「四門出遊 東門」 通夜の御文②疫癘

「四門出遊」(しもんしゅつゆう)は釈迦出家のエピソードです。

人生は一切皆苦、その本質こそ「生老病死」の四つの苦であることを私たちに説いています。ちなみにあと四つの「苦」が加わって「四苦八苦」。

 

 釈迦が城の「東の門」を出て遇ったのが「老い」でした。

人間「おぎゃー」と言って生まれたからには「老いて病を患って死んでいく」、無常観漂いますがコレっていたってオーソドックスなことで今更さして驚くことではありません。むしろ順序立ててその「苦」を「良好に」体現して、たどることができれば「幸福」なことともいえましょう。

 

このあたりの件は私が今一つ通夜にて拝読する御文の一つ、四帖の九 (疫癘-えきれい)でも蓮如さんが説いていますね。

 

さて、私事失礼、当家内々の件ではございますが当家ではその「老い」の未知なる領域に突入している者を3名ほど抱えております。父母と叔母さん(父の妹)です。

未知なる事と申しますのは、老いてゆく当の本人たちも勿論かつて踏み込んだことの無い世界を歩んでいるのではありますがそう切迫した感覚にはありません。

おそらく右往左往しているのは私たち家族の者だけですね。

 

それらが良好な老いを歩んでいるのならニッコリ日々を過ごせるのではありましょうが、当家の血筋なのか、単なる当たり外れなのか、はたまた当人の心構えなのか理由は不明ですが所謂「良好で無い」―痴呆性を伴う―場合であってその対応にそろそろ苦慮しだしているところです。これもある意味「幸せ」であるといわれればそうかも知れません。私自身、それらを看取ることができるというものです。

 

さて特に叔母さんは早くに御主人を亡くし、子供も無く、将来の葬儀費用等も先だって私が預かっている状態で、準備万端の様ではありますが、その症状は日々激しく進んでいるようです。

 

お恥ずかしいことながら開けっぴろげに記してしまいますが、まず①モノの紛失(冷蔵庫の中の物から下着、靴下、食器、包丁、保険証そして現金)、②それらのものの盗難の訴え、③家の中に人が潜んでいるという緊迫した訴え等を私にしてきます。

 GW突入前に通帳2冊と印鑑を無くしたので探して欲しいという呼び出しを受けて、昼前から3時間ほど家探しに付き合いました。

埃を吸って気持ち悪くなりながら、へとへとになったところで、叔母が「特製腹巻に大事なものを入れている」という話を口にしたことから念のためその中を見せてもらうとそこから通帳が出てきたというわけです。

 印鑑も紛失したというので再登録に行きますが印鑑証明のカードの紛失も判明、では身分証としての保険証はと聞くとそれも紛失だとのこと。

 

 面倒なので一緒に保険証の再発行をと役場に行くと「再発行は今週2回目ですよ」と受付で苦言を頂戴という始末。

 それまで叔母は色々な場面で色々な人と盗った盗られたで問題を起こしていたことを知っていましたが、これまでの全てに近い事々は叔母さんの「妄想」であって、振り回された私たちはいつも徒労であったことが初めて判ったのでした。そしてコレが「痴呆」であると知ったのでした。

 

 普通に会話している限り100%そのような患いがある様には見えません。このことは正に驚愕でした。

 

 作り直した印鑑と通帳を預かりましたが翌日スグに叔母が取りに来ました。やはり持っていたいとのことでした。

バスに乗って相良までやってくることは全然問題なくこなします。

そのまた翌日大雨の日に再び盗難が怖いので通帳と印鑑を取りに来て欲しいとの連絡。

やれやれと思って回収するとまたその晩に電話が来て心配だから持って来てと言い出しました。

 

 連休中は銀行も休みなのでその間は預かるということと叔母さんの症状について(本当は健常者のつもりで話しても意味は無いのですが)正直に話し、脳外科の「忘れ物外来」の予約を取ったことを告げると「私はボケちゃあいない」と言いだして親戚、友人に「通帳を甥にとられた」の電話攻勢。

