ふくでんの福田氏 司馬遼太郎 「聖人と上人」

浄土真宗の筋金入りの門徒であることをエッセイ等で吐露している司馬遼太郎の本名は福田定一さん。

「播州の亀山の本徳寺というところの門徒であったことを喜びにして,福田という姓にした 真宗は土地持ちで無かったため信徒をもって田圃-福田(ふくでん)にする・・・」(「季刊アステイオン」第二号1986年10月1日刊 「浄土-日本的思想の鍵」)と語っていました。

 

 大抵の歴史好きの皆さんがその世界に入り込むきっかけは一昔前でいえば海音寺潮五郎と司馬遼太郎が著名ですがその二人はともに浄土真宗の門徒。

二人ともそのことをまた誇りにしていましたし私ども真宗門徒としても二人の活躍に多少狭量とは思われても大いに誇らしいことだと思っていました。

 

 司馬遼太郎といえば歴史小説ですが、晩年のエッセイや対談等を聞き書き収録した書物は結構面白く読ませていただいております。

さて、「聖人か上人か」について記させていただきます。

このことは司馬遼太郎もそれに触れており、私もその考えに同調しているところですね。

 

 2010年秋に拙寺ご門徒さんへ司馬遼太郎のエッセイ等で浄土真宗に関わる記述を抜粋してご紹介させていただいておりましたが、本HPに少しずつアップしようと思います。

とりあえず「司馬遼太郎1」を貼りつけましたが、今のところ体裁が酷くわるいのでこれから整えて行こうと思います。

 

 さて、「聖」について考えると、この字は現代に至ってはクリスマスイブを「聖夜」と言ったり最高の人格を備えた人を「聖人」と呼ぶなどいわゆる「神聖」的雰囲気がイメージとしてありますね。

なるほど、当流で「聖人」といえば開祖親鸞聖人のみを言い「上人」なら蓮如さん法然さん・・・多数いらっしゃいます。オンリー1です。

 

 儒教、キリスト教他、世界の大抵の宗教の偉大な人物としてその「聖人」の号は与えられている様ですね。

ちなみに「僧都」といったら源信僧都(恵心僧都・横川の僧都-源氏物語源信僧都がモデル)。和尚(おしょう・かしょう)は「受戒の師」を表しますので真宗で呼ぶことはありません。

 

そして何気なくその質問(「上人」で無くて「聖人」)に応えるならば、「私たちが最も尊敬する方であるから最高敬称の 『聖人』を親鸞さんにのみ号してそう呼ぶのです」などと言っておけばそれでいいのですが、客観的に親鸞さんが生きた時代を見て行けばその意味だけで「そうである」と言ってしまうのは少々乱暴でありまた、ややもするとこの真宗の本質を見誤る畏れもあるのかと思います。

 

  結論から言えば、「尊敬」している方でありそう呼ぶことに異存は無いのですが、前述しました通り、私は司馬遼太郎の見解通りとなります。

それは「聖」とは「乞食坊主」の意と解釈しています。

初めてその談を耳にすれば相当の疑念を抱くことになりますので、少しばかりやっかいな話になりましょう。

 

 そもそも「乞食」とは「こつじき」と言い仏教の言葉。

少欲知足(欲を少なくして足ることを知る)を旨としての本来の仏教修行のことでお釈迦さまもまたこの思想にのっとって活動し、「乞食」こそ出家者の形態の大きな柱でした。

後世になって「乞食」を僧で無い人の物乞いとして差別的な感覚で捉えるようになったのでした。

 

 そもそも親鸞さんが登場した平安末期の寺院と僧侶の地位は殆ど今でいう「役人と公務員」状態で、その僧侶の地位と言えば高級官僚に匹敵する所謂「貴族」の範疇でした。

その状況では仏教本来の教えは末端にまで行き届かず仏教が一部特権階級の一握りの人たちの独占的教えであるわけで、言い換えれば浄土の思想という素晴らしい教えがあったとしても浄土に行ける人は「高地位の人たち」のみであったのです。

その感覚を破壊して仏教をすべての人たちに平等に伝えようと外部に発信することを試みて、またその歩みが後世一大教壇として開花したことは言うまでもありません。

 

 「聖」を分解すれば「耳」「口」「壬」(「王」ではありません)の三つです。

耳と口は「聞法と口伝」。あまねく衆生に教えを伝えて流布させていくには寺院に鎮座して胡坐をかいていたのでは不可能です。よって「聖 ひじり」となって地方を歩いたのです。

念仏系、浄土教系の僧が好んでそれを行ったということですね。

「壬」は「じん」で「自由・放浪」の意味があります。

私は、少々飛躍しますが「信」と似たような意味として解釈しています。

 

親鸞聖人はその「聖人」としての道の難しさについて御和讃(浄土和讃)の中で歌っています。

 

善知識にあうことも
 

おしうることもまたかたし
 

よくきくこともかたければ

 

信ずることもなおかたし

 

 要は親鸞さんが真宗開祖として「乞食の道」を歩み出した第一人者であったのです。

親鸞さんがその道(比叡山に籠っているのでは無く、野山にて活動した)を辿った「聖人」の道そのものが真宗として無くてはならなかったものなのです。私はその「乞食坊主」にこそ原点がありそれをまた誇らしいことと思っています。

 

※非常に紛らわしいですが「聖道門と浄土門」という形で私たち他力の本願(浄土思想)に対する自力救済(聖道)という使い方をする時もありますがこのときの「聖」の感覚は「乞食坊主」ではありませんね。ご注意ください。

 

 

今となってはその「聖」こそ、その仏教の原点にかえるべき生き方を顕わす称号として、戒律そのものの無い真宗にあっての我らの自戒だけでなく開祖への敬意を含めて「その人」への最大尊称を呼ぶのだと思います。

 

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (水曜日, 26 12月 2012 08:46)

    ありがとうございました。
    じっくり 何度か読むつもりです。

    みかん いただきました。
    再度みかん狩りをしたのですね。
    昔ながらの甘さを懐かしく思いました。
    いい味です。

  • #2

    今井一光 (水曜日, 26 12月 2012 17:38)

    ありがとうございます。
    それにしても外の恐ろしい寒さの中も朝の日課を
    続けられていること、本当に敬服いたします。

    私のみかん狩りは暖かい昼間ですので比較になりません。
    今日の様な信じられないような強風の極寒の日は
    家に居ますし。