私の知っている、此の地とも結構に近しい地で今回の大雨被害の甚大さが浮かび上がってきました。
そういえば、浜松に転居した息子は「どうなってい?」などとふと思いついてメールではなく電話を掛けてみました。
彼の転居したその地は、天竜川やその支流が近くない駅南の住宅地の中にあるアパートですが、水の排水は良く、家も車も「まったく問題なし」と平穏無事の様。
住処の選択としてはまずまずだったようです。
昨日はそのついでに今度の依頼を受けている法務について問い合わせてみると「自分が出仕する」とのこと。
川向う(大井川)駿州における彼独りでの法務(デビュー)で、少々の心配がありましたが、その「ヤル気」を買ってタノムことにしました。
浜松からやってくるそのヤル気は大切。
ただし「ヨコハマルールは御免」拙寺の代々のルーティーンにのっとってくれと念押しした次第。
そのヨコハマルールとは若者にありがちな簡略、なーなー系のことを危惧してのことで要は親というより寺に泥を塗らないで欲しいといった私の思いあがりの欲求。
考えてみれば私の父親もその時はハラハラドキドキだったでしょうし、何しろそれに身を投じていかなくてはこれからのお話になりませんね。
父親はよく言っていました。
「髪を切れ」「みっともない」「恥をかいて来い!!」
先方には申し訳ないことですが・・・
挙句は「勝手にしろ~」でしたね。
悪評を得ても失敗をやらかしたとしてもそれこそ「経験」ですから親は沈黙するべき。
場数を踏んでなんぼの世界ですから。私の引退の序章でしょうか。
扨、先般矢作川東岸の丘陵にある岡崎細川の順行寺について記しました。
その際、何故にしてその地に赴いたかというところ、記していませんでしたので・・・。
それはそのお寺の地番が「岡崎市細川町根古屋」と非常にそそられる字名だったからです。お寺の寺紋の立葵もそうでしたが・・・。
要は地名のこの「細川」が全国的に有名になった細川氏の発祥地であり、尚且つその根古屋から「城塞が近い」のイメージ。
その地にある大谷派の寺とあっては「行ってみたい」の食指は動きます(場所はこちら)。
またそちらの北側の字名は「城山」ですからね。
ご住職とは再会の約束をしていますので図々しくも再た山門を潜りたいと思っています。
寺の周囲⑤⑥を歩かせていただきましたがこの高低差についてお伺いさせていただいたものの城塞との関係性は薄いとのことでした。
⑤⑥は①の細川町の公民館の北側の民有地付近の図ですがこれって「土塁じゃね・・・」と独り言。細川城の地、不詳です。
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