中立売の「正親」(せいしん)に「町」をつければ

大谷派寺院の被害状況の一報が入りました(4月18日現在)。

宗派では本山より宗務職員を派遣して熊本教務所に災害救援本部を設置しているとのこと。

 

大谷派寺院の被害の状況です。

熊本教区123か寺中、被害報告62か寺。うち本堂傾き3(うち1寺は全壊)その他本堂のズレや山門の崩壊、ズレ等。

日豊教区300か寺中、被害報告27か寺。うち本堂・壁等の損傷2か寺。

 

これら数字の羅列を見ただけで気分が悪くなります。

震災市域の御門徒さんと御寺院に特化した救援となりましょうが、応援したいところです。

 

さて、中立売を走っていると標記「正親」という文字が目に飛び込んできます。この文字はよそ者には紛らわしい文字です。

特に戦国期について私の如く「かじった風」の知識のある人は特にです。

 

息子と車中この字について、その字の通りの「親として正しい」知識というか雑学を偉そうに語っていました。『この「正親」に「町」がつくと何と読む?』です。

ドヤ顔でそんな質問を投げかけられてもそれは無理でしょうね。まさに親の自己満足で正しき親心ではありませんでした。

 

だいたい地名であれば、同じ字であっても色々な読み方があるものですし、今更ながらくだらん質問をしたものだと・・・

 

非常に紛らわしいのですが、ここ中立売通の「正親」の読みは「せいしん」です。ブログでも何度か聚楽第址の画像をアップしていますが①の図のバックの建物は「正親小学校」(せいしんしょうがっこう)の校舎でした。

②画像はその小学校を左に北向き「裏門通」(場所はここ)。「せいしん幼稚園」入口が見えます。③はこれも既出ハローワークの向かいの角の石標でした。

 

何が紛らわしいかといえばこの中立売通を東に向かって堀川通を突っ切って交差する「新町通」を北に行けば「正親町」(おおぎちょう)という地名があって同様に学校があったりします。

 

これまでは地方地区限定的な読み方でいわゆる「どうでもイイ」ような些細な事です。

ところが日本史上戦国期に出てくるその「正親町」はそれを読めないとなるとちょっとイケませんね。

ということで少しばかりの知識があったりするとそれら上記地名にブチあたった時にその「頭」で描いた読み方をしようとして、思わぬ恥をかいたりします。

 

こちら「正親町」は弘治三年(1557)から天正十四年(1586)まで在位した、正親町天皇(おおぎまちてんのう)の名ですね。

1557~1586といえば戦国期という広範な時代の中でもど真ん中にあたる時代です。

本願寺の顕如さんとは切っても切れないといっては言い過ぎですが、対信長の石山合戦の仲介役となるなど登場頻度は高いものがあります。信長も大いに正親町天皇を利用していますね。

 

ということでその字「正親」を目にすれば京都の地理より日本史的な頭で機械的に「おおぎ」が思い浮かび「町」がそのあとにつけば「おおぎまち」と呼んでしまうのは致し方がないのですが・・・。

京都の地での「せいしん」読みと「おおぎちょう」読みは「わからない」の一言です。よく考えてみればなんであの字の並びで「おおぎ」と読ませるのか日本語の不思議を感じます。

苗字にもあってこちらは「おおぎ」読みです。

ちなみに以前大河ドラマで明智光秀を演じた俳優の名が正親(まさちか)でした。

 

息子にはせめて「おおぎまち」だけは覚えてもらいたいところです。