長谷寺の山 初瀬墓地再訪 天職とは・・・

予定では静波の墓地の整備に向かうつもりでしたが、雨の時間があるとの予報でヤメにしました。

よって奥方に言いつけられた大工仕事と先日購入した角材の残りを加工、寝床の部屋の梁の下にかましました。

まぁ気休めの部類ですが・・・。

少しは違ってくるかも知れません。まぁその時、その耐力を確認する場合ではないでしょう。

角材は梁と床の間のサイズ原寸より2mmほど長めに切りましたがソフトハンマーで叩いても入りきれませんでした。よって急きょジャッキをかまして沈んでいた梁を数ミリ上げて設置完了。午後はそれを固定する金物を求めに・・・

 

4月も中旬すぎて、新卒者の退職が増える頃。

今や退職代行業なるサービスがあって今は繁忙期と。

会社を辞めるのもお気軽ということですね。

「ダメ」の結論を出すということですがダメを無理して継続、自身を痛めつけるよりもさっさと退職、新天地に希望を抱いた方がマシですからね。

 

「レボリューショナリー・ロード」なる映画の中で、これから会社を辞めてパリに行くという主人公にその同僚が「パリには天職があるのかい?」という単純な質問に対し彼は「少なからずここにはない」といった台詞がありました。

世の中でそれこそ天職であると誇れる仕事に巡り合える人はそうはいないでしょうね。

要は「天職」の存在を夢見ていたら・・・人生は終わってしまうだろうから。

 

ちなみに私や息子など寺に生まれたことから選択肢は他にありません。そういう意味からして今の仕事は必然であり自然。

よって天職なのかもしれません。

私は「天」といえば浄土世界をイメージしますからそれは「阿弥陀さんのお仕事」でよろしいかと。

 

扨、先日は奈良長谷寺を奥方を連れて歩きました。

長谷寺といえば長躯399階段とその先の巨大な十一面観音です。

京都の貴族たちもこちらへのお参りを欠かさなかったこと、広範囲にわたって派生造立、影響を及ぼしたその観音のスタイルは私としても今一度お目にかかりたいということもありましたが、そちらを奥方にご紹介すること、また拙寺遠足にこちらは如何?とその感想を聞き検討するという意味もありました。

 

しかしながら私の本当の目的はあの観音堂より更に奥、初瀬墓地の墓域をただ歩くこと。

また墓域の最も奥から観音堂の背後に廻りこみ、屋根越しの景色を望みたいとも考えましたが、それは木々の繁茂があって眺望は不可でした。

道も途中で消え、奥方は携帯電話を取り出して息子や義母に「こんな酷い目に遭わされている」とボヤキ出しましたのでもはや無理と引き返しました。

 

奥方の意見

「遠足はまずあの階段のストレートを見ただけで皆さんは怒り出すだろう」と。そして二度と遠足には来てくれなくなるかも・・・ということでした。

 

初瀬墓地で私が一番に印章深く頭に残っている洪水墓碑(こちらも)への案内など絶対に拒絶されるでしょう。

以前もこの初瀬墓地散策の魅力について記しましたが、現代の新しい墓地も奥にあって、お参り用グッズが収められた小屋が六地蔵堂の並びに設けられています。

そちらの最近建碑されたであろう墓地群墓域の荒れ具合も酷いもので草ぼうぼうです。この時節その様ですからこれからもっと酷くなりそうな気が。

また夏場等はこちらに立ち入る酔狂は有りえないかも。

その奥の墓域には昭和・平成から令和まで新し目の墓が勢揃いしていますが、最近お参りに来られたような形跡はナシ。

 

奥方との会話。

人が死ぬと「あっという間に忘れられる」ものであるとの確認。それは仕方ないことかも。

縁者たちは皆今生きることに必死だから。

故人たちの想いも「別れの悲しみを忘れて前に向かって生きなさい」それ一つでしょう。

 

何よりこちらの墓地は気軽に行きにくい山の中腹です。

そういう場所に静岡からやってくるというのはかなりの変わり者夫婦なのかも。

ちなみにその「レボリューショナリー・ロード」は夫婦の問題

を描いた真面目な映画です。

あの「タイタニック」のコンビが夫婦役。その映画の続編でも何でもありませんが・・・言い争いなどないように、心がけよう。

 

最後の画像が初瀬墓地に上がる道で出会ったイタチ ?の夫婦。

その姿に癒されたか続けて奥方は山道に歩を進めてくれました。