松平郷スタートの標は松生島

前日から雨予想。

どうにもならないあの「無常」(昨日)の件、頭から離れませんでしたが私はやるべきことを淡々と。

何時降り出しても不思議のない空で、法事が開催されるご自宅に到着する寸前にぽつぽつと。

これは原の墓参りは苦しいか・・・と思っていれば法要後はすっかりやんで余裕の墓参りができました。

墓参り終了後に再びぽつぽつと降り出し、ああ助かった~。

原や須々木、池新田地区は秋の祭典期間でそこここと交通規制があって迂回を余儀なくされましたが、原の道路規制で私の車を誘導してくれたのは拙寺のご門徒さんでした。

山車と通行車両の誘導で私に気づくことはありませんでしたが雨の中ごくろうさまと声を掛けたかったところ。

 

扨、豊田松平インターチェンジから巴川に架かる松平橋を渡ると以前は右に川沿いに右折して松平郷に向かったのですが、バイパスが完成していますので今はそのまま直進でOK

 

その当時は橋を渡ればT字路だったわけで右折して巴川を右手に進み「九久平(くぎゅうだいら)町簗場」のT字路を左折して向かっていました。

そのT字路を左折せずに右手を見れば松生島(場所はこちら)。

「簗場」の小字名からしてこの水域で鮎の漁場であったことがわかります。水運のターミナル的場所でありこの辺りから松平郷や、さらに松平橋から上に向かっては舟を捨て人馬が往来したわけで(酒呑城)。

 

鮎と言えば「おとり」。

私が育った小田原の早川付近(今川氏真の奥方の通称が早川殿でした)にはその「おとり」の看板を各所で見かけましたが、初めて見る人からすればチンプンカンプンでしょうね。

清流に棲む鮎は高貴な魚であると理解していますが、その性質は少しばかり短慮で残念。

「おとり」とは彼らの縄張り主張、他者排除の性質を利する人の計略。

生きた鮎を購入、それを針に括り、かつそれに針を付けて流すというもの。餌や疑似餌で釣ろうというのではありませんね。

縄張りを主張し侵入者を追い払わんといきりたって追い回した挙句に引っ掛けられ釣り上げられるという哀れ。

怒りを表すと他者の利となることは人間世界でも同じですがね。

ここの簗場とはその手の手法と違って一網打尽を狙うものです。まぁ人間というものの効率を求め飽くなき強欲に走る性質に敵う者はありません。それでも供養碑の建碑は立ち止まって反省する気持ちが。

 

このT字路に松平のスタートの地を表す標がありました。