宝篋印塔×2と石塔残欠積石 当尾金蔵院 

昨日あたりのトーキョーの感染者数(2539人)を見ると一山超えたの感ありますね。

悪くない傾向とはいえますが、どうせ「次の山」のお出ましが控えていると思うとお調子にのっていられません。

 

何度か記していますがこの山の形成はお盆休みで都内での活動が低下したこともあるとどなたでも感じているのでは・・・学校が再開し、地方に分散させていたウィルスが再びトーキョーに戻ればあっというまに元の木阿弥。

 

何と言っても全国の重症者数は昨日も60人余り増えて(2221人)過去最高であるというところ、安心安堵には程遠いのです。

重症=死と隣り合わせ、そういった方たちとそれを見守る家族というものが現実にあるのですから。

すべて「軽症者は家にいろ」の方策が無茶なのです。

それはお国の無策。日本人はまさに忍辱(にんにく)の種です。

 

昨日は三重県で妊婦が新コロ濃厚接触者と認定されたうえ、「PCR検査を受けていない」ことを理由に、産院に受診を断られて流産したというニュースがありました。検査を簡単に受けられれば・・・その手のことは起こらなかったのでは・・・と思ったところ。

毎度毎度ですが「検査」の能力があるにも関わらずその不作為によって人命を脅かしていること「気づいていない」かお惚けになっていのでしょうかね。

 

私が今年の夏前に梯子を外されて(奥方に)救急搬送された際でしたが、救急病棟にて「イキナリPCR検査」をされました。

その結果が出るまで治療と検診は待たされた覚えがありますが三重県の医療は結構にお粗末なものを感じます。

無茶には無茶ですよ、妊婦を放り出すなんて・・・ 

 

そんな中、昨日ひっくり返るほど驚いたことといえば、政府が出した「行動制限緩和案」とやら。

社会経済活動の再開に向けたロードマップ(行程表)として公表するそうです。

10月~11月にワクチン接種を完了し、緊急事態宣言の発令地域含めて「十分な感染対策」を取っていれば、飲食店の酒類提供を認めるなどの緩和をして、またまたあの「GO TOトラベル」を再開するとの触れ込み。

 

ちょいとトーキョーの波の山が下降傾向になっただけでこのザマですからね。

その手の事は本当の安全と安心の確信を得てからゆっくりと行われるべきことであって、今それを論じて発するなど、いかにも早すぎます。

 

これまでの愚を再現するつもりなのかお伺いしたいものです。

同じことの繰り返しをまた見させられるのでしょうかね。

また、将来の庶民の希望する楽しみを夢の如く提示(リップサービス)するだけであってそのことが人心の「緩み」に繋がるということが理解されていないようで、とても歯がゆい思いが。

そういったサービスは困窮する業界、経済界には喜ばしいことなのでしょうが・・・。

まさに愚の骨頂としか思えないアナウンスのような気がしてなりません。

 

そしてブログでも何度か記していますが、「坊さんが一番怪しい」というのが私の持論でした。

それは盂蘭盆会ほか各法要にて不特定多数の人たちと多く交わって時に密空間でデカイ声を出しまくる・・・などのところですが、それは私が自身「怪しい」と思う以前に同座する皆さんの方も「坊さん怖い」を思っていること、違いないからですね。

 

そこには坊さんだから自己管理がしっかりなされている筈であるという楽観(錯覚・・・?)何より法要勤修に不可欠ということからの「仕方ない」があるわけですね

要は疑心暗鬼・・・で一抹の不安というものがあるのです。

そしてその坊さんに対して露骨な警戒感を示したとすれば「無礼」という思いもありますからね。

口にも顔にも出せない不安があるのですが、それらを払拭するにはやはりワクチン2回接種は勿論の事、御近所で随時PCR検査ができる体制があっての陰性証明があれば・・・などと考えたワケです。

 

尾身会長によるワクチン証明とPCR検査のパッケージは社会活動再開に悪くない提案とは思いますが、それには検査体制のより踏み込んだ拡充が不可欠でしょう。

「しかるべき安全対策」もそうですが何事も「短絡」があってはイケません。

 

私は来週ようやく2回目の接種。

今後、「2回目打ちました」の提示は少なくとも皆さんに報せておくべきこととも思ったわけで。

「住職接種済」について法要で幾度か聞かれたことがありますが「まだです・・・」はバツが悪いものがありました。

 

さて、金蔵院の最後。

層塔、宝篋印塔、五輪塔にしろ灯籠にしろ各パーツに分かれているものは経年(人為的含め)とともにバラバラになり時に破壊されるなどして、残欠状態になるのが常です。

どちらかでも記しましたが層塔その他高さのあるものは子供の悪戯もありますし、時々に起こる地震による倒壊もあります。

明治初期の廃仏毀釈の「病」による仏教遺物の破壊活動もありました。

 

だからこそ今、健全に建つ仏塔たちの珍しき姿に畏敬の念を思うのですね。完全な元の形としてのものは稀だということです。

しかしどちらにおいても致し方ないことではありますが、近隣、各地域で集められたパーツ類を組み合わせて組み上げられたものもありますね。

確証があるわけではないのですが、それは石の質とバランスで察することができます。

 

そして見るからに「オカシイ !」と思うものも。

完成品に近くしたいという気持ちがそうさせるもので全国どちらにでも見られるワケで。

 

画像①②は層塔の両脇にある宝篋印塔の図です。

宝篋印塔の両者とも隅飾の開き具合からいって江戸期のものと推察しますが、塔身の大きさと台座下部分のバランスに首を傾げます。塔身の石質も違いますね。まぁあくまでも私が勝手にケチをつけているだけですが。

 

というのも近くの小さな宝篋印塔⑨~⑫の塔身の上に五輪塔の火輪そして宝篋印塔の隅飾りの笠らしきものに相輪を載せたパーツの寄せ集め積み重ねに何かの完成形の作為意図を感じ、それならば他の「コレクション」もそうかも・・・と疑心暗鬼にさせるからですね。

ただし塔身の四仏は彫りも深く有難さを感じますが・・・

⑭なども集められたそれぞれをただ重ねた・・・というものでそういうものがあることによって他の石仏の信頼性が危うくなってしまいますね。

最後の画像が昨日の石灯籠のアップ。