六時礼讃の本拠地 獅子谷法然院 京都鹿ヶ谷

1972年に「哲学の道」といわれるようになった疎水に沿った散策路は京都観光には人気の場所です。

車で行けばグルっと廻ったら駐車場まで帰らなければなりませんので「往復」の行脚となって、帰りの事まで考えると「のんびり集中して」という感じにはなりません。

 

画像は夏の小雨交じり、雨具なしでぶらついた際の法然院。

東山鹿ケ谷という地名らしく、鬱蒼とした樹木の中に佇んでいるという感じでしょうか。正式名称は「善気山(ぜんきさん)萬無教寺(ばんぶきょうじ)」。ややこしいので「法然院」。

 

住蓮山安楽寺からしばらく歩けばこちらに着きますが、六時礼讃から始まった歌謡ショー的勤行に老若男女が集ったのは此方だったでしょうか。

「如意ヶ嶽の草庵」ともありますが山の上では人は簡単に呼びこむことはできません。この山は粟田口にかけて広がるいわば「東山」、大文字山ですが、その麓のこの辺りにあったことは間違いないでしょう(場所はここ)。

ちなみにこの峠道が大津の園城寺長等山に通じます。

 

法然さんはあの法難で讃岐国へ流罪になってからはこの寺はずっと荒廃したままになりました。今は同じ浄土系でも知恩院からは離れていますが再興の芽は江戸期になって起こり知恩院の支援があり継承され、「圓光大師御旧跡」の号をに東山天皇(1697)により贈られ旧跡としてのお墨付きを得ています。画像①。

②は同じ浄土系でも真宗には無い結界石「不許葷辛酒肉、山門に入るを許さず」が山門前に立っていました。

蛇足ですが当山の寺楽市では境内で酒を出して、酔っ払い各位出してますし、ネギなども販売しています。

 

我が宗旨には「そんなの関係ない」ですから、違いは現われるものです。門は珍しい茅葺の山門で、一瞬お寺かどうか見紛うほど。良き雰囲気です。山門を潜って振り返った図は④。白砂壇(びゃくさだん)といわれる砂の造形は「水」をイメージしているそうです。到底水には見えませんが。

 

やはりお気に入りというか「へぇ」と思ったのは阿育王(アショーカ王)の塔がお迎えしてくれたことです。

礎石に「江州阿育王塔」と記されていますのでスグにわかりました。「石塔寺」にある阿育王塔のコピーですね⑥⑦。

⑤は境内にある宝塔。