伝四ノ宮右近居城 対高天神陣城 袋井岡崎城

袋井では今、袋井市歴史文化館にて「袋井と軽便鉄道」と題して

展示会を行っています。

 

こちらではかつて催された地震関係の展示会に拙寺所有の「地震記1」(2と襖絵由来とも左側ナビゲーションに)を展示させていただきました。

昨日記しました軽便の新岡崎駅跡からもごく近くになります。郷土資料館が併設されていますがこちらに通常史料展示があります(場所はこちら)。

期間は9月20日(水)~11月12日(日)。

基本土日は閉館日ですが開館日もあります。詳細は案内を。

 

さて、袋井岡崎の地にはやはり岡崎城があります。紛らわしいですね。

こちらはざっと馬伏塚城と横須賀城の中間地点にあたります。高天神城と同様の小笠山山塊の舌状台地の南西側の先端に位置していますが、その名「岡崎」は丘の先端を意味しているのでしょう。

 

しっかりと城郭大系にも記されていますが、詳細に関しては不明の城。国人領主の館と解するには少々規模が大きすぎるという点から高天神城攻めに際して浜松の橋頭保としてあった馬伏塚城のさらに一歩進んだこの地にかつてあった「何か」を造改築したというのが考えられるところ。

さらに進行して高天神との距離を縮めて横須賀城(こちらこちら)設けたことからおそらくこの城の使命は終わったかと。

横須賀城は海運の基地たる機能もありましたので岡崎はお役御免ということで。

 

①は袋井市史料。

②~城址は茶畑の東郭と竹藪の西郭。

郭を隔てる通路の先に北八雲神社の社殿が建っています。⑦は西郭の木戸口か。堀の向こうに土塁らしき盛り土のカタチがうかがえます。

竹藪の中も少々見渡しましたが早々に退散いたしました。この城址は既にup済と思っていましたが、記憶が定かでなく、最近になって何処を見渡してもないことに気づいて記した次第です。

最近、かなり忘れっぽくなってしまいました。

 

上の図は岡崎城と横須賀城、高天神城の位置関係。

横須賀城に本拠を移した家康は地図右下に見える大浜公園の位置にある三井山砦(こちらこちらも)を奪取し、高天神六砦の一つとします。