字名として残る長篠の「首切谷下 くびきりやが」

フィリピンとアメリカはそれぞれ大型台風(22号)とハリケーンの直撃に戦々恐々の様。

フィリピンでは数千人に上る死者、アメリカでは2兆2000億円規模の被害もありうるといいます。

この22号台風は前回の21号よりも強くて、もしコースが違って日本のどこかを通過したとしたら・・・考えるだけで恐ろしくなります。北上しないで西(フィリピン)に向ってくれて「よかった」というのが内心ですが、海水温高めの中900hp前半の勢力を保ったままでの襲来は緯度の高い日本と比べても強烈度は高いものがありましょう。

この件、何とか無事にやりすごしていただきたいものですが「フィリピンでよかった」と思うところ、浅ましくも思います。

 

これだけバカがつくほどデカい台風が発生する現状、あのゴルフ好きの「小学校5年生」はそれでも「地球温暖化はフェイク」と言い続けるのでしょうね。

あの「間抜け」(moron)な大統領殿が任期前に引きずり降ろされることを切に願います。

 

さて長篠界隈をブラつくと面白い地名にブチあたります。

その名も「首切谷下 くびきりやが」です。

池新田桜ケ池近くにも渥美源五郎勝吉の「首取坂」がありますし地頭方新庄の鯱岩(しゃっちゃ)に流れる「死人川」(しびとがわ)なる呼び名を聞きます。

また長篠といえば設楽原決戦で取った首と刀を洗ったといわれる「首洗い池」なる名称がありました(長篠周辺の地名は結構に歴史を感じさせるものが多くあります)。

 

どちらもおどろおどろしい名が伝わっているのですが、この「首切谷下」に関しては歴とした字名なのです。

「愛知県新城市長篠首切谷下」といいます(場所はこちら)。

段丘と段丘の間の長閑な谷筋風景が広がります。

 

医王寺という長篠城を囲う武田勝頼の陣が④地図に見られます。本戦は設楽原という「会場」に移動するわけですが、武田軍大惨敗をもっての敗走にあたりこの首切谷下近くには伊那街道が走っていますので多くの武田軍が討ち取られたのではないかと思います。

 

①②③画素は「首切谷下」手前の「高畔」から。首切谷下に入れば数件の家々が建っています。

ちなみに②は本長篠側(南)を振り返ったところですがあの段丘の木が薄くなったあたり1本だけ目立つあたりが比高130m「君ケ伏床~きみがふしど~」だったと・・・(字名は「浜射場」)。

長篠五砦の1つです。