続けて当地は朝から青空に恵まれました。連日の好天です。
そしてこれまでと違ってまさに真夏の陽射しが・・・
昨日は私事、朝から西へ東へと動き回っていましたが直射日光の下に車を少々置いただけで車中は強烈な温度に。
帰宅は午後3時過ぎでしたが、今年一番の気温に疲労度は久々にアップ。体力の消耗が殊にキツイと感じる一日でした。
年齢のせいにはしたくありません。
季節の変動の中にいてこれは徐々に慣れていくにちがいないことと考えたい。
自坊に帰って遅い昼食を取るとスグに睡魔に襲われて畳の上にゴロンと。2時間も昼寝をしてしまいました。
西日のあたる部屋に寝たことを後悔しました。
昼寝としては長すぎでこれではあまりいいことではありませんね。
さて、昨日は当家の「ニンニク」大好き人間(奥方)について記しましたがその音を仏教の語で記せば「忍辱」。
「侮辱や苦しみに耐え忍び、心を動かさないこと」とあります。「忍辱波羅蜜」(六波羅蜜-布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)。
その「忍辱」といえば奈良円成寺が思い浮かびますが、先日あの崩壊間にも思える十三重塔を記しましたが道路を隔てた駐車場前の「うどんのおいしい店」と季節感の違う塔の画像がありましたのでそれを追記すると同時に詳細記述をしていなかった石仏の件、思い起こしましたのでこちらに。
以前ブログではさらっと画像をあげただけでした。
円成寺の室町期の三体石仏です。
勿論こちらは拝観料を支払うエリアとなり本堂の西側にあります。
面白いことに現在の三仏の並びは以前とは違っているのです。
⑤が現在の図で左から⑥⑦⑧と一番大きな阿弥陀さんの石仏が中央に鎮座し、あたかも阿弥陀三尊の形式をとるかのように設置されていますが、昭和の頃といえば⑦と⑧が入れ替わっていて阿弥陀さんは向かって右端でした。
現在のバランスの方がやはりしっくりきますがそもそも地蔵・地蔵・阿弥陀を3つ並べたとして中央に阿弥陀さんを鎮座するのが何よりには思います。
ということで阿弥陀さんが主役と考えますが、これらは当初から3体並べることを意図したものではないですね。
花崗岩製の一番大きな阿弥陀さん(定印)の頭上に阿弥陀の種子「キリーク」がよくわかります。
脇に「天文十九年(1550)二月十五日重栄」と。
⑥⑧とも錫杖と宝珠の地蔵。
⑧には「永禄元年八月廿四日」。
石仏の並びの修正はともかくとして、こちらでもあのヨダレ掛け、何とかならないかと思うばかり。
好意というか厚意というか気持ちというか独りよがりと言っては悪いとは思いますがね。
あの手のものたちからこちらの石仏まで何度も機会のこどに拝見させていただいていますが、大抵はあの赤い布切れは1年も風雨に晒されれば脱色されてボロ切れと化します。それがまぁ何とも見苦しいこと。
それらのメンテもままならず、余計なことはしないで欲しいのですがね。
しかしどちらかお婆さんが「心を込めて一所懸命作りました」などと言ってその石仏たちを愛でながら装着している場にあったなら、そんなこと・・・言えるはずもなく。
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