昨日は私も息子も11時からの法縁。
私は無碍館での葬儀でエアコンギンギンの快適。ただし長丁場ということ、エアコンの無い車で火葬場2往復と会場のエアコン無しは痺れましたね。
車のエアコン修理の件、部材は発注済ですが、未だその作業の連絡は無し。そんな状況が何時まで続くやら。
そして夕刻となれば境内植栽の水遣りノルマがあります。
静波墓園に春先に植えた1本も気がかり。
蚊の襲来の中くさくさしてくるのですが腹が立つのは関東地方の雷雨豪雨のこと。
当地にはまったくそれがありませんからね。
そして昨日は静岡まで夕立があったといいますが少しはその恩恵を分けていただきたいものです。
扨、先月末に私が「何もわかっちゃいない」と日頃そのありかたに疑問を抱いている「名付けに使える人名用漢字」に1字追加されたというニュースがありました。これまで人名漢字として863字が認められていたところ864字になったというもの。
その文字が「勒」。
大阪高裁の決定で「勒」は「社会通念上明らかに常用平易な文字である」というのが理由だそうですが、ではそれまでどうして認めなかったのでしょう。
その字を子の名前にしようと届けを出した方があり、役場でそれが却下、門前払いされるという経緯があったよう。
疑問を持ったその方が提訴し、時間をかけてその許諾を得たという流れですが、時間ばかりかけてその命名使用の承諾を待つことの如何にバカバカしいことか。くだらない権威の振りかざしのようにも見えます。
因みにその勒の文字は誰もが知っている弥勒菩薩、弥勒如来の「勒」ですからね。そして拙寺三代目の母親(成瀬藤蔵正義の妻)の名が「勒さん」でした。
450年以上前からその名に使用されていたわけで、拙寺過去帳にも記載されているくらい。
何を面倒くさいことを言っている・・・と思った次第です。
そもそも昨年、息子がその長男誕生の際、役場に出生届けを出した際、やはり却下されていました。
事前にその名を聞かされていて、私は「悪くない」とニヤニヤしていたわけで、その残念な報せをを受けて怒りに似た絶頂不快感を抱いたものです。
間違いだらけの裁判官・・・「ロクな裁定も出来ねぇくせに・・・」と。
それが「玻璃」という命名でした。
「ハリー・キャラハン」「ハリー・ケーン」などの如く「ハリー」と気軽に呼びやすく馴染みやすいものがあります。
「急げ!」(仏法のことは急げ急げ―蓮如上人)という意も兼ねていますしね。キラキラネームの如くに遭ってキラキラネームではない。
阿弥陀経を拝読する身としてはごくカンタンで当たり前の文字なのです。「宝もの」とか水晶の意になりますね。
要はその玻璃の「玻」がイケナイとの断。
弥勒の「勒」よりよほどシンプルなのですがね。
そしてこの時節、拙寺の7月~8/15までは盂蘭盆のご縁が度々あります。その盂蘭盆といえば「地獄の物語」を思います。
今年は特にどちらの法縁もその辺り(地獄の物語)のお話をさせていただいています。
今の子供たちへの日本文化伝承の件もあります。
しかし教育上「脅しはよくない」ということからかその「地獄」についてを語ることが少なくなっている昨今。
今一度「地獄の物語」について幼少時教育の現場に再現していただきたく思います。
「嘘ついたら針千本飲~ます~」等
子供の口から聞こえなくなってしばし・・・
勿論上記裁判所の判断、「勒」と「玻璃」の件を交えながらです。
その地獄行の判定をするのがご存知閻魔大王でした。
閻魔王丁の裁判官トップですね。
死者の地獄行の有無について判定する方ですが、まぁそこに引き出されてきた亡者は「悪いことなどしたことない」と白を切るのが毎度のこと。ここまで来て嘘八百の躰。それが人間。
空気を読んだ亡者たちは昔の悪事がバレれば地獄行を察してここでも嘘を並べるわけです。
そこで登場するのが閻魔大王の超ハイテクアイテム。「証拠」をガッツリと突き付けるのですからスゴイ。
それが亡者の生前の悪事を映し出す「玻璃の鏡」でした。
それを見せつけられて反論できず嘘までバレて地獄行。
もっともその閻魔さんの地獄行の判定基準はただ一つ、至極シンプル。「殺生」の有無だけ。
それは「人」に限定されるものではありませんね。
私どもが生きる中、他の生き物の命、虫一匹命奪わずにいられるわけがありませんのでまず人間の殆どが地獄行。
ただキリスト教とは違って、一旦地獄に堕ちても、そちらでの行い次第では転生できるという希望はあり、そしてそもそも我らには「南無阿弥陀仏」がありますからね。
その閻魔大王の秘密兵器「玻璃の鏡」というもの、現代社会における監視カメラのようなものでしょうか。
今の警察は犯罪もそうですが交通事故等でもそのカメラ画像、
街区に各設置されたカメラや対象車両からの車載カメラ画像の提出を求めます。
いわゆるリレー操作というものはその監視カメラをしらみ潰しに検証し犯人の動きを捉えるというものですね。
一昔前なら子供たちはその閻魔さんの恐ろしさとグッズに恐れをなしたものですが、今は監視カメラ。やはり気づかぬうちに。
監視カメラよりも道徳観を養うであろう地獄のいろいろ「地獄の物語」を伝えて行かなくてはと思うところ。
画像①は無罪を主張した亡者が玻璃の鏡の前に引き出された図。昨日記した聖衆来迎寺の「地獄」から。
②に映し出されたのがかつて生前にその者が坊さんを殺している図が現れたところになります。
昨日は「人間五十年」の文言を記しましたがその語を見て幸若舞の信長を思い起こす方もいらっしゃるでしょうがその信長は比叡山でたくさんの僧籍の者を殺しまくっていますね。
なるほど火炎の地獄(本能寺)にまみえていましたね。
③は極卒に諸悪の根源(口は災いのもと)「舌」を引き出されて鉄杭を打ち込まれている様子。昔は子供たちが「嘘をつくと舌を抜かれるよ」とよく言ったものです。④は昨日記した等活地獄の図。
極卒が「活」を入れると砕けた骨が赤子として生き返る図が記されていました。
⑤は奈良国立の閻魔王坐像(重文 鎌倉時代)
⑥は六道珍皇寺の極卒像。例の先輩Tの「お前らには水一滴飲ませねぇ」の姿を彷彿。






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