三州国境近く 氏親の築いた前線の城  宇津山城

この城は三州(三河)方面から遠州の守りの要として今川氏親が築いたといわれる城で、甲州勢から追われた花澤城の最後の城主(城代)だった大原肥前守資良(小原鎮実)がいた城でもあります。

彼は今川譜代では珍しいタイプの曲者でした。

 

宇津山城は駿府からは遠いですね。

現在相良の私が浜名湖方面までたどり着くに東名高速で1時間以上は見ておかないといけません。

その駿府からの息が及びにくい場所、東三河の元今川配下の松平(家康)は、惣領の義元が桶狭間で没して以来、袂を分かって対立するようになりました。

よってこの地域の勢力図は「今川か松平か」の不安定な騒乱状態に陥りました。

 

かつては浜名湖の静かな漁村を思わせる長閑な場所(ここです)にあって、浜名湖に突き出した半島の頂部にあたります。

城塞は街道筋に築くことは大概のパターンですが、この城の役割は領国の前線防衛が主でした。

しかし当然に背水の陣となるため城の背後には船着き場を用意して、実際に負け戦の際には船ででの脱出であったことが推測できます。また、海運や漁業を取り仕切る「海上の関」としても機能していたことでしょう。

 

城は正太寺の浦山ですので登城はそちらを目指します。

私は下の駐車場に停めましたが、城址近くにも墓地があって車でも上がることができます。

おそらく主郭への大手道もそちらの道だったのでしょうか。

 

画像は例によって夏場のため、相当大雑把で気分だけ。

ハッキリとした土塁が出迎えてきます。

雑草をかき分けて行けば、石積みの見える郭を囲む土塁が確認できました。

当時は当然に今のような鬱蒼とした木々は無く、かなり見通しがきいたと思います。