2026年
7月
22日
水
宝永四年に横須賀湊は埋まる 御前崎先端の岩礁地帯
体調はいたって好調、踏ん切りを付けて今日は草刈りから・・・と宣言。静波墓園と境内の繁茂した雑草どもを一掃しようというものです。
気合をこめたその宣誓を息子と奥方に。すると息子は「今日はダメ」、奥方は「洗濯があるから一人でヤレ!!」のつれない返事が。
仕方がないのでテラスから草刈り機を持ち出して「イザ整備」の段、燃料をキャブレターに送り込むプライマリーポンプが劣化して破損の様を親指が確認しました。
「何だこれは・・・」茶色に変色して割れていました。
数カ月前は息子が動かしていたのですが・・・
まぁそういうこともあらぁな・・・と割り切ってそのパーツを購入に走りました。
どうにかなるかと思っていれば、私の刈り機用のそれ(ポンプ単体ではなくポンプにベースが付いているタイプ)は在庫していず、何種類かあるパーツの棚の前で立ち尽くしました。
ということで帰宅し、ネットで検索。一応は注文した次第。何日かかかるよう。
そして配送料無料のうえ単価が安いため5個セット(900円程度)でした。
1つが劣化して不使用になるのに最低3年。残り4つを使い切る前に「こっちが劣化」することは目に見えています。機械の方もそこまでもたないでしょうし・・・生きていると何とムダが多いことか・・・
まぁ「今日の草刈りはヤメロ」のお達しであると心得ていますが・・・
午後からは史跡研究会のミーティングがありましたからヘロヘロになってまで仕事をする気にはなりません。
扨、その会では田沼時代に大規模な水路の構築の計があり、その実際たるや如何なるものだったかを検証している方がいらっしゃいます。
その計画とは今思うに信じられないような無謀で画期的をも思う工事ですが、結局は計画倒れで終わったよう。
それが遠州灘―駿河湾を結ぶ水路の工事。台地を避けて内陸部の低地を掘削していこうというものでしょうが、思うに遠州灘から堀新田―比木を流れる筬川を利用、浚渫し幅を広げ、須々木川までの比較的高地箇所を掘削していくようなものだったのでしょう。大舟を通す為には大規模な工事が不可欠です。
案外、田沼時代が続いていたとすれば完成させたかも知れませんね。
何故にしてそこをショートカットさせたかったといえば理由は一つ。遠州一番の難所、御前崎沖の岩場の座礁帯リスクを回避したかったのでしょう。
昨日はこの遠州中部の古地図を見回して想像を巡らせながらあれこれと楽しませていただきました。
横須賀湊があの南海トラフ地震として名高い宝永四年の隆起によって使用不能となっていたという記述が印象的。
相良湊は安政地震の隆起と土砂堆積によって舟が入らなかったということでしょう。
それにしても御前崎沖の岩礁地帯の表現は怖すぎます。
あの絵図を見たら誰も通過したくなくなるでしょう。
今の地名と前後するところも見受けられますが・・・まぁこちらの地図の作製は明治になってからでしょうね。
2026年
7月
21日
火
天王山山崎と油と水そして酒 祖廟開門時間と仏前婚儀
W杯終わって気づいた事。というか再認識しましたが、あのトランプという男は完全に老害のクソジジイ。
あの躰を見て「歳はとりたくねぇーなぁ・・・」と呟いてしまいます。最近の私のいつものフレーズ。
数万人のブーイングの中、あたかも優勝チームの歓喜の中の主人公の如く振る舞い、挙句の果てに「次もまたアメリカで開催(カナダとメキシコ抜きで)したい」の暴言。
4年後2030年の開催地(W杯100周年記念大会)は既に決定して(スペイン・ポルトガル・モロッコ+ウルグアイ・アルゼンチン・パラグアイ)いますからそれは覆しようないところです。
また開催国、立候補準備国は目白押し。未だ開催国になっていない国はまたぞろあります。
我も我もと手を挙げるべく目論んでいるところに、「再びアメリカに」の傲慢さ。
現状複数の国々との共同開催というのが常になりつつありますが「アメリカ単独開催を」の吹聴ですからまともな御仁の言葉ではありませんね。
どういったお頭を持ち合わせているのか、そっちの方に興味が沸くところです。
そもそも100歩譲って2034年の開催に例のインチキ忖度がまかり通ってアメリカ開催が決まったとして・・・あんたそこまで生きてるつもり? 私でさえその未来の事などまったくわからないのに。
お目出度い奴さん、とことんお目出度いものでした。
私にはただのジョークであると受け流せる力量を持ち合わせていません。
そもそもアメリカという国は好きでしたが今となってはイランの応援団に加わりたいくらいですよ。
早い所の退場を願ってやみませんね。要は「戦争なんてやめてくれ」ですがね。
ネタニアフに踊らされているのも見え見え。
扨、先般遠足二日目は前日の晴天からうって変わって朝から雨。
朝一は大谷祖廟の分骨がありましたから、あの坂と階段を早足で登りました。
最後の画像2つが祖廟のカット。
開門時間の変更と祖廟での結婚式開催のポスターです。
時間の変更はともかくこちらの仏前結婚式はお気楽です。
派手なそれは最近流行りません。家族と親しい友人限定で如何?
初日の行程の最後が天王山。
以前バス遠足でその近くに皆さんをお連れしていますが(サントリービール工場と勝竜寺城 または)まぁその界隈再びという企画ですね。
本当は天王山の色々のお楽しみを紹介したいところですがあの印象派の絵画でお馴染みの大山崎山荘美術館などバスでの回遊はできませんし、大山崎駅前の妙喜庵なども予約と人数で無理。
というわけで山崎の合戦で秀吉を迎え撃つに明智は人に任せるでなく自らが早く天王山まで出張って陣中指揮をするべきだった・・・などと車中勝手な感想。その狭く細い街道両脇に薪を積み、当地の名産の油(→離宮八幡)を蒔いて秀吉進軍時に日をかける作戦を披露。まぁ絵空事。
それをやれば街を焼き払うことになりますから光秀は躊躇したいところでしょうがね。
また天王山といえば名水。
そして水→酒となって、以前のビール工場からの流れに。
参加者のうちまったく興味がないという方もいらっしゃいましたがサントリー 山崎蒸溜所へ詰めかけました。団体受入れ可能の場所です。
大抵の皆さん方は売店での買い物に、高価なウィスキーの試飲を楽しんでいました。
さぁ、8年後 何してる?
2026年
7月
20日
月
肝を冷やす雨天迷子の件 仏門に入った後水尾院
昨朝の暗いうちからの雨音には驚きました。
ただしほんのポツポツ程度で朝までに境内の路面は乾ききっていました。
天気の事ですから文句のつけようがありませんが、私の場合は法縁があれば皆さんが集まりますので、そこのところの難儀を考えてしまいます。
毎度記していますが、私事墓参の際の諸面倒については「大したことなし」の割り切りがありますので、私自身としてはおまかせするばかり。
直近でいえばその降雨にストレスを感じたのは先般6月2日のこと。
天正十年のそれは当流にとってハッピーデイなどと軽口を叩いているのではありますが、その拙寺バス遠足2日目の雨は閉口ものでした。
特に結局は早上がりとなって早々に帰路につくなど諦めも早かったわけですが、それは大原で奥方と漬物の土産物でもと店前をふらついていると奥方の携帯に着信が。
今回の遠足に参加されたお二人が「迷子になっちゃった~」の連絡。山の下り道を誤ったとのことでした。
しばらく経つと「それからバス通りに出て停留所からバスに乘る」とのことで電話が切れました。
解散して自由行動というのが私の企画の楽しみの一つ(自賛)です。
また「迷子」というのもこれまで幾度か経験していますが各自携帯電話所有の現代ではさほど緊迫した状況には至りません。ただ「○○の近くにいます」と言われてもそればっかりは私にも理解不能でハッキリとその位置が特定できませんが。
路線バスに乗ったとしてそれからどうしたかが疑問に残りました。雨天ですから日頃「機敏に対応」を旨としている私もすべてに於いて二の足を踏みましたね。
そして早めに切り上げて私どものバスに戻ればまだそのお二人のみ着座されていませんでした。
車中待機中の皆さんにその旨話すと「まさか京都行のバスに乘っちゃったのでは・・・」とただ事ではない推測まで飛び出す始末。一瞬「ニヤ」とはしましたがね。
時間がランダムに変更していましたので「待てば海路の~」ではなく「まさかね・・・」といいつつ奥方に再連絡を頼むと、路線バスには乘ったものの停留所二つ目あたりから大原に戻って近くの喫茶店で待機してるとのことでした。
そんなドタバタがあったことを忘れてはイケませんね。
まぁ忘れられない思い出になりました。
そして少しばかり肝を冷やしました。
京都駅で待ち合わせなど考えるだけでもトホホですからね。
まぁすべてが終わってみればまったく大したことなし。
いつもの仕合わせを感じた次第。おかげさま。
扨、昨日は天皇陵墓の仏教的遺構について記しましたが、雨の大原バス停③④で見かけた「相国寺承天閣美術館開館四十周年〈II〉 後水尾院の京」のちらしを。
「室町時代に足利義満によって創建された相国寺は、中世の動乱によって多くの伽藍を焼失しました。近世になり、復興に尽力する僧侶たちに手を差し伸べたのが、寛永文化の主導者、後水尾院でした。後水尾院は相国寺僧、昕叔顕晫を師として仏門に入り、複数の伽藍を再興しました。」とあります。
天皇が坊さんを師に仏門に(法名 円浄)・・・
臨済宗にとってはこのうえない「有徳なる人」でした。
文化という面でも保護者となっています。
2026年
7月
19日
日
後鳥羽・順徳陵墓隣の法華堂 本尊は普賢菩薩
前夜の天気予報はおかげさまで、またも大ハズレ。
午前中まで降雨という予報。
それにビビって前の日からゴミ出しの準備をしていました。
水屋から花ガラが詰まった袋3点を一輪車に載せて山門裏までは混んだり、その日は本堂ではなく無碍館での法縁のリクエストがありましたので前日にその用意を済ませました。
雨中、各々動き回るのはまっぴらですからね。
しかし予想は外れ、晴天の強烈な日差しの下、お墓参り。
関東方面にはドカ雨のニュースがありましたが、昨日は雨粒の一滴もありませんでした。夕方にさっとでも降ってもらえれば水やりをやらずに済むのですが・・・ちょっとムシが良すぎるか・・・
まぁ気象庁殿は意固地になっておられるのかも。
梅雨明け宣言とやらがまだのような・・・
扨、先日の後鳥羽・順徳陵墓。
後鳥羽天皇側柵内に眼をやれば十三重塔石塔が。
天皇家の文化に仏教は欠かすことができなかったということは周知ですが、陵墓の中にチラっとだけですが確認できるたことは面白い。
陵墓のすぐお隣の法華堂は後鳥羽院由来の堂ですが、本尊は普賢菩薩と。火災焼失と再建の歴史がありますのでその本尊は江戸期のものでしょうかねぇ。
とにかく明治以降に政治屋の恣意的差配の天皇家のあれこれ
古き姿を踏襲するものでなく変てこなこじつけばかり。
自然な姿とはいえないような。
ふっと思いました。
もし「愛子天皇を実現!!」などと掲げる新党が出たりすると・・・思いっきり得票するかもね。
それら通路を隔て真ん前にあるのが実光院山門。
2026年
7月
18日
土
熱中症は個体差とコンディション ハイハイレース
朝起きてちょっとした不調の気配。
それは寝違いからなのか頭痛の前兆なのか原因はハッキリわかりませんが、私がそのせいで「あまり気がのらない」とぼそっと。すると奥方が沖縄弁のイントネーションで「熱中症 なったか~ ? 」。
猛暑といえばその語彙が飛び交うようになった昨今です。
その発症によって倒れたり亡くなったり人が数多出現し、日本全国そのニュースが取り上げられるようになりだした頃、沖縄では「何をそれを今更騒いでいるんだ?」という気持ちがあったのか
知りませんが、外で会う知り合いにそんな声をかける場面に遭遇しました。
ということで、その語を半ば「弱音を吐く」が如くに取るように。やれやれの蔑んだ意もあったかも知れません。
私も沖縄での生活からこちらに戻ってから、その語は「休む・・・サボる」ための免罪符にも取れるように感じられた時代がありました。
他者の体調のことなどわかりえませんし。
人それぞれでまた日によって時によって気分や調子は様々ですからね。
しかしある夏、私の現場で自衛隊あがりの若者が草刈り中に眼前で昏倒しそのありがちな症状を「披露」したことによって「こりゃあ嘘じゃぁない」「ホントにあるのだ」と確信したのでした。
その事件があってから私はその熱中症について人命尊重の意も含め他人様のそれへの各対応について一応は検討していったものです。
そしてそれへのノーケアはもはや社会が許さなくなりました。
その朝の私の症状について奥方は前夜の熱帯夜によって「熱中症になった」との指摘でした。
どうしてもその語に反応してしまう私は一時は自宅待機、いわゆるお留守番で・・・と考えていましたが、急いで着替えて息子の車に飛び乗りました。
要は「泣き言」との指摘を受けることは、かなわないというところ。それも「熱中症」といわれるのも・・・
その日は家族から前々から「空けとけよ」と言われていた日。
息子の長男が某所企画のハイハイレースにエントリーしているとのことでした。
奥方とその親の気持ちはそのレースへの出場に気合が入っていたようですので、私がそれをドタキャンすることはやはり気が引けましたからね。
一応私はそのレースに登場するその子の動きというものを心配しました。
お隣の子をけん制し服を掴んだり、イングランドの選手の如く平手打ちを見舞ったりの一発レッドカードをです。
しかしそのようなこともなく、泣き出して周囲を困惑させることもありませんでした。
ただハイハイなどまったくせず、他の乳児たちがそれぞれの親たちの音頭にのせられてゴールに向かう姿をただ傍観するのみ。意外にも微動だにしなかったこと。
私は「山は動かず」と天晴れであると一言形容しましたが、彼はそもそもそのような意図も親たちの希望などまったく理解していませんから。
ただ私はその様を見てニヤニヤ。
また「山」を動詞化して「ヤマル」・・・。
こじつけですが悪くない・・・(ヤマル 19歳 スペイン)
ちなみに息子の嫁は左利きです。
左利きはスポーツにおいて有利ですからね。
もしそれを受け継いだとしても矯正せず傍観します。
拙寺では焼香の際に「右」を憶えればイイだけですからね。
「疾きこと風の如し」は成長と共に身に着ければヨシ。
大きく成長する姿を見守りたいものです。
最後の画像はドンドン下がるコメ価格。
帰りに息子が即買いしていました。
春の米価暴騰以来「朝飯はパン」という家庭が増えたそう。
国民コメ離れの様相。
それでは価格どうこうの話のレベルではありませんね。
業界と国の発想と米の出し惜しみが墓穴を掘っていたようで・・・人の意図する事とは反対になることしばしば。
息子らは今のところコメ離れには至っていないようです。
2026年
7月
17日
金
スイカと海水浴場海開き ケアすべき各リチウム電池
以前なら、「そろそろ」と思う頃合いに、「彼」が現れて「仕事あるか」などと声を掛けてきたものですが、「彼」はもう来ません。
別の自治体に転居して独居。生活保護を受けられるようになりました。
その後の経過については情報が入って来ませんので、現れないということはなんとかやっているということでしょう。
彼に限らず、以前はふらっとやってきてその「簡単な仕事」限定でそれを渇望する方がまったくいなくなりましたね。
世の中「人手不足」での企業の困惑についてを耳にするようになりましたがこれはこの社会致命的現象です。
運送・バス会社の配送担当者がいないという件ですが、どちらかのバス会社では需要がある路線でもバスの運行を減便したり路線を廃止するなどでの対応をせざるを得ないそう。
そして企業側としても「誰でもいいから」というところで採用するワケではないのでしょうが、「新人さんらしき人が多くて困る」などボヤいていた方がいました。
それは郵便の配達員と介護施設のサービスの質の低下との指摘でした。
2つともごく最近得た感覚だといいますが、どちらも人の出入りが激しいようです。
就労しても「スグやめちゃう」と。
時として人手は借りたいものの私の依頼したいことといえば
重量物を持ったり梯子を使って道具を使用したり、刈り払い機を振り回したり・・・
今流行りの「フィジカルAI」の発展形であったとしてもどうにも手に負えないような仕事です。熱中症の心配はないでしょうが、飛んだり跳ねたり踊ったりのただのロボット風ではお話になりません。
おそらくそれらがリチウム電池で駆動するとしたらその衝撃への脆弱性が気になります。
いちいち、ちょっとした衝撃でバクハツ発火などされては困ります。
あれがいいこれがいい、などと色々な物が出てきますが、今気がかりなのは携帯電話や掃除機、道工具各種のバッテリーです。
以前導入したポータブル電源もしかり・・・
荒れた墓地・境内を見るのは精神衛生上良くないものがありますが、もう割り切るしかないようで。限界限界・・・
扨、昨日は観光協会主催の相良海水浴場の海開きの日。
息子が行ってくれました。衣を着込んでの海の家の会場は短時間といえどもかなり暑かったはず。
導師の御役はもっと大変だったことでしょう。
私は庫裏でかつての同級生のお母さんが「ウチの庭でとれたよ~」とお持ちいただいたスイカをパクリ。
今年の出来はイイとのこと。
その後は大工仕事のつづき。
2026年
7月
16日
木
墓じまいならぬ寺じまい 後鳥羽天皇 順徳天皇 大原陵
蚊対策をしてから境内作業。
植木いじりから始めて物置の整理を。
経年シロアリにやられ雨漏りが発生、そちらに置いてあったテントが水浸しになっていたことが判明したのが盂蘭盆会法要の前日でした。
その後ご門徒さんからプラ衣装ケースの提供を受けたわけですがその置き場所についてここ数日間検討していました。
テラス1階は満杯ですし2階は上げ下げが面倒。
ということで3ケース同時に移動可能の台車に載せて本堂裏に置くことにしました。本堂脇に製作したスロープが生きましたね。
夜間はNHKクロ現。
内容をざっと転記すれば「各地の寺や神社が不動産会社やブローカーなど国内外から狙われ、高値で取り引きされる事態が起きています。気がついたら建物や墓が取り壊されたり、納骨堂におさめていた遺骨が消えたり、住職が姿を消したり・・・。」
いろいろありますねぇ。
昨日の待合室の会話であった「お寺は大変」の言葉を思い出しました。
「住職が姿を消す」・・・いわゆる夜逃げですね。
何かやらかして(まずは経済的負債)こっそりと姿を消すなど、まさに以前あった民間のそれと同様で苦笑させられますが、他人事ではありません。
金貸しに返済を迫られて白紙委任状と実印・印鑑証明を渡して姿を消す。どなたでもありうることです。
そんなことがお寺や神社で起こるのですから酷く無茶な時代になったことは確か。
遺骨が消えてしまうなどの例もありました。
当地では知らないうちに墓地が開発者(石材店)の手に渡り新規に墓地開発が行われた例がありました。
先日そちらに墓碑があったという方の話を聞きました。
知らないうちに撤去開削されてしまったというものです。
私も当時その墓地の遺骨や墓碑の回収に赴いたことがありましたが、古い時代の墓碑すべてを把握できるはずもありません。
その方が業者に遺骨の回収の件を打診すると、そこにあった砂を遺骨の代わりにと渡されたとのこと。砂が遺骨・・・
しかしまぁ今思うにあの開発は少々無理があったかと・・・
扨、先日記した律側に架かる橋を三千院側から渡るとすぐ右側に宮内庁管理の墓域が。後鳥羽天皇・順徳天皇の大原陵です。
「承元の法難」で親鸞さん含む法然一流が散々な目に遭ったのでしたがその念仏停止・死罪・配流の差配をした後鳥羽天皇の陵墓が大原の勝林院(大原問答)の前にあるなんて・・・
法然がいよいよ専修念仏の隆盛を世間に示した地ですからね。
後鳥羽天皇(上皇)は承久の乱で隠岐に配流されて亡くなりその
恨みから怨霊になったなど世間の噂もある中こちらに埋葬されたといいます。
順徳天皇はやはり父の後鳥羽上皇とともに倒幕に失敗、佐渡に配流されてそちらで亡くなっています。
後鳥羽上皇は現在の如く皇位継承にあれこれと・・・その意味でもあまり評判が良くなかったそう。
現代はごちゃごちゃと後ろで糸を引いているのはただの政治屋さんですからよりタチが悪い。
私としては「承元の法難」のイメージがあまりにも強い方・・・
2026年
7月
15日
水
判定不能D 眼底(毛細血管)検査 リーズナブル
朝一番、境内植栽へ水やりから。
ついついノー天気にホースを取り回すこと約10分、庫裏に戻れば首腕足にじわじわと痒みの嵐が。
毎度のことではありますが、かなりイラつかされますし一気に朝のヤル気というものが消え失せます。
防虫スプレーや蚊取り線香を点け、また靴下を履いたり長袖シャツを着こむなどして外に出ればベストなのですがね。
朝からそのような覚悟と対策を完全にしてから外に出ることなどそれは無理。
ただただあ奴らへの罵倒、憎まれ口を叩くのみ。
「じきに焦熱地獄だぜ~!!」
晴れが続いて高温が続けば蚊の棲息と繁殖は厳しくなります。
墓前の花入れの水は熱湯の様、「ざまぁみやがれ」です。
ヤラれた数箇所にキンカンを塗りまくって私は朝食も摂らずに榛原病院へ向かいました。
本を一冊持参して半日覚悟の待合へ。7時50分には病院ロビーでうろうろ。そして誰もいない、窓口も開いていない待合室に。
予約もしていないイキナリの外来ですが、それは昨年の人間ドッグで指摘されていた部位の再診という大義。
何度かその手の要再診への対応に病院各科に赴いていますがこれまでは何とかセーフ、経過観察ということで逃げていましたが、今回の再診は「かなりヤバい」の覚悟をもって、眼科待合へ赴いたのでした。
昨年の眼科検診結果が「判定不能」とやらで総合判定がD。
それを1年間放ったらかしにしていたわけです。
次のドッグの日にちが予約が遅れたせいで11月。よってそこまで放置し遅延を許容するのは「如何にもマズイ」と考えました。
そしてその気持ちを強く押したのは①ここ数週間に発生した眼の異常の件。
朝起きた際の乾燥ぎみのしょぼしょぼ感。もやがかかっている様にも。それは時間が経つにしたがって解消し今度は涙目になるという始末。そして最近視力が落ちてきたようにも。すべてネガティブ。
そこにまたその何かの確信を得てしまったのは②私の周囲の方たちから眼の病での難儀と治療の話を重ねて聞かされていたことがありました。
主に白内障の件ですが齢を重ねると当たり前のようにその症例は増え、色々なところでその改善例等を聞かされています。
そして私の妹の夫は緑内障の手術をし車の遠乗りが出来なくなったことなども聞かされていました。
私も夜間と雨天の運転を避けるべく生活するようになるなど
①の如くの症状の発現から、いよいよその白内障の仲間入りかと覚悟を決めての再診でした。
すると診療前の検査で「車で来られたのなら今日の検診はできませんね~」と。
それは眼底検査のため瞳孔を広げる散瞳薬を点眼しますので帰宅時の車の運転に支障が出ることを指摘されたのです。
それを納得し診療までのインターバルに奥方に連絡、息子の車で来院し私が乗って来た車の運転を依頼しました。
その件(運転手代行あり)を告げると今回の最大テーマ「眼底検査」はスンナリOKとなりました。
その日のうちにケリをつけたいですからね。
飛び入り診察だけに本診察の順番は、列の先頭であっても殆どビリでした。
待合室では余談があります。たくさんの人たちがいらっしゃいます。
そこではかなり困惑するパターンがありました。
年配のご夫婦の男性から「大澤寺の住職さん・・・」と声が。
こういう場で世間話をするのは避けたいところですが、無視するわけにもいかずとにかく「こんにちは」・・・凝視して見返すも一体どなたなのかさっぱり・・・
診察で呼ばれたその方の名から「Hさん」ということはわかりましたが、その方がどなたなのかまったくもってわかりません。
すると大きい声で「お寺さんは大変だ~」と。
何が大変なのか?よくわからないまま「うん、うん」と苦笑しながら返事をするとその方はどうやら平田寺の檀家さんのようで、現在改修中の本堂の総工事費、〇億〇千万円の数字と1件あたりの割り当て金、そしてまた別のお寺の前住回忌法要と新住職晋山式の合算費用あれこれについて話しだしました。それも周囲の耳目を憚ることなく。
その手の話をされても私はその「大変ですね~」をそのまま返すほかありませんね。
衆人の中で私一人素性がバレバレで冷や汗をかいていると私の隣に座っていた年配の方が診療が終了し部屋から出てくるや否や私の前でイキナリ転倒、膝を打つ鈍い音が響きました。
係の人も飛び出しひき起こしたところに、奥方が現れたので「取りあえず車椅子を」と奥方に手配を指示しました。
医師でも看護師でもないのにね。
お節介甚だしいかもしれませんがその場を仕切りたくなるのは性分で。
しかしながらその方はそれを固辞。
年配の方はいたって車椅子を屈辱に感じるのか特に嫌がりますね。それに乗ってくれれば周囲が安心するのに。
そこから今度はその方と話し込みました。お隣ですから小声でありがたい。「齢はとりたくねーなぁ」と。まさに同感でした。
その方は先日「脊椎閑狭窄症」を同病院で診断され、経過観察中だと。現状手術について検討しているところだった矢先の事。歩いているつもりだったが「右足が出なかった」とのことでした。病院まで車で来ているそうですから、心配になりましたので
「家族の方は?」と聞けば誰もいないと。
私も運転手として奥方を呼びつけたくらい、その日は制約のある身でした。とはいえ耳に残るあの膝を打った鈍い音も気がかりでした。
そうこうしていると私の名前が呼ばれて診察室へ。
その後その方は「一人で歩ける」と言いながら看護師を振り切って帰っていったそうです。
少しでも役に立ちたいものだと思いましたが奥方から「御前の出番は、まだ早い」と。
吉本じゃあるまいし・・・
みなさん案外と遠慮するものなのです。親切の押し売りは「ウザい」と感じられますでしょうし・・・難しいね。
南無阿弥陀仏です。
扨、肝心の私の診断はまた有難くも「何でもない」でした。
医師は人間ドッグの所見について「何だこれ・・・」と驚いていましたが・・・
白内障の件もそれを診断する端緒のかけらもないとのお墨付きをいただきました。「目薬を多めに出しとくよ」でおしまい。
奥方からは「また家族を巻き込みやがって」と叱られました。
ちなみにこのドッグの所見を生命保険会社に提出していましたが、この件がマイナス評価となって「眼病に関しては保証対象外」とされてしまいます。
どうでもいいことですが、ちょっと首を傾げますね。
病院から外に出た際、石垣島の白砂のビーチにイキナリワープした気分。気温もそれに近い。
とにかく眩いばかり・・・眼底検査のため瞳孔が開いていますからね。
尚、眼底検査はリーズナブルな検診手法でおすすめですよ。
それはあらゆる眼病の検査は勿論、毛細血管の診断から糖尿病性、高血圧性の末端血管の疲弊や動脈硬化まで指摘してもらえます。眼底だけにこれは盲点です。
ただし診察後の車の運転はダメな場合がありますがね。
2026年
7月
14日
火
山岳系修行者の錫杖のイメージはクマ除けを兼ねた?
朝からどんより、私が車に乗り込む際にはポツポツありました。
磐田での法縁のための出立でした。
目的地が磐田駅の近くでしたので東名高速ではなく150号線を使用。きっちり1時間で到着できました。
その後、お昼には帰寺しましたがギリ降雨はありませんでした。
朝方、外に放置していたテントのケース等を慌ててテラスに放り込みましたが、降らなかったことはありがたい。
昨日の段階で関西以西すべてが梅雨明けだそうです。
「かなり暑い」のニュースがありましたが、まぁそれは予想通りのことですね。
いずれ「40℃」の声も聞こえてくるのでは・・・
ギラギラ太陽と青い空の下はこの齢になっても楽しいもの。
息子にも付き合ってはもらえませんし海で遊ぶタイミングが無くなりましたが・・・
夏の趣向といえばハカ・テラへの思い。特に古仏・石塔を眺める機会に遇いたいものです。
息苦しくなるような空気、草ぼうぼうと繁る墓地の「兵どもが夢のあと」・・・芭蕉のような気分を味わいたい。
また「(墓碑に)しみ入る蝉の声」なんてね・・・
しかしシロはダメ。特に夏の山城歩きなどはもうできません。
一昨日はあの吉野町でクマが出て駆除されていました。
あの辺りに「出ない筈がない これからどんどん~」と「奥の墓道」氏が。
高取城のクマ情報更新もそろそろ?
しかし、もし出たら鰻重一杯を彼に提供しなくてはなりません。
扨、思うに回峰行修行者のイメージといえば錫杖。
基本それは杖の歩行補助の役目はとうぜんのこと、やはりそのグッズこそ武器を兼ねたクマ除けだったのでしょうね。
「錫」とは杖の上部に付けられた複数のリングのことでこれは単なる装飾ではなく「音を出すこと」を意図するもの。
現在、使用されている山歩き必携のクマ除け鳴り物以上にその歩行時には周囲に音を響かせたことでしょう。
何せ山岳修行者がクマに襲われたという事例を聞いたことがありません。
まぁ独り山歩きして消息を絶ったとしても、ひと昔前ならニュースにもならず森の中で埋没・・・だったでしょう。
画像は①弥勒寺の役行者像②長谷寺十一面観音像③大柳生地蔵像。
ちなみに親鸞さんや蓮如さんの像たちも各地で拝見していますが錫杖の例はなく、まずは「竹杖」。
親鸞さんの場合は銀杏の杖(麻布善福寺)も著名ですね。
2026年
7月
13日
月
分蜂で本堂蜂だらけ 来迎院釈迦涅槃図と仏頂面
一昨日の盂蘭盆会法要は10時と19時の2回でしたが、あの時は午後3時にもちょっとした法縁がありました。
そのおかげでその件が判明できました。
堂内でぼんやりと入口障子付近に目をやると蠅の如くの飛翔体がやたらと飛び交っていることに気づきました。
ぶぶっ~と音をたてて。
それを凝視すればミツバチ。
ああ分蜂ね・・・とすぐさまその様を理解したわけですが、朝からの法縁準備と、今節ならでは、障子を開けっ放しにしていことからたまたま女王蜂が子分を連れて入り込んだのでしょう。
天井の電灯に群がって彼らも「どうしていいのかわからない状態」 パニックの様でした。
奥方に聞くと、その件承知していたと。まったくもっと早く言えよ・・・です。蜂たちのうち畳の上に這っていたものたちは箒で掃き出したと。気の毒な事を・・・
しかし、さすがに堂内で巣を作られるのは困りもの。
法縁終了後私は障子を開放したまま電灯をOFF。明るい場所は開いた障子のみ。殆どの蜂たちはそこから外に出て行きました。
暗くなってからそれに気づいたとすればかなり厄介なことでした。
扨、画像は来迎院の釈迦涅槃図と五仏頂曼荼羅図そして聖応大師像(① ② ③ )。釈迦涅槃図は平安期から涅槃会の儀式に掛
けるならい。私どもではその法縁のお勤めはありません。
五仏頂の仏頂が人の顔を揶揄していうようになった仏頂面の語源。本来は佛の頭の上部のことを言うのですが。
2026年
7月
12日
日
無漏無生の国 専修念仏 大原問答 鉈捨藪跡
快晴のもと盂蘭盆会法要が修めることができました。
朝から動いていただいた世話人様方、有難うございました。
しかし時間の経過が早い。早すぎる・・・
正月が明けてからばたばたごたごたいろいろ、そして日々を漫然とすごしつつ、なんと次の機縁は「8月の法要」。それが終われば報恩講そして「除夕の鐘」とあっという間に1年が。
飛んでいくような思い。
久し振りにたくさんのご門徒さんとお会いしました。
そこでは転んだ、骨折した、認知症が進んだ、施設に入所しちゃった・・・などご自身や縁者のネガティブ極まりない話のオンパレードが。
生きている、長生きすることの辛さを再認識させられた次第ですが健康というものの維持がどれほど難しいものか・・・。
多くのショッキングな現実を知らされたわけですが、中でも脳梗塞を患ってから自宅療養していた方の件。たまたま奥さんが自宅の裏庭に出ていたところに電話がかかってきたそう。奥さんの耳には届きません、
日頃「電話には出なくていいよ」が了解事項だったとはいいます。しかしコールが長く続けば「出なくては!!」という思いが湧き出るものです。
その方はリハビリ中でありながら電話に出ようとベットから這い出たところ強く転倒してしまったと。
骨折にまでは至らなかったようですが、その電話の呼び出しについては、私も散々腹立たしい思いをしていますので大いに合点。境内でその呼び出し音を聞いて蹴躓きながらダッシュ、つい発信先も確認せずに出ればただのセールスか録音系。
怒り心頭とはこのことですね。
やはり電話に慌てて出るのは禁物です。
縁が無かったと思って思い切って「出ない」という割り切りも選択肢の一つ。
扨、大原の三千院の門の先、律川の未明橋の手前左側に、小奇麗なコーヒーショップがあります。良き香りに釣られて今度こそ入ってやろうなどと毎度閃くわけですが、何時行ってもそこには人だかりが。
ガラス越しにその様を見届けて毎度パスしていますがその店のお隣、律川沿いの竹藪に「鉈捨薮跡」なる標が。
転記すれば
「文治2(1186)年の大原寺 勝林院での法然上人の大原問答の折に、その弟子の熊谷直実は『師の法然上人が論議に敗れたなら法敵を討たん』との思いで袖に鉈を隠し持っておりました。
しかし、上人に諭されてその鉈をこの薮に投げ捨てたと言われています。」
専修念仏の法然対既成(南都北嶺)または他の宗旨のお歴々の集結する討論会がそれ。多勢に無勢の状況を察して熊谷が「その時はひとつ暴れてやろう」の意図を感じます。
勿論「その時」とは師の法然がボコボコにされるということですがそこに熊谷らしさを感じますね。
勿論、法然はこの問答で優位性を発揮しいよいよ以降の専修念仏の隆盛を極める要因となったといいます。
「有智・無智を論ぜず 持戒・破戒を選ばず
無漏無生の国に生まれて 永く不退を証すること
ただこれ浄土の一門 念仏の一行なり」
詳細は「大原問答」をググって頂ければ・・・
①の突き当りが勝林院、その左脇が宝泉院。④は律川。
⑤⑥はその反対方向から。左側が三千院。
2026年
7月
11日
土
普賢の徳に遵うなり 宮中御懺法講
スカッと晴れ。
クリアで真っ青な空に雲は一つもナシ。私も文句ひとつもありません。まさに素晴らしいお日和。
数日前には微かに蝉の声が聞こえましたが何故かそれはなし。
静けさの中、直射日光のじりじり感、まさに夏を体感。
とはいえ欧州の異常熱波とは違い32℃あったかどうかの程度。
草むしりを少々行いましたが暑さよりも蚊の襲来に閉口させられました。
どうでもイイことですが、梅雨明け宣言ってまだ~?
やるべき仕事は山ほどありますが、とにかくも11日の盂蘭盆会法要を何とかやっつけないと。
現世、やることなすこと思い通りにいきませんが、ここは一つ立ち止まって今は亡き縁者、諸仏との会話をしばし。
懺悔の時間が最も大切なのですがね。
我が物顔、したり顔はいとも簡単に逆境を迎え、大抵は泣きをみるものですから。
今年の盂蘭盆会でのご挨拶は「地獄」がテーマということを記
しました。
特に今の子供たちは「地獄」について聞いたり教わる機会が殆どないことが気になります。
厳密には仏教世界の地獄の物語とは異にするでしょうがね。
今私たちが気軽に口にする地獄とはまず自身の思うままの勝手気ままが通らない不自由をいいますね。すなわち閻魔大王にすべてを見抜かれてど~んという具合に抑え込まれるような。
要はそれらに心労を重ねて病んでしまうわけですが、人生が思わぬネガティブ事象の連続であり、超えねばならないハードルの存在、生きにくさというもの、そして道徳観と対応力の養成のためにその物語が必要だと考えます。
その理由を一言で言えば、初めて堕ちた「地獄」からの脱出ストーリーが描けないから・・・
ということで子供たちには「地獄」を教えていかなくてはならないのです。事前にね・・・
ハッピー安楽、楽勝の超ポジティブ感覚イメージのみの醸成は
むしろ子供たちの成長のために本来のポジティブな人生の方向をもたらさないような気がします。
人間のダメなところ(多様な煩悩)のオンパレードが地獄ですが、まずはそこから・・・ですね。
「浄玻璃の鏡」なるスーパーAIアイテムの存在を教えてあげなくてはね。
その意味では縁者諸仏と閻魔さんの同一性、オーバーラップさせる感覚もあってヨシ。
扨、画像はやはり来迎院の続き。
①は宮中御懺法講(おせんほうこう)の本尊といわれる普賢菩薩です。古くから天皇はじめとする宮中で催行された法縁には登場していたのでしょうね。
今、男系継承どうのこうのとその伝統御託を並べている政治屋がいますが、仏と僧侶を招いての宮中法縁、それも伝統のはず。
御懺法講は声明懺法ともいわれて独特な節のついた経を拝読。
イメージとしては当流の伽陀ですね。正信偈も節があったりします。
御懺法講は貪欲・瞋恚・愚痴の三毒悪行を懺悔して、心を鎮めて清浄にしようというのがその目的。
後悔・反省・懺悔こそが人のあるべき姿であることを示唆しています。
この普賢菩薩の件、当流でも経典に登場します。
阿弥陀さんと来迎する観音・勢至だけではありません。
ちなみに四十八願のうち第二十二願にもその名は登場してきました。
また経典には
「大慈大悲の弘誓、広大難思の利益なり 乃し煩悩の稠林に入りて諸有を開導す 則ち普賢の徳に遵うて群生を悲引す」の文言も。
普賢の徳とは現世において私たちが普賢の慈悲の態様を倣えということですね。
それだけ私たちは自分本位で生きているということです。
常なる「賢」とは反省・懺悔のことをいうのかも・・・
②東博の普賢菩薩。
2026年
7月
10日
金
夏だ水を飲め 最澄と元三大師良源 恵心僧都の師
息子もその傾向があったといいます。
それが「水は味がしない」というもの。
「え?」ですよね。当たり前のことではありますが、たくさんの経験を積んでいけばその味というものはしっかりと判断できますからね。
まぁ彼は夏場といえば冷たいお茶だといいますが。
私たちの子供時代といえば、喉が渇けば水道の蛇口にとっついてがぶがぶと腹いっぱいになるほど水を飲んだものです。
時に近所の子供が「水をください」などの要求をされたこともありました。それは当たり前のこと、気軽に「ハイどうぞ」とばかりにコップ一杯を提供したものです。
今は絶対にありえないことでしょうがね。
水飲み場といえば毎度拙ブログで腹立たしい思い出として記していますが夏合宿の休憩時間、炎天下でヘロヘロになって水場に走る際「水は飲むな!!」の指示。わざわざ水場まで走り寄って
「お前今水呑んだだろう」「イヤ、うがいだけですよ」・・・のバカらしい問答がありました。
それを思い出すたびに「Tの野郎、今会ったらブン殴ってやる」の思い。
さすがに奴さんもジジーでしょうからそれはただの気持ちだけに収めておきますがね。
高校時代にあった今も続く怨恨のそのベースこそが「水」でした。
あのW杯の新ルールでも前後半に給水タイムを取り入れ、前前半前後半、後前半、後後半とするほどに身体の保全を心がけています。
時代が違うとはいうものの如何に「水飲むな!!」の発想がナンセンスか。それを思い出す度にテンションがあがります。
私は先輩面の根性論などクソくらえでしたね。
しかしあの時代熱中症でぶっ倒れるなどの例は見た事もありませんでした。本当にそれだけは不思議なことです。
いまの子供たちでその「水」が嫌いだから・・・という理由で「水は飲まない」という子が続出しているといいます。
クラスに6~7人はいるとも・・・
嫌いのポイントは「無味」。
幼少期から味のある飲み物に親しんでいたからに相違ないでしょう。
その味とはまず甘味。
そりゃ不健康な人が増えるワケだ。
そのままの趣向で大人になっていくのですからね。
そもそも夏季猛暑下で水分を補給する機会が多様にあるワケですがその最大でもっとも気軽な飲料、「水」をハナからキャンセルするなどあり得ないことです。
最近は水道水のカルキ臭には閉口させられますがね。
やはり選択に拘れば熱中症等の症例が増えるワケです。
糖分摂取過多も相当体に悪そう。
この夏、水分摂取は必須ですが甘い物は控えて水とお茶を重点的に摂っていきたいものです。
画像は昨日の続き、来迎院特別拝観の際の本堂後堂。
天台宗開祖の最澄と良源(元三大師)の図画。
良源は比叡山横川の中興の祖といわれた人。昨日の源信(恵心僧都)の師になります。おみくじの元祖とも。
2026年
7月
09日
木
盂蘭盆会雑記 地獄の物語 源信 恵心僧都 来迎院
堂内は今年一番の蒸し暑さ。
昨日の法縁ぱ施主家の都合で15時開式になりました。
御家みなさんは盂蘭盆会法要のお参りができないとのことですので、当日に流す映像(10分程度)をテストを兼ねて堂内で放映しました。
内容は昨日記した「回文」の「口は災いの元・・・舌禍」から「地獄の物語」。盂蘭盆といえば「地獄」。
口は恐ろしいもの。病を得るのも口からであって、他人を傷つけるのも口。特に後者の害毒は強烈で最悪。
何気ない一言が人を傷つけ、各ハラスメント、そして詐欺まで。
前者は自身独りが被るだけですが、舌禍は他者を貶めその心や財産を害します。
また、そのテーマは最近の若者の動向を傍観して思ったこと。
我が身の安楽安寧のみを求めて他者の命を踏みにじる事件多発の社会にいて。
考えてみると今の子供たちは「地獄」を知らないかと。
それは学校は勿論、親たちもそれを教えないからですね。
恐怖をも感じさせるネガティブ過ぎの物語は脅しであり「知ること」非ず、といったところなのでしょうがその中身は面白く構成され道徳感を醸成するにはもってこいのアイテムだと思うのですがね。罪と罰の感覚も。
仏教の教えの一つに自身以外、他者救済の功徳を掲げていますのでその殺生を含んだ反対行為はまず地獄行き。
それが犁舌獄、抜舌地獄ですね。
嘘・欺き・欲望・・・罪の根源となるのが「舌」という考え方は当然といっては当然の事でしょう。
まぁ真宗にはその地獄という概念がありませんが(即浄土 敢えて記せば「地獄は一定すみかぞかし 歎異抄」)・・・
よって地獄ではそれを徹底的に責めあげられるワケです。
また表現が違いますが「二心」とか「二枚舌」なる語をもってその悪辣な心を指摘されます。
まぁ閻魔大王は審判官(十王経 十王-こちら こちら こちら こちら こちら)であって彼が罪人の「舌」をどうこうするわけではありませんがね。
そういえば「閻魔さんに舌を抜かれる」なんて言う子供がいなくなりました。
地獄に堕ちてからの罪状は娑婆の刑法に似ています。
強盗に殺人がつけば罪は跳ね上がりますが先日来の若者たちの惨たらしい殺人+強盗の罪。懲役30年なる長期刑がありましたね。
判例上複数の殺人で死刑になることはよく聞くところですがあの事件の首謀者は無期刑にはなりませんでした。
被害者縁者からすれば腹の虫がおさまらなかったでしょうが。
疑問点としては元の総理殿を一発の手製銃で仕留めたあの人が「強盗」の罪もないのに無期刑(一審)になったこと。フェアなる司法の場で如何にも奇怪なことです。
むしろ彼の人は我が身を捨てて、死した者のためだったり他の不幸な人たちを救ったようにも見えるのですがね。
結果としてもそうなりました。
裁判官が被害者によって微妙に罪状を変えている姿のようにも感じますね。それももしかして地獄行きの悪しき業?
