他人の靴を履いてみる 黒ニンニクを作ってみる

昨日も当地は朝から晴れ。

まぁそれは主に午前中。気持ちよくクマゼミの声が聞こえました。ただし盛夏のクマゼミ大合唱の境内にまでにはまだ至っていません。

午後以降曇天となり夕刻にはポツポツ程度の雨がありました。

世の天候は不安定の様。「静岡県内」というくくりで午後になってから竜巻等の発生やら大荒れになるとの予報が発せられたものですから奥方は洗濯物の取り込みに急ぎバタバタしていました。

 

以前、檀家さんが法要時の動きの参考としてスマホで雲の動きを見ていたことからその情報は法事前の確認は当然ながら、プライベートで山歩きその他何をする際も得るべき情報として便利なソフトと思い先般取り入れました。

それが気象庁のサイト「ナウキャスト」(「雨雲の動き」)「キキクル」(危険度分布)です。

大雨が長時間続くなどいつもと違う変異を察したら「記録的短時間大雨情報」や「指定河川洪水予報」などに切り替えてみれば事前の行動規範となりますね

 

奥方が洗濯物の取り込みを行う前に私はテラスの屋上に投げ上げていたスニーカーたちを回収。

朝の好天に一昨日洗って一晩軽トラの荷台に置いていたものを、さらに完全乾燥させようと目論んでいました。

黒色屋根の放射熱と風通しの良さは最高の場所ですからね。

 

どちらにしろPCからその「雨雲の動き」を見ていれば当地はいつもの如く「大したことなし」がわかるわけで。

 

さて、表記「他人の靴を履いてみる」とは今や社会に耳慣れてきた「シンパシー」の対義語「エンパシー」について「一言で語れば・・・」と形容された語のようで、自身の感情ではなく他者の気持ち(喜怒哀楽)を客観ではない共感をする(単純な同情ではなく・・・)ことをいうようです(『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』-本屋大賞-)。

 

これもまたよくいう「忖度」の類と違って自身の意見と対峙したりこれまでの既成の考えである人種、宗教、富の格差による「違う人たち」の声をよく聞いて一歩踏み込んで受入れて「考えよう」とする方向、スタンスです。

相手の立ち位置に自分も立ってみるという姿勢が「他者の靴」をイメージしたのでしょうね。

 

それは聖徳太子の十七条憲法の15条「私あれば必ず恨あり」に通ずるものがあります。その「他人の靴」はこれからの私たちの行動と心情に一つ置いておかねばならない考えでしょう。

特に私の仕事には不可欠であると思うばかり。反省も多多。

 

さて、最近は奥方がどっぷりハマりこんで集中しているのがクロニンニクの製造。

それをよそで教わったのがつい最近のことと思っていましたがみるみるうちにその技量は熟達し今や親戚に配るまでになりました。

私には何がウマイのかさっぱりわかりませんが、モノによってかなり味は違うようです。

何しろ「健康にいい」ということで毎食そのかけらが食卓に添えられるようになっています。

今、奥方の従妹の夫が癌になって「是非に」と所望されたということでせっせと作っています。

 

先日は掛川の道の駅のニンニク売り場にて一般客に向って奥方がその製造法やらニンニクの選び方など語っている姿を見ました。いつまで続くかわかりませんがその製造が「生きがい」の如くにハマりこんでいるよう。

特に最近「釜が足りない」ということでネットで中古品を取り寄せていました。

ニンニク臭がコメの炊飯に移る可能性があってまともなモノは使いたくないという理由からです。またその作業に時間を取られることから通常の炊飯ができません。

 

①②まず購入してきたそれらを吊るしている様子。

その作業も不可欠だそう。

「ドラキュラ除け」とほくそ笑んでいる奥方がいます。

③④は2台稼働で製造中。⑤できあがり。

 

そのサイトにて好みのアディダスが見つかったため「私も・・・」という具合で数足購入しました。

奥方は「他人の履いた靴がよく履けるものだ」「そもそもサイズがぴったり合うかわからないだろう」「靴は試しに履いてみなくては絶対に無理」等々呆れていました。

 

「他人の靴」はとりあえず洗えばOK!!で全然大丈夫の事。

そしてアディダスのフットサルシューズはサイズもフィット感も一定。

高校時代から履いている靴のメーカーであってそのカタチも変わらずですから靴ずれ等の心配があり得ません。

足がもはやその形状になっているのかも知れませんね。

まぁ奥方の私へのクレームは果たしてそれだけの靴の在庫が必要かどうか・・・というところなのでしょうがね。

私としてはその手のデザインのものが無くなってしまうことが心配なのです。「そのニンニクと同じである」と主張していますが、少々分が悪し。

 

現状作業用と普段履きのアディダスが2足玄関にありますが、家の中のアディダスはこのような感じ⑥。

今回1000円~2000円で買いだめした中古が3足、新品が6足ありました。昨日は届いた中古品を洗濯、乾燥させたのでした。

基本「ダッシュが効く」が私の生き方、身上としたいものと考えていますのでそれを続けるためにもこれを眺めて安心させられているワケです。

 

アディダスは新しいデザインを次々に出しますが私は最近のそれらは敬遠。一昔前のものへの趣向になります。

基本白に青のライン三本線が好み。最近のモノは派手で突飛なのです。

以前でしたら1年で履きつぶしてダメになるほどでしたが最近は3年以上もってしまいます。

特にここのところは家でじっとしていますからね。

 

息子のいつもの台詞「そんなに生きながらえたいのか」が聞こえてきそうです。全部履きつぶすのに30年という計算です。

遺ったら息子に「履いてくれ・・・」ということで・・・。

スニーカーコレクターもいると聞きます。

新品のアディダスならプレミアムがつくでしょうね。

 

下駄と草履の場合は他に「履く」シチュエーションはありますが革靴などはもはや二度と履くことは無いと断言します。

またスニーカーは新品は買わないでしょうね。

「他人の履いた靴」が有難い。