堤防決壊の遠因は長沼城の堀 そもそも周辺「フケ」 

先日は東京府中多磨墓地とこちら相良の気温差が「3℃くらい」ということで遠州の暖かさについて記しました。

そういう当地、昨日の本堂は今年一番に冷えました。

ところが外は無風でお日様の下はといえばおそらく5℃は本堂よりも高かったのではないでしょうか。

喩えていえば堂内は凍傷の雪山、外は南国リゾート・・・これはちょっと言いすぎか・・・。

 

今年の冬は初めて椅子に座っての法要の時間とさせていただいています。

膝の劣化が進んでいるのか痛みを発するようになりましたので座布団の上の正座を諦めました。

我慢をすれば何とかなる自信はありますが、今後の事もありますので正座は小出しにしてできるだけ長く使っていけるよう膝を労わっていかなくてはなりません。

 

これは年齢のせいもあるのでしょうがこれまで色々負担をかけてきた膝小僧が悲鳴をあげて来たということでしょう。

そしてその椅子着座によって床からの寒さを足がまともに受けるようになって血が通いにくくなっていることがわかるほどに冷えるのでした。「室温18℃で脳梗塞の危険」などとも言われています。

今、足と床の間に敷く暖房具の購入を所望しています。

 

さて、昨日は千曲川堤防の決壊について触れましたが、その堤防決壊についてはそのメカニズムと原因について各説交錯しているようです(先般の「報道特集」)。

 

国土交通省の方としては今回の決壊の原因は「越流」によって堤の外側底部が削られての耐力限界によるものであると主張しているようですが、基本的にそれですと不可抗力の件。

しかし一部研究者の中では「浸透崩壊」説が主流となっていることがわかりました。

 

そもそも千曲川は堤防の浸透崩壊による決壊を予測しこれまで場所によっては浸水を防ぐパネルを地中深く連結して打ち込む工法が取られていましたが例の決壊箇所、長沼の穂保地区周辺にはまだその工事が進んでいなかったようですね。

まぁそういった対策工事にも順番がありますのでそれも間に合わなかったということで不可抗力。

 

話は飛んで先日の「ハケ=崖」という古い地名の続きですが、「フケ」という言葉も興味深い語。

ハケとフケという音も似ていますがやはりその「フケ」は地形を表しています。

以前は近江の「浮気」でその「フケ」について記しましたがそちらでは浮気氏の存在はあるものの発祥はその一族が住んだ地の地形について「フケ」があったと考えるのがスジでしょう。

「フケ」とは一言で「湿田」「泥田」「深田」「溝」の様。

ちなみにそちらには野洲川という大河が流れていました。

 

ハケと同様、そのフケは城館・城塞の防備の要として利用されしばしば平城の周囲に散見します。

相良城もその傾向が強いですが、近隣の田中城、小山城なども周囲のフケ田を利した城砦でしょう。近くには大井川が流れています。

 

城普請は「湿地帯の微高地」を選択し、過去の河川氾濫に伴う洪水の経験則を元にして主郭を設ければ、イザという時の洪水にも対応できますし、何よりも防御性は抜群です。

深田(―フケタとも)に遮られて攻め手は二の足を踏まされることになりますね。

それは昔からの自然の猛威を手玉に取るが如く、リスクを承知で構える築城の方法です。

 

長沼の穂保周辺はその「フケ」であったと聞きます。

ということで「長沼」の名をあらためて思いつくと「長沼城」があります。

その城は各お調べいただくとしてその縄張りの復元図の三日月堀の存在から武田が関わっている事がわかりますね。

そして今回の堤防決壊箇所がこの城址だったと。

 

国の調査以外の民間の調査によると夥しい量の砂利が決壊堤防周囲にあることを指摘。

それこそその砂利を長沼城の堀を埋めるために使用して、その上に堤防を新設したということのようです。

要するに新設堤防の基礎部分はかつての堀であって、それを埋め立てるために砂利を使用したことによって浸透崩壊が発生したというものですね。

ということになると、今回の堤防決壊は堀に砂利を注入したことによる初歩的ミスということでしょうか。

越流と浸透崩壊では大違いということになりますね。

 

画像①に「現千曲川堤防」のピンク色のラインの下に堀があったことがわかります。

話は関係がありませんがそもそも城の遺構は潰さずに残して欲しいというところ。

堀の埋め立ての件あとになってから厄介な話に発展するというものです。

④は新調した椅子。