福田 有無同然 田あれば田に憂へ宅あれば宅に憂ふ

昨日のトーキョーの感染者数(2362人)は前週の土曜から1219人も減少し重症者は前日より11人減の267人。

一山超えて、「山を下りる」様が見て取れるものの死亡者が15人いるという厳然たる事実。いただけません。

 

その結果はこれまでのいろいろ(五輪やって医療崩壊させた・・・)からすれば助けられる命に手が届かなかった(見捨てられた)ということになります。

トーキョーを主催するエライ人たちには切に反省していただかなくてはなりません。

まぁその気持ちがあれば、このような大惨事にはならなかったのでしょうが。

 

そう記すとその災害が~ひょっとすると人災~まるで収束したかのようにも見えてしまいます。

やはりこれでお終いでなく、一過性。延々と続くかも知れないというのが最大の不安です。

小康状態から一気呵成にぶり返す・・・など病というものにはつきものですから。

 

さて、昨日は「忍辱」なる語をお国の無策に耐える日本人の性質

に準えて記しましたがその読みは「にんにく」でした

奥方がニンニクを加工して黒ニンニクなる我が家での新生なる食物に凝り始めて数か月、それにかけて私の好みのうどんを食べさせる店が境内苑池前にある奈良円成寺の山号(忍辱山)についてブログでも記していました。

その忍辱とは仏教語。

「侮辱や苦しみに耐え忍び、心を動かさないこと」

「忍辱波羅蜜」(六波羅蜜-布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)。

でした。

 

司馬遼太郎がその本名の「福田定一」の「福田」姓について真宗的発想の「フクデン」として説明していましたがその「福田」と「忍辱」が殆ど同じ個所に出てくる経典があります。

それが真宗の根本聖典である無量寿経(下巻)で画像①。誰が押したか拙寺の印があります。

その箇所が②画像「忍辱」緑の線、「福田」青の線を付しました。

 

~志勇精進にして、心、退弱せず。

世の燈明と為りて最勝の福田なり。

常に導師と為りて等しく憎愛なし~

 

その後に続く箇所には拙寺の行事、念仏メディテーションでお馴染みの「三昧」の語も登場しています。

どうしても「福田」(またはこちら)という語には思い入れが深いものがありますね。地名としても近隣に各ありました(ふくで読みに 東福田ひがしふんだ)。素晴らしい語だったわけです。

 

そしてそれから、私どもは常に憂いをもって日々を送っている身であって、人というもののその憂いのもとの執着について「こんなもんだ」とばかりに記されている箇所に続きます③画像。

やはりそちらにはお馴染み「有無同然」の4文字が光っています。ざっと真宗聖典からその辺りのところ転記すれば・・・

 

『然るに世人、薄俗にして共に不急の事を諍そう。

この劇悪極苦の中において身の営務を勤めて、もって自ら給済す。

尊もなく卑もなし。貧もなく富もなし。少長男女共に銭財を憂う。有無同然なり。憂思適(まさ)に等し。屏営愁苦して、念いを累ね慮りを積みて、心のために走(は)せ使いて、安き時あることなし。

田あれば田を憂う宅(いえ)あれば宅を憂う

牛馬六畜・奴婢・銭財・衣食・什物、また共にこれを憂う。

思いを重ね息を累みて、憂念を愁怖す。

横に非常の水火・盗賊・怨家・債主のために焚漂劫奪せられ消散し摩滅す。憂毒として解くる時あることなし。

憤りを心中に結びて憂悩を離れず。心堅く意(こころ)固く

適(まさ)に縦捨(捨て去る)することなし。

あるいは摧砕(盗賊・水火等の災難が身を打ち砕くこと)に坐して、身亡(ほろ)び寿(いのち)終われば、これを棄捐して去りぬ。

誰も随(したが)う者なし。

憤りを心中に結びて憂悩を離れず。

尊貴豪富もまたこの患(うれ)えあり。

憂懼万端(うくまんたん)にして勤苦かくのごとし。もろもろの寒熱を結びて痛みと共に居す。貧窮下劣にして困乏して常に無(か)けたり。

田なければまた憂えて田あらんと欲(おも)う~』

 

有名な「田あれば田に憂へ、宅(いえ)あれば宅に憂ふ」そして

「田なければまた憂へて、田あらんことを欲(おも)ふ」の段でした。

薄俗(欲のために生き欲のために死ぬ)にして共に不急の事を

諍そう」など痛烈です。まさに現在の我らの様でもあります。

要は人間界執着(煩悩)だらけ、そして「有無同然」。

すべてのことが有っても無くても同じこと・・・

万物すべて人のはからいというものは空しい。

 

カネや財産だけではなし、権力もパワーもその類です。

 

今度のガースー、結局は傀儡(ひとがた)だったというワケで。

「誰も随(したが)う者なし」

それだけにまた儚さ満点、哀愁まで漂っていましたが自業自得ともいう人もいましたね。本当のワルも見え隠れして。

どちらにせよすべてが有無同然。

 

私は今度の長雨で止まっていた庫裏の雨漏りの再発に憂えています。

それも2箇所に増えて「憂」は倍増。

バケツ2個で対応していますが・・・朽ちるなら朽ちろ・・・「勝手にしやがれ」の諦観です。

「宅」があればあったでその維持は辛いね。

まぁ現状それでも雨風はしのげていますので・・・晴れたら今一度屋根に上がってみます。雨漏りは手強い。