摩崖仏が川沿いにあるのは 石が露出しているから

仏像泥棒ほか、他人さんのものをくすねて自分の所有物にしたり売り払ったり、また最近の流行りはオレオレ強盗などの無茶もエスカレートの傾向、やれやれです。

そういうことで私がこればっかりは仏像泥も絶対に「かっぱらい」はできないだろうと思うのが摩崖仏。当たり前か・・・

 

摩崖仏は自然石に掘った仏の肉彫り・レリーフのことですがさすがに、お持ち帰りはできない代物。

笠置山などにある巨大なものはハナからそのような暴挙は考えつかないでしょうが摩崖仏はごく小さめのものもありますのでもしかするとその石を削ってでも手に入れたいという輩もいるかも知れませんね。何が起こっても不思議がないという時代です。

なにせ摩崖仏は年代が平安時代かそれ以前のものもあって場合によっては製昨年まで彫られているものもありますからね。

まぁ趣味的な所有願望のみとなりますが・・・

 

ただしこればっかりは出所がわからないと無価値。またそもそもうまく切り取らなくてはなりませんからね。まぁ台無しにするでしょう。

要は自分自身が石工となって何もないところから掘り出した方が早いくらいです。

 

さて笠置から奈良柳生寄りの阿対の摩崖仏も奈良下狭川の摩崖仏も川の近くにありました。

よって摩崖仏にあう散策の地はまず川のせせらぎが耳に残る場所となります。

 

その理由は断崖は川が削って作り岩盤を侵食させて露出させるからですね。

石工というか修行者にとってそれが絶好のキャンパスとなるのです。

 

私が感ずるところ摩崖仏の仏は地蔵が6阿弥陀が3他の仏が1のようなところですが、やはり私の「ほっこり感」は阿弥陀さん。

どちらの仏にも南無阿弥陀仏の称名というのは同じですが、やはりそれは阿弥陀さんが一番しっくりきますからね。

 

北阪原公民館裏の石塔(場所はこちら)に目が留まってから私が車を停めたのがこの阿弥陀仏との出会い。地図には「北出磨崖仏」なる名称が記されていました。

 

公民館裏の石塔はひょっとすると当初は立派な層塔だったのかも。石塔の笠の大中小をただ重ねたものでしょうが、バラバラになって出てきたら「集会所ウラにでも置いてけ」になってしまうのかも知れません。

ニヤリとしながら車に戻る手前、川の対岸を見て思わず声をあげてしまいました。

 

まるで声なき声に呼び止められた思いがしましたが、水のせせらぎの音がまた「顔を洗え 心も忘れるな」とも。