まぁ執着というものから離れられない煩悩世界に生きている私たちはどちらにしろ地獄行きですがね。
ただ口に南無阿弥陀仏の名号を唱えるだけ。
画像①は昨日の来迎院後堂、開祖親鸞さんが指定した七人の高僧のうち第六祖、源信(恵心僧都)さんです。地獄の物語(往生要集)を知らせてくださった方ですね。
ちなみに昨日の画像⑤の拙寺無碍館のご本尊の軸作者が源信僧都と伝わります。
まぁ拙寺の勝手な伝承ですがね。
②は聖応大師 良忍上人。
2026年
7月
08日
水
盂蘭盆会雑記 両界曼荼羅と阿弥陀来迎図 来迎院
案外と暑さを感じない日々が続きます。
夕刻には今年初めてアブラゼミの声が。いよいよ真夏に向かう様です。
そして台風9号のコースは沖縄をかすめてそのまま中国大陸へ進むよう。いずれは勢力減衰し、ただの低気圧として日本にやってくるのでしょうが、とりあえず九州直撃がないようでそれはまずまずでした。
しかし南国から連れてきた湿潤な空気が積み重なれば大雨を降らしますからね。油断ができません。
台風のコースの違いによって人の生活・人生まで変わってしまうのですから、自然というものは恐ろしい。
今のところ直撃しそうな中国大陸の皆さんはその準備にハラハラの躰でしょうね。生き死に関わることです。
私の場合は「たまたま」セーフというだけ。
ここのところ私の庫裏の時間は7月11日の盂蘭盆会法要の支度で頭がいっぱい。
まぁ日々いろいろありますが何とかやらせていただいています。
その盂蘭盆会法要前の御門徒さんへの回文お知らせに必ず添えているのが「住職雑感と盂蘭盆会参詣の勧め」です。
今回の内容は以前拙ブログで記したものと殆ど同様ですが、あらためてその回文の内容をそのまま転記いたします。
その件、案外と健康維持の盲点となるところですからね。
思わぬ災難を招く口の中 口は災いの元
口腔ケアは 健康の基本
「京都国立博物館の裏にある豊国神社宝物館に変わった展示物があります。秀吉の家臣加藤嘉明が秀吉自身から賜ったという
秀吉の歯です。
ちなみに加藤嘉明は異色の人で元は三河の住。父が家康家臣で三河一向一揆で一揆側についたため出奔して流浪し秀吉の配下となりました。
厚い真宗門徒で遺骨は大谷祖廟に納められていますので私どもが祖廟に御参りする際はこの加藤嘉明にも同時に手を合わせることになります。
その人が下賜された「歯」とは秀吉が歯槽膿漏によって脱落した(上あごの左側の奥歯)最後の1本だったとのこと。
それは表面がすり減り歯垢や歯石だらけ。
人生後半、美食に甘い物好き~天野酒が好み~で歯磨き習慣がない人のなれの果てといった教訓的遺物です。
秀吉の没年齢は61歳ですからそれ以前に歯がすべて脱落しているということですが、当時の人の寿命の短さにも納得できます。
40代後半の真田信繁なども「歯がボロボロになった」の書面が残っていました。
私の叔父の知り合いの方で初期のインプラント施術(5本)を行った方がいますが顎の骨の老化と歯槽膿漏によってすべてが脱落
してしまったそう。その後の処置について検討している間に突然亡くなってしまいました。
歯周病菌が体内を巡り心臓に集結「感染性心内膜炎」「虚血性心疾患」を起こすこと、また動脈硬化や脳梗塞の原因ともなるこ
とが知られています。
体内への侵入経路は歯周ポケットの出血からあるいは気管支と近いことから肺へのダメージを直接受ける事があります。
最近では誤嚥性肺炎の年配者の重篤について指摘されていますがあらためて口腔ケアの必要性を感じます。
対策として歯磨きに関しては言うまでもありませんが、うがいの励行、就寝時に口を開かず鼻呼吸するため口閉じテープを貼るな
どの方法も効果的です。要は口中の唾液を枯らさず口腔内が乾燥(ドライマウス)しないよう唾液が循環するよう心掛けたいものです。
またおしゃべりや歌唱、読経などの発声の習慣は唾液が口中に広がります。その「のみこみ」を促すことから誤嚥性肺炎の対策にもなります。
一日中会話せずに口を開けて寝ていたとしたら・・・「その時」は迅速にやってきます。」 大澤寺住職
画像は昨日の来迎院本堂後堂。
両界曼荼羅の図です。
①胎蔵界曼荼羅②金剛界曼荼羅。
各所でお目にかかる代物ですが、大抵は記録に残すことができません。
「これはうれしや・・・」とばかりに。特別拝観の際のものになります。
③は御馴染み阿弥陀三尊来迎図。古さは格別。
④は拙寺の阿弥陀三尊来迎図。
このスタイルは踏襲されていますね。
⑤⑥も拙寺の阿弥陀さん。
2026年
7月
07日
火
トランプに再た呆れる 春秋特別拝観 来迎院粘着
喧しい俄かミーハーチックの応援団がいなくなったサッカーは清々しい。
マスコミ界は勿論、経済界でそれらを煽りまくっていましたね。公認グッズの繁盛も凄い。
ユニフォームが4万~5万というから正気の沙汰とは思えませんね。そんなものイラネ・・・
そのお祭り騒ぎを追認するこの国の著名人、関連番組ゲストの皆さんもこぞって旗振り役にありました。
衆人迎合というかそれはもっとも真の成長というものを阻むスタンスになります。
「批判」や「指摘」をピシッと言える人がいないのはまったくもって不幸なこと。
耳が痛いところを隠したままでは成長がありませんからね。
「ドンマイ」の連発だけでは・・・
まぁ結果は実力以上のものにはなってはいましたが、まぁこれが限界であるということをも再び思い知らされたところです。
運よく立ち回ってせいぜいのベスト32と。
「次回は頑張って~」の温かい声援は彼らの救いになったでしょうが私ども「(奥の墓道」氏との会話)の見立てでは「(オレたちが)生きている間、優勝なんて絶対にありえない」「いやベスト16もまず無いだろう」でした。
私どもが一体いつまで命が繋がるのかなど知る由もありませんが、その夢(W杯優勝)などまさに儚く「ナイ物はナイ」の結論のみしかありませんでした。
まぁ毎度そのこたえに変わりはないのですが、その理由は・・・
あの戦いぶりをみていれば一目瞭然ですね。
お隣の韓国世論の如く結果にヒーヒー言うことはナシ。また煽て上げることもナシ。現実のみを見ただけ。
身長に体力、走力。
要は身体能力というヤツ。それに格段の差があるということ。敢えて記せば「血」でしょうかね。
もっと端的に言えばアフリカ系の・・・
まぁそれは皇室典範云々の件で中央の政治屋が「女はダメ」とか言っているような国には解決策は見つけられないでしょうね。いつまで経っても気合いだ、精神だ、ちょっと頭を捻って戦術だ・・・ではね。
そこのところはタブーの感覚があるのなら今後それを切り開いていくことはできないでしょう。
あのショータイムを満喫するに中途半端は不要でした。
しかし清々しいとは記したもののその「ヒーハー」(僕らのFIFA蔑視ことば)の今度の「クソ」(最低)を思わす所業に、唖然。
まさに興ざめに至ったわけで。
あの会長がやはりアメリカのクソ野郎、トランプに尻尾を振ってルールを変えてしまいました。
こうなると僕らのお楽しみの本質が喪失。
フェア精神というものが消え失せました。
政治的インチキ、ドン引きの結末です。
こうなったらせめてアメリカの敗退、ベルギーの応援団に加わりたいものです。
どこまでも汚い、王様になれないトランプの躰。
見るのも語るのもウザい。アメリカ全てへの嫌悪に変わるのは気が早いですがね・・・
以上私の煩悩きわまりない心、お許しくださいませ。
扨、再たも来迎院。恐縮ながら私の好みの寺です。ちょっとばかり執拗・・・
実はね、こちらのお寺には年二回の特別拝観があるのでした。
それも比較的長め、5月と11月各1か月づつ。
あの三尊佛の後堂にそれらが居並びます。
三尊佛周辺の世界に十分満足できるのですが、その背後には時代の遺品たちを目にすることができますね。
どうせ行くなら・・・より一層の贅沢を。
おそらく人少なし、タイミングによってはその至極の空間を独占できるかもしれません。
⑦⑧は先日記した朱雀門。あの時は雨中の図でした。
2026年
7月
06日
月
来迎院本堂裏 聖応大師良忍の廟所 三重塔
前日の予報からして雨の中の墓参を想定していましたが昨日のその時間帯はうまいこと雨はあがっていました。
朝はみなさん、傘を差して来られましたのでなんとも有難いことでした。
それにしても台風が多いこと。
年によってはこの時期に台風の「た」の字も聞いたことがないこともあったような。
現在東シナ海に向かって進む台風の勢力は910htpと強烈。
コイツがお決まりの偏西風にのるなどして進路変更があれば九州の横腹を突くことになります。
九州地区を度々襲う豪雨災害について記憶に新しいものがありますが、直撃?それもあの勢力のまゝであれば、再びの大災害の発生を思います。
自然の事はわからないというのがスジではありますが、あの勢力「910」を見て震え上がらない海関係の職種の方はいないのでは・・・何せそれ、雨よりも暴風の恐ろしさを思いますね。
船の係留ロープは切れて船は陸の上に・・・想像できます。
私は幾度も沖縄にてその風景が目に焼き付いています。
最近はフランスの信じられないような猛暑のニュースが伝わりますがその台風の勢力910htpでの本土上陸など以前では「信じられない」のレベルでした。「最悪」の景色はもう見たくありませんね。
扨、引き続き来迎院。
何度も記していますが私の大原一番の安息の場です。
昨日は本堂の横でしたが、右手裏側にも拝見すべき見ものが控えています。
本堂の脇の道を進み律川に架かる橋を渡ってスグのところに石の柵が見えてきます。それが開山聖応大師良忍の廟所。
そちらには石塔が立ちますが、川勝政太郎氏の日本石造美術辞典にその紹介文言がありました。
「低い基礎上に初重軸部以上を完存している。各層の軸部は別石で作り、瀬が高く、屋根の勾配には反りがなく、軒反りはゆるやかで、素朴な相輪をのせた古風な塔である。山城付近における鎌倉後期式層塔の完成する一歩手前の様式を示すもので、丹波金輪寺五重塔、山城大山崎宝積寺塔などと共通する鎌倉中期はじめの手法が見られる。」
先般記した海外からの観光女子たちはそこまでは来られませんでした。彼女らの観光ガイドに記載が無かったのかも知れませんね。
ちょっと気になりましたが、私の趣向のお節介などまったくもって不要でしょう。
夜はNHKスペシャル、養老孟子氏の「私の往生際」。
2026年
7月
05日
日
来迎院本堂上方の五輪塔と覆堂の石仏たち
昨日の法縁は午前が私、午後は息子による時間がありました。
同日の依頼があったとしても時間帯を変えることによって対応可となっている点は心強いものがあります。
もっとも同時間帯であっても本堂と会館で振り分けることができますが、やはり本堂での勤修あっての法縁ですからね。
あくまでも会館は補助的に使用できればと考えていますが、それでいて厳冬期は「会館でもOK・・・」を告知しています。
まぁすべてが臨機にまかせて。
息子の法縁の施主さんは愛知県中部からの来訪で拙寺本堂へは初のお目見えでした。そういった方々には是非本堂にてお参りいただければ有難いことですからね。良きご縁でした。
この時節、法縁の依頼は年間を通して多めになります。
それに対応できているのは余裕というものが生まれるわけでよきことではありますが、何せ私のお頭の方が覚束ない。
毎度の如く記せば「自分自身が信じられない」わけですからね。
各予定についてはGoogleスケジュール(端末4本)で奥方と共有できていますが、その更新に関しては私の仕事。
奥方はそれとは別に主として筆記ノートと冷蔵庫に掛けられたカレンダーに記入するという前近代的方法も併用しています。
ということで完全な1本化ということではなく更新ミスも大いにありうること。そして後から問題を提起してくることもあります。
よくある問答に「この法縁は誰が(承った)?」 とその責任について明白にしようとするものがありますが、往々にして直前になって不明点が出てくること多々。要は記憶の方も劣化中。
その中で一番に不安に思うのが、いわゆるダブルブッキングですがもっと恐ろしいことが承っていたもののスケジュールにもカレンダーにも上書きされていなかった・・・かも知れないの疑心暗鬼。
以前にも庫裏でのんびりとうたた寝などしていると「みなさん集まっているがまだ~?」の呼び出しの電話。一瞬間パニックになったことを記しました。それはただのお寺間違いの催促電話でしたからセーフ。あわてんぼうさんの間違い電話だっただけのことですが、それを受けた私どもは顔面蒼白、心臓がぎゅっと凍り付きますからね。
昨晩も同様の電話がありました。
それは故人のお名前を告げられて「明日はそちらのお寺でお参りですね・・・」との念押し。
その名はまったく心当たりがありませんし、そもそも相良に多いその苗字は拙寺のご門徒さんには1件もありませんので、難なく「お間違いかと・・・」即答できました。
しかし、拙寺ご門徒さんに多い苗字だったりすれば大いにパニックになるところ。電話に出ること、心臓に悪い。
ただし昨晩のその電話の主は、その間違いについて丁重に謝罪されていてましたし一瞬の困惑から開放された安堵から「いいですよ~」。
お相手は毎度の如く自身の名のりはありませんでしたがその他は上出来。
というのは間違い電話で逆にキレながらガチャ切りする人が多いことか。
「ごめんなさい」を知らない大人、反省しなくちゃね。
今、ナンバーディスプレーやリダイアルのシステムがありますから、無茶な応答が思わぬ諍いを起こすこともあり得ます。
基本「口は災いの元(舌禍)」なのです。
また昨晩は岐阜県山県市のお寺で仏像泥棒の被害のニュースがありました。
その手の輩の流行り事の件、嫌な感じです。
売却目的ではなく、当人の趣味保管の為だとすると出てくることは難しい。裏市場にも出て来なければ発覚に遅延が。
表に出る機会を想像すればその泥棒が亡くなった時なのでしょう。まぁその時「大罰が当たった」と後ろ指・・・そんなところ。そちらのお寺もとんだ災難、施錠していたといいますが・・・
その輩を早いところふん捕まえて「ごめんなさい」してもらわなくては・・・
扨、来迎院に戻ります。
あの本堂を見下ろす段上に大き目の五輪塔と覆堂が目に入ります。覆堂には古仏たちが居並んで・・・
まぁどちらもこちらの寺の古き所縁というものを伝える仏たち。
最後の画像は午後の法縁の施主から頂いた上等の品。
夜のテレビ小僧はBS「京都骨とうの深~い世界」。
磯田さんは骨とう古書を買っては「在るべきところ」へ寄進しちゃうとか・・・
「お宝所有の喜び」を問われて一笑していました。
人はどうせ死んでいくものだから・・・面白き方です。
2026年
7月
04日
土
赤しそ生産地 大原 植物は案外梅雨が好き?
昨日は午後から浜松の法縁に。
当地の空は雨についてノーケアでいましたが、浜松は梅雨そのもの、朝からずっと小雨が降ったりやんだりと。
浜松西インターで降りてしばらく走っての霊苑でしたが、行程は片道1時間ちょっと。
施主ほか皆さん方にはその距離感を申し訳なさそうに気遣いの声をかけてくださいましたが、いつもの私の移動と比してまったく大したことなし。
むしろ到着時には雨の一滴もありませんでしたので「ナイスな仕合わせ」をいただいたものです。
墓苑には今流行りの墓石ナシの夫婦墓、家族墓4名用、6名用等の墓域を見学。
「ウチの墓園」増築の算段、さてどうするか・・・なかなか煮え切らないでいるところ。息子と奥方に投げかけても良きアイディアはナシ。
というかまったくその件まともに検討してやろうという気持ちも見えてきませんね。まぁおカネのかかることですし。
お墓を建てようとされる御家は相当数減った感。
石屋さんは今、墓じまいで大忙しの様。
先週、拙寺では、2件の墓じまいがありました。
1件は遠方で跡継ぎなし、もう1件はやはり遠方でお参り困難ということでした。
すべておまかせします。
扨、京都大原は天台声明の寺々で名の有る地ですが、今一つそちらで欠かすことができないものといえば紫蘇(しそ)の栽培。
京都の漬物に欠かすことができないアイテムになりますが、一定した種の維持が肝心だとのこと。
草むしりの際、時にそのシソを見ることがありますが、それほど「種」というものに配慮して生育させるものとは思いもしませんでしたね。
拙寺には栗の木がありますが、どこからともなく飛んでくる他種の交配によって実を結びます(偶然の実生)。そういった「自然」は大原のシソ生産の世界では絶対にあってはイケないことなのでしょうね。
「純」なシソの種と雑種との違いは如何なるものなのでしょうかね。私の知らない世界でもあります。
最後の画像は昨日の「ウチの植物園」。
月下美人一葉三華同時開花の図。他の鉢を見回せば蕾がまだ10個近く見えました。
美人はじめじめした湿潤な天候がお好みのようです。
まったく不思議な植物。
小汚いボロの様な葉からあのような花が咲くこと、つくづく。
2026年
7月
03日
金
進者往生極楽 退者亦往生極楽 黒牢城 絶妙
朝から雨、それも時に激しく・・・。
それでも昨日は予定通り磐田のららぽーとへ。
「映画館には木曜日にイケ」は私どもの合言葉です。
この日は一人1200円で入館できました。
ハリウッド映画でも少し待てばテレビで放映するのは必定の事「慌てるな!!」というのが奥方の方針ですから、なかなかその提案を受け入れてもらえないわけです。
しかし昨日の件、何故かスンナリとその同行を了解していました。
おそらく民放放送垂れ流し状態で視聴している奥方ですから(私とは別の部屋)その映画の宣伝番組を幾度か視ていたようです。要は出演者からの良し悪し連想ですね。
ちなみに私はNHK系オンリーのNHK党。
CMが流れるとイラっとするタチで。
その映画が「黒牢城」です。
私は日本映画の視聴機会は僅少。特に映画館には気に入った時代劇以外は足を運ぶことはありませんが、この映画には食指が動きました。
主人公が荒木村重です。
江戸以降ずっと彼のイメージは「極悪人」「卑怯」のイメージができあがっていました。江戸時代の画やドラマで描かれる彼の姿ときたら太っちょでズルそうなひげ面に描かれるというのが定番です。
先般の大河ドラマ「出演」もそれを踏襲していましたね。
ところが本作の村重はこれまでの作られた?イメージとはうって変わり人間的で論理的。ちょい役で出た信長とは真逆の風に描かれていました。
信長に反旗を翻して本願寺と結び尼崎城とのラインを形成、毛利軍の襲来を待って反信長の態勢をと画策した人で、当然ながらお話には本願寺系の登場人物やまつわる話の差込みが推測され(原作は未だ読んでいません)それを背景としてどのように描かれているかが私の興味津々でした。
感想としては思いのほか人物の台詞に当流の思想が入り混じり要所・要所に当流の対信長戦の描写が交じりながらそれから話が展開していきますので要は「私の思った通り」で終始ニヤニヤ上々の時間を頂きました。
ただし、イキナリあの映画に入り込んだとしても、チンプンカンプンの方もいるでしょうね。
台詞その他登場人物の名を耳にして「わかったけ?」と奥方に問うも「聞いたことはある・・・」の程度。
当初出てきた雑賀衆に高槻衆・・・それはちょっと厳しかったようでした。
まぁ「配役」メンバーが「あれだけの顔ぶれだからこそ」という気持ち一本で映画館に入った方もいらっしゃったのでは?
劇中での示唆もありましたが、村重はいわゆる下剋上によって主従逆転に近い様で摂津国主となりそのうえの反信長の主張。
家臣団の顔ぶれも「岩盤」とは言い難い状況も垣間見られていました。
扨、画像②③は私がかつて「長善寺黄旗組艦隊旗」の文言を元に作ったオリジナルてぬぐい。拙寺ご門徒さんに配布したものです。
「進者往生極楽 退者無間地獄」のイケイケ感満載の文言ではありますが要はプロパガンダとも見える勇猛果敢の統一標榜のしるしです。
本作ではその語が登場してきました。それもかなり重要なポイントです。
そこで私がハッと気づかされたのが表記の文言。
「進者往生極楽」(ススムハ オウジョウゴクラク)まではそのまま。それに続く「退者無間地獄」(シリゾクハ ムケンジゴク
)を改めて「退者亦往生極楽」(シリゾクモマタ オウジョウゴクラク)・・・それこそが本来の当流の考えでした。
そのように村重の奥方の台詞にありました。合点!!。
昨日記した7月6日の「教行信証」もそうですが歴史好きの真宗ご門徒さんはこの映画を観賞することをお勧めします。
ただの歴史映画ではありませんので歴史にあまり興味がなくても面白く観られるかも知れません。
ただ有岡城のスケール演出が巨大すぎて驚きましたが・・・
2026年
7月
02日
木
100分de名著7月6日「教行信証」 朱雀門と石垣 三千院
昨晩のクロ現は息子運転の車中で視聴しました。
最近の真夏の高温傾向と紫外線に注意を呼び掛けるものでした。紫外線の害毒はだいたいのところはこれまで一応は適宜知らされ承知はしていましたが、番組での警鐘姿勢を視てかなりのショックを受けました。
「そうだったのか~」です。
しかし今更そんなことを聞かされても「知らねぇや」の開き直りもありますね。
まさかそれほど体に悪いものだったとは・・・
紫外線のケアなどまったく気にもかけず、指導者からもその指摘を受けたことはありませんでした。グラウンドを泥と埃と紫外線を浴びながら駆けずり回っていたことが思い出されます。
番組では日焼け止めクリームやサングラスの活用について推奨していましたが私のその時代にその手の心配など口に出すことなどあり得ませんでしたし、口にしたところで「バカ言ってるな」などと罵声を浴びせられること間違いなし。
隣のテニスコートの女子たちも、大学時代の憧れのグランドホッケー女子もスキー部女子たちもブルー系のアイシャドウに真っ黒に日焼け、白い歯は印象的でした。
そういえば最近は女子中学生の下校時に日傘を差している様を見るようになりましたね。
男性も日傘を差すともいいますが、暑さだけではなく紫外線対策もあったのか・・・唖然。
時代が変わると人の感覚はこうも変わるもか。
それまで私どもが無知だったからだといわれてもね・・・
私はかつて夏といえば周囲がドン引きするほど南方系の人たちを思わすような黒肌の躰を曝していた頃がありました。
あの「奥の墓道」氏もしかり、学生時代の銭湯で周囲から「奇異な眼でみられること必定」とまで。平チャラで陽の下にいましたからね。
しかし私はこれまで通り、外歩きに日傘などは不要です。
そして日焼け止めのお世話になる気などさらさらなし。
まぁ習慣として陽光の下にいるときこそ至福と感じるからですがね。もうあとのことはどうでもイイようなレベルです。
その息子の車中にあの時間に居たのは昨日が息子の誕生日。
夕食に「焼き肉を喰いにいく」ということでした。
それに同伴して食事にありついたわけです。
勿論、彼の長男赤子も一緒でしたが、帰りの車中その「10か月と少々の者」はベビーチェアにて爆泣き状態になりました。
「暗くなると泣く」といいます。
あまりに酷く泣くものですから一旦車を停めて母親と代わって私が助手席に移動、なんとかあやしながら・・・という対応をしていました。
私は特にその爆泣きに関してはお手上げとはなったものの「しょうがないね~」の心境。「泣くのが仕事」と言いますからね。
そこで連想したのが沖縄戦終盤のガマ(自然洞窟)の中で起こっていた事々。
米軍の地上侵攻によって住民たちは近隣の避難所、ガマに逃避するわけですが、そこに日本兵が同居してきます。
知っての事か住民の中に戦闘員が混ざるのはあってはならないタブーですね。
米軍が探索に現れた際、日本の兵隊さんは真っ暗な洞窟で鳴きだす赤子がどうしても許容できなかった。
米兵に見つかってしまいますからね。
「声を出すな!!」とばかりに赤子を母親から奪い取り、口を押えつけて殺したと聞きます。
私の沖縄時代そんな話を各地で耳にしました。
「日本兵なんてロクなもんじゃない」とね。
自分の命の為に他人の子供ならカンタンに殺すことができる。
(自分の子ならどうするのだろう・・・)
自分が助かるために軍服を脱いで住民たちに紛れる(そこで米軍は民間人と軍人の区別ができなくなってしまう)ことによって民間人に多数の犠牲が出てしまいました。
暗闇が恐ろしく感じるのは子供の性分。
それは本当の人間の心の暗さというものに畏れているのかも知れません。
洞窟で日本兵が赤子を殺した例はグァム・サイパン・テニアンでもあったようです。また私がその立場だったら・・・をも思いますね。
「自分が信じられない」私はそんな時「南無阿弥陀仏」を。
というか今月の「100分de名著」は「教行信証」です。
真宗開祖親鸞さんの思いが凝縮した書で、あまりにも著名。
NHK好きの当流些末な坊主として期待する番組です。
Eテレ(本) 月曜 午後10:25~10:50
Eテレ(再) 金曜 午後 3:05 ~ 3:30
まず7月6日(月)ですね。何と「7 6」なむ~の日。
扨、画像は昨日の続き。
庭園をぐるっとまわってあの阿弥陀三尊の阿弥陀堂(往生極楽院)の正面になります。
そちらには石垣に囲われた朱雀門が。
大原は門跡寺院として名を馳せた地ですからね。
朱雀門は内裏に南面するといいますので、やはりこの往生極楽院が中心と言うべき堂なのでしょうね。
2026年
7月
01日
水
古民家再生のチラシ 鎌倉期阿弥陀如来石造 三千院
朝方は久しぶりに晴れ間が。しかし徐々に曇に覆われてきました。
まぁ雨が降ってなければ今の仕事に差支えはありませんので、「今日で終いにする!!」意気込みで作業を開始。
大き目の棚の製作です。
完成後、イザ設置場所に納めようとすると致命的欠陥が判明しました。それはテキトーに切り貼りして対応。
バックスペースですので見栄えはどうでもヨシですから。
夕刻前にはうまいこと収納庫に納めることができて、これまで乱雑に置かれていた物たちを各棚に行儀よく並べることができました。
ちなみに致命的~とは棚が収納庫に入りきらず、ノコで柱を一旦切断して、収納庫に入れてからそれらを再装着したということ。
事前の計算では確かにセットできることになっていましたが、幅について途中、任意(イイ加減)に広げたため設置の際に取り回しできなくなっての対応でした。
「できると思っても結果ダメだった」の当初の思いとのギャップの件、私には日常茶飯事です。
すべて「思い込み」の錯覚の中で生きている?生かされている?の様々な偶然積み重ねの中のイタダキものとその連鎖が今の私。
それ故私の座右は「自分を信じない」でした。
要はそれ、「まかせる」こと。
思い違い、計算外の事象に慌てることはないのです。
ただしそれに対応できるかどうかで今日という一日が変わってきます。
勿論、この日はいたってサティスファイ!!な1日でした。いろいろね。
ドタバタ、じたばた・・・動けるうちが花ではありますが
会館での作業中、元の八幡宮の神主で刀剣研ぎ師のN先生が来られました。奥さんの買い物の御付きのついでということで。
先生は私ども相良史跡研究会で何度かお邪魔しているお宅のご主人から「この家をなんとかして欲しい」との相談を受けて一肌脱いでいるところ。
そこで古民家再生を主に行っているお友達の大工さんに依頼し、チラシを作ったそう。よってそれを告知して欲しいとのことでした。
こればっかりは趣味と価値観の問題。
物件としての良さは勿論承知していますがそれを利用できる人は限定的(余裕のある方)でしょう。
私にも「どう・・・?」などと振られてしまいましたが当然の如くムリの部類です。
解体して移築・・・などしたら、どうなるのでしょう(金額含め)。
まぁあの地で修繕、リペアし集客できる何かができればいいのでしょうが。私は見守るだけです。
行政にも声掛けしているそうですが・・・
扨、三千院の緑の森(庭園)を散策すると大き目の覆堂に行き着きます。
中には阿弥陀如来の石造が。鎌倉時代の作との掲示があるのみで石仏の詳細には触れられていませんでした。
私の手許の史料(日本石造美術辞典)にもその掲載はありませんでした。
「緑」の中に長いこといらしたからか体から緑光を発しているかの如く。
2026年
6月
30日
火
目前の石積み 庭の石塔 三千院 直前サッカー談義
朝方は雨あがり、湿潤な境内。
昼過ぎあたりから陽が出ていました。
私は一日会館とテラスを行ったり来たり、大工仕事に集中しました。テラスには道工具と部材が、会館は床がフラットで仕事がしやすいからですが、そもそも会館一階の物入れスペースを生かすために棚を作ろうという算段。
いつものやっつけ仕事、時間を要していますが、またどちらかでボロが出るでしょうね。
昨日の続き。緑の三千院。
その件何度か記しています。何故か中国系の観光客が多いのですが、それでも案外と本邦若手女子二人組などもちらほら。
それは、ある方が「昭和のあの歌(・・・「女ひとり」)の通りだ」
と仰っていました。
それはよく「出会いの機会がない」と異口同音にその理由を皆さん口にされるわけですが、そういう方はこういった女子好みの寺をうろつくことが肝要です。
三千院は時間制限なんてありませんからね。片っ端から・・・旅の恥は何とかとも言いますし。
私もよく感じるところありますが、ハカ・テラ・シロをうろついていて結構にそれらと遭遇すること多し。
大原地区とは一線を画しますが「歴女」なる趣向のカテゴリーもありますし。
また先般の拙寺バス遠足の夜、四条河原町に皆さんはそれぞれの趣の場に出張っていったのでしたが「焼き鳥屋は女子だらけ」「蕎麦屋に女子グループが」などとの情報が。まぁ外国人の知らないスポットなのでしょう。
私は奥方と一人で参加された年配の方とご一緒していました。
まぁ若い男性諸兄は京都だ歴史だなんてまったく興味の外なのかもね。
まさか自宅に籠ってゲーム?なんてことは無いでしょうが外に出ることこそボケ防止にもなりますが、未知との遭遇がまた面白いのです。
昨日ブログから「奥の墓道」氏が「昭和サッカー負け犬」論を指摘されましたが、どう世間が「勝つ」(リップサービスと扇動とは承知していますが)私にはどうしても信じることができませんね。
令和の連中のお頭には付いて行けませんよ。
あと少々で始まります。
私のお頭が「昭和枯れすすき」令和の遺物となるか・・・
ただ「奥の墓道」氏は急激に「令和」に変化しているよう。
「三尊形式に加えて左右のウィングバックとツーボランチの
四天王のオバーラップ 北円堂システムだ これで敗けない」とまで。
「そんじゃあ令和じゃなくて奈良ね」と返すと「ひたすら拝むしかない」と「結局それか~い」。
サッカー談義はこれから更に続きます。
ちなみに「キーパーの体重移動とニアポスト(狭い方)狙い」(ゴール斜め正面からマークを外してシュートの際)について論じあいました。
ステップを踏んで思い切り振りぬこうとするとバックはつられて「広い方」側に足を出しシュートを阻もうとします。
しかしシューターはその瞬間クイックに「狭い方」側のニア側に打てば「股抜きシュート」となるという寸法。
キーパーはシューターの動きがバックの陰になり、またバックのクリアの様を見て瞬間的に「広い方」側に体重が移動してしまい気づいた時は既に遅し。
そもそもキーパーのケアは「広い方」側に傾注していますからね反応できないのです。
私はそんなプレーが結構に残像としてあります。
シューターは盲目的にその「狭い方」側を狙って打つだけ。ちょっとした捻りはいりますがね。
わかっていてもキーパーは反応できないのです。
三千院は人がいなければベスト。しかし人気スポットでそれはあり得ません。入館料700円は少々お高めです。
庭園の管理に経費はかかりそうですが。
また堂に近接する石積みは珍しきカタチ。
一見して平地にありますが比叡の裾、傾斜地であることには違いありません。
2026年
6月
29日
月
三千院の良さは庭園の春夏秋冬 杉とスギゴケ
残念だったのは「台風一過のハレ」というやつが無かったこと。一昨日午後遅くには夕陽が差していましたからね。
朝から久しぶりに本堂正面の閂を外して法縁の準備から。
ところがお勤め終了後、墓参りの段になって雨が降り出してしまいました。
まぁ墓地の場所が本堂の庇の下付近だったことからさほど傘の助けは要りませんでしたが。
その後ぐずぐず天気は続いて、以降私は庫裏に籠りっきりでした。
先日奥方の荷物持ちで某食品売り場をうろうろ。
そこで目が留まったのは米のセール。箱型台車2台分の山積みでしたが客がそれを見逃すはずはありません。見る見るうちに消えていきました。
産地もまずまず、それが10㎏で4000円ちよっとの金額。
「5㎏で2200円なら買い」とレジに並んだ次第。
世間様を舐め切ったことからか何れの倉庫には米が溢れ切っているといいます。
5㎏2000円じゃなきゃ「買わないよ!!」が合言葉。
それを5000円以上で売りさばこうとした罰というのでしょうね。秋の新米が登場するとなると・・・どうなるのでしょう。
想像しうる酷暑をさておいて秋の楽しみを言うのはまだ早いとは思いますがアメリカの中間選挙も注目です。
トランプの信任選挙ともいえるものでそのボロクソを目にできるかも知れませんね。
戦争やりたがりの輩に罰が落ちるかも。
酷暑といえば欧州の天気は無茶苦茶になっているようですね。
連日40℃越えで中には46℃などと私のお頭の限度を超えたような数値も出現。信じられないような天候逆不順。
まぁ何から何まで世界はぶっ壊れていますね。
人の計らいというものの限界は承知していましたが人の行いというものがここまで自然環境の反動をもたらすとは・・・これも罰か・・・
単純な疑問として、何故にしてここ日本周辺の天候が欧州の如くにならないの? 私はむしろ酷暑好きでして・・・。
梅雨が明ければ「スーパーエルニーニョ」が待ち構えているといいますが・・・
それほど暑くなるなら・・・と今大いに躊躇し、その作業について秋まで待つかどうか思考を止めているものがあります。
それが親鸞さんの前のスペースに「スギゴケを植えよう」との発想。
スギゴケは比較的陽あたり好きの苔ですので何とかあそこでイケるのではとの考えています。しかし夏場の午後の直射は相当キツそうですし、また毎年の猛暑、対応できるか不安でもありますね。
スギゴケの仕入れはかなり高くつきます。何度か失敗しないとダメなのか・・・
画像は三千院の緑色。
先日はアジサイ全滅の件記しましたが杉とスギゴケはこちらのウリですね。まぁお庭の管理の良さです。
人多しの様はどうしても苦痛になりますが。
昨日のブログについて「奥の墓道」氏より「ジジイの何とも弱気な負け犬根性」と。それはまさに私ともども「老いぼれの昭和野郎」との自虐的見解がありました。
先日テレビを視聴していて「サッカーを知って10年」という何某かの若者がその醍醐味色々をメッシの名など口にしながサッカー絶賛のコメントを耳にしましたがついニヤニヤしてしまいました。
彼(墓道)とは今から半世紀以上前からサッカーを嗜んでいますが、そのせいもあってその負け犬魂(ハナから「ブラジルなんかにかなわない」)は植え付けられてしまっているのでしょう、韓国が既にお帰り決定になった如く、スグにでもそのあとの飛行機に乗るのは決定事項であるとの統一見解。
もっともあのようにマスコミに煽られてのお祭り気分の衆愚一直線のイケイケドンドンは好みではありませんから反発したくもなってしまいます(その偏屈も昭和か)。
昨日、流して視聴した大河ドラマの信長の台詞(演出)を記します。彼もまさにこの時に合わせて・・・を指摘していました。
「役立たぬ老臣など 無用の極み
天下一統に 情けなどいらぬ」
優勝(天下一統)を目指すならば信長の言う通り・・・などと。
まぁ、つまるところ自分自身も齢を重ねて「無用となる」ことはいうまでもないのですがね。
戦前から優勝候補と目されていたチームの如く「生きすぎたるや19歳」のような人材は見いだせなかったなかったのでしょうか?
尚、番組での森蘭の齢は推定17歳?。それに対した老臣が「気合じゃ 気合じゃ」の威勢の良さが際立っていました。
気合で勝てる勝負事などはまずありませんね。
2026年
6月
28日
日
三千院往生極楽院阿弥陀三尊像 脇侍の前がかり
W台風は当地に限ってですが被害について聞こえてきませんでした。対策といえば本堂をこの三日間締め切りにして法縁を1件順延したくらい。
そもそも気圧の予想は980程度で発達しなそうだったことから暴風に関してはノーケア、植木等はそのまま放置していました。
その間、大工仕事は捗りませんでしたが、まぁこれといった被害もなくなんとか「やり過ごした」の感。
先般W杯1戦目のオランダ戦は私の予想はハズレて日本の善戦とあいなりドロー。その後もまずまずの試合運びで、決勝リーグ2位進出が決定しました。そして次のお相手がブラジルということで、昭和生まれの私としては「ハイ、終了」の気分。
若い衆は相変わらず「優勝」などと連呼していますが、ジジーの私としてはそれは違和感満点。
同じ昭和の人「奥の墓道」氏も、本当に実力ある者が「私は強い(優勝のフレーズ)など口に出さないものだ」と。
彼らは「侍」の語を吹聴することが多いのですが、真に剣術達者の武士というものは「私は強いのだ」のバカボンのパパ風フレーズなど吐くわけがありません。
時代劇を見ていても威勢のいい強がりを口にするのは木っ端侍というのがお決まり。
まず主人公(私が思うそれはベスト4御常連)に瞬殺されるという役回りですからね。
またスウェーデン戦後半に鉢巻の気合とやる気満々を標榜(・・・精神論)しているベテラン選手が(どちらかというと守備引き分け要員?)が投入されていましたが、あそこは将来を見据えての年少若手を突っ込むべきだと思いましたね。
「奥の細道」氏もその温情精神論こそが「昭和だぜ・・・」
ブラジルが日本に負けるとしたら、「弱い相手」とばかりに見下して油断した時。そのくらいかな・・・。まぁどちらさんであっても何につけ慢心があったらおしまい。
扨、昨日は来迎院の薬師・阿弥陀・釈迦の三尊についてその3トップの様を記しましたがあの三千院の往生極楽院にも三尊形式の仏たちが。
元はといえばその御堂は阿弥陀堂であって三千院とは別モノだったそうですがいつぞや「吸収合併」されたとのこと。
この「往生極楽院」もまた、その名からまさに「本尊は阿弥陀如来」と思うのがスジですが、やはりそれはその通り阿弥陀世界の御堂になります。
これを私は阿弥陀如来1トップで左右から菩薩たち(右から勢至菩薩、左から観音菩薩)がオーバーラップ、走り込んで阿弥陀にあわせるというフォーメーションをイメージした次第。
⑤⑥はキャプチャー画像ですが、勢至菩薩・観音菩薩の前傾姿勢に注目。前がかりで今にも走り出しそう(大和坐り)。
勿論マイナスでのボールを中央へ折り返し供給。
ストライカーたる阿弥陀にまかせます。
外から外からのサッカーは見ていて気持ちがイイ。真ん中に球集めしてバックパス・・・見ていてイライラ。
尚こちらの三尊も平安後期の作。国宝指定になっています。
本日も支離滅裂失礼。
2026年
6月
27日
土
大原「来迎院」と申すものの阿弥陀さんは脇侍
またも夜10時30分頃に緊急地震警報を。
「環太平洋の国々(特にニホン)ヤバい」の件(昨日)記しましたがだんだん私の近くに・・・の妄想まで。カンベンして欲しい。
久々に揺れ(震源地の富士五湖震度6弱 当地は震度2~3)を体感しましたが瓦がズレての雨漏りの心配がありますので、再び憂鬱が広がりました。
まぁ一発で仕留められるほどの震度ではなかっただけ「ひとまず良かった」と思うべきか。ベネズエラは立て続けに震度7クラスに襲われたようですからね。
法縁のため愛知県中部から来訪される方たちがいらっしゃる予定がありました。息子がお世話になっている御家で拙寺本堂での開催です。
W台風通過の予報もありますので、先方へ順延について提案することを息子に勧めました。
息子は「もう決まっていること」とは言っていましたが、もしかして「施主は拙寺に遠慮されてそれが言い出せないのかも知れない」ということを。
こちらからその件提案することが親切であるべき配慮であることを念押しした次第。
既に在来線、新幹線の運休について報じられていますし、道路事情もどうなるかなど予想がつきませんからね。
するとしばらくして「順延が決まった」ということで安堵しました。
中止判断ができるかどうかで運命が変わることがありますからね。そんな日は自宅待機、それが一番。
それでも日本人というものは「無理をして」予定というものを強行大事にしますからね。仕事も学校もイベントも明日はお休み中止順延に・・・それが差配できないのは昔ながらの悪い習性。
臨機に対応しないと下手をしたら自身だけでなく他者の命をも落しかねませんね。
扨、来迎院本堂の中。このさほど大きくない天文二(1533)年に再建された御堂は私が下の方(三千院)の喧噪(人だらけ)を離れてしばしの憩いを求めて赴くのは本堂中央に鎮座する仏たちへのご挨拶もあります。
大原の「人少なし」の場でこの堂内では仏たちの歓待を受けられる時間が楽しめるわけです。
私のお頭の固定された思考。この「来迎院」なるお寺の名を見て当初先ず思ったのが「本尊は阿弥陀如来」・・・のイメージでした。
それがスグその思いは崩壊します。
入堂して「三尊形式」の坐像の姿が目に入るのですが、それをまじまじ見て愕然とさせられたものです。
それら3トップの配置はよく見られるところですが、なんとひとまわり大きいセンター(本尊)は薬師如来なのでした。
そして左が釈迦如来で阿弥陀さんは右サイド。
余談ですがこの布陣を見て「攻めは外から折り返すべし」など思ったことなどを記せば「お頭 どうかしてる・・・」と思われるでしょうが、それが私の脳内「サッカーの基本」でした。
縦-縦と中央に球を集めあるいは中央を狙ってパス回し、ゴールを狙うのではなく脇侍(かつて呼ばれたウィング)やその次がオーバーラップして走り込むことの醍醐味。
そしてゴールライン辺りからのマイナスの早く強く低い折り返しが妙味。
その攻めには守備側の人間はなかなか反応できないものですし何よりも攻め手からは方向的に(ゴールポストに向かい)有利。オウンゴールもあり得ますからね。
それに拘ってこれまでサッカーというものを見てきましたがここで言えば右の阿弥陀さん左のお釈迦さんが外のスペースをフルに走りまわることでしょうか。
昔からそれを言われているのですが日本のサッカーは中盤でのパスサッカーに変化しています。まぁブラジルサッカーの憧れからきているのでしょうね。ブラジルにそれをやるの?
