時宗「隅切角に三」の主張 遊行寺荘厳 乃至十念

朝から久々大雨。

オオタニサンのブラボーはお預け。敗戦投手か?と思えばチームの奇跡的逆転があって気分はまぁまぁ・・・悪天候は仕方なし。

 

寄りによって横浜から息子が免許の更新のために帰っていますが警察署ではなく静岡の免許センターまで行っていました。

ちょうど昨日が彼の誕生日ということで、それでは飯くらい・・・ということで夕飯を食べに行きました。

彼に希望を聞けば「焼肉」といいますので、先日の人間ドックでアドバイスされて「肉は控えめに」の言葉が脳裏に浮かびましたが「たまにはいいだろう」などと勝手に承認して同行しました。

焼肉店の感染リスクは数ある飲食店の中で「低い」と聞いたことがあります。

それは換気がしっかりしていることと今時の焼肉テーブルには排煙機能がありますからね。

コロナ禍における「焼肉店」(藤枝)でしたが夕時頃といえば以前なら相当の混雑が見えていたものの昨晩は18時入店で私どものみという閑散さ。

「これじゃあ潰れるかもね・・・」とこそこそ話していました。

 

ちなみにこの梅雨時にまともに布団を干せず掃除ができなかったことなど、もろもろの理由あって2泊3日の宿を外に取らせました。

本当の理由は首都圏からやってきた者を家中やすやすと入れるワケにはいかないというところか・・・。前日には渋谷で葬儀というくらい首都圏でずっぼりですからね。

 

しかし「奥の墓道」氏のママチャリの前かごに嵌まり込んで彼の家まで行ったことの記憶も新しい、その息子の今度の齢をlineで送れば感慨深く「もうそんなか・・・」と。

私は「次は私どもがトコロテン」と返信すると、当月以降私と「墓道」氏も齢を重ねるためノー天気にも「今度はヘルシーなトコロテンパーティでもやるのか」と。

私のその食べ物の意味は「押し出される」・・・要は「お浄土に」向かうことを行ったのですがね。

1つ齢を重ねればそれだけ「その時」が近づくというところ。

 

さて、まず「時」といえば浄土系では「六時」・・・六時礼讃のこと。拙ブログでも何度か善導さんの往生礼讃から記していますが遊行寺はじめとするいわゆる「時宗」の「時」文字もその意を一言で記したものです。

最近当家文書を引っ張り出して「一向宗の混同」について記していますがそのごちゃ混ぜの他宗派の代表といえば番場蓮華寺の一向さんや清浄光寺(遊行寺)の一遍さんという流れ。

 

どちらにしろ善導の往生礼讃は当流でも御開祖が相当なる影響を受けておられることは必定。

いつも記しますが正信偈の後段の冒頭、「善導独明仏正意」からもわかります。

ただ御開祖からすればその念仏が「行」となってはいまいか・・・というところがネックだったのでしょうね。

勿論一声の念仏に「信」が伴うことがあるべき姿です。

とはいえ私はどうしても10回「南無阿弥陀仏」を口ずさまないと気が済まないのですが(・・・「乃至十念」)。

いずれにしろ一とか十の「数にこだわらない」ということですね。

 

画像は久しぶりに清浄光寺(遊行寺)。

急に鎌倉にブログが飛んでから頭から消えていました。