地域の古文書

入手出来次第アップしていきたいと思います。

牧之原市に伝わる「むかしばなし」 2点

           牧之原市教育委員会発行 「波っこ」から

家康のかくれ井戸 ブログ2012.5.10

家康が天下統一を成し遂げる前の昔の話です。

家康が戦で追われ、今の細江の根松あたりまで逃げてきた時のことです。

その頃の根松は大きな木で囲まれた百姓家がぽつんぽつんとあり、田畑は屋敷の囲りだけという寂しい所でした。家康は敵の追手に追われ、数人の側近と共に身を隠す場所を探しておりました。

数十騎の敵は背後に迫っています。とある一軒の戸口を叩き、

「敵に追われている、匿ってはくれぬか」と頼みました。

その家の主人が出て来て、困った様子で、

「さぁて、こんな家の中に隠れてもじっきに見つかるで、どうしたもんか」しばらくして、

「そうだ、ええとこんある、こっちへ」と屋敷のすみの大きな樫の木のそばにある井戸の所まで案内しました。

「今年は日照り続きで、井戸の水はだいぶ干上がって水の深さは大したことはないで、こん中に隠れるとええ」と太い綱を使って、家康とその家来を次々と井戸の中に降ろしました。

「しばらくの辛抱だで、咳などしんように」と声をかけ、急いで井戸のふたを閉めました。追手の声がだんだんと近づいて来るのが、井戸の中に居てもわかります。とうとう、この屋敷に踏み込んで来たようです。家康たちは、

「もはや、これまでか」と覚悟を決めました。敵は、

「家康が逃げ込んで来たな。どこだ。匿うとためにならんぞ」と怒鳴っています。主人はひるまず、

「何をおっしゃるだ。わしらん家の者たちはこのとおり、戦から逃げる支度で、朝から出たり入ったりしていて、おかしな人は一人も見ちゃあいんし、通りもしないっけに」

「そんなはずはない。逃げ込んだとすればこの家しかない。家の中を探すぞ」と、どたどた踏み込んで来ました。ついに庭の納屋から井戸のそばまで来ました。すると主人が進み出て井戸の前に立つと、

「お侍さん、わしん思うに家康はもっと南に逃げたのでは無いかのう」と落ち着きはらって言いました。追手はしばらく考えていましたが、

「うーん、これだけ探していないとすれば、そうかも知れん。皆、浜まで下がれ。松林の中をしらみつぶしに探せ」と叫び、走り去って行きました。どのくらいたったでしょう。あたりが静かになった頃、主人は井戸のふたを取り、

「お侍さん方、はぁ、大丈夫だに。綱を降ろすで、上がっておいでなはれ」と呼びかけました。

「かたじけない」「助かった」と家康たちは井戸から上がりました。主人は家の中に招き入れ、

「こんなもんしかないけぇが」と白湯を一杯づつ出してくれました。家康はこの主人の気転と度胸に大層喜び

「わしが天下をとったあかつきには、お前をこの辺り一帯の地主にしよう。まずは以後前田と名乗るがよい」と言って『目通り土地を許す』とのお墨付きを残し、家来と共に去ったということです

海から出た如来像 ブログ2012.5.11

むかし、波津(はず)の村に藤六という漁師が住んでいた。

六人きょうだいの末っ子で、貧乏な暮らしだったが、毎日仏様を拝んでいる心の正しい若者だった。

ある年の暮れ、もうすぐお正月だというのに、時化でまったく魚が捕れず、漁師たちはみな仕事を休んでいた。

だが、藤六は一日でも漁に出ないと、その日の暮らしにも困るので古い小舟に乗って一人で漁に出た。一日中網をおろして漁を繰り返したが、さっぱりえものにあたらなかった。冬の日は短くて、あたりはもう薄暗くなったので

「がっかりだが、これでしまいにしようか」と一人つぶやき、網をひきながら、海をながめると、不思議な光にふと気づいた。

その光は「愛鷹岩」(あしたかいわ)のそばで、海の底の方から差してくる。

「何だろう?」藤六は気味わるく思いながら、その日は家に帰った。

次の日も、またその次の日も海の底から光が差してくる。

 はじめは驚いた藤六もなれるにつれて、その光がだんだん清らかで尊いものと思うようになった。そして舟の上から、光るたびに両手を合わせて一心に拝んだ。すると、それから網を入れ、引き上げるたびに、網も破られるかと思われるほどの大漁が続いた。

「ありがたい ありがたい」藤六は大喜びで

「これでいいお正月がすごせるわい」と、なお漁にせいをだした。

 この様子はすぐ他の漁師に知れて、みな不思議がった。

「こんな時化続きの海であんなに漁のあるはずはないわけだが」

「貧乏な藤六に限って?」

みんなはどうも合点がいかない。漁師仲間の一人、源七は藤六の家を訪ね、それとなく聞いてみると

「俺の貧乏を神様が救ってくれるのかな」と言いながら、あの不思議なことを話した。これを聞いた源七は

「そんなばかなことが?」と思いながらも

「よし、俺が見届けてやろう」と、その夜藤六の小舟のあとをつけて沖へ舟を出し、息をころして待っていた。

 すると突然海の底から、さっと光がさしたのに気付いた。藤六を見るとその光に向かって手を合わせて拝んでいる。こっそりその様子をみていた源七も真似をしてさっそく手を合わせようとした。そのとたんに、

