2025年

6月

14日

金沢経済の中心 食と観光 病状快癒の目出度さ

たまたま天気良好。

藤沢の妹家族が妹の息子の運転で 訪れました。

一週間ほど前からこの日を子ネコ引き渡し日と決めていましたので晴れは有難い。

昼ごはんに吉田の「さわやか」で待ち合わせをしましたが食事を済ませたあと、妹を拙寺に降ろしてすぐその夫と息子は「宝明楼にラーメンを」と言いながら再び出ていきました。

 

「よくもまぁ」と見送りましたが妹は妹で夜は「かつみ食堂」の案があったようでした。それには私は「それはムリ」と。

既に閉店してしまいましたからね。

久し振りの相良で彼らなりの当地の懐かしい味を一気に味わいたかったのでしょう。

 

妹の夫は勿論私より少し年齢は下になりますが、心臓弁膜症を患ったうえ白内障のせいで視界狭小、よって大きな車は手放したそう。街内は小型車で昼間限定で走っているようですが。

よって今回の長距離運転は息子。彼の車の後部座席にネコたちと同座して帰って行きました。

一家族全員が一緒に歓ぶことのできるその癒しアイテム、そうはありませんね。ネコたちが心身維持のための基軸となる。

無事到着後の画像を見て私どもも一安心。

 

母親ネコのキイロシロは寂しそうでした。

夜は本日も彼女を確保成功。庫裏の最奥にあるケージに入ってもらいました。餌で誘引したのですが毎度「その手は桑名の~」になるかも。

 

心臓といえば榛原のK氏は縁者の系統「心臓を病む人多し」とのことで本人も以前、「ギリギリのところで助かった」と話していました。怖いですね。

そのK氏の親戚筋となる須々木のN氏より昨日連絡がありました。

「骨をぶち割って心臓の弁を~」「そして退院できたよ~」と何とも明るい声が躍っていました。

詳しく知りませんが「血液が逆流」するとのことでやはり弁の不調の病。

予定より手術が早くなったようで(当初は秋ごろと伺っていました)、そのすばらしい連絡には驚かされました。

先日榛原のK氏は拙寺奥方に「N氏の手術は成功した」と一言告げていたそうですが、私にその件伝えることを失念していたとのことで。

 

N氏は麻酔中に「悪い夢」を見たそうで、その内容を話されていましたが目が覚めた時に、医師に向って何か喚いていたそう。

 

目が覚めなかったとしたら「そのまま死」ということを連想する場面ですが、悪夢を見るというのはやはり納得できるシチュエーションでしょう。

今は「骨を砕いたせい」で「肩が痛くて仕事はまだムリ」と。

「まだまだやることありますよ」の如くの言葉たちが踊っていたこと、大いに目出度い事です。

 

そしてまた一昨日榛原のK氏と会った際、その件には触れていませんでしたがウキウキした声で金沢旅行のお楽しみについて語っていました。

一つの重荷が晴れて下ろすことができたということだったのですね。

金沢は歴史遺構だけではなく食とまち並み散策の楽しみがありますね。

人混みは苦痛ですが・・・

 

画像は金沢城からも遠くない近江市場付近から情緒を体感できる街並み。金沢の中心部になりますね。

画像の半分は以前御門徒さんから提供されたものです。

 

 

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2025年

6月

13日

キイロへの対応 キイロとインドのリスク

午前中の一瞬間のポツポツには予報と違って「こんなはずでは・・・」とイラつかされましたが(塗装作業中)何とかそのポツポツ程度で済んで一日中安定した天気が提供されました。

午前中来訪された組長さんは「どこかで傘を忘れて来た~」というくらい。

午後からは来客がありましたので境内仕事の進捗は限定的でしたが、この日は2、3の当面のテーマの解消があり充実した一日となりました。

 

私には多くの抱えているテーマがありますが、それら解消はまずは行き当たりばったり。

「保留」なる都合のイイ語で誤魔化します。

しかし昨日ブログでは国の抱えるテーマである米問題は保留にしておくことはできないでしょう。

火に油を注ぐカタチになったのがあの大臣さんの発言だったのですが、国レベルでも難題テーマをそれ以外に多くを抱えているものです。

国政ともなればしっかりと将来の展望とそれに沿った計画を策定しながら問題の対処に向かうことは必定の事。

 

先般視聴したNHKの番組でインドの内陸都市「ベンガルール」

(バンガロール)の深刻な水不足について報じていました。

インドの方と仕事をしたことがありますが、私のその国のイメージは「独特である」と感じていました。

お国がらでしょうが・・・。

概して自己主張が強く、自信過剰で人懐っこいところを思いますが、頭が良くてハイテク機器に強いところには驚かされました。

また自己の欲求への抑制ができにくいことも感じました。

なにかしら「人」というものにはそれぞれ個性の違いがありますが日本人的な発想ではついて行けないところ散見。

外国の方は日本人と違って何事も「ストレート」ですからインドに限った事ではないのでしょうが。

 

そのIT産業の急激な発展で人口が急増、経済的にも潤う巨大都市と化したその都市の弱点は「水」だとのこと。

梅雨入りして「雨」にうんざりさせられている私にとって水不足とか渇水などいう語は縁が薄いものがあり、水道の蛇口をひねればジャブジャブになれるという雨嫌いの者の優越感を見出す事ができたというわけで。

水道インフラは植民地時代の旧式遺物であってこのハイテク産業の集積都市の未来は危ういよう。

それどころか工業用水の確保以上に飲料水、生活用水の確保すらままならないということですからね。

庶民の水が配給制になっているとも。

また農業関連の耕作地への配水は殆ど行われなくなったともいいます。

 

イケイケドンドンでハイテク産業を誘致して湖沼山林を切り開き不動産開発を行ってきたツケが出現してきたということですね。井戸を掘っても水に行き当たるには深度を新たにするしか無くなっているという現実。

 

ハッキリ言わせていただければ施策の「優先順位」が間違っていたということでしょうか。

まずは「人の生活」こそですね。農業生産は勿論です。

それらを蔑ろにしてお金持ちになれる道をひたすら邁進した「IT都市」の敬称。今後見物となりますね。

 

その都市の水はいずれ枯渇するという説も。

日本の企業もそちらに進出していますが、品物を作るにあたって使用する水の購入費用が突出していくことも考えられますし、水が無ければ何もできないのでは。

水で潤う日本、あらためてその有難さを思います。

 

昨日はキイロシロ(境内ののらネコ)を市の補助を得て病院に連行する日でもありました。

さりげなく踏ん掴まえて嫌がる彼女を・・・私のことをそれなりに信じてくれていただけあって少々申し訳ないという気持ちが起こりますが、彼女にとってその施術は各病気を遠ざけることもあって悪いことではないはず。

すべてのことが「私の都合だけではない」と心に決めて。気を許していた彼女を拘束。

 

ネコエイズと蚤の薬をオプションで。

エイズは陰性ということで一安心です。

そして子ネコの感染についてもフリーということで。

それは新しい飼い主への責任です。

 

最後の画像はユリ満開ピークアウトの図。

ピークを過ぎた植物のキイロたちですが、あまりキレイとはいえませんね。

徒長した茎が頭の重さに負けて倒れるというのがイケませんね。

 

 

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2025年

6月

12日

誰かが何処かで 恥 末の松山も松風の音もナシ

朝から雨。

奥方は「梅雨だから、しゃあない、しゃあない・・・」。

お参りの皆さんは「きっと来ないだろう」と踏んで本堂の閂を外したのが8時すぎ。

というのもネコが障子を破って堂内に入ることが復活。

ここのところ2度も正面突破を慣行され、挙句障子貼りをさせられることに。

しかし、戸を開けないわけにもいきませんのでまぁ、いつもの「その時はその時・・・」なのですが。

これはできるだけ障子を露出させる時間を少なくしたいというところ。しかしネコにはかないません。

これも「しゃあない、しゃあない」ですが。

前回の屋根修復後も数度に渡って庫裏の屋根を押し破られています。

 

昼も過ぎて少しすると雨がやみましたので奥方の買い物に付き合いました。

その後、陽光も差すほどに天気は回復しましたので境内作業をしばし。

そしてまた新たな問題の発生もあって・・・唖然立ち尽くし・・・頭が痛い。

 

扨、日本の国民一同、今頭が痛いというのは「米」でしょうね。

先般はある旧寺院出身の方から「米を分けて欲しい」という連絡が。

というのは昔の(それも大昔の)「寺の蔵には米が唸っている」といったイメージがあったのでしょう。

父が子供の頃の話、やはり蔵には米俵が山積みになっていたと。悪さをしてお仕置きに蔵に閉じ込められた際、その俵の米を「ぶちまけてやった」とその反抗の件を。

本山でも現在、冥加金の代わりに米を納められる場合がありますが一昔前は「年貢」という言葉もあってお米=おカネの感ありましたからね。

 

ただしその方の言う「米」は生産者から直接届いた米のこと。今でいう、問屋、卸、JAなどの中間業者の存在を無視した「お米」のこと。

要は「余っているお米があるなら少し分けて欲しい」というものでした。

切実なところを察知しましたが、時代が違うことと、現状「寺にもコメはない」ことを伝えました。

 

そんな折り、辛坊治郎氏が今の我が国の米騒動についての所感を語っていました。その方はハワイ在住とのことでそちらでのショップの米価格を紹介していました。

「日本産100%の米が5キロで2900円(1$145換算)」。

日本産米「こしひかり」5kgが19.99ドルで販売されており

「アメリカの人件費が日本の倍以上であることを考えると日本では、流通段階のどこかで誰かが大儲けしてるとしか思えない」と。

 

そんなことはうすうす承知しているところですがこの国内コメドタバタ劇は殆どは恥(shame)かもね。

「(何処かで)誰かが大儲け」なんぞと聞くと私はディーン・マ

ーチン の「Everybody loves somebody sometime~」なんて粋な曲を思いだしますが、その誰かって一体・・・

そういえば先般政治家さんが「米なんか買ったことない 売るほどある」と豪語されてクビを切られていましたが、案外それはただのバカっ話ではないような気もしないでもない。

 

ロスで始まったデモでもそのshame連呼の図を拝見しましたが、まぁ人間のやること全般恥ずかしいことばかりなのですね。

 

自分自身の恥を知らない私も結構にそんなものなのでしょうが、その私が思う相良の恥は(毎度毎度記していますが)海岸土塁上の松たちの無残な姿。

これを恥と思うか思わないか、やるべきことの優先順位下位のことで「しゃあないしゃあない」で済ますか、それを放置したままにして何も手を出さないでいるのか・・・私はその躊躇、放ったらかしの躰は「恥」と思いますがね。

 

一休さんが詠んだという「心」についての思い「松風の音」(「心とはいかなるものを言ふならん、墨絵に書きし松風の音」)も「末の松山」の松のイメージも無し。

当家は「御林守 御用」という件があるだけに殊にこの松の件は気になってしまいます。

 

④画像は富士宮市の富士山世界遺産センターで開かれている企画展のポスター。

期間中に立ち寄れればと頭に入れていましたがその機会は訪れませんでした。

 

 

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2025年

6月

11日

柳生正木坂から打滝川沿いを歩く 蕉園渉筆の大公

朝から小雨が降り続く中、昼前に金谷からの見学者を連れて長谷川氏が。

その際、ついでということで昨日ブログで記した「一橋様~一位様」の件私の検討した内容を示しました。

といってもあの文書の中身は時間軸だけで考えると矛盾するところがありますのですべての想いが推測どまり。

確証を得るには至りません。長谷川氏も同等です。

ただしあの時代の江戸城界隈を見て「一位様」というのは限定的。普通に考えれば治済しかいません。

私は断定に近く「治済」と。

 

そして治済は晩年近く代官小島蕉園の時代に至って尚蕉園渉筆に登場するくらい相良治世に顔を出している雰囲気(品誕に大公は~・坂井の山崩れ)。

領内のことでもありますから、その記述(蕉園渉筆)に登場してくることは判りますが、相良ではあまり表にでてこない殿様一橋治済、拙寺の書面の件だけでなく意外なところで顔を出してきます。隠居してもバリバリ感が。

 

扨、画像は柳生打滝川を歩いた際の様。良き意味でこの自然の中

の田舎さ加減は私の心を和ませます。

 

 

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2025年

6月

10日

柳生藩家老屋敷 検証一橋様への礼状の一橋とは 

昨日午前から昼過ぎまでは曇天ながら雨は無し。

施主はありがたいことだと。

平日ながら法事がありました。

法要後施主の過去に味わった苦痛いろいろ。

特に衝撃的だったのは貧乏で医師への支払いに品物で支払ったことがあったとのこと。お見舞いで戴いたお菓子を菓子屋に返品していくらかの現金を手にしようとも考えたこともあったと。

そして「風呂には入れた」・・・その理由は昔のメーター(そう仰っていました)というか当時のそちらの家の水道はぽたぽたレベルで蛇口を少~しだけひねればメーターが回らず課金されることがなかったといいます。溜めてから使用するという作戦と。

まぁ水道泥棒ということでしょうが一昔前は何後もアバウトでしたからね。そこまで困窮した経験を耳にすることは新鮮でした。

私も時給560円で奥方(510円 △50円は船舶免許)と沖縄暮らしをていたことを思い出します。家賃と食費、車の維持費でいっぱいいっぱいという時期がありましたが、あの時でも何とか適当に生活していました。

それはただ健康体であったからですね。

健康でさえあれば何とかなるのでした。何事もそうですね。

病気をしたり不慮の事故があればそんな余裕は一気に崩れ去ることになります。

 

先日は史料館の長谷川氏に拙寺の「一橋様」宛礼状の控えの存在について記憶にあるか振ってみました。

私もうろ憶えでその存在のみについてでしたが、彼はしっかりその存在について把握していて「年号があったと思うが一橋でも治済の次代でしょう」と。

 

というわけで仏間に転がっているその額を引っ張り出して久し振りに眺めてみました。

何せ私はこれまでこの書面の相手が一橋治済本人であると思いこんでいましたからその指摘には少々驚かされました。

まぁその年号の存在についても記憶が飛んでいましたからかなりイイ加減なものですが。

 

以前ブログではこちらにその件記していました。

その文末に文化二年十月、1805年とありました。

その礼状中にその御礼の件「享和元ゟ文化二」とありますのでそれが享和元年(1801)から始まったことになります。

 

ということで享和元1801年の一橋様はたれか・・・を検討。

以下Wikipediaより転記。

「寛政3年(1791年)3月5日、権中納言となる。

寛政11年(1799年)1月27日、従二位権大納言に叙任される。

同年、一橋家の家督を六男斉敦へ譲って隠居し、幕府から5万石の賄料と5千両の年金を別に受ける。文政元年(1818年)6月5日、剃髪して穆翁と号す。同年12月11日、裘袋(きゅうたい)着用を勅許される。文政3年(1820年)4月21日、従一位に叙せられる。文政8年(1825年)3月7日、准大臣にのぼる。

文政10年(1827年)2月20日、77歳で死去」

 

寛政11年(1799年)に「家督を六男斉敦へ譲って隠居」とありま 

す。よって単純に見て書面の「享和元年(1801)」には「一橋様」との呼称は正式にはないだろうとのご指摘ですね。

 

一橋家三代目家督を継承した斉敦の生まれが安永9年(1780)で

没年は文化13年(1816)ですから書面の享和元年(1801)は

家督継承2年後の21歳。

その年でド田舎相良の老齢隠居の坊さんに配慮差配があったかどうか・・・その辺りの件はどうなのだろう・・・と思うところ。

家督を譲ったといっても治済は大御所の如くの権威を思うままに振った人でしたからね。

なにより書面冒頭に

「一橋様御支配之節 一位様格別之御仁恵之」

とあります。

その官位「一位」を実際に叙せられたのが文政3年(1820年)で

すから、首を傾げるところでもありますが。

まぁ、あたかも従一位は当然の如くの「支配」という風潮があってのこと、そう記したかとも思えますが。

ということでこの文面「一橋様」につづいて「一位様」の記述こそ一橋治済で間違いないかと。

ちなみに一橋斉敦は従三位どまり。

 

 

扨、画像は昨日記した柳生家老屋敷の庭。

家老職ともなれば自宅内部にこういった庭園を造り、心の余裕を楽しむことができたのでしょうね。

それがステータスと。お金持ちは庭・・・

拙寺の庭・・・坪ノ内・・・草ぼうぼうとぺんぺん草。まったくもって貧乏くさい寺です。

 

 

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2025年

6月

09日

柳生藩家老屋敷 トークショーは33倍

法要開式が11時でしたので朝から一仕事とばかりに張り切って塗装の仕上げを・・・と準備にかかれば雨がポツポツと。

それでいて日が差す時間があったりと変てこな天気でした。

曇天でさえいてくれればそれでも有難いと動きだせばまたポツポツと。

これからしばらく雨続きの予想、梅雨入りということでしょうが私の宿題がなかなか捗りません。

勝手にしやがれ・・・のんびりでやらせていただきま~す。

 

法要の参列者に「新潟から・・・」という方がいらっしゃいましたが、一昨日の近江高島といい、年配の方々の行動力、単独での長距離移動には敬意を表します。

「新幹線でスグ」とは言いますが、わたしの頭の中では想像を絶する苦痛をイメージしてしまいます。

しかし方々は平チャラの様ですからね。

 

自家用車での移動に慣れ親しんだ私は列車もその乗り換えもバス移動ももはやムリ。

奥方が指摘するにはそれは「切符の買い方やバスの乗り方がわからないからだろう・・・」と。

それも一理ありますが一人でのんびりのドライブがスペシャルです。

 

そういえば一昨日の午後は「田沼親子お国入り」と題して渡辺謙氏と宮沢氷魚氏のトークショーが「い~ら」でありましたね。⑨は相良波津の交差点付近。

既報の通り私どもは応募も落選しました。33倍の当選確率という超人気。私の知っている方で当選された方はたった一人だけでした。

どちらにしろ法要のお斎がありましたからそちらに向かうことはムリでしたが。

また詳細はNHK静岡放送で放送されるようです。

先般お世話になった美術館ナビで画像入りで伝えられていました。

 

扨、画像は打滝川の削った西側の段丘、柳生藩家老屋敷が。

 

 

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2025年

6月

08日

柳生街道 摩利支天山 土葬葬送の生の目撃談

殆ど曇りに近い晴れ。

私は朝から法務の用意と一昨日の塗装作業の乾き具合を見てからの片付け作業を。

堂内は蒸し暑さを感じ墓参は蚊の襲来に閉口させられました。

 

法要ののちはお斎にご招待されてしばし歓談。

終了間近になった頃、奥様の実家について問うと「ここに居並ぶのが姉さんたち・・・」と紹介されました。

伺えば長女の方は滋賀から来ましたと。

遠江から近江に嫁入りしたのですね。私の思い込み、てっきり車での往来かと思いきや京都に出ての新幹線利用との事。

その地は私も詳しくなくはありませんので「滋賀のどちらから?」とさらにしつこく。

 

すると「どうせわからないだろう」という気持ちがあったかどうか知りませんが「高島から・・・琵琶湖のウラの方ですよ~」

でした。

高島といえば私が一時期ハマっていた近江の地、よって「あの メタセコイア並木の・・・」と反応。それよりも各城址(大溝城、清水山城、田中城ほか)に顔を出していますからね。

もっと早くその件を知っていれば盛り上がったはずでした。

 

興味深かったのは30年ほど前に高島での葬儀に初めて行った時の話。

それが棺桶タイプの棺での土葬葬送の衝撃です。

不謹慎ですがそのような生の声を聞くことは初めてですので興味深くそして楽しくお聞きしました。

私はその件承知していましたが、桶にご遺体を納める際、屈曲させるため硬直した遺体を「ボキボキと」音をたてて「畳む」ようにして(無理やり)押し込んだことの唖然。

30年前の高島辺りで土葬が継承されていたことを知ったのは収穫でした。

 

そこでまた、次のバスツアーの候補地の件閃きがありました。

私が鯖街道について話を振ると「その道から京都に出る」ことがある・・・

そういえばと、その会話の中で私が想いついたのが「大原」。

2日目東大谷に納骨後大原フリータイムを入れて大津から帰還するというもの。

ただし歩きも多し、余程の寺好きでないとあまり喜ばないかも。

また天候次第では地獄を味わうくらい・・・何もない野原のイメージ・・・

 

扨、その手の里山でもある柳生の里。

昨日の柳生八坂神社の先にやはり柳生家所縁の丘があります。

それが摩利支天山。

摩利支天石碑は復元品でしたが。

 

 

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2025年

6月

07日

柳生街道の柳生八坂神社 疲労度満点の一日

昨日も天気に恵まれました。

私は一日中大工仕事&各塗装作業。

塗装作業は経年によるメンテですが大工仕事はこの寺に住まえば死ぬまで続く私のミッションといった感じ。

庫裏はオンボロで毎晩やたらと哺乳類・・・ネコです・・・が闊歩します。時に複数で歩いています。

 

父親が相良に来たばかりにネコが屋根裏で子供を産みましたが壁と壁の間に子ネコが落下、それらを救出するために壁を壊したという経緯もありました。

ということで今日こそ・・・庫裏の本堂側、ひさしと屋根の間に出来た空間を何とかしてやろうと脚立で私も屋根とひさしの間に。

材木を幾度も切って調整しながらなんとかその開口部を塞ぎ切りました。

 

そこからは絶対に出入りは不可能と満足したのも束の間、夕刻にシャワーを浴びてのんびりしているとどーんと大きな音がしたのち屋根裏を歩く生命体。

彼らの能力は完全に私の上を行っています。

屋根の張り出し部分をよく見るとひさしの付根に10㎝弱の隙間が満遍なく空いていました。

徒労に終わった感が満ちて、疲労は倍々増。

 

彼らが天井裏でドタバタすれば私は咳、奥方はくしゃみの連続。古い家は不健康そのものです。

古いモノは大好きなのですが・・・

以前の土蔵の整理で肺を夫婦で痛めてしまいましたが、あれ以来、埃には滅法弱くなりました。完治はしないようです。

 

古いもの巡りに出かけることができない現状ですが、どうやら以前と違って「えい、やあ!!」の勢いがやや消沈してしまったよう。

それを人は「齢」と言いますね。

そろそろそれを認めなくてはならないかも・・・昨日も久しぶりに脚立からバランスを崩して落ちました。

落ちた場所が本堂の廊下で何もない場所。

ラッキーこのうえなしですが。

しかし脚立というものを舐めている傾向がありますね。

少々反省しました。

 

扨、柳生街道を歩けば古いモノとの出会いは豊富(柳生陣屋等)。

そしてこんな場所に八坂神社?と立ち止まったのが上記画像。

柳生家所縁の神社といいます。

 

 

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2025年

6月

06日

昨日の罠-トラップ- 因縁果 タイミングGood

梅雨入り前の晴れは貴重です。昨日も晴れ。

この恩恵を享受せずして境内でもやもやしていることはあまりにも不健全・・・とばかりに息子のいる浜松での雑用を思い出し無理やり出立。

彼は夕刻には法務に向いますが、さっと行ってさっと帰ってこよう・・・ということで東名に飛び乗りました。

三方ヶ原スマートで降りて正義の墓参(宗源院)はパスしつつ佐鳴湖方面に向かいました。

 

そこで奥方指定の店に入りました。

私はいつものように途中で外に出て屋根が有る日陰の店の出入り口前に車を移動しました。

車の中の気温が上がりますから窓を開けリアのハッチを開けるなどして奥方を待ちました。

しばらくたって奥方がリアに所望した品を載せてから、「コレこんなのでいいの?」と。

廻りこんでみると左側後輪を指指していました。

それは明らかに空気圧が低下している様。

 

目を疑ったのは、先般息子が新潟に行くにあたり空気圧を点検しそれぞれに空気を充填していましたので。

そして更に目を凝らしてみると①の如く、1本の金属物質がその存在を主張していました。

 

因縁の「因」がここで判明したわけですが、今残る空気圧で何とか対応のできる店を探そうと駅方向に走り出しました。

その因果の「果」を与えた因縁の「縁」について車中で推測問答が始まりました。

私は息子の「新潟行脚」を主張しましたが、それはそれ以来この車を使用していなかったからです。

助手席で暇にしている奥方が息子にもメールしたその応答が「今日踏んだのだろう」(よって責任はない)でした。

私はそもそも距離が違うので確率的に新潟行脚だろう・・・と反論していたわけですがもはやどうでもいいことです。

とにかく早いところどこかで対処してもらわないと最悪の事態になることは必至です。

空気が抜ききって走り続ければタイヤは再生不能になりますからね。一刻も早く早くという気持ちでした。

 

隣の奥方に最寄りの「タイヤステーション」を検索してもらって、飛び込んだのが某チェーンのカーショップでした。

これでひと安心とその金属の様を見てもらうとそちらの店のルールでこの手の修繕はしないことになっているとのこと。

唖然呆然でした。

やはりあとあと発生しうる不都合について責任がとれないということか理由だそう。

むしろ良心的な店と思い退店しようとすると、「対応できなくてごめんなさい、せめて空気の充填だけでも」と取り敢えずの間 走行できるよう補充してくれました。

正規の空気圧とまでは行かなかったでしょうが簡易充填機で3回も。

 

走行中奥方が隣で「ガススタンドにでも飛び込め」とコーチングしてくれますが、設備が完璧なタイヤ屋で不可となった事実からできそうなタイヤ屋を探そうとさらに検索依頼。

次の候補を見つけ電話連絡すると3時間待ちで対応可とのことでした。

よってさらに別のタイヤステーションに目的地として照準を合わせました。

するとその途中、前方に別のタイヤステーションを発見。

とにかく「突っ込め」とばかりにハンドルを切りドックのお兄さんに「タノム~」。

 

「開けて見なくちゃわからない」との見立てには「そりゃそうだ」と全面的にまかせることに。

タイヤをホイールから外し内部の状況を確認してからの作業になります。

 

時間は1時間少々、金額は5500円で今回の「罠」-トラップ-は脱出できました。

今回もタイミング・・・Good。すばらしい。

もしやこの車で深夜奈良方面に向かっていたとしたら・・・想像するだけでも恐ろしい。

前回の奈良での右往左往が頭を過ります。

バッテリーの次はタイヤでした。車のメンテでも基本中の基本。何ごとも高を括ったらヤラれます。

 

また後部トランクに「スペアタイヤがあるじゃねぇか・・・」の発想は新たに「甘い」ことがわかりました。

私の車のアルミホイールは純正ではありません。よって、薄型のレンチでなければソケットが入らないことがその際わかりました。

早いところ薄型の十字レンチを所望し車内に携帯しなくては・・・

 

昨日は「何処にも行かないのが一番」くらいのことを記したばかりでしたが、本当にノーケアのノー天気、危ない危ない。

私から目が届きにくい助手席側後輪ということもありました。恐ろしや。持つべきものは機転の利く奥方様と謙虚な姿勢での点検目視。

前輪だと気づくのは案外早いかも知れませんが、最悪はハンドルを取られますからね。

そこで良かったOK OKと無理やり承引。

そのために何もできずに浜松から帰還しましたが・・・。

たれがどこでどう、その果を拾ったかはどうでもいいこと。

 

私の宿業もありますが因縁果・・・リスクはどちらにても隠れていますね。

本当の不条理を味わうのはまた別の機会に。

 

 

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2025年

6月

05日

柳生陣屋跡下の岩に彫られた地蔵らしき石仏

昨日は梅雨入り直前の晴れ間。

私は法務で殆ど日中はホールに滞留していましたのでやるべき外仕事はそのまま放ったらかし。

 

今年の梅雨はどのような豪雨に見舞われて各地でどれだけの溜息がつかれるのか、私ども人間の想像を超えた不都合いろいろについてのこと、まったく想像がつきません。

特に最近の自然の暴れ具合ときたら一線を超えてしまった感。

さぁ、どうやって生き残ろうか・・・

 

基本ヤバいと思ったら・・・自然に敬意を表し自宅待機ですね。

 

良きも悪しきもすべてがタイミング次第。

この時期は「動かざること山の如し・・・」でしょう。

 

扨、昨日ブログでは古い画像、柳生陣屋を記しましたがその陣屋の土台とも言うべき岩に石仏が彫られています。

昨日も疱瘡地蔵への道①を記しましたが、将にそちら。

少々手前方になりますが苔むした岩をよく見ると地蔵らしき石仏が彫り出されていることがわかります(場所はこちら)。

 

最後の画像が昨日の境内の栗の木と落下した栗の花の図。

梅雨入り間近。

 

 

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2025年

6月

04日

柳生陣屋跡―柳生城―屋敷跡

時折遭遇する「罠」。

「罠」なる言い回しは如何にも過剰ですが、私がそれを一番最初に体験した際はまさに「酷い目にあった」感がありましたから、それと同様のことをつい想像して「これは罠」と断じてしまいます。

一般ではそのようなトラップを思うようなアイテムやシチュエーションはまず遭う機会はありませんね。

 

それを仕掛けるのは葬祭ホール担当さん、引っかかるのは私・・・といったところです。

担当さんは坊さんを引っかけてやろう・・・などの悪意はないとは思いますが・・・。

開式前に香炉の中に炭を入れておくことは準備として当然の流れですが、火舎香炉の蓋は閉めないというのが鉄則です。

いや、閉めたらアカン !!。

 

昨晩の会にて「さぁ、導師の焼香・・・」という場面で蓋が閉まった香炉に気づきました。

一般焼香客用の線香用の大きな焼香鉢がそのまま中央に鎮座しその火舎香炉が蓋をしたまま隅っこに隠れていたのでした。

「ハイこれ、罠ね・・・」と察知して蓋のつまみを持たず、そっと火の回り具合を確かめるとまさに炎熱の感触、左後方に待機する担当の方に首を15度ほど傾け(どうなってんの?の意思表示)て、おもむろに左の袖からハンカチを。香炉の蓋をハンカチを掛けて外し無事に焼香を遂行しました。

 

その私の様を見ていた担当さんは式終了後その失策に気づいて謝りに来られました。

「金輪際二度とこのようなミスはやらかしません」と。

終了後試しにその蓋をつまんでみたそうですが「(酷い熱さで)たまったものではありませんした・・・」とその感想を述べていたことは苦笑。

 

まぁ私はそのトラップの件「いつものこと」の範疇で、袖に入れたハンカチで対処できました。もしやハンカチを忘れたら・・・かなり困りますがね。

あの雰囲気の中で「あっちっち~」とばかりに蓋を投げ捨てたりすれば・・・寅さんなみの笑いの場になってしまいます。

「蓋はしないでOK・・・」でおしまい。

 

扨、先日は奈良と柳生の往来にある地蔵について記しましたがかつて私が柳生をふらついた時の画像を。

以前「疱瘡地蔵」に向かう道の手前にあったのが柳生陣屋跡。

 

こちらまで足を伸ばそうという観光客は不在のようで、此処をうろつくにあたり、余所者らしき人とはどなたともすれ違うことがありませんでした。

奈良中心地から足を伸ばしても近くて般若寺、頑張って円成寺止りなのでしょうかね。

時代劇で頻出のその名なのですが(場所はこちら)。

 

 

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2025年

6月

03日

ユリと栗の花とネコたち

大袈裟な言い回しかもしれませんが、気絶するほど時間の経過が早い。まるで今さっきまで気絶していたかの如くの浦島太郎状態。

このザマでは私の「その時」もあっという間でしょうね。

その短い時間に各病に、つき合わされてさらなる辛苦の終末となることでしょうが、その私が承知している「苦」のうちでもっとも頭に残存しているのが痴呆症のこと。

 

昨年の盂蘭盆会のご挨拶の書面ではその「病」について私なりに記していましたか今年七月の盂蘭盆会法要でお迎えする方のお話のテーマもそれになります。

その方は医師に「認知症」を宣告され、自動車免許証を返納されていますが、「これ以上の症状進行の前に」と皆さんに聞いてもらいたい事があるとのこと。

それなら是非にということでお願いをした次第です。

「既に認知症」と奥方から日々罵られるほどに覚束なき私ですが、その予備軍であることは必定、耳を澄ませてお聞きしたいものです。

 

扨、奥方は早朝起床して殆ど一日中子ネコの世話。

昨日は未熟ネコ、一向に体重が増えない「チビチビ」とついでに残りの3匹を獣医の元に。

その未熟児は飲み込みに障害があるかも知れないとのことで、今は地道にミルクを強制的に飲ませ続けることが肝心と。

「如何にも異常」(獣医)で自然世界ではとうに淘汰されてしまうレベルなのでしょうが、奥方は「生かしたい」気持ち一本で気張っています。ダメ元です。

背負いこんだ事案ですから、やれるところまで・・・

 

