細川町御前田 開削進行 細川古城碑 

大切な晴れ間。

そして充実した一日をすごしました。

まず屋根に上がって先日の大雨による雨漏り箇所の推定。

前回モルタルを打った箇所にクラックが見られましたのでそちらを除去してあらためてモルタルを。

他にも瓦のズレがありましたし、強い雨風がサイドから吹き付けて屋根裏に侵入した可能性もありますから、これから雨=見張りの日々が続きそうです。見栄えなど気にせず、充填剤を各所に詰め込む作戦も視野にいれています。

下から目視して「酷い!!」など指摘できやしません。

 

屋根のその箇所は庫裏の本堂側の西端ですので南側と北側のエンドの瓦部分となります。道具を持って屋根を上り下りするのはかなり辛いものがありますので、二連梯子でもって一旦張り出した庇の上に上がり、下から奥方に差し上げてもらいながら私がそれを引き上げてそこからまた梯子を伸ばすという戦法。

たまたまその作業を見かけた通行人が立ち止って、中にまで入ってきて奥方に「屋根やだろ?女の人は珍しいなぁ」と。

梯子の上からモルタル入りのバケツを取りまわしての作業中、私は超無視。腹の中で「屋根やじゃねぇよ」。

尚、奥方には「おい屋根や~」と一日中呼んでいたことは言うまでもないこと。

 

それから外構の築地塀沿いの犬走の修理を。

砂利留めの木を接着する作業でした。あそこに座る人が居て劣化もあいまって破損。

奥方は釘や有刺鉄線を張れ・・・とはいいますが、世間様に波風立てたくありませんからね。

あとは砂利を戻して着色するだけです。1カ月ほど放ったらかしにしていました。この作業は各工程があって面倒なのです。

 

それからどうしても「あと一本!」と撤去したかった親鸞さん銅像上のケヤキの朽ち枝を払いました。祖師の頭の上はこれでスッキリです。

またおしまいは庫裏の二階の階段上のネコ除け扉の加工。すべての工事の助手として奥方が登場して後ろからご指示。

「呆けてるぞ御前」。

 

扨、「おまえ」と言われて「カッときた」などという人がありましたがしばしば聞くその語、今は目下に思われての感情変化の色々があるワケですが、歴史的というか以前のイメージと言えばその真逆、目上の人、特に敬うべき貴人に対しての語でしたね。

古語真逆の意味変化とは・・・

 

その「御前」ですが地名にあります。

「御前田」と田が付きますが。

昨日記した細川町根古屋の順行寺へは豊田ジャンクションの先東豊田インターを降りて248号線を再度矢作川を渡って岡崎方面へ向かい、橋を渡って一つ目の信号を左折しましたがその信号の位置が細川町御前田。

そしてその信号を左折ではなく右折して100mも行かないくらいの場所右手に②③の円墳風土盛りの上の石柱が目に入ってきます。尚①図は交差点を細川根古屋から来て248号細川交差点での信号待ちの図(場所はこちら)。

 

以前岡崎城のところで「足利一門が吉良、今川、一色、仁木、細川」など矢作川流域の地を領してその地名を冠に名乗ってきたなどと殴り書きしましたが、その「細川」になります。

 

先日GWにて来訪した「奥の墓道」氏には道沿いということもあって「ここいらが細川発祥の地だ」とその石標を指さすと彼はさっと見てきて「なるほどね」。

国道の建設に民家、工場等の進出もあって見るべきものは他にナシ。