岡崎に笠原の地名 袋井にて出会う 軽便駅跡

トランプさん、また一つ追い込まれたよう。

対外的にではなくアメリカ国内のお話です。

日本でも散々と他者の失策、非道徳を罵しり倒しておきながらご自身の事はといえば「棚の上」という様相を見聞きしていますが、その棚の上の何かが世間様に露呈したら結構恥ずかしいものがありますね。まぁ詭弁を並べ立てて保身を求めるというのもそもそもの人の性質(タチ)ですから、みんな「自分大好き」は基本なのです。

 

大統領周囲でそのあぶり出された内容は・・・

大統領の側近たちのうち少なくとも6人が私用のメールアドレスを公務に使っていたということです。

それって大統領選の際にトランプさんがお相手候補のクリントンさんの「私用メールの件」をしきりに問題視していましたから。結局同じ・・・いやもっとタチが悪いのかも。

 

政治と宗教の道にある者はやはり古来よりその「身を捨ててこそ」(・・・献身的・・・)の道がベストなのですがその自身名誉は当たり前、お調子に乗ってお友達への分け前なども想うところなどあるのは世の常ですからね。

蕎麦屋の出前ではあるまいし「もり」だ「かけ」だの見苦しい態様となるのでしょう。

 

ということで坊主としての資質としてまったくもって暗愚で人様から見て「不可解」の語に尽きるであろう私がとやかく他者を(思い付きだけで)中傷できる身ではないということは承知していますが、その辺りの件、ただただ御寛大にしてお許しいただきたく思うばかりです。

しかし私の違和感というものは今の永田町は政治屋さんオンリーの躰。何度か記していますが「屋」が付くということはそれを「生業」としている感を醸し出す人たちばかりということです。人の為、国民の為とは口ばかりなのです。

自分を犠牲にして(捨てて)「幼稚園の喧嘩」を仲裁してみろと言いたいですね。国難?なんのこっちゃあ・・・です。

おべっかと大風呂敷と自己自慢と自己陶酔の政治には辟易とします。

 

ちなみに真宗宗旨に「悪人正機」がありますね。

その本意からは少々逸れますが、そもそも「そんなもの(その程度)の私」なのだから「人様のことをどうこういえない」というところ・・・が想うところ。そして「人様を裁く」こともそのスジからのっとって「おかしい・・・のでは」というところからの発想が当流の死刑廃止論です。

今の死刑に関しては国による被害者の「仕返し代行業」の感がありますが、先進国の一員としても修正必要なところでしょう。

 

さて、画像は袋井の「岡崎」なる地名。

ただ私の感覚ではオカザキといえば愛知県岡崎市か京都の岡崎別院の岡崎しかありませんでしたからあの岡崎を目にした時は新鮮でした。

 

当相良から向かうには抜刀会の会場となる某屋敷や馬伏塚城(こちらも)に了教寺の途中でお目にかかることができます(場所はこちら)。

また今一つこの地方の地名ですが「笠原」がありますが、中遠のこの笠原姓の発祥は「こちらかな・・・」と思うところがあります。ただし拙寺檀家さんの静波笠原家(他多数)については三河門徒あるいは近江門徒と伝わりますのでこちらとは関りが薄いかと。

 

軽便についてはブログでも何度か記していますが、「駿遠線」の駿河と遠州を結ぶ軽便の袋井方の部分です。

私は藤枝―相良間については乗車経験がありますが、さすがに袋井までは出たことがありませんでした。それでも駿遠線といえばかなりの昔の思い出が蘇ってきます。