昨日ブログにて記しました東京から来訪された方は先日東京国立博物館の特別展「法然と極楽浄土」の遺物たちを拝観してきたと(今週日曜が最終日です)。
実は私もそれ目当てに東京方面に向かうタイミングを計っていたのですが、あっという間に私の一番の目当てだったそれが入れ替えとなってしまっての残念無念。
よって次の開催が予定されている京都国立博物館にその望みをつないでいるところです。
京都での開催は10月といいますので、そこは拙寺バス遠足の日程が組まれています。
今回のバス遠足は概略行先は指定していますが行程・時間・昼食等を旅行会社に投げてしまっていますのでその博物館行脚を差し込むことにムリがあるかも知れません。
ふざけた企画で直接奈良の一寺に寄ったあとは、京都の酒造見学、烏丸通のホテルに投宿し翌日朝一に大谷祖廟といういつもとは順序の違った段取りになっています。
これまでの感覚として皆さんは博物館見学等はお好きでないよう。興味がない方をお連れする事も私としては気が引けます。
昨年の南山城の「わらい仏に逢いに行く」ツアーで岩船寺から浄瑠璃寺まで皆さんを歩かせたことから「愚痴の少々」が聞こえてきましたので今回は私の趣向はほどほどに・・・と思っていましたが京都国立の企画がその期間にあることを知って、私は引率者としてバスは降りられませんが「あとは勝手にホテルまで・・・」の毎度の投げやり自由行動での博物館企画を差し込もうかとひらめいたところ。
まぁそれまでしてその「法然~展」に行きたいという方は不在かも知れませんが。一応打診することにします。
今年は桜咲くころに奈良の山間部を歩いたわけですがその中心部、奈良国立博物館では「空海 KŪKAI-密教のルーツとマンダラ世界」展(やはり日曜日まで)が開かれていて、非常に悩んだわけですが、奈良市内の混雑の状況が蘇ってパスした次第。
心中、奈良か東京どちらかの選択肢ならその今回の企画・・・空海と法然では「法然に決まっている」という気持ちが無きにしもあらず。
そういう時は、宗旨的判定が頭の中で幅を利かせますから。
ぶっちゃけ記せば真言密教か称名念仏ですからね、当然といえば当然の事。
しかし、私は日々五輪塔だの宝篋印塔だ大日如来だのと阿弥陀さんの物語とは真逆に近い流儀による遺美術について、のらりくらり綴っているわけで、その空海に関わる美的遺品に関しても大いに興味をそそられるのでした。
扨、その奈良国立博物館の「空海 KŪKAI-密教のルーツとマンダラ世界」のタイトルの「曼荼羅」を何故にしてカタカナにしたのか・・・などとあまり大したことではないようなギモンが湧きました。
「マンダラ」の感覚は一般的には「世界」とかサークル状に配したフラクタル幾何学的絵図を思いますね。
そして本来の意味はそもそもサンスクリットからであて字(円とか集会・・・今言う「サークル」に似たイメージ)そして漢字で記すことにこだわるのはあまり意味がないのですが・・・
まぁどちらでもいいか・・・
また伝来諸仏を中心に据えたストーリーの絵図を通称「〇〇曼荼羅」と言ったりします。
ところが真言密教(中心は大日如来)ではその曼荼羅は宗旨ならではの灌頂という儀式に切っても切れないアイテムで「悟り」に通じるものでした。
それは胎蔵界曼荼羅③と金剛界曼荼羅④とのセットですね。
片方だけというのは有りえないのでしょう。大抵そのセットになります。
室生寺では灌頂堂内陣の東西板壁に胎蔵-金剛と向って掛けられています。
詳細はその世界未熟者の私が記すより各お調べいただければと思いますが、私はただ見た目だけのことを。
中心に大日如来がいて放射状に各如来と菩薩諸仏が配されるという構図が胎蔵界曼荼羅。
そして金剛界曼荼羅もやはり大日如来が主役となりますが、構図は3×3の「9つの四角」で両曼荼羅の差別は一目瞭然です。
そして、私が目前で拝観したかった東京国立の出し物といえば門外不出だった當麻寺曼荼羅「阿弥陀浄土変相図」でした。
いわゆるホンモノです。
當麻寺でかつて私が見たものはコピーかつ格子の中でしたからね。
①がホンモノ。4m×4mの大作の刺繍ですが大きなガラス越しからの図でNHKで放映された画のキャプチャーです。
奈良時代に作られたものといいます。表に出てきたからには記憶に留めておきたいものです。
②は後世複製されたもの。
私はやはり阿弥陀さんが中心世界、サークルに生かされていますのでこちらの企画には参加しなくてはなりません。
ただし真宗の曼荼羅を敢えて言えば立ち姿の阿弥陀仏単体の絵図であってそちらから放射状に放たれる光の環をイメージするだけですが。
阿弥陀仏一佛で他の諸仏は割愛・・・シンプルでわかりやすい。
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