GW連休、週明けの天気は「大荒れ」との予報を聞いて私の京都行きのお楽しみは一気にトーンダウン。
息子を送りがてらの京都行脚の予定を入れていましたが息子には新幹線にて帰ってもらうことにしました。
雨と人混みはこの世の中で最上級に嫌いです。
まぁ余程の粋狂な人なら別ですが、そんなものをばっちょろがって楽しもうなどいう人はまずはいないでしょう。大抵が「成り行き」ということで受け入れるのみですね。
昨日も夕刻から金谷から島田の国一を通過しましたが大井川の渡し(橋です !)周辺は酷い混雑でした。そのルートを選択した自分の判断を呪いましたがやはりGWの各状況は想像を超えていますね。
いいお天気は逆に表に出たくなるもの、人々があちこち溢れるのも仕方ないでしょう。
やはり表記「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」の通り新緑があおあおと青空に映え、時鳥の声など聞こえれば最高です。
その句は江戸初期の甲州の俳人、山口素堂の有名すぎる句ですが初夏、五月の季語が一句の中に3つも・・・3つ目の季語「初鰹」のみが前2者と違って唐突にも「率先して食べる」という「行為」になっているのです。
ちなみに前2者は「ぼんやり」していても十分味わえるものでした。
「ばっちょろがって」と言えば先日とれたての初鰹を頂戴いたしました。
わが家には最近「勝奴」に変身する奥方がいますので下ろして刺身だなんだのとまるまる「1本」を戴いても問題はありません。
我が家ではやはり初鰹は「ぼんやり」していても口に入ってくるという代物、豪儀な生活と罰があたりやしまいか恐ろしさ半分、ただただありがたい。
その「ばっちょろがって」は「梅雨小袖昔八丈」(髪結新三)の中での新三の台詞。「勝奴」は新三の子分で鰹を刺身に仕上げるのが上手、その「1本」ではなく「かつおは半分もらったよ」の連呼が家主長兵衛でした。
初鰹といえば話半分として「女房を質に置いても・・・」喰うというくらいに江戸の酔狂なのか初物喰いに粋を感じていたということがうかがえます。
その価値とはいかなるくらい?と思いますが芝居の中ではその初鰹の肴売との価格交渉についての件があります。
鰹一本を肴屋は三分一朱と言いますが新三は三分にまけさせます。ちなみに新三は肴屋に二分金を二つ出して「釣りにはおよばねぇ」とこれもまた気風のイイところを見せました。
さて例によって初鰹が三分であることがわかりましたので金額換算を。
一分とは1/4両です。よって三分で3/4両。
米高騰によって貨幣価値は変わりますが少なく見積もって一両が6万円から、もしかすると10万円くらいまで。
するとその金額の3/4にあたりますから4万~7.5万円。
鰹1本がその値段とは・・・
肴屋が鰹の頭を「犬にでもくれる」と言うと、「それではくれ」ともらい受けた権兵衛が「これで初鰹が(喰える)」と喜んで持ち帰るシーンがありますが全部が全部の江戸っ子がそう簡単に食べられるものではなく、権兵衛の「三分あれば単衣物一枚買う」の通り、かなりの贅沢の粋な食べ物であったことがわかります。
ちょっとした着物そして初鰹が4万~7.5万円だったということです。
③~画像は奈良當麻寺の四月中旬の風景。
最後の画像が二上山。いつかはのんびり登りたい。
たくさんのハイカーとすれ違いました。
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くりくり (日曜日, 06 5月 2018 00:04)
初鰹いいですね
父の世代はマグロよりカツオを喜ぶようです
今井 一光 (日曜日, 06 5月 2018 00:09)
ありがとうございます。
その通りですね。
相良も御前崎でもみなさん殆どの方は「鰹が一番」と言います。
ホントにマグロがイイなどの声は聞こえてきませんね。
寿司屋に行くと何故か中トロ食べたいとか言い出しますが(回っている寿司です)。