松平東照宮の無量寿経の件 何事も「念には念を」 

矢作川の堰(豊田の明治用水)に大規模漏水が発生して下流域、工業用水と西三河の農業用水に影響が出ているというニュースがありました。

今時、我が国で水が枯渇することなど想像もできないことでした。海外では気温の上昇傾向、特に今年はラニーニャ現象による影響とやらで「少雨」になり異常な乾燥状態が続くという自然災害については聞こえてきますが、今回の「漏水」は人工物の経年劣化を思うところ。

 

流水の地下のことですからカンタンな対応はできないことですし日常のメンテナンスでは「手が届かない」ことはわかりますがこの件、対応が長引いたりすれば「どうするんだよ・・・」と素人の考え。

 

田に水が引き込むことかできないので田植えができないと農家の方が嘆いていました。

井戸水等水源の手当てのできる人は稀でしょうからね。

 

水というものは普段何気なく時として「無駄」(湯水のごとく)とも思えるほどタップリと使用させていただいていますが、イザそれが「一滴も出ない」などとなれば大慌てになることは必定のこと。

拙寺の井戸について旧来からの手動ポンプをメンテしつつ「時々」思い立った時に使用していましたが、今はまったく不能となってただのガラクタとなり果てています。

ピストンを新調してまもなく、革製パッキンが乾燥によって劣化、その後もピストン周囲に対策を施しましたがダメ。

諦めました。

 

それは「時々使用」という頻度の少なさが問題。どうしても「近くの蛇口をひねるだけ」に頼り切ってしまうということですが今はポンプそのものを交換しようと考えています。

今回の「水が無くて困る」は他人事ではありませんからね。

大井川上流の例のトンネル工事で「水」が消えてしまったら頼ることができるのは井戸ですからね。

それこそ「念には念」。ポンプの新調は一大事です。

 

さて、松平家始祖松平親氏の松平郷にも当たり前の如く東照宮があります。

ニュースの矢作川の明治用水からもさほど遠くない場所松平町。場所はこちらです。

 

ただしその名称は「神君家康」以降のものですから当初からのものでない「後付け」であることは推測できますね。

当初はやはり松平家の屋敷内の八幡だったとのこと。

そして当時は親氏自身「神になる」など考えもしなかったことでしょう。親氏が家康の東照宮に合祀されたのは昭和40年といいます。

 

本殿をさらっと拝見させていただいて、他の神社では見かけることはない文言が。

さすが時宗の僧「徳阿弥」=太郎左衛門親氏を祀る神社ならではを思いました。 

 

天下和順 てんげわじゅん 

日月清明 にちがっしょうみょう 

風雨以時 ふうういじ 

災厲不起 さいれい󠄂ふき

 

④画像は以下

国豊民安 こくぶみんなん 

兵戈無用 ひょうがむゆう 

崇徳興仁 しゅうとくこうにん 

務修礼譲 むしゅらいじょう

 

上記は浄土教系宗派の根本聖典である無量寿経から。

特にこちらは浄土宗では馴染みの深い伽陀(偈)として読誦される様です。

この中で特に今そうあるべきかつ馴染みのある「兵戈無用」についてはこちらも。

 

最後の風景は「松平橋」付近の図。

数年前のものになりますので今は違っています。

工事は完成し案内標識は撤去されているようです(直進して足助方面に)。

松平の地と足助(成瀬氏発祥)は「案外近い」とその松平と成瀬の関係について「古い付き合い」があったことを思います。

もし対立していたとしたら・・・なども。

 

また「念には念を」の注意喚起の標語に「ハッと」させられるところ。

私はそれを見てまた「念仏には念仏、称名には称名・・・」も。