画像は昨日の拙寺のユリの見事と栗の花。

栗の花が落ちる候・・・梅雨入りです。

そして招き入れたキイロシロにとり付く子ネコたち。

チビチビは蹴とばされてお乳も飲めません。母親も放棄しているが如く。

他の三匹は離乳食OKですから一番に飲んでもらいたいのですが。

 

 

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2025年

6月

02日

柳生街道の元亀の地蔵石仏

母親ネコの執念はおそるべし。一晩中喚き通していました。

奥方の「勝手にしろ!!」との号令がありましたので朝一、玄関と次の間を隔てる戸を開放しました。

するとキイロシロはすぐさま子ネコたちがいるケージの中に入って、ごろんと寝転んで(170gのネコを残して)お腹に招き入れていました。

他の個体の半分以下のそれ(「ちびちび」)へは奥方が直接、ミルクを口に強制注入しています。

ところが子ネコらは母ネコのお乳をさらっと口にしたものの奥方の出していた離乳食のお皿にまっしぐら。

各自の皿に分けられたそれを平らげるともはや母親には興味なしの様。

三匹は組んだり跳ね回ったり存分に遊びに夢中でした。

これは乳離れというヤツでしょうね。世に言う単独でフラつく迷いネコとなるそのスタート時期、独立の時です。

まずその時節はカラスの餌食になるパターンです。

 

この室内への彼女ご案内の件、朝昼夕の三回行いましたが時を追ってその傾向は強くなり夕刻の子供たちときたら殆ど母親には目もくれない状態。

あっという間の「成長」というものを目の当たりにさせられました。

 

昨日の日中のテラスの温度は40℃超え。

そちらに残るのはマンゴーのみですが、このような天気の安定が続けば子ネコの低温対策は不要になりそうです。

 

扨、私は幾度か奈良円成寺付近をうろついていますが、その前の道が奈良中心部と柳生を結ぶ道。

柳生やらその先の岩船寺辺りから奈良市街に向かうには必ず使用します。そこを使って行き着いた場所をあげたらキリがないくらいです。

 

その道(柳生街道)を奈良方向に向かって走る際、左下にJA奈良東部支店の建屋が見えるその右側、山が迫る場所に錫杖を持つ地蔵と石標が建っています(場所はこちら)。

 

何れも文字は判読不能ですが、「元亀の地蔵石仏」とのこと。

奈良と柳生を結ぶ街道は古くから開けていた道で往来も多様、人々の安全を祈って建てられたものでしょう。

 

 

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2025年

6月

01日

古代の狩場 阿騎野 柿本人麻呂の白馬の像

新しい生命体と接すると新たに知る事が多々あります。

昨日記した新人さんたちとその母親キイロシロの件です。

本来ならば母ネコともに確保したいところなのですがキイロシロは野良猫生活が長いせい、「人」への信頼感はまだまだ。

私には抱かれますが家の中への警戒心は尋常でなし。

 

一晩中境内で異様な声をあげていましたが、さすがに私の行った行為(子ネコたちの確保)が正しかったかのか疑問が湧きます。よって玄関脇の部屋に設置したケージまでご案内しました。

すると一日ぶりの再会に親子ともども感激、双方トーンアップした呼び合いとなりました。

その場を見た、奥方から制止させられましたが。

 

子ネコとキイロシロがケージのネットを引き裂かんばかりに爪をたてる様を見て私の行為は一体「悪」だったのか・・・とも。

キイロシロの母性本能には驚かされましたが、母親がいつ狂気と変貌し「子ネコを食い殺すかも・・・」と奥方が私を脅かしますので、気の毒とは思いつつ、彼女には退出してもらいました。

お乳の張り具合の感触から授乳させたいという気持ちは手に取るようにわかりましたが。

 

人の母であっても平チャラで赤ちゃんBOXに入れて別れを告げることなどよく耳にすること。

あの小さき者たちがそれほどまでの「親子」の濃厚な関係を求めつづけることなどは意外なことでした。

私はそれ、もっともっと淡白なものかと誤解していましたね。

そして彼女は一日中玄関脇に滞留しています。

ネコに「諸所の事情」など無いのですね。ただひたすら自分が産んだ子は自立できるまで育てる・・・という責任を感じました。

母ネコの本能なのですが、天晴れです。

人は「私の都合」によって「何でもできる」ということでしょうが(思い込み)、それこそ勝手な自己崇拝、高慢ちきな「私」というものを思います。

ネコたちの様を見て、1mmほど仏に近づかせていただいた気分。

有難し、六字。南無阿弥陀仏。

 

扨、以前又兵衛桜(またはこちら)を目的に宇陀市内を走りました。桜の丘の喧噪とは別、静かな野原の公園に行き当たりました。遠くから白馬の騎士が目に留まりました。

 

そちらが阿騎野の人麻呂公園(場所はこちら)です。

この白馬の像こそが柿本人麻呂。

この阿騎野という地が古代の狩場で軽皇子(文武天皇)にお供した柿本人麻呂が詠んだ歌について記されていました。

野原で野営しての明け方というシチュエーションということで。

 

 

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2025年

5月

31日

奥方のミッション ネコがネコ(4匹)連れて来た

朝一、本堂から外に出ると、「キイロシロ」が。

彼女は拙寺境内にうろつくネコたちのうちの一つ、私が呼ぶその名です。

他にウスキイロシロ、クロシーロなどなど、見た目の色でもって・・・。

 

キイロシロはいずれ妊婦になることが分かっていましたので2月頃に一旦確保したことがありました。

病院に連行して避妊手術を施すつもりで一晩玄関にて過ごしてもらいましたがケージの中で一晩中発狂状態。

土曜日で法事があったこともあり「もはやムリ」とばかりに開放したという経緯がありました。

 

4月中旬頃までにお腹が膨らみだしてパンパンに。

そしてしばらくして突然スリムな姿で姿を現しました。

「これは産んだ!!」と確信し彼女を秘かに尾行、ストーカー。

すると隣の旧お醤油さんの敷地にある小屋に入っていく姿を視認しました。

それからそのお宅に事情を説明し探索を試みましたが私どもがその物置の中の雑然、見当もつけることができず、ましてや入り込む状況にありませんでした。

 

よっていずれ「彼女が心を許す場所に移動する(もしかすると本堂下あたりに・・・) 」と諦めて、心を収めていました。

狭小の場所で成長すると出て来られなくおそれがありますし、母ネコはいずれは育児を放棄するもの。

なにより不幸なネコたちを減らそうと早めの回収が不可欠でしたが・・・。

 

ところが、昨日私が本堂を出た時、彼女の声に反応するが如く近くで小さき声が聞こえてきたのです。

旧玄関に置いた段ボールの中からでした。

一昨晩の雨中、キイロシロは隣家物置小屋から長躯4往復、子猫を咥えて移動したということですね。

 

この者たちは、キイロシロには申し訳ないとは思いつつ4匹全員確保して自宅内に。奥方の特設ケージへご招待した次第。

というわけで奥方は離乳食とミルクを購入に走り朝から殆ど一日中、4匹の世話係に。

すべて色柄ともキイロシロ、父親はきっとウスキイロシロだったのでしょう。

確保したのちそのウスキイロシロとキイロシロ、おそらく夫婦、玄関の外で二人で子達に声をかけていました。

母親の子を愛する気持ちは良く知るところですが、父親までもやってくるなんて・・・

 

4匹のうち1匹④は他のネコの半分の体重、170g。

奥方は「全員生かす」と意気込んでそれをまず重点的にケア。

まだ、固形物を食べたことがナイ連中、難しいミッションです。

 

 

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2025年

5月

30日

真田昌幸甲冑正面に梯子紋 常なる家の上昇志向

昨日は再び二連梯子を立てて2階のひさし下の配線工事。

電気工事に来られた御門徒さんのカーゴ車を借りればリスクは無いのですが二連梯子のトップに昇っての作業は結構にリスキー。

昨日は奥方のヘルプは有りませんでしたので真面目に安全対策をしました。

梯子を固定していざという時の為にザイルまで持ち出し私自身装着したハーネスと結ぶ念入りさ。

ザイルの末端は家屋の柱に巻きつけて支点としました。

 

奥方は先般の雨樋清掃の手伝いの際に肩を壊したということで当家の負傷者リスト入り。

それでこういった作業は「御前が居なくなったら誰がやるのだ・・・」と放言。

要は「リスクを次代に継承するな」ということですね。

 

母親の気持ちとしてはいかにも・・・というところです。

ただし私は「あいつならヤルんじゃない?」でした。

しかし彼の今は相当の運動不足の躰。体重増えすぎの感。

 

一昨日NHKの「歴史探偵」という番組内で真田昌幸の甲冑が紹介されていました。

真田といえば六文銭ですが真田昌幸らの甲冑正面には梯子紋。

縁起のイイ紋章ですが、いわずと知れたその道具とは登ること。

常なる上昇志向をイメージしているのですが、その道具を使用する際はまず、落ちること、梯子を外されることなどのネガティブ材料はそうは思案せずに使います。

 

落ちる事に関しては一応は頭に入れて対応。しかしそればかりを気にしていたら何も出来やしません。

 

境内「裏切らない」と私のお気に入り、ユリたちが咲き出しました。曇天の空間を明るくしてくれます。

 

 

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2025年

5月

29日

浄土宗実相寺墓域の景色

朝方は半袖ではいられないくらい寒く感じましたが日が昇るにつれて良き陽気になりました。久し振りの晴れ間でした。

私は宿題の一つ、2階の雨どいに立つ笹を除去するために二連梯子を用意。

「何のことないだろう・・・」のお気軽の気持ちでまずチャレンジ。素手で引き抜こうと腕一本で気張りましたがまったく歯がたたず。

手指を突み確認するとビッシリと土が堆積し尚、笹の根が絡まっていました。

前回真下にある排水溝の詰まりを解消させましたがまさにそれと同じまたも植物の生命力に圧倒されました。木々が周囲に多いという事もありますが・・・

そして本堂の雨どいの場合はユリでしたが、こちらは笹。

根の張り具合はより強靭でした。

 

先般排水溝清掃で入手したホースの先端に装着するストレートのガンとホースを引っ張り出して雨樋へ。蛇口の開閉は奥方に頼みました。悪戦苦闘しましたが作業は何とかクリアできました。

それにしても屋根の上に時間をかけて土が堆積していくメカニズム・・・やはり自然の力には驚かされるばかり。

 

夕刻に「田沼親子お国入り!スペシャルトークショーin牧之原」の落選のメールが届きました。

すごい人気のようで私の知りうるところ当選者は不在です。

 

扨、昨日の実相寺、素晴らしき十三重塔の威容を拝見したあとは境内の石塔たちにご挨拶。

室町~江戸期の墓石たちと御対面。

お寺は浄土宗、六字名号を口ずさんで・・・まぁどちらに行ってもそれ以外ありませんが・・・

 

 

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2025年

5月

28日

矢田町通 浄土宗実相寺 十三重塔 奈良県史から

昨日の庫裏の気温は22℃。

当地は他の東海地区の中、最も寒かったようで外気は20℃を割っていたかも知れません。

一日中小雨交じりの曇天、私は近隣ですが法務で動いていました。

 

先日、葬儀担当者から聞いた話。

その葬儀社は各所数件のホールを運営していますが、幾度も夜盗の忍び込みに遭遇しているとのこと。

「誰も居ない」と踏んでの侵入、金品を探索しようというものでしょうが、葬祭場におカネを置いたままにすることなどありませんからね。短慮で不思議な冒険者です。

時にそちらにいらっしゃるのはご遺体の安置があるくらい。

よってその残念なチャレンジャーのすることは・・・僧侶控室にて厨房などから探し出した菓子類を喰い散らかして帰る・・・といったところ。

いずれにしろガラスを割っての侵入者ですので厄介なことになりますね。今はどちらもセンサーやカメラで防御態勢を整えているようですが、先般は外部電源を落としてからの侵入だったそう。

カメラの設置場所と電源について再検討しなくてはならないようですね。外壁に付くブレーカーへの防御も不可欠。

 

扨、大和郡山の矢田町通なる町名があります。

丘の上に矢田町という矢田寺からとった地があって紛らわしいところですが、昨日の新紺屋町の近くでいわゆる城の外堀界隈、やはり浄土宗の実相寺(場所はこちら)をお参り。

そちら境内には凛々しく聳え立つ十三重塔が迎えてくれます。

鎌倉時代後期の造立とのことで市の指定文化財に指定されています。

奈良県史から転記します。

「花崗岩製、高さ4m 塔身の四方仏は釈迦・阿弥陀・弥勒・薬師

~屋根の軒下に一重の垂木型を作る。軒厚く両端への反りの確かさと下屋根石から上層屋根への逓減率もみごと」

 

 

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2025年

5月

27日

大和郡山は来年の大河で脚光? 新紺屋町付近ブラつく

昨日午前は大工仕事のち梅の収穫。

今年の出来はまずまずで7.5㎏も獲れました。

先日も4㎏程度の梅を戴いて「もて余し気味」ながらなんとか引き取り手を探しました。

今度の梅は当家の責任、奥方が溜息をついていましたが梅干しにでもするのでしょうかねぇ。それとも誰かに押し付けるか・・・

今時、梅をどうこうしてやろうという人は少なくなったような。面倒くさいことは確かですからね。

 

夕刻からは葬儀社ホールで法務。

以前来たときにはあった立派な和風の門がキレイさっぱり無くなっていたので「どうしたの?」と投げかけると春の強風で「ぶっ飛んだ」と。

朝から風に吹かれて門がギシギシ音を鳴らしていて「こりゃヤバい」感が漂っていたそうですが昼頃遂に「崩壊」。

当日朝方に出棺の儀があったといい、参列者は火葬場に待機していた頃の事件だったと。

一つ間違えば惨事になったとその時の「ベストタイミング・・・」に一同胸を撫でおろしたそう。

その事案を聞いて、私は日頃拙寺の山門の劣化度が気になっていますので「まさか・・・」の坂。何かのメッセージでしょうか。

 

扨、来年の大河ドラマではきっと大和郡山にスポットが当たるかも・・・とはあの時はまったく考えもせず街区をブラついたのでしたが、目的なく彷徨った新紺屋町界隈を(場所はこちら)。

城の外堀に接する地で「紺屋町」なる町名から水がつきもの、染物屋の痕跡があるかと思いきや「寺町」になっていました。

ブラつくにはちょうどいいとばかりにきょろきょろ・・・

「コーヒー300円」には心を惹かれましたが・・・

 

下の画像が昨日収穫された梅。

 

 

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2025年

5月

26日

甲府から来た柳沢家菩提寺 黄檗宗永慶寺 大和郡山

昨日は朝七時に静岡中東部地区での法縁に向かいました。

出立時は「雨があがってラッキー・・・」などと奥方に呟いたのでしたが東名高速は最初から最後までワイパー不可欠の状態でした。

まぁ、日曜日という事もあって走行車両は少な目につき、うまいこと遅延もなく到着できました。

帰路は完全に路面は渇いて相良到着時にはお日様が顔を。

予報では完全な晴れはなさそうですがしばらくは降雨マークがありません。

 

法縁は息子のピンチヒッターでした。

彼は浜松での法縁の先約がありました。

こんなこともあるのかと驚かされたのはよりによってこの日にもう一件依頼があったとのこと。

勿論それはお断りさせていただいたそうですが。

毎度暇にしている息子に1日に3件も重なるなんて・・・

 

帰宅すると以前の拙ブログにコメントがありました。

相良陣太鼓酒造の山本敬三が義祖父という方でその方の大学の卒論に記していた件について紹介くださいました。

『陣太鼓』の調査、その後!というタイトルでした。

私も「陣太鼓」の出自についてハッキリしないところがありましたのて興味深い内容でした。

 

扨、昨日記した奈良大和郡山の黄檗宗永慶寺。

こちらは柳沢家の菩提寺ですね。

それで「なるほど」と思った方もいらしたかと思いますがこの寺は元は甲府にあった柳沢家の寺ですね(画像⑧⑨ こちらも)。また柳沢吉保夫妻の墓は恵林寺にありました。

柳沢家が甲府→大和郡山と移封となったからですね。

詳細は看板をどうぞ。

 

 

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2025年

5月

25日

鬼と猪目とイソヒヨドリ 黄檗宗永慶寺 大和郡山

数日前の暑さの空気は消え去り一言で「涼しい!!」。

半袖で就寝していたら危うく「ヤラれる」ところでした。

ただ外は心地よい風が吹いていましたがホール内での読経は結構に汗が・・・。

読経中脳内よぎったのは「ひょっとして齢か・・・」でした。

汗はかきにくい体質で昔から運動部の先輩から「お前はたるんでいる―汗が見えない」といつもケロッと時にニヤけている私は罵声を浴びせられていましたから。

まぁその不合理きわまりない指摘により余計に鍛錬させていいただいたわけで今の健勝が維持できていると思えば「まぁ、いいか」レベルで落ち着けますが。

 

ホール内はやたらと暑かったのかそれとも齢なのか・・・後者でしたらいよいよの体調劣化のような気がして嫌な感じがします。

そして発声が思うようにできなくなったような気も。

最近は声かすれが顕著になっている感。

一過性だといいのですが・・・

奥方にそれを言うと「歌手が身を引く理由がそれ・・・そろそろかもな・・・」と引退勧告をされました。

 

「じゃあ毎日奈良か?」と言うと「バカ野郎!!」とそれは一蹴。ちなみにその「奈良」とは奈良に限らずどちらでもほっつき歩くことを当家ではそう言っています。

まぁ次回はそのものズバリ奈良に向かうでしょうが。

 

そのホールの控室にてベテランの司会者から「真宗では住職の奥さんのことを何と?・・・」と質問されました。

「曹洞宗では○○ 臨済宗では〇〇・・・」と各宗派の呼名を示してくれましたが私は聞いた傍から忘却しここに示すことはできません。

 

「奥方」の称は拙ブログのみで使用しています。

「だいたい判ればイイ」程度でその語を使用していますが、通常は私がその語を使用することは如何にもオカシイことです。

しかしその件「どうでもイイ」ことです。

その司会者は仕事がらどうしても相手に「失礼なきよう」にと正式な呼称を頭に入れておきたかったようです。

 

私としてはやはりどうでもイイことであって「失礼でも何でもなし、何でもOK」というスタンスですが、まともにそれを問い合わされましたのでその件「ああそれね」と「マジに」応えました。

それは「ぼうもり」・・・と返すと不思議な顔でその字面を聞き返されました。

「坊守・・・坊主をお守(もり)する人だよ・・・」と言うとニッコリとして「なるほど・・・」と納得していました。

他流のそれは難しすぎて・・・

 

昨日のブログではコメントを戴きました。

そして拙寺が紹介されている相良城関係のユーチューブ番組を紹介いただきました。

その労力は大したものですが番組提供者は最近相良に訪れたことが判りました。

またコメントを戴いた「お祭りさん」が以前から着目して適宜そちらの話題を提供されていた「小島陣屋跡」について小和田哲男先生の小和田チャンネルでアップされています。

それが大河ドラマで登場した恋川春町の解説バージョンです。

 

松平定信に腹を切らされたとも言われる春町ですが、その演出によっては昨日記した如くの相良―白河の和議の風潮に水が差されるかもしれませんね。

まぁ松平定信の改革とやら、江戸文化には強烈なるネガティブとして作用していましたから松平への嫌悪はその一つに限ったことではありません。

 

画像はその奈良。

大和郡山の黄檗宗永慶寺での一コマ。

印象的だったのは鬼瓦の上に留まって囀るイソヒヨドリ。

大和郡山は内陸です。相良ならまだしも・・・ですよね。

彼らは拙寺周辺にも定住するようになってしばらく朝から晩まで美声を聞かせてくれていますが・・・

そしてその「鬼」にも例の猪目が・・・しっかりとその存在を主張していました。

どちらに向かうにしろ青い空がイイ。

 

 

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2025年

5月

24日

斬新すぎる建造物 こんな神社見たことない 尾山神社

よる7時からのNHKニュースのあとの「マスターする江戸時代」の静岡放送版を視聴。

「田沼意次の経済政策が革新的」と高い評価(でも運がわるかった・・・)がされていました。

数年前からの意次評価の「掌返し」には相良人として誇らしいし、してやったり。驚きもありますが有り難いことです。

これまで田沼意次バッシングの片棒を担いだ歴史関係で物申す方々、面目潰れの様でしょう。

見識が浅かったということで。

 

大河ドラマでの盛り上がりから(相良だけかも知りませんが)このほど白河市との友好をと相互の交流が始まりました。

数日前も拙寺に白河市の若い人たちが何名か見学に案内されていたようです(私は外出中でした)。

というのはここへ来て相良藩―田沼意次と白河藩―松平定信の間で仲直りをしようという企画が。

やはり我ら相良生まれの感覚では田沼意次を失脚させて相良城を破却したのは松平定信でありこれまでは敵といってもいいくらいでした。

 

ところが最近の歴史解釈では田沼意次の政策「掌返し」と同様松平の後ろで糸を引いていた黒幕として徳川(一橋)治済にスポットが当たっています。よって相良人の恨みつらみは松平より治済に向きつつあるからですね。

番組でも治済のヤバさ、おどろおどろしさ満点の示唆的演出があります。

 

そして番組では「太田南畝」(三大狂歌師の一人 他は「朱楽菅江」と「唐衣橘洲」)が登場しましたが、その名だけであったとしても「唐衣橘洲」の登場があれば相良人として尚、嬉しい限りです。

その件、拙ブログでも記していますが唐衣橘洲=小島源之助

田沼家退去後の相良に一橋治済から派遣された七人目の代官の

小島蕉園の父ですからね。

 

また今週放送予定の大河ドラマでは島津重豪の登場があるといいます

島津重豪の娘が篤姫(最初の)で徳川家斉の正妻、広大院(→大奥に上がった波さんの大ボス)です。

勝手ながら個人的にも大いに楽しみなストーリー、わくわくしてきます。

たとえ思い通りの展開にならなくとも・・・あくまでも娯楽として。

 

扨、昨日に続き金沢尾山神社。

「神門」というそうです。

明治にオランダ人が設計。

レンガと木材の和洋折衷建造物とはいいますが・・・。

 

 

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2025年

5月

23日

大河のヒロイン まつ 尾山神社に像が建つ

今年の庫裏の最高気温はまたしても更新。

夕刻には29℃になっていました。

夕食の支度にかかろうとする奥方が「もはや我慢がならない」とすかさずエアコンをオンしていました。今年初です。

 

私の昨日は朝から寺務仕事。

ここ数日は境内でのあれこれ残った「宿題」へ時間を割くことができません。

降雨予想もあってまごまごしていたら梅雨入りです。

一昨日、静波墓園を覗いてきましたが草ぼうぼうの躰。

早いところ草刈りに向かわないと・・・

 

今後の課題ですが静波墓園の空きスペースに家族用に区切った永代墓でも造ろうかな・・・などと。

要は今流行りの「墓じまい」の受け入れ先です。

しかしながらこの件は地元の他のお寺さんから顰蹙を買うことになりそう。

「宗派自由」など門戸を広げれば立地的な利便もあって需要はかなり見込めそうですが。

何より雑草の生える余地が無くなりますからね。

 

その手のことを手掛ける業者から勧誘―「建造費無料」「宣伝広告代行」等―がありますが、そういう甘い話はかえって面倒なことになりそう。自分で手掛けられればそれが一番です。

 

扨、昨日の尾山神社の馬上の母衣武者、前田利家の像を記しましたがこちらの神社の主役は勿論その妻の「まつ」ですね。

というか金沢の人々の思いはもはやこの夫婦で固まっているかのよう。

「まつ」の像建立のきっかけは大河ドラマ放映を記念して。

NHKの大河ドラマの影響力の大きさを思います。

 

最後の画像が昨日記した神苑へ水を引くための導水管。

多くの石材の接合によることがわかりますが、漏水などあたり前、大して気にすることはなかったのでしょうね。

水の流れとそれを思うが如くに導こうとする管道設置の難しさ古き時代のその工事は想像を超えているでしょう。

 

 

 

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2025年

5月

22日

尾山神社の金谷神社 境内諸々

春先の長期予報にて「今年の夏は去年ほどの酷暑にはならないでしょう」と。

あの暑さは一過性だった・・・と思っていましたがここへきて今年の夏の暑さは去年と同等と。

予報が当初とは変更されたわけですが、その件まったく触れられることなく、「暑くなりますよ~」のみ。

「暑くならない→暑くなる」の相反するものですからそれについてノーコメントというとろ・・・まぁ、いいか・・・

 

数日前から扇風機が欲しくなるという庫裏の室温は27℃から28℃と上昇。

風呂上りのタイミング、耐え切れずに電気ストーブを扇風機に交換してスイッチオン。

「たまったもんじゃあない・・・」と一息つきました。

 

と言いながらも私は就寝時にトレーナー着ています。

6月にかけて夜間の気温低下はあるはずで一瞬の気の緩みによって2週間程度続く体調不良はこれまた耐え切れないものがありますからね。

まぁ私は寒波には萎れますが暑さには耐性がありますので。

 

扨、昨日の尾山神社。

現在は「尾山」という名称がありますが、昨日も記した通り金谷出丸の跡でもあり金谷神社(二代藩主前田利長から十七代までの当主と正室が祀られています。

「神苑」なる池。

舞楽の楽器を模した廻遊式庭園は旧金谷御殿の遺物。

その水は、兼六園から暗渠を通して導き入れていたとのこと。

そして若き信長の時代に頭角を現し赤母衣衆として名を成した利家の銅像が。

神社の成立は明治に入ってからですがやはりそこは押さえたいところですね。

 

 

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2025年

5月

21日

尾山御坊の尾山は金沢城旧名 尾山神社 金沢城公園

先日の新名神高速の逆走事案の「犯人」が確保されたよう。

次々と伝えられる画像から「過失」(当初は何らかの錯誤があったにしろ)ではなく故意逃走の姿だったところがうかがえました。

とうに気づいているはずなのに停車することなく、逃げ切れるワケが無いのに逃げまくるところはやはり日本の交通事情についてあまり理解されていない人(外国人)でした。

車が小学生の列に突っ込む事故が多発していますが、先日は飲酒してその列に突っ込んで逃走という件でしたが、その人も掴まえてみれば異国からの人。

 

昨日も日本国内諸事情に無理解なる外国人たちが大挙してきたら・・・果たしてこの国の風土文化伝統に馴染んでいくものか・・・との不安について記しましたが、とにもかくにも最低限、彼らが決まって取得を急ぐ国際免許、自動車免許の取得条件、いわゆる諸規範について確りと頭に叩き込んでいただくようご指導の方頼みたいものです。

日本人には厳しく外国人には何故かカンタンに取得更新できるシステムとは一体・・・

 

扨、金沢城公園の尾山神社。

道路を隔てたところに玉泉院丸石垣が見えます。

現在は本願寺時代の尾山御坊や金沢城の旧名を冠にした神社がありますが、そもそもは出丸の跡(金谷出丸)で鼠多門橋にて行き交いしていたとのこと。

画像の門は二ノ丸門を移築したもの。

 

 

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2025年

5月

20日

大手門口と新丸の石垣 金沢城公園

先般、当地の不動産売買について、その成立の難しさについて記しましたが、そののちに伺った別の不動産(上物付き)の件、「300万円で決まった」という例があったと。

坪数や築年については不詳ですが、中古とはいえ土地付き一戸建てが大衆車購入なみ、というか高級車となればそのような金額では買えないよう安価です。

 

相良に住まう人たちは異口同音に「タダでもいらない」という負動産ですから300万円でも値段がつけば御の字でしょう。

上物の解体費がそれ近くかかりますし、固定資産税の支払いから今後免れることができるというのはまさに「肩の荷を下ろす」ことになりますね。

ちなみに購入者はブラジルの方といいます。

 

在日中国人が増え続けていることを昨晩のニュースで報じていましたが、その数、今や和歌山県の人口と同じ(91万人)と。

ビジネスを目的に入国すれば家族を連れてくることができるという特例が我が国にあって、今や日本でジャパニーズドリームを実現しようとする「活力」か押し迫っている感。

 

川口のクルド人コミュニティの件、受け入れ側として困惑させられている場面を耳目にしますが、後退する日本、沈滞する日本人にとって良き刺激になればいいのですが、彼らとの共生共存についてそれぞれが培ってきた文化と国民性の違いがどう出るか・・・

 

扨、画像は金沢城大手門口と新丸。

新丸は二代の利長により慶長四年(1599)頃に増設された曲輪と。

石垣積みに金と労力を尽くす時代、すべてに威圧感があります。

 

 

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2025年

5月

19日

玉泉院丸南西石垣 次々と改修復元される金沢城公園

庫裏の気温が24℃だと、うすら寒く感じ27℃を超えると扇風機が欲しくなるといったところ。

その「うすら寒さ」と「暑い」が一日で味わうこととなった昨日、お昼前に庫裏玄関に訪れた御門徒さんの顔からは汗が噴き出ていました。

「寒いと暑い」が同居するこの時期は体調のコントロールが難しく、とかく風邪に罹患する人が出るものです。

 

横浜の「奥の墓道」氏は先週末から風邪の症状が出て38℃超えの熱に見舞われているとのこと。

しかし週末に歯科医で大口を開けさせられていたことがその感染ルートであると断定していましたが・・・

いずれにしろ私も歯科医院に通っていますのでそれには少々の恐怖を思います。

年初に息子が歯科医院から帰宅した晩より高熱となってそれが当家奥方に感染、絶不調が長引いていました。

 

今一つ昨日奥方に「恐ろしい」と絶句したのが、新名神高速道路で起こった逆走事故。

丁度私が御門徒さんと玄関で話をしている頃のことといいます。

実は私は「そろそろ奈良に・・・」と一泊か二泊の行程の出立タイミングを計っていたところでした。何せ久し振りの遠乗りで、まさに虎視眈々でした。

日曜午前に出発して月曜か火曜に帰宅しようという感じでしたがたまたま歯科医の予約を入れさせるを得なかったため今回はパスした経緯が。

 

よってその新名神の事故と通行止めの災難は免れたということの安堵が。

どこかで記したことがあったかとは思いますが事故のあった亀山ジャンクション周辺は私も何度か誤って高速道路を降りてしまったり別コースを辿ってしまったことがありました。

とてもわかりにくく逆走車があったとしても不思議はないというる場所。

ニュースで放映された追い越し車線を逆走し迫りくる車を避ける様を見せつけられて「たまったものじゃぁない」の一言。

実際にその車を避けきれずに事故となり負傷された方たちがいました・・・

それにしても逆走車は無事に逃げ切り、避けそこなった車たちが事故を起こしてしまうなんて・・・まったく理不尽、理解不能。

 

画像には車種とナンバープレートが映っているようですから御用となるのは時間の問題でしょうが。

ポイントは全過失で最初から最後まで己の逆走について気づいていなかったかそれともどこかで気づいたか(故意)ということ。

帰宅してから奥さんに、「今日はやたらと無理な追い越し野郎と遭遇 危うく衝突するところだった」なんて。そこまでだったらお目出度いかも。

人とは自分が為すことは「すべて正しい」と思いこむところがありますからね。

私はいつその逆走をやらかすのか・・・重大事案。

ハンドルを持ったら「ハイ私がやらかします!!」と常に頭に入れていこうかと。

 

それにしても多数の人たちの日曜午後の時間を奪ったわけで

それを被った人たちは「どうしてくれるんだ」と叫びたくなるでしょうね。

その日、奈良に向わないで良かった・・・歯医者さんの予約で命拾いしました。

 

扨、昨日の玉泉丸入口の手前に聳えるのが玉泉院丸南西石垣。

そのお向かいにあるのが鼠多門と鼠多門橋。

私のこの画像は2019年のものでそれら存在は画像にありません。2020年に復元完成があったようですね。

金沢城公園は何かしらの工事が常にあって次々と金沢城の遺構復元が為されています。

 

 

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2025年

5月

18日

玉泉院 前田利長正室の名 その屋敷が玉泉院丸

昨日の法要は御納骨の予定がありましたが、朝から(夕まで)の降雨により墓参は中止、法要後は本堂で雑談タイム。

納骨のみ翌日再参集することで了解しました。

 

懸案の排水溝の出来栄えにつき早朝のゴミ出しのついでに確認しましたが、思い通りしっかりと排水の「仕事」をしてくれていました。これまでの大迷惑だった「プール状態」はこれで無事解消です。「思い出したら」メンテしていきましょう。

