幸田町広報誌をいただく 六栗城址と明善寺 蒲郡

さすがに「天気 良くな~れ」は図々しいことかと思っていましたが昨日の法要もうまい具合に予想が外れて雨はまったくなし。それも陽射し付き。

この三連休の法要のうち雨傘が必要だったのは土曜の19時からの盂蘭盆会法要パート2のみでした。

昨日午前の法要はご納骨がありましたので、やきもきさせられましたが終わってみれば万事OK。

何せ事前の予報では「連休は大荒れ・・・」でしたからね。

 

例年は本堂正面左右にコンパクトな扇風機を置いていましたが「まだ大丈夫だろう」とその設置を怠っていたところ、昨日の法要で堂の中央近くに着座した施主が「汗が止まらなかった!!」とのご指摘。

大変申し訳なく思いました。反省。

 

お昼は直前にお斎のお誘いを受けましたのでマスクで隠れていた無精髭を慌てて剃ってからその会場に向かいました。

最近では滅多になくなった縁者多数集まる法要でした。

「お斎に同座するならマスクは初めから不要でした」とその言い訳をした次第。

 

扨、先日は二村氏よりお便りが。

抜粋して転記させていただくと・・・

「六栗城址の石碑は、岡崎市岩戸町の東照寺の栗木慶子住職が 夏目家の子孫の後裔という名目で出資されました。

石碑の周辺に芝生や草花を植えて、看板を作る作業が終わった後幸田町に史跡公園として寄付することに・・・」

 

また明善寺にいても宗教法人解散の件が追記されていました。

「夏目氏の一族で明善寺を知っている人には酷ですが時代に取り残されて再建は不可能」・・・

その件は私も代務寺院の件まで承知していました。そうなるといよいよあの本堂が解体されるのかと思いますがそれを想像するのは辛いことです。

 

そして「広報幸田」と三遠研機関紙「さんえん」86号を添付いただきました。

その幸田町発行の広報誌を眺めていると、幸田の立ち位置というものを再確認。

岡崎市と蒲郡市の間にあってどちらかといえば蒲郡との関係性を深く思いました。

私ども遠州人にとっては岡崎から南下するというのが幸田であり、どちらかというと蒲郡は行き易くないというイメージがありましたからその広報誌の内容は少々意外。

なによりも三河湾からの恩恵が期待できますから岡崎より蒲郡といった雰囲気が漂っていました。

 

とはいえ蒲郡にはかつて拙寺のバス遠足(藤原俊成像)にも訪れたり、上ノ郷城(またはこちら こちら こちら こちら こちら)などブラついたことを記していました。

かねてよりぼちぼちあの辺りにはお邪魔させていただいています。

 

画像は藤原俊成像と竹島の図。蒲郡クラシックホテルからの図 

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