三尊とも平安末期の作で重要文化財に指定されています。
この空間に人の気配を感ずることなく静寂に佇むことができるのは何よりの機縁です。
天井画の天女もステキ。それらが眼前ご対面できるなんて・・・
2026年
6月
26日
金
薬の入手困難 元は「魚山大原寺」だいげんじ 塔頭
青森の震度6強には驚かされました。
暢気にテレビを視聴していて毎度あの警報の割り込みとアナウンサーが固まる姿にはこちらまで緊張させられます。
そして、かつて私どもが体験した震度6弱の「弱」と「強」では大違いであると承知しています。
あの「弱」であっても「二度と体験したくない」と思ったほどでした。
地球の裏側(ベネズエラ)でも大きな揺れがありそちらの被害状況は今回の東北の揺れに比べて相当酷かった様です。
またカリフォルニアでも地震があったそうで「太平洋岸がヤバい」とばかりに一部米国の地質学者は「今ニホン 要警戒」と言い出しています。
日々、のうのうと生かさせていただいきそれを満喫している私の「日常」が自然の不条理によってリセットされてしまうことをふっと想像するだけでも苦しい・・・
扨、お国の「その財源どうするの?」と毎度疑問符が付く政権のリップサービスが伝わってきました。
2040年度までに「戦略17分野」なる勇ましい言葉。
それに「370兆円超の官民投資」を行うというものです。
それがAIに半導体と今大流行りの分野を筆頭にゲームやアニメなど私が個人的に嫌悪する世界。それは時に子供を中毒にするアイテムでもありました。
また景気のイイお話すぎてそういうものには「眉に唾」というのが常道です。
バール小僧がワルイ大人に囁かれた「日当200万円」を真に受けるようなものかも。
一昨日その景気のイイ、大盤振る舞いのニュースがあったのですがたまたまその直後に「医薬品不足でどうしていいかわからない」というテーマが報じられていました。
病と闘っている我が子に与える「薬が入手できない」という事例でした。その件、その親は「国は何ら手を差し伸べてくれない」と嘆いていました。
1社しか製造していない11の医薬品が、国が定める薬の価格の引き下げなどで採算が取れなくなっているということでした。
原材料不足と高騰もあるようで製薬会社が「割に合わない(コストと薬価)」を理由に製造を抑えているとのこと。
中には以前からコストが10倍になっている例もあるそう。
「小児がんの治療薬は市場規模が小さい(儲からない)ため、製薬会社の新規参入が進まず、開発された薬が長く使われていて国が定める薬価の引き下げの影響を大きく受けてしまう」と。
ちなみにその息子さんは小児がんで、ある抗がん剤の効能によって維持コントロールされているそうですが、その薬が手に入らなくなることを嘆いていました。
そこに私はこの国の方向性というものを垣間見た思いがします。
仏教、特に真宗には「生老病死の四苦」には抗わず、今ある「ありのままの私」を弥陀にまかせ(楽しみ)ましょう・・・なる考えがありますが、そのお国のメッセージもそれ(ある意味達観 割り切り)なのか?と。
そして「諦観、切り捨てること」によって「他を生す」を暗に言っているのか・・・いわゆる宗教的・・・
ネガティブな個々のテーマは捨て置き将来のお国のために「とことん(儲けられる人と一緒に)ガッツリ儲けまっせ~」のように聞こえてきます。
その大層なおカネのうち少しでも・・・
せめてその「四苦」のうち「死」というものに対してはもはや何も言うことができませんが同じ苦しみでも「生老病」についてはそれこそ腰を据えた国の斬新なメッセージが欲しいものです。
そもそも人口減少のテーマについては抜本策が見えません。
そういった姿勢に対して子を病で失った親たち全ての「前向き」が消沈するものです。「ヤル気」というものが失せますね。
今こそ「人を大事に育てていく」という方向性を見せていただきたいものです。
これまであった筈の薬が無くなり病の進行を抑えられず、患者である子や親たちが苦しむ姿を放置していられるものなのでしょうか。
そういう方たちの声が耳に入ってこない、いや耳に栓をして聞かないようにしているのなら大罰当たり。
自身あるいは家族が病になってそれに気づくのでは遅すぎです。
儲け主義精神の華やかさ溢れる「イケイケ」は往々にして破綻するものです。お調子にのったらヤラれるもの。
バラ色の消費税減税もその財源について聞こえてこないのに・・・また無限借金(赤字国債)の短絡ですか?
とにもかくにも「欲しい人に薬を届けること」・・・国の本来あるべき姿なのでは?
画像は再び大原来迎院。
私の好みのカット、本堂正面からの逆バージョン、開口部から鐘楼方向の図を再び。
外国からの来訪者の多さを物語る手書きの案内が見えますね。
先日記した融通念佛についてもチラシからサラッと。
とにかく比叡山西側の大原、今はお寺たちが軒を連ねていますが元はといえば「大原寺」の塔頭道場だったのでした。
2026年
6月
25日
木
藤原効果 呂律がまわらないのは・・・呂川と律川
梅雨前線+台風×2・・・ヤバそうな臭いがしてきました。
既に九州では河川の増水やがけ崩れが発生しています。
その前線も台風×2も私のところ(東海地区)に進んでくることはまず間違いないでしょう。
昨日は朝から雨の気配はありませんでしたので大工仕事に励んでいました。よっていつもの境内の植木鉢の避難をしていません。少しばかり心配。
台風×2はお天気の世界で「藤原の効果」と呼ばれる熱低・台風の予測不能の状況(2つの熱帯低気圧~台風~が約1000km以内に接近した場合、干渉しあって予測不能の動きをする)になるよう。
相良の街区には比較的低地の箇所が広がりますが、小河川であっても溢れると家屋への浸水もあり得ます。
拙寺周辺で言えば樋尻川という古来より波津の海岸から内陸に物資を運んだ小さな川が流れていますが(現在は殆ど暗渠)相良の「い~ら」の丘に降った雨を集めて流れ降りるため拙寺から東南地域の低地帯の浸水があるようです。そちらに住まう方は毎度土嚢でそれを防ぐとのことでした。
拙寺はその地より1mほど高くなっていますのでその高低差のおかげで、水は溜まることなく樋尻川のあるその南東側の低地に流れていきます。
台風×2とあって風の方も油断は禁物。とはいいながら大雨がとことん憂鬱にさせてくれます。
私のそれは浸水よりも屋根雨漏りです。まぁどうなるかなど人智を超えているのが自然というものですからまったくわかりませんね。
歴史探偵は「曲直瀬玄朔」でした。曲直瀬道三の養嗣子として後継させた人でその書「医学天正記」を紐といた番組です。
戦国時代の武将たちの各々病との戦い、その病名の探索は面白いものがありました。
先般記した「秀吉の歯」にも通じるものが・・・まぁ酒というものの不健康について多く記されていましたね。
扨、先日の世話人会冒頭の正信偈の時間は息子が導師としてお邪魔させていただいたのでしたが、こういった機会を増やしていかねばなりません。いずれ来る寺代表のその「退き口」のタイミングの模索です。
特に私が思うのはお勤め、声明・称名は勿論のことおしゃべりが不自由になった時、そのスイッチが入ったということになるのでしょうが、最近なんとなく呂律が回らなくなったような気がしなくもなし。
先代の父が救急搬送される前にその有り様でしたが、それは脳梗塞から。
それが原因だとすればここまで通常の変わりない生活ができているはずもなく・・・これは読経早読みの際に頻発しますのでただの「老化」なのか・・・よって「それならまだイケる」感がありますが、そもそもその「老い」こそが「退き口」のきっかけになるものです。
まぁ私の場合その呂律の件よりも声かすれ、発声がしにくくなっていることの方がヤバいかも。
画像は大原の三千院方向への道。
先日の雨の来迎院本堂のところで呂川と律川について記しましたがこの二つの川を合わせて「呂律」の語があるよう。
「りょりつ」と読んで「音楽」「曲調」「旋律」等を意味します。要はこの地のお寺の「天台声明」を示唆するわけですが、その呂律が回らないというのはまさしくお勤めがうまくできないということを言うのでした。
2026年
6月
24日
水
結論 バール小僧との対峙 「ケレン棒」を選択
朝は雨、ご納骨の日でした。
天気予報を確認してみれば何のことはない「☀」マークになっていました。よって法縁時には晴れ。
今回は拙寺境内にあるお墓でしたが、事前に(私もお手伝いしますので)「みんなでお納めしましょう」の軽口を。
そして本堂でのお勤めのあとから墓碑納骨室の上に載る焼香用石材を外すのですが、それがあまりにもガッチリと付いていて微動だにせず。
そこでいつものノミ等小道具にハンマー、ソフトハンマー、大ハンマー+あて木まで用意。悪戦苦闘しました。
怖いのは石材を壊すことですから慎重になります。
ということで皆さんへろへろになったところで施主がいつもの石屋さんに連絡。
時間さえあればのんびり私と奥方でコツコツ開けるところですが、そのためには一旦解散するほかはありません。
すると石屋さんは「今すぐ行ける」ということであっという間にすべて解決した次第。
最後のモルタル仕上げも施工していただけますので、結局はプロに任せて正解・・・。私も余計なことを言わなければ良かったと反省。
昨日もクロ現「病・老い・看取りまで命の相談をAIに」を視聴。
その番組内でそのいわゆる「生老病死」のテーマに関してAIに問いかける年配女性の姿を見て思うことは「まったくもって寂しい・・・」でした。
それは偏にそのテーマについて投げかけられる「人」が周囲にいないということから行き着いたことでしょう。
それはやはり年配女性が縫いぐるみやロボット犬に何やら問いかけながら愛でる姿と重複しましたがまだそれらは愛玩動物のくくりであって「普通」の延長のような気がします。
AIは「思いやりに満ちた優しさ」の言葉に溢れていますが画一的で、要はコンピューターが抽出した美しい言葉の羅列です。
機械が膨大なデータの中で選んだ言葉を淀みなく話す様は完璧としかいいようがありませんが、私がその立場だったとしたらそれだけは「即却下」ですね。すべてを受け入れ自然の中に身を置いたほうがずっとマシ。
AIについては適宜色々教えていただいていますが、ハッキリ言ってそれは間違いだらけでもあります。
私はそれを調べたことがありませんが、どなたかが「牧之原市大澤寺」を問い合わせたところあるお寺の住職の顔が出てきて私の顔ではなかったといいます。
またAIで「比木荘と地頭方」について調べた方がいましたがあの比木の「三間」について「みま」とわざわざフリガナが振られていました。本来の読みは「さんま」ですからね。
怖いのはすべてが真実であると信じ切ってしまうこと。
状況状況がつかめていないところにきて回答率100%というのがヤバい。
子供の場合は特にね。
誰か悪いオトナに「日当200万円」などと焚きつけられて「人殺し」をするというのもその類かも。
扨、先日来、短慮軽薄のバール小僧が「ウチに来た」ときの対応と正当な防衛について記していました。
しかし刀剣も槍もバットも対バールグッズとして「割が合わない」ことからベストな選択肢を思考していましたが、このほど「これだ」というものが見つかりましたので紹介します。まぁ私の感覚ですが。
それがズバリ「ケレン棒」です。
ケレンとはクリーンからといいますが、塗装面や材の剥離作業に使う「へら」のこと。
そのヘラ金具に長い柄がついたものがケレン棒。
息子の寝室と庫裏の居間に1本ずつを置きました。
長さは1m少々、その長さが必要なのは相手の持つバールよりも長めであることが肝心ということ。
信長は当時の一般的な槍の長さ(4.5m)より長めの槍(5.4~6.3m)を揃えましたね。
長槍は室内で振り回せませんので籠槍程度の長さのものを所望していたのでした。
また長いバールだとその重さによって逆にそれに振り回されることになりますからね。
ケレン棒は比較的軽く、突いても叩いても振り回してもOKですが、主としてバール小僧に戦意喪失させ退散させるに何よりの代物となります。先端には金属製の平刃が付いていますから視覚効果も十分。
それでいて価格が千円+百円玉2~3枚と格安であるところがイイ。
そして剥離作業もそうですが、排水溝の清掃にもってこいの形状です。家の中に置きっ放しというのも勿体ないですね。
①~③は先日の「ウチの植物園」の月下美人。
いっぺんに3つではなく一昨晩に2つ、昨晩1つと連夜楽しませてくれました。2日間あの香りが充満していました。
あのみすぼらしい葉からこのような花が開くなど当初は信じられませんでしたね。
2026年
6月
23日
火
融通念佛開祖 良忍上人(聖応大師)絵伝 来迎院
昨日のクロ現「AIが変える戦争」を視聴しました。
ウクライナの発展型ドローンシステムから軍事AIの有効性を確認したアメリカを主に各国がその活用・開発にシフトしているとのこと。
ただし瞬時な判断で人の頭が付いて行けないこともありますが戦争のシミュレーションをAIにさせると「スグに核を使いたがる」ようですね。効率を求めるが故でしょうね。
そのために「核-核」での核前面戦争にもなった例もあるそう。人がまず思う「それをやったら・・・」の躊躇というものが一切ない。機械的に効率のみを求める殺人ブレーン、怖すぎます。
プーチンが始めたウクライナ侵攻。
最近はかなりプーチンを押し込むかのようなニュースが目立つようになっています。
戦争を始めた男が苦虫を潰す姿を見るのは悪くない。
そういう意味ではトランプ、ネタニアフ、そしてまたそれらへの応援団たちも、彼らの行く地獄、私もちょいとばかり覗き見してみたい。まぁ一番にそれを味わうのはその国民なのですがね。
扨、来迎院再び。
その山門前に良忍上人を伝える看板か六枚並びます。
この人は天台声明からの流れ、大原声明を確立した人でこの道の突き当りの「音無し滝」でも名が残ります。
2026年
6月
22日
月
ウチの植物園 ウチの世話人会 サッカー観戦付き
一転、嘘のように晴れ間がひろがりました。
週末3日間法縁がありましたが、その3家とも拙寺境内の墓地ではなくそれぞれの原の台地上にある墓域でのお参りでした。
特に昨日は車から降りてから数百m、足場の悪い畦道の奥にある墓でしたので、数日前から「どうにでもなれ」の覚悟ができていました。
ところがあのような素晴らしい好天となり有難さ、このうえなし。
その前日に施主は墓参りと献花のためにそちらに赴いたそうですが、畔の苔に足を滑らせ危機一髪の様だったよう。
晴れれば退避してあったブーゲンを陽の下に。
あ奴らも明るい陽光を浴びて気持ちよさそう。そして毎年喜ばせてくれる月下美人も花芽を付け出しました。画像はあと数日で開花しそうな蕾です。
その際は玄関に入れて香りと白の美しさを堪能することとしましょう。
3つ同時に開花しそうでそれが何より勿体ない。時間差があれば楽しみが増えるのですが。
これらはNHK「ウチの動物園」ならぬ夏専門の「ウチの植物園」です。先日まではユリたちが主役でしたが、今は南方系にシフトしています。
その番組はテレビ小僧(私)好み。アナウンサーの語りのひょうひょう軽妙さがイイ。
まさかのNEWS7のあの人とは思いませんでしたが。
そこではまったく違うトークですからね。当たり前か・・・
扨、昨日は14時から「ウチの世話人会」。
チュニジア戦の時間と重なってクレームとは言いませんが、嫌味の2、3は耳にしていました。
14時といえば後半のキックオフの時間ですからね。
ある方に「会館にはテレビがあるよ」と返すと安心していましたね。
息子からも「何もこんな日に・・・」と囁かれましたが、そんな日程まで事前に把握などしていませんよ。
大局的に言って「どーでもイイ 高がサッカー」という話ですからね。
とはいいながら冒頭私のご挨拶は「拙寺サッカー観戦会にようこそ」でした。
息子に導師をまかせての正信偈拝読。その時のみテレビのボリュームを落していただきましたが2026年WC第2戦チュニジア戦に「みんなで正信偈唱和」など良きご縁となりました。
⑤は息子を1トップに・・・
壁には虫干しのために掛けた掛軸が。前方は阿弥陀さん三昧。
勿論、試合終了後に少々の勝手解説の時間をいただきました。
2026年
6月
21日
日
人物無しがイイしかし被写体による 来迎院3カットめ
朝早い時間帯は意外にも雨がなく「こりゃあイケる!!」などと思っていれば徐々に徐々に・・・法縁開始時間は皆さん傘なしの様でしたが墓参移動の際には車に置かれていた傘を駐車場まで纏めて取りに戻るまで。
また墓地は菊川の右岸丘の上。雨中の墓参は久しぶりでした。
皆さん御一同からお気遣いを頂きました。ありがたいことです。
よってこういった雨の日、難儀が思われる時こそ「平チャラですよ~」風のニッコリを見せなくてはなりませんね。
施主みなさんの方こそ大変なのですから。
施主には「雨の中の緑の空気はうまい!!」と切り出すと、その方は昨年、仕事中、熱中症で倒れてしまって「夏は苦手」と。
その涼しい時間こそが有難いと。
私など降られたら降られたで「ズブ濡れ上等!!」の気合が入ります(もっとも終了間際の墓参の際)。
それはまぁかつてウェットスースの毎度ズブ濡れの日々があったからでしょうね。
すべて気にしない、おまかせで生かされていれば(時に開き直り)「どうにでもなっちやう」ものです。
扨、カメラ持参であちこちハカ、テラ、シロをブラついている際のちよっとしたアルアル。
その場でシャッターを押せればベスト・・・といったポイントというものがありますが、「ヨシ!」とばかりにそこに立つと、その「残したい」画面に必ずと言ってノー天気に入り込む人影があったりします。
「ここでカメラを構えているのに・・・もう少し気をつかってくれても・・・」と思いつつその人がノー天気無配慮の様であればあるほどムカっ腹が立つものです。
口には出しませんが「いつまでそこにお立ちになるつもり・・・」です。
中には今その人が撮影した画像をその場でチェックしている人も。まぁ去り行く時をひたすら待つわけですね。
また、私の後ろを見ればやはりポイント待ちのカメラマンがいたりして。
そんな時はシャッターを押したら即座に後方に立ち去り、様子を見ながらあらためてその被写体の近接に移るわけです。よって人多数の場所は好かないのです。
まぁ周辺お気遣いを感じられない人といえば、オッサンオバサンの類でしょうね。特に後者の集団になるとほとんど待てども待てども時間の無駄。そういう時は時間を変えての出直しになります。
まぁ「どうでもいい」と根負けしてしまうこともままありますが。先般の小田原城の図などかなり待ちました。
画像は先日雨の中の来迎院(大原の一推し)を記しましたが本日はあの本堂の3カット目を。
大原は外国の方多し、しかし来迎院は人無しと私のお好みの場所ですがあの時は本堂を回遊したのは私と若い女子2名の3人きりでした。
見た所日本語圏の方ではなさそうでしたので舞い上がって「コンニチハ・・・」。
来迎院三尊前で思わぬ機縁をいただいたような気がしましたが、しゃしゃり出たとして一体何の説明が・・・彼女らはスマホで何やら検索していましたので変なお構いは無用と存じ先に退出させていただきました。
本堂正面を撮影しようと振り返ると彼女らも出てきてスグに正面の階段に座り込んでしまいました。
少々シャッターチャンス(無人)を待ったわけですが「コレもなかなか悪くない」とばかりにパシリ。
画像アップも憚られましたが、とても良き雰囲気で、「えいやぁ」です。
ちなみに私がカメラを向けてパシパシやっていることはご承知だったかと思いますが、怒られるかなぁ・・・
しかしコレがオッサン・オバちゃんだったらいつものようにムカっ腹だったのでしょうね。しょうもない・・・
④は先日来の本堂シャッターポイントの鐘楼を堂内から。
それにしても三千院にはやたらと人がいます。
日本語圏の女子たちも多数いました。それでいて来迎院には彼女らと私だけ。
この寺の良さを伝えるガイドが出回っているのでしょうね。
そこを選択するセンスもまたイイ。
しかし画像はどうだろう・・・
2026年
6月
20日
土
文化財を守る 静岡には伊豆屋伝八がいる
昨日も晴れ。
数日前の予報では雨天を覚悟していたくらいでしたから法縁後の原の墓園、墓参の際、私も施主さんらとともに「よかったね~」。
彼の地は東側に開けた山上にありますから、天候が悪化した場合風雨によっては墓参は厳しい場所になります。
しかしそんな好天はいつまでも続かないでしょうね。
前線活発のうえ台風まで発生してしまいました。
扨、昨日のニュース。といっても県内ニュースでしたが、それで一つ、私のもやもやが少し晴れたような。
それが「富士山閉山期 ヘリコプター救助 有料化を検討」というもの。
人命救助は第一とは思いますが、毎年毎年当たり前のようにある閉山期間中の救助要請への人員手配にヘリコプターの出動。
救助側としても命がけですし、何しろヘリコプターの利用料はタダというのは最大の疑問でした。
そもそも「行ってはダメ」という閉山期にこっそり入山しておきながらイザという時に「たすけて~」とはいかにもムシが良すぎるのでは。
富士山ヘリコプター遊覧などいうツアー企画などありますがそちらは数十万円といいますからね。
捜索なども含めれば一体「何機チャーターしてんだよぉ」のレベルにもあります。
それでいて大抵の場合そんな無茶をやるのは静岡県人ではないようで。それを静岡県民の税金で賄うなんて、どう考えてもおかしな話。
早々に山梨県と連携して「有料になりました」を大きく告知していただきたいものです。
119のヘルプがあった際、まずは「見積もり書」とはならないでしょうが、その個人の軽率無謀の責を取っていただくことは悪くないですね。氏名の公表に関しても事前にそれを告知しておくべきです。ペナルティがあってもいいかと。
果たしてヘリ一機をチャーター(搭乗員日当含む)してのお迎えの経費について・・・知りたいもの。
おバカ遊びの経費がどれほど高くつくのか事前に教えてあげてくださいな。
画像は静岡の伊豆屋伝八文化振興財団の企画した講演会パンフレット。
文化財に関して最近は政府の指針、(そのときは)「捨てて・・・」の選択肢の提案には呆気にとられたところでしたが、そういった世の方向性に待ったをかけるが如く一人、気を吐くような講演タイトルになっています。
拙寺はかつて伊豆屋伝八さんに本堂の丸尾月嶂襖絵の補修でお世話になっています。
私どもの最後の砦と言ってもいいのかも。
2026年
6月
19日
金
雨に煙る大原来迎院本堂 悪くない いや絶対イイ
午前も案外と早い時間に陽が差し出しました。
雨降りの時間は殆ど夜だけ。
そんな具合にこの季節が過ごせれば何よりなのですがね。
先日夫婦のあり方について、改めて感じさせられた事案がありました。
ただ私はその夫のセリフ「ごはんまだ~?」の語は奥方というものは特に「キレる・・・」フレーズなのかということ気づかされました。
一瞬笑うところか・・・などと思いましたがその件は夫が包丁で刺され亡くなっていますので決して冗談のレベルではありませんね。
まぁそれまでの過程の「いろいろ」(鬱積)が重なってのこと、あるいは奥さんが精神的不安定状況だったのかわかりませんが、とにかくその語を放つことのタブーとリスクを感じたわけで。
夫としては「まさか」のことだったでしょう。
さりげない普段通りの言葉だったのかも。
奥さんにとっては寅さんのフレーズ「それを言っちゃあおしめえよぉ」的類の語となったのかも。
それだけパートナーの仕事はある時、相方や家庭内の事情に深い抵抗感と時に憎悪の念まで抱くこと「ある」を知ったのでした。
そういえば息子も妹の息子も台所に立っていました。私にはなかなか難しい事ですがそれを心機一転、私がしゃしゃり出たとしても「邪魔だ」とばかりに尻を蹴とばされるだけでしょうね。
くわばらくわばら、奥方に限らず人というもの「キレたら怖い」のかも。
やはり人の心を傷つけないよう言葉を選ばないとイケませんね。
しかしその「ごはんまだ~」でキレられても・・・。
扨、バス遠足の件、二日目は雨によっての制約が各あったことを記していますが、特に大原の地だけにその雨は辛いものがありました。
私は車中、「三千院もいいけどちょっと行った来迎院もね」と私の一押しをお知らせしていました。
皆さんの中でその来迎院まで辿った方は数人いらっしゃいましたが思った通りその評価感想は高いものがありました。
中には雨中それより奥の「音無し滝」まで辿ったという強者もいらっしゃいましたが。
来迎院の良さは何といっても「人少なし」です。本堂での空間をまず独占できるのがイイですね。
それは観光客の大原といえば三千院という観念が広く固定されているかと思いますが、私の趣向でいえばココが一番の感。
大原で解散自由行動としたのでしたが、私は独り来迎院に向かいました。私一人の待避所の如く。
晴れていれば皆さんの尻を押したのですが、雨天ではそれは憚られますし。
画像は雨に煙る来迎院本堂ですがその空気と緑鮮やかに浮かぶ
本堂の姿は絶妙でした。
いつもの通りまずは鐘楼の下からの様を眺めて「やっぱり来て良かった~」の溜息が。
①②は呂川沿いに進む図。
三千院や来迎院の裏を流れる律川の元に音無し滝が。
2026年
6月
18日
木
アジサイチョッキリ 室生寺五重塔再訪
朝から晴れ。天気は崩れると思っていただけに得した気分。
よって庭仕事に大工仕事の続きを。
材木を購入に走ろうとした際、元ご門徒さん(ご門徒家から養子縁組して実家を離れた方)が来訪。
「ちょっと頼みがある」との第一声でした。
その方は地元近隣に住まわれていますが、本家は遠方に転居、よって以前より拙寺境内にある本家の墓地にお参りに来られている姿を見かけていました。
その方から知り合いの家の仏壇の閉扉の儀をタノムとの依頼。お知り合いは早々に転居することになっているそうでその法縁の了承と私の都合を聞きに来られたのでした。
「ああまた相良から人が減るのだな・・・」と思いつつ、了解して希望の日にちについて「電話で連絡を・・・」と告げて別れました。
するとスグに再び来訪。
そのお知り合いとの話を詰めて来られたようで「いつでもイイ」とのことでした。
話半分とはいいませんが、クールダウンしての気変わりもあるかと思いましたのでそれには驚かされました。
私はそのスピード感に敬意を表して、「今」を提案。
一気に話が進んで速攻で着替え、そのお宅まで伺った次第。
先方クールダウンの件、私も少々の躊躇があったのはその件仲介した方は勿論、仏壇を閉め(処分して小さいタイプに)ようという方も他流浄土真宗以外の方でした。
「何故、私なの?」という思いもありましたが・・・
まぁ私に気軽に声を掛けやすいということなのでしょうね。
また私ほど暇そうにしている坊さんはいないのかも。
仏壇閉扉して転居される方は元御前崎市民。お寺は御前崎市の某禅宗寺院だといいます。仏壇にはご主人の遺影が。
私より若くして亡くなっていました。私は本尊阿弥陀さんを引き連れ正信偈と念仏の拝読を。
偶然でしょうが、つい先日拙寺一處墓に親類の方の遺骨を納めた方もそちらのお寺が菩提寺でした。
冗談でしょうが「墓じまいしてこの寺へ・・・」との放言。
まぁ拙寺は基本「OK OK」「何でもアリ」ですからその時は承ります。
扨、先般の拙寺バス遠足。
二日目は遠足数ある中、初めての雨で難儀しましたが、メインとなった三千院(私は入場しませんでした)、丁度今頃はアジサイが見ごろといいます。何せ3500株もあると。
ところが私どもが帰宅してスグのことニュースに「三千院 アジサイ全滅」との見出しが躍り、よって「アジサイ祭りが中止」になったと。
それが「シロオビアカアシナガゾウムシ」(別名「アジサイチョッキリ」)なる害虫にヤラれたといいます。
そのような害虫がいること自体恐れ入ったところです。
きっと植栽担当はノーケアだったのでしょうね。各方面からいろいろと突っつかれたこと、想像できます。気の毒な事です。
画像は遠足初日(6月1日)の室生寺の風景。
その直前にお参りした弥勒寺にもやはりウリの一つであるアジサイ園がありますが、両寺院とも「まだ早い」レベルでした。
ただし画像の通り、そのアジサイで演出の図が見えました。
鉢植えのアジサイを並べ青・赤の華やかな傘で「盛り上げよう」との意図が。
③は室生寺鎧坂。そして何時観ても美しい室生寺五重塔。
最後の画像が昨日の拙寺のアジサイ。
2026年
6月
17日
水
高ころびに あおのけに ころばれ候ずる 安国寺恵瓊
大切な晴れ間の広がった一日。
夏の気分ではありませんでしたが。
しばらく放ったらかしだった大工仕事を。
そして掲示板の文言も少しばかり更新。
また何しろ境内植栽の様が見苦しい。よって頭が痛い。
まぁ毎年のことではありますが、ただ年々「できないものはできない」の開き直りが多くなっていることは確か。
作業中、奥方が飛んできて「(お参りの御門徒さんが)シリコン持参で墓石の隙間を埋めようとしている・・・」と私に言いつけにきました。よって慌ててその作業を制止した次第。
墓石の隙間は経年で開いてしまうのは致し方ないことです。
ちょっとした地震があればそれは進みますからね。
そこへシリコンを充填すると、ガッチリ封鎖固定されることは間違いありませんが、次回開けるとなると相当難儀させられるわけです。またシリコンもまた紫外線などで劣化しますのでそれを一旦除去することはカッターで地道に削り落とすなど余計な時間がかかってしまいます。
ということでその業界での正攻法と作業手順を説明させていただいたわけです。
その充填剤がモルタルです。
こねたモルタルとこてを提供し、最後は「硬く絞った濡れ雑巾で余計なモルタルを拭ってお終い」ということを。
それでも拙寺境内にはシリコンべたべたにした墓石を各お見受けしますが。
扨、「高」の字二題。
「高が知れてる、高をくくって」の「高」でもあり、いわゆるお調子にのっているような状況や人物についてイメージします。前回のファミリードラマは半兵衛にウェイトを置いたものでしたが安国寺恵瓊が例の記述にのっとった発言をしていましたね。
それが恵瓊の吉川家文書です。そちらのブログ画像では一番最後の図になります。
「高ころびに あおのけに ころばれ候ずる と見え申候」
ここでは信長のことを言っていますが要は「お調子にのっていると」(近いうちに)「酷い有様で転げ落ちる」ということ。
私がそれを思ったのは日経平均7万円の浮れ具合と、かなりの大ウソつき振りを世に曝した「高」(ソーリ殿)。
お調子にのって修正ができないと足元をすくわれるというのは鉄則です。
まず佛がそれを放置しませんね。
恵瓊のその示唆は先見の明ではなく、ごく普通の坊さんの思考を
思いました。
画像はかつて息子の運転で走った山陽道。もはや彼とそういった遠乗りの機会はないでしょうね。
彼には彼の家族がありますので。
あの時は初めての備前にわくわくしたわけですが、自分自身の運転でなかったせいか、殆どの事が記憶から離れてしまいました。齢を重ねたこともあるでしょうね。
そして昨日のみき歴史資料館から。
発掘品の中に白化した鉛の玉がありますが、城内から出土していますので、外部から、つまり秀吉側から撃ち込まれたものでしょう。
450年以上の歳月を経ているわけですが鉛の玉は比較的よく残ります。これからも出土するでしょう。おそらく飢えの上に夥しい銃撃の弾丸が降り注いだことを想像します。
この別所長治は毛利(安国寺恵瓊)と織田(秀吉・半兵衛)の間に翻弄された悲劇の領主。生存繁栄とは別のスイッチを押してしまったのでした。
もっとも信長だけでなく秀吉も安国寺恵瓊も滅亡の道は免れませんでしたね。
私はまたあの書面にあるよう、秀吉の覇権についてはその能力の発揮は一瞬であってむしろ老体痴呆の見苦しさの方が心に残ります。その彼の後半人生の栄華の「高ころび」を見て、それが人にはつきものであることを知っておくべきかと。
2026年
6月
16日
火
発掘された備前大甕 みき歴史資料館 美の壺備前焼
昨日法縁の施主はプログラミングがお仕事と。
企業・工場などのシステム開発が主な取引先いうことですが、最近の傾向として、能力ある人材が集まってこないとの溜息が。
何故かといえば、若い人たちの今の趣向は、スマホアプリやゲーム開発などの派手かつ稼げるもの一辺倒だといいます。
よってこの方向からも「スマホが悪い」の結論に至っていました。そのせいで「培ってきた日本のモノづくりの精神やその伝承が途絶えてしまう」と。
「この国はどうなっちゃうんだろうね~」に同感。
「英、16歳未満のSNS利用禁止へ
首相『子どもをより幸せに』」
というロイターの記事が目に留まりました。
世界的にこれまでで最も広範囲にわたるオンライン規制といいますが私としては羨ましい限りです。
日本はそういった企業と政治屋さんたちのズブズブの関係が窺えますのでそのような発想は極めて遠いような気がします。
スターマー首相は「子どもがオンラインで過度に時間を過ごすことによるメンタルヘルスのリスクに対する認識が高まり、親子の会話や子どもたちの期待がやがて変わっていく・・・」
(規制により)大きな変化をもたらすことを期待していると。
「子どもたちをより安全に、より幸せにし、成長するためのより多くの時間、より多くの安心感、より多くの自由、そしてより多くの機会を与えることになるだろう」。
私もそれに大いに賛成です。
世間からは「商売の邪魔するな!!」なのでしょうね。
結局「自分さえ、今が良ければ(稼げれば)・・・それでいい」。
イヤな世の中、早いところ気づかなくちゃね。
扨、昨日は発掘調査の面白さについて記しました。
遺物が出てきた時の感動はひとしおでしょうね。
テレビ小僧の昨日、先週末といえば竹中半兵衛。
「英雄たちの選択」もファミリードラマ化した「大河」も竹中半兵衛のウェイト高し・・・でしたね。
これほど彼がクローズアップされたことはなかったのでは・・・
演出は信じられないほど念入りなものでした。
また「英雄たち~」に登場した菩提山城を見て整備の手が進んでいる様を思いました。本格的な発掘調査も同時進行で行われていて本丸跡からは建物の痕跡が出てきているとのこと。
ちなみに以前「奥の墓道」氏とその山を歩いた際は当時であってもクマ出没の恐怖がありました。
まぁこれら番組のおかげで彼の地はいよいよ賑やかになるのでしょうね。発掘による成果も楽しみです。
そして今一つが半兵衛が病没した三木城(三木の干し殺し~)。
その地元では領主の別所長治を差し置いて半兵衛・官兵衛を讃えるような雰囲気も見受けられて苦笑させられた覚えが。
こちらも大いにNHK各番組の採用、大歓迎でしょう。
先般NHK「美の壺」のテーマだった備前焼(「土に息吹(いぶ)く 備前焼」~配信期限6月21日(日)午後11:29 )を視聴しました。
「古備前」という語を骨董界では良く耳にしますが、その語は「備前刀」(長船等)の意6割、「備前焼」が4割といった感じでしょうか。
その焼物<大甕>発掘品が三木歴史資料館に。その大きさは感動ものでした。
やはり10年以上前の画像ですが・・・
合戦時、兵糧は尽き果てどちらも空っぽだったことでしょう。
しかしこれほど大きな備前焼の甕、現在だとお幾ら万円?と嫌らしい私。
2026年
6月
15日
月
村上俊五郎の村上開墾 遺跡と墓地の発掘
関東圏在住の御家のご納骨の日。
故人は某日相良への墓参前というタイミングで緊急入院し、たまたま検診した別の部位に腫瘍が見つかったということ。
すべてのことが「あっという間」の出来事だったようで「いのち 儚し」は毎度感ずるところ。
施主の息子さんはお墓の中の状況は知らず、初めて納骨室を開けたのですが、それは一昔前の古いタイプ。
ガッチリ据えられた壺(茶壷~蓋つき~の如し)があって中は満杯になっていました。
「どなたでしょう」と聞けば「知っている人は近くにいない」とのこと。
「さぁどうする」ということになり私もその選択肢の2.3を提案した次第。
すると石屋さんの手によらず「自分でチャレンジ」するということになりました。
それは今ある遺骨を少しづつ取り出して別容器に移してから細かく粉砕、それを元の瓶に戻し空いたスペースに今度の御遺骨を納めるというものでした。次の事はいずれ・・・という算段。
何しろその段取りが早いことと、用意された道具の豊富さには驚かされました。
当然の如く私は「ただ者ではない」ことを察して「普段のお仕事は~ ? 」になります。
すると埋蔵文化財発掘調査を支援する仕事と。車中にはその「商売道具一式」が積まれていたのでした。
今の現場は神奈川県中部の遺跡。道路敷設工事前の事前発掘調査に出向いているとのこと。そちらは上から順に掘り下げてそろそろ旧石器時代?などと。
住居跡というものには人の生活の痕跡がずっと続いてあるようで時代時代の積重ね。面白すぎますね。
また、発掘調査には墓がつきもの。
比較的新しいものからはズバリの埋骨が出てくるといい、パートのおばちゃんたちはドン引きになるそう。
よって普段からそういった仕事をされているからこそのテキパキさ。天晴れな仕事ぶりでした。
少々立ち会いましたがその際また驚かされたことといえば「金歯が出てきた~」でした。
高温度の炉が採用される以前の遺骨だったのでしょう、その埋蔵物が出た事はある意味合点するところでした。
あらためて古い墓の埋蔵品の存在に気づかされたわけで。
不届き者たちがこのブログを閲覧しているとは思いませんが、墓荒らしがそれに気づいたら・・・墓地が無茶苦茶に。昔から墓場荒らしの輩は出て来たものです。
もっともその「発掘」はレアケースでしょうがね。
扨、昨日のブログ村上開墾の続き。
そのムラカミの件、最近は村上といえばMLB、WSの村上の活躍がまずは思い浮かぶところです。
彼はホームランを量産して、不慮の怪我によって最近は日々ベンチ常駐となっていますが早いところ復帰して再び打ちまくってもらいたいところです。
そして私の頭の中、やはり「村上」といえば昨日の両村上です。
画像は村上俊五郎の仕事「村上開墾」についての顕彰碑。
昨日記した記事の検証です。このような碑が建てられているのですから性質が粗暴でも結果的に「今」に繋がっているのですから大したもの。
場所は先日記した御前崎白羽、家康井戸と白羽柑子の少々海より(場所はこちら)になります。
周辺は西側にハウスが並び、東と南は畑。
村上様のおかげさま?