 

排水詰まり解消の工事費として10数万円を奥方に計上依頼していましたが、材料費1万円程度で完成。

数回にわたる水道管破損の修繕費もそれに入っていますから

まぁ上々というところ。

もっとも時間と人工と筋肉痛については無視していますが・・・

発注した外構工事の仕事は一旦キャンセルすることにになりましたが、会館と墓地との境界と周辺コンクリ工事を頼みました。

二段程度の化粧ブロックを積んでもらいます。

普通のブロックとは3倍ほど値段が違うそうですが・・・

尚、隣地境界側のブロックは一般的なものをお願いしました。

 

扨、金沢城。

玉泉院丸は前田利長の妻(玉泉院)の屋敷跡。

豪奢な庭園と石垣が復元されています。

石垣は大層異色の感。

 

 

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2025年

5月

17日

水道管 排水U字溝 グレーチング 毎度やらかす私 

息子から土日の静岡市内での法務(通夜・葬儀)にピンチヒッターとして出仕できないかとの打診が。

息子の友人から息子の代務を依頼してきたのですがやむなく

私に振ってきたのでした。彼には浜松での法務の予定があるそうです。友人への義理を果たすためですね。

 

私は土曜午前は拙寺本堂で法務がありますが、通夜ならば間に合いますし日曜はフリーでしたので取り敢えず了承しました。

取り敢えずというのは先方(そもそも法務の依頼を最初に受けた息子の友人の寺そして施主)が「それでOKなのか・・・」ということですね。

私もどういう立場にて(拙寺住職を名のって名刺など渡すのか、先方の寺の僧侶としての出仕か、またハナから代務寺院として伝えるのか・・・)式を進めるのかハッキリさせる必要がありました。

 

するとその後、息子から先方の寺が「住職(オヤジ)に来ていただくのは申し訳ない」ということで今回の話はなかったことにして欲しいとの連絡を受けたとのこと。

息子は(私を派遣させて)「何をやらかしてくれるかわからないので、これで良かったのだ」と。

私は「イカれたやらかし屋」であることは否定しませんが、それを指摘して他の目を気にするようになったというところ・・・彼は有難くも大いなる成長があった・・・のかも知れませんね。

まぁそれは隔世遺伝かも。父はいつもそれを心配していました。

 

扨、昨日は午前午後にかけて(お昼抜きで)上水道パイプと排水溝の修繕を仕上げました。

少々詳しく記します。

上水道のパイプ接合は業界で云われる「地獄配管」です。

ストレートの配管で上下流の間隔が短くまた狭小な場所の接合のことですが、地獄の如く難儀することからそう呼ばれます。

 

現状水道管は塩ビパイプが主流になっていますが切断後のその接合には同素材のソケットというパーツを使用します。

しかしガッチリ固まった上下流のパイプにそのソケットでの接合は基本的に不可能です。

片方に接続したとしてもその片側には26㎜程度の接続部分がありますので・・・

 

私が学生時代に水道屋でバイト(日当4000円)をしていた頃は塩ビパイプをバーナーであぶって、たわませてから差し込んでいましたが、それは最終手段。

まずは①の如くエルボとソケットで振ってから接合する作戦をとりましたが、コレは上部からの差し込みが(上下流同時挿入)

その上部に走る排水パイプのためにできません。

よって横からの作業になりましたがそれでは力が入りきらず完全な挿入(双方26㎜程度)とはなりにくいのです。

①の場合は上下流とサイド側を多めに掘っての作業。何とか配管できたところです。

 

それと同様の方法で会館側の排水溝内で作業を始めましたが、こちらはより狭い空間ですから接合不十分となって漏水がぽたぽた。それによって数日間作業を中止していました。

パイプを熱で曲げることは猶予して私は初めての使用体験を・・・ということでネット上からユニオン(鋼製)なるお高いパーツ(送料込みで3000円弱)を取り寄せたわけで。

一般に市販されている安価な塩ビ製ユニオンは埋設不可とありました。

 

その鋼製ユニオンは大径ボルトネジ式、そして少々双方パイプに角度がついていたためなかなか接合できずに難儀しましたが、奥方の手伝いもあって無事接合完了②③。

 

排水パイプはこちらは掃除がしやすいU字溝に変更しました。

ホームセンターで購入したグレーチングをカット、設置しておしまい。勿論U字溝も溝にあわせて切断しました。

少々段差がありますが、出っ張っているよりはマシです。

それはいずれ適当に解消努力しましょう。

とにかく大雨予報がありますので事前に、ということで。

「プール」発生の有無、その確認が楽しみです。

 

しかしまぁグレーチングの高価な事。

大抵が90㎝長ですが(幅は2番目に小さいものを使用しました)4000円オーバーです。

街路や公園の溝の蓋部分に多く配されていますが、それを夜な夜な、かっぱらいの輩が頻繁に出没しているというのも頷けます。

 

 

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2025年

5月

16日

辰巳櫓から兼六園方向の景色 お節介か民事不介入か

先般、御門徒さんで自宅兼店舗の建設会社の瑕疵によって現状「崩壊のリスク」をも味わっているというI氏より「お寺近くで平屋の物件」を探しているとの件・・・を記しましたが、それには内心「あの家があるにはあるな・・・」と奥方と話したことがありました。

その所有者S氏も拙寺御門徒さんということ(今は県内でも都市部在住で空き家に)、また2階建てで上階が無駄になることからその件は私の心の内にしまっていました。

 

ところがどちらかでその不動産の情報を耳にされたようでI氏は私に所有者の連絡先について問い合わせてきました。

当然に先方承諾を得てからお伝えしたわけですが、その話の内容は「負動産賃貸について」とだけ触れておきました。

すると直接交渉の際I氏はS氏から「賃貸ではなく売却したい」旨を伝えられ、以下不動産屋にまかせてあるので交渉はそちらへ・・・ということになったそうです。

すると昨日、I氏より「申し訳ないがお断りした」と連絡がありました。

 

詳細はわかりませんが、私は「不動産屋にまかせてある」という談からこの話は無理かも・・・と踏んでいました。

何故ならば金銭的な折り合いがつかないということですね。

相良の不動産屋ならばまだしも遠隔都市部のそれでは感覚的にこの辺りの土地取引の現状が伝わってこないということです。そもそも不動産屋に依頼した段階で限りなく成約はできないだろうと思ったのでした。

 

彼らは当然に高額取引を目論みます。仲介手数料を商いにしていますから当然でしょう。

彼らに任せれば不特定多数の人たちにそれを提示することができその告知ネットワークに関してはある程度の効果はあるのでしょうが「負動産」と呼ばれるようになった当地の土地建物の処分はとても難しいことです。

売主のそれに順応した感覚も必要ですが不動産=財産という時代を過ごした人にはなかなかその理解が難しいものです。

 

相良の街区を歩けばそこいらじゅうに「処分したい」主張の看板を見ることができましょう。

どちらかで手を打てないと永遠に固定資産税の徴収が続きますからみなさん必死なのです。

よって今「タダでもいらない」というのが相良人共通の台詞となってしまいました。買い手を探すのは至難の業。

 

私は、その断念の報に、「気にすることはないです」とそれ以上の関与、意見や自分ならこうする・・・的な方策の少々も告げることはなく電話を切りました。

まぁどちらも拙寺ご門徒さんということもありますが金額が張りそうな取引が推測できますので、何らの禍根も残したくないというところが本音。

出しゃばったことをして、どちらか傷つくようなことがあれば一大事ですからね。

 

最近は警察の「民事不介入」について新たに耳にしました。

その度合いにもよりますが、それはあたりまえと言ったらあたりまえのことかも。

特に最近のストーカー事案など「実際のところはどうなっているか」など当人同士のことなどは深く掴みにくいですからね。

「惚れた腫れたは当座のうち」とも言いますしどちらかの訴えがあったとしても、まぁ「勝手にしてくれ」と思うところは理解できますね。

まぁ最近は人心短絡、やたらと刃傷事件が続発していますが・・・

わからないのは人の心。

 

扨、画像は金沢城辰巳櫓から見た兼六園や石川県立歴史博物館

鈴木大拙館(またはこちら)のある方向。

直下にはいもり堀が。

 

 

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2025年

5月

15日

仙台河岸湊橋護岸散策 かつてナンキンハゼの数本が

午前は法務、読経中に今年初、「暑い」を感じました。

こういった気温が続くのならば扇風機を出さなくてはならないでしょうね。

先日ストーブと温熱マットを片付けたばかりのような。

梅雨寒というのもありますが・・・

 

夕刻に奥方を誘って散策に出向きました。

先般大河ドラマにて史料館の文書が紹介されていましたがその中で「蝋 ハゼ」と赤字で強調された箇所、劇中平賀源内の台詞で「この辺りにハゼを植えて・・・」と相良川左岸を指している図がありました。

それを視聴して「そういえば・・・」とかつて私の記憶に残っている川の右岸を歩くことにしました。

こちら川の右岸は一昔前は段差も浅く、川岸には木々が茂っていてかつ大雨の際には水が溢れてしまうような場所になります。

本通り側からの細長い敷地の裏側にはこの川の流れが迫っていたといい、整備がされていない頃には子供の水難事故などがあったことを聞いています。

 

数年前の台風による大雨で、「死ぬ思いをした」という方が出てから抜本的な改修工事がなされました。

その工事以前にはこの護岸には桜とハゼ(ナンキンハゼ)が列を為していたわけで(記憶違いでしたらごめんなさい)、私はそのハゼの姿を久し振りに目にしようと向かったわけです。

ところがその改修工事によって殆どが伐採されてしまっていました。

 

「防災」の語は天下御免、その言葉には勝てません。

伐採に対して反対意見もあったようですが、それには承諾する他の選択はないというのは世のならい。

致し方ないことでしょう。

 

やはりり一つも残っていなかった・・・と残念無念と今来た仙台河岸辺りに左岸伝いに戻ると、奇跡的というか1本だけナンキンハゼ(少々自信なし)が護岸に⑪⑫。バックに湊橋が見えます。

今節中学校のプールを撤去して駐車場にした場所の真ん前でした。

秋以降、(ハゼの)実が付けばナンキンハゼで間違いないところですが・・・その前に花が咲きますからね。楽しみです。

 

ただし古文書にあるハゼとは異種でしょうね。

こじ付けになるかもしれませんがこの実からも蝋は取れるようですから、もしかして・・・とは思うところ。

 

種子は殆どが川の流れに落ちるか鳥たちによって運ばれ種の継承があるものですが、かつての護岸のナンキンハゼの木々はいかにも人為的、どなたが植えたのでしょう・・・

 

 

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2025年

5月

14日

静岡市の対応への不満を聞く 金沢城丑寅櫓

宿題山積の中ようやく歯科医の門を潜ることができました。

一昨日昨日と二日連続通院。

来週のどちらかで今一度治療を行って終了という段取りです。

歯科医と雑談、牧之原市の田沼親子トークショーの件でした。NHKとの良好な関わりと市の担当の「ヤル気」が見えてそれは羨ましく思うそう。

医師は静岡市民ですが、大河「どうする~」の件でも浜松に遠慮したのか大河ドラマを活用してやろう的、前向きな方向性が見えてこなかったことは残念であると。

 

そして渡辺謙氏の話で大いに盛り上がりました。

かつて医師は、スタントマン(学生時代のアルバイト?)をしていた時期があって、「天と地と」では降板前の渡辺謙氏と「同じ場所」にいたことがあったとのこと。

 

病気(急性白血病)の発病による降板はやむを得なかったもののそれは残念で仕方なかったとその想いを話していました。

渡辺謙氏の想像を絶する疾病、再発等を克服していく姿も天晴れなことです。

 

扨、金沢城の東ノ丸の隅櫓。

本丸から見て北東(丑寅)方向にあるので通称「丑寅櫓」。

鬼門ということも示唆しているのでしょうが、パット見、広大な金沢城縄張りから見て決して「北東」という感は受けません。

こちらの図の通り、単純に本丸から見て・・・ですね。

野面積みの石垣は金沢城で一番古いとのこと。

 

 

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2025年

5月

13日

小和田先生の相良城解説 金沢城「薪の丸」周辺の石垣 

この時節まで相良城の破却シーンが伸びるとは思ってもいませんでした。

大河ドラマの進行の件です。

昨年のクランクイン前の予想では三月ころと、番組始まって早々に田沼意次の退場シーンという予想もあったくらいですから。

それが「GW前後」と言われるようになって今は8月頃とまでとその予想時期はあとあとにとズレこんでいます。

先般の春の法要では私もご一同に「GW頃のピークに」あわせて~のようなことを吹聴していたくらいですから。

 

勝手な思いつきですがハリウッドスター渡辺謙氏の登場をできるだけ引き伸ばそうとNHKが相良の為に気を使ってくれているのかと。

「佐野の過去帳」(相良海老にも)の件、伏線が済んでいますので次は意知の死、家治の死、意次の失脚、相良城の破却、意次の死とあっという間に流れていくかと思いきや思わぬじっくり感。なかなか楽しませていただいています。

実際それらの事案は殆ど数年のインターバル。時代感でいえば同時期といってもいいくらいですからね。

 

田沼意次善政の相良について大いに宣伝(こちらも)していただいた前々回の放映でしたが、その相良城の破却がその渡辺謙氏の好演が視聴者への「掴み」となって相良城、相良の町に注目が集まるのか・・・というところですが、たとえそれが「夢のまた夢」となったとしても是非に自らの頬をツネって目を覚ましてみたいものだとわくわくしているところです。

懸案だった「田沼親子」の来訪も決定し仕掛けはバッチリ、昨夕も史料館の長谷川氏からそのチラシを大量に届けていただいています。

トークショー参加の抽選、競争率はべらぼうに膨らむのでは・・・

 

先日、小和田哲男先生の番組(「小和田チャンネル」)が更新されていました。それが相良城についての解説。

短い時間でとてもわかりやすく説明されていますので、復習の為、ご存知の方も詳しくご存じない方も視聴されることをお勧めいたします(→サイト)。

 

扨、再び金沢城の石垣。

何しろこのお城には夥しいほどの石が各年に渡って積まれています。まさに石積のオンパレード。

画像は薪の丸付近の石垣ですが、私も頭が混乱してどこがどこだか分らなくなるほど。

石垣や石積を撮影しても同じにしか見えませんからね。

ただし、好き者にはそれがわかる。

 

自身石積みの真似事をしたことのある身、その膨大緻密な積み方を見て先人たちの特筆すべき偉大さがわかるというものです。

 

 

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2025年

5月

12日

本山浄興寺 当初御開祖時代のご本尊?  太子像

法務がありませんでしたので境内作業に専念するつもり・・・ではありましたが太平洋を列島に沿って北上する低気圧のせいで風が吹きまくっていました。

朝方のそれはかなり冷たくて、ヤル気というものが喪失。

 

ドブさらい用のジョレンの修理程度を行ったくらい。

経年によって持ち手部分から先端の金物が脱落すること・・・ありがちのことです。

作業中に幾度かそのイライラを味わっていたため金物と持ち手の軸をドリルで貫通してボルトで締めておしまい。

 

それは山門屋根に積もった立木の葉の除去に活用しようと考えています。ジョレンの先にガムテープでも巻いて瓦上をスイープしようというものです。

風が吹いたら梯子に上がる気にはさらさらなりませんから昨日はヤメにしました。

 

扨、先般息子が行った上越市での画像の中で「本山浄興寺」がありました。

こちらもまた私が足を踏み入れたことのないお寺です。

もっとも新潟県という地は私はまったくですが・・・

山号は歓喜踊躍山というくらいで将に御開祖の思想が前面に顕れています。

 

今度の彼の上越行脚の土産(画像いろいろ)を見て近いうちに是非にという思いが増幅したのでした。

しかし、思わぬ友人の結婚式で呼ばれた上越という地の名所にふらっと何となく立ち寄れるとは・・・すばらしいご縁、なんと幸運な男なのでしょう。

 

このお寺は真宗浄興寺派本山ですが、以前と言えば大谷派の別格寺院。

親鸞聖人の創建と古く各移転の経緯はありますが、上杉謙信によるバックアップがあっての春日山へと。

寺の歴史の古さも格別で親鸞聖人の本廟に古仏の聖徳太子像が彼のめにとまったようですが、まだまだそちらには特筆すべき事物が控えています。

 

奈良・京滋もいいですが上越にも奥方を助手席にして出向こうか・・・

関西系ならお断りされてしまうことは必定。

目先が変われば付き合ってくれるかも知れません。

 

 

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2025年

5月

11日

排水パイプについてのあれこれ World wideな境内

新設会館のトイレについての開閉(開錠7時すぎ 施錠17時過ぎ)は私の日課になりますが昨日トイレの施錠をして本堂のお参り後、閂をかけて境内でしばらく、一見して異邦人の3名の女子が境内鐘楼の前に。墓参ではない事は一目瞭然でした。

いつもの調子で「本堂へどうぞ~」とばかりに声掛けし閂を外して堂内にご案内しました。

 

会話が殆ど通じないのは私の英語力が覚束ないこともありますが彼女たちの会話はフランス語でした。

おそらく堂内にそのお国の言葉が飛び交ったのは初めてのことだったのでは。

 

寺の堂に入った経験は案の定初めてのことだといいます。

よって日本の仏教は多様に枝分かれし私の寺は「Johdo-Shinshu」ということと阿弥陀如来と南無阿弥陀仏についてざっと・・・。

「Johdo ≒ Heaven」・・・南無阿弥陀仏は「Arigato-Buddha」「I’m sorry-Buddha」などとテキトーな事を言いながら当流の焼香作法を軽く伝授。

 

聞けばたまたま拙寺に立ち寄ったとのことで、これまでの大河ドラマ関係の物見遊山の方たちとはまったく違う趣向。相良に友人があったのかも知れませんが。

日本語が比較的通じる女子は北海道から、あと二人は福井大学の留学生とのことで11日に開催されるエコパのコンサートのために静岡で合流、吉田のホテルに逗留しているとのことでした。

レンタカーを借りて諏訪原城を散策してから拙寺に辿ったと。

 

奇特なご縁と「意次せんべい」を1袋提供しました。小袋が3つ入っていますから。

瓦せんべいの「瓦」の説明につき私が悶絶していると「roof !!」とフォローをいただきました。

 

帰り際に「コレは是非体験を」と鐘楼のステップに上がっていただき一人ずつ鐘撞のお試し打ちを勧めました。

やはり初めてということで撞き棒を直接手に持ちだしましたので撞き方をレクチャー。殆どジェスチャーですが・・・。

 

「時鐘」についても片言で何とか説明。

「今もやっているのか」と質問されましたが「現代はスマホで(時間がわかる)・・・」のようなことを言うと笑っていました。

 

庫裏に帰ると奥方から「施錠の為に外へ出て一体何をやっているんだ」と。私は「フランスの若い女の子たちが境内にいて~」と言うと「テキトーなことを言うな!!」と。

一瞬信じてもらえないようなこと、私も驚いたくらいですから。

まぁ自分なりの国際貢献、相良人のイメージアップに繋がったかと自己満足した次第。

 

因みに彼女たちのうち「私は神を信じていない」という人も

いましたが、それは意外でした。

これは「皆さんはProtestant?」の私の問いに対してです。

私はその件、人それぞれ「free」であると了承。

 

「また来てね~」と見送りました。週明けにはそれぞれの勉学の地に戻るそう。

北海道と福井から当地へ来たフランスからの客人。

まさにworld wide。

 

扨、山門スグにある排水溝と上水道の件のあたふたについて記していましたが今は作業中断中です。

排水パイプの工事は終了していますのでそれについて少々。

そのパイプの敷設は10年以上前に某コンクリ業者に依頼したものでした。

依頼についてとやかくいわず「ここにパイプを埋設し排水効率をあげてくれ」ということのみ。

そして現状パイプ内に木の根と泥が進入し堆積、排水が滞って、地表がプール状態になってしまいました。

その解消のため今節隅っこの50㎝程度をハツってそちらのパイプを除去したのでしたが、GW直前に「コレ以上は無理」とばかりに奥方に白旗をあげて新たな工事業者に仕事を投げたことまで記していました。

そして工事着手が休みの為進まなかったことと、私の有り余った時間もあって私なりにその解法を求めたということも。

 

テーマとしてはその開いた50㎝程度の空間からどうやって泥と根を押し出すかということですね。

長尺物は建屋に当たってしまい排水溝に奥深く突っ込むことはできません。

そこで私が選択したのは竹でした。

竹の利点はしなりです。パイプすべてにそれを突っ込むことはできませんでしたが幾度かその竹の出し入れを繰り返し、抵抗が少なくなったところで、先端の2~3mのパイプを掘り出して切断しました。またパイプを切ってもジョイントが市販されていますのでラクに復元できます。

 

開通を確実のものとするために取り寄せたのが①のホース先端の器具です。

真っすぐから90°近くまで噴射角度が調整できる優れもの。

通常のスプレーガンとは違い形状がストレートになっていますのでパイプにはスンナリ入れられます。

それを装着したホースを押し込んでから適当な位置で水圧を上げるという作戦です。

すると面白いようにパイプ内の泥と根が押し出されました。

 

泥と根という難題があったもののそもそもかつての配管工事がイイ加減なものだったことが判りました。

私がその手の工事で一番に気にするようになった「逆テーパー」の配管でした。いわゆる勾配が逆ということ。

よって水の流れは中間部分で溜まって土が堆積し根が生える要因になったのでした。

その手抜きとはパイプのエンド部分を排水溝の縁の石の上に載せていたこと。

私はその石の数センチを切削して土を掘り下げて埋設しなおしました。

 

まぁあの器具があれば排水パイプの詰まりはそう心配することはないでしょうね。適宜ケアする必要はありますが。

 

 

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2025年

5月

10日

田沼親子お国入り 息子のお参りは国府別院

午前中は排水パイプの埋め戻しと会館側の枡の底にモルタルを詰めての嵩上作業。

この浸透桝から植物の根が這い上がってパイプを詰まらせました。

雨水の排出さえ確実ならばそのような桝は不要です。

 

その後は部材選定待ちのため作業の進捗はなし。

よって水道管はしばらくは漏水ポタポタのまま。

夕刻前には雨が降り出しましたが予報では土砂降りになるとのこと。

当分放ったらかしです。

 

昨日は一部相良町民がやきもきしていた「殿」のお国入り(お二方とも再訪ですが・・・)の実現の報。NHK静岡より発表がありました。先般の劇中のお国入りに続いて田沼親子のトークショー。

 

私のその日は時間は未定ながら法要の予定が入っていますので参加に関して不確定。

そしておそらく抽選は20~30倍、いやそれ以上になると思いますので既に諦めムードが漂います。

そもそも私が仮登録をし本登録に移ろうとしても返信のメールさえも来ません。どうせムリ・・・なのでしょうからどうでもいいといえばいい。

息子が浜松から応募したらスンナリだったようですから私のPCの不良か・・・。

メールアドレスが拒絶されるのか拒絶するのか・・・考えるのも面倒くさい。

 

扨、息子の新潟行脚の続き。

画像の如くキラキラ須弥壇の様。

一目見て本願寺派の荘厳と判断できますね。

国府別院といいます。

 

史跡石標に寺と城めぐり。呼ばれた婚礼の合間にこなしてくるところ、ニヤリとさせられました。

 

 

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2025年

5月

09日

なにごとも思うようにならない いかない できない

朝からU字溝を切断し、それを掘削した溝に合わせ入れようとすると、排水パイプの末端が引っかかって入りませんでした。

それならばグラインダーでと切削にかかったところ再び水が噴き出してしまいました。

真下に水道管が埋設されていることをてっきり失念、アホでした。コレで今節三回目の水道管破断。えへへ・・・としか。

奥方に「御前はバカか?」と罵られる始末。

 

やらかしたからにはしょうがない・・・と反省する暇もナシ。

元栓を閉めて毎度毎度の悪戦苦闘の時間をすごしました。

日没前に完成したかと思いきや、開栓すると接合部より水滴ぽたぽた。トホホ・・・の苦笑い。

また頭の中をリセットして取り組むことにします。

「ここのところ ツイてない・・・」とボヤきの語を吐いておしまい。

 

しかし「ツイているツイていない」の語を囁いていられるということ自体はマシのうちです。無難に生きていられることからその手のボヤキが吐けるのです。

 

御門徒さんI氏のこと・・・。

先日は桜の満開の候に墓参にお連れしたことを記しました。

その方の境遇は運・不運の一言で語ることができないほどの心痛を思いますがご当人はいつも平常の様。

逐一その不運を列挙することはできませんが重ねたそれら一つ一つどの事案を取っても人の一生の中で強烈なダメージを受けると思われるものばかり。

それでいて物凄く明るいのです。

 

先日も「頼みがある」と電話がありました。

その「頼み」というものは親族(親・妻子はいません)からは「迷惑がかかるから」を理由に「NG」と強く言われているようです。

その件について私は承知していますのでその方には「私には気軽に電話ください」などとできる限りの対応をしたい旨伝えていますが。

要は親族はデイサービスではなく施設への入所を勧めているのですが当人は完全入所についてはまったく視野にいれていないというところ。

双方の言い分はよくわかりますが、ご当人のやりたいようにすればイイだけです。

それに関して「タノム」と呼ばれれば私はできる限りお付き合いしようと心がけています。

阿弥陀さんに常々「後生タノム」と依頼している我が身、頼み頼まれはお互い様。

 

そのIさんの今度の「頼む」は「テレビが映らなくなっちゃった」。アンテナの調整かテレビそのものに問題があるかですが、今後の事があるため檀家さんの電気工事店を紹介して欲しいとのことでした。

 

その際、自室の雨漏りの様を見て欲しいと部屋に案内されましたが⑥、雨漏りで天井が落ちかかっていました。

「雨の後は掃除で大変」。

三階建ての1階で車椅子生活をされていますが雨が降れば毎度、酷いことになって「この家にはもう住めない」との判断。

他の床のそこここには水たまりが見えていました。

⑦は通路脇の壁です。確認のために内壁を外したそうですが、ベースの木材は腐食していました。無惨です。

 

「欠陥建築では相良では有名」という業者にあたってしまったとのことで、「今や崩壊の心配すらある」そう。

一刻も早く出たいとのことで現状「お寺の近く(お参りがしやすい)の小さな平屋一戸建てを探している」そうです。

尚、建物を壊して更地にするには1000万円余の出費があるとのことですが、いずれにしろ安らぎの住処が欲しいというのは切なる願い。

 

ヘルプなしで車椅子で街に出ることなど非常に難しいことを改めて知ることになったのが①②図。

①歩道には車道の排水を良好にするための傾斜があり尚劣化した溝板が敷設してあるため車椅子の走行はムリ。

走行する車に気を使いながら車道を行くしかありません。

相良本通りも歩道から反対側に渡ることなど段差によってそれも不可能でした。

②は拙寺近くの暗渠のグレーチングの図。これも車椅子の前輪がハマって不動になってしまいます。

障がいのある方にとってこの社会が如何に住みにくいか・・・それだけでもよく判ります。

 

拙寺の新会館もその点を配慮したつもりでしたが、当初の予定通りにはいきませんでした。排水の関係から地盤の嵩上がされたために通路とは大きな段差ができてしまいました③④。

⑤ステップの部分が段に引っかかり上がり切れません。

 

車椅子での使用ができるトイレをと設計したものの車椅子一人では入れないことがわかりました。

何ごとも思うようになりませんね。会館の名が「無碍」だけに惜しいことです。

 

「不自由」を思われる方があれば出来うる限りお手伝いできるよう心掛けたいものです。

私はお頭の方は難アリ(不自由)ですが。

また先日購入できなかったアンパンを仕入れて届けました。

 

 

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2025年

5月

08日

上陸の地「居多ヶ浜」と春日山城はごく近い

一昨晩の雨上がり、新潟の友人の結婚式から息子が帰宅しました。新潟の土産ではなく途中の長野の品(そば)ばかりでしたがまぁ無難なところですね。

賞味期限も3カ月ほどあって、それなら適当なところで食せます。

 

かつての同僚、知った顔が全部で8人ほど集結したと。二次会にてそれぞれの近況を報告しあったといいます。

それはそれは全てがお寺の子となれば、話題はそれぞれ境遇の共通性もあって話が盛り上がることでしょう。

 

彼の人脈の広さに驚かされましたが、私には真似のできないところ。天晴れです。

「同じ釜の飯」とはいいますが、まさにその通り、その頃の年代(20代前後)限定の傾向なのでしょうが意外と長続きするもので。

因みに私の学生時代の友人などここ数十年、再会したことはありません。

 

そういった友人たちのネットワークから適宜各ピンチヒッターとして法要等に招へいされるのでしょうね。

まさに「持つべきものは・・・」。

 

私は「折角の新潟行脚を活用しないでどうする」の嫌味をもって送り出していました。

すると息子の友人の修士課程まで行ったという相方(岩手遠野市から)の影響だと思いますが私の想像を超えた時間の過ごし方をしている様が。

 

結婚式場は新潟といっても上越市。

それを聞いた私はプレッシャーを掛ける意で「訪れた地の画像を寄越しやがれ~」とメールすると4日の晩にその日のここぞといった画像を送ってきました。

 

5日の式にあわせて前乗りしていた彼らが一番に向かった場所は

なんと「居多ヶ浜」。真宗人として知らぬものはないビーチの名が飛び込んできました。

勿論私も未達の地です。

その画像を見て奥方とこの成長の様を大いに喜びました。

 

式の翌日は天候不順となりましたがそれでも向かったのが春日山城だったと。「居多ヶ浜」とはごく近い場所ですね。

そちらに登城した後に帰宅したといいます。

途中雨に降られ売店で傘を購入し尚も登城したとのこと。

「よって画像は無いので悪しからず」でした。

 

やはり私の未登城の春日山城に訪れて私の地団太の様を引き出すところなど、まったくヤラれましたね。

 

画像はご開祖が上陸した「居多ヶ浜」。4日5日は珍しく全国的に晴れ渡っていました。

 

⑧は春日山城駐車場近くの春日山神社。

⑨⑩は雨の春日山城「二ノ丸か三の丸・・・」私なら雨となれば退却ですが・・・いづれは好天の日本海に逢いに行きたいものです。

 

 

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2025年

5月

07日

大河ドラマお国入り編 番組のさらなるポイント

昨日はご門徒さんからのお話の中で「ケーブルテレビを見ましたよ・・・」と。

その番組(トコチャン)の取材対応の件は先日記していましたがそれを視聴した方から番組カットの数枚を見せていただいただけでした。

 

その方は全編視聴したとのこと。

牧之原市外の方ですからその視聴ができたわけで、ここでもこちら旧相良の「なんだかなぁ~」を思わされたのでした。

録画し、あとからご主人にも紹介したそうですが私の様を「たのしそうでしたねぇ~」と。

「できたらDVDにでも・・・」とおねだりしてしまいました。

 

扨、昨日記した先週の大河ドラマ、意次お国入り場面のいろいろ相良連呼の部分は圧巻でしたが、「ほほう・・・」とばかりにその登場を喜んだのは「田沼街道」の名称でした。

昨日ブログでそのカットを入れていますが、源内の指示した相良城周辺の地図の「相良川」の名称とともに源内の台詞がありました。

番組最後の紀行でも「牧之原市」名称も適宜掲示されていましたが田沼街道起点道標とバックの湊橋が紹介は源内の地図とリンクしていて楽しめました。

 

あの演出は源内が相良の地形を熟知していて相良川に橋を架けることなどを意次に注進しているところですね。

それは源内が相良に来ていたことをも示唆する場面でした。

実際にその手のことを表す画が今一度放映されるとなれば、相良人は大いに喜ぶことになるでしょうね。

すべてNHK様の手の内です。

 

別件ですが、その「相良川」。

今の「萩間川」名への変遷の意味が分かりませんね。

「牧之原」という突飛な名称もそうですが私は「相良」が一番イイ・・・それぞれそれに戻すことをお勧めします。

 

最後の画像がケーブルテレビの取材で訪れたお三方のカット。

 

 

 

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2025年

5月

06日

史料館スゴいことに 大河ドラマ威力絶大「相良」連呼

昨日も排水管と水道管まわりの作業継続。

山門の下で穴掘り・ハツリ作業をしていれば色々な方たちがそれを横目に通過していきました。

こちらも下を向きながら時折工具を使用しての作業に集中。

挨拶をしたりしなかったり、知る人か不知かいろいろでした。

 

知らない人が見れば土木作業員にしか見えない出で立ちでしょう、石の切削作業をしているとつい先ほど会釈をしていった若者を引き連れて奥方が。

「コレが住職 わかりっこないよねぇ」とその青年に言いながら立ち去りました。

 