父親には泣きながら「死にたい」とまで言い出したそうです。

父母も叔母は「まともである」と言い張っています。

父母も上記の③の症状は有りませんが①と②は日常茶飯事です。

犯人はいつも「バカ孫」のせいになっています。

 

いやはやコレが「あの有名な壮絶なる戦い」なのかと今更知った次第です。

この件はただの序章にすぎないことも承知しています。

まぁまかせるしかありませんが、こちらも身一つですからね。

 

では疫癘の御文です。 疫癘とは病気のことですね。

 

四帖の九 (疫癘-えきれい)

当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。

これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。

生れはじめしよりして定まれる定業なり。

さのみふかくおどろくまじきことなり。

しかれども、今の時分にあたりて死去するときは、

さもありぬべきやうにみなひとおもへり。

これまことに道理ぞかし。

このゆゑに阿弥陀如来の仰せられけるやうは、

「末代の凡夫罪業のわれらたらんもの、罪はいかほど

ふかくとも、われを一心にたのまん衆生をば、かならず

すくふべし」と仰せられたり。

かかるときはいよいよ阿弥陀仏をふかくたのみ

まゐらせて、極楽に往生すべしとおもひとりて、

一向一心に弥陀をたふときことと疑ふこころ露ちりほども

もつまじきことなり。

かくのごとくこころえのうへには、ねてもさめても

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と申すは、かやうにやすく

たすけまします御ありがたさ御うれしさを申す御礼の

こころなり。

これをすなはち仏恩報謝の念仏とは申すなり。

あなかしこ、あなかしこ。 [延徳四年六月 日]

 

 画像は昭和40年に「茶」を差し置いて指定された「静岡県の花」躑躅(ツツジ)です。

①が拙寺本堂北側の比較的大きくなったもの。②が名古屋城「東二之門」(東鉄門)と③④門手前の躑躅。

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (火曜日, 07 5月 2013 08:45)

    ささやさんの葬儀、お疲れ様でした。
    葬儀のお礼で克秋君が言った言葉が
    とても心に残りました。
    それと同時に、昔はそれでよかった。
    心で売ることが当たり前でした。
    残念ながら今は心で売ることは少なくなり
    数字での販売です。
    時々嫌になるときがあります。
    日本はどこかで道を間違えてしまっている。
    そう思います。
    憲法改正もそうですが、
    世界中がどこか間違えている。
    地球を貪り食って滅びるのでしょう。
    欲の突っ張りあいです。
    それでも生きていくためには
    もまれてでも、進んでいかなければなりません。
    話し合いが通じればいいのですが
    話もできない国が多々あります。
    理想と現実のギャップは・・・
    目の前のことだけ考え、仕事をする。
    これが現実です。

  • #2

    今井一光 (火曜日, 07 5月 2013 21:40)

    ありがとうございます。
    小山さんもご出席御苦労さまでした。

    かつての村上春樹氏のスピーチに賛否両論ありましたが
    「飽くなき効率化」を求めて行く社会の風潮を指摘していましたね。
    この事が克秋氏のご挨拶にあった「数字」オンリーの御商売への反省だったと思います。
    しかしながら仰る通り、「商い」というものは「数字」あってのものでその数字が一定まで届かない様ではその「商い」の根幹に関わってしまいます。
    相矛盾するテーマですがその辺りについての「商の心得」こそまさに近江商人の思想だったと思います。

     古き良き時代の商いを踏まえつつ、現代社会の目まぐるしい動きに置いて行かれないよう日々努めなくてはならない商売の道は本当に苦労がつきまといますね。

    特に自らのお店のみならず本通りでその街区の灯を消さぬよう奮戦されている小山さんの御苦労は大変な事だと思います。
    大平さんも本日、新天地にて新しい店舗の開業にこぎつけました。まったく将来に展望が描けず、何が正解であるのか不明の中「動く」という選択をしたのだと思います。

     寺というものは檀家様の繁栄(幸せ)あっての存在であることは言うまでもありません。
    どんなに厳しい世相になったとしても努めて一所懸命の生業の途を辿っていってほしいところです。