●シルクロードに生まれた阿彌陀経

 

浄土思想のなかで特に浄土真宗の親鸞について語りすぎたように思います。

平安時代の浄土信仰を宇治平等院を中心に考えてみるというのが、こういう主題の常識であるべきだからです。

  しかし平安時代の浄土信仰は情緒でありすぎます。

日本の主知説的な傾向は十三世紀の鎌倉時代から始まるといってよいかもしれません。親鸞はその時代の人でした。

 さらには日本思想史の中で最初の思想家としての個性として親鸞を重んずることで浄土思想を考えたかったのです。

親鸞は日本史の中では最初の思想家らしい人物でした。

その思想は独創的でありましたし、さらに仏教とは何かを最初に悩んだ人であります。  

じつのところ、仏教というのはあまりにも多面的であまりにも夾雑物が多すぎ、よくわからない思想でした。

釈迦とは何かということについても、実は想像せざるをえなかったのです。

私は親鸞の想像力を買いますし、また事実、想像を非常にすばらしく働かせた人だと思っています。

ご存知のようにお釈迦さんは原則として不立文字(ふりゅうもんじ)だったわけです。

お釈迦様はあれだけの家の出の人で、サンスクリットの文法にも通じていました。

サンスクリットは考えたり議論をしたりするための人工語で、非常に精密にものが言え、論理的に修辞的に言えるわけですが、お釈迦さんはこの言葉を使うことを嫌い、

また文字によってその思想を残しませんでした。 

キリストのように救済を目的とし、かつ啓示でもって教義をつくりあげる宗教者なら不立文字はなりたちません。

彼は人々に「こうしてはいけません」「こうしなさい」と教えを説きつづけました。

マホメットもそうであったように、肉声を感じさせるような言葉でもって人々にいろんな規範を与え、倫理を明確にしたりして神に喜ばれる方法をさとし続けます。

 

釈迦はキリストのように救済は説かなかったのです。

釈迦は解脱(げだつ)を説いたのです。

解脱は禅宗の「悟り」と同じで、それは文字を用いたり、言葉で説明したりすることでは果たせないのです。

ですから、釈迦が何を言ったか、釈迦はどういう思想を

持っていたのか、よくわからないのです。 

百年後に「お経」ができて、我れかくの如く聞くという「如是我聞」から始まりますが、それがお釈迦さんの思想だったかどうかはわかりません。

 

 仏教は発祥地のインドで衰弱してゆきます。

その理由の大きな一つは、平等を説きすぎたからでしょう。

釈迦はインド的な差別制度であるカーストを認めませんでした。

そのことがインド人にとって魅力的だったという時代が過ぎ、カーストを認めないことに、逆にそれじゃ空想じゃないかという「とりとめのなさ」を感じさせる時代がはじまったのだと思います。

 

 仏教は北上します。北上してゆくうちに、かつて西の方からやって来て安住していたアレキサンダーの兵隊の子孫、いまのアフガニスタン、パキスタンあたりに住んでいた連中と出会います。彼らはヘレニズムを持っていました。

特技はヴィーナスを作る能力で、つまりは人間とそっくりの物を作れる彫刻家を持っていました。

そこへ非常に形而上性の高い仏教が北上してきて混じり合ったときに、土地の人が「そんな難しいことを言われても我々にはわからない、その仏様はどういう形だ、

教えてくれれば私たちが彫刻や絵画にしてみせる」と言ったであろうことが仏像の始まりだと言われています。 

 

 これがガンダーラの発祥で、ギリシャの造形能力とインドの思弁能力や形而上性とが合致したわけです。

その場所から仏教と仏像が、日本に向かって歩き始めたわけで、ずいぶん歳月がかかっています。 

日本に向かって歩き始めた途中、今日流行りのシルクロードの辺りでどうやら阿彌陀信仰やお経ができたようです。

ですから、浄土教というのはお釈迦さんとも関係なく、仏教そのものの正統の流れともじかの関係はありません。 

 

釈迦は「皆さん自分で解脱しろ」という。

ところが「そうしなくてもいい」と阿彌陀如来は言うのです。

つまり阿彌陀如来には固有の「本願」というものがあって、人を救わざるをえない、人が逃げ出しても救ってくださる、そういう救済思想が、仏教の名を冠して登場して

きたわけです。 

仏教における救済思想の誕生はキリスト教と関係があるのか、あるいはペルシャのゾロアスター教の刺激をうけたか、ともかくも救済宗教が既存した土地で阿彌陀経が

成立したんだと思います。

 

 このことはすでにもう明治時代に言っている人があります。

明治時代どころか江戸時代の富永仲基(171546)という人も浄土教だけでなく、それを含めた大乗仏教そのものが~大乗の諸教典をむろん含めて~「仏説にあらず」

つまりお釈迦さんの教えにあらずと言ってますが、これは大したものです。

 

 しかし宗教というものは思弁的なものであって、歴史学的なせんさくを必要としないものです。

いずれにしてもこうして阿彌陀経ができ、やがて中国に行き中国語訳されて日本に伝わって大きく花をひらかせることになります。 

阿彌陀さんというのはインドの土俗の中の一つの「神」としては、お葬式を司る人だったそうです。それが阿彌陀経を書いた無名の天才によって大きく格上げされ

阿彌陀仏とか如来とかの高い位の者になりました。

 さらには阿彌陀如来が浄土教の教主(釈迦が教主ではありません)でありながら

教主そのものが真如という普遍的真理になってゆくのです。

そして絶対者になります。

 

キリスト教の絶対者は万物を創造しましたが、阿彌陀経の絶対者(如来)は宇宙やこのあたりの草木、空気、塵にいたるまであまねく充ち満ちているのです。

私ども人間も阿彌陀如来の一表現であるとも言えます。 

阿彌陀如来は唯一の無限者です。私ども有限者がその無限者と交渉を持つのは、感謝を表すだけでいいのです。

それが南無阿彌陀佛というお称名というものです。そういう思想が始まったのです。

 

※ここでの阿彌陀経は通称で浄土三部教のことです。

 

→日想観