彼は庫裏に真っ先に向かって私の存在を問い合わせたそうでしたがそれが彼が研究している「防災」についてでした。

各寺院を巡り過去の地震等の被災について記録をあたっているとのことでした。

それならば拙寺に遺る「地震記」をと思いましたが石と泥にまみれた私が庫裏の中をうろついてその文書のありかを探索することはできません。

よって拙寺のサイトにその「地震記」を掲載していますのでそちらを口頭でご案内した次第。御前崎出身の大学生とのことでした。

 

その方以外にも見たこともない方たちがちらほら。

5/3の大河ドラマ、田沼意次お国入りの回。

「相良」の語が連発されてその影響があったようです。

中には本堂をバックに記念撮影をする家族連れもいたほど。

時間があれば皆さんの中にしゃしゃり出て本堂内各自慢話の一つや二つもするところですが、泥と粉塵だらけの土木作業は一気の仕事、手を休める暇がないほどでした。

 

シャワーを浴びてから夕刻まで奥方に作業を付き合わせたため役場前のそば屋「寿」へ。

「田沼そば」がウリの店です。

店主が「昨日の大河のおかげでへろへろ」になったと。

史料館の来場者が昼食・夕食にと入店が増えたとのことです。

 

そば屋の帰りに史料館壁面に映し出すプロジェクションマッピング(1回15分)を視聴(下図)。静岡県の製作したものと牧之原オリジナルが続けて流れますが前者のものはナレーションも渋くなかなか出来は良かった。

そして、何と暗がりから現れたのが史料館学芸員の長谷川氏。

「またいた~」と奥方が驚いて呟いていました。

プロジェクションマッピングの担当者は新人さんの仕事だそうですがその新人さんのバックアップのその日の担当が長谷川氏だったよう。

 

長谷川氏が「史料館がスゴいことになりました~」と。

休日に史料館担当で出勤し夜間も残業か・・・などと苦笑いしながらその意を問えば・・・「今日だけで来場者が1000人を超えました~」です。

また史料館1階有料(210円)エリアはそのうち300人の入場があったということでいづれもキャリアハイ。

あらためて大河ドラマの威力絶大を思いました。

 

彼は「もうこの数字を超えることはないだろう・・・」といいます。

GW日曜放映日の次の月曜が祭日というタイミングの良さもありますが意知の死、意次の失脚そして相良城廃却・意次失意の死といった回もありますのでまだまだわかりませんね・・・

ありがとうNHK。

これからますます視聴者の田沼意次への感情移入が増幅することは間違いなし。

それもハリウッドスター渡辺謙氏というベストな配役の賜物ですね。

 

画像は「相良」連発(台詞で7回)の様。

その部分をキャプチャーしました。

「田沼街道」の紹介もNHKはポイントを心得ています。

これは相良だけでなく藤枝までの関係地域の見知った語ですので、より多くの人たちの興味がそそられるわけです。

 

 

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2025年

5月

05日

ツイてないぜと苦笑い まさか水道管が 

早朝息子がかつての学生寮同室の友人とともに本堂でお参り。私の車に乗り換えて新潟へ。

友人は岩手のお寺の長男との事ですが、現在は介護職員だといいます。

どちらのお寺も同様で、私の知る限りにおいて副住職というか次代お寺の後継者が介護職員という例は少なくないような。

お寺に住職以外、人はそう必要ないということで外部に職を求めるというのが現実的ですが介護職は手ごろであり、またいつでもやめてお寺に入れるということからその選択肢となるのかも知れません。

 

私が驚いたのが、彼の友人の風体。

一見して一般的に思うお坊さんの姿でした。

当人の考え方次第ではありますが、真宗の坊さんに頭髪についての規約はありません。

よって私も息子も髪は長め、一昔前までは私など潮焼けした茶髪だったくらいで、先般も史料館の帰りにアロハとGパンのチャラい風体で歩いていると御門徒さんから「間違いだろう・・・いやそうだ」の風をもって声を掛けられました。

 

要はイイ歳こいたチンピラ風の如くに感じられたのでしょうがむしろ真宗の坊さんはまず「坊さん」とは思われないというのが一般的かと。よって彼の剃髪された「坊さん然」の様に圧倒されたのでした。

息子は「髪が薄くなったら・・・」それでゴマ化すと言っていますので「もしかしたら彼も・・・」と思いついたところです。

それとも「形」にこだわっているのでしょうか、今は別の仕事の筈なのに・・・

まぁ人それぞれ。好きに生きよう。

いや生かされている。

 

扨、排水溝と水道の工事はなかなか思うように進みません。

昨日記した予期せぬトラブルとは排水パイプの下に水道管が埋設されていて、排水パイプを切断する際に水道管も誤って傷つけてしまったのでした。

要はこの漏水の対応という新たな作業が追加されたということ。「動中工夫~」の次に「勝静中百千億倍」とありますが

そこまでとは言いませんがこのやらかした始末に10倍くらいの労力が。

 

埋設水道管の破断はまずは「誤って」で私も何度もやらかしていますがまさかこちらの下に通っているなど思いもしていない事でした。

イイ巡りあわせに遭遇した際の奥方の口癖に「ラッキールチアーノ」なる語があります。私はその時はしょぼーん。

「今日はツイてないぜ・・・」でした。

 

しかしよりによってあそこに水道管とは・・・①②には会館に向って走る水道管の存在を示唆しているバルブが見えます。

軽率は自認しますが、まさか「そこ」とは・・・

 

一昨日は応急処置、昨日は部材購入して準備万端、塩ビパイプを接合しましたが何故かぽつんぽつんと漏水が。差し込みが甘かったようです。

まぁ、のんびりぼちぼちやらせていただきます。

問題は作業時に水道バルブを閉めますので墓参に困ります。

 

 

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2025年

5月

04日

道頓堀相会橋 故藤田章二氏を思い出す 縁切り橋 

案外と寒さを感じます。

一昨日の雨天には石油ストーブを持ち出していたお宅もありました。風も比較的冷たいこともありますね。

昨日の私は早朝以外は半袖で過ごしましたが日没近くは殊に肌寒さを感じました。

 

昨日も殆ど一日中境内で右往左往していたのですが、それは先日諦めた山門下の排水パイプ工事を再開したからです。

一旦は業者に依頼したものの、GW明けになるようで、時間を持て余している私がぼけぼけっとそれを待っているというのはイケませんね。

宗旨は違いますか毎度「『動中工夫』でありたい」とそれをモットーにしていますので。

 

作戦としてはコンクリ―トの敷設された排水パイプは何とか竹竿を使用して中に詰まった泥と根を押し出すことができましたので、その先の土中に埋設されたパイプを掘り起こしてぷった切りパイプをクリーニングしようというもの。

 

すると思わぬトラブルに見舞われて昼以降はその対応でドタバタしていた次第。生きていると何かしらやらかす・・・それも私。

 

画像はやはり「生きている」と思い出すたくさんの見送った人たちとの想い出の一つ。

先日大阪道頓堀のうどん店今井のお土産のそばをすすりながら道頓堀川沿いを歩いた藤田章二氏とのドタバタを思い出しました。

 

その方は障がいを抱えながらも拙寺のバス遠足には毎年必ず参加されました。

バス遠足での主役ともいっていい方でしたが、2021年の暮れに突然逝去されました。

奥方はその人の顔をこちらに紹介することは・・・と怪訝な顔をしていましたが親族も不在で墓石ごと永代墓としていますので、藤田氏に「肖像権」が帰属しているとすればそれは私なのかも知れません。

 

何よりも普段あまりに笑顔を見せなかった藤田氏のベストショットともいえる画像がありましたので・・・

画像はかつてやはり道頓堀の法善寺前の夫婦善哉を藤田氏と二人で食したあとの散歩の図。

ちょうど10年前の図ですが、自由行動の時間はどうしても私が引率することになりました。時に車椅子の乗ってもらいながら。

とはいえ、私の趣向(道頓の墓など)中心に動き回ることは了解していただきました。

トイレが近いというポイントさえ掴んでおけばドタバタなれど案外楽しいことばかり。

 

画像の相合橋(あいあうばし)という名は意味ありげな名称です。一瞬「粋な出会い」を連想しますが実は逆。

大阪市の解説を転記します。

 

「この橋が初めて架けられたのは1680年代で、当初は中橋あるいは新中橋とよばれていた。宝永4年(1707)に初演された近松門左衛門の『心中重井筒(しんじゅうかさねいづつ)』の一節にも中橋として登場している。

「月ははや 渡り初して 中橋や 六軒町の小夜がうし~」

 

相合橋と名付けられた時期は不明である。

橋の南側は芝居櫓が立ち並ぶ芝居町で、北側は川筋の宗右衛門町のお茶屋街、橋筋には俗に六軒町と呼ばれた遊郭があった。

このように橋の周辺は大変華やかな雰囲気があり「相合橋」という艶のある名前がつけられたのであろう。しかしこの橋は

渡ると男女の縁が切れる“縁切り橋”ともいわれ、遊里の人々は橋を渡るのを嫌った。

また婚礼の行列もこの橋は渡らなかったらしい。相合橋が鉄橋になったのは昭和37年のことで、昭和58年には橋の幅を両側へ大きく拡げ、橋の上に憩いの広場が設けられた。また、平成23年には橋面の改装工事を実施している。」

 

最後の二つが「道頓堀今井」のそばセット。

ネギが手に入らないそうで・・・ちなみにその実店舗には行っていません。

奥方が連れていけと・・・喰って喰って喰いまくるのでしょうか。

縁切り橋、私はその手の迷信は笑いとばしながらこれまで生きてきました。

 

 

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2025年

5月

03日

ドラマ展お土産コーナー 見たこともないお菓子が

浜松へ向かう予定がありました。

予報では強めの雨ということで私はそちらへの運転を嫌い、一旦は断りましたが奥方から、雨が酷いのは牧之原(浜松はそれほどでもない)であって「夕方にはやむ」との言に諭されて雨中浜松へ。

奥方が息子のために用意した品を届けるためでした。

 

彼は翌日には岩手から来る学校時代の同僚と合流し、新潟のやはり同僚だった友人の結婚式に出向くといいますので(その二人ともお寺の子息)、タイミングとしてはこの日しかありませんでした。

新潟には3~4日滞在するそうで、それはそれは羨ましい限りです。そちらには御開祖の旧跡などがあちらこちらに、城郭たちも見落としがたい。

渋滞の地獄というものを知らないということは恐ろしい。

帰路りは関越道より北陸道の選択がイイのでは・・・

帰りに岩手の友人を東京に降ろすことになっていればそれは無理でしょうが。

 

彼は私の車を使うので「整備しておけ」と。

バッテリーを外したままになっていますし、空気圧もチェックしなくては・・・できることはそれくらい。

最近流行りのタイヤ脱落事故もありますのでボルトのチェックくらいはしておきましょうか。

 

扨、先日伺った史料館2階の大河ドラマ展のつづき。

地元お土産コーナーに新顔があったと長谷川氏から。

紹介されてしまったからには、と購入しました。

この品物で(出品は)「おそらくコレが最後」⑤⑥とのことでしたが、地元の品物としてその提案は少なかったような気がしますね。

アレだけ時間があったのに・・・

そしてこんなものはそもそもお遊び。

売れようが売れまいがどうでもイイ、いわゆる「お祭り」なのですからね。

 

ちなみに売店の売れ筋ベスト5がそれぞれ並んでいましたが、史跡調査会の後ろ盾のある品が2つ。調査会は酒屋でも菓子屋でもありません、ただノリと勢いだけで企画したもの。

売れているといっても任せっきりで、利益など微々たるものです。

要は「祭り」に参加するか、しないかですね。

 

「おつきあい」といっては大した買い物はできませんが、「大河ドラマ」と銘打った「金平糖」もついでに購入。

この名入れにはNHKエンタープライズの承認が必要になります。各権利の問題があってなかなかお高い商品価格となってしまいますがこのあまりにキレイな色に魅せられてやはりノリで購入。

奥方から「子供か・・・」。

賞味期限が2026年2月ですから当分の間、飾っておきます。

 

①は夕刻の図でしょう、本通り池田屋酒店店主から。

お店の上に虹がかかっています。すばらしい景色、吉兆のしるしか。

ちなみにこちらにも「吟醸田沼意次」があります。

②は史料館が大河ドラマ展用に新調したスライダー。足が不自由な方に対応するためです。

トイレの改修にも資金投入していますからもっともっと盛り上げていただきたいものです。

 

③のパンフ転売お断りの文言には唖然。

④はドラマ展お帰りの際の来場者アンケート。任意自主的なものですが・・・

県外では愛知県が多いようで。

 

 

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2025年

5月

02日

台東区のドラマ館・相良のドラマ展以外の各要所

物置小屋整理に植木いじり、そして排水溝清掃等に一日を費やしました。特に午後からの排水溝関連の作業は奥方も合力、強い雨の予報があるため、「一気にやっつけよう」と気合を入れて進めました。

結局は途中で放り投げる様でしたが・・・

 

今、注意深く周囲を見ていないと困るのが、スズメバチ。

女王様が各所で営巣場所の適合地を探しています。

昨日は物置に入って調査するもの(少々の滞留をして出ていきました)、物干し場には既にベース部分を構築済みのものを発見、「そこは勘弁」とばかり、慎重に除去させていただきました。

2階の軒先や本堂脇の軒であれば許容できますが、さすがに人の出入り頻繁の場所はムリですね。

それには早めの発見と対応が必要です。

 

そういえば昨日の新聞に静岡県内でマダニにヤラれた人が出たといいます。生き物たちが活発になる季節です。

私は今年は山歩きをしている時間がありませんでしたからそれに咬まれる機会はありませんでしたが・・・

 

この五月の候、一番にケアしなくてはならないのが初旬のシロアリの飛翔でしょうか。

毎年その頃には本堂小屋裏から後堂周辺に噴煙殺虫剤を散布し、床下にはアルカリ剤(生石灰顆粒)を撒いています・・・

経年もあって各所木材はボロボロですが、やらないよりやった方がマシ・・・といった感じ。

気休めであってもおカネもかかりますし労力もあります。

何が正解か・・・わからない。

 

扨、相良城本丸跡に建つ相良史料館。

そちらの2階には大河ドラマ展が開催されていますが、昨日ブログではリニューアルの件を記しました。

そちらには台東区のドラマ館や相良のドラマ展以外のドラマ関連の見どころについてパネルが上がっていました。

どちらも「われこそは・・・」とばかりにお国自慢を誇っているかのよう。

私ども相良も「ここぞとばかり・・・」ではありますが。

 

次の一手は殿(渡辺謙氏)の相良再訪ですね。

その件が現実となった場合「い~ら」でのトークショーになるかと思いますがそちらは収容人員の限界甚だし。

入場抽選での落選が頭をよぎります。

 

 

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2025年

5月

01日

史料館大河ドラマ展 少々リニューアル

朝食を抜きにして境内作業の少々、10時に出立、昨日で営業を終う食堂へ徒にて。

1030開店ですが奥方と一番乗りを狙いました。

私どもにとって行列の一員になる事は忌み嫌うこと。

それは日ごろあり得ないことではありますが、GW中とはいえ平日でしかも法務はナシ、タイミングは絶妙でした。

 

スグに入店待ちのお客が集結、開店の10分前には暖簾が掲げられました。

これが最後と皆さん単品一皿を余分に注文する姿が・・・

私どもも同様です。

昼頃に別件で奥方がお店の前を通過した際、入店待ちが外に10人は並んでいたと。

 

本来なら営業許可の更新時期の今年の11月まで頑張る予定だったそうですがやはり「体力的限界」を感じたよう。

数年前に更新した機材、設備投資の回収についてなど、余計なことが気になる私がいました。

 

店では市の大河ドラマ担当とたまたまお会いしました。

今週放映の田沼意次の相良、お国入りの1カットについて雑談。

噂にあった「こっそり平賀源内再登場」の演出についてはナイだろうとのことでした。さぁどうなるか・・・「民から愛された良き殿」。

 

扨、そのような話になったことから午後からは史料館2階の大河ドラマ展に。

つい最近リニューアルされていたことを知りましたのでその目玉をこの目で確認に。

それが画像①「殿様の間」ですね。

待機している係の人が「是非に」とそちらに上がっての記念写真を勧められましたがそれは辞退させていただきました。

NHKの劇用小道具スタッフによるものと聞きますが、壁の金色七曜紋の整列が粋。

 

そしてもう一件、気になる田沼意次~渡辺謙氏のメッセージ。

「史料館にお越しの皆さんへ」で始まります。

これらは撮影NGです。

尚、こちらへの来訪者はこのGW期間中で「2万人」を超えるとのことです。

 

 

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2025年

4月

30日

金沢城本丸は尾山城本願寺御堂跡

冷たい風が一日中吹きまくっていました。

外が晴れているだけ有難かったのですが、堂内お参りの方の口々から「寒いねぇ~」。

 

法要の終了後は久しぶりにお斎に。

先般閉店した根上がり松近くのお寿司と釜めしのお店の主人御一同と会食です。ちなみにそれは相良人が「寿司屋難民」と言われるようになった事案でした。

 

会では私の知らない「昔話」に花が咲きました。

駿遠線、小堤山トンネルの近くの線路上で乳母車のまま放置されたという方の話を私は口を開けながら・・・

当時は子供たちに赤子の面倒を見させるなど当たり前のこと。

また線路、今でいう軌道敷内に子供が立ち入って遊ぶことも普通だったと。

 

赤子の世話を頼まれた子供たちがそれぞれの遊びに夢中になって何処にその乳母車を置いて来たのかを忘れたということですが、その状況を想えば「九死に一生」のイメージとなりますが、まったくそんな感じはなかったと。

何故なら当時の駿遠線の車両はゆっくり走ってスグ止まるから・・・といいます。

「新相良駅」の近くということもあり、スピードは出ないそうで、さういう時は「運転手が助けてくれる」・・・と。

ただし、子供の遊び場になってしまったことから事故もあったとのこと。

豚と衝突して脱線したとか学校に遅刻しそうなって駅に電話をすれば電車は発車を遅らせてくれたなどなど、のんびり、ゆったりの時代を懐かしく語っていました。

 

その「昔話」の中、一番に驚かされたのは、現在の国道150号線ができる前の事「そこいら辺りまでが波打ち際だった」と。

そして海岸は今のように石コロまみれではなく「キレイな砂浜」だったと嘆いていました。

そんな短い時間の中で一体何が起こったの? 御前崎周辺の港湾整備ではないのでしょうかね・・・

 

施主には昨日記したとんかつ店の閉店の件についてふれたところ、昔はよくお昼ごろに役場で会ったと仰っていました。

要は役場からのランチ注文の配達時の遭遇ですね。ということは役場の皆さんの昼食の選択肢がいよいよ消滅してしまったということで、私どもも本当に困り果てまして・・・身近な食の楽しみがどんどん無くなっていく・・・

 

扨、久々金沢城(尾山城)に。

旧陸軍から金沢大学、県営体育館の敷地となった時期がありその移転からが本格的な復元整備の始まりです。

地表付近の相当な開発があったわけですが、一応は国有地として管理されていたため、ありがちな民間による乱開発の手からは逃れられています。

現在のような豪勢威風堂々の城郭建築を復元していますが、私の好みとしては本丸跡周辺です。そして何よりその周辺の調査はあまり進んでいないとのこと。

 

城郭大系の冒頭の部分を記させていただくと・・・

「金沢城は少なくとも三つの画期をもっている。

まず、加賀一向一揆の本拠としての金沢御坊(金沢坊舎・金沢御堂)の百年間(天文十五~)があり、ついで金沢御坊崩壊後の佐久間盛政による占領期がある。この期間はわずか四年たらずであった。

さらに前田利家入府以降の本格的な近世城郭の築城期である」

 

その天文十五年の件、「天文日記」に「同年十月二十九日加州

金沢坊舎へ本尊木仏・開山(親鸞)御影-太幅也-御伝(親鸞絵伝)・泥仏・・・仏具」要は「寺」だったということ。

 

金沢大学があった頃は植物園になっていたので大きな建築物はなかったよう。よってちょっとした森。

木がお迎えしてくれます。

寺→城と異色のスタイルの金沢城。本丸跡は人影もなくベストなエリアです。

 

 

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2025年

4月

29日

雲影 濤聲 丙辰仲夏  小華堂東雨寫 渡辺小華弟子

朝から曇天、さらっと日差しがある場面もありましたが、午後からは本格的な雨。

お昼前に今月いっぱいで終了する檀家さんのお店に昼食を所望。しかし、外の暖簾の下にはお客の入店待ちの姿が。

それを見せつけられてすごすごと退散しました。

パターンからいえばそこまで人が並んでしまうと「店内大変」。

店主と奥さんの仕事の限界を超えてしまいますので致し方が

ないことです。

30日の最終日には朝食抜きで「開店前から並ぶ」・・・それしかないのかも。奥方は「10時から」と言いますがまさか・・・

一週間前に行った際はお客たちは「また来る」「これから毎日来る」・・・と口々に。

2度とその味わいができないと思えば、そんな気合を入れての対応もあってもいいでしょうね。

かつ丼にしようか唐揚げ定食・ヒレカツ定食にしようか・・・

 

昨日の東海地区のニュース。

土岐市に住まわれる115歳のお婆さんが亡くなったとのこと。

日本人最高齢といいます。

ちょっとばかり手の届きそうもない数字で驚かされましたね。

そこまでは望みませんが、それは大きな病にかからなかったという証。たくさんの難題もクリアされてきたということ。

できれば私もその健勝にあやかりたいと思ったのでした。

 

そしてまた日本最高齢として名乗りをあげた方が愛知県幸田に住まわれる114歳の女性。

地域的に「東海地区」ということでその温暖気候の共通は偶然ではないような・・・

ということは同じ東海地区に住まわれる者(どちらかと言えば女性)としてそのチャンスはあるのかも知れません。

まぁ命のことは「おまかせ」ですが・・・

 

扨、画像はかなり以前に中村先生から頂いたもの。

「 雲影

  濤聲

  丙辰仲夏

    小華堂東雨寫 」

先日も渡辺崋山系のお軸を拝見させていただきましたが、この作者も崋山の二男、渡辺小華の弟子の小華堂(兼子東雨)の作。

雲影濤聲(雲の影  波の音)。

丙辰ですから大正五年。

 

尚、先生から頂いた品は多数、もしかして紹介済みかもしれません。悪しからず。

 

 

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2025年

4月

28日

変わる近世史 田沼時代 藤田覚先生

お天気良好なれど本堂は少々寒いを思う法要でした。

まぁあと少し経てば暑さでヘロヘロになるような人も出てくるでしょうね。

昨年ほどではないといいますが・・・果たして。

私は暑さに関してはまったく平チャラですが、それを語れば嫌味になりますので、その手の悲鳴を耳にした際はあたかも辛い顔をしながらそれに合わせるようにしていますが。

 

法要はGW入りとあって故人のお孫さんが参列していました。

法要終了後に相良小学校に中学校がかつての相良城の址になる・・・などの話になったあと如何にも最年少と見える彼女に「学校はどちら?」と聞けば「聖隷クリストファー」とのこと。

耳にしたことはありますが、私には未知なる学校名でそこで会話は終了。

浜松から来られたことだけはわかりましたが。

 

昨晩のテレビ小僧の主たるものは先週見落とした日曜美術館の「相国寺~」にNスぺ「人体Ⅲ」でした。

どちらも面白く拝見。

東京芸大美術館で催されている「相国寺展」は捨てがたい。

奈良も京都の国宝展は勿論の事。チャンスがあるかな~

 

「べらぼう」は18時からのBSでさらっとながら視聴。

今回はストーリーの進行ではなく、これまでのおさらい番組でこれまでの大河ドラマでは異色。

私の周囲、相良在住の方でも「視ていない」と断言されること多々。そういう方々を今一度取り入れるチャンス番組をここで入れたということでしょう。

 

現状いろいろな情報が入ってきますが、先般NHKプロデューサーが仰っていた「田沼意次が相良に訪れる」というシーンが挿入されるようです。

意知と一緒に先般ナレ死した平賀源内も一緒といいますが。

それも果たして。前回はその伏線が貼られていたような・・・

その「平賀源内が相良に」のシーンが演出されるとすれば昔からいわれる相良の伝説が表に出るということで私にとっては驚きでもあります。

とはいえ、私はまったくその件、信じていませんがね。

 

表記画像は藤田覚先生(こちら こちら こちら こちら)の書籍。

今年4月1日に第三刷が発行されました。

この書籍は田沼意次の名誉を回復させたその研究、第一人者の書籍になります。

 

 

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2025年

4月

27日

道場勝間田氏 時宗清浄寺の藤棚 藤沢の「藤」か

昨日最終土曜の19時はメディテーションの日。

あまりに色々なことがあったため失念してしまいました。

所要で出ていましたがたまたま18時56分に境内着到。

薄ら灯かりの中、佇む皆さんを見て慌てて黒衣を羽織って本堂に。既に本堂には閂が掛けてありましたが・・・。

まぁ一応は体裁が整って事なきを得た次第。

当然に奥方はこの間抜けぶりの躰を失笑したというわけで。

 

有り難くも息子が導師となった午前の法要は施主ほか浜松からの御一同方々。

こういったご縁は稀有なこと故、法要後に私もご挨拶に「乱入」させていただいた次第。

午後からは私が導師としての法要(十七回忌)がありましたが、「午前は息子が・・・」と紹介するとその成長の姿に驚かれていました。

以前は法要の脇僧として私の隣で参加させていただいたことを懐かしく語っていました。

つくづく時間が経つことの早さを思うばかりです。

 

そのあとは史跡調査会の定例会。そこで時間を喰いすぎたことにより以降の事々が狂ってしまったのでした。

まぁ悪いのは私のお頭の具合の方ですからね。

どうしょうもなし。

 

最近は物忘れがことに酷い。

特に日々携帯電話探しの件、勃発しています。

何処に置いたのか不明となって挙句自分の携帯に電話を掛けて呼び出し音に耳を澄ます・・・毎日の如し・・・。

 

扨、テレビ(地方版ニュース)でお馴染み、静波の「藤」ですが、そ

ちらではなく先日ふらっと立ち寄ったのが道場の清浄寺。

そこにも藤棚があって華やかな紫色を披露してくれていました。観光客ゼロでお気楽です。

また大分掲示板も痛んでいました。

 

こちらの藤の名は相州藤沢の「藤」からの拘りを思います。

ついでと言っては申し訳ないことですが、最上段の覆堂、伝勝間田家の墓域にお参りしてきました。

 

 

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2025年

4月

26日

門前の配電盤が撤去される スッキリ

昨日は懸案の配電盤撤去移設工事の日。

停電が伴いますので法要予定がない日となりました。

今回の会館新築工事で何回か電気がストップしましたが、停電後の光回線とワイハイルーターの復旧には結構にイライラさせられました。

昨日はこれまでの経験からスンナリと回復することができましたが、一番最初の復旧にはNTTとプロバイダー双方に連絡し通信状況の確認までしたほど。

そこではリセットー回復の手順を学習しましたが、今やその手順で進めれば何とかなるようになりました。

しかし一旦電気が切れただけで不通になってしまうところ、いかにも不便です。不思議です。

また庫裏の中継器を一つ会館2階に移設しそちらにも電波が届くようになりました。

 

会館にはNTTの回線工事はナシ。

今や携帯電話を各自所有していますからね。

ただし長居をする場合はボイスワープの設定をしてから・・・

昨日は1階のホールの須弥壇のお灯明の配線を新しいものと交換しました。

本堂から移設したお灯明でその配線は半世紀は経っている古びた電線とソケットでした。

折角の会館ですので新しい品に交換したわけですが、その著しい劣化の様から、本堂の他の配線についての交換も課題となりますね。

漏電は火災原因の最たるものですが、お灯明の点灯時は大抵、私ほか誰かしら本堂に関わっていますのでそれほどの不安はありません。

 

門前の分電盤の移設工事はオプションということになったわけですが、いずれにしろこれまで通りに配電ができませんので致し方ないところです。

先日発注した割には早い工事でした。

電柱の支柱移設工事は6月といいますから・・・

 

今後も細かな付属工事が続きます。

 

 

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2025年

4月

25日

水たまりの対応着手も・・・やめた~

お日さまの顔を拝める時間はそうありませんでしたが、風もなく安定した天気。

最近は平日の法要の依頼がありますが、昨日午前も。

最近は参列者をごく近親者に絞る傾向がありますので土日祭日に気を使う必要もないということと、リタイアした方だけで催されることが多くなった感。

そもそも今や仕事の休みの日が土日祭日とは限りませんからね。

 

午後からは昨日ブログの山門下の「水たまり」の解消にチャレンジ開始。

まずは車両の通行に支障がない隅の50㎝ばかりを試掘してみました。カッターとハツリは私、ガラ集めは奥方です。

この辺り①で木の根の伸びは収まっていると予想していましたが、埋設の排水パイプを開けてみてビックリ。

 

大量の土と根がビッシリと詰まっていてその先もビッシリで押しても引いてもびくとも動きません。

塩ビパイプの部分的交換程度でケリをつける予定でしたが・・・。

 

先般の雨どいの土と植物の件もありましたが、まったく人智を超えているとしか表現のしようがありません。

 

ると奥方から「諦めなさい」との声が。

この状況を目の当たりにして、塩ビパイプでの排水はムリということが判りましたので「U字溝の埋設とグレーチングの設置」についてその経費のお伺いをたてていたわけですが、それについて「DIYではなくプロにまかせろ」ということです。

 

私は奥方を助手に少しずつ「ぼちぼち のんびり」その作業を進めていくつもりでしたが、何せ時間がかかる仕事は場所的に具合が悪いとのご意見。

よって「さっさとケリをつけてしまえ・・・」と早速に工事依頼の連絡を業者にしていました。

まぁ「カネで解決しろ」ということですが私もここばかりに時間を割いていられませんので仕方がないことです。

 

しかしこういった工事で一番困るのがガラなどの廃棄物の処理ですね。今やこういったものは指定業者以外の受け入れは困難で一般家庭からの廃棄物としての搬入はムリなのです。

 

ということで私はコンクリートガラは地道にハンマーで叩いて細かくし境内に埋めていくつもりでしたがそれだけ大量に出てくれば手に負えませんね。

捨てる場所がナイということです。

 

奥方の許諾がありましたのでラクをさせていただくことにしましょう。

私の抱える宿題はこれで一つ解消。

梅雨前には終わってくれるかな?

