ステーキな金縛り、けろりと復活 稲葉山城にて

昨日のブログで西田敏行のキャラクターについて標記の如くつまらぬ話を記しました。ただし「ステーキ」とはちょいと違いますね。

その前の5/3にもお知らせした通り、「ステーキ」のほかハンバーグ等の牛肉喰いは実を言うと最近たまたま連続していた「暴食行為」の一つでした。

帰省した次男のリクエストに始まった外食系ですが、とかく久々に合流した者との会食は奮発して普段食べつけないものを食するものです。


連日の「牛喰暴食」に「ひょっとするとヤバいかも・・・」と「墓道」と話し合っていたものの、「それなりの運動」も伴っているという理由で自分なりに「いいだろう」と納得していました。

その日は少しばかり遠乗りしたその帰り道、稲葉山城(金華山)の信長館跡でも覗いてから帰ろうと城の真下のレストランで遅い昼食。駐車場つきで気楽に済ますつもりでした。


遠乗り時は私の運転の代わりに「墓道」の昼食代決済については決定事項。

まずは大抵、鰻屋を探すのが常なのですが、美濃の地は大河が多い割に街道筋にその鰻屋が目につきません。

それどころかたまたまとは思いますが食事ができそうな店が何故か見当たらないのです。

ということでついつい目的の稲葉山城まで食事する機会に当たらずに来てしまったということです。

ここは「うなぎ」ではなく「うかい」が有名でしたね。


結果的にまたここで無意識に注文した食事は牛肉系。

お腹が減ると「危機感」が無くなって、わかっていてもつい脂っこいものを摂ってしまう精神力薄弱な自分を呪っているとそこへ携帯電話。

唖然としました。

内容は檀家さんからのもので、親しい友人でもあり、当家の檀家さんが「亡くなった」というものでした。

私が遠乗りをすると「どなたかが倒れる」というジンクスについて「まだ残っていたのか」とそれも含めて溜息と呆然。


その方は先般、バス旅行にも元気に同行してくださったばかり。その家族からの連絡があったとのこと。

ざっと聞いたお話では、孫も休みで「ステーキでも喰いに行くか」と話がまとまって静岡方面に昼食へ。

満腹になっての帰路、お孫さん運転の東名高速上の車内で突如卒倒し呼吸が止まったとのことでした。


一番近い吉田の病院には受入れ拒否されて、榛原病院の救急へ何とか担ぎ込んだそうです。その段階で連絡網が広がったのでしょう。


私の方は早々に食事を切り上げて、駐車場に向かっていると先ほどの方から再び電話が。

それが何ともビックリ、息を吹き返して家に帰宅するようだとの話。

よく存じ上げる檀家さんということ、ついその方との最近の話題は食生活について、「脂っこいモノを控えたい」でした。

まして、直近の私たちの話題が「それ」でしたから何とも複雑な気持ち。ショッキングな話で意気消沈し「帰りたい」という気持ちばかりでしたが、そこへまさに起死回生の情報だったのでした。死んだと思っていた人が再び生き返るなんてことは小説やドラマの中だけだと思っていました。それも後遺症も無いなんて・・・


とにかく嬉しさあまって昨日半信半疑でお宅訪問。

まったくもって「けろり」としていました。

こういう場合、私に連絡が入るのはまず、葬儀の予約。

そして最近の傾向はまず葬儀屋さんへの連絡が主で、寺は二の次です。

それだけお寺を主に考えていただいているということですね。


滅多に無い大きな「狼煙あげの間違い」=誤報でした。

病因は重篤な「食あたり」=「急性腸炎」とのことですが、1週間後の脳外科でのCTの予約が入っているそうです。とにかく大事にしていただきたい。


人間はいづれは何らかの要因でその道を歩むことになりますが、当人の幸運もあったでしょうし家族一同皆が一所懸命になることが今回の復活劇の要因となったのでしょうね。

「また命拾っちゃったね!! レジェンドにするため長生きしてください」と激励させていただきかつ、皆さん一同、私も含めて食生活を今一度見直す必要性に背中を圧されているよう感じました。

自然現象として体が拒絶したということも考えられます。


私たちは駐車場まで出たもののその話を聞いて、心機一転、気分良く目的の信長屋敷跡界隈へ。

さすが信長の城、凄い人並でここでも驚愕。

国道脇の駐車場の入口は入庫待ちの車両がズラリ。例の山頂へのケーブルカーも長蛇の列。聞けば40~50分待ちとのこと。

30分以上待つなら私たちなら徒歩(かち)トライしますが。

下から見上げるとあのハコの中はまさに箱詰め。最悪の状況が覗えます。

今回の目的は山頂の城からの景観ではなく麓の館周辺の状況ですから関係ありませんが・・・。