日曜日に思わず重なってしまったこといろいろがありました。
とりあえず何とか遂げられたことは満足していますが、一夜明けて絶不調に陥っていました。
奥方は疲労が重なったといいますが、私は「何を喰わせた?」。
他者に責任を押し付けようとする醜さよ。
以前なら数年に一度、最近だと1年に一度くらいに頻度が上がっている原因不明の体調不良の件ですが、激しい頭痛に嘔吐と急変状態。事務仕事は残っていましたが、全く手つかず。
折角の晴れ間に溜まった花ガラを処理場に搬送することもできませんでした。奥方からあと少しばかり灯油の追加購入も言いつけられていましたがすべて放棄。
勿体ない・・・大切な時間を消費してしまいました。
体調不良の布団の中で思うことは、こうやって布団から出られなくなって、いよいよ動けなくなりやがて死んでいく・・・とふと思うところ。不調の際はその手のことがよぎってきます。
しかし、まぁ布団の中は暖かい。
そしてそこに居さえすれば電気代光熱費はかかりませんし昨日は食事も口に入れられませんでしたから食費もかからず。
おカネが無ければ家で寝ているのが一番だという発想も浮かびましたが、普段はそういうワケにはいきません。食べて動けていてこその健康ですから。
本当に動けなくなった時、それが大問題ですね。
あと地震崩落、天変地異によって家が一瞬のうちに無くなってしまった時も。
一昨日はテーマは「路上」などと「110番街交差点」なる曲名を記しましたがそういえばそのアルバム(息子の好み)には「Street Life 」というアップテンポの曲がありましたので追記。
「路上生活」の心得・・・甘っちょろい私には理解できない部分多々ありますが、いずれ私が石ころの如く放り出されるのならば、その準備は必要です。水と米とカセットコンロ等々これからいよいよ。
奥方から「何故にしてアメリカには底辺を思わせる内容の詩が多いのか」と聞いてきました。
あの国には「無常と現実を客観視できる詩人がいて日本の恋だ夢だ希望のメルヘン指向と違って特に前者がウケるのだ・・・」。
不条理世界の底を這い回っている私も息子もその傾向ありますね。
裏金ギインの殿方も少しでも寒くてひもじい思いをするのがよろしいかと。
路上の寝食あるいは転がる石ころになってこそ初めて各有難さというものがわかるのでは?。
そうしてそれぞれが自らの始末をしていただくこと、お願いしておきますね。
扨、昨日はかつての京都界隈のウロウロについて触れていましたがあの頃といえば帰り際に近江のどちらかに寄り道するのが楽しみとなっていました。
近江なら何処でもいいという感じでふらふらっと寄り道したものでしたが、中でも米原という地は近江「今井」の思いあって親しみ深いものがあります。帰宅の道すがらということもありますからね。
ただし3月といえど伊吹山周辺は普通に0℃近い気温もあり、また、突然の降雪で尻尾を巻いて逃げるようなこと幾度か、毎度何れかの地で「死にそう」になったことがありました。
近江という地は私にとって比較的その方向に針が振れやすい場所です。
画像は何気なく通過した道端にあった「杉沢のケヤキ」(場所はこちら)に墓域。
自然石に六字の名号が記されていますが、法名が脇に見えるところ、これは墓石。他に近江の地ではごくあり触れた景色、五輪塔たちの集合が。
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