 

 

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2025年

4月

24日

そろそろ水たまりの対応に

強い雨の中、東京からのお参りがありました。

法要後の墓参は最近には珍しく傘の登場がありました。

最近の降雨時のイライラ感の増幅は山門下の水たまりです。

水曜はゴミ出しの日ですがこの水たまりの通過は困りました。

この解消について私の宿題の一つとして数えていますが、通路上だけになかなか着手できずにいます。

 

ただし梅雨入り前には工事完成させたい現場です。

これは会館の地盤を周囲より多少上げて建築したため、そしてコンクリートで囲ったためにこの門の下に雨水が溜まるようになりました。門の直下は多少高くなっていますので・・・

この部分には排水溝をかなり以前に作っていますが、その排水溝の中に木の根が侵入し繁茂し排水溝の役目をしていないというのが現状です。

数日中にその排水パイプを掘り出して何かしらの対応をする予定です。開けてみなくてはわからない・・・といったところ。

 

①の看板を設置しました。

メディアで紹介されるようになり、来客者が床下に顔を突っ込んでいる場面に出くわすことがあります。

その痕跡が見やすく判別しやすい場所に照明器具を設置していますのでそちらに誘導しようというものです。

 

相良城の旗差し物を切りそろえて作った結界柵について、時太鼓同様その説明を掲示しようとも思いましたが、そこは保留。

 

 

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2025年

4月

23日

刀砥ぎ一寸7000円の良心的 静岡県の地名 

久し振りに友人の「女墓場」氏から便りが。

沖縄に友人連れで行ってきたようでゆうパックにはその土産の品々が。

今彼女は歯科専門学校の講師に収まっていますので「GW前に、よくもまぁ・・・」と感じる次第。今頃の沖縄は天候不順である事もありますしその奔放な時間の使い方への羨望もありました。

まぁ梅雨明け時期のドP感のスカ晴れである必要はないかも知れませんね。ただし晴れていることは何をするにも有り難いものです。

 

まぁその手の土産品は「いまさら・・・」的であって(失礼!)珍しさは一切ありませんが、一緒に放り込まれていた歯科系必須のグッズは重宝に使えそうです。

 

「いまさら・・・」はもう一つ。海洋博公園のパンフが同梱されていました。

連れの存在がそれを主張したのでしょうが、初めての沖縄観光の人ならば最適ともいえる場所です。

しかしあまりにも観光客で混雑しそう。

そういえば違う友人がここのイルカショーのスタッフをしていたことを思い出しました。

息子を連れて行ったのは十数年前、次にこちらを訪れる事があるものなのか・・・

 

あの運天港や今帰仁城からもそう遠くない場所ですので、私なら「奥の墓道」氏辺りと来たとすればそちらを案内するでしょうね。勿論チビチリガマも。

 

扨、先日神主で刀の砥師のN先生宅に赴きました。

一見して体格が細くなっていましたが「10㎏痩せた」とのことでした。

心臓の手術が決まっていたそうで「良き刀」2本の砥ぎ依頼(おそらく鎌倉期の刀か・・・)が入って、「これは!!」と思い病院に手術の延期を申し入れたといいます。

手術が終わったらもう砥ぎはできないだろうとのことで覚悟のうえの延期だったようです。

心臓の事だけに・・・怖いような。

 

刀砥ぎの話。

お宅に上がり込んですぐ、午前中の砥ぎは「失敗した」と。

その意味が判らない私は「何を・・・」と聞き返していました。

それはその砥ぎの事前に「描いていたイメージと違った」といいます。

プロの繊細技法について私のお頭では及ばないところあることは理解していますが、その意識とは・・・やはり判りません。

「失敗」のあとは・・・と更に問うと「その刀の事は忘れ去る」といいます。

忘れた頃に対面し、再びイメージを構え一から作業に取り組むのだそう。

 

料金は一寸7000円。この世界では良心的な砥ぎ代金です。

若い砥師が先生の家に遊びに来たそうですがその方は一寸単位18000円といいます。

先生はこれまでその砥ぎ賃で受けていれば「もっといい生活ができたかも・・・」と特に今の年金支給の低さを嘆いていました。

神主の仕事は今やまったくないようですし、そもそも先生は自虐的に「神主は・・・喰わんぬし」と日ごろから口にしていました。

これからの手術費用やら他に抱える病の対応で大層な出費があることが想像できました。

 

帰り際、コレを持って行って・・・と渡されたのが「郷土歴史大辞典 静岡県の地名」です。

重厚な書籍で先生のお兄さんがお宮の境内地に建てた図書館の蔵書だったそう。

書籍の殆どはお兄さんの奥さんが古本屋を招いて売却したそうですが、その前に確保していたようです。

 

そして渡辺崋山系の画家の図会を拝見。「この掛軸はオレが死んだらあげるから・・・」と言いながら近くの奥さんにもそう告げていました。

その件もそうでしたがさらに続けての「オレの葬儀を頼もうかな・・・」には絶句。

「ご冗談を・・・」のレベルで私は沈黙するのみでした。かなり弱気になっていました。

しかし「オレは神も仏もないのだ」と。

その意味は一体・・・信心と加護者としてのその存在のことか「神仏習合」的発想か・・・おそらく後者でしょうか。

その真意は不明です。

何よりも手術の成功を願うばかりです。

まずその前に「砥ぎ」のイメージ通りの完成ですね。

 

 

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2025年

4月

22日

「裏切らない」圧巻のユリ生命力 店舗閉店の報せ

良きお天気のもと法要の勤修。

しかし外気は暖かでも堂内は相変わらず数度低い環境、とはいえまぁ許容範囲。

私の本堂屋根作業終わってから穏やかで無風の日々が続きます。

何せあの数日間は風速10mと言ってもいいような強風下でしたから。天気の事にボヤキを入れても仕方がないのですが、今その件を振り返って触れることができるだけ有難い。

まぁその仕事は余計な私の作業でしたが。

 

あの落下寸前の鬼瓦の様をご指摘くださった檀家さん宅にすべての工事完了の報告と御礼に向かいました。

もしその発見が遅れたとしたら、何とも言えぬ酷い惨状を目の当たりにしたことでしょう。

つくづく思います、「阿弥陀さんに守られていた」と。

ただし「次はナイ」かも知れませんので何事も心してあたらなくては。

午後からは土いじりの続き。

 

昨晩はNHKBSの英雄たちの選択、「本草学者 平賀源内~」でした。

一昨晩の大河ドラマでも異色の説を披露していましたね。

 

昨日ブログでは私が「絶対に裏切らない」(毎年開花してくれる)と日頃からそう信じて花が落ちたあとも大切に管理している境内のユリたちについて記しましたが、彼らの生命力と子孫繁栄の力には圧倒されます。

球根が分化して翌年には次々とそれらから発芽するのですが、それとは別に開花後に成長する種房から無数の種が発散されます。

それらからまた発芽成長し、また花を咲かせますので地面さえあれば無限とも言っていいような生命力があります。

次から次に命のバトンタッチが・・・植物はスゴイ!!のです。

 

そのユリに、より圧倒させられたのは先般の本堂屋根の雨どいの図。おそらく昨夏に咲いたであろうユリの枯れあとが目に入りました。

少しばかりの枯葉が土と化しそちらに種の一つが飛んできて発芽、根が張るにつれさらに枯葉が堆積、今や完全に土となって雨どいを塞いでいました。

さすがにその景色はマズイと思い除去させていただきましたが案の定その元には球根が成長し、「次から次に」の予備軍となっていました。

 

黙ってそれを見届けていたら屋根中ユリたちに覆われることになったかも知れません。

これからも注意して見ておかないと・・・

 

①はユリの鉢の一部。周辺地面からも・・・

②は雨どいの堆積物除去前。③除去後。

 

④は拙寺檀家さんのお店の掲示板。

ここ数年、増えてしまいました。時の流れ、無常世界に生かされる身であることはわかっていてもその現実を突き付けられるのはいかにも寂しい。

 

 

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2025年

4月

21日

春即夏の植物の様 国の対策待ちオンラインカジノ

天候は曇り。

朝起きてからすぐ境内へ飛び出しました。

ずっと先延ばしになっていたユリの株分けです。

奥方は「ますます自分で自分の首を絞めている」と失笑。

それは分かっているのですが、ユリの球根は分離して発芽するものですから一本のユリが一年経つと一鉢から数本が立ち上がってきます。

それでは「気の毒」と思って株分けを重ねていれば今や30鉢以上に。それをさらにせっせと鉢を分けている姿を見て奥方はそう笑っていたのでした。

 

参拝の方と立ち話となり「言い趣味だね」と煽てられましたので「一つ自分の首を絞めてみては・・・」と鉢の提供について提案するもお断りされてしまいました。

まぁ気をつかいながら面倒を見ても花が咲くのは一瞬間ですからね。花とはそんなもの。

 

趣味といえばNHK21時からのNスぺ「オンラインカジノ」には強烈な衝撃を受けました。

ギャンブル依存症へ導入するためのシステム・・・

昨日ブログは「静岡バカ」について記しましたが今や「日本バカ」とも。

世界中の「闇世界の悪徳」がこの国の若者たちをターゲットとして注目しているようです。

まさにそれは人生崩壊のシステムであってようやく社会はその闇に気づき始めたということですね。

ネット社会は便利な反面、一瞬のうちカモにされてすべてをむしり取られ地獄行きとなる危険をはらんでいることを親たちは知るべきですね。

スマホを渡した瞬間から良きも悪しきもあるゆる人・物と繋がって時に取り返しがつかない事案に発展してしまうということを。

 

「日本バカ」はプロファイリングされているといいます。

まずは住所・勤務先・家族・行動履歴等のデータ収集からのめり込むよう囲い込むシステムを構築していくと。

故人を依存症に陥れる(デザインする・・・奴隷にする)データ収集による巧みな戦略がアップグレードされるということ。

麻薬と同等の病に陥れるテクニックといいますからおぞまし。

 

国のまとまな規制介入と取締り、何とかしていただかないとますます「日本バカ」は沈んでいくのでは。

 

画像は昨日の境内の図いろいろ。

ユリは勿論日々ぐんぐん成長、緑がやたらと増えました。

驚かされるのはソメイヨシノやシダレの花びらがまだ数枚残っている状況⑥⑦で初夏の花たちが開花。

最後の画像は地植えのブーゲンの新芽が出てきたところ。

「まだ早いだろ」と思ったのが松の新芽。

みどり摘みは五月に入ってからが定番と聞いています。

春と夏の同居する図でした。

 

 

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2025年

4月

20日

徳川家臣団大会2025 徳川みらい学会第1回講演会

夏日の予報、気持ち良き朝を迎えて6時頃から大工仕事を主に境内雑務を。

夜間はまだ片づけていない電気ストーブの脇に扇風機を出そうか・・・と思うほど。

 

頭の中で概ね行動予定を組み立てていましたが、除草剤散布までは行きませんでした。もうどこもかしこも・・・

11時~12時というアバウトな来訪予定のあった「掛川遊歩会」の皆さんが実際に来られたのがまさにお昼。

そのために11時前に作業をストップ、黒衣に着替えてスタンバイしていました。

 

皆さんは昼食時間を過ぎていたことを気にされていましたがそれは昼食の予約をしていたからだそう。

要は平田寺→般若寺→というお決まりコースだったようで時間が押したというところでしょう。まぁ毎度のことですから。

まぁ私の不在の際は奥方が「どうぞご自由に」という具合の案内なしですから放ったらかし作戦でもいいのですが。

 

さすが掛川からの皆さん(13名)、相良田沼から外れて成瀬藤蔵正義の話をチラっとすると日坂の成瀬大域の件になり思わぬ盛り上がりとなりました。

「再た来てじっくり話を聞きたい」という方がいらっしゃったほど。

引率者として史蹟調査会の増田氏がボランティアでいらしたことは驚かされました。

 

その後午後から2回ほど、来訪者に本堂の案内をしました。

夕刻前には山門前の道の暗がりを照らすセンサーライトを設置。懸案事項の一つでもありました。

その辺りは酔っぱらいと犬の糞尿にヤラれるネックポイント。

 

先日愛知生まれという相良在住の方が区の段ボール集積小屋に畳まずに箱のまゝ放り込んである様を嘆いて「これは静岡バカの仕業だ」と言い放っていました。

あまり耳にしない語でしたので私は「ふ~ん そうなんだ・・・」と相槌。

愛知県民が一体どれだけのものかなど私にはわかりませんが、無茶をやる人または不道徳の輩は大概どこにでもいるような。

拙寺駐車場には毎日のように檀家さん以外の方の車が停まっていますからね。これも静岡バカ?

先日は「大澤寺」のラミネートされた掲示が引き剥がされていました・・・。また作り直します。

まぁ私も「静岡バカ」の一員、他人様にどうのこうの言える立場にないただの煩悩具足の凡夫です。

 

扨、表記のイベント講演会に私が顔を出す事はありませんでした。境内のあれこれ雑多なテーマに奮闘していたからですが、このレジュメは静岡の秋野氏から「ほれっ・・・」という具合に渡されたものです。

小和田先生の「新説 関ケ原の戦い」のタイトルには興味をそそられます。

勿論、太田氏による「石田三成の戦略と誤算」なるタイトルも。

 

いろいろと歴史というものが「変わって」きているのでしょう。

今しきりに当地から「田沼意次は善政を試みた良き人」とイメージを塗りかえていくことに専ら力を入れているのもそれ。

 

今は私周囲の課題にあたっていくだけ・・・。

 

 

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2025年

4月

19日

美術展ナビ「べらぼう」 伝恵心僧都筆御軸は眉唾も・・・ 

殆ど一日中法務に就いた日。

安定した天気で何よりでした。

お話は「流転三界中~真実報恩者」から。

故人の法名にある「真」の字に関わる語と三界・・・煩悩世界に「流転」する私たち・・・ということで。

 

昨日だけでも新しい出会い、気づきがありました。

些細なことではありますが、それこそ私が「生かされている」ことの証です。日々感動しながら動きつつ、すごしたいもの。

 

19日土曜午後からは牧之原市制施行20周年記念事業「ラジオ深夜便のつどい」が「い~ら」で開催されますが、私の参加応募について既に落選したことをブログにて記していました。

 

実はそちらの応募に関してはハナから当選するワケが無いと踏んでのことで、当選したとしてもまず赴く事はできないと思っていました。

先日「い~ら」に来られた宮沢氷魚氏も拙寺に来られましたが今回も事前にアナウンサーが拙寺に来訪されるとの連絡もあったこととその日は土曜の午後とあってのんびりとその集いに顔をだしているなどそもそも無謀なこと。

 

御親切にも私の「落選」の記述を見た静岡市の秋野氏から「当選したのでどうぞ」とお誘いを受けたのでしたが、やむなくお断りさせていただいた次第。有り難くも申し訳ありませんでした。

しかし地元よりも市外からのお客様を優先しているような・・・

 

すると長谷川氏からアナウンサー2名の拙寺来訪は時間の都合でキャンセルになったと連絡がありました。

また当日は新たに掛川からのお客様「掛川遊歩会」御一行が来られるとの事で私はそちらの対応をすることになりました。

勿論長谷川氏は現場(い~ら)ですね。

 

扨、先般「美術館ナビ」の取材があり、昨日その記事が更新されたとの連絡がありました。

タイトルは「大河ドラマ べらぼう 田沼意次ゆかりのまち静岡県牧之原市ルポ 『我らが誇りの意次』」です。

 

図々しくもまたも私が画像で登場(意図していません)していました。

それを見た奥方は「何故にして裸足なんだ!!」とその無礼の様を「間抜け」と指摘されました。

そういえばあの時は急いでいましたので足袋を履かずに表に出てしまいました。

まさか足元まで撮られているとは・・・だからこそ「間が抜けている」というのでしょうね。

 

「美術館ナビ」のご担当に「次は丸尾月嶂をタノム」と勝手なお願いをしてしまいました。

日々ヤケクソで生きているような・・・

 

画像は先般の春の法要で皆さんに披露した会館「無碍」の須弥壇。

本来の予定では海の如来さんにお出ましいただくことになっていましたが、木仏の顔の金箔が少々剥離したため私の手で金箔貼りにチャレンジしようと準備はしたものの、依然着手に及ばず、急きょ「お軸」の登場となったところ。

お飾りはまだ・・・の図です。

 

三方ヶ原戦没の成瀬藤蔵正義の菩提を弔うため正義の妻の勒に

家康が寄贈した木仏本尊が現在の拙寺本尊になりますがこのお軸はそれより前のご本尊です。

要は「古い」軸ですが、寺伝では「恵心僧都筆」になっています。

まぁそれは眉唾としても、そこそこの古さを醸し出しています。

滅多に表に出てきませんので良き機会でした。

 

螺髪の部分についてホンモノの毛が使用されていますが、ある方が馬の毛だろうとの指摘をされていましたが、私の見立てでは「人の毛」という方が説得力があるかと。

かなりの「有徳なる人」の毛髪と見ますが。

きっと歴史に登場するような有名人のような気がして・・・

 

尚、表具師にこのお軸の折り目について修復を依頼したことがありますが「あまりにも貴重の風が漂っていて手に負えない」ということでお断りされた代物です。

 

 

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2025年

4月

18日

17日午前で足場撤収 ありがた山 南側の惨状

昨日は足場がすべて撤去されました。

10時から法要がありましたが、足場撤去作業が始まる前に「少しだけ」と奥方に告げて北側の破風をチェックに。

こちらは駐車場側、本通りからの道に面していますので目立つ方向です。

手が届かない部分がありますので100%満足がいくものではありませんね。

一昨日夕方で「これにて仕舞」宣言はしたもののどうしても気になった箇所がありましたので。まぁ妥協の積み重ねですが。

 

朝の上空は晴れてはいたものの冷たい風が残っていました。

しかし昼にかけて境内は暖かい空気に包まれ、初夏の雰囲気に。

数日前に外に出したハイビスカスが花を咲かせていました。

 

法要中に足場の解体作業となり、御一同には緊急工事があったことの説明とお詫びをした次第。

足場の解体はハイスピードで進み、南北に聳えていた足場は午前だけで終了しました。

これで全行程が終了したのでしたが当初あの鬼瓦の状況を見ての憂鬱はここで一挙に晴れ渡った感。すべてがありがたい。

 

今回作業の「ついで」ということで南北の破風周辺の塗装を行ったことを記していました。

奥方に「次回は自分なりの作業しやすい足場を考えなくては・・・」と言うと「その時は何時頃くらいに?」と問われました。「10年くらいもたせたいものだ」というと鼻で笑われ「そのとき、御前は何歳になるのだ・・・図々しい そもそもそこまで生きているつもりか・・・」でした。

なるほど、今頭をひねってもすべて無駄になるのか・・・

まぁなるようにしかなりませんから。

 

画像は劣化が著しかった南側の作業風景。

殆ど北側の図しか目に入りませんので通常気にはなりませんが、日差しと塩風の厳しさがわかります。

 

懸魚と破風の高所部分は息子に作業を頼みましたが、その辺りは瓦作業用に足場は近い場所にあって手が届く場所。

彼はハーネスもロープもナシという無謀の躰で上がっていましたがあの時は強風もあってさすがに「足がすくむ」と。

まぁ私と同じバカでしょう。

あの足場での塗装には限界がありますので「こんなもの」でしょう。

 

 

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2025年

4月

17日

ようやく小田原へ墓参 カメラマンは奥方

宿題が山積みながら昨日は小田原墓参と厚木基地近くの奥方実家久々訪問のための時間を割きました。

適宜その予定を入れていましたが順延また順延の連続でしたので「えいやぁ」の勢いだけで昨日。

そして16時には帰宅して、18時頃まで北側の足場に上がりました。

 

ここのところ当地の「ビュービュー」なる強風の形容をしていましたが、昨日も相変わらずの風の強さ。3日連続です。

私の勝手な予想では「収まる」と踏んでいましたのでまったく論外ともいえる不都合。

仕方なく妥協に次ぐ妥協で作業を終えました。

 

小田原の墓参は母方実家の菩提寺(本願寺派)を目標に走ります。その寺は箱根新道を降りて板橋駅(箱根登山鉄道)を過ぎてスグの地にあります。以前も記していますが、小田原城外郭、東海道に接しています(こちら)。

よって東名高速の三島沼津インター、伊豆方面に向かう道路を使用し箱根の国道1号線に出て、箱根新道で下るのが常道。

しかし昨日はそちらで降りる事を失念してしまい止む無く御殿場で降りることになりました。

御殿場-仙石原-宮城野-宮ノ下-湯本-小田原のコースで「たまにはいいや」と割り切りです。

 

「面白い」と感じたのは上下線とも富士川SAにて休憩停車したのですが、そちらで遭遇したのは東洋人系外国人の集団です。

バスツアーあり成田ナンバーのレンタカーあり、大概は似合っていないサングラスをかけて富士山をバックにポーズを取っていたりと、とにかく奇抜。気の小さい私どもは圧倒されるばかりで。

 

そして対照的なのは西洋系外国人が大挙しているのは箱根。

あの辺りには気の利いた温泉旅館がたくさんできていますが 

ドデカいキャリートランクをゴロゴロやりながら各バス停でたむろする姿が。

私が通過したコースの脇で日本人と思える人はごく僅か。

殆どが西洋系外国人たちでした。

 

 

近頃は「京都は酷い」というのが合言葉になっていましたが、まさか箱根とは・・・大いに驚かされましたが、何故か箱根には東洋系は目に入りませんでしたね。

あらためてインバウンドでガッチリ儲かっている方たちはいるものだと感心させられた次第です。

 

先日は藤沢在住の妹が独りで東海道線とバスを乗り継いで墓参に来たといいますが、昔使っていた小田原―板橋線のパスルートは廃線となっていて、何の気なしに小田原駅―元箱根線に乗ったそう。

私は小田原でもバスを使ったことがありませんから板橋線が無くなっていることなどは知りませんでしたが、その箱根方面へのバスときたらそのトランクを転がす外国人の密集で満員で閉口させられたとのことを聞いていました。

 

妹は運転手から日本人と察知され降りる場所を聞かれたとのこと。「降りられなくなるので最後に乗ってくれ」と。

ある意味良心的。

変わるに変わった小田原。本当に凄いことになっていました。

 

東名高速沿いのサクラはこの強風で殆ど散っていました。

時折その花びらたちがフロントガラスに吹きあたる様がありましたが御殿場から箱根山中のサクラたちは今が満開。

気温は11~13℃でした。

 

富士山は東洋系外国人が大好きの様。

画像は奥方が助手席で。

最後の富士が富士川SA下りの図。④~⑧が富士川上り。

強い風が吹いていたものの良く晴れました。

 

 

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2025年

4月

16日

こちらも久し振り南側大棟の鬼 足場撤去は17日以降  

風ビュービューはこの日も続きました。しかもやたらと冷たい・・・。

そして夜間の雷雨と強風は寝床で不安に襲われました。

足場への落雷と強風によるその崩落です。

無事にやりすごすことができて胸を撫でおろしたところ。

 

朝早くから瓦屋さんから連絡があり、工事の完成と多少の残務、そして足場の撤去について報告を受けました。

予定では17日には撤去を始めるとのことでした。

当初の予定は「4月7日以降2~3週間」を予定していましたが実質10日での工事終了でした。

その際、「ご請求については如何・・・」と一番のネックとなるところについてズバリ問い合わせてみると・・・

何とも苦渋を飲む風に「勉強させてもらいます」と・・・。

有難いの一言です。

この瓦屋さんとお付き合いさせていただいて良かったと再認識した次第です。

 

実は、この本堂の状況を見かけた長谷川氏が基本は文化財指定につき支援金は出るとのことでしたが予算の配分が次年度分になるようですが、あまりにも緊急を要していますのでそれまで工事は待てません。よってその件、諦めている旨伝えていました。

 

私は気持ちとして対応を2件ほど頭に描いていました。

1つは拙寺運営費と奥方差配分を合わせての出費を奥方に打診していました。奥方はこればっかりは「しゃあないだろ・・・」と引き受けてくれていましたので心強くありましたが、今一つは本山の保険への期待。

これも事前被害状況を見てからの査定となりますから、その「緊急性」の主張をして了解が得られるかどうかが問題となります。

一応の選択肢につき各画像を残していましたがこれだけは撮っておかねば・・・と画像をおさめたのが①②。

日付と表題のわかる新聞一面とともに足場を撮影しました。

こうしておけば何時の画像なのかわかりますからね。

拙寺では何度もこちらに足場を掛けていますので、「古い画像を・・・」と反論されることをおそれました。

 

しかし現在の技術であればこういった画像も細工をすれば合成できますから、100%の信用を得るに足りませんが。

まぁ瓦屋さんが「勉強代」とのことでご負担いただいたということで一件落着したわけです。

「ありがた山」とはこのことで朝から気分良好でした。

 

この日は今一度人目につく北側の破風周辺の最終チェックに1時間ほど上がる予定でしたが奥方から風が強すぎと却下。

たとえ風があったとしても暖かくなる16日の午後がイイのでは?との提案がありそれを承諾。

午前は他所の予定がありますので早めに帰宅してからの作業となりますが。

日没が遅くなっていますのでこれもありがたや・・・

 

画像③は南側の鬼と周囲の景色。

昨日の北側同様久し振りにお目にかかった文字がありました。

「西方極楽浄土」と「倶会一處」。

普段は鳥にしか見ることができない文字。

鬼瓦の隙間から鳥の巣が窺えました。

 

 

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2025年

4月

15日

鬼瓦固定工事終了しました 九字と十字の名号

週明けの月曜日、朝方までの雨はやみましたが風はビュービュー。南側の破風板の塗装作業の予定がありましたので一言で「まいった・・・」の感。

 

他の現場に行かれると言っていた瓦屋さんは拙寺に現れました。

南側鬼瓦の修正は前週末で終了し北側鬼瓦(上記画像)に着手するとのことでしたので、南側の足場の使用について打診すると、「塗装なら足場があるうちにどうぞ・・・」と私の動向をすべて承知しているが如くの言葉が返ってきました。

 

ということで午後から呼びつけていた息子を助手に南側の足場に上りましたが、強風は収まらず塗装には最悪のコンディション。屋根の上に思いっきり塗料をこぼしまくりました。

南側の屋根は外から見られることはありませんので、無茶苦茶、雑な仕事になってしまいました。

雑な仕事には理由が・・・夕方から法務が突然入ってしまったからでした。

 

彼のおかげで大いに作業が捗りましたが、寺と本堂の管理者としてまだ一部のことではありますが、実際に目にしてもらうことでその必要性を伝えたかったのでした。

 

北側の鬼の左右には九字の名号「南無不可思議光如来」と十字の名号「帰命尽十方無碍光如来」が見えました。

当時私がその旨発注したもので久し振りの再会です。

ただただ落下しないで良かった・・・

 

ちなみに新しい同朋会館の名称は「無碍館」です。

「無碍」の二文字でもいいと思っていますが普通にそれを見た人は「何?」でしょうね。

まぁそうあったとしてもどうでもよし。

あの拙寺の名入りバックも「無碍一道」でした。

要は阿弥陀さんを形容する言葉でして私はそれで安心を得られるのでした。

 

昨日でこの仮止めは取れて双方の鬼の固定工事は終了しました。思わず「早い!!」と感動の語を。

⑤は銅線を絡めキープの図ですが、鬼の脱落寸前はその緩みからとのこと。⑥あの傾斜で足場を支えること自体が不可思議。

 

 

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2025年

4月

14日

大河ドラマ田沼意次出演は夏頃まで? 本堂トップ360°

施主は親戚の意見を重視したか、法要後の墓参は通常通りでした。

雨の状況としては降りはありましたがそれほど酷いものではありませんでしたからね。

一昨日は「場合によっては墓参はパス」を打診されていました。

 

少々の時間でしたが雨中の原の墓地は冷えました。

久し振りに「寒い」の語を。帰宅後は電気ストーブをONしたほどでした。

 

施主家は農家ですが以前は田んぼもあって米を作っていたそうです。ある時期に稲作を全廃して茶畑100%にしたそう。

借金までして新たに茶畑を購入、大々的に広げて来たそうですが、最近の茶葉暴落と御主人の大病によって将来の目論見は破綻してしまったと。

働き手としてかつ稼業を率先して引っ張っていた人の予期せぬ病とその無常、世の流れに翻弄されているのでした。

 

稲作を続けていれば・・・とこの米不足の世にあってよく言われるようになったようですがそれはそれでその継続は大変な労力と資金が必要ですからね。

生産者の苦労を知らない私ども消費者の勝手な思いはいろいろ好き放題に言いますが。

 

先日は檀家さんから「唐突なお願い」がありました。

「檀家さんにコメ農家があると思うが、何とか一俵ほど分けてもらえないか」というものでした。

未だかつてその手の依頼は聞いたことがありませんのでまずは絶句しましたが、申し訳ないことでしたがお断りするしかありませんでした。

拙寺の知り合いで大々的に稲作をしている農家が皆無ということと、それを手掛けていたとしても片手間で自宅用、親戚限定のモノですから。

 

驚かされた理由は、それほど「コメが無い」ということと、高額なコメは買えないほど困っている方がいるということ。

その方の実家は元はお寺です(今は廃寺に)。

先代の私の父が生前語っていましたが、土蔵には「米俵が常時積み重なっていて、コメなんて買ったことが無い」と。

きっとそういう状況をイメージしてコメの融通について連絡されてきたのでしょうね。

 

それは一昔前の寺(農地改革以前)には管理している田畑がある程度あり年貢として納められたコメに加えて、檀家さんからお布施としてコメを納めることがあったからですね。

しかしながら拙寺にはもはや田んぼは無し。

田沼意次が企図した「米本位から金本位」ではありませんが、今や米そのものに貨幣の意味は無くなってしまいました。

とはいえ今や、お金以上に価値があるのがお米。

価値の変遷とはいうものの翻弄されるのはいつの時代も人間、それも弱いところ、なのかも知れませんね。

 

扨、先月末の史蹟調査会の会合でもありましたが、学芸員長谷川氏の推測でも、大河ドラマでの田沼意次(渡辺謙氏)の出演は夏以降まで伸びそうだといいます。

私が先般の「春の法要」にて皆さんにお話した「GW前後が相良城破却」との予想は完全に外れた感がありますね。

 

私のその推測は昨年拙寺に来られた放送局のスタッフの言をそのまま皆さんに伝えただけでしたが、シナリオから見てもかなり渡辺謙氏を引っ張るような。

まぁそのようなシナリオは進行によって適宜書き換えられるものですからそれをもってタイミングを計ることはできません。

 

そして長谷川氏の推測では相良城破却についてはナレーションでおしまいになるかも・・・と。「ナレ死」なる語がありますが、まさにそれ。

それはただの一つの歴史事案、ストーリーの進行上、関係がないといえばそうですからね。

まぁインパクトある田沼意次政治の終焉として描かれることは間違いないとは思いますが。

 

ということは・・・相良城破却後の相良のスポットライトを期待しての境内盛り上がりの時節は盛夏の候ということで。

テントを設営して冷たい飲み物屋でも・・・やろう!!

それについてタイミング的に盂蘭盆会法要の世話人会(6月)で声をかけることができます。

 

画像は昨日奥方との最大テーマとなった場所、足場トップからの風景。久し振りに上がりましたが高い!!

江戸期ともなればこれ以上高い建物は不在だったでしょう。

 

 

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2025年

4月

13日

足場のトップの作業 断られる 今年初の日焼け

昨日の雨の時間はやはり明け方まででおしまい。

降りも大したことなく、朝から日照が注いでいました。

有難いですね。

夜間降って昼は晴れる・・・まぁそんな都合よくいくわけもなく。

日曜は荒れ気味予想がでています。

法要の準備とご挨拶に来られた施主が、「雨だったら(原の)墓参は中止にしていい?」とのことでした。

そういう際は「なんちゃって墓参」ということで、本堂で今一度偈文を拝読し焼香していただくパターンに。

何ごとも、施主の意向重視そしてムリはしないというのが私の方向。

そういった選択肢を考えていれば、案外と雨はあがっているものですが。さぁどうなるか。

 

扨、昨日午前は法要。

午後からツナギに着替えて工事スタッフ不在の本堂の足場に上がりました。

折角足場が立っているということで破風周辺の塗装作業に取り掛からない理由はありませんね。絶好なる機会です。

 

昨日は北側の体裁を整えましたが月曜日は息子の手助けを借りて南側に着手する予定です。

今のところ瓦屋さんは月曜日は他の現場とのこと。

チャンスです。まぁそういう予定は往々にして変更があるものですが。

 

驚いたのは風呂に入った時、顔の日焼けに気づきました。

お日さまには殆ど背を向けての作業でしたが、私は紫外線には敏感でこの好天の下、作業をしていればあっという間に真っ黒になりますね。

坊さんにありがちといわれるゴルフ焼けではなくて例年「草刈焼け」と弁明していますがコレは屋根屋かペンキ屋焼けか。

 

尚、大抵の境内作業の手伝いをしてくれている奥方ですが、足場のトップで手伝いを依頼するも「そればっかりは断る 一人でヤレ」とけんもほろろ。

要は「高い所はムリ」だとのこと。フォローがあれば工数1/3になりますから執拗に頼みました。

男女機会均等とはいうもののそういえば屋根屋(瓦屋)に女子の存在は見たことがありませんね。高木伐採でチェーンソーを操る人も石積み土木工事も・・・私の普段の業務のあれこれ、それらの仕事女子に出会った事なし。

差別するワケではありませんが、これでは「女じゃムリ」といわれても致し方ないかも・・・なる嫌味を吐き散らしていました。

 

奥方は「坊さんの業務を坊守が手伝うのは当然、しかしそもそも坊さんは「そんなことしない」と断じられ、しばし言い合いになりました。坊主は経でも読んでろってこと?

