだそこまでできていません。

本当にナースのお仕事は大変です。

私など何から何まで何度も「ありがとう ありがとう」の連発でした。

そこを早い所脱出したく思い、朝から婦長さんに懇願。

「どうしても今出たいの?」との問いに「勿論今スグです」と返せば「先生のOKがでたらね」で、ただただそれを待ち続けていました。

1日も様子をみてもらえば十分でしょう。

先生も99%大丈夫とのお墨付き。

 

夜明けとともに目が覚めて、「何もすることが無い」ということは精神的にオカシくなっても不思議はありませんね。

ナースコールは一度も押さないというのは言うまでもないことですが、できるだけ「他者の厄介になりたくない」という気持ちでした。

少々病棟もうろつきたくなりましたが自制し、ただ瞑想。

奥方はここのところ救急外来で待ち惚けが多すぎることに文句を言っていました。母に叔母さんそして私ですからまぁ仕方ない事です。

 

ちなみにトイレには点滴を外してヘパリンロック。

独りでのんびりトイレに行くことに幸せを感じるばかりですが、実は尿瓶でやってくれた方が看護師さんたちにはラクなのだと思いました。トイレの外まで同行するのがルールのようで手数をかけてしまいます。その後MRIの結果から問題なしということで点滴を外してもらいました。

ただし一晩は針が差し込まれたまま。退院間際にそれを抜いていただき完全フリーになったのでした。

 

退院には私の「元気だよ 問題ないよ」(だから退院させて)の一芝居もありましたが、病床に厄介になりつづけたとしても変わることはないでしょうしとにかく自由になりたかったのでした。

 

さて、以前記した清浄光寺

正月の箱根駅伝では毎度こちらがサラッと紹介されていますね。浄土系の宗旨で以前も戦国期の大名(斯波氏、勝間田氏、横地氏等)の帰依について記しました。

寺の名も「藤澤山 無量光院 清浄光寺」で藤沢(→勝間田氏)はともかくとして無量光も清浄光もともに阿弥陀の別名。

ですから私にとっては親しみやすいお寺でもあります。

 

その寺の本堂の前にある鐘楼堂の梵鐘は結構に由緒あるもので奇異な時の流れに翻弄されています。

1356年製ですが小田原北条の台頭によって当地も浸潤。

戦地となって焼失し、梵鐘も小田原に持ち去られたといいます。

 

持ち去られたあと、北条家が滅しても尚、梵鐘は寺に帰ることができなかったようです。小田原の寺は「返してもいいが代わりの梵鐘と交換」を主張したとのこと。

そこを有徳人の力によってそれが達成することができ元に収まったということでそれを数奇な運命と呼ぶのです。

 

最期画像は拙寺本堂内に掲げられたカレンダーの文言。

「捨ててこそ」は私の頭を冷やす自戒の言葉。

 

 

毎度私は「こだわり」続けていますので。

当地の檀家さんの女流書家にリクエストしたもの。

時宗開祖一遍は空也の影響を受けその「捨ててこそ」の重大意義を語っています。

「むかし空也上人へ、ある人念佛はいかが申すべきやと問ひければ「捨ててこそ」とばかりにて、なにとも仰せられず~」

しかし羞恥心は特に捨てられない見栄っ張りの私。

痴呆になるということは実は「すべてを捨てられる」ことになるかも・・・

 

 

 

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2021年

4月

29日

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 入院即退院

 

最近奥方と「人はどこで死ぬか」「死にたいか」について話したことがあり

ます。

「病院」というのが当たり前、戦場に駆り出されているのではありません

からね。

先日も記した通り、介護施設入所して「その時」を迎えるにあたり余計

な延命処置をとらないと誓約書にサインしたとしてもまず、急変には救

急車がお迎えに来ます。

 

奥方の親族の場合は首都圏にたくさんの病院があって病状等その流

れで終末を迎えるというもので病院もまちまちです。

しかし当家の場合は祖父母父母とも榛原病院での臨終、私もきっと

そちらにてお世話になることになります。

中には当地より浜松や静岡あたりの病院に通院している方もおられま

すが私が思うに榛原病院の近くて便利は素晴らしいことだと思います。

家族の対応も早くて、負担も少ない事請け合い。

 

