良きお天気が続いて嬉しい限りです。
昨日は懸案だった拙寺境内に建つある墓石についてその継続か否かの方向性進捗がありました。
戦時中、南洋で戦死した方の墓碑ですが参詣・墓石管理者不在のまま数十年。
ただし、建碑者については判明していましたので、その旨今後の事をおうかがいさせていただきました。
拙寺御門徒さまではありませんので第一声「はじめまして」のイキナリ訪問の失礼だったわけですが、「そういうことならば・・・」とその方向性について検討いただけることになりました。
まずは「墓じまい」となるのでしょうが、どうしても、もやもや感が残ります。
若くして戦場で惨い亡くなり方をして、かつ無縁さんとなることなど当人も知らぬこと、まったく気の毒なことですが、そういう仏たちは世に無数にあります。
やるせないことですが、若き命を戦争に引きづり込んだ国の責任として亡くなったあと墓地の管理100年200年は面倒を見ようと気概を持っていただいても罰はあたらないでしょうよ。
彼の墓を抹消するということは戦争の歴史を消すということですからね。
昨日のニュースでやはり揉めていた「政治資金規正法の改正案」とやらが衆議院を通過する見通しであるとの報。
その内容については煙にまかれた感じが・・・
一番にインチキ臭いと思ったのが「政策活動費はすべての支出の領収書等10年後に公開」という件。
「10年後に公開」って・・・「?」マークしか出てきません。
素人の私だからなのでしょうか意味不明に陥ります。
一般に私どもの生活の中でそのインターバルは有り得ませんからね。商行為であれば「瞬時」に出されるものです。
私どもの立場としてご懇志またはご依頼について先方様より受取の証が必要であると申請されれば「披露状」という書面になりますが、その提出は遅れたとしてもせいぜい4~5日ですからね。
彼らの感覚はあまりにも我らのそれとケタ違いに飛んでいます。まぁ庶民の感覚としてはその件時効を期待する悪辣な発想があるのでは・・・などと考えてしまいます。
わるい事を散々やってバレたとしてもその証拠は10年後。
それでいて時効ともなればもはや訴えられる心配はナシ。
そもそも10年ひと昔、悪い事をして10年後にその者がギインさんの職など辞めているかも知れませんし生きている確証もナシ。生き恥をかく心配なし。しかし昨日記した呪詛の如く庶民大衆から恨みを買いますね。
まぁ改正とはいっても彼ら御一同のやりたい放題のママ、思うつぼなのでしょうね。
扨、室生寺本堂の南西の森の中、大き目五輪塔の影が見えます。
その左側には宝篋印塔とやはり五輪塔が立ちます。
右端にある大き目五輪塔は壇上区画にあって正面左右の角に小さな五輪塔。あまりそういったスタイルは御見受けしませんので、後世いつの頃かちょっとした演出、イタズラかも。
こちらが北畠親房の墓といわれている墓塔です。
正面石柱②の彼の名の上に小さく「伝」という文字が添えられていますが要は確証がないということ。
いずれにしろ多気国司の墓という説もありますので、北畠の一党の墓というのは違いないところかも。
先般記した織田信雄は北畠家の養嗣子となって北畠氏を称した時期がありましたね。
興味が沸くところは、大正五年にこの墓の発掘調査が行われたそうで骨壺の中に遺骨が出てきたということですね。
その主たる者は確定できなかったそうですが、この寺に直接埋葬されたということは余程の権威の持ち主だったということが推測できます。
また、五輪塔水輪部から木製五輪塔とその内部から水晶製の五輪塔が出てきたとのこと。
またお隣の宝篋印塔も相輪等欠損がありますが、良き形で、おそらく北畠家に関わる人の墓ではないでしょうか。
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小山昭治 (木曜日, 06 6月 2024 08:36)
私どもの室生寺の観覧とは違い、改めて「こんなにもいろいろあるものだ。」
見る方角が違いますね。私どもはただ見るだけ。ある面、恥ずかしい限り。
墓じまいの件、墓じまいはしても遺骨があれば永代墓へ入れるんでしょ。
墓はなくなっても供養には変わりないことになります。
まして、海へ流しても自然に帰ります。それでも供養に変わりなしと思います。
今井一光 (木曜日, 06 6月 2024 18:47)
ありがとうございます。
実はその方はニューギニアにて戦死しており、墓碑にその方の戦地までの部隊での行動ほか簡略記載がありますが、遺骨はないと思われます。墓碑のベース部分には納骨室が作られていませんし、当時の日本政府は個々の遺骨について回収などしていません。
艦砲の直撃を重ねて受けた硫黄島守備隊など「1000人が消えてしまった」というくらい何も残らないと聞きます。
当時の同様の拙寺の墓は亡くなった地に戦後、遺族友人が赴いて石コロや砂を持ち帰って遺骨の代わりとしたものが大勢です。
空っぽの墓碑であっても代々子孫縁者は香華を備え崇敬の念で合掌していますが、無縁となる墓も多くなっているような。
そちらは遺骨が無い供養塔の部類となるでしょうが、一人の生きた若者の歴史、墓碑に記された文言について未来にどう伝えていくかが寺としてのテーマになっています。
今はデジカメという便利ツールがありますが、それをファイルしておしまいにしするか・・・