わたしの「二条城」といえば・・・平安女学院

アトキンソン氏も大好き(昨日ブログ)、堀川通りの通過の際、ちらっと「二条城」辺りへ目を移せばなるほど外国人の数は相当多いように感じます。

ちなみに私がそちらの門を潜ったのは中学と高校の時の2回です。これからもあの雑踏に足を踏み入れる気持ちにはなりませんね。

 

京都を案内誌に載っているピンポイントの観光地で無く、散策的に時間を贅沢に使うことができるのなら、その道の初心者は烏丸通りと堀川通りの南北に走る大路あるいは哲学の道を寄り道しながら歩くべし・・・というのが私の推奨ということはどこかでも記しています。

もっとも京都はハッキリいってそこいらじゅうに見物がありますので、こだわる必要はありませんが。


「哲学・・・」はやはり著名な寺院が点在しているため、オンシーズンや土日などは人だらけで辟易としてきます。

京都は世界的な観光地となっていますので仕方ないことですが。

 

前者は京都御所から見て「烏丸通り」を隔てた空間で東西に走る「上中下の『立売通』」のエリアです。南北に走る「室町通り」の名や近衛町、勘解由小路(かでのこうじ)町の町名等、興味をそそります。

 

さて、前述した外国人1番人気の二条城は実は江戸期、徳川時代のもの、家康の京都滞在の宿舎的屋敷が元でした。二条城といいながら、地図の東を平行して鴨川辺りに目をやれば三条大橋。本来の二条とは「ちょっと違う」感ありますね。

 

ということで元々「二条城」があった場所というのが勘解由小路町から武衛陣町、室町通り沿いです。

この辺りというか京都町屋等、狭い路地を車両でうろつくことは本当に荷が重く、やっかいになりますので、適当に車を乗り捨ててブラつきます(場所はここ)。

 

現状、城とはいえ何らの遺構らしきものは残っていませんので目視して確認できるものといえば石碑と看板程度。その紹介が無ければまっく想像ができる場所ではありません。かつては天守や堀も整備された信長の城でした。

 

石碑の建てられている道路は公道となっいますが、ほとんど「平安女学院」という学校法人の敷地のような感覚。

幼稚園から大学までの一貫教育のミッション系で、日本初のセーラー服を採用したという学校です。

京都の学校については不詳ですがきっと私の如く野暮な男どもにとっては憧れ的お嬢様方のイメージであることがうかがえますね。

 

という場所にカメラ片手に、時に立ち止ってはキョロキョロしながら校舎と校舎の間を往ったり来たりするのはどうも気が引けました。どうしても警備員の目というのが刺さるような気がするものです。

まぁ「すわ!変質者」と警戒するというよりも、オカシな「You」(外国人)のマイナーな場違い観光くらいに思っていることでしょう。