2026年
6月
14日
日
村上開墾と村上俊五郎 浜岡人物誌記述転記
一日中、雲多めながら穏やかな天気。
各地雷雲の発生についての報道がありましたが、ここ相良に関してはとても安定した空を提供いただきました。
法縁の施主は数カ月前に背骨の圧迫骨折で患っていたそうで「本日のお参りに来れるかどうかわからなかった」そうでした。
リハビリで「歩け歩け」と医師に尻を叩かれるそうですが「痛くて痛くて」と。それでも我慢して歩きの習慣を続けていかないと筋肉が落ち、転んで骨折して入院、再び筋肉の縮小の悪循環を巡ります。
そこで気力をなくし、ますますべての前向き、積極性というものが消滅、寝たきりに。また同時に認知症にもなることはよく知られています。
特に女性に多い圧迫骨折は骨粗鬆症由来であることは知られていますのでその骨の劣化と消滅をどう食い止めて「今」をずっと続け生涯を全うできるかということ、検討しなくてはなりません。
「痛み」というものに対し他人は理解はできないもの。ただそれに「付き合っていけ」というのは酷なことですから、家族のフォローは大切です。
扨、世の中には事に当たるに他から見て如何にも酔狂を思わせる人の思いというものがありますが、今回のWカップの件、私は既に興ざめの域。
FIFAの金満体質、金儲け主義もそうですが、放映権料の高騰からか以前あったような、のべつまくなしのテレビ放映サッカーテレビ観戦三昧とはならないからです。
チケット代金も嘘のような高騰でスタジアムはガラガラとも聞きます。
アンチFIFAの地道な本当のサッカーファンの良識が出現しているのかと。プレミアムグッズ販売、イベント、見世物多し・・・金持ちの華麗スポーツ劇場と化してしまった感、辟易です。
小金を持ったお調子者たちのお祭り騒ぎ・・・そんな感じ・・・。
スペースXの話題もしかり、あの人物を信じることができませんし兆長者なんて・・・一つだけ私が知っている事実はそのカネを持って天国などへは行けないということ。
どんな栄華も刹那、一瞬だということ。
日本で言えばあのカリスマ永森会長殿。凋落甚だしいようで。
お祭りイベント好きの日本人はそれでも大金をはたいて観戦ツアーに出向く人たちがいるようですが、私からすれば正気の沙汰ではありません。
まぁ何を趣向するか沼るかなどは人それぞれですがね。
私が少々時間をかけていた自身でもバカバカしいと思われるようなことと言えばある書面の書き写し作業でした。
初めは一見して面白いタイトルであり、何時かは拙ブログで紹介出来ればと思いながら書写していましたが、途中で「なんじゃこれは・・・」の呆然。
一旦は投げ捨てようかとも思いましたが。
しかし、折角のそれを完全に徒労として捨ておくことは癪ですのでやはりこちらに転記することにしました。
それが昭和62年に発刊された「浜岡人物誌」~佐倉・比木編~の「村上開墾と村上俊五郎」でした。
自治体から出した一定の権威と責任がある書籍ですし。
今年たまたまある方からの年賀のご挨拶の中、村上俊五郎の豪快さや勝海舟の妹の順が佐久間象山と死別したあとにこの村上俊五郎と再婚したことが触れられていました。
それは一体その両人の推測できる性質からしてどのような生活だったのか・・・などと思ったものでした。
「村上開墾」については御前崎白羽にその痕跡がありますが、その流れも記されていました。
ところがこの文書の村上俊五郎について転記していると仕舞には村上俊五郎が相良油田(秋野氏記述)の発見者ということになっていました。頭が混乱。
となるとこの記述すべてが信ずるに足らぬものかとは思い苦笑したわけですが、ここはひとつそれを記録してもいいかとそのままブログに記すこととしました。また私はすべて検証してやろうという気にはなりません。本当のところを知りたいのですが。
★「浜岡人物誌」~佐倉・比木編~の「村上開墾と村上俊五郎」
「村上俊五郎は、村上淳蔵、又は政忠、政局ともいい天保五(1834)四国、阿波美波郡貞光、現在の徳島県美馬郡貞光村に生まれた。
若い頃は阿波の人形浄瑠璃の三味線を上手に弾いたといわれる。箪笥などの指物を作ることが上手であった。
若い時に人を斬って役人に追われた一時期、指物師として生活していたという。
剣術は天才で、自分から「文は清河、武は村上」といって学問では清河八郎にかなわないが、剣術では自分の方が上であると自慢していた。体重は90キロ以上あってしかも俊敏で粗暴という評判であった。
誰について、どのように剣術を学んだのかわからないが安政の頃下総佐原で地元有力者の後援を得て、長沼流の町道場を開いていた。
村上俊五郎はここで千葉周作と周作の道場お玉が池玄武館に入門中の清河八郎を知り、安政元(1854)に清河が江戸三河町に私塾を開いてからは、江戸に着くと必ず清河塾を訪れ、酒を飲みながら国事を語り合う仲になった。
清河八郎は安政四頃、千葉道場の先輩、山岡鉄太郎と親交を結び、後年八郎が尊王倒幕のために奔走した時、股肱となった石坂周造は鉄太郎の義弟である。
万延元(1860)三月二日に桜田門外の変が起きて、幕府権威失墜と崩壊いよいよを感じた清河八郎は村上俊五郎と共に尊王攘夷の道へ各地に奔走した。
この時の同志は、山岡鉄太郎、石坂周造、松岡万、安積五郎、池田徳太郎、伊牟田尚平、北有馬太郎、西川練造らで多数が清河塾に集まった。
これら動きに幕府は文久元(1861)清河八郎らの逮捕に向かった。清河、村上、石坂、安積ら七名は補吏一名を殺害、清河と村上は逃走、石坂周造、安積五郎、池田徳太郎、北有馬太郎、西川練造ら
は捕縛されて小伝馬町の牢につながれた。
村上は遠野南部藩の清河八郎縁故の者に匿われたがその時に指物師として過ごした。
文久二(1862)四月村上は清河八郎と共に京都へ赴き井伊直弼家臣の長野主善と組んで暗躍した。島田左近を斬ろうとして失敗している。この年七月には島田左近は土佐武市半平太の一党に襲われて首が四条河原にさらされた。
文久三(1863)山岡鉄太郎の働きかけと清河八郎らによる上洛中の将軍慶喜警護の上書が幕府に認められ、清河八郎、村上俊五郎の大赦が行われ、また石坂周造、池田徳太郎らの出獄がゆるされた。
文久三正月、将軍徳川家茂警護と浪士取締りを目的とする浪士組は清河八郎を総大将、鵜殿鳩翁、山岡鉄太郎、松岡万の幕臣三名を取締役として村上俊五郎は道中目付兼六番組小頭に抜擢された。石坂周造も道中目付兼三番組小頭として名を連ねた。
この時、武州浪人天然理心流近藤勇も道場試衛館の面々を引き連れて参加したのである。
同年二月八日には江戸を発し中山道を通り二月二十三日に京都へ着。
浪士組隊長清河は尊王攘夷の決意を学習院に上書する事件を起こし驚いた幕府は直ちに江戸へ戻そうとした。
この時、六番組近藤隊では近藤勇以下十名、芹沢鴨以下三名の十三名が京都に留まり、京都守護職松平容保の支配下に入って新選組を名のった。
帰府した浪士組は江戸本所三笠町の小笠原加賀守屋敷に収容される。その後の浪士組は江戸街区の巡視と宿舎での剣術・槍術の稽古を継続、尊王攘夷をとなえて市中の商家より軍資金を強要するなど幕府の意向に反する行動をとるようになる。
たまたま同年四月、村上俊五郎、石坂周造らにより浪人二人を斬殺する事件も起こり、処置に困った幕府は四月十三日同じ浪士組の佐々木三郎に清河を暗殺させた。
暗殺の翌日、高崎藩ほか四藩に浪士追捕の命がくだり動員人数12000人、大砲まで用意して三笠町の屋敷を包囲、村上、石坂ら六名は諸侯お預け、浪士組は庄内藩預かりとなった。
この時、一部の浪士は水戸に走って筑波党に加わり、西に向かった者は長州藩に加わるなど幕末の戦乱で、大部分の者は戦死した。
村上俊五郎は山岡鉄太郎らの幕府への働きかけにより、慶應二年三月(1866)に開放され、一橋家幕臣、関口隆吉のはからいで遠州佐倉村の神官佐倉信武の屋敷内に道場を開いて近隣の若者に剣術を教えることになった。
明治元(1868)村上俊五郎は新しい時代の到来を知り、剣を捨てた。
佐倉村を知行していた幕府旗本の宮城敬之助・大江千春の陣屋が空き家になったのでここに居を移し近在の百姓を集めて官有地の開墾を始めた。
維新後、農村では新政府の重税策を危惧して瘦地・山林を手放し無籍地となる土地が増えていたが新政府は興農策を取り、官有地の開墾を奨励、土地の無償払下げを進めた。
村上俊五郎は池の山の陣屋周辺から開墾を始め、宮内共同墓地付近及び海岸地帯から隣村の神子新田の海岸地帯の官有地の開墾を行った。
彼は博徒あがりの豊五郎を用心棒として大勢の人夫の監督にあたらせた。
当時、宮内村でも山本定平、山本要助なども働いていたようであり、今日でも池の山の陣屋周辺を村上開墾と呼んでいる。
また、宮内共同墓地及びその西側の耕地は水野喬一郎の所有地であるが、当時村上俊五郎が酒代に困り喬一郎の先代、正藏に売り渡したと伝わっている。
又、浅根暗礁は海藻類が繁茂して絶好の漁場を形成していたことに目を付けた俊五郎は明治二、旧慣を破って漁業会社を設立したが明治四には解散した。
彼は開墾資金に困ると近隣の富農から献金を強要し、断られると
用心棒の豊五郎を使ってその家を打ち壊させることがしばしばあったといい法の沢の榑林文四郎家、御前崎白羽、神子の加藤源七家宅などが被害を受けたという。
そして浜松県の高官、今堀豊太郎が巡視に訪れた際にも豊五郎を使って乱暴したという。
このように彼らの横暴は目に余るものがあり、明治四遂に農民の暴動に発展、村民多数が島田政庁に訴えるため相良平田村近くまで押し寄せる事態となったが関口隆吉、佐倉信武の説得によって事態は収まり村上俊五郎は佐倉村を去った~。
佐倉を追われた村上俊五郎は相良海老江村の富田伝五郎宅に身を寄せていたが明治五(1872)、大江大芝原で油分がしみ出ているところを発見する。
これを持って米国人クラークを静岡に尋ねて鑑定を依頼。クラークは明治四に勝海舟の招きで来日し、駿府学校に来ていた教師で洋学全般を講義していた。
石坂周造がこれを聞いて相良にのりこんで来たのが同年五月。
石坂は慶應四(1861)一月に出獄し、徳川宗家、亀之助(家達)に従って山岡鉄太郎と静岡にいた。
彼は明治六(1873)一月相良菅山に手掘油井第一号を開坑した。
この菅山の石油井戸は、後に我が国太平洋岸唯一の石油産地として、また日本一良質の油として一躍知られるようになって最盛期の明治十七(1884)には年産四千石(800Kℓ)に達した。
この事業の資金援助は周智郡森町出身の実業家、村松吉平である。
このように村上俊五郎は幕末の混乱期にある時は政に関与して東奔西走して一流の剣士らと交友しある時は事業家として生き、多彩な活動をした人物である。
石坂周造は明治十二(1875)東京から相良町波津の天香閣(元の宝泉寺本堂)に移り住み、村上俊五郎を片腕に石油事業を進めた。
明治十二に石坂・村上らが第二井を掘るための出資金の受取証が比木の萩原佐三郎宅に残っている。宛名は佐三郎の祖父佐吉になっている。
村上俊五郎は清河八郎の死後は山岡鉄太郎に兄事したが、鉄太郎の伝記によると村上と松岡万、中野信成を鉄門三柱と呼び、門下生のまとめ役は石坂周造とある~。」
2026年
6月
13日
土
坑山神社の手前 三枚碑 村上の碑は確認易し
「気持ちがイイお天気」・・・境内墓参の方から聞こえていました。私は少々の庭仕事。
またご門徒さんが車でやってきて「ホレ」という具合にイサキを二尾差し入れいただきました。いい具合に会社はお休みで、朝から海へ、その釣果のおこぼれです。
「未だかつてない(大きさ)アジが釣れた」とのことで拝見させていただきましたが、店頭でよく見る大きさの3~4倍はあるような代物。「イサキは刺身でも何でもうまいよ・・・」とのことでしたが、私は「アジがいいなぁ・・・」などとはさすがに口に出せませんでしたね。
早速夕食にいただきました。有難うございました。
当地の好天とは裏腹に静岡市内から関東は大荒れ天候急変があったようで。
昨日午後は北海道行脚の息子が、仙台で降りて一泊し新横浜まで来た辺りで「酷い雨だ」との連絡。
先日も「奥の墓道」氏からその旨あったことを聞きましたが、あの辺りはやたらと天候激変があるような・・・
いや当地「南遠」は私の持論~国道一号線理論―雨域低圧帯は山側に沿った国道一号線を東進する 海側からの湿潤な空気は一号線北の山にあたり上昇気流となる~ですので太平洋側に突き出た当地は毎度の如く「あっちが雨でもこっちはハレ」なんてことはよくあるような・・・
夕刻には息子を迎えに金谷まで向かったのでしたが、その頃は金谷辺りも良きお天気でした。
北の彼の地での法縁には同朋全5名が揃ったそうですが、先方両
親との面談は緊張の時間だっったことは推測できます。
お母さんは思わず涙を流していたといいます。
息子の友人たちがお参りに来訪してくれたことへの感激もありましょうが、亡き我が子と目前の我が子の友たち健勝のギャップという現実に新たな悲しみを誘発させたのでしょう。
そういった悲しみの場ということを承知で当地よりそちらまで向かったこと、息子の成長の証を見た思いでした。
扨、拙ブログの左側メニューに秋野氏による文芸まきのはらの
「相良油田見聞録」を記していましたがその画像について拙ブログにてもまだアップしていませんでしたのでこちらに。
相良油田に関するレポートです。
三枚碑内容については秋野氏のそちらに詳しく掲載されていますので割愛します。
三枚碑(場所はこちら)は坑山神社⑦⑧の前三叉路⑥~右側の道の手前になります。その左側の道を下っていく途中に石油機械堀発祥の碑⑨があります。
2026年
6月
12日
金
「子々孫々代々昌(さかん)」「親死ぬ子死ぬ孫死ぬ」
午前は刀剣研ぎ師で神主のN先生のお宅へ。
とはいえ先生は神主の職は完全に辞め、研ぎの仕事も余程のことが無い限り受けていないとのこと。
先生の利き腕ではない方の腕には無数の紫斑の痛々しさ。
度重ねた透析施術、血管挿入とその失敗の跡といいます。
それでも先生は「これから4~5回目になる最後の晩餐(飲み会)に行く」などといたって元気。
私が伺ったのは先般引き受けた比木原のお宅から拝借した掛軸を返却するためです。先生も仲介してのことですがその件以前「また貸しのまた貸し」などとブログに記していました。
すべて「信用」あってのことですね。
比木のお宅へは何度かお邪魔して遺物(書や軸)の撮影をしていますが今回がその最終回です。
概略撮影が終了したということでこれから画像を纏めることになります。
その画像が完成したら叔父にデータ送り、書の文字解析を依頼する次第。
どれもこれものんびり進めて行ければ・・・
扨、画像はその比木のお宅の書。中でも新し目のものになりますが、こちらにある理由は不明です。
軸や書というものは出所場所と所縁が結構大事になりますが、実際は判然としないものが大多数です。
この軸は依頼者の意向が汲まれたのか、とても目出度い言葉になります。
早速この画像を叔父に。
「子々孫々代々昌(さかん)」~紫雲。
あの一休さんが目出度いことばを依頼されて書したという
「親死ぬ 子死ぬ 孫死ぬ」を思い出しました。
どちらも同じ「仕合わせ」を意味しますね。
2026年
6月
11日
木
息子のシロ歩きの件 五稜郭 函館奉行所
絶妙の梅雨の晴れ間。
秘かに心に思う事は「カラ梅雨にな~れ」。
気分的にはあの大原での雨でもう十分の感。
雨中映える緑は良かったですがね。
北海道に降り立った息子は、梅雨のない本来の北海道らしからぬ天気に「気分は今一つ」の様を漏らしていましたがまぁ雨水を今のうちに溜め込んでおかないと最近の傾向、猛暑と晴天続きともなれば、水不足騒ぎになりますからね。
天気の事をボヤいても詮なきことですし。
水不足と言えばコメ生産のマイナス要因でもあります。
そして案の定あの「米騒動」は収束し、今や現状米余りの様。
米価高騰により「一つ儲けてやろう」と思った人たちがいたかいないか、倉庫に米が溢れかえっているシーンをテレビ画面から拝見するようになりました。
これから豊作により在庫が増え続ければ価格はもっと下落するかも。
同時に農家の悲鳴も聞こえてきそう。
まぁこの国の方向性、机上の空論と対策には災難に遭う者たちが増えるのでしょうね。
私は末端の消費者かつイオンのカリフォルニア米でOKの人間ですからあの騒ぎには蚊帳の外でしたが。
静観していればいずれ下がる・・・というのが全国民一致の感覚でしたがまさにその通りになったわけで。
「踊らされない」こと、それがなによりですね。
ネガキャンに燃えたというソーリ殿の話題。
要はそれ、投票行動を一方的我が身の為に向けようと、扇動を画策するものでしょう。
総国民ネットズブズブ環境をうまいこと突いた成功例のようですね。
大のオトナから子供まで、みんなそこ(スマホ)からの発信内容を信じて一方通行になってしまうというのは怖いことです。
まぁその人たちとはいわゆる「烏合の衆」。
受け取る側もその傾向を理解しておかないとその大衆の一員になってしまいます。
例の野球監督の子息もそうだったのかも。
10代で闇バイトの「日給200万円以上」などの勧誘を真に受けて参加に手をあげるなどそのグッズを神の如く信じている証拠。まったくお寒いご時節ですよ。
踊らされたといえば今年はむしろお茶の件で私は頭を悩ましました。今年の新茶でしたが、抹茶ブームで煎茶材料不足、原材料2割アップで落ち着いたわけですね。
今中国ではその日本の抹茶ブームに追随し、抹茶の大量生産に入っているとのこと。
価格も日本の半額以下といいますね。
味覚など世界の評価はまだわかりませんが、品質が変わらずに価格が半分以下となれば勝負はあきらかです。
日本の茶農家含め周辺業界の歓喜は一瞬のことだったのかもしれませんね。
何をやっても中国にはかなわないのかも・・・早いところ中国の怒りを収めて商売に結び付けた方が得策かもね。
しかし私は国内煎茶回帰は喜ばしく思います。
値上げした分を元のように下げたい・・・そこが私の一番の思い。
画像は息子が送ってきたもの。
2026年
6月
10日
水
歯科検診のベストは3カ月おき 沖縄と北海道
終日まさに梅雨らしい天気。
ぽつぽつとはきますが傘ナシでもどうにかなりそうな弱い雨でした。
息子を静岡駅に送るついでに静岡市内の歯科医を予約していました。昨日記した定期的なクリーニングです。
帰り際にクリーニングの「何カ月おきがベスト」かを先生に聞けば「基本3カ月だが貴方は5カ月でも・・・」と。それを定期的に行うか行わないかでは将来失う歯の本数は「2倍違う」といいますからね。
何せ秀吉の如く「歯ゼロ」で最期を迎えるのはカンベン。
もっともそれに至るまでの間にその口内環境が重篤な病を誘引するわけですが。
息子は単身北海道に向いました。
当初、グループでの自家用車利用を予定していたようですが、メンバーが東京と東北地方在住の者たちになったため新幹線を選択していました。現地集合になったそう。
当初は飛行機もその選択肢に入れていたようですが、時間的に変わらないこともあって往復とも新幹線だといいます。
ここでもまた私の未知の世界、よくもまぁ・・・
メンバーは全員真宗大谷派の僧籍を持った者たち。
逝去した彼ら共通の友人の法縁が催されるようです。もっとも法衣はナシ。ご自宅と墓前に赴くといいます。
参加者は皆そちらとは遠隔地になりますが、そこに友人たちが集まるなんて、故人の両親はきっと大層感激されるのでは。
ちなみに故人は拙寺にも訪れたことがありました。
よって彼の死を知った時、立ち尽くした記憶(または)がありましたね。
あれから時間が経ちましたがここで全員が思い立ったということでしょう。
私も遠方からですが南無阿弥陀仏、合掌します。
歯科の帰りに静岡市歴史博物館に。
終了したはずの展示会の幕が下がっていました。不思議です。
隣接している大型バス駐車場周囲にはフェンスが巡り、なにやら掘り返していました。
そして昼食は近くの沖縄料理店のランチ。
見回せば女性客多し。私一人だけ沖縄らしい服装(大抵毎度のこと)で逆に浮いていたかも。
お店は10周年記念ということ、サーターアンダギーのお土産を一つづついただきました。
⑦は青函トンネルを出てしばらく、息子から送られてきた画像。
気温13℃には「痺れた」と。静岡で別れた時はTシャツ1枚でしたが前日に奥方が「寒いぞ!!」と脅していましたので持参した何かを着込んだようです。
尚夕食は適当に飛び込んだ店で「刺身定食」を所望したそうですが、感想は「意味不明の謎定食」と。
きっとお高いのでしょうが、謎なモノはちょっとね。
2026年
6月
09日
火
加藤嘉明の墓参りでもある大谷祖廟 歯の検診GO
梅雨入り宣言の翌日はいわゆる梅雨の晴れ間というヤツ。
境内やることが溢れていますがそれらを無視して息子家族に連れられて浜松へ。
あちこち歩いてへとへとになりました。
普段の私の立ち寄る場所ではなく、赤子用品に特化した行程ですので疲れます。
それでも息子が防犯用に「もう一本」バットが欲しいというので別れてスポーツ用品売り場へ。
それは一昔前の価格とはまったく違い私の想い描いたものとかけ離れていました(最低で1万円、上を見ると数万円)。
よってパスした次第ですが先般は「日本刀では勿体ない」(対バール少年)というところからバットとなったのですが、バットでも勿体ないということになったわけで。
やはり「バールにはバール」で対する他はないようです。
バールならば3000円程度でありますからね。
できるだけデカイのを用意しましょうか。相手を圧倒できますし境内作業で活用できますからね。バットより利用価値がありそう。
扨、バス遠足二日目は大谷祖廟からのスタートでしたが、お参りが済んだ後、叔父夫婦はタクシーで豊国神社前を経由して京都駅に着いたことを記しました(こちら)。
そちらの宝物館が目当てだったそうですが、雨の為にタクシーは降りず「次の目標」としての下見ということで帰路についたのでした。
叔父夫婦のそこでの目的は「歯」でした。
叔父夫婦の「歯」への高いウェイトの想いは半端なものではありません。
叔母は1カ月ごと、叔父は2が月ごとに歯科医参り。クリーニングに赴くそう。何もそこまで・・・と思いますが健康維持のルーティーンになっているよう。
私どもも1年に一回程度はそれを心がけていますがその頻度では「少ない」ようです。まぁ歯科医からは半年程度経つと「そろそろです」のハガキが舞い込みますが。
叔父の友人で初期の頃のインプラント施術(5本)を行った方がいらしたそう。経年で顎の骨の老化・劣化と歯槽膿漏からそれらすべてが脱落し、次の策を検討している最中に突然死された件を話していました。
それは歯周病菌の体内浸潤によって動脈硬化が進み心筋梗塞、脳梗塞に至ったものとその因果関係を説明していました。
健康維持のために多様な方策が説かれていますがまずは歯こそその鍵であるというのがその叔父の主たる健康思想となっています。案外そこは見逃されている基本ですね。
その豊国神社の宝物館にある「歯」とは秀吉の歯です。
お抱え家臣だった加藤嘉明(賤ケ岳七本槍)が秀吉から下賜されたもので宝物館に伝わっているのでした。
私は幾度もその宝物館周辺をブラついていますが、その裏手にひっそりとある旧秀吉墳墓を尋ねるだけで、これまで一度も拝観に立ち寄ったことはありません。
ネット上「豊国神社 秀吉の歯」でヒットしますのでそちらで検索してください。
叔父夫婦が見たかった歯(上あごの左側の奥歯)とはすり減ったうえに歯垢歯石に覆われていて、おそらく秀吉の最後の1本だったと推測されているものです。
秀吉は通説61歳で亡くなっていますが晩年歯の数はゼロ。
まともな食生活は送れられなかったでしょうね。
思うことは歯槽膿漏で歯が抜け落ちていく秀吉、周辺侍らしていた女衆の決して口には出せない苦痛というもの、思いやられます。
要は叔父夫婦は口腔内ノーケア、歯磨きの習慣ゼロの様を観察に行こうと思い立ったのでした。
ここに文春の「本の話」に『秀吉の食生活を「歯」から探る? 戦国の「食」とは』という対談(磯田道史,木下昌輝)がありますので参考まで。
その「歯」を賜ったという加藤嘉明。今の私なら「いらネ~」ですが、当時の彼としては感激モノだったことでしょう。
その後の徳川の治世に生きる者として、そんなものを大事に持ち続けていたら面倒くさいことになりかねませんので嘉明は手放したのでは・・・
彼の生まれは三河本證寺の近く岩根城です。
要はチャキチャキの真宗門徒の家でかつ父は家康の家臣。
三河一向一揆で一揆方について負け組、三河を離れることになります。
流れ着いたのが秀吉配下。戦働きにて頭角を現しトントン拍子で名を挙げて国持ち大名にまでなるわけです。
豊臣恩顧として秀吉に恩義ある加藤嘉明でしたが関ケ原の際は東軍に与したというところは絶妙でした。
江戸で亡くなった嘉明は麻布善福寺(または)で荼毘に付されて大谷祖廟に納骨されています。当時の本願寺有徳人として各寺院をバックアップした人でした。
よって私共が大谷祖廟にお参りするということはご先祖近親者、親鸞さんからの門主そして加藤嘉明にも合掌しているのでした。
この東山の山麓の続きに秀吉の阿弥陀ケ峰がありますが、日々お参りされる方たちの数ときたら雲泥の差。
さぞかしその賑やかさに嘉明は満足していることでしょう。
ちなみに私の大谷祖廟への参詣は数知れず。阿弥陀ケ峰は1度きりです。
画像は祖廟最上の扉前。雨も山がみずみずしく美しく映えます。
④⑤は祖廟事務所の「新しいタイプ」のお内仏。このタイプのちらしを配布していただければ紹介ができますね。
仏具屋さんには申し訳ないですが・・・
2026年
6月
08日
月
天真独朗 頼るな溺れるな 乱すな弄ぶな ~殺すな
午前の法縁中は何とかお天気はもち心配していた降雨には至りませんでした。
そのあとはいわゆる「梅雨」の空。傘が必要になっていました。
やはりこの日は東海地区の梅雨入りとなったよう。
毎年、梅雨があけて、真夏の太陽の下、連日ともなればそんな不快な季節があったことなど忘れ去ってしまいます。人間の感覚の刹那、一瞬を思います。
梅雨といっても始終雨が降っているわけではありませんし、その時間さえ過ごせれば季節の忍辱は終わるわけで。
昨日はPCの外部アタックの対処法について基本的なことを記したわけですが、あのモニターに現れるだけの警告についてPCが
セキュリティソフトを導入していてもサイト閲覧の中に紛れ込んでいてどうしてもそれらを事前にシャットアウトはできないようです。
それはそのサイトでは何らの悪意あるものと判定できないからですね。ただそれを見た人が、勝手にパニックとなって提示された電話番号に電話をかけ(自爆)、指示されるままに相手の遠隔操作の術中に入るべくPCデータを相手に伝えてしまうというものでした。
携帯電話にもあり得ない電話が直接かかってきますね。
先日奥方の携帯には「知らない相手」からの着信があり、彼女は「知らね・・・」といいながら放置、応答をせず鳴らしっぱなしにしていました。
するとその携帯電話は気が利いていて「私が代わりにその要件を聞いておきましょうか?」のメッセージ。それをGO! して放置したわけです。
するとその内容について言葉でなく文字起こしして伝えてきました。
その内容が「A社製洗濯機の修理について」でした。
奥方は「洗濯機の故障も無ければそもそもその会社製ではない」と大いに訝しがる始末。この件もトラップ導入のフィッシングです。応答するだけ時間がムダです。応答が相手を招き入れてしまうきっかけに。
よって基本は放置が一番。
しかしそのスタンスは私どもはそうも笑っていられないのです。
息子は遠方からの法縁依頼を中継した連絡が舞い込みますが、話を詰めようと施主にダイレクトに連絡を試みます。するとまずは「放置」されるわけで。
当然とはいうものの時間が進む中そこで話がストップしてしまいます。
まともに電話も出られないイヤな時代になったものです。
毎度その「イヤな時代」についてですが「強盗致死罪」が適用されるような若い連中の犯罪が目立ちます。
致死とは言ってもぶっちゃけ「殺人」で刑法犯として「死刑または無期懲役」というのがお決まりのコースです。
先般は23歳のその共犯者が年齢と同じ懲役23年の判決がありましたが「出てきたときはババァ・・・」などいう声も。
自業自得ではありますが、現代社会の「やったらやられる」の論理が自己欠落していたのか、とにかく古くからの日本の道徳観念が消えている結果でしょうか。
日本には「刑法」「民法」というものがありその根本は「人の権利」の存在。そのことをまず子供たちへ徹底的に教え込む必要がありますね。「性善説」はもう破綻しています。
苦しいでしょうが犯罪の利得、強烈に割が合わないことを教えてあげなくては。
昨日ニュースでは女子中学生の「強盗致傷」事案が報じられていました。いつもの思い、その親たちの家族、家庭への慚愧の念が推測されますね。
逮捕されたその女子中学生は「お金が欲しかった」との弁。
ふっと「桜の森の満開の下」を思い出しました。・・・ただそれは「山賊と同じ」程度ですが。
中高生が突如として山中ではなく街区往来で山賊となる・・・凄い時代となったものです。
その子は傷害のレベルが低そうでそれなりの場所に収監されることは致し方ない(更生の余地アリ)でしょうが、やはり実際に被害者の所持金を一旦は奪っていましたからね。
過日のバールを振り回して被害者を殺傷した高校生たちは日当にして200万円だとか1000万円などいう金額の提示を受けてその仕事にのっかっちゃったようですが、そのような「空想」「絵空事」を真に受けてしまう幼さよ、気の毒とは思いますが(特に両親)ですがやってしまったことに関しては責任を負うことになります。勿論その日当もナシ。
そんななか、昨日入ってきたニュース今一つ、スウェーデンでは犯罪実行役の低年齢化を受けて刑事責任年齢を13歳に引き下げるといいます。
これまでは15歳というのが刑務所に収監させる最低年齢だったそうですが、この10年でその年代の悪質犯罪が倍増していることがその理由だそう。
背後に犯罪慣れした大人たちの指図があるのでしょうが、やはり未成熟の頭脳には傀儡として操られている認識、それらを選別する力が備わっていないことなのでしょうか。
そのスウェーデンは13歳を収監できる刑務所にただいま改修中とのこと。刑事罰のレベルも知りたいところですが、やはり成人と同一なのでしょうね。日本もそのような方向に進むのでしょうね。
世界的に進む低年齢化する重大犯罪。
強盗をバットでぶん殴ったら相手が子供だった・・・などシャレになりませんが、昔ながらの火の用心や町内見回り組、夜警の団を組織しなくてはならないような世の中になったのかも・・・
治安悪化の様は政治の劣化と比例しているのでしょうか・・・
画像は昨日の続き三千院から。
④「天真独朗」は⑤最澄が感得した大陸由来の仏への向き方、そして自身の在り方でしょうか。お頭カラカラの私には深淵すぎる語です。
大原周辺のお寺はその天台寺院ばかり。
最澄から派生した高僧たちが関わっています。
私ども浄土念仏系の知識でいえば源信・法然・親鸞と皆さんその教えを得ていましたね。
2026年
6月
07日
日
盗むな奪うな 騙すな欺くな 報恩せんべい
曇りがちながら柔らかな日差しもあってお天気はまずまず。
バス遠足からの浮ついた気分は一掃、法縁勤修となりました。
これから2カ月の間はその流れの中で生かされていることを実感させていただきます。
ただ、一つ一つぬかりなく過ごさせていただければまた有難い。
愚痴とボヤキ連発ですが。
扨、昨日ブログでは大谷祖廟で叔父夫婦と別れた後、叔父らはタクシーを呼んだそうです。それは祖廟で案内された昔ながらの電話でタクシーを呼ぶものではなく、スマホからタクシー配車サービスを。始めて利用したといいます。
その使用に多少の不安はあったようですが、使ってみたら目から鱗の超便利と感心していました。
私どももそのサービスの利用などその機会がまったくありませんので、利便性の天晴れについて知る由もありませんでした。
叔父がドライバーに聞いたところシステムの導入は3年前からだと。
客からの呼び出しに直近地域を流しているドライバーが即応できるわけで、客もタクシーも駅などのタクシー乗車場まで向かう必要がありません。
客はスマホでクリックするだけで位置情報が先方に伝わるので、待ち位置についての詳細を先方に伝える必要もないのでした。
道理で最近、タクシー乗務員に転職する人が増えているといいますね。その効率化により収入が安定するようです。
またキャッシュレス決済ですからタクシーに現金は基本ナシ。一時流行ったタクシー強盗なども意味が無くなっているよう。スマホによる画期的なシステム構築、まさに成功例ですね。
扨、相良小学校が詐欺に引っかかった事件はPCを日頃使用している者にとって教訓になったでしょうね。
しかしこの詐欺の手口は昔からあったものです。おそらくトラップされた方はこれまでにそういった経験が無かったのでしょう。
面白そうなニュースサイトなどに潜んでいる「罠」をクリックすることによって初歩的なウィルスに感染、PCの画面に現れ出たさも致命的を装うメッセージによってパニックに。
とにかくその回復のために指定された電話番号に問い合わせることによって本当の致命的ドツボにハマるというもの。
一般には「サポート詐欺」というものになるようですが、犯罪者側は、トラブルの原因とトラブル解消サポートをうたう連絡先を餌まきして「待つ」いわゆるフィッシングです。
こちらから犯罪者に連絡して罠にはまるという致命的ミスがあったわけですが、私の単純なギモンといえば、①ウィルスソフトの導入はなかったの?②どちらのサイトから感染したの?ですね。
PCとその手のプロに任せればある程度の発信元は分かるはず。
先方との会話は「対人間」(当然に日本語?)といいますが、解析を進め、できれば全額を取り返していただきたいものです。
まぁこれまでのその手の例でいうと帰ってくることはないのでしょうが。
PCもそうですが世の中は怖いこと(人の信じられないこと)ばかり。
しかしこの牧之原市は毎年のようにいいこと(田沼)悪い事(竜巻)、ニュースに晒されることが多くなりました。
ちなみに私も時間があればPCで興味のままクリックしていることはあります。よって以前はそういったヤバそうなサイトを踏んだものです。
今はその前にノートンが「ヤバいサイト」と機敏に察知、警告してくれます。まぁノートンも面倒くさいことを指示してきますがそれはそれで彼が仕事をしているということとして割り切っています。
もしワケわからんことをPCが言い出したら・・・シャットダウンして放ったらかし。昼寝でもして再起動・・・それが先ずやるべき対応でしょうか。
フィッシングに引っかかるなんて・・・あまりにも残念すぎます。
きっとその方は自分で全解決を試みてしまったのでしょうね。
どなたかに相談してみることも一手。
たとえば最近みなさん方でお得意になった携帯端末で検索をしてみると・・・親切に教えてくれます。
「パソコン画面に突然『ウイルスに感染した』等の警告が出ても、絶対に記載された電話番号に連絡せず、遠隔操作も許可しないでください。
これらは金銭をだまし取ろうとする「サポート詐欺」の手口です。落ち着いて以下のステップで画面を閉じてください。
1. ブラウザを強制終了する(一番おすすめ)警告はインターネット閲覧ソフト(ブラウザ)に表示されているだけです。
キーボード操作: 「Esc」キーを長押しするか、「Ctrl」+「Shift」+「Esc」キーを同時に押して「タスクマネージャー」を開き、該当のブラウザ(EdgeやChromeなど)を選択して「タスクの終了」をクリックします。
2. ネットワークを切断する画面が消えない場合は、Wi-Fiを切るか、パソコンからLANケーブルを抜いてネット通信を遮断してください。その後、パソコンを再起動します。
3. 強制シャットダウン(最終手段)どうしても操作ができない場合は、パソコン本体の電源ボタンを数秒間長押しして強制終了してください。
万が一、電話をしてしまった、あるいはソフトをインストールした場合は、早急な対応が必要です。被害状況を確認するため、表示されたメッセージ、パソコンの機種、電話の有無やインストールしたソフトについて状況をご確認ください。
金銭被害や個人情報流出の疑いがある場合は、IPAや警察、国民生活センターなどの相談窓口へ速やかに連絡してください。」
パソコンに偽のセキュリティ警告が表示された場合は、落ち着いて偽の警告画面を閉じるだけで対処できます。
この手口では、電話をかけることで被害が発生します。
①②は三千院にて。人間世界など古くから「そんなもの」なのでしょう。経験によって、時に失敗し、人は知恵が伴ってくるものですが、今回の勉強代は高くつきました。
③④は大谷祖廟の土産「報恩せんべい」。
拙寺は「意次せんべい」。まぁいろいろで・・・
2026年
6月
06日
土
大谷祖廟の歴史と万灯会 NHK歴史探偵 見逃し配信
朝早く息子が「今から大坂へ」とその出立を知らせに庫裏に立ち寄りました。
大坂泉南が嫁の実家ですが、そちらまで。
子ら二人を載せて17時には帰宅していましたが「よくもまぁ」と感心させられます。
その日帰り大坂というハードな日程もそうですが私が息子の立場なら3日ばかりそちらに滞留してあちらこちら動き回りますがね。勿体ない・・・
ちなみに私の場合は奈良日帰り行程は経験がありますが、大坂市内の通過と奈良の牧歌的空気の中を通るのとでは疲労度にかなりの差があります。
昨日になって遠足に参加してくれた叔父に連絡してみましたが叔母は相当お疲れとのことでした。
大谷祖廟から帰りのバス行程をキャンセル。祖廟駐車場からタクシーを呼んで豊国神社前を経由して京都駅に向い昼頃の新幹線で東京へ向かったそう。
私どもより格段に速く自宅に着到したようですが・・・。
豊国神社は次回の京都旅行の下見と。今回断念したのはやはり「雨だったから」のようです。
きっと叔母の機嫌が良ければそちらにも寄ったことでしょう。
先日の夜にNHK「歴史探偵」視聴の件を記しましたが、丁度あの時叔父から「やってるよ~」のlineが入っていました。
あのバス遠足同乗のみなさんであの番組を視聴した方は他にいらしたのかとふっと思ったわけで。
あの時間は、就寝前のまったりした雰囲気でぼっーとしていることも多いでしょう。なかなかそれを視聴するにまで及ばないかも。
叔父とはその番組について「なかなか良き構成」と喜んだのでしたが、叔父は古文書研究会の題材として「石山退去録」をみなさんで読んでいるといいます。
私もバス遠足車中で配布した地図資料の一つにそれとなく記して当本願寺一流の件を解説させていただきました。
ちなみに配布資料は4枚。
①弥勒寺②室生寺③大山崎④烏丸通ホテル周辺の地図(画像⑦)でした。
④の右上にさらっと記した三条家の娘たちの件、信玄を対信長包囲網に参入させるためにその縁故を使ったということ、番組にて触れていました。
また下部に記した「秀吉の輪廻転生ライン」は以前も拙ブログで記した知る人ぞ知る家康の嫌がらせについて。
※尚NHK「歴史探偵 信長最大の敵 大坂本願寺」の本放送は
6月3日(水)午後10:00でした。再放送もありますが、今のところ
6月10日(水)午後10:44まではNHK ONEで視聴できますね。
⑤⑥は今年の東大谷万灯会のちらし。
大谷祖廟のスグお隣の墓域になります。
毎年8月15日、NHKの夜のニュースでお馴染みになりました。
天気さえよければ東山から望む京都盆地の夜景とともに圧巻の灯明の様かと。
その日ばかりは私どもも法縁のために地元から離れられませんが。
①~④は大谷祖廟の歴史。
2026年
6月
05日
金
三千院ほか日本人観光客減少? 蘭に勝てばうな重6杯
台風一過の晴れを期待しましたが朝から小雨で一日どんより。
完全に梅雨入りの気配です。その後、関西まで梅雨入りと。
我慢の季節に入りました。
午前中からPCのネットの状態が原因不明のドツボにハマって悪戦苦闘。
夕方近くになって何とか復旧できましたが、疲れ果てましたね。
その前日から時々「接続できません」のメッセージが出たり拒絶されるサイトがあるなど不審な傾向は見受けられました。
そして朝からワイハイがダウン。
悪手だったのは、私のにわか仕込の処方(電源offとLANコードの抜き差し、PCの再起動)を幾度か試みたわけですが、それでも改善しなかったためルーターのリセットボタン、そして光回線の機器までもリセットしてしまったことから迷宮に入りました。
それら発生の原因など考えても仕方がないわけですが、考察すればそれは①NTT光サービス、②バッファロールーター、そして③ネットプロバイダーの3つの不具合の有無を一つづつ探っていかなくてはならないこと。
しかしそれを全てやってくことなど煩雑でムリ。
よって私の経験則からそのリセットボタンを押したのでした。
そのリセットからの方法がまずはドコモ光機器―バッファローの順に「電源をoffして10秒待て!!」そしてONするわけですが当初は何らの改善も見られませんでした。
勿論、あれもこれもと思いついた事は手当たり次第に。
それでもまったくダメ。PCの不具合まで考えた始末。
先般も静岡の秋野氏が同様の悩みで困惑していました。
そこで私がとった次の手段は・・・昼寝。
昼寝から覚めたらとにもかくにも新しいルーターを・・・と購入に走るところまで、すべて諦めてのことでした。
ところが、一転起きてからネットの状況を試みると何故かすべてが元通りに復活していました。
「放ったらかしにして昼寝」・・・それこそがベストな改善策だっ
たとは・・・復旧対策あれこれの施策の結果にタイムラグがあるのでしょうね。
他の難題も案外その「放置昼寝」は効き目があるのかも。
TOOホットになったお頭をクールダウン。
扨、世話人会の通知を皆さんに出していたわけですが、例によって誤記に関しての指摘に加え、その日は「ワールドカップの日本戦があるよ・・・」とのこと。
その手の事はまったく気にもしていませんでした。
まぁ齢を重ねてその件どうでもよくなってきたということでしょうね。
それでいてMLBの方は結構気にしている私があります。
日本の野球は一切視聴しませんが(チンドンラッパの応援が耳障り)。
そもそも以前からサッカーというスポーツには私も息子も若い頃から関わっていますので、その世界については少々知ったつもりではいます。
先日は息子に持論を語ったわけです。それは最近お調子にのっている感ある息子への反意ということもありますがそれは一言「日本はオランダには勝てない」と断じた事。
世の中のマスコミ等の扇動?は当然のことなのでしょうが私などハナからそれはムリ・・・無理の了解。
まぁジジイの一昔前のオランダの理知的でスマートなサッカーの素晴らしさが印象にあるからかも知れませんが、やはりにわか仕込みの日本の若いサッカーが歴史を積み重ねたサッカーに太刀打ちできるなどとは思えませんね。
ということで例によって「奥の墓道」氏にメールを。
彼とは高校卒業後も同じ草サッカーチームで遊んでいましたが、世の流れの通りに彼もその応援団の一員になっているだろうと思い、例によってうな重1杯、私の「オランダ勝ち」を打診してみました。
すると彼は「冗談じゃない」と。
オランダの勝ちに「うな重1杯」なら日本が勝ったら6杯は喰わせてもらわないと不公平だとの主張。
彼の指摘はオランダ代表がW杯開幕を目前に控えた国内壮行試合にて格下のアルジェリアに0-1で敗けたことから日本の若い人の中でますます「イケイケ」のムードになって盛り上がっているところ、その尻腰を押しているのがマスコミ・・・とのこと。
本戦と壮行では雲泥の差。むしろここで負けたことによって厳正な修正が入るというものです。
私は冷静沈着クレバーなサッカーをイメージします。
要は私ども世代のお頭では日本が勝つなど想像ができないのでした。
ちなみに世界のサッカーファンの意向を見るには賭けサイトを見るのが一番と「奥の墓道」氏。
直近のベッティングサイトやブックメーカーの代表的な勝敗予想(90分間)のオッズは・・・
オランダ勝利: 1.37倍 〜 1.47倍
引き分け: 4.50倍 〜 7.60倍
日本勝利: 7.00倍 〜 9.00倍
といいます。
うな重6杯ても甘い!!日本が勝ったら1杯などオランダに失礼すぎました。
お調子にのるのもほどほどに。私もそうですが日本の若いサッカーとファンも・・・
逆にオランダが日本に負けるなんて・・・想像できませんし僕たちのかつての夢が消え失せてしまうようで。
やはりすべての感覚が古いのかなぁ・・・
オランダはブラジルやアルゼンチンあたりよりずっと「イカした洗練されたサッカー」のイメージです。
所詮どうでもいいことでした。
画像①は雨の日ではない三千院方向に向かう入口の坂。
昨日ブログでは手摺を設置した方がよろしいのでは・・・の箇所です。
シャッターポイントの一つですが人影が見えません。これは往来のタイミングを待ったためではありますが大分人が少なくなった感もあります。
ここは春秋、特に紅葉の季節は行ってはいけない場所。
昨年の三千院はごった返してまた「中国の方しかいない」とのことでした。
特に彼のお国の方たちのメッカのような場所になっているのでしょうか。京都中心からは近くはないのに・・・
また今回初日の晩は錦市場に向かったわけですが、既に六角堂は閉門し、いつも行く錦市場の山椒を商う店もシャッターが。
人の往来も以前よりかなり少なく感じたものですが、なかなかそちらに行きたいという日本の観光客も少なくなっているのでしょうね。かなり歩きやすかった。
またまた外国人ツアー客向けの店が増えたことですし。
そしてまたお値段もお高い。
最後の画像は錦市場脇の道、なぜかハンバーガー店。
以前そこを通った際には気づきませんでした。
さすがに夕食に「そりゃないわ・・・」。
2026年
6月
04日
木
何よりも携帯端末が一大事の件 三千院門前
大したことないと高をくくっていた台風は案外と「台風らしい台風」でした。
そもそも5月末に発生して、この時期のこと、まさかこれほどの騒ぎになるとは思いませんでした。
コースといい勢力の維持といい最盛期のそれと殆ど同様だった感。
私どもは前日の疲れもあり朝から(本堂は風雨激しく開けませんでした・・・)スローでたらだらの躰でしたが、息子は駿州東部の法縁に向かいました。
東名高速の状況は気がかりではありましたが閉鎖には至りませんでしたのでそれだけはラッキー。
しかしよくもまぁ・・・といった気持ちにもなりましたが、こればっかりは私どもの予定には直前キャンセルはありませんからね。
ちなみにバス遠足に同行した従弟は自宅待機、その父親は出勤と各職場の判定指示は違うのでした。
私どもの近場では、御前崎の倒木、掛川の断水くらいの件テレビ報道があったくらいです。
教務所と史料館よりお見舞いのメールがありましたが、他のお寺さんたちはどうだったのでしょう。
気圧も975と私の沖縄滞在時のそれと比較して「大したことない」との思いがありましたが、私の境内ユリたちは「たまったものではない」の悲惨。
開花時期の風による脆弱さはいつものことですが、台風の強風には彼らにその耐力はなし。
朝方それによって倒され一部ちぎれた彼らの茎花を見て「なんてこった」の溜息。「台風め・・・どうせ、あと数日の命のくせに・・・」と無意味な怒り。
球根もそれでは育ちませんからね。
悔しいながらも親鸞さん前の花立に折れた花たちを差し込みました。
今度のバス遠足で2日目の雨に恨めしく思うのは当然の事。
初日の「ド」がつくほどの晴れとの雲泥の差もさることながら、もしも6月1日2日ではなく2日3日との日程設定だったら一体・・・などと思えばまた恐ろしい。
私どもは沖縄にて生活していましたので、台風のために折角のレジャー期間を台無しにした皆さんの恨み節を幾度も聞かされていました。よってその人たちの気持ちは大いにわかります。
ただ私のそれとはレベルが違うかも。
初日は何せドPでしたから。半分はまぁ何とか。
その6月1日(月)2日(火)にするか2日(火)3日(水)にするかについて私の心の動き、月曜日は定休日が多いなどこれまで失敗を重ねていること。しかしその6月1日こそ6月だけでなく晴れの確率が高い日(晴れの特異日)なのでした。
そして6月2日こそまた真宗門徒のハッピーディですからね。
その手の歴史話の一つ二つを車中で語ることもできましょう。
というわけで両方を取って6/1・2となったのですが、まさかの台風に私はヤラれたわけで。
遠足御常連さんからは「はじめて雨に遭っちゃったね」と。
以前も記したことがありましたが6月か真冬の12月1月くらいしか京都の宿が確保できないということでそういった選択になったのでした。
また6/2をハッピーなどと軽口を叩いたために如来さんに叱られたのか・・・
良かったことと言えば早々に大原を退散してきたため、帰着時間が早かったこと。そしてちょこちょことSAに寄ったためたくさんのお土産が購入できたこと。多くの散財とはなりましたが。
当分の甘いもの色々を確保できたわけで。
夜間は歴史探偵「信長最大の敵 大坂本願寺」 (再放送NHK総合 月曜午後11時50分)。今後の大河ドラマ進行にあわせてのことでしょう。
まぁ、番組の通り理不尽強要と真宗人大量殺戮を行った信長、私どもがその日を「ハッピーディ」としたとしても、そりゃあ当然・・・そう無茶な言い回しではないでしょう。
また信長勢に混じっていた門徒宗の伝承「白犬」の件、まんざら誇大形容ではないでしょう。「白犬」とは「城射ぬ」で本願寺に向かって「矢・鉄砲を射ない撃たない」ということ。
弓は矢じりなし、鉄砲は玉ナシの空撃ちのことを言っているのですが・・・殿様の命令だが本願寺(阿弥陀如来)に抗う意思はないということ。
画像は以前からの中国の皆さんの観光のメッカ、三千院門前。
私はこちらには行かず来迎院でブラついていたわけで、この向いの店の庇の下で奥方を待ちました。
その店の奥には何人かのご門徒さんらが食事をしていました。
余程何か注文を・・・とは思いましたが先走って満腹となるなどすればあとから何を言われるかわかりません。
よって異国の言葉が交錯する中、30分以上そちらで階段を見上げながら待ちました。
すると若い男性が私の目前、階段の縁を滑ってお尻からどーんという具合に。左手にスマホを持っていたのですが、転んで立ち上がってからそのスマホへのケア集中の様。
家族の人たちでしょう、声を掛けていましたが当の本人はそのグッズにのみに神経を集中して動作等の確認をしていました。
きっと高価な機種なのでしょう。
「スマホ命は日本と同じだ~」でした。
その前に雨天は特に「下りが怖い」とご門徒さんが言っていま
したが、まさにその通り。
参道に入るちょっとキツイ坂、石柱坂道のある場所に手摺があれば親切なのですが。
画像①~③は台風が去った境内・・・
④⑤⑥は三千院門前の階段。④⑤は雨降り、⑤は晴れた日。
この門前は比較的人通りのある場所。人ナシのタイミングをひたすら待ちます。
⑤画像の年配者の上りは斜めに上がっている様がわかります。
下りもそうで、直角下りは特に滑りやすいのでは?
