イカした山岡鉄舟の軸「聲斗」 100年振りの日の目

金曜日は晴れ渡った空でしたが、午前早くに本日30日に法要を予定していた施主あてに電話にてお伺いを立てました。

予定通りに法事を開催するか、その段階で中止にするかハッキリさせた方がいいからです。

すると先方様一同もどうするか悩んでいたそうで、私のその電話によっていよいよ延期という検討を始められていました。

台風24号の列島縦断の予報が出ていたためです。

 

そのあと、予報が少々変わって30日午前の台風の位置が四国あたりとなっていましたので念のため直接お会いしてお聞きすれば「(人を集めて)何かあったら・・・」が心配とのことでしたので、

「天気の事はまったくわからないが、ここはひとつ自然に敬意を表するということで・・・」と順延の英断を讃えました。

その日の晩には1900時開催のお取越しの予定がありましたが延期するとの連絡がありました。

 

私の喉、発声に関しては今のところ五分程度。

咳は何とか堪えられるものの連続発声ができないため呼吸、経文の拝読はゆっくりになります。よって順延は内心ほっとしています。

ということで日曜は家でじっと閉じこもっているつもりです。

何とかやりすごしたいところです。

そして週明けより土蔵の瓦剥がしを手掛ける予定です。しかし25号がそのあとを追っているようでこの先の予定はハッキリしませんね。

 

その土蔵の発掘発見の古文書の品々を何回か記してきましたがこちら(またはこちら)です。

世間一般的にいう「お宝」ではなく古文書の類ですが、有名どころとしては鉄舟の軸が1本に小島蕉園が3本というのはお伝えした通り。

現状体調不良のため途中で投げてしまっていますがきっとまだ何か出て来るかも知れません。

 

蕉園の書については新発見(ブログアップ済)であることは間違いないところ(小島蕉園の偽物の意味がナシ)ですがこの鉄舟の軸は何せ偽物が多いためにスンナリ「そうだ」とは言い切れないところがあります。

拙寺の軸の落款印について全生庵所蔵のものに近いものはありますが・・・

 

模写を真正のものに近づけるために仕上げようとすれば落款印もソックリに作るでしょうからね。

そもそも鉄舟も泥舟も「書き屋」に自らの落款印をゴソっと貸し出していたとも聞きますし。

ということで真贋に関してのさらなる判断材料が時や理由を記した落款と出所です。

しかし落款印はあったとしてもいわゆる落款―「書の事情」を記すものがないものはまたぞろに存在します。

ということでその書の出所がどこなのかが次に重要になるのです。

 

ということで拙寺に突如現れた鉄舟の書の真贋については微妙な点も残りますが私の思いとしては真正であると考えています。寺の蔵出し初物という点ですね。

布施家に残る「鉄舟骸骨」は真正のものであると疑問の余地はありませんがその流れ(石坂周造との関わり)でいえば石坂の「天香閣」直近の拙寺にも布施新助に連れられて立ち寄ったことが考えられます。

まぁ今後の調査でその辺りの経緯を表す文書が出てくれば確信に変わるのでしょうが。

どうしても「鉄舟の書」というとやはり疑ってかかってしまいます。

 

さて拙寺から出た鉄舟の軸はやはり気が利いているとしかいいようがない文言が記されています。

布施家の骸骨は「南無阿弥陀仏」のあとに宗祖親鸞聖人の有名な歌「明日ありと思ふ心のあだ桜~」が記されていて、布施家が熱心な門徒であることを配慮した感がありました。

ただ布施家の骸骨に記された「宮内少輔正五位山岡鉄太郎謹書」の落款はイイですね。拙寺のものにはありませんので。

 

そしてその軸。

こちらにもそのスジではかなり有名な歌が書されています。

一遍さんの駆け出しの頃に詠んだといわれる歌ですね。

やはり「南無阿弥陀仏」を入れたというところから考えても「鉄舟の配慮」を考えてしまいます。

今のところ経緯は勿論わからず、偽物の可能性も少々残りますが、私はこの歌を選択したということからして真正と考えました。

 

一遍上人のオリジナルは

 

となふれば 仏もわれも なかりけり 

            南無阿弥陀仏の 聲ばかりして

です。

その「こえばかり」の部分を漢字二文字、表記「聲斗」で強調しています。そういうオリジナル性は鉄舟らしさが出ているのかと勝手に思いこんでいます。

「聲」は声の旧字で「斗」を「ばかり」にあてています。「斗」は計量の単位の「斗」ですが「はかり」「ばかり」の読みは明治期あたりでは他にも各散見できます。

 

布施家の「骸骨」に対してこちらは「聲斗」と呼びたいところですが、これと同様の鉄舟の軸をお見かけの方は是非に御連絡ください。専門家のご意見ご評価をお聞かせください。

 

若き一遍上人はその歌について添削を受け、

 「となふれば 仏もわれも なかりけり              

            南無阿弥陀仏 なむあみだぶつ」

と歌を変えていますが、まぁ両者とも悪くないと思われます。

 

「聲斗」の部分が自我に固執している・・・というところがイケナイという添削があったといいますが、「聲」が出されている事は称名念仏にとって一番に大切な事ですからね。

そもそも聲が出ることも「他力」と解しますので「我」にとらわれている様子とはとれません。

 

鉄舟が布施新助に連れられ訪れたか、石坂の家にいて散歩がてらに拙寺にやって来て読経の「聲」を耳にし、その歌を思い出して記したというのが私の連想です。

 

どちらにせよこの軸も相当傷んでいますので修復は喫緊の課題です。

蔵を壊す事になって出費がどんどん増えることになりました。