岡崎市 伝馬通りの「中根」二題

昨日は事前の予報では雨。

雲が西から迫っている様子、スマホの降水予想図からはお昼過ぎ以降を表していましたので午前の法事について「何とかなる」と楽観していました。

朝から多少の小雨はあったものの日の差しこみまであって、最近の「良き天気、青い空」の継続を思わせました。

私は、施主ほか御一同の前で「予報では脅されたものの、おかげさまのお天道さん。のんびりと法要をすごそうではありませんか・・・。ただしお天道さんはお調子に乗ると臍を曲げますからね・・・」とご挨拶。

 

存分にタイムオーバー気味の「のんびり」だったわけですが、お墓参りの段、墓前に向って歩きだした際、天気は急変、土砂降りになっていました。臍をまげられたわけです。

本堂の近くのお墓でしたので屋根の下で線香を点けてそれぞれお参りしていただきました。「軽口は叩くものではないねぇ」と苦笑しながら私は墓前で読経しましたのでかなり濡れましたね。

恐縮したのは皆さんに気をつかわせること。傘を差しだしていただきますが、私にはそういう際の割り切りはできています。

何より庫裏に戻れば着替えはありますからね。

通路も一時は川の如く水が溢れていました。

天気予報は当たり。スマホの雲のチェック、怪しい時は庫裏で奥方に注視してもらい連携すること、必要ですね。

 

午後もミニ法縁がありましたが降雨のため墓前お参りに時間調整。挙句には「えいやぁ」で傘を差しながら・・・

 

さて、先日記させていただいた「林信志による妙意について」ですがやはりその推論のポイントは「中根氏」でした。

岡崎市街を歩いていてその名が各所で目に入りますので私も岡崎付近の名であることは単純に、また三方ヶ原戦直前、二俣城鳥羽山(清瀧寺 笹岡城 二俣城単体でのアップはまだのようでした)撤収戦の中根正照や本多忠勝近習に、その名が見えることは承知していましたが、その林氏の論には驚きがあったものです。

 

岡崎の伝馬通りをブラついた時のショット。

私の務めの関連からかあの看板は目に焼き付いています。

西本陣の石柱、案内板には中根の名が見えます。