とにかく雨の日の階段は踏みしめるように進まなくては・・・
2026年
6月
03日
水
毎度毎度の試練 試されている? 終日小雨
一昨日のバス遠足初日の晴れ晴れから一転、明るくなった頃の比叡の山並みはハッキリ見えていたものの徐々に靄がかかりだし朝食の約束、6時40頃にはぼんやりと山影がうかがえる程度にまで悪化していました。
これは突然現れた厄介者、台風6号による降雨と湿潤な空気に覆われた様でした。
これは数日前からの予報通りでたとえそれが外れたとしてもまったくOKだった(気象庁を罵倒しない)のですがね。
一縷の望みでそのハズレを願ったものですが予報は真っ当、ズバリ正解ビンゴでした。
とはいえまぁ大した降雨にあらず。朝一の目的地の大谷祖廟へ向かいました。
バスの回送が雨のために渋滞箇所が所々で発生して、参拝読経の「1番」の時間のチェックインぎりぎりとなり冷や冷やでした。
よって受付けへ電話。「少々の遅延、なんとかタノム」でした。
車中「駐車場からダッシュネガイマス」と事前に了解を得ていましたが、年配者もいらっしゃるということでなかなか無理がありました。雨と傘のコンディションです。
うまい具合にバスは早くに到着できましたので通常の速足程度で事務所へ向かうことができました。
事務受付の段、ハッと慌てた様子で「ご納骨の志納金をバスに置き忘れたので取りに・・・」とご門徒さんが・・・、まさにダッシュせんばかりに扉を開けようとしましたので、当家奥方に持ち合わせを確認。聞けば「アル」というので何とかなったという次第。
その他多様に私が「試されている」といった場面に遭遇しましたが、何れも無事に皆さんを相良に帰還させることができてとても仕合わせな気分。
雨という遠足では初めての試練だったのでしたが、結果的にうまいことやり過ごすことができました。
画像はやはり「私を試している」と思えるような事案、遠足前々日に脱落した犬走の木枠です。
その現実を突きつけられるだけであの時はほとほと疲れ果てました。
この位置は向いの墓参の方などが丁度休憩しやすい位置になり、度々そちらに腰を掛ける年配者を見かけています。
幾度か同様に脱落しての修理を繰り返しているわけですが、その人たちに「ダメです」などと突き放せるわけもなく。
まぁ常識的にそちらは座る場ではないとはわかるはずなのですが、やはり足腰が弱いとなればこちらに座りたくもなりましょう。なんとか修復ができました。
しょうがないね~と堪えますが、これから年齢を重ねて私も人を悩ましまたキレやすくなるのでしょうかね。
そこをガッチリ見ているのが如来様。
2026年
6月
02日
火
私の一押しの寺 みなさんをお連れしました 弥勒寺
拙寺バス遠足初日。早朝よりバスが動き出しました。
吉田観光駐車場から3名、それから静波を経て相良本通りで皆さん方を。本通り乗車時間は5時~5時10分でした。
毎度早い時間の出立に、「早すぎる!!」などのクレームが出たものですが、それより遅らせてしまうと京都方面での活動が大幅に遅延してしまうもの。
これまで季節的に日の長い時節に催されることはなかったもので、その日の起床時の明るさに少々の感動を得ました。大抵は真っ暗でしたからね。
通常の活動時間の気持ちいい「朝」。「眠たい」などと言う感覚もなし。
要は朝からハイテンションに動けたということでしょうか。
今回遠足の一番のお勧めが弥勒寺。
以前にも拙ブログで記していました(こちら こちら こちら こちら こちら こちら こちら こちら こちら)が今回は事前にご住職に来訪をお報せしていたためわざわざ門前にお迎えいただきました。
9時30分に到着したのですが、そもそもこちらのお寺の拝観時間は10時。無理ご了解をいただいていました。
前回お邪魔してから変わったこと。
昨年末に梵鐘と鐘楼を新調したといいます。
新品の梵鐘を手水場で手をすすいでから全員に鐘撞きを案内。
そののち境内にあがってから其々仏たちやお寺についてのご説明をいただきました。
よきご縁、ありがたき時間をいただきました。
また6月2日といえばアレ。天正十年の「ときはいま~」ですが
ご門徒さんの中で大谷祖廟で皆さんがお参りしている間に「本能寺に行きたい」と。タクシーを飛ばして出立時間に間に合わせるとのことでした。
何やらその日に発する御朱印か何かをゲットするとのことでした。私は「あそこは例の本能寺の現場ではないですよ~」と嫌味に似たことをつい。
バス内では伊賀は信長に蹂躙された地であるということと「明智の妻」の芭蕉の句「月さびよ 明智が妻の はなしせむ」について語っていたところでした(→ブログ)。
6月2日は真宗門徒の「ハッピーディ」などとも。
2026年
6月
01日
月
ゴボウチョコと事任八幡の亀甲 呪術のカタチ?
朝から薄曇り。日が出たのは夕刻前から。
午前、私は叔父夫婦を静岡まで迎えに。
相良の民宿に泊まることになっていました。
そちらに送り届ける前に、まずは丸子の匠塾に寄ってみました。私としては10年以上前に吐月峰柴屋寺に来て以来のことです。
古文書趣味一筋の「匠」の叔父は「まぁ、こういうところもある」程度の見物。叔母も殆ど興味なしの様子・・・
さぁ昼食を・・・となりますが、こちらではどちらの店もお気に召さないようで以前行った掛川の道の駅を所望につきそちらに走りました。
すると、そこから事任八幡宮へ・・・とのリクエスト。
道の駅からは「目と鼻」ですのでお安い御用です。私も久しぶりに、あのクスノキの大木にご挨拶を。
そもそも東京在住の人がその神社名を「ことのまま」と読むところ天晴れ、さすがを思ったのでした。
そして相良油田史料館と史料館で例の刀剣を見ていただいて宿まで送りました。
①②は叔父の土産。ゴボウのチョコ。
その物の存在自体知りませんでした。叔父は古い物(古文書)も好物ですが新鮮な未知なる名のりには飛びつく傾向がありますね。
叔父は2カ月に一回、叔母は1カ月に1回の歯科検診に行っているそうですが、チョコは歯に悪そうな気がしますがね。
叔父はいよいよ検診は1カ月に1度に頻度を上げたいくらいの事を言ってましたが、その理はかなり年齢の下の知り合いが歯周病菌が体内に浸潤したことによって突然死に及んだことを気にするようになったそうです。
インプラント5本の施術してから数年、状態が徐々に悪化し(土台が劣化)結局すべてを抜歯し「さぁどうしようか」と悩んでいるうちに亡くなってしまったといいます。
それを聞いて、私どももそろそろ「検診に行こう」となったのは言うまでもないこと。
⑥は事任八幡宮の社務所に掛かる社紋らしきもの。
叔母はクスノキの大木がウリなのでその枝葉をかたどったものだろうと。
私は腑に落ちないところがありますので「コレ なに?」と巫女さんに疑問を投げかけました。すると即答「亀甲です」でした。甲骨文字の亀甲ね・・・要は占い呪術のカタチでしょうか。
⑦は相良油田史料館前。
正面を撮影すると漏れなく自動販売機と集草バックが。
どうでもイイことですが、まぁ地元利用者の利便性? 外部からはそうは訪れる人はいないでしょうね。
2026年
5月
31日
日
息子家族 青空のもと本山初参り
バス遠足(月・火)直前の土曜日の天気の良さよ。
午前の法縁のあとは突然降ってわいた境内作業を何とかやっつけました。
しかし、あの台風6号の襲来は自然現象のこととはいえ腹が立つ。
月曜は何とか☀マークですが火曜日の予報ときたら・・・傘を持参しなくてはならないでしょうね。やはり気が付けば携帯で現地の天気予報を。少しでも良くなってくれ・・・の気持ち。
一昨日夕方に息子の車に初めて案内されました③。
これまで乗っていた息子と嫁それぞれの車を売り払い、導入したものです。
私どもは子供が生まれたからには「まともな車に」と声を揃えて言い続けていましたからね。
私は一切その選定について関わっていませんが、息子はこれまでのチェイサー改(AT車をミッションに載せ替えたハチャメチャな改造車・・・「バカ車」と呼んでいました)を処分したわけです。
驚いたのがその価格。
何とその価格は彼が数年前に購入した金額よりも20%程度高額でした。
加えてホイール3セットをネット上で販売、それぞれ買い手が早々についたことにはさらに驚かされました。千葉だ横浜だと遠方から引き取りに来るなど好きな人にはたまらないようなコレクションだったようです。
何せ私が「早く捨てろ!!」と罵っていた代物でしたからね。
それら資金を搔き集めて購入したわけですが、その彼の新しい選択はファミリーな1ボックスのAT車。
以前は私も彼も「ぜってぇ乗らない」と言っていたものですから要するに「変わるに変わった」の感。
子供が産まれるとそうなるものなの?・・・
その車に初めて一昨日案内されたわけですが、驚いたのは私と奥方の着座場所後部座席でした。せめて私は助手席だろう、と思っていましたからね。そちらには嫁が着座。後部座席は赤ん坊をあやす席。
クロサワの映画「乱」で嫁の「父上様はそれへ」の言葉に激高した仲代達也演じる大殿の苦悶の表情を思い出しました。
住職と家督を譲り渡す起請文にサインと血判を強要されたわけではありませんがね。
「ワシはこんな城(寺)にいられない」など口に出したら野山を彷徨うことになりましょう。
むしろ喜ぶべきことなのでしょうね。
大人しくしていることにします。
子供が産まれるとこれだけ変わらなくてはならないものか・・・ですが、私どもの時は子供が産まれようが車の変更などの件、気にも留めませんでしたから。
要は法律の改正なのでしょうか、チャイルドシート必須といいます。私が父親になった頃、それは「邪魔もの」として設置など考えた事もありませんでした。2ドアの四駆でそれと乳母車を載せたら何も積めなくなってしまいます。
危険と言えば危険だとは思いますが・・・
2人3人と子供が増えたら「どうするんだよぉ~」ですね。
子供の数が減っている、子供はいらないという夫婦があるということ、少なからずそういったところ、面倒でおカネのかかる点を敬遠したくなってしまうのかもしれませんね。
デカイ車にしないと家族を載せきれない。それに対応するために1ボックス7人乗りが流行るのか・・・合点。
扨、昨朝、息子は嫁と子を実家に送り届けるために関西方面に向かいました。一泊して相良に戻りお寺の留守番です。
途中本山に寄っての本願寺初参りの図。
さすが平日、人ナシの様に感動しました。ハイハイができるようになったのであの情景からすればやりたい放題の空間でしょうね。奇声もあげ放題。
ここまで人影が見えないことは滅多に見られないのでは。
2026年
5月
30日
土
人口減少加速度的 もう止まらない 台風通過前
良き天気でしたがこの好天が続かないのはあの台風のせい。
まぁ予報は予報、台風の針路は周囲の気圧だとか偏西風などで変わりますので、こうなったら楽観ノー天気のスタンスでいこうと思います。
気象庁「予報外せ~」しかし「勝手にしやがれ」。
遠足の折は1日だけ寺を空けることになりますが息子が庫裏で待機することになっています。本堂の開け閉めとネコの世話をします。
しかし彼は庭の植栽のケアなどはしてくれません。
ユリの開花前というと頭がやたらと重たくなりますので風が強く吹けば倒れてしまいます。
それももう「勝手にしやがれ」。今更何とかしようという気も起こらない。
しかしこれだけはと奥方に指示されて梅の収穫をしました。
今年の梅開花後、相当の枝を払っていますので実生はいつもより少なし。
ただ残りは大きめに実りました。
また毎年大量に梅の果実を持ち込んでくださる御門徒人さん宅の今年の梅は何故か全滅だったと。そんな年もあるのでしょうかね。
扨、昨日のニュースでまたも人口減少に関する数字が発表されていました。おそるべき加速度的を思う減少で驚かされました。
それが
「静岡市人口65万9620人 前回調査から3万3769人減 減少数全国市町村で2番目に多く減少率は政令市では最大」なるタイトル。また
「静岡市の人口は1995年の調査から減少が続いていて、今回の減少率は過去最大。政令市の中で最も大きく、人口減少対策は、喫緊の課題」と。
「それにしてもなぜだろう」「どうしてみんな静岡から出ていくの?」単純にそう思います。
それだけではないのですね。日本全体の人口も相当数減少していますから。
やはりどうにも止まらない。でも私が騒いでも仕方なし。
ということで「勝手にしやがれ」となります。
気づくのが遅かったね・・・政治屋さん。
私は各所に赴いた時「人少なし」には大いに喜びますが人口減少、全国的人少なしというのは困ります。
若い連中の短絡短慮の振る舞いには困り果てますが、若者がいない社会というものには持続可能性はナイでしょうからね。
画像、白いハイビスカスは5年目くらいになるでしょうか。
今年はこれまで以上に元気です。当初は冬が越せるものか甚だ疑問でした。自然のものはわからないことばかり。自分の心であってもまた・・・
2026年
5月
29日
金
魚山来迎院 人少なし 台風の針路
先日は非相良、少々離れた地のご門徒さんとお話する時間がありました。
孫5歳を中心にして、家族でディズニーランドに毎年行くのが楽しみだと。
私どもが今度、バス遠足に出向くことをお話したことからの反応でした。
私は奈良や京都、ハカテラシロに関しての振りには饒舌に反応するところですが、それには失礼ながら閉口したくなるところでした。しかし、お相手はとても楽しそうに話しますので、なんとか必死に耳を傾けて、2、3の単純な質問を返すことができました。
私の如くの田舎のジジイがその場についてのいろいろを理解、頭に思い描きながら会話を維持することなど到底無理な話です。
かといって「私が一生行こうとは思わない場所」などとは決して口に出せませんからね。
その会話のきっかけは私から発した(最近のバス遠足は)「旅行代金が年々高くなっている」よってその参加者減少傾向をボヤいたことからでした。
すると私の「こんなものです、やれやれ」という具合に口にしたツイン29000円シングル34000円の旅行代金に鼻で笑いながら「そんなの全然高くな~い!!」と。
窺えばその千葉のホテルは宿泊代金だけで80000円だといいます。度肝を抜かされるような数字でしたが、とにかく「納得して支払う」こと、人それぞれ。
価値観の違いがあるということでしょうかね。
それにプラス各入場料チケット、また行列が激しいので時間節約のため「割り込みチケット」を購入するのだと。
それを購入することによってイキナリお望みのアトラクションに入れるといいます。
私からすれば商魂逞しいを超えたあくどさをも感じますが、何せすべてのことが私のお頭を完全に超えています。
今回その方は5歳の孫娘の為にそちらでお姫様ドレスを購入。
お化粧にマニュキュア、それを着て園内を歩き回れば、スタッフたちが丁重にお出迎えしてくれるそう。
そこのシステムストーリーに感心しながら話を聞いていると、その幼子から痛く喜んでいただいた次第。
親身に聞くということが大切であることをその5歳の私への態様変化を見て学びました。つい最近のことだったようで相当楽しい思い出だったのでしょうね。
扨、今度のバス遠足当初の予定を変更してまで2日目の「大原」の時間を増やしたのでしたが天気予報と睨めっこをしているとあの台風6号の針路はきっと「私をターゲットに」と思わされるわけで。まぁ「私の心を弄んでいる・・・」などと。
傘など広げて皆さんを連れてあの道を歩きたくありませんからね。悩ましい。
私ならば大原は大津―京都の抜け道という感じ。普通に通過する道すがら。よって「雨もまたヨシ」との軽口もOKなのですが、皆さん方は違います。もっとも海上に台風の1つもあればどこにも出向きませんが。
雨の一粒たりもあったらその日を選択をした私の立場は悪し。
「腹を切ってお詫びしろ」などいうのは奥方だけでしょうが。
その気持ちで日に何度も気象庁のサイトを開いています。
詮無きこととはわかっていても、それを見ずにはいられない私。
もうちっとばかりスローでお願いしたいのですがね、台風さん。とはいえ現状現地2日目は「曇」B判定です。
画像は大原の魚山来迎院。
この地での私のベストの寺になります。人少なしで最高!!。
大抵の人は三千院とその周辺をブラついたあと、人の数に疲れて参道の店にて一服・・・という感じでしょうね。
今度は私もどちらかの店にお邪魔してみようか・・・たしか蕎麦一杯が1200円だったか・・・
ディズニー(・・・地獄)より数段マシ。
ここから10分ほど②画像の道を行けば音無しの滝になります。
2026年
5月
28日
木
鐘に恨みは数々ござる 東漸寺 クマ情報誇大の件
平日の法縁開催は珍しくなくなりました。
休日が土日祭日限定などの職業は学校関係、公務員が主ですが、休もうと思えば今やどちらでも・・・とかなりツブシが効くようになりました。また、最近は参列者を絞っての少数参拝の傾向がありますのでどうにでもなってしまうものです。
昨日の施主の娘さん夫婦との会話。
家庭内のいろいろ、面倒くさい親と子の関係について話していると「子供はいないし、いらない」と。今は夫婦とネコ三匹で暮らしているそう。
「子供はいらない」論、結構に耳にするようになった昨今、将来の日本は・・・などなど、私の心配することではあるまい。
そこでご主人が、法名に「猫」の字を入れたいとの打診。
そういう気持ちは大いにわかりますが、さすがに「それヤメましょう」と回答してしまいました。
基本はお好きな字を採用されて結構なのですが・・・
「ヤメましょう」の否定は私の場合あまりないことですから皆さんと別れたあと少々心残りが。
もし(どうでも)「いいよ~」としたら・・・他人様の眼もあることですし・・・悩みます。
また遺影について先日は故人が好きだった渓流釣りの釣果を両手で顔の前に掲げる様だったことを告げると「私はネコとヤマメのショット」を希望と。.
ただし最近は渓流釣りは行かなくなったそうです。
勿論それはクマ出没の恐怖から。
釣はじっと静かに待つことが肝要ですからね。
クマと人はお互いに気が付かないまま異常接近、挙句事故に繋がってしまいます。
どうにでもなるということは私どもの雑多な心配事も同じ。
とかく人というものは「御前が考えても仕方ない」ことばかりを沈思し時に病的な状況に陥ったりしますがすべてそれはまず「時間が解決」してくれるものです。
たとえいつものピタゴラスイッチの如く恰も誰かに計られているかのように導かれ、信じられないような結末に落ち込んだとしてもそれはそれで「まかせる」ほかは無いのですからね。
私の今のところのその心配事とは拙寺バス遠足がうまいこといって無事に帰ってくることができるかということですが、昨日「ホントかよ」と思った情報が①台風の発生そして②三千院のクマ出没情報です。
①の情報は100%確実で、問題は進路とスピードになりますが、今のところギリセーフの予想。天気予報も現状晴れになっています。何せ2日間雨に降られては困るのです。
まぁその台風という自然そのもの(ただの空気です)、進路コースにしろスピード、勢力にしろ私がどうこう言ったところでどうなることでもなし。
そしてクマ情報。
それは参加される世話人さんからの情報でした。
ソースがハッキリしないこともありますが、現在のAIレベルの各地クマ情報は相当にリスクを煽り気味の傾向を感じます。
日々報じられている静岡県内報道機関のニュースでの見聞はそれなりの信用度がありますが、その手のネットの断片情報切り取りのニュース?を信じて多様に分散することなどは控えたいところです。
その「三千院」の語彙についてどのような括りであるかはわかりませんが、比叡山麓、クマなどどこから出たとしても不思議が無い場所ではあるものの例によって「三千院界隈、人の往来のある場所にクマは出ない」の持論を。
音無しの滝方面や寂光院に向かう道にはクマの登場は無きにしもあらず、ですがね。
実際にあの京都でも人気の観光地でクマによる被害が観光客に及んだとなれば地元の観光集客のあり方として大きな失態でしょう。よってそのような情報があるとすればその対策は進んでいるはず。
しかしながら、私が引率する遠足で「何かあった」というのは避けたいところではありますが。
危惧される点といえば全体自由行動で解散、分散されることでしょうか。
上記の如くある情報を得て何らかの指針を・・・という場合など携帯端末からいつでも検索ができるわけですが、その機械のソフトへの投げ掛けそして回答は一律、模範的で親身。
中には意図的、フェイクベースでの判定も混在しますので、その機械的判定を元に「私」が全面的に信じて動されることなどの「軽率」も避けるべきと思います。
AIに指示されての行動は自身どうも納得がいきませんし、それを信じ切っての行動は他者から揶揄されかねませんからね。
今俄かに話題となった「いきすぎた」18歳ではあるまいし。
私は、その検索で出てきた情報の扱いはテキトーです。
取捨選択が肝要ですが、まぁ基本は流し見レベル。
特に今、クマ情報はかなり誇大ですよ。
たとえば「牧之原市クマ出没」で検索してみればこれまで聞いたことないような情報が並びます。牧之原以外どちらでも。
よって真っ当にそれを信じることなどできないのです。
しかし「クマなんか出ない、信じない・・・」などと日頃から吹聴している私がクマに襲われる・・・などの「スイッチ」、面白いかもしれません。
扨、昨日のマキノ町東漸寺。
梵鐘はおそらく拙寺と同様あの悪法、金属回収令によって徴収されたのでしょう。昭和二十年代の鋳造になっていました。
また六字の名号はオーソドックスですが、あの諸行無常偈の4文字×4文字は当流にしては珍しい。
そこに当時の住職の想いが伝わってきました。
それが
諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽
また娘道成寺の一節も思い出します。「鐘に恨み」。
カネに恨みを持つ方が多いでしょうが。
「鐘に恨みは数々ござる
初夜の鐘を撞く時は
諸行無常と響くなり
後夜の鐘を撞く時は
是生滅法と響くなり
晨朝の響きは
生滅滅已
入相は
寂滅為楽と響くなり」
また古仏たちのお迎えも。最後の画像、自然石上部を穿った水盤は面白い。
2026年
5月
27日
水
おかげさまで生かされている私 マキノ町 東漸寺
昨日は私も息子も各々の法縁に赴きました。
私は堂内読経からスタートでしたがそこでは例の「夏」を感じた次第。
それは衣の下の両腕と白衣や衣との接触具合、纏わりつき感がアップしたこと。次回対応グッズの用意を思いました。
昨日拙ブログでは子への親の「監督責任」などの語を記しましたがその日、あの野球監督の自身の子とのそれに関する「ピタゴラスイッチ」の至極妙ともいえる事案が報じられていました。
ただの親子の何気ない日常の一コマが「ああなって、こうなって、挙句こんなんなっちゃった~」のノンストップ寸劇の存在があったといいます。
昼過ぎに息子から「通報しなかったおかげだ!!」と振られました。
彼が16~18歳の時、学校で無茶をやらかしたことに当たり前の如く怒って不合理な仕打ち(グラウンド10周、腹筋腕立て各100回など)を繰り返し行っていましたから。時に尻などを蹴ったかも。
それらによるまさかの彼からの反撃、仕返しなど考えてもいませんでしたが、地獄に突き落とされるような結末を迎えなかったことはちょっぴり有難くも。
まぁその判断力が彼にあったのか無かったのかは知りませんがサマってしまえば要は一言「家庭の問題」。
親子のコミュニケーションの深浅によるもの?かもね。
衝動にかられたら、その結果がどうなるかを一瞬でも考えて。
やはり16、17に続く18歳のこと。難しいね。
しかし18はもはや児童ではなくオトナです。
扨、①②③は昨日の境内。
①②は今年初めての開花ですが、あの色味は人の心を明るくしてくれますね。ため息が出るほど。
①はここ2週間ほどですべて咲き終わるのでしょうが。
奥方はもっと違う色も「なんとかしろ」といいますが、彼らとの付き合いは長いですからね。他に向こうという気にはなりませんし、ただでさえ毎年続けているそのお世話、ネコの手も借りたいくらい。そのネコの名もキイロシロにキイロにキキがいます。
③は小バラ。枝が横に広がりますのでその自由を修正しようと手にすればとんだしっぺ返しを食らいます。
バラの花は可憐ですが棘がキツイ。
これら①②③は冬場放置可能でそれほどの世話は不要です、この季節の到来を待つだけ。
盛夏にかけてはハイビスカスたちが賑やかを見せてくれることになっています。
④~はマキノ町のメタセ並木が始まるあの看板の脇、真宗大谷派の東漸寺にお参りの図。
お寺の掲示板・・・
「憎たらしいアイツも 大切な自分も 『おかげさま』で生かされている 御同朋(なかま)」
親子家族も周囲のみんなも「おかげさま」の仲間。
まずそこから。そして「柔和忍辱」のこころもね。
私、我が身のことです。
2026年
5月
26日
火
メタセの並木 カタカナ名称マキノ町
静岡では裾野のクマ情報が連日報じられています。
一昨日は浜松で一頭を駆除したといいますし東京でも頻繁にその件を伝えています。
八王子辺りもその名を轟かせていますが、私はどちらの山間部など、城のある場所を歩くことがありますが、よくもまぁこれまで無事でいられたものか・・・
また、ここまた頻繁に報じられているのはトクリュウとかいう強襲強盗集団の逮捕の件も。
多数のクマの出没報道に劣らず「よくもまぁ・・・」といったところ。
クマはただ真っ当なる本能で「食べるため」に動いているのですが、人間のそれはただのお下劣な軽薄我欲。
出鱈目で稚拙、どこの誰かをも知らない「企画」発案者の指図で捨て駒の如く「よくやるよ・・・」です。
その応募は「濡れ手で粟」の稼ぎを目論んでのことなのでしょうが、それがうまくいくワケがありません。
刑法第240条強盗致死傷罪
「強盗が、人を負傷させたときは無期拘禁刑又は6年以上の拘禁刑に処し、死亡させたときは死刑または無期拘禁刑に処する」
ということで「いきすぎたるや16歳」4人がどうなるかはこれからのこと、ただ傍観するのみ。
あの20代の子持ち夫婦は規定通り行けば死刑か無期は動かないところです。
子供は名前を変えてどこか新しい親の元で何も知らずに成長すること、それが一番の幸福でしょうね。
また先日の横浜での17歳高校二年生がやらかした多重衝突事故の件。以前私も利用した道で起こりました。
無免許運転で7台の車を大破させて5人を病院送りにしたといいます。無免許の上、事故後車を置いて逃げていますのでひき逃げ付き。
対人対物の任意保険は無免許運転への支払い対象にありませんので、運転していた車あわせて計8台の修理、買い替え費用、入院治療費、慰謝料等トータルでどれくらいになるの?と余計なことまで。
どう考えても親が子供に代わって支払うことになるのでしょうが同乗者がいたことからその支払い額の比率について揉めることになるでしょうね。
高校側としても全員クビにするのでは。
そもそも負傷者への見舞い等から折衝がスタートするのですが面倒煩雑は計り知れず。子供の粗相とはいいますが自身の監督責任を問われているのも同然ですからね。
そちらの方が抉れれば果てしなく痛い目にあうことは必定。
刑事罰としても「ひき逃げ」だけで「22年6か月以下の拘禁刑」と半端な反省期間ではありませんので17歳ということの情状と裁判官の心証をよくするために被害者との早々の示談が必須になります。
神奈川県の16、7の子供を持つ親は他人事ではないと思いますよ。神奈川県出身の私どもはつくづくそれを。
たまたまでしょうが、私も息子もそんな過度なアホをやらかさずに済んだことは何よりでした。
「若気の至り」の軽率は誰にでもありうることですが、今回の16歳と17歳、双方完全に度を越えていました。
私どもは私も奥方も息子も神奈川県内で生活したあと当地に。
全員神奈川生まれ(息子の嫁は大坂産)ですが、当地の風土環境人間と神奈川県のそれらとの違いは「雲泥、歴然」を思います。
特にアホは伝染しますからね。
静岡相良のド田舎を嗤ってはイケませんよ。よってベストな環境を有難く味わっています。
彼の地はアホ醸成地などと断ずるのは失礼なことですかね?
扨、昨日ブログに続いて圧巻のメタセコイア並木を。
あの看板の通り近くにスキー場まである山あい自然の里です。その件、日本海側に近い地を感じますね。
私は近江山間部の山城いろいろ歩いていますが何とかクマとの遭遇はここまでありません。青と緑の豊富な地ですので野生動物のお出ましは各ありますが。
近江地区でその情報はあるのでしょうか。聞こえてきません。
昨日ブログではその地を大雑把に近江高島と記しましたがそれは市町村合併後の話。それ以前のこちらの町名は「マキノ町」でした。
日本で初めて命名されたカタカナ町名ですね。
全国各所、特に三河にはカタカナの小字名がありますが、このスケールでそれを採用された例はそれまでありませんでした。
最後の画像が拙寺本堂前のメタセコイア。
どんどん大きくなる。アレで22、3年くらいでしょうか。
2026年
5月
25日
月
四季それぞれの顔 メタセコイア並木 近江高島
好天のもと昨日に続き遠州中部の街でご門徒家のお弔いに。
大体の流れはわかりますが「ところ変われば~」で進め方は色々違います。
一つは葬祭場それぞれのオリジナル、そして葬場職員のそれぞれ進め方の違いがあり、「私のいつも」とはギャップが出現するわけです。
その度に私の方で修正しながらなんと対しているところ。
私がよそ者ですからね。
昨日朝、その出がけに訃報がありました。
私の即対応がどうにでなかったため息子のスケジュールを確認、彼に動いてもらうことにしました。
これまで通り「私の都合」でそれらスケジュールを設定すると、例の「友引」の休業のブランクも重なるなど時として相当の日にち繰り延べとなってしまいます。
そうなれば当然ながら先方に経費いろいろのアップがありますので、ここは一つ「最短」を推奨させていただいたわけです。
先方からは7時前に連絡をいただきましたのでごく円滑に物事を進めることができました。
私が帰寺した後、既に彼が枕経に赴いて通夜・葬儀の段取りを済ませていました。
有り難いことです。
扨、昨日は「消える木陰、世界と逆行日本の街路樹50万本減、庭木も相続で伐採」なる記事見出しに目が留まりました。
「街中の木陰が縮小している。東京23区では9年間で東京ドーム256個分が消えた。国内の街路樹はピークから50万本減り、枝葉が広がらない品種に植え替えが進む。
気候変動で夏の暑さが厳しくなるなか、海外の大都市は気温上昇を抑える木陰の拡大に取り組む。日本も街づくりを見直す転機を迎えている。」
というものですが、何とも情けないニュース。
それはそれは管理する側からすれば「樹木」は厄介者かも知れません。しかしだからといってそれらを伐りまくっている様はあまりにも間抜けで滑稽。
東京という地はまさに日本の恥晒しを思いますね。
樹木といえば最近殊に倒木や枝の落下等で負傷者の発生事案が散見されますが、だからといって根元から伐採するというのはね。つい最近あったあの車屋の悪辣事件(店舗前に植樹されている樹木に薬剤を注入して枯れさせて展示物を見やすくした)も思い出します。
何といっても木々の緑は人のこころを和ましてくれます。
実際に都市の高温化、砂漠化を防いでるということ、広く認知されていないということでしょうかね。
日々植物を植える場所を考えている私からすれば「正気かよ?」と吐き捨てたくなります。
並木道はまた美しい。
かつて通った学校正門前には同じ樹木が道の両脇に連なっていました。
樹木のないアスファルトとコンクリートのみの都市など考えられませんし世界から見てもその地の劣悪を思うのみです。
画像は近江高島のメタセコイア並木。
あそこまでヤレとはいいませんが、すばらしい。
拙寺本堂前にも一本。
冬季は葉を落して街路は明るく、夏期は完璧な日除けになりますね。成長が物凄く早いのでヤル気さえあれば10年~20年で並木道に早変わり。樹形もキレイですし、うまいこといきますね。
緑は目にも心にも心地がよいものです。
場所は近江高島でも北、こちらです。
一つ指摘させていただければ電線は見栄えが悪い。
2026年
5月
24日
日
何の「ナニ」・・・胸騒ぎ 怖気づく 高取城
朝の体感温度はトレーナーの着用が必要でした。
しかし降雨の心配はなさそうで一安心。午前と夕刻の法縁が控えていましたので。
午前のお勤めは地元のご自宅と拙寺本堂でしたが夕刻は遠州中部の初めての会場でした。
数日前にそちらの担当者との面談あと、別れ際に渡されたのがいつもの法名板(仮位牌と呼ぶらしい)2枚と加えて塔婆板1本+α。
それを見て私は「真宗は塔婆はいらないよ」と言うと、真宗であってもそれを持ち帰る住職がいるとのことでした。
「郷に入っては郷に~」とはいうものの・・・不思議すぎる。担当の勘違いとは思いますが。
いつもと違う場所は新しい発見がありますね。ドギマギさせられますが・・・。
当然その不可思議な代物の持ち帰りは遠慮させていただきました。また+αの包みの中については未確認。
以外付随する何かがあるのだろう・・・とは思いますが。他宗の事はまったくわからない。
また一つ驚かされたのが棺の大きさでした。
豪奢をも感じましたがもし相良の葬場だとしたらその高さでは天井が閊えて入らないかもしれません・・・
扨、今年初めてシロを訪ねたときのこと。
毎年、年明け早々にでも一人で山城を歩き回っている私ですが、直近、自然界の様相と私の気持ちがかなり変化しています。
要はクマの出没と実際の被害が増えていること、殊に感じるようになりました。
以前は時々耳にする程度でしたが最近は毎日のようにクマ出没のニュースがあります。
また案の定「冬眠しない」例や、春先早々に活動を始める個体があるというのは気持ちが萎えます。
高天神城には「クマは出ない」と豪語していますが、他所のことはまっくわかりませんからね。
よって私独りの山歩きについて気乗りがせず、今年はどちらも歩いていませんでした。
奥方を誘うもやはり「冗談じゃない」とけんもほろろ。
「奥の墓道が喰われるのならイイが、私は真っ平御免」でした。
ということで彼を誘って日帰りで奈良の高取城へ。
私もあの山は躊躇するところでしたので彼が当地に舞い戻った際に、面白がって連れ出しました。
2人で行けばもし遭遇したとして被害の確率は1/2の50%。
私はどちらか言えば下り坂にダッシュが効きますので(ちなみに彼は下り坂は弱く登り坂得意)下り坂に弱いクマに対して「何とかなる」と踏んだのでした。
もっと記せば、もたもた下る「奥の墓道」氏がクマに捕まって私が生き延びるだろうという卑怯道の算段。
もっとも「クマなんか出やしねぇ」というのが私の見解でした。すると彼は「あんな物との遭遇だけはイヤ 出るかも知れない」と言いますので「大丈夫、大丈夫」。
「出る」の件「ファクトベースのエビデンスはよ・・・」と。
すると彼は携帯端末をいじり出しGoogleで「高取城 クマ出没」を検索。その結果がこれ・・・
「高取城周辺のクマ、動物出没情報 高取町内での状況:
高取町内では過去に子グマらしき動物の目撃情報が寄せられたことがあり、町や猟友会が警戒を行った記録があります。
周辺の目撃状況:
奈良県南部はツキノワグマの生息域であり、近隣の東吉野村や下市町などの山間部では定期的に出没が報告されています。
時期によるリスク:
特に冬眠明けの春(4〜5月)や、秋の餌を求めて活動が活発になる時期(9〜11月)は遭遇リスクが高まります。」
というわけでした。吉野の山にクマが出るのはあの山の深さからして十分合点。
しかし修験道(私は煩悩具足 我執の「卑怯道」・・・)の方たちの100日回峰だ1000日回峰の行について耳にしますが、それは自然(クマ含む)との融合にありますからクマ遭遇のリスクなど完全無視なのでしょうね。それとも昔のクマは人を襲わなかった?
勿論私はクマ除け鈴をリックにブラさげて彼とおしゃべりしながらの徒組でしたが、さすが有名どころの城だけあってポツポツと人とのすれ違いはありました。
途中出会った人たちはほぼ100%鈴をブラさげていて、中にはクマ撃退スプレーを瞬時に出せるようなスタイル「何時でもやったるでぇ」の強者もお見受けしました。
余裕の軽口は歩きながら。
年末までにこの地でのクマ出没ニュースが「ある・ない」博打を。
私は鰻重一杯を「ない」に。「そんなもん出るか~」です。
ところが本丸下の曲輪で目撃した物体を目にして二人で固まってしまいました。
画像②の虎口手前のスペースにそれ③④が残されていました。
よってその痕跡の「犯人」が向かったであろうその先へ進むのはヤメに。
一気に怖気づいて反転したことは言うまでもありません。
何せデカくてそれで臭いがない。彼はスマホで撮影しその検索を行っていましたが確定できず。
もう山には単独で行けませんね。いや行く気がしない。
複数人で行くならまだしも。
2026年
5月
23日
土
寂光院までの小径「朧の清水」「千年の姫小松」
おそらくあの夜中(日が変わる頃から)の雷雨をもたらした雲はこちら南遠限定の通過だったような。
まさかとは思うものの、その雷さんが私に向かって落ちてきて、ここぞとばかりに日頃の私の有り様に対し反省を求めてくるのではないかと不安になるほどでした。まぁそれは昔から日本人の心にあった自然への畏怖の一端なのでしょうね。
その心は今の私としては「南無阿弥陀仏」の名号にのみ占められていますが、時にそれが不安定な心地の悪さとして目を覚ましますね。
雨はあがって夕刻には日の出るタイミングもありましたが基本曇天の一日でした。
その「まさか」の想いはやはり普通に当たり前の如く、時として眼前に突然、現れ出ますからね。
すべての事が「紙一枚」ごく僅か些細なところで、コインの裏表のように大きく結果が変わるのです。
私で言えば「誤認と錯覚」=「思い込み」がその「裏表」に繋がっていることを一応は認識していますがね。
「それが人生いろいろ」などと断じるのはカンタンですがその件を若い頃から子供たちに伝えおくことは重く大切なことかと思う昨今。
昨日記した因果の道理(自分の撒いた種~)とは違った切り口で。
一人の人間というものを大した経験もしないうちに他から「サマって」「ペライチ」に纏められ消去されるのではね。
今の子供たちを見てスマホを「神」の如く拝み奉り祈るが如くの異常ともいえる執着を感じますが、そこには人生を歩むといった重大な仕事を控えている者の今としてあまりにも心許なく思います。ハラハラですよ。
ジジイの戯言と一笑されましょうが「スマホ・・・怖い」の件、昨日は「奥の墓道」氏と語らいました。
スマホに彼からの着信が朝っぱらからありそれを取れば「コレって俺がかけただか?」。
聞けば机の上に置いてあったスマホが「勝手に」私にかけたと。
あり得ると思いました。私も心当たりがありますからね。
他者が聞けば「いよいよ老いぼれたな」と言われそうですが・・・
奥方は「知らず知らずのうちに・・・」との指摘。
全ての事においてそれ、ありますね。認知していない・・・認知症?
