小仁田薬師堂御開帳は25日(火)まで 17年振り

昨日は朝から土砂降りに見舞われて屋根を叩く雨音に目が覚めました。当家ではそれを「羅生門」と呼んでいますが、今年の夏は各地でそれがありましたね。ただしここ相良にあっては一瞬ではありましたが珍しいくらいの強い降りでした。

 

昨日で約3週間。奥方に尻を押されて再再診を予定していて、この雨で尻込みしていると「敢えて10時過ぎに行けば空いていだろうからそれまでしばらく・・・」との忠告を受けました。

すると雨は止み青空が・・・待合室はガラガラでスグに診察室に向かう事ができました。

「まったく治らないよ先生」が私の第一声で「それじゃあ」ということで予定通りレントゲン撮影での診断となりました。

それにしても今年はCT(MRIは2回)は別としてもX線は4回とかなりの被曝振りです。

すると「肺がきたないね」と。

「肺炎にはいたらないが気管支炎・・・」との診断となり投薬する薬を替え、吸入器を処方されて帰宅しました。

 

帰宅してからスグ、カメラ片手にゴホゴホやりながら小仁田の薬師堂へ向かいました。

以前記した今年の御開帳2題の一つでもう一件が先月の清水堂でした。

こちらは場所的には勝間田城の段丘の勝間田川を挟んだ向かいの段丘「穴ケ谷城」の南麓になります(場所はこちら)。

 

小仁田の部落全体を囲むようにして白い布状の物が巡っていて疑問が沸いたところでしたが元を辿れば薬師如来の指に繋がっているようでした。

野山の彼岸花の赤が青い空に映えています。地元の方々総動員の様で御堂の前では甘酒の接待を受けました。

やはり清水堂と同様、「次(17年後)は来れないね」の声が行き交っていました。私なんぞそれどころか・・・

 

いいパンフが配布されていましたのでそちらをupします。

 

⑨日光⑩月光の両菩薩は薬師如来の脇。

近年の修復の痕が薬師の顔と胸のキラキラテカテカ部分。

スペインの遺物修復のセンスよりはマシですが昭和の終わりからバブルの頃はあの手の修復の手が施されてしまっているのが散見されます。

拙寺の海の如来さんもそうでしたから他所のことは言えませんが・・・。

下の最後の画像、五人男の額もよく見るといたずら書きらしき箇所が見受けられます。享保九年とありなかなか良さげですから惜しい事ですね。

 

尚25日(火)は17時までですが26日(水)は10時30分閉扉式。

その日は8時から10時30分までギリギリ拝観できそうです。