大畑大福寺地蔵 当然の如く赤い布はトル

先日は息子宛てに届いた牧之原市のワクチン接種の案内(39才以下)の件記しましたが、予約受付が9月6からでしたね。

お国の言い分は五輪開催はワクチンを打てば「だいじょうぶ~」の余裕の躰でしたがその月の早い時期に接種できたとしても2回目が10月初中旬。

抗体ができるのがその2週間後としてワクチン接種による少々の安心は11月になってからですね。何を戯けたことを・・・と思わされます。

 

「だいじょうぶ~」はそれを接種済みのお偉いさんたち、それも山手線等通勤ラッシュとは縁がない日々ギンギンにエアコンの効いた部屋にいるデスクワークの人たちの言い分であって国民の大部分ときたらノーガードでその期間を過ごさなくてはなりません。

 

強敵との合戦に鎧も着けず武器も持たずに戦うのと同じように感じます。時衆の宗徒たち(従軍念仏者)の同行参戦であっても陣中丸腰はないでしょう。

戦力を分散、食料は現地調達で武器弾薬は勿論、後方支援がなかったインパール作戦の如し。

敗北戦を重ねてきた割にまったく「事に当たる際」のあるべき姿勢を学習していませんね。

 

このトーキョーの3日連続3000人超えという感染爆発は我慢のならない若者たち含めて社会の主役たる中年層がその活動を自重することなく動き続けていたからにほかなりませんが、要はガースーはじめその規範となる者たちへの不信がそうさせたのであろうこと、推測できますね。

 

先日知人の息子が結婚式をあげてその披露宴があったそう。

その大学のサッカー部時代の友人が多く集まったといいますが、「コロナ禍だから」などの憂慮に関して「微塵もなかった」と。要は狂喜乱舞のドンちゃん騒ぎの様。

親としては終始ハラハラ、やれやれの時間だったそうですが、今はひたすら「どうかコロナ感染者が出ませんように・・・」と祈るばかりだとのこと。

若い連中はまさかの如く「ハメ外し」をするものなのです。

それを今になってコントロールしようとか、けしからんと思うのはお門違いですね。

 

「五輪だから」の免罪符にもなっていない、ドンちゃん騒ぎの祭りを無理くり進めておいて、庶民のささやかなイベントについて「やめなさい」などと、どういう顔をして諭すことができるのでしょう。

 

「2年後の順延を」という意見を押しやり「1年後には何とかなっているハズから2021年に開催する」といった判断ミスは大いに致命的でしたし、五輪開催までには「ワクチン接種が国民に行きわたる」という都合のいい推測がありましたがそれも大ハズレ。

 

ただただ五輪やりたさで国民に絶大な不自由苦難をさせているわけですね。

よ~く思えば順延についてあの時素直に「2022」を受け入れていればこんなことにはなっていなかったのでは・・・

お客さんも入ってボランティアもたくさん、地方と海外選手との交流もあって本来の五輪ができたのにね。

 

とんでもなく罪な御仁・・・と思うのはその「2022」案を蹴って「2021」を無理やり突っ込んだアホでしょう。

やることなすことすべてハズレでこちらとしてはまったくもって「信用がおけない」の一言です。判断力、指導力ナシ。

 

2日連続背の高い地蔵を記してきましたので本日も。

当尾の大畑の大福寺に覆い堂があってそちらに凝灰岩(122㎝)を穿って製作した「オーソドックス」(昨日)の形の地蔵があります。

永享十三(1441)の年号と「□□知坊」の銘が確認されています。

例によって真っ赤なアレが掛かっていましたので「ちょっとごめんなさい」と囁きながらそれを外してパシリと

そうして見なければ状態を確認できませんから当然とは思うものの地元の人からすれば「よそ者が・・・不躾な」の指摘される思いも感じなくもありません。より丁寧に行います。

 

こちらはお寺の名が記されていますが地区集会所になっていますので、地元の人々によって代々守られてきた石仏であることが想像できます。

 

一番最後の画像が大畑の集落に曲がる道。左側岩船寺、弥勒摩崖仏方向から来た道を鋭角に曲がります(場所はこちら)。