「出るよ~」啓蟄のそれとは 石川数正の墓

今、私は「ちょっとマズいな・・・」と少なからず不安を抱いている件あります。まぁ突然発生したのですが・・・

人生「色々ある」ということなのですがその不安とはこれまでとは違った初めての体験となります。

そして「私は大丈夫」と日頃それを耳にしても一笑に付していたことです。

 

一昨日の晩に風呂で小豆より小さい赤いほくろ状のようなものが大腿部にあったことを確認していましたが、風呂から出た後その件サッパリ忘れていました。

昨日の夕方にになってそれを思い出して奥方様に問い合わせると「お前はアホか? そりゃマダニだぞ」ということでその「物体X」の正体が判明したのでした。

これは厄介な生命体です。

毎年幾人かの人が命を落としていますからね。

 

医師(皮膚科)のもとに走るか今スグ除去するか考えた末、私の判断は後者の方。

ネットで見つけた一番安直な「塩盛にして水かけて10分」を

採用。そして先の鋭いピンセットで皮膚に近い部分から「えい、やぁ」と奥方に引き抜いてもらいました。

 

問題は「物体X」から注入されたかも知れない病原体の存在です(ライム病)。重症熱性血小板減少症候群(SFTS)。

潜伏期間が長く(数日から数週間)各症状の発現があるとのこと。

奥方はその「治療後症候群」として「感染前は自殺しそうではなかった個人において、自殺傾向および殺人傾向に関連していた。また、激怒や侵入思考など多様な症候群の発症に高水準で関連していた。」の記述を読んで「たまったものではない、スグにでも医者に行け」でした。

米国では「自殺既遂が年間1,200件起きている可能性」の記事に驚愕。

インフルエンザと同じような症状が出るともいいますので、1か月程度は経過観察していこうと思っています。

 

私にその「心当たり」について問うのはムダでしょう。

法務で墓場を足元スカスカで歩くことは常ですし、先日の三河行脚でも数カ所のハカ・テラ・シロに寄り道しています。

何時からその物体が足に咬みついていたのかわかりませんが今私が思うに三河行脚の際にトレパン下部から侵入、潜んでいたところ、そのパンツに再び足を通した際にヤラれたものと考えています。

山に行ったズボンは帰宅したらスグ洗え・・・でしょうか。

 

私が藪や草むらを歩くのは「冬場に限る」としているのはそのような被害の機会をできるだけ少なくしたいからということもあります。まさかこの時期にその手の生命体に遭遇するとは思いもしませんでした。

昨日はまさに啓蟄、昔の人の季節感おそるべし。

 

扨、画像は先日記した土呂殿本宗寺の墓域区画。

何といってもそちらの主は石川数正です。

ドラマでは一向宗とは無縁のような台詞が目立ちましたが、石川一門は本證寺連判状の通り堅い真宗「南無阿弥陀仏」がその宗旨。

一向一揆で荒廃した土呂の八幡宮と土呂城築城を手がけ、家康のもと出奔(天正十三 1585年)の後、秀吉配下で松本城の築城、亡くなったあとはちゃっかり三河に墓が建てられていたということです。

 

画像は夏場の墓地ですが・・・やはりやぶ蚊の餌食となります。

尚、バラバラになった家臣団のうち「岡崎御味方」として連らなるその名を。

成瀬藤蔵正義の名もありました。

また左側ナビゲーションに三河一向一揆関わりの人物を再掲載しました。

 

岡崎御味方

酒井左衛門尉忠次 酒井雅楽介正親 石川伯耆守数正 

石川日向守家成 大久保五郎左衛門忠勝 

大久保七郎右衛門忠世 同舎弟大久保治右衛門忠佐 

大久保甚四郎忠高 大久保新八郎忠利 大久保弥三郎忠則 

大久保八郎右衛門 大久保三郎 大久保与市 大久保善助 

大久保新蔵 大久保与四郎 大久保九八郎 本多平八郎忠勝

本多肥後守忠真 本多豊後守広高 上村新六郎 上村庄右衛門

上村重内 鵜殿十郎三郎康高 松平弥右衛門 松平孫九郎

松平次郎右衛門 松平金助 鳥居又五郎 加藤九郎次郎 

加藤源七郎 米津藤蔵 米津小太夫 小栗大六 小栗仁右衛門 上柳三郎四郎 安藤長蔵 中村喜蔵 中村源六 成瀬藤蔵 

榊原摂津守 榊原隼之助 榊原小兵衛 山口地清太夫 

伊奈市左衛門 家(香)村半七郎 松井左近 中根源太 

中根甚七 中根新左衛門 中根弥次郎 中根喜三郎 

天野三郎左衛門 天野三郎兵衛 阿野甚四郎 阿野助兵衛 

阿野伝兵衛 阿野又次郎 山田平十郎 柴田七九郎

加藤播磨守 渥美三郎兵衛 平岩七之助 永見新右衛門

青山喜太夫 青山久太夫 青山善四郎 青山虎之助 

近藤右馬介 久米新四郎 八国孫九郎 酒井下総守 

大竹源太郎 小栗助兵衛 小栗弥右衛門 青山平太夫 

鳥居鶴之助 鳥居才一郎 筒井与右衛門 筧図書之助 

筧牛之助 土屋勘助 土屋甚七 林藤五郎 内藤甚五左衛門 松平山城守 杉浦藤次郎 杉浦八郎三郎 山田彦太郎 

加藤火矢之助 栗生長蔵 祖父江右衛門 深津九八郎 

今村彦兵衛 細井善三郎 布施孫右衛門 内藤甚六郎 

石川又四郎 根来重内 宇津奈三郎 松浦弥七郎 杉浦久蔵 松山久内 天野孫七郎 市川重兵衛 榊原小平太康政 

大須賀五郎左衛門康隆 市川四郎等 都合百十余人。

 

其外松平与次郎清吉 松平主殿介伊忠 松平又七郎家忠

松平勘四郎信一 松平右京亮康親 松平図書介 

松平源七郎康忠 松平弥九郎景忠 松平弥三郎伊昌 

松平弥十郎忠清 同舎弟松平九郎右衛門忠利 

 

松平五左衛門近正等の面々は何れも自分々々の居館に楯籠りて御味方たり。