高月院の松と松平東照宮前の見初め井戸 訴訟話2題

日頃檀家さんから各問題の提起を受け、お話を聞かせていただくという立場にある職種にある私。

傍から見れば「首を突っ込む」が如くの私的な問題であっても最善を尽くすようアドバイス・・・になるかはわかりませんが、一応の私なりの意見をさせていただいています。

 

基本スタンスは「阿弥陀さんにおまかせ」ではありますが、「命ある限り一所懸命」というのは私どもに課せられた当然の生き方。

突き付けられたテーマに関しては淡々とできる限りの対処をしていくべきことが第一となります。

 

そこで私が聞いているお話の中「ややこしい」問題2件について記します。

二つとも裁判沙汰に発展しそうな事案で要は民事訴訟に発展しそうな件。

それは「おカネ」での解決を目途とするものですね。

世の中、権利関係が複雑になった・・・とはいいますが、この2つはともに実にシンプル。かといって難題。

 

どちらも女性の権利をどう保全するかというもので(当然に2件とも女性からの相談です)、一つが離婚と財産分与。

そしてもう一つが夫逝去後の遺産分割。

 

どちらも相当複雑に絡み合っていて前者は(相手は弁護士を雇っている)調停の不満から民事に移行して本人裁判が維持できるかどうかの段階。もう一つが弁護士を既に雇ってはいるが、どの段階で訴えを起こすかというもの。できるだけ相手が行動(おカネに手を付ける、移動する)に移すのを待つというワケです。

悪い表現ですが後者の場合、「お相手はお年頃(80代)だから我慢一筋。こっちが長生きして頑張る・・・」と。

 

家庭の財産についてとかくどうこうと知りたくもありませんし、それらの主張を鵜呑みにすることはできませんが基本、①の場合は本人裁判にするならば支援は惜しまないので勝てると思うなら「(後悔しないよう)やるだけやれば・・・」ということを伝えています。その場合書面の作成をコーチ、相手の不合理を指摘して書面で戦うことになりますので詳らかに財産内容を把握する必要がありますね。

 

そしてまた本人裁判は口頭弁論の準備書面を送付したあと呼び出し日に必ず出廷しなければなりません(10か月程度)。

それがなかなか厳しいというのが実情ですね。

本人裁判のメリットは素人風を吹かせられるということ。

プロの弁護士同士に裁判官の3者で事が進んだ「和解勧告」ではしばしば納得がいかない場合もあるもの。

本人が参加してより良い和解勧告を勝ち取る、それに尽きます。

 

後者の場合は本人以外の他の相続権者との問題ですが、一般の家庭とは異なる権利関係の極度に複雑な法人を含めた家で一筋縄ではいかない問題です。

 

しかし相手が雇った弁護士や調停員も「(女性の)法の無知」を利して恫喝に近い和解と争いの終了の道筋を建てることは共通しています。

後者の場合はある程度の社会的地位を利用して「私には弁護士や司法書士の友人はたくさんいる」とまったく無根拠で非論理的な説法を持ち出すとのこと。「いいから黙れ」の暴言ですね。

 

いずれにせよ、冷静に相手の言い分をしっかり聞いて、感情的にならずできるだけ口頭では反論しないこと。

できれば相手を怒らせてボロを引き出せられれば尚可ですが。

主張は書面、できれば証拠が残るような内容証明で送り付けるのがよろしいかと。

後者は電話でガンガン怒鳴られて精神的に不安定になるとのことでしたので。

 

相続の問題は「お前も、私も・・・死ぬ」身なのですからホントのところはシッカリと事前に話し合い含め、遺書などの書面を公証役場で作成しておくとか・・・絶対に必要な事ですね。その辺りの始末をしてこその「死に際」です。

 

画像は高月院境内の松。

「二葉松」でも記しましたが松平だけに「松」は基本ですね。

そして松平郷東照宮前にある見初め井戸。

水も基本。

今年の三河の水の件は大災難。特に農家で「今年の収穫はあきらめた」という声もありました。