近隣箕浦の「今井」 箕浦城

近江のあの大きな山城、鎌刃城の麓の番場の蓮華寺から

ほど遠くない場所に国人領主今井氏の本拠、箕浦(みの

うら)城があります。

 

 「水田の原」の如く「米原市」の一角で古くから近江

穀倉地帯の代表的な場所です。

鎌刃城の如く山頂に築く城塞では無く平かな見渡しの

いい湿地帯?(箕浦の「浦」から)に天然の河川と環濠、

土塁等で囲った「館」的城塞が築かれていたことで

しょう。

「近江は淡海」やはり「井戸」から派生した姓で今井

からの流れ、井戸村氏の城館と一帯の地域です。

 

今井氏はのちに此の地に台頭した浅井氏と同様、近江

源氏(佐々木)京極氏の被官です。

この地区の戦国史上頻出する名でもあります。

特に小谷城本丸、黒鉄門前の「首据石」に浅井亮政に

謀殺された今井秀信の首が晒されています。

以後信長の侵入により今井一統はこの地を負われますが

当大澤寺開祖今井権七の出自は安土広済寺門徒とあって

距離的には30kmほどありますがこちらの今井との関連

は大いに考えられるところです。まさに当地離散の時期

が信長侵攻と時を同じにしているところも同様です。

同時期に近江高島郡を離れて堺で大成功した今井宗久が

ります。 

 

箕浦城は鎌刃城の如く人馬を退けるような要害ではあ

りません。平城ですので今は寺々が点在する集落に囲ま

れた田や畑です。

石標が一つ、かつての城塞の址を記すのみです(場所はこちら)。

~真宗本願寺派の宝福寺裏手 

              大谷派光常寺の直線上に碑が建っています~  

勿論、周囲の寺は「近江門徒」の名に違わず真宗寺院が

多い場所です。

 

昨夏の画像です。

伊吹山系から琵琶湖にそそぐ天の川などが形成した

肥沃な扇状地の田畑を基礎とした国人領地が想像でき

ます。

⑨の画像○囲いが箕浦城址の碑のある段です。

↓印が宝福寺さん。 

 

 下の画像は箕浦城、天然の堀、天の川の堤をバックに

「大字箕浦」の看板の画像と撮影位置のT字路(★印)

そして近江安土沙沙貴神社(佐々木姓発祥の地)の門前

に建つ標識です。