毛原廃寺跡礎石 奈良の美品 円形と多様なカタチ 

雨はあがって朝から青空が広がる気配。

私はその作業を、やっつけようと境内のある墓石の前で独り線香を添えて簡単なおつとめを。

墓石と言っても墓石の形をした供養塔。これまでありがとう・・・です。

それから大ハンマーを担いでその墓地へ戻りました。

竿と呼ばれる上部の主たる石塔とそのベースの石を私なりの方法で外したあと、その下2段のコンクリート型枠で作られた3段目と4段目の除去ハツリ作業。

 

コレはある相良地区の名士がおそらく使用人だった若者のために建碑した墓碑ですが建碑されて約80年を経ます。

遥か昔に無管理になってコンクリベース部は朽ちていくままに放置されている墓標です。

相良周辺では名の通ったその建碑者の娘さんが健在ということでその墓石墓じまいを打診するためにお会いしました。

一週間ほどまえのことです。

すると撤去工事について快諾いただきましたので、早速石屋さんを呼んでその工事着手について折衝したのでした。

 

事情が事情だけに他の拙寺の工事と抱き合わせにして格安の見積もりを頼むと「本来は20万円と言いたいところだが17万円で」と。

それでも先方に配慮して「もう一声」何とかして欲しいと図々しく頼み込むと15万円を割った金額の提示をいただきました。

 

考えてみれば墓じまいといえども私の代は勿論、父の代祖父の代まで運営費その他いろいろな経費について御依頼したことはありませんので、他の御門徒さんからすれば不満が出ても致し方無いところではあります。

 

その書面を持って先方宅に再度赴くと、「よく考えて子供たちに相談した結果お断りすることにした」と。

そして3回目に先方から呼ばれて伺った際はヘルプの年配の方二名が待機しておられ「支払いの必要はない」とまで断言されていました。

 

私の言い分としては「貴女のお父さんが墓石の建碑者です」ということだったのですが、これ以上の話し合いはムダ、もはやその主張は不要と判断しそのお宅を退去したのでした。

「トラブルは御免」というところでしょうか。

総代会、世話人会にその件を報告し、処分費について御門徒さんからの運営費で支出することに了解を得ることにします。

解体に関しては私がDIYで行いましたが、残材の処分費は業者さんに依頼する他はなし。

これから来られるコンクリ工事の業者さんに泣きついて何とか片付けてもらうことにしましょう。

 

その墓碑の主たる部分は当分の間は鐘楼のベース部分に寄っかからせて置いておくことにします。

実は竿部分を確りと立たせてそれとなく設置したのですが、奥方からそれでは「何かの墓と誤解される」「むしろ適当に~」との指摘がありました。

よって「墓標ではない」を主張すべく午後遅くにでもその作業に取り掛かることにします。

午前はやることいっぱいなのでした。

 

ちなみに、あの手の重量物の移動は先般の石垣いじり(50個以上)以来でしたがまだまだイケることを確信しました。

ただし石垣の石は25~30㎏程度ですが、墓石は80~100㎏はありそうです。

よってゴロゴロと転がして移動させる程度ですね。

大ハンマーを振り回したこともあって、関節各ミシミシ、両腕パンパン。

 

扨、毛原廃寺跡には想像を絶する空間が広がっています。

山の中のこのような地にかつての大伽藍の存在があった・・・それを考えるだけで不思議世界に埋没。

昨日も少々の礎石画像を示しましたが、その夥しい礎石の数にはまた圧巻です。

何しろデカイ。

私も本堂の礎石ほか「石」というものに馴染みがありますが、あの大きさから推測するその上物の大きさたるや如何に・・・

 

昨日の掲示板の如く、かつて昭和13年に売却されて行方知れずだった物があり、後年返却された・・・という経緯があったとのことですがそれにしてもこれだけの物をどういう権威があって売り払ってしまったのか・・・無管理という時代があったのでした。

私は元あった場所に正確に戻されたのか、そちらの方も心配になってしまいますが。

 

それにしてもこの重量物の移動について、もし私なら・・・を考えてしまいます。やはりこればかりは頭数が必要です。

ユニックなどがない時代ですからコロとロープを駆使する他はないでしょうね。

 

しかし、もしこれが一つ二つ庭にあったとしたら・・・最高の趣になることは必定。

「欲しい」という気持ちは大いにわかりますね。

まぁ趣味の問題ですが。

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (火曜日, 11 6月 2024 08:39)

    画像で見てもかなり大きなお寺のようですね。栄枯盛衰。何があったのか知りませんが哀れな姿と言うほかにありません。支援者が権力者であればあるほど権力者の没落後は哀れ。わびしいね。

  • #2

    今井一光 (火曜日, 11 6月 2024 14:20)

    ありがとうございます。
    歴史の中にそれは確実に存在していたはずであるのに記述されたもののほか伝承すら
    ない不思議なお寺の痕跡ですね。
    すべてのことが想像世界にのみ展開するお寺。
    この辺りの地が遷都候補にあがって各動き出したもののどこかで話が白紙になっていたのかも・・・などと。いずれにしろ大いなる残念を感じます。