扨、昨日はバスツアーに参加される世話人さんから「バスの駐車場所は」について問い合わせを受けていましたので念のためバス会社に。それは私の当初の予想通り、国道沿いの駐車場でした。
自家用車用の駐車場からは少々距離がありますが、まぁ許容範囲でした。
怒りと寂しさを新たにした寂光院(昨日)。
何度も記しますがこちらへは観光バスは入れません。
自家用車で向かえば付近の私設駐車場300円があってお気楽なのですが、あの時の私は自分の足を使いました。
何故なら三千院側の駐車場500円/1日に駐車していましたが、それは300円の節約ではなくせめてあの小径を歩かなくては・・・と思ったからです。
やはりその目的を持った散策は楽しい。晴れていればその心地よさがより尻腰を押してくれます。
まぁこの道の往復をバス遠足の皆さんに勧めることは躊躇しますがね。
やはりそちらの道を歩むそのタイミングは私と海外から来られたお二人のみでした①。ここでも彼らがこの道を通過するその心とは・・・などと思うのでした。
②は途中にある「朧の清水」。
③④⑤は堂内から見かけた石塔たち。
一見して新し目の石塔で私の石塔美術としての興味の外ではありますが。
ご挨拶をと思う方がいらっしゃるでしょうが、進入禁止のエリアになっています。
⑦⑧は「千年の姫小松」。上記の手前にあります。
今は切株。それはそれは気の毒な事です。
生者必滅とはいいますが・・・。
2026年
5月
22日
金
寂しい歴史話に更なる悲しみと憤怒の念 寂光院
雨は殆ど一日中。
外に出て五月のうまい空気を吸い込むことはお預けです。
よって庫裏に籠って寺務仕事いろいろ。
ネット上は先般の「16歳の無知無謀」の事件について続けて報じられていました。案の定16歳4名と20代の現場指示役の夫婦が逮捕されていましたが、これは「自身の撒いた種は自身が刈らねばならない」 (因果応報 自業自得)の諺の通り。そしてまたこれからの彼らの人生、親兄弟縁者、夫婦の生まれたばかりの赤ん坊までその強盗殺人という重大責務を長く長く背負って生きなくてはなりませんからね。相当な過酷を思いますよ。今回現場で動いた者たち逮捕者6名+別件で捕まった1名は捨て駒といわれていますのでこれからの黒幕確保を待ちましょう。
まったくもって意味不明の犯罪に手を染めるなど若い衆の考えていることはわかりません。
学校でせめて万引き・窃盗と強盗の違いを教えた方がいいかも。
その後者に+傷害の場合、そして殺人に至った場合の罪科の重軽を比較させて「それをやったらおしまいよ」と若さと調子づいた高慢を自身抑えることがいかに必要であることかを教育の現場で。
親鸞さんは「さるべき業縁のもよおさば いかなるふるまいもすべし」と仰っていますので、その罪については私は「しょうがないね~」であるとは思いますが、先述の如くその「種の収穫」が各周辺に多くの残念無念のこころを及ぼします。
偏に後悔のみ以外残ることはないでしょうが執着から隔絶した時間の中で自らの無知の所業から新たに発芽した何かを醸成していただければ。
未成年者ですから民事で訴えられれば「親の責任」も存在。
親たちは地元にはいられないかもね。
ちなみに当地でもそういった例(刑法案件から家族離散)がありました。
そういう切り口からも教育の現場でそれらを知らせることは大切なことでしょう。
犯罪はまず捕縛され収監。頭を冷やす時間を十分に与えられることを。
扨、今度皆さんをお連れする京都大原。
自由時間を比較的多くとっているものの三千院周辺が中心になると予測しています。
そんな中、「寂光院は・・・」という声が出てくるかと対応を少々思案中。
迷子になること、途中何かあったら・・・というのは常なる不安ではありますが。そちらは比較的平坦な道ではありますが大型バスの進入は不可。
タクシーがあればラクに行けますが、大抵の方は農道の如き細道を片道15分程度を歩かなければなりません。
三千院周辺を散々に歩き回ってそちらを往復するとなれば、年配者となれば相当な疲労度アップ。
まぁそちらに向かう方はいないだろうと高をくくっていますが。
その寂光院、あの本堂内に立つキラキラ彩色を放つ地蔵菩薩像を見て寂しさを新たに感じ、まさにその寺の名の如し・・・と溜息が出るのは私だけではない筈です。しかし相変わらず外国からの来訪者も多いのでした。
その溜息の事実は26年前にこの寺で起こった唖然呆然の出来事から。
本堂が放火されて各遺物が焼失したのでした。
「犯罪はまず捕縛される」と記しましたが、その手の意味不明犯罪の中でもまっくその意図・理由がわからない犯罪だからでしょう、それに火を放った人は未だ逮捕されていないのでした。当時は防犯カメラが街区に整備されていない時代ということもありましょう。
なによりガッカリで悲しくて悔しすぎます。
放火犯を捕まえてその罪を問うことができたとしても焼失したものは元にもどりませんが。
その憤怒と悲しみを感じていただくにはあのキラキラ地蔵と宝物館に展示されている焼け残った地蔵から奇跡的に出てきた胎内仏を目にするのが一番なのですが。
最後の画像が鎮火後堂内に残った地蔵像の様。当時のニュースから。まさに心を打たれます。奥方はこれを見て「炭!!」。
人はこういったことをしでかす業縁を持っているのです。
お寺の歴史所縁の件、看板にて。
2026年
5月
21日
木
無量寿新茶 各々抹茶がお好き 大原宝泉院・実光院
拙寺が販売している牧之原茶「無量寿」がようやくできあがりました。しかし今後の事が何とも不安になりますね。
要は継続的にそのお茶に私が関わり続けることができるのか・・・というものです。
これは強烈な世界的抹茶ブームの到来によるものですが海外からの引き合いもしかり、また国内の観光を資源とするお寺の庭を見ながら抹茶というスタイルがどんどん広がるなど・・・そしてまたお菓子や飲み物にもその抹茶を使用することが多くなりました。
抹茶という品が私共が「これぞ」という具合に製茶製品化した深蒸し茶「無量寿」と製造行程がさほど変わらないということが今回の完成遅延の理由です。
茶摘み前にシートを被せて光合成をコントロールし、深い緑と独特な味わいを期待、蒸し時間を長くとる深蒸し茶ですが、同じ工程でひと手間加えた抹茶としての製品化は同じ茶葉であっても農家からすれば引き合いの多い抹茶の方がより実入りが多くなるというところ。
また近年の茶葉価格下落から廃業する茶農家が増え、茶葉そのものの不足も顕著とのこと。
突然の抹茶ブームの到来に慌てて対応しようにもその修正はなかなか難しいものがありますね。
よって来年のこの時節、需要がとめどもなく伸びて、茶葉の奪い合いなどが発生したとすれば私どもではどうにも対応不可になりそうな気配も。
需要と供給のバランスによって価格が決まりますのでひょっとしてもはや手が届かない品になるやも知れません。
今回も価格については製造方から「(納品され)蓋を開けて見なくてはわからない」と告げられていました。
それ以前から価格上昇の受け入れについて打診を受けていましたが当方からは「容量(100g)と味もこれまで通り」を要望していました。
茶葉価格というものはその容量と茶葉の質によって変わりますが今年の場合はたとえ「最低レベルの茶」を所望したとしてもその手の品は「2番茶以降まで(待て)」とのこと。
そのレベルですとこれまではペットボトル用の茶葉になっていましたがそれらの原材料までも品薄が広がりつつあるということでしょう。
そしてパッケージ、袋など何から何まで値上げラッシュ。
この動きがいつまで続くのでしょう。
とにもかくにも無量寿茶製造を依頼している事業者(ご門徒さん)のおかげで何とか納品を見ることができましたが、来年の事はわからないというのが実情です。
ただ、例によって中国・インドが日本発の煎茶ブームを羨望、早速その生産にシフトしているといいますので事を複雑にしています。
格安の抹茶が出回れば元の木阿弥、今の日本の茶業が独占する抹茶フィーバーは一過性だったということになりますね。
日本でそれを輸入してまで利用するとは思えませんが、茶葉の価格は安定する可能性も。
そういうこともあって茶畑に今一度向かおうという人たちは二の足を踏むことになるのでしょう。
「やはりそういうものね」と納得したのが、その抹茶製造のノウハウと製造機器を中国・インドの業者に売りまくっている日本メーカーがあるということも。
何が良くて何が悪いか・・・など私のお頭ではどうにもわかりえませんが、価格は上がっても、とにかく拙寺のお遊びが持続できれば。
ちなみに価格上昇は現状深蒸し系が一番に影響を被っているよう。一般の煎茶は(質の妥協があれば)まだ価格をいじらなくても許容できそうとのこと。
画像はできたばかりの拙寺「無量寿」と大原、三千院近くの宝泉院と実光院の一コマ。
両寺とも額縁庭園を前にお茶席接待というのがポイント。
特に外国からのお客さんが抹茶を所望するのです。
拝観入場料+お茶席・・・結構な額になりますよ。
其々の寺で「お茶席如何・・・」と。
当流本山はお斎を行っていますが庭(諸館拝観)を前にお茶席を設ければ、お寺の紹介としてもいいのでは?
しかしまぁこういった情報をどこで知り得たの? それが私の疑問。京都でもかなりの田舎を思う場所なのに・・・
日本人の殆どの人たちがこちらで抹茶をすするなど、考えつかないことですよ。
お抹茶とお菓子と庭。今はお寺の経営維持がそれにかかっているようです。
2026年
5月
20日
水
東大門から西院伽藍の道 法隆寺 吉野は山の中
天気の下り坂予報を信じ静波墓園の仕事の後始末に息子と向かいました。放置したままになっていた伐採枝葉の回収です。
ここ数日続いた日照のおかげでカラっカラに乾燥、ラクな仕事でした。
それにしても先日刈った場所に新芽が無数生えていました。
驚くべき生命力としぶとさに溜息。
また好天の日を選んで、やっつけようと思います。
先日植えたサクラに水を補給して帰寺しました。
昨日の「クロ現」は例の文化財の保護か廃棄か、がテーマでした。
収蔵庫が満杯で入りきれない、収蔵庫の維持ができない、収蔵庫の新設ができない・・・が理由のようです。
文化というものに国があまりその方向に厚き意志を向けていないとことを深く感じます。
カネ儲けに繋がらないものは捨てましょう、といったキャンベーンの如くその意志が伝わって、今全国的にその保護の意義について問われているということです。
おカネは大事です。
しかしそればかりを求めようとする風潮は人の「こころ」を失いかねませんね。
16歳が屯し「人を殺してカンタンに金を稼ごう」というメッセージにも。
そんな世に誰がした・・・単純に思うところです。
その次の番組は歌番組になりましたのでBSにチェンジ。
「新日本風土記」の「鳥取いちばん物語」でした。
大山寺の阿弥陀さんに感動。三佛寺、三徳山(みとくさん)という名を初めて知りました。
大山寺の阿弥陀堂は殆どの時間閉鎖されていて、外の空気を入れるのは久しぶりの場面。
そちらは天台のお寺( HP )ですが、格式の高位の寺でやはり僧侶も本山で一定の位階を得た者のみしか入れないといいます。「修行に10年・・・」スゴイ!!
「投げ入れ堂」 ( HP )には今俄かにその名を聞くようになった「蔵王権現」が鎮座するといいますが公開はやはりしていないとのこと。
そして一般の参拝者を募る大晦日の山登りの様子が放映されていました。
雪深くまた険しい断崖を深夜に、敷設されたチェーンを握りしめながら進み、鐘撞堂で除夜の鐘を撞いて、「投げ入れ堂」前で読経するというもの。
人それぞれで生かされていて「それでいい」のですが、当流宗旨や私の生活とは隔絶していて口を開けて視聴するばかり。
大山寺は檀家さんを持たない「観光のお寺」であると住職が仰っていました。
そのアピールを色々と考察している姿をお見受けした次第。
鳥取というやはり私如きのそのお頭では及ばない地で各健闘される皆さんに「素晴らしい人たち」の存在を感じました。
尚、上記蔵王権現は現在奈良国立で「神仏の山 吉野・大峯―蔵王権現に捧げた祈りと美―」特別展が開催中です。
先般はやはりテレビ小僧は奈良博公開用の秘仏搬出の様を視聴しましたのでその興味は尽きません。
しかしどうしてもそちらへ向かう機会に恵まれませんね。
特に奈良中心部といえば苦痛を伴う「混雑」を思い二の足を踏んでいるところ。
以前、明日香から談山人社に向おうとした際、何がいけなかったか山中迷い込んで吉野の地に出たことがあります。それが30分以上すれ違う車すらなしの山奥の感。混雑の真逆を体験。
修験道・・・自然崇拝と仏道の融合―の一流の地として名があるわけです。
また吉野といえばサクラですが、そのサクラの材で蔵王権現が作られたという所縁があるのでした。
その鳥取の大山寺阿弥陀堂の主の姿をチラ見して、何とも言えぬ憧れを感じたのですが、私はやはり「人少なし」の場への趣向は特に強いのでしょうね。遠すぎて気軽には赴くことができないということもありますが。
扨、昨日は叔父の三千院は(大原は)「一度行けばイイ」という言葉を記しましたが、それも人それぞれ。
私も実はそのタイプの一人。
人様の「イイね」が私のそれとは違うなんてことは多々ありますね。
ということでどんな「16歳」も知っているお寺「法隆寺はどうよ」となるとやはり私はそれと同様「もうイイ」ですしそれ以上にバス遠足で皆さんをお連れするという選択肢はありません。
内容はかねて博物館特別展等で拝見したものと重なります。
そして「見てもらいたい」といった来訪者への配慮が伝わってこないこともありましょう。
超がつくほどの国宝クラスが勢ぞろい。建造物もそうですが古仏、遺物居並ぶディスプレーも天晴れではありますが。
内部は光を遮断し、照明は落し気味。要はうまい具合に拝観することができないのです。護るため・・・とはいえ。
私の如く視力に問題のある者としてはそれらを拝み見るに限界というものを感じるわけで。
回遊もどうでも良くなってしまう諦め。
それでまた御門徒さんをお連れするに聖徳太子に関わる寺としてはGoodではありますが、昨日ブログの如くケチな私の懐具合を鑑みても、そのお寺のシステムに「私はムリ」を思わされるワケで。
まぁそのお寺での滞留時間を十二分に取れる機縁があれば少々話は違ってきましょうが。絶対に一日居座るという気概があればね。
ちなみに拝観料は中宮寺と併せて4か所のチェックポイントがありますが「全部見る」のチケットを購入して2000円+中宮寺の600円になります。またそれとは別の境内にある企画展などに入れば+500円。
トータルで3100円と相成ります。
勿論それらをコントロールされるスタッフの数も。
地域の就労にも一役買っているのでしょうね。
例の修学旅行書生さんたちとかち合えば殆どラッシュアワーの電車車内の様(ちょっと盛りすぎ・・・) 。
東京国立の法隆寺館の静寂は機会さえあれば何度でも行きたいと思いますがね。ちなみにそちらの入館料は博物館入場料のみでタダですから。
文化財保護の意味から、維持管理の難題を背負っていますので観光のお寺として拝観料の徴収は致し方ありませんが、ちょっとね~の気持ちいっぱいになります。
よって「一度行けばいいや~」になるわけで。
お寺としてのカテゴリーが違うのですが本来は「また来てね~次回の御縁まで(毎日来てもいい)」と感じてもらってこそだとは思いますが。
画像は東大門と西院伽藍の道そして迷い込んだ吉野の集落での一コマ。
東大門の道を辿る人は結構少なめですが左側に続く諸院の壁には各所に痛みが見られました。突っかえ棒での一時しのぎの箇所も。
日々どれほどの拝観料が積み重なるのか知りませんが、こういった築地塀の修復にも使われるのかしらね。
私の個人的趣向、崩壊中の土塀というものに情趣を感じますが。
壊れた壁・・・廃墟・・・かつての繁栄・・・人の営み・・・無常といろいろ思います。
しかし崩壊をどう食い止めていくか、捨てるはカンタン、うまいこと維持できればいいですね。政府の匙加減によりますよ。
吉野のサクラもテレビ画面で観るだけ。さぞかしその時節、山の中は人と車で溢れることでしょうね。
一言気づいた事がありましたので。
こちら国宝に指定されている東大門の外側(夢殿側)には車を3台置ける駐車スペースがありますが、おそらくお寺の関係者の自家用車でしょう。
その駐車車両の存在によって東大門全景をうまく画像として納めることができません。よってこちらは右側部分をカットしました。何せその文化財との同居は何とも無粋ですからね。
少しはそういったところに配慮し、そちらをブランクにするなどの発想はなかったのか・・・ちょっと首を傾げたところです。
2026年
5月
19日
火
大原は勝手にどうぞ゜勝手神社 音無の滝まで
バス遠足について、その流れは基本、行き当たりばったり。
最近は集合時間を決めて現場解散、自由行動の傾向が強くなってきたのですが、要はその時間で、どうぞ(昼食等含め)各自テキトー勝手にやってくださいという流れに。
私の思考が昼食に拘らないよ~ということ。
バス会社に丸投げした昼食時間は全員一緒、拘束感+のんびり感、そして味もイマイチ+高額とくれば、「もっと自由に・・・」となるのは自然の流れ。
私などどちらかを一心にほっつき歩けば昼飯抜きなど普通にありますからね。
「自由」「自然」こそ私が目指し、また憧れる環境ですが、それはいかにもスバラシイことと考えみても、年配者からは「ムリ」との溜息を聞くこと多くなりました。「決めてもらわなくては困る」というもの。
ガッチリ「箱」に収まったツアーに、自らの思考ではみ出すような冒険をしたくないということなのでしょう。そういった世代感なのかも。
放り出されることに不安を思うのは致し方ないとは思います。しかし折角の遠乗りです。自由があるのですから自分の脳ミソで考え、その時間を有効にすごしていただければと思うのですがね・・・
とにかく自由自在の楽しみもありますが、二日間バス会社に昼食とツアーの管理を依頼したとなれば旅行代金全体が高騰している折、トータルの代金がまずは1万円以上アップすることになりますね。拝観料はバカになりません。
昼食会場に集合させて解散させるまでの時間的ロスもありますが、拝観料、入館料を事前に徴収して・・・というのも避けたいところ。
今回は初日昼前に室生寺に行きますので拝観料(600円と宝物館拝観400円)に関しては皆さん一緒ですが、二日目の大原の場合はバスを降りてのフリー。
大原が初めてとなれば三千院でしょうか。三千院(700円 30名以上団体割引600円)まで、とことこと歩くことになるのですが、その他にも拝観料の必要な寺があります。否、拝観料の無いお寺などありませんね。東西本願寺くらいのもの。
三千院―実光院―勝林院―宝泉院コースは抹茶付きとなれば更に予算はオーバー。また律川沿いに比叡山道を上がっていけば来迎院そして音無の滝がありますが、おそらく音無滝まで歩く人はいないかも。未舗装の山道です。そこだけは拝観料はありませんが。
そして三千院拝観に入ったところでフリーになりますのでそのタイミングで各自昼食時間。
三千院に至る道も三千院門前にも多くの店がありますのでご自由にどうぞ・・・です。
できれば私は三千院はパスしたいところなのですが。
叔父叔母も大谷祖廟で別れ、そちらはパスするよう。
昨年辺りだとあの場は中国の方たちばかりだったような。
西欧系の方々も散見されますが、なんだってこちらへ?と思いますね。叔父は一度行けば十分と。
そしてまた修学旅行の書生さんたちと重ならないことをネガイマス。 どうせ行くならせめて一瞬間でも静寂と心の鎮静を求めたいですからね。
私の注目点は上記音無の滝に行ってみたいという方がいるか、また三千院ではなく寂光院に行ってみたいという方、いやいやすべて行くなどという強者が出るのかどうか・・・
寂光院はともかく音無しの山道はお付き合いします。
バスは両寺とも近くまで行くことはできませんからね。
昨日の如くの暑さだと体調不良の心配をしなくてはならず。
山道は舗装してある場所でも雨の時はキツイ。
転倒という怪我の件もあります・・・ということで引率者というものはいつも頭が痛いもの。
部活遠征引率の先生方も毎度それで頭を痛めているのでは。
そうでなくては困りますがね。
一応私は三千院の拝観の有無について皆さんに投げかけてみます。余程の駆け足で進まない限り数多を味わうことなどできませんし、皆さんそれぞれ取捨選択があっていいかと思うところ。
よってどちらのお寺も拝観するしないは個々の勝手自由。
時間を有効に使って頂ければそれが一番ですね。
勝手神社は来迎院、音無し滝へ向かう途中にあります。
「勝手にしろ」という意ではありませんね。
音無しの滝より上は比叡山への古道、登攀路になっていますが相当な悪路。私は上流にまで足を延ばし、河原のゴロ石で足を挫きました。
4~5時間かけて山頂まで、の酔狂は私には「奥の墓道」氏くらいしか同伴する人はいないでしょうね。面白いがどうやって帰るか。往復はキツイですからね。
しかし親鸞さんがそれを日々行っていたこと(六角堂との往復)を考えると如何に私が甘っちょろいか。
スニーカーも無い時代・・・
2026年
5月
18日
月
橘寺十三重塔といろいろ 拙寺のバス遠足そろそろ
良き天気は有難いものの次のテーマ、拙寺バス遠足の頃は一体・・・といった気持ちがそろそろ。
予報が出てくる頃です。
毎度日々変わるその天気予報に一喜一憂するというのは儚いこと、所詮どうにかなることでもありませんね。
まぁ楽しみにしつつ、たとえ天気が悪くとも開き直ってニッコリ行かなくてはね。
扨、拙寺のバス遠足~大谷祖廟納骨について、いよいよ過渡期が訪れた感。
ご門徒さんのご納骨の機縁は相変わらず続いていますが、それは団体での納骨よりも、家族縁者が集まって、それぞれのタイミングで向かうという傾向が強くなっています。そしていつものメンバーの体力的限界が迫っていること顕著。
特に毎度私の企画するツアーは私好みのハチャメチャ歩き、時にアップダウン過酷な場面もあったりで、中には「もうムリ」とばかりにツアーから離れて行かれた方たちもありました。
もっとも旅費高騰もかなり響いているかも知れませんね。
実はその反面「次はここに行きたい」と言う具合にリクエストを頂いたりもしています。
それが奈良明日香地区ですね。
そのコースでしたら初日に談山神社から明日香、やはり橘寺は外せませんね。
あそこなら大型バスの駐車場が川原寺側にありますのでラクです。川原寺跡のスケールと石材基盤の様は想像力を膨らますことができます。
まぁそれは人好き好きで、それを見て楽しいと思って頂ければいいのですが。
橘寺のおさらい画像。⑥が道を隔てた場所、川原寺跡に隣接するバスの駐車場。
ただし修学旅行の書生さんたちと時間があってしまうとハチャメチャに拍車がかかります。
①②は目に入った石造十三重塔。その所縁については不詳です。こういった寺にはまず層塔・宝塔の類がさりげなく立っています。
2026年
5月
17日
日
袖搦とバットで対策 スーパーエルニーニョ
昨日の法縁参列者は30人超え。
親戚縁者勢揃いだったようですがこの御時節柄奇特なことです。
大変だったのは奥方だけですが・・・
あの「いきすぎた16歳」の4人目の子が捕まりましたね。
まぁ時間の問題でした。
被害者との接点がないとのことでやはり闇バイト(トクリュウ)の可能性が強いようです。
それを指示した黒幕の存在が窺われるところですが、その者は彼らを小金で釣って捨て駒の如く動かすことが常道です。それはダメ元で企画指示を考案、まず成功しないことはわかっていても実際に現場で動き逮捕されるリスクというものがありません。携帯電話一つ、「イケ」の命令でその駒は動きます。よって背後に隠れている者は安泰です。
その子らは操り人形になっていることが判らない。他者の利益のための。まったく哀れなものです。
どちらも親たちは寝耳に水の躰でしょうが、周囲からは「親の教育」を問われることは必至。
たくさんの神奈川県人の不幸が発生したのでした。
特に私どもは相模原・町田地区で活動していた時代があって、よく見知った地でもあります。奥方は相模原市内の女子高を卒業していますからね。
ということで「一体どこの高校?」と詮索したくなるのでした。
そこへ息子がやって来て、拙寺庫裏に転がっている「日本刀を1本、脇差でイイ」とそれを所望されました。
聞けば「あんなガキどもにヤラれるのはたまらん」というものでした。
まずその語「ガキ」なるフレーズには驚かされましたね。
ついこの前まで「それ」だったという思いがありますので・・・
その日は彼の幼稚園卒園式の様子を撮影したDVDを視聴していましたが、歌は歌わず、集中力散漫の様子に爆笑した次第。
また、それに登場していた私の革ジャン姿に「普通じゃない」と逆に指摘を受けました。
その刀の件ですがたとえ撃退できたとしても正当防衛を主張するのはなかなか難しいことですし僧籍の剥奪の可能性もあることを伝えました。
説法を試みず暴力で対応することですね・・・
そして何より、彼らのスタイル「持物はバール」であること。
よって大切なお宝(刀)をもってそれに立ち向かうのは何とも「勿体ない」と。
まぁ槍の穂先を顔面に突き付けられれば、まず相手は「戦意喪失する」と以前「奥の墓道」氏がその感想を語っていましが、その長尺は距離があってこそ活躍できるものです。ということで庫裏にブラ下がるそれもまた却下。それを振り回すのはムリがあります。
一向宗お得意の「袖搦」も槍と同等でデカすぎますからね。
ということで私が推奨したのは・・・バット。
それならばバールとは対等以上に戦えることを力説しました。
また家中子の自傷事故も少ないことも。
よって日頃からの鍛錬を・・・勿論、榊原鍵吉の如く。
但しその時は躊躇なく頭上から振り下ろす覚悟を。それを付け加えておきました。
それであれば「自宅とはいえ凶器を事前に準備していた」という相手側の主張を逸らすことができましょう。
「日頃の鍛錬(素振り)の為に手許に置いていただけ」の話。
しょうがないですよね、バールと刃物で襲ってくる無知野蛮に対してスキを見せたら家族を守ることなどできませんから。
いよいよ日本の治安は悪くなりましたね。
さぁバール持ちの短慮に向かうべく「昔取った杵柄」を物置から持ち出しましょう。無ければ購入してでもです。
日頃の腕の鍛錬にもイイ。竹刀では軽すぎます。
扨、昨日の報道によれば今年はスーパーエルニーニョになるかも・・・とありました。
エルニーニョになるというのは殆ど確定的(90%)だそうですが、そのスーパーとなると農作物への影響が相当出るそう。
そうなれば食糧難、価格高騰そして飢餓貧困に拍車がかかる?
それよりその「スーパー」となれば気温の上昇で苦痛を味わうことになりますが、その上昇基調は翌年にピークを迎えるといいます。
「風が吹けば桶屋が儲かる」と言いますし、困る人がいれば喜ぶ人もいることでしょう。
2026年
5月
16日
土
往生院天井画 橘寺 オトナは携帯を切る
息子は浜松で催された法縁に向かいました。
私は境内植栽のあれこれ、のんびり作業の後、昼すぎに静波墓園へ。これで生垣の突出枝の剪定は完了です。
勿論切りっぱなし放置のうえ撤収。
先日植えたサクラの水鉢にバケツ一杯を注いで。
来週の中頃までお天気はもちそうですので雨予報の前日あたりに回収に向かうことにします。
夕方は本堂天井小屋裏、後堂、内陣・外陣の中間に数個の噴霧薬を焚いて本堂を閉めきりました。
これは毎年恒例の私の気休め行事ですが、今年は少々遅めだったかも。
イメージとしては何となくふっとやってきたシロアリやキクイムシなどが駆除でき、また「こんなところには二度と来ない」となって退散してくれれば・・・などと考えますが果たして・・・そこは私の知らない世界です。
知らない世界といえば静岡リニア着工のあれこれ。
私としては水さえ枯渇しなければどうでもいいことですが、その水というのはやはり生活の生命線ですからね。
面倒くさいのでまぁうまいことやってくれ・・・てなところ。
余計な思う事といえば、山を削りトンネルを掘って散々苦労して工事を進めたリニア。
もし水が出なくなったとしたら当然に腹が立ちますが、どれほどそれに乗る人がいるの?もし大赤字となったらそのツケは誰が払うの?言い出しっぺとその責任は?
おそらくどちら様も私以上に「知ったこっちゃねぇ」の態でしょうね。
それが政治ってものでしょう。誰かが儲けて一部還元されて(誰に?)ワイワイできれば「それでイイ」ってヤツ。
昨日も記しました。携帯電話は私も日々お世話になっている生活必需の品となりましたが、それに関わる業界の繁盛の様は其々お見受けしています。
電波はお国の管理のもとその業界が成立しているのですが、まったくもって変てこな管理を思います。
「トクリュウ」(匿名・流動型犯罪グループ)なる犯罪組織が秘匿性の高いSNSソフトを駆使しているなど、その携帯端末は彼らにとっても絶対必須のグッズのよう。
「国の規制」はできるだけナイのが一番ですが、あまりにもfreeというのは具合が悪い。一般庶民の敵でもあるその手のグループの支援ソフトなど存在させる必要はないのですがね。
だれがそんな不都合を野放しにさせているの?
一方携帯端末というのは警察方の捜査上、最上なる犯罪立証の端緒を掴むことができるもの。
携帯の電波によって位置や動きが特定できますから。
ということでハリウッド映画などでよく描かれますが、本当のプロの組織では携帯電話のONはタブー視するところ。
またこれからの世の中は通信傍受も(怪しいフレーズはAIがピックアップ)ありますから、携帯電話を駆使しての犯罪行為など、もはや警察の手の内にあるということかも。
ということは全国民を「泳がして」いるのと同様でしょうか。
よって今回の子供犯罪者たち(栃木の強盗殺人)はきっと全員確保されることは確実。
哀れ16歳の短慮、彼らにはそこがわからない。
状況は違いますが仏事参加の際、オトナは携帯電話を切ります。
時として静寂の中lineの着信音が聞こえてきたりしますがね。
当人が一番恥ずかしいでしょうに。
まだお子様だということかも?
子供の携帯電話への執着はおそろしいものがありますからね。やだやだ・・・
扨、橘寺(前回)往生院。
この堂は天井画がウリです。
絶妙なリラクゼーションの場を提供してくれています。
畳の上でひっくり返ってしばし休息。
その堂の名の通り、中央に立たれているのは阿弥陀さん。
両脇には観音と勢至でしょうね。余間には聖徳太子。
あの時は踏み込んでアップに迫ることを考えませんでした。
2026年
5月
15日
金
談山神社(旧妙楽寺)から御破裂山の雷 自分の豆大福
「絶」がつく好天は午前中心、夕刻にかけて雲が広がりました。
すると横浜の「奥の墓道」氏から「駅から一歩も動けない」の情報が。
上大岡駅に到着するや否や強烈な雷雨に見舞われて40分以上も足止め、そこで雨宿りし続けているとのこと。よって手持無沙汰から携帯を手にしたのでしょう。
現代人はその携帯電話を持っているために、ズブ濡れになるという踏ん切りはつかないでしょうね。
天は凄まじい様だったそうで半ばショータイムの如し、駅に取り残された人々から歓声やら悲鳴やら・・・。
「ダッシュしても30秒でびしょ濡れになる」との表現をしていました。
その彼の喩えは、彼と奈良談山神社(旧妙楽寺)の背後、更にそこを上がった御破裂山で突然の雷雨に遭遇した件「とにかくダッシュ」と門前の土産屋まで駆け下りたことがありました。
木々に覆われた山道や境内地というものはその高い木の枝葉が雨を遮ることからガッツリと濡れるまでには至りません。
その店は私がそちらに行けば必ず所望する豆大福を売る店。
そちらで1つ頬張りながら一息。
そして最上位置にある無料駐車場に置いた車を取りに彼を店に置き更なるダッシュを。
そういったことから彼には「今日は車を取りに走る者がいないな~」と嫌味な返信をしておきました。
一昨日同様「大気の状態が不安定」の一言で済むことなのでしょうが春から夏への過渡期でしょうね。いよいよ夏です。
昨晩は「まだやってるの?」と思わせる不愉快な事件が報じられていました。
携帯電話で連携した闇バイトの子供たちでしょう。16歳の少年が逮捕されていました。罪状は殺人。
アレだけ割の合わないバカバカしい犯罪に手を染める人間はもはやいないだろうと思っていましたからね。驚かされました。
これからその仲間たちもお縄になるのでしょうが・・・
「生き過ぎたるや16歳」ではあるまいし。
いつもながら思う事といえば親が気の毒。息子の強盗殺人罪を裁く法廷と収監の地にこれから人目を気にしながら通うことになりますからね。
またいつもの「 For a Few Dollars More」の語も。
それぞれの自業自得とそれを断ずるにはあまりにも・・・まぁその字面の通りではありますが。
扨、先日「奥の墓道」氏とまた一つ鰻重バクチを提起しました。
あの大河ドラマ、豊臣秀長が奈良を治めるようになり大和郡山で亡くなるワケですがその死因たるや詳細は歴史の中、埋没中、不詳です。
この妙楽寺との間でひと悶着(大織冠尊像と寺そのものを郡山城下に強制移転させた件)があったわけですが、その紹介がありこの地が画面に登場するかしないかをそのネタにしました。
まぁ、それまで視聴していられるかわかりませんが。
※大織冠 中臣鎌足(藤原鎌足)
私はその番組での紹介が「ある」に一杯。
殆どクライマックスというか最終回に近いところでしょうが、豊臣秀長の体調がいよいよ悪化という場面で、実際その尊像を元あった寺に返却しているわけで。
ご当人もその暴挙に反省したということか。
人々もまた彼の死に通ずる病を「祟り」というのでした。
そうだとすると自業自得?
画像①は談山神社の十三重塔。その裏山が御破裂山。
雷が鳴り出した時は「その名の通り・・・」の合点。そういえばその途中、明日香村の「雷」(いかづち)を通過していましたが・・・その時は普段以上に落雷の恐怖があったものです。
私は無碍の一道、自重自戒反省は必要ですが祟りに関しては論外です。むしろそれがあれば面白いかも。
そしてそれは先ず為政者と高慢が味わうものですから。
豆大福は土産としても購入。すべて私が食します。
それには糖分過多と糖尿という怖い祟りがありますが。
2026年
5月
14日
木
大神宮社 西ノ宮神社 今川家臣の松井ときたら
昨日は所用につき早朝より地元を離れて帰寺は日没後に。
先方では突然の降雨にあって驚かされましたが終わってみればまったくOK、余裕でした。
聞けば当地には雨はなかったといいます。
雨に降られた彼の地でも明らかに降っている場所と晴れている場所が違って見えました。要は自然の気まぐれ、不安定な天候ということで。
当地にそれが無かったとなると、植栽への水やり、特に静波墓園に植えたサクラの苗が気がかりになりました。
一昨日はその静波墓園の新顔の木が風で倒れぬよう両側の樹木から紐を通しにいきましたが、イヌの糞には閉口させられました。
トレイルカメラを設置して(現場証拠を)・・・などと思いましたが、相手は人間様ですから、そのカメラを持って行かれたら完全にアウトですからね。
画像をアップして掲示板に貼りつけたとしたら肖像権侵害の主張もありそうですし結局は私が恨まれることになります。
「人が見ていなければ何でもしでかす・・・」まぁその件だけでなくどちらでもその風を見聞きしますから。仕方ないねぇ~。
また、缶類も捨てられましたので早々に片づけないと・・・さもないとゴミ捨て場になってしまう。おそろしい。
扨、昨日の拙ブログ、御前崎白羽の歴史遺構につづいて、そこより少々西に行ったところに大神宮社、またの名を西ノ宮大神宮なる杜があります。
掲示板に目を通すと今川家臣の松井氏の名が。
松井氏御一統の存在を思ったのでした(場所はこちら)。
2026年
5月
13日
水
晴れた日は緑に圧倒される 家康井戸と白羽柑子
新緑の境内植栽たちは旺盛にその生命力を発揮。
一昨日拙寺に顔を出した「奥の細道」氏がその濃い緑に圧倒されていたよう。
今の時期は鉢物の彼らにはできるだけ陽光を意識して前面に出してあげたいものですから、境内に入る人には嫌でもそれが目に入ってくるでしょうね。
特に大量のユリにハイビスカス、月下美人です。まぁユリたちは花が終われば最後尾に仕舞いますが。
それは「見苦しい」の裏返しというところもありましょうがまた私のその管理不届きも重々承知。
特に松ですね。この時期新芽がどんどん伸びて・・・
昨日NHK「美の壺」は松でした。それを視聴しながら・・・
扨、御前崎の実家に彼を送りがてら、白羽の神子という字に立ち寄りました。
御前崎の難読地名で白羽は「しろわ」神子は「かんご」と読みます。前者は相良辺りの人間でもそれは知っていますが後者の神子については地元である彼にその読み方を聞きました。
バス停で聞き馴染んでいると。
白羽については以前拙ブログでは白羽神社に仮宿で記していました。
神子については「神」を「かん」と読む吉田町の神戸(かんど)がありますが、「かみ→かん」読みは各地で見られますね。
発祥としては、そのものズバリ「神の子」?
