地名いろいろ 成城そして飛田給・国領・布田・給田

恒例の今年の漢字一字のイベントで各候補が出ていました。

街頭インタビューでも色々な字がそれぞれのイメージで登場していましたが、「私にもやろせろ」という具合に「コレだ」としたのが「詐」の字。

奥方からは「ハイ即却下」ということでしたが・・・。

 

あの「桜」の件、曖昧終結の姿勢は政治に正当性というものが見えてきませんね。

その華やかそうな会の参加者に詐術をもって人々から「なけなしのカネ」をむしり取るグループの代表―反社会勢力―がご招待されていたのですが、そのヤバそうな面々の連なっていそうな名簿を「シュレッダーかけちゃいました」で通そうとするそのシステムとそれを許容する社会を一言で記しました。ダメでしょうかねぇ?

未だオレオレ詐欺で弱者から老後資金を剥ぎ取ろうとする詐欺集団が跋扈している世の中です。

すべてシャンシャンとキレイごとで収めること、これまたなお世の中胡散臭い。

 

さて、先日の地元テレビから富士市の神戸(ごうど)という地区の、土地区画整理事業が実施されているということで新しく誕生する地に「新地名をつけよう」なるワークショップを開催してその新しい地名を募集したその結果を報せていました。

小学生のグループが決めた名前が候補に残っていましたが、それらは落選してしまいその落胆の様子がテレビに映し出されていました。

 

子供たちの提案した語については失念しましたがキレイで夢のある名のようでした。

「削げ者」なる拙僧はその子供の夢について地名にすることは大いに否定します。要は今言うキラキラネームではないですか・・・。

「子供たちに決めさせれば」何でもイイというワケではないでしょうに。

 

投票の結果はその地に古くから残る「さんどまき」に決定したということにほっとさせられました。

古い地名を廃してキラキラネームへの変更についてはどうしても苦言を放ちたくなる性分で―お前の住む牧之原市なる名は旧来の名「相良」を消しただろと指摘されればグーの音も出ませんが・・・―その害は①に旧い地名にはご先祖の歴史が詰まっている重み②に自然災害示唆があってどちらも軽々に変更すべきものでない理由があります。

かつてはブログでもおどろおどろしい地名でも残すべきであることを記しています(首切谷下死人川・鯱岩)。

 

ちなみに「さんどまき」とは「三度薪」とのことのようですがこれは源頼朝が富士の巻狩の際に、こちらに陣を敷きその陣幕を「三重に巻いた」ので「三度巻」といったのが元。

その「巻」が「薪」になったようです。鎌倉初期に地名の発祥があったのですから古い地名です。

 

また、昨日は再び「がつお氏」よりコメントを頂きましたが、それが狛江の「小足立」なる村の名を紹介されました。

私はかつてその近くというか生活圏がそちら東野川にあったのですが4年間居てまったくその名の記憶がありません。

今の西野川から東野川にかけて八幡神社を中心としたムラだったようですが、地図をよく見るとその名「小足立」は通りの名として残っているようでした。

完全消滅ではなかったことは良かったです。日本全国そのような地名はたくさんあるのでしょうね。

 

東野川も西野川も近くを流れる川の名称「野川」を頂いているだけに決して「キラキラ」とは言えませんが所詮あとから取ってつけたような安直だったのでしょうね。

 

その時の私の住まいからの直近は小田急線の喜多見駅でした。友人に「どこに住んでるの?」などと聞かれれば「喜多見」というのが通常

面倒なので「でも狛江市・・・」とまでは付け加えませんでしたが、その喜多見は実は世田谷区なのです。

段丘の上が成城で下が喜多見というのが小田急線利用者であれば誰もが知り得るところですがちょっと不思議ですね。

狛江と世田谷ではやはりイメージが全然違いますが、喜多見と成城では同じ世田谷区であってもまた同じようにその違いを感じたものです。その違いが「エグゼクティブ」とのこと。

 

ではその「成城」という地名といえば学園都市をイメージしますが比較的新しい地名です。

新宿の成城第二中学校が昭和二年1927年(小田急線の開業は1929年)に「北多摩郡砧村大字喜多見」の台地上に移転してきたというのが元です。

明治期の村制の名称が「砧村大字喜多見字東之原」だそうですから「東野川の台地上の原っぱ」の如く。

「砧」(きぬた)の名称はその高級住宅地の一画として名を残していますが、どうしても「喜多見」はイマイチの感ありますね。

あとから名のられて幅を利かす「成城」ですが実は「喜多見」の方が大先輩だったのでした。

 

あの辺りを行けば喜多見の建造物名称は勿論、狛江であっても調布であっても隣接自治体のそれらに「成城」の冠を付けたものがまたぞろあることに気づくはずです。

昨日のニュースにその件が出ていましたがその成城の名は「エグゼクティブ」たちの優越感をくすぐるから・・・だそう。

台地の上は偉い人の住む憧れの住居地というのは今も昔も変わらないのでしょう。

 

ところでブログに戴いたコメントの中に「給地」と言う言葉があってハッと気づきましたが、その私の住まった東野川周辺、甲州街道沿いに「昔の名」を感じる名称が散見できます。

飛田給・国領・布田・給田などなど。これだけ勢ぞろいされるとその地名たちの元の意味に深入りしたくなりますね。

 

画像は先日東名高速道路上、助手席の奥方が面白がって撮ったものです。

そして「どちらのナンバーか・・・」と謎かけされました。

何の事はない「家康観光」が静岡県内を走るのはまったく不思議はないだろうと、「静岡か浜松ナンバー違っても岡崎か三河」と応えるも「どちらもハズレ」でした。

正解は「堺」。

名前付けなど閃きであってさして意味はなし。

まぁ、それでいいのでしょう・・・。