お日様は10曇りが70で残りは土砂降り、といった1日でした。
あのような雨の降りかたを見ては何もする気が起こりませんでした。デカい低圧帯の北上はそのコースが朝鮮半島であっても当地含め太平洋側は南からの湿っ気た空気がどんどん入り込んで天気を悪くさせますね。
教科書通りだと思ったのは日本海側で40℃超えの地点(新潟)があるなど軒並みフェーン現象の高温地として名乗りをあげたこと。
そして連発台風は同じコースを辿るというところも。
また915hPaの強烈台風(10号)に関しても見ものです。
海水温が暖かいことからその発達と勢力を維持したままの北上はどれほどのものなのか・・・そしていずれその強烈を私が味わうことになるのでしょうが、その時は相当面倒なことがおこりそうで・・・助かるための勉強をさせていただきます。
九州に接近していますができるだけ西に逸れて欲しいものです。学校、会社など事前に「休み」にするなど臨機応変に対応しないと後悔することになるかも知れませんね。
しかし東シナ海で貨物船が沈没して40名以上が行方不明になっているとのことですが、そもそも台風9号と並走するかの如く接近してのコースを船が進むなど正気の沙汰ではないのでは・・・
先日のインド洋の座礁といい、結構にやらかしていますね。
船舶関連の事故は重大事案に発展しますから私のようなうっかり者、不注意の塊のような人間には操船は向いていないことがわかります。
小さな船でしたが沖縄で人さまにどれだけの迷惑をかけたことか。
さて、上寺の田中城。
「上寺村の山の上に在り」ではありますがその上寺とはその語の通り村の裏山の上に寺があるということですね。
城はその更に上方にあったということです。
古くからの地名としては「大畑」ではなく「松蓋寺」だったと言います。
以下、城郭大系より。
「上寺城の一画の石段を登りつめた平坦地(標高190m)に現在観音堂が建っている。この観音堂は元亀三年1572の織田信長方の兵火によって灰燼に帰したといわれる松蓋寺の一堂宇である。比叡山延暦寺系の松蓋寺は往時大伽藍であったことが伝えられており、高島七か寺の一院でもあったが鎌倉時代後期にいたって寺域内に上寺城が築かれたのであろう。」
以前ブログにて清水山城の石仏について記しましたが、城を山岳寺院と同等の立地に建てるということは良く見られるところですが、それは寺院自体が城郭の形式にあり、地区の人々の拠り所という意味から地域を治める領主としても都合が良かったのだと思います。
昨日は田中吉政の件、記しましたが彼は阿弥陀信仰への拘りが見られる人です。
単純に考えると天台系の阿弥陀信仰もありますが、のちに菩提寺として浄土系寺院を選択しているところはこの地の松蓋寺の面影を残してはいないような・・・その辺りも今一つ「田中城城主だった」の件については不審が残るところです。
それにしても小字名「松蓋寺」が消えてしまったことは残念なことでした。
画像は観音堂へ登る石段と石段手前の石仏お出迎えの様子。
石段の登り口周囲は土塁状に囲まれた平坦地ですが、帰り際に土塁の上を走る獣が・・・。
慌てて撮影したためピンボケになりましたが猿数匹が走りまわりあたかも包囲された感。
昨日も記しましたが、なにせああいう場での何かの生命体との遭遇は肝を潰します。特に彼らの場合は多勢に無勢です。
一対一でも勝てる気がしませんね。
クマでなくてホッとしました。
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