「う~む!」と大きい不気味なうめき声を耳にした。源七は度胆を抜かれてそのまま舟の中に気絶してしまった。一方藤六はいつものような大漁に舟を魚でいっぱいにして、意気揚々とひきあげてくる途中、おぼろ月に照らされて、一艘の小舟が漂流しているのを見つけた。

舟を漕ぎ寄せてみるとあの光のことを話してやった源七が気を失っている。

 驚いてその舟に乗り移り源七を自分の舟に移し、家に連れ帰って介抱した。ようやく気が付いた源七はあの不気味な声を藤六に話した。藤六は

「俺にはそんな声は聞こえなかったがなぁ」とは言ったもののなんだか気味が悪くなって怖気づきそれからしばらく漁を休むことにした。

 やがて時化は収まり穏やかな海になったが、村の漁師たちは不思議な光とうめき声を恐れて海へ出ようとする者は誰もいなかった。

「愛鷹岩には雷さまが住んでるぞ」「それは、せんころ落ちた雷さまかな」とおかしな噂もたつようになった。しかし、村の漁師たちはいつまでも怖がってばかりいるわけにはいかない。みんなで集まって相談したすえ

「いったいあの海中で光るものは何かなぁ」ということで、それを調べてみることになった。だが

「誰に行ってもらおうか」となると、やっぱりみんな尻込みして

「よし俺が」と言い出す者は一人もいなかった。そこで色々話し合いのすえ、藤六とその他若くて強い三、四人が選び出された。

 その当日、一艘の舟が磯ばたに引き出され、隅々まですっかりお清めをし、漁師たちも身を清めて、互いに水盃を取り交わし、大澤寺の住職さんも頼んで舟に乗ってもらい、藤六の水先案内で、愛鷹岩に近い漁場に向かった。

 光もののする場所へ着くと、まず住職さんが数珠をもみ、声高々とお経を唱えた。ついで、漁師たちがひと網

「ざぶーん」と海中に網を入れた。しばらくして、おそるおそる網を引き揚げてみると、不思議なことに

『阿弥陀如来』の像があがってきた。


「如来様」は一時藤六の家でまつっていたが、こんな貧しいあばら家ではもったいないと言って、下波津に小さな御堂を建て、そこに安置した。それから漁師たちはいつもこの如来様に大漁を祈っては海に出かけた。

 ところが気味の悪いことに、この阿弥陀如来様が夜になると、ちょうどあの時化の晩に源七が聞いたような<うめき声>をたてた。みんなの耳にはその声が、

「行きたい 行きたい」と聞こえるのだった。ひこで村人たちは気味悪がって

「如来様はこの御堂では気に入らず、もっと大きなお寺に行きたいのだろう」と考えて、大澤寺の住職さんに頼んでお寺でまつってもらうことにした。ところがおやっぱり毎夜うめき声をたてる。どうしたらよいのか、村人たちはわからなくなってしまった。ある人が言うには

「大澤寺には聖徳太子様がお作りになったという、同じ阿弥陀如来様がおいでるので、やっぱり他のお寺でおまつりしたら」と、また元の御堂に移した。けれども、毎夜

「行きたい 行きたい」といううめき声が続く。とうとう村人たちは文句を言いだした。

「この如来様は始末におえない。いったいどこに行きたいというのか」そして

「お前が何とかせい。如来様を元の海の底に捨ててこい」と藤六に詰め寄った。

 信心深い藤六は悩んだが、どう考えても海に捨てることは出来ない。かといって家の中に置くと村人に見つかって、如来様を壊されでもしたらと思い悩んだ末に、庭の隅へ浜から綺麗な砂を運んで、そっとその中に埋めて、こっそり毎日拝んでいた。

 それから星移り、年変わり、心の正しい藤六は歳をとるにつれて人々から頼りにされ、村人から色々な相談を受けた時、そっと如来様を拝んでいると、いい知恵が浮かんでくる。

勤勉な藤六は暮らしも豊かになり村人から尊敬されて、安らかな生涯を送ることができた。

 藤六が亡くなってしばらくしたある年の時化の日に、藤六の家の庭だった所の砂が流れてあの如来様の像が静かな光を放っているのを通りがかりの人が見つけた。村人は初めて藤六が如来様を海へ捨てなかったことを知り、心を打たれた。

そうしてあのとき如来像が「行きたい 行きたい」と言ったのは、貧しい藤六の所だったのかと。

「砂の中でも如来様は安住しておられた」

村人たちはそのいきさつを悟って如来像を藤六のお墓のある大澤寺に大切に安置した。

 この「海から出た如来様」を拝むたびに村人は、立派な漁師だった藤六のことを語り伝えてきた。