その白羽の神子には家康が来たという伝承があります。
それが表記「家康井戸と白羽柑子」。
井戸繋がりで家康といえば榛原(こちら)にもその伝承がありました。
「家康が来た」伝承として、ここ御前崎市にそれがあること、なかなかその件ご存知ないかも。武田方に追い詰められた時を想定します(場所はこちら)。
2026年
5月
12日
火
橘の寺の長屋にわが率寝し 童女放髪 髪上げつらむか
昨日午後はGW期間を外して帰省した「奥の墓道」氏を迎えに静岡まで。
私も静岡で済まさなくてはならないつまらぬ要件もありました。
この帰省(というか墓参)のタイミングをズラすことは、如何にも良策でした。
どちらにとっても混雑というものから開放されますからね。
これまでは無理をしながら休みを調整し、あっちこっちと二人でふらついていました。勿論私もこの時期大抵は法務がありません。
これは彼が今年仕事を辞めたためですね。しばらくその調子ですごして飽きたら何か考えるとのこと。
ということで朝昼晩の一日三回食後の散歩というのが日課となったわけですが、当初一回1万歩、合計3万歩を歩いたようです。
私が「骨がすり減って残念・・・」などと嫌味を言ったからか大分それら時間を減らしているようですが、現状かなりの痩せっぷりを見せています。
静岡駅からは1号線を西に、いつもの日坂の道の駅に向かいましたが、どっこいそちらは閉館日でした。
またもやらかしましたね、やはり月曜日というのは休みが多い。
かといってすべてがその曜日が定休であるとは言い切れませんし、個々の定休日など頭に入れておけません。
行き当たりばったり、「その時はその時」でかまいませんね。
ただ奥方には「間抜け」と罵られました。
時間も時間でしたから向かいませんでしたが、掛川花鳥園は前回からの彼のリクエスト・・・。
ひょっとすると月曜日は(休み?)・・・の件もありました。
しかしオヤジが二人で花鳥園というのは如何にも「気味が悪い」。それを毎度指摘されるもそれはそれで面白そう。
扨、表記は万葉集から一つ。橘寺で目にしたものです。
回廊跡の隣の建物前にありました。
勿論「そのお寺の坊さんの歌でしょうが・・・
万葉集に関する各サイト数多。
2026年
5月
11日
月
筋肉痛発生 相良勤番組の住まい
昨日も引き続き静波墓園へ。
以前と違って一気にやっつけようという感覚はナシ。
のんびりぼちぼち・・・
というのもそちらに到着するや否や左手の指先三本を切ったからです。
鋸と鋏を吊るすベルトの金具がほんの少々裂けていてそれを装着する際にやらかしたわけで。
出血して「なんだこりゃあ!!」と声をあげると、奥方も息子も完全無視を決め込んでいましたが、その声を聞いたか、お向いの家の奥様が駆けつけてくれて消毒液と絆創膏を。
嬉しき事測りなし。有り難い。
両腕に筋肉痛発生。お茶碗と箸、持つのにストレス。
作業はとりあえずこれから数日間放置することにします。
昼前に消防車が150号線を何度も何度も。
墓園は国道に近いためその通過はスグにわかります。
そしてまた忘れた頃に一台、また追いかけるように数台。
「こりゃあ火事だな~それも大き目の・・・」と3人で飲み物休憩をしていると地区の防災放送がありました。
いつもの「火災発生~」というもの。「やはりね」でしたが耳を澄ませば「場所は・・・」のあとに続けられたその地名を聞いてひっくり返りそうになりました。
「牧之原市波津」でしたからね。
静波にてそのサイレン多数を聞いていたのですが、それがまさかの地名でした。
現場は拙寺から南方に1㎞弱離れた150号線近くの民家でしたが大層な火災だったようです。
家主さんの件は存じ上げませんが気の毒なことです。
扨、矢村宣昭先生の続き。
徳川家直参旗本約15000が慶喜に続いて駿遠に赴き、今の駿遠の産業の基盤発展や庶民教育に尽力されたことは地元では有名なお話。
そして彼らは各地に分散していったわけですが、相良田沼藩が小久保に移ったあと、相良周辺に各々の希望、高らかに胸にして訪れた元の武士たちが「相良勤番組」613人といいます。
ここに相良勤番組職員録という史料、その住所地の記録がありますので概略適当に転記します。
相良地区 浜岡地区
波津村 26 萩間村 1 比木 3
徳村 2 中里村 1 下比木 2
福岡町 20 新庄村 4 池新田 1
相良 1 西新町 1 朝比奈 3
西山寺村1 菅ケ谷 11 横地 1
女神 1 平田村 7 川上 3
堀ノ内村2 落居村 4 堀内 1
市場町 8 法京村 2 高橋 1
東萩間 8 地頭方村4 月岡 1
中西村 1 東松本村1 新野 5
園村 8 鬼女新田1 そのうち寺12
須々木村13 横町 2
西萩間村4 大磯村 2 御前崎地区
海老江村4 白井村 2 白羽 6
大寄村 1 そのうち寺22 御前崎 3
須々木 1 上御前崎 1
笠名 1 他 1
東笠名 1 そのうち寺5
相良勤番組職員録とはいっても寺に居た事例など考えると仮の住まい「居候」を思います。
定住の例はあまり聞きませんね。
矢村先生の記述の他の人物は比木に来た勤番組の面々と。
2026年
5月
10日
日
説法師子吼は当流三誓偈 御衣黄桜と蓮華塚 橘寺
天気はバッチリ、よって3人で静波墓園へ向かいました。
ずっとサボっていた「宿題」の筆頭ですからね。
日頃ロクな管理をしていませんが草刈と周囲のカイズカの剪定そしてちょっとした測量を行いました。
以前大胆にバッサリやったために2本が立ち枯れしていましたのでチェーンソーも持参しました。
伐採してできた空間を埋めるために近くの店からソメイヨシノを購入、その季節は過ぎ去っていますので、不良在庫と化していることは見え見えです。
2m超えの株でしたが60%オフ、1000円以下で販売されていました。
お買い得だったことも嬉しかったですが来年の春、そしてその成長がまた楽しみになりました。
私の「春」の趣向は元は梅でした。
当地に来て紅梅・白梅に枝垂れ、そして挿木で増やした梅たちが4本(今は各私の身長ほどにまで成長しました(異種のロウバイは奥方の趣味)。
尚、毎年挿木はチャレンジしていますが、最近はウマくいっていません。あの4本同時に根付いた年は一体何だったのだろう・・・
その後、趣向はサクラに移り、早咲きもの二種に早咲きのミニサクラ(盆栽から地植え 今は2m以上)、ソメイヨシノに枝垂れ桜までいろいろ植えて、もはや境内にこれ以上植える場所はナシ。
よってその傾向は静波墓園に移ったのでした。
そして何より墓地の空間に一瞬間とはいえ花があることは清々しい。
できれば静波墓園にあと数本、何かを植えようかと思考中。
そちらに私が何を企んでいるかといえば、石屋さんには怒られますが墓石不要の墓地区画の整備です。
いわゆる「夫婦墓」「樹木葬」という括りになるのかわかりませんが、3人程度が収まる、小家族用の空間を提供しようかと。
世に「墓じまい」の流れがあり、その受け口となればまたヨシ。
大層な墓石を不要とするところ、支出は少なくなる筈です。
夜はブラタモリ(成城から喜多見の江戸氏)のあとはBSの縄文ミステリーを。
遺跡・ハカ・人骨・・・興味深く視聴させていただきました。縄文人は江戸期あたりの人たちよりマッチョ系?栄養豊富?という説は面白い。
扨、橘寺には蓮の花びらが空から降ったという伝承があります。聖徳太子が勝鬘経(「勝鬘師子吼一乗大方便方広経」)の講義(本尊の聖徳太子35歳の像が講堂-本堂-に)をした際、天から蓮の花が降り積もり塚となったという謂れ。
散華という紙製の花びらを撒くイベントのようなものがあり、また拙寺でもそれらを数枚まとめて御門徒さんへ配布したことがありましたが、その原型でしょう。
尚、「勝鬘師子吼」の「師子吼」の語ですが当流「三誓偈」(重誓偈)にも登場。それが・・・
「 為衆開法蔵 広施功徳宝 常於大衆中 説法師子吼 」
です。
「常に人々の中にあって 雄々しく仏法を説くぞ・・・」の場面ですが「要は張りの有る大きな声でガツンと法話」することの価値を言っているかと。
そして最近色々な場所でその姿を主張紹介されるようになった御衣黄桜(ギョイコウ)。
栽培品種で古来から存在するものではありませんね。
また、私は桜好きになったとはいうもののさすがにコレは無理。
私の固定されたお頭にはサクラの花のミドリ色というのはありえません。
最後の画像2つが拙寺の静波墓園。
新企画の墓域のスペースはそこそこあります。
半年辺りあとに完成できれば御の字。息子に管理してもらうことにします。
2026年
5月
09日
土
やはり分岐点スイッチを思う 聖徳太子黒駒 橘寺
ハッキリしない天気。
朝から借りてきた古めの書籍を捲る前に、虫干しのため境内のベンチに並べていたわけですが、次第に日照はなくなり空は雲に覆われいかにも怪しい気配。
雨に降られたら・・・と思いながら冷や冷やしていましたが、携帯に「降るよ」のメッセージ。
慌ててそれらを引っ込めに出た次第。その後ポツポツとはきましたが。
それから日の高いうちはずっと同じ空。陽差しが出てきたのは日没前でしたね。
夕方、西日があたって庫裏の気温は急上昇。天井近くの気温計は29℃にもなっていました。
この湿気と高温には閉口させられますが、いよいよエアコンの心配をしなくてはなりません。
しばらく稼働していなかったそのフィルター等の掃除です。
面倒な仕事。昨年は居間のそれは業者に依頼しましたが、自分で行うことには限界を感じますし何しろ面倒くさい。
かといって我らはトコトン埃に弱い。
前回、古文書系の品を紐といたのが約1カ月前ですが、咳は収まったものの体調不良が継続しています。
別のところからくるそれかも知れませんが・・・
この日は一気に肌寒く感じるまで気温が下降、風まで強く吹き出してトレーナーを着込みました。油断も隙もありゃしない・・・
先般お聞きした大動脈解離で入院された方の件。
対応が早かったせいで命拾いをされたという事案ですが、大抵のその病の場合「いきなり致命的」を連想しますので、何とか助かった・・・となれば「それは良かった」とその幸運を歓ぶわけです。しかしその病は一筋縄には行かないよう。
入院後すぐに脳梗塞をおこしたそうです。
そのメカニズムは偶然ではなく、「普通にある」とのこと。
気持ちとしては早い回復を願うことは一義ですが、私はその脳梗塞の発症について、かなりの苦難(父の昏睡)の存在を承知していますので、ただ口をつぐむばかりでした。
それは何時も頭の中に置いている「私の死に方」の一つでありその苦痛(自身は勿論、特に家族へ)は未来への人生行脚に役だことは一つもない。最も警戒すべき病と心得ています。
それには食生活が肝心であること偏に承知していますが・・・
まぁ、あのピタゴラスイッチの如く、私にはその予想すらできませんね。耐えがたい無常ですがそれもご縁か・・・
昨晩の「ドキュメント72時間」は笠松競馬場。
てっきりバクチ場の勝負へのこだわり、欲望渦巻く場と思いきや、案外と馬そのものを応援、愛する人たちが集まっていて、ほんわかとさせられました。
私は学生時代に新宿だったか場外馬券場に友人に引率されうろついたことがありますがバクチ物もまた他と同様、滅法弱くていい思い出はありませんね。何しろ人多すぎ。
ご門徒さんの中で、馬好きの方がいて「オレの法名には馬の字を入れてくれ」と。
その方の葬儀のことを考えますが、その法名の命名は「当人のリクエストです」と言い訳をする必要がありますね。
またその「馬」にあわせる文字も指定されていて当方としてはラクではありますが。
もっともその方は私よりも若い方でしす。
息子にもそれを伝えておかなくては。
扨、画像は橘寺講堂の前にその存在を主張する馬の像。
聖徳太子の愛馬という「黒駒」です。
たくさんの伝承が積み重なっているよう。
2026年
5月
08日
金
付録に「嶋記録」 「近江浅井氏」小和田哲男先生
まずまずの天気で暖かめ。
比木地区の元庄屋のお宅にお邪魔しました。
何度かそちらで色々な品を拝見させていただいています。
歴史のある家からはとにかく興味深い品が出てくるものです。
それらに出逢うことの楽しみ、いよいよ深みにハマっている自分がいます。
日没後、庫裏の蒸し暑さを感じて気温計を見ると27℃にまでなっていました。
昨日ブログでは「そろそろ害虫が・・・」とその準備が遅れていることを記していましたが、またしてもその用意について失念していました。
というよりも疲労度が激しく帰宅後は「さぁ」という具合に動く気になれませんでしたね。
扨、前回の大河ドラマの演出に相当の違和感があり一瞬固まってしまったくらいでした。それは、お市をあまりにも悲しくも、凛々しく生きる戦国の女として描きたかったようですが、「ちょっとね~」の感。
それ以前も「金ヶ崎の退き口」にて記しましたが、ドラマではまだその件、さも史実の如く「やってるの?」との思いが。
それが例の小豆の小話。お市が兄に「袋のネズミ」を連想させい「逃げて~」を伝えるものです。
そもそも秀吉の演出も奇異このうえなく、ため息をつきながら・・・でしたが先日は腹を切った長政を介錯するなどの新解釈。
「んな、ワケねえだろう」ですが人のイイ視聴者は「そうだったのか~」とそれを史実として合点してしまうでしょうね。
ドラマですから「何やってもイイ」との理はわからないではありませんが、ちっとばかしその辺りに親しんでいる私どもからは
「戦国ダイジェスト漫画」を供されているような気も。
本願寺顕如との11年を視聴してから考えることにしましょう。
扨それらとはまったく関係がないことですが、私は好みの地、近江行脚から、かつて「これは」という書籍を入手し、適宜ぺらぺらっと捲っています。
それが小和田先生が昭和48年に出したズバリ「近江浅井氏」です。
守護名門の京極、六角の両佐々木家の内訌、決して一枚岩となり切れない土壌の中からそれを利しつつ成長して戦国大名化するも結局はその土豪たちの日和見(我執-昨日)を慣例とするが如くの「土壌」は往々に戦国の領国経営を破綻させてしまうというところ。
その書の「家臣団構成」の「国人と土豪」~の記述は特に興味深いものがあります。
そして巻末、あの近江今井頻出の「嶋記録」全文は価値あるコレクションになっています。あの「江州佐々木南北諸士帳」も。
何もその土豪たちの日和見我執からくる「家」の存続の欲求、下剋上が近江に限定されることではありませんが、比較的国人領主と土豪たちの関係が当初の紛争数多の時間が醸成し固く安定化し保ったのが三河だったのでしょうね。
まぁ私なりの感覚で言えば領主と土豪、家臣団との信頼関係、WinWinで相互に補完しあいながら成長していこうというものだったのかも。
そういう意味では本願寺という特異な形態で反権力、自由を標榜した当真宗一流が今も継続できているのはその理由なのかも知れません。
「決して裏切らない」信頼関係です。
④図は小谷城(または または または または または または)の図。城郭大系からです。
そして浅井三代。
2026年
5月
07日
木
善悪二面の心 二面石 地獄とは我執に他なりません
朝からまともに青空を仰ぎ見ることはできませんでした。
肌寒く、また午後からは雨まで。
例年は連休最終日のお参りは少ないもの。
朝から外仕事はせず別件、無い頭を巡らせながらだらだらと過ごしました。
大切な恒例作業の準備を怠っていたことに気づきました。
この地区で毎年5月に入ってスグ、ちょうど今頃と言えばシロアリの羽化が始まります。
大量の羽化は大抵、周囲のスズメたちの大喜びの声で知らせてくれますが現状それは見受けられません。それとも私の感覚がボケたのか。
シロアリの羽化の頃、発生元の点検目視が必要で、明らかに場所が特定できたら殺虫剤を土壌に散布したうえ、生石灰をバラ撒き、気休めではありますが、堂内の空間と小屋裏にバルサンというのが毎年の仕事。
それによってシロアリ以外の害虫、特にキクイムシの発生防除を期待しています。まぁ気休めかも知れませんがね。
彼らの習性やら繁栄のメカニズムについて未知なところがあって何がベストな対処法なのかいわゆる闇雲の部類。
今年のシロアリ乱舞は5/8の「晴れ」あたりを予想します。
扨、先日は「こころの時代」を視聴しました。
「ファンタジーに秘められた宗教 」今回は『蜘蛛の糸』でした。どなたも知っている芥川龍之介のメジャータイトルですが本来この作品は児童文学。よってファンタジー。
とはいえ内容は深いものがあります。勿論強い宗教観を憶えます。
強い「我執」(自分こそ愛おしい)というものの出現と「善と悪」(心の闇)がテーマです(再放送もあるよう・・・ → )。
善悪の問答といえば当流親鸞さんを思うわけですが、案の定、歎異抄の紹介がありました。またポール・ケーラスや鈴木大拙も登場。
以前拙ブロクでは夏目漱石の「こころ」で人の善悪について記しましたが、これら文豪の「人」というものの内面、本性の二面というか大きなテーマについて記しておかなくては・・・という意気を感じます。
なぜならばそれをさておいて、別の事には進めないからですね。
まずは「私のこころ」を「見つめてみよ・・・」。
画像は昨日の橘寺の続き。二面石。
どちらが裏なのか表なのか果たして・・・
2026年
5月
06日
水
橘寺如意輪堂 栴檀は双葉より芳し ピタゴラスイッチ
今年一番と思わせるような天気に恵まれました。
何せこれまでがあまりにもわろき天候続きで。
おかげさまで朝から本堂工作の続きと植木鉢の整理をしたりのんびりと過ごしました。トレーナーを着用したのは朝の数分だけ。動けば半袖でまったくOK。
しかし日が陰ったり時より南寄りの強めの風が吹きだすと「やはり油断がならない」になりました。
午後遅くからは史料館長谷川氏と田沼家所縁の刀剣関係で活動された市のご担当の方たちがお客人たちを連れて拙寺本堂へ。
いつもと違うところは会館に波さんの着物をテーブル上に用意していたこと。これは長谷川氏からのリクエスト。
掛け軸と一緒でたまには出してあげたいものでした。
薬剤を入れて再び暗所に片づけることにします。
ちなみにその薬剤とは「エコノミュアFTプレート」なる商品名で、まぁ一般的ではない「プロ用」といわれているものですがお高い。
尚、長谷川氏は以前のあの大名装束にて史料館から徒歩で来られて案内していました。
テレビ小僧の私は「こりゃ面白そうだ」と思わせるもの以外は
ただスイッチをONにして流しているだけ。
そして基本はCM垂れ流しの局、怒ったり騒いだり、歌のシーンなどには耐えきれずにチャンネルチェンジはします。
気に食わなかったらOFFにすればイイだけですからね。当方に与えられた特権です。
ひと昔前に「NHKを×××」などと理解不能意味不明の御託を並べてバッシング、他のライバルたちへの誹謗中傷の挙句、その世界から消えた御仁がいましたが、そのチャンネルたち(BS含む)がもし無くなっていたとしたら、私の場合、テレビ不要になります。
三択になりますのでEテレに合わせる頻度が高くなりますが、この番組のあのコーナーを見ていると一つ思うところがあります。
それが「ピタゴラスイッチ」の「装置」。
こうやって、またこうやって、ああしてこうしてこうなる・・・というもの。
おそらくその企画と撮影に膨大な労力がかかっていることを思いますが、これはあくまでも人間がある結末を想定して製作した装置です。
それを見ていると私はその装置が人の人生のようにも思えてなりません。
人為、はたまた神慮か仏によるありのままか偶然か、目に見えない何かが計略して作ったような「装置」によって最悪(最良)の結末を迎える・・・などと。
時に各岐路への遭遇に「タイミング」の良し悪しで語ることがありますが・・・
日常のちょっとた失敗から信じられないような大事故までそれら遭遇には数々の岐路(装置)があって、何故かその結末に導かれてしまうのかも知れないという不思議。
「こんなんなっちゃった~」と笑って誤魔化せられればまぁヨシ。しかしその結果が最悪の結末だったら・・・などなどいろいろ考えます。
こうしてああして・・・の途中、どこかの段階でその「タイミング」やら岐路となるかもしれない「私の行動」を止めることができないものか・・・も。
私はその日常に隠れている「スイッチ」を恐ろしく感じているのですがそればかり考えていれば何もできません。
病や車の事故等もすべてはその「スイッチ」の因果の連続でしょう。
その装置に抗うために、私は自分の行動に少しばかり抑揚をつけてタイミングをズラしたりします。くだらないとは思いますが・・・
事故やリスク、病の主体は私です。
「本日の行動予定」がもしやその「装置」に組まれていたりしたら・・・など考えてしまいますので、私はしばしば予定というものを天候やその時の気分によってぷいっという具合にナシにしたりします。
またはトイレに行ったり、予定とは違う別の些細なことに気を配ったり、わざとその初めの「予定」としてあったとしてもタイミングをズラすというか自分なりの手心を入れるのです。
「誰か」が作ったその装置が完遂できないように。
その「こうなれば、ああなる・・・」など、どちらの皆さんもそれを思うことはあるのでは・・・それとも私のお頭はイカれているの?
その発想は「歩く不注意」でもある私の保身術でもありますがね。
扨、先日の橘寺。親鸞さんの像の先に如意輪堂があります。
私は仏像の美というものを考えるに(当流阿弥陀如来立像を除いて)一番に美的感覚を刺激されるのは如意輪観音です。運慶の大日如来もいいですが・・・
石山寺の如意輪観音前立や百済寺に三井寺、室生寺、岡寺などなど。
そちらのお堂にも勿論如意輪観音が。
平安時代末期の作と明日香の橘寺としては新し目を思う仏像ですが百済寺のそちらと比べてかなりデカイ。
丈六(坐像ですから2.4m)とは言いませんがサイズは173cmもありますからね。
その堂の前に立つのが栴檀。
こちらは白檀と混同するようですが当地萩間川右岸に見えるセンダンのこと?
私はお香といえば白檀の香りは好みではなく沈香を所望しますが、その栴檀には看板の通り諺がありますね。
それが「栴檀は双葉より芳し」です。
その語もあまり好きな語ではありませんね。
なぜならば人生は複雑な「スイッチ」の連続によって人生の駒が進む?わけですから、子供のうちから終末まで一生の間、「輝き続け」られるはずなどありえません。子供はみんなおなじ。
まぁそのスイッチのことを仏教では「縁」といいますが・・・
何しろ将来の事、これから数分、数秒後のことでさえ、知り得ません。
「ああしてこうして」の左右分岐の因果により変わってしまう極めて動的な道のりなのですから。
私の予定も決まっていることなど一つもない。
2026年
5月
05日
火
工作 自立掛軸スタンド 教行信証より
昨日は30名弱の参列がある法縁。
予報では昼頃まで雨が残るとのことでしたが、時間前にはすっかりと雨はあがっていました。
数日前の法縁にはストーブを出していましたが、昨日の堂内気温はまるで夏。まさか扇風機?と思わせられる激変に身体の方が付いて行けない・・・
墓参後会館でのお斎がありました。よって前日から会館の机等のセッティングをしていたわけで。
その際、殺風景だった入口の突き当りの壁に掛軸をと思考。
壁に穴を空けることを嫌う奥方に配慮して自立型のスタンドを製作しました。
手っ取り早くラティスの既製スタンド(700円代)と220㎝に切った木材で完成。勿論スタンドには転倒とバランスを考慮して台座を拡張させました。
台座はもう少々長くした方が安定性が増しますので追加で製作する際はそこのところも配慮して。
先日は7本掛けることができるそれを作ったことを記しましたがこれで+2。
しかしこの軸は「掛けっぱなし」にします。
というのは写真印刷による掛軸だからですね。
父が購入したものですが、さすが新しもの好きを思います。
中身は古典であっても要はコピーですからね。
ずっと応接間の棚上で邪魔物扱いされていましたがおそらく購入以来掛けられたことが無かった代物。
このようにして人の目にする場所に掛けてあげればその本来の目的は達成できるでしょう。
しかし何人かに紹介しましたが、「さっぱりわからない」とただそれだけ。
そこに掛けられている「何か」を見て「それなり」を感じてお帰りになりました。
またある方が「この寺にはお宝がたくさんある」と仰っていましたが、このように偽物、まがい物とはいえませんが複写品ですので骨董品としての価値はゼロです。
掛軸でも今の技術で印刷されてしまえばなかなか素人には判別できませんね。
こちらは親鸞さんのことば(教行信証)を蓮如さんが記したものといわれていますので当流所縁の詞であることは確かですが。
① おおよそ大小聖人 一切善人
本願の嘉号をもって
己が善根とするがゆえに
信を生ずることあたわず
仏智を了らず
かの因を建立せることを
了知することあたわざるがゆえに
報土に入ることなきなり
教行信証・化身土巻
③ 誠に知りぬ 悲しきかな 愚禿鸞
愛欲の広海に沈没し
名利の太山に迷惑して
定聚の数に入ることを喜ばず
真証の証に近づくことを
快しまざることを
恥ずべし 傷むべし
教行信証・信巻
2026年
5月
04日
月
先達の知恵大成を弄ること正気の沙汰じゃない 白隠
朝から大工仕事。一日気持ちのイイ晴れ間を期待したものの雲が溢れ出て来て外仕事は気が気ではありませんでした。
夕方、再び長尺木材を仕入れに店へ向かおうと思った瞬間ポツポツと来てそれは中止にしました。再び天候不順の報せ。
奥方からは「BSが映らない」とクレームが入りましたのでそちらの対応を。
これは前日の長めの強風の時間を経てアンテナが動いたためですね。
10㎜のレンチと携帯電話を持って屋根のアンテナ修正へ。
携帯電話はテレビ前に待機する奥方に受像状況を送ってもらうためです。
気分転換レベル、楽勝の仕事でした。時と場合によりますが、てんで映らないこともあって苦慮させられますが今回はラッキーでした。
夜間は日曜美術館のダリ再々放送に引き続いて「HIMARI」と「天才」の番組を。大河ドラマはBSで6時からさらっとです。
それは戦国期の歴史事件ピックアップの番組の感、退場間近か。
特に後者の天才には溜息しか出ませんが、ベルリンフィルとの共演のあと、スジ金入の音楽通と思しき人が「あれを演奏するなんて正気の沙汰じゃない!!」の呆然。その語につきますね。
やはりその活動の場所は日本にはありません。
私はこのちっぽけな日本に居る他はありませんので世界のプロたちの中を渡り歩く少女にはそれだけでも敬服します。
昨日ブログで白隠の書画について記したところ継承者不在に陥って西尾順成寺の運営を再起動させた竹内重夫氏よりコメントをいただきました。
ここのところ私は西尾はじめ三河方面から遠ざかっていて気持ちとしてはそちらを歩きたいとは思うもののなかなか踏ん切りがつきません。何よりも遠い昔の縁者の墓参を兼ねてですが。
その便りに尻を叩かれたような思いがしました。
扨、その白隠ですが、駿河では超が付くほどに名声ある坊さん。
何故にしてそれほどの人気があったかと言えば、偉く、気高い坊主になることを拒絶して、生涯歩き回って大名クラスから貧しき人々にまで自由に平等にその教えを説いたといいます。
よってその書も丸みを帯びた奔放さが感じられます。
私の如く凡人にはわかりえないところも。
ただし③はまさにその通り・・・
①猿と亀
こちらのほうの松じやわひ
肝を鳶めがさらひ
おらねば好ひが
きづかひな物じや
②鏡月
③壽
長生きは よひね
朝をき きれいずき
食をひかへて しょくをひかへよ
憲法記念日に思ったこと。
人殺しを公然とできるようにすること、また民の自由を抑制することができるその改変、イヤですね。
自由に振る舞えるのは為政者だけにするというものですし。
人殺しをしてはイケないということは時代観ではなく普遍なのですから(無量寿経 「兵戈無用」 こちらも )。
2026年
5月
03日
日
会館に掛軸の虫干しスペース 修復済直近2件
雨は上がってスカっと晴れ渡ったのでしたが前夜からの強風は収まらずにずっと吹きまくっていました。
本堂内は肌寒く、幼子もいたことから石油ストーブを1台だけ稼働させました。
天気予報は「静岡29℃」などと突飛な数字を出していましたがそのような体感はありませんでしたね。
最近の予報はあまりアテになりません。
昨日ブログでは三舟の偽物について記していましたが、以前もその手のことを記していました(こちら)。1日100枚泥舟なんて彼に聞かせたら興味も失せるかも知れませんね。
午後からは材木加工とそのセッティング。
たくさんの掛軸たちの虫干しするための場の製作です。
当家の軸は箱入り、箱なしそのままと掛軸の状態はさまざまですが、その名(虫干し)の通り新鮮な空気に触れさせることによってシミなどの害虫の発生をくいとめること、カビの発生を防ぐこと、表具の糊等の劣化によるシミ、ヤケを防止すること、巻癖が付きにくくすることなど掛軸保存には必須です。一年に一回晴れの日が続く頃に行うのがベストですが、それがなかなかやりきれない。
祖父以前(父の代にそれは見た事もありませんでした)にはその手の仕事は報恩講前に吊るしてその法縁が終わった後に引き上げるというのが恒例だったようですが、1週間もそれを掛けたあと、片づける際、「2~3本無くなっていた」年もあったといいます。
昔の報恩講は数日間続き、遠方の方たちは本堂で寝起きしていましたし、当時は当流は勿論、他流の僧も多く招いていました。
また、その手の雑務(軸掛け)は自らの手で行わず人任せだったことが原因でしょうね。無くなっていたことに気づくのが一年後とか・・・要は管理がテキトーだったということですが、私がショックだったのは当家宝物として存在しているはずの物が実際に今は「無い」という現実。
その一つが白隠の軸ですね。
人気の臨済宗の僧で、何故にして拙寺にあったのかは不思議ですが・・・。当時は勿論画像として修めることなどできませんから目にすることはできません。今更ながら悔やまれるところです。
ということで本堂に1週間程度掛けておくことはやはり無謀としかいいようのないでしょう。
不特定多数のお参りを拒まない本堂に掛け続けることなどはもはや無理。
ということで施錠ができる会館1階で・・・という発想になるわけですが、壁にフックの穴を開けることに奥方からの許諾を得ることはできませんでした。
当初から会館でその為のフックを装着していた場所は正面の内陣のみで、周囲の壁にそれを掛けることなどの考えは浮かびもしませんでした。大工さんにちょこっと依頼しておけば・・・
今回の私のその課題克服のための準備と労力は大したことではありませんでした。
2本の木材を天井下部に沿わせて下から突っ張り棒(3本)で支えるだけ。その木材にフックを装着してそれでおしまいです。
静電気や埃で壁や天井が変色することもありましょうが、まぁ「穴を空けるな」のミッションは達成したのでした。
これで現状7本を並べて掛けられるようになったはず。
7本を掛けたことはまだありませんが重量は耐えうるはずです。
画像は修理したての1本を掛けたところ。
東本願寺法主の歓喜光院乗如。その手の軸6本のうち、もっとも損傷の激しい物でした。
他者からいえば無価値といわれても仕方のない品でしょうが、当家祐厳が願主とあって、その人の気持ちを考えればそのままゴミ同然に扱ってしまうのは無念なことです。
ご存知の通り掛軸の修復は高くつきます。
あの地元の刀剣研ぎ師件八幡さん宮司の中村氏が仰るには「そういう職種の方を大事にしなくてはならない」と。言い換えればその技術は日本の文化を支える屋台骨。
その仕事に就く人はどんどん少なくなっているといいます。
そしてあと一つは額装に変更した浅草御坊御遷仏法要図。
私自身にとっても深いご縁のあるお寺ですし。
そういえば以前も記したことがありましたが、そこでの授業(夜学 真宗学、正信偈購読等)にも「奥の墓道」氏が私の隣で聴講したことがありました。
たしか午前中は昼間の学校で大講義室の法学とフランス語の授業でした。今思えば爆笑です。
2026年
5月
02日
土
藤枝の書家 小野鐧之助(鵞堂) 大域は1000枚/日
朝から雨。
天気予報も昼にかけて酷くなると言いますので本堂は閉めきりにしていました。雨天にお参りに来られる方は僅少ですが、その件は少しばかり後ろめたさがありました。
昼すぎから日が出たり曇ったり、そしてまた雨が降ったり・・・
夕刻前には雷雨まで。そして22過ぎには収まりつつありましたが風も吹きまくっていて、まったく「おぞい」一日でした。
午後は新たに湧き出た一課題のチャレンジのため、材木等の購入に走りました。たまたまその時間帯は降られずに済みましたので超ラッキー。低気圧が通過したとはいえ、頭痛の名残りがあって宿題は後回しにしました。
先日の三舟の書にハマりだしたご門徒さんの「泥舟の生き方が好き」と高橋泥舟の書を探索されていることを記しましたが、真贋に拘ることは当然でしょう。悩んでいました。
勝海舟の真筆ならばここのところの鑑定団放映にて鑑定人の増田氏が続けざまに80万円の値をつけていましたが、まったく素人目には判定不可能。
よって大いに偽物を掴まされることは覚悟しなくてはならないことも彼には伝えています。
とにかく筆一本でその「個」の唯一無二の美術品が出来上がってしまうわけで真筆であっても多数の書が世に出回るわけですね。その品々を見た、腕、否、筆に覚えのある人たちが模倣、丁寧に落款まで似せて作って売り捌くなど普通にあったこと。
一昔前にはそういった書画を売り歩く人がおカネのありそうな家に突然現れたという話も聞きますからね。
大抵はインチキなのでしょう。
史料館の長谷川氏が近隣某質店に大量の三舟の書が持ち込まれている形跡を確認したとも仰っていました。
三舟の名声は高く、当時から人気がありましたからね。
特に鉄舟などは豪快な男で、偽書上手の者に落款一式を渡して書かせたといいますので恐ろしい。
よって「三舟があります」と胸を張って言われてもまずは眉唾、笑って返すだけ。
ちなみに拙寺縁戚にあたる書家成瀬大域はその名が出てから一日1000枚を目標に書いた時期があったといいます。
彼の場合は酒代、宿代、投資のためではなく廃仏毀釈で傷んだ寺社復興のための資金に充てたといいますが。
まぁ大域の場合は三舟ほどに名を轟かしたというわけではありませんので、さすがに偽物を書こうなどという人はそうは出なかったでしょう。
駿州藤枝出身、田中城本多家家臣、小野清右衛門の子の小野鵞堂
はその成瀬大域に就いて書を究めたといいます。地元でも「知る人ぞ知る」書家。
維新後本多家の国替えと廃藩置県によって東京で活動することになりますが小野家は代々藤枝蓮生寺門徒で、遺作の数点がそちらに遺されています。
①潜心観道妙 丁巳初秋書於二柳屋 鵞堂
②性海澄渟 大正六年丁巳八月中浣書 鵞堂
③鍾得秀霊気 築成東海湾 天工霊于此 不復出山名
録雲嶺先生詩 鵞堂
為書き&年号が記されているものは真筆度合いを計れます。
ただし為書きの書を第三者が持っていてもね~。
2026年
5月
01日
金
勝順(おじゅん)と母信子の墓 蓮永寺
天気予報では雨は午後からとのことでしたが、朝からぽつぽつ。それからずっとそのままうすら寒かった一日。
よって朝からちょっとした大工仕事を済ませてから自宅待機。
気温低下と低気圧の進行からか久しぶりに本格的な頭痛がありました。ヤル気なしですね。
夕刻になってやっと鎮痛剤を服用して床に。
鎮痛剤で快癒できればありがたいものです。
その頭痛に耐えている時、先日境内でお会いした方を思い出しました。慢性偏頭痛によって仕事を辞めてしまった方です。
医療機関まで出向いてそれ用の注射をしてもらって何とか・・・「維持」といいますからね。
この私の痛みの数倍をそれも毎日のように耐えること・・・やはり「すべてを放棄したく」もなりましょう。
その体調を配慮してくれそうな仕事に就こうと先般某所に面接に出向いたそうでしたが、結局は自身からお断りしてしまったと。少々気持ちがその方に向いていますが、私から余計なことを申しても詮無きことですので、良き方向への進展を期待しつつ「また遊びに来て~」と。
人それぞれ色々な病に難題を抱えてもがきながら生きているのです。私の泣き言など・・・
扨、昨日のお万の方供養塔のある静岡蓮永寺(場所はこちら)の墓域。勝麟太郎の母と妹の墓があります。
幕末の動乱の中、血気盛んな男たちに囲まれて我が道を歩んだ?海舟の妹、おじゅんに興味が湧きますね。
寺は駿府城鬼門の沓谷(お寺がたくさん)に位置していますが静岡中心部に近く、利便性に長けた住宅地。
そちらに広大な敷地と凛々しき本堂・・・
さすが家康側室お万の方の後援があった寺を感じます。
2026年
4月
30日
木
お万の方供養塔 蓮永寺 静岡新聞社「書と人」
午前中は晴れて暖か目の微風。
本堂内の空気は外気より数度低く感じましたが許容範囲。
法縁には遠くは筑波から来られた方たちがいらっしゃいました。
久しぶりにのんびりされるのかと思いきやこのあとスグに取って返すとのこと。次の日も地元で仕事を控えているといいます。
普段は車を利用されているそうですが「さすがにこの長距離はキツイ・・・」と電車とバスを乗り継いでの来訪だったようです。
しかしそのキツさは私も推測できるところ。
法縁後現れたのが歴史好きのご門徒さん。
最近は書画に傾注しているようで先日まで「勝海舟」の名を連呼していましたが、この日は「やはり泥舟」とその心変わりを吐露していました。
要は彼らの記した書を「所望したい」というところですが、私は来年の大河ドラマで勝海舟はブレークするやも知れず、どちらかと言ったら「海舟でしょ・・・」。
ところが心は一つ、あくまでも泥舟の書への気持ちは既に固まっていました。彼の生き方が素敵であると。
となると真贋を判定する目を養うことになりますが、何事も多くの時間を要しますので、とにかく真贋関わらずネットからでも購入してみればれば・・・とかなり投げやりなアドバイス。「騙されちゃいなさい・・・」
まぁその際は一応は落款印等の比較判定について経験を重ねること、できればその書に年号、月日など記されていれば尚可と。
拙寺にある泥舟は2点ありますが両方とも他からの頂き物。
こちらとこちらになります。それらを参考にしていただきました。
彼は先ずは、ということで静岡新聞社が出した「書と人」を購入しています。その件、承知していましたが昨日はその図録を庫裏に持参されました。
私も興味のない世界ではありませんのでペラペラっと。
すると「へ~え」と思わせられるものがたくさん掲載されていましたが特にあまり見る機会がなさそうな書がありました。
それがお万の方のもの。法名養珠院。通称蔭山殿。元は父親の関わりで北条時代の小田原にいたようです。
家康の側室で徳川頼宣(紀州徳川の祖)、徳川頼房(水戸徳川の祖)の母で、静岡市内(沓谷)では蓮永寺の有徳人としてその寺の創建に関わっています。
よってそのお寺の墓域には彼女の大きな供養塔が建てられているのです。
江戸で亡くなって遺骸は池上本門寺に葬られていて他所にも供養塔の類が建てられていますが。
供養塔は江戸期以降の五輪塔形式。
お寺にはこちらの書のほか家康から贈られた桃山時代の漆器等の遺品があるとのこと。
「するがの国長ぬまにて上田
百石きしんせしむる物也
げん和四年卯月一日 やうしゅ院
みまつ れんゑい寺」
2026年
4月
29日
水
かたじけ茄子 夏のこども本願寺 教如の初公開文書
晴れました。
この時節晴れて時間があれば誘惑に襲われます。
最近は晴れるのかグズルのか、あまり天気予報がアテになりません。ガチっとハッキリした晴れ間が欲しいものですが、これからの連休中は雨が多いとの予想です。
私の昨日は朝からの青空を見て「ここは一つ日帰りで岐阜」行脚を考えましたが結局もじもじしたあと、それはヤメにしました。
29日には法縁の予定がありましたので無理は禁物です。
目的地は1つですが、その地に行けば欲というものが大いに出てきますからね。
実は一昨日の月曜日に「そうだ岐阜へ行こう」などと思いついたのでしたが、危ないあぶない、その月曜日と言えばその目標の地、博物館は休館日でした。月曜日の罠ですね。
土日に気合を入れて法縁をやり遂げ「さあ、さあ~」とばかりについ浮かれてしまうわけで。
その目的地が岐阜は関市の岐阜県博物館。
4/24の中日新聞にて「教如の書状初公開」と報道されていました。内容は「織田信長はとんでもないヤツ」風のもの⑤。
天正10年6月の例の件について、明智の背後にいた者たちの謎めいた動きと各推測、数ある中、以前より少なからず本願寺も関わっていたのだろうというのが私の思うところですが(→善永寺)そんな中教如が信長をボロクソ非難しているという文書が出たとなれば目にしたくなるのは当然です。
一応真贋に関しても古文書の権威増田氏(日本書跡史)の評価を得ているようで、私のような考えを持つような者を喜ばすために後世作られた偽物ではないことは確かでとょう。
また機会があれば立ち寄ってみたいですね。
今になってもこのような書面がひょいっと顔を出してくるのでした。
私の生きている間にもまだまだあるような気がします。
あの事件で今現在、一番に「仕合わせ」を享受しているのは何を隠そう「私ども」なのでした。
これからの将来はわかりませんが、まぁ一応・・・
秀吉一派の一瞬、続く徳川15代も永劫継続が不可能でした。
本願寺は一時は滅亡寸前の「ギリ」まで追い込まれていたことを考えれば驚異的な生き残り。
野球で言えば9回ウラ2アウトから起死回生の逆転満塁ホームランみたいなものなのです。
それがタダの偶然だったなどとは思えません。
昨日午前も境内仕事少々。正面障子の端、下部に爪が掛けられないようネコストップ用に木材を加工して装着。
しばらくして見に行けば既に突破されたあとでした。
私の仕事とは、まさにそんなもの。爪がかからない素材を見つけなくては。
その際、史料館の長谷川氏から特別展のちらしが届けられました①②。しかしその「史料館の」は厳密にいえば「教育文化部 社会教育課」の「文化振興係長」。
新しい名刺をいただきました。
ただしそのような長い部署と役職、私には覚えられません。
これまで通り「史料館の」で。
③④は本山の夏休みの子供向けイベントのお誘い。
お寺に泊まるなど子供にとっては新鮮でしょうね。
拙寺ではムリかな?
⑤が教如の文書。中日新聞から。
2026年
4月
28日
火
橘寺「仏頭山上宮皇院菩提寺」に親鸞さんが
朝は雨。また一日棒に振るかと思いきや、徐々に天気は回復。
境内に出て先日来用意していた竹を片付けて―竹の使用はしないことにしました―違う仕事にとりかかりました。
お参りに来られた御門徒さんから「何をしてるの?」など聞かれますが、胸を張ってこれだ、といえるような仕事ではありませんので、「いつもの悪戯ごとです~」と。
毎度自分自身行き当たりばったりの錯乱のお頭で動いていますので「何?」と問われても「そんなところ」なのです。
またその「錯乱」は今、静波墓園をどう活用するかの件、一大テーマとして、ずっと「あーでもない、こーでもない」とばかりにお絵描きをしているところ。
「へ~え」と「そんなところ」と納得したのが別の御門徒さん家族のお参りでのお話。
今は兵庫県に住まわれていますが実家がある千葉に行く途中にお参りに立ち寄られたところでした。
聞けば「GWですよ~」でした。
一瞬間「えっ? まさか・・・」、そんな季節になっていたとは思いも知らず。
ただの月曜日としか思いませんでしたからね。
季節感の無い私ですし、そもそもその言葉の響きとお楽しみとはまったく縁がありませんので致し方なしか・・・
扨、橘寺の料金所通過。
このお寺の名「橘寺」というのは通称。
正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」ですからね。通称のシンプルさとは大違いです。
入ってスグ左側に見覚えのあるシルエットが目に飛び込んできます。
さすが聖徳太子繋がりで御開祖の銅像が。
そういえば四天王寺法にも。
真宗寺院には聖徳太子はつきものですがこれほどの古刹にそれがあるとは嬉しいものです。
拙ブログでも聖徳太子については多数記していました。
左下サイトマップを開いて「Ctrl」+「F」、「聖徳太子」で。
2026年
4月
27日
月
川本月下の梅と伊佐新次郎扁額 「相州大庭城主」
昨日の法縁は海岸のイベントの賑やかさが風にのって終始、聞こえていました。かといって距離がありますので騒がしさというものは感じません。
それが相良海岸の恒例行事さがら草競馬でした。
どういう状況にあったのかまったく知る由がありませんが、150号線のコンビニ店主が言うには「おかげさまでかなりの繁忙」とのことでした。
お天気に恵まれてどちらさまも大いに楽しめたよう。
馬には少しばかり気の毒を思いますが・・・
法縁の施主ほかその義弟の方の仕事はトラックの配送業務とのこと。トラックの運転ともなればとびっきりハードとの印象から私から質問各種。
例の「4時間ルール」 (運転手が4時間以上連続して運転することを制限。その時間経過前に30分以上の休憩を取ることを義務付ける規則)が厳しく言われるようになった今、どんなものかを聞いてみたかったのでした。
運転手のなり手不在の中、「管理を厳しくする」その規制は「安全運航を求めたい」行政の姿勢としては理解できるものの、いつものちぐはぐさを感じます。
高速道路主体となる長距離輸送でのそのルール順守はかなりハードルが高いようです。
何せ日々走行している貨物輸送車両の数とパーキングエリアの駐車スペースの数が10倍ほどの差があるよう。
要は4時間走って「満車ばかりでどこで休憩すればいいの?」という大矛盾。
停める場所が無いということですが、あちこちで見かけるパーキングエリアの大型車によるはみ出し駐車や、合流車線等の違法駐車についてどなたも見かけているのではないでしょうか。
それの方が一般車にとっては危険。
一昔前ならば単純にタコメーター(運行管理者に毎度提出する走行記録)を「適当にいじっちゃえば?」でゴマ化せたそうですが、今は「デジタコ」(デジタルタコグラフ)が導入されてより厳密化しているよう。
ハイテクトラックは背面ハッチの開閉の時間まで記録、居眠り等で運転手の挙動がおかしいと認識すればアラームが鳴り響くまでになっているとのことです。要はAIカメラが運転手を常時監視しているということ。
先般はスマホの「ながら事案」(伊勢道トンネル追突事故)がありましたが、「ながらスマホ」についてアラームを発するタイプも出てきそう。
安全管理の名のもとにそこまでコントロールされるのなら安全第一とはいうものの運転手になろうという人は少なくなるかもね。もともとハードすぎるのですが。
バスの運転手不足についても耳にするようになりましたが、数年後にはバスドライバー席に座る人は外国の方ばかりとなるかもしれないとのこと。それは既に長距離ドライバー世界でも増えているよう。
昨日はかつての画像をぺらぺらっと捲っていると「ほお~っ」
思う画像を見つけました。
先月末に藤沢の大庭城(こちらも)について記しましたが小田原萬松院の大澤次郎左衛門正秀の墓の奥にあった福島伊賀守の墓石についてです。
目を凝らして見てみると「相州大庭城主」とありました③。
適当に画像に納めて文字の検証をうっかり後回しにしていましたね。
まぁその件、発見しただけでも「まぁいいか・・・」。
①②に某家の書画2点を紹介。
①は伊佐新次郎(または)の「天礼忠孝」叔父は「3秒」で読みました。
幕末の知る人ぞ知る人(知っている人は通称「如是さん」)でこちら相良周辺にもその足跡を残しています。
何てったってあの三舟の書の師ですからね。
よく世間様では「三舟揃い踏み」とその三者のコレクションを
楽しまれていることなど耳にしますが、この人の書があってこそかと(どうせなら4人揃えてはいかが? )。
②は川本月下の梅。伊佐以上に「知る人ぞ~」な人。
ただし吉田町にはこの人をご存知の方が多いはずです。
梅を専ら描く絵師ですね。
そのお軸について、ある方から私に「借りてきて欲しい」という依頼がありました。
どうやらその絵師の子孫の方に見せるか貸したいということでした。
となると「また貸しのまた貸し」・・・。
よって所有者の前でその依頼者に電話し、その旨を確認。
「書付の一枚でも記しましょうか」と借用書作成を促したわけですが、持ち主と直接話しをされて決着。
それで私はただの配達人になって安堵したわけです。
やはり口頭でも責任の所在をハッキリさせないと・・・
この世界は盗人に詐欺が横行していますから念のため。
ホントは書面の交付がスジですが、殆ど顔パスということで。
相互に信頼をしているということです。
2026年
4月
26日
日
橘寺山門から 頭痛の痛みも人による
先週からの体調不良の間に声を出す機会(法縁)がありませんでしたが、昨日は午前・午後に加えて夕刻からのメディテーション(正信偈とおしゃべり少々)がありました。
朝からどうなる事やら・・・と不安がありましたが(悪化したらどうしよう・・・) 。
また意外に冷えましたので堂内に石油ストーブを復帰させました。
読経中、幾度か咳混みそうになりましたが(特に午前)一日終わっってみればなんとかなったの無事安堵。
結果はオーライの喜び。
私や「奥の細道」氏の間で以前から体調不良への対応として「逆療法」などと面白がって、常識的な「安静にしなくてはならない」の気持ちを蹴散らし、「動け」「ヤレ」「イケイケ」とばかりに不調に抗うことを奨励したりしましたが、本日の声の出しまくりもそれでした。
まぁ数日間の復旧時間もありましたが、要は休むではなくGO!!の気合です。
いつまでその変てこな精神論にも似た「術」が通じるかはわかりませんが、今のところ各「痛み」含め体調不良への対応として通用しているようです。きっと理論的に適合の部分もあるはずです。
ただしそれでも一つだけそれが通用しないのは頭痛ですね。
できるだけそれは控えることにはしていますが、こればっかりは鎮痛剤の力を借りなければどうにもなりません。
先日境内でお会いしたご門徒さんと小一時間ベンチに座ってのの会話がありました。
第一声「不調がすぎて遂に会社を辞めた」とのことでしたので。
なにしろ周囲も会社側もその不調について理解してくれないという腹だたしさのようなものを感じました。
当初はその頭痛に関して、私も実は頭痛持ちで「よくわかりますよ」の軽口を叩いていました。
そして私が頭痛薬の御馴染みブランドを2.3あげると一笑に付されてしまいました。
聞けばまったくそのレベルの頭痛ではないと。
通院して注射(痛み止めの強いヤツ)で解放を得ているそうです。
そしてこれまでその原因を探ろうと3つほど専門病院を渡り歩いたそうですが(CT・MRI)どちらも原因は掴めずこぞって「偏頭痛」との診断。
診断書のその文字では会社にも周囲にも説得力がないようでもどかしさも。
その痛み、苦しみは私の想像の上を行っているのでした。
「死んでしまいたいほど」くらいの尋常でない表現がありました。
人の内なるところにある痛み苦しみというもの、こちらで理解を試みようとしてもなかなかうまく受け取ることはできません。
人それぞれ個体差があるのですね。
しかしその方はその「個体差」と言う語が好きではないと。
それはどちらに行ってもその語を使ってあたかもその痛みは「気のせい」レベルとして一蹴されてしまうからだそう。
言葉を吐くことは案外と深みがあって難しい。
魚が水槽の中でパクパクやっている姿を表現した「魯」という漢字の如く・・・。
何をおしゃべりしているのか、わからない・・・相手(聞き方)あっての言葉ですからね。
よってその一文字には「間抜け」「足りない」という意を含みます。
以前、江戸から明治初期までロシアの日本語表記は「魯西亜」でしたね。プーチンを連想しもしますが・・・
また「頑」な「魯」で頑魯。
源信さんはその語をもって自身を形容しました。
画像は昨日の続き。
ここのイイな、と思うところは、門前に駐車場があること。
まぁ勝手な言い分で。
山門は思いのほか小さめ。
大寺院のそれをイメージしていましたので。それがまたいいのですね。
2026年
4月
25日
土
ナイナイ アゲアゲ世間に すみすみて 橘寺門前
境内は朝から怪しい気配。湿潤で冷ややかな空気に覆われて今にも降りそうな空でした。
一応、予定していた仕事にかかりました。
数年前息子が横浜のお寺に「就職」した際、記念にと盆栽のミニの早咲きのサクラを購入、それを地植えにしていましたが成長するとともに(今は2.5m超え)幹が通路側に傾いてきたため竹製の柵で―3本の竹を組むだけの簡易なもの―その傾きを押さえていました(柵と満開の様はこちら)。これほど大きくなってくれるとは・・・
その柵を更新しようと竹を確保していたのでしたが、これまで支えていた竹を除いてみると⑧・・・幹が太くなったせいか、十分自立直立しているよう⑤。
多少上部が光を求めて傾いていますので⑥いずれ紐を使用して引っ張ることにし、竹の工作物はヤメにしました。
どうこう思案していると雨が降り出して以降、例によって庫裏に籠りました。
③はその花からの結実。今年は彼らを集めて発芽を試みようと思案中。
長丁場になりますが、そういうのがまた楽しみになります。
生き物を育てつつ自ら生かせていただく・・・
今の世間さまは「石油が無いので××××」の声が蔓延していますね。これまで何処かしらで「脱石油」だの将来の「原油枯渇」に対応すべく・・・等々の至極前向きで、さも素晴らしそうな声があがっていたのでしたが、今のナイナイ騒ぎを見ていると、まったくもってそんなカッコいい言葉が大嘘だったことがわかりますね。
まだまだ石油に大部分を依存している二酸化炭素排出社会があることを知らされたわけで。
てっきりもう少しは石油の代替品というものが出回っているかと思っていました。
プラスチック原料がその石油であることは承知していますが、プラスチックは海洋等の汚染物質となることが騒がれるようになってしばし、もはや減産そして代替品の普及が広がっていると思い込んでいました。
そのナイナイ騒ぎは、まったくその件変わってないことを知らしめました。
環境によろしいだとか、「SDGsでよろしく」だとかの掛け声とは裏腹。情けないことです。
そしてナイナイのご時節を受けて次に始まったのがアゲアゲ。
強烈な価格高騰ラッシュになっています。なんでもかんでも。
しかし素人目にはそのアゲアゲはどうもインチキ臭くも思います。勢いで値上げ、とか右に倣え、とか調子に乗って・・・などなどこじつけて。
そういえば先週の事ですが石油製品販売会社(ガソリンスタンド大手)5社が公取委によって告発(独禁法違反容疑)されていました。運送事業者等向けの軽油価格を事前に話し合って決めていたそう。
やはり未だその手のあくどいことを裏でのうのうと・・・えげつないことです。
ワルは蔓延っているというのがこの世界。そこに「すみすみ」(住み住み)ている私、どうしていいかわかりませ~ん。
「世間(よのなか)の繁(しげ)き
仮廬(かりほ)に住み住みて至らむ国のたづき知らずも」
(万葉集)
ただし私は「南無阿弥陀仏」を知っています・・・
扨、本日も明日香。
聖徳太子誕生のお寺、橘寺門前に通じる入口にその歌碑は建っています。画像③。
2026年
4月
24日
金
酒船遺跡の亀形石造物 こちらも不思議過ぎ
朝の段階、雨降り前にプーゲンの鉢を本堂正面の庇の下に退避させました。
また前日に竹藪に入って数本の材料を用意していましたが、作業はナシにして庫裏でのんびり。
ここ数日「認知症の進行」をテーマにした会話が拙寺内でありました。
数名のご門徒さんの変化についてです。
それが年相応の忘れっぽさなのか直近記憶の喪失、いわゆる認知症の始まりなのか・・・
当然いずれの方もご年配、そして共通項は伴侶を既に亡くされての生活をされています。
近くに息子あるいは娘がその家族と暮らしていて適宜のケアは十分だと思われますがやはり基本は独り住まい。
ただ皆さん、外出と人と接することを厭いませんのでその進行を遅らせていることは確実でしょう。
それでも各「忘れっぽさ」多数は顕著になっているようです。
私も他者のことをどうこう言える立場ではありませんし、大いに日々忘れることが多くなった感あります。
昨日は息子が物置から見つけた写真に「奥の墓道」氏と息子の横浜みなとみらいの遊園地での遊具上の1ショットがありました。そこで23年前の日にちが記されていたその画像を彼に送ってみました。
私の脳内からはその景色は一切消え失せていたのですが、彼はその地でのお遊びと帰りに「〇×のラーメン屋に寄った」ところまで言い当てていました。
人の記憶の浅深はその印象によっても違うものですが、彼がそこまで記憶していたとは・・・。
好条件の揃っている私が先にその認知症になるのか?と奥方に苦笑して言うと「既になっている」と断じられてしまいました。
認知症になっても状況と対応次第では十分にその進行を止めることができますから気にすることはなし。
常に色々なところに注意を配して「何かする」ことが肝要ですね。
7時のニュースのあとは「取説ショー」を視聴。
何故かネコにスポットが・・・世は空前のネコブームだそう。
認知症予防にネコの「ありのまま」の態がイイとの説がありました。
人の意に反する行動に飼い主ら、人が翻弄され、それへの各対応をすること、思考することによって心身ともに鍛錬されるということ。
私などしょっちゅうネコにヤラれまくっていてその対策に追われているような日々ですが、そのことが私のお頭の劣化の進み具合を、少々防いでいてくれているのかもしれません。
大袈裟で、まったくその表現は適当ではないのですが「艱難汝を玉にす」なる語を思い出します。
「そうか、ネコどもは日々私を磨いてくれているのだ・・・」との気づきがありました。
扨、昨日の料金所を通過して酒船遺跡のもう一つ(こちらも)の石造構造物がスグに現れます。
ちっぽけな想像力しか持ち合わせていない私にはその見た事も無いような「何か」に首を傾げるのみでした。この山の上の摩訶不思議な石に続いて・・・
説得力のある何か合点できるような説明があればいいのですが、「わからない」こともまたいいですね。数式では解けないような存在に立ち尽くすことも悪くない。
私はその不可思議、わからないままただ受け入れています。
スゴイ!!の感動とともに。
2026年
4月
23日
木
男じゃなきゃダメ 言うのは誰? 翔る女たち 飛鳥
「天気がいいうちに・・・」とばかりに尻を叩かれて、磐田方面へ買い物のおつきあい。運転手です。
息子家族を誘ったそうですが今日は霾る様が強めということで遠慮するとのこと。
聞けば、乳児をその環境に置くことによって喘息等の慢性的な病害の発生が予測される・・・などと言っていましたが私や父母の世代はまったくそんなものはおかまいなし。
だいたいその「霾る」などの語も実害についても、覚えたのは最近のこと。
覚えておかなくてはならないことはたくさんあります。
月曜日は公共系の図書館、資料館などは休館日というのはどなたでも知っていることです。
私もそれはいつも頭にあるのですが、しばしばそれを失念して失態に及んでいます。
建物入口前の「本日閉館」の看板に立ち尽くしたことを脳裏に焼き付いています。
奈良国立、躑躅ケ崎館正面にできたばかりだった武田氏館跡歴史館、そして明日香の万葉博物館。
わかっているのにそれを幾度もやらかすのはおバカの証拠。
それにしても、なぜにしてそう月曜日ばかりに出向くのか・・・
言い訳ですが比較的土日に法務が集中し、それがアケた月曜ともなると頭の中をカラにして飛び出してしまう悪い習性。
案外と月曜日はフリーになってしまうのでした。そもそも月曜が休みなどいう観念は私の頭の中にありません。
④⑤画像は上記3つのうちの万葉博物館前の図。
休館の掲示を見て「ふん・・・」(まぁいつものこと)。
気を取り直して⑤中央の建屋、料金所を通過して酒船石に向かったわけです。
博物館停留所近くに可愛いイラストが立っていました。
それが③「飛鳥を翔た女性たち」(飛鳥女史紀行)です。
しっかりそのサイトもあります(→こちら)。
日本の初期歴史に登場する女帝たち。
今更、男にこだわる理由って何なの?