ただし死に場所は選べませんが希望としては「自宅です~っと」でしょう

ね。

診断書は渥美先生に来ていただいて一筆書いてもらえば落着。

まぁそれがベストなのでしょうがそれほどうまくいきません。

最近ベッドに繋がれることの恐怖(脳溢血・心筋梗塞・・・)を記してい

ますが意識が無ければそれはそれで空しく家族の心痛はいかばかりか

と思うところですが意識があればあったでまた当人にとって辛いことです。

 

昨日はあっという間に時間が経過しました。

それはいつものことではありますが昨日は特に・・・

ちょいとしたヘマをやらかしたことによるゴタゴタでみっともないやら恥ずか

しいやら呆れられるやらでホントは他人様にそれを知られることも憚れ

ることですが、反省を兼ねて記すことにします。

もっとも何故かその連絡網は色々なところに伝わっていました。

 

痛い思いをしましたが色々と体験させていただいた御礼も含めて。

反省点は各ありますが、昨日も普段通りの無茶をしたことが原因です。

その無茶はいつもなら大抵の場合、何とかお許しを頂いて笑って済ま

すことができていましたが昨日のそれはいつもの倍掛けで尚、私の思い

もしない方向に向かってしまいました。

 

私の無茶は周囲からは常軌を逸していると指摘されることが多いので

すが、昨日はいつもと違うテキトーさ加減であきらかなアホ。

それも「ド」がつくほどのものをやらかしました。

リスク承知でその手の仕事をするのでいつも「チャレンジしてくる」と一言

吐いてそれらに対するのですが、なにぶん昨日は降雨を気にして時間

に追われる作業でした。

朝方に雨が降り出したため、一旦は中止ということで庫裏に入りました

が雨はやんで「これならイケる」と一旦片付けた部材を取り出して作業

を再開したのでした。

天気予報では降りだしは夜間だったはずでただのにわか雨だろうとの

楽観です。

 

昨日は本堂の裏から西側裏手に設置した物置に電源を引き込むた

めのケーブル敷設作業をしていました。

墓地裏手にゴミを捨てる不届き者をモニターしようとカメラ用のケーブル

も同時に配線するという算段です。

ケーブルの位置は通行車両を考慮して高めに設定、4m近くあると思

いますがその距離分のケーブルと被覆管の重さはかなりあって途中で

下にたるんでしまいます。

中間地点のたるみをなおそうにも丁度各所にハシゴや植栽用の脚立

を配置していて、上がる術がないことがわかりました。

 

雨が降りだして、一応天に向かって文句を言ったことを覚えています。

「雨は集中力を奪う」でした。

雨の日は作業をしないというのはいつもの決まりですが昨日に限って

「まぁいいか・・・」と続行。

1.5mの脚立をハシゴ状に開いてトップに立ってケーブルを何とかしよう

という策でした。

支えは近くの墓石に失礼して立てさせていただくことにしますが脚立を

直接墓石に掛けられませんので毛布で養生しようと思いました。

しかし雨も降りだしているため近くに転がっている酒ケースをその間に

ハメ込んで積み重ね、墓石を保護することにしました。

「絶対ヤバい」と思いつつです。

ケースを積み重ねてそれに乗るというのも考えましたが結果としてはそち

らの方がまだマシだったかも。

晴れた日ならのんびり鉄管パイプで足場を作るところから始めるのです

がつい「いい加減」をやらかしましたね。またいつもならそちら周辺がパイ

プ置き場になっていてお気軽でしたが、手頃の物が会館前にまだ置き

っ放しになっていましたので。

 

