スロットのコインが出てきたら 奈良「頭塔」2回目

ニュースにならない、それでいて寂しい「ひっそり逝去」の報について仕事柄よく耳にします。

この高温状態にあって一括りに「熱中症」として片付けられない突然死は身近なところに結構ありますね。

まぁこれは冬場にもヒートショックという体調の急変がありますから「暑い寒い」も度を越してそれを感じれば絶命することがありうるということです。

その「度」は毎年重ねる年齢とその日の体調によっても変わりますから自己管理はしにくいもの。いつも大丈夫だからというのは通用しません。

 

若いころから根性論を叩き込まれることを経験している世代にとってやはり「私は大丈夫」理論が未だ通用するかの如く誤解し、体力と忍耐力が勝負であることをガッチリ生きる理念とし結局は肉体の方が破綻するという構図です。

精神強靭にして肉体滅ぶですね。

 

精神の件(自死)も肉体の件(過労突然死)も、あるとき「ふつと」沸き起こる「何か」によって起きてしまうのですが、ある人はその「ふつと」を「死神」と表現していました。

特に前者の場合「なぜ・・・どうして・・・」の理解不能を説明するのにその語しか思い浮かばないからなのでしょう。

よくお酒を飲んで「ふつと」、と言う人がいますが、私の知る限り飲酒の因果関係はゼロの人ばかり。

 

またそもそも病気になって亡くなることは蓮如さんの御文の「疫癘」(またはこちら)の通り、人の定業であって理由などはないはずですから。

ただ新コロにかかるのは「個人の不摂生」を断じる人たちもまだあって差別の原因となっていますが。

 

昨日は色々な人とお話をさせていただく機会がありましたが「71歳の誕生日」という人と雑談となりました。

その方は相変わらず「エアコンなど不要」と扇風機だけでこの夏をすごしているとのこと。

思わず「それってヤバいのでは・・・」と問い直すと「夜は涼しかったよ・・・」ですからね。

確かに昨日の夜半の雷雨から急激に気温が下がって「変化」というものを感じましたが。

 

やはり「私は大丈夫」の心なのでしょう。

他人様のことを言っている場合ではありませんね。

「私も大丈夫」・・・コレが一番イケません。

ただしそうは思っていなくても四苦八苦は人の定業ですからね。

 

独り住まいの中高年のその「突然」は悲惨です。

この時期の突然死で発見が遅れると「いたみ」が進んでその臭気に立ち入りを躊躇するほどだといいます。

独り暮らしの中高年となれば家族関係も複雑かつ実家とも疎遠となりがち。そして近所付き合いも殆ど無いに等しいということで・・・

また大抵が借家、賃貸契約ですからその戦後処理というものが大変になります。

最後の最期まで人という者は他者の厄介の上に生かされているということだと思います。御厄介にならなくては生きていけないのですね。

 

家族は離散している場合も多く、要は親戚兄弟衆ににその「処理」の件色々が覆いかぶさってきますが、クリーナーさんが言うには独り暮らしの「残骸」はゴミ屋鋪同然であることが普通で稀であってもおカネに関わる貴重品等は出てこないといいます。

そして家に転がっているものといえば、スロットのコインかパチンコの玉だと。

 

結論は家にスロットのコインがあったら・・・まず「金目ノモノは出てこない」の言葉に納得しました。

私が心が痛んだのはその家にはネコが数匹同居していたということ。

飼い猫がイキナリ路頭に迷うことになった話を聞いて・・・ショックを受けました。引き取り手不在でどうにも対応不可だったようです。

 

その手の事案は今とても増えていて飼い主が突然消えたペットの行く末というものも社会の課題になっています。

齢を重ねてのペットの存在は心の安らぎを求めるうえに不可欠な選択ではありますが常に自分が先に往くことだけは念頭に入れておかなくてはなりません。それを運命であると片付けてしまうのも・・・

特に多頭飼はダメでしょうね。

 

さて、本日も頭塔から。昨日の続きの画像です。

もっと近くに寄って仏たちを拝みたいものですがこちらが改修されてからは下から仰ぎ見るばかりです。

 

私がそちらの門を潜った際は見学者は私独り。

奈良はチャンス。

頭塔はいつでも人は少ない場所ですが、なにせ今は修学旅行の書生さんに外国人は皆無でしょう。

あの東大寺や興福寺付近の強烈な雑踏状態がどうなっているのか、怖いもの見たさで行ってみたくもあります。