 

「夕食は作らない」風でしたので外食に出向くことに。

拙宅を出たところでヤギに遭遇。

近所で飼われている彼ですが、脱走したかと思いきや裏に飼い主が隠れていました。

和みますね。生き物は。

 

ただしGWの恒例行事②は私は馬が気の毒に感じて(デカい目が砂まみれ)そちらには行きません。

30余年前、初めてそれを見た際の印象が「かわいそう」でした。

まぁ相良に残る観光行事ですのでうまいことやってくださいな。

③は先日いただいたお土産。初めて食した「ずんだもち」です。かねてからその名は耳にしていましたが・・・甘い・・・

 

 

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2025年

4月

12日

電気工事 停電 足場・瓦工事 そして町田から32名様

昨日の雨の時間は明け方まででおしまい。それもかなり小降りでした。

日中雨が降らないとの確証からか拙寺が抱えている案件、工事車両が次々と来訪。

朝から「今日やります」の連絡もあればイキナリ来られる業者も。それぞれが他所で現場を抱えていますので「ヤル」と決めたら一気呵成に動くといった感じです。

 

それぞれの工事についてはこれまで適宜拙ブログで記していますので割愛。

しかし私の仕事もありました。

門前の樹木枝払いについて「まだまだ」のご指摘。

配電盤設置のための電線の設置し直しのために高所作業車を使用されていますが、そちらをお借りすることは辞退、私は梯子をかけて伐採しました。

木登りは筋力トレーニングになりますからね。

細かい枝葉についてはカーゴに乗って伐らせていただきましたが、それはとても便利な代物です。

ただし以前本堂の足場を建てた業者さんの社長さんが「ベストな写真を」とばかりにこの門前で高所作業車を伸ばし切ったところで故障、高い場所で修理業者を待ちながら降雨でずぶ濡れになっていたことを思いだします。

ちなみにその故障直前まで私も同乗していましたが。

私だけセーフ。

 

④⑤は「さっぱりしましたねぇ」と門前の墓地へお参りされた方から。⑥は足場屋さんの最上部設置のための部材搬入風景。

⑦⑧とも設置完了し南側⑦から工事が開始されました。

 

昼食は電気工事の断線停電によりお湯をカセットコンロで沸かしてカップめんで誤魔化しました。

例によってツナギでの作業でしたが食後それを脱いで簡衣輪袈裟のスタイルに変身。団体のお客さんを待ちました。

昨日も史料館学芸員長谷川氏の引率でした。

 

観光バスで町田から来られた皆さん(32名)は役場の駐車場から徒歩で拙寺まで。

私も奥方も町田周辺にかつて活動していたことを皆さんに紹介すると、みなさんと共通認知の話題もあって盛り上がりました。

ご一同は町田の歴史関係を学ぶクラブ(「歴史を楽しみ歩く会」)だそうで3か月に1回程度こういったツアーを催行していると。

メンバーの中には町田市議会議員さんもいらしたようでした。

「私は今、歎異抄を学んでいる」という方も。

 

「またお越しください」とお見送りしました。

天気が平穏、よきご縁、すべてがありがたいことです。

 

 

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2025年

4月

11日

千祭万歌in牧之原市PVコンテストのPV 意次イラスト

雨降りを覚悟していれば日差しもあって気分は外向きに。

よってツナギに着替えて境内の雑務いろいろを。

10時頃、本堂に彦根からいらしたという「田沼意知ファン」を豪語される方としばし。

「意次でなくて意知?」と耳を疑いたくなりましたがその方の趣向に驚かされました。

ジャケットの下のTシャツの図案を見てまた・・・田沼意次の墨画イラストでした。

その原画を持参されていましたので拝見。作者とのお知り合いとのこと。

滋賀県からチャキチャキの田沼ファンが訪れるとは・・・

私は「彦根城の方が・・・」的な言葉を発していましたが。

 

その人を「ごゆるりと」と本堂に残して一昨日電気工事の件で指摘があった門前樹木の枝2本ばかりの追加伐採をすべく用意をしていると史料館の長谷川氏が2名同伴で登場しました。

私が「今日は何?」と問えば・・・以前その約束を受けていたことを思いだしました。まったく失念していましたね。

ということで3人で本堂へ戻り、前出の方と合流。

 

お二人は「第1回千祭万歌in牧之原市(PVコンテスト)2025」の企画代表の方とカメラマンでした。

本堂内色々、そして私が見せていただいた田沼意次イラスト墨画の原画を撮影されていきました。

たまたま面白そうな素材と遭遇したということですね。

 

それから「お寺の仕事」の風景を撮影したいとのことでしたので、今から枝払いに木にのぼるのでそれでいいか?と問えば是非にということで二連梯子を抱えて門前に。

ノーヘルと安全帯ナシという態に「良くないこと」とは思いつつ樹上へ。

一応何かあるとマズイのでロープを掛けての吊るし切り。

彼らはその様を興味深く見上げて撮影していました。

「楽しかった」との感想を戴きましたが、読経の様子も撮影したいとのさらなるリクエスト。

まさか「真っ当な坊さんじゃない」との疑惑の思いからではなかろうな・・・とは思いつつ着替えをしてからお勤め姿を。

ダメなら一旦東京に戻ってから出直すとのことでしたし。

 

先日もツナギ姿で某方とペラペラお喋りをしているとその方は「ところであなたはどなた?」また「一体どうしてその恰好をしているの?」でした。

「坊さんは草履と作務衣姿で箒を持っている」の観念は間違っているのかも。

坊主にもいろいろあるのです。

 

①②は田沼意次イラストの原画。

イベント企画の代表の方はTシャツよりトートバックの方が売れるかも・・・でした。

著作権についてこの撮影の承諾と、バック図案の件の問い合わせを依頼しました。

 

③④はPVコンテストのちらし。

 

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2025年

4月

10日

まぁいろいろ・・・叔母は晴れて退院 但しテーマ多し

昨日も朝から動き回りました。午前8時40分には藤枝平成病院にて待機。

叔母がこちらに救急搬送されたのが2月27日のこと。

当初は葬儀の覚悟までしたほどでしたが、叔母は昨日何とか退院するという快挙をやり遂げました。

ただし左半身に麻痺が残りますので以前のような自立歩行は無理。

退院後に入所する施設は以前と同様の手配をいただいたことは何より。病院と施設双方のご配慮がありました。

入所日調整のために昨日の退院+施設入所という運びになったのでした。

 

その数日前に院内でコロナが発生したため、もしかすると数日の経過観察が必要か、との懸念があったようですが、それら課題は無事クリアできたとのこと。

退院後の移動は介護タクシーを依頼したのは「自家用車では無理」とのアドバイスがあったからですが、やはり片側の足に力が入らない人というものの重たさが「半端ない」といいます。

チャレンジしてみたいという気持ちはありましたが・・・

 

施設への再入所の手続きがすべて終わったのが11時30分。

それでも新規ではないために省略していただいた書面も。

4名ほどの各専門担当者との面談と説明そして承諾のサインがありました。

生活・リハビリ・食事・排泄・皮膚(褥瘡対策)・再発・以前の手術(股関節)の痛み対策(痛み止め薬6種類投薬中)と説明は多岐にわたりますが今回特に変更のあった点は食事の件。

おかゆよりもさらに柔らかい流動食になって、飲み物も誤飲を防ぐためにとろみをついたものに変更されるそう。

年配者は水や茶でもむせ、肺に入れば誤嚥性肺炎になるといいます。

よって以前のように外出して鰻を食べることなどもはや無理な話。

「ただ生きている」といった叔母を見て、当然に「私のこれから」とオーバーラップさせてしまうのでした。

「食べられる」こと「歩ける」こと「おしゃべりができる」こと等々、「当たり前」のことだと思っていたらお目出度い。

 

叔母の施設を後にしてそのまま直行したのは御門徒さん宅。

以前からの約束がありました。

「桜の咲く頃に墓参りがしたい」という要望を聞いていました。よってそれを叶えるために私どもが手を挙げていたのでしたが、これまでなかなかタイミングが合いませんでした。

 

その方はやはり車椅子での移動限定の方です。

以前は電動車椅子に乗車しヘルパーさん同伴でお参り来られていたのでしたが、転倒したことからそのハイテク機器はやめかつヘルパーさんは月水金午前の「身の回りのこと」のみのお手伝いとなりました。

そして火木土日はデイサービスとのことで日中は不在です。

 

要は「月水金の午後の晴れた日で尚桜が咲いている・・・」それでいて私どもの時間の空いているタイミングですから、なかなかそれは難しかったのでした。

拙寺墓参焼香のあとは「買い物に(大阪屋にフライパンを所望)付き合って・・・」でした。

それは「お安い御用」。また扇屋の「あんぱんが食べたい」と店の前を通過しましたが、水曜定休でそれは諦めていただきました。
何でもいいから気軽にまた電話して・・・と自宅まで送り届けました。

 

そして、例の事案解消のステップ、足場屋さんの足場設営がありました。

夕刻前に電気屋さんの工事についての説明がありましたが、「今一つ枝払いが足りない」とのことで昨日の宿題は追加やり直しに。

雨天予報がありますがどうしようか・・・

 

①は病院入口の注意事項。院内感染は止められるものではありませんね。

②は枝垂れですが一番元気。③ソメイヨシノはもうおしまいに近し。勝間田川沿いほかどちらも満開ピーク、キレイでした。

④サツキが咲いてユリがグングン大きく成長しています。ユリは裏切りませんね。増えまくって私の首を絞めるほどです。

⑤~⑧は足場の状況。南北それぞれトップの部分はまだです。

⑨⑩は大井川渡河中から見た「茶」マークの粟ケ岳。

この山の根本を新東名粟ケ岳トンネルが貫きます。

このトンネル内で事故を起こして島田病院内に搬送されたのち「ひと悶着あった」方の件、報道されていました。

まぁ人様のことはどうでもいいといったところ。

私の周辺忙しすぎ。

 

 

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4月

09日

好天の花まつり法縁 電源確保のため門前の枝払い

昨日4月8日は花まつり。

今年の相良仏教会の会長は須々木の海雲寺につき会場はそちらの本堂になります。

私は8時30分過ぎから昼前迄詰めていました。

その間、色々な方とおしゃべりに花が咲きますので、案外と疲れました。

 

午後からは門前樹木2本の枝払い。

チェーンソーを梯子の上で振り回し、残材の処理作業でへろへろになりました。

永遠に肩こりと筋肉痛が続くような・・・

 

この枝払いは中電電線の引き込みのために「枝が邪魔」と指摘があったからです。

現状分電盤が会館工事のために仮設されていましたが、私が「撤去はいつ?」と催促したことからこの件始まりました。

その私の質問に先方から「このままですぅ」との回答があって大いにひっくり返って「門前にこりゃないよ~」と。「仮設」ではなかったということですね。

 

会館完成後はこの分電盤は庫裏と本堂への配電をしています。

会館は独立して電気を供給することにしましたのでその中継のポールと配電盤がコレです。

よってこの見苦しいモノを撤去し電柱から伸ばした電線を庫裏の建屋に引き延ばしてメーターを設置しようという計画です。

勿論新たな工事費用が発生します。

 

そんな話はハナから知らなかったのですが、仕方なし。

見解の相違か・・・

大工さんもたまたま「これ何時取るの?」と聞かれるくらいに

違和感のある代物ですがこれを寺の山門前にオッ立てていられるほど私の神経、図太くありません。

私の不在の時に工事施工があるやも知れず、奥方に「メーターは正面から見えない場所に設置タノム」と念押ししておきました。

 

その後、大工さんと隣家に境界線の説明に行きすべてが解決した次第。

 

昨日は当面の拙寺と私に関する宿題のうち2点をクリアさせました。まだまだたくさん抱えていますが・・・

 

画像④⑤は海雲寺山門。

拙寺山門については耐震工作は何もしていませんが、柱と柱をあのように結束する作戦は手っ取り早くて悪く無さそう。

ただ拙寺の場合は壁が邪魔しますからね。

 

 

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4月

08日

七里の渡 復元蟠龍櫓の中に松平定信

昨日は「外を歩けば汗、一枚脱いで本堂に入れば寒い」というのが東京からお参りに来た方々の弁。堂内法要にて。

その件、承知していましたので一昨日同様ストーブに火を入れてスタンバイしていました。

また昼夜の寒暖差も激しく、昨日は陽気に誘われて数鉢のハイビスカスを外に出していましたが、夜間から早朝の低温予報を知り慌てて室内に取り込みました。

日向は春とあっても日影と夜間はまだまだ冬ですね。

 

法要が終わってから(親戚の方が入所する)近くの施設へ行かれるとのことで「私も・・・」と図々しく同行させていただきました。

その方は私が相良の地でお世話になる頃から存じ上げる方で以前は拙寺バス遠足にもお付き合いしていただいた方です。

そちらへの入所について耳にしていたもののなかなか訪問する機会が無かった、というか踏ん切りがつかなかったのでした。

 

コロナ禍以来、部外者の来訪に施設側のガードはきつく、他の方の元を尋ねるにあたり何度か門前払いにあっていましたので。

そして今回は親戚の面会であれば一緒に潜り込めると踏んだのでした。

 

お元気な姿を拝見しましたが、私がマスクを外して「だーれだ?」と言うと即座に「おっさま~」(当地の年配者の坊さんへの敬称)と言ってニッコリ。

足については大分衰えというものを窺えましたがお話はしっかりできてこの機縁、有難く思った次第。

別れ際に「また来ま~す」とありふれた言葉で挨拶をすると・・・

「相良に帰りたいよ」と返ってきました。

その施設は相良にありますのでそれは「家に帰りたい」の意ですね。

そのホームについてはその方からすれば(自分の家ではない)「遠隔地」を感じていたのでしょう。一人暮らしができなくなって施設にお世話になることはやむを得ないことですが・・・難しいテーマ。

 

扨、先日の桑名七里の渡の続き。

広い河川に面したこの湊には画像の如くの頑丈な防潮堤は以前はなかったのは当たり前の事。

天候の激変について予報ができるはずもなく、海上交通はイチかバチかだったのでしょうね。

 

ブラタモリで出た蟠龍櫓の復元については三代広重の「東海道名所改正道中記」にある、この地を描いた浮世絵の図を参考にしたとのこと。

櫓の中はちょっとした展示場になっています。

松平定信の画像も・・・定信は隠居後に白河から桑名に。

 

 

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4月

07日

国道473金谷相良線 国道1号直結とニホンカモシカ

「春の法要」の晴天の翌日は雨。

法要がありましたが、やはりストーブに点火。

灯油の在庫が少ないため冷や冷やです。

この時期、余計なストックはしたくないですからね。

墓参の時間には雨があがり、夕刻にはキレイな日没、山の端の夕陽を拝むことができました。

あのオレンジ色は心を和ませます。亡き人の面影もそこに感じて。

 

「春の法要」が終わったとはいえまだまだやり残している宿題が多数。先ずは私が「生きていること」・・・。

健勝であるとは思っていても「まさかの坂」については頭から離れません。「お前も死ぬぞ」ではありますが「たまたま生きている 生かされている」・・・有り難いの心、南無阿弥陀仏・・・がそのオレンジ色の深みから沸いてきます。

 

まごまごしていると各所に繁茂する雑草の対策に追われることになりましょう。とはいっても毎度「お手上げ」となって溜息をつくばかりですが。

 

扨、夕刻にお日さまを左手に見ながらバイパスを北上しました。

掛川在住の檀家さん宅に向かうにあたり、その道を選択した次第。

先日開通したばかりの『国道473号金谷相良道路2区(3.3km)』を使用しようとの試みです。

金谷・島田方面に向かうに私どもは直近の相良の大沢インターから入って空港手前の相良・金谷線で否応も無くおろされていたのですが、今回の延伸で1号線バイパスに直結したというもの。

1号線バイパスは新東名インター入ロ近くを通過しますので「便利」になったというのがウリですが、イメージとして「空港前」から一旦西方向に向いますので(諏訪原城の山系を右手に見て)、これまで直進していた金谷駅前通過コースとは「違う・・・(遠回り)との違和感が。しかし信号ナシの殆どノンストップで「悪くないかも・・・」と。

 

私は掛川方面に西進したのでしたが、勿論快適だったのは信号待ちが無いこと。

これまでは当地からそのコースを辿るにはだらだらと菅山、菊川の台地を行って掛川駅周辺到着といった感じでした。

新幹線側とは反対になりますが、その道路を使用した方が断然ラクかと思ったところ。

やはり信号がないことと、台地の上り下りが少ないストレート系・・・走りやすい。

 

これまで(金谷駅前通過)とは動線が変わるとなると、金谷から空港までの道の途上にあった土産店やレストランは客数の減少にやきもきさせられるかも。

ということからその辺りに出店の計画のあったショッピングモールの出店がお流れになったことも推測します。

尚、東名牧之原インター北側の造成工事は進んでいるよう。

 

帰り際、バイパス東萩間辺りで、数台の絡む交通事故に遭遇しました。

パトカーの赤灯と発煙筒でその交通規制がわかりましたが、何故かその停車車両の先にニホンカモシカが一頭。

本当に不思議な光景です。

推測するに「彼」が事故の発端だったのかも知れません。

しかし倒れているわけでもなく、人や車を怖がるわけでもなく、本線脇にただ立っている・・・という状況でした。

交通事故のショックで呆然自失に陥ってしまったのでしょうか。

あの道路では狸の事故遭遇については日常茶飯事ですが、ニホンカモシカの事故原因など初めて聞くことです。

 

しかしそれが事実なら、動物が侵入しない対策を考えていただかないと。周辺ではニホンカモシカ出没事案は枚挙に暇がありませんからね。

 

画像は掛川の先方ご自宅に上がり込んでのお茶のご接待。

「眼にイイ」といわれる菊の花茶とひまわりの種。

両方とも私はお初の品でした。

 

 

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2025年

4月

06日

七里の渡跡 桑名 知った景色を視て ブラタモリ

おかげさまで春の法要兼新会館お披露目のご縁は無事終了。

総代・世話人・婦人部スタッフのフル回転の活躍がありました。

息子も朝から手伝いに入いり、法要の時間もまかせるつもりでしたが、急きょ浜松での法縁(17時開式)の招へいがあり午前中には相良をあとにしていました。

 

段取りが外れて、思わぬミスをしでかすなど、満足できるものではありませんでしたが、何とか終了できたことだけでも有難いことです。

 

今回は会館のホールのお披露目もあって総代の受付をそちらに設けましたが、お参りの皆さんの「導線」というものが初めて認識できました。

門を潜ってスグの会館で受付を済ますと、お参りをせずに帰られる方が多くいらしたことです。

 

境内では寺楽市も開催されていますので、それでは出展者に申し訳なし。本堂でのお参りもして欲しい・・・

よって次回は「本堂内に受付けを設けよう」ということで皆さんと意見が一致。

 

そして、寺楽市の延長の件、大河ドラマの進行にあわせて「2週間程度ぶっ続けでやっちまおう」という私の考えを披露しました。

 

そのタイミングとは劇中、「田沼意知が江戸城内で斬られる―田沼意次が失脚―相良城破却」が放映された日から2週間程度ということです。

テントの2張も張りっぱなしにして無理やり営業。

誰かしらが出ばってより来訪者を待ち構えて賑やかにしようというものです。

 

それが、相良の地が全国にその名を響かす最後の日として、悪あがきしてみようという算段です。

どれだけ人を集められるか・・・お客さんは勿論、スタッフも。

 

昨日はダイコン1本100円の販売がありましたが、これから野菜系は出てこないようですし・・・何を「店」に並べるかも決まっていません。

まぁ思い付きで物事を進めて失敗するパターンでしょうか。

私レベルの思い付きなど「アメリカのあの方」から比べれば大した害がナイですがね。

 

扨、NHKの人気番組が再び登場。

かつてブラついた桑名の風景がイキナリ映り、見覚えのある櫓も登場。

七里の渡跡の図でした。

揖斐川と長良川が合流した辺りの海上がかつての東海道。

こちらと熱田神宮とのラインですね。

数年前の画像ですが殆ど変わっていないような。

 

 

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2025年

4月

05日

瓦屋さん仮止め再訪 鬼平のい~らイベント落選

朝から業者さんほか様々な方たちが寺に訪れました。

午後からは「春の法要」の準備に世話人方々も集まりましたが、午前中の見物は例の鬼瓦の件、職人が上がって例の問題個所の仮留めを。

当初足場屋さんの下見とのことでしたが、「春の法要に際して何かあったら・・・」と気を使っていただき、とりあえずの安心を頂いたのでした。

来週中に本堂南北の破風下に足場が組まれ再来週には完成するとのこと。

 

各画像は荷締めロープで固定した図。

 

 

扨、昨日「NHKイベント・インフォメーション」から「落選の通知」が届きました。

4/19に牧之原市相良総合センターい~らで開催する「牧之原市制施行20周年記念事業「ラジオ深夜便のつどい」に応募していたのでした。私と奥方と二人です。

先月の段階で応募者多数で抽選との情報を得ていましたので「まぁ無理だろう」と期待はしていませんでしたがその現実は少々のショック

長谷川平蔵宣以(のぶため)―鬼の平蔵―役の中村隼人氏が来られるとのことでした。先般番組では田沼意次との関りが描かれていましたね。

 

まぁ今の私どもにとってクリアしなくてはならないテーマが山ほどありますので。

 

 

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2025年

4月

04日

本丸付段 薪の丸 戌亥櫓跡 金沢城

雨あがりの午前から軽トラの荷台を作業場として大工仕事。

会館ホール用の椅子42脚が4日に届くことになっていますが、少しでも楽にできるよう、スタッキングキャスターを5台ほど製作しました。

一台に5脚をスタックするとして25脚。到底その数では足りませんが、あとは様子を見ながら。物置に重ねて置いてもいいですからね。

午前は時折雨混じり、昼過ぎには陽光が注いで暑さをも感じましたがハッキリしない天気です。日没頃には再び寒さも。

 

昨日記した鬼瓦の件、瓦屋さんは余程の緊急性を感じたか、足場屋さんの手配、早速訪れて設置個所の下見。4日には瓦屋さんとその方法を詰めるそうです。

また鬼瓦の不安定の具合が尋常ではないのか、落下防止の仮留め処置をするとのこと。

 

やらねばならぬことが多すぎて・・・泣き言を並べたくなります。

まぁそれが生きているということか。

藤枝の病院にいる叔母さんに関わるあれこれも次々に・・・叔母もしっかりと生きていますからね。

そして色々後回しにして「諦める」ことが多くなりました。

「できないものはできない」「放っておけ」と自身言い聞かせるように。

考え出すと眠れなくなる・・・

先日の積石の筋肉痛、関節痛も一気に出てきて、やる気不良に拍車が。やはり「勝手にしやがれ」か。

 

扨、金沢城の戌亥櫓のべース石垣を先日記しましたがその上段が本丸付段、三十間長屋を通ってその戌亥櫓跡へ。

掲示板の通り宝暦時代の火事で焼失してしまったとのこと。

いずれ再建話も出てくるのでは。

 

 

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2025年

4月

03日

まぁ・・・色々ある しかし、きびしい・・・鬼瓦緊急

朝は小雨、お昼を中心に晴れ間が。

気温はぐんぐん上昇してまさにお花見日和の感。

ただし庫裏の中は依然「冬」でしたが。

 

瓦屋さんからメール。

14時過ぎの来訪を報せてきましたが私の自由になる時間は15時頃と伝えました。その時間帯には電気工事の詳細について詰めることになっていましたが両方をこなしました。

また境界線の問題が急浮上し測量士の図面を待っています。

 

瓦屋さんは本堂屋根に上がってしまいますのでそれを見ながら電工さんのお話を聞きました。門前の分電盤の支柱を外して、新たに配線をし直す工事です。

 

瓦屋さんを呼んだ理由は先週の土曜日に檀家さんから「住職、おかしいよ~」の指摘を受けたことによって気づかされたのでしたが、それが本堂正面左手前の鬼瓦の袖の部分のズレです。

毎日本堂を見上げ誰よりも本堂のあれこれを熟知しているつもりの私でしたが、それだけに衝撃著しく、ため息交じりで瓦屋さんに連絡した次第。

早速昨日、その検証に来られたのでしたが、駐車場を降りてスグ北側からの本堂の鬼瓦を見て「こちらの間違いじゃあ?」と。

 

半信半疑でその下にグルっと廻って見上げれば再たも愕然、南側以上に北側のそれがズレまくっていました。

何故か左右対称。日頃のノー天気、いやはや救いようがないレベル。何故にして気づかなかったのか・・・。

まぁ落下する前に判っただけ有難い。アレが落ちたとしたら・・・半端な補修では収まりませんね。

 

瓦屋さんが二連梯子で上がって南側北側とも現場検証。

「鬼」の部位は何カ所か銅線で繋いで結束していますが、それらが緩んでいるとのこと。緊急性大アリの様。

「何かありました?」と言われても心当たりなどなし。

「竜巻が通った?」とも聞かれましたが、あの時はちょいとコースが違いますからね。

何よりその際の翌日、本堂画像にはそのズレは見えません。

 

現状多くの問題を抱えている私。

さらなる頭を抱えるようなテーマの発生に苦虫を潰す様を奥方に見せると、「アレだけは御前がどうこう頭を巡らしても無理な話、瓦屋さんにまかせるのみ」と。

腹をくくって早急なる対応を待つだけですね。

4日午前に足場屋さんの現場検め。そして来週中には着手するとのこと。

南側の足場は墓石の上にかかりますのであの時同様に迷惑がかかります(その時の図も何らの違和感もありませんね)。

どうかご容赦を。

 

鬼瓦は5パーツに分かれているようで、あの部分だけで30㎏はあるそう。高所の不安定な場所だけに足場は不可欠ですね。

どうにでもなれ・・・いつもの「勝手にしやがれ」の心境です。

昨日は法話で「有無同然」について触れました。

色々な方たちから「素晴らしい本堂だね」とヨイショされて悦に入っているワケですが、維持管理はカンタンではないです。

ハナから本堂が無かったとしたら・・・その手の苦労は不要ですが・・・。

 

①②は午前中の図。青空が広がっていました。ところが15時すぎからポツポツと。

当初「最悪」は南側1か所①~⑧だけだと思っていました。

「まさかの坂」とはこのことです。

⑨で並行移動して北側へ廻っていました。⑩~が北側部分。

 

 

 

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2025年

4月

02日

応仁文明の乱を乗り切った千本釈迦堂(大報恩寺)本堂 

新しい火葬場は位置も決まり、既に着工が開始されたよう。

榛原地区の火葬炉も相良の火葬炉も老朽化が進み、その新設は喫緊の課題でした。

新しい火葬炉は5つ+ペット専用炉も併設されるとのこと。

そして、私の場合、現状より距離が10倍ほど遠くになります。

一言で東名牧之原インターの先、という感じですね。

御前崎市、牧之原市、吉田町をカバーする施設ですが、むしろ菊川市の南部に近い。また御前崎・吉田の皆さんは私以上に距離を感じるでしょうね。

まぁ、御前崎と相良の街内の人はバイパスを使用すればそう苦労は感じないかもしれませんし、個人的には榛原の山の中の火葬場にお邪魔することと比すればまったくOKのレベルです。

 

相良の火葬場のご担当の一人としばし時間を持ちましたが、新施設への継続採用か否かについて、未だ打診がないことが不安であると吐露されていました。

突然「継続不可」など告げられたとしたら一から就活を始めなくてはなりませんからね。

市町の委託業者の採用とはなりますが、不安を抱えたままの修業は気の毒な事です。

「おそらく継続採用になるだろう」との推測を議会関係の方から伺いましたが、これまでの皆さんの経験をフルに生かしていただければ有難いことです。

「その時」は私も「タノム」立場ですから。

 

扨、以前息子と行った千本釈迦堂

洛中最古の本堂がこれまで生き残ったということは奇特な事です。洛中を焼野原にしたあの長期にわたる戦乱、応仁文明の乱でたまたま火が掛けられなかったことが大きいでしょうね。

しかしこの本堂の内部にその戦いの痕跡が遺っています。

③柱に刀と槍の疵が見えますが、刀疵は判りますが、あの○ポチが槍疵・・・なのかしらねぇ。槍では柱に弾かれるだけでしょうから。

しかしこの本堂内での乱闘騒ぎとはどういったシチュエーション?本堂で暴れるな!!刀を振り回すな!!

 

 

 

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2025年

4月

01日

宗源院にお参り 変わってること変わらないもの

相変わらずの冬の再来。

特に日没後は・・・県東部の山間部では降雪の予報まで出る始末。

先日は小田原の魚屋さんの閉店について記しましたがその話を藤沢の妹に伝えたところ、「さっき挨拶に行ってきた」とメールがありました。

閉店当日とあってその閉店を惜しんで駆け付けるお馴染みのお客がひっきりなしに訪れていたそう。

地元局の取材に応じる姿もあって多くの時間は持てなかったようですが、あらためてその店の人気を知らされたといいます。

 

地元タウン誌の紹介冒頭を転記すると「国道1号線沿いに店を構える創業100年の鮮魚店『魚梅』(小田原市南町)が3月末に閉店する。店内には常連客からの贈り物というイラストや書道作品が飾られている。同店は大正時代に開業した~」で当時のものと思われる仕出し箱やおかもちが伝わっているとのこと。

 

直接の閉店の直接の理由は社会業態の変化というよりも、経営者自身の体力と後継者不在がテーマだったよう。

2人の男子がいらしたことは存じ上げていますが~大昔に私の車に載せた事がありました~二人とも鮮魚店は継承せず「好きにやっている」そう。

妹がそれを聞けば一人は金沢大学で学者に・・・と。

父親が「好きな事をすれば・・・」と言って育てたら「そっちだった~」と笑っていたそう。

何か一つの事に没頭して学びの機会を得ること・・・羨ましいような。素晴らしいことだと思います。

 

扨、私どもはヤルことが山積の中、すべてを放棄して浜松へ向かいました。

以前からこの日を予定にあてていたためある意味開き直り。

午後には携帯電話に都合4回の直電があって、早々に帰宅したい気持ちも湧いてきましたが・・・。

午前は小粒ながら雨が時折降る中どこもかしこも咲き誇っている桜を見ながら走ったわけですが予定通り、宗源院にて墓参りを。

 

久々で驚いたことが墓域の木々が一掃されてスカッと明るくなっていました。

変わるものです。

それに対して墓域前の案内板は昔と同じ②。

掲示板の錯誤?その記述は変わっていませんでした。

 

 

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2025年

3月

31日

市内初人工芝グラウンド 拙寺石垣ベース設置

冷たい風が吹いていたことと頭痛のせいで朝からヤル気ナシ。

それは言い訳、MLB見たさでテレビ小僧。

まぁ昼前に思い切って表に出ましたが。

本堂から会館1階のホールに移す海の如来さんの須弥壇前面に置く香炉机の足となる台の製作にかかりました。完成は先の事。

その手のものを新調したり製作依頼をすれば、100万円では収まらないほど高額になりますので、中古と手作りで誤魔化します。

金箔が剥がれて地肌の黒漆が見えていても私的にはどうってことなしです。

問題は5日の春の法要までに間に合うかどうか。ダメでも仕方なしで済ませます。

他にたくさんのやることが控えていますので。

 

午後は奥方に「風呂を沸かしておいて・・・」と一言頼んでから駐車場に放置されていた石垣の石をあるべき位置に移動。

とにかく駐車スペース確保が第一義ですから設置はやっつけ仕事。とはいっても場所確定には少々の整地が必要でその重たさには難儀します。

檀家さんの往来に声が掛かりますが、石の重たさを聞いてくる方も。「おもたいで~す」。

私はできるだけ「腰」を使わないよう腕と膝を地面に接しながらの足の筋力で石を転がしたり、数センチだけですが抱きかかえたり。

風呂から出て膝と太ももを見ると、心地よい痛みの擦過傷と各指そして肘に違和感が。

 

扨、市議会議員さんとおしゃべりした際、「相良総合グラウンドが見違えたよ」とのことでしたので、さらっと見てきました。

これまでは雨が降ると田んぼ状態ということでそれは私どもの頃のサッカーグラウンドと同じです。

今のサッカーはそのような悪コンディションはあり得ないようですね。

 

開設まもなく予約が集まっているよう。

他県のクラブからの問い合わせが多いようで、この山の中が賑やかになりそう。

彼らの宿泊先について伺ったところ、そこはまだ地元との関連性が追及できていないよう。

これからが楽しみですね。

 

子供ができたら「何をやらせる?」と奥方が息子に聞いたそう。

オオタニさん好きの奥方は「野球だよな」と質すと「サッカーに決まっている」と返されたそう。

彼はイタリアサッカーかぶれですからね。

私はそのどちらかの選択ならまったく異論なし。

31日は息子らと宗源院に墓参りの予定。

 

 

 

 

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2025年

3月

30日

生きているからこそボヤく 国宝千本釈迦堂本堂

数日前に電話で「今月末にて店を閉めます」とのご挨拶。

私ども家族がお世話になった小田原の鮮魚店からです。

父母だけでなく私も半世紀以上のお付き合いをさせていただきました。

そちらは母親の友人稼業ということで私と妹の成長を優しく見守ってくれた魚屋さんでした。

1月末で閉店された相良の魚才さんの件もありますが、鮮魚店という業態は大手の市中浸潤によってその居所が無くなってしまったようですね。

 

