お前は善人 ?悪人 ?・・・「わからない」 OH 真宗的 !

昨日は拙ブログで「教員は自分の時間が持てなくて気の毒」のようなことを記していましたがこのほど文科省の中教審の部会の教員の働き方改革と処遇改善についての議論がまとまったと昨晩のニュースでありました。

何やら残業代を払わない代わりに支払う上乗せ分に関して月給の「4%→10%以上にすべき」とのものだそうですが、これまでの「定額働かせ放題」なる「残業ずるずるだらだら無制限」の悪慣例は残るとのこと。

ニュースでは教職志望という方がインタビューを受けていましたが「それなら、やっぱやめた~」の気持ちを吐露されていました。

 

以前もその件ブログにて記していますが、御門徒さんの若者で教職員志望などと聞けば私は必ず「およしなさい」などと持論を展開して違う方向性、検討を促していますがその結論は当たり前というか自然です。

「自分を殺す」仕事に敢えて就くという気概があるのなら別ですが。

「教職員は最高」と誇れる抜本的処遇改革が文科省から提起されるまではまずおよしなさい。それが身のため。さもないと後悔することになります。

 

扨、「丘の上の本屋さん」なるユニセフとイタリアの共同制作の映画がありました。私は2回視聴しましたが。

その古本屋の老主人「リベロ」 (「自由」の意 レモ・ジローネ)の容貌と言葉が醸し出す知的な優しさが忘れられないでいたのですが、最近のハリウッド映画(「イコライザー THE FINAL」)にその姿を見ることができました。

 

主人公がやっつけたマフィアのボスの子供に後ろから撃たれて負傷、医師の元に運び込まれ、その時医師(レモ・ジローネ)が彼に声を掛けた言葉が表記「お前は善人か、それとも悪人か」の問いでした。

彼は少々の間をおいて「わからない・・・」と。

映画の後半で彼が「あの時何故私を」助けたのか問うと医師は「わからないと応えたからだ」と。

 

私はついつい閻魔さんと玻璃の鏡のエピソードを思い出しました。その閻魔さんの問いとは「お前は嘘をついたことがあるか」でその状況とは違いますが、まず人はその嘘の件、我こそ助かりたい(地獄は御免だ)の欲から「生涯、嘘などついたことはありません」の大ハッタリの言を吐き結果、地獄に堕ちることになるのでした。

 

そこでの私のそのシチュエーションにおける正解を示せば「嘘ばかりの人生で愚かな私に為すすべはありません」などと正直に応えるに限ると~地獄は一定すみかぞかし(歎異抄)~いうのが皆さんへのおススメでした。

 

その医師が阿弥陀さんの化身と考え、「善人-悪人」の問いの応えとしてその「わからない」はベストであってそれこそが真宗的であると感動した次第。

一言で「悪人正機」(歎異抄三条)ではありますが、

歎異抄十三条には宿業(因縁果の無数の組み合わせ)の結果、善悪というものは自身では選べないといいます。

「よきこころのをこるも 宿業のもよほすゆへなり

   悪事のおもはれせらるるも 悪業のはからふゆへなり」

 

確か以前も記したかと思いますが夏目漱石の「こころ」の一節に「先生」が主人公に語った悪人についての名言がありました。

 

「君は今 君の親戚なぞの中に これといって悪い人間はいないようだといいましたね しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか 

そんな鋳型に入れたような悪人は 世の中にあるはずがありませんよ 平生はみんな善人なんです 少なくともみんな普通の人間なんです 

それがいざという間際に 急に悪人に変わるんだから 恐ろしいのです」

 

善悪の物差し、正義の物差しが人によって違い心の中にある「スケール」そのものに限界があるということでしょう。

矛盾と思い込み、煩悩熾盛の私があるからこそなのですが、映画の主人公が医師に問われて「わからない」と応えるのはまさにそれが真宗的だと。

医師(私からすれば阿弥陀)は主人公のそれ(わからないこと)への気づきを評価して治療を施した(助けた)ということです。

 

画像は以前横浜で息子がお世話になったお寺の標語から。