お気楽野郎の泣き言と思われるでしょうが寒すぎて何もする気にはなれません。
バカバカしい寒さ・・・早いところ暖かな季節の到来を待ちます。
とはいえここ南遠州、相良では雪の一粒も降ったわけでもなく昨日のドカ雪で高速道路上で雪ならぬ「雪隠攻め」となっている人たちがいることは同じ東海道ということもあって少々の驚きがありました。
まぁ以前から近江から関ケ原には北側に高い山脈がないためにその降雪傾向が強いということは身をもって承知していますがあの様を見ていれば移動と高速道路の利用には天気予報の確認は絶対的要件であって、ヤバいと思ったら中止にするか早めの対応が必要になります。
昨日は息子が島田でラーメン食べたついでということで立ち寄りましたが週末に東京で法要2件を受けたとのこと。
私もかつて厚木インターから小田原方向に向かうにインターに入ってスグ、チェーン規制に遭遇して大渋滞。微動だにしなくなって朝まで道路上にいたことがありますが、予報が怪しい時は高速道路は控えるというのが肝要。
そもそも移動はせず、家にいるのが一番です。
家の中がこれだけ寒いのに被災地の皆さんの仮宿や車上での時間は私には想像できません。
被災したら・・・真っ先にすべて諦めて・・・死ぬ。そう断言します。
熱いお湯に入るとき「生かされている」の至福を感じる今日この頃。
扨、昨日記した古瀬間城。
浄願寺の奥、扉を開けて山道をのぼり切れば①の如くの看板が。
ということで古瀬間城の本郭をブラついたあとはその矢印の左方向「小督局」とやらの墓へご挨拶。
豊田方向に睨みを利かせている風からしてこちら方向は城址の裏山という感じ。
その参道には地域のみなさん方でしょう歌碑が並びます。
看板から100mも行けばその墓塔に会うことができました。
小型のかつては宝篋印塔が三基あったような出で立ち。
右端の大きいもの、上部に相輪が残っているのが小督局でしょう。いずれもバランスが悪く、本来のパーツの組み合わせではないかと。
最後の画像は宝篋印塔の笠、隅飾りの部分だけ。
その小督局について各お調べいただければ。
数ある小督のうち平安末期のそれを主張していますがそもそも
何故にしてこちらにという理由がわかりませんので、ハイそうですか・・・という具合に鵜呑みにできないところ。
パーツの組み合わせを推すところは浄願寺奥の松平の宝篋印塔と同様ですが隅飾りの姿は古式溢れて美的要素は満点。
こちらの散策も春がおすすめのよう。
ヤマザクラには早かったのでしょう、それには気づきませんでしたが。
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