ということで達磨落としの如く酒ケースは崩れ落ち、私は3m下に落下

したのでした。左足を墓石に打ち付けながら。

こういうバカ経験は以前ならよくあることでかつての会社の同僚の場合

も私の場合も「メシ喰やぁ治る」と笑って放置されたものですが、知らな

いうちに奥方は救急車を呼び付けていました。

コロナ禍で大変な時に医療従事者の手を煩わせるなんて・・・叱りつけ

ましたが「仕方ないだろ、死んだかと思った」でした。

記憶にありませんがきっとハデな落ち方をしたのでしょう。

「記憶にありません」と政治屋の皆さんの使用頻度の高い言葉は本来

こういう時に使うのだと合点もしました。

ガラガラガッシャンのあと数分間記憶がそうなんです。

ちなみに下で脚立を押さえていたのは奥方でした。

 

いつもの榛原病院救急外来に運び込まれてスグ点滴と痛み止め。

島田か榛原と言っていましたが車の中で榛原が決まって一安心しまし

た。

痛み止めに関しては左足の大腿部の痛みについて救急車の中での

質問に応えたからでしょう。

点滴用の針を射された際のそれは初めての経験だった私はその射し

こみの痛みでクラクラしてきました。注射とは明らかに違う痛み。

それも看護師の言葉「失敗しちゃった ごめんね」それが何よりキツイ。

「その失敗」については致し方なし。誰にもあることですから。

ただしそれは知らせないでヨシ。知らぬが仏なのに。

気が付けば余計に1か所絆創膏が貼ってありました。なるほどね。

 

そしてまた初めての経験はPCR検査。

鼻からでした。それが聞きしに勝る不快さ。あっという間ではありますが。

入院患者はまず個室に入りますが3日後にもう一度PCRをして安心

を確定させるそうです。

そうしたら大部屋に入れるシステム。鼻づまりを起こしています。

 

私のスグあとに救急車で搬送された方は交通事故が原因でした。

青信号で交差点に入ったら左から車に衝突されてその弾みで対向車

にも衝突したとのこと(カーテンで仕切られていますが聞こえてきます)。

その方は大概の処置をされてレッカー移動に立ち会ったと言われるご主

人とさっさと帰宅していましたが何という幸運だと思わされました。

その状況を聞いていて場合によっては死に至ることは承知しています

から。

私はといえばずっと処置室に寝かされ、奥方は待合室での時間でした

のでそのご夫婦の「さっさと帰宅」には「いいなぁ・・・」。

レントゲン、CT、そして最後に念のためのMRI

経過観察入院とあいなりました。

骨折もなくおかげさまでしたが打撲のためか全身筋肉痛の症状。

寝返りがしんどいのはありますが・・・

 

尚、私の右側面には縦に30㎝ほどの切り傷がありますが(当家では

刀傷と言っています)、それは20年近く前に木から落ちて肋骨を折った

際の枝による外傷。救急車の中でも治療室でも「コレどうしたの?」と。

手術経験の有無についての問診に対して「ありません」の応答をしてい

ましたがそれを訝しく思ったのでしょう。

 

「入院」というのも初めての経験ですが、ハッキリ言って夜が長すぎます。

もはや限界、苦痛以外の何物でもありません。

時折響くアラームにナースコールが静けさの中、聞こえてきますが一番に

気になるのはベッドを自動調節するエアコントロール器?の稼働音。

うるさすぎて止めてしまいました。

 

「落ちたくなければ高い所に上がるな・・・」と友人に言われましたが高

い所に上がれば落ちることは私の方も百も承知。

バカとでも何とも言ってくだされ。私の与えられた仕事です。

境内作業中にそれも如来さんのバックで命を落とすとなればそれはめで

たきこと。

葬式は息子がヤルでしょうし今後の法務は任せてあります。

 

それでも一番恥ずかし・・・と思ったのは「あら住職さん・・・」と病室で看

護師(檀家さんの娘さん)にご挨拶されてしまったこと。

マスクを着けていても「スグにわかった」といいます。

それが「色が黒いから」・・・

いい歳をして恥ずかしい事ばかり。外仕事をしているから「黒い」のであ

ってありがちなゴルフ焼けではないのですが。

今は墓場や山城も歩けていませんし。

 

しかし如来さんの真後ろの出来事で如