座っている阿弥陀さんは海から 野洲錦織寺 

夜のニュースで先日の台風後の断水に見舞われた清水区の赤ちゃんのための「もく浴場」提供ボランティアについて報じられていました。

勿論、近隣の「水が出る関連施設」が集まっての好意が結実したものですが、やはりその産まれてまもなくの子供を持つ親としてはその「水がない」という現実は、すこぶる厄介な事案だったのでしょうね。

 

利用者の方は「ネット場でそれを見て即問い合わせ、利用させてもらったが、すくわれた思い」がしたと。考えてみれば赤ん坊を連れてごった煮状態の銭湯に行くことなど無理でしょうからね。

それに関わった経験の少ない私などその件聞いて、「知らないのは私だけ」をいつものように思ったのでした。

 

昨日お聞きした方の話。

やはり清水在住の方で、台風通過後に洗車をしていると、徐々に水圧が落ちてきて、「これはヤバいな・・・」と思っていると「断水になるよ」と周囲から声がかかって、慌てて家に入って貯水を試みるもその後スグに水は止まって万事休すだったと。

飲料水は手に入るものの、生活用水には困り果てたとの体験談。

食事も皿が洗えないのでラップを活用したそうですが、それに慣れると「洗わないで済む」ズボラを覚えた・・・など。

まぁそれは冗談にしろ、何しろ風呂が困ったと。

 

コレはその日の法話で「幸せ・・・仕合わせ」とは、我が家に帰宅して「ザブンと風呂に入ってフーと一息ついたとき」の如く「ちょっとしたところ」にあって「大層な夢や絵空事の如くではナイ」「幸福を吹聴する連中は詐欺師かインチキ」と話したことからのお風呂ネタだったかと。

 

その方は焼津と静岡の兄弟姉妹の風呂を頼って急場をしのいだそうですが、「私だったらどうする」と考えてみます。

やはり私どもには身近なところに行く場所が無いので井戸水をバケツに紐ですくい、それをドラム缶の火で温めるなどして対応するのでしょうね。

ただし真冬でしたらまさに「湯水の行水」の如くのやせ我慢大会。災害時の風呂屋は人々で集中することが想像できますし。

災害時の対応力・・・まだまだの感あります。

 

夜はNHK「戊辰戦争~」プロイセン、ビスマルクの暗躍。

北海道植民地計画の存在には仰天でした。

河合継之助のガトリング砲ほかの装備がアメリカ南北戦争以後の余りもの等を武器商人たちがこぞって日本国内に持ち込んだということも、面白すぎ。

歴史は生きていますね。

 

さて、昨日の錦織寺。

ここにも阿弥陀如来が網にかかって引き上げられる伝承の例が見られました。

私がそれを「伝承」とすることにカチンとくる方もいらっしゃるかと思いますがそう簡単に海(拙寺の海の如来)や湖(琵琶湖浮御堂)から阿弥陀如来が出てくるワケがないというのが常識的な線ですからね。

まぁ伝承として「まぁいいじゃないか」と受け入れるというのがその流れ。

 

それよりも驚いたのがその阿弥陀さんが坐像というところ。

私の頭の中では当流の阿弥陀さんは「立っているもの」というのが当たり前でした。続けて違いというものはいろいろあるものです。

 

まぁ「絵解き」の図の紹介がありますのでそちらをどうぞ。

それにしても聖人の足跡の簡略図絵ですが、位置がアバウトすぎ。富士川渡河の話は絶妙ですが・・・

⑪⑫図は昨日記した「平原」を思わす図。