その母の友人のKさんは、私が沖縄に住んでいた頃、わざわざ沖縄まで来られたことがありました。

よって南部の戦跡を案内して廻った想い出があります。

もっともその来沖はその方の父上が南方で戦死したことによるその思いが増幅してのことだったようでしたが、当時であっても様々なボヤキを囁かれていました。

 

勿論それは、無意味な戦争で亡くなった人たちへの思いと「父親が不遇の死を迎えてなお、のうのうと生き延びている上官たちがいる」という感情の爆発だったような。

痛烈な言でしたが、涙を流していたこと、殊に印象的でした。

コーラと「柿の種」が好きな方で私がコーラの味を知ったのもその方から。もう亡くなって20年近くなります。

 

日蓮宗の本堂葬儀でしたが、妹と参列しました。

私は当流の道中着で参列したのでしたが導師から「こちらへ」と導師の隣の席を指示されました。

そういう時は「こちらで結構です」と謝意を示しながらお断りするという流れになるのですがその時は未だその「了解」について知らず、のこのこと導師の脇に着座した次第。

勿論チンプンカンプンですから私は沈黙の時間でした。

ただし心の中で「南無阿弥陀仏」。

 

すべてのことが昔話になりました。

私の存在もきっと懐かしき・・・という時が訪れましょう。

しかし懐かしがってくれる人がいるだけ仕合わせなこと。

果たして・・・

 

夕刻のメディテーション~拙寺のマインドフルネス~の締めに語ったのが、毎日いろいろなことが起こってあたふたしていること。何例が挙げていました。

そしてボヤくことができることこそまさに生きていることだと。

ボヤキまくろう、有り難く。

 

扨、画像は息子に連れられて迷いつつ訪れた千本釈迦堂

正式には大報恩寺という名称が。

本堂は安貞元年(1227)の上棟が棟札からわかっていますが、それが「洛中で一番古い木造建築物」たる理由です。

私の縁者不在(大谷祖廟にはたくさんいます!!) 、かつインバウンドの数多と京都愛に満ちた人たちのボヤキの声が最近殊に大きくなった感ありますが、このお寺には今一度顔を出してもいいかもと思いました。

800年を経た木造本堂へ。

まぁ、穴場といっていいでしょうね。

 

 

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2025年

3月

29日

諏訪原城本丸へ ヤマザクラ久々ご対面

このタイミングを逃すと何時になるかわからない・・・それは藤枝の病院にて養生する叔母との対面。

会館に境内とやることが山積ですからね。

 

叔母の様態は入院時にはさすがに「今回はダメ」と思わされましたが今のところ意識は戻って私どもの顔は判るようになりました。

おしゃべりの少々もできるようになって、「復活」の余地はあるような。

年齢が年齢だけにその復活も限定的なのでしょうが、昨日も別れ際に「飯を食いに行こう」と。なかなかしぶといことで良き良き・・・

病院側も以前の施設に戻れるよう計らっていただき、施設と折衝、順番は待ちますが、何とか元に戻れそうな。そうあれば有難いことです。

 

施設復帰となれば、再び定期的に夜中に叩き起こされることになるのでしょう。まぁ成り行きに任せる他はありません。

覚悟しています。命のことは。

 

扨、藤枝からの帰り途、金谷に出て久々諏訪原城に寄り道しました。

目的は本丸のヤマザクラ。

その開花の件、思いだしてから、この地を訪れても「既に遅し」のパターンが多かったので、無理にでもと日没前に立ち寄りました。

 

ヤマザクラは花と葉が同時。花びらもより白っぽい個体です。

まぁこれを拝めて気が済んだというものです。

 

①大空堀を隔てて向うの木々の奥が本丸。⑤は本丸東端より大井川方面を。

⑥は西側の古くからある駐車場スグの堀跡の図。

以前はただの草ぼうぼうの窪みでした。

奥に卵塔の数基があってその駐車場付近に寺があったことが推測できます。

 

多くの大規模な遺構が目前に・・・ウグイスが迎えてくれます。

ニホンカモシカには会えませんでしたが。

 

 

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2025年

3月

28日

阿亀と阿亀の宝篋印塔と阿亀枝垂れ桜 千本釈迦堂

昨日は日枝某なるメディアの大将の退任が決まったと報じられ、ていましたが、ご当人は記者会見にも姿を現せず、高級車に乗り込もうとするメディアのインタビューも完全無視を決め込むという御仁。

以前はペラペラ饒舌の様を見せていたこともありますが、それに思わず苦笑させられました。

 

インタビューとして私も各メディアから(勿論その局の方からも)マイクを向けられたことがあり、またこれまで一度たりとも「完黙」あるいは逃げた事などありませんからね。

何よりメディアの親分(天皇とも)としてその「マイク」を仕事のネタにしてきた方、それから逃げ回るってどうよ・・・って感じが。

 

昨日は取り敢えずの区切り、新会館の確認検査の日。

外構石垣について頭を悩ませましたが無事に通過することができました。

おかげさまです。

次の難題がその直後に発生しましたからまだまだ心休まる日はありません。また、いろいろとあの会館に付属するテーマの解消に進まなくてはなりません。

 

扨、数日前京都のサクラを紹介する番組がBSでありました。

そちらが千本釈迦堂です(場所はこちら)。

画像は息子の京都在住時代(2016年9月)と古いものです。

チャリ専だった息子の案内で車でこちらに参りましたが大きな通りから細道の住宅街にある古刹とあって一方通行にてあたふたした記憶が残ります。

 

番組ではそちらの阿亀桜と新しく国宝指定となった六観音菩薩像が。

しかし阿亀の姿はまさにおかめひょっとこのおかめを連想。

像の作者のイメージはそこに収まるということなのでしょうね。

宝篋印塔も古さを感じず、今一つ。

せめて桜の満開でも拝むことができたら・・・と思ったもののこちらに訪れた時節に問題がありました。

その時はたまたまそのサクラに気づいたのでしたが。

 

昨日の拙寺境内のソメイヨシノの開花は一昨日の倍。

青い空のもとそれらを見上げてみたい。

 

 

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2025年

3月

27日

文芸まきのはら19号 田沼意次特集 夏日の境内

朝から境内、テラス一階で大工仕事。

しばらくして奥方が「さあ、やっつけるぞ」と玄関から。

会館の建築確認の日が27日と迫っているための準備です。

昨日はクリーニングやらリース屋さんが来訪しましたが私どもは「接道義務」をクリアーするために石垣いじりをすることになっていました。

もっと早くから着手する予定でしたが体調不良と法要のために遅々として進んでいず、何と前日のやっつけ仕事。

 

風が吹きまくる中、西側土塁土木作業をしましたが、奥方は黄砂と土埃で地獄の思いを味わったといいます。ここ数年で花粉症症状が出て、黄砂の降る日は2倍どころか「10倍の苦しみ」とのこと。そのアレルギー症状とは喉と眼の痛みといいますが、喩えていえば「目玉を刳り貫きたいほど」だと。

私は久し振りに抱えた石の重たさに自身の体力の衰えを痛感しました。まぁ風邪の症状を引きづっていましたが。

「あんな場所に石を積む奴が悪い」と嫌味まで吐いていました。「そんなバカはいない・・・」と八つ当たり。

しかし私は(その手の仕事は)「もう無理かも・・・」とつくづく。

 

「無事、確認が下りるのかね」と奥方が大工さんに問いかけたところ、中には確認が下りないまま「ず~っと放置している」家もあると。半信半疑ながら、それを聞いて安心したようです。

要は「ぶっちぎり」ですね。

私は「それっておかしくね?」。

しかしながら、拙寺門前の道路が「道路に非ず」(消防車が入れない)の認定こそ、そもそもおかしい。

まぁ、結果はすべて阿弥陀さんにおまかせするところです。

 

午後遅くのニュースで静岡でソメイヨシノの開花宣言の報を。それではと拙寺境内のそれを見にいけば4~5ほど咲いていました。まったく「一気」ですね。

 

扨、恒例の「文芸まきのはら」19号が発刊されました。

さすがに田沼意次特集です。

見知った名が並びますが、考えてみると以前の御常連の名が見えなくなってしまいました。

時間が確実に進んでいるということですが・・・寂しくなるばかり。

 

相良本通り、布施書店にてどうぞ。

 

 

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2025年

3月

26日

瓦修繕前の三十間長屋 金沢城本丸下段

この筋肉痛と風邪の因果関係はナシと考えていますが、不調5日目はピークに達したよう。

葬儀式と重ならなければ大したことは無かったのですが、通夜が案外何とかなったことから「大丈夫」の躰で法要の開式。

しかし式冒頭の「伽陀」の段階で咳が出始め、それを堪えるためにしばし無声の時間が・・・まことに申し訳ないことです。

やはり風邪の罹患=プロ意識の欠如・・・でしょうね。

発声命の仕事として。

日々何となく体のことに配慮せず過ごしていることが失態を招きます。同じことの繰り返しです。

 

浜松の78歳の方が軽トラで女子小学生の列に突っ込むというあまりにもショッキングな死傷事案がありました。

これから私も年齢を重ねるにあたって「何となく」の漫然の注意欠落は絶対にあってはならないことと思う次第。

その件、日々「自分が一番信用できない」と理解しつつ生活している私ですが、この「車次第」のド田舎生活で車の運転ができなくなるということは、あとは「死を待つのみ」的な人生放棄を意味するような気がして・・・

 

私の現状は日々忙々、4月5日の「春の法要」とそれにあわせた色々についてあれこれ頭を捻ることが。

ボヤキだしたらキリがありませんが、その一例をあげれば「春の法要」に際してつきものとなった返礼品のお餅の配布の件。

世間ではコメ不足で価格が高騰している様を伝えていますがそのもち米も例外ではありません。

先般奥方がいつもの店舗にその予約をしたところ「数年前の2倍だよ」と。数量を抑えることを勧められたそうです。

 

返礼品について夏の盂蘭盆以外、春と報恩講についてそのお餅の配布をしていますが長年色々なものを試す中、それが一番に好評であると感じそれを続けています。

よって「今更陳腐な言い訳はしたくない」というのが現状の私の思うところ。

何から何まで物の値が上がってしまいガッカリすることが多くなりました。

 

扨、金沢城続き。

本丸跡直前にある三十間長屋なる建物。

しかしこちらの復元建物の圧巻たるや・・・

城内の建物はピカピカばかりで、よくもまぁ・・・というのか、その一見しての感覚です。

やはりカネ・・・?  何をするにしろ・・・辛いね。

最大のネックがそれでした。

 

 

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2025年

3月

25日

通夜 本堂にて

不調4日目。

結構に続くものですね。

私は昨日は本堂でのお通夜。翌朝は葬儀式になります。

何とか通夜のお勤めができて安堵しています。

 

最近はホールでの葬儀が多くなって、お寺としては何もすることはなく、お気楽なものでしたが、本堂葬儀は準備に注力しなくてはなりません。特に奥方はへろへろだったでしょうね。

何故なら私が「不調」を理由に動かなかったから・・・

「泣き」をいれていましたが、息子は所用があるとのことでした。

 

「そういう時もあらぁな・・・」と一日中ノソノソ、ノロノロの躰でした。

勿論通夜式にすべてを注ぐためですが、奥方はそれを許容してくれました。

 

画像はいずれも昼間の準備中の図ですが、私は施主の意見を尊重し生花、本尊前は白ですが、あとはおまかせ。

新会館はまだ使用不可ですのでトイレは庫裏にご案内。

ただ会館前に受付を設けました。

とても便利。テントを張る必要がありませんから。

 

 

 

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2025年

3月

24日

二ノ丸から戌亥櫓石垣 金沢城

外気と本堂内の温度差はきっと5℃以上はあったでしょうね。

10時からの法事直前、施主が「ストーブは不要」と仰っていましたが、さすがに滞留時間が長くて冷えたらしく、終了時にはそれに火が入っていました。

しかし外に出れば雲泥の差、昼過ぎには半袖OKの日和で、これぞ本当の春・・・といった感。

 

体調不良3日目は喉の痛みに咳がちょこちょこ・・・、お勤め時にそれを堪えること数度あって、つくづくこの仕事に「油断」(風邪ッぴき)は禁物と思わされた次第。

毎度毎度同じような反省をします。

おそらくこれから何度も・・・まぁ、それだけ場数を踏むことができれば有難いものですよ。

 

扨、先日「日本人の『死因』認知症が首位に」というニュースがありました。

私はその認知症というもの、間接的に他の致命的な病に通じ結局亡くなるということは承知していましたがその『死因』として直接名指しされていることに「そうなんだ~」の少しばかりの驚きがありました。

 

認知症―寝たきり(免疫劣化)―嚥下障害あるいは感染症―肺炎あるいは老衰・・・といった確定的ともいえるパターンがありますがその大きなくくりである「認知症」が致命的であったということですね。

2023年の厚労省の統計では癌などの悪性新物質が24.3%

心疾患14.7%、老衰12.1%、脳血管疾患6.6%、肺炎4.8%

誤嚥性肺炎3.8%、アルツハイマー病1.6%、その他32.1%。

それらのうちやはり認知症が遠因となっている病がまたぞろ。それぞれの病の発現に関わっていそうです。

 

癌に虚血性心疾患、脳卒中などの「=死」とも思える病の救命率が高くなったことから「いよいよ」というカタチでその「認知症」が目立つようになったということかも。

健康寿命の伸びがそれほどのものでもない中、平均寿命が顕著に上がったということ、それは健康を損なってから、亡くなるまでの時間が長く(寝たきり)なっていることです。

 

そりゃマズイですよ。

寝たきり期間ばかりが延伸したとしても御長寿とは歓べませんからね。

また、高血圧と肥満、糖尿病が悪いとはいいますが、寝たきりになるにあたって肥満の人など見たことが無い。

 

画像は金沢城二の丸から戌亥櫓の石垣の図。

 

 

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2025年

3月

23日

河北門二の門 橋爪門 金沢城 言葉って恐ろしい

最近は失敗ばかりで、注意力も集中力も欠落。

前日からの体調不良をその理由にすることはできません。

私の反省についての聞き役は奥方ですがいつもの「バッカじゃねぇの?」「私なら眠れなくなる・・・」とその失言について大いに指摘されてしまいました。

 

言葉というものは一度吐いたら修正が利かない恐ろしいものです。

私が何気なく口に出した言葉はいわゆる、禁忌なる語かも知れませんし相手を傷つけたかも知れません。それを吐いた時は何の気なしというのも今考えるとバカ丸出し。

特にこちらで各々しかじかとは記せませんが・・・。

 

しかし体調不良のくせに口だけは回って余計なことまでおしゃべりする愚の骨頂。奥方は私の反省の弁を聞いて呆れ果てていました。

これは私が死しても治らない病気ですね。どれだけ他者を傷つけ時に追い詰めながらのうのうと生き恥をさらすのでしょう。

不思議ですが、それでもめげない図々しさよ。

 

昨日は忙しい一日でした。

昼過ぎに夕刻から焼津方面で通夜を承っている息子が立ち寄り、本堂お内陣の中型須弥壇を堂外への移動作業の手伝いをしてくれました。

まぁその来訪を待ちわびていたのでしたが。

襖や障子を外しての3人がかりの大仕事でしたが、無事に移動完了。

この冬の「温室育ち」の如くの私の筋力は果てしなく低下、先日ぶん回した刈り払い機の件もあって体中筋肉痛の嵐です。

それとも風邪によるもの?

 

午後からは史跡調査会の定例会。

あまりにも暖かい境内の陽だまりで、お茶をすすりながらの時間。そのうちの1人が「凄かった」とため息交じりの遅刻での登場。平田寺の特別拝観に寄ってきたそう。

史料館の長谷川氏が門前にて人を捌きながら「2時間待ち」を宣告されたと。それでも行列に並んできたとのこと。

私も日曜午後にでも・・・とは思ったもののそれを聞いて諦めた次第。そんな体力ナシ。

 

メディアの力はスゴイ。いたるところでその記事を拝見しました。

そのついでということで拙寺にもいつもの見知らぬ方々が流れて来られたよう。

できるだけお声をかけさせていただくことにしていますが、あるご夫婦は一泊で神奈川県の海老名からと。

私ども家族みんな神奈川うまれで~す。と会話に花が。

 

また浜松から来られた女性は地区の歴史教室のメンバーとのことで、拙寺の門を入ってスグの石碑、成瀬藤蔵の妻「禄」の標を見て「まさかこちらで成瀬藤蔵の名を見かけるとは・・・」と感動されていました。

藤蔵正義の妻と彼の末息子が入寺してその息子が拙寺三代目になりました・・・と紹介すると私と息子を並ばせて「15代と16代のツーショット」と撮影されていきました。

 

「見ず知らず」とは言ってもみんな歴史好き。話せば気が合うこと間違いなし。会話って楽しいが難しい。

 

さて、昨日の続き。二つの門と石垣をどうぞ。

復元修復そして地震。また修復・・・大変な事です。

文化財の維持は。

 

長谷川氏は平田寺のあとは西山寺へ向かったそう。

調査会の雑談で「かれは一体何時休んでるんだ?」の疑問が飛び交っていました。

相変わらず忙しすぎのようです。

これからもっと忙しくなるはずです。

 

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2025年

3月

22日

広大な平面 新復元菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓

「温かくなる」の甘言を信じ切って大いに油断。

朝から一応はドカジャン姿での外仕事を開始しました。

当初の境内南向きの陽光の下での作業は、その上着の不要を感じて脱ぎ捨てたのですが、それは油断もいいところでした。

ツナギ一枚となって風の強い場所での作業に移ったのが運の尽き。作業中「寒い!!」を感じていました・・・。

 

日頃その感覚こそ体への悪い変化の前兆ということを承知しているのですが、気温が高くなるなら・・・の、とんだ「大丈夫」の慢心がありました。

そして夕刻には喉に違和感発生です。

風邪の初期を思わす症状となり絶不調。間抜けもいいところ。

 

週末の法要、どうなることやら・・・息子は別件で仕事が入っていますからヘルプは不可能。

突如と訪れた感のある試練、悪化させずに、うまいことやりぬきたいですね。

葛根湯を飲んで休みます。

 

扨、その際の私は兼六園側からの金沢城登城(コロナ前)でしたが、実はその拙ブログで記した進路は搦手側からのコース。

昨日の図からさらに進めば広大な曲輪が現れます。

溜息の出るような広さと建造物の整然。

 

私は金沢城の遺構というか、それ以前の真宗門徒の本拠、尾山の昔、寺内町を想像したわけですが・・・。

この地のご門徒たちはここに現世の極楽浄土、阿弥陀世界を創造したことを。

④図右に内部展示所に上がる入ロが見えます。

 

 

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2025年

3月

21日

紺屋坂から石川橋 百閒堀を渡って石川門

昨日も真冬を思わす堂内。これが冬の最期のあがきでしょう。

10時からの法要直前の本堂の空気は6℃でした。

昼過ぎにかけて何度か堂内に入っていましたが、ストーブなしでそこに滞留することは申し訳なくも辛い。

 

私の不在時の電話や来客対応は奥方というのが常ですが、昨日はたくさんのお参りの中、多様な方たちの応対に苦慮したそう。

そのうち「本堂下の相良城の残材はどちら?」といった質問。

一瞬間その案内に外へ出なくてはならないことが・・・

そこで「早急に対応せよ」とのお達しを受けた次第。案内板を作れということです。

先般はお参りの檀家さんがそこに案内して解説もしてくれたそうですが有難いことです。

 

奥方様は最近になって殊に大変のよう。

法要準備に片付け、加えてゴミ袋の見回りに見ず知らずの方々の来訪と時に質問の嵐。

 

「私は観光案内所や観光課の職員ではないし京都あたりの有名な寺でもないけど・・・」。

 

扨、金沢城は百間堀に沿って歩くと紺屋坂があってその左手の石川橋を渡ります(俯瞰図はこちら)。

そして石川門にあたりますが、こちらは観光客が集中して画像は人の顔ばかり。アップはヤメにしときました。

 

 

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2025年

3月

20日

東ノ丸 三ノ丸東面の石垣 桜満開の金沢城

朝起きて一言「なんだこの寒さは・・・」。

関東はユキ景色。その図を観て再び「なんだこれは・・・」。

救いは週末には気温があがる予想、それを信じるだけ。

 

一昨日は大須賀からの御一行、昨日は近隣の皆さま方が(ともに20人程度)拙寺に来られましたが、堂内は冷気で体がこわばります。 

最近の私は気温低下または低気圧の通過によってことに頭痛と首回りの痺れが顕著になりました。以前からその傾向はありましたが。

奥方は「そろそろヤバい」と脳卒中系の発症(脳の血管の劣化)を指摘します。

やはりここは検査費が余計にかかることなどには目を瞑って人間ドックに脳ドックを項目に入れようと思うところ。それは殆ど決定でしょう。

詰まったり切れちゃったりすれば、その経費は時間の浪費含めて1000倍以上。

「何でもないよ~」と医師にその好判定を頂ければ安心というものが得られるわけで。

 

扨、坂口安吾の「桜の森の満開の下」の神秘的な感覚にはありませんが(近くに雑踏)、サクラと石垣のある情景はマッチします。

サクラが「いいね」と思うようになった年頃。

石垣のくくりではなく、「城址とサクラ」といえば何と言っても私は一乗谷を一押ししますがここ数年ご無沙汰している地元諏訪原城本丸址のヤマザクラの1本を今年は拝みに行こうなどと思いつきました。

いよいよこの一週間~10日が勝負ですね。

 

 

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2025年

3月

19日

蓮池堀の名は真宗時代の名残 尾山(金沢)城

天気は一応は「晴れ」の類になるのでしょうが、雲も多く、空気も低温ぎみで動きとしてはピリッとしない一日。

 

境内は朝からお参り多し。

水屋のゴミ袋は途中経過を幾度か「調整」チェックしておかないと無残なことになってしまいます。よって都度容量の限度を超えつつある袋の緒を締めに。

夕刻には市のゴミ袋は4袋にまでになりました。

あと一つ二つゴミ袋スタンドを作る必要があるのかも知れません。

なかなか新ルール(花ガラを小さく切って・・・のお願い)が浸透しないようで・・・奥方はピリピリしています。

 

お参りの多い中、私はテラス1階の物置兼工作場の整理に頭を混乱させていると、そこに見知らぬ男性が声をかけてきました。

お参りの方がそこまで顔を出してこられることはまずないことで少々驚かされましたが「お墓参りに来たがトイレはどこ?」でした。

 

奥方に大声、本堂と庫裏の間のトイレへの扉の鍵を開錠してもらってご案内。

すると靴を脱がずに庫裏に。慌ててそれはカンベンと指摘させていただきましたが、帰りにはドアはフルオープンで姿を消してしまうという不始末を。

不審に思って奥方に問い合わせると「あの人なら向いの墓地でお参りしていたよ」(道を隔てた向かいの墓地は拙寺管理の墓域には非ず)。

朝から慌ててのドタバタでしたがそもそも何から何まで拙寺ご門徒さんとはいえないような感じが漂っていました・・・まぁ檀家さんでなければトイレ使用不可とは言えませんが。

 

今回もその方が「消えた」あと、奥方がすかさずトイレチェックに向かっていましたが「最悪の件」だけは出現していませんでした。そういったことがあると奥方の仕事が100倍増しになりますからね。

 

これからは新会館併設のトイレに外部の方の使用が増えることは間違いなし。

私はトイレの案内などは敢えて掲示しないことにしますが、それについてはご門徒さんへ回覧等でお知らせすれば良いことです。

またそれについて聞かれたとすれば・・・案内するだけ。

そしてその利用時間は午前8時~午後7時頃とし、夜間は施錠することにします。

 

拙寺向かいの道は「道路」ではありませんが(~自治体非指定 「寺と墓地の間の通路」との見解―よってその「道」では建築確認がおりないことを以前記しました。これから確認をお願いするにあたって境内の西の石垣を外さなくてはなりません~)

それでいて避難路・通学路になっていますので子供たちの登下校時の通行があるのでした。

特に子供たちにとってそういった「閉鎖空間」が通学路に存在することはリスクに繋がります。

 

扨、こちらのお城の石垣は現状完全復活を期して工事が進行しているとのことです。

尾山金沢城の石垣は見事の一言ですがその蓮池堀の石垣にはやはり見とれてしまいます。

 

 

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2025年

3月

18日

物の価格 高いか安いか2 拙寺女性婦人部の納骨袋

風ビュービュー。

そんな中、午前はざっと掃き掃除と植木いじりを。

境内は動くと丁度良いといった感覚ですが、ストレートに風を受ける門前などには居られたものではありませんでした。

 

午後は数枚戴いた厚板をテーブルに加工してやろうかとその脚になる素材の検討にお店へ。

そちらでは昨日記したサイズのコンパネが1300円代で販売されていました。店によっていろいろあるものです。

まぁ5000円でできるとなればそれでもヨシとします。

 

肝心のテーブルの方は、木を加工するのか既存鉄製フレームを求めるのか・・・思案のしどころ。

材木なら90㎜×90㎜×4000㎜の杉の角材1本(700㎜を4本)で1500円弱の用意で済みますが鉄フレームは7000~9000円。。

奥方は「そんなもの何処に置くんだ? いらないねぇ~」と。

 

扨、昨日はについて記しましたが続けて骨壺の件。

アレもピンキリ、上を見たら呆気にとられるはず。

他人様の価値観にケチを付ける気はありませんが、豪奢な品は特にハナから「いらないねぇ~」です。

「〇〇焼きの逸品」陶器などの意味がわかりません。

 

というのはそもそも骨壺は四十九日の納骨までの簡易的遺骨容器だからです。当流はまずその際は、骨壺から遺骨を開放、累代「倶会一処」の墓にお納めますから。

その後の骨壺は御役御免となって廃棄物処分となるものですね。昨日の棺ほどにその利用期間が極めて短いわけではありませんが・・・

 

当流にも納骨室にスペースを多く取っている家は骨壺ごと納める例もありますがその選択は自由です。

ただしご開祖ほか当流の考えが「みんないっしよ、土に還り海に還る」ですので、一応はその旨はさらっとお伝えしています。

 

その陶製の壺に納めるデメリットを私の目で見てきたことからのあれこれを記します。

コレはもしかすると坊さんでも知らない事かもしれません。

最近のお寺さんは火葬場勤行は省略する傾向がありますからね。それは、それぞれの考え方もありますし、私の如く本葬をマイペースで進めることができる者にとってその準備と調整に時間を掛ける手間はありませんから。

 

①昨日も記しましたが、骨壺はその素材のせいもあって無駄に重

 たく当然に落とせば割れます。

②密閉状態に近いスペースに詰められた遺骨は火葬後の余熱が

 残り、季節によっては湿気を集め特に骨壺を納める容器など含

 めてカビが発生します。

③その湿気とカビ等によって骨壺の底部分周囲を主に遺骨が固

 着してしまいます

④ご納骨時そのこびりついた遺骨が納めきれずにそのまま回収

 に回ってしまいます(納骨漏れの遺骨はゴミに)。

 

また、骨壺のままご納骨するメリットとしてはいずれ墓を改葬移動するなどの予定があれば都合がいいものです。

しかしまず骨壺の中というものは結露によって水で溢れることが多く、遺骨は半年もすれば「溺れて」しまいます。

よって骨壺ごと納めた家は適宜水抜きと乾燥のために納骨室を適宜開けて作業が必要なのでした。

 

拙寺では納骨袋(木綿製巾着袋)なるグッズを檀家さん女性婦人部で用意していますが、その使用については葬儀後あるいは四十九日というタイミングになっています。

私はそれを歯がゆく思っていましたので、今後火葬場での収骨の際にその袋を葬儀社が用意してくれた骨壺でもいいのでそこにセットした後に遺骨を納めていただくよう伝えていくつもりです。

そうすれば、納骨の際、漏れなく遺骨を墓地に納めることができるはずで私のストレスは開放されるはずです。

何より陶器の処分もラクになります。それが無ければもっとラク。

綿製骨袋は経年によって朽ちて遺骨が土に触れ、土に還っていくことを想定しています。

 

昨日の棺同様、「My骨袋」を綿で裁縫していただいても可ですね。

尚、遺骨を納める容器について何らの規定もありません。

「My遺骨容器」を事前に木箱・段ボール等で用意しておくのも一手。

それが真なる終活かも知れません。

 

①はオーソドックスな提供される骨壺。

②は葬儀社によって違いますがこれもオーソドックスな骨壺の容器。段ボールで組み立て飾りの生地が貼られています。

そこも高価な物もありますね。

③は拙寺女性婦人部製作の骨袋大。1000円で販売しています。

中と小もあります。

 

時間ひっ迫の流れの中、その製作推奨も購入費の「1000円」についても私は口に出しにくいのでした。

 

 

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2025年

3月

17日

物の価格 高いか安いか 私の手作り棺 板代3150円

やっぱりアウトでしょうね。

法の抵触云々よりも発想がちっとばかりオカシイような・・・

以前、「ゴルフはダメて将棋はいいのか」の開き直りで庶民感情を逆なで、他にもいろいろありましたがその時は大いに「下衆ソーリ殿」を思いました。しかし今度の方にその手の匂いがありませんでした。

その分余計に10万円商品券お配り事案には驚かされてしまいました。

それも「ポケットマネーから」と。

今度も開き直りの弁付き、「もっと要領よく立ち回れないものか・・・」のやれやれ感が満載でした。

 

念願の職に就いてついつい「お調子にのってしまった」のでしょうね。

「勝って兜の緒~」とか「油断」について歴史の轍を認識し各、心に留め置くことがなかったのかな? 折角の職だったのに。

 

そもそもその事案の発覚は内輪内々のイベントのことでした。要は庶民の知らない世界、の同種の人々からのリークということでしょうが、タイミングもそうですが脇が甘すぎるとしか言いようなし。

そういったすべてが、庶民感覚との乖離から出てくるものでしょうね。

一般庶民がポケットマネーから10万円の大金を新人諸君に土産として配るなどの兄貴面はあり得ないことですから。

 

身内からも批判が相次いでいるようですが面白いのは「そんなことみんなやっている・・・」という弁護の声があったこと。

「それはそうだ」と合点はしますが、その弁護も我らの感覚とは超越していますね。「赤信号みんなで渡れば怖くない」のおバカフレーズを思いだします。

あの手の方々は「当選」の果実を得てどれだけ偉くなるのでしょうかね。

結論から言えば何方さまも「尻尾を出したらオシマイ」です。

そうあったら、責任を取る(逃げる ヤメる)ほかはナイということですね。

 

扨、その10万円というと私のイメージは棺の値段です。

その価格はピンキリで上を見たら溜息も漏れるほどですがその価格10とは「最低のもので・・・」と所望した場合限定のことです。

ちなみに当地の葬祭社のその最低金額はだいたい7~9万円というところですが周辺の平均値でいえばその「10」でよろしいかと。

 

慌ただしくヤルこと山積のその時の縁者施主、木棺ほかいろいろ選定しなくてはいけないわけで。

笑い話ですがそのカタログ中価格上位のものから紹介されるといいます。

べらぼうに豪奢なものとなれば100万円以上のものがありますがそれを見せつけられてまずは「それほどのものは結構」となります。

それでいて何故か最低の「10万円」までは行かないところで収まるそう。

人間の心理でしょうか。そもそも見栄坊なのでしょうかね。

 

私の父母たちの時もドサクサの中、進行おまかせ、私の意向など殆どナシの葬儀でしたがそれほど高価なものでは無かったような。

それはすべて終わったこととしてその件は無視して生きていますのでもう蒸し返しなし。

身内の葬儀の事など忘れ去りたいというところはどちら様も同様でしょう。

しかし無かったこととして生きたいとは思うものの「自分の死」については忘れてはいけないところです。

必ず来ますからね、その時が。

 

ということでまず私の棺を作ってみようとチャレンジしたのが画像の完成図。

素材は12㎜厚1820×910cmのコンパネを使用。

量販店のセール品で1枚1050円というのもお気楽でした。

それを3枚購入、店の旋盤でカットサービス(会員カード提示で無料)を依頼し持ち戻ってから組立てました。

1枚目を長さ1820幅455で天地それぞれ1枚ずつ、左右側面1枚ずつが2枚目、3枚目で頭と足の留板を自宅の工具でカットしました。

ネジ代少々、そして余裕をもってコンパネを4枚購入したとしても「5000円」にも満たない額。それなりのテクニックは必要ですが大したことなし。

尚、ネット上の桐製格安の棺で送料込み30000円程度です。

これまで何度かそれで本堂葬儀を執行しています。

「資金的に余裕がない」の早い時期の申し出があればこれからは棺代金5000円で承りましょうか。

それにはご逝去ののち病院等の手配にまかせるのではなく、「こちらで手配を」と動く事ですね。私はその協力を惜しみません(ブログ記述ではこちら)。

 

途中サイズ誤認、3枚目のカットサイズを間違って切断して組み立てたため蓋のサイズが寸足らずのご愛敬(④画像は裏ですが一

 目瞭然の凡ミスがわかります)。1820+12+12で計算すると・・・失敗。24mmオーバー。

それは適当に付けたして完成させました。

体格の大きい人用には1枚コンパネを追加すればいいのでは。

ただし身長が180㎝を超えるとなると苦しいかも。

まぁいろいろ作戦はありますが。

 

自作棺は私が納まるには十分なものでした。

「さすがにコンパネはイヤだなぁ~」との声を以前聞いたことがありますが、私的にはまったくこれでOKです。

数日入っただけで灰になる、ただの箱にそんなおカネを掛ける必要はなしと思いますが。

そして家族葬流行りで参列者がいないのにどなたに見栄を張る?

