拙寺縁者の名訂正 豊川工廠犠牲者 当月より禁煙

毎度おなじみ新年度の始まりの日。

朝から役所に行ったり母の施設を回ったり・・・そのあとはテラスに入りっぱなし。

かわり映えしないスタート・・・でしたが、奥方もずっと一日中事務仕事に忙しくしていましたので夕食の支度はなし。

ということで近くの「かつみ食堂」のテーブル席に座ったのですが目についた掲示に驚きました。

 

まさにその日からの「変化」というものを感じました。

お店の禁煙宣言ですね。

私どもにとって飲食店の完全禁煙は好ましいことですが、郵便局若手の喫煙者の来店が多いこちらのお店がその踏ん切りをつけた理由とは・・・

県のお達し(静岡県受動喫煙防止条例)があったとのこと。

その施行が4月1日だったのでした(条例詳細)。

 

店の中にあった灰皿はすべて撤去し、逆に店の外に灰皿をDIYして置かれていましたがその経費は3000円程度かかったとのこと。

店内に喫煙ルームを作ることはできないのでそれも喫煙者への配慮でしょう。

 

私どもにとっては「悪くない」の思いがします。

若き頃、小田急線内電車の中で喫煙者に注意して包丁を突き付けられたこと、映画館でそれを注意したら「誰だこの野郎」と映画そっちのけですごまれるなどタバコに関わるエピソードが色々ありますが、喫煙者の肩身が狭い思いもわからないこともありません。父・祖父の超ヘビースモーカーを目にしてきましたから。

 

何よりこれから他者の紫煙で私たちが肺がんになるリスクを負いにくくなることはありがたいことです。

これでファミレスに行って「禁煙コーナーなのにタバコ臭い」などと腹を立てることは無くなるのでしょうね。

 

尚かつみ食堂の場合はそれを承知で入店していました。

これでストレスなく食事にありつけるのでお気楽です。

 

さて、拙寺「テラス」から降りてゴミを片付けていると本堂からお参りの終わった赤堀氏が出てきたところでした。

すると私のブログを見て「豊川稲荷豊川海軍工廠跡を回ってきたよ」と。

そしてブログ内にて記してあった名前「富貴」さんは「冨美栄」の間違いとのご指摘がありました。

 

人に聞いた話を記した名でしたが赤堀氏はブログの名を見て疑問に思い、その確認のために豊川に向かったそうです。

海軍工廠公園の事務所にて名簿の閲覧を依頼しようと受付に問い合わせたそうですが「それなら」とデータ化された名簿から検索していただきスグに判明したそうです。

 

「柳沢冨美栄 21歳 総務部」が正確なもの。

父母の名も明記されていたようですが夫方、義父(失念)と義母(すえ)ですね。

婚姻により赤堀姓から柳沢姓に変わっていたために豊川稲荷の名簿に見当たらなかったのでした。

私は名簿不掲載者も存在することを理解していましたのでおそらくそれと思って帰りました。

そもそも冨美栄を富貴栄と間違えて聞いていたのですからその発見は覚束ないところでした。

 

その日はあの戦争の犠牲者のうち私と唯一血が繋がっている人の名が判明したのでした。

そこでスグに確認したのが豊川稲荷裏にある慰霊碑の判明戦死者の名。画像には納めていましたからね。

 

職場は「総務部」。そちらに「柳沢冨美栄」の名がハッキリと刻まれていました。

敗戦直前に本来なら生きるべき命を無駄に失うこととなった工廠犠牲者のみなさん。

冨美栄さんの名を代表にして当家ではこれからも伝えていきたいと思います。

本当の平和、口だけでない真のものを願って止みません。