「籠城」ののちハレ 「傾城」に「浮気城」 

首都高の10時間にわたったといわれる缶詰状態は異常でした。

特に山手トンネルのそれは当事者からすればたまったものではなかったでしょう。排気ガスは酷いものだったことが想像できます。

車から降りて地上の空気を吸いに上がりたくなる気持ちはわかります。お腹もすけば用足しにも行きたくなりましょう。

私は当分の間首都高でもあのトンネルは通過したくないような・・・。何しろ「缶詰」時間の長かった高速道路上は「汚物まみれ」ですから。

あのトンネル区間は長いですから用足しはしやすいため通常の開放区間よりは気軽ですが、きっと匂い等なかなか消えないような気がします。

 

道路管理者のスタンスとしては「構うこっちゃねえから入れちまえ」なんですね。「その時はその時」でおそらく大方あの手の大混乱に陥ることは予想済み。火山の爆発の予想は難しいですが天気となれば殆どその通りになりますが。

 

その件はハナから腹の中にはあるもののそんなことは言えません。事前に全面通行止めにした場合、もし雪が降らなかったとしての一般道の混乱と各方面からのクレームが怖いからです。

そして何よりも首都高は入ロが夥しく存在し、すべて同時に閉鎖することは物理的に不可能なのでしょうね。

閉鎖となれば電光掲示板だけではなく最低は一車配車して掲示と監視を兼ねて常駐させなくてはなりません。それだけの車と人を配置しなくてはならないからです。

 

たとえば「チェーン規制」にした場合はいちいちどんなタイヤであってチェーンが装着されているかを目視する必要がありますし、入ロにその点検と転回させるスペースが無くてはムリな話。

私の経験では、ドライバーは「あーだこーだ」と主張して「その先のスペースで付けるから」とか夏用タイヤなのに「スタッドレスだ」を主張して規制側の言うことなどほとんど聞きませんね。

だいたい事前規制ともなれば「雪なんか降っていないだろう」だの「大したことない」と逆切れされることは必定。

 

しかしながら「これは絶対」と私が思うのがトレーラーです。降雪予報がある場合はその走行に関しては100%事前に規制すべきですね。

10トン超えの大型貨物満載車もかなりヤバいですが、トレーラーはまず橋梁と急坂カーブの凍結箇所は走行不能になります(ちなみにその件あの世界に関わった人ならば常識)。今回の山手トンネルの先頭もトレーラーでしたね。

それでいてアレだけの迷惑をかけたとしても当事者はお咎めはありません。

昔、私が立った箱根新道のチェーン規制の際、トレーラーだけは絶対にシャットアウトしなくてはなりませんが、規制を知っているドライバーはよくそれを突破します。

規制する側としては命が欲しいですから勿論退いて通してしまうことになります。こちらも突破してくることはだいたい腹に入れていますから。

 

そしてしばらくすると「途中で動けなくなった」の通報が入りますが、本当にヤレヤレの感でした。そんな時は「ウニモグ」を手配してスコップ隊が上がりますが、それでもたしか運転手にお咎めはナシだったような。

私の所感では大型車はチェーンの装着はやたらと面倒なことは確かですが、大型車の「プロドライバー」を装う人たちの中、チェーンを装着できない人もかなりいることは確か。

よって一気呵成に突破したいという気持ちになるのですよ。

 

昨日も記しましたがそういう人たちと同じ土俵(高速道路上)に居て「私は装備完璧だから」は通用しませんね。

一般道と違って迂回が効かないうえ何より、首都高は橋梁が多くて凍結しやすいからです。一台止まればそれでおしまい。

鉄則 「降雪情報の確率が高そうな場合高速道路にのるな」

 

それにしても降雪のたびに毎度の大渋滞を惹起させるのは天下のトーキョーとしては情けないことですね。

たとえば用賀料金所でしたら掲示案内と同時に警察官を配備し公権でもってトレーラーの進入を阻むなどを考えて欲しいですね(環八に強制的に下ろすなど)。

 

前回の大雪の際、横浜の「奥の墓道氏」は通勤の行きかえりで「地獄」を味わったということを覚えていますが今回は月・火曜はたまたまシフト上連休だったとのこと。

まさにピンポイントのラッキーさに驚きましたね。

 

雪がそろそろ降りだそうとする午前中に近所のスーパーに買物に行ったそうですが、レジは長蛇の列で「諦めた」と。

停電さえなければ兵糧は1週間分あるとのことで、「これより籠城する」と豪語していました。

 

その日は彼にならって私も寺に籠って一歩も外には出ませんでしたが昨日は所要で静岡市内まで。ついでに食料品売場に立ち寄りましたが東京方面からの品が届かないという掲示が各所で目につきました。

勿論私はあの様子が目に焼き付いていて昨日の静岡行脚は往復とも一般道。東名高速は使用しませんでした。

たしかまだ清水~東京間は閉鎖されていましたね。

 

さて、表記「傾城」とは読んで字の如く「お城が傾く」ことではありますが、読みとしては「けいせい」ですね。

この文字は実は浄瑠璃や歌舞伎の演目のタイトルによく使われています。そのものズバリ「傾城」なるものもありますね。

その意味は「美人」のこと。それから派生して「遊女」とも。

これでピンと来られる方・・・、その通りです。

「美人」は国を亡ぼすと昔から言われているのです。

漢書より

「一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾く」から。

ただしなぜにして「けいせい」読みになったかはわかりません。ワープロではしっかり変換候補に出ます。

 

本題は「ふけ」でワープロ変換できない「浮気」。

レインボーロードのところで浮気バス停の前の杜、住吉神社の道路際の図を記しましたが、あの道路を渡ると明らかに「城塞」を推す遺構が目に飛び込んできます。土塁に堀跡の様相です。

 

そうですこちらが「浮気城」です。

住吉神社を中心に外郭一辺100mの四角形、いわゆる国人領主の城館をイメージいますが、断片的に残存する遺構だけでそれは推測のみ。平地で住宅地と化していますのでおそらくそれらの下にも遺構は広がっているのでしょうね。

場所的(こちら)には西隆寺がある位置の方が高くなっている不思議があります。あのお寺も城域内に含まれていた感もあります。

 

日本城郭体系を持ち出せば、創建者は「浮気時房」。

浮気氏は北条氏の出で北条時綱のときに浮気を領しその後、浮気階常は後醍醐天皇に仕えて「藤丸五葉二花の紋」を賜わった。応仁の乱では美作守貞綱が佐々木政堯と三上山麓で戦っている。代々佐々木六角に従っていたが、一時期抗したこともあったようである。佐々木氏滅亡後は織田・豊臣氏に仕えていた。』

元亀元年に織田信長が金森の本願寺門徒(  )と対峙した際に浮気城そのを拠点の一つとしたとありました。

また『金森日記抜』という文書に「守山・浮気・勝部の城に奉行を配した」と。

 

また近州佐々木南北諸士帳の10栗本郡浮磯図書なる名があります。そのスグ上の「追分」の浮鉤藤介の「浮」の文字も気になりますが・・・

また「鈎」( )という地も近隣にありましたね。

 

浮気氏に「浮」つながりの氏族がここにいたことは分りますがその家が「傾いて」今に至ったかは不明です。

ただし近隣地域にその名は散見されるようです