何がしたいの?
月曜休館日を忘れる私のお頭より程度が悪そう。
2026年
4月
22日
水
まさかの場所からネコ そして勝海舟のまさかのお軸
午前はやはり境内作業をぼちぼち。
それは本堂の障子の下部を板張りにするという作業です。
外ネコの「キイロシロ」にやられっぱなし。
障子だと何度貼っても突破されてしまいますのでやむなく板材での補修対応です。
突破のメカニズム。彼女は誰も居ない本堂に正面の引き戸を自らの手で開け、堂内で寛いでいるわけです。そこにお参りの方がやってきて、お帰りの際それを閉めてしまいます。
彼女は何故か堂内側からは引き戸を開ける事が出来ず、別の障子にやみくもな突破を試みるのでした。
正面引き戸はこの一年、各対策を試みて今があるのですが、すべてクリアされています。自分の手で開けるところを見た時まさか、と愕然とさせられました。
昨日は再びヘビをゲットして遊んでいましたが(奪い取って藪に放ちました)ネコというものは殺生しまくりの感。
トカゲにヤモリに時にメジロ・・・早めにそれを発見できれば何とか救出できますが、手遅れも多々。惨い事をします。
まぁ彼らは本能で動いていますから仕方なしか・・・
人間などもっともっと酷いことをしまくっていますからね。
ちなみにレバノンに侵攻したイスラエル兵がキリスト像をひきづり降ろしてハンマーでぶっ壊している画像を見ました。
いい加減、あの様ではイスラエルへの嫌悪というものが世界中に広がるのでは・・・もはや許容できるレベルではありませんね。
拙寺でいえば阿弥陀如来を・・・などと連想してしまいます。
たまたま玄関内に出ていた五六八(いろは)―ロシアンブルーっぽい色の雑種で10数年前の報恩講の日に現れました―を息子が抱いて外に持ち出して放したところ、予想外に開いていた玄関ではなく脱兎のごとく中庭方向に消えていきました。
近くにキイロシロがいて尾をふさふさに太くして追いかけていたそう。
それから3人で五六八探索に時間をかけましたが、どうにも見つけることができずに日没を待ちました。
行方不明から6時間以上過ぎた7時過ぎに奥方がその名を呼ぶと微かにネコの声が。あっちこっち探すと声の方向はまさかの床下から。
「何処からそこへ」と懐中電灯片手にその場所を確認しました。それが門前の床下の空気口からでした。
空気口には鉄製のメッシュの柵が施されていますが錆まくって痩せネコ一匹がようやく入れるように穴が開いていました。
残りの鉄柵をカットしてから何とか好物の鰹節でおびき出して無事にゲット。
奥方は「あんな所にいたのだから・・・」と即、風呂場へ。
②画像は濡れた毛を乾かす五六八。他のネコどもはその姿を遠巻きにして、まるで化け物をうかがうが如く。
扨、先日テレビ番組の鑑定団が放映され「勝海舟の自画賛」が出品されていました。
その軸は偽物が多いようで、私の知っているそれと似て非なる物でした。③が番組の軸④が浜岡の丸尾記念館に掛けられていたものです。
錨の上下が違います。番組の品はどう考えても偽物だろうと笑って観ているとなんと「本物」と。まさかの結末で唖然。
となると素人見、記念館の方がニセなの?
記念館の軸、賛が「ひん曲がっている」ところは当初「酔っぱらっていた?」と思ったのでしたが・・・まさかね。
私には真贋をはかる目を持ち合わせていません。
丸尾記念館にてご自身の目でご確認ください。
2026年
4月
21日
火
山田城の本城 馬場城 武器商人今井宗久
午前は境内作業をのんびりと。
境内で動いていると、「久し振り~ぃ」との声が掛けられました。
見れば御門徒家より嫁に出た同級生でした。実家の墓参ですね。彼女の私の呼称は「住職!!」ではなく「今井クン」です。
近況いろいろと互いの体調不良連発のボヤキ合戦。
「だれかれが亡くなっちゃった~」の溜息を聞き、「それでも何とか(生かされている私) 、感謝したい!!」と合点。
雑談では当地区の「人口減少著しい」の話になりましたが、今年の相良小学校の新入学生は1クラス・・・だとか。
それじゃあ近隣小学校が統合されるワケか・・・
その話を奥方にすると「あの子と同じクラスにしないでください」などいう親の学校へのクレーム(横浜にて)など、もはやムリムリのレベルと笑っていました。
またその方の縁者で放課後デイサービスの仕事をされているそうですが、多くの「個」への対応は難しいよう。人の性格も障がいの現在位置というものは決して「同じ」ではないからですね。「人それぞれ」とはいうもののすべてのことにおいて一律対応のワンパターンも有り得ないと。
私はその放課後ディサービスについては詳しく知りませんでしたが、以前本通りでご寄進を打診された土地建物について(断念した経緯)ありましたが、今は改装されてその放課後ディサービスが運営されているよう。私がその地に手を付けるよりも余程地域のためになりますからね。
そして最近はテレビはNHK系しか観なくなってその他はユーチューブとTikTokだとのことでした。CMの多さとバラエティ芸人への腹立たしさを特に感じるようになった(歳をとった)ことを示したかったようですが、私の場合は前者のNHK系大賛成。
私は後者二つについて特にTic~など無縁ですので、十分若いと思ったくらい。
そういえばNHKではもっとその「放課後~」について報道と紹介の頻度をあげてその存在とご苦労を「伝えて欲しいね~」となったのですが、それは北朝鮮のミサイル発射情報乱発なんていらない・・・でした。そんな事実知りたくもない。
まるで国の防衛費の嵩上げを国民に容認させるようとするプロパガンダにもとれちゃうね・・・と。「防衛」の大義は分かりますが守る国民がいなくなってるのにね。
ということで長話のあと「またね~」と別れました。
夜はあのバイソン(ワイルド・ライフ)の番組に引き続き「今井宗久」を視聴しました。
「会合衆」(えごうしゅう)の呼び名について「かいごうしゅう」で番組では統一されていました。
番組では「武器商人」「フィクサー」として断じられていましたね。嫌な言葉です。
「武器商人というものは戦争あっての商売」という指摘がありましたが、まったくその通り。当たり前か・・・
今は戦争を示唆する外国勢力が存在することに意義がありましょう。その商人たちがガッツリ儲ければ政治屋さんも儲かる・・・いつの時代もそういうものです。
またトランプの脅しは信長のやり方を連想。では本能寺はいつ?
6月頃?・・・歴史はお調子者を許容しないのですから。
扨、昨日記した山田城。
そちらからほど近い馬場城に本城を移したのが山田道安。
道安はこちらで亡くなったといいます。
私は一応は「行けるところまで」と車で進んだものの登城口も不明で、寒さもあって尻尾を巻いて退散しました(場所はこちら)。
2026年
4月
20日
月
東大寺復興 山田の道安 岩掛城(山田城)道安遺跡
昨日の体調不良を引きずっていました。まぁ、いろいろありますね。ここのところあっちこっちガタが出現しています。
法縁がないことをいいことに殆ど一日中庫裏でうだうだ。
夕刻にさらっと小堤山を一周したくらいでした。
最近、その公園の下の広場では一体誰がミニゴールを用意したのか休日にボール蹴りのグループを見るようになりました。
飛び交う言葉は中国でも韓国でもない、おそらく東南アジア系のみなさん。
数としてはサッカー2チーム分には満たないものの結構に集まってくるものです。
それよりも彼らと同じように走れるものか・・・など思ってしまうのですが、そりゃあ絶対にムリ。
パスを受けて走ってまたパスしただけで即体は崩壊するでしょうね。
いいのかな、こんな体たらくで。
昨日見たニュースに並んだ数字に驚かされました。
20代の生活保護受給者数が過去最高だと。
その20代の受給者数とは6万1,596人(厚労省データ)。
「特に単身世帯が約2万8,476人と20代受給者の約46%を占めていて1999年度の20代単身受給者数が約4,091人だったことと比較すると、25年間で約7倍に増加・・・」
それって、どういうこと?とピンとこない私がいるわけですがそれほど日本はビンボーなの?
トーキョーでは「億ション」だの「億り人」だの若い人たちの景気のイイ話ばかりが行き交っていると思いきや・・・。
何、その格差。どこかオカシイ。
「親に迷惑をかけられない」「そもそも親たちにその資力がない」などの理由があるようですが、稼ごうと思っても貯蓄できるほど稼げないというそのシステム。
一定の金額を超えて給与をもらうと受給停止になるということがそれで、必然的に余裕、蓄えができないという流れ。よってそのビンボーの呪縛から抜けられないのだそう。
やはり政治というものが本当の意味で人のためになっていないのでは・・・。やはり政治屋はそういった末端の困窮など「知らネ~」を決め込んで「今」の自身の地位の維持のみに傾注するといったところ。
これでは日本の華やかな将来など期待できるはずもなく。
先日も記しましたが、人口を増やすためには・・・生活保護から脱却してもらうにはどうしたらいいのか・・・真面目に、そして前向きに考えていただかないと。
扨、以前うろついた奈良。私は奈良方面に向かうに名阪国道より針で降りて彷徨うことが多いのですがそこから奈良市街方向に向かってしばらく行くと山田という地に至ります。
山田小学校の裏に布目川を外堀に見立てた要害がありますがそちらを山田城(岩掛城)と(場所はこちら)。
山田氏ほか城塞については城郭大系に詳しいのでそちらを。
「山田氏は至徳元年1384」の『長谷流鏑馬日記』に名の見える大乗院方国民で、筒井氏の同族であるが、西隣のやはり筒井同族の福住氏と対立した。
西に進出できないかわりに、北の別所・水間・田原および南方の都祁(つげ)盆地北端の針に勢力を伸ばした。
文明三年1471、当時は『山内(東山内の田原~都祁)はことごとく山田が進退する・・・』といわれたほどの力を持ち、乱中は古市方に属していた。乱後、筒井方に復した。
順貞(道安)の時、筒井順慶の大和平定に大きく貢献したが、福住氏に敗れて馬場城に退き、松永久秀の兵火で焼け落ちていた東大寺の大仏再建の勧進に協力した。
当城は東の馬場城とセットになっていた。
永禄九年1566一月、それまでに松永方の多田氏の占領していた『山田古城』を奪い返したという(多門院日記)から、馬場城に対する古城が当城に相当すると思われる。
城跡は尾根先端部の①が主郭で(上記画像最後の図)その尾根続きは空堀Aで切断されている。東西に二段の小郭が付属するが、基本的に単郭の小城郭として完結した縄張りである。
②の郭は面上が未整形であるが背後を空堀Bで切断して一応郭として成り立っている。空堀Bは東側斜面が急で西側斜面がゆるやかなのでBは明らかに②を守るための空堀であったと思われる。
①の次に②ができ、ここで完結した段階が想定できる。
ところが、さらに尾根を登ると空堀C、やや平坦だが未整形の③④⑤の平地があり⑤に隣接する空堀Dは東側斜面が急で西側斜面はゆるい。ここで城域は終わりである。
空堀Bから上は未完成としか言いようが無いが空堀Cは立派に完成している。郭より先に空堀を造ったという城郭普請の過程を示す事例と言える。
また①②、そして③④⑤という三段階は、山田氏の成長過程の諸段階を示してくれる。
当初は山内各地に点在する単郭館城を持った土豪クラスから出発し、応仁文明頃に周辺土豪を従える山内きっての国人クラスにまで成長したわけである。
ただし築城が未完成であることから推測して、最後の普請が行われた時期は戦国最末期、山田道安の代である可能性が高い。
東方に新築された馬場城の方が本城となり、当城は福住領との境を守る支城に変わり、福住氏との戦いに備えて拡張する途中で没落し、未完成になったのではあるまいか。」
私がこの辺りを歩いたのはかなり以前の真冬。
今はそのような真似はできませんが、それでも周辺は相良あたりより断然冷えました。
2026年
4月
19日
日
バナナよりリンゴ(美と勝利)に新玉ねぎ 食の喜び
好天で外は暑い、しかし日影は肌寒い。
昼すぎ、13時からの先週未視聴の大河ドラマを録画予約して史蹟調査会の皆さんと古民家と文化的美術品の見学。
失礼ながら「埃っぽいのでマスクを・・・」とは皆さんに告げていたものの、先方に申し訳ないと思いやはりノーマスクで入場。
そこでのおしゃべりが過ぎたか、半袖シャツ一枚だったからか、はたまた埃が原因だったのか途中から絶不調に。
喉がやたらと痛み頭痛もありました。
以前、拙寺の土蔵整理の際に喘息と強烈な体調不良に陥りましたが、その時と同じ体調不良の気配があります。
「甘く見るとヤラれる」・・・何時なってもその躰でいて毎度辛い思いをするのでした。
「学ばない阿呆」と断じるところです。
塵埃には滅法弱い・・・
叔父は春先に長期にそれでヤラれていました。先日会った従姉妹もそれで苦しんでいましたが、この家系、喉と気管支が脆弱。その血ではない奥方も今、謎の咳をしています。庫裏に本堂は埃っぽいところですからね。
せめて寝室にはまともなエアクリーナーを設置すべきか、検討しなくてはなりません。
先週の大河ドラマは視聴しませんでした。
「奥の細道」氏は毎度毎度の刷り直しで役者は変わっているが同じ。「アレは漫画」と冷笑していました。
「まぁまぁ」と言いながらも私もそろそろ飽きて来たところでした。
まぁこれから本願寺が敵対勢力として登場することはお見通し、どういう描き方をするかは一応・・・と気を取り直して録画していたのでした。
帰宅して一休み、録画を再生してしばらく長野県の緊急地震速報(震度5強)があって以後画像はその情報だけで録画時間は終了したのでした。まぁいいか・・・
扨、相良史料館の課題というかそれはどちらの文化財収蔵展示場でも頭を抱えているのが収蔵スペースの不足。
要はハコが無い、ということですね。
最近は家の継承ができないこと、あるいはその意志がないということ「捨てるよりマシ」ということから自治体その他施設へ「寄進したい」の打診が増えているのでした。
少人数管理者というのが当たり前になったそれら施設担当者にその選別、維持、管理を日々の雑多な活動の中で、それをタノム(時に押し付ける)ことは限界を超えているようですが、そもそもそれを受け入れる箱(容積)も限度がいっぱいいっぱいになっているのでした。
先日は拙寺が受け入れた古民具についてのドタバタを記したわけですが、このほどそれらのテーマへの国の指針が出ていました。それが「一括廃棄可」というものでした。
まったく信じられませんね。
昨日も、お国の人口減少に対する無策について記したのでしたが、この日本の文化財、美術品への下劣な方向、思考もいやはやの感です。
要は検討さえ行われず「無価値」を宣告したとしてもOK!という指示。要はそちらに廻すカネはないということです。
湯水のごとくの無駄を思うおカネの使いっぷりを拝見していますがね。
日本に残る歴史を繋ぐ遺物たちを保存していかないでどうするのでしょう。
そういうところも文化・美術への思考の浅さを感じてしまうのでした。
やはり彼らは「今の栄華」のみへの指向が至極強いのでしょうね。あさましい。
画像は先日来訪された吉祥寺古文書研究会のお一人、ご実家が岩手ということでお送りいただいたリンゴたちの一部。
またこの小さきリンゴの存在には驚かされました。どうせ酸っぱいのでは・・・とおそるおそる。
それに反して結構イケるのです。
今私は以前の朝のバナナの塩分、毒消し食の習慣を改めリンゴを次の主役に押し上げています。理由はバナナの糖分ですね。
カリウムもそこそこ摂れそうですし。
ということで三食後にリンゴ 1/2個を。
どう体に影響するかわかりませんが・・・
そのリンゴはギリシャ神話に「黄金のりんご」と登場してきます。
特に「美と勝利」にまつわるというのも面白い。
そのストーリーも突拍子もないものばかりで・・・
しかし、あまり「勝ちだ敗けだ」と拘ることはしたくありませんね。子供ではないですから。
まぁ今、あの支配者(「世界を荒廃させている暴君」―ローマ教皇の指摘)のそれには日々驚愕させられていますが。
トランプもリンゴがお好き?
③は高校時代の友人の母親が「とれたて」と届けてくれた新玉ねぎ。絶妙の血液さらさら食材ですね。
リンゴも玉ねぎもとても有り難くいただきます。
ごちそうさま。
2026年
4月
18日
土
今川氏親展と百鬼夜行 イタチが出てきた日
好天ながら強くはないものの結構に風が冷たく感じる一日。
午前は墓じまいによる改葬と納骨の法縁がありました。
各家各事情、方向性あっての結論ですが、寂しくなります。
ただ淡々と受け入れ、まかせるのみですが・・・
どんどん「人少なし」に。
まぁ街全体、日本全体のテーマですが。
これは毎度拙ブログでも記していますが政治の失態以外考えられません。
永田町のセンセー方はここまで来てもその切迫感はまるでナシの態。
この期に及んでソーリはワケのわからない法案ばかり。
「国家情報局」「スパイ活動」「憲法改正」なんたらかんたら・・・政治屋の魑魅魍魎どもには「今の私」の栄華をただ誇るが如くの刹那的を感じます。
「ときはいま・・・」なる語が聞こえていました。
それを聞けば誰もが知っている明智光秀が本能寺に向かう寸前の連歌会で詠んだ「時は今 雨が下しる 五月哉」を思うことは当然。
「雨が下しる」は「雨=天」。「天下を治める」とこれからの期待とかなりの増長が窺えるところ。
「五月ころ」にはいづれも目処をつけたいのかもしれませんがその「五月」まで表せば違う人の名前になってしまうのと、やはりそのあとスグに光秀の首は胴体と離れてしまいますから。
天下を取った気になって自身のやりたいことばかりやろうというのではね。
日本の人口が年々減りまくっているデータを見せつけられていますが彼らは将来この国が国家としての態を為さなくなるという危機意識は無いのでしょうね。
将来のこと、流行りの「持続可能」についてはどうでもイイような。国が持続できません。人がいないのだから。
今子供を産んで一人前のオトナにまで育てることは相当なる難題です。
結婚しないという若者が増え、晴れて伴侶と巡り合えたとしても夫婦で仕事人間となって子供を持とうという余裕がなくなっています。
私の甥は数年前に結婚しましたが、嫁からは「子供は要らない宣言」をされてしまい父母に「孫は諦めて・・・」とだったそう。
専業主婦などいう語が死語となった今、女性は忙しすぎるのです。子育てしている暇はない・・・といったところでしょうね。
それは二人で稼げれば50年ローンで億ションも買えるかもしれませんが、それもいたって刹那で空しいとしかいいようがありませんね。
「いつまで生きるんだ?」の嫌味の一つも言ってやりたくなります。そしてちょっとはみ出して
①二人で一緒にその50年のローンを完済できる確率は?
②途中どちらかが死没した場合どうなるの?
③誰が相続するの?
④これからどんどん金利も物価もあがりそうなのに
等々、余計な事を考えてしまいます。
まぁそれはそれでその選択は各自由ですが、本題の子供を育てるといテーマ、以前より物凄くおカネがかかるようになっています。
例の「ランドセル7万円」には度肝を抜かされましたが、今の常識は新生児でさえ車の移動に車載用のベビーチェアが必要です。私どものその対応は無茶苦茶でした。
テキトーに後部座席に寝かせたり抱っこしたりで・・・
子供が増えればそれが複数必要になりますし、車が手狭になれば車のスケールアップが必要です。
息子は子供が産まれる前に高価なそれを用意していましたが他にも子育てグッズをあげていればキリがありませんね。
想像を超える大金が消えていく様を現状見せつけられています。何から何まで・・・信じられないほど。
ということで今若い世代は子育てという長期イベントを拒絶し、「今を楽しむ」的発想になっているのでしょうね。
「今が良ければそれでイイ」は国政と同じなのです。
やはりそのための経費、金額がネックになるのでしょう。
国はトコトン子育てのための支援をしていかなくてはなりませんよ。
出産に関わる経費に子供の医療費、学費タダ。出産祝い金一人100万円二人目200万円とかね。
カネを注ぐところを間違っています。的確に、そして税金を自分自身のためのあぶく銭、無駄銭にしないでいただきたいものです。
画像①~⑤は昨日静岡の秋野氏にただいたパンフレット。
静岡市歴史博物館の企画展「没後500年 戦国大名今川氏親」そして⑥が永田町の人々としばしば喩えられる「百鬼夜行」の画。水木しげる展、静岡市美術館です。
2つの美術館、紛らわしいですが異なりますのでご注意を。
⑦は昨日の境内、外ネコのキイロシロが追い込んで対峙するイタチ。「尻尾がフワフワで長い生き物」がまず奥方の視界をよぎったそう。先日の狸といい、拙寺境内はいろいろなお客さんが。南側の人家の方に逃走していきました。
最後の画像は私のブーゲン。前回降雨の晩の翌朝の図です。
雨予報の際は本堂の軒下に退避させます。
2026年
4月
17日
金
長享二 数日で落城滅亡 高尾城 百姓の持たる国
日が昇って少し経つと日差しはまさに夏。
浜岡方面に比木の道を通いましたが、上手になったウグイスに加えてヒバリの声が。空気も爽やかなり、深呼吸も。
帰宅後は境内と庫裏で雑多な作業を。
扨、昨日画像は高尾城(別称「富樫城」)見晴らし台からの景色でしたが、地理的にその立地について城郭体系の冒頭に詳細に記されています。
「高尾城のあったとされる高尾山はいわゆる富樫山地とよばれる山丘塊に属し、手取川扇状地の東縁をなす位置にある。
金沢市街に近い犀川河畔からいえばなだらかな山容をなす野田山(176m)に続いて西へ、満願寺山(170m)・通称前山(176m)・高尾山(170m)とほぼ同標高の山丘を連ねるが満願山から西の山々は山麓よりかなりの急傾斜をなして山頂に達している。高尾山から南西へは次第に高さを増し、扇頂部を眼下に見る後高(しりたか)山-獅子吼高原-では標高649mを測ることができる。
高尾山山頂に立てば前面(北北西)に北加賀平野の大部分を視野に収めることが出来る。
特にほぼ真西方向眼下に富樫氏本拠の地とされる野々市(布市)を望むことができる。現在は山裾から野々市にかけて住居地化してしまったが昭和40年代初め頃には広々とした水田が前面に広がっていた。背後(南南東)は険しい山地に続き視界は遮られるが鞍ケ嶽城のある倉ケ岳(565m)は、南方ほぼ直線5㎞にあたる」
上記は城の要害性と統治の象徴の姿を想像できるわけですが、先ずあの「野々市」―「布市」カッコはその地の発祥と匂わす記述で「なるほど」の感動。
また、世にお城好きの方々が多くいらっしゃる中、こちら高尾城へ東海地区あたりから「行ってみたい」などという方はそうはないかと思います。
まして城址は無残にも改変されてしまい遺構はほとんど残っていないのですから(「高尾城跡が壊滅-北陸高速自動車道の土取りで」昭和45年北国新聞)。
それでも工事は周囲が大いに慌てさせられたか中止させられ発掘調査が行われているよう。すでに遅しのところありますが。また上部の曲輪らしき場所(見晴らし台)からの景色(昨日)は一応の満足を得ることはできました。
私の場合、寺の宗旨ということと日本史上特筆すべき事案に関わる地としてその近くを通過するからには記憶にとどめておきたいという気持ち一番。
その歴史的衝撃事案というものが「百姓の持たる国」と呼ばれるようになった革命的とも思われるその端緒というところ。
何といってもその手の類例は他にありませんし、その勢力の精神的後ろ盾となったのが真宗系の思想でした。
以下城郭体系にその事件のあらすじが記されていますので調子にのってそちらも転記させていただきます。
「長享元年(1487)九月加賀国守護富樫政親は近江国の鈎里(こちらも)の陣中で将軍足利義尚と会っていた。将軍は六角高頼を討つための布陣中だったのである。その時政親は領国内で勢力を強めている一向宗徒の不服従を訴え、将軍の支援を得てこれを撃破したいと懇請している。具体的には越前・越中に教書を下し派兵することを願ったのである。将軍は政親の訴えに協力を約したため、十二月中には政親は帰国し、ただちに高尾城の修築を開始したという。
守護方のこのような動きを察知した一揆方は、政親の老臣である山川(やまご)三河守を介して和睦の意のあることを伝えたが、政親はこれを退けたという。一揆方もこの時点で徹底抗戦の方向をとり、洲崎泉入道と河合藤左衛門宜久を将として、久安に塁を築き布陣させている。久安は高尾城の真北約二㎞強の所にあり、高尾山上からは一揆方布陣の様子は手にとるように眺望できたはずである。一揆方はまた、越中・越前からの援軍の進入を阻止するために河北の勢力を倶利伽羅・笠野(現在の津幡町笠池ケ原か)・松根に配置、江沼勢には敷地や福田の守備につかせている。
一方、政親ね近江にあった将軍に急使を派遣し情報を伝えるとと共に支援を催促している。将軍も越前の朝倉貞景に使者を送って救援を命じているが、このような緊迫した状況の中で長享二年五月を迎えるのである。
一揆方では五月二十六日までに将兵の配備を終え、高尾城総攻撃の指令を待つだけである。政親はすでに野々市の居館を捨てて城中にあった。
一揆方の総大将は富樫一族の泰高であり、野々市の大乗寺を本陣としている。高尾城は完全に一揆勢二十万に包囲されたのである。初め政親方に与するということだった白山の宗徒らも一揆の強大さを知り、剣(鶴来)の宗徒らと合流し、その勢二千余で諏訪口(野々市の諏訪野という)に陣を構えている。
戦闘は六月五日に開始され、七日には政親勢が場内から打って出るのだが山裾の額口で退却している。
すでに死を覚悟した政親は、八日には一揆方へ書状を送り、婦女子の助命を懇請、一揆方もこれを許し城から逃がしたという。
そして運命の九日を迎える。まず、老臣山川三河守が打って出て戦うが彼は一揆方の捕虜となってしまう。続いて政親も一族城兵をそろえて打ち出し、激戦を展開するが、ついに死期を知り城内に退却、ここで政親以下すべて自刃して果てたという。
この高尾城攻防戦の間に幾度か越中・越前の救援軍が入国しようとしているが、一揆方の警備が固く、いずれも国境付近で撃破されている。政親の待ち望んだ援軍は、ついにその視界に姿をみせなかったのである。政親は時に享年三十四歳、遺骸は一揆方の手で大乗寺に葬られたという。以上高尾城および守護富樫氏滅亡の経緯は必ずしも実際を伝えているとはいえない。ただ、この長享の一揆以降、加賀一国の支配は蓮如の息子である三山の大坊主(本泉寺蓮悟・松岡寺蓮網・光教寺蓮誓)と有力国人の手に移るのである。」
信長の侵攻(1575頃)によりその「百姓の持ちたる国」は終焉を迎えることになりますが何といっても約100年の間その「共和国」が続いたのですからね。世に言う下剋上ではありますが少しばかり異色な社会がそこにあったのでした。
日本史上、地方の自治とはいえそのような形態が長く持続していたことはあり得ないくらい凄いことです。
最近のアメリカのデモで「NO KINGS (トランプ大統領)」 王はいらない」のスローガンがありますが日本では450年前にその地位を民衆の力で奪い取ったことは特筆すべき事例。
2026年
4月
16日
木
ジジーのボヤキ 痛み2題 高尾城からの景色
昨日は朝のポツポツに「早すぎる!!」。
予報では夕刻以降でしたから。
しかし、それでも以降明るいうちは何とかギリ堪えてくれていましたので午前の法縁の後、少々の境内作業を。
昨日朝まで、体調が絶不調にありました。「痛みは無視する」のランボーに台詞は好みですが、さすがに久々に苦しみました。
一言で「齢のせい」であることはわかっていますが2つの痛みが同時期に出現しました。
食事が悪い(栄養過多)ことを示唆されていましので食事をとる気が喪失。先日は24時間水以外口にしなかったことを記していましたがあの痛みこそ痛風の症状かも知れません。
医師の判断を仰いだワケではありませんのでハッキリわかりませんが・・・
よってその経験者の「奥の墓道」氏にどうたしものかメールしたのでした。
それが「医者に行ってもロキソニンの処方のみ」で数日耐えればなんとかなるとのことでした。ただし場合によっては足が腫れて正座はできなくなるかも・・・とのオドシがありましたが。
まぁ食生活の改善と水分をとることを念押しされて。
ということでその晩は鎮痛剤と水のがぶ飲みで対応したのでした。夜間5回トイレに行くほどの水の量で少々ヤリすぎたかとは思いましたが、不思議なことにその足の痛みは翌日の境内あれこれ作業の間に痛みを忘れるほどになっていました。
ところがその晩、発生した痛みは将に「救急車を・・・?」と思わせるものでした。
3時にトイレに起きてからがその始まりでした。
あまりの激痛不快感に10年ほど前に患った尿道結石を思いつきましたがそれとは痛みが少しばかり違っていました。
例によって夜中に枕元のスマホでググってみると・・・
それが前立腺の病状にあたりました。その病気の対応に「水は飲むな」でしたね。
そして翌日その水のがぶ飲みを止めると今のところあの痛みは不思議にも消えていました。
両方とも医師の判断ではありませんので病名が確定したワケでなし。しかし水を「飲め」×「飲むな」の相反する療法については困惑させられました。
ちなみにその両痛みについての感覚は遥かに後者の方が辛い。
足を引きづって歩くくらいなんでもありませんからね。
奥方が言うには「普通に食べて普通に飲んで・・・何事もほどほどに・・・だろ」とのご注進。
謎なる病が隠れているやも知れず一応来週にでも榛原病院に行こうかな・・・・のレベルにまで落ち着いています。
最近は「若い世代で終活」といいますが、なかなか見上げたものです。
死から逃ることはできませんし、その機縁とはとことんお付き合いしていかなくてはなりませんからね。
そのことを念頭におくことは日々の生活、就労や諸活動に自己のコントロールとしてプラスの影響を及ばすことは言うまでもありません。
それは自己の反省と感謝の心が人生のバックボーンとなるということですから。当流ではそれを「南無阿弥陀仏」なのですが。
ということで私どもの生活は常に終活。
死ぬ方向にいて「一所懸命」に生きるということですが、ではその時のことは・・・と奥方がダイレクトに私に。
私はいつも「テキトーにやってくれ ただし本堂で・・・また慌てず、面倒だったらとりあえず火葬場へGO・・・そしてそれから」
要はこれといった指示はナシ。
それより一連の境内作業をどう伝えるか・・・そこのところが何より重大なのです。各放り投げていけば経費は嵩んでいきますからね。後継する者のヤル気次第。
画像は高尾城から金沢市街、日本海側を望むの図(場所はこちら)。
2026年
4月
15日
水
禅ケ峯神社の標から 冨樫高家 守護所は現野々市市
昨日はテラスに冬季限定隔離していた南国系植物たちを境内外気に開放。
それによってユリの鉢植えの多さに足の踏み場がなくなるという状況になります。それを予測して事前に鉢植えの簡易なステージを製作していたわけです。
毎度巨大化したハイビスカス鉢植えの置き方によっては車両の切り替えしを困難にすることがありますので、コンクリート路面でなく庫裏側にそれらを並べたことはなかなか悪くないかと。
日照に関しては夕刻に掛けて日陰になる位置ではありますがハイビスカスには丁度いいかもしれません。のべつまくなしの日照が好きそうなのはブーゲンでしょうか。ブーゲンは大小6鉢がありますが、よく咲かせるためには降雨を避けることが必要で、台車の上に置いていつでも移動可能にしておくのがベストですね。
ただし昨日は他の雑用があったため、くたくたに疲れてその配慮はしていません。雨予報は出ていますが・・・
扨、昨日記した高尾城には禅ケ峯神社があります。
その名は明治期に改名されたもので古くは筑紫宮(八幡社)と呼ばれていたといいます。
富樫高家が足利尊氏の命により九州筑紫に出陣、その際宇佐八幡宮に戦勝を祈願したことからの縁。その後加賀守護に任じられたというところ。
まぁ明治期にその名の変更があった理由は「足利尊氏」の息がかかった家系との関係を断つ意味があったのでは。
明治期といえば「足利尊氏=逆賊」が世間に吹聴されていた時期ですからね。
富樫家は藤原氏系で古くから加賀に土着した名門家系。
加賀守護家というところからもそれは言うまでもないところで
守護所がこちらから北西へ2km弱の場所(野々市市)にあったそう。
富樫氏系資料は野々市デジタル資料館へどうぞ。
富樫氏系図はその資料館から拝借しました。見にくくて失礼。
2026年
4月
14日
火
この時期思うのは・・・加賀高尾城の桜満開
現状、山ほどある「宿題」を抱えているわけですが、昨日は早い時間から優先順位の高かった本堂の障子破損個所の修繕に動きました。一部障子紙を板に替えるためです。
電ノコを動かしての大工仕事が主でしたが、午後にかけて別件2テーマにも着手。
途中、奥方の部屋のテレビの「衛星放送が映らない」、また別の部屋の「照明が怪しい・・・(蛍光灯劣化)」など庫裏内の各課題について対応しをしながらまずまず思った通りに進捗しました。
楽勝の仕事に「朝飯前」という言葉がありますがこの日は朝食も昼食もとらず、熱中。15時前に蕎麦を一杯。
一昨日は昼に従妹たちと昼をガッツリ食したため夕食をカットしていました。よって24時間振りの食事。水分のみの摂取でした。
「3日間それをやってみろ」(絶食)と奥方から言われましたがさすがにそれは無理でしょうね。
声がかすれ気味になっていたのはそのせいかも?
植物なら水だけでもなんとか生きていけますが、人は一定の養分摂取が無ければ枯れていく・・・まぁ、それでしょうね。
その方が案外と体の動きは良い。
何より仕事時間を増やせます。他者にそれを強制することはできませんが。人を頼むと休憩と昼食を考えなくてはなりません。何とかなりそうなものは、一人仕事あるいは家中の者で。
昨日朝はハンガリー総選挙の結果が出ていました。結構私は注目。
「トランプ&プーチンがっかりEUは祝福」といった結末となったわけで私個人的にも「朗報」。
また、トランプがローマ教皇を揶揄するような発言がありましたがそれは教皇の発言に対して。
「自己崇拝と金銭崇拝はもうたくさんだ!
権力の誇示はもうたくさんだ!
戦争はもうたくさんだ!
真の強さは命に仕えることにある」でした。
「バカもやすみやすみ・・・」と呆れているのですね。
それも嬉しい言葉です。
発信力ある宗教指導者としてあるべき姿、尊敬します。
それでいてトランプのバックボーンたるキリスト教福音派って一体・・・プーチンのロシア聖教もしかり。ロクでもない宗旨?。
扨、先日の嵐のあと、当地の桜は散り今、愛でることができるのはシダレの残りと八重桜。
私のこの時節は結構に忙しくて桜の満開の下を「恐ろしがって」(安吾)歩く楽しみの機会はそうはありません。
また降雨の季節にもなりますからね。
ところが当地とは季節のタイムラグのある地があり、運が良ければ4月中旬以降でもそれが楽しむことができます。
その頃なら春の各イベントが終了し時間ができますからね。
東北地方もそうですが、北陸の地はきっと「今頃」なのでしょうね。
かつて一乗谷のシダレについて記しました。
そして今一つ私の記憶に残るのが加賀高尾城(たこうじょう)。
城址はイケイケ時代の国策によってかなりの部分が破壊されて
いわゆる残念な城ではありますが。
あの時は金沢方面をブラついたあとに立ち寄りました。
残念な城とはいいながらも一度は歩いてみたい城でした。
北陸はこの時期天候が安定しない感ありますしまだまだ寒い。
そのようなハカ・テラ・シロ行脚は勿論、私は口に物を入れる機会を持ちません。
時間がもったいない(よって奥方はそれに同行しなくなりました)。
血尿が出てから水分だけは注意するようになりましたが、まだまだ足りないよう。


























































































































































































































































































































































































































































































































































































































































