人が生きるにあたって・・・無駄ばかり

一昨日夕刻の東京方面の雷雨画像を見てその日は「まさかここにもコレが降るのか・・・」と唖然としました。

それでも楽観的というかどうにもならない「まな板の鯉」状態でしたので「相良は大丈夫」と言い聞かせて就寝しました。

まぁ降ったら降ったでどうでもイイ感満載でしたが。

 

一昨日は息子と息子の友人が遊びに来ていたことと、空の色が真っ青で雨の一粒も降るという雰囲気が無かったことから蔵の中のガラクタを一気に外に引きづり出しました。

 

土蔵の前にシートを敷いてそちらで保存継続か廃棄かをざっと見て選別したのですが、まぁ殆どが廃棄処分。

なぜにまぁコレだけの不要物を溜め込んでいたのか不思議でしたが、私も寺に入って13年目、手を付ける気にもならずに放置していましたから。

要は「詰め込み過ぎ」。とりあえず「突っ込んじまえ」ということだったのではないでしょうか。

 

当初は「大切に保存する」という意図であったことはわかりましたがそれは曾祖父あたりまで。

保存後というか詰め込んだあとは100%メンテナンスが無かったということです。

書付文書類は1階も2階もシロアリ被害は甚大でしたが、特に2階に置いてあった書面は風雨にさらされたこともあって「土化」し、まるで発掘作業の如くでした。

古文書類の有様は先日の画像の倍以上でした。

特に寺の宝物としてあった浄土教系の経典類などがビッシリ詰まっていた箱の中の傷みは酷かったです。

湿気と書物の重みがシロアリの絶好の住処と化していたのでした。

 

判読不能の書籍はやむを得ずお焚き上げし、他の不要物は軽トラで搬出。現状軽トラ5台分です。

書籍等の保存に関して虫干し乾燥の継続は不可欠ですね。

おそらく書類を詰め込んでから100年は経っている箱もあったような。

 

また、捨てるものの多くは、衣類。

当初は着られなくなったもの、小さくなったものを「大切に」の気持ちで保存、いずれまた利用しようと思っていたのでしょうね。

結局はそれらそれぞれ、蔵に入れた者の気持ちとは裏腹に「無残」の結末。

 

頭を冷やして考えると・・・私の「衣類・書物」もそのような大迷惑を子供やまだ見ぬ孫たちにかけるとするのなら、今のうちにキレイサッパリが一番ですね。

私がおさらばした場合(勿論肉体としてです・・・)、捨てられるであろう今私のお気に入りの服たちや書物に少々未練が残ります。

「人が生きるにあたって・・・無駄ばかり」ということ。