 

奥方が「移動中箱がバラバラになったら~」と指摘していました。

いくら何でも落としたりしない限りまず大丈夫でしょう。

まぁその素人製作品の耐久性についての指摘でしたが。

もう何年もその搬送を見てきましたが棺を落して遺体が顕わになるなどいう状況に出あったことがありません。

火葬場ご担当もそれは見たことが無いと。

あったことと言えば骨壺を落してバラしたシーンのみだそう

それも大変だ。

 

良かったことは仏間が杉の木の香りで充満したこと。

反面相当に邪魔であることは言うまでもなし。

「My棺」の工作教室開催など頭をよぎりましたがそこまでのことを皆さんは考えていらっしゃらないでしょうね。

「縁起でもない」と言うでしょう。

奥方は「ヤメろ」とも言いますし。

 

まぁ、造ったら造ったで何処に置く?

私は幅広ですがとりあえず「テーブル」ということで自身承認。

 

私用の品でしたが順番通りにいくとすれば叔母でしょうか。

とりあえずそこで様子を見させていただくことにしましょう。

次は寸法に気を使ってしっかりと。

 

 

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2025年

3月

16日

当地にケーブルテレビはナシ ロケ楽しみました

ちょい冬、に逆戻り。

朝からのどんより曇り空は「何時降り出しても・・・」の雰囲気。そして寒い。特に夜は寒風ビュービュー。

 

午前は世話人さんに大工さんと来客があったのち、ケーブルテレビのロケが。

相良を走りながら気が向いた場所に寄り道、アドリブ、アバウト緩~い番組とのこと。

「トコチャン」「亮と優の静岡をゆる~く走りませんか」という番組。私でさえ見知った顔がありました。

拙寺の直前は「陣太鼓最中」に寄ったようです。

 

 

当家はこれから奥方の母を迎えることになっていますが、今住まう地(神奈川県)ではケーブルテレビの契約をし、日々そのお世話になっています。

そこでこちらに引っ越すにあたって「ケーブルテレビの新規契約を行いたい」と相談を受けたことがありました。

浜岡在住時代の叔母(こちらは私の父の妹)が地元でそのサービスを受けていたため、可能かどうかその会社にお伺いに行ったことがありましたが、勿論不可能、牧之原市はその圏外なのでした。

 

よってその要求を満たすにあたって衛星放送の契約をすることになりますが、そのケーブルテレビの需要は結構にあるものだと思ったものでした。

放送局ごとに個別に契約して視聴するということをいいますが、契約によってスクランブルが解除されて視聴が初めて可能になります。

のべつまくなし放送垂れ流しの地上波とは違って当人限定の趣味、趣向に則した番組を指定できるというメリットがあるわけですね。

私も以前はWOWOWの他、時代劇専門チャンネルなどを視聴したことがありました。

 

そのケーブルテレビの企画番組のロケでしたので視聴に関しては少々ハードルが高いよう。

大抵のニュース系番組の取材はパターン化していて記憶から消え去ることも多く、そもそも時として失態醜態を晒していると思われることもあって、のちの視聴などむしろ忌避したいくらいになります。

まぁ何事も経験ですが。

しかし昨日のロケは短い時間ではありましたが楽しく立ち会わせていただきました。

できれば視聴してみたいと思っているほどです。

 

それには「Hulu」なるネット系のペイテレビと契約しなくてはならないようですね。

③は当日のゲストの方から頂いたステッカーです。歴史好きのメンバーが揃っているよう。

 

午後は法要がありました。

千葉・神戸・静岡市内からの皆さんのお参りでしたが、納骨がありましたので雨の降り始めが気になって冷や冷やでした。

のんびり歓談したいところでしたが、案の定ポツポツと来てしまいました。

まぁ何とか仕舞うことが出来てホッとさせらましたが。おかげさまです。

後はお気を付けて・・・

 

④は私の好みの「尾頭付き」。

冬季が終わるこの頃、店が閉まりますので数日前に買いだめしました。別に三尾ありましたが既にお腹の中です。

あとは冷凍庫に保存します。

 

 

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2025年

3月

15日

やっぱ石垣オンパレードは尾山 金沢城 鯉喉櫓台

昨日よりは晴れ間の時間が長めにありましたが今一つスカッとしない気分。朝起きてのウグイスの声には癒されますが。

午前は静波-菊川-鬼女と所要で走り回ってから午後は藤枝方面に。奥方の買い物下見の運転手でした。

 

会館1階のブラインドカーテンを検討するそうですが、私は車の運転席で居眠り。

車中はポカポカでこの時期は極快適なものです。

 

昨日聞いた睡眠中に亡くなった方の話。60代といいます。

「朝起きてこない」ことから家族が発見。

その件についてお話しされていた方は「健康そうで信じられない」とあまりにも急な変化に驚いていました。

 

あるのですよ、そういうことが。

本人であっても驚く暇がないくらい、むしろ第三者としては「安楽」の方を感じてしまいますが。

寝ながら死ぬって・・・です。

また、私の「死ぬるとき」・・・その時など分かりっこないですよ。

 

また昨日の石屋さんが。

後継者がまだ確定していないあるお寺の坊さんの話を。以前にも聞いたことがあるような・・・

資産を境内の施設に相当額投入したそうで突然亡くなってしまった件です。

僧籍の無いその方の兄弟が、相続しようと名乗り出て、僧籍を取得するまで代務寺院を手配していたそうですが、檀家さんから拒絶されて、結局本山が選定した新住職が入ったとのこと。

 

前住は私財を大きく投入したもののお寺の建造物・施設・物と化してしまっていたため、縁者は資産回収が不能。地団太を踏んだよう。

良き思いをしたのは配属された坊さんだったといいますが。

 

私には他宗のならいはよく知りませんが、当流では本山から手配してくるなどいうことは依頼でもしない限り無いことと思います。檀家さんからのリクエストもあるかも知れませんが結構に鷹揚です。

直営店の店長・・・ではあるまいし。

しかし要は私の「死ぬる時」を考えておかなくてはならないことは必定。それが本当の「飛ぶ(たつ)鳥あとを~」なのでしょう。

 

まぁ私の場合は奥方と息子が仕切りますから、そう心配することではありませんが。

今、奥方は、せめて大澤寺の歴史について息子のためにまとめておけとしきり。要は先代の纏めた冊子を更新しろとのこと。

 

扨、七尾城の石垣に感動させられたわけですがその近くで「石垣といったら」というか石垣の時代ごとオンパレード(「石垣の博物館」)といえば尾山城(金沢城)。

わざわざ著名な呼び名の方をカッコにしたのはそもそもこちらは真宗の尾山御坊(御山御坊)があった地で、元の地名は「尾山」ですからね。

 

そちらのお城は観光地化して人が多いのと、昨年の能登半島沖地震による崩壊箇所の修復で工事、立入り規制が多くあるでしょうね。

私は震災以降この地に立ち入っていませんが、昨夏に「復旧工事の完了には少なくとも15年程度必要」と報じられていましたのですべてが元に戻って耐震工事が完了の様を拝むことができるのはあと15年生きなくてはならないということ。

15年など「あっという間」ということくらいはわかっていますが、私の脳ミソと筋肉の細胞そして血管の朽ちる方が早いと見るのが妥当でしょう。

 

画像は鯉喉櫓台の看板。何度かこちらについて記していました(こちら  こちら)。

 

 

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2025年

3月

14日

七尾城 安寧寺から本丸へ 桜の馬場下

もう少しばかり晴れ間があって暑くなるのかと思いきや、雲多め陽のあたらない場所などは冷たく感じました。

まぁ、ぼちぼちということで。

来週は真冬の寒さが戻るとのことですが・・・

 

雨があがったということで石屋さんが私のバカバカしいミスから始まった尻ぬぐい、墓石の修繕作業に来られていました。

これで一応の安寧をいただいたわけですが申し訳なし。

「サービス」と代金不要と告げられましたたが、ヘマをやらかしたのは私ですからね。ただの反省だけでは済まないような。

 

石屋さんと小一時間ほどおしゃぺりしたあと、午後からはもう一つの私の宿題、叔母のいる藤枝の病院へ。毎度面会時間は14時以降です。

先週行った時は、受付後「(ベッドは搬送時と)同じ場所」との指示がありましたが昨日は指示なし。

ガラス張りのナースステーションのまっ隣でドアが開放された部屋です。

よって私はいつものように叔母のベッド脇へ。

 

そこに立つや「おい! 寝てないで起きろ! おい!」といつもの調子で声を掛けました。刺激が必要と心得ていますので。

耳が聞こえずらいということもあって、声は大きめです。

すると後に続いていた奥方が「叔母さんじゃあ、ない」との

指摘。はっと気づいて廊下に出ると慌てて数人のナースがやって来て「すみませ~ん こちらで~す」でした。

 

よく考えると齢は叔母と同じくらいの見ず知らずの男性だったのですが、私は奥方に「ヤケに頭が禿げ上がって髪が抜けるものなんだな、そしてそれほどまでに容貌が変わるとは・・・こんなになっちゃうのか・・・」でした。

勝手知ったるでズカズカ病室に入ってしまったわけですが、ナースステーションのスグ隣ということは緊急性があるということで、その方はたくさんの機械に繋がっていました。

 

本当にバカというかマヌケというか、またも奥方に白い目で見られてしまいました。

肝心の叔母の容態は安定し、翌日には点滴が外れるといいます。

「飯喰わないと死ぬぞ」と私が切り出すと、以前と同様「まだ早い!!」とまで。何とか反応してくれました。

そのフレーズは「100まで生きる」という叔母の以前からの常套句で奥方と爆笑した次第。今のところしぶとさを発揮しているようで。

 

奥方は「それにしても病室が変わったのならそれを伝えるのが受付の仕事だろ・・・」と私のそのバカバカしいミスをフォローしてくれていました。

持つべきものは良き妻ですね。おバカな住職の尻ぬぐいの主たる者は奥方でした。

石屋さんもこう言っていました。

坊さんがその奥方を邪険にしたとすれば「檀家に寺を追い出されるよ~」と。

 

扨、七尾城も折り返し、山は降りず山頂の駐車場に戻らなくてはなりません。

上杉謙信による攻城は支城の富木・熊木・穴水・正院などが陥落後七尾城単独籠城によって耐えていたのですが、若き城主の春王丸が死したことから(城郭大系では「流行性疾病」と)、家臣団の箍が緩んで瓦解しました。その疾病とは水源の汚染というのが通説になるでしょうね。

水は豊富だったはずです。

尾根下の谷間にはたくさんの流れ(東から鍛冶屋川・木落川・谷内川・大谷川)がありました。水だけでも籠城はある程度可能なのですが。

 

その安寧寺跡からの道すがら①、②の如く井戸跡らしき水場も見えます。

また、寺屋敷なるエリアも。

「寺」の名があるだけに何かの遺構など・・・と周辺散策するもただの原っぱの様。

やはり本丸に向かう桜馬場下の石垣はこの城の絶なる「妙」で見とれていました。

立ち去るにあたり、そうはお目にかかれない代物で名残り惜しさ倍増でした。

 

 

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2025年

3月

13日

七尾城 安寧寺跡の墓碑と石コロ

午前中の小雨を見ながら「この程度なら」と藤枝の病院に向かうことにしました。

昼過ぎてから相良で何やかやと買い物をしてからの出立。

すると微々たる雨がやたらと強い雨と変わりその日の藤枝行脚を中止にしました。

 

まとまった雨と言えばその雨水の流れと溜まり具合を周辺確認したかったわけでしたが、門を入ってスグ、毎度毎度水溜まりが発生する場所が案の定・・・

これは会館周囲にコンクリ敷設したこと以前の問題というところはあきらか。

そこで排水パイプの入ロを確認。

そのフタを外すと土が堆積し、そこに植物の根がみっしりと繁茂していました。

 

旧会館の排水パイプが同様に根の侵入によって詰まっていたために新たにパイプを設ける工事が追加されたたわけですが、おそらくこちらも根本的な修繕が必要になるかも。

以降、根の除去を模索しますが一番早いのはコンクリを剥がして排水パイプを取り外して今度は排水路+グレーチングの敷設がベストと考えます。

私がコツコツやるのか業者にまかせるか・・・問題ばかりで溜息がでますね。その行為がイケないこととはわかっていても。

ちなみに新設した東側のコンクリート面は僅かに東高西低にテーパーが付いていることと排水桝の設置により水はけは今のところ良好でした。

 

扨、七尾城は三の丸を出て安寧寺跡に向かいます。

そちらも礎石らしき石がゴロゴロとありましたので、以前は建物があったのでしょうね。石コロたちはここで何があったかを知っているのでは。

尾根上にあった戦没者の一部はこちらに集められたのでは?

勿論谷に蹴落とされた人々はそのままで。

 

 

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2025年

3月

12日

七尾城 三の丸も特に広大

噴霧状の雨一日。

午前はすこしの時間、陽差しがありましたが温かくなるとは言ってもまだまだ春は先。

油断などすれば風邪などカンタンに引っ張ってきそうです。

 

そして昨日記した石屋さんの件、連絡があって、例の修繕は雨のために中止にすると。コンプレッサーを電気で回しますから仕方なし。

これから天候不順が続くようで悶々とする日々が続きます。

 

午後からは某葬儀屋さんの登場。

この世界のいろいろ、私はその雑談タイムにて吸収しています。

お寺の評価その他、拙寺の事以外、何でも話してくれますから。

あまり耳にしたくないこともありますが結構に聞き入ってしまうことも。お寺もそれぞれ。

それらをオールラウンドに体感、仕切っているのですから、私の知らない「へェ~」・・・といった感動もあってその時間は有意義なものです。

毎度上から目線で彼らを言いなりに動かそうなど思っていれば・・・本音でのお話はできませんね。

 

扨、七尾城三の丸。

二ノ丸との間に大堀切の存在がその曲輪を隔てていますがこちらは東西25m×南北110mと城内では最大の削平地。

周囲には土塁で廻らされていた痕跡が・・・。

また各所に建物の礎石らしい石塊が散らばっているところを確認できます。

上杉襲来の際の籠城で多くの民を城内に迎え入れたといいますが、かつてのむせ返すような集団の焦燥と飢えの世界そして殺戮を想像したわけで。

 

 

 

 

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2025年

3月

11日

七尾城 二の丸と三の丸の間の大堀切

好天気、それだけは満足の一日。

ただし以降ずっと雨予報というのはいただけませんね。

まぁ気温が高めとのことでそこだけ聞けば「まぁいいか・・・」。

そして乾燥期だけに火災予防の観点から湿度の維持は肝心です。場合によっては「天の恵み」に変わりますからね。

 

昨日は来訪者たくさん。

そのうち、毎度の超ド級の間抜け振りを再現させたのが、石屋さんとの件。

その日は石工作業、故人の法名を墓石に刻みに来ていました。

数日前にそのデータの件問い合わせを受け、過去帳記載のあれこれをlineで送っていましたが。

その作業開始中に世話人さんやら市のふるさと納税事業代行業者の説明のために来られた方などあって頭の中はぐちゃぐちゃ。

 

サンドブラスト(彫刻)にかかる前の台紙の確認は・・・くらいの気持ちがあったのですが次々訪れる流れに従っていたものですからついそれを失念した感じ。

 

そして夕刻にメディアの取材があってたまたま本堂横を歩くとその墓標の文字に強烈な違和感が。

なんだこれは・・・と焦り狂って発信したlineを確認すると・・・私の入力ミスが判明したのでした。

 

言い訳を記します。

男性で「〇雄」さんはよく見られる名。

私がその文字を入力する際は「おす」と入力するわけですが、何故か「おす」はオスでも「推す」の「推」となっていて、おそらくわざわざと「す」を削除して体裁を整えていた模様。

ということでその方の名が「〇推」さんになっていました。

半狂乱的になって石屋さんに「ごめんなさ~い」の電話を。

その旨を伝えて修正を依頼しましたが石屋さんも唖然呆然でした。しかし何とか対応してくれるよう。

 

日々他人様に迷惑をかけて頭を下げ続けている私。

奥方の白い目でもって「ばっかじゃね?」・・・。

実はそのあとのメディアの対応についても・・・ますます「ばっかじゃね?」と。

 

私は既にくたばっている・・・?

しかし最近心がけていること。

「疲れた~」と溜息。それを口にしないように。

その語によて自分がネガティブご老体思考に洗脳されてしまいますからね。

 

扨、七尾城二の丸から先に進みます。

三の丸に向かいますがアップダウンが印象的。

何故なら二の丸と三の丸の間に大堀切の「用意」があるからですね。

こちらでもこの山城が一筋縄ではいかないことを再認識させられるでしょう。

 

 

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2025年

3月

10日

小堤山公園 午後の世話人会 改悔文を口ずさむ

冷たさは残ったものの、朝から好天に恵まれて、ここのところの懸案だった本堂正面障子の滑車の修繕を。

正面向かって右側の障子が最近ガッチリ固まって微動だにしないといったことが何度かありました。

午後からは世話人会がありましたので開閉がスンナリ行くようにそれを外してみると・・・

 

2つある滑車ともそれぞれ2カ所ある留め釘の1つづつが無くなり尚且つそれを支える木材が腐食していました。

当初長めのビスで対応すればと安易に考えていましたが、これまで何度もその手の再生を試みた形跡があり、もはやベースの木材にそれを打ち込む余裕はありませんでした。

本来ならば滑車が納まるスペースを新たに工作する必要がありましたが、それはなかなか難しい建具屋さん級の技仕事。

そして何より時間がありません。

よって、速乾性の木材の充填剤を滑車の回転部分に付かないよう注意しながらベース部分に塗布してビスを差し込みました。

レールも数カ所のビスが飛んでいましたのでそちらも修復。

 

そして装着。思い通りにスルスルっという具合に開け閉めができるようになりました。ただし当分は注意して見ていくことにします。

 

世話人会は通常より長めでした。

いつもなら正信偈一同拝読のあと「春の法要」についてのお願い、概略を皆さんに説明したあと質疑応答でおしまいという運びとなりますが、昨日は終了後、総代の掛け声で、ある提案がなされました。

お寺の新しい会館の運営についての話し合いを世話人会で了解を得たいということ。そして当事者である私と奥方は退場を促されました。

住職がそこにいれば「遠慮して自由な発言ができない」という配慮とのこと。

言いたいことを遠慮なく話し合うという時間を持つということは悪いことではありませんが、耳の痛い話などは私などいつものこと。慣れきっていますのでそこまでしなくてもいいかとは思いましたが、それは意見したい方への気遣い。

ますますの論議の進行があるならと、しばし庫裏に戻り居眠りを。

 

するとしばらくたって「世話人会にて合意が」なされたということで庫裏にお迎えがあり、その提案書面を拝見させていただいた次第。

檀家さんが会館設備用の資財購入資金を応分、担っていただけるというもので、お寺にとってはこの上ない仕合わせなこと。

これから椅子とテーブルについての工面に取り掛かろうとしたタイミングでしたから。

 

しかしながらこのご時世です、その負担について少々の不安もありました。その拠出が簡単ではないお宅もありましょう。

あくまでも「強制しない」とのことですが、お金という生活必須でかつ思い通りにいかない部分です。

皆さんとの関係をギクシャクさせたくないという気がかりもあって単純には喜んでいられません。

とにかくいよいよ檀家さんに頭があげられなくなったことは確かでまた大いなる責任が増えました。

 

お寺と檀家さんの関係というとその手の類、どちらでも良好維持の繊細なポイントなっているようです。

一般的に言って「おカネは大事」です。

仏教でそのこだわりは無用だとは言ってもね。坊さんはノー天気で色々好き放題言い放つ傾向があるようですから。

「生活」というものと天秤にかけるとなれば別次元です。

総代は「無理なら無理」を聞いて承っていくとのことです。

 

私は今、お西(本願寺)で何故かそのいろいろ揉めているらしい(詳細興味なし)蓮如さんが記されたといわれている「改悔文」(お西では「領解文」と呼びます)を口ずさんでいました。

短い文言で頭にこびりついていますので私は暗唱スラスラです。

 

改悔文

「もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて

一心に阿弥陀如来 われらが今度の一大事の後生

御たすけ候へと たのみまうして候ふ

たのむ一念のとき 往生一定御たすけ治定と存じ

このうへの称名は 御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ

この御ことわり 聴聞申しわけ候ふこと

御開山聖人御出世の御恩

次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩

ありがたく存じ候ふ

このうへは定めおかせらるる御掟

一期をかぎりまもりまうすべく候ふ 」

 

 

この文の件、特に赤字の部分は私の好み。

「タノミ タノム 御恩報謝 よろこび 御恩 御恩 有難」 そして「掟」の締め

 

画像は障子のセッティングを終え、安堵してから小堤山をぶらぶら。

本多家御一統の墓域前で、田沼田沼でうわっついている私の心をしばし反省。お詫びしました。

 

そして本当の春が来ますように。

 

 

 

 

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2025年

3月

09日

七尾城 遊佐氏ライバル温井氏屋敷跡から二ノ丸へ

昨日の法縁は午後からの開式でしたが、堂内お勤め終了時はその日一番の降りになっていました

墓園に向かうにあたり、奥方に「車に傘載ってた?」と確認したほど。

出立前は案外とやみつつありましたが現地の墓前に立った時、雨はすっかりあがっていて、まさに仕合わせ感充満、良き気分で帰宅した次第。

それから気温は低下、首都圏には再びの雪予想が出ていました。

その後は温かくなるといいますが・・・いい加減、低温はこのくらいでカンベンして欲しいものです。

施主とは雪道走行時のかつての難儀、危機的状況について談笑、お互い生きていて良かった・・・

 

ところで拙寺の「納骨バス遠足」について今年はパスすることにしました。

その事情の一番が叔母の様態の不安定さ。

現状は危機的状況は脱し、食物も喉を通るようになったようですが携帯電話への外線着信のたびにビクビクさせられるレベルです。

 

先般も榛原の施設から藤枝の病院までの救急搬送に呼び出されてのドタバタを記したわけでしたが、昨年も深夜に榛原病院に搬送され朝まで叔母に付き添ったことがありました。

 

施設や病院としては「ヤバそう(救急事案)になったら(家族を)呼ぶ」のは当然なことです。施術に対しての許諾書面が必要だからですね。叔母だけで何枚の書面を提出した事か・・・

いずれの場合も(胆石悶絶と脳梗塞 その前でしたら大腿骨骨折に手術それから転倒の数々)医師の見立ては「いつ再発するかわからない」との見立て。

たまたま私どもがノー天気にバスツアーなど向かっていたとすればその対応は不可能ですからね。

せめて安定した状態が維持できていないと・・・とはいえ90歳の叔母に何を望むというのでしょう。

 

そして第2の躊躇の件といえば勿論ツアー代金の高騰です。

本山の何かの召集でさえ「安宿を紹介する」くらいの文言を見ましたが、何から何まで・・・といった具合に以前の如くの価格など夢の如し。まったく「お気楽」とは程遠いほどに収まらなくなってしまいました。

大阪万博で「ラーメン一杯2000円」という浮世離れした金額には言葉が出ませんでしたが、やはり旅行会社のおまかせツアーとなれば全てがドンブリ勘定のバカ高。

 

人間我慢が大切(忍辱)とは言いますが、それも限界に近づいています。まぁ私は万博などの人混みは縁遠い場所ですし、大阪方面に行くとすればハカ・テラ・シロの私のテーマパークは山ほどありますからね。

 

いずれにしろ遠足再開は来年以降。

各高騰に拍車がかかれば尚見送ることになるでしょう。

拙寺のバス遠足に「クラブツーリズム」級のセレブツアーを企画してもムリ。

叔父は遠足の内容はそれに匹敵すると褒めてくれましたが・・・

 

しかし叔母の様態について何時呼び出しがあるか「わからない」とはいいますが、当流風にいえば、それはとんだお調子者の弁としか・・・

「手前はどうなんだ!!」ですね。

順番通りにいくと思ったら大間違いというところですが「その時」にならないと「わからない」というのがその錯覚のもと。

元気健勝順風の時はそんな否定的思考には至らず受け入れることは難しいものです。

その件を知る、そして限界があるからこそ今を・・・精一杯生きたい。私など毎度ダメ元、おまかせですがね。

 

扨、七尾城。この城は広大ということもありますが奥が深い。いや深すぎる・・・

私がざっと歩いたところ、掲示板に記されている曲輪などのみではホントの把握はムリでしょうね。

私などたったの1回の登城。それも車で・・・。

足で大手道を歩いたワケではありません。

 

また発掘調査も山全域にわたって行われているワケではありませんし、何せ調査には資金と人材が不可欠。

今の七尾城はまずは修復から・・・のレベルでしょうから、新たな何かに手を施すことは無理。

まだまだ未知なる遺構は山谷の中に埋もれているはずです。

そういった新発見が今後突然出てくるなど想像すると楽しみが広がります。

 

画像は昨日記した桜馬場曲輪から二の丸方面に向かって。

途中には遊佐氏のライバルともいえる実力者、温井氏の屋敷跡があります。温井氏は一向衆勢力との協調もあったといいますから個人的には親しみを憶えた名。

 

そして二ノ丸跡へ。

比較的他の城とは格段に広さというものを感じる二ノ丸。

雑木が遮りますがかつては本丸同様景色絶妙の地。

 

 

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2025年

3月

08日

がん罹患率2人に1人、死因1位 七尾城桜馬場曲輪

「高額療養費制度」の件、政府が発していた今年8月から引き上げについて見送りするそう。

その制度の改変で困窮する人といえばがん患者たちです。

病の治療には心身ともに大きな苦難が伴いますが、何より経済的な負担は絶大でしょう。

まぁその改変は「お金のない人は治療するな・・・」「死んでくれ・・・」を思わせましたからね。「病気になる奴が悪い・・・」などとはさすがに、それはナイでしょうが。

 

突然の見送りが昨日になって表明されたのでしたが、言い出しっぺはそれをやったら日本全国総スカンになるやも・・・ということが分からなかったのでしょうかね。

何といってもがん罹患率2人に1人、日本人の死因の第1位ですからね。最近は叔母の脳梗塞の姿を見て、その病の恐怖に震えていましたがその病はまたおそろしい。周辺でもその病と闘っている皆さんは少なくありませんからね。

議員さんたちが、がんにならないのが不思議なものです。

 

現状がんとは縁遠い健勝なるお金持ちの政治家さんたちにはそんな庶民の苦しみなどは分からないのかも知れません。

それは大いに納得します。

人は他人の苦しみ痛みというものをなかなか共有することができない生き物です。

その共有と何らかの手立てを思うことが仏教の慈悲の心。

 

今、アメリカ人の宗教意識の劣化について指摘された方がいましたが、まさにそれは全人類的課題でもあったのです。

キリスト教にも慈悲の教えはあったはずですからね。

統領殿が言っています。「アメリカ第一主義」と。

自国さえ良ければ他はどうあってもいい・・・などいう発想ですからね、他人の苦しみなどどうでもいいことなのでしょう。

世界全体がそうなれば精神の劣化はますます拡大していくわけで。

 

毎日毎日その人の顔とウソ山積のトークを視聴することはもはや飽き飽き。

テレビを消すかチャンネルを変えるだけですね。

 

扨、七尾城は昨日の本丸外桝形から少々、桜馬場なる曲輪になります。馬場ですから馬小屋と馬の鍛錬をするフィールドがあったのでしょう。

今は針葉樹に囲まれていますがかつては明るく見晴らしの良い春には桜色華やかな場所だったことでしょう。

 

 

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2025年

3月

07日

七尾城主郭から本丸外桝形

先日のおったまげた海外のニュースといえば・・・トランプのあれこれではありません。

ただそれの場合(アメリカンドリームとやら)は「盛者必衰」「栄枯盛衰」理論と人の思う夢そのものの儚さと虚しさの現実を心に留めてここ四年余の「忍辱」として片づけることにしています・・・。

それまで生きていられる人はその劇を傍観者として見届けられるということですね。

まぁ私の残りの命がトランプやプーチンよりも短かったとしたら・・・その時は・・・ただ笑うだけです。

 

私がそのおったまげたというニュースはミャンマー国境地帯で中国人を首謀とする詐欺集団のベース基地が摘発されたいうこと。そこに監禁されていた外国人の数が7000人以上というのには仰天させられました。その建築物たちも立派過ぎるほどで街区状の整然。

常軌を逸した犯罪組織の件でした。

いずれ映画化などされるのかも知れませんがその詳細たるや聞いた事もないような無茶苦茶な話でした。

 

既に離散逃亡あるいは死亡した人たちもいるそうですが総数はアフリカ系アジア系主に10000人にも達するとのことです。

そのシステム化した犯罪組織内は囚人の如く彼らを監禁し強制的に各国へ詐欺電話を掛けさせて「収益」をあげようと企図するものでした。

 

ノルマが果たせないと厳しい罰が加えられて死人も出たほどといいます。反抗すれば腎臓を摘出して売り払うという非人道。中国人の首謀者は「金持ちは腎臓を高値で買う」と言い放っていましたが、中国政府も摘発を急いでほしいものです。

そうしないと「国ぐるみ」だと後ろ指を指されるかもね。

 

監禁といっても彼らには役割分担があってまずは「役者」(掛子)となる人間を各国専門の売人に人集めをさせてタイ経由でそこに収監させるとのこと。

勿論、「夢のような稼げる仕事」があると誘うのですがそれは虚言の建前。その言葉に騙されて蜜に集まる蟻の如く集まるのです。騙される奴が悪いとはいっても悲惨すぎますからね。

要は昔で言う「人買い」のようなもので「1人(騙して)連れてくればいくら」の如くの成功報酬があるとのこと。

面白いと言っては気の毒ですが「日本人は高額」だと。

1人連れて来ると1000万円で引き取られるようです。

 

その1000万円の報酬は「いい仕事がタイであるから」と虚言を放って騙した者に支払われる成功報酬であって、その甘事に騙されて飛行機に乗った本人に支払われるのではありませんね。

毎日毎日詐欺電話を本国に掛けさせられてノルマ未達でブン殴られて、歯向かったら腎臓を取られて埋められる。

ちょっとした我欲と親たちへの反発裏切りの心が本当の地獄の門を開くのでした。

 

タイで保護された日本人の高校生が二人いましたね。

親と喧嘩したことが発端だったようなことも・・・

当初その売人(勿論日本人)はオンラインゲームなどから彼らとの交流端緒を開いたよう。

「テレグラム」というチャットアプリに誘導し、うまく言いくるめじっくり時間をかけて・・・

パスポートも親のサインを偽造するなど用意周到でしたね。

 

カネの為なら何でもヤルという双方の思惑が合致したということですが、片方は完全にカモにされるということがオチ。

その日本人の売人、コンタクター人買いをとにかく確保して正当なお裁きを受けさせることが肝心です。

そして少なくとも国は未成年者のパスポート取得に関してもっと厳密になる必要があります。

また親たちは子供を放任、信じすぎることはNG。それは逆に彼らのためになりませんね。

 

子供達が詐欺の片棒を担がされて馬車馬の如く鞭打たれて働かされることなど、信じられないでしょうが。

まぁ若き者たちは「テレグラムで」と仕事の件、誘われたら疑うべし。

まず自分というものを明らかにしたくない、秘密の交流を意味するものですから。

それに関われば犯罪者として一生日陰を歩くはめとなるかもね。

それも生きていればの話ですが。

 

画像は昨日の七尾城本丸から「本丸外桝形」へ辿ったところ。

 

 

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